︽史料紹介︾
徳山敬猛﹃農業子孫養育草﹄︵文政九年目
神
原本による翻刻
昆よ
私は本誌第十四巻第一号︵一九八二年︶に﹁徳山敬猛﹃農業子孫養育草﹄︵文政九年︶﹂という小論を掲載し
た︒ この徳山敬猛の﹃農業子孫養育草﹄は︑すでに︑小野武夫編﹃近世地方経済史料﹄第四巻︵一九三二年︶に
収録されていて︑﹁有用の書﹂として解題されている︑世に知られている農書である︒しかし︑そこには﹁﹃農
業全書﹄﹃姦曲業事﹄に類似した点も少なくない﹂とされているが︑先の小論では︑この﹃農業子孫養育草﹄
を︑宮崎安貞の﹃農業全書﹄と照合し︑それからの大幅なピック・アップによって成りたっていることを検証
した︒このようにオリジナリティーに乏しい農書であるが︑しかしそこには独自の項目記述があり︑その意味
と︑﹃農業全書﹄からのピック・アヅプの仕方自体は検討にあたいする事柄である︒また︑それとは別にこの徳
山敬猛﹃農業子孫養育草﹄︵文政九年︶がその二年前の文政七年の﹃農業子孫養育草控﹄と︐大きく異なっている
ことを明らかにしたが︵﹁徳山敬猛著﹃農業子孫養育草控﹄﹂本誌第十四巻第二号 一九八二年︶︑この変化の意
味も検討にあたいする︒このような課題がある︒
先の小論はこの農書の新しい筆写本による翻刻を行なったものであった︒﹃近世地方経済史料﹄第四巻に収
録されたものは︑小野武夫氏の筆写本を底本としたものであった︒本書は明治十年代に農商務省に進達された
が︑それは関東大震災に遭遇して灰塵に帰してしまった︒小野筆写本そのものはない︒この小野筆写本によっ
た﹃近世地方経済史料﹄のものが唯一のものであった︒ところが︑この農書を︑福島県会津若松の初瀬川丹毒
なる人物が農商務省において筆写していた︒この初瀬川筆写本が原本に最も近いものと思われた︒先の小論は
この初瀬川筆写本にもとづき翻刻したものである︒
それから数年たった︒徳山家には近世期を中心とした四千六百余点の文書があり︑それは徳山家文書として
岡山大学附属図書館に寄託されている︒同家には敬猛時代に収集された書物のほか若干のものが残されている
だけであるが︑この書がでてきたという連絡をうけた︒それはまぎれもなく敬猛の直筆のものである︒本稿は
この自筆本をもとに新たな翻刻を行なうものである︒
また本稿では︑先の小論と同様に︑宮崎安貞著﹃農業全書﹄と照合し︑引用などしたと思われる個所を記載
した︒なおこの﹃農業全書﹄とともに類似した個所が多いとされる﹃農稼業事﹄については同様には行なわな
かった︒徳山家の﹁蔵書目録﹂には文政元年のもの︑明治期のものいずれにも﹃農業全書﹄は記されているが
﹃農稼業事﹄はない︒徳山敬猛はこれを見ていないであろうと思われる︒
翻刻にあたって
一 底本には︑徳山敬猛自筆本を用いた︒
一 底本の文体︑仮名つかいは原本のままとした︒ただし︑変体仮名はひら仮名に改めた︒
一 底本の漢字は新字体に︑異字については現在の字体とした︒ただし︑井︑杯︑ホはそのままとした︒
︵2︶
