都市同郷団体の生成と変容 : 石川県小松市、加賀 市出身者を事例にして
著者 湯浅 俊郎
雑誌名 同志社社会学研究
号 3
ページ 41‑64
発行年 1999‑03‑31
権利 同志社社会学研究学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011940
同志社社 会学研 究
【研 究論 文】
NO.3,1999
都市同郷団体の生成 と変容
石川県小松市 、加賀市 出身者 を事例 に して
湯浅 俊郎
YUASATos hi r o
目次 は じめ に
1.分析枠 組 み の設定
2.移住先 の都 市 の条件 と都 市 同郷 団体 の生成 と変容 - 加賀浴友会 を事例 に して-
3.都 市 同郷 団体 にお け る社会 的 ネ ッ トワー ク お わ りに
は じめに
本稿 では農 山漁村や地方都市 か ら大都市-の移 住者が、移住 した都市 において同郷 であることを 契機 に して、出身地域 における人間関係 を再編成 して結成す る都市 同郷団体 について、その生成 と 変容の要因 を考察 してい くことが 目的である。た だ し、 ここで対象 としている都市 同郷 団体 は市町 村やそれ よ りも狭域の地域 (例 えば旧行政村や 自 然村 な どの集落)の出身者 によって構成 されてい る団体である。
古 くは、柳 田囲男 [郷 友 会]や有 賀喜左 衛 門 [郷党]、宮本常- [郷土入会] らによって都市同 郷団体 は とりあげ られている。 神 島二郎 の著書で ある 『近代 日本 の精神構造』(1961)においては 自然村 出郷者が移住先の都市 において擬制村 を形 成す る とい うように、近代都市 において都市 同郷 団体 の存在が読み とれる。 都市 同郷 団体 の実証的 研 究が始 まったのは1968年 に松本通 晴が京都市 内で結成 されている富 山県の利賀村 出身者 による 京都利賀享友会 (松本1968;松本 1971;松本1985 a)を調査 したの を皮切 りに、岐阜県高 山市 内 に お け る岐 阜 県 の 自川 村 出 身 者 (松本 1983)、東
京、阪神地区、沖縄 における鹿児 島県の加計 呂麻 島西 阿室 出 身者 (安斎 1981;小島 1983;田島 1982) による同郷 団体が調査 されている。 更 に、沖縄 の 都市地域 における 「郷友会
」 -
同郷 団体 を調査 し てい る石原 昌家 や鯵 坂 学、丸 木 恵祐、交 野 正 芳、森川真規雄、山本正和 らによって都市同郷 団 体の実証的研究が展 開 されて きている。本稿 では都市 同郷団体が生成 され変容 してい く 背景 となる都市化 をキーワー ドに都市 同郷団体 に ついて分析す る。 その際、農村 か らの移住者が移 住先の都市 において都市的生活様式や価値観 をと りいれて内在化 してい く個人のプロセス として都 市化 の概念 を限定 して とらえ る (小林1987)。そ のなかで、都市移住者 によって都市 同郷 団体が生 成 され変容 してい く要因を分析 し、 さらに都市移 住者 によって生成 され変容 してい く都市 同郷団体 のあ りかたをとらえる試み として都市 同郷団体 に おける社会的ネ ッ トワークを分析 してい くことに す る。
1.分析枠組 の設定
し.
ワース( 1 938)はアメ リカの都市 シカゴを
実験室 と見 な して、都市 における特徴 的な生活様 式 をアーバニズム と規定 し、その一方的な展 開 と 第二次的接触が優位 となることを強調 している。しか し、同郷である とい うある種の第一次的接触 にもとづ く都市 同郷団体の存在 は、 ワースのアー バニズム論 を反証す る ものである。 だが、都市 同 郷 団体の ように、出身地域 における地縁 的 ・血縁
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的な関係 にある第一次的接触 に もとづ く関係が再 編 ・再形成 されつつ一定の機能 を果 た している と い うことは、 ワースが指摘 した ような第二次 的接 触 が優位 となる とい うように都市が大衆社会化 し たか ら故 に都市生活 において家族 ・親族 ・家郷 ・ 集落 ・友人 な どゲマ イ ンシャフ ト的第一次集団が 不可欠であ る ととらえ られ る。 つ ま り、 ワースの アーバ ニズ ム論 を単 なる大衆社 会論 的 「解体 説」 として批判す ることは検討 を要す るのであ る (鈴 木広 1987)。
H.
∫ .
ガ ンスはワースのアーバニズム論 を批判 し、そ の 著 書 で あ るTHE URBAN VILLAGERS (1982)に よって イタリア系移民 が アメ リカの ボ ス トンの旧市街地であるウエス ト ・エ ン ドのス ラ ムにおいて仲 間集団社会 (thepeergroupsociety) を形成 し、彼 らの移住先 での生活様式が出身地域 における生活様式 と類似 していた ことを報告 して いる。 H.∫ .
ガ ンス によれば、仲 間集団社会 (the peergroup society)を形成 したのは彼 らが 自由に 選択 した結果ではな くアメ リカへ移住 して もウエ ス ト ・エ ン ドにおけるイタリア系移民が 占める階 級 は出身地域 で 占めていた階級 と変 わ らなか った か らであ り、移住先 において生活様式が出身地域 の生活様式 と類似 していたのは出身地域 における 文 化 な ど個 人 の属 性 に よる とい え る。 このH.∫ .
ガ ンスの調査 か ら考 えてみれ ば都 市 同郷 団体 が生成 され るの は次 の よ うに考 え られ るで あ ろ う。 都市 同郷 団体が生成 されるのは都市移住者が 自由に選 んだ結果ではな く住 み慣 れ ない環境 に適 応 してい くため に、移住先 において都市移住者が 占め る階級 ・階層 によ り制約 された中で出身地域 における文化 とい う要因が加 わって都市移住者が どの ような生活様式 を確立す るのか についての選 択 を した結果である と考 え られる。C.S .
