ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ
・ラートブルフの法哲学上の作品選(一)
著者 上田 健二
雑誌名 同志社法學
巻 60
号 8
ページ 43‑72
発行年 2009‑03‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011713
ナチス体制確立期からその死に至るまでの グスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(一)
上 田 健 二 (訳)
訳者まえがき
グスタフ・ラートブルフは1933年 ₅ 月 ₉ 日に、彼が「その人格性とこれま でのその活動……が、彼がいまや無条件に民族国家を支持していないことへ の保障を」示していないことを理由にそのいっさいの公職から解任された
(このことおよびこれ以降のことについて詳しくは、Radbruch, Der unnere
Weg. Aufriß meines Lebes, 2. Aufl.
19621, S. 136 ff.;Erick Wolf, Großen Rechtsdenker der deutschen Geistgeschichte, 4. Aufl. 1963, S. 742 f.; Arthur Kaufnann, Gustav Radbruch – Leben und Werke, in GRGA I, S. 26 ff.
[ 本 誌 236号35頁以下])。ラートブルフはこれを冷静沈着をもって甘受した。この 解任は彼から「進行する病気が不可避的にもたらしたであろう教職活動の高 みからの下降を省いた」(Der innere Weg, S. 135)のであり、彼にとっては「そ れらを私が青年時代に苦痛をもって諦めなければならなかった当の0 0諸学問へ の可能性が開かれたのである」(A. a. O. 136)。彼は翌日からナチス体制崩壊 の1945年までに、『フォイエルバッハ伝』、『刑法雅論』ほか数多くの伝記的、文学的、比較法的な研究に没頭する(これについては、Winfrid Hassemar,
GMGA Bd. 3. Einführung, S. 7
[本誌60巻 ₂ 号44頁]参照)。ただし、この期 間の法哲学上の作品は、発禁処分に遭っていたことから、それらの最初の発 表は外国での講演に由来している。それらは、1945年以後にも十分な程度に おいて引き継がれていることはいうまでもない。以下に続く ₉ 本の訳文はグスタフ・ラートブルフ全集第 ₃ 巻(Gustav
Radbruch Gesamtausgabe, hrsg. von Arthur Kaufmann, Band
3, Rechts-philosophie III, bearb. von Winfried Hassemer, 1990)に登載されているナチ
ス体制確立期以降のグスタフ・ラートブルフの法哲学上の重要作品を選んで訳出したものである。同巻に登載されている『法哲学入門』の私による訳文 はすでに本誌第60巻 ₁ 号 ₁ 頁以下、60巻 ₂ 号 ₁ 頁以下に搭載されている。
この巻に登載されている全作品のそれぞれの個別的な意義と、ラートブル フの生涯にわたる法哲学上の思考過程における位置価値については、本巻の 校訂者であるヴィンフリート・ハッセマーの序文(本誌第60巻 ₂ 号42頁以下 を見よ)のなかで適切かつ説得的に解説されているので、私から見た解説を 付け加えることはここでは差し控えたい。ただ、それぞれの時代状況とのコ ンテクストを念頭において本誌前号で登載されている全作品とも通読しさえ すれば、ラートブルフの法的思考における「大変革」というものはどこにも 存在しておらず、存在していたのはその時々の政治的時代状況の応じた「力 点の移行」にすぎないということがきわめて明白になるということだけは強 調されなければならない。それというのもいわゆる「壁の射手訴訟」に関し てわが国において数多く文献が出ているが、それらのほとんどすべてが「ダ マスカスの回心」伝説、すなわち前期では法実証主義者であったラートブル フがナチス不法体験の印象のもとに戦後では自然法論者に変貌したという
「誤解」に支配され、そこからいわゆる「ラートブルフ公式」はあっさりと 罪刑法定主義に反しているという結論が導き出されているからである(これ について詳しくは私の『生命の刑法学』(ミネルヴァ書房、2002年)第 ₁ 章 の「ラートブルフ公式と法治国家性原理」 ₁ 頁以下、とくに30頁脚注(6)
を見よ)。このような「誤解」の淵源がグスタフ・ラートブルフの1946年の 論文 „Gesetzliches Unrecht und übergesetzliches Recht“ の小林直樹氏による 初訳に発していることが、ここで特に記されなければならない。そこでは表 題からして『実定法上の不法と実定法を超える法』という、原文では全く含 まれていない意味が当てられているからである。これが訳者にたまたま紛れ 込んだ「誤訳」ではなく、はじめからそのようなものとして「決めつけ」ら れていることは、たとえば訳者の「あとがき」のなかで次のように「解説」
されていることからも一目瞭然である。「1946年……に発表されたこの小論 文は、本書に収められている『法哲学入門』とともに、ラートブルフの自然0 0 法への転向0 0 0 0 0を示すものとして、早くからの大方の注目をひいてきたものであ る。戦前における著者の価値相対主義が、本稿で示されたような『実定法を 超える法』の承認によって、かなり大幅に『修正』されたとみることも、一 面では確かに可能であろう。ナチズムの無法な支配を体験した著者がそれに 奉仕した『法律は法律』の論理を厳しく批判し、法たる性質をもたぬ実定的 法規への盲目的服従を退けた点で、一種の自然法的概念を認めたと見られる
からである」(ラートブルフ著作集 ₄ 『実定法と自然法』(東京大学出版会、
1961年)249頁)。
しかし実際はそのようなものでないことについては、ハッセマーが上掲の グスタフ・ラートブルフ全集第 ₃ 巻の序文のなかでこれを説得的に詳述して いる(本誌60巻32号49頁以下を見よ)。ラートブルフが初期では確かに法実 証主義者であったと見られる章句は存在している。その根拠として挙げられ るのが通例である章句には次のように言われている。「何が正義に適ってい る(gerecht)のかを誰も確定することができないのであれば、何が合法的 である(rechtens)べきかを誰かが確定しなければならないのであり、制定 法が対立し合っている法の諸々の見方の衝突を権威的な権力の断言を通して 終らせるべきであるならば、法の定立は、対立しているどのような法の見方 に対しても貫徹というものが可能であるような意志に当然に帰属すべきもの とされなければならない。法を貫徹することができる者は、これによって、
彼が法を定立するのに適任であることを証明しているのである。逆に言え ば、国民のなかでの誰であれある者を他の者に対して保護する権力を十分に 有 し て い な い 者 は、 彼 に 命 令 す る 権 利 を も 有 し て い な い の で あ る 」
(Rechtsphilosophie, S. 170 ff.)。それゆえに「裁判官にとっては、法律の妥 当意志に真価を発揮させ、自身の法感情を権威的な法の命令の犠牲に供し、
何が適法であるかを問うだけであり、それが正義に適っているのかを決して 問わないことが彼の職業上の義務である……。われわれはその確信に反して 説教する牧師を軽蔑するが、しかしわれわれはその逆らっている法感情を通 してその法的忠実において自らを誤らせない裁判官を尊敬する」(
ebenda S.