底本の漢文体の部分はそのままとし︑返点の有無もそのままとした︒
句読点をつけ︑清濁はそのままとした︒ 一
行間記入個所は︵︶をつけ︑本文に組み込んだ︒ 一
底本の文中の二行割注などについては︑小文字とし︑一行割注とした︒ 一
底本にあるふり仮名はそのまま残した︒また漢字の左側についた仮名は二行に組んで︿ ﹀で囲み︑ 一
その漢字の下に入れた︒ 一
﹃農業全書﹄との対比照合
一 これには﹃日本農業全書﹄︵山田龍雄編集︑農山漁村文化協会︶の第十二・十三巻所収の
︵翻刻︑校注等山田龍雄ほか︑一九七八年︶を用いた︒ページ数は第十二巻のそれを示す︒
一 この﹃農業全書﹄にはふり仮名が附されているが︑ここでは一切省略した︒
農業子孫養育草﹃農業全書﹄
農業子孫養育草序
センタイフ チ シイキヤウセウ ジヨジにツ先大父本名清延翁は︑子孫為相続︑稚子遺教抄を著述し玉ふ︒予ハ彼書 キンシンヤク へを熟読信用して︑勤慎約○姓〃ハシ﹀の三ケ條を守り︑漸く星霜を壁土 イントン ドクキヨ カンセキ ツうくしたかへる年の後︑隠遁と成二階に独居して閑寂︿¢ヵ﹀を楽ミ︑情思
へらく我世渡りに千辛万労を尽せし事に思ひくらへ︑子孫ハ安楽に為暮 シユイ サソガイムアンノたく明暮思惟して遺教抄を考ふレハ︑第四巻目︿二丁﹀経日ク︑三界無安︑
ユキョクワタク シユゥクジウマン ジンカ フ イ猶如火宅︑衆苦充満︑甚可怖畏弁竹朔〃躰汁入信針け酵姥妙か〃潜心ユ﹀
シメ セカイと説示シ給へり︒三千世界に安楽なる事ハなく︑焼ル家の内二座スこと ゲン シユジヤウ ミチく クく︑衆生︿モロ︿﹀の苦患世の中に充満て︑諸国里々浦々近々山の奥書此世 クロウクワンナン界に住ルもの一人も苦労患難なきものハなし︒甚タ恐ルへしとの御示し
なり︒如斯此世に生る玉者︑皆々苦労のなきものハなし︒其中二も人ハ
チヤウジウチウギヨ クルシミカル タノシ ヲへ万物の長として鳥獣虫魚にくらふれハ其苦軽くして楽ミ多し︒仏も
ガイ ク ジウマン トテ ノガル三界無安と説給ヘハ苦ハ世界に充満シて遁るN道なし︑油も可遁やう
カクゴ ヨナミ かね アキラなきからハ早く覚悟して苦労.ハ世並人なミの事と兼て諦メ其覚悟さヘ
ク マコト ク ラクよけれハ︑苦労も苦にならす誠に苦ハ楽の種といふ事事て金言なり︒
コトワザ コ モクゼン諺 にも若キ時の苦労ハ買てもせよと︑自前ノ道理なり︒愛を以て其昔
クワンス ノウコウシヤウ ミンセンベンパンクワ トセイ悟の仕様を考へ世の中を観るに︑農工商の三民千変万化の世渡なれ
︵4︶
シヤウカ タンハンシヤウ タメ スクナとも︑商家なとにて一ツ旦繁昌するといへとも三代と相続せし例シ少
ムシロ アンキ ヒデンし︒寧禽脚遡.﹀農業の外安気にくらし子孫長久の秘伝ハなし︒農家に
スタイ キヤウクンおみては数代相続の者多し︒此訳を子孫に教訓せはやと思へとも︑ロ
