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大山正先生のご逝去を悼む

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Academic year: 2021

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DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.38.42 292 基礎心理学研究 第38巻 第2号 訃報: 本学会の終身会員でいらっしゃいました大山正先生が,令和元年12月16日に91歳でご逝去されました。謹ん でご冥福をお祈り申し上げます。

大山正先生のご逝去を悼む

渡 邊 武 郎

私にとって,大山先生は学問上の師であっただけでなく,個人的に は父親に似た存在であったと思います。というわけで,まずは(これ を読まれている多くの方々が十分にご存知であろう)大山先生の研究 者,教育者としての大きな足跡を述べさせていただいた後,私個人か ら見た大山先生について,お話しさせていただきます。 今更いうまでもありませんが,大山先生は,知覚心理学において, 世界の指導者の一人でした。実験心理学,心理学研究法,心理学史な ど幅広い研究分野にわたり研究されてこられ,140編以上の学術論文, 60冊以上のご著書出版という業績を積んでこられました。学術論文の 70編以上は英語論文で,その多くが海外の主要雑誌に掲載されてきま した。なかでも,大学院のときから行われていた錯視研究の論文は, 世界的にも非常に影響力があり,今でもレビュー論文で引用されるこ とが多いです。錯視研究が多く掲載される科学雑誌の中では世界でも トップクラスであるPerceptionのエディトリアルボードのメンバーを長 年されていたことでも,大山先生の錯視研究の世界での影響力の大き さを見ることができます。しかし,大山先生は,錯視研究だけにこだ わることなく,色覚,明るさ知覚,奥行き知覚から知覚情報処理的観 点に立ったパターン認識に至るまで,知覚研究の様々な分野に興味を 持たれ,多くの重要な研究成果を残されました。California大学Santa Barbara校のJohn Foley教授が,「大山先生は,な んであんなにいろいろなことができるのだろう」と驚きと尊敬の目で語っていたことを思い出します。 大山先生は,東京大学文学部を1951年にご卒業,同大学院を1956年にご修了ののち,当時としては例外的な早さで 1961年に文学博士号を授与され,1963年から64年まで,米国Columbia大学にご留学されてClarence Graham先生のも とで色覚を研究されました。1956年には,北海道大学に講師として赴任され,助教授になられたのち,1965年に千葉 大学に異動され,1968年に教授に昇進されました。1980年には,教授として東京大学に移られました。1988年に東大 を定年のためご退官し,日本大学文理学部の教授になられ,1995年から同学部長に就任され,1998年定年退職をされ たのちも,2008年まで同大学院の非常勤講師をされてこられ,大学院生の指導にあたってこられました。学協会への 貢献としても,日本心理学会常務理事,同編集委員長,日本学術会議会員,日本心理学会名誉会員,日本アニメー ション学会名誉会員など,輝かしいご職歴がございます。 私が初めて大山先生にお会いしたのが,大学3年の時,大山先生が東大に移られたときでした。大山先生がご退官 された1年後に私は渡米し現在に至りますので,この記を書きながら,大山先生から緊密なご指導をいただいたのが わずか8年間であったことに今更ながら驚きを禁じえません。というわけで,大山先生の千葉大時代でのご活躍につ いて實森正子先生と市原茂先生,日大時代のご活躍については戸澤純子先生に情報をいただき,また,いただいた文 章の一部の表現を使わせていただきました。この場を借りて,感謝の意を表したいと思います。

