制度フレームとインセンティブ設計 : 太宰春台の
「常平倉」論における経済社会安定化論
著者 西岡 幹雄
雑誌名 經濟學論叢
巻 56
号 4
ページ 75‑116
発行年 2005‑02‑28
権利 同志社大学経済学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004803
【論 説】
制度フレームとインセンティブ設計
―太宰春台の「常平倉」論における経済社会安定化論―
西 岡 幹 雄
は じ め に
近世日本において「常平倉ノ法」とは,米価の調節を主な目的とする政策を さし,一般に米穀が豊作の時は政府(幕府など)で買い入れ(糴),逆に不作時 には米穀を放出する(糶)ことを通じて,「諸色ノ貨物」の基準である米価を恒 常的に「平準」化する一連の政策を意味している.このような米価政策が,物 価安定化に資するとともに,経済変動を制御するように位置づけたのは,太宰 春台による『経済録』(1729)であった1).
この政策手段の導入は,たんに経済的意義だけにとどまるものではない.江 戸開府以来,社会意識として希薄であった「国制」と「交易」との間で生じた 矛盾にさいし,「経済」学本来の目的である「治安」(経済社会の安定化)にとっ てどのような知識と制度設計がこうした矛盾の解消に有効なのであろうかとい う経済社会全体のあり方がかかっていたからである.
「天下国家」と「利」との間で矛盾が生じ,しかも長期的に「天下」の利益
1)太宰春台 (延宝8 年‐延享4 年;1680−1747). 名は純,通称弥右衛門,字は徳夫.居宅は紫芝
園.信濃・飯田藩士の子として生まれ,但馬・出石藩に出仕したが,10 年間の他藩出仕禁止の処分 をうけ,貧窮生活のなかで京坂での勉学に励んだといわれる.荻生徂徠に入門,徂徠学の経学面で の後継者とされ,徂徠学派の主要人物として著名である.しかし,後述するように,「経済」思想で は必ずしも師である徂徠学説と同様ではない.春台の前半生については,田尻(1995)「一.前半 生」を参照のこと.下総・生実藩に出仕して以後は浪人となるが,学者として名声を博する.「享保 の改革」の推進者たちの中に春台門下生(黒田直邦や本多忠統など)が登場するのは,この浪人時 期以降である(尾藤,1972,490-492 ページ;辻,1972,3-4 ページ).
を低下させても「利」を優先させてしまう行為を禁じることが不可能な場合,
あるいは「天下」の利益が増加するようにした方が一時的に「利」を制限して もよいことが明らかな場合,「時務」の緊要性によって制度を設定することが
「利用厚生ノ道」に照らして,果たして「益」となるであろうか.もしそうなら ばどのような政策システムが政策当局にとって社会との意識共有を推進し,実 効あるものとして,コスト便益的に「民利」の納得を獲得することができるよ うなルール化であろうか.
太宰春台以降の常平倉論をめぐるさまざまな経世論を考えることは,私的利 益の適化行動が「公共」の利益との間で乖離し,これが矛盾として非外部性と して「天下国家」に認識される時,いかにインセンティブ設計を組み込んだフ レームを制度として設定し,「利用厚生ノ道」から「治安」につなげていくかと いう,厚生的「経済」の思想の課題を明らかにすることにほかならない.
1
春台における「経済」学1. 1 春台の「経済」学の方法
春台にとって,「経済」学とは,「経綸」(治世済民の方策)をもって天下と国 家を治めること,経世済民のことにほかならず,世を経営し,民を救うという のが本義である2).したがってその知識とフレームは,理世安民3),民が安心し
2)「凡天下国家ヲ治ムルヲ経済ト云,世ヲ経メ民ヲ済フト云フ義也,経ハ経綸也,周易ニ,君子以 経綸スト云,又中庸ニ,経論天下ノ大経ト云ヘル是也,経綸トハ,絲ヲ治ムルヲ云,布ノ縦ヲ経ト 云ヒ,横ヲ緯ト云,工女絹布ヲ織ル云,先ヅ経ノ絲ヲ治テ,其縷ヲ條達スルヲ経ト云,此方ノ言ニ,
布ヲヘルト云是也,綸ハ絲ヲヨル也,又経ハ経営也,毛詩ニ,『経始霊台経之営之』ト云ヘル是也,
経ハ度也ト註ス,度ハハカルトヨム,此方ノ俗語ニ,ツモルト云意也,宮室ヲ造営スルニ,初ニ其 事ノ全体ヲツモリテ処分スルヲ,経ト云也,済ハ済度ノ義ナリ,ワタルトヨミ,ワタスト読ム,川 ヲ渡リテ向ノ岸ニ到ルヲ済ト云,周易ニ,既済未済ノ卦アリ,尚書ニ,『弘済干艱難,康済小民』ナ ドトアル,皆是義也,又救済ノ義也,スクフト読ム,人ノ苦ミヲ救也,又成也ト註ス,事ノ成就ス ルヲ云,此数ノ義アレドモ,帰スル所ハ一致也,畢竟事ヲ治テ,其事ノ成就スル意也,堯舜ヨリ以 來,歴世ノ聖賢,心ヲ尽シテ言ヲ立テ教ヲ垂タマフハ,皆此経済ノ一事ノ爲也,聖人ノ道ハ,天下 国家ヲ治ヨリ外ニハ所用ナシ」(太宰,1729,394 ページ).
3)「才学見識ハ古人不及トモ,聖人ノ書ヲ読デ,頗ル義理ニ達セバ,如何ニモシテ此一大事ノ為ニ,
心力ヲ竭シテ理世安民ノ術ヲ世ニ宣布スベシ,サモアラバ,萬物ノ霊ト云ニ負カズシテ,天地ノ徳 ニ報フコト有ベシ,聖人ノ経済ハ,六経ニ載テ昭々タリ」(太宰,1729,395 ページ).
て暮らすことができる枠組みを考え,そのための制度を「建立」し,これをも って道の実体を具体化する作業にほかならない.
しかしこうした「経済」設計が「先王ノ道」4)もしくは「聖人ノ道」5)である とすれば,「草埜ノ民」「東都処士」の一人にすぎない春台がこのような「経済」
学の設計に加わって良いものなのであろうか.
徂徠学における春台の意義は,心学や朱子学におけるような「分」の立場を 越えて,社会政治経済問題を本来の問題として直視したことにある.朱子学が たとえ,「誠意正心ノ説」を唱え,「天下ヲ蒙古ニ取レテ,天子海ニ浮ベルニ,
陸秀夫ガ徒,船中ニテ日々大学章句ヲ講ジテ,涙ヲ流シ」(太宰,1729,385ペー ジ)ても,政治経済問題と対峙して,新たな方策を生みだすことにはつながら ない.その所行は勧善懲悪の道学か,これを講じるための「乞食頭陀ノ行」に すぎないのであって,せいぜい「分」の徳を追求しているにすぎない.その意 味でこれは赤穂浪士の認識や行為と変わらない.つまり誠意正心といっても,
制度化につながらない道学では無力である.とても「俗智」を越えた体系性が あるとは思われない.
しかし徂徠の思想にしても,「経済」設計は,先王もしくは聖人の道だから,
制度を立てることのできる者が公共の役目を議論しても,そこに参加できるわ けではない6).道全体ではなく,「分」に沿う先王の道の補完的役割の方が役に 立つ.伝統的朱子学や石田梅岩「心学」以来の個々の「分」に応じた人々の特 化と分業によって社会での貢献を果たすという点で,徂徠以降の徂徠学的展開 は,一方では,服部南郭7)のように,「分」の役割の強調について軌を一にする
4)古代の中国の聖天子.儒教では,帝 堯
ぎょう
・帝 舜
しゅん
・禹
う
王・湯
とう
王・文王・武王などをさす.
