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密教文化 Vol. 1964 No. 67 001長部 和雄「唐代後期の純密と日本密教 P1-21」

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Academic year: 2021

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一、 慈 覚 大 師 の 笛 教 慈 覚 大 師 の 著 作 と 伝 え る 所 の 文 献 は 可 な り 多 数 あ る け れ ど も、 そ の 大 多 数 は 中 古 天 台 の 偽 撰 に な っ て い る の で、 正 真 正. 銘 の 書 と し て 何 を 選 ぶ か と い う 段 に な る と 苦 し い が、 と り あ え ず 今 こ こ で は、 ﹃ 金 剛 頂 大 教 王 経 疏 ﹄ 七 巻 ( 日 本 大 蔵 経 第 三 十 二 巻) と ﹃ 蘇 悉 地 掲 羅 経 疏 ﹄ 七 巻 ( 日 本 大 蔵 経 第 三 十 二 巻) の 二 書 を 取 り 上 げ る こ と に す る。 慈 覚 大 師 は い う ま で も な く、 法 全 が 活 躍 し て い た 時 代、 私 の 所 謂 唐 代 後 期 笛 教 を 見 聞 し て 帰 朝 し た 学 問 僧 で あ る が、 彼 が 身 に つ け て 将 来 し た 密 教 は 唐 代 後 期 の そ れ で あ る や 否 や、 こ の 点 が 未 だ 明 か に さ れ て い な い。 そ こ で 私 は こ れ か ら 以 上 の 二 つ の 経 疏 に 依 り、 慈 覚 大 師 が 輸 入 さ れ た 密 教 が 如 何 な る も の で あ る か を 解 明 す る こ と に し よ う。 ま ず 手 始 め に 慈 覚 大 師 は こ の 二 つ の 経 疏 に 於 て 如 何 な る 経 論 を 引 用 し て い る か、 今 そ れ を ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に つ い て 見 て み よ う。 こ の 疏 の 中 に 最 も 多 く 引 用 せ ら れ て い る の は 不 空 撰 ( 1) の ﹃ 金 剛 頂 経 義 訣 ﹄ 宣( 大 正 蔵 経、 第 三 十 九 巻、) で、 こ れ は 六 十 六 回 に 及 び. 次 は こ れ 亦 不 空 撰 の ﹃ 金 剛 頂 喩 伽 略 述 三 十 七 尊 心 要 ﹄ ( 大 正 蔵 経 ( 2) ( 3) 第 十 八 巻) で、 こ れ は 二 十 九 回、 第 三 は ﹃ 大 智 度 論 ﹄ の 二 十 二 回、 ( 4) 第 四 は こ れ 亦 不 空 撰 の ﹃ 理 趣 釈 ﹄ で 二 十 回、 第 五 は ﹃ 法 華 ﹄ ( 5) ( 6) で、 こ れ は 十 五 回、 第 六 は ﹃ ビ ル シ ャ ナ 経 ﹄ で、 こ れ は 十 回、 ( 7) 第 七 は こ れ 亦 不 空 訳 の ﹃ 金 剛 頂 喩 伽 三 十 七 尊 出 生 義 ﹄( 大 正 蔵 経 ( 8) ( 9)、 第 十 ノ 八卷) と ﹃ 仏 地 論 ﹄ で、 そ れ ぞ れ 九 回、 第 八 は ﹃ 華 厳 ﹄ で 七 回、 第 ( 10) (11) 九 は ﹃ 浬 繋 ﹄ と ﹃ 維 摩 ﹄ で、 そ れ ぞ れ 五 回、 第 十 は こ れ 亦 不 空 ( 12) ( 13) ( 14) 撰 の ﹃ 十 八 会 指 帰 ﹄ で 四 回、 第 十 一 は ﹃ 大 般 若 ﹄ と ﹃ 釈 論 ﹄ 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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-1-笛 教 文 化 ( 15) ( 16) と ﹃ 仁 王 般 若 ﹄ と ﹃ 無 量 義 経 ﹄ で、 そ れ ぞ れ 三 回、 第 十 二 は ( 17) ( 18) ( 19) ( 20) ﹃ 喩 砥 ﹄ ・ ﹃ 勝 天 王 ﹄ の 両 経 と ﹃ 起 信 論 ﹄ ・ ﹃ 法 華 論 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 仙 ( 21) ( 22) 論 ﹄ の 三 論 で、 そ れ ぞ れ 二 回、 第 十 三 は 一 回 つ つ で、 ﹃ 大 街 経 ﹄ ・ ( 23) ( 24) ( 25) ( 26) ﹃ 十 地 経 ﹄ ・ ﹃ 無 上 依 経 ﹄ ・ ﹃ 理 路 経 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 寿 命 経 ﹄ ・ ﹃ 最 勝 王 ( 27) ( 28) ( 29) ( 30) ( 31) 経 ﹄ ・﹃ 実 相 般 若 経 ﹄ ・ ﹃ 梵 網 経 ﹄ ・ ﹃ 密 厳 経 ﹄ ・ ﹃ 天 王 般 若 経 ﹄ ・ ( 32) ( 33) ( 34) ( 35) ﹃ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 経 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 光 経 ﹄ ・ ﹃ 処 胎 経 ﹄ ・ ( 36) ( 37) ( 38) ( 39) ﹃ 解 深 密 経 ﹄ の 諸 経 と ﹃ 摂 論 ﹄ ・ ﹃ 法 性 論 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 般 若 論 ﹄ ・ ﹃ 成 実 ( 40) ( 41) ( 42) 論 ﹄ ・ ﹃ 十 住 砒 婆 沙 論 ﹄ ・ ﹃ 般 若 灯 論 ﹄ の 諸 論 と、 そ れ に ﹃ 大 般 若 ( 43) ( 44) ( 45) 理 趣 分 ﹄、 さ ら に ﹃ 広 大 儀 軌 ﹄ ・ ﹃ 五 秘 密 儀 軌 ﹄ ・ ﹃ 虚 空 庫 菩 薩 供 ( 46) ( 47) ( 48) 養 儀 軌 ﹄ の 秘 密 儀 軌、 そ れ に ﹃ 真 諦 記 ﹄ と ﹃ 西 域 記 ﹄ の 両 旅 行 記 が あ る。 こ こ に 一 つ 不 思 議 な こ と は 一 行 禅 師 の ﹃ ビ ル シ ャ ナ 経 ﹄ ( 49) に 対 す る 注 釈 書 を 引 用 す る こ と 比 較 的 少 な く、 ﹃ 義 釈 ﹄ か ら 四 ( 50) ( 51) 回、 ﹃ 疏 ﹄ か ら 一 回 に 過 ぎ な い。 し か し こ れ に は 大 な る 意 義 が あ っ て、 書 名 を 以 て 引 用 せ ず に、 一 行 禅 師 の 名 言 を 以 て 引 用 し て い る か ら で あ る。 一 行 と い う も、 或 は 興 唐 ・ 大 興 善 寺 等 の 如 く 禅 師 の 住 坊 の 名 称 ま た は そ の 略 称 を 以 て 呼 ん で い る 場 合 が 屡 々 あ り、 大 興 善 寺 を 住 坊 と し た 人 は ひ と り 一 行 に 限 ら な い の で、 そ の 言 辞 の 内 容 を 検 討 し な い 間 は 明 言 を 憧 る か ら、 結 論 は 姑 ら く く 保 留 す る。 次 は ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に つ い て 調 べ て み よ う。 こ の 方 は ボ リ ュ ー ム の 点 で は ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ と 殆 ん ど 変 わ ら な い が、 引 用 し て あ る 経 論 の 数 は 少 な い。 ま ず 第 一 は ﹃ 大 日 経 ﹄ に て 二 十 ( 52) ( 53) 回、 次 は ﹃ 玉 咽 経 ﹄ に て 十 一 回、 第 三 は ﹃ 大 日 経 ﹄ に 対 す る ( 54) ( 55) 一 行 の 注 釈 で あ る ﹃ 義 釈 ﹄ が 十 回、 第 四 は ﹃ 盟 醸 経 ﹄ と ﹃ 大 ( 56) ( 57) 智 度 論 ﹄ の そ れ ぞ れ 七 回、 第 五 は ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の 三 回、 第 六 ( 58) ( 59) ( 60) ( 61) ( 62) は ﹃ 浬 葉 ﹄ ・ ﹃ 華 厳 ﹄ ・ ﹃ 法 華 ﹄ ・ ﹃ 理 路 ﹄ ・ ﹃ 中 阿 含 ﹄ の 諸 経 と ( 63) ( 64) ( 65) ﹃ 起 信 論 ﹄ ・ ﹃ 仏 地 論 ﹄ の そ れ ぞ れ 二 回、 第 七 は ﹃ 陀 羅 尼 集 経 ﹄ ・ ( 66) ( 67) ( 68) ( 69) ( 70) ﹃ 実 相 般 若 ﹄ ・ ﹃ 大 般 若 ﹄ ・ ﹃ 般 舟 三 昧 ﹄ ﹃ 仁 王 ﹄ ・ ﹃ 宿 曜 ﹄ ・ ﹃ 念 ( 71) ( 72) ( 73) ( 74) ( 75) 珠 ﹄ ・ ﹃ 金 光 明 ﹄ ・ ﹃ 雑 阿 含 ﹄ ・ ﹃ 梵 網 ﹄ ・ ﹃ 仏 地 ﹄ ・ ﹃ 大 般 若 法 華 一 ( 76) ( 77) ( 78) 乗 心 地 経 ﹄ ・ ﹃ 大 乗 本 生 心 地 観 経 ﹄ ・ ﹃ 大 神 力 陀 羅 尼 ﹄ の 諸 経 と ( 79) ( 80) ( 81) ( 82) ﹃ 阿 砒 曇 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 頂 経 義 訣 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 経 疏 ﹄ ・ ﹃ 法 華 儀 ﹄ の そ れ ( 84) ( 85) そ れ 一 回 と 外 典 で あ る ﹃ 山 海 経 ﹄ が 一 回 と ﹃ 尚 書 ﹄ が 二 回、 そ ( 86) ( 87) れ に 天 台 大 師 と 郭 瑛 の 名 を 以 て 両 人 の 著 書 か ら も そ れ ぞ れ 一 回 引 用 し て い る。 以 上 は 慈 覚 大 師 が ﹃ 金 剛 旗 経 疏 ﹄ と ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に 於 て 経 論 釈 の 名 称 を 明 示 し て 引 用 し て い る 例 を 計 上 し て み た が、 そ の 名 称 を あ げ な い で、 そ の 文 句 だ け を 引 用 し て い る 場 合 も あ る が、 こ れ は 遽 か に 検 出 で き 難 い の で、 こ れ を 考 慮 に 入 れ

