『法句経』と『老子』をめぐる写本上の若干の問題 について
著者 小池 一郎
雑誌名 言語文化
巻 8
号 3
ページ 485‑518
発行年 2006‑01‑20
権利 同志社大学言語文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000008530
﹃ 法 句 経
﹄ と
﹃ 老 子
﹄ を め ぐ る 写 本 上 の 若 干 の 問 題 に つ い て
小 池 一 郎
支 謙 は 梁
・ 僧 祐 編
﹃ 出 三蔵 記 集
﹄ 巻 十 三︵1 に︶
よ れ ば
︑ 大 月 氏 の 人 で
︑ 祖 父 が 後 漢 霊 帝の 時
︵ 西 暦 一 六 八
〜 一 八 九
︶ に 漢 に 帰 化 した
︒ 支 謙は 幼 少 の頃 よ り 学 問に 励 み
︑六 カ 国 語に 通 じ た
︒ま た
︑ 支婁 迦 讖 の弟 子
・ 支 亮記 明 よ り教 え を 受け た
︒ 後 漢 献 帝 の末
︑ 王 朝が 大 い に 乱れ た 時 に︑ 同 郷 の者 た ち と 南方 呉 に 逃れ て
︑ 呉主 孫 権 に 仕え
︑ 太 子の 教 育 係に 任 ぜ ら れた
︒ 黄 武 元 年
︵二 二 二
︶か ら 建 興 年間
︵ 二 五二
︑ 二 五三
︶ の 間 に︑ 外 国 語の 仏 教 経典 を 多 く 漢語 に 訳 した
︒ そ の訳 語 は
﹁ 文雅
﹂ で あ る と され る
︒ 訳経 の 中 には
﹃ 維 摩 経﹄
﹃大 明 度 経
﹄等 の 初 期大 乗 経 典の 他 に
︑﹃ 法 句経
﹄ や
﹃ 義足 経
﹄ 等の パ ー リ語 初 期 仏 典 も 含 まれ る
︒ 太子 即 位︵ 孫 亮 二五 二 年
︶の 後 は 山中 に 隠 れ︑ 六 十 歳の 時 に 亡く な った
︒ 現 存 の 漢 訳
﹃ 法 句 経﹄ 上 下 二 巻
︵﹃ 大 正 新 脩大 蔵 経
﹄ 巻 四No.210
︑﹃ 大 正 新 脩 大 蔵 経
﹄ は以 下
﹃ 大 正
﹄ と 略 す
︶ に は
﹁ 呉 天 竺 沙門 維 難 等訳
﹂ と あっ て
︑支 謙 の 名が 見 え ない が
︑ 上巻 の 末 尾に 付 せ られ て い る﹁ 法 句 経序
﹂ の 作者
﹁ 僕
﹂こ そ が支 謙 で あ り
︑﹃ 出 三 蔵 記 集
﹄ に 言 う
﹃ 法 句 経
﹄ が こ の 経 で あ る と 諸 家 に よ っ て 推 測 さ れ て い る
︒ 本 稿 で も
︑ 支 謙 を
﹃ 法 句 経
﹄
﹁言 語 文化
﹂ 8︱
3. 485
︱518 ペ ージ 二
〇〇 五 年 同 志社 大 学言 語 文化 学 会
© 小池 一郎
.
.
の 編 訳者 と して 扱 い たい
︒ この
﹃ 法 句経
﹄ に たと え ば
︑ 無 欲 無 有畏 欲無 く 畏 れ有 る こと 無 く 恬 無 憂患 恬
にし て 憂患 無 し 欲 除 使結 解 欲 除 き 結び め を して 解 か 使む 是 爲 長出 淵 是 れ 長 えに 淵 を 出づ と 為 す
︵第 三 十 二章 愛 欲 品・
﹃ 大 正
﹄五 七 一 頁中
︶ と 見 え て いる
︒﹃ 法 句経
﹄ が 依 拠 し て いる 原 典 は
︑ 後 に 述 べる よ う に 複 雑 な 様相 を 呈 し て い る が︑ そ の 中 心 的 位 置 を占 め る の は パ ー リ語
﹃ ダ ン マ パ ダ
﹄︵dhammapada
︶ で あ る
︒ 右 の 一 節 は
︑ こ の﹃ ダ ン マ パ ダ
﹄ で は
︑ 次 の よ う に な っ て い る
︒ テ キ ス トはPTS
︵PaliTextSociety
︶ 一九 九 五 年版
︵O.vonHinüber
とK.R.Norman
の 編
︶ によ る
︒ 訳は 筆 者が 付 し た︵ 以 下 同︶
︒
nit. t.han
.gatoasanta -sı-vı -tatan
. ho
anan .gan
. o
acchiddabhavasalla -niantimo’yam.samussayo.
Dhp︵ 四 章十 八 節
351vatta
︵ 2
︶︶
︵訳
︶究 極 に至 っ た
︑恐 れ のな い
︑ 愛よ り 離 れた
︑ け がれ の な い人 は
︑ 存 在 の 諸々 の 矢 を断 ち 切っ た
︒ その 身 体 はこ れ で 最後 で あ る︒ 漢 訳 と パー リ 語 原典 は
︑ 訳語 に 少 し意 味 の ズレ が あ る もの の
︑ 基本 的 に はう ま く 合致 し て いる と い えよ う
︒ 輪廻 思 想 が伺 われ て
︑ 興 味 深い 一 節 で あ る
︒こ こ で は
︑﹁ 恬
︵淡
︶﹂ と い う
﹃老 子 道 徳 経
﹄︵ 以 下
︑ 単に
﹃ 老 子
﹄ と略 す
︶ に 見 える︵3 言︶
葉
が こ こで 訳 語と し て 使わ れ て いる こ と に注 目 し たい
︒﹁ 恬
﹂︵ 何 事 にも 拘 ら ず︑ 心 が 静か で あ る︵4︶
︶ は︑ こ こ では
﹁vı-tatan
. ha
﹂
︵ 愛 欲か ら 離 れ た
︑ 語 尾-o は 主 格 形
︶ の 訳 で
︑ 適 訳と 言 っ て よ い で あ ろ う
︒﹃ 法 句 経
﹄ で は
︑ この 他 に 二 例
﹁ 恬
︵ 淡
︶﹂ の 語 が 見ら れ る
︒左 に そ れを 挙 げ る︒ 過罪 未 熟 過 罪 未だ 熟 せざ れ ば 愚以 恬
愚 かさ は 以 って 恬 た り 至其 熟 處 其 の熟 す る 処ところ に 至 れ ば 自 受 大 罪 自 ら大 罪 を 受く
︵ 第十 三 章愚 闇 品
︑﹃ 大 正﹄ 五 六三 下
︶ 対 応パ ー リ 語原 典 は 次の 通 りで あ る
︒ madhuva-maññatı-ba-loya-vapa-pam.napaccati yada-capaccatı-pa-pam.athadukkham.nigacchati.
Dhp︵ 第 五 章十 節
69vatta
︶
︵訳
︶悪 人 は︑ 悪 が 熟さ な い限 り は
︑そ れ を 蜜と 考 え
︑ 一 方 も し︑ 悪 が 熟し た 時 には
︑ 苦し み を 受け 取 る
︒ こ の例 で は
﹁ 恬
﹂ は
.︑﹁madhuva(madhumvaaññatı ---)m
﹂︵ 蜜と 考 え る
︶ の部 分 に 相 当す る こ と にな る が
︑ それ で は 余 り に も 原 意か ら 離れ す ぎ てい る
︒ 支謙 が 訳 出に 当 た って 見 た テキ ス トが こ れ とは 違 っ た可 能 性 も考 え な くて は なら な い であ ろ う
︒ と ころ で
︑こ の 一 節と 内 容 の重 な る 別の 一 節 が﹃ ダ ンマ パ ダ
﹄に は あ る︒ そ れ を次 に 引 く︒
pa-popipassatı-bhadram.ya-vapa-pam.napaccati
yada-capaccatı-pa-pam.athapa-popa-pa-nipassati.