5)最も高い人徳を身につけ,知恵のすぐれた人のことであるが,中国では,上記の注での「先王」
と同様,堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公旦などをさす.
6)したがって他学に対する徂徠学的な批判自体が,儒者のめざすべき内面性喚起によって社会を支 える「道」の規範に背馳するという批判を生んだ.徂徠のいう「古文辞」への傾倒は,「先王ノ道」
と儒者の社会的存在とのギャップを埋める行為にほかならなかったということができる.「文献学的 戦略」を通じて「社会を創出した古代先王に伏せられた本来の意図が何であるかを明らかにしよう」
とした徂徠の方法については,Najita(1987),p.23(邦訳,54-5 ページ),もしくは宮川(2002)
第2 章参照.
動向を孕んでいた.
だが,そうなると社会秩序を守る上で重要視されるべき基準である「礼」は,
等閑視される.礼とは,「人ニ入ルコト深ク,其ノ及ブ所広クシテ,効ヲ得ルコ ト甚ダ速」であるゆえに,法家のように,「法令計リニテ国家ヲ治ルハ,……便 利ナル様ニ思へドモ,永安ノ計ニアラズ」(太宰,1729,409ページ).「礼ヲ制ス ルニハ,聖人ノ事ナレドモ,礼ハ義ヲ以テ起コスモノナリ」(太宰,1729,409ペ ージ).経世済民を具体的に基礎づける「礼楽刑政」,とりわけ人間の心を統御 する規範である「礼」に対して,聖人の学である「経済」学をすじみちを立て て「義」として学んだ者が,どうして公共の政治や制度を語ってはだめなので あろうか.先王聖人の道(古典古代)をもととし,孔子にしたがい,和漢の往蹟 を考える義をもつがゆえに,「今日ノ事務ヲ論ズルコト的切」,つまり時務を論 ずることは緊要で適切である(太宰,1729,393ページ).もし「聖人ノ道信ズル 心アラン人必ズソノ旨ヲ会得」すべきである.「純ハ草埜ノ民ナリ」「ナンゾア エテ賈生ガ為ニ倣ンヤ」,草埜が経済社会の施策や思想を語りうることができる というのが,春台が目指した「経済」学の立場であった.
春台によれば,「経済」を学ぶ者をもって「学者」というのであり(「学者皆此 事ヲ学ブ者也」(太宰,1729,395ページ)),
是ヲ捨テ学ズシテ,徒ニ詩文著述ヲ事トシテ,一生ヲ過ス者ハ,真ノ学者ニ非ズ,琴 碁書画等ノ曲芸ノ輩ニ異ナルコトナシ,假令一世ノ工ヲ極テ,其名ヲ宇内ニ高クスト モ,只自己ヲ楽ミ,世ノ玩ト成ノミニテ,国家ノ為ニ其益少ケレバ,聖人ノ大道ヲ無 用ノ閑事トナス,其罪ノガレ難カルベシ(ibid.).
徂徠以降の服部南郭らの「分」の道による「徒ニ詩文著述ヲ事トシテ,一生 ヲ過ス」生き方は,春台からすれば「曲芸ノ輩」にほかならず,「只自己ヲ楽
7)服部南郭(天和3 年−宝暦9 年;1683−1759).京都の商家に生れ,和歌をたしなみ,柳沢吉保
に出仕.後に荻生徂徠に学び,その文学面を継承した.市井にあって,文学を儒学から解放させる のに貢献があった.
ミ,世ノ玩」にする「芸者」にすぎない.これでは聖人(先王)の道による国 家救済について政治や制度,そのコントロールのために「聖人ノ書ヲ読デ」す じみちを立てて「義理ニ達」した者が,「世ニ宣布」すべき社会的役割をどのよ うに果たしているといえるのであろうか(ibid.).
徂徠の限界と春台の課題は,人民のほうで仁義が判断不可になるだけではな く,制度化への参加も一方的に決められ,公の上部決定にしたがわざるを得な いとすれば,公にかかわる場合,一方的に決められてしまうことの良否を「経 済」学の体系ではどのようにとらえられ,いかなる手法で方法的妥当性を学問 的に見いだすのかが課題として残っているといえる.
1. 2 春台の経済モデルの設計の仕方
春台によれば,経世済民を具体的に基礎づける「礼楽刑政」,とりわけ人間の 心を統御する規範である「礼」にもとづき,聖人の学である「経済」学をすじ みちを立てて「義」として学んだ者が「理世安民」のための制度化を論議する ことは,公共の基準として認められるべきものであった.「足食足兵,民信之 矣」という言葉通り,司馬遷以来,「太史公〔司馬遷〕古往今来ヲ考テ,当代ノ 経済ヲ論ズル事,如此ソレ詳也,是ヨリ後ノ国史ヲ作ルモノ皆是ニ倣テ,一代 ノ経済」は「誠ニ萬世ノ法」で「尤モ重キ」ゆえに,人民の利となるような方 策(政策)を用いて,彼らの便宜を図ること,そしてこれにより民の生活が安ん じて安定した(「治安ニ懸念無ク」)豊かな生活をなさしめる方向を探ることにな る.
とりわけ,司馬遷が看破したように,「経済」学の問題は,天下の政治の
「物度・軌則ノ基」(物差し・度量衡を律する)ことであり,中国風にいえば,禹
(先王)から始まる経済社会のディレンマを究明しこれに対処できる仕組みを提 案することになる.そのなかでもとくに成長メカニズムに関心が置かれるので はなく,(1)銭穀の政,(2)物価平準化策に見られるように,狭義の経済学の 構図が,むしろ実物界の数量調節とこれをバランスさせることのできる貨幣界
との調整(物価変動)パターンと,それを通じて安定した生活を営むための治安 の安定化フレームにつながるとすれば,この関心は一連のマクロ的経済政策の 是非に集中することになろう8).
(「経済」)「学者」の役割は,この意味で,後王もしくは政治指導者の方向を 手助けをするため,先王の道にもとづいた制度のルール化を提言して,これが 狭義の「経済」学の場合,治安の安定化とそのための一連のマクロ的経済政策 を提案して,「天下」の阻害を減らす方向の一端を担うことになる9).具体的に は,「治安ニ懸念無ク」なさしめるための基礎として礼義にもとづくルールの枠 組みが緊要であり,その中で「理」にもとづく法(政策・勧告)が設定される.
それゆえ「理」にもとづく法は,「治国天下」の利害を調整するインセンティブ 構造を内在させ,「民」の利害衝突が起きた場合,それによる摩擦を減らして,
社会安定化に寄与する役割が埋め込まれる必要がある10).
狭義の「経済学」のテーマが,「銭穀ノ政」として,「人民必利病ノ係ル処」
8)漢帝国の成立にともなう国家経費(司馬,c.BC91,邦訳210-213 ページ)に加えて,対匈奴・対
南夷をめぐる経営費用が膨大となり,それがいかに経済政策,そして「風俗」を功利的仕組みに変 えてしまい歪みをもたらしてしまうのか(司馬,c.BC91,邦訳213-234 ページ),しいてはこれらの ことがいかに天下を危うくする「時勢」を加速させるのかという点で,司馬遷独自の「平準」観が ある.「太史公言」にしたがえば,「世が安寧なれば,学校を設けて教化を興し,本(農業)を先に して末(商業)をしりぞけ,礼儀をもって利を防ぐが,事変わり故多く,世が乱れれば,またこれ と反する.物さかんなればかならず衰え,時極まればまた転ずるもので,時代により一質一文,た がいに相承けるのが,終始の変である.禹貢(『書経』の篇名)に,『九州おのおのその土地のよろ しき所,人民の多少するところによって貢を納る』とあるが,湯武は夏の承けて世態をかえ,民を 倦まないようにした.おのおの競々として治を図ったのであるが,時代の経過に従ってまた衰えた のである.……古〔秦〕はかつて天下の資財をつくして上に奉養したが,皇帝はなおもって足らな いとした.しかし,これには別の仔細があるわけではない.時勢の流れが激しておのずからそうな ったもの,何の怪しむに足ることがあろう」(司馬,c.BC91,邦訳235-237 ページ).「平準書」の 内実(秦およびそれまでの歴史的な経済動静を語りつつ,実は司馬遷の生きる武帝期のマクロ的状 況)と,李陵事件から『史記』の完成に至るまでとの間には密接の関係があるという想定に関して は,加地(1978),112-117,134-136 ページ参照.