The Japanese Journal of Psychonomic Science

2020, Vol. 38, No. 2, 292–294

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293 渡邊: 大山正先生のご逝去を悼む 私が東大の学部生・大学院生だったときの鮮明な記憶の一つは,千葉大学の心理学講座の出身者や学生たちの知覚 心理学研究のレベルが極めて高かったことです。千葉大で大山先生は,心理学講座実験系の教授で,学生は1学年10 名程度,しかも,入学時にすでに心理学専攻が決まっていたため,1年次からきめ細かい指導が行われ,大山先生の 演習では,一人ひとりが英語論文を読んで,発表する形式がとられたそうです。この伝統は,大山先生が東大に移ら れてからも続き,千葉大出身の多くが優秀な研究者となっていきました。 大山先生が東大に移られたときに,私も心理学専攻の学生になったばかりであったので,それ以前の同学科の雰囲 気は直接は知りませんが,当時は,自分で研究し発表するというよりも,欧米で主流の研究を紹介するのを重視する 先生がたもいらしたと聞いています。東大での大山先生の学生への指導は,論文は,教養として読んだりまとめたり するのではなく,あくまで自ら行う実験研究の参考として読むこと,また自分の研究結果を英語で論文化し発表する, というスタイルでした。おそらく大山先生が千葉大でやられていたことを東大でも続けられたのだと思います。私は, そのやり方で薫陶を受けた初めの学生の一人でした。おかげで,私が博士号を取って,ポスドクとしてHarvard大学 で研究をしても,欧米の研究者に対して,全く遜色なく研究をすることができたと思っております。 東大から,日大に移られたのちも,大山先生は,従来同様に多くの重要な研究をされ,多くの学生を育てられまし た。私がアメリカから一時的に戻ったときには,大山先生門下の日大の大学院生の方々にみられる,研究に対する積 極的な態度,輝いた目が非常に印象的でした。大山先生は,日大時代も,ご自分の学生だけでなく,日本の知覚研究 の後進の育成という強いご意志の下,学会や研究会の中心的な役割をされていたと伺いました。千葉大時代に鷲見先 生と始められた「知覚研究会」は,2017年に72回目を開催され,「日本アニメーション学会」の初代会長も務められ ました。1998年7月25日に設立総会が行われ,会長に就任され,日本アニメーション学会を創立されたお一人であっ たわけです。1998年度から2003年度まで,3期6年会長を務められました。日本心理学会からの研究集会等助成金を 受けた「大山人間科学研究会」の参加者名簿には,千葉大名誉教授の御領先生や首都大学東京名誉教授の市原先生の お名前のほか,心理学以外がご専門の人間科学や医療関係の先生がたのお名前があります。この研究集会は2019年3 月まで行われていました。 このように,大山先生は,世界をリードする研究をされただけでなく,日本の心理学を高めるために多大の努力を なさいました。そのようなご努力と人間的な魅力のために,大山先生は,非常に多くの方々から,常に高く尊敬され ていました。大山先生が80歳のお祝いに,傘寿の会を東京の山の上ホテルで2008年6月22日に開催されたときに,今 井四郎先生,市川伸一先生,實森正子先生,椎名健先生を発起人として千葉大関係,東大関係,日大関係をはじめと する約200名の全国の先生がたがご参加されたそうです。大山先生ほど,多くの方々に尊敬され,また,親しまれた 心理学者は,日本に心理学が移入されて以来,他に何人いたでしょうか? 私は大山先生には,個人的に非常に仲良くしていただきました。私と大山先生のことをご存知の方々の多くは,大 山先生は,大学院では実は私の指導教官でなかったことをご存知ないのではないでしょうか。大学院時代は,指導教 官であった中谷先生の寛大なご理解の下,実験研究は大山先生,数理モデルは中谷先生にご指導をいただきました。 私が大学院に入るときに,お二人の先生が話しあってそのように決めたと,あとで知りました。この大学院時代の研 究とご指導により,どのように実験結果に数理モデルを適応するかを学ぶことができ,これ以降の私の研究の極めて 貴重なバックグラウンドになっています。 大山先生は,朝から夜6, 7時までは,研究,教育に真剣に集中されていて,お仕事中にお会いしたときは表情が硬 いことが多かったですが,いったんお仕事を終えるととてもリラックスされていました。私は,現在千葉大学の日比 野治雄先生とともに,1週間に1回は,夕ご飯,そのあと,お酒をご一緒しました。お酒が入ったあるとき,大山先生 は「私はモーツァルトの生き方が好きなんです。仕事をしているときはそれに全力を尽くし,そうでないときは仕事 を忘れて遊ぶ,そういうのがプロと言うものです」とおっしゃっていました。しかし,そうおっしゃいつつも,実は, 知覚心理学が本当にお好きで,世間話をされていても,知覚心理学に結び付けられることも多々ありました。数年前