Dhp︵ 第 九 章四 節
119vatta
︶
︵訳
︶悪 が まだ 熟 し てい な い限 り は
︑悪 人 で さえ も よ き目 を 見 る︒ そ し て
︑悪 が 熟 した 時 に︑ 悪 人 は諸 々 の 悪を 受 け 取る
︒ この 部 分 の﹃ 法 句 経﹄ は 次 の通 り で ある
︒ 妖
■ 見福 妖■せつ
も 福 を 見る 其 惡 未 熟 其 の悪 未 だ 熟さ ざ れ ば 至 其 惡 熟 其 の悪 熟 す るに 至 れば 自 受 罪 虐 自ら 罪 虐 を受 く
︵第 十 七 章悪 行 品
︑﹃ 大正
﹄ 五 六四 下
︶ 右 の 節 の一 句 目
﹁ 悪 人
﹂︵pa-po
︶ を
﹁ 妖
■
﹂︵ 不吉 な 兆 し︵5
︶︶
で 表 し た 以 外 は
︑ ほ ぼ原 典 に 即 し た 訳 に な っ て い る
︒ 先 に 挙 げ た 一 節で
﹁ 蜜 と考 え る﹂ に
﹁ 恬
﹂が 当 て られ て い るの に は
︑異 本 の 存在 の 可能 性 も 含め て
︑ なお 検 討 すべ き 問 題が 残 る︒
﹃法 句 経
﹄に は あと 一 箇 所﹁ 恬 淡
﹂の 訳 語 を用 い た 所が あ る︒ そ れ を次 に 挙 げ︑ や は り原 典 と 対 照し て み よう
︒ 持 戒 者 安 持 戒す る 者 は安 ら か なり 令 身 無 惱 身 をし て 悩 み無 か ら 令し む 夜臥 恬 淡 夜 に臥 す る こと 恬 淡 にし て
寤則 常 歡 寤さ めれ ば 則 ち常 に 歓 ぶ
︵第 五 章 戒慎 品
︑﹃ 大 正﹄ 五 六
〇下
︶
﹃法 句 経
﹄ 第 五 章 戒慎 品 の 原 典 は
︑ パ ーリ 語
﹃ ダ ン マ パ ダ﹄ に は 見 当 た ら ず︑ サ ン ス ク リ ッ ト に近 い 言 語 に よ る
﹃ウ ダ ー ナ ヴァ ル ガ
﹄︵ 一九 六 五
年︑F.Bernhard
によ る 校 定本 が 刊 行さ れ た
︒
︵ 6
︶︶
の 中 に相 当 節 が見 出 さ れる
︒
sukham.
s´ı -
lasama -da-nam.ka -yonaparidahyate/
sukham.ca
ra -trausvapatipratibuddhas´canandati//
Uv.︵
Ⅵ︱
3s´loka
︶
︵訳
︶戒 め を受 け と り守 る こと は
︑ 幸福 で あ る︒ 身 体 は悩 ま さ れな い
︒ 夜 に は 幸福 に 眠 り︑ 目 覚め て は また 喜 ぶ
︒
﹁ 恬 淡
﹂ は
﹁幸 福 に
﹂︵ 二 行
.目sukham
︑ 対 格 形で 副 詞
︒ 一
.行目sukham
は 主 格 で あ る︒
︶ に相 当 し
︑﹁ 何 ご と に も拘 ら ず
︑ 心 静 か に
﹂と い う漢 語 の 意味 が う まく 活 か され て い る︒ と ころ で
︑ この 一 節 では
﹁ 恬 淡、﹂ が 用 いら れ てい る が
︑先 程 の
﹃法 句 経
﹄ 第 十三 章 と 同第 十 七 章 では 共 に
﹁恬
■、
﹂ とな っ て い た︒
﹃ 中華 大 蔵 経﹄
︵ 第五 十 二 冊︶ 所 収 の金 蔵 広 勝 寺本
﹃ 法 句経
﹄ に お い て も 文字 の 異 同は 無 い の で︑ こ れ が元 来 の 形 であ る と 思わ れ る
︒一 冊 の 書 物の 中 で︑ な ぜ こ のよ う な 違い が 生 じ たの か
︒ そ の 原 因は
︑﹃ 法 句 経﹄ と い う漢 訳 経 典の テ キス ト 成 立事 情 に 関わ る も ので あ る と推 測 され る
︒ 漢訳
﹃ 法 句経
﹄ の テキ ス ト 成立 事 情は
︑ 先 に触 れ た
﹃法 句 経
﹄上 巻 末 に付 せ られ た
﹁ 法句 経 序
﹂に 詳 し い︒ そ れ によ る と︑ 当初
﹁ 葛 氏 七百 偈 本
﹂ が 伝え ら れ てい た が
︑満 足 で き る漢 訳 が なか っ た
︒ その よ う な折 に
︑ 天竺
︵ イ ン ド︶ 出 身 の維い 祇ぎ 難なん
が 呉
・ 黄武 三 年
︵二 二 四
︶ に武 昌
︵ 現湖 南 省
︶ に到 来 し
︑五 百 偈 本を
﹁ 僕
﹂︵
﹁法 句 経 序﹂ の 作 者
︑支 謙 と 考え ら れ る︶ に 授 与
し た
︒﹁ 僕
﹂ は 同 行 して き た 竺 将 焔 に そ の漢 訳 を 依 頼 し た が︑ 訳 語 の 文 章 が 未熟 で あ っ た た め
︑ 自ら が 簡 潔 に し て 要を 得 る よ うに 心 が けて
︑ 訳 し直 し た
︒ その 後
︑ 竺将 焔 が 再 度来 た っ て︑ 新 た に 十三 品 を もた ら し た︒ そ こ で
︑古 い も のを 校 定
︑ 増 補 し て 全 三十 九 品
︵
= 章
︶ 七五 二 偈
︵
= 節
︶ と した
︒ 竺 将 焔 の 新 たに 持 ち 来 た っ た の は︑
﹁ 法 句 経序
﹂ に 言 う
﹁ 九 百偈
﹂ 本 で あっ た と 推定 さ れ る
︒こ の
﹁ 法句 経 序
﹂の テ キ ス ト成 立 に つい て の 記 述は
︑ 近 年水 野 弘 元
︑中 谷 英 明等 の 研 究者 に よ っ て 現 存 の テ キ ス ト と の 比 較 対 照が 進 め ら れ
︑ 次 の よ う な 対 応 関 係 が 明 ら か にな っ た︵7
︒︶
︵ 引 田 弘 道校 注
﹃ 法 句 経
﹄︵ 新 国 訳 大 蔵 経
︑ 大蔵 出 版︑ 二
〇
〇〇 年
︶ 解題 を 参 照さ れ た い︒
︶
〇維
難 本= パ ー リ語
﹃ ダ ンマ パ ダ﹄ 二 六 品五 百 偈
︵九
〜 三 二・ 三 四
・三 五 章︶
〇竺 将 焔 本=
﹃ ウダ ー ナ ヴァ ル ガ
﹄十 三 品 半九 百 偈
︵一
・ 四〜 六
・ 八・ 三 三
・ 三六 半 章
︶
〇葛 氏 本
=対 応 テ キス ト 未 詳︑ 六 品 半七 百 偈
︵二
・ 三・ 七
・ 三六 半
・ 三九 章
︶ こ れか ら 見 て︑ 支 謙は 最 終 的に 三 十 九章 構 成 にす る 段 階で
︑ 葛氏 本 か らも 補 充 した こ と が分 か る
︒
﹁ 恬
■、
﹂﹁ 恬 淡﹂ の 相 違に 話 し を 戻せ ば
︑﹁ 恬
﹂ 二 箇所
︵ 第 十三
︑ 三 十二 章
︶ は どち ら も 維 難 本
︵ 原典
﹃ ダ ンマ パ ダ
﹄︶ に 属 し
︑﹁ 恬 淡
﹂︵ 第 五 章
︶ は 竺将 焔 本
︵ 原 典
﹃ ウ ダー ナ ヴ ァ ル ガ
﹄︶ に 属 し て いる
︒ 恐 ら く
︑ 竺 将焔 本 九 百 偈 の 漢 訳は
︑ 支 謙以 外 の 人の 手 に 成る で あ ろう
︒ もう 少 し
﹁ 恬 淡