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-2-て お く 必 要 が あ る。 と も 角 こ れ ら は 慈 覚 大 師 が 恐 ら く 親 か ら 披 読 し た 経 文 で あ る に 相 違 な い。 慈 覚 大 師 は ま た 経 文 の 名 称 で な し に 人 の 名 前 を あ げ て そ の 学 説 を 引 用 し て い る 例 が 可 な り の 件 数 に の ぼ っ て い る。 い ま こ れ ら を 拾 い あ げ て み る と、 以 下 の 如 く で あ る。 ま ず ﹁ 一 行 阿 閣 梨 云 ﹂ も し く は 二 行 和 尚 云 ﹂ が ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 五 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本、 一 三 三 上、 一 三 五 上、 一 八 一 上、 一 九 四 上、 二 一 〇上。)、 ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ で は 七 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本、 三 九 一 下、 三 九 二 下、 三 九 三 下 三 九 四 上、 三 九 五 下、 三 九 八 下、 四 一 九 下。) に 見 え る。 こ れ ら は ﹃ ビ ル シ ャ ナ 経 義 釈 ﹄ の 文 句 に 違 い な い が、 私 は 未 だ 全 部 を 原 本 に 当 っ て い な い。 次 は ﹁ 興 唐 和 尚 云 ﹂ も し く は ﹁ 興 唐 阿 闊 梨 云 ﹂ で、 こ の 二 つ と も 興 善 寺 に 住 す る 唐 の 和 尚 の 意 で あ ろ う と 思 う。 こ れ ら は ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 五 ケ 所、( 日 本 大 蔵 経 本 、一 七 二 上 、一 七 四 下 二 七 〇 上 、 二 七 八 下 、 二 四 〇 上。) ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に 五 ケ 所 (日 本 大 蔵 経 本 、 四 五 二 上 、 四 六 四 上 、 四 八 五 下 、 四 九 七 上 、 五 七 八 下。 あ る が 、 一 行 禅 師 を 指 す 場 合 も あ る け れ ど も 、 そ う で な い と ( 88 ) き も あ る よ う で あ る 。 第 三 は ﹁ 大 興 善 寺 阿 閣 梨 云 ﹂ で 、 こ れ は ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ に 五 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 一 四 七 下 、 一 四 八 下、 一 六 三 上 、 一 七 三 上 、 二 〇 〇 上 。 ) 、 ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に は 四 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 三 八〇上 、 四 〇一 下 、 四 〇 八 下 、 四 五 八 上 。 ) 卑 え る う ち 、 こ れ も 明 ( 89 ) か に 一 行 禅 師 を 指 す 場 合 と 、 然 ら ざ る 場 合 も あ る が 、 こ の と ( 90 ) き は 恐 ら く 元 政 で あ ろ う 。 第 四 は ﹁通 法 師 云 ﹂ で あ っ て 、 ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に は 五 ケ 所 、 日 本 大 蔵 経 本 、一三 四 上 、 一 五 八 上 、 一 六 四 下 、 一 六 九 下 、 二 七 三 下 。 ) に 見 え る が 、 誰 の 意 で あ る か 不 明 。 ( 91 ) 量 第 五 は ﹁ 雲 阿 閣 梨 云 ﹂ で 、 こ れ も ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 三 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、一三一 下 、 一 三 二 上 、 一 三 五 上 。 ) 見 え る 。 こ れ は 恐 ら く 海 雲 の 意 で あ ろ う 。 ( 92 ) 第 六 は ﹁ 貰 法 師 ﹂ で 、 ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に ニ ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 一 三 四 上 、 一 五 九 上 。)、 ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹃ に は 良 責 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 四 八 九 上 。) と 見 え る か ( 93 ) ら 、 ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ の 賞 と い う の は 良 賞 の 意 で あ ろ う 軌 ( 94 ) 第 七 は ﹁ 僧 肇 日 ﹂ も し く は ﹁ 肇 師 云 ﹂ が ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 二 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 一 三 四 上 、 一 六 三 上。 あ る 。 ( 95 ) 第 八 は ﹁妙 楽 和 尚 云 ﹂ す な わ ち ﹁ 湛 然 云 ﹂ が ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 一 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 一 七 六 下 、 ) あ る 。 ( 96 ) 第 九 は 一宣 法 師 註 云 ﹂ す な わ ち ﹁ 道 宣 云 ﹂ が ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 一 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 一 七 七 上 。 ) あ る 。 ( 97 ) 第 十 は ﹁安 法 師 云 ﹂ す な わ ち ﹁ 道 安 法 師 云 ﹂ が ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 一 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本 、 一 五 五 下 。 ) あ る 。 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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密 教 文 化 第 十 一 は ﹁ 周 法 師 云 ﹂ が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に 一 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本、 ( 98) 四 〇一 下。 ノ あ る け れ ど も、 誰 で あ る か 不 明。 第 十 二 は ﹁ 玄 法 阿 閣 梨 云 ﹂ す な わ ち ﹁ 法 全 阿 閣 梨 云 ﹂ が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に 一 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本、 五 二 二 上。 ) あ る。 以 上 の 統 計 か ら 慈 覚 大 師 の 学 問 が 如 何 な る 経 ・ 論 ・ 釈 に よ っ た か を た や す く 見 る こ と が 出 来 る が、 大 師 が 親 し く 誰 れ か ら 教 を う け て、 ど の 人 の 学 問 の 影 響 を 蒙 っ た か を 知 る に は、 こ れ だ け で は 不 十 分 で あ る、 ( 99) 慈 覚 大 師 自 撰 の ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ に は 彼 が 親 し く 唐 土 に 於 て 面 接 せ ら れ た 大 徳 阿 閣 梨 の 名 前 を 数 多 書 き 留 め て い る が、 ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ と ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 中 に 出 て く る 人 は 大 興 善 寺 阿 閣 梨 恐 ら く 元 政 と 思 わ れ る が こ の 人 と、 玄 法 阿 閣 梨 す な わ ち 法 全 の 二 人 に 過 ぎ な い。 前 者 は 著 書 が な い の で、 慈 覚 大 師 が 彼 の 言 と し て 賛 辞 を 呈 し て い る 円 密 融 会 説 が 唯 一 の 拠 り ど こ ろ で あ る が、 後 者 に は 玄 法 ・ 青 龍 の 二 つ の 胎 蔵 法 軌 が 現 存 し て い る か ら、 若 し 慈 覚 大 師 が 法 全 か ら 影 響 を う け た と す る な ら ば、 こ の 両 軌 と 両 疏 を 対 比 す れ ば わ か る。 し か し ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に も ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に も 名 称 を 明 示 し て は こ の 両 軌 を 一 度 も 引 用 し て い な い。 慈 覚 大 師 の 密 教 学 が 彼 が 入 唐 し て 如 何 な る 影 響 を う け て 構 成 せ ら れ た か を 明 か に し よ う と す る な ら ば、 両 疏 そ の も の に つ い て 研 究 す る よ り 外 に 方 法 は な い。 で は ま ず ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ 七 巻 か ら 考 察 し て み よ う。 こ の ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ は 初 会 の ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の ﹁ 金 剛 界 大 曼 茶 羅 広 大 儀 軌 品 ﹂ に 対 す る 注 釈 で、 今 日 ﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹄ と ﹃ 日 本 大 蔵 経 ﹄ の 両 方 に 収 録 せ ら れ て い る が、 今 回 は ﹃ 日 本 大 蔵 経 ﹄ を 用 い る こ と に す る。 こ の 疏 を 一 通 り 見 渡 し て ま ず 気 の つ く と こ ろ は、 巻 三 か ら 巻 七 ま で ( 本 大 蔵 経 本、 三 六 四 上-三 六 七 上 は 例 外 ) は 随 所 に ﹁ 別 本 云 ﹂ ・ ﹁ 旧 本 ( 経) 云 ﹂ と あ り、 巻 七 の 終 末 ( 日 本 大 蔵 経 本、 三 六 七 下-三 七 五 下。 ) に 於 て は ﹁ 別 本 云 ﹂ は 一 ケ 所 ( 日 本 大 蔵 経 本、 三 七 四 下。 ) に し か な く、 ﹁ 旧 経 云 ﹂ が 集 中 し て 重 見 す る。 巻 一 と 巻 二 に は ﹁ 別 本 云 ﹂ ・ ﹁ 旧 経 云 ﹂ は 原 則 と し て な い が、 例 外 に 巻 二 へ 日 本 大 蔵 経 本、 一 七 三 下、 一 七 七 上、 一 九 六 上。 ) に 三 ケ 所 ﹁ 旧 経 云 ﹂ が 見 え る。 こ う い う 事 実 は 如 何 な る こ と を 意 味 す る で あ ろ う か。 ﹁ 別 本 ﹂ 及 ﹁ 旧 本 ﹂ と は 如 何 な る も の か。 私 は 今 そ の 仔 細 を 詳 ら か に す る こ と が 出 来 な い が、 旧 本 と は 四 巻 本 の ﹃ 略 出 経 ﹄ で、 慈 覚 大 師 の 研 究 で は 巻 一 ・ 巻 二 で は 慈 覚 大 師 が 現 に 用 い て い る 新 訳 本 即 ち 不 空 訳 三 巻 本 と の 対 校

