アメリカの民主主義と市民的自由
その他のタイトル American Democracy Challenged by Civil Liberty Infringements
著者 大津留(北川) 智恵子
雑誌名 關西大學法學論集
巻 54
号 3
ページ 447‑473
発行年 2004‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/12179
アメリカの民主主義と市民的自由
は じ め に
アメリカの民主主義と市民的自由
︱
100
一年九月︱一日︑世界がリアルタイムで目撃した一連のテロ事件を︑ブッシュ大統領は犯罪ではなく﹁戦 争﹂と名づけた︒それ以来︑アメリカ社会はテロとの戦いという擬似戦時体制のもとにあると言える︒戦時である以 上︑アメリカの国家安全保障が他の価値に優先され︑国民はそのための犠牲を受け入れるべきであるという了解が︑
愛国心という名のもとに政府から強要されるだけではなく︑
九 五
アメリカの市民社会においても自発的に主張された︒中 でもアメリカ杜会の自由な制度そのものがテロリストによって悪用されているため︑テロとの戦いのために市民的自
(2 )
由を犠牲にすることが必要であるという見解がこれまでになく広く浸透した︒
九•一―以降のアメリカ杜会が市民的自由への蹂躙を受け入れていく度合いを、
攻 撃
さ れ
︑ しかも生じた被害があまりに大きかったという衝撃のために︑
アメリカの経済的・軍事的中枢が
アメリカの人びとが一時的に過剰反応を起 こしているとみなすこともできる︒しかし︑植民地からの独立以来︑危機にあっては国のために犠牲をも厭わないと
︵ 四 四 七
︶
大津留︵北川︶智恵子
(
‑
︶
一︑市民的自由と国家安全保障の確執
うアメリカの自己像に内在する課題を指摘したい︒
第五四巻三号
︵ 四 四 八
︶ いう議論はアメリカにおいて繰り返し行われてきた︒しかも︑犠牲を求める議論が一般論としての響きを持つ裏側で︑
実際にはその犠牲がアメリカ社会の最も弱い部分に押しつけられてきたことも事実である︒逆にいえば︑
アメリカが
一方で市民的自由を社会の根本的価値として掲げながら︑他方でそれを繰り返し蹂躙することができた理由は︑
面 で
︑ アメリカのアイデンティティに挑戦したものが︑
ア メ
リカ社会の中にある強者と弱者の二重構造にあると言えるかもしれない︒そしてイデオロギー︑民族︑宗教などの側
アメリカの敵として弱者の立場に置かれてきたといえよう︒
九•一―以降の擬似戦時体制において、「安全か自由か」という二者択一の問いかけが当然のようにくり返されて いるが︑そもそも国家安全保障︵今日では︑これに国土安全保障が併記される︶
市民的自由抑圧の歴史 関法
と市民的自由とは両立しえないもの であるのか︒その選択において市民的自由を犠牲にする根拠として語られる国益や愛国心とは︑誰によって定義され るものであるのか︒ブッシュ大統領がテロの﹁攻撃を受けているのは自由と民主主義である﹂として守ろうとするア メリカの自由と民主主義がアメリカの国益や愛国心の源であるとするならば︑その自由や民主主義がアメリカ政府と 自発的な市民社会の手によって特定に弱者に対して覆されている現状を︑どのように評価すればよいのだろうか︒
本稿では︑テロとの戦いを事例としてアメリカ民主主義の問題を浮き彫りにする中から︑リベラルな民主国家とい アメリカはその建国の経緯からして︑国家の寄って立つ理念として自由を掲げてきた︒しかし同時に︑危機にあっ
六 〇
アメリカの民主主義と市民的自由
する教育が盛んに行われた︒ ては自由そのものを犠牲にしても国の統合を守ろうとするという経験を繰り返してもきた︒﹁わが共和国を守り国民 の自由を安泰ならしめるために︑危機の期間中はある種の自由を制限しなければならない﹂と定めたのは︑自由を理 念とした建国から間もない一七九八年の外国人および煽動罪法である︒その後も︑戦争や大規模な杜会運動など︑ メリカ社会が内外の挑戦から国家的危機に立たされた場合には︑国を守る大義の前に自由と民主主義が譲歩する前例 は繰り返されてきた︒
中でも︑第一次世界大戦期の市民的自由の蹂躙は︑本稿が焦点をあてる九.︱‑後のアメリカ社会の反応との類似
点 が
多 い
︒ 一九世紀半ばから︑
アメリカに渡るヨーロッパ移民の数が増大しただけではなく︑東︑南ヨーロッパとい
うアメリカ建国の神話との関係が薄い地域へとその出身地が拡散したことで︑
渡期の移民に対する反感が強まっていた︒
移民の寸劇が象徴するように︑
た私的所有権︵幸福の追求︶
‑」‑
ノ
︵
シ テ
ズ ィ
ン シ
ッ プ
︶
に関
ア
アメリカ的なものに同化しきれない過
フォード社の移民労働者向け英語教育修了式で披露されたアメリカ化する
アメリカ人とは英語が話せ︑ アメリカ的な生活様式を取り人れた人々であった︒した
がって︑同胞民族が集住しアメリカから孤立している移民に対しては︑ アメリカという政治的共同体に包容され︑
メリカに対して継続的な帰属感が持てるよう︑市民になること︑市民として行動すること
同化が遅れる移民に向けられたアメリカヘの忠誠に欠けているのではないかという反感は︑産業社会化するアメリ
ヵてヨーロッパの左翼思想に影響される形で労働争議が増大したことからも生じていた︒
と対立する社会主義思想をヨーロッパから運ぶ新移民は︑
ア
アメリカ社会が重視してき
アメリカのアイデンティティ
である資本主義にもとづく社会への挑戦と受け取られた︒二
0世紀初頭︑当時のセオドア・ローズヴェルト大統領は︑
︵ 四 四 九
︶
第五四巻三号 無政府主義者やアメリカの労働市場にとって脅威となるような人物の入国を禁止する法律を成立させたが︑これはア メリカが﹁非アメリカ的﹂な思想を根拠に国境を閉ざす先駆けとなった︒移民をアメリカ社会の外側に置き︑同化を 前提としてアメリカ社会に組み込もうとする考え方は︑戦争が始まると敵国出身の移民に対する差別へとつながった︒