ノブ ヲシ コウ セイヰ セイシン シユシンに述る教ヘハ当座のミにて後日の功なし︒亦遺教抄二誠心正意修身 下 上 ツコフヒドフカ センゲンパン ゴに至るまて詳に千言万語を述へ給ヘハ︑今更我ホことき何いふへく イクンもなし︒されと遺教抄にも農業に限りたる遺訓罪なし︒去によって当家
先祖より代々相続の農法数代なれハ略し︑ロハ今存︿生﹀の敬寛中にも農功アリ︒
田地開発の成功を子孫に伝ンため︑石塔に鍬を持し老人ノ︿姿﹀を切付たり︒此心を感 ケダイ心スへしを無二惰怠一いとなミ勤なバ幾代も相続すへしと︑日頃の工夫に
キヤウチウ センリヨ トク ゴ四寸の胸中をいたミ︑愚者も千慮すれハ︸ツ徳ありといへる語にもと マンくリョ ック ムチうサイ ヲ レつき︑千慮ハをうか万々慮を尽しても無知短才の急劇よき分別も出ぬ︒
ノウケフゼンシヨ ホぐ ジヨウケウ ムネ ゥカぐ折ふし過しX頃農業全書を粗︿アラマシ﹀見侍り︑且ツ久世條教の旨を伺ひ︑
セツ コウ コヘロミヲホエ ロウノウ近郷に老農︿百姓の上手﹀の説を聞︑功あるを取ましへ︑予か尺寸の試覚あ トチ ヲヘ ヒロ ナツケるを加へ︑此土地に応ずへき要を拾ひ︑農業子孫養育草と号て子孫に
シユヨ ワレモト ムガク チヨサク ロキョ授与す︒しかハあれと︑吾本より無学なれハ著作の才なくた父魯魚の
アヤマリ ブンシ カザ誤 多からん︒はた文闘を飾る事あたハす︒八仮名ハいみひ︑ゑへ︑う
ふ︑やうよう︑をお︑の違ひ多かるべし︒︶かなつかひも知らされとも︑
ヒトニ ノウカ モンモウ ジモク ツウ ヤス此書ハ偏に農家の為に回る歪なれハ︑文盲の耳目に通し安からしめん
ゾクゴ と︑此辺通用の俗語にうつせり︒此書真名字の左にかなを付タハ農人見安き為 ⁝我愚蒙を忘れて︑種植の書をあらハして︑民と共に是によらん事をおもひ︑唐の農書を考へ︑本邦の土宜く貿箏にしたがひ︑農功の助となるへき事を撰び︑或は畿内諸国に遊観し︑広く老圃老農に訥謀︑草稿を集めて十巻とし︑農業全書と名付侍へる︒されど本より著作の才なければ︑た父魯魚の誤り鄙理の言多きの
184
グロウ アハレ ノゥシュツなり︒字心理ハたかふ事もあるへし︒心得ありたし︒○愚老か子孫を憐ミ農術
ト ギ タスケにおみて当地の土宜にしたかひ︑万か一の助とならんことを思ひ︑
クワンゲン カキツずレ ナクサミ管見の及ふところを書綴れハ︑或人是は楽隠居のよき慰といへり︒
全く左にあらす︒なくさミなれ書目に及ひたる仮名本︑軍書ホ︑又甲乙
タハムレ クチクセ ソシラ座の戯に言捨し口癖の狂歌︑をこかましき咄の類ハ︑人か笑ふと誹
ふとま玉のかわ︑我心だに面白けれハそれか気晴し保養とも云フへし︒
カリソメ かしょく と ミチヒキ仮初にも末の世にのこし子孫を旧稿︿かうさく﹀に導き︑家相続の便にもな
グイ ロラス オロソカれかしと︑愚意を労る三三ならす︒是につけても遺教抄の大部に数
ハイカン クタキ シヨバツ アック年肺肝を砕き︑序践に子孫を厚くいましめ寝れし先大笠の心中を思ひ
ナミダ チヨサク廻せば︑有かた泪かこぼる玉なり︒此書ハ遺教抄にくらぶれバ著作の
シソラウ プンソウオウ タイコ心労十分か一にもあらす︒然とも分相応の風か吹とて︑太鼓ハ大このこ
