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密教研究 Vol. 1924 No. 12 001松永 有見「台密の教義及び歴史 P1-42」

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日 本 の 天 台 密 教 は 、 弘 法 大 師 の 東 寺 の 密 教 と 相 封 し て 、 平 安 朝 よ り 鎌 倉 時 代 に か け て は 、 非 常 な 勢 力 を 有 し て 居 つ た の で あ り ま す 。 特 に 慈 覺 、 智 證 、 安 然 、 良 源 等 の 時 代 に あ つ て は 、 却 っ て 東 密 を 凌 駕 し て 、 比 叡 山 が 日 本 密 教 の 根 本 道 場 た る か の 如 き 觀 を 呈 し だ の で あ つ た 。 然 る に 現 今 に あ つ て は 、 宋 の 四 明 流 の 天 台 教 學 が 學 者 の 間 に 大 勢 力 を 占 め て 、 慈 覺 智 證 安 然 等 に よ り て 築 か れ た る 台 密 の 教 理 は 、 殆 忘 れ ら れ た 様 な 風 に 衰 微 し て 居 る の は 、 甚 遺 憾 な 次 第 で あ り ま す 。 現 今 台 密 の 學 者 と し て 知 ら れ て ゐ る 人 は、 東 京 帝 大 の 島 地 大 等 氏 、 天 台 宗 の 福 田 発 頴 氏 、 豊 山 大 學 の 前 學 長 權 田 老 師 、 西 部 大 學 の 學 長 堀 恵 慶 氏 位 の も の で あ ら う 。 昨 年 の 春 私 は 台 密 に 就 い て 少 し 調 べ て 見 た い と 考 え 、 叡 山 に 登 っ て 堀 氏 に 面 會 し て 、 色 々 と 承 は つ た の で あ り ま す 。 同 氏 は 私 の 舊 友 で 、 今 か ら 十 有 餘 年 前 、 た し か 明 治 四 十 四 五 年 頃 、 本 大 學 の 講 師 と し て 、 一 年 間 天 台 學 を 講 じ た 人 で 、 も と 矢 張 四 明 流 の 天 台 學 者 で あ つ た が 、 故 密 門 大 僧 正 、 森 田 教 授 等 の 東 密 の 講 義 を 聞 て 、 密 教 の 上 に 非 常 な 興 味 を 覺 へ 、 歸 山 し て 以 來 、 專 心 台 密 の 研 究 に 没 頭 し 、 台 密 の 復 興 を 以 て 生 涯 の 念 願 と し 、 一 昨 年 田 村 氏 の 後 を 繼 い で 、 天 台 宗 西 部 大 學 の 學 長 と な つ た 人 で あ り ま す 。 そ こ で 台 密 を 以 て 叡 山 大 學 の 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一

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台 密 の 叡 義 及 び 歴 史  二 教 育 方 針 を 改 め 、 現 に 多 年 の 宿 望 を 實 現 せ ん と 努 め つ つ あ り と 、 自 ら 親 し く 語 つ た こ と で あ り ま し た 。 己 に 御 承 知 の 通 り 比 叡 山 は 、 鎌 倉 時 代 よ り 教 勢 漸 く 振 は す 、 元 塾 二 年 の 信 長 の 焼 撃 ち に 遇 ひ 、 さ す が 全 盛 を 極 め た 叡 山 も 、 人 法 共 に 一 時 に 破 滅 す る に 至 つ た の で あ り ま す 。 徳 川 時 代 に な つ て 寛 文 の 頃 、 叡 山 に 妙 立 慈 山 現 れ 、 四 明 藕 益 の 説 を 唱 へ 、 律 に 於 て は 大 乗 圓 頓 戒 を 捨 て 、 南 山 の 小 乗 律 を 興 し 、 其 の 弟 子 靈 室 光 謙 あ り 、 益 々 四 明 流 の 學 説 を 稱 揚 し 、 全 く 傳 教 大 師 以 來 の 圓 密 禪 戒 一 致 の 教 風 を 破 り 、 顯 密 別 立 の 義 を 主 張 し て 以 來 、 比 叡 田 天 台 教 學 の 根 本 的 改 革 を 斷 行 し た の で あ り ま す 。 其 の 後 比 叡 山 に 慧 澄 和 術 出 で 、 三 井 寺 に 大 賢 和 上 出 つ る に 及 び 、 全 く 日 本 天 台 の 特 色 を 失 つ て 、 四 明 流 の 天 台 の 流 行 が 今 猶 全 盛 を 極 め て 居 る の で あ り ま す 。 た ゞ 獨 り 此 の 間 に 起 つ て 日 本 天 台 の 復 古 に 、 畢 生 の 心 血 を そ ヽ い だ 人 に 、 敬 光 顯 道 と 云 ふ 學 者 が あ つ た 。 師 は 妙 立 師 弟 と 略 同 時 代 の 三 井 寺 の 學 僧 で 、 東 密 の 慈 雲 尊 者 等 に 就 い て 密 教 を 學 び 、 四 明 流 の 天 台 學 の 盛 行 に 憤 慨 し 、 奮 然 起 つ て 復 古 の 任 に 當 り 、 主 を し て 智 證 安 然 の 學 説 を 究 め 、 山 門 に 於 け る 圓 耳 、 眞 流 の 徒と 古 道 の 復 興 に 努 め だ の で あ る が 、 時 流 酒 々 と し て 四 明 の 學 説 に 風 靡 せ ら る ゝ 時 、 殆 如 何 こ も す べ か ら ざ る 有 様 で あ つ た の で あ り ま す 。 元 來 日 本 天 台 の 特 色 ば 、 圓 密 禪 戒 め 四 宗 を 合 一 し 統 攝 し て 、 一 大 圓 教 を 建 立 し た の に あ る の で 、 單

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な る 四 明 一 流 の 天 台 學 の 如 き は 、 元 よ り 傳 教 大 師 の 本 旨 で な か つ た の は 論 勿 で あ り ま す 。 鎌 倉 時 代 に 現 れ た 、 法 然 、 親 鸞 、 榮 西 、 道 元 、 日 蓮 等 の 新 佛 教 の 開 創 者 は 、 悉 く 其 の 源 流 を 叡 山 に 發 し た の は 此 れ が 爲 め で あ り ま す 。 日 本 天 台 が 吾 國 宗 教 界 の 最 高 權 威 た り し も 亦 之 れ が 爲 め で あ り ま す 。 此 の 意 味 に 於 て 台 密 の 研 究 は 、 日 本 文 化 の 上 に 重 大 な 關 係 が 、 な く て は な ら の と 思 ふ の で あ り ま す 。 一 、 台 一密 の 成 立 そ こ で 吾 が 國 台 密 は 如 何 に し て 成 立 し 、 如 何 に し て 發 展 し 、ど ん な 教 義 を 組 織 し た か に つ い て 、 進 ん で 考 え て 見 た い と 思 ふ の で あ り ま す 。 い ふ ま で も な く 、 台 密 の 起 源 は 、 最 澄 傳 教 大 師 に 之 れ を 求 め な け れ ば な ら ぬ 。 傳 教 大 師 は 、 大 安 寺 行 表 の 弟 子 で 、 夙 に 天 台 の 典 籍 に 着 眼 し 、 鑑 眞 和 上 傳 來 の 天 台 の 三 大 部 等 を 見 る に 及 び 、 異 常 な る 攻 學 心 を 起 し 、 遠 く は 聖 徳 太 子 法 華 講 讃 の 精 神 を 繼 承 し 、 近 く は 一 乗 圓 教 に よ り て 、 日 本 佛 教 界 の 革 新 運 動 を 起 さ ん と し た の で あ る が 、 如 何 に せ ん 天 台 の 教 學 は 猶 未 だ 獨 學 で 師 承 が な い 。 そ こ で 延 暦 二 十 三 年 、 桓 武 天 皇 の 勅 命 を 奉 じ て、 入 唐 す る こ と に な つ た の で あ り ま す 。 然 る に 當 時 支 那 に あ つ て は、 天 台 の 教 學 は 已 に 衰 運 に 向 ひ 、 眞 言 密 教 及 び 禪 宗 の 盛 ん に 行 は れ た 時 代 で あ つ た 。 そ こ で 最 澄 大 師 は 、 天 台 の 外 に 眞 言 と 禪 宗 と 戒律 と の 三 宗 を も 、 相 承 す る こ さ に な つ た 台 密 の 教 義 び 及 歴 史  三

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  四 の で あ り ま す 。 即 ち 天 台 は 荊 溪 湛 然 の 上 足 道 邃 行 満 の 二 師 に 受 け 、 道 邃 よ り は 菩 薩 圓 頓 の 大 戒 を 相 承 し だ。 次 に 越 州 龍 興 寺 に 於 て 、 善 無 畏 三 藏 の 孫 弟 順 曉 阿 闍 梨 に つ い て 、 両 部 の 灌 頂 を 受 け 、 密 教 の 經 典 一 百 二 部 二 百 五 十 巻 を 授 け ら れ た 。 其 の 他 内 證 佛 法 相 承 血 脉 譜 (傳 教 大 師 全 集 二 ノ 下 五 五 九 ) に よ る と 、 天 竺 の 沙 門 阿 地 瞿 多、 明 州 壇 那 行 者 江 秘 、 開 元 寺 の 靈 光 和 尚 、 國 清 寺 の 惟 象 和 尚 の 四 人 よ り 、 雜 曼 茶 羅 即 ち 雜 部 の 密 教 を も 傳 承 し て 居 る の で あ り ま す 。 更 ら に 又 、 天 台 山 禪 林 寺 の 脩 然 禪 師 よ り 、 北 宗 の 牛 頭 禪 を も 傳 へ て 、 こ ゝ に 所 謂 圓 密 禪 戒 の 四 宗 を 相 承 し 、 留 學 一 年 に し て 歸 朝 す る こ と に な つ た の で あ り ま す 。 か く て 傳 教 大 師 は 、 殆 んど 初 め よ り 豫 期 し て 居 ら な ん だ 密 教 を 傳 え て 歸 つ た も の で あ り ま す か ら 、 桓 武 天 皇 は 大 に 御 歡 び に な つ て 、 和 氣 弘 世 に 勅 し 、 早 速 高 雄 山 に 於 て 、 諸 宗 の 智 行 兼 備 の 高 僧 を 選 び て 入 壇 灌 頂 せ し め だ の で あ り ま す 。 此 の 時 の 荘 嚴 調 度 品 を 始 め 凡 て の 費 用 は 、 悉 く 宮 廷 よ り 出 し た こ 云 ふ こ と が あ り ま す 。 天 皇 も 亦 禁 中 の 道 場 を 荘 嚴 し て 、 秘 密 三 摩 耶 佛 戒 を 受 け さ せ ら れ た 。 之 れ 實 に 本 邦 秘 密 灌 頂 の 始 め で 、 台 密 の 起 原 は こ ゝ に あ る の で あ り ま す 。 傳 教 大 師 の 歸 朝 す る や 間 も な く 、 延 暦 二 十 五 年 朝 廷 に 奏 問 し て 諸 宗 の 年 分 度 者 の 外 に 、 新 た に 天 台 宗 に 二 人 の 年 分 度 者 を 定 め 、 一 人 は 大 毘 盧 遮 那 經 を 讃 ま し め 、 一 人 は 摩 訶 止 觀 を 讀 ま し む る こと に し た 。 越 え て 弘 仁 九 年 に は 、 有 名 な 山 家 學 生 式 が 發 表 せ ら れ た 。 此 の 式 に よ る と 、 天 台 圓 教 の 菩 薩 僧 た