ヨーロッパで戦われている戦争にアメリカが参戦するにあたって︑
一九二四年移民法改正に至る一連の移民法改正に
一 九
二
0
年にアメリカ市民自由連合
( A
アメリカ社会の中にわかりやすい敵を﹁作り上げ
(8 )
る﹂必要があったために︑こうした移民が犠牲となったといわれている︒
第一次世界大戦下のドイツ系移民や反戦運動家に対する市民的自由の蹂躙は熾烈で︑
義革命後はさらに共産主義者に対して市民的自由を省みない迫害が行われ︑
CL u)
の設立を促した︒﹁社会の最も弱い者の権利が否定されるとき︑その社会の全ての人々の権利が危機に瀕す
(9 )
ることになる﹂という市民的自由の根本的な性質にもかかわらず︑
よ り
︑ アメリカ社会はアメリカ的ではないものに対して国境を閉じただけでなく︑
全体主義が台頭してくると︑そうした思想が流入することにも敏感に反応した︒たとえば一九一二八年には下院非米活
動調査特別委員会が設立され︑
ギーをもって侵入するものが行う非アメリカ的な破壊活動を対象とした同報告書は︑そのほとんどの部分を使って共 産主義のアメリカ杜会への浸透を指摘している︒
こうした戦間期のアメリカ的なるものを守ろうとする動苔は︑
制収容問題に留まらず︑ 関法
︵ 四 五
O )
ヨーロッパで国際共産主義に加え アメリカ国内から非アメリカ的な思想を排除することが試みられた︒外国のイデオロ
アメリカにとって初めての本格的な総力戦となった 第二次世界大戦の勃発で︑さらに強化されることになった︒市民的自由と人種的平等が一︱重に否定された日系人の強
アメリカの国家統一に挑戦すると思われるものの権利は侵害されていった︒さらに︑第二次
一九一七年のソ連での共産主 '
ノ
て い
る ︒
こうした外なる敵による国家統合への危機という図式は、九•一
れ て
い る
︒ ︱
10
三年に創設された国土安全省のトーマス・リソジ長官は︑創設一周年記念の講演でこのように語っ
0<
ヽ等の自由が保障される必要がないという二重構造に基づいていた︒そしてこの﹁外﹂と が敵によって揺るがされることを脅威とし︑ 危機にあって国家安全保障がアメリカ建国の理念に優先された過去の事例は︑
︵ 二 ︶
ア メ
リ カ
民 の
主 主
義 と
市 民
自 的
由
という自己認識とは相反する側面を常に呈示してきたと言える︒しかも︑そうした自由の侵害は﹁自由を守る﹂とい
アメリカ杜会の外なる存在としての敵には︑
アメリカ人の心の中に引かれた境界線によって規定されていた︒
﹁自由に最も必要なものは団結です︒統一︑国民の統合︑誰もが自由の理念を誓い︑誰もがそれを守っていくこ
アメリカのアイデンティティヘの挑戦
う大義名分のもとに行われてきたのであった︒
このように市民的自由をめぐる実際の歴史の展開は︑
ー 」
ノ
一後のアメリカ社会においても同じように呈示さ
︵ 四 五 一
︶
﹁内﹂は物理的な国境ではな
アメリカの内なる市民と同
いずれもアメリカの国としての統合
アメリカのマジョリティに位置する人々が持つ
世界大戦から冷戦へと連続的に突入したことで︑前述の非米活動委員会の活動は冷戦の一環として国内での反共政策 を押し進めることとなり︑市民的自由の大幅な否定であるマッカーシズムヘとつながっていった︒外からの敵だけで なく国内社会の分裂も国家統一を危機に陥れるという懸念は︑盛り上がる公民権運動に対しても持たれ︑連邦捜査局
(F BI )がキング牧師の市民的自由に抵触しながら諜報活動を行っていたことは︑周知のこととなっている︒
﹁ 自
由 の
国 ﹂
える必要があるだろう︒ で合法︑非合法を問わず加速化していた移民の波と︑
第五四巻︱二号
一 九
八
0
年代から公的な場で逆戻りすることなく定着してきた
︵ 四
五 一
一 ︶
と︒︵中略︶全ての人々の心の中で自由が屈することない原則とならなくていけません︒その原則は︑私たちが アメリカ国民として苦難に耐えることができるほどに強く︑そして未来のアメリカ人が感じ取ることができ︑彼
( 1 2 )
ら自身の苦難に直面していけるほどに深く侶じられなくてはいけません︒﹂
自由を守るためには︑国民の統合が必要であるとしたリッジ長官の発言は︑
ものが存在していることを意味している︒その内なる敵とは直接的にはアメリカ国内に入り込み︑
部として生活をしながら︑内側からアメリカの破壊を目指したテロリストであると考えられる︒しかし︑九.︱‑後 のアメリカ社会が示した異なるものへの否定的反応の激しさを理解するには︑実は九・︱一に先立ってアメリカ国内 多文化主義の理念との二重構造が︑伝統的なアメリカ人のアイデンティティに揺さぶりをかけていたという背景を考
移民規制が象徴する宗教︑文化︑民族を根拠とする排他的アメリカニズムは︑
民的ナショナリズムとは相反するものとして対置されることが多いが︑アメリカのアイデンティティの形成において
( 1 3 )
は︑むしろ両者は融合されてきたといえる︒市民的ナショナリズムが求める民主政体の成員としての能力は︑歴史を 通して個人ではなく集団的帰属を根拠に規定されてきたし︑
戦 は
︑ アメリカの内側からの異議申し立てではなく︑移民とともに流入する﹁非アメリカ的﹂なものとして理解され た︒たとえは︑前述した非米活動委員会の報告書は︑
識することで︑階級︑宗教︑人種的な寛容を持つことだと定義し︑逆に階級︑宗教︑人種間に憎しみを掻き立てる行
関法
アメリカ社会の内側に︑統合を脅かす アメリカ建国の理念をもとにした市
アメリカ建国の︱つの柱である資本主義システムヘの挑 アメリカニズムとは神によって権利が与えられていることを認
六 四
アメリカ社会の一
︱
1 000
年の大統領選挙の顛末が記憶に新しい中で︑﹁大統領職を盗んだ﹂とも批判されたブッシュ大統領は︑そ