﹂ を めぐ っ て 話 し を 続 け る︒
﹁ 恬
︵淡
︶﹂ は
︑呉 の す ぐ 前 の 世
︑ 後漢 で は
︑﹁ 恬澹、
﹂ の 文 字 を 使 っ た例 が ある
︒
・ 恬 澹 無欲
︑ 志不 在 於 仕︒
︵ 恬澹 と して 欲 無 し
︑ 志は 仕 う るに 在 ら ず︶
王充
﹃ 論衡
﹄ 定 賢論
・︵ 上 聖
︶恬 澹 無 爲︑ 體 道 履
︒︵ 恬 澹と し て 為す 無 く
︑道 を 体 し徳 を 履 む︶
王符
﹃ 潜 夫論
﹄ 勧将 篇
こ れ らは
﹁ 無欲
・ 無 為﹂ な る 人の 生 き 方を 言 う 点で
︑ 古く は
﹃ 荘子
﹄ 外 篇・
■きょ
篋きょう 篇 の
︑ 釋 夫 恬 淡無 爲
︑ 而悦 夫
■じゅん
■じゅん 之 意︑ 夫か の 恬 淡無 為 を 釈す て て
︑ 而しこう し て 夫 の
■じゅん
■じゅん の 意 を 悦ぶ
︒ に 見 え る
﹁恬 淡
﹂ の 理 解 の 仕方 の 延 長 上 に 位 置す る
︒︵
﹁
■
■
﹂ は
︑晋
・ 郭 象 の 註 に
﹁以 己 誨 人 也
﹂︵ 己 を 以 て 人 に 誨おし
う るな り
︶と あ る
︒︶ 後 漢・ 蔡
■
さ い よう
が﹁ 釈しゃっ 誨かい
﹂︵
﹃後 漢 書
﹄蔡
■ 伝
︶で 次 のよ う に 述べ る の も︑ 全 く 同じ 捉 え 方で あ る︒ 心 恬 澹 於守 高
︑ 意無 爲 於持 盈
︒ 心 は 高き を 守 るに 恬 澹 とし て
︑ 意は 盈 つ るを 持 つ に為 す 無し
︒
﹁ 持 盈
﹂ は
﹃ 老 子
﹄ 第 九 章 に
﹁ 持 而 盈 之
︑ 不 如 其 已
﹂︵ 持 ち て こ れ を 盈み た す は
︑ 其 れ 已や む る に 如 か ず
︶ と あ る の を 受 け る
︒ 唐
・慧え 琳りん
の
﹃一 切 経 音義
﹄ 巻 十六 に は
﹁恬
■
﹂ につ い て次 の よ うな 注 が つけ ら れ てい る
︒ 恬
︑下 宜 作 淡︑ 徒 甘 反︒ 漢 安 謂安 靜 也
︒經 文 從心 作
︑徒 甘 反
︒憂 心 如 憂 也
︒ 非 此 用
︒ 恬 は 下 宜 し く 淡 に 作 る べ し
︒ 徒 甘 の 反 な り
︒ 漢 安 謂 わ く 安 静 な り と
︒ 経 文 は 心 に 従 い て
■ に 作 る
︒ 徒 甘 の 反 な り
︒ 憂心 は 憂の 如 き なり
︒ は 此 の 用に 非 ず
︒ 一 方
︑隋
・ 陸徳 明
﹃ 経典 釈 文
﹄︵ 抱経 堂 本
︶の
﹁ 老 子音 義
﹂ には
︑﹁ 恬 澹
﹂の
﹁ 澹
﹂の 字 に つい て
︑ 徒 暫 反
︑本 亦 作
︑ 音 同︑ 又 音 談︑ 字 同
︑河 上 本作
︑ 徒 暫 の反 な り
︒本 亦 に 作 る︒ 音 同 じ︒ 又 音 談︑ 字 同 じ︒ 河 上本 に に 作 る︒ と 注 し
︑ こ れ に つ い て 清
・ 盧ろ 文ぶん
■しょう は
﹃ 老 子 音 義 考 証
﹄︵ 抱 経 堂 本
﹁ 老 子 音 義
﹂ 付 載
︶ に お い て
︑﹁ 王 弼 作 恬 澹
︑ 説 文
︑
■
︑ 憂 也
︑非 此 義
︑ 恢亦 形 近 而誤
﹂ と 述べ て い る
︒こ れ ら を見 る と
︑ど う も
﹁ 恬
﹂ に 分 が悪 い よ うで あ る
︒ ここ で
︑ 現存
﹃ 老
子
﹄ テキ ス トを 閲 す るに︵8︶
︑ 王 弼 注本 は
﹁ 恬淡
﹂ ま たは
﹁ 恬 澹﹂
︑傅 奕 古 本︵
﹃道 蔵
﹄ 本︶ は
﹁ 恬澹
﹂ で ある の に 対し て
︑ 想爾 注 本 と 河 上 公 本 は
﹁ 恬
■
﹂ と な っ て い る
︒ 河 上 公 本 は
︑ 六 朝 後 期 の 仮 託 と さ れ る の で
︑﹃ 法 句 経
﹄ 維 難 本 の
﹁ 恬
■
﹂ は
︑
﹃ 老 子﹄ 想 爾 注 本の 影 響 を受 け て い ると 考 え ざる を え な い︒ 竺 将 焔本 の
﹁ 恬淡
﹂ は
︑﹃ 荘 子﹄ か ら 借 りて 来 た か︑ 或 い は王 弼 注 系の テ キス ト に よっ て い るの で あ ろう
︒ なお
︑﹃ 文 子﹄ 精 誠 に
︑﹁ 靜 漠 恬
■、
︑ 胸中 廓 然 无 形
︑ 寂然 无 聲
﹂︵ 静 漠 恬
■、
に し て︑ 胸 中 廓 然 と し て形 无な く
︑寂 然 と し て 声 无 し
︶︑ また 同
・ 七 守︵ 守 静
︶に
﹁ 靜 漠 恬■、
た る は︑ 生 を 養う 所ゆ 以えん
なり
﹂ と 見 えて い る
︒﹃ 文 子﹄ は 従 来後 世 の 偽 書で は な い か と 見 ら れ てき た が
︑ 近 年 河北 省 よ り 残 簡 が 出土 し
︑ 漢 以 前 の成 立 で あ る こ と が確 認 さ れ た︵9︶
︒し か し な が ら
︑こ の
﹁ 恬
■
﹂ の 箇 所は 出 土 残簡 に は 含ま れ て い ない
︒ ま た︑ 現 在 我 々の 見 得 る﹁ 文 子
﹂ のテ キ ス トは
︑ 唐 代に な っ て から 編 纂 され た
﹃ 通 玄 真 経
﹄ で あ り︑ 当 然 に 先 行 の 道教 経 典
︑ 具 体 的 に は﹃ 老 子
﹄ 想 爾 注 本か ら の 影 響 を 受 け てい る も の と 推 定 され る
︒ 実 際
︑ 右 に 引い た
﹃ 文子
﹄ 七 守
︵守 静
︶ の箇 所 は
︑﹃ 文 選﹄ 巻 二 十六
・ 謝 霊 運﹁ 登 江 中孤 嶼
﹂︵ 江 中 の孤 嶼 に 登 る︶ 詩 の
﹁得 尽 養 生 年
﹂︵ 養 生 の年 を 尽 く すを 得 た り︶ 句 に 対 する 李 善 注で は
︑﹁ 文 子 曰︑ 静 漠 恬 淡、︑ 所 以 養生 也
﹂︵ 文 子 曰く
︑ 静 漠恬 淡 た る は︑ 生を 養う 所 以な り
︶と な って い て︑ 道 教経 典 の影 響 を 受け て いな い
︑﹃ 文子
﹄ の古 型を う かが い 知る こ とが で きる
︒ 同じ く 唐 代 編 纂
﹃ 南 華真 経
﹄︵ 荘子
︶ の 外 篇
・ 刻 意に も
︑﹁ 平易 恬
■、
︑ 則 憂 患 不 能入
︑ 邪 気 不 能 襲
﹂︵ 平 易 恬
■な れ ば
︑ 則 ち 憂 患も 入 る こと 能 わ ず
︑邪 気 も 襲う こ と 能わ ず
︶︑ ま た
﹁虚 無 恬
■、
︑乃 合 天 徳﹂
︵ 虚無 恬
■ なれ ば
︑ 乃 ち天 徳 に 合す
︶ と あ るの も
︑ 後 世 の 改修 の 可 能性 が あ る︵︶10
︒ 梁
・釈 僧 祐編
﹃ 弘 明集
﹄ 巻 一所 収 の 後漢
・ 牟ぼう
子し
﹃ 理 惑 論﹄ に も
︑ 此 中 士 所施 行
︑ 恬■、
者 所 不恤
︑
此れ 中 士の 施 行 する 所 に して
︑ 恬
■た る 者 の恤うれ