9)ナジタはこうした春台の経済思想的特徴を,「経済危機の深刻化の下で,春台が考えたのは,既存
の半自立的な幕藩システムにおけるドラスティックで広範な新たなデザインが平和と福利の望むべ き帰結(the desired result of peace and well-being)を生みだしうる」とした点で「創造的で概念的 なフレームワーク(a creative conceptual framework)」として捉えた(Najita, 1991, pp.611-612). 10)ただし,この点で春台には,なお社会全体(政府,地域,住民が一体になって経済社会)がその
厚生を考える,あるいは公共的政府や制度を語るといった抽象性はなく,その後の竹山やその影響 を受けた学者たちとの間には距離を残しているといえる.
(太宰,1729,397 ページ)であり,したがって民の生活上不可避の実物・貨幣界 での矛盾を解消するための制度設計にあるとすれば,「先王」の基準11)は,実は
「今日ノ事務ヲ論ズル」にあたって,「人々ノ心不同」であるゆえに,「先王ノ礼 ヲ以テ規矩トセザ」ること(太宰,1729,411 ページ)も当然おきるであろうし,
「古来経済ノ不同」(太宰,1729,397 ページ)であることも考慮に入れなければな らない.つまり,「今日ノ事務ヲ論ズル」にあたって,経済の制度フレームにも とづいて経済作用は解明され,その中でのインセンティブ構造にしたがって,
「制度ヲ増減」させることが必要であり,かつそれにふさわしい方向に誘導設計 されなければならないであろう.
「前代ノ制度ヲ減裁スルヲ,損ト云,増加スルヲ,益ト云,論語ニ所損益可知也ト 云ヘル是也,損益ハ一事ノ上ニモ在コト也」(太宰,1729,397 ページ)
その意味で制度の「損益」が経済の歴史的展開を特徴づける.そして制度設 計を考慮するにあたっては,「経済不同」「制度不同」を基軸に据えて,それを 導き出す方法的考察が予め考えられていなければならないということになろう.
1. 3 制度化の「損益」を考えるための「経済」学の四要素
学者が「知ルベキコト四ツ」の要素とは,いわゆる「経済」学の方法論的基 本にあたる.
「此等ノ義ヲ以テ,古来経済ノ不同ナルコトヲ知ルベシ,凡経済ヲ論ズル者,知ル ベキコト四ツアリ」(太宰,1729,397 ページ).
「古代ヨリ近世マデ」の制度と「今ノ世」のそれとが経済の歴史的展開の中 での「義」が異なれば,「民ノ利病」の下では「四民ノ間」での「互ニ利」が
11)先王の礼とその外的形式性を彼の儒学的世界像の転換と見る見解について,小島(1994),参照.
非協調行動として現れる.たとえ協調行動が「常理」として恒久的な公共の利 益だとわかっていても(太宰,1729,403 ページ),「今ノ世」が「人民必利病ノ 係ル処」であれば,それは「四民皆困窮スル制度」として放置されることにほ かならない.言い換えれば,歴史的展開の中では「古来経済ノ不同」であるか ら,非協調行動に伴う「利」を「減少」させ,あるいは協調行動に伴う利を刺 激して「増加」させるために「制度ヲ増減」させて,その「損益」によって,
銭穀の政や物価平準化を通じて「治安」をはかることが望まれるのである.
こうした制度化の「損益」を考えるために,春台によれば,「経済」学の方法 論的基本としては次の四つの要素が不可欠であるという.
1. 3. 1 「時」
「時」とは,単なる時間を表すのではなく,相互の関係において位置づけら れる場(比較体制上の変化も含めて)によって空間とともに,認識上生じた事象,
諸事実を説明するための,時間,年代,時世のなりゆきなどの時期条件をも表 す(太宰,1729,398-400 ページ).
1. 3. 2 「理」
春台にとって,理とは,「理ハ道理ノ理ニ非ズ,物理ノ理也」(太宰,1729,
400ページ)という.つまり,自然法則としての「物理」と,道徳規範としての
「道理」とが判別される12).このことは,材質や現象を気というのに対して,そ の根底にあるすじめのたった本性として両者を一体化して体系化した「性理学
(宋学)」「理気二元論」と異にする.理とは,人の順い行くべき道理,「条理」
「道理」「義理」の意味とは一線を画し,自然の法則を求める科学的にとらえる 視角,物事のすじみちの論理として「自然ノ理」が設定されたのである.
一般に儒教的世界観においては,物理を意味する「理」が同時に道理を意味 する「誠」と等置され,天道と人道,自然法則と価値規範は軌を一にするもの
12)「物理トハ凡ソモノニハ必理アリ」.「水火ノ如キ,水ハ潤下シ,火ハ炎上スル,是自然ノ理ナリ,
其理ニ逆ラヒテ,水ヲ上ヘ上セ,火ヲ下ヘ下スコトハ決シテ能ハズ,如此物々ニ必ズ理アル如ク,
天下ノ事ニモ,必ズ理アリ,政ヲナシテ其理ニ逆ラヘバ,大事モ小事モ決シテ行ハレズ」(太宰,
1729,401 ページ).
として考えられている.そこでは自然法則が倫理的規範と不可分な関係にあり,
自然現象のなかに倫理的な価値判断がたえず混入してくると同時に,人間現象 そのものが自然の理法と結合してしまうことを意味する.自然学と倫理学がそ れぞれ固有の領域を確保しえなかったということは,儒学に見られる政治・道 徳のあり方と天上における日月星辰の運行とをパラレルにとらえる発想,ある いは「格物窮理」思想のような自然と倫理を一体視していたことに現れる.春 台にとって,朱子学もそうした理説の発想であるといっていることにほかなら ない.
しかも師である徂徠ですら,依然朱子学的な「理」を念頭に置いているため に,「理は定準なし」といった理をさらに自然学的方向から考察しなかった.こ れに対して春台は,「理」を究めるために「物理」的側面から方法的アプローチ に挑んだから,「凡理ハ,常アリテ定マレル者ナリ」と,師とは全く相反する定 義となっている(小島,1994,85 ページ).しかも春台の特色は,この自然法則 としての「理ヲ知ル」,「自然ノ理」を究明することが「経済」学のために不可 欠だとしていることである.その意味で,春台には政治経済社会の原則に対し ても,あるいはそれが直面する矛盾に対しても,「自然ノ理」にしたがってまず 合理的に考えようとしている.
したがってこの経済社会的ディレンマを解消するために設計される制度化も,
理との関係において進められることにつながる.彼の「経済」学モデルは「理」
が社会における内在性として理解され,その方法的基本がこの「理」の究明に 置かれることを意味する.
春台は「理」に経験法則的な意味を求め,それを政治経済に適用した.ただ し,これは合理的思惟を貫徹しようとするけれども,現実社会はつねにこうし た内在性の通りに進行するとは限らず,そこでは逸脱をしているかのようにも 思える予想の範囲を超える動きが現れる.
1. 3. 3 「勢」
春台のいう「勢」とは,そうした予期外の動態的動きである.「三ツニ勢ヲ知
ルトハ,勢ハ事ノ上ニ在テ,常理ノ外ナル者也」(太宰,1729,401 ページ). 水が火に勝つことが「理」であるにしても,少しの水では大火を消すことが できないたとえの如く,「勢」とは,「凡此類皆勢ト云モノニテ,常理ノ外ナル コト」(ibid.),通常の合理性の妥当範囲を超える部分が「勢」の概念である.