の指導力を改めて認識させるような政策を実施するでもなく︑支持率も低迷する政権初期を過ごしていた︒そのブッ
(‑
︶
ア メ
リ カ
の 民
主 主
義 と
市 民
的 自
由
二 ︑ ァロとの戦いと市民的自由
六五
( 1 4 )
為を非アメリカ的であると指摘している︒しかし︑前述の一九世紀末から一︱
0
世紀にかけての大量移民の波に対して
は︑アメリカ社会は﹁正義﹂として同化を強要することができたが︑
九.︱‑後︑外敵から国境を保護することは大切だという認識が広く持たれるようになったが︑それは建前として は定着しながらも十分に内面化されきれていなかった多文化主義への反動とも連動していた︒つまり︑経済的にも文 化的にもアメリカの統合にとって負荷となる存在と認識されていたアメリカ的ではない存在︵移民やマイノリティ︶
が︑実際アメリカの安全にとって危険な存在でもあったのだと重ね合わせて認識されるようになった︒愛国主義が高
ま り
︑ アメリカ的なるものへの無批判な回帰が生じる一方で︑異なるものがアメリカの中に入り︑権利主張を始める 前に︑境界線の外側で留めてしまおうとした︒グローバル化が加速的に進む中で︑それに逆行する形でめざされたア メリカの国境保護の強化は︑その実施により強制的な措置を必要とするために︑政府により大きな権限を認めざるを 得ない結果を生んだ︒さらに︑
戦時大統領の権限
アメリカ社会の中の誰がアメリカにとって他者であるかという内なる境界線を規定す
る役割を︑反テロ対策という形で政府に与えることとなった︒ おいては︑それは不正義へと変化していたのである︒
︵ 四 五 三
︶
一世紀後の多文化主義に基づくアメリカ社会に
第五四巻三号
直後︵九月ニ︱ーニニ日︶ シュ政権にとって︑九.︱‑ははからずも大統領支持率をテロ事件直前︵九月七ー一
0
日 ︶
の 九
0
パーセントヘと大きく上昇させる効果を持った︒危機にあっては大統領の周りに集 結するというアメリカ社会の伝統的な反応に加え︑
見るように議会に対して大統領の権力を拡大するのみでなく︑国民に対して国家権力を拡大することができた︒
共和党員でもなく︑
九 月
一
0
日までミサイル防衛予算をめぐって大統領と対立していた議会民主党は︑﹁今日︑私たちは民主党員でも
( 1 6 )
アメリカ人だ﹂︵ダッシュル上院院内総務︶という象徴的な発言がなされるほど︑テロ後は大統 領との対立を弱めた︒これは︑
外にある敵に向けてのメッセージでもあったし︑危機にあって大統領を攻撃するのは愛国心に欠けると考える選挙区 九月︱︱一日に︑議会はテロを非難し︑﹁国際法のもとにアメリカには反撃の権利がある﹂と盛り込んだ共同決議
( S . J .
R e s . 2
2)
を可決した︒
アメリカ社会が一枚岩であり︑テロによって分断化されてはいないというアメリカの 一三日には行政府からの要請に先だって︑通信の傍聴権限を拡大する修正案が議会側か
︱四日には︑共同決議
( S . J .
R e s . 2
3)
与するという行為をとることで︑
アメリカ社会の団結した姿を外に示すと同時に︑議会がいかに愛国的であるかを有 権者に示した︒この共同決議は︑前文の部分で次のように謳っている︒
﹁ 二
0 0
一年九月︱一日の暴力行為がアメリカとその市民に向けられ︑その行為によりアメリカが自衛の権利と 国内•国外でアメリカ市民を守る権利を行使することが必要かつ適切となった 次のような決議をおこなった︒
ら提案されている︒ の有権者へのメッセージでもあった︒
関法
︵中略︶ため︑上院および下院は
︵ 四 五 四
︶ ブッシュ政権はテロを﹁戦争﹂であると規定することで︑以下に
によって大統領にテロに報復するための幅広い権限を付
六六
の五一パーセントから︑
ア メ
リ カ
の 民
主 主
義 と
市 民
的 自
由
六 七
大統領は二
0 0
一年九月︱一日におこったテロ攻撃を計画︑承認︑関与︑支援したと考えられる国家︑組織︑
あるいは個人︑およびそうした組織や個人をかくまった者に対し︑そうした国︑組織︑個人によってアメリカに 対するさらなる国際テロが生じることを防ぐために︑必要かつ適切なあらゆる軍事力の行使の権限を与えられ 大統領に白紙委任状を渡すことを危惧した議員により︑この決議が戦争権限法の制約を超えるものではないという
項目が加えられたものの︑ほとんど無限に拡大解釈できる権限を大統領に与えた背景には︑九・︱一がアメリカによ る軍事行為を正当化するに足るだけの﹁悪﹂であったという共通認識がうかがえる︒唯一軍事力行使決議に反対した
であった︒もっとも︑﹁私たちは︑アメリカがこれほど忌 のは︑バーバラ・リー下院議員︵民
11
カリフォルニア州︶
み嫌うものと同じようになることは防がなくてはならない︒︵中略︶
( 1 8 )
けなくてはならない﹂︵ジャクソン下院議員︑民
11
イリノイ州︶と︑大統領を牽制する意見も述ぺられはした︒しか
テロリストの背後にある痛みや怒りにも耳を傾 し議会の大勢に支えられたブッシュ大統領は︑九月一八日に同決議に署名をし
(P L 10
七 ー 四
0 )
︑
アメリカ社会が擬似戦時体制から実際の戦時体制に移行することで︑議会が﹁戦時﹂大統領の戦争権限に正面から 挑戦することはますます困難となった︒戦時の大統領および行政府は︑国家安全保障を理由として情報を管理し︑戦 地に派遣されたアメリカ兵士は議会が大統領に対立することを困難にする人質として機能する︒こうした一般的な戦 時大統領と議会の関係に加え︑テロリストとの戦いにおいては国土安全保障というアメリカ社会そのものの安全も人
質に取られていた︒最悪の事態に対して自らの政治生命を投げ出してまで大統領の政策に対立するのではなく︑最終 はアフガニスタンヘの攻撃を始めた︒
る ︒ ﹂
︵ 四
五 五
︶
10
月七日に
