ガバナンス時代における日本人国際公務員の職業観 : 国連システムを中心に
著者 皆川 萌子
学位名 博士(ヒューマン・セキュリティ)
学位授与機関 同志社大学
学位授与年月日 2013‑03‑20 学位授与番号 34310甲第581号
URL http://id.nii.ac.jp/1707/00001060/
博 士 学 位 論 文 審 査 要 旨
2013年1月19日
論 文 題 目: ガバナンス時代における日本人国際公務員の職業観
-国連システムを中心に-
学 位 申 請 者: 皆川 萌子 審 査 委 員:
主 査: グローバル・スタディーズ研究科 教授
ANNE GONON副 査: 総合政策科学研究科 教授 中川 清
副 査: 総合政策科学研究科 教授 今里 滋
要 旨:
本論文は、グローバリゼーションの過程における国家の役割の変化を検討するとともに、グロ ーバル・ガバナンスという新しい環境の中で、日本人国際公務員の職業観がどう変わったかを把 握して、グローバル・ガバナンスの現場でのメカニズムを明らかにした労作である。グローバル・
ガバナンスはグローバル・イシューに対処するための新しい統治の手法として1990年代以降重 視されるようになり、また国際機構をはじめ、開発の現場でも用いられている概念である。グロ ーバル・ガバナンスは国家や国際機構だけでなく、NGOをはじめとする市民社会や民間企業を アクターとして包摂する点が重視されがちであるが、本論文では、グローバル・ガバナンスが民 間企業の経営手法を導入していることに着目している。国連およびその専門機関である国連シス テムにグローバル・ガバナンスが導入され、国際公務員の仕事が変化する事情をインタビュー調 査から明らかにすることで、国際機構の掲げる理念と民営化の影響が具体的に検討される。
第1章においては国際公務員の仕事を規定する国際機構が取りあげられ、国際機構がグローバ ル・ガバナンスを提唱すると同時に国家間的機関であること、また国際機構自身のガバナンスが 推進されていることが導き出される。
第2章では国際機構の加盟国である日本が取りあげられ、国際機構との歴史的関係の中で日本 もグローバル・ガバナンスを重視し、また国内行政へのガバナンスの導入が見られるようになっ たが、同時に国際機構に国家主権を主張するような働きかけがなされていることが導き出される。
グローバル・ガバナンスがもたらした国際機構および日本の矛盾した姿勢は、日本人国際公務員 にも反映されることになる。
3章では、日本人国際公務員へのインタビューからグローバル・ガバナンスの影響が明らかに される。透明性の確保や説明責任の必要から仕事量が膨大になり、雇用の流動性が求められる中 で不安定な雇用条件になっていること。国際機構における民営化の影響は、多くの場合「苦痛」
と感じられていること。日本人の国際公務員は、職場環境の変化を主として文化的差異を理由に 受容していること。またグローバル・ガバナンスがアクター間の権力関係を隠す側面を持ってお り、そのことに若干の違和感も抱いていること、などが指摘された。本論文によって、グローバ ル・ガバナンスの名のもとに日本のプレゼンスを確保する一方で、グローバル・ガバナンスを推 進するという国際機構の要求に応えている日本人国際公務員の両義的な立場が浮き彫りにされ た。スノーボール・サンプリングによる限られたインタビュー調査ではあるが、日本人国際公務 員の職業観からグローバル・ガバナンスの現況と課題を具体的に明らかにしたことの学術的な貢 献は大きい。
よって、本論文は、博士(ヒューマン・セキュリティ)(同志社大学)の学位論文として十分 な価値を有するものと認められる。
総合試験結果の要旨
2013年1月19日
論 文 題 目: ガバナンス時代における日本人国際公務員の職業観
-国連システムを中心に-
学 位 申 請 者: 皆川 萌子 審 査 委 員:
主 査: グローバル・スタディーズ研究科 教授
ANNE GONON副 査: 総合政策科学研究科 教授 中川 清
副 査: 総合政策科学研究科 教授 今里 滋
要 旨:
学位申請者に対する総合試験を、2013年1月19日午前10:40から11:40まで、
同志社大学今出川志高館において実施した。
本試験において申請者は、提出された論文の内容に関する質問に対して的確に答え、論文の 主張の根拠と意義を説得力のある仕方で述べた。関連するガバナンスと市民社会との関係ならび 国際公務員の職業観問題についての質疑応答においても、論文で展開された議論を十分に裏つけ る専門知識を有することを示した。また、語学試験(英語、フランス語)を同時に行ったが、申 請者が研究文献を読みこなす十分な能力と知識を持つことを確認した。
