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(1)

23 

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完)

井 上 周 八

1 はじめに (2)差額池代の表ー(基本表〉の前提とその問題 2  「社会的必要労働時間」の二つの意味と価値 点

ならびに価値の大きさについて (3)問題となったマルクスの叙述

3  「属性」,「有用性」,「使用何億J,「価値

J

(4)差額地代の解釈にちげろ「生産説jと「流通

ついて 説j

4  「社会的必要労働時間」の「第1の意味

J

と ①「生産説」の主張

「三百・三重の競争」 ②「流霊説」の主張

5  「組合せ

J

による市場価値(乎均価値〉の成 ③「流通説」批判

①「生産説」の検討

6 市場価値の特殊規定「限界価値」をめぐる論 (5)第三の見解「社会全体の総剰余価値の−.1;1

争(以上前す〉 説」とその検討

7  「虚偽の社会的価値」論争とその解明 (6)絶対地代論段階での差額地代

(1)「価値論

J

にかかわる三つの論争問題 8 おわりに

7 差願地代第一形態論の難問題 一一虚偽の社会的価値の解明一一

(1)  「価値論」にかかわる三つの論争問題

マルクス価値論の深化・完成のためには,すくなくとも「資本論』の理解にあたって生じた 次の三つの論争問題を解決しなければならなL。、

すなわち(1)「社会的必要労働時間

J g e s e l l s c h a f  t l i c h   n o t w e n d i g e  A r b e i t z e i t

の二つの意味,(2)

『資本論』第

3

巻 第

1 0

章の「不明瞭な箇所

J

または「難解な箇所」とよばれる叔述,(3)『資本 論 』 第3巻 第39章の「虚偽の社会的価値」

f a l s c h e rs o z i a l e r   Wert

の三つの理解をめぐる問題 がこれである。この三つの問題の解明:土,商品の価値とは何か,またその大きさはどのように

L

てきまるのか,とL、う価値論の根本問題の解明に深く結びついている。

私は前稿(本誌前号所載〕で(1)と(2)について述べた。

(1)では,マルクスが『資本論』で「社会的必要労働時間」に与えた二つの意味を考察し,第

1

の意味が,需給の通常な場合の価値の大きさを決定する,生産に必要な労働時間の規定であ るのにたいし,第 2の意味は,社会が必要とする生産物(社会が必要とする生産物の生産lこ支出さ れた労働待問の生産物)のみが価値をもっという, 価値とは何か,についての正しい見解を含む 規定であること,を明らかにした。

価値とは,マルクスが誤って規定しているように,商品に結品した労働,価値実体

W e r t s u ‑

(2)

b s t a n z

としての拍象的人間的労働

a b s t r a k tm e n s c h l i c h e  A r b e i t

ではなく,商品にたいして社 会(すなわち人間〕が与えた「その商品を社会は必要としており,したがってその商品は人間に

とって価値がある」とし寸評価にほかならない。

この第

2

の意味の「社会的必要労働時間」は,価値とは何かとしづ価値の質的規定に関する ものであるが,しかし同時に価値の大きさにも関係をもつものである。すなわち或る特定の商 品が,第

2

の意味の「社会的必要労働時間」以上に生産された場合,その余分な生産物は価値 をもた郎、一一価値がゼロであるーーのであり,このため,生産された個々の商品も,それが 第1の意味の「社会的必要労働時間」の生産物であっても,その価値の大きさは,余分な生産 物を含めての全生産物が,第 lの意味の「社会的必要労働時間」によって生産されたものとし て評価され,したがって,必要とされる個々の生産物の価値の大きさは,第1の意味の「社会 的必要労働時間」以下となるのである。

マルクスは, 『資本論』第

3

巻第

3 7

章のなかでこのことを次のように述べていた。

「たとえば,比率的に多すぎる綿織物が生産されているが,この織物の総生産物中には,与 えられた諸条件のもとではそのために必要な労働時間だけが実現されているとしよう。だが,

総じて,この特殊的部門では多すぎる社会的労働が支出されているのである。すなわち生産物 の一部分は無用である。だからその全体は,あたかもそれが必要な比率で生産されたかのよう にしか売られない。社会的労働時間のうち相異なる特殊的生産諸部面に費されうる諸部分のこ の量的制限は,価値法則一般のーそう展開された表現に他ならない。」

このように,第

2

の意味の「社会的必要労働時間」の生産物のみが価値をもつのであり,こ こに価値とは何かについての正しい見解が示めされているのである。

また問題の(2)においては,需給が特殊に異常である場合には,単なる比率(組合せ〕によって 成立する平均価値が市場価値を規定するのではなく,最悪または最良の生産者の生産物の個別 的価値が市場価値を規定する,というマルクスの叔述の解明を試みた。

すなわち,ある商品にたいする需要が異常に強く,しかも社会がその商品を必要とする度合 が極めて

5

齢、にもかかわらず,供給がこれに対応できない異常な場合,たとえば景気循還の繁 栄期などの場合,価格変動の中心をなす市場価値は,比率(組合せ〉による平均価値ではなく,

最悪の企業の生産物の個別的価値(最も高い価値〉によって規定される,とL、う問題と,逆にあ る商品にたいする社会の需要が異常に弱く,しかも社会がその商品をそんなにたくさん必要と しないのに,その商品が過剰に存在しているとLづ異常な場合,たとえば景気循還の恐慌期な どの場合,価格変動の中心をなす市場価値は,比率(組合せ〉による平均価値でなく,最良の企 業の生産物の個別的価値(最も安い価値〉によって規定される,とLづ問題の考察である。

前者の場合,社会が市場に存在する商品を強く必要としており,それらの商品にたいして高 L、価値評価を与えているのである。そして最悪の企業の生産物の個別的価値が市場価値を規郁 し,この市場価値(より具体的には市場生産価格〉が,異常な需給関係の継続する一定期間,市場

(3)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〉 25  価格変動の中心となるのであり,主主に後者の場合は,社会がその商品を必要とする度合が極め て弱く,その商品にたいして低い価値評価を与え,最良の企業の生産物の個別的価値が市場イ臨 値を規制し,この市場価値が,異常な需給関係の継続する一定期間,市場価格変動の中心とな

るのである。

この場合の商品の市場価値は,それが最悪または最良の限界価値によって規定されるのであ るから,平均価値としての市場価値のように労働(時間〕の裏づけのない,労働時間以上または 以下の価値である。このようなことは,商品に内在する労働が価値であるとするマルクスの価4

値観からすれ

I i

納得することのできないことであった。

しかし商品に結晶した労働が価値ではなく,商品にたいする社会の「価値あり」とする評イ誌 が商品の価櫨であり,労働の生産物としての商品であっても,その商品が無用であれば価値は ないという正しい価値観に立つならこの問題も解決する。