的な政治責任は大統領に預けるのが議会のよく取る行動様式であるが︑今回はそれを愛国心という美しい言葉で覆い 隠すことすらできたのである︒二
00
1
︱ 年
か ら
二
0
0
三年にかけて︑イラク攻撃が緊急に必要であるという根拠を
ブッシュ政権が誇張していく過程において︑国内政治の場で異議を唱えることができなかったのも︑戦時大統領の権
と は
︑
第五四巻三号 限がこのように強く認識されていたためである︒大統領権限の拡大が国内政治的に無抵抗に近い形でおこなわれたこ
( 2 0 )
ブッシュ大統領が議会に対して拒否権を用いる必要がなかったという実績からも明らかである︒
ブッシュ大統領は二
0 0
一年︱一月一三日︑
このような大統領の政治的権限一般の拡大に加え︑軍最高司令官としての大統領の権限も積極的に行使された︒
アルカイダに関係した外国人を軍事裁判所で裁くことを司令し︑アメリ カ国内ではなくキューバのグアンタナモ基地に収容した︒自らが﹁戦争﹂と呼んだにもかかわらず︑
ブッシュ政権は テロリズムは通常の戦争とは異なるので︑これら﹁テロリスト﹂はジュネーヴ条約の戦争捕虜とはみなされないとい う独自の見解を示し︑国際法に反すると思われる拘束・尋問が長期にわたり行われた︒拘束中の外国人に対する人身 保護令状の発給をめぐる訴訟が起こされると︑
ブッシュ政権はグアンタナモ甚地がキューバの領土内にあるために︑
( 2 2 )
最終的主権はキューバにありアメリカの裁判所の管轄外であるという解釈を示し︑情報を制限するだけでなく法の隙 間を縫うために海外の碁地が意図的に利用されたのではないかという疑惑も出ている︒
不当な拘束がなされている中にはアメリカ国籍を持つものも︱一人いたが︑
ブッシュ政権はこの一一人に対して﹁敵性 外国人﹂との判断を下し︑憲法上の権利を制限しようとした︒司法省は︑軍最高司令官としての大統領の判断は最終 的てあり︑︱一人に対して人身保護令状を発給することはできるが︑実質的には最高司令官の権限のもとでは保護令状 には意味がないという見解を示した︒修正四条の定めるデュープロセスに優先されるものとしての大統領権限が主張
関法
I,
Jノ¥
︵ 四 五 六
︶
アメリカの民主主義と市民的自由
され︑その議論には第二次世界大戦中﹁敵性外国人﹂とみなされたドイツ人スパイ容疑者の人権をめぐるキリン判決
( E
r p
ミ
Q
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317
U .
S .
1 (1 94 2) ) ぶ正 坪以
m E
ヤu
ふぃ
4
﹂︒
の拘束が︑ほとんど確固たる根拠もなく行われているにも関わらず︑大統領の権限に対してキリン判決が適用できる
( 2 3 )
とした司法省の解釈には批判も出ているが︑根本的な方針転換はなされないまま反テロ政策は進められた︒
対外的な軍事行動と並行して︑
の一週間後に提案された反テロ対策は︑約一ヶ月という短い審議の末︑
オクラホマシティでのテロを受けて提案された反テロ法は︑約一年をかけて審議し︑公聴会で市民的自由や外国人の 人権の保護をめぐり反対意見を含む多様な意見の聴取が行われた︒それでも︑外国人を中心として個人の権利が政府 の権限により損なわれる可能性が拡大した立法となったため︑論争を呼んだ︒
ところが今回の立法化の過程では︑そうした熟慮をする時間も惜しまれた︒しかも︑管轄委員会の審議後の法案が︑
司法省と議会幹部により修正され︑本会議の議決直前に差し替えられたため︑議員は案文ではなく要約に基づいて議
( 2 4 )
決をしたという︑異例の立法であった︒この法律の﹁テロを中断し︑阻止するために必要な適切な手段を与えること でアメリカを結合し︑強化する法﹂という長い名称の頭文字を並べると︑アメリカ愛国法
( U S A PA T R
I OT
A c t , p
( 2 5 )
L
10
七
I五六︶であり︑あまりにも計算づくで︑アメリカ世論の愛国心の高揚に便乗した名称となっている︒愛国 法はその主な構成要素として︑国内の安全強化︑
︵ 二 ︶
政府による情報管理
ア ル
カ イ
ダ ︑
六 九
10
月二六日に成立した︒先に一九九五年の
タリバンに関連すると言われる﹁テロリスト﹂
ブッシュ政権は議会に対して国内でのテロ防止の戦いに支持を得ようとした︒テロ
テロ監視手段の強化︑テロ資金流通の阻止︑国境の保護が書き込ま
︵ 四
七 五
︶
捜査することができるようになった︒
第五四巻三号 れている︒中でもテロ監視手段を強化するために︑行政府がこれまでにないほどの裁量権を与えられたことは︑
( 2 6 )
リカがまさに守ろうとしている自由を制約する可能性を持つ内容であった︒
たとえば︑愛国法は電話の内容に触れずに番号だけをデータとして獲得する通信番号記録
(p en r e g i s t e r )
をイン
ターネット上で交わされる通信にも拡大適用したり︑図書館利用や通信販売の記録を本人に知らせないまま提供させ たりする一方で︑これまで裁判所の捜査令状を必要としていた捜査内容においても︑﹁テロ﹂が理由であれば不要に するなど︑より幅広く︑かつ規制の緩やかな形で個人の情報を管理することが可能になっている︒
法律の文面に加えて問題となったのは︑
した執行方法であった︒二
0
0
二
年 五
月 ︑
範疇で︑国内での法執行と外国人に対する諜報活動の間に法的な﹁壁﹂を作ることで︑
︵ 四
五 八
︶
ア メ
ブッシュ政権︑中でもアシュクロフト司法長官による反テロを大義名分と アッシュクロフト司法長官は議会の管轄委員会に事前の打ち合わせもなく︑
これまで外国情報捜査に限って免除されていた市民的自由を守るための制約を︑国内情報捜査においても免除するよ
う
FBI
のガイドラインを変更した︒外国情報捜査は一九七八年の外国情報操作法
(P
九五ー五︱‑︶