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の 必 要 が 殆 ん ど な い と い う こ と で あ る ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 三、 一 九 七 下 参 照。)。 巻 三 以 降 最 終 巻 ま で は 大 い に そ の 必 要 が あ っ た と 見 え、 新 ・ 旧 ・ 別 の 三 本 の 対 校 を 盛 ん に 行 っ て い る。 こ う い っ た 要 意 周 到 な 資 料 の 取 り 扱 い 方 の 態 度 は、 直 接 指 導 を う け た わ け で は な い が、 一 行 禅 師 譲 り の 方 法 で あ る と 私 は 思 う。 さ て そ れ で は ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 私 の い う 後 期 唐 代 密 教 の 影 響 と 思 わ れ る 節 々 が 現 わ れ て い る で あ ろ う か。 私 が 後 期 唐 代 (100) 密 教 の 特 色 と し て 指 摘 し て お い た い く つ か の 項 目 に 該 当 す る よ う な 箇 所 は ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ か ら は 一 つ も 発 見 す る こ と は 出 来 な い が、 そ の 基 盤 と 片 鱗 を 観 取 す る こ と は 出 来 る。 ま ず 基 盤 と い え ば 何 を 指 す か。 慈 覚 大 師 は 一 行 禅 師 や 元 政 阿 閣 梨 の 言 説 ら し い 節 々 を 引 用 し て 随 所 に 円 密 融 会 観 を 展 開 し て い る。 こ の 観 方 は 一 行 ・ 不 空 等 の 盛 唐 の 胎 蔵 系 と 金 剛 頂 (101) 経 系 の 両 部 密 教 の 純 密 観 に す で に 創 り、 こ れ を 後 期 に 持 ち 越 (102) し て は 数 々 の 胎 金 合 行 軌 と し て 形 式 を 整 え て 現 れ て く る が、 そ の 基 調 は 今 更 い う ま で も な く 円 密 の 融 会 観 で あ る。 つ ま り こ う い っ た 唐 代 後 期 密 教 に 共 通 す る 観 方 が ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に も 現 れ て い る。 そ し て こ う い っ た 円 密 の 融 会 観 は 盛 唐 の そ の 創 始 期 に 於 て は 胎 ・ 金 の 両 部 に あ っ て 一 行 及 不 空 の 二 大 巨 匠 に よ り 打 ち 立 て ら れ た が、 後 期 に 於 て は 一 行 の 流 れ を 汲 む 胎 蔵 系 の 密 教 に 流 れ て き た。 こ の 流 れ の 上 に 再 整 せ ら れ た の が (103) 一 連 の 三 種 悉 地 乃 至 破 地 獄 軌 で あ る。 私 を し て 更 に い わ し む な ら ば、 慈 覚 大 師 の ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ は 唐 代 後 期 の 胎 蔵 系 密 教 の 影 響 を 蒙 っ た 立 場 で ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の 初 会 の ﹁ 金 剛 界 広 大 儀 軌 品 ﹂ を 注 釈 し た も の で あ る と。 次 は 唐 代 後 期 密 教 の 片 鱗 の あ ら わ れ を 窺 っ て み よ う。 問 題 は ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 三 種 悉 地 法 が 説 か れ て い る か ど う か と い う こ と で あ る。 ﹁ 金 剛 上 悉 地 ﹂ ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 七、 三 六 九 下。) と か ﹁ 無 上 悉 地﹂ ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 七、 三 六 七 上。 ) と か 上 上 悉 地 ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 四、 二 三 八 上。 ) と か ﹁ 下 中 上 悉 地 ﹂ ( 同 上) と い う 名 辞 は 出 て く る が、 鮮 や か に 三 種 悉 地 を 説 い た 箇 所 は 一 つ も な い。 三 種 悉 地 法 と い う こ と に な れ ば ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ を 究 明 す る こ と に し よ う。 慈 覚 大 師 が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ を 書 い た と い う こ と 自 体 が、 私 に い わ す な ら ば、 大 師 が 入 唐 し て 三 種 悉 地 法 が 盛 ん に 行 わ れ て い た 唐 代 後 期 密 教 の 空 気 を 呼 吸 し て 帰 朝 し た 証 拠 だ と 思 う。 尤 も 一 行 禅 師 も ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 義 釈 ﹄ の 中 で 蘇 悉 地 の 三 種 悉 地 法 に 言 及 し て い る。 例 え ば ﹁ 欲 作 世 間 上 中 下 品 成 就 事 者、 当 参 用 蘇 悉 地 等 諸 経。﹂ ( 続 蔵 三 十 六、 義 釈 巻 八、 世 間 成 就 品、 三 八 三 左 上。) と か、 ﹁ 蘇 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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笛 教 文 化 悉 地 云、 若 上 成 就 於 池 辺 作、 下 成 就 随 処 而 作。﹂ ( 同 上、 三 八 四 右 下。) と か ﹁ 妙 謄 童 子 経 云、 此 中 有 三 種 相、 所 謂 増 長 気 煙 光 現 次 第、 得 獲 三 種 成 就。﹂ ( 同 上、 三 八 四 左 下。) と あ る し、 不 空 訳 の ﹃ 都 部 陀 羅 尼 目 ﹄ ( 正 蔵、 十 八、 九 〇 三 号。 ) に も ﹁ 若 蘇 悉 地 経、 教 中 依 三 部、 所 謂 仏 部 蓮 花 部 種 類 甚 多、 金 剛 部 金 剛 薩 垣 寺、 変 化 無 量 有 三 種 三 昧。 ﹂ へ、 大 正 蔵、 十 八、 ﹁八 九 九 中。 ) と あ り、 同 じ く 不 空 訳 の ﹃ 総 釈 陀 羅 尼 義 讃 ﹄ ( 正 蔵、 十 八、 九 〇 二 号。 ) に も ﹁ 獲 得 心 所 悌 望 三 摩 地、 聞 持 不 忘 天 眼 天 耳 他 心、 上 中 下 悉 地 亦 名 為 明。 ﹂ ( 大 正 蔵、 十 八、 八 九 九 中。 ) と あ る か ら、 盛 唐 の 胎 ・ 金 両 部 の 純 密 に も 三 種 悉 地 法 は 説 か れ て い る が、 唐 代 後 期 に な れ ば、 慧 琳 の ﹃ 建 立 曼 茶 羅 及 棟 択 地 法 ﹄ ( 大 正 蔵、 十 八、 九 一 二 号。) の 如 き 胎 蘇 合 軌 の 書 が 現 れ、 蘇 悉 地 の 三 種 悉 地 法 を 説 い て い る。 私 が 問 題 と し て こ の 小 論 の 中 心 と な っ て い る こ れ ら 一 連 の 三 種 悉 地 乃 至 破 地 獄 軌 等 も や は り こ う い っ た 胎 ・ 金 ・ 蘇 の 合 軌 で あ る 点 に 注 意 し た い。 こ の よ う に 唐 代 後 期 の 密 教 に お け る ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ の 説 く 三 種 悉 地 法 の 占 め る 比 重 は 大 き く な っ て い る。 こ の 時 代 を 代 表 す る 法 全 の 如 き 純 密 の 巨 匠 で も 三 部 大 法 を 解 す と 慈 覚 大 師 は 自 撰 の ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ ( 大 日 本 仏 教 全 書 本、 続 々 群 書 類 従 本。) の 巻 三 に 記 し て い る。 慈 覚 大 師 が ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ に 対 す る 注 釈 を 書 い た の は 実 に こ う い っ た 唐 代 後 期 の 密 教 の 趨 勢 に 動 か さ れ た 結 果 で あ ろ う と 思 う。 そ う し て こ の 動 向 は 慈 覚 大 師 に よ っ て 本 邦 台 密 に 受 け つ が れ て き た。 し か し こ の 三 種 悉 地 法 を 本 朝 に 伝 え た の は 決 し て 慈 覚 大 師 が 最 初 で な く し て、 実 に 伝 教 大 師 で あ っ た。 貞 元 二 十 一 年 四 月 十 九 日 の 日 付 の あ る ﹁ 大 唐 秦 嶽 霊 巌 寺 順 暁 阿 閣 梨 付 法 文 ﹂ ・ ﹁ 賜 向 唐 求 法 最 澄 伝 法 公 験 ﹂ ・ ﹁ 伝 三 部 三 昧 耶 公 験﹂ ( 以 上 続 々 群 書 類 従 本 ﹁ 顕 戒 論 縁 起 ﹂ 中 に 収 む) 等 に よ る と、 伝 教 大 師 が 順 暁 か ら 三 部 悉 地 法 で あ る 上 品 ・ 中 品 ・ 下 品 の 三 部 三 昧 耶 の 伝 授 を う け た 旨 が 記 さ れ て い る。 本 邦 の 東 密 は 両 部 で あ る の に 対 し、 台 密 が 三 部 で あ る こ と は、 宗 学 上 で は 両 者 の 相 違 乃 至 特 色 と し て 周 知 の 通 り で あ る が、 日 本 密 教 史 の 上 で は あ ま り 問 題 視 さ れ て い な い よ う で あ る。 し か し こ れ は 唐 代 密 教 史 と の 関 連 の 上 か ら は 相 当 意 義 が 深 い と 私 は 思 っ て い る。 そ も そ も 盛 唐 の 純 密 に 於 て は、 胎 ・ 金 の 対 立 を 法 華 に 持 っ て 行 っ て 統 一 を は か っ た か ら、 ﹃ 法 華 儀 軌 ﹄ の 如 き 合 軌 が 出 来 た の で あ る が、 中 晩 唐 の 純 密 に な る と 胎 ・ 金 の 対 立 を 蘇 悉 地 に 持 っ て 行 っ て 統 一 を 試 み た も の で あ る。 尤 も 合 軌 の 実 例 は ﹃ 華 厳 ﹄ や ﹃ 金 光 明 経 ﹄ と の 場 合 も あ る の で、 問 題 は 多 岐 に

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わ た る が、 こ の 度 は 法 華 と 両 部 と に 限 定 し た。 そ れ に 今 一 つ は ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ の 内 容 が 雑 密 的 で あ る と い う こ と は、 私 の 言 葉 で 表 現 す る な ら ば、 民 俗 的 な 要 素 を 多 分 に 含 ん で い る の で、 唐 代 後 期 の 密 教 家 が 好 ん で こ れ に 著 目 し た の で あ ろ う。 以 上 の よ う な 雰 囲 気 に 包 ま れ た 唐 代 の 後 期 密 教 界 の 空 気 を 呼 吸 し て 帰 朝 し た 慈 覚 大 師 は、 特 に 胎 金 の 合 行 を 盛 唐 期 で は 法 華 に よ っ て 統 一 を は か っ て い る が、 今 度 は 蘇 悉 地 に 持 っ て 行 っ て 統 一 を は か ろ う と す る 動 向 を 身 に つ け て 帰 朝 し た の で あ る。 だ か ら ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 巻 首 に あ る か の 有 名 な ﹁ 是 三 部 経 王 諸 尊 肝 心、 緒 総 真 言 之 秘 旨、 貫 大 教 之 要 妙。 ﹂ ( 日 本 大 蔵 経 本、 三 七 八 上、 ) と い う 彼 の 見 解 も 十 分 に 理 解 す る こ と が 出 来 る。 台 密 の 伝 統 的 解 釈 で は 蘇 悉 地 が 両 部 の 上 位 に あ る と い う に あ る が、 こ れ は 私 の い う 胎 ・ 金 の 合 行 の 仕 方 が 両 部 を 合 行 し て 統 一 に ま で 高 め る た め の 鍵 に な っ て い る と い う 意 な ら ば、 私 も こ れ を 肯 定 し 得 る け れ ど も、 単 に 両 部 の 上 に 蘇 悉 地 が あ る と い う 解 釈 な ら ば、 慈 覚 大 師 の こ の 言 葉 を 唐 代 後 期 の 密 教 を 十 分 理 解 し た 上 の 正 し い 解 釈 で あ る と い え な い と 思 う。 慈 覚 大 師 が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ を 書 い た の は ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ を 書 い た 後 ち の こ と で あ る こ と は、 ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 巻 一 の 中 に ﹁ 具 如 金 剛 頂 経 疏﹂。 ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 一、 三 七 九 下、 四 五 二 上、) と あ る に よ り 明 白 で あ る。 こ の ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ を ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ に 比 較 す る と、 ボ リ ュ ウ ム は 両 者 と も に 大 差 は な い が、 己 に 明 示 し た 通 り、 引 用 文 献 が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 方 が 著 し く 少 な い の と、 使 用 し た テ キ ス ト が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 方 は 単 一 で 比 較 対 校 を 行 っ て い な い の が 大 相 違 で あ る。 畏 友 早 稲 田 大 学 の 三 崎 良 周 助 教 授 は、 東 密 は 両 部 不 二 で あ る か ら そ の 上 に 蘇 悉 地 の 必 要 な か っ た が、 台 密 は 胎 ・ 金 の 別 が あ る の で、 こ れ を 統 一 す る 第 三 の 原 理 を 蘇 悉 地 に も と め る 必 要 の あ っ た と い う 意 を 表 明 せ ら れ て い る。 三 崎 師 は 台 密 の 方 で あ ら れ る の で、 宗 学 の 立 場 か ら こ の よ う に 理 解 さ れ て い る の で あ ろ う が、 結 論 だ け か ら 言 う な ら ば 全 く そ の 通 り で あ る け れ ど も、 私 が 唐 代 密 教 発 達 史 の 上 か ら 論 証 し た 結 論 に 帰 訟 す る こ と を 重 視 し た い。 二、 智 証 大 師 の 密 教 次 は 智 証 大 師 の 密 教 が 唐 代 後 期 の 純 密 の 影 響 を 如 何 様 に う 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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笛 教 文 化 け て い る か を 洞 察 し て み よ う。 智 証 大 師 の 作 品 も、 慈 覚 大 師 の そ れ に 劣 ら ず 随 分 あ や し げ な も の が 数 々 遺 っ て い る が、 そ の 代 表 作 は 何 と い っ て も ﹃ 義 釈 目 録 及 縁 起 ﹄ ・ ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ ・ ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ の 三 つ で あ ろ う。 ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ は ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 疏 ﹄ を 引 用 し、 ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 義 釈 ﹄ を 引 用 し て い な い の で、 大 師 入 唐 以 前 の 作 品 で あ る こ と は 間 違 い (104) な い し、 ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 一、 二、 三、 四、 五、 随 所 に、 ま ご ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 義 釈 ﹄ を 引 用 し て い る か ら、 こ の 書 は ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ よ り 後 の 作 で あ る こ と は 疑 い な い。 そ う し て そ こ に 引 用 せ ら れ て い る ﹃ 義 釈 ﹄ は 概 ね 巻 十 ま で で あ る け れ ど も、 巻 十 一 ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 三、 五 二 下、) ・ 巻 十 二 ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 二、 三 四 下、) ・ 巻 十 四 ・ ( 日 本 大 蔵 経 本 巻 四、 九 二 上、) 巻 十 四 ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 五、 一 四 四 上) の よ う に 巻 十 一 以 下 が 四 ケ 所 引 用 せ ら れ て い る。 だ か ら こ の 事 実 か ら 考 え る と、 こ こ に 引 用 し て あ る ﹃ 義 釈 ﹄ は 智 証 大 師 将 来 本 で な く し て、 慈 覚 大 師 将 来 本 で あ る。 そ う す れ ば ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ の 書 か れ た 年 時 は 慈 覚 大 師 帰 朝 の 西 紀 八 四 七 年 (唐、 大 中 元 年、 日 本 承 和 十 四 年、) 以 降 で 智 証 大 師 入 唐 の 西 紀 八 五 三 年 以 前 で な く て は な ら ぬ。 敬 長 は ﹁合 刻 菩 提 場 経 略 義 釈 凡 例 ﹂ ( 日 本 大 蔵 経 本 の 巻 首 掲 載、) に 記 し て、 ﹁今 案 年 譜、 仁 和 二 年 五 月 奏 朝、 請 加 度 者、 親 撰 年 月 蓋 在 此 際 歎、 博 古 之 士、 請 更 勘 之。 ﹂ と い う。 お も う に 仁 和 二 年 は 即 ち 西 紀 八 八 六 年 で あ る か ら、 智 証 大 師 帰 朝 の 天 安 二 年 西 紀 八 五 八 年 以 後 二 十 八 年 と い う こ と に な る が、 こ の 説 は 戴 け な い。 叙 上 の 理 由 か ら、 私 は こ の ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ は 智 証 大 師 入 唐 以 前 の 作 で あ ろ う と 信 じ て い る の で、 こ の 書 か ら 智 証 大 師 の 密 教 が 唐 代 後 期 の 純 密 か ら う け た 影 響 を 直 接 読 み と る こ と は 不 可 能 で あ る と 思 っ て い る。 し か し こ の 書 に つ い て 一 通 り は 私 の 見 解 を 明 か に し て お こ う。 敬 長 に よ る と、 了 春 撰 ﹃ 伝 灯 教 籍 志 ﹄ で は こ の 書 は ﹃ 一 字 頂 輪 王 経 疏 ﹄ の 目 に あ げ ら れ て い て、 ﹁ 広 疏 ﹂ 五 巻 と ﹁ 略 疏 ﹂ 三 巻 の 二 本 が あ る が、 ﹁ 広 疏 ﹂ 五 巻 が 現 行 本 で あ り、 ﹁ 略 疏 ﹂ 三 巻 は 見 た こ と が な い し、 金 龍 撰 の ﹃ 天 台 霞 標 ﹄ に 戴 る ﹃ 菩 提 場 経 疏 ﹄ 一 巻 も 未 だ そ の 拠 り ど こ ろ を 詳 か に せ ず、 ま た 謙 順 撰 の ﹃ 章 疏 録 ﹄ に も ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ 五 巻 の 名 が 見 え る と い う。 敬 長 は ま た 撰 号 も 諸 本 に よ り 各 別 々 区 々 で あ る が、 原 本 は ﹁ 入 唐 求 法 沙 門 円 珍 撰 ﹂ の 九 字 で あ り、 一 本 に は こ れ の な い も の も あ る し、 た だ ﹁ 智 証 大 師 記 ﹂ と あ る 古 紗 本 も あ る と い う。 敬 長 は 彼 の 見 た 原 本 の 撰 号 が 誰 の 手 に な る か 知 ら な い