また需給の異常な場合には,労働の裏づけのない市場価値が成立し,したがって,個別的価4

値と市場価値は,その総計において不一致となるー←一つまり上ヒ率〈組合せ〉とは別な結果となる ーーのである。そしてこの土うなことも,商品に内在する労働が価値ではなく,価値とは商品 に対して人聞が与える「価値めり」とする評価であるという正しい価値観からすれば,何ら問1

題とはならないのである。

以上の二つの問題の解明を遇じて,私ば,商品の価値とは,社会が,したがって社会を構成 している人聞が,商品に与える「価値あり」とする評価であり,商品の価値とは,商品にふく まれている労働ではないことを人間中心の価値観にもとづいて明らかにした。

ところで,資本主義社会で,社会(人間〉が商品に「価値あり」とL寸評価を与える場合,資 本主義社会でのこの評価は,購買力のある評価,すなわち「有効需要」のことを意味する。資 本主義社会が,或る商品を必要としているかどうかは,その商品に対する購買力のある需要,

つまり「有効需要」が存在するかどうか,ということなのであるべ

また,この社会の必要に応える生産(供給〕は,資本主義社会では利潤追求のための資本によ る生産である。各個の資本家は自己の生産物と同じ種類の生産物が,どれだけ市場にあらわれ るか,またその生産物がどれほどの需要をもつものであるかを事前に,正確に知ることばでき ず,資本家は相互に競争しながら商品を生産し販売してL崎。

競争によって同一生産部門内の個々の資本家は,その商品の個別的価値を市場価値に転化さ せ,異なった生産部門に属する諸資本家は,より多くの利潤を求めて生産部門聞を移動し,こ

4)資本主義社会での「社会的欲望

J

,「必要」,もしくは「需要」とは「支払能力のある欲望zahl gs: fahiges Bediinis」あるL、は「商品に対する市場で代表された欲望一一需要 Nachfage」のことで

あり,「有効需要 effectualdemand」のことである。この支払能力のある欲望lこ対して,購買力にな んら裏づけられていない単なる欲望は,アダム・スミスの名づけた絶対需要 absolute demandでゐ る。

(4)

れによって平均利潤率を成立させて市場価値を生産価格に転化させる。すなわち市場価値も生

,産価格も,無政府的競争の産物にほかならなU。、

そして同一生産部門内の諸資本の競争条件が通常の場合, つまり需給の正常な場合には比率 比率(組合 需要供給の異常な場合は,

〈組合せ〉による平均価値が市場価値の大きさを規定し,

とは別な結果である最悪または最良の企業の生産物の個別的価値の大きさが市場価値の大 きさを規定するのである。すなわち労働時間の裏付けのない市場価値の成立である。

ところが,需給の正常な場合でも労働時間の裏付けのない市場価値についてマルクスは述べ それが農産物の市場価イ直であり,(3)の差額地代第一形態論での難問題である。

マルクスが農産物の市場価値を「虫偽の社会的価値」と述べていることによ せ〉

ている。

この難問題は,

って激しい論争を『資本論』研究者の問に惹き起した。

『資本論』は単純から複雑へ,抽象から具体へと上向的に叙述されており,地代論は『資本 それ以前に解明されている経済

「価値」は 「社会的価 論

J

の最後に位置しているため,地代論を理解するためには,

的諸範曙,語法則の理解が不可欠である。例えば『資本論

J

第一章の

J

,「市場価値

J

,「市場生産価格」へと具体化されてL唱。この意味で地代論を理解すること は, 『資本論』全巻で展開されている価値論を理解することであり,それゆえ地代論を正しく 理解するか否かは「価値論理解の試金石」であるといわれているのである。なお地代論のなか でマルクスが「虚偽の社会的価値」と述べたことの意味を把握することは,特別に重要である。

マルクスが差額地代の表ー(基本表〕を作成して, 10クオークーの小麦の現 実的価値(現実的生産価格〉が240シリングであるにもかかわらず,それが600シリングの市場価 値(市場生産価格または一般的生産価格〉をもっとしたマルクスの差額地代第一形態論を検討し,

そこで本稿では,

この600シリングの市場価値を「虚偽の社会的価値」とよんだのは 同時にそこでマルクスが,

何故であるかについても明らかにしよう。

表額地代の表一〈基本表〕の前提とその問題点 (2) 

まずマルクスの差額地代表ーをみよう。

差額地代の基本表(表ー〕

本 | 利 潤 | 地 代

投下額!?三一!シ~) ; , ‑ ‑ ; =  

I

ヲ子 τ

;ヲグ

60 

50 

1/s 

10 

I  ‑

I  2 

120 

50 

11/s 

70 

1  60  3 

1so 

50 

' I s  

I  130 

2  :  120  4  240  50  3 1I6  190  180 

合 計

I

10 

Goo 

I  I  I  i 

360 

このマノレFスの基本表では各等級地問の豊度の差がA地の1に対してB地2,

c

地3, D地4と なっているが,エγゲルスはこの笠度の開きを上り小さくし, A10ブッシェル, B11,

c

12, D13, E14という,より現実を反映する数字で慕本表を作成し直している。しかし両者の数字 上の差異はもちろん差額地代の本質を解明するための支障をなすものではない。

7

シリング

方ノタ土地種類

(5)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〉 27  L、まここに量度(位置は捨象)の異なる

4

種類の土地があり,投下資本

I i

\、ずれも

5 0

シリング (40C +lOV),  平均利潤率は20%, そこでの経営はそれぞれ平均利潤10シリングを入手できる

としよう。

A

地は1クオーター, B地 l土2グォーター,

C

地は

3

クオーター,

D

地は

4

グオー ターの小麦を生産し,この総計10クォーターの小麦を社会が必要としている(購入している〉と すれば,マルクスの差額地代の表ーが成立する。

ここでの各等級地の1グオーダー当りの個別的価値(個別的生産価格〕は以下の通りである。、

A) 1クォーター=60シリンシ 1クォーター=60シリング B) 2クォーターニ60シリンダ 1クォーター=30シリング C〕3クォーター=60シリングダ 1クォーター=20シリング D〕4クォーター=60シリング 1クォータ−=15シリング 10クォータ−=240シリング,平均lクォーター=24シリング

しかし,小麦の市場価値(市場生産価格〉は最劣等地

A

1

クォータ−60シリングの惜別的価 値〔個別的生産価格〉によってきまるため, B, C,  D地ではそれぞれ60, 120,  180シリングの 超過利潤が発生する。そしてこの超過利潤が地代として地主に取り上げられる。これが差額地 代である。

表ーが前提している諸条件をあらためて指摘すれば以下のごとくである。

(1)  土地

A, B,  C ,   D

は面積が同一で,ただ豊度だけが異なる。

(2}  人地は小麦の社会的必要量を生産するために必要とされる最劣等地であり,

B , C, 

D,  地は順次に優良な土地である。

(3) 

A,  B ,   C,  D

地に同額(50シリング〉の資本が,同じように投下されている。

(4)小麦価格は

1

クォーター当り

3

ポンド=60シリングであり,平均利潤率は

2 0 9 6

である。

(5)小麦にたいする総需要は10クォーターで,これを充たすためにはA, B,  C,  Dでの総;