フイシヤー (1975, 1995)は、 ワースの アーバニズム論 とガ ンスの述べ るような批判 を結42
びつけて、 アーバニズム とい う用語 によって 「都 市
」
その もの を指 し、都市が農村 と異 なるのは、人 口の集 中性 か ら通念 にとらわれない下位文化 の 生成が促進 されてい く点 にある とす る下位文化論 を提唱 した。それ を再構成 した松本 康 は、社会 的 ネ ッ トワー クの形成 と下位文化 の生成 を結 び付 けて、社会的 ネ ッ トワー クの形成原理 について、
次 にあげる一定 の機会 一制約の もとで合理 的な選 択 を した結果である ととらえている。
a )
構 造 的制 約 :社 会 ・経 済 的地位 、 ライ フス テ ー ジ、性 別、エ スニ シテ ィ、 な どの社 会 的 な 地位 一役 割構造 を意味 す る社 会構 造上 の位 置 による制約/機会。b)生態学 的制約 :物理 的 なアクセス に よる制 約 /機会。
つ ま り、人 口の集 中性 か ら都市 には多様 なライ フス タイルが存在す る。 また、それ を共有す る人 口が臨界量 に達 しやす い こ とか ら、「専 門店」型 の多様 な社会的 ネ ッ トワークが形成 され る。 そ こ で、一定 の機会 一制約 の範 囲が広がれば、社会 的 ネ ッ トワー クの分 化 が顕 著 にな る。 都 市 お い て は、接触可能 な人口量 の大 きさゆえに、人 との物 理 的アクセスな ど生態学的な制約が縮減 されるの で、社会的ネ ッ トワークは多様化す る。 その多様 な社会的 ネ ッ トワークを基礎 に して多様 な下位文 化が生成 され るのである。 (松本康 1992pp.33-68)
下位文化論 に もとづいて都市 同郷 団体 について 考 えてみれば次 の ことが想定で きるであろ う。 農 村 においては血縁 的 ・地縁 的秩序 が強か ったが、
都市 では種 々雑多 な階層 や職業集団が居住 し、流 動化が激 しく、血縁 的 ・地縁 的秩序 の形成 は一般 的 に困難である。 その ことか ら都市移住者 は移住 先の都市 に適応 してい くため に一定の機会 一制約 の もとで出身地域 における血縁 や地縁 な どの社会
湯浅 :都市同郷団体の生成 と変容
的 ネ ッ トワー クを選択 し、 その社 会 的 ネ ッ トワー クに媒介 された都市 的 な もの (支配文化 ) に対 す るム ラ的 な もの (下位 文化 ) であ る都市 同郷 団体 が生成 され る。 都市 においては人 口の集 中性 か ら 同郷者 の人 口が 出身地域 か ら持 ち込 んだム ラ的 な もの (下位 文 化 ) を維 持 す るの に十 分 な人 口量 (臨界量) に達 しやす い。 そ の こ とか ら、都 市 移 住者 が持 ち込 んだム ラ的 な もの (下位 文化 ) は強 化 されて都市 的 な もの (支配文化) と共存 し、両 者 が相互浸透 してい くもの ととらえ られ る。 また 社 会 的共 同消費手段 な どが整備 されて都市移住者 が移住先 に適応 してい くにつれて、都市 において は多様 な ライ フス タイルが存在 す る こ とか ら農村 よ りも多 くの社 会 的 ネ ッ トワー クが選択 で きる。 その なかで都市移住者 は同郷者以外 の 同類 の者 を 見 つ けて多数 の社 会的 ネ ッ トワー クを形成 し、都 市移住者 はそれ らの社会 的 ネ ッ トワー クに分属 し てい き、そ こで 自 らの出身地域 にお ける経験 を対 象化 す るであ ろ う。 また同時 に都市 同郷 団体 が都 市移住者 の生活 の中 に占め る比重 は低 下 してい く
とい うように都市 同郷 団体 は変容 してい くと考 え られ る。 つ ま り、都市 同郷 団体 が生成 され変容 し てい く過程 において都市 と農村 との相互浸 透が生 じてい る ととらえ られ る。 都市 一農村 関係 につい て、米 山俊 直
( 1 981
)が文化競合 の視 点 か ら、都 市 と農村 の文化 要素 は相互 に影響 しあ ってお り盆・正 月の里帰 り現象 な ど双方 の相互 関係 は深 い と し、相互補完 的性格 をそ なえてい る都市社 会 と農 村社会 を一つ にまとめて とらえる必 要性 を提起 し て い る1)。鯵 坂 学
( 1 995
,1 997)
は、現 代 の 地 域社 会の動 向 を総体 的都市化 として把握す るだけ で な く、都市 と農村 との相 互浸透 あ るい は混住化 の側面 も位 置付 けたい と し、都市 同郷 団体 を とら え る一 つ の視 点 と して、都 市 一農 村 関係 の 「相 互」
浸透 の一側面 と して と りあ げる こ とを提起 し てい る。しか し、 ここで提示 した分析枠組 において考慮 しなけれ ばな らない こ とはム ラ的 な もの (下位文 化 ) を維持 す るの に十分 な人 口量 (臨界量) につ いてであ る。 同郷 者 の人 口の集積 が増大 して くる こ とに よ り、都市 同郷 団体 の会貞共 同の会館 が設 立 され るな ど組織 として都市 同郷 団体 が発展 す る こ とは考 え られ る。 しか し、現 に
7
人で結成 され てい る都市 同郷 団体 (関東八千浦会) 2)の事例 があ る ことか ら、 ただ単 に同郷者 の人 口集積 だけで都 市 同郷 団体 が結成 され る ととらえる こ とはで きな いのであ る。 祖 父江孝男 は東京 において、大 阪、京都 、兵庫 の三府県が県 人会 を持 ってい ない こ と について 「これ らの三府県 には都市化 され た地域 が多 く、 したが って ものの考 え方 も大幅 に個 人主 義化 して しまい、 それ に第一 、職業 の種類 も千差 万別 となって、 同郷 人 同志 が それ ほ ど親近感 を持 たず、互 い に顔 を合 わせ あお うな どとい う気持 ち もない とい うのが主 な原 因 だ ろ う とい う気 が す る
」
(1971p.ll)と述べ て い る こ とか ら、都 市 同 郷 団体 が結成 され るこ とにおいて も、出身地域 に お け る都 市化 の程度 や人 間関係 にお ける結合様式 が要 因 と して考 え られ るであ ろ う。 都市 同郷 団体 が結成 され るの は移住先 との ロー カ リテ ィの問題 であ り、 出身地域 にお け る方言 、慣 習や習俗 、行 為 の様式 と しての文化 な どによる出身地域 と移住 先 との差異 に加 えて学歴 や階級 ・階層 に よ り一定 の機 会 一制 約 を受 け た人 び との 「下位 文 化 的 実 践」
(松 本 康 1995pp.ト9 0)で あ る とい え る。 ま た、都市 同郷 団体 が結成 され る には リー ダーシ ッ プの とれ る人物 が 同郷者 の 中 に存在 す る こ とが重 要であ るだ ろ う。 さらに、あ る特定 の地域 に同郷 者 の人 口が集積 して同郷者が、 その地域 の 中で大 多数 を占め るケース を考 えなけれ ばな らない。石 原 昌家( 1 98 6
pp.3 0-35)
は沖縄 にお い て米 軍 に よる軍用地確保 の土地接 収 によって移動 を余儀 な くされ た宜野湾市字宜野湾 の住民 を と りあげて次43
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の ようなことを報告 している。 その事例では、か っての居住地 (現在 の普天間基地)か ら一部地主 の農地であった現住地 に旧宜野湾部落住民の大部 分が移住 したことによ り、旧宜野湾部落住民 -宜 野湾区民 とな り旧部落住民が 自治会活動 をお こな っていたことを報告 している。 しか し人口流入 に よ り旧宜野湾部落住民 -宜野湾区民か ら宜野湾区 住民の過半数 を 「他所者」が占めるようになる と 旧宜野湾部落住民の共有の財産 (かっての字有地 に対す る軍用地料)、伝統 的文化行事 の継承 と文 化遺産の管理 ・保存のため に旧宜野湾部落住民が 郷友会 -同郷 団体 を結成 した とい う。 また北海道 の開拓使 を照 らし合 わせ る と、新十津川町の よう に移住先 において同 じ出身地域の ものによる開拓 団 とい う一つの団体か ら町 を形成 してい くとい う 場合 もある と考 え られるであろう。 本稿 において は都市 同郷 団体 の生成 と変容の要因を一般化す る 前提 として、京都、大阪 において石川県小松市、
同加賀市 出身者の公衆浴場業者 によって結成 され ている都市 同郷 団体の生成 と変容 について とりあ げる。 その際、分析枠組 として、松本 康 によ り 再構成 された下位文化論 を援用す る。 その中で、
まず、農村 か ら都市移住者 に課せ られた移住先の 都市 における生活条件 に焦点 をあてて都市 同郷 団 体の生成 と変容の要因を分析 し、都市同郷団体 の あ りかたをとらえる試み として都市 同郷 団体 にお ける社会的ネ ッ トワークを見 てい くことにす る。
2.