よって、総合試験の結果は合格であると認める。
博 士 学 位 論 文 要 旨
論 文 題 目: ガバナンス時代における日本人国際公務員の職業観
—国連システムを中心に—氏 名: 皆川 萌子
要 旨:
経済のグローバル化が進むことで人やもの、財やサービスが国境を越えて往来する頻度がかつて ないほど増加し、人々にとって利便性をもたらす一方、一国のみでは解決できない問題が生じて いる。具体的には深刻な貧困格差や移民、環境問題、感染症などが挙げられ、これらのグローバ ル・イシューと向き合い、「人間の顔をしたグローバリゼーション」のあり方を求める運動や研 究が見られるようになった。世界政府が存在しない現在、グローバル・イシューに対応するアクター のひとつが国際連合(国連)をはじめとする国際機構である。国連は193カ国の加盟国から成る国家 間機関であり、専門機関も含めて世界平和、貧困の撲滅、人権の改善、民主化の促進、女性や子ども の権利など国際公益の実現を担う「最も普遍的で最もよく国際社会の公共性を代表し、これまでの歴 史で最も権威有る国際的な制度」であると言われる1。国連は国際の平和を目的のひとつとしており、
このために安全保障理事会を設置したが、冷戦による東西の対立は安全保障理事会を事実上機能しな い状態に陥れた。冷戦が終結した後、世界は平和になり戦争がなくなると考えられたが、実際は アフリカを中心に紛争が深刻化し、多くの難民が生じた。グローバリゼーションに伴う問題と冷 戦後に生じたこれらの問題は地球に暮らす全ての人に関わる問題として位置づけられ、これらの 問題への取り組みの中から生まれた実践的・政策志向的概念として「グローバル・ガバナンス」
が登場した。
グローバル・ガバナンスは、世界政府のない国際関係の観点から地球規模の問題をいかに解決 するかという問題意識から生じた新しい統治のあり方である。グローバル・イシューの解決に向 けて各アクターが規範の決定に参加し、問題解決に向かうプロセスである。グローバル・ガバナ ンスにおけるアクターは国家、国際機構、市民社会、民間企業など多様性を有しており、この多 様性がグローバル・ガバナンスの特徴の一つでもある。グローバル・ガバナンスのアクターとし ての国連は内田がJ.M.Coicaudを引用し、「加盟国による認知、すなわち、国連憲章に基づく正 統性に加えて、国連が地球レベルで公共財を提供することの二点に求めている」2と述べている ように、その正統性が求められている。
本論文は、グローバリゼーションの過程における国家の役割の変化を検討するとともに、国際 機構で働く日本人職員に焦点を当て、グローバル・ガバナンスという新しい環境の中で、日本人 国際公務員の職業観の変化を把握し、グローバル・ガバナンスの現場でのメカニズムを明らかに することを目的としている。グローバル・ガバナンスを対象とした研究は国際関係論の分野にお ける国際制度論に位置づけられ、レジーム論を中心として理論的研究の蓄積がなされている3。 また規範の形成過程や具体的な政策過程について多様な事例を用いた研究が見られるが、国際公 務員を対象とした具体的な現場のレベルに着目した研究は依然限られている。国際機構の活動が 加盟国によって影響されることは確かであり、その中で国際機構での政策過程のあり方を検討す ることは重要であるが、国際機構を支え、実際に活動しているのはそこで働く人であるため、こ
1 田所昌幸・城山英明編『国際機構と日本:活動分析と評価』日本経済評論社、2004 年、86 頁。
2 内田孟男「グローバル・ガバナンスと国連:事務局の役割を中心に」(内田孟男・川原彰編『グローバル・ガバナンス の理論と政策』中央大学出版部、2004 年、18 頁。)
3 中川愛子「グローバル・ガバナンスの構想と批判」(内田・川原、前掲書、35−65 頁。)
こではまず国際機構で働く職員に焦点を当てることとする。
国際公務員の特徴の一つは、いかなる政府からも独立して仕事をすることが求められる点にあ るが、この職員の独立性は国家間機関である国際機構において矛盾が生じる。このことを問題と した研究は国際法の分野で蓄積されており、職員の独立性の確立が困難であることが明らかにさ れてきた。職員の独立を謳った国連憲章の成立過程や国際司法裁判所での判例から論じられてい る。今日も依然この独立性は問題とされるが、国際機構がグローバル・ガバナンスを重視するよ うになる中、国家に期待される役割も変化し、これに伴い職員と国家との関係も変化したと考え られる。