178)。ハッセマーはここで、ラートブルフが直ちにその脚注のなかで「正義 に適っている(
gerecht)」に対して「合法的である(rechtens)」を置いて
いることと、「態度の合法性」の規定が同時に「喧伝と批判の自由」に余地 を許していることを強調していることに注目させる。それによれば、「権力 掌握者の法定立権能はある一定の法の見方を確かに法の基盤とすることがで きるのであるが、しかし権力闘争者に対して普遍的に妥当する法的真理とし て宣言することはできないのであり、そしてまた法的な諸々の見方の意見闘 争にひとつの終結を置くこともできないのである。反対に、法の諸々の見方 の妥当に関する判定のために権力を招来するのと同じ相対主義が、このよう な権力が法的な諸々の見方の意見闘争に自由な領野を保障することを要求す る」(Rechtsphilosophie, S. 175, Fußn. 2)。このことこそまさに、ラートブル フを、「たとえそれがどのような形と外披をして立ち現われようとも、……雑草という言葉とともに自然法は情け容赦なく根こそぎに根絶やしにされな ければならに」と断言して憚らなかった19世紀末の確信的な法律実証主義者 であるカール・ベルクボームの立場(Karl Bergbohm, Jurisprudenz und
Rechtsphilosophie, 1892 S. 118)と分つ当の点である。ここには認識論上の
相対主義に基くラートブルフの法実証主義(この意味においてしばしば科学 的法実証主義とも呼ばれる)と19世紀末の認識論上の不可知論に基づく絶対 的な法律実証主義との根本的な差異が存在していることが明瞭に見て取れる のである。ラートブルフの立場は一貫して相対的な0 0 0 0相対主義であったのであ り、絶対的な0 0 0 0相対主義であったことは一度もなかったのであって、このこと こそまさに前期の理論的理性の限界の提示が後期における実践的理性に活動 の余地を許している当のものである。それゆえにラートブルフの生涯にわた る法哲学上の思考過程に何らかの変化があったとすれば、それは形式的な法 哲学からの実質的な法哲学への、つまりは認識論から存在論への徐な移行に ほかならないと言うことができるのである。そしてこのことは、いわゆる「事 物の本性」についてのラートブルフの考え方が明らかにしている。すなわち、1932年の『法哲学』第 ₃ 版では「事物の本性」からの判定は「ひとつの直観 の偶然であって認識の方法ではない」と言われていた(Rechtsphilosophie, 3 Aufl. 1932, S. 7 [GRGA Bd. 2, S, 234])とすれば、ラートブルフの最後の論 文である1947年の「法学的思考形式としての『事物の本性』では、いまや次 のように言われるのである。「事物の本性」はひとつの厳格な合理的的方法 の帰結であって、ひとつの『直感の偶然』ではない」(本誌次号)とされて いるのである。
そのさいナチス体制期にあっても法の目的の一要素としての法的安定性、
すなわち法の実定性が決して法規されていないことが1937年の論文『法の目 的』が如実に示していることを決して見過ごされてはならないであろう。そ れゆえにアルトウール・カウフマンの「ラートブルフは、その作品の個々の 部分が取り出され、それらが独自化されるのではなく、すべてがすべてのな かに受け止められるならば、実証主義者でも自然法論者でもなく、実証主義0 0 0 0 と自然法のかなたに0 0 0 0 0 0 0 0 0立っていたのである」という評価は、まさに正鵠を得て いるというべきである。「第 ₃ の道」、最小限の自然法もしくは消極的自然法 とも呼ばれるこの道がまさにカウフマンによって受け継がれたものであるこ とについては、シュテファン・グローテの詳細な論証『「第 ₃ の道」を求めて:
アルトウール・カウフマンの法哲学』(本誌320号 ₁ 頁以下、322号 ₁ 頁以下、
323号17頁以下)を参照。
法哲学における相対主義(1934年)←
現代のような時代に相対主義を信奉するということのためには、勇気が必要であ る。われわれは,言うところの絶対的諸価値の時代に入り込んでいるのである。この ような諸価値の高みから見下ろして相対主義に対して全く一般的に過小評価が、それ どころか蔑視さえ表明される。微笑む懐疑哲学者の像は、賢者の理想を表しているこ とをやめてしまった。ひとは相対主義をひとつの確信の欠如、ひとつの性格の欠如と 見ているのである。このような誤解を追い散らすために、相対主義は決して確信の欠 如というものを意味しているのではなく、むしろ力強い、それどころか攻撃的な確信 というものをさえ表わしていることを、ここで示すことが求められる。
相対主義の理論は自然法の教義の対立物として発展した。自然法はある一定の原理 に、つまりは正義に適った法の一義的な、認識可能で証明可能な理念が存在している という見解に基づいている。このテーゼの論駁は二つの淵源に由来しているのであ り、そのひとつは経験科学に、もうひとつは認識論に属している。法史と比較法は、
統一的な理想というもののどのような傾向もそのなかでは見て取ることができない法 の現実の際限のない多様性を発見した。他方でカントの批判主義は、確かに文化と法 の諸形式は絶対的かつ普遍妥当的であるが、しかしその内容[80]は経験的な諸々の 所与に依存しており、それゆえに全く相対的であることを、われわれに証明した。
かくして法哲学上の相対主義は、正義に適った法のどのような内容的な見解も社会 のある一定の状態という、諸価値のある一定の体系という条件のもとでのみ妥当する というテーゼから出発する。社会的な諸事情は無限に可変的であり、これに対して価 値諸体系の数は制限されている。それゆえに、ある一定の社会状態において可能であ る諸々の評価の完全な体系というものを呈示することは可能である。しかしこのよう な諸々の可能性のなかで科学的な、証明が可能で論駁が可能でない仕方でひとつを決 定することは可能でない。これらのなかでの選択は、個人的な良心の深みから創り出 されるような決断を通してのみ可能である。これが意味しているのは、相対主義が理 論的理性の側からのひとつの断念を表わしているということである―が、しかしそ れだけにいっそう強い実践的理性への訴えを表わしているのである。これは科学的思 考のひとつの限界である―が、しかし道徳上の意志の怯惰とか、無気力といったも のではない。それゆえに相対主義は、その不可能性を彼が証明する敵対者の確信に対 する闘争への呼びかけ【17】であると同時に、論駁可能性を示している敵対者の確信 を尊重することへの警告である。一方では闘争への決然とした態度を採り、他方で判 断の受忍と正義を認容する態度を採ること―これが相対主義の道徳である。
これこそまさに、ドイツ法哲学においてはマックス・ヴェーバー(Max Weber)
←とゲオルク・イエリネク(Georg Jellineck)←によって、ハンス・ケルゼン(Hans