出身地域 について本稿 で分析す る事例 とす る京都、大阪 における 都市 同郷 団体 の会員 は石川県小松市、同加賀市 の 中で も主 に小松市南部 と加賀市の北部の一部 を含 む、柴 山潟 (1952年の国営事業で一部干拓)、今 江潟 (1952年の国営事業で全面干拓)、木場潟 の 沿岸地帯の農村 出身者 (図 1で囲んでいる町)で ある。 何故、 この地域 に多 くの移住者が出て公衆
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浴場業 に集 中 したのかについて少 し考 えてい きた い と思 う。 まず偶然的な要素であるが、 この地域 に京都 、大阪の公衆浴場業界 に入 り込 んで成功 し たパ イオニアがいた とい うことである。 つ ま り京 都、大阪の公衆浴場経営で成功 したパ イオニアに 導かれて連鎖移住 (
canMirto) hi gain
によ りこの 地域か らの移住が促進 された といえるであろう。また公衆浴場業 は 日銭商売であ り、営業面 におい て客 との駆 け引 きはあ ま り必要な く 1ケ月程で公 衆浴場業 の仕事が習得 で きた ことであ る 3)。つ ま り、仕事 における技術 の問題 において、技術 の習 得が短期 間で公衆浴場業界 に参入で きたことと、
一般家庭 に自家風 呂が普及 していない時代 に衛生 面で公衆浴場 は人々の 日常生活 において需要があ ったことが、移住者が公衆浴場業へ集 中す る要因 の背景 としてあった と考 え られる。
移住 を促進 させた条件 について考 えてみると、
この加賀三湖 (柴 山潟、今江潟、木場潟)の湖沼 の周辺 は低湿 な水 田であ り豪雨の さい には沿岸低 地一帯が湛水す る。 その湛水期 間は 10数 日に及 ぶ ことも珍 しくなか った とい う 4)。その ことによ って、古 くは 3年 1作 ともいわれ、長い間、水 に 苦 しめ られた地域であ り北海道の開拓使 を多 く出 してい る地域 であ る。 小松 市 の市勢要覧 24年版 によると小松市 の農業の実態 は零細農家が多 く、
耕地が不足 しているために全農家 中過半数が兼業 農家である とい う。 つ ま り移住者が出た当時、 こ の地域 における農村社会 は農地 を拡大 させて個人 の資産 を増大 させ ることが困難であ り地域内では 個人の社会的上昇移動が なかなか図れない社会で あった と考 え られる。 その ような出身地域 におけ る条件 が個 人の社 会 的上昇 移動 を図 るため に京 都、大阪の公衆浴場業界への進出を促進 させた と いえるであろ う5)。
また、 この地域 は農 閑期 に出稼 ぎが よ く行 われ ていた地域 であ る6)。その出稼 ぎが行 われてい る
湯浅 :都市同郷団体の生成 と変容
中で生活手段 をこの地域か ら外部の都市 に移 せ る体制 はで きていた と考 え られる。 つ ま り行 さ 社会 は一定の地域 において人々の基本 的な労農村 生活サイクルが完結す る社会である。 しか し働 ・
・商品経済が浸透す ることによ り農村 におけ貨幣 存維持経済 を基調 とす る伝来的生産 ・生活構 る生 ゆ きぶ られ る (森田 1994)。その よ うな条件 造が か出稼 ぎが行 われる。 その出稼 ぎを していたの な 中か ら公衆浴場業界 に参入す る人達が出て く人の その移住者が公衆浴場業界 に参入 して成功す る。
とによ りパ イオニア となる。 そのパ イオニアの影るこ 図 1
rto)
が ひ きお こされ た と考 え られ るで あ ろi 一 gain
う。また、 この地域 は絹織物の伝統的生産地域 り、その零細工場が多い地域である。 この地であ 機業者や組合 は京都 ・大阪の商社 と直結 して域の とい うことか ら、対象 とす る都市移住者の出いた 域 と京都、大阪 との連関が形成 されていた と身地 られ る。
1 8 97 (
明治 30)年 には北 陸線 が 開 考 え
てお り交通の便が よかったことか ら京都、大通 し 響 によ り、 この地域 においての労働力移動 に弾みがついて連鎖移住いた と考 えられ( c an hiM
阪へる。4
同志社社会学研究 NO.3,1999
次 に、 どの出身階級 ・階層が移住 して大阪都市 圏の公衆浴場業界-進 出 したのか について考 えて みることにす る。 まず、公衆浴場業界 に参入す る には2つのケースがある。 一つは釜 た きとして雇 って もらい、そ こで公衆浴場 を創業す る資金 を貯 めるケースである。 もう一つ は、 これは戦前 にお いて主であ った と思 われるが地主が浴場 の賃貸業 を してお り、その地主か ら浴場 を借 りて経営 し、
そ こで資金 をためて 自己が所有す る浴場 を経営す るとい うケースである。 つ ま り
1 91 7
(大正6)
午 頃か ら、 この地域 の出身者が大阪都市圏の公衆浴 場業界へ進 出 して くるのであるが、 この頃 に公衆 浴場 業界 へ参入 した人 は主 に釜 た きか ら始 め る か、借 り風 呂経営か ら始 めるかの どち らかであっ た と思 われ る。 この移住 の両者 の ケ ース にお い て、借 り風 呂経営か ら始め るケースの方が釜 た き か ら始 めるケース よ りも移住者の出身階級 ・階層 は上層 であ った と考 え られ る。敗戦直後 にはイ ンフレ対策 として実施 された地 代 ・家賃 の統制や土地 ・家屋 の税負担 の増大 によ
り貸家経営者 は採算割 れ による経営難 か ら浴場 を 手放 してい くようになる。 その ことか ら戦後、公 衆浴場業界 に参入 してい くの に自己所有 の浴場経 営 をす るケースが多 くなった と考 え られる。 そ こ で、 この地域 か ら公衆浴場業へ進 出 して きた出身 階級 ・階層 につ い て、戦争 をは さんで
1 91 7
(大 正6)年 頃か ら始 まる移住 と戦後 か ら始 まる移住 の二つ に分 けて考 えなければな らないであろ う。その理 由は戦後 において浴場業界 に参入す るの に 初 めか ら自己所有の浴場経営 をす る とい うケース が多 くなる とい うことか ら、 このケースでは浴場 経営 に進 出す るの に借 り風 呂経営 か ら始 めるよ り
も多額 の資本が必要であ った と考 え られ る。その ことか ら、高度経済成長 とい う状況の中における 第一次産業の衰退 とい う要因 も含 んで出身地域 に お け る移住 者 の出身階級 ・階層 は
1 91 7
(大正6)
46
年頃か ら始 まる公衆浴場業へ の進 出 よ りも、戦後 か ら始 まった公衆浴場業へ の進出の方が公衆浴場 経営へ進 出 してい く出身階級 ・階層 はさらに上層 の出身階級 ・階層 にまで広 が った可能性がある。
また家族上 の地位 において世帯主が移住 して公衆 浴場業界へ進 出 して くるケース 7)、挙家離村 して 公衆浴場業界-進 出 してい くケース も考慮 にいれ
なければな らない。
