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鹿取廣人先生のご逝去を悼む

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Academic year: 2021

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DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.37.31 223 佐藤: 鹿取廣人先生のご逝去を悼む 訃報: 本学会の名誉会員でいらっしゃいました鹿取廣人先生が,平成30年11月26日にご逝去されました。謹んで ご冥福をお祈り申し上げます。

鹿取廣人先生のご逝去を悼む

佐 藤 隆 夫

2018年11月26日,鹿取廣人先生ご逝去。長らく心臓の病を抱え,ご 療養中でしたが,ついにそこから来る衰弱で逝ってしまわれました。 残念という気持ちで一杯です。享年90歳。お亡くなりになる2日前に, 専修大学の山上さんとご療養中の施設に伺い,お目に掛かったばかり でした。と言っても,かなり弱っておられ,こちらから話しかけると 反応しては下さるものの,先生からの信号は出ないという,一方的な お見舞いでした。夏にお目に掛かった時には,もっとお話しができた ので,もう少し早く伺えば良かったのになあと思う半分,また回復し て,お話ができるようになるのではないかという期待で自らを慰めて いたところ,ご逝去の知らせを頂いたという次第です。 先生の本務は東京大学駒場キャンパスの教養学部でしたので,たま にお姿を見かけることはありましが,はじめて,きちんとお話しした のは1974年4月,大学院に入り,指導教官になっていただくお願いに 伺ったときのことだと思います。それから,もう,45年。長いようで,短い45年間でした。そのころ,僕は,言語心 理学をやろうと思っており,言語発達をメインテーマとしていらした鹿取先生に指導教官をお願いしたわけです。当 初は,先生が毎週行っていらした国立聴力言語障害センター(現国立障害者リハビリテーションセンター)にお供さ せて頂き,言語発達が遅れている子供達の相手をしたりしていましたが,だんだんと僕自身の興味が知覚のほうへと 移り,最終的には知覚心理で修士論文を書いてしまいました。先生は,ご自身も,もともと知覚心理がご専門だった こともあり,そんな僕を,なにも言わずに暖かく見守っていて下さいました。 先生は,基礎心理学会とも強い関わりを持っていらっしゃいます。基礎心理学会の発足当時から常任運営委員(現 在の常務理事,1982–85), 常任編集委員(1985–93)を歴任,1990年から96年の間,2期,6年にわたって運営委員長(現 在の理事長)をお務めになりました。その頃,僕はアメリカにいたので詳しくは知らないのですが,基礎心理学会は 小川隆先生と八木冕先生が中心になって創設されましたが,実際の運営は鹿取先生と,佐藤方哉先生が担っていらし たと伺っています。先生が運営委員長に就任なさる前後,先生は様々な新機軸を打ち出してこられました。東京周辺 の大学でその年に学位を取った若者を集めた発表会をやったり,大会の前夜に大学院生を中心とした合宿研究会を開 いたり,とにかく若者が大好き,若手を盛り立てようという気持ちを強く持っていらっしゃいました。僕も,慶應大 学の坂上貴之さんや,現在追手門学院大学の乾敏郎さんなどと一緒に,合宿研究会のお手伝いをさせて頂いたことを, なつかしく思い出します。 先生は故梅津八三先生に師事され,深く尊敬していらっしゃいました。そういうことから,知覚研究から,言語の 問題,障害児の問題に関心が移ったのは自然なことかかと思いますが,ご自身では,言語への移行は,そんな深いこ とを考えたわけではなく,偶然の出来事だとおっしゃっていました。昭和40年頃,東京女子大から東大に移られた 頃,東京女子大の卒業生で国立障害者リハビリテーションセンターにお勤めだった山田麗子さんがやってきて,変な 子が大勢来て大変だ,とこぼされたので,じゃあ,見に行ってやる!と言って,見に行った。そうしたら,「それが, おもしろくてさー」というのがきっかけで,はまり込んでしまったという話を,何度も先生からうかがいました。 すべてがそんな調子で,なぜか,先生から学問的な蘊蓄をうかがったという記憶は全くありません。これを書くに あたって,いろいろ思い返してみたのですが,先生からダイレクトな形で学問的,専門的な指導を受けた記憶,先生 ご自身のお考えを披瀝された記憶はほとんどありません。誰それはとっても面白いから,本を読め,論文を読めとい う話がせいぜいのところでした。むしろ逆に,こちらが一方的に喋る場面ばかりが浮かんできます。いろいろ考えて

The Japanese Journal of Psychonomic Science

2019, Vol. 37, No. 2, 223–224

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224 基礎心理学研究 第37巻 第2号 いて煮詰まってしまうと,先生のところに話に行き,僕が一方的に喋ると,先生が時々,言葉を挟む。テニスの板打 ちです。で,最後に,だいたい考えがまとまったんじゃないの?と言われて帰ってくるということの繰り返しでした。 しかし,人生の節目節目の決断には,いつも関わり,リスキーな道へと背中を押して下さっていました。博士課程の 半ばで,アメリカに行こうか行くまいか悩んでいたときも,日本の大学からのお誘いもあったのですが,そんな仕事 はいつでもあるさ!と言って,アメリカ留学を勧めて下さいました。その後,大学ではなく,当時の電電公社に就職 したときも,同じような調子でした。僕の人生,結局は鹿取先生のリモコンに乗っていただけかと思わないでもあり ません。今でも,重要な決断にあたっては,鹿取先生だったらどんなことをおっしゃるかなと考えてしまいます。 そんな先生には,ファンも多く,多くの卒業生が鹿取先生の周りには集まっていました。そんな集まりの最大の特 長は,鹿取先生から直接指導を受けていない方々が多く集まっていたということでした。だれが来ても嫌がらず,仲 間に入れ,研究会をしたり,テニスをしたり,酒を飲んだり。そんな時の先生は,とても幸せそうに見えました。そ ういう仲間意識で,基礎心理学会の運営に携わり,日本心理学会の運営にも関与されていました。そうした場面では, 常に,自分の,自分の仲間の利益ではなく,日本の心理学,学問の進歩に役立つことをやるんだという姿勢を貫いて いらっしゃいました。 そんな先生の突然の訃報。直前にお目に掛かり,ある程度の覚悟はしていましたが,残念でたまりません。個人的 には,リモコンの主を失い,凧の糸が切れたという思いですが,残る時間,先生の生きてきた姿勢を,学生達,若い 研究者達に伝えていくことが私達の務めであると信じております。天上から,「まだそんなことやってるのかよー」な んて,ちゃちゃを入れながら見守っていて下さい。

参照

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