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ら ん と す る も の は 、 得 度 の 後 、 梵 綱 經 所 説 の 十 重 四 十 八 戒 の 大 乗 圓 頓 戒 を 受 け 、 こ れ よ り 以 後 十 二 年 間 は 、 山 門 不 出 で 遮 那 止 觀 の 両 業 を 學 習 せ し む る の で あ り ま す 。 凡 そ 止 觀 業 の も の に は 、 年 々 毎 日 、 法 華 、 金 光 明 、 仁 王 等 護 國 の 衆 經 を 長 講 せ し め 、 遮 那 業 の も の は 、 歳 々 毎 日 、 遮 那 、 孔 雀 、 不 空 佛 頂 諸 眞 言 等 を 長 念 せ し め る も の で あ り ま す 。 而 か し て 其 の 始 め の 六 年 は 聞 慧 を 主 と し 、 後 の 六 年 に は 思 修 を 主 と し て 修 學 せ し め 、 顯 密 二 教 並 べ 運 ん で 、 護 國 利 民 の 大 精 神 を 全 ふ せ ん と す る の が 此 の 式 の 根 本 精 神 で あ る 。 故 に 十 二 年 間 に 學 業 の 成 就 し た も の ゝ 中 で 最 も 傑 出 し た 人 は 、 叡 山 に 止 ま つ て 大 衆 教 育 の 任 に 當 り 、 國 家 の 重 寳 た ら し む る の で 此 れ を 國 寳 と 稱 す 。 國 寳 と は 道 心 あ る 菩 薩 僧 に し て 、 學 徳 兼 ね 備 え 、 衆 の 模 範 た る も の を 云 ふ の で あ り ま す 。 又 能 く 言 ふ も 行 ふ こ と 能 は ざ る も の を 國 師 と 稱 し 、 能 く 行 ふ も 言 ふ こ と 能 は ざ る も の を 國 用 と 稱 す る も の で あ り ま す 。 此 の 國 師 國 用 は 出 で ゝ 諸 國 國 分 寺 の 講 師 た ら し め 、 一 國 の 教 化 を 宰 ら し む る 制 度 と な し 、 出 家 在 家 の 全 國 民 を し て 、 悉 く 菩 薩 の 大 心 を 起 こ さ し め ん こ す る 、 佛 教 教 育 の 大 方 針 を 定 め た の が 、 山 家 學 生 式 で あ り ま す 。 是 れ 實 に 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 室 前 の 雄 大 な る 宗 教 教 育 の 理 想 的 制 度 で あ つ た の で あ り ま す 。 然 か れど も 此 の 理 想 を 實 現 す る に は 、 奈 良 の 小 乗 佛 教 の 戒 壇 を 離 れ て 、 別 に 大 乗 の 戒 壇 を 建 立 せ な け れ ば な ら の 。 此 の 爲 め に 身 命 を 惜 ま す 奮 闘 し た の で あ る が 、 奈 良 佛 教 僧 綱 等 の 猛 烈 な る 反 對 の あ つ た の で 、 遂 に 生 前 に は 勅 許 さ れ ず に 終 つ た の で あ つ た 。 傳 教 大 師 入 滅 し て 一 周 間 後 、 漸 く 勅 許 を 受 け 、 始 め て こ ゝ に 、 叡 山 に 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  五

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  六 於 け る 四 宗 一 致 の 天 台 宗 の 基 礎 が 確 立 す る に 至 つ た の で あ り ま す 。 元 來 傳 激 大 師 に は 、 四 宗 一 致 と 云 ふ 様 な 、 大 き な 理 想 を 懐 い て 居 ら れ た か 、 或 は 何 か な し に 四 宗 を 相 承 し た 爲 め に 、 一 山 に 四 宗 を 弘 め た の で あ る か 、 學 者 の 間 に 於 け る 一 の 問 題 と な つ て 居 る の で あ り ま す が 、 私 は 戒 壇 建 立 の 理 想 及 び 山 家 學 生 式 に 遮 那 止 觀 並 べ 修 せ し め た 點 よ り 考 ふ る に 、 大 師 の 意 中 に は 己 に 渾 然 四 宗 が 融 和 一 致 し て 居 つ た と 見 る の が 、 至 當 で あ る と 思 ふ の で あ り ま す 。 然 ら ば 傳 教 大 師 は 、 如 何 に 融 和 一 致 せ し め た か 、 思 ふ に 傳 教 大 師 は 天 台 の 教 理 三 諦 圓 融 の 理 に よ り て 、 密 教 の 六 大 四 曼 の 教 理 や 其 の 事 相 は 、 天 台 の 有 門 假 諦 に 當 り 、 達 摩 の 藤 宗 は 室 門 に し て 室 諦 に 當 り 、 此 の 室 假 二 諦 を 双 遮 双 照 す る も の は 、 天 台 圓 教 の 中 道 實 相 の 法 門 で あ る 。 大 乗 圓 頓 戒 は 禪 戒 一 致 の 考 よ り 、 此 れ は 共 に 天 台 圓 教 の 道 徳 的 實 行 方 面 で 、 遮 那 止 觀 の 二 宗 を 以 て 鎭 護 国 家 の 大 任 を 果 さ ん と し た も の で あ ら う 。 か く の 如 く 考 ふ る 時 は 、 激 相 差 別 の 方 面 よ り す れ ば 圓 密 禪 戒 の 四 宗 は 各 其 の 立 場 を 異 に す る も 、 其 の 激 の 本 旨 よ り 見 れ ば 、 何 等 衝 突 す べ き も の に 非 す し て 、 四 宗 は 天 台 の 教 理 を 中 心 と し て 、 渾 然 一 致 す べ き も の で あ つ て 、 此 れ を 日 本 の 天 台 宗 と 綱 す る の で あ り ま す 。 然 ら ば 傳 教 大 師 の 顯 密 二 教 觀 は 如 何 で あ つ た か 、 是 れ も 矢 張 天 台 の 教 學 を 中 心 と し て 、 密 教 と 雖 も 天 台 の 教 理 及 び 精 神 と 一 致 す る か ら 攝 取 し て 、 一 山 に 遮 那 止 觀 の 顯 密 二教 を 兼 ね 學 ば し め た も の で あ

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ら う 。 そ れ は ﹁ 眞 言 止 觀 其 旨 一 故 。 於 二 一 山 一弘 二 両 宗 一﹂ と 言 ふ 傳 教 大 師 の 言 葉 よ り 推 察 す る こ と が 出 來 る と 思 ふ の で あ り ま す 。 尤 も 傳 教 大 師 も 鎭 護 國 家 の 大 法 こ し て 、 或 は 即 身 成 佛 の 要 法 と し て 、 眞 盲 密 教 の 勝 れ た る 所 以 を 能 く 承 知 し て 居 る も の で あ り ま す か ら 、 弘 仁 三 年 高 雄 山 の 灌 頂 は 傳 教 大 師 の 發 起 で 、 高 祖 大 師 よ り 、 両 部 の 灌 頂 を 受 け 、 更 ら に 進 ん で 諸 尊 の 儀 軌 を も 學 ば ん と せ ら れ た の で あ る が 、 大 師 よ り 三 年 の 歳 月 を 要 す と 聞 き 、 自 分 は 天 台 宗 を 弘 む る が 本 願 で あ る か ら 、 遺 憾 な が ら 、 密 教 の 爲 め に 三 年 の 日 月 を 費 す こ と が 出 來 の か ら 、 せ め て 弟 子 の 僧 圓 澄 、 泰 範 、 賢 榮 等 に 激 へ て 貰 い た い と 云 つ て 、 三 人 を 高 祖 大 師 に 付 し だ の で あ り ま し た 。 自 己 の 密 教 受 法 の 全 か ら ざ る を 補 は ん ざ す る 熱 心 な 求 道 心 を 見 る こ と が 出 來 ると 思 ふ の で あ る 。 然 か し な が ら 、 弘 法 大 師 の 顯 密 を 嚴 別 し て 顯 教 を貶 す る に 封 し て は 、﹁ 法 葉 一 乗 眞 言 一 乗 有 二 何 優 劣 ﹂ ( 弘 法 大 師 全 集 第 十 百 六 二 ) と 云 ひ 、 或 は ﹁ 秘 密 激 三 身 是 法 華 本 地 三 身 也 。 雖 二 顯 密 異 一大 道 無 レ爽 耳 ﹂ (傳 教 大 師 全 集 三 ノ 上 二 百 七 十 八 )と 稱 し 、 飽 く ま で も 顯 密 の 教 理 は 一 致 に 歸 す る も の と し て 居 る の で あ り ま す 。 之 れ に 對 し て 東 密 の 開 祖 弘 法 大 師 は 、 直 ち に 國 都 長 安 に 至 っ て 、 八 祖 正 嫡 の 秘 密 最 上 佛 教 を 鯨 へ 蹄 つ て 、 佛 教 々 判 中 の 白 眉 た る 天 台 大 師 の 五 時 八 教 、 法 藏 賢 首 大 師 の 五 教 十 宗 を も 、 未 だ 報 應 二 身 の 説 か れ た る 因 分 の 法 門 で 、 眞 言 密 教 の み 、 法 身 如 來 所 説 の 究 竟 至 極 の 法 門 な り と し 、 一 面 に は 顯 密 二 教 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  七

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  八 の 界 畔 を 明 ら か に す ると 共 に 、 他 面 に あ つ て は 、 華 嚴 天 台 等 の 四 家 大 乗 は 勿 論 、 東 西 古 今 の 所 有 宗 教 道 徳 を も 抱 擁 す る 十 住 心 の 教 法 は 、 三 國 佛 教 史 上 に 於 て 曾 て 見 ざ る 新 判釋 を 爲 し 、 堂 々 た る 教 理 上 の 主 張 は 、 八 組 正 嫡 の 事 相 密 敏と 相 待 ち て 、 忽 ち に し て 日 本 佛 教 の 最 高 權 威 者 と な り 、 奈 良 六 宗 の 高 僧 を 歸 伏 せ し め た の み な ら ず 、 傳 教 大 師 の 弟 子 も 皆 來 つ て 東 密 を 研 鑚 す る に 至 り 、 東 密 の 教 風 は 旭 日 東 山 に 出 で ゝ 、 衆 星 光 を 没 す る の 勢 を 示 し た も の で あ る か ら 、 傍 流 の 密 教 を 傳 へ、 未 だ 何 等 の 教 義 組 織 を 有 せ ぬ 台 密 の、 到 底 及 ぶ べ き も の で な か つ た 。 特 に 時 代 の 潮 流 は 、 最 早 室 理 室 論 を 弄 し て 、 講 諭 談 義 す べ き 時 代 で な か つ た 。 講 經 談 論 の 顯 教 よ り も 、 三 密 觀 行 の 實 修 に よ り て 、 鎭 護 國 家 の 個 人 の 即 身 成 佛 を 期 せ し む る 眞 言 密 教 が 、 現 實 の 社 會 を 救 濟 す る に 偉 大 な 効 果 を 示 し た の は 、 自 然 の 理 で あ り ま す 。 朝 廷 の 御 信 仰 も 一 般 民 衆 の 歸 向 も 、 凡 て は 眞 言 密 教 の 新 教 幢 の 下 に 歸 伏 し て 、 其 の 靈 力 護 持 に よ ら ん と す る 時 代 で あ る 。 叡 山 佛 教 に 於 て も 何 等 か の 變 動 が な く て は な ら ぬ 。 慈 覺 智 證 安 然 等 の 台 密 の 興 隆 は 、 正 し く 東 密 の 全 盛 と 、 時 代 の 要 求 の 必 然 に 迫 ら れ た 、 歴 史 的 機 蓮 の 然 ら し め た も の で あ り ま す 。 二 、 慈 覺 大 師 の 教 義 台 密 に 於 て は 古 來 、 根 本 大 師 流 と 慈 覺 大 師 流 と 、 智 證 大 師 流 と の 三 流 あ り と 、 せ ら れ て 居 る の で あ り