シヤクハチ ブンサイ ジアイ マヨ シンへ︑尺八ハ尺八のこゑなれハ︑予か分際にて子孫を恵む慈悲に迷ひ心
イ ラウ コミロサシ スイサツ セイコウ 二丈ク意を労せし志を推察し︑又先祖汐代々農事の成功高恩の余沢によつ
タ イシヨクチゥて只今の子孫足る事を知らハ︑衣食住翁ル続︶イ﹀の不足ハなし︒常々
ヲンギ スワスレ ハゲ クフウ アック此面儀を不忘有かたく思ひ︑ますく農業を励ミ工夫を篤くし其勤ニ レセイリヨク ツク シユレソ エドク ノウ シユク モソサイ精力を尽し修練会得せは︑農に熟し中にハ文才の者もあらん︑亦芝蘭
ワクテウ ノウカ カナラス コウ チシャ タツネト ザウホ億兆の農家なれハ必大功の智者も有へし︒是ホに尋問ひ猶此書を増補
エキ コヒネガ シゼン テントウシソメイ ミヤウリヨ カナ イノうし子孫の益たらん事を希ひなハ︑自然と天道神明の冥慮にも叶ひ祈
サイハピ ア ヘ ヲヘビナルカナ ノウ トク シヤウ カゲウらされとも福ひは来らん︒鳴呼︑大士︒農の徳を称し︑家業大 ミかハ︑其義理も亦歯葬にして要撃多からん事を肖る︒ ︵二一ページ︶
一件本より文才なくして文詞を飾る事あ
たハず︑且三雲ハひとへに農家の用る
所なれば︑あながちに文辞を華麗にす
べきにあらず︒楽軒翁も又其辞を野に
して︑衆民のさとしやすからん事を思
ひ︑皆俗語にうつせり︒
︵二︷ハ︒へージ︶
一後来文才余り有て︑且農事に熟したる
人あらバ︑猶気書を増補し︑弥民の益
たらん事︑予が微賎に在て︑世を患ひ
農をめぐむの素意にして︑尤希ふ所な
り︒ ︵三〇ページ︶
︵6︶
ミヤウジン ボサツ トウト ウヤマ シンカウ リシヤウ バンダイフエキノゥケウ明神先祖大菩薩と尊ミ敬ひ信仰すれハ︑御利生ありて万代不易農業
シソンヤンヒグサ コフウシウウ メグミ サカ子孫養草ハ五風十雨の恵にて︑四方にはひこり栄工くて時をたかへ
す︑安くあらけき泰平の御代に生レぬるありかたさには︑子孫永々よう ツヘシソ シヨつ代の春をむかへ︵よ︶かしと︑謹て序す︒時二文政九年水無月の陽
日なり︒ 徳山 敬猛
行年六十五歳書之
此書の発端に六十を暦て思ひ立して書たるハ子孫の恩愛に迷ひ安楽にくらさセたく
思ふて興を入しなり︒本より農事を一大事と思ふゆへに︑養父︵当選八十四歳︶敬
寛還暦の賀に︑農絵の盃を調︑其箱に先祖より農業を励数代相続の成功を書付たり︒
後来其志を考へ農法怠る事なかれ︒
シヨジン イタ ヤゥノク抑農業は国家の大本なり︒上ミ天子より下モ庶人に至るまて︑生を養育
コクする五穀を作り出して納るものなれは︑是天下の宝といふものなり︒故
イニシ セイケン マツリコト カウサクに古へ聖賢の政事にも耕作を根元とし給ふといへり︒神代のむかし
アマテルヲミカミミ タサク トリヲコナ カソミゾ ヲリ天照太神御田作の事を執行ハせ給ひ︑亦御ミつから神彩を織給ふ︒
歌にも︑いたつらに世になすさミそはたとのに神さヘミそをおると聞に