え ざ る所 な り
︒ と 見 える︵︶11
︒﹃ 理惑 論
﹄ の 序文 に よ ると
︑ 牟 子 は霊 帝 死 去 の後
︑ 一 旦交 趾
︵ 北 ベト ナ ム
︶ に難 を 避 けた こ と が あり
︑﹁ 仏 道 に 志 を 鋭 く し︑ 兼 ね て老 子 五 千 文を 研 し た﹂ こ と が ある
︒ 想 爾注 本 が 五千 言 の テ キス ト で あっ た と 考 えら れ る ので
︑ 牟 子も 同 系 統の テ キ スト に 触 れた 可 能 性が 強 く
︑﹁ 恬
■、﹂ の 語 はそ れ を 傍証 す る であ ろ う︵︶12
︒ 南方
︑ 想 爾注
﹃ 老 子﹄
︑仏 教 と いう 三 つ の接 点 で
︑ 支 謙と 牟 子 は 繋 が り をも っ て く る の で ある
︒ な お
︑ 内 容 的 に見 て
︑﹃ 理惑 論
﹄ の 成 立 は 三国 時 代 に 入 っ て か らの よ う に思 わ れ る のも
︑ 支 謙と 牟 子 の 同時 代 性 を示 唆 す る︒
﹃ 文選
﹄ 巻 四 十二 の 魏 文帝
︵ 曹 丕︶
﹁ 与呉 質 書
﹂に も
﹁ 恬
■、寡 欲
︑ 有箕 山 之志
﹂︵
﹁ 箕 山﹂ は 古 の賢 人 許 由 が身 を 隠 した 地
︶ と ある
︒ 李 善注 が 引 く﹃ 典 略
﹄ によ る と
︑こ れ は 後 漢・ 献 帝 建安 二 十 二 年
︵ 二一 七
︶ のこ と で ある
︒ 曹 丕も や は り五 千 言系 統 の
﹃老 子
﹄ を見 て い た可 能 性 があ る
︒
﹁ 恬
﹂と は
﹃ 老 子
﹄で の 本 来 の意 味 は
︑ 武 器の 取 り 扱 い 上の こ と で あ る︒ 武 器 は そっ と し ま っ てお く の が 最 上︵
﹁ 恬 為 上﹂
︶ とい う の であ る
︒こ の 所 の﹁ 老 子
﹂第 三 十 一章 原 文 は︑ 想 爾注 本
︵ 敦煌 写 本
﹃老 子 道 徳経
﹄︑ ス タ イン 文 書 六八 二 四︵︶13
︶ で は
︑ 恬■ 爲 上︑ 故 不 美︑
︵ 恬■ も て上 と 為 す︑ 故 に 美ほ め ざ る なり
︶ と あり
︑ 注 には
︑ 道 人 恬
︑ 不 美 兵也
︑︵ 道 人 は恬
とし て
︑ 兵を 美 め ざる な り
︶ と す る
︒﹃ 老 子
﹄ 第三 十 一 章 の 王 弼 注は 全 欠 で あ る が
︑同 第 六 十 三 章
﹁ 味 無味
﹂ の 注 で
︑ 王 弼は
﹁ 以 恬 淡 為 味
﹂ と述 べ て い て
︑ 王弼 の
﹁ 恬 淡
﹂ に つ い て の 関 心 の 在 り 所 が 分 か る
︒ 想 爾 注 で も
﹁ 恬
﹂ の 理 解 が 人 の生 き 方 を 示 す 方 向 に 向 か っ て い るが
︑ こち ら は
﹁武 器 を ほ め ない
﹂ と いう 点 か らは
︑ 一 歩も 外 に出 て い ない
︒
﹃ 法句 経
﹄ には 先 に 紹介 し た よう に
︑ 二例 の
﹁ 恬■
﹂ の 使用 例 が 見ら れ た が︑ さ ら に後 一 カ 所︑ 第 三 十六 章 泥
■品 の 章 序 に 当 た る所 に も
﹁ 恬
■ 寂 滅︑ 度 生 死 畏
﹂︵ 恬
■ に し て 寂 滅し
︑ 生 死 の 畏 れ を度わた
る
︶と 記 さ れ て い る
︒第 三 十 六 章 は 支 謙 が訳 し た章 で は な いが
︑ 章 序は 確 実 に編 纂 者 支 謙の 手 に なる で あ ろう
︒ さ ら に︑ こ れ は﹁ 恬
﹂ とい う 熟 語で は な い が︑ 第 二 十 八 章 道 行 品
︵ 維 本
︶ に
︑﹁ 楽 無 為
﹂︵ と し て 無為 を 楽 し む
︶ と 見 え て お り
︑ 後 漢 に お け る
﹁ 恬 澹
﹂ に 近 い
﹁
﹂ の 理 解 が
﹃ 法句 経
﹄ でも 始 ま って い る こと を 窺わ せ る
︒ こ こ で︑
﹃ ダ ン マパ ダ
﹄ の
﹁ 蜜と 考 え る
﹂ と いう 原 典 に
︑ 支 謙が
﹁ 恬
﹂ の語 を 当 て て い るこ と に つ い て
︑も う 一 度 考 え 直 して み よ う
︒万 一
︑ 支謙 が 見 た テキ ス ト が別 の も ので あ っ た なら ば
︑ また 違 っ た 角度 か ら の考 察 が 必要 と な るが
︑ 今 の と こ ろ
︑ こ の方 面 の 手 が か り が ない の で
︑ 原 典 に 文字 の 異 同 は 無 い もの と し て 考 え る
︒﹁ 恬
﹂ は も と︑ 武 器 を 武 器 庫 の奥 深 く 隠 して
︑ そ れ を 使 わ ない
﹂ と い う 意 味 であ る
︒ そ う す る と︑ 支 謙 訳 の
﹁ 愚 以恬
﹂ は
︑﹁ 愚 かさ は
︑ ま だ そ の 力を 内 に 秘 めて 静 ま っ て い る
﹂と い う 意 に 解 し うる
︒﹁ 蜜
﹂と い う 訳 語 を 避 けた 理 由 は 分 か らな い が
︑﹁ 恬
﹂ は
︑ 原 典
﹁蜜 と 考 え る
﹂ の 訳 語と し て
︑あ な が ちに 外 れ て いる と も 断言 で き な いで あ ろ う︒ 考 え よ うに よ っ ては
︑ 原 典の 意 図 す る所 を よ く言 い 当 て て い る とも 言 えよ う
︒ 引 田 弘 道
﹃ 法 句 経
﹄︵ 二 二 三 頁
︶ で は
︑﹁madhuv
a -
﹂
は﹁maddava
﹂︵ 柔 和 な
︶ の 可 能 性 が ある こ と を 示 唆 し て い る
︒ 確 か に
﹁madhuv
a -
﹂ は
﹁madhu
﹂︵ 中 性 名 詞
﹁ 蜜
﹂︶ に 違 い な い に し て も
︑﹁-uv a -
﹂ の 部 分 が 解 し が た く
︑﹁maddava
﹂ の 変 化 ま た は 誤 写だ と 考 え る と︑ 文 法 的 説明 は し や すい
︒ し か しな が ら
︑ ここ は
﹁madhum .
︵ 中性
・ 単 数
・対 格
︶﹂ の 抑 制 音﹁m .
﹂ が 落 ち て
﹁va -
︵ ま た
︶﹂ が 結 合 さ れ たと 考 え れ ば よ い
︒ ま た︑
﹁ 柔 和 な
﹂と い う
︑ 文 字 通 り 軟 らか い 意 味 の 語 が こ こに 入 る に は
︑
パ ー リ語 の こ の 一 節は 余 り に も緊 張 感 に 満ち て お り
︑支 謙 も
︑﹁ 柔 和 な
﹂に
﹁ 恬
﹂ とい う 重 い 意 味を 持 っ た 語を 当 て る こ と は なか っ た であ ろ う
︒
﹃ 帛 書老 子
﹄ で は
︑ 甲本 が
﹁ 恬
﹂を
﹁ 銛 襲
﹂︑ 乙 本 が
﹁銛 龍
﹂︵ また は
﹁ 銛
﹂
?