Kelsen)←とヘルマン・カントロヴィッツ(Hermann Kantrowicz)←によって提
唱される相対主義的な方法である。しかし相対主義は哲学のひとつの方法よりも多くのものである。それは哲学の体系 の枠内におけるひとつの構築分枝である。相対主義はひとつの単なる、そして純然た る不可知論ではなく、それよりも多くのものであり、実質的な洞察のひとつの豊穣な 淵源である。とりわけ相対主義は実定法の義務づける力にとっての唯一の可能な基盤 である。仮に自然法というものが、一義的な、認識可能かつ証明可能な法的真理とい うものが存在しているのであれば、このような絶対的真理と矛盾している実定法が何 ゆえに義務づける力を有しているとされるのかを、どのような仕方をもってしても見 極めることはできないであろう。それはヴェールを取り去られた真理の前に暴露され た誤謬のように消滅するほかはないであろう。実定法の拘束力は、正しい法を認識す ることも証明することもできないという、まさにこの事実のうえにのみ根拠づけるこ とができるのである。様々に異なる法的確信の真もしくは偽についての判断というも のが可能でないがゆえに、それが多面においてすべての法仲間のために統一的な法と いうものを必要としているがゆえに、科学が解決することができないこのゴルディウ スの結び目を、一刀両断をもって断ち切らなければならないのである。何が正義に適 っている(gerecht)のかを確定することが可能でないがゆえに、何が法に適ってい る(rechtens)べきであるかを確定しなければならないのである。それが可能でない 真理の作用に替わって権威の作用というものが必要になってくるのである。相対主義0 0 0 0 は実証主義に流れ込んでくるのである0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。
しかし同時に相対主義は、実定法をそれで測るために、ひとつの批判的な尺度を、
そして実定法が適合することを義務づけられている諸要求を提供する。われわれがす でに述べたように、立法者による判定は真理の作用ではなく、意志と権威の作用であ る。彼はある一定の意見に拘束力をもって認証することはできるが、しかしこの力は 決して説得することができない、彼は衝突している諸政党の間にあって権力闘争を終 わらせることはできるが、しかし意見闘争を終わらせることはできない。意見闘争の 判定は立法者の管轄領域を踏み越えるであろう。立法の権限は、様々に異なる法的確 信のなかでの理念的闘争を鎮静化しないという[82]条件のもとで彼に委ねられるの である。相対主義は、それが国家に立法の権限を与えるというようにして、【18】ま た相対主義が法服従者に特定の自由を、信条の自由を、報道の自由を尊重することを 義務づけるというようにして同時にそれを限界づけるのである。相対主義は自由主義0 0 0 0 0 0 0 0 0 に流れ込んでくるのである0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。
立法者のほうで採用され、そして認証された意見に納得することができない個々人 に対して実定法が意味しているのは粗暴な暴力にすぎず、倫理的な権威というもので はない、より正確な言い方をすると、実定法はその機能からして秩序と安定性を創出 するという、あの最小限の権威しか有していないのであり、この権威は、あの個々人 の確信によれば実定法のなかに含まれている何らかの不正義の重みを通して帳消しに されているのである。このような事実から刑法に向けて重要な諸帰結が生じてくる。
刑罰による応報も教育も処罰する国家の処罰される犯罪者の低劣な道徳的価値に対す るより高い道徳的な尊厳という前提に結びつけられている。国家によって採用された 確信に敵対しているような確信からの犯罪者は、それゆえに政治的および社会的な犯 罪者は低劣な価値しか有していない人ではなく、考え方を異にしている人である。そ れゆえに確信的行為者に直面すれば応報と教育という刑罰目的は脱落し、威嚇という 任務も無能を曝け出す―それというのも殉教というのは確信的行為者にとってはし ばしばほとんど魅力的に思われるからである。国家には、刑事刑罰よりも多く闘争処 置という性格を有しているような収容、一種の[83]内戦における戦争捕虜としての 処遇を通して彼を無害化することしか残されていないのである。相対主義は確信的行0 0 0 0 0 0 0 0 0 為者のために特別刑法というものを要求する0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。
実定法は、社会秩序と法的安定性に奉仕することにおいて諸々の確信の闘争を終結 することへと規定されているような権威的作用である。しかし実定法はこのようなそ の安定性任務を、それが法服従者をばかりでなく、立法者それ自体をも義務づけると いう条件のもとでのみ充足することができるのである。それ自体が法律に服すること を知っているような国家が、ドイツ語によれば法治国家(
Rechtsstaat)と呼ばれる。
相対主義は法治国家を要求する0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。
権力分立なくして法治国家というものが存在し得ないということを詳細に述べるこ とを、私は省くことができる。仮に行政機関が立法上の諸権限を有しているとすれば、
それはそれを拘束する法律を【19】免れることができよう。相対主義が法治国家を要0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 求するというようにして0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0、かくしてそれは権力分立を要求するのである0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。
相対主義は、様々に異なる政治的および社会的な確信の内容的な真理を証明するこ とができないこと、それゆえにこれらの確信を等価的なものとしてみなさなければな らないことを主張する。しかし諸々の確信を等価的なものとみなすということが意味 しているのは、人々を等しく扱うということである。人々が地位、階級、人種に応じ て不平等であることは、誤ってそう考えられた一義的な政治的および社会的な真理と いうものにとってのその知的および道徳的な無感性を通してよりほかの何ものによっ ても根拠づけることができない。とはいえ、政治的な現実においては人々の平等を近 似値的にしか貫徹することができないのであり、全員一致という意味における[84]
無制約的な実現というものは可能ではない。政治上の平等は、それゆえに多数の制度 のなかに、民主性のなかに流れ込むのである。相対主義は民主主義的な国家というも のを要求するのである。