生産物がちょうど必要である。つまり需給は一致している。

以上のような前提は,差額地代を解明するために必要な前提であり,これらの前提のもとで のみ,差額地代の法則を純粋に明らかにすることができるのである。

また後述するように絶対地代は捨象されている。

以上のように農業が資本制的に経営される場合,同一面積ではあるが豊度(位置は捨象〉の異 なる土地へ等量の資本が投下され,不等な収穫を得たとすれば,この差額は土地的条件(豊度〉唱 の差異を自然的基礎として発生したものである。そしてこのような農業生産物への市場価値法 則の貫徹によって,農業独自の超過利潤である差額地代が発生する。優等地の借地農業資本家 は,その生産物を販売して利益を得るが,土地的条件による利益は土地所有の独占によって差一 額地代に転化する。

農産物の市場価値〈市場生産価洛)は,最劣等地の経営の生産物の個別的価値〈個別的生産価格〉

によって規定される。なぜであろうか。

もし農産物の市場価値が最劣等地Aの生産物の個別的価値によって規定されず,より優れた

(6)

土地の生産物の個別的価値によって規定されるならば, A:t也の資本家は平均利潤を入手できず,

このためA地から資本を引き上げてしまうであろう。もしA地から資本が撤去されるならば,

表ーの前提では, A地を除く優等地だけの小麦供給では社会の需要を充たすことができないの であるから,小去の市場価格は高騰し, A地の経営者が平均利潤を入手できる価格に引き戻さ れる。結局, 競争の結果, A地の投下資本が平均利潤を入手できるような市場価値(つまり A 地の生産物の個別的価値〕が市場価格変動の中心となる。

まと,需要と供給の関係が友化して,徒来のB地(さらにはC, D地〉がム地にとってかわって 最劣等地となり,そこでの個別的生産価格(個別的価値〉か市場生産価格(市場価値〉となる場 合や,逆に

A

地が平均利潤以上の超過利潤が入手できるような有利な事態となれば,

A

地より

も劣等なA'や人 II地が耕作圏内に参加して,従来のA地にとってかわり新たな最劣等地となる 場合もあろう。いずれにしても,農産物の市場価値(表ーではづ、友の市場価値〉は,最劣等地の生 産物の個別的価値によって規定される。この結果, 10グォーターの小麦は,その現実的価値

(現実的生産価格〉が240シリングしか設下されていないのに, 600シワングの市場価値をもつこ とになる。つまり 250t一セントの高すぎである。これは価値とは商品にふくまれている労働 であるとし寸価値観を固守する立場の人びとからすれば受けいれ難,1、ことであり,ここに,こ の問題をめくコて激しい論争が展開されたのである。

(3)  問題となったマルクスの叙述

以下,問題となったマルクスの叔述をみよう。

「10クオーターの現実的生産価格は240シリングである。これが600シリングで売られるので あって, 2509ぢの高すぎである。 lクォーターの現実的平均価格は24シリング,市場価格は60

シリングであり,やはり 250%の高すぎである。

これこそは市場価値一←資本制的生産様式の基礎上で競争を媒介として自らを貫徹する市場 価値一ーによる規定である。この規定は,ある虚偽の社会的価値

e i n e n f  a l s c h e n  s o z i a l e n   Wert 

を生みだす。この金偽の社会的価値は土地生産物を支配する市場価値の法則から発生する。生 産物,したがヮてまた土地生産物の市場価{宜の規定は,土地とその豊鏡度の差等とに基づくの ではなく,必然性をもって生産物の交換価値に基づくところの,一つの社会的行為一一社会的 に意識されず意図されないで行なわれる行為だとはいえーーである。資本制的社会形態が止拐 されて社会が意識的かつ計画的な組合として組織されると考えてみれば, 10クォーターは

2 4 0

シリングに含まれているのと同等量の自立的労働時間を表示する。だから社会は,この土地生 産物を,それに合まれている現実的労働時聞の

2

倍半では買取らないであろう。それと共に,

土地所有者なる一階級の基礎がなくなるであろう。」

ここで「10グォーターの現実的生産価格240シリング

J

とは, 160C40V+40D P 

C

平均利 潤〉のことであり,「これが600シリングで売られる」ということは,表ーをみてもわかるよう じ, 600シリングの市場生産価格=160C40V40DF360DR (差額地代〉で売られるとし、

(7)

マルクス価値論の深化・完成のために〈続・完〉

うことである。すなわち,現実的生産価格と市場生産価格の差額は360シリングであり,

29 

、 ヂ V

¥..̲.  I ̲  

Aこ現実的生産価権〈現笑的価値〉の裏づけのない市場生産価格〈市場価値〉が存在しているのであο

る。つまり,労働の裏づけのない価値の存在である円

(なお, DPとは平均利潤, DRとは差額地代, ARとは絶対地代の略号である。〉

このマルクスの叙述の解釈における対立的見解としては,向坂逸郎教授

C

主著『地代論研究』

改造社1948年2月(戦前のものの再刊〉〕を代表とする「流通説」と山田勝次郎教授

f

主著『地代論論 争批判』同友社1948年3月

1

を代表とする「生産説」があり,このほか第三の説として大島清教 長らの「社会全体の総剰余価値の一部説

J

が あ る ペ

以下,まず対立的見解である「生産説」と「流通説」を検討しよう。

(4)差額地代の解釈における「生産説」と「流通説」

①  「生産説」の主張

まず「生産説」的解釈の要旨は次下のごとくである。

同一面積の諸土地に投下された等量の諸資本の生産量の差は土地的条件(表ーの場合は豊度)Iこ 起圃している。だがこの差額が直ちに平均利潤以上の超過利潤として成立し,差額地代に転化 するのではなL、。この劣等地と優等地の生産量の差額は,単に差額地代成立の白然的基礎であ

5)マルクスは『資本論』第3巻第6篇第39章の差額地代第一形態論で, 「価値」範鴎と「生産価格」

範鳴を混用している。すなわちそこでの「個別的価値」とは「個別的生産価値」のことであり, 「市 場価値」とは「市場生産価格」のことであるが,マルクスl土「最劣等地の生産価格J,「生産物の市場 価値はつねに総生産価格を超える」,「現実的生産価格lま240シリングJである。これが600シリングで 売られろのは「市場価価値による規定である」などと述べている。

いうまでもなく「生産価格

J

とは「不変資本C十可変資本V十平均利潤DP」のことであり,市場 価値が同一生産部門内の競争によって成立する範鴎であるのに対し,生産価格は異種生産部門聞の競 争によって成立する範鳴である。

そして生産価格は『資本論』第3巻第2篤第9章「一紋的利潤率〈平均利潤率)の形成と商品価値 の生産価格への転形」のところで解明されているので,差額地代論では当然, 「生産価格」が前提と なる筈である。