ジンクン タケウチ ミコトノリ ト チも又人代の始つかた本朝中興神君神功皇后武内の臣に勅し︑土地を
ミ タ モロコシ ミツカラセキデン タカヘシひらき神田を作らしめ給へり︒諸越二も天子国籍田を耕給ひ民のカ
ハツ ケイ タイフをかりて耕を藷田といふ︑王ハ一擾︑公ハ三擾︑郷ハ九擾︑大夫ハニ十七
ショ スキ擾︑庶人ハ千畝を終とかや周礼一擾ハ︑冬田を王自束を持一度起返させ給ふ︑終
とハいつれも推擾の数終りて其跡を百姓請取作るなり︒ことくく上天子より農を学
ひ給ひ︑明堂に九室あるも井田の制を以為之となり︒
カン故に漢の文帝先王の法にしたかひ︑みつから天下の農夫に先だちて作り
シ セイ スジン給へる物をもちて天地神明の楽盛︿〃モ﹀に供給ふ︒わか朝人皇十代崇神 カムガヘ ツキエヲ天皇の十二年九月︑始狡二人民︸更二科二士役食牲﹀一とあり︒又三十
シヤウトク ソウモン四代推古天皇二年春二月聖徳太子奏聞有て国々へ勅使を下され︑百姓
に蒔仕付の時節土地相応する物井作りたて様を教させ給ふ︒三十七代孝
ソヨウテウ ミコトノリアツ シヤウトク徳天皇記二町段の数租庸調倉〃キ﹀のこと詔有て︑四十八代称徳天 チヨクセン皇の御宇大臣吉備公勅宣を奉し︑天下の百姓に大小の麦を植させられ
マキ サたり︒されと蒔うゑの時を失ひミのりよからす︑愛におみて五十二代馬 オク フユツグ
が
峨天皇の御宇弘仁十一年藤原冬嗣公勅をうけて播種命井ケ﹀の時後れさ
セイシキリ サンタクゲンやるやうを告示させ給ふ︒是より耕作の令制頻りに行罵れ︑山沢原野
クハフバク
〈ヤ
宴m﹀ひらけ荒亡分肋﹀の地なく耕作の道盛なり︒されハ諸作多き中 ヰンヤウサウワウ ヲサに分て麦稲の両種は陰陽相応の草にて五穀の中の長なり︒転転の成熟を
ノウコウ考ふるに十月農功命劫許陣﹀終りて諸作取収︑う玉るものあらさるに︑此
︵8︶
ヨゥキ キサス チライフク月麦を蒔入事陽気地中に繭故なり︑十一月中冬至地雷復の時一陽出て チタタリン チテンタイ地上に起り初る頃︑麦ひとり生出︑十二月地沢臨月陽︑正月地天泰三
ライテンタイサウ タクテンクワイ陽︑二月雷天大壮四陽︑三月沢天央五陽︑如上段々陽気につれて成長
ケンヰテンし︑四月乾為天の時陽極て熟し︑其地乾けるは陽なり︑又蒔うゆるハ男
ソダテにて陽の物育やしなふに陽を以てす︑麦の陽草たる事斯のことく︑都 ヲサムて草木とも春生して秋収ルに︑麦はかり夏四月滞るによりて四月の異 テソフウコウ名を麦秋ともいへり︑稲は五月中夏至天風垢の時一下魚て来て苗を移
テンサントン テンチ ヒ フウチクワン サンチバクし︑六月天山遊二陰︑七月天地否三陰︑八月風地黒四陰︑九月山地剥五 コンキ チ陰︑斯のことく月毎に一陰ツ玉地下より上るに随って生立︑十月坤為地
の時陰極りて実のる︑其水田の坤なるは陰なり︑とりうへるハ女にて陰 エキの物やしなひそたつをに陰を以てす︑稲の陰草たる事如斯︑易ハもろこ
フツキ シ ケング リシンリンカンコンケン クワしの帝王伏義氏初て乾免離震巽玖艮坤の八の卦をなし︑一切萬物の理是