また挙家離村 となる場合、相対 的 に資産 を持 っ てい る人 は家屋敷地や田畑 を売却 して大阪の公衆 浴場業界へ進 出 したが、相対 的に資産 をあ ま り持 っていない人の場合 は豆腐屋 を経営 してい る人が 多い とい う。 その中で公衆浴場業 に比べ て創業資 金があ ま りかか らない豆腐屋 を始めて、そ こで資 金 をためて公衆浴場業-進 出 してい くパ ター ンも ある とい うことである。 その ことか らも都市移住 者の出身階級 ・階層 によ り移住 のパ ター ンが異 な って くることが うかが える。
学歴 について見 れば、地元 の郷土史家 の話では 昭和
3 5
、6
年以前 において対象 となる地域 の一つ であ る串町 において 500人の うち約 6割 は新制 中 学校 を卒業 して就職 してお り、高等学校へ進学す る人 は少 なか った とい うことである。 新制 中学校 を卒業 し就職 してい く際 において大阪へ就業移動 す るの に公 衆 浴場 業 を経 営 してい る親類 の 「っ て」がある次 ・三男 は、 まず釜焚 きとして公衆浴 場業界へ入 り込 む。 しか し公衆浴場業 を経営 して いる親類 の 「って」が ない場合、大阪へ就業移動 す るの に豆腐屋へ行 った とい うことである。この地域 か ら移住者が多 く出て公衆浴場業 に集 中 した要因について、 これか ら調査 していかなけ ればな らない課題が多 く、移住者 の時代設定 と出 身階級 ・階層設定 を してい く必要がある。 また移 住 について考 えてい くの に肉体労働 に参入 してい くケース と本稿 で とりあげているように直接 、都 市 自営業 に参入 してい くケース とに分 けて考 えて
いかなければな らないであろう。移住者の個人の 属性 としてライフサ イクル、家族上の地位 も考慮 にいれる必要がある。 本稿 では仮説の域 を出ない ものであることか ら移住 についての先行研究 を検 討 してい き今後の課題 としたい。
3.
移住先の都市の条件 と都市 同郷 団体の 生成 と変容- 加賀浴友会 を事例 に して-
この節 においては加賀浴友会 を事例 に して移住 先の都市 における条件 に焦点 をあてて都市 同郷団 体 の生成 と変容 について考 察 してい くこ とにす る。 出身地域 は先程、地図で示 した地域 である。
都市 同郷 団体研究の中で、事例 として とりあげる 加賀浴友会 は都市 同郷 団体である上 に同業者団体 であるとい う性格 を持つ ことに着 目す る必要があ る。 戟前 において北進会 [現在、北友会]、加賀 親友会、諏訪会 とい う3つの都市 同郷 団体が結成 されていたが、加賀浴友会の記念誌や聞 き取 りに よれ ば戦後 の1949(昭和24)年 に大 阪府 下 で浴 場 業 を経 営 す る小 松 市 矢 崎 町 (10名)、同 串町 (2名)、同今江 町 (1名)出身者 の公衆浴場業者 と、同矢崎町出身の府会議員の1名 を含 む総勢14 名が集 まって加賀浴友会が結成 された とい うこと であ る。 矢崎 出身であ る Y.Kg氏、 Y.Kg氏 の 従 兄 弟 で あ り小 学 校 の 同期 で もあ る K.On氏 (矢崎出身) と串出身である M.Me氏が 中心 にな って種 々の協議 を重ね大要 について合意 を得 たこ とか ら Y.Kg氏が作成 した会則 の原案が賛 同 さ れ て 1949 (昭和 24)年1月 18日に Y.Kg氏 の 宅で加賀浴友会の発会式が行 われた とい う。 初代 会長 には Y.Kg氏 が選任 されてい る。入手 した 資料 の中で初期 の会則 を見 てみる と、会の 目的 と して 「本会 は大阪府 ・市 に居住す る加賀地区出身 同業者、若 しくは賛助者 を以 って組織 し、会員相 互の親睦、融和 を図 り、併せ て斯業の興隆 ・改善
湯浅 :都市同郷団体の生成 と変容
に努 め ます
」
(大 阪 加賀浴友会 創 立三十五周 年記念) と記 されている 8)。加賀浴友会の会月数 は結成 されてか ら急速 に増 大 してお り 1950 (昭和 25)年の会員数 は 79名、
1959 (昭和34)年 に会 員 数 は250名 に達 し、現 在 の出身地域 の範域の出身者 にまで広が っていっ た とい うこ とであ る。 加賀浴友会 の創立 20周年 (1968年)の時 には加賀浴友会館 を会員 の共 同出 資で建設す ることが計画 されたが浴場経営が斜陽 の時代 に入 ったために会館 を建設す る計画 は中止 されている。 加賀浴友会が結成 されてか ら各々の 集落の出身者が増 えて くる と、それぞれの集落 ご とに会が結成 され る ようになる (図2参照) そ。
の集落 ごとの下位単位 の会が結成 される と下位単 位 の会 に先 に入会 してか ら加賀浴友会 に入会す る ようになった とい う。 特 に公衆浴場業の経営者で ない場合、下位単位 の会 には入会 しているが加賀 浴友会 に入会 していない人 もいる。
まず加賀浴友会の活動 を見 てい くことにす る。
会 としては同郷者の親睦 を深めることは勿論の こ と、融資事業 (頼母子講) と火災の共済 を中核 と している。 会の活動 は、月一回、大阪市北 区にあ る太融寺で親睦 と情報交換 の場である定例集会が 頼母子講 を兼ねて開かれている。 加賀浴友会の年 中行事 として郷土訪問 を兼ねた春 の懇親総会、 1 月 に新年懇親総会が開かれ てい る。 また創 立 10 周年 または 5周年 ごとに故郷 にある精一のホテル で加賀浴友会 の創立記念式典 を催 してい る 9)。今 午 (1998年)の 5月 27日に開かれた加賀浴友会 の創立 50周年記念式典 には石川県知事 や大 阪府 知事、大阪市長、小松市長か ら祝辞 (全 て代理 に よって読 まれた)が送 られ大阪府議会議員や守 口 市市長、守 口市議会議員、堺市市議会議員、北囲 銀行頭取、石 川銀行頭取 か ら祝 電 が送 られ てい る。 また、祝宴の時 には石川県知事が直 々に祝辞 を述べ にきている。 出身地の町内会長 も招 いてお
47
同志社社 会学研 究
NO. 3 ,1 9 9 9
図 2 加賀浴 友会 の構成
加賀浴 友会 :
1 9 4 9
(昭和2 4)
年 に結成[ 1 9 9 8
(平成1 0)
年5
月2 7
日の時点 で会員数3 0 4
名](旧集落)
2 7)
年 に結成「
… 三三町
① 大 阪北進 会 (戦争 に よ り自然解散 )1 9 2 2
(大正1 1
)年 に結成1 9 4 4
(昭和1 9 )
午② 加賀 親友会 (戟争 に よ り解散 )
① 大 阪北友会
1 9 5 2
(昭和② 加賀親友会
1 9 2 2
(大正1 1
)年 に結成1 9 4 4
(昭和1 9)
午1 9 5 3
(昭和2 8 )
年 に結成③ 矢 崎 町 (彰諏訪会 (終戦後 一時 中断) ③ 諏 訪会
松
1 9 3 7
(昭和1 2 )
年 に結成1 9 5 6
(昭和31 )
年 に再興④ 今江 町 ④ 小松銀 窓会
1 9 5 6
(昭和31 )
年 に結成⑤ 向本 所 町 ⑤ 向友会
1 9 6 5
(昭和4 0)
年 に結成 (む大 阪 日末会aL ⑥ 日末 町
1 9 5 5
(昭和3 0)