Lにもとづく アメリカ人の市民的自由が不 当に侵害されないようにしていた︒しかし︑まさにこの﹁壁﹂が九・︱一を防ぐための情報の共有を妨げてしまった という議論が行われるようになった︒その議論に乗じた変更によって︑
FBI
はアメリカ市民の合法的な政治的︑宗 教的活動に関する情報を収集する場合︑従来は過去に生じた︑あるいは明らかに計画された犯罪行為に限られていた
も の
が ︑
いまやどのような活動でも﹁テロの疑いがある﹂という理由により︑自由に︑身元を明らかにすることなく さらに︑冷戦の終結を受けて前クリントン政権下で大幅に進められた情報の開示を逆行させ︑情報公開法の執行を
関法
七 〇
アメリカの民主主義と市民的自由
( 2 8 )
後退させるような秘密主義的な性格の政権運営もとられた︒情報公開法はヴェトナム戦争︑
象徴するように︑行政府が問題のある政策決定を国民の目から隠す余地を持つことで︑結果的にアメリカ民主主義を 裏切ることになった経験への反省から作られた法律である︒﹁政府が戦争体制を敷いている際には︑私たちは行政府 を信じなくてはならない﹂というのがブッシュ政権の姿勢である︒こうした姿勢そのものが︑アメリカが七
0
年代の
試練の中で組み込んだ民主政治の安全装置を自ら放棄することであり︑テロという外の敵に気を取られている間に内 側から民主主義が崩れかねないという批判を受けている︒
もっとも︑政府の情報管理が無制限に進んでいるわけでもない︒国防総省は︑反テロ政策を助けるために︑膨大な 量のデータの中からテロ活動をほのめかすパターンや関連性を見出すことの実現可能性を見極めるため︑国防高度調 奔プロジェクト庁
( D e f e n s e A d v a n c e d R e s e a r c h P r o j e c t g A e n c y )
( 3 0 )
ン・アウェアネス︶システムを開発していた︒政府・民間のあらゆるデータベースを縦横に検索しようとした試みが︑
政府に情報管理権限をあまりに集中させるという懸念が高まったため︑
象をテロリズムに限定するという名称変更もなされたが︑現在のところ議会により実現化は認められていない︒
動員される市民社会
日常性の中で生じた国際テロは︑
(‑︶三 ︑
ア メ リ カ の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を め ぐ る 確 執のもとで
T I A
七
TIA
という頭文字を残しながら︑情報の対
アメリカの人びとにとっての安全が︑国境の外に対して守るものではなく︑価値 観を共有し︑運命を共有する共同体として成立しているはずの社会のまさに内側に存在する問題であるという認識を
四 ︵
五 九
︶
︵トータル・インフォメーショ
ウォーターゲート事件が
ブッシュ大統領は︑ 持たせた︒そして︑ うとする気持ちが高揚する愛国心として︑そして市民社会の積極的な活動として現われた︒ 直前に比べ︑より安全になったとするならば︑それは一般市民ができることをしようと貢献したためであるとも評さ
( 3 1 )
れている。しかし、この自発的ともいえるアメリカ市民社会の九•一―への反応の裏には、政治的、イデオロギー的 な仕掛けが組み込まれていたといえる︒こうした政府による市民社会の動員は新しいものではなく︑たとえば第二次 世界大戦中においても︑国民の統一が上からの政策としてのみではなく︑それに呼応する市民社会によって徹底され
( 3 2 )
ていった様子が伝えられている︒
一という惨事に政府が対応する様子は︑﹁政府は信頼できない﹂というアメリカの世論を覆し︑最も信頼お けるものの一っとして政府に対する期待が高まった︒若者(‑五ーニ五歳︶
の間の調在では︑六九パーセントが九・
( 3 3 )
―一によって政府への好感が高まり、六ニパーセントが政府が正しいことをしていると信じている。また、九•一―
以来︑社会のために奉仕をしようと思った︑あるいは奉仕活動を行なったという割合も高く︑人々が政府にせよ市民 社会にせよ︑公的なものへの信頼と使命感を高めたことがわかる︒こうした期待感と使命感を利用して︑
権は︑内なる正戦において︑市民社会がテロの犠牲となって足手まといにならないよう︑さらには市民自身が内なる 正戦の一楓を担うように︑高揚する人々の奉仕の精神を反テロ政策へと結びつけていった︒
二
00
︱一年一月の年頭教書の中で
よきアメリカ人を育成する苗床として機能するよう呼びかけた︒自由部隊は︑
九 ・
関法
﹁ 自
由 部
隊 ( F r e e d o m C o r p s )
﹂
アメリカの人びとの
第 五 四 巻 三 号 アメリカの価値に逆らうものへの敵対心が強まることの裏返しとして︑
﹁公﹂に対する信頼の回復と︑信教団体を通じた社会への関心を利用して︑
の創設を発表し︑
アメリカを内側から守ろ アメリカ社会が九•一―
ブッシュ政 アメリカの市民社会に対して︑
クリントン政権のもとで拡充された若
七
︵ 四 六
0 )
ア メ
リ カ
の 民
主 主
義 と
市 民
的 自
由
者によるアメリカ部隊
( A m e r i C o r p s )
七
︵ 四 六 一
︶
と︑退職者によるシニア部隊
( S e n i o r C o r p s
) ︑そして教育と社会貢献の一体
時に対応する市民部隊
( C i t i z e n s C o r p s )
の三本だてによるボランティア活動と︑二
0
0
︱一年四月に加えられた緊急
からなる︒ブッシュ大統領は︑自由部隊に参加することで︑
メリカ人が一生のうち四千時間︑約︱一年間を奉仕活動に費やすように呼びかけた︒これまで奉仕活動をしたことがな
い人は︑頼まれたことがないからだという理由を挙げ︑﹁今ここで私が頼んでいる﹂
( 3 4 )
に参加するよう要請した︒ 一人一人のア