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が、 想 う に ﹃ 講 演 法 華 儀 ﹄ 等 の 本 に 拠 る の で あ ろ う と い い、 彼 は ム、 は 彼 の 見 て い る 原 本 に 依 る と い う。 世 に ﹃ 本 山 諸 祖 撰 述 録 ﹄ な る 書 が あ っ て、 こ の 書 は 誰 の 作 な る か 詳 か で な い が、 こ の 書 に こ の 義 釈 を 以 て 五 大 尊 者 す な わ ち 五 大 院 の 安 然 の 述 と な す は 杜 撰 も 甚 だ し い と 敬 長 は い っ て い る。 私 は こ の 書 は 智 証 大 師 の 作 と 見 て 誤 り な い と 思 う が、 そ の 証 左 を あ げ な が ら 論 を 進 め て み よ う と 思 う。 例 に よ り こ の 書 に 引 用 せ ら れ て あ る 経 論 の 名 称 か ら 調 査 し て み る と、 最 も 引 (105) 用 回 数 の 多 い の は ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ で、 こ れ は 六 十 五 ケ 所 に、 (106) 次 は ﹃ 大 智 度 論 ﹄ で、 こ れ は 三 十 四 ケ 所 に、 第 三 は ﹃ 法 華 ﹄ で、 こ (107) (108) れ は 三 十 一 ケ 所 に、 第 四 は ﹃ 大 日 経 ﹄ で、 こ れ は 十 八 ケ 所 に、 (109) 第 五 は ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ で、 こ れ は 十 七 ケ 所 に、 第 六 は ﹃ 華 厳 (110) (111) (112) 経 ﹄ で、 こ れ は 十 六 ケ 所 に、 第 七 は ﹃ 浬 葉 経 ﹄ と ﹃ 西 域 記 ﹄ で、 こ れ ら は そ れ ぞ れ 九 ケ 所 に、 第 八 は ﹃ 金 光 明 経 ﹄ で、 こ (113) (114) れ は 八 ケ 所 に、 第 九 は ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ で、 こ れ は 七 ケ 所 に、 第 (115) (116) (117) 十 は ﹃ 増 一 阿 含 経 ﹄ と ﹃ 梵 網 経 ﹄ と ﹃ 理 趣 釈 ﹄ で、 こ れ ら は (118) 各 五 ケ 所 に、 第 十 一 は ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ と 総 持 釈 す な わ ち ﹃ 金 剛 (119) 頂 経 疏 ﹄ で、 こ れ ら は そ れ ぞ れ 四 ケ 所 に、 第 十 二 は ﹃ 倶 舎 (120) (121) (122) (123) (124) 論 ﹄ と ﹃ 菩 提 心 義 ﹄ と ﹃ 悲 華 経 ﹄ と ﹃ 釈 論 ﹄ と ﹃ 浄 名 経 ﹄ す な わ ち ﹃ 維 摩 経 ﹄ で、 こ れ ら は 各 三 ケ 所 に、 第 十 三 は ﹃ 菩 薩 (125) (126) (127) 戒 経 ﹄ と ﹃ 中 阿 含 経 ﹄ と ﹃ 蘇 摩 呼 童 子 経 ﹄ で、 こ れ ら は 各 二 (128) (129) ケ 所 に、 第 十 四 は ﹃ 陀 羅 尼 集 経 ﹄ と ﹃ 首 榜 厳 三 昧 経 ﹄ ・ ﹃ 雑 阿 (130) (131) (132) 含 経 ﹄ ・ ﹃ 文 殊 経 ﹄ ・ ﹃ 大 乗 十 法 経 ﹄ す な わ ち ﹃ 宝 積 経 ﹄ と ﹃ 広 (133) (134) (135) (136) 聚 仏 頂 経 ﹄ ・ ﹃ 瑞 応 経 ﹄ ・ ﹃ 成 実 論 ﹄ ・ ﹃ 宝 雲 大 経 ﹄ ・ ﹃ 金 剛 般 若 (137) (138) (139) (140) (141) 経 ﹄ ・ ﹃ 仁 王 経 ﹄ ・ ﹃ 優 婆 塞 戒 経 ﹄ ・ ﹃ 勝 蔓 経 ﹄ ・ ﹃ 宿 曜 経 ﹄ ・ ﹃ 鴛 掘 (142) (143) (144) (145) 摩 羅 経 ﹄ ・ ﹃護 摩 儀 軌 ﹄ ・ ﹃ 法 華 文 句 ﹄ ・ ﹃ 頂 輪 喩 伽 経 ﹄ ・ ﹃ 仏 心 (146) (147) (148) 経 ﹄ ・ ﹃ 孔 雀 経 ﹄ ・ ﹃ 心 地 観 経 ﹄ 等 で、 そ れ ぞ れ 一 ケ 所 つ つ 引 用 せ ら れ て い る。 右 の 事 実 を 慈 覚 大 師 の ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ と ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ と に 対 比 す る な ら ば、 ﹃ 大 智 度 論 ﹄ ・ ﹃ 大 日 経 ﹄ ・ ﹃ 法 華 経 ﹄ ・ ﹃ 華 厳 経 ﹄ ・ ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ か ら の 引 用 の 多 い こ と が 共 ハ 通 し て い る か ら、 智 証 大 師 は 慈 覚 大 師 に 倣 っ て こ の 注 釈 書 を 書 か れ た と 見 て 然 る べ き で あ ろ う。 次 は ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ と の 比 較 の 上 か ら こ の ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ が 智 証 大 師 の 作 で あ る こ と を 論 証 し て み よ う。 ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ は そ の 書 名 の 示 す 通 り 注 釈 書 で な い か ら、 ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ と は 細 部 の 手 法 に わ た り 比 較 す る こ と 困 難 で あ る が、 ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ は そ の 序 を 読 ん だ だ け で 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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笛 教 文 化 も、 ま こ と に そ の 意 気 軒 昂 あ た る べ か ら ざ る も の が あ る。 ﹁ 唐 朝 の 誉 宿 ( 広 修 と 維 燭 の 意) は 醍 醐 を 生 蘇 に 財 し、 本 国 の 幼 童 ( 弘 法 大 師 の 意) は 甘 露 を 毒 乳 に 濫 る。 ﹂ と い っ た よ う な ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ の 序 に 見 え る 激 し い 毒 舌 は ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ の 中 に は 発 見 出 来 な い が、 こ の 注 釈 書 も 一 行 禅 師 の ﹃ 大 日 経 義 釈 ﹄ を 権 威 と し て 叙 述 せ ら れ て い る 点 は ﹃ ビ ル シ ナ 経 指 帰 ﹄ が 一 行 禅 師 の ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ を 指 針 と し て い る の と 全 く 同 一 で あ る か ら、 ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ ・ ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ と も に 智 証 大 師 の 作 で あ る こ と に は 間 違 い な い。 た だ 両 者 の 相 違 点 は ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ は ﹃ 疏 ﹄ を 引 用 し て い る か ら、 慈 覚 大 師 帰 朝 以 前 の 作 で あ る し、 ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ は 慈 覚 本 ﹃ 義 釈 ﹄ を 引 用 し ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 二、 三 四 下 ・ 巻 三、 五 二 下 ・ 巻 四、 九 二 上 ・ 巻 五、 一 四 四 上 に そ れ ぞ れ 義 釈 の 巻 十 二、 十 一、 十 四、 十 四 を 引 用 す。)、 智 証 本 ﹃ 義 釈 ﹄ を 依 用 し て い な い か ら、 慈 覚 大 師 帰 朝 後 智 証 大 師 入 唐 以 前 の 作 で あ る こ と を 知 る こ と が 出 来 る。 さ て こ れ だ け の こ と が 判 っ た 上 で、 両 書 は 智 証 大 師 入 唐 以 前 の 作 品 で は あ る が、 こ の 両 者 か ら 唐 代 後 期 純 密 の 影 響 を 翻 取 す る こ と が 出 来 る か ど う か を 窺 っ て み よ う。 智 証 大 師 は ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ の 冒 頭 に 広 修 と 維 燭 の 決 答 を 掲 げ て い る。 こ の 二 人 は 円 澄 が は る ば る 便 に 托 し 決 答 を も と め た 当 時 の 天 台 学 の 権 威 で、 そ れ ぞ れ 道 還 と 行 満 の 後 を う け、 天 台 漸 く 衰 運 に 向 わ ん と し つ つ あ っ た 時 代 の 人 達 で、 こ の 二 人 の 決 答 を 智 証 大 師 は 醍 醐 を 生 蘇 に 疑 す も の で あ る と 酷 評 を 下 し て い る の は、 す で に 私 が 指 摘 し た 通 り で あ る。 も ち ろ ん こ の 二 人 は 智 証 大 師 が 親 し く 面 接 せ ら れ た 人 で は な い か ら、 そ こ に 直 接 の 影 響 が あ ろ う 筈 は な い。 ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ と ﹃菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ は と も に 大 師 入 唐 以 前 の 作 で あ る か ら、 こ の 両 書 か ら 唐 代 後 期 純 密 か ら の 直 接 影 響 を 読 み と る こ と は 不 可 能 で あ る が、 若 し 唐 代 後 期 純 密 か ら の 影 響 を 考 え る と す る な ら ば、 慈 覚 大 師 を 介 し て の 影 響 を 探 る よ り 外 に 道 は 存 し 得 な い と 思 う。 ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ に は 広 修 と 維 燭 の 外 に は 一 切 入 名 を あ げ て い な い し、 ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ に は、 (149) (150) (151) (152) 天 台 大 師 を 八 回、 智 者 大 師 と し て 一 回、 そ の 他 は 龍 樹 ・ 興 唐 (153) (154) (155) (156) ( 一 行) ・ 興 善 ( 不 空) ・ 肇 師 ( 僧 肇) ・ 什 師 ( 羅 什) ・ 真 諦 ・ (157) (157) (159) (160) (161) (162) 一 行 ・ 妙 楽 ( 湛 然) ・ 顔 魯 公 ・ 梁 補 閾 ・ 安 国 照 公 ・ 普 超 等 の 名 を 各 一 回 つ つ あ げ て い る が、 唐 代 後 期 の 人 物 は 一 名 も 出 て 来 な い の で あ る。 こ れ は ど う し た こ と 宣で あ ろ う か。 慈 覚 大 師 の ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ と ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に も 唐 代 後 期 の 人 で は、