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ま す が 、 傳 教 大 師 流 は 、前 に 述 べ た 様 に 、 顯 密 一 致 と 云 ふ 台 密 教 義 の 基 本 的 思 想 が、 成 立 し た ま で ゞ 、 其 の 台 密 の 著 述 は 、 傳 教 大 師 全 集 に 十 二 部 程 あ り ま す が 、 未 だ 其 の 教 理 は 詳 か で あ り ま せ む 。 然 る に 慈 覺 大 師 に な る と 、 台 密 の 教 理 は 漸 く 明 瞭 に な つ て 來 る の で あ り ま す 。 圓 仁 慈 畳 大 師 は 、 傳 教 大 師 の 弟 子 で あ つ た が 、 叡 岳 の 密 教 が 、 未 だ 完 全 な ら 漁 の に 奮 起 し て 、 承 和 五 年 入 唐 し 、 元 政 、 義 眞 、 法 全 、 全 雅 等 の 密 教 の 阿 闍 梨 よ り 、 金 胎 両 部 の 法 、 義 眞 に は 蘇 悉 地 の 大 法 を も 受 け 、 在 唐 十 年 、 具 さ に 支 那 の 密 教 を 傳 へ て 蹄 朝 し 、 密 教 の 章 疏 の み に て も數 十 部 の 著 述 を な し 、 台 密 の 教 理 は 大 に 明 ら か に な つ た 。 其 の 中 、 金 剛 頂 經 の 疏 七 巻 、 蘇 悉 地 經 疏 七卷 は 、 台 密 教 理 の 源 泉 で あ り ま す 。 そ こ で 嘉 祥 三 年 に は 、 止 觀 業 . 遮 那 業 の 外 に 、 金 剛 頂 業 、 蘇 悉 地 業 の 二 人 を 年 分 度 者 に 加 へ て 、 都 合 四 人 を 年 々 得 度 せ ん こ と 奏 請 し て 勅 許 さ れ た の で あ る 。 即 ち 金 剛 頂 業 の 人 は 兼 て 法 華 、 金 光 明 の 両 部 の 護 國 の 經 を 讃 ま し め 、 蘇 悉 地 經 業 の 専 攻 者 に も 、 此 の 両 部 の 経 を 讀 ま し む る こ ご に な つ た 。 是 れ は 從 來 、 東 密 が 金 剛 頂 業 、 胎 藏 業 、 聲 明 業 の 三 業 度 八 の 制 に よ り て 、 密 教 を 專 攻 す る に 野 し て 、 台 密 に あ つ て は 、 輩 に 胎 藏 業 の 一 部 を 研 究 し た に 過 ぎ な か つ た も の で あ る か ら 、 鍋 大 師 に 至 っ て 、 新 た に 二 人 を 加 へ る こ と に し た の で あ り ま す 。 特 に 蘇 悉 の 大 法 は 、 金 胎 両 部 經 典 の 不 二 の 妙 法 こ し て 尊 重 し 、 東 密 が 金 胎 両 部 の 大 法 を 傳 ふ る に 封 し て 、 台 密 の 大 な る 誇 り ご し て 居 る の で あ り ま す 。 慈 覺 の 蘇 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  九

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 ○ 悉 地 經 疏 第 一 に は 、 所 謂 蘇 悉 地 羯 羅 經 者 。 是 三 部 經 王 諸 尊 肝 心 。 緒 二 惣 諸 尊 之 秘 旨 一 。 該 二 貫 大 教 之 要 妙 一 。 (中 暑 ) 諸 部 大 經 非 二 此 経 一 支 分 不 レ 備 。 衆 尊 秘 法 非 二 此 眞 典 一 未 レ 有 二 妙 術 一。 凌 二 大 虚 M 之 靈 翅 。 開 二 地 藏 一之 神 術 唯 是 此 眞 典 。 (大 日 本 佛 教 蘇 悉 經 疏 第 一 ノ 一 ) と ま で 禰 讃 し 、 両 部 の 大 法 も 此 の 経 に 非 さ れ ば 支 分 備 ら す 。 悉 地 成 就 の 妙 法 此 れ に 過 ぎ す と し て 、 金 胎 の 両 部 に 加 へ て 、 三 部 の 大 法 と 稱 す る の で あ り ま す 。 然 ら ば 覺 大 師 は 如 何 な る 教 義 を 組 織 し た か と 云 ふ と 、 蘇 悉 地 經 疏 第一 台 密 の 教 義 を 説 い て 曰 く 、 同 何 等 名 爲 二 顯 教 一耶 。 答 諸 三 乗 教 。 是 爲 レ 顯 。 問 何 故 彼 三 乗 教 以 爲 二顯 教一 。 答 末 レ 説 二 理 事 倶 密 故一 也 。 間 所 レ 言 理 事 倶 密 者 。 其 趣 如 何 。 答 世 俗 勝 義 圓 融 不 二 。 是 爲 二 理 密 一。 若 三 世 如 來 身 語 意 密 。 是 爲 二 事 密 暢 問 華 嚴 。 維 摩 。 般 若 。 法 華 等 諸 大 乗 教 。 於 二 雌顯 密 一 何 等 攝 耶 。 答 如 二 華 嚴 維 摩 等 諸 大 乗 教 一 。 皆 是 密 教 也 。 問 若 如 レ 云 二 皆 是 密 一 者 。 與 二 今 所 立 眞 言 秘 教一 有 二 何 等 異 一 。 答 彼 葉 嚴 等 經 。 雌 二 倶爲ーレ 密 。 而 未 レ 霊 二 如 來 秘 密 之 旨 一 。 故 興 二 今 所 立 峰 言 教 一 別 。 假 令 雌 レ 説 二 少 密 言 等 一 。 未 レ 爲 究 二 盡 如 來 樫 密 之 意 一。 へ 所 レ 立 毘 盧 遮 那 金 剛 頂 等 經 。 威 皆 究 二 盡 如 來 事 理 倶 密 之 意 一是 故 爲 レ 別 也 。 (大 日 本 佛 教 全 書 同 疏 第 一 ノ 一 ○ ) 傅 教 大 師 は 單 に 顯 密 一 致 と 云 ふ だ け で 、 未 だ 何 等 顯 密 教 理 の 内 容 に 於 て 差 別 を 説 い て 居 ら な か つ た 。 慈 覺 大 師 に 依 れ ば 顯 激 と は 、 三 乗 激 で 眞 俗 不 融 の 激 を 云 ひ 、 密 教 と は 眞 俗 不 二 の 一 乗 教 を 説 く も の で 、 法 華 、 葉 嚴 、 維 摩 、 般 若 、 眞 言 の 三 部 大 経 を 指 す も の で あ る 。 同 一 密 教 の 内 に 於 て も 理 秘 密 と 事 理 倶 密 の 密 教と に 分 か ち て 、 其 の 教 理 の 分 齊 と 内 容 と が 大 に 明 か に な つ た こ と で あ り ま す 。 し か し な が ら 、 華 嚴 天 台 の 一 乗 を も 密 教 な り と す る 思 想 は 、 弘 法 大 師 の 顯 密 二 教 觀 と は 大 な る 相 違 の あ る も の で あ る 。 東 密 に 於 て は 華 嚴 天 台 の 両 一 乗 教 も 猶 未 だ 随 他 意 方 便 の 教 で 、 随 自 意 眞 實 の 密 教 に 及 ば す 。 と

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立 つ る の で あ り ま す 。 何 故 な ら ば 、 た と ひ 一 乗 教 は 理 論 上 に 於 て 眞 俗 不 二 を 説 き 、 三 諦 圓 融 、 十 世 無 碍 等 の 高 遠 な る 理 想 を 説 く も 、 未 だ 三 密 の 源 底 を 極 め ざ る が 故 に 、 事 實 は 猶 眞 俗 不 二 の 境 に 達 し 得 な い か ら で あ り ま す 。 尤 も 支 那 密 教 の 祖 師 、 善 無 畏 三 藏 、 の 如 き は 、 矢 張 三 乗 教 を 顯 教 と し 、 一 乗 教 を 密 教 と 見 て 居 つ た 様 で あ り ま す 。 そ れ は 何 故 で あ る か と 云 ふ と 、 印 度 に 於 て は 猶 未 だ 華 嚴 、 天 台 の 如 き 一 乗 教 が 成 立 し て 居 ら ぬ か ら 、 密 教 の 經 疏 に は 三 乗 教 を 顯 教 と し 、 即 俗 而 眞 の 不 二 大 乗 教 を 密 教 と し て 居 つ た か ら で あ り ま す 。 所 が 弘 法 大 師 の 時 に め つ て は 、 華 嚴 天 台 の 一 乗 教 の 教 判 が 己 に 嚴 然 と し て 存 在 し て 居 る 。 之 れ に 封 し て 、 顯 密 の 界 畔 は 三 乗 一 乗 の 樹 立 で あ つ て は な ら の 。 そ こ で 六 大 縁 起 の 事 理 不 二 の 教 理 を 基 本 思 想 こ し て 、 密 教 を 如 來 果 上 の 法 門 と し 、 顯 教 特 に 華 嚴 天 台 の 一 乗 激 を も 、 ま だ 因 分 無 明 の 邊 域 を 出 で す ご 論 じ 、顯 密 の 差 別 を 因 果 の 不 同 な り と し か の で あ り ま す 。 此 の 顯 密 二 激 の 教 剣 は 、 日 本 佛 教 の 中 心 問 題 ご な り 、 非 常 な る 影 響 を 後 代 の 佛 教 に 及 ぼ し て 居 る の で あ り ま す 。 果 せ る か な 、 慈 覺 大 師 は 、 葉 嚴 天 台 の 一 乗 激 に は 、 假 令 小 密 官 等 は あ る も 、 未 だ 如 來秘 密 の 源 底 を 究 盡 せ す 、 今 立 つ る 所 の 金 剛 頂 經 、 毘 盧 遮 經 、 蘇 悉 地 經 の 密 教 の 三 部 の 経 典 の み 、咸 く 如 來 秘 密 の 意 を 究 盡 す と 述 べ て 居 り ま す 。 之 れ に よ り て 之 れ を 見 れ ば 、 法 華 華 嚴 は 理 秘 密 未 盡 の 教 、 眞 言 三 部 の 経 典 は 事 理 倶 密 究 盡 の 教 で 、 此 の 問 自 ら 淺 深 高 下 の 存 す る は 知 る に 難 か ら ぬ の で あ り ま す 。 金 剛 頂 經 疏 の 第 一 に 、 ﹁ 三 密 結 要 諸 経 所 レ無 。 五 智 奥 源 唯 在 二 此 教一。 ﹂ と 云 ふ に 至 つ て は 、 一 層 此 の 意 義 が 明 確 に な つ た 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 一