︶と し て い る
︒﹁ 銛
﹂ は﹁ 恬
﹂ の 仮 借 字 で
︑﹃ 説文
﹄ に
﹁ 恬︑ 安 也
﹂と あ る
︒ また
︑ 前 漢・ 揚 雄 の﹃ 方 言
﹄ 巻十 三 に 恬﹁ 恬
︑ 静也
﹂ と 見え る
︒ 二 字目 に つ いて は
︑ 私 は か つ て世 に 問 う た 論 文﹁ 帛 書 老 子 文 体 考﹂
︵﹃ 中 国 文 学 報
﹄第 二 十 九 冊
︑ 一九 七 八 年
︶ で
︑﹁
﹂ の字 を 当 て て い る
︒こ の 場合 の
﹁
﹂ は
﹁慴
﹂ に 通じ
︑﹁ ひ れ 伏 す﹂ の 意と 考 え た︒
﹁
﹂ は 古音 章 母 蓋部
︑﹁
﹂ は 古音 定 母 談部
︑ 蓋 談部 通 韻し
︑ ま た李 玉
﹃ 秦 漢 簡 牘 帛 書音 韻 研 究
﹄︵ 当 代 中 国 出 版 社︑ 一 九 九 四 年
︶ に よれ ば
︑ 馬 王 堆 帛 書で は 章 母 定 母 の 通仮 す る こ と が 多 い の で
︑﹁
﹂ と
﹁
︵ 淡
・澹
︶﹂ は音 が 近 か っ た と 思わ れ る
︒ 近 年 出 土の
︑ 帛 書 よ り さら に 古 い 写 本
・ 郭店 楚 簡
﹃ 老 子
﹄ は
︑ 帛書
﹃ 老 子
﹄ の 約三 分 の 一 程 度 し か原 文 が 出 土 し てい な い が
︑﹁ 恬
﹂ を 含む 現 第 三 十 一 章 の箇 所 は
︑ そ の 中に 含 ま れ て い た
︒ そ こ で は
︑ こ の 二 字 は
﹁
﹂ と 記 さ れ て お り
︑ 私 は こ れ も や は り
﹁ 恬
﹂ に 読 む べ き で あ る と 考 え た
︵ 拙 論
﹁ 郭 店 楚簡
﹃ 老 子
﹄校 注
︵ 下︶
﹂︵
﹃言 語 文 化﹄ 六 巻 三 号︑ 二
〇
〇四 年 一 月
︑参 照
︶︒ 池 田 知久
﹃ 郭 店楚 簡 老 子 研究
﹄︵ 東 京 大 学 文 学 部 中 国 思想 文 化 研 究 室
︑ 一九 九 九 年
︶ に こ の読 み 方 は 既 に 示 さ れて い る
︒ 一 方
︑ 廖名 春
﹃ 郭 店 楚 簡 老子 校 釈
﹄︵ 精華 大 学 出版 社
︑ 二〇
〇 三 年
︶で は
︑ 二字 目 は
﹁ 襲﹂ を 当 てる べ き であ り
︑﹁ 掩 蔵
︵ おお い か くす
︶﹂ と 訓 ず べき こ と を 主張 し て い る
︵ 同 書 五三 八
〜 五 四 四 頁
︶︒
﹁襲
﹂ は
﹁
﹂﹁
﹂ と 意 義 が 近 く︑ こ れ が 後 世 の
﹁憺
・ 澹
・ 淡
・
﹂ に繋 が る と い う の であ る
︒い ま
︑ 改 めて 考 え てみ る に
︑ この 部 分 は﹁ 兵 者
﹂が 主 体 の 文な の で
︑﹁ 静 かに お の のき
︑ ひ れ 伏し て い る﹂ 方 が
︑﹁ 静 か に 覆 い隠 さ れ てい る
﹂ より も
︑ 文に 力 が 有る よ う な気 が す る︒ い ず れに せ よ
︑﹁ 恬
﹂ と いう 語 は
︑﹃ 老子
﹄ の 古層 に 起 源を 発 する
︑ 重 要な 語 で あっ た
︒
支 謙 が︑ 仏 典 漢 訳 に 際し 老 荘 の 言 葉 を 用い て い る こ と につ い て は
︑ 従 来か ら 指 摘 さ れ てき た
︒ そ の 代 表的 な 一 例 と し て︑ 朝 山 幸 彦
﹁ 支 謙 と 老 荘 思 想
﹂︵
﹃ 印 度 哲 学 仏 教 学
﹄ 第 二 号
︑ 北 海 道 印 度 哲 学 仏 教 学 会
︑ 昭 和 六 十 二 年 十 月
︶ を 挙 げ て お く
︒
﹃ 法句 経
﹄ と の 関 わり で は
︑ 引 田 弘 道﹁
﹃ 法 句 経﹄
﹂ 訳 語覚 え 書 き
︱ 無 為 と自 恣
︱
﹂︵
﹃ 空 と 実 在︱ 江 島 恵 博 士 追悼 論 集
﹄ 春 秋 社
︑ 二
〇
〇 一 年
︶ に お い て
︑ 詳 し い 分 析 が な さ れ て い る
︒ い ま
︑ 特 に
﹁ 無 為
﹂ に 限 っ て 述 べ た い
︒ こ の 論 文 で は
︑﹁ 無 為
﹂ が いか な る 原語 の 訳 語と し て 使用 さ れ てい る か が︑ 詳 し く分 析 され て い る
︒そ の 内容 を こ こで 繰 り 返す 必 要 はな い と 思う が
︑ こ の論 文 の 1︵ 章
︶ の末 節 で 述べ ら れ てい る こ とは
︑ 特 に引 用 し て紹 介 して お き たい
︒ 以 上 の 使用 例 の うち
︑ 特 に注 目 す べき は
︑ 第2 の 無 為= 無 所
有︵akiñcana
︶ であ ろ う
︒パ ー リ 語の 注 釈 でも
︑ こ の否 定 辞
︵ 語 頭 の﹁a
﹂の こ と
︱ 小 池 注
︶ の
ないkiñcana
を
﹁ 何 か あ る も の
﹂よ り も
︑ よ り 積 極 的に
﹁ 障 り
﹂ の 意 味 に 解釈 し
︑ 否 定 辞 を つ け て
﹁ 煩 悩 の な い
﹂ こ と を 示 そ う と し て い る
︒ い っ ぽ う
︑ 漢 訳 で は こ の 原 語 を
﹁ 何 も し な い で い る こ と
﹂ と い う 老 荘 的な 意 味 に 解 し て
﹁ 無 為﹂ と 訳 し て い る
︒ し かも こ の 意 味 で の 訳 語 がUv
︵ ウ ダ ー ナ ヴ ァ ルガ
︱ 小 池 注
︶ で な くDhp
︵ ダ ン マ パ ダ
︱小 池 注
︶ の 方 に 対応 す る 漢 訳 に 認め ら れ る こ と も 注目 す べ き で あ ろう
︒ つ ま り
︵ 中略
︶500 偈 本 の 訳語 に
︑こ の 老 荘的 な 意 味で の
﹁ 無為
﹂ の 使用 例 が 認め ら れ るの で あ る︒
︵同 書 三 一三
・ 三 一四 頁
︶ ま た︑ 同 論 文4
︵ 章
︶か ら
︑
P.akiñcana
︵ 無 所有
︶ の 訳語 と し ての
﹁ 無 為﹂ は
︑Dhp の 対応 箇 所 にの み 認 めら れ た
︒こ の 訳 語は
︑﹁ 有為
﹂ の 反対 の 概 念 とし て の無 為 では な く
︑老 荘 的な
﹁ 何 も しな い こと
﹂の 意味 で とる の が自 然 であ っ た︒ こ れ に 対し てUv で
は︑nirvaa -n.