民主政は民主政で相対主義を前提としている―この命題をハンス・ケルゼン
(Hans Kelsen)が印象深く説得的な仕方で根拠づけた。民主政は、そのような確信 の内容と価値がどのようなものであるかを問うことができることなく、多数を獲得す ることができたどのような確信にも権力を委ねる心構えができている。このような態 度は、すべての政治的および社会的な確信が等しい価値をもつものとして承認される 場合にのみ、すなわち相対主義を基盤にしてのみ首尾一貫している。
このジレンマの解決は、民主主義の形式的な性格から明らかになる。自由を断念す る自由は、自由の理念それ自体のなかに含まれている。それゆえに独裁というものを 民主主義的な諸形式において根拠づけることができるのである。民主主義は他の国家 諸形式と等しく並ぶひとつの国家形式であると同時に、あらゆる国家形式の共通の基 盤である。
民主主義はあらゆる国家形式の成立にとってだけではなく、存立にとっての基盤で もある。どのような国家形式も窮極的にその民主主義的な基盤から引き離されること ができない。今日の多数は、明日の、そして明後日のあらゆる多数にとって不滅であ ろうような独裁を根拠づけることができない。何人も自分が持てる権利以上のものを 他人に譲渡することができない(Nemo plus iuris ad alium transferre potest quam ipse
hebet)←、ということである。【21】民主主義は[85]独裁的な体制というものを利
するためにその権限を放棄することができるが、しかし体制それ自体を決定するその 権限を放棄することはできないのである。これは社会学的に不可能であるばかりでな く、法学的にも不可能である。憲法に関する国民投票の権限はひとつの書かれざる法 律であり、いっさいの憲法のひとつの暗黙の、そして自明の構成部分である。このような究極的な民主主義0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0、このような国民主権はそれゆえ0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0、―われわれが見0 0 0 0 0 0 てきたように0 0 0 0 0 0 ―相対主義のひとつの不動の帰結である0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。民主主義はすべてをなすこ とができる―が、民主主義それ自体を窮極的に断念することだけはできない。相対 主義はいっさいの見解に対して寛容であることができる―ただ、絶対的であると主 張する見解だけは別にして。そこから民主主義国家の反民主主義的な諸政党に対する 態度が帰結する。民主主義国家は、イデオロギー上の闘争における他の諸々の意見を もって登場する心積もりのあるいっさいの意見を許容するであろう。そしてその限り でそれは自己自身と等価的なものとして承認するであろう。しかしある意見が絶対的 に妥当していることを主張し、そしてこのような動機から多数を顧慮することなく権 力を掌握するか、もしくは保持する場合には、ひとはその固有の力をもって、すなわ
ちただに理念と議論をもってだけでなく、国家の権力をもってこれと戦わなければな らないのである。相対主義は普遍的な寛容である0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ―ただ0 0、不寛容に対しては寛容で0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ないだけのことである0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。
これまでのところでは、われわれの演繹は純イデオロギー的なものであり、社会的 な現実には考慮を払っていない。われわれは異なっているすべての確信にとっての貫 徹機会の平等というものを前提としてきたのであるが、このような機会にも差異とい うものがあることだけは承認された―それは諸々の確信の様々に異なっている説得 力から、諸理念の様々に異なっているイデオロギー上の力から生じていくる。しかし すべての確信にとってのこのような擬制的な機会の平等には、無限の不平等が相応し ている。諸理念の競争のなかで、資本であれ、大衆であれ、ある社会的な勢力がその 暗示力を任意に用いることができる者が勝利を占めるのである。理念に固有の力が、
そのイデオロギー上の力が実現されなければならないのであれば、これらすべての非 合理的な力が中性化されなければならない。非合理的かつ不合理的なすべての力を抹 殺すること,理念に本来的に備わっているイデオロギー上の力、必然性から自由への 跳躍、これはしかし社会主義である。このようにして相対主義は社会主義に流れ込む0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 のである0 0 0 0。
ここで展開されているのは伝統的な諸理念であるが、しかしそれらは新しい基盤 を、つまりは相対主義を獲得したと、私には思われる。不可知論の立場(
ars nesciendi)は再びいま一度稔り多いことの実を明らかにした。論理上の奇跡という
ものが成し遂げられたのである。無がそれ自体から【22】すべてを産み出したのであ る。われわれは正義に適った法を認識することができないということから出発しなが ら、われわれは、正義に適った法についての重要な諸認識を要求することをもって終 結したのである。われわれは相対主義それ自体から絶対的な諸要求を、つまりは古典 的な自然法の伝承された諸要求を導き出した。自然法の方法論的な原理とは異なって われわれは自然法の実質的な諸要求を、人間的な諸権利を、法治国家を、権力分立を、国民代表を、自由と平等を、1789年の諸理念を根拠づけることに成功したのであり、
これらがそのなかで溺死しているように思われる懐疑の流れから再び立ち現われてい るのである。それらは、それらからひとは距離を置くことはできるが、しかしそれら につねに立ち帰らなければならない不滅の基盤である。
【校訂者(Winfried Hassemer)による校訂】
【17】Le relativisme dans la Philosoohie du Droit, in: Archives de philosophie du droit et de sociologie juridique 1934, Nr. 1/2, S. 105―110
deutsch: Der Relativismun in der Rechtsphilosophie, in: Gustav Radbruch, Der Mensch im Rechht, 3. Auflage, Göttingen, 1969, S. 80 – 87. Auch in: GRGA Bd. 3, Rechtsphilosophie III, 1990, S. 17―22.