のでアメリカの人々が奉仕活動 そして︑そうした奉仕活動の需要と供給の仲介をするものとして︑﹁ボランティア・マッチ﹂というシステムまで
作り上げた︒地域︑内容︑時期を指定すれば︑自分にできる奉仕活動の機会が一覧表として出てくるしくみで︑逆に
( 3 5 )
ボランティアを必要とする団体は︑﹁求人﹂として登録することができる︒奉仕活動をしようと思いながらも︑情報 がないために奉仕活動の機会を逃してきた人々にとって︑こうしたシステムの導入は確かに合理的かもしれない︒し
かし︑政府が奉仕活動の仲介を行なうという役割分担は︑市民社会の本来の姿とは異なるものであろう︒また︑
なっている︒なぜここまで政府が個人の善意による自発的な奉仕活動に関与するのだろうか︒
ボ ラ
ンティアをおこなった時間を自由部隊のホームページ上で登録していき︑自分の奉仕活動の記録を残せるようにも
のリッジ長官の発言にみいだせる︒リッジはボランティアとテ
ロとの戦いの関係を次のように述べている︒﹁アメリカ人の多くが︑どうやってテロとの戦いを支援できるか尋ねて
いる︒ボランティア活動は︑全国でとてもいいテロとの戦いへの関わり方である︒︵中略︶ アメリカを安全にしてお
( 3 6 )
くのは政府だけの仕事ではない︒市民もコミュニティを守る上で積極的な役割が果たせるし︑果たすべきである﹂︒ その答えの︱つは︑国土安全庁︵後に国土安全省︶
化をめざす奉仕教育
( S
e r
v i
c e
L e
a r
n i
n g
)
が教育現場の実情である︒ 第五四巻︱二号
テロという﹁悪
( e v i l
)
﹂と戦う方法は市民が﹁善
( g o o d )
﹂を行うことだという図式は︑政府のみではなく︑民間団
( 3 7 )
体の会合においても提示されている︒アメリカに奉仕をすることで︑アメリカ社会の内側が強化され︑ひるがえって はテロという外からの悪に打ち勝つことができるという論理である︒多大な被害を目の前にして︑個人としての自分 に何ができるかを問いなおしたアメリカの人々にとって︑自分が可能なことをすることで︑
るというこの構図は︑個人的な充足感と社会的な効果が同時に得られるという︑都合のよいものであった︒
また︑市民社会が政府のプログラムに同調する背景には︑それらが多大な財源をもって市民社会の活動の場に乗り C o
m p a c t )
一九八五年に︑大学の学長らにより創設されたキャンパス契約
( C a m p u s は︑ブッシュ政権の自由部隊の柱として︑奉仕教育が組み込まれたことに支持を示している︒これによっ て大学が運営している奉仕教育の予算が増大されることが期待できるからである︒しかし︑そもそも︑
の財政的・人的資源を過分に享受する高等教育が︑社会的に還元すべきことは何か︑
ている︒﹁自由が嫌いな邪悪なやつらと戦っているということを︑
アメリカの価値が守られ
アメリカ社会
という使命感から始まったキャ ンパス契約は︑学生がコミュニティにおける公的な奉仕を通して︑市民としての価値観と能力を育むことを目的とし
アメリカの若者たちに理解してもらいたい﹂とい う︑ブッシュ大統領の描く排他的な奉仕教育の目的と︑地域の多様性を理解するためにコミュニティの現場に携わる という大学の発想では︑出発点が正反対であるにもかかわらず︑キャンパス契約が自由部隊を支持せざるを得ないの 自由部隊の中でも﹁市民﹂という名称をつけ︑民主社会の構成員の自主性を強調しているのが市民部隊というプロ
グラムである。司法省、連邦緊急管理庁
(FEMA)
、保健•福祉省の管轄のもとにおかれた四つの活動(司法省の
込んでくるという事情もある︒たとえば︑
関法
七 四
︵ 四
六 二
︶
て発展させる機会を逃してしまったといえよう︒
︵ 二 ︶ア メ
リ カ
の 民
主 主
義 と
市 民
的 自
由
多文化的アメリカヘの挑戦
﹁市民防衛﹂の発想に共通している︒ 管轄下では近隣監視およびボランティア警察官︑ 療
予 備
隊 ︶
七 五
︵ 四
六 三
︶
FEMA
の管轄下では緊急対応部隊、保健•福祉省の管轄下では医
から構成されるが︑現存の活動を基礎においたものも多い︒前述のリッジ発言にもあるように︑市民部隊 は市民のボランティアによる奉仕活動であるという呼びかけで︑その対象は地域社会の活性化や︑天災への対応まで 様々なものを含んではいるが︑中でも反テロ対策により大きな重点が置かれている︒九.︱一のニューヨークでの惨 事を念頭に置き︑大規模な危機に際しては常設の政府機関のみでは対応しきれないので︑草の根の市民社会レベルを 動員できるように日常的に備えるためのものである︒同時に︑市民一般が個々のレベルでも緊急時に物理的・精神的
( 3 9 )
な準備をすることが
FEMA
によって呼びかけられており︑市民を自立した存在ではなく︑テロとの戦争における
﹁負荷﹂とみなす政府の発想は︑冷戦期に核攻撃に備えて市民の脆弱性を少しでも減少させようとして展開された 政府が作り上げた善と悪のシナリオに動員されることで︑市民はテロリズムを生じさせる政治的な背景にも︑テロ
との戦いが内包しているアメリカ的ではないものへの排外的な視線にも疑問をはさむことなく︑良いことをすること
に満足感を感じ、市民としての責任を果たすことに充足するという閉鎖的な思考に押し込まれてしまった。九•一―
の際に生じた﹁なぜアメリカは嫌われるのか﹂という疑問を︑ アメリカを相対化し︑その外側から考え直す契機とし
しかも︑政府に動員される市民自身が︑市民的自由を蹂躙していくという危険性も生じてくる︒先にあげた近隣監
る認識の差を象徴しているといえよう︒
第五四巻三号 視では︑従来の対象であった犯罪防止に加えてテロ防止とテロに関する教育が盛り込まれており︑相互の信頼によっ て成り立つ市民社会が特定の集団への不信感に基づく活動を自主的におこなうという︑市民社会の前提を覆すような 展開となっている︒また︑不成立に終わったものの市民部隊の一っとしてテロ情報・防止システム