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 二 ことゝ 信 す る 。 此 れ を 理 同 事 勝 の 教 義 と 云 ふ の で あ り ま す 。 三 、 智 證 大 師 の 教 義 智 證 大 師 名 は 圓 珍 、 讃 岐 國 那 珂 郡 の 人 、 父 は 和 氣 氏 、 母 は 弘 法 大 師 の 妹 で あ り ま す 。 高 組 の 一 族 が 殆 悉 く 大 師 の 弟 子 に な つ た の に 、 何 故 に 獨 り 圓 珍 智 證 大 師 の 如 き 俊 足 が 、 大 師 に 來 ら す し て 、 叡 山 に 去 つ た の で あ る か 、 此 れ は 實 に 私 の平 生 の 一 疑 問 で あ つ た の で あ り ま す 。 所 が 智 證 の 著 、 授 決 集 下 卷 (智 證 大 師 全 集 上 三 七 八 ) に よ る と 、 叔 父 の 僧 、 慈 勝 、 勝 行 の 二 人 が 天 台 圓 教 の 人 で あ つ た 關 係 よ り 、 幼 よ り 深 か く 天 台 の 教 理 を 喜 び 、 十 五 歳 の 時 叔 父 に 伴 は れ て 叡 山 に 上 り 、 義 眞 の 室 に 投 す る こ と に な つ た の で あ つ た 。 仁 壽 三 年 秋 入 唐 し 、 天 台 を 天 台 大 師 九 世 の 孫 良? に 學 び 、 三 部 大 法 を 、 青 龍 寺 法 全 和 上 に 受 け 、 其 の 他 中 印 度 那 蘭 陀 寺 の 般 若 恒 羅 三 藏 、 大 興 善 寺 の 智 慧 輪 三 藏 等 に 就 い て 、 両 部 の 大 法 、 梵 字 悉 曇 等 を 學 び 、 在 唐 六 年 諸 宗 の 經 疏 一 千 餘 卷 を 携 え て 、 天 安 二 年 に 歸 朝 し た の で あ り ま す 。 密 教 に 關 す る 著 述 は 、 事 相 教 相 に 通 じ て數 十 部 に 上 り 、 台 密 の 教 理 は 一 段 の 進 歩 を 見 る の で あ り ま す 。 大 日 経 旨歸 に よ ると 、 支 那 天 台 の 信 、 廣 修 維髑 の 二 人 が 、 大 日 脛 は 、 法 華 五 時 八 教 の 中 、 何 れ に 攝

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す る やと 云 ふ 、 智 證 大 師 の 質 疑 に 樹 し て 、 大 日 經 は 法 華 の 前 、 第 三 時 の 方 等 教 に 攝 す と 云 ふ を 聞 き 、 自 説 を 主 張 し て 日 く 、 今 案此 三 摩地 門 。 唯 在 二 此 秘 密 教 一。 自 餘 一 切 修 多 羅 中 闕 而 不 レ書 。 故 云 二 大 乗 中 王 秘 中 最 秘 一。 法 華 猶 不 レ及 矧 自 餘 教 乎 。 置 二 第 三 時 一譬 如 二 指 レ日 爲 レ螢 以 レ 海 作 7 蹄 。 (智 證 大 師 全 集 中 六 七 一) 當 代 支 那 密 教 隆 盛 の 時 代 に め つ て 、 猶 大 日 經 を 第 三 時 方 等 部 に 攝 せ ん と す る 、 支 那 學 者 あ る に 封 し て 、 大 日 経 を 法 華 の 上 に 置 き 、 ﹁ 法 華 猶 レ 及 ﹂ 己 説 破 し お る 所 、 日 本 台 密 學 者 の 識 見 面 目 を 見 る べ き で あ る 。 智 霞 大 師 の 説 に 依 れ ば 、 大 日 如 來 は 衆 生 の 機 に 赴 應 し て 入 相 成 道 し 、 華 嚴 阿 含 方 等 般 若 法 華 の 五 時 の 説 法 に よ り て 、 機 根 を 調 練 し 、 憂 化 の 化 儀 を 納 め 、 毘 盧 遮 那 法 身 に 蹄 し て 後 、 法 界 宮 に 於 て 大 日 經 を 説 き 、釋 羅 尊 一 代 所 説 の 顯 激 を 開 會 し て 、 遂 に 秘 密 果 上 の 三 句 に 昂 せ し め た も の で あ る か ら 、 知 る べ し 大 日 經 は 、 一 切 経 の 後 に あ り と し て 、 第 五 時 を 開 い て 初 中 後 の 三 時 と し 、 法 華 を 初 め ざ し 、涅槃 を 中 と し 、 秘 密 を 後 こ し て 、 三 時 を 開 い て 居 る 。 是 れ 安 然 が 五 時 五 教 を 立 つ る 本 據 と な る 所 で あ り ま す 。 東 密 に 於 て も 、 大 日 經 の 説 時 が釋尊 入 滅 し て 後 、 金 棺 の 中 に 於 て 説 い たと 云 ふ 、 一 説 が あ る 。 是 れ は 大 日 經 の 三 却 六 無 畏 が 、釋 尊 所 説 の 顯 教 を 所攝 の 宗 教 と し て 説 か れ た る に 見 る も 、 根據 あ る 説 で あ る と 思 ふ 。 要 す る に 智 證 大 師 は 、 大 日 經 の 三 句 の 法 門 は 、 一 切 佛 教 を 印 證 し 統 攝 す る 一 大 圓 教 で あ る か ら 、 大 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 三

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 四 日 經 を 以 て 一 代 佛 歡 を 統一 せ んと し た も の で あ り ま す 。 こ こ に 至 れ ば 、 慈 覺 大 師 よ り も 、顯 劣 密 勝 の 旗 幕 が 、 飴 程 鮮 明 に な り 、 傳 教 大 師 の ﹁ 眞 盲 止 觀 其 旨 一 故 。 於 一 山 弘 二 両 宗 一﹂ と 云 ふ 叡 山 佛 教 の 理 想 は 失 は れ 、 密 教 中 心 の 天 台 教 が 現 れ ん ざ す る ま で に 進 ん だ の で あ り ま す 。 そ れ は 、 彼 の 著 講 演 法 華 儀 の 一 部 を 見 る も 、 如 何 に 法 華 經 を 眞 言 宗 的 に 解 し た か が 知 れ る の で あ り ま す 。 然 ら ば 智 證 大 師 は 、 高 祖 の 十 住 心 論 等 に 封 し て歸 伏 し 元 か ざ 云 ふ と 、 決 し て そ う で は な い 。 大 日 經 疏 の 四 心 義 の釋 に 於 て 、 高 組 が 義釋 の 文 に 反 し て 、 眞 言 經 を 法 華 の 上 に 置 き た る を 攻 撃 し て 、 ﹁ 或 立 二 十 佳 心 一剣 二 一 代 教一。 未 レ合 二 此 疏一。 不 レ 足 レ 爲 レ論 。 ﹂ と 云 ひ 、 或 は ﹁ 日 本 幼 童 甘 露 濫 二 毒 乳 し 等 と 、 痛 烈 に 高 祖 の 十 佳 心 建 立 を 批 難 し て 居 る の で あ り ま す 。 此 の 點 よ り 見 れ ば 、 法 華 大 日 同 一 醍 醐 味 と 云 ふ 。 當 初 の 氣魄 と 精 神 を 失 は の も の で あ り ま す 。 四 、 安 然 の 台 密 の 大 成 慈 覺 大 師 は 、 金 剛 頂 、 蘇 悉 地 の 雨 經 疏 に 、 顯 密 二 教 の 教 理 を 組 織 し 、 理 同 事 勝 の 激 判 を な し た る も 、 猶 依 然 と し て 天 台 大 師 の 五 時 入 教 の 範 疇 を 改 め な か つ だ 。 智 證 大 師 に 至 り て 、 大 日 経 を 法 華 の 上 に 置 い て 五 時 の 教 剣 を な し 、 大 日 経 を 以 て 叡 山 佛 激 を 統 一 せ ん と し た も の で あ る か ら 、 天 台 中 心 の 教 義 、 五 時 八 教 の 教 判 は 己 に 破 壊 せ ら れ な の で あり ま す 。 し か し そ れ で も 猶 之 れ に 代 る べ き 新 教 判 の組 織 は

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な か つ た の で あ り ま す が 、 安 然 に な る と 四 一 、 十 門 の 新 激 相 を 建 立 し 、 断 乎 と し て 天 台 の 名 を 政 め 、 眞 言 宗 と 稱 し 、 五 時 五 教 の 教 例 に よ り て 、 北 嶺 眞 言 の 教 判 を 大 成 し 、 東 密 の 教 義 に 對 立 し て 、 毫 も 遜 色 な き 教 理 を 組 織 し 、 天 台 宗 の 教 相 發 展 が 其 の 絶 頂 に 達 し た 時 代 で あ り ま す 。 都 率 の 覺 超 が ﹁ 然 師 顯 密 博 士 也 ﹂ と 云 ひ 、 又 ﹁ 然 公 若 不 レ 入 二 我 門 一秘 教 可 レ 墜 レ地 ﹂ と 稱 嘆 し だ の は 、 決 し て 過 賞 で は な か つ 左 の で あ り ま す 。 後 來 良 源 慈 慧 大 師 の 極 盛 時 代 を 現 出 し 、 十 三 流 の 台 密 事 相 の 發 達 せ し め た る も 、 其 の 一 半 の 功 は 、 安 然 の 當 然受 く べ き も の で あ る と 思 ふ の で あ る 。 釋 安 然 は傅 教 大 師 の 俗 系 に 出 で 、 幼 に し て 明 敏 群 を 抜 き 、 慈 覺 の 室 に 入 り 、 慈 覺 及 び 葉 山 僧 正 遍 照 に つ い て 、 顯 密 の 奥 義 を 極 め 、 叡 山 に 五 大 院 を 構 へ て 經 諭 を 渉 猟 し 、 百 家 の 説 を 究 め て 、 専 ら 著 述 を こと ゝ し だ 。 顯 密 二 教 に 通 じ て 其 の 著 述 甚 だ 多 く 、 教 時 問 答 四 卷 、 菩 提 心 義 十 卷 の 如 き は 、 台 密 教 相 の 骨 目 で あ り ま す 。 其 の 他 事 相 及 び 悉 曇 の 學 に も 精 通 し 、 胎 藏 具 支 灌 頂 記 十 卷 、 胎 藏 持誦 不 同 記 七 巻 、 胎 藏 界 大 法 對 受 記 七 巻 、 金 剛 界 大 法 封 受 記 八 卷 、 悉 曇 藏 八 巷 等 、 最 も 有 名 で あ り ま す 。 安 然 の 教 義 は 、 所 謂 四 一 十 門 の 教 判 を 以 て 盡 き る 。 四 一 と は 、 一 佛 、 一 時 、 一 庭 、 一 教 で あ り ま す 。 十 門 と は 、 更 ら に 此 れ を 開 い て 、 説 語 、 教 、 時 、 處 、 分 、 部 、 法 、 制 、 開 の 十 門 と な し 元 も の で あ り ま す 。 此 の 中 、 四 一 の 教 相 は 教 時 問 答 四 卷 の 第 四 巻 目 の 半 ば ま で を 占 め て 居 る の で 、 其 の 説 相 は 甚 だ 詳 細 を 究 め て 居 る 。 今 は 主 こ し て 四 一 の 教 義 に つ い て 、 台 密 教 理 の 一 般 を 、 極 め て 簡 短 に 一 瞥 し て 台 密 の教 義 及 び 歴 史  一 五