【18】(ヴェーバー):Max Weber, 1864にエアフルト(Erfurt)に生まれ、1929年にミュンヘンに 死す。国民経済学者、社会学者。フライブルク大学教授(1894年―97年)、ついでハイデルベ ルク大学教授を経て1919/20年にミュンヘン大学教授。ヴェーバーを最も著名で最も影響力 のある社会学者の一人としてそもそも呼ぶことができる。その科学理論への探究を通して彼 は、方法的に反省された社会科学上の研究の基盤を作り上げた。ヴェーバーは社会学のほと んどすべての領域で活動し、宗教社会学の創始者として通っている。
―(イエリネク):Georg Jellineck, 1951年にライプツイヒに生まれ、1911年にハイデルベルク に死す。国家法学者。ウイーン、バーゼル、ハイデルベルク大学教授。
―(ケルゼン):Hans Kelsen, 1881年にプラハに生まれ、1973年にバークリーに死す。国法学 者にして法理論家。1917年から1930年までウイーン大学教授。1919年から22年までオースト リア法制審議会審議員。1920年のオーストリア憲法の政府共同起草者。1930年から1933年ま でケルン大学教授、1933年亡命。1940年までジュネーヴ大学教授。(1930年から1933年まで 同時にプラハ大学教授)1942年から50年までバークリー大学教授。ケルゼンはその『純粋法 学(Reine Rechtslehre)』(1934)をもって法実証主義の指導的な提唱者として学派形成的な 働きをした。
―(カントロヴッツ):Hermann Kantorowicz, 1877年ポーゼン(Posen)に生まれ、1940年に ケンブリッジに死す。法学者。1915年からフライブルク大学教授。1934年からロンドンで教 える。カントロウィチは自由法運動0 0 0 0 0(Freirechtsbewegung)の指導的な頭目であり、その
作品(Gnaeus Flaviusというペンネームで書かれた)『法学をめぐる戦い(Der Kampf um
die Rechtswissenschaft)』(1906年)をその出発点とした。グスタフ・ラートブルフとカント ロヴィッチとは密接に結びついていた(この全集第1巻におけるArthur Kaufmannによる 伝記S. 22, 23, 41を、ならびにRadbruchの『綱要』S. 123以下を参照。
【21】(habet): Nemo plus iuris ad alium trasferre poste quam ipse hebet: ローマ法の基本原則
(Digesten, 50, 17, 54)であり、これによれば、何人も彼自身が所持しているよりも多くの権 利を他人に譲渡することができない。
解釈の種類(1935年)←
経験的な時代というものは、文献学的解釈が唯一の正統な方法であるとみなす傾向 にある。アウグスト・ベック(Augst Boeckh)←が規定したように、「認識されたも の認識」←として、よりうまくは、前もって考えられているものの追思考として、実 にそれは、事実についての、つまりは現実的な人間の現実に考えられた思想の確定に 方向づけられている徹底的に経験的な方法である。
このような経験的な尺度で測られるならば、法学的な解釈は問題をはらんでいると 思われないわけにはゆかないのであって、それというのも法律を、歴史のひとつの記 念碑としてではなく、生活にとってのひとつの規範として解釈する者は、この場合で は、その起草者がそこに定着させたところの前もって考えられた思想を追思考するだ けにとどまり続けることができないからである。近現代の法律というものは、一人の 起草者によって創作されるのではなく、数多くの人がその成立にともに作用している のであり、彼らが法律の内容については多種多様の見解を有していることもあり得る のであるが、しかし法律はひとつの意味においてのみ解釈され、そして適用され得る からである。しかし法律の[217]根拠づけのなか言明された一人の法律起草者の意 見が反論の余地のないままである場合であっても、それは解釈にとって決定的である 必要は全くないのである。それは後のある解釈者の意見と同様に、ひとつの拘束され ない解釈の試みにすぎないのであり、どのような決定的な解釈手段でもないのであ る。それというのも、その意志を開明することを必要としている立法者は法律起草者 ではなく、国家であり、そして国家は法律の予備作業において語るのではなく、もっ ぱら法律それ自体において語るのである。しかし法律はその起草者たちよりも賢明で あり、解釈者は、彼らがそれを理解したよりもうまく理解すると言うことがあり得る のである。それどころか解釈者は法律を彼らよりもうまく解釈さえしなければならな0 0 0 0 0 0 0 0 い0のである。それというのも法律は、法律の起草者たちがいまだ全く予期することが できなかった諸事例についても適用を要求しているからである。しかし立法者の意志 は解釈の手段であって目的ではなく、立法者は法律の内容の反論の余地のない統一性 にとってのひとつの擬制的な表現であるよりほかの何ものでもない。彼は、法律を創 造した何らかの経験的な人物と同じではない。「立法者とは」、とホッブスは言う、「そ の権威を通して法律がはじめて創造された者ではなく、その権威を通して法律である ことを持続される者である。」←そしてこれとともに「彼が法律のなかで語っている ような意志が歴史とともに可変的であり、新しい諸々の問いには新しい諸々の答えを 与え、変化した諸々の状況には変化した規制を適合させることができるということを
表現している。このようにして法学的解釈は【24】ある前もって考えられたものの追 思考ではなく、前もって考えられたものを突き詰めて考えるということであり、再生 産的で生産的な、理論的で実践的な、認識的で創造的な[218]、客観的で主観的な、
科学的で超科学的な諸要素のひとつの解消し難い混交物である。
それは文献学的解釈から出発し、やがてこれを超えてゆく―ちょうどある船舶が 出航にさいして水先案内人によって前もって定められた水路を港内水域を通して操縦 されるのであるが、しかし次いで大海に出ると船長の指揮のもとで自らのコースを航 行するように。
法学的解釈のこのような精神的流儀が正しく評価されようとするならば、それは文 献学的解釈の経験的な模範に従って判断されてはならず、文献学的解釈は科学史の後 期のひとつの産物であるが、しかし法学的解釈は解釈のこのような諸形式とは異なっ て解釈の古い諸形態とはるかに密接な類縁関係にあるということが想起されなければ ならない。原始時代は言葉に、それを語る人々から独立した、いわば魔力を与えた。
彼らにとってお告げの言葉はひとつの隠された意味の保持者であり、事情に通じてい ない者には窺い知ることができず、その実現がはじめて電光のように照らし出す。ど れほど多くのメルヘンがその語り手には意識されていないその言葉の二重の意味に根 拠づけられていることか!もしわれわれが、偶然がある意味の担い手にした自然現象 を、たとえば鍾乳洞が柱廊広間を、二つの岩が尼僧と僧侶の姿を表わしている造化の 戯れと呼ぶならば、原始時代にとっては言葉もまたひとつの造化の戯れであり、意識 も意欲もされない意味が浸透している。しかしそうだとすれば、このような時代に意 識も意欲もされない自然が感覚的な諸々の意義の担い手として自然諸現象が諸々のシ ンボルであるとみなされるならば、それらが人間の精神的な[219]産物であるばか りでなく、自然諸現象も擬人化された解釈の対象になるのであれば、それは首尾一貫 しているにすぎない。現にアウグスチヌス(Augustin)は「予言の力はすべからく 世界に偏在している」←と述べ、ゲーテ(Goethe)もまた、「生命なき自然が、われ われが愛し、尊崇するものの似姿をもたらすときにわれわれが歓喜を覚えるのである が、これはもっともなことである」←と述べている。