海上運送︑運送業︑公共交通︶
み込むことへの反対から︑法案から削除される結果となった︒
(T IP S)
の導
入も提唱されていた︒
TIPS
は従来からあった港湾監視︑高速道路監視などを拡充し︑特定の職業︵トラック運送︑
につく市民に﹁法執行機関の目や耳として﹂︑テロに関連している可能性がある情報 を提供することが求められていた︒自発的とはいえ︑職務に関連するだけに拘束力が強く︑民間人をスパイとして組
︵ 賛
成 一
︱ 一時的であれば犠牲にすることもいたしかたないと考えられていた市民的自由が︑あ
( 4 0 )
まりにも妥協されすぎているという声もあがっている︒しかし︑誰もが対象となるような電話や電子メイル 見をしている者を対象とする検査︵プロファイリング︶
に対する批判の声は低いままである
︵賛成三二%︶を政府が手にいれることへの支持が低下する一方で︑疑わしい外
( 4 1 )
︵賛成五九%︶︒この差
からアメリカの人々が︑自分自身はおそらく対象とならない種類の人権侵害に対しては無関心であることが読みとれ
マイノリティの人権が侵害されているという認識が白人・男性の間では弱いのに対し︑
( 4 2 )
間では強く持たれていることからも指摘できる。九•一―以降、重点的に市民的自由が侵害されているアラブ系や南 アジア系の人々に対して︑同じマイノリティである日系団体が手を差し伸べるという組み合わせは︑人権侵害に関す 特定の人々の市民的自由に薄い関心しかもたれないだけでなく︑非アメリカ的と思われるものへの能動的な差別も
る︒これは︑ 二
% ︶
︑ クレジットカードのデータ
テロとの戦いが長引く中で︑ 関法 七六
︵ 四
六 四
︶
マイノリティの
アメリカの民主主義と市民的自由 スリムの位置づけが浮かびあがる︒
七 七
︵ 四 六 五
︶
増大している︒ブッシュ政権は言葉では繰り返しアメリカ社会におけるムスリムに対するヘイトクライムを非難して いるものの︑実際の施行においては明らかにムスリムやアラブ系を特定化する政策を容認もしくは奨励している︒た とえば空港での人種を特定した差別的な検査が︑完全に無作為な検査よりも効果が高いとの評価をおこなっている︒
犯罪捜在は証拠に基づいて個々におこなうのが通常であるが︑
テロに関しては特定集団に所属することで罪を犯して いるとみなされるという概念
( g u i l t
by
a s s o c i a t i o n )
を政権も採用していると思われる︒こうした政府の姿勢は︑
ア メリカの市民社会においても︑誰がアメリカ人であり︑誰はそれに値しないかの線引きを促進することになり︑その 結果はヘイトクライムの増加としても現れた︒
F B
I
のヘイトクライム年間統計によると︑中東出身者や南アジアの
( 4 3 )
シーク教徒に対するヘイトクライムは︑︱
10 00
年 の
一 一
八 件
か ら
一 ︱
0 0
一年の四八一件へと急増している︒
政府によるテロ捜木且そのものにも︑市民的自由の蹂躙を通りこしてヘイトクライムと称すべき残忍な行為がみられ
た︒たとえば︱
l0
0
︱一年三月︑バージニア州北部のアラプ系移民のコミュニティに対しておこなわれたテロ集団への
資金流出疑惑を名目とする強制捜査では︑捜査員は話し合いをおこなおうともせず︑民家︑企業︑学校︑団体などの
( 4 4 )
ドアを叩き破り︑手錠をかけ︑子どものおもちゃにいたるまで所有物を没収するという荒々しい方法を取り︑しかも 結果的に何も違法行為がみつからなかった︒不必要に暴力的手段が取られた背景には︑非アメリカ的存在としてのム 政府の非アメリカ的存在への最もあからさまな対応は︑国境の保護として行われた︒国土安全省の発足により︑移
民帰化局がその一部として再編成されたことは︑それを象徴している︒しかも国境保護の影響は︑人国時のみではな く︑既にアメリカに入国している移民に対しても強化された︒︱
10 0
一年︱一月には︑
アッシュクロフト長官が特定
は強制ではないとしながらも︑ の国︵ほとんどがイスラム国家︶ 関法
第 五 四 巻 三 号
一八歳から三三歳の男性五千人への聴き取り調査を発表した︒出頭 一日であっても不法滞在が発覚すれば︑それを理由に国外に退去させられた︒扶養家 族を置いたままの強制送還など︑人権への配慮のない措置であった︒
違法性の全くない場合であっても︑
ものであるが︑
テロリストヘの情報の流れを防ぐという名目で︑
ムスリムあるいはアラブ系お よび南アジア系男性を中心として外国人の身柄が拘束されるという異常な事態も生じた︒しかも︑司法省は誰がどこ に拘束されているかという情報は︑テロリストに資する疑いがあるため︑その数が一︱四七名であるということ以外
( 4 5 )
は一切公表しなかった︒あるムスリム団体によると︑翌年四月になっても︑三
0
0
名以上が釈放されていなかった︒
市民的自由とは︑市民権を持っていようと︑肌の色が違おうと︑
アメリカ社会の中において普遍的に守られるべき ブッシュ政権はもとより草の根においてもその原則を問う声が強いとはいえない︒こうしたアメリカ 社会の内側におけるアメリカと非アメリカの線引きが︑
﹁アメリカのムスリムもアメリカの一部であり︑
いたる過程でも︑
いかにアメリカの市民的ナショナリズムの建前を裏切ってい るかは︑司法省の公民権委員会がおこなった公聴会におけるムスリム団体の代表の言葉に象徴されているだろう︒
アメリカが私たちを除外するならば︑
なるだろう︒私たちはアメリカを故国として選んだわけであり︑
( 4 6 )
カ愛国者だと思っている︒﹂
アメリカはより小さな存在に アメリカを愛している︒私たちは自分たちがアメリ アメリカの市民社会は︑政府が国家的危機に立ち向かう政策に過去においても︑﹁自発的に﹂動員されてきた︒第