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 六 見 る こ と に す る 。 然 師 は 開 巻 第 一 に 呼 ん で 曰 く 、 眞 言 宗 は 、 一 佛 、 一 時 、 一 庭 、 一 教 を 立 て ゝ 、 判 し て 三 世 十 方 一 切 の 佛 教 を 攝 す と 、 是 れ 實 に 台 密 教 相 の 大 綱 要 義 で あ り ま す 。 一 佛 一 時 一 處 十 教 と は 何 の 意 で あ る か と 申 し ま すと 、 一 切 佛 、 一 切 時 . 一 切 庭 、 一 切 教 と 言 ふ 意 で あ る 。 眞 言 密 教 の 果 上 よ り 見 る 時 は 、 佛 時 處 教 の 四 は 、 皆 一 即 一 切 の 關 係 を 有 す る も の で あ る か ら 、 一 と は 二 三 に 封 す る 一 で な く 、 一 切 を 統 攝 包 含 す る 絶 對 の 一 で あ る 。 然 れ こ も 若 し 之 れ を 因 位 の 機 縁 よ り 見 る と き は 、 一 佛 一 時 一 庭 一 教 は 、 實 は 無 限 に 差 別 し て 、 一 切 佛 が 一 切 時 、 一 切 庭 に 於 て 、 一 切 激 を 宣 説 す る こ と に な る の で あ る 。 安 然 の 言 葉 を 借 り て 説 明 す る を 、 無 始 無 終 本 來 常 住 の 佛 が 、 無 始 無 終 卒 等 の 時 に 住 し て 、 無 中 無 邊 法 界 宮 の 一 切 庭 に 於 て 、 遍 一 切 乗 自 心 成 佛 の 一 切 激 を 説 く の で あ り ま す 。 安 然 は 問 答 を 設 け て 、 更 ら に 此 意 義 を 明 ら か に し て 曰 く 、 問 ふ 、 諸 佛 人 異 に 、 三 世 時 異 に 、 十 方 庭 異 に 、 五 乗 教 異 な り 、 何 故 に 一 身 一 時 一 庭 一 教 と 云 ふ や 。 答 へ て 曰 く 、 末 悟 の 前 に は 、 佛 時 處 激 異 な り ` 雌 も 、 己 悟 の 後 に は 佛 時 處 激 唯 一 に な る の で あ る 。譬 へ ば 人 あ つ て 親 友 の 家 に 至 り し 時 は 一 親 友 一時 一 庭 に 一 饗 を し て 呉 れ た の で あ る が 、 其 の 入 眠 臥 し て 夢 に 多 親 友 あ り 、 多 時 多 處 に 於 て 多 事 を 作 し た と 見 る 。 夢 畳 め 終 れ ば 、 一 親 友 一 時 一 庭 に 一 饗 を 爲 し た の だと 悟 る 。 今 衆 生 も ま た 然 り 、 衆 生 機 あ つ て 威 あ れ ば 、 大 日 を 威 動 し 、 大 日 の 一 身 一 平 等 時 に 一 法 界 威 に 於 て 、 一 道 清 浄 の 眞 言 道 を 説 く ご 知 る の で あ る が 、 未 悟 の 時 は 、 多 佛 多

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時 多 處 に 多 教 を 説 く と 見 る が 如 き も の で あ る 。 之 を 要 す る に 、 顯 教 因 位 の 衆 生 よ り 見 れ ば 、 三 世 十 方 の 諸 佛 菩 薩 が 、 多 身 を 現 し て 、 一 切 時 一 切 處 に 於 て 一 切 の 教 法 を 説 く と 見 る の で あ る が 、 己 に 密 教 の 内 證 に 悟 入 す れ ば 、 清淨 廣 博 藏 の 大 日 如 來 が 、 身 口 意 平 等 の 金 剛 を 以 て 、 無 始 無 終 常 住 の 時 に 住 し 、 一 切 處 に 於 て 、 常 恒 不 断 に 、 自 心 成 佛 の 一 切 教 を 宣 説 す と 見 る の で あ る か ら 、 密 教 は 實 に 之 れ 三 世 十 方 の 一 切 佛 教 を 統 攝 す る 一 大 圓 教 なり と す る の が 、 安 然 の 結 論 な の で あ り ま す 。 云 ふ ま で も な く 、 如 是 統 一 的 に 佛 教 を 見 る 根 據 は 、 大 日 經 住 心 品 に 、 ﹁ 所 謂 如 來 之 日 加 持 故 。 身 語 意 平 等 句 法 門 ﹂ と 云 ひ 、 或 は 、 ﹁ 毘 廬 遮 那 一 切 身 業 。 一 切 語 業 、 一 切 意 業 。 一 切 處 。 一 切 時 、 於 二 有 情 界 一 宣 二 説 眞 言 道 句 法 一﹂と 云 ひ 、 或 は 疏 の 四 心 義 の 羅 に 、 ﹁ 又 此 經 横 統 二 一 切 佛 教 一﹂ と 云 ふ よ り 出 で た こ と は 明 瞭 で あ り ま す 。 今 四 一 の 教 判 に つ い て 、 い ま 少 し く 進 ん で 探 求 す る こ と に す る 。 一 、 一  佛 論 前 に 已 に 述 べ た 如 く 、 因 地 の 衆 生 邊 よ り 見 れ ば 、 佛 に 三 身 四 身 の 別 あ り 、 前 佛 後 佛 の 不 同 あ る も 、 如 來 の 果 地 に 至 れ ば 、 眞 如 法 界 色 身 實 相 平 等 智 身 の 一 佛 で あ る 。 未 悟 のも の は 、 多 佛 多 菩 薩 の 差 別 的 佛 身 を 見 る も 、 悟 者 は 一 切 佛 即 一 佛 な り と 達 悟 す る の で あ る 。 由 來 天 台 は 眞 如 縁 起 を 説 く も の で あ る か ら 、 安 然 は 密 教 の 教 理 を 説 く に も 、 眞 如 を 根 底 ε し て 説 く の で あ る 。 眞 如 は 單 一 に あ ら す 無 敷 な り 、 有 限 に あ ら す 無 限 な り 、 此 の 故 に 眞 如 は 十 界 の 依 正 に 遍 し 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 七

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 八 て 無 盡 の 法 門 ご な る 。 さ れ ば 迷 位 の 眞 如 す ら 尚 眞 如 な り 、 善 悪 の 當 體 即 ち 如 々 清 浄 の 眞 如 法 性 な る が 故 に 、 善 悪 其 の ま 、 に 三 身 の 佛 身 を 成 す 、 況 や 果 地 の 諸 法 登 に 眞 如 に あ ら ざ ら ん や で あ る 。 十 界 憂 化 の 佛 身 己 に 眞 如 な れ ば 、 之 れ を 法 身 こ す 、 此 の 意 義 に 於 て 、 顯 激 諸 經 所 説 の 佛 菩 薩 は 即 ち 大 日 の 三 身 四 身 な り 、 胎 藏 界 會 の 諸 尊 金 剛 界 會 の 諸 佛 は 、 果 上 よ り 一 切 の 佛 菩 薩 を 統 攝 會 入 せ し め だ も の で あ る 。 佛 身 の 縁 起 よ り 見 れ ば 、 無 相 本 地 法 身 よ り 、 自 受 法 樂 の 三 密 を 説 く を 自 受 用 身 と し 、 此 の 自 受 用 身 を 動 せ す し て 化 他 の 三 昧 に 入 っ て 、 十 地 の 菩 薩 の 爲 め に 説 法 教 化 す る を 、 他 受 用 身 こ し 、 他 受 用 身 よ り 六 道 の 衆 生 に 随 類 應 現 す る を 應 身 佛 こ す る 。 三 身 の 不 同 あ り 顯 密 の 差 あ る も 、 其 の 内 證 に 達 す れ ば 、 何 れ も 皆 、 清淨 廣 博 藏 の 大 日 如 來 の 説 法 に あ ら ざ る は な い の で あ る 。 此 の 見 地 よ り 見 れ ば 、釋 迦 の 三 身 大 日 の 三 身 は 李 等 に し て 差 別 あ る こ と な く 、 只 機 見 の 不 同 の み 、 此 の 故 に 、 教 時 問 答 第 一 (日本大蔵經台 密疏三ノ二七一 ) に 、 今 眞 言 宗 に は 法 界 に 唯 一 佛 あ り と 云 ふ 。 彼 の 天 台 の 四 教 の 佛 と 如 何 に 配釋 す る や 、 曰 く 、 天 台 圓 教 妙 覺 の 佛 位 は 、 即 ち 是 れ 眞 言 宗 の 中 の 金 剛 界 三 十 七 尊 、 五 佛 三 十 二 菩 薩 の 内 證 曼 茶 羅 な り 、 若 し 大 日 経 に 依 れ ば 、 中 台 の 八 葉 五 佛 四 菩 薩 及 び 第 一 重 の 三 部 の 眷屬 菩 薩 に 當 る の で あ る 。 故 に 大 日 經 義釋 に は 、 ﹁ 此 經 本 地 身 印 是 妙 法 華 華 最 深 密 教 之 處 ﹂ と 説 い た の で あ る 。 次 に 圓 教 の 五 十 一 位 の 菩 薩 及 び 別 教 の 五 十 二 位 の 菩 薩 は 、 金 剛 界 四 門 の 外 の 一 切 佛 菩 薩 、 及 び 胎 藏 の 第 二 重 の 文 殊 菩 薩 に 同 し い の で あ る 。 又 藏 通 二 教 の 果 佛 及 び 三 乗 五 乗 は 金 剛 界 の 壇 外 の 小 聖 人 天 で あ る 。 又 大 日 經

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第 三 重 の釋 迦 生 身 の 眷 屬 六 道 随 類 の 身 に 同 し い の で あ る 。 但 し 天 台 は 但 に釋 迦 一 代 の 化 儀 に 就 て 判 ず る の で あ る が 、 眞 言 の 一 佛 論 は 両 部 の 曼 茶 羅 身 を 以 て 法 界 を 羅 す の で あ る 。 さ れ ば 天 台 四 教 の 佛 は 眞 言 曼 茶 羅 の一 分 と な り 、 一 分 ご 全 部 こ の 相 異 は あ る が 、 決 し て 他 佛 で は な い の で あ る 。 天 台 に 於 て も 注 華 前 は 四 佛 融 せ す 、 法 華 に 至 り て 、 四 佛 を 開 し て 一 佛 と な し 、 三 乗 を 開 會 し て 一 佛 乗 に歸 し か の で あ る 。 此 れ を 眞 言 に 封 す れ ば 、 眞 言 は 本 來 一 佛 一 乗 な れ こ も 、 衆 生 の 樂 欲 に 應 じ て 、 五 種 の 三 昧 道 (五 乗 )を 説 く こ と あ り 、 天 台 も 化 導 の 邊 に 約 す る 時 は 旦 く 施 開 の 順 序 を 立 つ る も 、 佛 意 に 望 む れ ば 、 本 よ り 圓 教 の 一 佛 で あ る 。 故 に 二 宗 は 遂 に 同 一 圓 教 に 昂 し て 不 同 あ る こ と な し ざ す る の で あ る 。 又 天 台 に 境 妙 究 竟 を 毘 盧 遮 那 法 身 と し 、 智 妙 究 竟 を 盧 遮 那 報 身 と し 、 行 妙 究 竟 を釋 迦 應 身 こ す る 。 眞 言 ま た 一 佛 を 立 つ る も 、 三 身 四 身 の 不 同 あ り 、 經 に ﹁ 佛 住 如 來 加 地 ﹂ と あ れ ば 中 台 毘 盧 遮 那 に 於 て 能 加 持 の 邊 を 取 れ ば 、 是 れ 天 台 の 毘 盧 遮 那 理 法 身 に 當 り 、 所 加 持 身 に 約 す れ ば 全 く 天 台 の 盧 遮 那 報 身 な り 、 何 の 相 違 が あ ら ん 。 且 つ 夫 れ一 代 の 化 儀 に 於 て も 、 天 台 圓 教 と 眞言 と 同一 な る も の あ り 、 天 台 宗 に 、 佛 は 始 め 法 身 地 に あ つ て 圓 教 を 以 て 衆 生 に 擬 す る に 衆 生 堪 え る こ と が 出 來 な か つ た か ら 、 次 に 別 教 を 出 し 、 次 に 通 教 を 出 し 衣 に 三 藏 教 を 出 し た の での る 。 然 れど も 佛 の 本 懐 に 望 む れ ば 、 皆 是 れ 圓 教 な り 、 今 眞 言 教 に 、 法 身 如 來 四 重 圓 坦 の 曼 茶 羅 縁 起 も ま た か く の 如 し 、 如 來 衆 生 の 種 々 の 樂 欲 に 應 じ て 、 佛 菩 薩 、 縁 覺 聲 聞 、 天 龍 八 部 の 爲 め に 五 種 の 三 昧 道 を 説 く も 、 皆 心 の 實 相 を 開 い て 、 同 一 味 の 解 脱 、 一 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  一 九