しかし表ーの前提のもとで小麦という同一部門の生産物を問題にしているので,市場価値範鳴を使 用しても間違いではなL、。だが正確には「個別的価値」は「個別的生産価格J,「市場価格」は「市場 生産価格」といわなければならな1,¥ 0 このようなマルクスの価値(市場価値〕段階と生産価格段階の 用語の混用は,しかし差額地代成立の法則を解明する表ーの場合,とくに問題としなくともよし、。

なぜなち価値段階でも,生産価格段階でもそれぞれの数値は同じだからである。すなわち, 10クォー ターの小麦は600シリンクVコ市場価値をもつのであり,それi土600シリングの111場生産価倍でもある。

また10クォーターの小麦の現実的価値は240シリングであり,それは240シリングの現実的生産価格で もある。そしてこのような数値のー致は,表ーでは,農業!こ投下された資本の有機的構成が,全産業 部門に投下されている資本の平均的資本(SOC十20V)と同一であると前提されているからである。

o6 )この三つの見解の支持者の場合でも,それぞれの理論展開の内容をみると,そこには若干の相異が みられる。これら論点の相異については,拙著「地代の理論一一戦後論争点の批判的考察一一』 (理 論社, 1963年2月〕を参照されたい。

(8)

るにすぎない。差額地代は,最劣等地の坐産物の個別的価値が市場価値を規定することによっ て生まれるのである。このようなことになる根拠は,レーニンやリュビーモフの指摘している ように, 「土地経営の独占」と「土地豊皮の不等性および漸減性

J c 

I、う「農業経営特有の二 重の持殊性

J

が存在するからである。こうして最劣等地の資本はただ平均利潤のみを得るにす ぎないが,その他の資本は,平均利潤のほかに,その土地の豊度に照応した「強められた労 働」によって発生する超過利潤を入手する。すなわち土地の豊度によって「例外的な生産力を もっ労働は,自乗された〈=強められた)

p o t e n z i e r t e

労働として作用する,一ーすなわち,同じ 時間的に同種の社会的な平均労働よりも大きい価値を創造する」〈『資本論』第1巻第4篇第10章 相対的剰余価値の概念〕のである。この超過利潤は,土地所有者に地代として支払われる。した がって

6 0 0

シリングは農業生産部門内部で生産された真実の価値であり,

3 6 0

シリングは真実の 剰余価値が地代に転化したものであり,差額地代は農業内部で生産されているのである。

②  「流通説」の主張

「生産説」に反対する「流通説」的解釈の要旨は次のごとくである。

問題の箇所で

1 0

クォーターの小麦の現実的生産価格(現実的価値〉は

2 4 0

シリングである。こ れが

6 0 0

シリングで売られるから

250%

の高過ぎであり,

3 6 0

シリングの現実的生産価格(現実 的価値)以上の超過分たる差額地代が生ずる。この部分はなんら人間労働を含まず, この意味 で「一つの虚偽の社会的価値」である。この部分は現実に価値の実体を合む土地生産物以外の 商品との不等価交換によって農業部門に持ち込まれたものである。したがって

1 0

クォーターの 小去の価値は

2 4 0

シリングであり,

6 0 0

シリングは価値以上の価格なのである。

@ 

「流通説」批判

そこでまず,この「流通説」から検討しよう。

「流通説」にたいする議lの疑問は,工業の超過利潤と差額地代の尚一性を認めないのはな ぜか,ということである。

工業の超過利潤と差額地内土,本質的には,同一性をもっている。すなわち,差額地代は最 劣等地にくらべて有利な土地,より高い畳度をもっ土地に投下された資本の超過利調であり,

したがって価値以上の価格ではなく,あくまでも価値なのである。ただ差額地代が工業の超過 利潤と異なる点は,土地生産部門であり, 「土地経営の独占」があるため,資本的条件で、は社 会的標準的ではあるが,土地的条件では最劣等地の経詰の生産物の個別的価値(個別的生産価 格〉が ilf場価値(市場生産価格〉を規定し,このため個別的価値(個別的生産価格〕と市場価値

(市場生産価格)が総計では一致せず,表ーでは個別的価値の総計が

2 4 0

シリングであるのに市 場価.値の総計は

6 0 0

シリングとなっているのである。

農産物の個別的価値〈個別的生産価格〉と市場価値〈市場生産価格〉の総計における不一致があ るにもかかわらず,差額地代が価値であり,農産物の価値の一部であることを理解するために は,工業の超過利潤と差額地代の問一性ならびに, 「土地経営の独占」についての正しい理解

(9)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〉 31:  が必要である。

マルクスは工業の超過利潤と差額地代の同一性と差別性について次のように述べている。

「単なる差額地代一一それは資本がある他の投下部面の代りに土地に投下されることから生 ずるのではない一一ーには理論的には何ら困難な点はない。それは,すべての工業生産部面で平 均的条件よりも優良な条件のもとで作業するすべての資本にとって存在する超過利潤にほかな らない。ただ,それが農業では,種々の土地種類の自然的豊度の差異というような堅固な(栴 対的に〕固定的な基礎にもとづくが故に,固定化されるだけだ。」(「エンゲルス宛手紙」 1862年8 月2日〕

このようにマルクスは,有利な資本的条件によって生ずる工業の超過利潤と,有利な土地的 条件によって生ずる差額地代の同一性を指摘すると同時に,差額地代の固定化についても述べ ている。

工業の超過利潤と差額地代の同一性の理解とならんで,なぜ最劣等地の経営の生産物の個別 的価値が市場価値を規定するのか,としづ問題を理解することが必要である。レーニンは次の

ように述べている。

「農産物の生産価格は,資本主義諸国では土地の面積に限りがあり,その土地がのこらず個 々の所有主に占拠されているために,中位の土地の生産費ではなしに最劣等地の生産費によっ て,生産物を市場に供給する条件が中位のばあいでなしにもっとも悪いばあいの生産費によっ て決定される。」(「カール・マルクス

J

レーニン全集21巻50ページ〕

「土地の有限性のために,穀物価格は,中位の質の土地における生産条件によってではなく少 最劣等地の耕地における生産条件によって決定されるようになる。」(「農業問題とマルクス批判家」

レーニン全集5巻105ページ〉

「この有限性は,…・・・ある種の独占をつくりだすのである。すなわち,全部の土地が農業企 業家によって占有されており,また最劣等地や市場からもっとも遠くはなれた地所をふくめた 全部の土地で生産されるすべての穀物に需要があるので,穀物価格を決定するものは,最劣等 地における生産価格〈あるいは,最後の,もっとも非生産的な資本支出のもとでの生産価格〕であるこ

とは当然であるの。」(同上, 108ページ〉

7

〕レーニンが「市場からもっとも遠くはなれた地所」と述べているのは位置についての最劣地であ り,したがって位置に起因する差額第代のことである。

差額地代第一形態には豊度に起因するものと土地の位置に起因するものがある。豊度の高い土地と 同様に市場からの有利な位置にある土地経営は,他の経営的諸条件が同一であっても,より高い利潤ヂ