年 に結成I
加 (∋柴 山町 ⑦ 柴 山親友会
I
1 9 4 8
(昭和2 3 )
年 に結成賀 ⑧ 潮津 町 ⑧ 潮津会
l
市 ⑨ 片 山津 町 ⑨ 加賀浴親会
- 璽璽
(大 阪加賀浴 友会
1 9 9 8
『創 立5 0
周年記念誌』 か ら作 成 )り、加賀浴友会の創立
50
周 年式典 の プ ログ ラム 者 とい う二種 の業種が主流で構成 されてい る。 大 では加賀浴友会の会員であ って も下位単位 の団体 阪府下全体 の公衆浴場 において加賀浴友会の会員 の会長 は来賓 として名前が連 ね られてい る。 の公 衆 浴 場 が 占め る割 合 は1 60 .% (97 19
年 の時 次 に加賀浴友会 に関連す る組織 の構成 を見 てい 点)、一方、能登互助会 の会員 の公 衆浴場 が 占め くことにす る。 まず公衆浴場業者 の同業者組合 と る割合 は2.% 24 (96 19
年の時点)であ る1) 0 (表 3 して大阪府公衆浴場業環境衛生 同業組合がある。 参照)。その同業組合 の理事 長 で あ る N氏 か らの聞 き取 また関西石川県人連合会があ り、加賀浴友会の りに よれば組合加 入率 は
99%
であ る。 また同組 会員 にお ける下位単位 の団体 と能登互助会 の会員 合加盟 の浴場業者 は1 970
年 の23 46
軒が ピークで における下位単位 の団体 か ら各 々が関西石川県人 あった とい う (毎 日新聞 [夕刊]1 9 9
1. 5 .2 8 )
。 連合会 に役員 を選出 してい る (図4
参照)。公衆浴場業界 において加賀浴友会の他 に もうー 都市移住者 によ り加賀浴友会が生成 された背景 っ石川県 の能登地域 出身者の都市 同郷 団体 であ る として、学校 や職業安定所 を通 した就職斡旋 シス 能登互助会がある。 能登互助会 は
1 952
(昭和27)
テムが整備 されていなか った とい うことが考 え ら 年5
月2 4
日に結成 され た都 市 同郷 団体 であ る。 れる。 社会 的上昇移動 の手段 として、 ここで事例1 996
年 の時点 にお い て会員名簿 に よれ ば、能登 としてあげている都市移住者 は農村 か ら都市 自営 互助会の会員数 は98 6
名である。 加賀浴友会の会 業者層-参入 してい くの に既 に移住 してい る血縁 員 は主 に公 衆浴場業 の経 営 者 で構 成 され てい る や地縁 な どが新 しく移住 して きた同郷者 に浴場業 が、能登互助会では豆腐屋 の経営者 と浴場 の経営 の習熟や創業資金の互助、親睦 な どの世話 をす る4 8
湯浅 :都市 同郷 団体 の生成 と変容
大 阪 府 下 にお け る全 浴 場 数 大阪府下 における加賀浴友会 大阪府下 における能登互 [大 阪府公 衆 浴場 業環境衛 生
同業組合加盟] (1996年) 会員 の浴場数 (1997年) 会員 の浴場数 (1 助会 浪 速 区
天 王 寺 区 東 成 区 阿 倍 野 区 福 島 区 北 区 都 島 区 城 東 区 鶴 見 区 大 正 区 港 区
5 14 9 34 28 18 1 254 43 16 24 23
5 7 3 3 9 3 43 8 4 4
5 ll 5 2 47 65 4
大 阪
市 中 央 区 西西淀 川 区区 淀 川 区 東 淀 川 区 旭 区 西 成 区 生 野 区 平 野 区 東 住 吉 区 住 之 江 区 住 吉 区 此 花 区
1 7 2934 34 32 60 81 43 51 25 41 22
41 3 1 4 8 14 ll 7 10
55 2
996年) 6 10 6 6 4 13 30 5 l l ll9
岸 和 田 市 31 1
池 田 市市市 箕 面 茨 木 高 槻 市 豊 中 市 吹 田 市 摂 津 市 寝 屋 川 市 守
9 2 18 20 43 18 14 35
3 42 7 3 3 3
1 4 2 9 62 ll
口 市市市 門 真 大 東 交 野 市 四 条
畷 市市市 東 大 阪 八 尾
50 3117 1
4 105
9 8 4
16 257
5 1 2 19
大 阪 府 下
松羽 曳 野 市藤 井 寺 原 市市 312856 34I
4 8 1
相 原 市市市市市市 堺 高 石 和 泉 泉
泉大 津 南 72 666 1
21
同志社社 会学研 究 NO.,3 1999
図 4 加賀浴 友会 の関連 団体 の構成
北友会 加賀浴友会能登互助会 加賀 親友会
小松 銀 窓会 諏訪会 向友会 柴 山親友会 大 阪 日末会 加 賀浴 親会
加 能親友会 関西石 川県高松 会 吹 田市石川県 人会
関西石川県 人連合 会 白山会
東大 阪石 川県 人会 関西松 任 会 大 阪穴水 会
・親友会
・能登 親友会
・大 阪ふ る さ と会
・能親会
・友愛 会
・浴進会
・御 祖 会
・柳和会
・良川会
・黒氏 会
・-青 能親会
・能登部 睦会
・朋 友会
・親盛 会
・協和会
において背景 としてあった。
ion t gra 6 9 hi c a
( n Mi )によ り公衆浴場業界 へ参入 している。1 6 (昭和 4
された大阪府公衆浴場業環境衛生同業組合 による 会 とい う都市 同郷団体が生成 された要因を分析 し 調査 によれば、公衆浴場業の従業員の雇用経路 に てみる と次の ように考 えられるであろう。 まず公 連鎖移住
1)年 10月 に実施 その ような都市 における条件の もとで加賀浴友
おい て知 人 (4 %)6 、縁 故 (3 %)55. を占め る こ 衆浴場業 には多額の創業資金が必要であったが、
ion t gra hi c a
とが報告 されている。 銀行か らの融資が受 け られなかった。 この ような また移住先 において も大都市の拡大 と郊外化の 経済的な面 における制約があるなかで、公衆浴場 進行 による人口の増加 と空間的分散 によ り新規 に 業界 に参入 してい くのに地縁原理 を拡大 して結集 浴場 を開店す ることが可能であった とい う連鎖移 して資金 を工面 しあ うようになる。 つ ま り加賀浴 ( n Mi )を促進 させ る要因が移住先 友会 は経済的領域 において手段 的 ( mmei tns natl) 住
0 5
湯浅 :都市同郷団体の生成 と変容
な意味合い を持 っていたのである。
また先述 したことであるが、敗戦直後 のイ ンフ レ対策の一貫 として実施 された地代 ・家賃 の統制 や土地 ・家屋 に関す る税負担 の増大 によ り貸屋経 営者 は採算割れ による経営難や生活一難か ら貸屋 を 手放 してい くようになる。 その ような条件下 にお いて戦前、借 り風 呂か ら次第 に自己所有の浴場 を 経営 してい くとい うパ ター ンか ら、浴場業 をは じ めるの に最初 か ら自己所有の浴場 を経営 してい く とい うケースが多 くなった と考 え られる。 従 って 創業資金 は借 り風 呂か ら始めていた頃 よ りも多額 になる。 その ことか ら戦前 においては加賀浴友会 における下位単位 の都市 同郷 団体 (図 2参照) は 存在 していたが戦後 になって加賀浴友会の ような 範域の団体が形成 された と考 え られる。