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海 雲 を 三 回 と 法 全 を た だ 一 回 あ げ て い る だ け で あ る の と 概 ね 軌 を 一 に し て い る の は ど う し た こ と か。 慈 覚 大 師 は 義 真 ( 胎 ・蘇)・法 全 ( 胎 ・三 部 大 法)・元 政 ( 金)・全雅 ( 金)・宗 叡 ( 悉 曇) 宝 月 ・( 悉 曇)・宗 頴 ( 止 観)・志 遠 ( 止 観)・玄 監 ( 止 観)・元 簡 ( 金 ・悉 曇)・法 潤 ( 胎)・文 悟 ( 金) 等 の 入 達 か ら、 智 証 大 師 は 物 外 ( 天 台) ・ 良 謂 ( 台 教)・法 全 ( 胎 ・ 金 ・蘇)・智 慧 輪 ( 胎 ・金)・般 若 但 羅 ( 悉 曇) 等 の 人 人 か ら そ れ ぞ れ 秘 奥 を 潟 瓶 さ れ た と い う こ と に な っ て い る が、 こ れ は 慈 覚 大 師 の ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ の 中 も 見 え る と こ ろ で、 両 大 師 の 著 書 の 上 か ら は 前 き に 記 し た 両 名 以 外 は こ れ ら の 人 物 の 名 前 を 知 る こ と が 出 来 な い の は ど う し た こ と か。 そ れ に 引 き 較 べ て 一 行 禅 師 の 名 称 と そ の 著 書 が 屡 々 出 て く る。 こ う い う 事 実 は 両 大 師 の 密 教 学 の 内 容 が や は り 盛 唐 の 一 行 禅 師 の 学 問 に 負 う と こ ろ 非 常 に 重 く、 こ れ に 反 し 後 期 の 密 教 学 か ら の 影 響 が 非 常 に 少 な い と い う こ と を 教 え る も の で あ る。 こ の 辺 の 実 情 は 一 時 期 前 に 入 唐 せ ら れ た 弘 法 ・ 伝 教 両 大 師 と も 相 (123) い 通 ず る。 さ て こ こ に 円 珍 記 と 称 する ﹃大 日 経 義 釈 更 問 妙 ﹄ ( 日 本 大 蔵 経 本) と 称 す る 一 本 が あ る 。 現 本 は 下 巻 を 遺 す だ け で あ る が 、 末 記 に 一,大 中 九 年 ( 西 紀 八 五 五 ) 十 百 十 二 日 於 龍 興 記 、 呆 国 延 暦 寺 持 念 供 奉 沙 門 円 珍 記 ﹂ と の 署 名 が あ り 、 龍 興 寺 に て の 記 で あ る こ と を 知 る こ と が 出 来 る が 、 異 本 に は 貞 観 二 年 正 月 十 四 日 の 日 付 と な っ て い る 。 大 中 九 年 な ら ば 智 証 夫 師 が 在 唐 中 で あ り 、 貞 観 二 年 な ら ば 大 師 の 帰 朝 後 で あ る 。 こ の 書 の 内 容 は 法 全 の 決 答 を 記 し た も の で あ る と い わ れ 、 文 体 は 智 証 大 師 の そ れ と 見 て 疑 う べ き 程 の も の で は な い が 、 大 師 の 記 と 確 定 す べ き 証 拠 も 、 ﹁ 上 来 大 要 故 間 師 決 、 其 余 問 頭 或 准 上 件 、 或 未 問 師 ﹂ と あ る だ け で 、 法 全 の 決 答 だ と 断 定 す べ き 証 左 も な い 。 今 一 本 、 こ れ も 円 珍 述 と 伝 え る ﹃ 大 日 経 疏 紗 ﹄ ( 日 本 大 蔵 経 本) と い う 一 巻 の 短 篇 が あ る 。 こ の 書 の 中 に 随 所 に ﹁ 和 上 云 ﹂ と あ る が 、 和 上 と は 誰 れ の 意 か 。 最 終 末 に は ﹁ 元 政 和 上 説 ﹂ と あ り 、 ま た ﹁法 全 和 上 説 ﹂ と 細 字 の 注 が あ る が 、 こ れ ら は 恐 ら く 後 入 の 加 筆 で あ ろ う 。 若 し そ う だ と す る な ら ば 、 ﹃ 疏 ﹄ か ら の 引 用 が あ る の で 慈 覚 大 師 帰 朝 以 前 の 作 で な け れ ば な ら な い 。 慈 覚 大 師 帰 朝 後 に 大 師 か ら 元 政 の 説 を 聞 い て 円 珍 が 書 い た と 解 し た り 、 円 珍 自 身 が 法 全 か ら 聞 き 伝 え て 書 い た と 解 し て は ﹃ 疏 ﹄ か ら の 引 用 と 矛 盾 す る 。 故 に 私 は こ の 書 を 智 証 大 師 真 作 と 見 る こ と に 疑 い を も つ 。 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 笛 教

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密 教 文 化 最 後 に こ れ も 円 珍 述 と 称 す る ﹃ 大 日 経 略 釈 ﹄ ( 日 本 大 蔵 経 本) と い う 一 巻 の 書 が あ る。 そ の 終 末 に ﹁ 日 本 国 上 都 比 叡 山 延 暦 寺 真 言 唱 業 内 供 奉 沙 門 円 珍 遊 天 台 次 届 於 鎮 西 府 城 山 四 天 王 院 案 本 経 釈 賛 述 之 し と あ る を 信 ず る な ら ば、 鎮 西 府 す な わ ち 太 宰 府 の 城 山 の 四 天 王 院 と い う 寺 で 大 師 入 唐 直 前 に 書 い た と い う こ と に な る。 こ の 書 の 中 に も や は り ﹁ 疏 釈 ﹂ ( 日 本 大 蔵 経 本、 二 四 上。) と か ﹁ 疏 中 ﹂ ( 同 上、 二 七 上。) と か 単 に ﹁ 疏 ﹂ ( 同 上) と か 見 え る か ら、 こ れ も 慈 覚 大 師 帰 朝 以 前 す な わ ち 承 和 十 四 年 ( 西 紀 八 四 七) 以 前 の 作 で な け れ ば な ら な い。 以 上 あ げ る と こ ろ の 諸 本 は 智 証 大 師 の 作 と 断 定 す べ き 確 証 ど こ ろ か、 む し ろ そ れ を 疑 い た く な る よ う な 反 証 を 私 は 指 摘 し た。 い ま 仮 り に こ れ を 智 証 大 師 の 真 作 と し、 後 世 心 な き 無 智 の 輩 が 加 筆 し た 箇 所 に 矛 盾 撞 著 を 生 じ て い る と し て も、 い ず れ も 大 師 入 唐 以 前 の 作 と 見 る 外 は な く、 こ れ ら の 書 物 か ら 大 師 が 唐 代 後 期 純 密 か ら 直 接 う け た で あ ろ う と こ ろ の 影 響 を 探 知 す る こ と は 不 可 能 で あ る。 こ う な れ ば 智 証 大 師 が 帰 朝 後 に 著 さ れ た 書 と い え ば ﹃ 大 日 経 義 釈 縁 起 ﹄ と そ の ﹃ 目 録 ﹄ ぐ ら い の も の で あ る が、 こ の 書 は 今 日 で い え ば 書 誌 学 の 書 で あ る か ら、 大 師 の 密 教 学 の 内 容 を 知 る に ふ さ わ し く な い。 い た し か た な い か ら 大 師 入 唐 以 前 の 作 で は あ る が、 再 び ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ に 立 ち も ど り、 慈 覚 大 師 を 介 し て 智 証 大 師 が 受 客 せ ら れ た 唐 代 後 期 密 教 の 影 響 を 論 じ よ う。 私 は 唐 代 後 期 純 密 の 特 色 と し て 三 つ の 盛 期 純 密 と の 相 違 を 考 え て い る。 詳 し く は 稿 を 別 に し て 論 証 す る 積 り で あ る が、 一、 中 国 的 思 想 の 混 入、 二、 広 い 意 味 で は 雑 密 と い え る が 中 国 的 民 俗 風 の 密 呪 の 混 入、 三、 三 種 悉 地 法 の 取 得、 以 上 の 三 つ で あ る。 こ の う ち 第 一 と 第 二 と は ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ の 中 に そ の 影 響 を 認 め る こ と は 出 来 な い。 三 種 悉 地 法 が 主 と し て ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ に よ る 唐 代 後 期 純 密 の (164) 特 色 で あ る 旨 を 私 は 力 説 し て お い た が、 盛 期 の 純 密 に 皆 無 と い う の で は な い。 現 に 一 行 禅 師 の ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 ﹄ の 注 釈 書 に (165) (166) (167) 於 て、 世 間 成 就 品 ・ 悉 地 出 現 品 ・ 秘 密 漫 茶 羅 品 之 余 ・ 世 出 世 護 (168) 摩 法 品 等 に ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ や ﹃ 妙 縛 童 子 経 ﹄ に 依 る 三 種 悉 地 法 を 説 い た 箇 所 が あ る の は 私 の 指 摘 し て お い た 通 り で あ る。 し か し ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ に 説 か れ て い る 三 種 悉 地 法 は も ち ろ ん ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ に よ る も の で な く し て、 不 空 訳 ﹃ 菩 提 場 所 説 葦 頂 輪 王 経 ﹄ 五 巻 ( 大 正 蔵 経、 巻 十 九、)・菩 提 流 志 訳 ﹃ 葦 仏 頂 輪