「天下ノ事ニ,理ト勢ト二ツアリ,理ヲ知テ勢ヲ知ラザレバ,大事ヲ行フコト能ハ ズ,勢ヲ知テ理ヲ知ラザレバ,大功ヲ立ルコト能ハズ,必ズ理勢ノ二ツヲ兼明メテ,
理ノ達セザル所ヲバ,勢ヲ以テコレヲ達シ,勢ノ行ハレザル所ヲバ,理ヲ以テ之ヲ行 ヒ,理ヲ以テ勢ヲ主ドリ,勢ヲ以テ理ヲ佐ケ,理勢相済シテ,両ナガラ其用ヲ尽ス」
(太宰,1729,402ページ).
つまり,政治経済は,収束する場となる理とダイナミックに展開する「勢」,
という全体の依存性から現実が成り立っていることを意味する.ここには動態 としての,加速的あるいは累積的な「勢」,おのずと進んで行く力などの「勢」
に対して,それが行き着くところの理との方法的補完性が強調されていると見 てよい.
1. 3. 4 「情」,「効用」,そして「好悪,快苦,喜憂」
最後の基本的認識「人情」について.「人情ヲ知ルトハ,天下ノ人ノ実情ヲ 知ル」ことである.この実情とは「好悪,苦楽,憂喜」等の人間の基本的な心 情の正負をさしていうのである.人間全般の活動はこの「情」に根ざしている のであり,この情の実情を無視しては,いかなる「政事」も永続することがで きない.「人情ニ協ヘバ,民従ヒ易シ,人情ニ悖レバ,民従ハズ.人情ニ協フ トハ,人ノ好ミ楽ミ喜ブコトヲ行フナリ.人情ニ悖ルトハ,人ノ嫌ヒ苦シミ憂 フルコトヲ行フナリ.」(太宰,1729,402 ページ).このような情重視の考え方は 感覚によっておこる心の動き,人の心の働きによるさまざまの思いを越えて,
朱子学が人間の基本的な事実性を無視していたことに対するものである.むし ろ計量的ともいえる快苦的な勘案を人間判断の基準に据えて,まず二項対比的
に人情を素直に是認できなければ経世済民の道も立てることはできないであろ う.
このことは,「経済」学をより倫理的側面の立場からこれらの前提を明確にし ている『聖学問答』によれば,「純〔春台〕ガ愚意ニオモフニハ,是非ノ心トイ フヲ改テ,取捨ノ心トイハバ可ナラン.己ガ身ニ損害アル事ヲ捨テ,利益アル 事ヲ取ルハ,人々ノ情ニテ,君子小人,皆此心アリ. 趨避去就
オモムク・サクル・サル・ツク
,皆此類ナ リ.利ニ趨キ害ヲ避ケ,苦ヲ去リ楽ニ就ク,皆是取捨ノ心ナリ.是スナハチ自 己ノ便利ヲ求ル心ナレバ,賢キ心ニテ,智ノ端ナリ.是ヲ先王ノ道ニテ養立レ バ,君子ノ智トナル.其ママニテ捨置ケバ,小人ノ智トナルナリ.然レバ取捨 ノ心ヲ智ノ端トイフベキ者ナリ」(太宰,1732,81 ページ).
つまり,およそ人間は「君子」であろうと「小人」であろうと13),「功利」的 意味では同一の側面があるのであって,これがたとえ武士であっても,「士大夫 ハ大抵義ヲ知リテ道ヲ守ル心アル者ナレバ,士大夫人情ニ協ハヌ政ニモ,情ヲ 抑エ情ヲ制シテシバラク従ヘドモ,本来心安カラヌコトナレバ,自然ニ法令ニ 違ヒ,制禁ヲ犯ス者出来ルコト必然ノ理ナリ」(太宰,1729,402 ページ)という 春台の言にある通り,武士は公共社会のことを考える者であるから,一時的に は私的利益を抑えることができても,士が民の一員である限り,長期的には自 己の利益の増進を抑えることは「理」として不可能であろう.非パレート最適 的にいえば,私的利益は長期的公共利益にはつながらず,やがて私的利益の増 進(非協力行動)によって長期的な公共利益が損なわれることを承知で,「自然 ニ法令ニ違ヒ」罪を犯す者が出てこざるを得ない「必然」的な社会構造となっ ているというのである.
「人情ニ悖タル政ノ永久ニ行ワレタルハアラズ,古ノ聖人ノ政ハ,皆人情ニ協ヒタ ル者也.……大要ヲ云ヘバ,好悪ノ二ツ也.……人情ノ好悪ハ,上ニ云ヘル物理ノ順
13)「君子」とは,徳の高い立派な人もしくは位・官職の人をさし,「小人」とは,人格が低くてつま らない人あるいは身分の低いことをさす.
逆ノ如クナルモノナリ,少モ是ニ逆ラヒテハ,人心服従セズ,其服従セザルニ及デハ,
天下ノ力ニテモ是ヲ強ルコト能ハヌ者也」(太宰,1729,403 ページ)
つまり「人情」にもとづく利益追求が行われ,これを実現しようとした「争 競ノ心」14)が万民それぞれにとって「必然ノ理」である.しかしこれが,結果 的に全体の問題を解決できず,劣悪な状況を招くとしたら,自己犠牲をしても,
究極的には,それを果たさない人の利得になってしまうならば,これが「天下」
や社会組織の全体の利益と結びつくのであろうか.
春台の経済学は,まず,「時理勢ノ三ツヲ知リタル上ニ」,「此等ノ人情,常 理ニテハ知リ難シ,必ズ其人ノ身ニ成替リテ察スルセザレバ,其ノ実情ヲ得ル コトナシ」……「只ヨク学問シタル上ニ,其品々ノ人ニ近ヅキテ, 親マノアタリニ其事ヲ 見聞シテ,一々ニ其人ノ身ニ成替リテ,其隠微ノ処ヲ深ク察シ,其所業ト其言 語トニ意ヲ注デ,精ク思惟スレバ,其大要ヲ得ル也」(太宰,1729,403-404 ペー ジ),すなわち「惻隠之心,仁之端也」(「公孫丑上」『孟子』)は,人を思いやり,
その身に置き換えて,「精ク思惟」する前提がなければ,「時理勢ノ三ツ」にも とづく「常理」そして私的利益を是認する「情」とを無視したものとなり,そ れでは「経済」学をつくりだすことはできない15).
このように見ていけば,あくまでも「人情ノ好悪ハ,上ニ云ヘル物理ノ順逆 ノ如クナルモノナリ,少モ是ニ逆ラヒテハ,人心服従セズ,其服従セザルニ及 デハ,天下ノ力ニテモ是ヲ強ルコト能ハヌ」ことを前提にした春台の「経済」
学は,自分の利害だけでなく,他人に「成替」て「精ク思惟」によって行動せ ぬ限り16),自分の行為を社会的な環境の中で位置づけることはできず,他人の
14)「人ノ心ニ本来辞譲ノ心アルコト無シ.是モ羞悪ト同ク,聖人ノ礼義ノ教ヲ受テ,後ニ出来レル心 ナリ.凡天下ノ人,争競ノ心ナキ者ハ有ラズ.争競ハ,アラソヒ,キソフナリ.キソフトハ,人ト ハヲクリアフナリ.人ト争テハ,人ニ勝ンコトヲ思ヒ,人ト競テハ,人ニ後レジト思フ.是人情ナ リ」(太宰,1732,79 ページ).
15)『聖学門答』によれば,「人情ナレバ,内ニハ争競ノ心モ起レドモ,辞譲スベキ義ヲ思テ,勉強ス ルナリ」(太宰,1732,80 ページ)と,人間の情に対して,礼による「辞譲スベキ義」にもとづい て努力して学ぶものが「経済」学の基本ということになる.
