• 検索結果がありません。

近藤次郎先生のご逝去を悼む

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "近藤次郎先生のご逝去を悼む"

Copied!
1
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

オペレーションズ・リサーチ 250(2)

近藤次郎先生のご逝去を悼む

2015年3月29日,近藤次郎先生が御逝去されまし た.享年98歳でした.近藤先生は,オペレーション ズ・リサーチ,航空宇宙工学,環境科学などの分野で 教育・研究に多大な業績を残されました.また本学会 の1984, 1985年度会長を務められました.その他,

日本学術会議会長(1985〜1994年),国立公害研究 所所長(1980〜1985年),国際科学技術財団理事長

(1994〜2004年)などの要職も歴任されました.数 多い栄誉の中では,2002年に文化勲章を受章されま した.本会関連では,1958年の大内賞,1966年のデ ミング賞を受賞されております.

近藤先生は京都帝国大学数学科をご卒業後の1940 年に東京帝国大学航空学科に入学されましたが,先次 大戦のため学業の中断を余儀なくされ,終戦直後の 1945年9月に同学科をご卒業されました.戦後に教 育や研究を含めて航空にかかわる事業が禁じられた中,

先生は応用解析学を利用したオペレーションズ・リ サーチの教育・研究に先鞭をつけられ,我国における 先駆的な役割を果たされました.航空学科の再開後は 東京大学教授として航空機の高速化に取り組まれまし た.近藤先生が国産旅客機「YS11」の企画に携われ たことはよく知られ,現在開発中の国産ジェット旅客 機「MRJ」にも繋がる成果となりました.また大気 汚染が顕在化しはじめた初期から環境問題にも取り組 まれ,学術研究の世界的潮流に対する鋭い先見性を発 揮されました.

英語ばかりかフランス語にもご堪能だった先生は,

科学技術の発展がもたらすグローバルな影響力を強く 意識され,海外研究者との積極的交流を自ら率先され ておりました.先生のご趣味は飛行機に乗ること,見 ること,学ぶこと.目前に迫ったMRJの初飛行を待 たずに逝かれたのが残念なばかりです.学生時代に何 か問題をご相談した折には「それでは…をORしてみ なさい」とおっしゃるのが口癖で,いつも励まされる とともに人間味あふれる魅力を感じました.近藤次郎 先生とのお別れは痛惜の極みであります.

(香田正人)

故近藤次郎氏略歴 大正6年1月23日 生まれ

昭和15年3月 京都帝国大学理学部数学科卒業 同年4月 東京帝国大学工学部航空学科入学 17年5月 任陸軍航空技術中尉(東京陸軍航空学

校附)

20年9月 東京帝国大学第一工学部航空学科卒業 21年8月 同上 講師

22年8月 総理庁統計局技官 29年10月 東京大学工学部助教授 33年2月 同上 工学博士

同年5月 同上 工学部教授 50年4月〜52年3月 同上 工学部長併任 52年3月 東京大学退官(名誉教授)

55年2月〜60年9月 国立公害研究所所長

60年7月〜平成6年7月 日本学術会議会員(第13〜 15期),会長

平成6年11月〜16年10月 財団法人国際科学技術財団理 事長

OR学会関係

評議員 昭和32〜47年度,昭和49〜59年度 副会長 昭和41・42年度,昭和47年度 表彰委員長 昭和47年度

研究普及委員長 昭和47年度 フェロー 昭和48年度 IAOR委員長 昭和48・49年度

会長 昭和59・60年度

参照

関連したドキュメント

こうしたご縁をきっかけに, 私たち 3 人の教員は, 前後 11 人の大学院生 (留学生 6 人)

学位取得後,先生は日本学術振興会奨励研究員として 引き続き 1 年間古生物学講座で研究を続けられ,1970

攻会というのがありましたが,そこでの入学歓迎会や教育 学部の卒論発表会,卒論発表後のコンパなどにも教養部の 先生方はよく来られていました。私が鳥取大学に赴任した のは

293 渡邊:

DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.37.31 223 佐藤: 鹿取廣人先生のご逝去を悼む 訃報:

The Japanese Psychomic Society.. All

[r]

先生はかつて、法政をご退職の際の、デカルトの「高邇」をめぐる最終講義で、デカルト道徳の核をなす「高邇」とは「自由意志の使用と意志作用の支配」のことであると強く語っておられた。先生のご最期は、