(超過利潤〕を入手できる。 Lぜ経営条件および豊度はまったく同じであるが,市場に対する位置の みが異なる同一面積の4つの土地経営があるとする。 Aがもっとも不利でB, C,  Dはしだいに有利 であるとする。小麦1クオーター当りの輸送費がDは5シリング, Cは10シリング, Bは15シリング,a

Aは20シリングである,とすると, Aの20シリングを含めたクォーター当りの個別的生産価格となり,

D は20‑5 =15シリング, Cは20ー10=10シリング, Bシ20ー15=5リングの超過利潤が生ずる。こ

(10)

要するにレーニンは,三長記地代発生の根拠を「土地の有限性」一→「土地経首の独占」一一

「最劣等地の生産物の個別的価値〈個別的生産価格〉による市場価値(市場生産価格〉の規定jと 正しくみているのである8。)

そして,ここでの「土地経営の独占」とは,有利な土地的条件の独占的経営のことであり,

これが差額地代成立の原因なのである。

このように差寝地代は「土地経営の独占」による農業独白の超過利潤であり,工業の超過利 潤 と 同 様 にs商品価値の一部をなす。た芯差額地代は優等地の経色 者から地主に支払われ,工 業の超過利潤のように生産物の市場価値を低くすることはない。このため農業生産物の個別的 価値の総計と市場価値の総計は不一致となる。

2

の疑問ii,なぜ農産物が差額地代部分どけ,より高く非土地生産部門のとと底物と不等{国 交換されるのか,とL、う疑問である。

土地生産百13円以外の産業部門では,平均利潤の形成を阻止するなんらの障碍もないので,そ

れが位置にもとづく差額地代として地主に取得されるのである。

またレ}ヱンが「最後の,もっとも非生産的な資本支出のもとでの生産価格」が「穀物価格を決汚 する」というのは差額地代第2形態の場合でめる。

差額地代の第l形態は量度と位蓋にもとづくものであるが,この第1形態のほかに,差額地代の第 2形態がある。第2形態は同一面積の土地に資本を追加投資して生ずる地代である。差額地代第1形 態は同一資本が異なった種類の土地,例えばA, B,  C,  D地へ投下された場合,優等地に生ずるも のであったが,差額地代第2形態は,たとえば優等地Dに同一資本(単位資本〉がつざつぎに追加投 資され,これらの追加資本に生産量の差がある場合に生ずる超過利潤が地主に取得されたものである。

つまり第1形態が種類の異なる土地へ並行的・外延的に資本を投下して生じたのに対し,第2形態は 毘ーの土地へ集約的・追加的に投下した場合に生ずるのである。しかし,いずれの場合も単位資本の 投下に対し,相異なる豊度を示すのは土地であって,資本が並行的に投下されるか,継起的に投下さ れるかは,差額地代となるべき超過利潤の形成にとっては本質的差異はない。

¥  ' i

技術を一定と前提し,向一面積の土地に50シリングの資本を4簡の追加投資をし,第l次投資 から4クォーター,第2次3クォーター,第3次2クォーター,第4次1クォータの小乏を生産したと しよう。平均利潤率を20%とすれば, 1クォーター当たりの個別的生産価格は第l次投資は15シリン グ,第2次投資は20シリング,第3次投資は30シリング,第4次投資は60シリングとな。そこでクオ ーター当りの市場生産価格は,もっとも生産性の{郎、第4次投資の60シリング(40ClOVlODP) 

となり,第1次,第2次,第3次の投資は,それぞれ180シリング, 120シリング, 60シリングの超過 利潤が生ずる。これが差額地代第二形態である。

差額地代第一形態、が異種類の土地で並行的におこなったことを,第二形態は同ーの土地で継起的に おこなっているのである。差額地代第一形態、は歴史的にも第二形態の出発点および基礎をなしている。

というのは,農業資本の投下は,まず未耕地に市けられL,ついで既耕地の追加投資に向けられるから である。 it.乙理論的にも,差額地代第一形態の理解なくしては差額地代第二形態を理解することはで

きなL。、

8)しかしレーニンlこは, 240シリングの現実的価値を投下して生産された10クォーターの小麦が600シ リングの市場価値をもち, 「虚偽の社会均価値」である,とマルクスが述べたことにたいする立入っ た解明はない。

(11)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〉 33  こでの各産業部門の剰余価値は平均利潤の形成に参加している。こうして成立した工業の市場

,生産価格(市場価値〉をもっ生産物と,同じく市場生産価格(市場価値〉をもっ農業生産物との 等価交換がなされるのであって, 「流通説」の主張するような土地生産物と非土地生産物の不 等価交換は存在しないのである。

「流通説」が主張しようとしたことは,非土地生産部門の生産物の市場価値(市場生産価格〉

は,その現実的価値(現実的生産価格〉と総計では一致し,労働時間の裏づけがあるのにたいし,

土地生産部門の生産物の場合は,総計で不一致であり,表ーでのように360シリングが現実的 価値の裏づけのない価格であり, 600シリングの農産物と 600シリングの工業生産物の交換は不 等価交換だ,ということである。しかしマルクスは10グオーターの 600シリングを市場価値と

しており一一「不明瞭な箇所」の場合も労働時間の裏づけのない市場価値を認めている一一,

農・工生産物聞の不等価交換説をマルクスが採用していないことは明白である。

不等価交換説の支持者たちは,計画的な組合社会では,現実的労働時間の2倍半では買取ら ないとL、うマルクスの叔述から不等価交換説を正いものと考えているが,これは誤解で,反 対にマルクスの述べていることは,計画的組合社会では,当然現実的労働時間の

2

倍半では買 取らないにもかかわらず,資本主義的生産様式のもとでの,競争を媒介として貫徹される市場 価値規定の結果, 10グオーターの小麦が 600シリングの市場価値をもち,このため, 10クオー ターの小麦は,社会的に600シリングの市場価値をもつのであって,この600シリングの農産物 は,当然,資本制社会では600シリングの市場価値をもっ工業生産物と交換されるとL、うこと であり,農・工聞の等価交換ではあっても不等価交換ではないということなのである。

このように, 10クォーターの小麦が,その現実的価値が

2 4 0

シリングであるにもかかわらず,

•600 シリングの市場価値をもち, 360 シリングが現実的価値よりも高値となっているということ は, 600シリングの市場価値を 10クォーターの小麦がもたない,ということを意味するもので はない。

3

の疑問は, 「流通説」が「虚偽の社会的価値」を「虚偽の価値」「虚偽の市場価値」と 同一視していることにたいする疑問である。 600シリングが価値でなく,価値以上の価格であ り, 「車偽の社会的価値」であるとするなら, 600シリングは「虚偽の市場価値

J

でもある,

ということになる。また「不明瞭な箇所」でマルクスが述べている市場価値も,同じように

「虚偽の市場価値」とL、うことになる。しかしマルクスは,需給の異常な場合に成立する市場 価値を「壷偽の市場価値」と述べてはおらず,真実の市場価値として叔述していることは明ら