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 〇 切 智 と の 佛 智 見 を 開 か し め ん が 爲 め で あ る 。 か く の 如 く 考 る 時 は 、 法 華 と 大 日 經 と の 思 想 は 殆 一 致 す る も の に 似 た り 、 東 密 に 於 て は 法 華 脛 を 大 日 經 の 淺 略 と 云 ひ 、 一 部 の 學 者 が 、 大 日 經 は 善 無 畏 三 藏 等 の 天 台 學 者 の 手 に 成 つ ねと 云 ふ 説 は 、 寧 大 に 味 ふ べ き 説 で あ る と 思 ふ 。 次 に 台 密 の 教 主 を 案 す る に 、 傳 教 大 師 は 、 本 理 大 綱 集 ( 眞 偽 未 定 ) に 、 ﹁ 秘 密 三 身 是 法 華 本 地 三 身 ﹂ と 云 ふ て 、 法 華 の 教 主 と 、 密 教 の 教 主 と は 、 同 一 佛 身 な り ざ す る の で あ る が 、 猶 未 だ 三 身 の 内 何 れ の 佛 身 を 教 主 こ す る か 明 ら か で な か つ た。 慈 覺 大 師 は 、 眞 言 所 立 三 身 問 答 に 、 問 佛 有二三 身 一 。 今 此 經 何 身 説 。 答 毘 盧 遮 那 法 身 説 。 問 此 法 身 於 二 理 智 中一 是為二 何 身一 。 答 是 則 理 智 不 二 智 法 身 如 來 也 。 問 理 智 不 二 法 身 理 智 冥 合 恒 然 常 住 而 不 二 説 法 一。 今 何 爲 二 説 法 一。 答 理 體 恒 然 常 住 不 二 説 法 一 者 。 是 爲 二 浅 畧 機 一所 レ 説 。 名 爲 二 顯 教 義 一 也 。 若 理 法 身 能 爲 二 衆 生 一説 者 。 是 爲 二 深 秘 機一 所 レ 説 。 以 爲 二 秘 密 義 一 也 (台 密 章 疏 第 一 、一 七 三 ) と 説 い て 、 眞 言 教 主 は 理 智 不 二 の 自 受 用 身 な り と し 、 顯 機 の 爲 め に は 法 身 説 法 せ ざ る も 、 密 機 の 爲 め に は 、 法 身 説 法 す と 論 じ 、 殆 理 法 身 の 説 法 を も 肯 定 せ ん と し て 居 る 。 智 證 大 師 も 、 略 同 様 の 意 見 を 以 て 、 自 受 用 身 を 密 教 の 教 主と 定 め て 居 る の で あ る 。 次 に 正 し く 安 然 の 説 は 如 何 と 云 ふ に 、 教 時 問 答 第 二 に は 、 今 宗 意 云 。 無 相 法 身 皆 住 二 自 受 他 受 變 化 身 中 一 無 二 無 別 。 (台 密 章 疏 第 三 、 三 一 七 ) と 云 ひ 、 或 は 同 問 答 に 、 問 若 爾 大 白 經 。 金 剛 頂 經 。 瑜祇經 。 蘇 悉 地 經 。 蘇 摩 胡 脛 等 。 何 是 自 受 用 身 説 。 何 是 他 受 用 身 説 。 何 是 應 化 身 説 。 答 大 日 經 、金 剛 頂 十

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八 會 。 瑜 祇 經 是 大 日 如 來 自 受 用 説 。 蘇 悉 地 。 蘇 摩 胡 經 。 是 金 剛 手 自 受 用 説 。 然 自 受 法 樂 説 法 之 中 。 兼 説 二 他 受 用 變 化 身 事 一。 以 二爲 自 受 法 樂 相 一。 (台 密 章 疏 第 三 、 三一二 ) と釋 し て 、 密 教 の 教 主 に 、 兼 正 を 立 て 、 正 し く は 慈 覺 智 證と 同 じ く 自 受 用 身 を 教 主と し 、 兼 て は 、 他 受 用 變 化 の 二 身 に 通 す と す る の で あ り ま す 。 是 れ 實 に 甚 巧 妙 な 説 で あ る 、 自 受 法 樂 の 説 法 は 、 自 證 の 極 位 に 住 し て 、 直 ち に 一 切 時 一 切 庭 に 於 て 、 三 密 平 等 の 眞 言 道 を 宣 説 す る 。 其 の 時 十 地 の 菩 薩 之 れ を 受 く る 時 は 、 他 受 用 身 の 説 法 と な り 、 若 し 十 方 六 道 の 衆 生 、 此 の 法 を 受 く る 時 を 變 化 身 の 説 法 と す 。 而 か も 他 受 變 化 の 説 法 を 以 て 自 受 法 樂 の 相 を す と 云 ふ の で あ る 。 故 に 無 相 の 本 地 法 身 を 動 せ す し て 、 加 持 門 に 出 現 し て 、 三 劫 十 地 の 實 類 の 機 の 爲 め に 、 三 密 の 法 門 を 説 く こ す る の で あ る か ら 、 此 の 説 は 甚 だ よ く 新 義 眞 官 の 説 に 似 て 居 る の で あ り ま す 。 此 れ を 安 然 の 教 主 論 と す る 。 然 る に 東 寺 の 果 賢 師 は 、 此 の 説 を 評 し て 正 し く は 他 受 用 身 、 兼 て は 變 化 身 に 通 す と 説 き 、南 山 の 宥 快 師 は 、 教 主 異 義 に 、 ﹁ 安 然 通 二 自 受 用一。 然 正 教 主 他 受 用 ﹂ な り を貶 し て 居 る の で あ る 。 此 の 二 師 の 説 は 、 安 然 師 の 本 地 は 無 相 な り と す る り 、 正 し く は 他 受 用 加 持 身 に 住 し て 説 法 す と 見 た の で あ ら う 。 然 か し な が ら 是 れ 恐 く 安 然 を 正 當 に 批 判 し た も の で は あ る ま い 。 由 來 眞 言 宗 の 學 者 は 、 強 て 顯 密 二 教 を 判 別 せ ん が 爲 め に 、 動 も す れ ば 判釋 に 囚 は れ て 、 學 教 常 迷 の 徒 た ら ん と す る 嫌 が あ る 。 慈 覺 已 に 理 法 身 の 説 を 説 き 、 安 然 亦 、 ﹁ 自 受 法 樂 之 中 兼 説 二 他 受 用 變 化 身 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 一

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 二 事 こと 明 瞭 に 、 自 受 用 身 を 正 と し 、 他 受 變 化 を 兼 と し て 居 る の に 、 何 を 苦 ん で 曲 解 せ ん と す る の で あ る か 。 堀 池 の 信 證 僧 止 が 、 ﹁ 慈 覺 安 然 等 以 二 自 受 用 一爲 二 教 主 の 兼 二 餘 三 身 説一﹂ と 評 し た の は 、 當 を 得 た も の で あ ら う 。 中 性 院 の 頼 瑜 僧 正 は 、 此 の 安 然 の 教 主 論 に 負 ふ 所 あ り て 、 加 持 身 説 を 大 成 した の で あ る 。 頼 瑜 和 尚 は 、 大 日 經 指 心 鈔 に 、 觀 賢 僧 正 の 般 若 寺 鈔 の ﹁ 加 持 身 者 曼 茶 羅 中 臺尊 ﹂ と 云 ふ 文 に よ り 、 自 説 を 唱 へ て 曰 く 私 案 云 。 佛 加 持 身 者 。 指 二 上 薄 伽 梵 句 中 一也 。 彼 句 含 二 本 地 加 持 一。 故 本 地 無 相 位 永 亡 二 言 語 一。 加 持 身 是 命 教 主 。 故 云 二 曼 茶 羅 史 臺 尊 一也 。 と 論 じ て 、 大 日 經 教 主 は 、 本 地 無 相 の 極 位 を 動 せ す し て 、 加 持 門 に 出 御 し て 、 曼 茶 羅 中 臺 の 尊 を 現 ん じ 、 説 法 し た る も の を 、 大 日 經 と す る の で あ る 。 故 に 新 義 の 教 主 は 、 自 性 身 中 の 加 地 身 で あ る 。 安 然 の ﹁ 自 受 法 樂 中 兼 説 二 他 受 變 化 身 事 一﹂ と 云 ふ の と 殆 軌 を 一 に し て 居 ると 云 つ て も よ い と 思 ふ . 只 頼 瑜 師 に あ つ て は 、 此 の 加 持 身 が 永 く 自 性 身 に し て 、 受 用 以 下 の 加 持 身 で な く , 具 身 加 持 身 な り こ す る點 が 異 つ て 居 る 許 か り で あ り ま す 。 併 か し 是 れ も 亦 、 安 然 の 教 主 論 に 暗 示 を 得 て 換 骨 脱 體 し て 巧釋 し た も の と 見 得 ら る 、 と 思 ふ の で あ り ま す 。 如 斯 な る 時 は 、 安 然 の 激 主 論 だ け で も 、 日 本 佛教 史 上 に 偉 大 な る 貢 献 を 爲 し た も の し 云 ふ べ き で あ り ま す 。

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二 、 一 時 論 ( 五 時 論 ) 一 時 と は 、 安 然 の 言 葉 を 借 り て 申 し ま す と 、 眞 如 法 界 長 短 一 如 平 等 の 時 で あ る 。 故 に 此 の 一 時 に は 三 世 十 方 諸 佛 の 説 時 を惣 攝 す る 、 一 即 一 切 の 時 間 で な け れ ば な ら ぬ 。 さ れ ばと て 、 華 嚴 に 云 ふ 所 の 、 一 念 に 相 即 相 入 す る 十 世 無 碍 の 時 間 で も な い 。 何 故 な ら ば 、 華 嚴 の 十 世 は 、 因 分 の 十 世 で 、 性 海 果 分 の 絶 對 の 時 間 でな い か ら で あ る 。 天 台 三 論 の 両 宗 が 、 眞 諦 に は 時 間 を 絶 し 、 俗 諦 に 於 て 始 め て 立 つ る 相 待 の 時 間 で も な く 、 又 唯 識 法 相 の 依 他 法 中 に 立 つ る 時 間 で も な く 、 更 ら に 又 、 小 乗 有 部 の 實 時 で も な く 、 法 性 果 海 縁 起 の 分 位 に 立 つ る 時 間 で あ り ま す 、 延 促 自 在 の 如 來 の 圓 明 日 で あ り ま す 。 然 ら ば 如 來 圓 明 日 と は 何 ん で あ る か と 日 ふ と 、 大 日 經 義釋 に 云 ふ 所 の 群 機 嘉 會 の 時 を 云 ふ の で あ る 。 如 來 平 等 の 三 密 は 、 第 一 實 際 妙 極 の 境 に 至 る も 、 大 機 の 法 流 早 く 起 れ ば 金 剛 の 事 業 忽 ち に 生 し て 、 長 短 一 如 延 促 自 在 の 自 在 神 力 を 以 つ て 、 法 性 の 扉 を 開 き 、 無 量 荘 嚴 の 佛 徳 を 顯 現 せ し む る を 一時 と 云 ふ の で あ る 。 換 言 す れ ば 、 一 切 の 時 處 に 於 て 、 常 住 不 滅 の 佛 心 を 認 識 し た 時 を 云 ふ の で あ る 。 こ ゝ を 以 て 如 來 圓 明 の 秘 密 眼 よ り 、 之 れ を 見 る時 は 、釋 尊 所 説 の 、 五 時 、 四 時 、 三時 、 二 時 、 一 時 等 の 説 時 は 、 皆 此 の 如 來 圓 明 日 の 常 住 法 性 界 の 分 位 の 一 時 に 攝 せ ら る べ き で あ る 此 の 意 味 よ り し て 、 台 密 の 復 興 者 、 三 井 の 敬 光 は 、 其 の 著 教 時 要 義 に 於 て 、 安 然 の 説 を 繼 承 し て 、 天 台 の 五 時 教 の 第 五 時 を 開 い て 、 法 華 、涅槃 、 大 日 を 初 中 後 の 三 時 に 配 し 、 此 の 第 五時 を 一 大 圓 教 と し て 、 爾 前 の 一 切 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 三