にもる玉事なし︒今其理を以て考ふるに稲麦陰陽の物理の根本なるを以
クハコウ ユ エンて生熟の時右のことく卦交にかなひて有難きことなれとも︑農家其所以
センバウ シヤウテウをしらす︑た玉占法のことのミ覚へ陰陽消長の理を明らかにし︑耕作
の道も此理にかなひたる事を弁へさるにより︑麦飯おひたちおさまりの グハコウ カリζン時を卦交にあらハして農業の大切なる事をしらしむるなり︒麦の刈旬
ネ モト赤らむ事根本より色付て穂ハ後に赤らむなり︒是山陽気上ルにしたかひ
ムギハラネモト ウレ租 根本より熟るなり︒稲の色付事ハ穂より赤らミ︑葉ハ次に黄はミ︑
ウレ ヒヤヘカ藁後に熟る︒是ハ入九月になれハ陰気盛にして冷なる気を請るにより ヤサイ穂より赤らむ︒右陰陽0理を能々考ふへし︒凡五穀構外万の野菜に至る セイシユクまて天地人三才の力を得て成熟するなり︒回天の数三百六十五度四分 ケン度の一にて︑日輪ハ昼ハ上をめくり夜ハ地下をめくりて丁々として無ニ
ヤムトキ ヤマ息時一︑地是にしたかひ五行の気内にめくりて少も不息して万物を生育 ハゲマ分概テ﹀するなり︒然るに天地と徳を一にする人として悪業を励さらん
や︑五穀の種をう玉るハ人なり︑生育するハ天地の生々なり︒然とも種
タガヘシクサキリコヤ フシユクをおろすはかりにて人耕転肥しせされハ不熟するなり︒天地の徳と
人の力と合されハ出来ぬなり︒天地の生々ハ一時も絶間なし︒人不勤故
に不熟多し︒人ハ子の刻より寅の刻まて臥休むものなれは︑何ほと働て
も天地にはおよハぬなり︒されは此道理を点々合点して怠りなく勤むへ
し︒さすれハ天地の恵ミにて水損ある年も早言ある年にても︑人の田よ
りハ我田ハよく熟して取入るなり︒此理ハ農に限らす万事に心得あるへ
し︒皆勤慎なり︒
ミヤサキアンテイヲウ﹁農業全書は元禄のむかし筑前宮崎安貞翁︑四十余年農民を友としてみ シユチヨクつから心力を尽し手足を労して農事をいとなミ種植の道に委しく︑
カイハラトクノブ モロコシ ノウシヨ ホンホウ ト ギ又貝原篤信先生農法審なれハ︑此二老人唐の農書を考へ本邦の土宜
〈ツ
Vキ﹀にしたかひ︑騒の晦となるへき事を謹み璽して世に
︵10︶
アラバ ケンクン著し給ふ︒古へより本朝の賢君農業を尊ひ給ひ︑前条に述ることく
レンメン サカ ノウジユツ ヲシユ神代よヴ連綿として農事盛ンなりといへとも︑書意を隔る書ハ世に カシヨク コウ フ伝らす︒されは耕失︿ヒャクシャウ﹀皆農法を委しくしらずして稼稿︿勃妙﹀の道 ロウ明らかならさるゆへに︑身を労し心を苦しめて労るといへとも︑秋の
実のり不足を見る事しハくなりけれハ︑是ヲなけく思ひ農業全書を
メグ ホンホウ ケンヨ キウ パンミン ハンセ フあミて万民を恵ミ玉ふは本邦農書の権輿︿かシ﹀万世不朽の御厚恩な
り︒
セイジン マツリコト モツハラ カウヨゥ一三いにしへ聖人の政は︑専ら教養の二つに出す︒農業の心門人 セイヤウを養ふ本なれハ︑農法くハしからされハ五穀すくなくして人民生養を