︵ニ ル ヴ ァ ーナ
︶︑nirvedha
︵ 洞 察力
︶ と い った 原 語 か らの 訳 出 で あり
︑ 同 じ 訳語 と い え ども 意 味 的 には 大 い に異 な る も
の で ある と 言え よ う
︒︵ 三 一九 頁
︶ さ らに
︑ ま た︑ こ の よ うな 訳 風 の違 い に も漢 訳 経典 と し ての
﹃ 法 句経
﹄ の 重層 性 を 見る こ とが 出 来 る︒
︵ 三一 九 頁︶ 私
︵小 池
︶ が 検 索 し た とこ ろ で は
︑﹃ 法 句 経
﹄ 中 に
﹁無 為
﹂ の 語 は 八 例 あり
︑ う ち 六 例 は 五百 偈 維 本 の 訳 語 であ り
︑ 残 り の 一 例 ず つが 九 百 偈竺 本 と 七百 偈 葛本 の 訳 語で あ る
︒ 引 田 は﹁ 無 為
﹂に し ぼ って 老 荘言 語 の
﹃法 句 経
﹄で の 使 用例 を 分 析し て い るが
︑ 他 の老 荘 言 語︵ 私 は
︑老 子 の 言語 に し ぼ る べ き だと 考 え る
︶ の 使 用例 に も 同 じ 傾 向 が
︑し か も 歴 然 と 現 れて い る
︒ 左 に 私 に よる そ の 調 査 結 果 を示 そ う
︒ そ れ ぞ れ︑
﹃ 法 句経
﹄ を 構成 す る 各本 に お ける 老 子 言語 の 使用 回 数 を記 す
︒
﹇ 五 百偈 維 本
﹈︵ ダン マ パ ダ︶
﹁ 恬
﹂ 2
︑﹁ 寂 寞
﹂ 1
︑﹁ 微 妙
﹂ 1
︑﹁ 守 一
﹂ 3
︑﹁ 自 古 至 今
﹂ 1
︑﹁ 自 然
﹂ 7
︑﹁ 聖 人
﹂ 5
︑﹁ 軽 躁
﹂ 1
︑﹁ 自 勝
﹂ 3
︑
﹁ 得 道 6
﹂︑
﹁ 美 言 不信
︑ 信 言不 美
﹂1
︑﹁ 澹 泊 無 事﹂ 1
︑﹁ 無 為﹂ 6
︑﹁ 根 深固
﹂ 1
︑﹁ 根原
﹂ 3
︑﹁ 知足
﹂ 1
︑
﹇ 九 百 偈竺 本
﹈︵ ウ ダー ナ ヴ ァル ガ
︶
﹁ 恬 淡
﹂1
︑﹁ 微 妙
﹂1
︑﹁ 自 然
﹂1
︑﹁ 得 道
﹂1
︑﹁ 無 為
﹂ 1︑
﹁知 足
﹂ 2︑
﹇ 七 百 偈 葛本
﹈
﹁自 然
﹂ 1︑
﹁自 勝
﹂ 1︑
﹁得 道
﹂ 1︑
﹁ 聖人
﹂ 2︑
﹁ 無為
﹂ 1
︑﹁ 知足
﹂ 1
︑﹁ 知止
﹂ 1
︑ 右 の各 本 で の老 荘 言 語 使用 頻 度 総数 の 加 重 平均 を 取 って み る と︑ 維 本 一 品に 一
・ 四六 回
︑ 竺 本〇
・ 五 一回
︑ 葛 本 一・ 二 三 回 と な り︑ 維 本 に老 子 言 語の 使 用が 多 く
︑竺 本 に 少な い こ とが 分 か る︒ 葛 本は 支 謙 によ る 編 纂の 手 が 及ん で い る可 能 性 があ る
︒
付 け 加 え れ ば
︑ 維 本 に は
︑ 老 子 言 語と し て 特 に 重 要 な
﹁ 恬
﹂﹁ 守 一
﹂﹁ 自 然
﹂﹁ 自 勝
﹂﹁ 得 道
﹂﹁ 無 為
﹂﹁ 根 原
﹂ と い っ た語 が 集中 し て いる
︒ と こ ろで
︑ 右 の 老 荘 言 語調 査 に お け る
﹁守 一
﹂ の 表 現 は
︑実 際 に は
﹃ 老 子﹄ 原 文 の 言 葉 で はな く
︑﹃ 老子
﹄ 王 弼 注 に 見ら れ るも の で ある
︒ そ の王 弼 注 を 次ぎ に 引 く︒
﹃ 老子
﹄ 第 三十 九 章
﹁ 天無 以 清
︑将 恐 裂
﹂︵ 天 以て 清 く なる こ と 無 くん ば
︑ 将に 恐 らく は 裂 けん と す
︶に た い する 注 で ある
︒ 用 一以 致 清 耳︑ 非 用 清以 清 也
︑守 一 則 清不 失
︑用 清 則 恐裂 也
︑ 一 を 用 い て 以 て 清 き を 致 す の み
︒ 清 を 用 い て 以 て 清 く す る に非 ざ る な り
︒ 一 を 守 れ ば 則 ち 清 き は 失 わ れ ず
︑ 清 き を 用 うれ ば 則 ち恐 ら く は裂 く る なり
︒
﹁ 一 を 守 る
﹂は 老 子 の 思 想 を 敷衍 し た も の で あ るが
︑﹃ 老 子﹄ の 原 文 に は
︑﹁ 執 一
﹂︵ 帛 書 の 現 行 本二 十 章 相 当 箇 所
︶︑
﹁ 抱 一
﹂
︵十 章
︑ 二十 二 章
︶︑
﹁ 得 一﹂
︵ 三十 九 章
︶の 言 い方 は あ って も
︑﹁ 守 一﹂ の 例 は無 い
︒﹃ 老 子﹄ 原 文 の方 が
︑ より 身 体 的で あ り
︑ そ れは 帛 書
﹃ 老 子
﹄ に おい て よ り 顕 著 で ある
︒ そ れ に 対 し て︑
﹁ 守 一
﹂ の表 現 は よ り 哲 学 的︑ 抽 象 的 概 念 に 傾 いて い る と 見 る こ と が で きよ う︵14
︒︶
こ の よ う な﹁ 守 一
﹂ の 表現 は
︑ 先 ず 後漢
・ 辺 韶 の﹁ 老 子 銘
﹂︵ 四 部 叢 刊三 編 史 部 所 収の 宋
・ 洪 編
﹃隷 釈
﹄巻 三 に 載せ る
︶ に見 ら れ る︒ 後 漢
・延 喜 八年
︵ 一 六五
︶ の 作で あ る
︒ 守 一 不 失︑ 爲 天下 正
︑︵ 一 を 守り て 失 わざ れ ば︑ 天 下 の正 と 為 らん
︶
﹁ 天下 の 正
︵﹁ 長
﹂ の 意
︶﹂ は
﹃ 老 子
﹄ に 見え る 言 葉 で あ る
︒ま た
︑ 右 に 引 い た 王弼 注 で も
﹁ 不 失
﹂と 言 っ て い る の は︑ 王 弼 注と こ の 碑文 と の 関係 を 強 く示 唆 す る︒ ま た︑
﹃ 老子
﹄ 想 爾注 の 本文 第 十 章へ の 注 にも
︑ 今 布 道誡 人︑ 守 誡 不違
︑
■ 爲守 一 矣
︑
今道 誡 を布し き て 人に 教 え
︑誡 を 守 りて 違 わ ざれ ば
︑ 即ち 一 を 守る と 為 す︒ と 見 える
︒ こ こで も
﹁ 失わ ず
﹂ に 類似 す る
﹁違 わ ず
﹂と い う 表 現が 使 わ れて い る のが 注 目 さ れる
︒ 想 爾注 本 は
︑初 期 道 教 教 徒 の 聖 典で あ っ た と 考 えら れ る︵15 の︶
で︑
﹁ 老 子銘
﹂ と 時 代 は かな り 近 接 す る︒
﹃ 荘 子
﹄外 篇
・ 在 宥 篇に は
﹁ 我 守 其 一以 処 其 和
﹂
︵ 我其 の 一 を 守 り て 以て 其 の 和 す る に 処 る︶ と あ り
︑ 晋
・ 葛洪 の
﹃ 抱 朴 子
﹄ 内 篇・ 地 真 篇 に は
︑﹁ 守 一 存 真
︑ 乃能 通 神
﹂︵ 一 を 守 り て 真を 存 せ し め ば
︑ 乃ち 能 く 神 を 通 ぜ ん
︶と あ る
︒﹁ 老子 銘
﹂ と 想 爾 注 の﹁ 守 一
﹂ は ち ょ う どそ の 中 間 に 位 置 し
︑こ れ が王 弼 の 注に 取 り 入れ ら れ たも の と 推測 さ れ る︒
﹃法 句 経
﹄に は こ の﹁ 守 一
﹂ が三 例 あ るこ と は
︑既 に 記 した
︒ 次 に︑ そ れ らの 出 現 する 漢 訳 の節 と
︑ その 対 応 原典 を 挙 げ る 一 ︒ 切 斷 欲 一 切 欲 を 断ち 截意 根 原 意 の根 原 を 截た ち て 晝夜 守 一 昼 夜に 一 を 守れ ば 必入 定 意 必 ず定 意 に 入ら ん
︵ 第 二十 六 章 塵垢 品
︑﹃ 大 正﹄ 五 六 八下
︶ yassac’etam.samucchinnam.,m
..u -laghaccamsamu-hatam
savediva-va-rattim.va-sama-dhim.adhigacchati.
Dhp︵ 十 八 章 十六 節
250vatta
︶
︵訳
︶こ の 世の 思 い が断 絶 し
︑根 絶 さ れて い るよ う な
︑
その よ うな 人 は
︑実 に 昼 も夜 も 心 の平 静 に 達し て いる
︒ 漢 訳 四 句 目 の
﹁ 定 意
﹂ が
.﹁samadhim-
﹂︵ 心 の 平 静
︑ 三 昧
︶ の 訳 語 に な っ て い る
︒ 右 の 対 比 か ら 見 る と
︑ パ ー リ 語 原 典 に は
﹁ 守一
﹂ の 部 分 が 見 当た ら な い
︒ 四 言 句 に字 数 を そ ろ え る 必要 も あ っ て
︑ あ えて
﹁ 守 一
﹂ を 挿 入 した も の と 思 わ れ る︒ 二 つ 目の 例 を 挙げ る
︒ 手 足 莫妄 犯 手 足 は 妄り に 犯 すこ と 莫な く 節言 順 所行 言を 節 し て︑ 行 う 所を 順 に す 常 樂 定 意 常 に内 に 定 意を 楽 しみ 守 一 行 寂然 一を 守 りて 行 い は寂 然 た り
︵ 第三 十 四 章沙 門 品
︑﹃ 大正
﹄ 五 七二 上
︶ いま
︑ 引田
﹃法 句 経﹄ が第 三 句目
﹁順
﹂ を元
・明 刊 本に よっ て
﹁慎
﹂ 字 に改 める の には 従わ な い︒ また 四 句目
﹁一ひとり の 行を 守 り 寂 然 た れ﹂ と 訓 ず る の に 従わ な い
︒﹁ 守 一
﹂ で 一 語 と 意 識さ れ て い た で あ ろう し
︑ 五 言 句 は 二字 目 の あ と に 切 れ 目が あ る のが 普 通 だか ら で ある
︒ hatthasaññatopa-dasaññatova-ca-yasaññatosaññatuttamo,
ajjhattaratosama-hitoekosantusitotam
.a -hubhikkhum.