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 四 教 を 統 攝 せ し め て 居 る の は 、 當 を 得 た も の で あ る 。 尤 も 第 五 時 を 開 い て 三 時 ざ す る 説 は 、 智 證 大 師 已 に 唱 へ て 居 る の で あ る が 、 敬 光 は 安 然 の 意 を 得 て 、 更 ら に 一 歩 を 進 め て 、 第 五 時 を 一 大 圓 教 と す る こ と は 、舊 來 の 聖 教 を 判 じ つ く す の み で な く 、 亦 新 傳 の 五 部 曼 茶 羅 の 深 旨 を も 點 ず る も の で あ る か ら 、 天 台 の 智 者 大 師 の 自 解 佛 乗 の 徳 は 、 究 竟 す る 所 、 此 の 義 に 非 ざ る は な し 、 即 ち 東 方 の 發 心 を 示 す は 華 嚴 に し て 、 南 方 の 修 行 を 示 す は 方 等 部 、 西 方 の 菩 提 は 般 若 部 で 、 北 方 の涅 槃 は 阿 含 部 な り と し 、 終 に 中 央 の 徳 を 遮 那 經 と し 、 之 れ に 法 華 涅 槃 大 日 の 三 部 を 攝 せ し め 、 以 て 眞 言 密 教 を 以 つ て 、 一 切 佛 教 を 統 攝 す る 一 大 圓 教 た ら し め ん と し た の で あ る 。 尤 も 安 然 に は 、 猶 ま だ 此 の 様 な 、 明 了 な 五 時 顯 密 の 剣 は な か つ た の で め る が 、 之 れ は 敬 光 師 が 然 師 の 説 を 一 層 明 瞭 な ら し め ん が 爲 め に 解 説 を 加 え た も の で あ ら う 。

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安 然 に は 、 五 時 を 因 行 證 入 方 便 (遮 那 ) の 五 點 に 配 す る 説 は な い の で あ る 。 之 れ は 全 く 敬 光 師 が 、 密 教 を 中 心と し て 、 全 佛 教 を 統 攝 す る 安 然 の 理 想 を 、 描 か ん が 爲 め に 添 加 し た も の で あ ら う。 更 ら に 、 慈 覺 智 證 安 然 の 三 師 に あ つ て は 、 法 華 涅 槃 等 の 一 乗 教 を 理 秘 密 の 密 教 と な し た る に 、 今 は 事 理 倶 密 の 大 日 経 に 封 し て 、 顯 と な し た は 、 一 寸 不 思 議 の 様 で あ る が 、 慈 覺 大 師 の 理 秘 密 を 未 究 竟 ご し 、 事 理 倶 密 を 究 盡 の 教 と な し た る よ り 考 へ て 見 る ご 、 此 の 配 當 も 無 理 か ら ぬ こと で あ る と 思 ふ 。 之 れ は 秘 密 教 中 に 於 て 、 更 ら に 顯 密 を 分 か ち た る も の で あ る か ら で あ る 。 要 す る に 、 安 然 は 、 第 五 時 に 於 て 初 中 後 の 三 時 を 分 ち 、 未 盡 、 究 盡 、 理 密 、 事 理 倶 密 の 不 同 あ る も 、 其 は 説 教 の 形 式 で あ つ て 、 教 の 本 旨 よ り 日 は 窒 法 華 大 日 同 一 醍 醐 味 の 一 大 圓 教 で あ り ざ す る の が 安 然 の 本 旨 で あ り ま す 。 三 、 一 處 論 佛 身 の 住 處 に つ い て は 、 二 種 の 佳 處 が あ る 。 一 は 佛 身 を 住 處 と し 、 他 は 國 土 を住 處と す る も の で あ り ま す 。 佛 身 を 住 處 ら す る こ と は 、 彼 の 無 相 本 地 法 身 が 、 自 受 用 、 他 受 用 、 變 化 、 等 流 の 四 種 法 身 を 住 處 と し て 、 説 法 す る が 如 き 即 ち 之 れ で あ る 。 是 れ は 、 經 の ﹁ 薄 伽 梵 住 二 如 來 加 持 廣 大 金 剛 法 界 宮一﹂ と 云 ふ よ り 出 て た も の で 、 毘 盧 遮 那 本 地 法 身 か 、 遍 一 切 處 の 加 持 受 用 身 を 現 し 、 一 切 衆 生 を し て 身 密 の 色 を 見 、 語 密 の 聲 を 聞 き 、 意 密 の 法 を 悟 ら し め ん と す る も の で あ る 。 換 言 す れ ば 四 種 法 身 と 四 種 の 曼 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 五

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 六 茶 羅 と を 住 處 と し て 、 佛 の 本 地 身 を 諦 見 せ し め ん さ す る も の で あ る 。 第 二 に 國 土 を 住 處 と す る こ と は 、 經 の ﹁ 如 來 信 解 遊 戯 神 通 生 大樓 閣 寳 王 ﹂ 等 の 文 よ り 出 で た も の で 、 三 種 世 間 及 び 十 界 の 依 正 を 皆 佛 の 住 處 と す る も の で あ る 。 衆 生 の 機 感 の 應 す る 所 、 凡 て 是 れ 如 來 の 遊 戯 神 憂 の 法 界 宮 に 非 ざ る は な い か ら で あ る 。 天 台 宗 に 一 佛 成 道 す る 時 、 法 界 此 れ 佛 の 依 正 に 非 ざ る な し と 云 ひ 、 或 は 阿 鼻 の 依 正 は 全 く 極 聖 の 自 心 に 處 し 、 毘 盧 の 身 土 は 、 凡 下 の 一 念 を 瑜 え す と 説 く が 如 き は 、 即 ち 之 れ で あ る 。 か く し て 、 三 世 十 方 一 切 諸 佛 の 一 々 の 住 處 、 皆 一 々 大 日 如 來 の 法 界 宮 な り こ す る の が 、 安 然 の 一 庭 諭 で あ り ま す 。 四 、 一 教 論 ( 五 教 論 ) 安 然 は 三 世 十 方 諸 佛 の 教 を 惣 攝 し て 、 眞 言 の 一 教 に 歸 せ し め 、 之 れ を 遍 一 切 乗 自 心 成 佛 の 教 と 云 ふ の で あ る 。 然 ら ば 安 然 は 何 を 根 據 し て 、 一 教 を 立 つ る の で あ る かと 云 ふ に 、 義釋 に 、 ﹁ 將 レ 演 二 遍 一 乗 自 心 成 佛 之 教 一﹂ と 云 ふ に 依 り た る も の で あ る 。 更 に 大 日 脛 に 之 れ を 求 む れ ば 、 金 剛 薩 錘 が 如 來 に 發 問 し て 、 ﹁ 世 尊 如 何 如 來 應 供 正 遍 智 得 一 切 智 ﹂と 云 ふ に 封 し て 、 大 日 如 來 が 菩 提 心 爲 因 、 大 悲 爲 根 、 方 便 爲 究 竟 と 説 き た る に 依 る の で あ り ま す 。 大 日 經 義釋 に は 之 れ を 糺 し て 、 ﹁ 毘 廬 遮 那 如 來 、 能 く 遍 一 切 處 眞 金 智 の 體 を 以 て 、 種 々 の 乗 を 造 り 薩 般 君 平 等 の 心 地 に 於 て 、 佛 菩 薩 乃 至 二 乗 八 部 等 の 四 重 圓 壇 を 畫 作 す 。

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此 の 一 々 の 本 尊 の 身 語 心 印 は 、 皆 是 れ 一 種 の 差 別 乗 な り 、 且 く 人 あ つ て 、 五 通 智 道 を 志 求 す る に は 、 即 大 悲 胎 藏 よ り 、 章 陀 梵 志 の 形 を 現 し 、 爲 め に 瞿 曇 仙 等 眞 行 法 を 説 き 、 行 者 精 進 す れ ば 久 し か ら す し て 、 此 の 仙 身 を 成 す 、 更 ら に 方 便 を 轉 じ て 、 即 ち 毘 廬 遮 那 身 を 成 す 、 如 是 、 或 佛 身 を 現 し 、 種 々 の 乗 を 説 き 、 乃 至 非 人 の 身 を 現 し て 種 々 の 乗 を 説 く 、 随 類 の 形 聲 悉 く 是 れ 眞 官 密 印 な り ﹂ と 、 此 れ に 依 り て 之 れ を 見 れ ば 、 如 來 が 随 類 の 身 を 現 し 、 四 重 圓 壇 の 曼 茶 羅 を 現 作 す る は 、 皆 自 心 成 佛 の 教 を 説 い て 、 一 切 衆 生 を し て 、 如 實 に 自 心 を 謡 見 せ し め ん が 爲 め で あ る 、 而 か し て 自 心 を 知 ら し む 事 に は 二 門 あ る 、 一 は 頓 覺 入 實 相 門 で 、 他 は 漸 次 開 實 相 門 で あ る 。 衆 生 は 實 の 如 く 自 心 の 實 相 を 知 ら ざ る が 爲 め に 、 諸 經 に 五蘊 の 和 合 を 説 き て 、 不 可 得 を 教 へ 、 或 は 諸 法 は 因 縁 よ り 生 じ て 無 自 性 な り と 説 く の で あ る が 、 是 等 は 皆 漸 次 開 實 相 門 で あ る 。 法 華 に 諸 法 實 相 と 云 は ゞ 、 此 の 経 の 如 實 知 自 心 で あ る が 、 薄 福 の 衆 生 は 、 自 ら 心 の 實 相 を 知 ら ざ る が 故 に 、 如 來 は 且 く 其 の 垢 を 浄 め 、 能 く 時 宜 に 契 合 せ し め て 、 然 し て 後 に 即 心 の 印 を 與 ふ る の で あ る 。 今 此 の 經 は 法 華 の 如 く な ら す し て 、 直 ち に 諸 法 に 約 し て 衆 生 の 自 心 品 即 一 切 智 々 な る こ を を 知 ら し む る が 故 に 、 頓 覺 入 實 相 門 の 秘 密 藏 と 稱 す る の で あ り ま す 。 此 の 故 に 法 華 の 開 權 顯 實 の 教 は 、 今 の 脛 の 菩 提 心 爲 因 の 句 に攝 せ ら れ 、 般 若 經 に 説 く 所 の 、 六 度 、 十 八 、 三 昧 道 品 ﹂ 惣 持 門 等 は 、 皆 大 悲 爲 根 の 句 に 攝 せ ら れ る 、 其 の 他 十 方 三 世 諸 佛 の 説 く 所 の 菩 薩 の 高 行 は 、 皆 大 悲 爲 根 の 句 に 攝 す べ き で あ る 。 又 彼 等 の 成 果 利 他 の 方 便 を 、 こ ゝ に 方 便 爲 究 竟 の 句 に 攝 す る の で 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 七