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王 経 ﹄ 五 巻 ( 大 正 蔵 経、 巻 十 九。)・菩 提 流 志 訳 ﹃ 五 仏 頂 三 昧 陀 羅 経 ﹄ 四 巻 ( 大 正 蔵 経、 巻 十 九。) 等 に 依 る も の で、 智 証 大 師 は 後 の 二 本 を ﹁ そ れ そ れ ﹁ 別 本 ﹂ も し く は ﹁ 別 訳 ﹂ と い い、 ﹁ 旧 本 ﹂ も し く は ﹁ 旧 訳 ﹂ と も 呼 ん で い る。 智 証 大 師 は ま ず 第 一 に ﹃ 菩 提 場 経 ﹄ の 序 品 の 持 明 成 就 者 に 関 す る 項 の 解 説 で は ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ か ら 援 用 し、 ﹁ 三 部 各 有 三 等、 真 言 各 各 藷 成 就 上 中 下 等 九。 叩 悉 地。﹂ ( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 二、 三 九 上-下、) と い う。 第 二 は 儀 軌 品 の 偶 に ﹁菩 提 子 念 珠 決 定 得 成 就 上 中 不 悉 地。 ﹂ と あ る に 対 し、 ﹁ 菩 提 子 念 珠 等 者、 明 菩 提 子 念 珠 上 中 下 通 用 也。 ﹂ ( 同 上、 巻 四、 九 七 上。) と 注 し て い る。 第 三 は 分 別 秘 密 相 品 の 冒 頭 の 解 説 で は 別 本 す な わ ち ﹃ 一 字 仏 頂 輪 王 経 ﹄ に ﹁ 有 上 中 下 成 就 処 坐 法 臥 法 等 間。 ﹂ ( 同 上、 巻 四、 一 〇 〇 上。) と あ る と 注 し て い る。 第 四 は 諸 成 就 法 品 で、 三 相 成 就 な る も の の 解 説 に ﹁ 三 種 相 現 獲 三 悉 地。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 四 八 上。) と あ る。 第 五 も 諸 成 就 法 品 で、 偶 に ﹁真 言 教 法 成 就 ﹂ を 解 し ﹁ 悉 地 三 種 而 分 別 本 来 清 浄 真 言 法 獲 得 律 儀 与 印 契 誰 於 一 切 起 憎 嫉 者、 謂 於 一 仏 乗 阿 字 妙 種 中 分 上 中 下 等 九 品 悉 地 別、 如 折 金 杖 不 失 金 用。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 五 六 下。 ) あ り、 ま た ﹁ 大 聖 慈 悲 説 種 種 法 令 獲 悉 地、 如 根 有 下 中 上 之 異 悉 地 亦 然。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 五 七 下。 ) と あ り、 ﹁ 三 部 儀 次 第 ﹂ を 解 し て は ﹁ 我 説 三 部 儀 次 第 以 下 至 真 言 教 心 輪 王 法 者 謂 己 広 説 三 部 儀 則 次 第、 其 中 亦 有 九 品 悉 地。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 五 七 下。) と 注 し て い る。 第 六 は 世 成 就 品 に ﹁ 於 河 山 寂 静 処、 応 修 三 種 成 就、 於 一 切 成 就 中、 得 為 最 勝 成 就。 ﹂ と あ る に 注 し、 ﹁ 又 日 月 蝕 時、 取 牛 黄 蘇 等 者 明 三 相 現 謂 沸 煙 燗 得 三 悉 地。 ﹂( 同 上、 巻 五、 一 六 四 下。) と い い、 別 本 す な わ ち ﹃ 一 字 仏 頂 輪 王 経 ﹄ に も ﹁ 於 日 月 蝕 得 三 種 成 三 相 次 第 得 三 悉 地 如 文。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 六 六 上。) と あ る と 注 し、 な お 三 種 を 解 し て ﹁ 三 種 微 細 者 謂 不 解 陰 陽 不 依 教 法 不 秘 作 法、 由 此 倒 者 有 壊 不 成 也。 ﹂( 同 上、 巻 五、 一 六 六 下。) と あ る。 第 七 は 証 学 法 品 で、 そ の 偶 に ﹁ 中 方 説 三 種 求 成 就 之 地、 皆 通 於 三 種 ⋮⋮天 妙 復 三 種 於 此 一 一 中 各 分 為 三 種、 河 池 海 山 王、 称 最 勝 成 就、 浄 不 浄 徳 倶 名 中 成 就 処。 ﹂ と あ る に 注 し、 ﹁ 謂 持 明 者 修 先 行 後 地 天 示 相 最 勝 及 中 下 也、 地 方 説 三 種 以 下 至 成 処 三 種 者 標 列 結 地 相 如 文。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 七 六 上。) と い う。 第 八 は 護 摩 品 で、 偶 に 三 種 護 摩 と 三 種 念 調 修 行 法 則 と 息 災 三 種 法 に 関 し 一 切 成 就 を も と め る を 説 け る に 注 し て、 二 一 各 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 笛 教

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密 教 文 化 有 上 中 下 成 就 也。 ⋮⋮復 説 三 種 以 下 明 三 種 悉 地、 謂 天 上 悉 地 虚 空 悉 地 地 上 悉 地、 此 三 悉 地 亦 有 上 中 下。 ﹂ ( 同 上、 巻 五、 一 八〇下。) と い う。 以 上 は 智 証 大 師 が ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ に 於 て 説 く 三 種 悉 地 法 で あ る が、 も ち ろ ん ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ を 援 用 し て 説 い て い る 場 合 も あ る け れ ど も、 そ れ は ﹃ 菩 提 場 経 ﹄ 外 二 つ の 同 本 異 訳 本 中 に ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ を 引 用 し て 説 い て い る 三 種 悉 地 法 を 智 証 大 師 が 解 説 し た の で あ る。 こ の ﹃ 菩 提 場 経 ﹄ は 維 笛 の 経 軌 だ と い う こ と に な っ て い る が、 そ の 内 容 は 両 部 の そ れ に 引 き 較 べ て 異 質 の も の で は な い。 た だ 薄 伽 梵 こ こ で は 釈 迦 牟 尼 如 来 の 説 法 と な っ て い て、 聴 き 手 の 主 席 は 両 部 の 場 合 と 同 様 金 剛 手 秘 密 主 で あ る か ら、 雑 密 と 称 せ ら れ て い る の で あ ろ う。 問 題 は 何 故 智 証 大 師 が こ の 経 軌 に 注 釈 を 加 え た の で あ ろ う か と い う こ と で あ る。 私 の 考 で は、 慈 覚 木 師 の ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に 倣 い、 唐 代 後 期 の 純 密 に 羽 振 り を き か し て い た 三 種 悉 地 法 に 智 証 大 師 は 興 味 を ひ か れ て こ の ﹃ 菩 提 場 経 ﹄ の 義 釈 を 造 っ た の で あ ろ う と 思 っ て い る。 慈 覚 大 師 の ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 出 来 た の は、 福 田 尭 頴 僧 正 の 説 ( 天 台 学 概 論、 三 五 四 頁、) を 聴 け ば 斉 衡 二 年 ( 西 紀 八 五 五) で あ る か ら、 智 証 大 師 が 入 唐 中 ( 西 紀 八 五 三-八 五 八) の 留 守 中 で あ る。 故 に 智 証 大 師 は ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ の 完 成 を 見 と ど け ず に 唐 に 渡 っ て 行 っ た の で あ る が、 智 証 大 師 は 進 捗 中 の 慈 覚 大 師 の ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ に 範 を と り 親 か ら も ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ を 書 い た の で あ ろ う。 智 証 大 師 の ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ の 成 立 に 関 し 私 は か よ う に 考 え て い る。 慈 覚 大 師 の ﹃ 金 剛 頂 経 疏 ﹄ と ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ と は そ れ ぞ れ 大 師 帰 朝 ( 承 和 十 四 年 西 紀 八 四 七) 後 の 仁 寿 元 年-四 年 ( 西 紀 八 五 一-五 四) と 斉 衡 二 年 ( 西 紀 下八 五 五) に、 彼 が 入 唐 し て 呼 吸 し て 蹄 来 せ ら れ た 息 吹 の 未 だ さ め や ら ぬ う ち に 新 綿 朝 の 自 信 を 抱 い て 執 筆 せ ら れ た の で あ る が、 智 証 大 師 の ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 指 帰 ﹄ と ﹃ 菩 提 場 経 略 義 釈 ﹄ と は 彼 が 未 だ 先 進 の 唐 土 に 足 を 踏 み 込 ま な い 入 唐 直 前 に 先 輩 の 慈 覚 大 師 の 帰 朝 談 に 昂 奮 を 覚 え、 こ の 二 書 を 造 っ た の で あ ろ う。 慎 重 型 の 慈 覚 大 師 と 才 気 喚 発 型 の 智 証 大 師 と の 風 格 の 相 違 に は 興 味 を 覚 え ず に は 居 ら れ な い。 そ れ に し て も 智 証 大 師 が 帰 朝 後 に 大 作 を 書 い て い な い の は そ れ 相 応 の 理 由 が あ る に し て も 如 何 に も 不 思 議 で あ る。