かである。同様にマルクスは,表ーでも 600シリングを市場価値法則によるものであり,市場 価値規定によるものである,と述べているのである。したがって,この点を「流通説」はどう 考えているかとLづ疑問が,生ずるのである。

「流通説」の主張は, 360シリングの現実的生産価格(現実的価値〉以上の超過分は,なんら 人間労働を含まないから,価値ではなく, 「虚偽の価値」である,ということである。

(12)

しかし本誌前号でも強調したように,商品に含まれている労働が価値ではないのである。価}

値イコール労働という考えにとらわれている限り「不明瞭な箇所」も,また「差額地代」の開通 題も決して解決することはできないのである。

「虚偽の社会的価値 einefalscher sozialer  Wert」とは,「虚偽の社会的価値gesellschaftlie‑ cher  Wert」を意味するものではないのである。

そもそもマルクスが「ある虚偽の社会的価値」と述べているのは『資本論』のなかで,ただ 差額地代第一形態を論じた箇所だけである。マルクスは,士地生産物を支配する市場価値規定命

は「ある虚偽の社会的価値 einenfalschen sozialen  Wertを生み出す」と述べているが,ここ で,日本語で「社会的価値」と訳されている原語のドイツ語は,マルクスが,価値→社会的価6

値→市場価値としづ商品価値の抽象的段階からより具体的段階への発展のなかで使用している

「社会的価値」(『資本論』の他の箇所で用いられている「社会的価値」〉,すなわち gesellschaftlicher Wertとは異なっているのであって,マルクスは,それを sozialer Wertとよんでいるのであ る。

そしてこのマルクスの使用した言葉の相異はロシヤ訳では o6mecTBeHHaCTOHMJIOCTb

COU:HaJJhHa CTOHMOCTb と区別して訳されている。 しかし日本語訳の『資本論』では, この gesellschaftlicher  WertとsozialerWertをL、ずれも「社会的価値」と訳し,原語であるドイ

ツ語の相異はわからなくなっている。

なお英訳(socialvalue)も,仏訳(valeur sociale)も,中国語訳(社会価値〉も,朝鮮語訳(λト 司有7干支

D

も同一訳語であり,原語の区別が判らなくなっている。

ゾチア戸ル ゲゼルシャフトトツヒ

したがってマルクスが「虚偽の社会的価値」と述べたのは「虚偽の社会的価値」とし、うこと ではなく,表ーの

1 0

クオーターの小麦の

6 0 0

シリングの市場価値が「虚偽の市場価値」である?

ということを意味するものではないのである。すなわち

6 0 0

シリングは,真実の価値であり,

真実の社会的価値であり,真実の市場価値なのであるへ

ではなぜマルクスは「虚偽の社会的価値」と述べたのであろうか。

それは,ささにも述べたように,工業生産物(非土地生産部門の生産物〉の価値の大きさが,資 本的条件の有利さを自由に,全社会的に採用しながら決定される一一諸資本の自由な,全社会 的な競争によって決定される一ーのに対して,農産物(土地生産部門の生産物〉は,有利な土地的 条件が,それを使用している経営によって独占されている(土地経営の独占〉ため,有利な土地 的条件を,自由に,全社会的に採用することができない,とL、う条件のもとで農産物の価値が 決定されるので,この意味において,表ーの小麦の価値は,社会的でないのであり, したがっ

9〕gesellschaftlicherとsozialeγとし、う『資本論』でのドイツ語の差を指摘したのは,綿谷赴夫氏の・

功績である。氏は『農業総合研究』 (8巻4号, 1654年10月〕所収の論文「資本主義成立における農 民層分解の古典的意義jで「gesellschaftlicherWeγtとしては等価交換, sozialerWertとしては不;

等価交換」説を主張(この主張自体はあとでみるように誤りである〉したのである。

(13)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〕 35 

マ f a l s c h

な社会的価値である,とマルクスが『資本論』の差額地代を論じた,ただこのーカ

;所においてのみ,述べたのである。

以上のように「流通説」は,マルグスが「壷偽の社会的価値」と述べた意味を正しく理解す ることができず,それを価値の大きさ以上の価格と誤まって理解し,農・工生産物の不等交換 を主張し,流通過程をへて,差額地代が,非土地生産部門から土地生産部門へ流入する,とみ る誤まった主張を行なったのである。

④  「生産説」の検討

「生産説」は,①差額地代と工業の超過利潤の同一性を認めたこと,①レーニンに学んで

「農業経営の特殊性」にもとづく「土地経堂の独占」の役割を強調したこと,③「流通説」の

「不等価交換説」を批判したことなど,「流通説」にくらべて正しい所説であった。しかし「生 産説」も次のような問題の解明が不徹底であった。

①「流通説」と同様にこの説も,マルクスが市場価値規定が「ある虚偽の社会的価値

e i n e n

̲ f a l s c h e n  s o z i a l e n   Wert

を生み出す」と述べた真意を正しく理解することができなかった。

⑦工業の超過利潤と差額地代の同一性をマルクスと同様に理解

L

,現実的価値

2 4 0

シリング をもっ

1 0

クォーターの小麦が

6 0 0

シリングの市場価値をもつことを「生産説」は肯定している が,この場合,工業での「強められた労働」によって生ずる超過利潤は,他方での「弱められ た労働」

σ

資本論』には「弱められた労働

J c

'づ用語はないが〕によって生ずるマイナスの超過利 潤によって相殺され,個別的価値と市場価値が総計において一致するのに対し,農業でi土

1 0

オーターの小麦の個別的価値の総計が

2 4 0

シリシグで、あるのに,それが

6 0 0

シリングの市場価慣 をもっており,個別的価値と市場価値が総計において不一致となっていること,このことを

「価値論」と何ら矛盾するものではなし逆に,農産物にも価笹規定,価値法則が貫徹した結 戸果であることを「生産説」はより探く解明すべきであり, この点で不徹底で、あったと思われ

る。

①については,すでに「流通説」批判のところで述べた。そこで②について考察しよう。

⑦の問題,すなわち工業での強められた労働は,他方での弱められた労働によって相殺され,

個別的価値と市場価値が総計において一致するのに対し,農業では不一致(差額地代だけ市場価 値が大引つであるのは,既述のように最劣等地の生産物の個別的価値が市場価値を規定する

からであり,最劣等地の生産物の個別的価値が市場価値を規定するのは「土地経営の独占」が 存在する条件のもとで市場価値法則が貫徹した結果である。

では市場価値法則l土,どのように貫徹しているのか。まず最劣等地の生産物の個別的価値の 大きさは,マルクスが価値の犬きさを規定するとした「社会的必要労働時間」(第1の意味〉に よって規定されているのである。表ーでは最劣等地には工業(非土地生産部門〉の平均資本が投 下されている。つまり「現存の社会的標準的生産諸条件と労働の熟練と強度の平均度の労働