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  二 八 あ る 。 是 に 於 て 知 る 、 此 の 三 句 の 中 に は 、 三 世 十 方 諸 佛 の 顯 密 諸 教 を 攝 し て 盡 く さ ず と 云 ふ こ と な し 、 そ こ で 義釋 に は 此 の 意 を釋 し て 、 有 名 な る 四 心 義 の釋 を 爲 し て 居 る 。 此 の 經 は 横 に 一 切 佛 教 を 統 攝 す る 。 經 に 唯 蘊 無 我 出 世 間 心 住 蘊 中 己 説 く が 如 き は 、 諸 部 の 中 の 小 乗 の 三 蔵 を 攝 す 。 觀 蘊 阿 頼 耶 覺 自 心 本 不 生 と 説 く が 如 き は 、 此 れ に 八 識 三 性 三 無 性 の 義 を 攝 す 。 極 無 自 性 心 十 縁 生 句 と 説 く が 如 き は 、 華 域 、 般 若 、 種 々 不 思 議 の 境 界 を 攝 す 。 如 實 知 自 心 名 一 切 種 智と 説 く が 如 き は 、 佛 性 一 乗 如 來 秘 蔵 皆 此 の 中 に 入 る 。 如 是 親 す る 時 は 、 如 來 一 代 種 々 の 聖 教 は 、 此 經 を 以 て 其 の 精 要 を 統 べ ざ る こ と な し と 、 云 ふ の が 四 心 義 の 大 意 で あ る 。 此 の 四 心 義 に つ い て は 、 東 密 と 台 密と は 其 の 解釋 に 於 て 、 大 な る 間 隔 が め る の で あ る が 、 此 の 問 題 は 後 に 譲 つ て こ ゝ に は 、 略 す る こ と に す る 。 唯 こ ゝ に は 、 大 日 經 が 一 切 佛 教 を 統 一 す る 教 王 で あ る と 云 ふ こと が 解 れ ば 、 そ れ で よ い の で あ り ま す 。 次 に 台 密 の 五 教 判 繹 を 述 べ る こ ご に す る 。 台 密 の 教 相 を 思 ふ に 、 慈 覺 大 師 に あ つ て は 、 智 度 論 に よ り て 、一 代 佛 教 を 、 顯 示 教 と 秘 密 教 と の 二 種 に 分 か ち 、 秘 密 教 に 、 理 秘 密 を 事 理 倶 密 を 説 き 、 理 同 事 勝 の 説 を 爲 し た る は 、 己 に 述 べ た 通 り で あ る 。 安 然 は 此 説 を 繼 承 し て 、 分 ち て 三 教 と な し て 居 る 。 之 れ を 圖 示 す れ ば 左 の 通 り で あ る 。 顕 示 教︱ 三 柔 教 (眞 俗 不 融 ) 秘 密 教︱一 乗 教 (眞 俗 不 二 )

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此 れ は 單 に 、 慈 覺 大 師 の 顯 密 二 教 を 分 ち て 三 教 と な し た ま で ゝ あ る が 、 安 然 は 更 ら に 進 み て 、 慈 覺 の 金 剛 頂 經 疏 に よ り て 、 諸 經 論 の 顯 密 、 半 満 、 頓 漸 、 大 乗 最 上 乗 の 名 を 列 ね 、 之 れ を 綜 合 し て 、 北 嶺 五 激 の 激 判 を 大 成 し て 居 る の で あ り ま す 。 涅 薬 圓 覺  思 盆  金 剛  天 台  智 論 戸台 密 章 疏 第 三 、 三 七 七 ) か く し て 、 天 台 の 蔵 通 別 圓 の 四 教 に 秘 密 教 を 加 へ て 五 教 と な し 、 以 つ て 一 代 佛 教 を 判釋 せ ん と す る の で あ る 。 然 る に 前 に は 、 法 華 、華 嚴 等 を 以 つ て 理 秘 密 の 教 と な し た る に 、 今 何 故 に 圓 教 を 顯 激 に 楯 し 、 大 日 経 等 の 眞 實 教 の み を 秘 密 激 と し た の で あ る が 、 思 ふ に 前 者 は 所 詮 の 理 に 就 て 顯 密 を 分 か ち た も の で あ る か ら 、 眞 俗 不 二 の 理 は 密 教と 異 な る こ と な き が 故 に 、 理 秘 密 の 教と し 、 今 は 能 詮 の 教 に つ い 、て 顯密 を 別 け た の で あ る か ら 、 眞 言 以 外 の 諸 經 を 凡 て 顯 教 と し 第 五 時 の 秘 密 の み を 密 激 と し た の で 台 密 の 歡 義 及 び 歴 史  二 九

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台 密 の 教 義 及 び 歴 史  三 〇 あ る 、 数 に 今 の 頓 教 、 滿 教 、 圖 教 等 は 所 詮 の 理 あ り す れ ば 、 更 ら に 秘 密 教 と 異 な ら ぬ の で あ る 。 こ ゝ に 於 て 安 然 は 更 ら に 一 歩 を 進 め て 、 説 法 形 式 の 随 他 意 、 随 自 他 意 、 随 自 意 の 三 語 に 約 し て 、 藏 通 別 の 三 激 は 、 大 日 如 來 の 随 他 意 語 に 當 り 、 圓 教 を 大 日 如 來 の 随 自 他 意 語 の 説 法 ざ し 、 密 教 は 如 來 の 随 自 意 の 説 で あ る か ら 、釋 尊 所 説 の 半 滿 、 漸 頓 、 大 乗 最 上 乗 、 の 諸 脛 は 皆 大 日 如 來 の 一 激 、 随 自 意 異 實 の 一 大 圓 教 に 攝 す べ し ざ す る の で あ る 。 要 す る に 機 に 望 む 相 待 の 判 に は 、 随 他 、 随 自 他 の 二 説 あ り と 雖 も 、 佛 に 望 む 絶 待 の 判 に は 、 悉 く 皆 随 自 意 の 唯 一 大 圓 教 に 外 な ら ぬと す る の で あ る 。 か く て 從 來 、 天 台 五 時 八 教 の 外 に あ つ た 眞 言 密 教 は 、 即 ち 是 れ 天 台 圓 教 と 同一 醍 醐 で あ つ て 、 や が て 、 一 代 佛 教 を 統 攝 す る 一 大 圓 激 で あ る と す る に 至 り 、 完 全 に 叡 山 の 三 宗 は 、 密 教 に よ つ て 統 一 さ れ た の で あ り ま す 。 故 に 安 然 は 、 相 承 之 宗 血 脉 に 此 の 事 實 を 説 い て 曰 く 、 事 理 具 足 。 定 慧 相 扶 。 無 畏 以 後 。 久 傳 二 於 世 一。 禪 門 唯 傅 二大 乗 理 觀 一。 天 台 唯 行 二 顯 教 定 慧 一, 眞 言 唯 悠 二 秘 密 事 理一。 備 二 此 三 法 一唯 我 一 山 。 印 度 支 那 未 レ聞 二 斯 盛一 者 也 。 (台 密 章 疏 第 三 、 二 〇 四 ) ま こ と に 台 密 教 理 の 完 成 は 、 叡 山 の 密 教 を 以 つ て 台 禪 戒 の 三 教 を 統 一 し て 叡 山 佛 教 を 確 立 し た の み な ら す 、 日 本 佛 教 界 の 覇 權 を も 掌 握 し た の で あ り ま す 。 印 度 支 那 未 だ 此 の 盛 を 聞 か す と は 、 眞 に 其 の 通 り で あ つ た の で あ る 。 安 然 の 此 の 理 想 は 、 彼 れ の 著 述 、 特 に 教 時 問 答 の 全 篇 の 至 る 所 に 横 浴 し て 居 る 。 當 時 叡 田 は 、 大 乗

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戒 壇 の 獨 立 と 、 高僧 偉 傑 雲 の 如 く 現 れ 、 事 實 上 已 に 奈 良 の 舊 佛 教 を 支 配 し て 、 天 下 に 號 令 す る 優 勝 の 地 位 を 占 め て 居 つ た の で あ る が 、 天 台 と 同 時 に 開 創 せ ら れ た 、 東 密 の 弘 法 大 師 の 判 教 は 、 己 に 完 成 せ ら れ て 、 教 理 上 よ り す る も 、 佛 教 の 最 高 權 威 者 蓬 し て 、 天 台 五 時 八 教 の 教 判 を も 一 蹴 し て 、 教 王 護 國 の 牙 城 を 築 い て 、 天 下 の 教 界 を 席 捲 し て 居 る 。 此 の 時 に 當 つ て 、 顯 密 の 博 士 た る 彼 れ は 、 是 非 共 未 だ 完 成 さ れ ざ る 台 教 の 教 理 を 組 織 し て 、 東 密 の 教 判 に 向 つ て 、 是 非 の 決擇 、 法 門 の 雌 雄 を 決 せ な け れ ば な ら ぬ 。 吾 人 は 章 を 改 め て 、 彼 れ の 十 住 心 に 封 す る 批 評 を 一 瞥 し て 見 る こ と に す る 。 五 、  喪 然 の 十 住 心 の 批 評 安 然 己 に 眞 吉 一 教 に 依 り て 、 台 密 の 教 義 を 完 成 し 、 其 の 教 義 は 殆 んど 、 東 密 の 教 義 と 朱 紫 別 か ち 難 き ま で に 接 近 す る こ と に な つ た 。 安 然 の 教 義 は 表 面 慈 覺 智 證 に 負 ふ 所 多 き も 、 東 密 の 教 義 が 彼 れ を 啓 發 せ し め た こ と も 甚 だ 多 い 。 教 時 義 及 び 、 菩 提 心 義 に は 、 高 組 の 三 部 の 書 等 を 引 證 し て 、 其 の 教 義 を 構 成 せ し め て 居 る 。 特 に 彼 れ の 著 に 、 異 本 即 身 成 佛 義 と 云 ふ の が 一 巻 あ る 。 之 れ は 現 に 西 部 大 學 の 叡 山 に は 、 之 れ を 講 本と し て 學 徒 を 教 養 し て 居 る の で あ る 。 然 る に 此 の 書 と 、 古 來 弘 法 大 師 の 異 本 即 身 義 と し て 、 弘 法 大 師 全 集 に 輯 録 せ ら れ た る 異 本 即 身 義 六 本 あ る 中 、 其 の 第 五 の 本 は 、 今 の 安 然 の 異 本 即 身 成 佛 義 と 、 一 字 一 句 の 出 没 も な く 全 く 同 一 の 本 で あ る こ と を 發 見 し た 。 古 來 異 本 即 身 義 が 、 高 組 大 師 の 著 遠 で あ る と 、 學 者 に よ り て 信 す る も の と 、 信 ぜ な い も の が あ つ た が 、 今 安 然 の と 同 本 で あ り と 台 密 の 教 義 及 び 歴 史  三 一

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