Dhp︵ 第 二十 五 章 三節 362
vatta
︶
︵訳
︶手 を抑 え
︑ 足を 抑 え
︑言 葉 を 抑え
︑ 最高 に 抑 え︑ 自 ら 楽 しみ
︑ 心 は落 ち 着 き集 中 し︑ 一 人 居て 満 足 して い る 人︑ 人 々は 彼 を 比丘
︵ 修 行僧
︶ と 言う
︒
﹁一 人 居 て満 足 し てい る
﹂︵ekosantusito
︶ と い う部 分 を
﹁守 一 行 寂然
﹂ と訳 し た よう で あ るが
︑﹁ 守 一
﹂は や は りパ ー リ 語原 典 に は無 い も の で あ り
︑ 王弼 注 或 い は 想 爾 注の 老 子 思 想 が 相 当に 色 濃 く こ こ に 影 を落 と し て い る も のと 考 え ら れ る
︒ 次 に︑ もう 一 つ の﹁ 守 一﹂ を 引 く︒ 一 坐一 處 臥 一ひと
り 坐 し 一ひと
り 処 り て臥 し 一 行 無 放恣 一ひと
り 行 い て放 恣 す るこ と 無 し 守 一 以 正身 一を 守 り 以て 身 を 正し 心 樂 居 樹間 心楽 し みて 樹 間 に居 る
︵ 第二 十 九 章広 衍 品
︑﹃ 大正
﹄ 五 七〇 上
︶
eka-sanam.ekaseyyam.ekocaramatandito
ekodamayamatta-nam.vananteramitosiya-.
Dhp︵ 一 九 章 十六 節
305vatta
︶
︵訳
︶一 人 で坐 し
︑ 一人 で 横た わ り
︑一 人 で 歩ん で
︑ 活動 的 で あり
︑ 自 ら を 調伏 し て
︑一 人 森の 中 で 楽し め
︒
﹁ 自 ら を 調 伏 して
.﹂︵damayamatta-nam
︶ が﹁ 正 身
﹂ に 当 た る︒
﹁ 守 一﹂ は こ こ で も 訳 者の 強 い 後 押 し が有 っ て こ こ に 顔を 出 し て い る の で あ ろ う
︒﹃ 法 句 経
﹄ は
﹁ 恬
﹂﹁ 守 一
﹂ の 語 を 通 し て
︑ 想 爾 注
﹃ 老 子
﹄ と の 強 い 関 わ り を窺 わ せ る
︒ そ し て ま た
︑ 王弼 注 と の 関 わ り も無 視 で き な い
︒ 王 弼は そ の
﹃ 老 子
﹄ 注に お い て
︑﹁ 無 為
﹂ の 語 を 三 十七 回 使 っ て い る
︒想 爾 注 残 巻 では
︑ 注の 中 で は二 回 し か用 い ら れて い な い︒ 王 弼こ そ が
﹁無 為
﹂ を老 子 思 想の 中 心 に置 い た人 で あ る︒ こ の こと は
﹁ 自然
﹂
に つ いて も 同 じで あ る
︒想 爾 注 で はそ の 用 例は 数 例 に過 ぎ な い のに 比 し て︑ 王 弼 注で は 注 の みで 三 十 五例 の 使 用が 認 め ら れ る
︒ 支謙 か ら 見れ ば
︑ 自ら よ りは る か に年 少 の
︵王 弼 の 生年 は 二 二六
〜 二 四九 年 の 間︵︶16
︑支 謙 の 生年 は 恐 らく 一 九 五年 頃
︑没 年 は 二 五五 年 頃 と 推 定 され る︵17
︒︶
︶ 王 弼 こ そが
︑ 老 子 の 哲 学を 明 晰 な 言 葉 とし て 提 示 し て くれ た 存 在 で あ り︑ 彼 と そ の
﹃ 老子 道 徳 経
﹄ 注に 接 す る こ と に よ って
︑ 想 爾 注 よ り もは る か に 圧 倒 的 な 影響 を こ う む り
︑︵ そ れ は 精 神 的な 衝 撃 で さ え あ っ たで あ ろう
︶ そ の結 果 が
︑﹃ 法 句経
﹄ の維 本 部 分に 明 確 な形 で 現 れた と 見 るべ き で あろ う
︒ 支
謙 は︑ パ ー リ 語 経 典
﹃ス ッ タ ニ パ ー タ
﹄︵Sutta-nipa-ta
︶中 の
﹁ ア ッ タ カ ヴァ ッ ガ
﹂︵At . t.haka-vagga
︶ の 漢訳 も 世 に 残 し て い る
︒﹃ 大 正 新脩 大 蔵 経
﹄ 巻四
︵No.198
︶ の
︑呉 月 支 優う 婆ば 塞そく
支謙 訳
﹃ 仏 説 義足 経
﹄ で あ る
︒パ ー リ 語 原 典全 十 六 章 と 漢訳 全 十 六章 の 内 容は 基 本 的に は 一 致 して い る が︑
﹃ 義足 経
﹄ には 韻 文 の前 後 に 因 縁譚 が 加 えら れ て いる
︒ い ま
︑﹃ 法句 経
﹄ と の 比 較 対照 と い う観 点 か ら 見る 時 に は︑ 韻 文 部分 が 考 察の 対 象 と なる
︒ た だし
︑ パ ーリ 語
﹁ ア ッタ カ ヴ ァッ ガ
﹂ と漢 訳
﹁ 義 足 経
﹂ の間 に は 若干 の 編次 の 異 同が あ る
︒ 義足 経
⁝
⁝1 2 34 5 6 78 910 11 12 13 14 15 16 アッ タ カ⁝ 1 2 34 5 6 78 911 12 13 14 16 10・ 15・ こ れ は
︑ 現行 本
﹃ 老 子
﹄ と 帛 書﹃ 老 子
﹄ の 間 で の 編次 の 異 同 と よ く 似た
︑ 部 分 的 な 編 次 の移 動 で あ る
︒ 両
﹃ 老子
﹄ 間 で は
︑ 次 のよ う な 編次 の 異 同が あ る
︒ 現 行 本
⁝20 21 22 23 24 25
︱→ 帛書 本
⁝20 21 24・ 22 23 25 現行 本
⁝39 40 41 42 43
︱→ 帛 書 本⁝ 39 41・ 40 42 43
現行 本
⁝65 66 67 68
︱→ 帛書 本
⁝65 66 80・ 81・ 67 68 右 表 は︑ 現 行本
﹃ 老 子﹄ お よ び﹃ 義 足 経﹄ 即 ち 時代 の 後 の方 の テ キス ト を 基準 に して 比 較 した も の であ る
︒ 経典 と い えど も
︑ 編 次に 関 し ては 可 動 的で あ る のが 分 か る︒
﹃ アッ タ カ ヴァ ッ ガ
﹄は
﹃ ダ ンマ パ ダ
﹄と 重 複 する 箇 所 がほ と ん ど無 い
︒ ただ 二 つ の節 に お いて の み 重複 す る
︒そ の う ち の 一 箇 所 を次 に 取 り 上 げ て
︑﹃ 義 足 経
﹄ と﹃ 法 句 経
﹄ の 漢 訳を 比 較 し て み よ う
︒ま ず
︑﹃ スッ タ ニ パ ー タ
﹄﹁ ア ッ タ カ ヴ ァッ ガ
﹂の 一 節 から 引 く︵18
︒︶
Sabbasona -maru-pasmim.yassan’atthimama -yitam.,
asata -canasocati,savelokenajiyyati.