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三、 慈 覚 ・ 智 証 大 師 の 密 教 と 唐 代 後 期 の 純 笛 唐 代 後 期 の 密 教 史 の 問 題 と し て 何 故 こ の 時 期 に な っ て ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ が 重 視 さ れ た か を 解 釈 し な け れ ば、 台 密 の 歴 史 を 読 ん で も 釈 然 と し な い も の が あ る。 台 密 で は 慈 覚 大 師 が ﹃ 蘇 悉 地 経 疏 ﹄ 巻一 の 頭 初 に て ﹁ 所 言 蘇 悉 地 掲 羅 経 者、 是 三 部 経 王、 諸 尊 肝 心、 緒 総 真 言 之 秘 旨、 該 貫 大 教 之 要 妙。 ﹂( 日 本 大 蔵 経 本、 巻 一、 三 七 八 上。) と あ る を 重 視 し、 こ れ に 関 し 疑 問 を 提 示 さ れ た こ と を 聞 か な い け れ ど も、 密 教 史 家 と し て は こ れ は 唐 代 後 期 密 教 史 の 最 も 大 き な 課 題 で あ る と 思 う。 私 は こ の 間 題 の 解 明 に 次 の よ う な 著 想 を 持 っ て い る。 そ の 第 一 は 天 台 学 に お け る 三 諦 と か 三 観 と い っ た 三 原 理 だ て の 理 解 の し か た の 影 響 で あ る。 盛 唐 胎 蔵 系 密 教 学 の 最 高 峯 で あ る 一 行 禅 師 の 密 教 学 に 天 台 学 の 影 響 の あ る こ と は 今 更 喋 々 す る ま で も な い け れ ど も、 唐 代 後 期 に な っ て も 一 行 禅 師 の 密 教 学 の 権 威 は 地 に 墜 る こ と な く そ の 伝 統 を 保 っ て い た こ と は す で に 私 が 論 証 し た 如 く で あ る が、 後 期 に な っ て は、 ﹃ 胎 蔵 四 部 儀 軌 ﹄ の う ち 法 全 の 手 に よ り 編 集 せ ら れ た ﹃ 玄 法 寺 儀 軌 ﹄ ( 大 正 蔵 経、 巻 十 八、 一 〇八 下。) と ﹃ 青 龍 寺 儀 軌 ﹄ ( 大 正 蔵 経、 巻 十 八、 一 四 三 下。) の 首 部 に 一 行 禅 師 の 筆 受 に な る ﹃ 要 略 念 請 経 ﹄ と ﹃ ビ ル シ ヤ ナ 経 ﹄ 巻 七 (169) の 頭 初 の 偶 を 掲 出 し て い る し、 ま た 惟 謹 の ﹃ 大 毘 盧 遮 那 経 阿 闇 梨 真 実 智 品 中 阿 闇 梨 住 阿 字 観 門 ﹄ ( 大 正 蔵 経、 巻 十 八、 一 九 四 下。) に も 一 行 禅 師 の ﹃ 疏 ﹄ 及 ﹃ 義 釈 ﹄ の ﹁ 字 輪 品 ﹂ と ﹁ 阿 闇 梨 真 実 智 品 ﹂ (170) か ら の 引 用 が あ る 事 実 に よ り 明 白 で あ る。 故 に 後 期 に な っ て も 一 行 禅 師 の 権 威 が 持 続 し て い る 限 り、 胎 蔵 系 密 教 学 に 於 て 天 台 学 の 原 理 は 生 き て い た と み な け れ ば な ら な い。 第 二 は ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ そ の も の が 胎 蔵 系 密 教 と 同 様 に 仏 ・ 蓮 ・金 の 三 部 に よ り 説 か れ て い る だ け で な く し て、 そ の 内 容 も 著 し く 雑 密 的 で あ る と い う こ と は 民 俗 的 で あ る と い う こ と と 異 質 な も の で は な い と い う こ と に な る か ら、 唐 代 後 期 の 密 教、 こ れ は 純 密 も 雑 密 も 共 通 で あ る が、 こ の よ う に 民 俗 的 傾 向 を 帯 び て き た 密 教 が 盛 唐 の 善 無 畏 に よ り 訳 述 さ れ た こ ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ を 再 発 見 し た こ と に な る。 ﹃ 菩 提 場 経 ﹄ も 雑 密 で は あ る が、 こ れ は ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ の 場 合 と 相 違 し て 民 俗 的 な 内 容 を 持 っ て い な い け れ ど も、 三 種 悉 地 法 を 説 い て い る 点 が ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ と 全 く 共 通 で あ る。 故 に 智 証 大 師 は 慈 覚 大 師 が ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ の 注 釈 を 書 い て い る の に 倣 っ て、 彼 の 地 に 於 て は 三 種 悉 地 法 が 盛 ん で あ る 噂 を 新 帰 朝 の 慈 覚 大 師 か ら 聞 き 及 ん で 愈 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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笛 教 文 化 々 自 信 を 深 め、 彼 も 亦 ﹃ 菩 提 場 経 ﹄ の 注 釈 を 書 い た の で あ ろ う。 こ の よ う に 解 釈 し な い と、 宗 学 の 上 か ら 台 密 に 於 て ﹃ 蘇 悉 地 経 ﹄ を 重 視 す る と い っ て も 釈 然 と し な い。 東 密 は 金 胎 不 二 の 建 て 前 か ら 蘇 悉 地 を い わ ず と 聞 か さ れ て い る が、 こ れ も 宗 学 上 の 話 で あ る。 殊 に 東 密 の そ れ は 弘 法 大 師 の 見 解 と し て 日 本 密 教 の 特 色 で あ る 如 く 高 く 評 価 さ れ て い る が、 す で に 私 が (171) 指 摘 し た 通 り、 胎 金 不 二 の 考 方 は 一 行 禅 師 が 創 唱 し た と こ ろ で あ る。 そ う し て こ れ が 日 本 の 東 密 に 伝 っ た の で あ る。 し か し 東 密 は 唐 代 後 期 の 密 教 学 を 踏 襲 し な か っ た。 こ れ に 反 し て 台 笛 は 唐 代 後 期 の 密 教 学 を、 特 に 胎 蔵 系 の 笛 教 学 を そ の ま ま 持 ち 帰 っ て き た と い っ て よ か ろ う と 思 う。 日 本 密 教 学 に 於 て は 東 台 両 密 の 相 違 を そ れ ぞ れ の 宗 学 の 立 場 か ら 論 究 せ ら れ る の が 常 で あ っ た。 東 台 両 密 の 数 々 の 巨 匠 が そ れ ぞ れ 違 っ た 教 学 を 将 来 し た の で あ る か ら、 そ れ だ け で も 各 各 異 色 あ る の は 当 然 で あ る け れ ど も、 唐 代 密 教 史 と の 関 連 の 上 で 唐 代 に お け る い つ 頃 の 如 何 な る 密 教 を 如 何 様 に 伝 え た か は 現 在 必 ず し も 明 か で な い。 弘 法 大 師 や 伝 教 大 師 の 場 合 で す ら そ う で あ る こ と は、 私 が す で に こ れ を 指 摘 し、 私 見 を 開 陳 し て お い た 通 り (172) で あ る。 ま し て や 慈 覚 大 師 や 智 証 大 師 の 如 く 弘 法 ・ 伝 教 両 大 師 に 比 べ 声 名 の 劣 る だ け で な く 一 時 期 遅 れ て 唐 代 密 教 の 凋 落 期 に 入 唐 せ ら れ た 方 方 に つ い て は な お 更 そ の 憾 み が き つ い。 慈 覚 大 師 に は か の 有 名 な ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ な る 旅 行 記 が 遺 っ て い る の で、 こ れ に 関 し て は 東 洋 史 学 者 の 関 心 は 極 め て 強 い が、 こ れ に 依 っ て 唐 代 後 期 密 教 の 内 容 を 詳 し く 知 る こ と は 残 念 な が ら 不 可 能 で あ る。 慈 覚 大 師 が い つ ど こ で 誰 か ら 如 何 な る 法 を う け た か の 外 廊 だ け な ら ば こ の 書 か ら 知 る こ と は 出 来 る が、 そ れ ら の 権 威 者 た ち が そ れ ぞ れ の 専 門 領 域 に 於 て ど の よ う な 理 解 を 示 し て い た か を こ の 書 か ら 知 る こ と は 出 来 な い。 こ う な れ ば 致 し 方 な い か ら、 慈 覚 大 師 の 著 書 を 通 し て、 唐 代 密 教 史 の 流 れ に の っ て こ れ か ら 浮 き 上 ら な い よ う に つ と め つ つ、 唐 代 後 期 の 密 教 の 内 容 を 究 明 し、 そ の 上 で 慈 覚 大 師 が 唐 代 後 期 の 密 教 か ら 如 何 な る 影 響 を う け て 帰 朝 せ ら れ た か を 明 か に す べ き で あ る。 智 証 大 師 に 関 し て は、 慈 覚 大 師 の ﹃ 入 唐 求 法 巡 礼 行 記 ﹄ に 匹 敵 す る よ う な 旅 行 記 が な い の で、 こ の 研 究 は 一 層 困 難 で あ る。 こ う い っ た 内 容 の 旅 行 記 の 有 無 は 慈 覚 大 師 の 綿 密 周 到 な 性 格 と 智 証 大 師 の 大 胆 豪 放 な 性 格 の 相 違 に 由 来 す る と 思

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う。 と も 角 私 の い わ ん と 欲 す る と こ ろ は、 日 本 密 教 史 の 理 解 に は 唐 代 後 期 密 教 史 の 解 明 が 是 非 必 要 で あ る と い う 点 に あ る。 ( 註) ( 1) 一 四 四 下、 一 五 二 下、 一 八 七 上、 一 八 八 下、 一 八 九 上、 一 九 五 下、 一 九 六 上、 一 九 七 上、 一 九 七 下、 一 九 七 下、 一 九 七 下、 二 〇 一 下、 二 〇 三 下、 二 〇 四 上、 二 〇 四 上、 二 〇 四 下、 二 〇 五 下、 二 〇 五 下、 二 〇 六 下、 二 〇 六 下、 二 〇 七 下、 二 〇 九 上、 二 〇 九 下、 二 〇 九 下、 二 一 〇 下、 二 一 〇 下、 二 一 一 上、 二 一 一 下、 二 一 二 上、 二 一 二、 二 一 二 下、 二 一 二 下、 二 一 三 上、 二 一 四 下、 二 一 四 下、 二 一 五 下、 二 一 六 上、 二 一 六 下、 二 一 六 下、 二 一 七 上、 二 一 七 上、 二 一 七 下、 二 一 七 下、 二 一 七 下、 二 一 八 下、 二一 九 上、二一 九 上、 二 一 九 下、 二 一 九 下、 二 二 〇 上、 二 二 〇 上、 二 二 〇 上、 二 二 二 下、 二 二 二 下、 二 二 四 上、 二 二 五 上、 二 二 六 上、 二 二 九 上、 二 二 九 下、 二 三 〇 上、 二 六 〇 下、 二 六 〇 下、 三 六 〇 上。 ( 数 字 は 日 本 大 蔵 経 本 の 頁 数、 上 下 は 組 版 の 上 段 と 下 段、 以 下 こ れ に 準 ず)。 ( 2) 一 九 八 下、 二 〇 一 上、 二 一 四 上、 二 二 一 上、 二 三 九 上、 二 四 五 上、 二 四 五 上、 二 五 〇 下、 二 五 六 上、 二 五 八 下、 二 六 七 下、 二 七 四 上、 二 八 九 上、 二 九 六 上、 二 九 六 上、 三 〇 三 下、 三 二 二 下、 三 二 五 上、 三 二 八 上、 三 三 五 下、 三 三 八 下、 三 三 九 上、 三 四 三 上、 三 四 六 上、 三 四 六 上、 三 四 九 下、 三 四 九 下、 三 五 八 下、 三 六 一 下。 ( 3) 一 三 三 下、 一 五 二 下、 一 五 四 上、 一 五 四 上、 一 五 五 上、 一 五 五 上、 一 五 五 上、 一 五 五 上、 一 五 六 下、 一 五 七 下、 一 五 九 ・ 上、 一 六 〇 上、 一 六 二 下、 一 六 四 下、 一 六 九 上、 一 六 九 下、 一 六 九 下、 一 七 四 上、 一 八 二 上、 外 に 竜 樹 云 と し て 一 七 九 上、 一 七 九 下、 一 八 三 下。 ( 4) 一 五 五 下、 一 五 七 下、 一 六 四 上、 一 七 〇 下、 一 七 五 上、 一 八 一 上、二一三 下、 二 三 一 下、 二 三 一 下、 二 三 二 下、 二 五 四 下、 二 六 〇 上、 二 六 三 上、 二 七 二 上、 二 七 四 下、 二 七 五 上、 八 九 下、 三 一 〇 上。 ( 5) 一三 二 下、 一 三 八 下、一三 九 上、 一 四 七 上、 一 七 五 上、 一 八 三 下、 二 〇 八 下、 二 八 三 下、 二 九 三 上、 三 〇 四 下、 三 三 五 下、 三 三 六 下、 三 四 〇 上、 三 四 二 下、 三 六 四 上。 ( 6) 一三一 下、 一 三 七 下、一三 九 下、 一 六 〇 上、 一 八 一 上、 一 八 六 上、 二 七 八 下、 二 八 六 下、 三 〇 一 上。 ( 7) 一 五 五 下、 一 八 一 下、 一 八 二 上、 一 八 五 下、 一 九 七 下、 二 〇 一 上、 二 三 〇 下、 二 五 八 下、 三 五 二 下。 ( 8) 一 五 七 下、 一 五 九 下、 一 六 一 下、 一 六 二 上、 一 六 九 上、 一 六 九 上、 一 六 九 下、 一 六 九 下、 一 六 九 下。 ( 9) 一 三 七 上、 一 四 四 下、 一 五 四 上、 一 七 七 下、 二 四 三 下、 二 六 四 下、 二 八 一 上。 ( 10) 一三 二 上、一三 八 下、 一 四 五 上、 一 四 七 上、 二 九 七 上。 ( 11) 一三 八 下、 一 七 九 下、 二 五 五 下、 二 六 七 上、 三 二 五 上。 ( 12) 一 三 〇 上、 一 三 四 下、 一 八 一 下、 二 七 五 下。 ( 13) 一三 六 下、一三 七 上、 二 六 三 上。 ( 14) 一 九 四 上、 一 九 四 上、 二 五 二 上。 ( 15) 一 八 四 上、 二 七 〇 上、 二 七 四 上。 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 密 教