( 4 7 )
一次世界大戦の前後には︑在郷軍人協会などが率先して︑非ァメリカ的なものを排除していった︒第二次世界大戦に
リベラルな知識人が率先して制限的自由論を唱え︑市民的自由を適用しなくてもよい︑
から入国した︑
七 八
︵ 四
六 六
︶
アメリカの
アメリカの民主主義と市民的自由
( 4 8 )
外側にある人びとを規定していった︒政府による市民的自由の蹂躙が上からの一方的な逸脱なのではなく︑アメリカ
( 4 9 )
の市民社会も足並みをあわせた共同作業であるとみなされるぺきだとされるゆえんである︒今日のテロリストや敵性
兵士は司法の保護も受ける資格がないという︑また外国人やテロリストは﹁アメリカ﹂
権における二重基準も︑
る︒キューバ基地の間題を扱う憲法権利センターには︑﹁基地に拘置されている人々にアメリカ憲法上の権利を認め
る法的・道義的必要性はない︒より多くの人々が尋問されれば︑将来世界貿易センター型の事件は減少する︒
アメリ
( 5 0 )
カの国境の外には六
0億もの人々がいるのであって︑その人々にアメリカ憲法上の権利を与えるとでも言うのか﹂と
し か
し ︑
ブッシュ政権が上から押しつけているのみではなく︑
メリカがその安全のために戦うとき︑
七九
︵ 四
六 七
︶
の理念の外側であるという人
アメリカ社会の中にその基盤が見出せ
アメリカが多文化主義を標榜し︑その前提の上に自由と民主主義を守ろうとするニ︱世紀にあって︑過去
の逸脱と同じように市民的自由が選択的に犠牲になってよいものだろうか︒そのようなアメリカでありながら︑﹁ア
アメリカはその価値のために戦っている﹂
九.―-後のアメリカは、九•一―という衝撃のおかげでこれまでになく統一され、お互いに対する思いやりに満
ちているとブッシュ大統領は評している︒自由の大切さと自由の脆弱さをより強く認識する時期だからこそ︑﹁ナ
ショナル・アイデンティティを再輿し︑ の
だ ろ
う か
︒ お わ り に
いう意見すら寄せられている︒
アメリカの文化である奉仕︑市民としてのあり方︑責任を打ちたてる﹂機会
︵ ブ
ッ シ
ュ 大
統 領
︶
と本当に言える
アメリカ人は自由な発言を許されすぎている 新聞は政府の許可を得ずに発行されるべきでない
に恵まれている︑
アイデンティティ﹂は︑正戦論の士台となるもの︑すなわち︑
う自己陶酔ともいえるものであり︑
向けるものではない︒また︑奉仕︑市民のあり方︑責任が強調されるアメリカは︑ブッシュ大統領の﹁思いやりのあ
( 5 3 )
る保守﹂の描き出すアメリカ像でもある︒﹁自由な社会に住むためには︑その代償がある︒活気のある社会を作るた めには︑私たち全員がアメリカに対して何かを負っている︒軍役を通し︑あるいは他人を愛することを通し︑そして
( 5 4 )
実際の行動として示すことで︑その負債を果たすことができると思う﹂︒
テロヘの危機感は︑
る︒テロとの戦いにおいて︑確かにアメリカは短期的に軍事的勝利を唱えることができたかもしれないが︑長期的に はアメリカの民主主義が根底から覆されかねない︑すなわちテロヘの屈服を意味する変化を引き起こしかねない危険 性を自らの社会の中に抱えているのである︒テロとの戦いが要求する価値や行動基準の転換が日常生活に浸透するこ
と で
︑ アメリカ社会は自己像の重要な核であるはずの市民的自由の基準をも引き下げていることが︑︱
1 0
0 三年の調
( 5 5 )
査項目への支持率でも示されている︒
軍事行動が行われている最中には反戦デモは許されるべきでない
関法 第五四巻︱二号
と市民部隊への呼びかけは結んでいる︒しかし︑危機の中で強調されるアメリカの﹁ナショナル・
アメリカは自由と民主主義の輝ける灯台である︑
アメリカの外の批判が目を向けさせようとした︑
アメリカの内にある矛盾に目を アメリカ社会が世界に示した自由で民主的な社会というイメージを内側から崩していると言え
八〇
︱ ︱
‑ %
三八% ニ八%
︵ 四 六 八
︶
ヽ
とし
アメリカの民主主義と市民的自由
二
00
四年四月︑イラクのアブ・グレイブ刑務所におけるアメリカ軍によるイラク人の人権蹂躙の問題が明るみに
出 て
︑ アメリカ政府がこれまで使ってきたテロリストはジュネーヴ条約の外側に置かれるとした詭弁は崩れ始めてい はアメリカを否定するものであれば︑
響は︑容易に取り去ることはできない︒
第一次世界大戦に社会主義の立場から反対したため非愛国的であるとして︑自らの市民的自由が蹂躙されたユージ ン・デーヴィスは︑思想の違いはアメリカ人である資格と無関係であるとして︑こう主張したー﹁自由と民主主義 を守ってこそ愛国的である︒﹂市民的自由がアメリカ人に普遍的に適用されるべきとする正当な主張にもかかわらず︑
自由や民王主義という価値が︑このように﹁愛国心﹂という国家との関係で論じられるという︱︱︱︱
I]
説
は ︑
の限界をも示しているように思える︒それは自由と民主主義を守ること︑言い換えれば市民的自由こそが︑まさに
﹁アメリカ的﹂なるものであるという認識に立つ限りにおいて︑ 考
は ︑
アメリカ社会の境界線として浸透を続けている︒
る ︒
し か
し ︑
ブッシュ政権が九 を蹂躙してもよい
だ ろ
う ︒
一以降繰り返し表明してきた︑
J ¥
︵ 四
六 九
︶
このように市民的自由全般に対する侵害に妥協が許されている中でも︑次の一項目への支持の高さは注目に値する 政府は特定宗教集団を監視する権利を持ち︑場合によってはテロとの戦いという名目でその宗教集団の信教の自由
アメリカの外側に置かれるものであれぱ︑あるい アメリカ的なるものとは異なる基準が適応されるという明確なメッセージの影 アメリカの外側に置かれるものと内側に置かれるものを恣意的に分類する思
アメリカ社会
アメリカの内・外に政府や市民社会により恣意的に
五
0%