16)『聖学問答』では,「凡何ニテモ,利ニ就キ害ヲ去ベキ事アル時ニ,其義ヲ思惟シテ」(ibid.)と いう表現になっている.
立場からの評価もその協調効果も期待できない.
1. 4 「利用厚生ノ道」による探求
時,理,勢,そして情を組み込んだ彼の体系は,「銭穀ノ政」を「利用」と
「厚生」の基準にしたがって,つまり利を誘導して諸資源を「理ニ合フヨウニ用 イテ」,民の生活を厚くさせる,人々の生活を恒常的に安定させ,豊かに充実さ せる人民の生活を豊かにすることにおかれている.
「尚書ノ大禹謨17)ニ,三事ヲ言フ,二ツニ利用,三ツニ厚生ナリ.銭穀ノ政ヲ収ムル ハ,利用厚生ノ道ナリ」(太宰,1729,396 ページ;cf., 488 ページ)
その意味で利を用いて,(実物的・貨幣的)諸資源を有効に活用し利益になる よう配置分配し,その合理的決定の基準にしたがって,「経済」学は四民の厚生 が「治安ニ懸念無ク」安定させるように設計する学問という性格をもっている.
こうした「銭穀ノ政」とは「聖人」「先王ノ道」にしたがって,「天下」の情報 を利用して行動し,正しい予想のもとで経済活動が行えるよう誘導する基準で あるということができる.
しかし,春台にとって「経済」学は,「利用厚生」の基準が,「先王」以来の
「経済ノ道」を「不易ノ定法」とする「古ヲ稽ヘ古ヲ師トスルヲ貴ブ」だけで は,「眼前ノ利害ニ眩ンデ,後ノ慮ヲ忘レル」事態にすでに陥っていると考えら れている.
武士といえども,公共社会に協力的行動をとるより,人情の常として,「皆人 情ニ協ヒ」,それがまた「人情ノ好悪ハ,上ニ云ヘル物理ノ順逆ノ如ク」であれ ば,公共社会の持続条件は失われており,結局,私的利益の増進(非協力行動)
17)『書経』の中の編の一つ.孔子による編纂とされた五経のうちの一つで,堯舜から秦.穆公に至る 政治史(おもに王や臣の言行)を記した中国最古の経典.古来,漢代には『尚書』ともいったので,
このように記されている.
は社会を損ない,制度的環境に根幹的なダメージを与えている.しかしそのこ とによって万民もまた,公共社会や制度から恩恵に恵まれることなく,自らの 自己の利益も生みださない結果を招くであろう.
春台の考えた経済学のモデル化は,一方では,時,理,勢,情に「協フ」状 況にできれば,「利用厚生」による「古ノ制」という理想が実現できるかもしれ ないが,他方では,「後王」の「今ノ世」が,「情」によって公共社会から乖離 したものである限り,「古ノ制」の基礎条件は傷つけられ,「物理ノ順逆」とし ての「人情」と,公共利益としての「政」とは,構造調整する必要が迫られる ことになる.
したがって,「経済」学モデルとその主体(「後王」もしくは政治指導者)が,
「先王ノ道」の基準にしたがっても事態への対処ができない場合,そこに深刻な 社会ディレンマが生じ,マクロ不均衡を調整しなければならない段階に至る.
そのため,「後王」には,万民救済のために「天下」を対象とする国益創出の 一端を担いうる「制度建立」(政治主体の積極的な法治的規範の導入する方策)を行 う必要があると春台は認めていることにほかならない.
「人々ノ心不同」で,「先王ノ礼ヲ以テ規矩」とする考慮行動の拠は,基準 の手本として安住することができない.なぜなら,「凡テ人ハ自己ノ便利ヲ求ム ル者ナレバ,王者兼テヨリ礼法ヲ定置ザレバ,天下ノ人,皆己々ガ便利ニ任テ 事ヲ行フ故ニ,天下平均ナラズ」,「上ヨリ法令ヲ出シテ,此事ヲ如此セヨト命 ズレバ,姑ク之ヲ守レドモ,民ノ身ニ少ニテモ便利ナラヌコトアレバ,竊ニ其 法ヲ用ヒズ」からである.「誠ニ人情ニ通ジ,物理ヲ明メ,礼義ノ原ヲ究テ,今 日ノ事務ヲ知ラバ,即今古ニナキコトモ,義ヲ以テ起スベシ,況ヤ今日ノ人事 古ニナキコトアラザルヲヤ」(太宰,1729,411-413 ページ)だからである.
そこには,「後王」を手助けすることが「経済」学の一義的な役割であって,
社会全体(政府,地域,住民が一体になって経済社会)がその厚生を考える,公共 的政治や制度を語るところに至っていない.
「今ノ世」が「古来経済ノ不同」を前提にする限り,「経済」学は,私的利益
に長期間にわたって沿う「国風」となるよう,「情」にできるだけ相反しない18)
ように,非協調行動に伴う「利」を公共社会利益のために「減少」させる,あ るいは協調行動に伴う「利」を刺激して公共社会利益を「増加」させる.その ためには「制度ヲ増減」させて,その「損益」によって,銭穀の政や物価平準 化を通じて「治安」をはかるプログラムなのである.すなわち,四民が「皆 己々ガ便利ニ任テ」,「己々ノ利」を追求することが「風儀」であるにしても,
「利」による非協調行動が,究極的に「常理」としての恒久的な公共の利益を 損なうならば,「先王ノ礼ヲ以テ規矩」しなくとも,「四民皆困窮スル制度」に 代えて積極的な法治的規範の導入する方策(「制度」の設定)の学が「経済」学 なのである.
春台が『経済録』第五編の「食貨」(つまり「銭穀ノ政」と「平準」)の中で大 きなページ数を割いて力説した「常平倉ノ法」導入をめぐる提案は,こうした 構造的ルール化(経済政策の導入)によって「人情」と公共利益の「政」との間 に生じる矛盾をインセンティブ設計にもとづく制度化によって解消し,協調行 動を促して「情」の伸張に沿いながら,非協調的な「情」を「制禁」しようと した試みにほかならない.
2
「常平倉ノ法」と「交易」「融通」「利ノ配分」2. 1 常平倉
「常平倉」とは,古代中国で始まり19),日本でも古代から穀価調節等のため
18)「士モ民也」(太宰,1729,491 ページ)として,士といえども四民である限り,その例外ではない.
19)中国・戦国期以来,常平倉にあたるものが存在したと言われるが,「常平倉」という表現で史書に
登場するのは,「漢ノ耿寿昌ガ行ヒシ常平倉ノ法」というように,『漢書』「食貨志第四上」を嚆矢 とする.「時大司農耿寿昌,以善為算能,商功利得幸昌於上,五鳳中,奏言,故事,歳漕,関東穀 四百萬斛,以給京師,用卒六萬人,宜糴三輔弘農河東上当太原郡穀,足供京師,可以省関東漕卒過 半,又白増海租三倍,天子皆從其計.
御史大夫薫望之奏言,故御史属除宮,家在東莱,言,往年加海租魚不出,長老皆言,武帝時,縣 官嘗自漁海,魚不出.後復予民,魚廼咄,夫陰陽之感物,類相応.萬事尽然.今寿昌欲近糴漕関内 之毅,築倉治船.費直二萬萬余,有動衆之功,恐生早気,民被其災,寿昌習於商功分銖之事 其深 計遠慮,誠未足任.宜且如故.
上不聴,漕事果便,寿昌遂白,令辺郡皆築倉・ ・ ・ ・ ・ ・
,以穀賤時,増其賈而糴以利農,穀貴時減賈而糶,
名日常平倉,民便之.上廼下詔,賜寿昌爵関内侯,而蔡癸以好農,使勧郡国,至大官」(黒羽,1980,
235ページ).なお,傍点は引用者によるもの.小竹訳『漢書2』,444-445 ページも参照のこと.