スコラ学は、意識を超える意味に向けられた解釈をひとつの科学的な方法にまで高 めることができた。多面的に書かれたものの意味についてのその理論は知られてい る。
Littera gesta docet – quid credas, allergoria, Moralis, quid agas – quo tendas, anagogia←
(文字は事績を、寓意は汝が信ずべきことを教え、
倫理は汝がなすべきことを、
天意は汝がいずこに向かうべきかを 教える)
スコラ学が文字通りの意味の背後にひとつの比喩的な、ひととの道徳的な、ひとつ の寓意的な意味を誘い出すというようにして、スコラ学はもちろん霊感説に基づいて 現実的に考えられた思想を確かに【25】聖書を起草したのは人間ではないが、しかし 神それ自体が顕現したことを信じた。
科学の外でもこのような解釈の仕方はいまだ今日に至るまでつましく生き延びてい る。聖職者の個別事例毎の説教は、それが必要としている状況の印象のもとに、聖書 の個々の言葉をその本来の言葉を顧慮することなく閃き出させている。まさにこのよ うな解釈の可能性の豊穣さに聖書の言葉の不滅の生命力は基づいているのである。し かし世俗的な諸々の言葉からも戯れる洞察力は、しばしば考えられているもの背後に より深い意味を誘い出す。雑誌『青年(Die Jugend)』のなかに、私は次のような美 しい言葉を見出した。「それとは考えられていない諸々の言葉の表相から諸物の深み へ測鉛を下ろし、無意味なものがそこから夢想さえすることができなかったような意 味にとって枠組をもたらしたとき、それはつねに私にとっては無上の喜びのひとつで あった。これは悪意のある尊大ではなく、むしろ謙遜であるのであって、それという のもわれわれがしばしば疑わなければならないわれわれの思慮もまた、われわれに隠 されている意味にとっても余地があり、より高い精神が好意的にそれらに解釈しなが ら語りかけるという慰めと希望といったものがそこには置かれているからである。現 にやはり嫌疑に陥っている被告人の場合ではつねにより良き意図の法が採用されるの であるからには。」この語り掛けはG. S. というイニシャルが記されている。それはゲ オルク・ジンメル←に由来しているのである!
これはひとつの才気に富んだ戯れである。しかしこのようなことが可能であるとい うことは説明を必要としているのであり、この説明は、法律の言葉から、それに挿し 込まれているよりも多くを取り出す法学的解釈学の問題をはらんだ能力にとってのひ とつの鍵であり得よう。この能力は、それがそう思われるでもあろうほどには問題を はらんでいない。たとえばある謎も、その製作者が念頭に置いていた解答とならんで 第二の解答が、前者と同様に正確に正しい、彼によって考えられなかった解答をもち 得るし、またチェスにおける駒の動きも局面に関連して、場合によっては指し手がそ れに置いていたのとは全く別の意味をもつこともあり得るのである。しかしわれわれ が語るどのような文章も、指し手がただひとつとは決めなかったチェスのこのような 局面である。「言葉は、われわれに代わって思考し、創作する」―これが意味して
いるのはこうである。すなわち、私が思考し、そして語るというようにして、私は私 の思想を、その特別な自己法則性のもとに置かれているような思想界にはめ込む。そ れだから私はある言葉を、そしてある概念的世界を私のためだけに新たに作り出すこ とができないので、私は、私が語るものを、そこで私が振舞わなければならない概念 的世界の自己法則性に服し、ひそかに、私はいっさいの発話に、私がかけ離れて見渡 すことができない概念的諸関係を結びつけるのである。「語られる言葉は、」とゲーテ は言う、「ほかでも必然的に作用している自然の諸力の圏内にともに踏み込む。」←精 神的な世界においても【25】事情は物理的な世界におけるのとは異なっていない。私 が自然諸法則を利用するというようにして、私は同時に自らをそれらに差し出すので ある―このようにして論理学上の諸法則も、私がそれらを利用するや否や、私に対 する支配者になる。私の表現がもつことが求められる意味は、それゆえに諸事情のも とではそれが有している意味では全くない―それも決してたとえば望まれた意味を 表現することに成功していないという理由によるだけでは決してなく、どのような意 味も無限の意味連関というもののなかでは部分的意味でしかなく、このような関連の なかで見渡し難い諸々の作用を呼び起こすいという理由によるのである。「彼が織っ ているのは何であるかを、どのような織り手も知っていない。」誰の思想であろうと それとともに彼の思想が見渡し難い意味連関に順応し、どのような主観的精神もそれ の部分であり分枝である客観的な世界に入り込むということを知るのは、慎み深くさ せはするが、それでも無限に高揚するひとつの意識である。
もちろん法学的解釈は、それが徹底的に合理的な性質のものであるということを通 して原始的な解釈のあの直観的な諸形式から区別される。それは魔術的もしくは神秘 的な解釈ではなく、深い意味のひとつの戯れではなく、論理学的解釈である。しかし 論理学の起源がソフィストたちの修辞学の授業にあったのであれば、科学的な論理学 はもともととりわけ[222]弁護士の論理学であるのであって、それというのも修辞 学は交互弁論における、とりわけ法廷弁論における証明と論駁の技術であるからであ る。この種の証明と論駁の論理学上の技術は、しかしながら立法者は法律の言葉にあ って何を考えたのかをではなく、彼はその出発点からして何を首尾一貫するところと してそのさい何を考えなければならなかったのかを問うのである。それは立法者によ って現実に考えられた意味をではなく、彼に要求されたある意味を、つまりはそれが 挿し込まれなかったにもかかわらず、法律から読み取られるような意味を探索するの である。
法律それ自体からしか求めない法律のこのように合理的な、弁護士的な解釈は、聖 書なしには何ものをも根拠づけようとせず、すべてを聖書に根拠づけようとする古い プロテスタント神学のあの聖書至上主義と最も密接な類縁関係にある。ルター
(Luther)自身がこのような並行関係を次のように強調している。「ある法律家がテ クストなしに弁論するのは恥ずべきことであるが、しかしある神学者がテクストなし に弁論する場合には、それはこれよりはるかに恥ずべきことである。」←しかし法律 学はその方法の正統性のために、克服されている神学の方法というものとのいよいよ 疑わしくなっている類縁関係を拠り所とすることができない。それはむしろ、徹底的 に近現代の諸科学のよき仲間にあると自覚してもよいのである。