J

4

こよって最劣等地の生産物は生産されており,この最劣等地の生産物の個別的価値が市場価値

(14)

を規定するのである。つまり「社会的必要労働時間」(第1の意味)によって小麦の価値の大き さは決定されているのである。

最劣等地とは,土地的条件であろ豊度が相対的にゼロである土地である。したがって「社会v 的必要労働時間」を規定する「社会的標準的生産諸条件」のなかには「土地的条件」は含めら れていない。

そもそち,価値の大きさを規定する「社会的必要労働時間」とは,社会的標準的生産諸条件 である機械,原料などの価値と,労働力の価値とその生み出す剰余価値を新生産物への移転す る労働時間を意味する。つまり「生きた労働」(可変資本)と「過去の労働」〈不変資本〉をプラ スした労働時間である。

ところが,土地としづ生産条件は,労働の生産物ではなく,労働時間に裏付けられていなLc、 それゆえ土地的条件は,価値の大きさを決定する「社会的必要労働時間」に参加することはで きなL、。したがって価値の大きさを意味する[社会的必要労働時間」を規定する「生産詰条 件」のなかには「土地的条件」はそもそも合まれていないのである。そしてこの,労働の生産 力を高める労働の生産物でない無償の自然力が独占されて,差額地代部分だけ農産物の市場価 値を高めるのである。このように農産物の価値の大きさは資本的条件については,いわゆる

「平均原理

J

が貫徹し, 「土地的条件」においては,士地的条件ゼロの最劣等地の生産物の個d 別的価値によって規定され,いわゆる「限界尿理」が貫徹しているのである。そして有利な土 地的条件を独占している経営は,差額地代となる超過利簡を入手する。この差額地代は,地主 に取得され,一般的利潤率の形成にも参加せず,農産物の市場価値を労働時間の裏付けのない 差額地代部分(表ーで、の360シリンクつだけ高値に規定する。このようなことになるのは,有利なー 土地的条件が特定の土地経営者に独占され,競争によって社会的に充用され,普及されること がないからであり,この意味で「虚偽の社会的価値」だからである。

このことを私は,かつて『地代の理論』(理論社1963年2月〉で次のように述べた。

「独占的自然力が有限であり,かつ豊度および位置を異にしているため『土地経営の独占』

が生まれ,こ(})結果,独占的農業経営が入手する差額地代部分が一般的利潤率の形成に参加し ないということは,農産物の市場価値が独占的自然力をその自然的基礎として成立する超過利i 潤とは無関係に成立しているということである。つまり資本的・経営的条件は社会的・標準的 だが,土地的条件は相対的にゼロであるところの最劣等地で,農産物の一般的生産悩格が成立 している,とL、うことである。すなわち土地的条件=限界原理であり,農産物の市場価値が土 地的粂伴の相対的にゼロであると乙ろで決定されることの必然位は,山国民がレーニンに依拠 して強調した土地の有限性をその自然的基礎とする土地経堂の独占と,土地豊度の不等性およ び毒死滅怯をその白然的基礎とする各経営資本の生産力の不等性および漸減性とL、う『二重の特 殊性』をもっ農業生産部門に資本の競争が行なわれ,市場価値法則が貫徹した結果なのである酢 かくして土地的条件=限界原理の成立や,最劣等地の標準的経営の生産物による

r t r

場価値の決

(15)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〉 37  定とL、う事態、は, 『資本論』冒頭の価値規定の貫徹の結果であって, 『資本論』冒頭の社会的 必要労働時間の規定は独占されうる土地的生産条件を除いた・資本の自由にしうる生産条件が 標準的であって, しかもそこでの生産の主体的原因たる労働力も平均労働力であるとL、う前提 のもとで,何らかの使用価値を生産するのに必要な労働時間なのである。」

( 1 6 3 〜 1 6 4

ページ〉

しかし,このような当時の私の理解も,商品に凝固した労働が価値である,というマルクス の価値論を誤まって固守するなら,やはり次の疑問が残る。すなわち, 10クォーターの小麦に は,

2 4 0

シリングしか投下されていないのに,それが

6 0 0

シリングの市場価値をもっというなら,

3 6 0

シリンク。は,労働の裏付けのない市場価値だということになるのではないか,とL、う疑問 である。別言すれば

2 4 0

時間の生産物が

6 0 0

時間の価値をもつのだから,この

6 0 0

時間のうちの

3 6 0

時間は,労働時閣の裏付けがないということになるのではないか,とLづ疑問である。

この疑問も,これまでの問題解決の基礎となった価値とは何か,および交換価値の大きさは どのようにしてきまるか,とLづ価値論の根本問題の正しL、理解によって解決される。

すなわち,差額地代の基本表(表ー〉は, 10クォーターの小麦を社会が必要としており,その 必要をA, B,  C,  D地の10クォーターの生産物によって充たしている,とL寸前提であり,

このことは,

1 0

グォーターの小麦を社会が必要としており, 10グオーターの小麦に対して社会 が「価値あり」と評価していることにほかならなL、。つまり,まず10クオーターの小麦は,

「むだな」生産物ではなく,まさに価値物なのである。また,このことは10クォーターの小麦 の生産に支出された現実的労働時間

2 4 0

時間は,第

2

の意味での「社会的必要労働時間」だと いうことである。そして第二の意味の「社会的必要労働時間」の生産物が第一の意味の「社会 的必要労働時間」によってその大きさを規定される場合が通常であった。すなわち通常の需給 関係のもとで需要と供給の一致により商品の価値の大きさが「社会的必要労働時間」(第lの意 味〉によって決定されることを妨げられない通常の場合である。 しかし需給の異常な場合には,

そうではないことについては「不明瞭な箇所」の解明で,すでにみた通りである。

では,差額地代第一形態論の場合はどうであろうか。差額地代表ーの例は,需給が

E

常な場 合である10。)

10〕一部の学者は最劣等地の企業の生産物の個別的価低が市場価値を規定するとL、うマルクスの差額地 代論について,既述の「不明瞭な箇所」の最悪の企業の生産物の個別的価値が市場価値を規定する場 合の一例である,と述べている。しかしこの解釈はマルクスの差額地代論の不正確な理解にもとづく 誤った解釈である。

その理由の第寸土,マルクスが差額地代第一形態を表ーにもとづいて説明している箇所は,需給の 正常な場合が前提とされており, 10章での開設の箇所のように需給の異常な場合ではないからである。

第二の理由は,表ーの例では,最悪または最良の企業の生産物の個別的価値(限界価値〕が市場価 値を規定しているのではなく,資本的・経営的諸条件が社会的に標準的な企業の生産物の個別的価値

(平均価値〉が市場価値を規定しているからである。

ただ最悪なのは土地的条件だけである。そして土地的条件が最悪の生産物の個別的価値とは,すな

(16)