に設けられた政府設置の穀倉を意味した.公く廨がいより財源を拠出された常平倉が 諸国に設置され,穀価の変動による利潤を通じて,運脚の救済,穀価の調節に あてた(天平宝字3 年〈759〉)20).後に常平倉は廃され,代わって平安期には穀価 調節や賑給のため,しばしば京中に常平所が設けられた.
転じて,近世において「常平倉ノ法」もしくは「常平」とは,米価の調節を 主な目的とする政策をさし,一般には米が豊作の時は国家で買い入れ(糴),逆 に不作時には米を放出する(糶)ことを通じて,「諸色ノ貨物」の基準である米 価を恒常的に平均化する,一連の「平準」化政策の遂行を意味している21).
2. 2 「常平倉ノ法」
春台は,『経済録』第五編「食貨」の中で,「常平ノ法」をこのような米価政 策が,物価安定化を通じて経済変動の制御に資するためばかりではない.これ は公共社会利益のために寄与する非協調行動に伴う「利」を「減少」させ,あ るいは協調行動に伴う利を刺激して「増加」させるための「制度ヲ増減」の具 体的プログラムとして,「四民皆困窮スル制度」に代わる「治安」のための積極 的な法治的規範の導入する方策として位置づけた.
それではどうして「漢ノ耿寿昌ガ行ヒシ常平倉ノ法」が,「今ノ世ニモ行ハル ルコト」として,この『経済録』で取り上げられなければならないのであろう か.「食貨」は,古来よりすべての人間の「治生ノ道」(暮らしを立てる,生業の よる標;『尚書』「洪範」)であるが,人民が利を用いて生を厚く(「利用厚生」)し
20)令外官の一つとして,左平準令・右平準令の下に左・右平準署が設定され(左平準署は東海・東 山・北陸を担当し,右平準署は山陰・山陽・南海・西海を担当),米価を安定させ,運脚(地方か ら京都まで物資等を輸送してくれる輸送担当)の救済にあたるための常平倉を管理し,官米の管理 運用,京内の米価調節をつかさどった.後には,飢饉などの時に貧窮した民衆に官米を廉売するた めの常平所となり,最終的には木工寮がその機能を吸収した.
21)『経済録』の時期は,「経済」全体を体系的に政治経済論として再構成しようと中国歴代の漢籍書 から抜粋・編集され始めた時期とも重なる.たとえば,青木昆陽のように,「常平倉」の問題に限ら ず,「経済」にかかわる事象と中国の歴代王朝の事績から編纂・上程したり,あるいは南宮岳のよう に,「常平倉」「社倉」「義倉」の機能が中国史上とくに議論された宋代の事績から言及しているの も,政治経済対策のための参考資料という性格があった(青木,1736;南宮,1767).
て,生活が安全で安定できる(「治安ニ懸念無ク」)ことについては,「食」(必需 品)と「貨」(必需品以外の「物」,幣,銭)との間で「交易」(「此ト彼ノ物ヲ取替ル コト」)による「融通」(「有無ヲ通ジル道」)によって,「利」を増やし,「利用厚 生」に従って「利」を配分する必要がある(太宰,1729,487-488ページ).
この「治生ノ道」に精勤するものも,「食貨ノ道」を心がけるものも,「利用 厚生」を容易にする「交易売買」の過程を経ることで「衣食計リニテモスマズ,
……平生ニ無テ叶ワヌ物モ数多ク」得て,「利」にあずかることができるのであ る.「食貨ノ道」を「交易売買」の過程を経ることで「利用厚生」を容易にで きる「太平ノ世ニ生マレ」れば,「民ハ食ヲ以テ天トストイウコトヲ人知ラザ」
り,「乱世」もしくは「治世ニテモ,凶年饑歳ニテ,米穀ノ乏シキ時ニ当タリ テ,金銀ニテ米穀ヲ求難キコトアラバ如何セン,是金銀ノ徳ノ不及道理顕然」
といいながら,「米穀モ布帛モ即時ニ出来ル」一般等価性(流動性,交換性),
「労煩」のない「入腰佩」での支払いの便宜さゆえに,「米穀賤シメテ金銀ヲ貴 コト,古代ヨリモ甚ダシ」(太宰,1729,488,490-491 ページ).「当代」を分析す るために春台は,師である徂徠が諸侯貴人から庶民に至るまで「旅客ニテ居住 スル」状況と指摘した以上に,さらにこうした米穀から金銀への価値逆転を
「万事ヲ金銀ニテ行フ風俗」として組み入れる考察でなければならないとした
(太宰,1729,491ページ).22)
「古ヨリ米価ノ賤シキヲ太平ノ象」であったのに,どうして「今ノ世ニハ,
米価太賤シケレバ,四民皆困窮スルハ制度ノ不同ナリ.今ハ金幣ヲ尊ブヨフナ 類ノ時勢,是ヲ知ラズシテ政ハナシ難シ」(太宰,1729,506ページ)なのであろ うか.なぜ利用厚生の問題が「食貨ノ道」および米穀から金銀への価値逆転と して取り上げられなければならないだろうか.
22)「無恒産因無恒心」と管仲がいったように,「食貨ノ道」と,米穀から金銀への価値逆転とを利用 厚生の問題として対応しなければ,「産業」が定まらず,したがって礼義廉耻の「四維」も守ること ができず,「四維」が絶えれば,「飢寒」のゆえに本心を失い,常住の恒心も形成できない.「富国」
無くして「強兵」も「天下国家」も「漂流」して,「国家動乱」に陥る(太宰,1729,489-490 ペ ージ).
春台によれば,江戸開府による天下統治は,
(1)「東都輻湊」
(2)「分」の集積現象
(3)「天下ノ諸侯人民迄」,四民が「旅人」「旅客」となる事態
(4)「民ノ利病」の深行と「興利策」の必要の究明にかかっている.
(1)「東都輻湊」,より多様な貨物が江戸の集荷し,そのため混雑現象をバラ ンスさせるため,転運均輸の必要とこれに対する利用厚生の観点から,「交易売 買ノ道」が生じた.これはこれまでの「米穀」中心の道理を一般等価性(流動 性,交換性),「労煩」のない「入腰佩」の便宜さから「金銀ヲ貴ブ」状況を生 みだしたが,同時にこの過程で「分」の集積が起こった.
「分」の集中は「治生ノ道」の分散にしたがって,「人々ノ心種々不同」で 多様な「分」を生みだし,今度は,「無恒産因無恒心」の通り,この「分」の 累積的な形成に対応するため,社会的分業がいっそう深化し,(2)「分」の集 積現象という事態を生みだした.
この「当代」の状況は,(3)春台の師である徂徠が「諸侯貴人ヨリ庶民ニイ タルマデ旅客ニテ居住スル萬事」23),四民が「旅客」「旅人」となっても一向に 構わぬ集積の利益を江戸にもたらした.江戸に誕生した巨大都市は消費社会で
23)こうした言葉は,徂徠の「是皆武家旅宿ノ境界ニテ,制度ナキ世界故,知行ノ米ヲ売払テ金ニシ テ,商人ヲ頼テ用ヲ足サネバ今日ガ立チ難キ故ナルニ依テ,商人ノ勢盛ニ成ヨリ,自然ト商人ニ権 ヲトラレテ,此クノ如ク町人ニ極楽ハ出来ルコト也.去バ世界ノ困窮ノ本,大概上ニ言タル旅宿ノ 境界ニ,世話シナキ風俗ト,制度無キニ依ルコトナレバ,是ヲ救ンニハ,兎角制度ヲ立ザレバ不叶 コト也故」(荻生,1727,317 ページ)という認識と表現によっている.しかし,「利」から導き出 される「利用厚生」と長期的な「治安」とのディレンマに対して,「理」にもとづく「制度増減」の 設計によって「損益」の展開させようという意識は,徂徠にはない.たしかに春台以前に,熊沢蕃 山(1619-1691 年)には「富有」をめぐって「己利」と「世間」との間でパラドックスがあり,「豊 年」で「すたる米」を出しているにもかかわらず,「武士・百姓つまりたれば,工商も困窮す.是天 下の困窮なり」(熊沢,1686,416 ページ)ということを意識していた.しかし,「米金銀銭きらひ なく取遣」にしても,「すたる米」も諸色奢侈による「天下の困窮」も「すたる」事象そのものに歯 止めをかけ,過剰になるような開発策の類を阻止することで,「富有」のパラドックスの解消の糸口 になるという蕃山の立場は,「今ノ世」のディレンマの解消を常理とすべく,「利」のイノセンティ ブをシステムに組み込んだ制度の導入によって,四民の「利用厚生」と「治安」とを調和させよう とした春台の見解に関していえば,その経済社会観において違いがある.