さらに戟後、国民の保健衛生上重要 な施設であ る公 衆 浴 場 に関す る法律 と して 「公 衆 浴 場 法
」
(1948 (昭和 23)午)が制定 されてい る。 公 衆浴 場 の入浴料 金 は 「物価 続 制令
」
(1946 (昭和 21) 午)の適用 を受 けてお り、その権限は、厚生大 臣 か ら現在、都道府県知事が掌握 している。 その よ うな規制が敷かれているなか、公衆浴場業界へ参 入す るの に地縁原理 を拡大 して同郷者集団への凝 集力 を強め、加賀浴友会の会貞か ら大阪府公衆浴 場業環境衛生同業組合の役員 を選出す る。その ことにより加賀浴友会が大阪府下 における公衆浴場 業界 に占める地位 を大 き くし、その後 の展 開のな かで浴場経営の改善のために政治家 との接触が図 られるようになる。 つ ま り、加賀浴友会 は政治的 領域 において も手段 的 (instmmental) な意味合 い を持 っていたのである。
また公衆浴場 の立地 について大阪府公衆浴場法 施行条例 によ り市 の区域 では 2
0 0m
、その他 の区 域 で は25 0m
の施設 の 間隔 を必 要 とす る とい う 距離制限がある。 その公衆浴場の立地 における距 離制限によ り公衆浴場業 を経営す る同郷者 は互いに分散 しなければならない ことか ら、大衆社会化 している都市社会の中で同郷者の間で交際 と情報 交換 の場が強 く求め られた ことも考 え られるであ ろ う。
加賀浴友会 における会貝の都市生活の特徴 は よ り高収益 の公衆浴場があれば、そ こに移動 し、 自 分が今 まで使 っていた浴場が好物件 であれば親族
な ど同郷の者 に売却す るか貸 し出 していることで ある。 一般 的に社会的上昇移動 に伴 い、居住地が 自由に選択 で きる範囲は広が り要求 どう りに生活 様式が確立で きる範囲は広が る。 しか し公衆浴場 業 は主 に家族経営であ り職住未分離であるために 彼 らの居住地の選択 は浴場経営 の利益 が優先 され ることになる。 例 えば、 どの ような生活様式 を確 立す るのか とい う要求 において郊外へ移動 したい として も、浴場経営 において、そ こが どれだけの 利益 を産み出すかによ りイ ンナーシテ ィにとどま らな くてはな らない ことがあるであろ う。 先述 し た公衆浴場の立地 における距離制限によって も居 住地の選択 は規定 されて くることか ら、それ らの ことによって彼 らが要求 どう りに生活様式が確立 で きる範囲は規定 され ると考 え られる。 従 って移 住先の都市 において加賀浴友会の会員 またはその 家族 において親族 など同郷者 とのつなが りは強い ことが想像 で きる。 その上、 自営業者層 は勤務者 層 の ように社縁 といった職場での同一性が困難で あ る (同橋1987,1990)。つ ま り、加賀浴友会 の 中 で は、職業上 の交流 におい て ソー シ ャル (social
・sozial) な関係が働 いているのである。
次 に加賀浴友会が変容 してい く要因について分 析 してい くこ とにす る。 まず 1955 (昭和 30)午 頃になる と、信用金庫 や相互銀行が公衆浴場業 を 融資の対象 にす るようにな り公衆浴場業の経営者 は次 第 に銀行 か らの融資 も受 け られ る よ うにな る。 さらに行政の側か ら公衆浴場業 に公的な助成 が行 われ、改築の際 には安い融資制度が利用で き
51
同志社社会学研究 NO.3,1999
るようになった。加賀浴友会の会員 のなか には資 産の増大 によ り個人で銀行 か らの融資が受 け られ るようになった人 も出て くる。 つ ま り浴場経営 の 資本 の援助 とい う経済的な側面 において加賀浴友 会 は都 市 生活 にお け る適応 組織 と して の手段 的
(instmmental) な意味合 い を低 下 させ た ととらえ られ る。
また銀行が浴場業 を融資の対象 に しだす と地元 銀行 (北 国銀行) を取引先 に指定 して会員が まと まって積 み立 て貯金 をす ることによ り、それ を共 同担保 に して会員が融資 を受 け られ る とい う小松 兼六会が結成 され る。 つ ま り銀行 か らの融資が受 け られる とい う公衆浴場業 の経営条件 の変化 によ り、加賀浴友会 における経済的領域 における手段 的 (instmmental) な意味合 い を持つ機能 と役割 は 独立 して展 開 してい った ととらえ られ る。 加賀浴 友会 において行 われ る頼母子講 は銀行へ の積み立 て貯金 に変 わ り、その利得 で会 を運営 してい くと い うように主 に会 の運営のため に行 われ るように なった。
さらに移住先の条件 の変化 として 日本 の高度成 長 とともに各家庭 に内風 呂が増 え出 した ことであ る。 その ような都市 における状件下で、公衆浴場 業界 は 1965年代 か ら景気 に陰 りが見 え始 め る。
1965年代 中 ごろか ら公 衆浴場業 の廃 業 や転 業 も 出始 め、 1973年 の オ イル シ ョック を機 に冬 の時 代 に突入 し東京、大阪で はオイル シ ョック以降、
新築 された浴場 はない とい うこ とであ る (北国新 聞 1991.1.26)。
公衆浴場業が好況 である時代 が過 ぎ、加賀浴友 会 においては新 たな移住者第一世代 の会員 の補充 は見込 めないばか りか、公衆浴場業 を廃業す る人 やマ ンシ ョン業やホテル業へ転業 してい く人 も出 て くる。 なか には移住者第一世代 の社会的上昇移 動 による移住者第二世代 の学歴の上昇 に伴 い、移 住者第二世代 にとって浴場業 は魅力 的ではな くな
52
り浴場業 を廃業 した ところ もある。 それ らの こと に よって、加 賀 浴 友 会 の 会 員 数 は現 在 、 361名 (1983 (昭和 58)午)か ら305名 (1998年 5月27 日時点) に減少 してい る。
3.都市同郷 団体 にお ける社会 的 ネ ッ トワ
ー クこの節 では都市 同郷 団体 における社会的ネ ッ ト ワークについて事例 をあげて分析 してい く。 マ ク
ドナル ド夫妻 (1963, 1964)はアメ リカへ移住 し て きたイタリア南部 の移民 において新 しく移住 し て きた者の就職 ・住居 の世話 を先 に移住 している 親族や友人がす る とい う連鎖移住 (chain Migra- tion)につ いて言及 し、移住 者 の定住 に、親族 や 友 人が大 きな役割 を果 た した こ とを指摘 してい る。 また T.K.ハ レー ブ ン (1982-1990)も 19 世紀か ら第一次世界大戦 を通 じてマ ンチ ェス ター 市 (ニューハ ンプシャー州) に存在 した世界最大 の織物会社 であるアモスケグ社 で働 いていた移住 労働者 を事例 に して、新 しく移住 して きた者の職 の斡旋や住居 の提供 な ど先 に移住 してい る親族が 世話 を して移住者 の定着 を援助 していた ことを報 告 してい る。
T.K.