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294 基礎心理学研究 第38巻 第2号 に,脳梗塞のあとのご療養中にお会いしたときに,「注意盲,失認というものがどういう現象であるか,体験できたの はよかったことだと思います。また,リハビリで知覚学習がどのように起こるか自己観察しています」とおっしゃっ ていました。大山先生の大学院時代の先輩や同年代の先生がたがよくいらっしゃる渋谷のバーによく連れて行ってい ただいたものですが,お会いした先生がたは,かなり豪快な方もいて羽目を外されることが少なくなかったです。し かし,大山先生は決して羽目を外されることなく,一方,羽目を外した方々の言動を観察するのを楽しんでおられる ところもありました。私自身は大学院時代にはかなり暴れん坊でおりまして,私が言いたい放題やりたい放題したと きでも,大山先生はかなりご寛大で,むしろ,面白がっていらっしゃったような気もします。本当に,懐が広く,許 容力のある方でした。 お酒だけでなく,大山先生とは,テニス,スキー,ハイキングなどをご一緒させていただきました。富士山に登っ たとき,私は高山病になってしまい山小屋に残ることになってしまいました。大山先生は,他の人たちと山頂に行き, 戻ってきたときに,回復した私を見て安心されながら「渡邊君のような若い人よりも私の方がよっぽど強靭だね」と 悪戯好きの子供のような表情で,おっしゃいました。前述のように大山先生は,色覚の大家のGraham先生のところ に1年間留学しておられ,Graham先生を学問の師と仰いでおられましたので,Graham先生がBrown大学にいらしたと きに開設し,その弟子で大山先生と交流のあったRiggs先生が引き継いだBrown大学の講座を,私が受け持つことに なったときに,本当に喜んでいただきました。また,大山先生は,2007年9月に日本心理学会国際賞特別賞を受賞さ れていますが,一昨年の秋に私が日本心理学会から同じ国際賞特別賞を授与されたときも,同様に喜んでいただき, 「私が2人目,あなたが11人目ですね。」とおっしゃって,奥様とお二人で,妻ともどもご馳走していただいたのが, お会いした最後となってしまいました。実は,そのときまで数年間ご無沙汰していたのですが,「喜んでいただいたな ら,しばらくお会いできなかった埋め合わせになっただろうか?」と思い,のちに,生前の父に対して同じようなこ とを考えたことがあったのに気づきました。昨年の12月にMoonshotという政府の多分野にわたる大型予算に関わる 有識者会議に招かれたときに,日本で心理学の影響力を大きくすることに情熱を捧げられていた大山先生に,また きっと喜んでいただけるだろうと報告するのを楽しみにしておりましたが,帰りの便が離陸するほんのすこし前に, 大山先生の訃報を知りました。大山先生と私の仲をご存知の10人近くの方々がほぼ同時にメールを送ってくださった のです。慌てて,葬儀社にお花を電話で注文することくらいしかできないことに歯がゆさを感じ,訃報を教えてくれ た大学院時代の先輩に言い訳っぽい長いメールを書いていました。そのとき,富士山で見た大山先生の子供っぽい笑 顔が成田空港の夕日の向こうに見えたような気がしました。 私も,アメリカに渡って30年以上が経ち,日本ではこのようなときにどのようなことを書くべきかわからなくなっ てしまいました。不適切な内容,表現があればお詫び申し上げます。私たち学徒は,大山先生のご遺志を継いで,知 覚心理学の分野のさらなる世界的発展,そして次世代のきめ細やかな育成に向けて貢献していきたい所存です。最後 に,追悼の記を書く機会を与えていただき,執筆にもご助力いただいた東大文学部心理学研究室の村上郁也教授にお 礼を申し上げます。 (ブラウン大学 認知言語心理学部 終身特別栄誉教授)

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