あるという以上に,もはや江戸自体が,「分」体制による集積現象によって一個 の「風俗」と化している.
(4)これら「風俗」「風儀」として「今ノ世」が経済生活的・社会的・文化 的基礎として「治生ノ道」として組み込まれている以上,これらを満足させる
「利」を深く掌握せずして,四民生活を安定化させる方向は築けず,四民の「精 勤」「産業」や「恒心」も,「四維ニヨル富国強兵ノ道」も解明できず,「今ノ 世ノ難」を避けることはできない(太宰,1729,488-491 ページ).
こうした「東都輻湊」,「分」の集積現象とその「風俗」に伴う四民の「旅 人」の深化・拡大が,(4)「民ノ利病」の深行させる事態とそれに適応するた めの「興利ノ説」を考慮に入れた「銭穀ノ政」と「平準」化を考察の対象にす ることにより,「分」の多様化と集積に応じて生じた新たな「当代」を「思惟ス ル」ことができるのである.「利」の「風俗」に対する「興利策」を「今ノ世」
の「得失利害ノ弁論」の基盤にすることは,「民富メバ国モ富ム」という「産 業」と「治安」の基底となる「民ノ常ノ情」を形作る「買売ノコトヲ精勤スル」
ことを通じて,経済社会の展開に不可避な要素なのである(太宰,1729,490-493 ページ).24)
2. 3 「交易」「利ノ配分」軸と米の糶糴軸
「食貨ノ道」と「利用厚生」は,「交易売買ノ道」と,(1)「東都輻湊」(2)
「分」の集積現象,(3)四民の「旅客」「旅人」化によって,「交易」と「利ノ 配分」の軸ではそれぞれ「農人」(「穀ヲ作リ出ス者也,租ヲ納テ其余ヲ売リテ諸色ノ 用ヲ調フ」),「士人」(「君ヨリ田禄ヲ賜リ此禄ヲ以テ,衣食ヨリ以下諸色ノ用ヲ足ス
24)礼楽にもとづく興利,「東都輻湊」そして「利用厚生ノ道」のジレンマ解消,常平倉の法などの制
度効果から,「平準化」→四民の「治生ノ道」へ至る展開は,興利策によるジレンマ解消の限界か ら,才・徳・能兼備の豪傑による「渡海・運送・交易の以有無」による「国中の産物に盈闕もなく 成,物価平均」により「自然治道」(物量調整を制度化してジレンマを解消する経済安定化策)に 及ぶという,(春台「利用厚生ノ道」の批判的継承による)本多利明の「自然治道」への方向も想 定できる.本多利明による「自然治道」自体の解釈については,拙稿(2000a)を参照されたい.
者」),「工人」(「器物ヲ作リ,四体ヲ動カシテ米ニ易ル者」),そして「商賈」(「貨物 ヲ売リテ米ヲ糴フ者」)によって利を追求する「分」に応じた「風俗」が急速に進 む.しかし同時にそれは,米の糶糴の軸からいえば,糶である「士農」と糴で ある「工商」とが利害を異にする場面を生みだす.
このことは,交易と「利ノ配分」の軸で互いに利害を異にし,米穀の軸では 二項対立のようになっている「利」を,「協フ」ような「興利」状況を考え併 せて四民の利が「興利説」として求心力をもって「富国」へ赴くよう社会に促 すこと,非協力的な四民が全体の利益に反して一人で富を得て蔓延することを 阻止できる制度化が重要になることを意味する.もしこのような構造戦略がで きるような状況とそのルール化の導入が可能であるならば,興利の問題とディ レンマの問題を併せて解消する方向をめざす「経済」学によって,「古道ヲ以テ 今ニ行ハントスレバ,時ト齟齬シテ行ハレズ,ソノ行ハレザルニ及ンデハ,古 道終ニ国家ノ治ニ益無シト言ントス,是大イナル誤」(太宰,1729,400 ページ)
であることが明らかになる.「人心不同」な状況が「人情」である「今ノ世」に あっても,「宋儒ノ説ニヨリテ,自己ノ心ニテ中ヲ定ム」という「己ガ身ヲ聖人 ト思ヘル大イナル罪」を犯さずとも,「先王ノ礼」を貴ぶことにより,「礼法」
にもとづく制度化によって,「礼ハ義ヲ起コス」ことができる(太宰,1729,412 ページ).「国ニ礼アレバ,民慾ヲ恣ニスルコトヲ得ザル故ニ,風俗ソノ本ヲ失ハ ズ,淫靡ニ流ルルコト無シ,風俗正シケレバ,国家蕃昌也.是礼ハ国家ノ守也」
(ibid.)として,個別の利と国益を調整して,朱子学が難問とするような「人心 不同」であっても,制度化によって「銭穀ノ政」の持続性と経済社会の安定化 を誘導できると春台は明らかにしているのである.
これまで「古ヨリ米価ノ賤シキヲ太平ノ象」,「太平ノ効トイフハ,米穀豊饒 ニテ,民食乏シカラザルヲ美タル也」(太宰,1729,503 ページ)と言ってきた.
これとともに「治生ノ道」と「利用厚生」が「古ノ善政」で考慮されたように,
「乱世」あるいは「凶年饑歳」には「金銀ノ徳ノ米穀ニ不及道理」を露呈する
(太宰,1729,491 ページ)ことも事実である.
しかしそれにもかかわらず,これらの考え方は,交易と「利ノ配分」を軸に する限り誤りである.「実ハ其時モ米価太賤ケレバ,士ト農トハ害ヲ受ル也,然 レドモ古代ヨリ近世迄ハ,四民ノ間ニハ米ヲ以テ萬事ノ用ヲ弁ジテ,金銀ヲ使 フコトハ当代ノ如クニハ非リシ故ニ,米価賤クテモ,米穀豊饒ニテ倉ニ盈ル程 ナレバ,士人モ農人モ困究スルコト無カリシ也」(太宰,1729,503 ページ).交 易と分配の軸による限り,「士農」が「害ヲ受」ていたことには変わりはない.
ただ,交易と分配の軸よりも,米の糶糴の軸によって「四民ノ間ニハ米ヲ以テ 萬事ノ用ヲ弁ジ」ていたために,「米価賤クテモ,米穀豊饒ニテ倉ニ盈ル」作用 から,古は「士人モ農人モ困究スルコト無」ったように見えたにすぎない.
しかし「今ノ世」では,(1)参覲制とお手伝いなどもあいまって江戸開府は
「東都輻湊」現象を引き起こし,(2)「分」の集積現象,(3)これにより四民の 間では「交易」が活発化し,貨幣の媒介を通じて「皆旅人」となるという「古 今ノ政ノ不同」の事態になり,「金銀ヲ以テ萬事ノ用ヲ達スル故ニ,米価貴ヶレ バ士人悦ビ,米価賤ケレバ士人困ム」状況に至った(ibid.).