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密 教 文 化 ( 16) 一 四 〇 上、 二 九 九 上、 三 〇 一 上。 ( 17) 一 四 四 上、 一 八 五 上。 ( 18) 一 四 五 下、 二 五 二 上。 ( 19) 二 五 二 下、 二 五 二 下。 ( 20) 二 六 六 下、 二 六 六 下。 ( 21) 一 五 四 下、 一 六 〇 下。 ( 22) 一 五 四 上。 ( 23) 一 四 五 下。 ( 24) 一 七 〇 上。 ( 25) 二 八 一 上。 ( 26) 三 〇 六 下。 ( 27) 一 四 五 上、 ( 28) 二 一 二 下。 ( 29) 二 〇 八 下。 ( 30) 二 五 二 上。 ( 31) 二 八 四 上。 ( 32) 二 九 八 上。 ( 33) 一三三 上。 ( 34) 一 六 〇 下。 ( 35) 一 六 〇 下。 ( 36) 一 四 七 上。 ( 37) 二 五 一 下。 ( 38) 二 五 〇 上。 ( 39) 二 六 三 下。 ( 40) 一 五 九 上。 ( 41) 一 五 八 下。 ( 42) 一 五 四 下。 ( 43) 二 七 三 上。 ( 44) 一三 五 下。 ( 45) 二 八 一 上。 ( 46) 二 八 九 下。 ( 47) 一 七 〇 上。 ( 48) 一 七 六 下。 ( 49) 一 行 禅 師 の ﹁ ビ ル シ ヤ ナ 経 ﹂ に 対 す る 注 釈 は ﹁ 疏 ﹂ と ﹁ 義 釈 ﹂ の 二 つ の テ キ ス ト が あ る が、 い ず れ を 引 用 し て い る か に よ っ て、 そ の 書 物 の 成 立 し た 年 時 の 推 論 も 可 能 で あ る。 ( 50) 一 四 八 下、 一 四 八 下、 一 四 九 上、 一 四 九 上。 ( 51) 一 六 一 上。 ( 52) 三 八 九 上、 三 九 七 下、 四 〇 〇 下、 四 〇 三 上、 四 〇 三 上、 四 〇 三 下、 四 〇 四 上、 四 〇 四 上、 四 〇 四 下、 四 〇 四 下、 四 〇 六 上、 四 〇 六 上、 四 〇 七 上、 四 三 五 上、 四 五 三 下、 四 五 四 上、 四 五 五 上、 四 九 七 下、 五 五 二 下。 ( 53) 四 四 六 上、 四 六 二 上、 四 六 五 下、 四 六 六 上、 四 七 〇 下、 四 九 五 下、 五 〇 一 下、 五 〇 五 上、 五 〇 六 下、 六 〇 四 下、 六 三 〇 下。 ( 54) 三 九 三 上、 三 九 八 下、 四 〇 三 下、 四 〇 四 下、 四 〇 六 上、 四 三 一 上、 四 二 二 上、 四 九 八 上、 五 一 四 下。 ( 55) 四 〇 四 上、 四 〇 四 上、 四 〇 四 上、 四 〇 四 下、 四 〇 六 上、 四 〇 七 下、 四 〇 七 下。 ( 56) 三 八〇 上、 三 八 六 上、 四 二 九 上、 四 五 一 上、 四 五 二 上、 四 五 二 上、 五 四 〇 上。 ( 57) 三 八 八 上、 四 〇 九 上、 四 七 三 上。 ( 58) 四 〇 一 下、 五 四 八 下。 ( 59) 四 四 八 上、 五 六 八 万。 ( 60) 四 〇 七 上、 四 〇 七 下。 ( 61) 五 〇 三 下、 五 四 八 上。 ( 62) 四 一 九 上、 四 二 〇 上。 ( 63) 四 五 一 上、 四 五 一 上。 ( 64) 四 五 一 上、 四 五 四 下。 ( 65) 四 五 五 下。 ( 66) 四 〇 三 下。 ( 67) 四 五 四 下。 ( 68) 四 二 八 上。 ( 69) 五 五 八 下。 ( 70) 九 四 二 上。 ( 71) 五 八 九 上。 ( 72) 五 八 五 上。 ( 73) 五 〇 四 上。 ( 74) 五 八 五 下。 ( 75) 四 五 四 下。 ( 76) 四 二 〇 下。 ( 77) 四 二 〇 下。 ( 78) 四 一 六 上。 ( 79) 五 五 〇 下。 ( 80) 六 〇 五 下。 ( 81) 四 五 二 上。 ( 82) 五 七 八 下。 ( 83) 四 七 四 下。 ( 84) 三 八 二 上、 四 二 七 上。 ( 85) 四 五 三 上。 ( 86) 四 七 四 下。 ( 87) ﹁ 金 剛 頂 経 疏 ﹂ 巻 五 末 ( 二 七 〇 上) に、 ﹁ 興 唐 阿 闊 梨 云、 妙 謂 仏 元 上 慧、 猶 如 醍 醐 純 浄 第 一、 空 利 翻 為 吉 祥、 即 是 其 衆 徳 義、 或 云 妙 徳 或 云 妙 音、 以 大 慈 悲 力、 開 演 妙 法 音 令 一 切 聞 故、 所 言 金 剛 三 摩 地 極 堅 牢 等 如 常 釈 也。 ﹂ と あ る は ﹁ 義 釈 ﹂ (﹁ 疏 ﹂ 亦 同 文) 巻 一 住 心 品 ( 大 日 本 続 蔵 本、 二 五 九 左 上、) に あ る 一 節 を 引 用 し た も の 故、 こ こ に 興 唐 と い う の は 一 行 禅 師 の 意 で あ る の は 明 白。 ま た ﹁ 蘇 悉 地 経 疏 ﹂ 巻 三 ( 四 五 二 上) に、 ﹁ 興 唐 和 上 引 阿 闊 梨 説 云、 其 正 義 当 云、 菩 提 索 多、 此 索 多 者、 是 忍 楽 修 行 堅 持 不 捨 義 也。 ﹂ と あ る は ﹁ 義 釈 ﹂ ( ﹁ 疏 ﹂ 亦 同 文) 巻 一 ( 二 五 九 左 下) 住 心 品 に あ る 一 節 を 引 用 し た も の

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で、 阿 闊 梨 と は 善 無 畏 三 蔵 の 意 で あ る か ら、 興 唐 は 一 行 禅 師 の 意 で あ る こ と こ れ 亦 明 白。 ( 88) ﹁ 金 剛 頂 経 疏 ﹂ 巻 二 ( 一 七 二 上) に ﹁ 興 唐 云、 如 来 実 相 智 身 真 実 功 徳 所 荘 厳 処、 妙 住 之 境 心 王 所 都 故 日 宮 也。 ﹂ ・ 同 巻 七 ( 三 四 〇 上) に、 ﹁ 然 興 唐 和 尚 釈 云、 三 昧 耶 是 平 等 義、 是 本 誓 義、 是 除 障 義、 是 驚 義。 ﹂ ・同 巻 五 ( 二 七 八 下) に ﹁ 興 唐 和 尚 釈 云、 世 尊 答 中、 初 答 名、 次 答 義、 就 答 名 中 還 復 申 明 本 旨 云。 ﹂ と あ る 興 唐 と、 ﹁ 蘇 悉 地 経 疏 ﹂ 巻 三 ( 四 八 五 下) に、 ﹁ 興 唐 和 尚 釈 五 供 寛 云、 若 竪 説 者、 一 一 地 中 皆 具 如 是 五 義。 ﹂ と あ る 興 唐 は そ れ ぞ れ の 一 節 が ﹁ 義 釈 ﹂ の 中 に 発 見 出 来 な い の で、 一 行 禅 師 の 意 で な い か と 疑 っ て い る。 ( 89) ﹁ 蘇 悉 地 経 疏 ﹂ 巻 一 ( 四 〇 一 下) に、 ﹁ 大 興 善 寺 阿 闊 梨 云、 然 以 解 二 種 義、 故 阿 闊 梨 名、 所 謂 浅 略 深 奥 分。 ﹂ と あ る 一 節 は ﹁ 義 釈 ﹂ ( ﹁ 疏 ﹂ 亦 同 文) 巻 三 具 縁 品 ( 二 八 九 左 下) に 見 え る 一 節 を 引 用 し た も の で あ る か ら、 こ こ に い う 大 興 善 寺 阿 闊 梨 は 一 行 禅 師 の 意 で あ る こ と 疑 い な い。 ( 90) 金 剛 頂 経 疏﹂ 巻 一 に、 ﹁ 故 大 興 善 寺 伝 法 阿 闊 梨 云 諸 家 所 立、 皆 是 随 機、 若 准 実 義、 弁 説 砒 梨 遮 那 如 来 説 法 時 者 応 云 一 切 時 也。 ﹂ ( 一 四 七)・﹁是 故 大 興 善 寺 阿 闊 梨 云、 若 就 真 言 而 立 教 者 応 云 一 大 円 教、 如 来 所 演 元 非 真 言 秘 密 道 故。 ﹂ ( 一 四 八 下) や、 巻 三 に ﹁ 是 故 大 唐 大 興 善 寺 阿 闊 梨 云、 彼 法 華 久 遠 成 仏、 亦 是 経 砒 盧 遮 那 仏、 不 可 異 解。 ﹂ と あ る の は、 い ず れ も ﹁ 義 釈 ﹂ に 見 え な い 文 句 で あ る か ら、 こ こ に い う 大 興 善 寺 阿 闊 梨 は 元 政 で あ る と い う の が 通 説 に な っ て い る が、 元 政 に は 著 書 が 遺 っ て い な い か ら、 こ れ を 確 認 す る 方 法 は な い し、 ﹁ 義 釈 ﹂ に こ れ ら の 一 節 が 発 見 出 来 な い と い う だ け で は 論 拠 は 薄 弱 で あ る と い う 畿 り は 免 れ な い か と 思 う。 ( 91) 初 唐 雑 密 の 大 家 で ﹁ 尊 勝 陀 羅 尼 ﹂ の 訳 者 智 通 で は な か ろ う か。 拙 著 ﹁ 一 行 禅 師 の 研 究 ﹂ 二 六 八 頁 参 照。 ( 92) ﹁ 両 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 ﹂ 及 ﹁ 両 部 血 脈 ﹂ の 撰 者。 拙 著、 ﹁ 一 行 禅 師 の 研 究 ﹂ 一 六 頁 参 照。 ( 93) 不 空 三 蔵 の 弟 子、 不 空 訳 ﹁ 仁 王 経 儀 軌 ﹂ の 共 訳 者。 拙 著 ﹁ 一 行 禅 師 の 研 究 ﹂ 一 九 一 頁 参 照。 ( 94) 有 名 な 羅 什 の 高 弟、 六 朝 仏 教 を 代 表 す る 一 人。 ( 95) 中 国 天 台 の 大 立 物。 六 祖 湛 然 の こ と。 ( 96) ﹁ 唐 高 僧 伝 ﹂ の 撰 者、 律 の 大 家。 ( 97) 魏 晋 南 北 朝 仏 教 の 最 高 峯。 ( 98) ﹁ 唐 高 僧 伝 ﹂ や ﹁ 宋 高 僧 伝 ﹂ を 検 す る に ﹁ 周 ﹂ 字 の つ く 人 に は 遭 遇 す る が、 こ の 場 合 誰 で あ る か を 確 定 す る こ と は 極 め て 困 難 で あ る。 ( 99) ﹁ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹂ 本 と ﹁ 続 々 群 書 類 従 ﹂ 本 と を 比 較 す る に、 後 者 は 誤 写 の 多 い の に 驚 か さ れ る。 殊 に 人 名 に そ れ が 多 い の で 注 意 が 肝 要 で あ. る。 (100) 拙 著 ﹁ 一 行 禅 師 の 研 究 ﹂ 二 五 五 頁 以 下 参 照。 ( 101) 拙 著 ﹁ 一 行 禅 師 の 研 究 ﹂、 一 八 一 頁 参 照。 (102) 拙 著 ﹁ 二 行 禅 師 の 研 究 ﹂ 一 八 一 頁 参 照。 (103) 唐 代 後 期 密 教 に お け る 三 種 悉 地 法 に 関 し て は 別 に 稿 を 用 意 し て い る。 (104) 佐 々 木 憲 徳 ﹁ 天 合 教 学 ﹂ ( 二 五 七 頁) は 大 師 入 唐 直 前 太 宰 府 滞 在 中 の 作 で あ ろ う と い う。 (105) 六 下、 一 五 上、 一 六 上、 一 七 下、 一 八 上、 一 九 下、 二 〇 上、 二 一 下、 二 一 下、 二 一 下、 二 二 下、 二 二 下 二 三 上、 二 三 下、 唐 代 後 期 の 純 密 と 日 本 笛 教

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