ハ レーブ ンは農村 か ら工場都 市 に引 き継がれた遺産である親族 の連帯性 とい う 原則 とその慣行が農村 出身者が産業 的環境 に適応 す るの に何 よ りも重要であ った と指摘 している。日本 においては、藤見純子 (1980)が血縁や地 縁 を主 な契機 とす る人 口移動 につ い て論 じてい る。 関 孝和 (1990)は移住 先 にお け る親族 の存 在が都市移住 を促進 させ る とい うことを述べ てい る。 日本 の近代都市 において 自然村 出郷者が形成 す る擬制村 について神 島二郎 (1961)によれば、
擬制村 には家郷 を軸心 とす る もの と、母校 を軸心 とす る ものがある とい う。 都市 同郷 団体 は家郷 を 軸心 とす る ものである と考 え られ るが先行研究 に おいて都市 同郷 団体 における社会的ネ ッ トワーク
について明確 に と らえ られ た こ とが ない。そ こ で、 この節 においては事例 をあげて都市 同郷 団体 のあ りかたを とらえる試み として、その社会的ネ ッ トワークを見 てい くことにす る。
事例 にあげる都市 同郷 団体 を紹介す る と一つ 目 は京都府下 において同郷 の公衆浴場業者 によ り結 成 され て い る 日末 会
( 1 9 98
(平 成1 0)
年6
月 に 解散) と三つ 目は先述 した大阪府下 における同郷 の公衆浴場業者 を中心 に して結成 されている加賀 浴友会の下位単位 の団体 であ る向友会である。 聞 き取 りか ら日末会 の方 は1 997
年度 時点 にお ける 全 ての会員 をとらえることがで きたが向友会 の方 は全 ての会員 をとらえることはで きなか った。両 方のデー タともに判明 した分 だけ提示 しているの であるが都市 同郷 団体 における社会的ネ ッ トワー クについて、い くらかの傾 向はつかめることがで きた。まず、京都府下で結成 されていた 日末会 【事例 1】 についてであ る1 1)。 日末 会 は京都 にお い て公 衆浴場業 を経営す る同郷者 によ り
1 95 0
(昭和25)
湯浅 :都市 同郷 団体 の生成 と変容
年頃 に結成 された とい う。 聞 き取 りでは戟前 に京 都 の公衆浴場業界 に出て きてい る人 もお り最 も多 くの会員 が い たのが
1 965
(昭和40)
年 頃で会員 数 は20
名 であ った。 日末会 の活動 は毎 月一 回、例会 と頼母子講 とを行 い、年 に一 回、新年会 を行 っていた とい う。 出身地である小松市 日末町は市 町村合併 によ り小松市 に合併 す るまでは石川県能 美郡御幸村宇 目末 とい う自然村 であ った と考 え ら れ る (図
9
参照)。表 5・図 6よ り日末会の会貝 を見 てい くと、京 都 の公衆浴場業界への進 出は主 にまず石川県 の石 川 県 江 沼 郡 那 谷 村 滝 ケ原
( 1 955
(昭 和3 0)
午) に小松市 に合併 して現在 は小松市滝 ケ原町)の大 規模 な農家 であ ったst
家 を基 点 に して血縁 ・姻 戚 関係 、地縁 を 「って」 に して京都 の公衆浴場業 界へ進 出 して きた こ とが分 か る。 このSt
家 とい うの は、子供 には女性が多 く、その婿 には資金援 助 を して、京都 な どで公衆浴場業 をや らせ ていた とい う。st
家 は 日末 町 に在住 してい たわ けで は な く日末町出身者 とは地縁 関係 ではないが、⑲T.
表 5 【事例 1】 月末会 の会 員 (月末会 の総会 員数 は 1997年度 の時点 で 15名)
①S.Nd (小松市 日末町出身) 父親 が石 川県江沼郡 那谷 村 滝 ケ原 (1965 (昭和 30)年 4月1日に小松 市 に合併 して現在 、小松 市滝 ケ原 町) の大規模 な農家 であ る St家 を頼 って移住
②E.Mt (小松市 日末 町出身) 母親の実家が① S.Ndの家 (① の父親 を頼 って移住 )
③M.Ak (小松市 日末町出身) 母親が( ∋S.Ndの父親 の従姉妹 (① の父親 を頼 って移住 )
④Y.Am (小松市 日末 町出身) ①S.Ndの祖 父 の弟 ((丑の父親 を頼 って移住)
⑤Y.Mb (小松市 日末 町出身) (∋S.Ndの父親 の知 人 (① の父親 を頼 って移住 )
⑥S.¶ (小松市 目末町出身) ①S.Ndの家が 日末 にいた時 の隣人 (① の父親 を頼 って移住 ) (∋G Ki . (小松市 日末 町出身) ① S Ndの父親 の知 人 . (① の父親 を頼 って移住 )
⑧T.My (小松 市 日末町出身) ① S.Ndの父親 と⑧T.Myの父親が小 学校 の友人 (① の父親 を頼 って移住 )
⑨A.Ky (小松市 日末町出身) 母親の実家 が( ∋S.Ndの家 (① の父親 を頼 って移住)
⑲T.Mb (小松市 日末町出身) 父親が 自身の母親 の実家 であ る滝 ケ原 の大規模 な農家 であ る Stを頼 って移住
⑪Y.Mn (小松市安宅町出身) 母親が⑲T.Mbの オバ であ り日末町出身
⑫H.Mi (小松市 日末 町出身) ⑲ T.Mbの父親の知人
⑬ S.Nk (小松市 日末 町出身) 母親 の弟 であ る公衆浴場業 を経営す る 日末 町出身の T.Yd (⑲ と(丑と同様 に滝 ケ 原 の大百姓 であ る St家 を頼 って移住 ) を頼 って移住
⑭K.Ni (小松市 日末町出身) ⑬ S.Nkの兄 (大 阪か ら、弟 であ る⑬ S.Nkを頼 って京都へ移住 )
⑮Y.Eb (小松市 日末 町出身) 姉が嫁 いで い る石 川県江沼 郡那谷村 菩提 (1955年 (昭和 30)年 に小松 市 に合併 して現在 、小松市菩提 町) 出身の Mo (公衆浴場業) を頼 って移住
53
同志社社会学研究 NO.3,1999
図 6 日末会会員の 「って」 の社会的ネ ッ トワー ク
② ③ ① ⑤
St \
Mb氏 の父親 の母親が st家 か ⑥ ⑦ ⑧ いる。 その ことか ら⑲T.M ら嫁 入 りして きて によ り
st
家 を頼 って京都 の公b氏の父親 は姻戚関係 てい る とい うことであ る。 また 衆浴場業-進 出 し へ嫁入 りして きた⑲T.Mb氏st
家 か ら日末 町st
家 の一番 下の息子 が 日末 の父親の母親の他 に お り、st家 は 日末 町 にお い 町出身者 と結婚 してて姻戚 関係 が あ る。
この ように大規模 な農家 であ った St
における姻戚 関係 のつ なが りか ら日末家 の 日末 町
S.Nd
氏の父親や T.Yd氏 も滝 ケ原 の 町出身の( ∋ って京都 の公衆浴場業界 に進出 して きSt
家 を頼 る。⑲T.Mb氏 は 日末会の初代会長で た と思われ
氏 の父親 の母親がSt
家 か ら嫁 あ り⑲T.Mb
か ら家格 とい う点 において⑲T.入 りしてい る こ とMb氏 は会長 とし て リーダーシ ップをとる基盤 を持 ってい
うかがえる。 ⑮Y.Eb氏 は姉が たことが 郡那谷村 菩提 (1965 ( 嫁 いだ石川県江沼 昭和 30)年 に小 松 市 に合 併 して現在 は小松 市菩提 町)出身の
Mo氏 の と ころ を頼 って京都 の公 衆浴場 業界 に進 出 し る。⑪Y.Mn氏 は安宅町出身であるが、 てい 氏の母親が 日末町出身であ り
⑲T.