それにもかかわらず,どうして現実的価値

2 4 0

シリングが

6 0 0

シリングの市場価値となるのか。

その理由は,既に指摘したように土地生産物だからである。レーニンが指摘しているように,

まず土地は有限で、あり,その豊度は不等であり,かつ生産を同一土地で繰り返せば,他の条件 が不変ならば,豊度も漸減する。そこで優良な土地を,ある農業経営が独占的に使用するなら,

そこから生まれる土地的条件を自然的基礎として,競争によって発生する超過利潤は,独占的 農業経営者の手にはいり,次で地主への地代とならざるを得ないのである。

この結果はどうなるのか。農産物の市場価値(市場生産制洛〉は,地主が差額地代を,資本家 は平均利潤を,そして賃金労働者は労働力の再生産費を賃金としてそれぞれ受取ることのでき る大きさとなるのである。つまり小麦の価値の大きさは最劣等地の生産物の個別的価値である

1

グオータ−

6 0

シリング(不変資本

4 0

十可変資本

1 0

十平均利潤

1 0

)によって決定され'

1 0

グォータ ーは

6 0 0

シリングの市場価値(市場生産価格〕をもつことになるのである。このことは地代論以 前に展開されたマルクスの価値の大きさの規定と何ら矛盾するものではなく,その貫徹である。

あらためて指摘すれば,最劣等地の経営の生産物の{回別的価値によって市場価値が規定され ているとし、うことは,生産諸条件が社会的標準的で、あり,労働の熟練と強度の平均的労働力を 充用しているところの経営の宝産物の個別的価値によって市場価値が規定されているというこ となのである。 「土地経首の独占」によって,土地の皇位を自然的基礎として成立する超過利 調 Ii,差額地代として地主に取得されるが,この差額地代部分は,平均利潤の形成に参加せず,

農産物の市場伯値の大きさを差額地代分だけ高値とする。こうして,資本家は,投

f

資本に対 する利潤(競争により平均利潤となる〕を入手し,地主は差額地代(絶沿地代は捨象〉を入手する。

資本家は利潤が入手できなければ農業経営に資本を投下しないし,地主は差額地代が入手でき なければ,借地農業経営者に優良な土地を貸さない。こうして, 1クォーターが

6 0

シリングの 市場価値となった場合,地主も資本家もそれぞれの要求をみたすことLなる。

本誌前号の拙稿で述べた,いわゆる「三面・三重」の競争は,生産者め内部競争,消費者の 拘部競争,生産者全体と消費者全体の競争で、あるが,このなかの生産者内部にii,資本家と賃 わち資本的・経営的諸条件が社会的に標準的な企業の個別的価値のことであり,それゆえ市場価箆の ことなのである。再言すれば,ただ最悪なのは土地的条件だけなのである。この土地的条件が,マル クスの

r ‑ 1

上会的必要労倒時間」(第1の意味〉を規定する生産諸条件のなか!こ含まれないのは,土地 経営の独i守により,土地的条件の有利さをあらゆる経営が,資本的条件乃ように自由;二採沼できない からである。したがって農産物の市場価値の成立においては,資本的条件では「平均原理」が9土地 的条件においては「限界原理」が貫徹しているのである。

以上で明らかにしたように「不明瞭令箇所」の最悪の企業の宝産物が市場価値を規定する具体例が,

表ーの場合である,とする A部の主張:ままったくの誤りである。表ーは需給つ正常な場合であり,異 常な場合ではないのであり,また土地的条件を除いては,平均原理で貫徹しているのである。

もちろん,小麦iこ対する需給の異常な場合がないとはいえないであろう。その場合には最劣等地経 営の諸資本のなかの最悪または最良の企業(表ーでは最劣等地7コ経営lJ刊当時な経営と前提されてい るのだが,現実がそうでないことは勿論である〉の生産物埼玉市場価値を規制するのである。

(17)

マルクス価値論の深化・完成のために(続・完〉 39  金労働者との対立的競争が存在していることはL、うまでもない。そして土地生産部門になると,

さらに資本家と地主の競争が剰余価値収奪競争として加わっているのである。つまり「三面・

三重競争」に地主も参加するのである。そしてこの結果,最劣等地の生産物の個別的価値が市 場価値を規定し, 1グォーター=60シリングを市場価値の大きさとすることになるのである。

以上のことは10クオークーの小麦が価値物であり, 10グオーター=600シリングが競争によ って成立する市場価値の大きさであることを意味している。 360シリングの裏付けがないこと は, 10クォーターが価値物であることを否定するものではなく, 10クオーター=600シリング であることは,社会的標準的生産諸条件と労働の熟練と強度の異なる生産物の組合せによって,

すなわち比率によって成立する市場価値〈平均価値〉だということである。ただ土地的条件だけ には限界原理が成立する。土地的条件にまで平均原理を貫徹させようとするのは, 「土地経営 の独占

J

の存在を無視する誤りたのである。

(5)  第三の見解「社会全体の総剰余価値の一部説」とその検討

「流通説」および「生産説

J

のほかに第三の見解として「差額地代=社会全体の総剰余価値 の一部説」がある。この説は大島清,綿谷赴夫,葉原百寿の諸氏によってなされた。

法政大学の大鳥清教授は,講座『資本論の解明'~

c

理論社)第

5

分冊の「地代論」において以 下のような見解を述べている。

差額地代に転化する超過利潤は,資本が独占することのできる特殊な白然力を包摂した場合,

その白然力(土地〉の性質の差異を基礎として発生したものであるから,資本自体の高い生産力 から発生したものでなく,それゆえ資本自体を原因とする「強められた労働」の結果成立する 超過利潤とはその発生の根拠を異にする。このことは,工業の超過利潤がつねに個別資本のよ り高い生産力の発揮によりあらわれるの L瓦し,差額地代はより劣等な土地が耕作

ι

引き入れ られて,個別資本の生産力が低下した場合においても生ずるとL寸事実にもあらわれており,

また工業の超過利潤が一時的・過渡的であるのに対し,差額地代は比較的永続的でめり,固定 的である点,工業の超過利潤は正常な市場価値法則のもとにおいて生産されたものであるのに 反し,差額地代は農産物を規制する市場価値法則のそディフィケーション(偏侍〉から生ずる点,

さらに資本白体から生ずる超過利潤は平均以下の個別資本の失うマイナスによって打消され,

一部門全体としてみれば,個別的価値の合計と社会的価値の総額とが一致するのに対し,差額 地代はつねに個別的価値の合計と社会的価値の総額が不一致であるという点,等にあらわれて L、る。そこで工業生産物を購買する消費者としての社会は余分に支払うことはないが,農産物 の購買には余分に支払うことになる。これは土地生産物での社会の労働時聞の実現のマイナス

をなすものではあるが,土地所有者にとってめプラスをなす。

「個別的価値を超える社会的価値の部分も,もちろん『単なる価格』ではなく価値であるが,

それは前述のごとき一般的特殊的契機によって規定された社会的価値であるが故に,資本制的

4

こいとなまれる士地生産に特有のものであり,資本制生産様式が麗止されるならば『社会は現

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