文芸学ではごく最近までもっぱら文献学的解釈が、その作品を通しての、その草案 を通しての、その【26】日記を通しての、その書簡を通しての彼のすべての表出に基 づいた創作者の現実的な思想の探究が―ゲーテ―文献学が支配していた。しかし主 観的に考えられた意味のこのような探究は[223]創作者の客観的に妥当する意味の 究明の背後にますます退いている。創作者自身がわれわれに、その諸々の作品の内実 が主観的に考えられたあの意味に尽くされていないこと、著者自身にとって自分の作 品を後になって読む場合にはしばしば新しい、気づかれていなかった諸々の意義が浮 かび上がってくることを証している。もっぱら作品それ自体からするこのような作品 の理解は、しかし個々の創作にだけにではなく、ある著作者の全作品に、その全著作0 0 0 集0に(Œuvre)関係づけることができるのである。この場合には、このような方法か ら伝記学のひとつの新しい形式が生ずる。継承された伝記学は人物から作品へと歩を 進め、作品を人物の放射として理解した。あの新しい伝記学は作品からのみ人物を推 し量るのである。それは作品からする自伝学である。現にわれわれにグンドルフ
(Gundolf)←はゲーテを次のように描写した。「芸術家は、彼が自らを作品のなかで 表現している限りで実在する」←。現にゲオルク・ジンメル(
Georg Sinnmel)←は、
カントを、彼が、「実在した歴史的人物」であるカントをではなく、「それらの部分の 実質的な関連にとっての表現もしくは象徴としてその業績それ自体のなかでのみ生き たような理念的な形象」を描出するという課題に身を置くというようにして描いた。
このような伝記学にとっては作品の創造者は、この作品をはじめて創作した故人では なく、この作品のなかで生きている、彼が生きている限りで変化している、そして新 しい諸々の時代に新しい諸々の問いに対して新しい諸々の答を与える永遠の詩人もし くは思想家である―あたかも立法者が現に存在するのはその権威を通して法律がは じめて作られたからではなく、その権威を通して法律であることを継続するという、
ホッブスのあの言葉に対応するかのように。
しかし作品からの個人的な精神史だけでなく、集団的な精神史もまた可能であり、
現に通例として行なわれている。哲学[224]史、教義学史は、かつてはある思想家 の他の思想家による影響を確定することに努めてきた。これに対してヘーゲル以来、
それは伝記的‐心理学的な諸関連を顧慮することなく諸々の思想体系の間の実質的な
関連を展開し、その心理学的な諸帰結を同時に論理学的な過程として把握し、ある体 系のもうひとつの体系への展開を、あたかもただひとつの意識のなかでなされるかの ように理解し、客観的精神の進行をある精神の作品であるかのように解釈するという 課題を提起する―あたかも同じ「立法者の精神」が諸法律の交替の背後で変化しつ つも自己を固持し続けているかのように。
しかし超意識的な意味に向けられた解釈はその非合理的な形態においてもひとつの 気づかれない復活を経験した。象徴は、今日ではもはや神話学のひとつの概念でない ばかりでなく、心理学【28】の概念である。フロイト(Freud)←の精神分析は意識 的な内心生活を抑圧された意識下の内心生活にとっての象徴的な代償表現と解し、精 神分析の社会学上の対応物である史的唯物論、マルクス主義の経済史観は徹底的な類 比において社会的な諸々のイデオロギーを階級的諸利益の無意識的なイデオロギー上 の諸々の純化として理解する。両者がともに意味しているのは、理性の諸過程を、非 合理的な原始衝動、快楽の欲望および権力欲が、周囲を照らし出すことによって自ら をいっそう蔭のなかに隠すために点けられるほのかな光として解釈する試みである。
[225]
この小論が捧げられる偉大な学者[フランソワ・ジェニ(Francors Gény)を指し ている]にとっては、ここで指摘された法学的解釈の他の超意識的な解釈の諸形式と の類縁性がすべての部分にわたって気に入ってもらえない―このことを私は恐れて いる。彼はその生粋のフランス人としての明晰さ0 0 0(clarte)をもって朦朧とした移行 のではなく、明確に区別することの一人の友人であり、法律の内実の認識とその欠缺 の充足との間の限界線を、ここでなされているよりも明確に引いている。願わくば、
彼にとってこの書き物が少なくとも、彼によって克服された伝統的な法学方法論がそ のなかで立っていた精神的な領域のひとつの正しい描写として現われんことを!
[226]【18】
【23】Arten der Interpretation, in: Recueil d’études sur les sources du droit en l’honneur de Franc
´oirs Géney, ← Tome 2, Paris 1935, S. 217―226; ド イ ツ 語 テ ク ス ト の も と に(Jean Spachによる)フランス語訳が転載されている。 Auch in: GRGA Bd. 3, Rechtsphilosophie III, 1990, S. 23―28.
―(ジェニ):Francoirs Géney, 1861年にバッカラ(Baccarat)に生まれ、1959年にナンシー に死す。
―(ベック):August Boeckh, 1758年にカールスルーエに生まれ、1867年にベルリンに死す。古 典的な文献学者。ハイデルベルク大学およびベルリン大学教授。歴史上の古代学の創始者。
―( 認 識 ):August Boeckh, Enzyklopädie und Methodenlehre der philologischen Wissenschaft
[1877], (Reprint) 1966, S. 11:「恣意的かつ経験的に設定されたすべての制約が除去され、考 察に最高の普遍性が与えられるならば、文献学は―もしくはこれと同じことを意味してい るのは―認識されたものの認識の歴史である。」
―(者である):Thomas Hobbes, Leviathan (hrsg. von Iring Fetscher), 1984, S. 206 (26. Kapitel). この引用はそこでは次のように言われている。「それというのも立法者は、その権威を通し て諸法律が発せられた者ではなく、その権威を通してそれらがいまや引き続いて諸法律であ るところの者である。」
【24】(偏在している):この引用は、校訂者にはアウグスチヌスの諸作品のなかで確かめることが できなかった。
―「 も っ と も な こ と で あ る 」: こ の 引 用 はGoethe, Wilhelm Meisters Wanderjahre oder die Entsagenden I; Erstes Buch, Viertes Kapitel, in: Werke (WA) Abt. I, Bd. 24, S. 48に見られる。
―(analogia):この引用を確かめることができなかった。
【25】(ジンメル):Georg Simmel, 1858年にベルリンに生まれ、1918年にストラスブルグに死す。
文化哲学者、文芸史家そして社会学者。1914年以来ストラスブルグ大学教授。
―(踏み込む):この引用を確かめることができなかった。
【26】(ことである):この引用を確かめることができなかった。
【27】(グンドルフ):Friedlrich Gundolf (実名はF. Leopold Gundelfinger)。1880年にダルムシ ュタットに生まれ、1931年にハイデルベルグに死す。1916年以来ハイデルベルグ大学文芸史 教授。
―(実在する):Friedrich Gundolf, Goethe, 1916 (Reprint 1963), Einleitung S. 2.