Sn︵ ア ッタ カ ヴ ァッ ガ 十五 章 十 五節
950vatta
︶
︵訳
︶名 前 と形 に お いて あ ま ねく
︑﹁ 私 の 持っ て い るも の
﹂ とい う も のが 存 在し な い よう な 人 にと っ て は︑ 所 有 し ない か ら とい っ て
︑憂 え る こと が な い︒ 彼 は 実に
︑ こ の世 に おい て 失 うこ と が ない
︒ こ れに 対 応 する
﹃ 義 足経
﹄ は 次の 通 り であ る
︒ 一切 已 棄名 色 一 切 已すで
に 名 色 を棄 て 不著 念 有所 收 収 む る 所有 る に 著念 せ ず 已無 有 亦無 處 已 に 有 する 無 く
︑亦 処お る とこ ろ 無 し 一切 世 無與 怨 一 切 世の 怨 み を与 う る 無し
︵﹃ 義 足 経
﹄十 六 章 十七 節
︑﹃ 大 正﹄ 一 八 九下
︶
次 に 右節 に 対応 す る
﹃ダ ン マ パダ
﹄ の 一節 を 引 く︒
sabbasona-maru-pasmim.yassan’atthimama-yitam.
asata-canasocatisavebhikkh
u -tivuccati
Dhp︵ 二 十 五 章八 節
367vatta
︶
︵訳
︶名 前 と形 に お いて
︑ 何 もの を も 我が も のと し な いで
︑ そ し て また
︑ 所 有し な い から と い って 悲 し まな い 人
︑そ の よ うな 人 をこ そ 比 丘︵ 修 行 僧︶ と 呼 ぶ︒
﹃法 句 経
﹄対 応 節 は次 の 通 りで あ る︒ 一 切 名 色 一 切の 名 色 は 非 有 莫 惑 有 する に 非 ざれ ど も
︑惑 う こ と莫な く 不近 不 憂 近 づか ず 憂 えざ る
︵ 人︶ を 乃爲 比 丘 乃 ち比 丘 と 為す
︵﹃ 法句 経
﹄ 三十 四 章 沙門 品
︑﹃ 大 正﹄ 五 七 二上
︶ 右 二 節
︑ 漢訳 の 前 よ り 三 句 分 はパ ー リ 語 原 典 と 完全 に 一 致 し て い る
︒四 句 目 は 原 典 が 異 なっ て い る
︒﹃ 義 足 経
﹄ の 漢 訳 は六 言 句 で︑ 三
︑ 四句 目 で 少し 語 順 を 入れ 替 え ては い る が︑ 基 本 的 には パ ー リ語 原 典 を過 不 足 なく 訳 し 得 てい る と 言え よ う
︒一 方
︑﹃ 法 句 経
﹄ は 四 言句 で
︑ こ ち ら は 二 句目 と 三 句 目 の 順 序 が原 典 と は 逆 に な っ てい る
︒ し か し や はり 原 典 に 忠 実 に 訳 して い る
︒単 純 に 漢訳 の 漢 字数 を 比 べ てみ る と
︑﹃ 義 足経
﹄ の 方は 二 十 四字 で あ る のに 対 し て︑
﹃ 法句 経
﹄ は十 六 字 であ る
︒ そ の 為 に
︑﹃ 義 足 経
﹄ の 漢 訳の 方 は
︑ 訳 し 方 は懇 切 丁 寧 で あ る け れど も
︑ 朗 読 す る 時 には 六 言 で あ る 為 に やや リ ズ ム が と り にく
い
︒ 他方
﹃ 法 句経
﹄ は
︑内 容 は 簡 潔に し て 要を 得 て おり
︑ 中 国 伝統 の 四 言リ ズ ム であ る た め に︑ テ ン ポよ く 朗 読で き る
︒ た だ
︑ 一 節 の内 容 の 濃 密 さ は
︑﹃ 義 足 経
﹄ によ り よ く 反 映 さ れ てい る と 思 わ れ る
︒こ れ は
︑ し か し
︑﹃ ダ ン マ パ ダ﹄ の 原 典 が
︑
﹃ア ッ タ カヴ ァ ッ ガ﹄ の 末
尾﹁lokenajiyyati
﹂︵ こ の 世 で失 う こ とは な い
︶を
︑﹁bhikkhutivuccati-
﹂︵ 比 丘と 呼 ぶ
︶に 置 き換 え た こと か ら くる 相 違 でも あ ろ う
︒﹃ 義足 経
﹄ が 全四 句 二 十四 字 で 展開 し た 内 容を
︑﹃ 法 句 経
﹄は 三 句 十二 字 で しか 表 現 で き な か った の であ る か ら︒ い ま 右 に紹 介 し た 節 は
︑﹃ ダ ン マ パダ
﹄ 系 の 異 写 本 にも 収 録 さ れ て い る︒ 一 つ は カ ロ シ ュテ ィ 文 字 に よ る
﹃ガ ン ダ ー ラ 語 ダ ルマ パ ダ
﹄
︵ 19
︶
の もの で ある
︒
savas´unama-ruvasayasanastimama’ida
asatainas´oyadisohubhikhuduvucadi.
︵G.
Dhp 79s´loka
︶ ガ ン ダー ラ 語 によ る 変 容は 加 え られ て い るが
︑ パ ーリ 語 と 同系 の 言 語で あ り
︑原 典 が その ま ま の形 で 保 持さ れ て いる
︒﹁hu
﹂ は
﹁khalu
﹂︵ 実に
︶ で
﹁ve
﹂ に相 当
︑﹁du
﹂ は
﹁ti
﹂ の 変 化 し たも の で あ る
︒﹁i
﹂ は
﹁iva
﹂︵ 実に
︶ の 変 化 した も の で あ ろう か
︒ 次に
︑ より サ ン スク リ ッ トに 近 い 言語 で 書 かれ て い る﹃ ウ ダ ーナ ヴ ァ ルガ
﹄ に所 載 さ れて い る もの を 引 く︒
yasyasam.nicayona-stiyasyana-stimama-yitam/
asantam.s´ocatenaivasavaibhiks
. ur
nirucyate//
Uv︵ 32
︱17
︶
﹃ダ ン マ パダ
﹄ 一 行目 の
.﹁sabbasona-maru-pasmim
﹂︵ 名 前 と形 に お いて
︑ 何 もの を も
︶が
︑ こ こで は
.﹁yasyasamnicayona-sti
﹂
︵ 蓄財 が な い 人
︶ に 置 き換 え ら れ て い る のは
︑ 原 典 の 思 想 が 平俗 化 し た の で あ る
︒し か し
︑ や は り 基 本的 に は 原 典 本 来 の意 味 す る所 を 守 って い る
︒経 典 の 伝 写に 当 た って は
︑ 原典 の 言 語
・文 字 を 完全 に 守 る必 要 は な く︑ 自 分 たち が 日 常接 し て い る 言 葉 に 置 き換 え て も よ い が
︑ 意味
︵ す な わ ち
﹁ 教 え﹂
︶ そ の もの か ら の 逸 脱 は 許 され な い
︒ こ れ が イ ンド か ら 中 央 ア ジ アに か け て の
︑﹃ ダ ン マ パダ
﹄ 流 伝 に お け る 人々 の 共 通 認 識 で あ った で あ ろ う
︒ 経 典 の言 語 自 体 は 必 ず しも 金 科 玉 条 の も の とし て 固 定化 さ れ ては い な かっ た
︒ 章 次︵ 編 次
︶に つ い ても 同 様 であ る こ と は︑ 帛 書
﹃老 子
﹄ の例 と も 比 較し つ つ
︑す で に 述べ た
︒ た だ し
︑ 写 本 伝 写 の 過 程 で は
︑ 原 典 か ら の 逸 脱 も 起 こ り う る
︒ そ の 例 を 一 つ 示 そ う
︒﹃ ス ッ タ ニ パ ー タ
﹄ 全 編 の な か で
︑ 第 一 篇 三章
﹁ 犀 の 角 の 章﹂
︵khaggavisaa-sutta-n.
︶ と 第 四 篇
﹁ アッ タ カ ヴ ァ ッガ
﹂ お よ び 第 五篇 が
︑ 内 容 的 に初 期 仏 教 の 姿を 伝 え てい る こ と︑ 韻 文 であ る こ と
︑お よ び 古注 が こ れら の 篇 章 にの み 付 せら れ て いる こ と か ら︑ 最 も 古い 層
︑ つま り ブ ッ ダ の 発 した 言 葉に 最 も 近い も の
︑と 考 え られ て い る︵20
︒︶
そ の
﹁犀 の 角 の章
﹂ の ガン ダ ー ラ語 新 ヴァ ー ジ ョン が 最 近刊 行 さ れた
︒
AG
a -ndha -rı-VersionoftheRhinocerosSu-tra:BritishLibraryKharos
. t.hıFragment5B,byRichardSalomon,Gandha--ran
BuddhistTexts,vol.1,UniversityofWashingtonPress,2000.
こ れ は 部 分的 な 欠 損 は あ る が
︑﹁ 犀 の 角 の章
﹂ 全 般 に わ た る 写本 で あ る
︒ そ の 中 で︑ 比 較 的 保 存 状 態 のよ い 一 節
︵ と い って も
︑ 前 半 の 二 句 の み 残 存 す る
︶ を 取 り あ げ て
︑ パ ー リ 語 原 典 と 比 較 し て み た い
︒ ま ず ガ ン ダ ー ラ 語 新 ヴ ァ ー ジ ョ ン か ら 引 く
.putrayadarayamdhan ︒
. ojahitva
parigraheñatiabam.dhavaya//
︵ 以 下 二行 欠
︶