本稿では国際機構および国連加盟国である日本でのグローバル・ガバナンスの導入について検 討した上で、国際機構で働く日本人職員へのインタビュー調査から、日本人国際公務員の職業観 を検討した。日本人職員は国際機構から国際性や独立性が求められると同時に、日本人として働 くことが求められる。しかしそれだけでなく、加盟国に加え、グローバル・ガバナンスのアクタ ーである民間企業やNGOなどとの関係構築も求められるようになった。また国際機構が自らの ガバナンスを重視するようになることで、職員の雇用条件や仕事内容に変化をもたらしている。
ここでは日本人職員を対象としているが、日本は国際機構の加盟国として国際機構が打ち出す規 範に共感し、外交に取り入れようとしている。人間の安全保障への共感と、積極的な普及の試み はその一つの事例であると言える。しかし他方では国際機構への人事制度へのはたらきかけを強 めており、グローバル・ガバナンスの方向性に反して国際機構で国家の主権を主張するような態 度も見られる。グローバル・ガバナンスに参加しようとしつつも国家としてのプレゼンスを主張 するという矛盾した姿勢を見せる日本から送り出される日本人職員を事例とすることは、グロー バル・ガバナンスの現場の仕組みを検討することとなり、グローバル・ガバナンスの新たな側面 を浮き上がらせることができると考える。
これらのことを論じるために、1章では国際機構におけるグローバル・ガバナンスの取り組み について取りあげる。まず国連をはじめとする国際機構の発足の背景を概観し、発足時からNGO など非国家アクターとの関係を構築していることを明らかにする。次に国際機構は加盟国を前提 として機構が運営されていることを論じた上で、国際機構の官僚制を明らかにする。加盟国によ って構成される国際機構であるため、人事制度にも加盟国からのはたらきかけを可能とするが、
国際機構はグローバル・ガバナンスのアプローチを重視することで、加盟国に限らず多様なアク ターとの恊働がはかられるようになり、NGOに限らず民間企業とのつながりや機構改革におい て民間企業の経営手法が取り入れられるようになった。2章では国際機構の加盟国としての日本 のグローバル・ガバナンスへの参加について検討する。国連に加盟して以来、日本外交は国連よ りも対米重視、経済重視の外交を展開してきたが、経済成長に伴い国連分担金が増加した結果と して経済面での貢献がなされてきた。しかし1990年代以降の経済の低迷や、安全保障の分野に おいて自衛隊の海外での活動が制限されている中、国際機構における日本のプレゼンスはゆらぎ を見せ始めた。危機感を持った日本は国内の外務省をはじめ国内行政改革の中で国際化を進める ための方向性が打ち出された。具体的には海外の大学や外国政府機関への職員の派遣が挙げられ る。また外務省の機構改革および行政改革にはガバナンスのアプローチが導入された。国際機構 に対する取り組みとしては、経済的貢献の大きさに見合った日本人職員数の増加が目指された。
この動きは日本が国際機構において国家主権を主張する動きとして位置づけられる。他方、グロ ーバル・ガバナンスへの共感として位置づけられる動きとしては、開発や人権・人道を重視する 人間の安全保障への積極的な取り組みも見られるようになった。こうした日本の矛盾した姿勢は、
日本人国際公務員にも反映されることになる。3章では国際機構で働く日本人職員に焦点を当て、
日本人職員が国際公務員となった動機、仕事内容、仕事の中で重視される専門性と政策過程の中 で動く政治との衝突をインタビュー調査から得られた職員の語りから把握し、その中にグローバ ル・ガバナンスによる仕事への影響を検討した。
国際機構がグローバル・ガバナンスを重視し、ガバナンスを導入した結果、国際公務員にはよ り高い専門能力が求められるようになり、ガバナンスを維持するために必要な効率性や成果重視、
透明性の確保や説明責任のための仕事の比重が高まっている。国際公務員の仕事量は膨大になり、
「気を遣う」仕事も増えることで、本来職員が思い描いていた専門性を活かす仕事とは別の、ガ バナンスを維持するための仕事に追われることとなっている。さらにガバナンスによって雇用期 間が短縮され国際公務員は不安定な状態に置かれ苦痛を抱えることとなった。グローバル・ガバ ナンスを推進すればするほど、この傾向は強まると考えられるが、日本人職員は国際機構がガバ ナンスの一環として実施する機構改革の影響を受けながら、仕事の中でグローバル・ガバナンス のアプローチを肯定的に受けとめている。またグローバル・ガバナンスを維持する中で、職員は 依然国家を国際機構における中心的アクターとみなしており、国家のプレゼンスは国際公務員の もとで維持されている。グローバル・ガバナンスは多様なアクターを重視するが、実際にはアク ター間に支配関係が存在し、その関係性はグローバル・ガバナンスの名の下に維持されている。
(3690文字)