― Georg Simmel, Kant. 1904, S. 3からの引用。原典では、「……、当の0 0業績それ自体のなかで
のみ生きている……」と言われている。
【28】(フロイト):Sigmund Freud, 1856年にフライブルク(メーレン)に生まれ、1939年にロン ドンに死す。神経医、精神分析の創始者。1,902年にウイーン大学教授。1930年にゲーテ賞 受賞者。ロイヤル・ソサイエテイー(ロンドン)の外国人会員。1938年にロンドンに亡命。
法の目的(1937年)←
₄ つの格言がわれわれに法の究極的な諸原理を―そして同時に、この諸原理の間 を支配している甚だしい諸々の緊張を具象化している。第 ₁ の格言は言う、Salus
populi suprema lex esto(人民の安寧が最高の法なり)と。しかしこれには第 ₂ の格
言が答える。Iustitia fundamentum regnorum―法の最高目的は公共善ではなく、正義である、と。このような超実定的な正義ではなく、実定的な正義、法律性、これ こそ第 ₃ の格言が言うところのもの、すなわちFiat iustitia, pereat mundus―法 律の確固不動さが公共善のうえに聳え立つ、ということである。第 ₄ の格言がこれに 答えて言う、Summa ius, summa iniuria―法律の厳格な適用はしばしばきわめて 悪意のある不正義に傾きかねない、と。かくして公共善0 0 0―正義0 0 ―法的安定性0 0 0 0 0は法の 最高目標であるが、しかしそれらは見事に調和しているのはなく、互いに鋭く対立し ているのである。
法は公共善0 0 0に奉仕しなければならないということについては全員が一致している。
けれども公共善が何を意味しているのかについては、様々に異なる世界観、国家観お よび政党綱領が争っている。ひとは公共善を、全員の幸福、もしくはそうでなくとも やはり可能な限りの多くの個人の、多数の、大衆の幸福として社会的に0 0 0 0把握すること ができる。ひとはそれを、個々人の総計である国家もしくは国民の全体と解すること ができる。最後にひとはそれを、制度的に0 0 0 0理解することができる。[88]言い換えれば、
それを単に個々人の利益のなかにではなく、実質的な諸価値の実現のなかに、決して 単に全体の利益のなかにではなく、それらそれ自体のために探究するのである。科学 と技術はそれ独自の価値においてあるということは誰にも当然と思われる例である。
しかし公共善がどのように規定されようとも、デル・ヴェッキオ(Del Veccio)←が かつて言葉で言い表した次のような見解と対立している。「一人の0 0 0人間の権利は百万 人のそれと同様に神聖である︵ ₁ ︶。」われわれは、特定の範囲においてあれほどに大多数 に対して、全体に対しても、実質的な諸目的に対しても主張することを個々人に許し ている理論を自由主義0 0 0 0と呼ぶ。しかしこのような理論こそ、その表現を、公共善と並 んで法が奉仕する他の二つの目的に、すなわち正義0 0と法的安定性0 0 0 0 0に見出すものにほか ならない。それは一面的に把握された公共善に対して個々人の平等と自由【40】を主 張する。法はその社会的な、有機的な、もしくは制度的な目標と並んであの自由主義 的な目標にも奉仕しなければならないという必然的な証明は、もちろん存在していな
(1) Individuum, Staat und Korporation, Basel 1935, S. 26.
い―当為の領域では、ひとは必然的な、どのような証明も予期することができない のである。しかし、もっぱら公共善に奉仕しようとし、個人的な利益には、自らを公 共善に対しても主張する、いずれにせよ法の名にかけてどのような要求もなし得ない こと、これを基盤とすればこれまでの意味における法学というものは可能ではないで あろうこと、このような基盤に立てば、裁判所の独立、主観的な公権、法治国家とい った一般的に承認されてもいる実践的な諸々の法現象が明らかでなくなるであろうこ とを、確かに証明することができよう。このことが私の講演のテーマである。提起さ れた問題の優れた意義はまさに現代において特別に説明する必要なないといってよい のであって、それというのも世界におけるほとんど至る所で、社会の秩序はもっぱら 公共善と考えられているものの視点のもとでのみ形態化し、正義と法的安定性からい っさいの独自的な意義を否認して法それ自体の理念を破壊するという傾向が立ち現わ れているからである。
われわれは正義0 0の概念をもって始める。われわれは、法に対する全要求がそのもと に総括され、それゆえに法一般の正当性の概念と一致している、正義のあの概念をで はなく、法に対する他の諸々の要求のなかでのひとつであることを示している正義の 特殊な概念を考えている。
この概念は、すでにアリストテレス←によってあらゆる時代にわたって規定されて いる。正義が意味しているのは、これによれば平等であるが、しかしすべての人間と 事例の等しい取り扱いではなく、取り扱いの尺度の平等、人間と事例の差異に応じた 取り扱いそれ自体の差異であり、取り扱いの絶対的な平等ではなく、比例的な平等、
すなわち各人にその分を(
suum quiqu)である。これがアリストテレス
0 0 0 0 0 0 0の配分的正0 0 0 0 義0(iustitia disributiva)である。しかし彼の均分的正義0 0 0 0 0(iustitia commutativa)はこの配分的正義のひとつの適用事例、すなわち等しいとみなされる人々へ適用され る配分的正義である。関係する人々の同置化からはじめて給付と反対給付との平等の 要求が帰結する―それというのも、ある者は、彼自身に保障されているよりも多く のものが彼に帰属されるのであれば、【40】他の者のうえに高められるであろうから
である︵ ₂ ︶。均分的正義が事実として存在しているその諸々の差異が重要なものとみなさ
れない人々への正義の適用を意味しているとすれば、逆に衡平0 0(Billigkeit)が意味し ているのは、個別事例の最も個別的な独自性に可能な限り接近するような正義であ る。しかしその際立った特別化においても正義はある一般的な尺度の適用にとどまっ
(2) Ferdenand Tönnies, Thomas Hobbes, 3. Aufl. 1925, S. 219参照。「取り扱いの正義は通例と して均分的正義と配分的正義とに分けられる。しかし実際には、不正は、交換されるか、も しくは配分される諸物の不平等にではなく、ある人が自然と理性に反して他の仲間に対して 権利を不当に行使するという不平等に成り立っているのである。」