⑪Y.Mn あることか ら⑲T.Mb氏 を頼Mb氏のオバで
進 出 してい る。 つ ま り⑪Y.って公衆浴場業界 に
者の縁故者であることか Mn氏 は 日末 町 出身 思 われ る。 しか し日末 町出身の ら日末会 に入 っている とT.Yd
会 に何故、入 っていないのかは不明であ氏 が 日末ムラとい う地縁 に近い地域的範域 にあるる小。
54 学校
学校である。 また隣町における小学校 区は 日末小 学校の通学区であ りの町である佐美町 も日末小 に京都府下 における。 しか し佐美町出身者 も同様 市 同郷 団体 を佐美る同郷 の公衆浴場業者 による都 る。 日末小学校の同町出身者 で独 自に結成 してい あるとい う。 ここに窓会 は都市 同郷団体 とは別 に との違 いが見 られ るおいて都市 同郷団体 と同窓会 について言 えば、血 で あ ろ う。 つ ま り 【事例 1】 い う要因が重 なる と縁、地縁 とい う要因 と学縁 と い う都市 同郷団体の特質 を示す ものころに存在す る団体である と れる。 この点が地縁 と重 な らな くてである と思わ 成立す る学校 の同窓会 との違いで も学縁 だけで
るであろ う次 に加賀浴友会の下位単。 ある と考 えられ の会 員 【事 例
2】
につ い て位 の団体 である向友会 る。 1965 (昭和 40 と りあ げ る こ とにす 身の公衆浴場業者 に )年 に主 に小 松 市 向本 所 町 出 の活動 は月に一回、 よ り向友会 は結成 された。会 行 っている。 年 中行例会 と会で積み立 ての貯金 を を兼ねて郷土の神社事 として年 に一回、秋 の総会 土 の温泉で一泊 してである白山神社へお詣 りし郷 ち回 りで郷土の寺か い る。 毎年 11月 には各家持 てい る。 また、創立ら住職 を招 いて報恩講 を行 っ10周年 創立記念式典 を催 している。ご とに郷土 の温泉 でさ⑨ ⑪ ⑫ 区を見 てみる と日末
である といえる都市 同郷 団体である。 出身地 につ いて見 てみる と石川県小松市 向本折町であ り市町 村合併 によ り小松市 に合併 されるまでは石川県能 美郡苗代村字 向本所 とい う先程 の 日末町 と同様 に 自然村であった と考 え られ る ところであ る (図
9
参照)。表
6
・図7
よ り 【事 例2】にお い て は、 【
事 例1 】
と同様 に、血 縁 ・姻 戚 関係 、地 縁 を 「っ て」
に して大阪の公衆浴場業へ進 出 して きたことが う かが える。 向本所町か ら大阪都市圏の公衆浴場業 界へ進 出す る一つの契機 になったのは、戟前、大 阪で浴場経営 を して成功 していた K.On氏 が戦 時 中に K.On氏 の嫁 の実家 が あ る向本所 町 に疎
湯浅 :都市 同郷 団体 の生成 と変容
開 していたことである。戦後、向本所町 に疎 開 し ていたK.nO 氏が大阪へ戻 り、再 び公衆浴場経営 で成功 す る と向本 所 町 か らK.On氏 を 「っ て」
に して大阪都市圏の浴場経営 に進出す る人が出て きた とい うことである。 ⑦E.Mo氏 も大阪で公衆 浴場 を経営す るの に K.On氏 の世話 になった と
ヽ いっ 。
次 に都市 同郷 団体 を構成す るパーソナルな社会 的ネ ッ トワークを詳細 に見 てみることによ り都市 同郷団体 における社会的ネ ッ トワークの分析 をよ り密 に してい くことを試みてみ る。 事例 としては 加賀浴友会 の初代 会長 であ る Y.Kg氏 の 自著 の ライフヒス トリーか ら Y.Kg氏 をめ ぐって、出
表 7 【事例 2】向友会 の会 員 (向友会 の総会 員数 は 1998年度 の時点 で 30名)
①Y.Mk (小松市 向本所 町出身)
②H.Id (小松市 向本所 町出身)
③E.Ny (小松市 向本所 町出身)
④A.Mh (小松市 向本所 町出身)
⑤E.Kd (小松市 向本折 町出身) (むH .Mt (小松市 向本所 町出身)
⑦E.Mt (小松市 向本所 町出身)
⑧Y.Mt (小松市 向本所 町出身)
⑨S.Mm (小松市 向本所 町出身)
⑲T.Kb (小松市 向本所 町出身)
⑪H.Tb (小松市 向本折 町出身)
⑫Y.Tb (小松市 向本折 町出身)
⑬S.Ms (小松市 向本所 町出身)
⑭E.Td (小松市 向本折 町出身)
⑮Y.Rt (小松市 向本所 町出身)
⑯ S.Mk (小松市 向本所 町出身)
⑰T.Mz (小松市 向本所 町出身)
(∋Y.Mkの姉 の婿 (∋Y.Mkの姉 の婿 (DY.Mkの姉 の婿
②H.Idの姉 の婿
(むH .Mtの兄
⑥H.Mtの兄
⑦E.Mtの浴場へ釜 た きに来 た (⑦ の父親が経営 していた時代 )。
(砂H .Mt ⑦E.Mt (釘Y .Mtの従姉妹 の婿
⑥⑦⑧ の父親 と⑪ の父親が知人で、それ を頼 って東京 か ら大阪の浴場へ移住
⑥E.Mtと知人であ り、E.Mtの話 を聞いて、E.Mtが釜 た きを していた浴場 に 入 る。
G.N (加賀市柴 山町出身)の ところへ釜 た きに入 る。
G.N (加賀市柴 山町出身)の妹 の婿
向本所 町出身者 と結婚 している Ks (不動産業) を頼 って移住
⑮Y.Rtと同 じく Ksを頼 って移住
小松市矢崎町出身者で向本所 町出身者 と結婚 してい る K.On (戦時 中、向本折 町 に疎 開 していた) を頼 って移住
図 8 向友会会 員の 「っ て」の社会 的ネ ッ トワーク
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