こうした春台の意図は,第 1 図で表しているように,彼が『経済録』の中で 把握していた「太倉」の米価記述と,実際,当時,幕府による米穀換算価格の 動向とから容易に見て取ることができる.実線三角マークは,自家給米以外を 差し引いた蔵米取りの幕府旗本・御家人の俸禄米に対して,江戸城内中ノ口で 幕府勘定所が札差などの特定商人への換金基準価格として張出した張紙値段25)
を,金一両当たりの米量で換算してグラフ化したものである.この張紙値段の 決定は幕府勘定所が米を扱う日本橋近辺の米河岸と,幕府蔵米が商品化される 浅草御蔵前の五か町の上・中・下米の平均値段を基準にして決定していたので,
当時の江戸における代表的な米価の基準価格といえる.四角マークは,張紙値 段について5 ヶ年平均でトレンドしたものである.
25)「張紙値段」自体の意味については,幸田(1934);岩崎(1986),第4 章第1 節参照.張り紙相 場が吉宗以降どのような変遷で具体的に運用されてきたか,その一端については,『旧事諮問録』の 質疑で扱われている(旧事諮問会編,1986,上巻,68-70,308 ページ).
これに対して,網掛け菱形マークは,『経済録』で春台が記録した100 俵(35 石)当たりの「金幣ノ直」を一両当たりの米量で表したものである.これを見 れば,綱吉在位1680(延宝8)年〜1709(宝永6)年の期間中を境に,1 以下の 米安金高から米高金安に転じ,綱吉在位後半から,家宣,家継を経て,初期吉 宗の 1721(享保6)年に至るまでの 25 年間は,一貫して春台が言うとおり,
「米価貴金幣賤」の常態であった.この趨勢が1722(享保7)年以降『経済録』
が著される1729(享保14)年は明らかに「米価賤金幣貴」に趨勢が変化してい る(第 1 表参照).
第 1 図 金一両当たりの張紙値段と『経済録』の米価記述との関係 両当張紙値段変動値 5 カ年移動平均法 春台の米価
1677年 1679年 1681年 1683年 1685年 1687年 1689年 1691年 1693年 1695年 1697年 1699年 1701年 1703年 1705年 1707年 1709年 1711年 1713年 1715年 1717年 1719年 1721年 1723年 1725年 1727年 1729年
1.800 1.600 1.400 1.200 1.000 0.800 0.600 0.400 0.200 0.000 米 量
/ 金一 両
1 石> 1 両 1 以下の期間 元禄 9 年 1696 年〜享保 6 年 1721年 25年間 1 石< 1 両 1 以上の期間 延宝 5 年 1677 年〜元禄 8 年 1695年
享保 7 年 1722 年〜享保 15 年 1730年 第 1 表 「米価賤金幣貴」期間と「米価貴金幣賤」期間
「元禄ヨリ以来,米価ノ貴キコト是ヲ至極トス.然ルニ此時都下ニ飢餓ノ者無リシ ハ何ゾヤ.己卯(元禄12年〈1699〉)ヨリ以來,二十余年ノ間,米ノ貴キニ習テ,小 民治生ノ道ニ敏ク,且士人ノ手ヨリ金銀ヲ出スコト多キ故也」(太宰,1729,505ペー ジ).「士人ノ方ニ金銀多ク収マシバ,武人ハ利ニ疎キ者ニテ,金銀ヲ蓄ル心モ少キ故 ニ,一時ノ歓楽栄耀ニ,輙ク金銀ヲ出シ費ス,此時ニ於テ,工人商賈ノ輩,其利ヲ得 テ喜ブ,価ノ貴キ米ヲ糴ヘドモ,口ニ食フハ僅ニテ,利ヲ得ルコト多キ故,サノミ米 価ノ貴キヲ苦マズ,米価賤ケレバ,士人ノ方ニ金銀乏キ故ニ,工商モ却テ利ヲ得ルコ ト少シ」(太宰,1729,503ページ).
つまり,米価高騰→武家収入増加→武家の貯蓄性向は小さい(消費性向が高 い)→(利への関心が薄いから)消費額は増える→「工商」への需要が増える.こ れに対して工商層における米穀への欲求量自体さほど大きなものではないので
「食」に対する支出はあまり増えない→むしろ農士による工商への需要拡大によ って収入増→「工商悦」というのである.翻って言えば,(1)「東都輻湊」,
(2)「分」の集積,(3)四民が「皆旅人」を意識する状況になかった「古」で は,米価高騰→武家収入増加→武家の消費性向が「利用厚生ノ道」にとって重 要度はなく,交易と分の軸は糶糴軸に比べれば「当代ノ如」ではないのだから,
購買増→「工商」に対する需要による「治生ノ道」にとって決定的ではなかっ たということになる.したがって「昔」であっても,米価がそれほどの水準で なければ,武家収入の低迷を通じて,「工商」への需要停滞→四民の収入停滞 となり,かえって「其時ニハ飢餓ノ者」が現れ,「利用厚生ノ道」がそれだけ妨 げられることになる(太宰,1729,505-506 ページ).
2. 4 「交易」「利ノ配分」と糶糴における「今」,「古」と「昔」
春台にとって,「古」とは,江戸体制の(1)「東都輻湊」,(2)「分」の集積,
(3)「皆旅人」となる以前の,「交易」「利ノ配分」軸と糶糴軸が容易に形成で きなかった「時」を意味する.そこでは「金銀ノ徳ノ米穀ニ不及道理」として
も,それは「治生ノ道」と「利用厚生」の観点からすれば,「士人モ農人モ困 究スルコト無」ったように見えていたにすぎず,「太平ノ象」,「太平ノ効」とい うには不十分であったことということである.
他方,「昔」とは,「古」とは根本的に異なって,糶糴軸が「米価貴金幣賤」
あるいは「米価賤金幣貴」として推移し,「交易」「利ノ配分」軸を通じて,米 価高騰→士農の収入増加→とくに武家の消費性向が「工商」に対する需要に決 定的な影響を与え,ひいては四民の「利用厚生ノ道」にとって重大性をもつと いう点で,「古」とは根本的に異なっている.
したがって,「今ノ世」は「金銀ヲ以テ萬事ノ用ヲ達スル」のであるから,米 貴→金銀収入増→士悦→大きな出費の可能性→消費増という第一次効果だけで はなく,米貴→武家の大きな出費の可能性→消費増→工商糴貴⇒士農の消費増
→収入増→工商悦→工商消費拡大→「治安」(景気)安定という派生効果によっ て「四民皆悦」構造になっているのである.むろん米価が上がれば,「工商」だ って食に苦しむのであって,米穀以外の代替が容易に獲得できて,武家の支出 のみが増える,あるいは「工商」が糶側の購買需要に対して米穀以外の産物へ 要費支出しているということでなければ,また他財の価格水準が米価に連動し ないという条件がなければ,こうした派生効果は生まない.
しかし春台の力説は,米価の上昇が武家の金銀収入増になるという枠を越え て,米糶側(士農)の購買力の増大が,工商への有効需要増大となり,ひいて は「治安」を安定させ,四民の利用厚生につながるという視点にある.逆に言 えば,「米価賤ケレバ,士人ノ方二金銀乏キ故ニ,工商モ却テ利ヲ得ルコト少 シ,故ニ今ノ世ニハ,米価太賤シケレバ,四民皆困窮スルコト古代ヨリモ甚シ,
是古今ノ政ノ不同ナル処也,凡米価太賤ケレバ,士ト農トニ害アリ」(太宰,
1729,503ページ).米価が安いと,個々人の出費は少なくて利であるが,全体か
ら言えば,社会の購買力が減り,結果として「四民皆困窮スルコト古代ヨリモ 甚シ」となる.そして「東都輻湊」が「金銀ヲ以テ萬事ノ用ヲ達スル今ノ世」
にとって決定的に,「分」の集積をさらに高め,「交易」との比較で「東都」と