カウテイ ヲシユ モト ジンリンとくる事なし︒孝弟の道島人を締るの本なり︒人も教なけれ一人立 キソジウ カルガユエ セイワウケンクン明らかならすして禽獣︿トリケダモノ﹀に近し︒ 故に古への聖王賢君天下国
カナラスノウ カシヨク家を治るに必農をす玉め稼稿を教るを以て先とし︑人の道を正すを
タマ ナンボク チュワゥ ァタ以て本とし給ハさるはなし︒然るに日本の地ハ南北の中央に当れるに
イソヤウ キタマ カソシヨ チウクワ ハナハダ サイヂクワや︑陰陽の気正しく寒暑も中和にかなひ︑ 甚しき天災地象もなく︑
チヲホ タウパク ウエ ヂヒロ コクド ヒリヤウ ヨロ ヘイ平地多くして三三︿イネムギ﹀を回るの地広く︑国土勝れて肥良なれは︑万 ︵11︶⁝古本朝の賢君︑多くハ農業を重くし給ふといへども︑農術を教るの書ハ世に伝ハらず︒故に農法世に委しからず︒ ︵一七ページ︶⁝然るゆへに︑身を労し心を苦しめて︑勤めいとなむといへ共︑効を得る事すくなくして︑やxもすれば︑秋のなりはひの不足をみることしバくなり︒⁝唯ひとへに民皆農術をしらずして︑稼稿
〈カ、さく﹀の道明らかならざるゆへなり︒
︵︸八ページ︶
⁝凡いにしへ聖人の政ハ︑専教養の二つ
に出ず︒農業の術時人を養ふの本宮︒農
説くハしからざれ︒ハ︑五穀すくなくし
て︑人民生養をとぐる事なし︒孝弟の道
ハ人を教ゆるの本なり︒孝弟の教へなけ
れ︒ハ︑人倫明かならず︑人の道立ずして
禽獣鹿蕩﹀に近し︒⁝しかりしょり以
来代々の聖王賢君︑天下国家を治るに︑
シユシヨク ルイ コ マモロコシつ凄絶の類成長せさるはなし︒高麗唐土にもか下る上国はなきと
そ聞へ侍る我ホ壮年の頃思へらく此山中にて農事を営ミ︑いかに精力を尽すとい
へとも立身ハ成かたしとふと迷ひしか︑四十年の頃より本心に立かへり︑よくく
思ヘハ︑此谷下ハ至て暮しよき所也︒わけて︵当村ハ︶農人第一の肥草沢山にて竹
木あり︑水上の難稀なり︒冥加至極難有事と子孫に可致教示事なり︒然るに今泰
平の御代にしあれハ︑万民安堵し親兄弟妻子相隣に目出度寿をたも
ち︑農事を励︑三四の道をよく弁へ無郭勤る時は農術世々に熟し五穀
よく実のり︑衣食の養ひたりて各相続せはをのつから貧る心もなく︑
風俗すなほに和順し︑国富民栄へ貴賎等しく代々安楽ならん事疑ある
へからす︒
一点書をよみ其大概をしるといふとも︑日々農事を専らに心を尽し力を 必農をすムめ︑稼稿を滴るを以て先とし︑人倫の道を正すを以て︑本とし給ハざるハなし︒ ︵一六〜一七ページ︶ 抑日本の地ハ︑南北の中央に当れるにや︑陰陽の気正しく︑寒暑も中和にかなひ︑甚しき天災地禍もなく︑平原多くして︑稲案翻﹀を種ふるの地ひろし.国土又勝れて肥良なれば︑万づ種植の類︑物として成長せざるハなし︒もろこしの外にかしる上国ハなきとそ聞え侍る︒ ︵一九ページ︶衣食たりて後︑礼儀行ハるN理なれば︑民種植の道をよくしりて五穀ゆたかに︑衣食の養ひたりて︑各其所を得バ︑をのつから貧る心もなく︑礼義廉恥行ハれ︑風俗すなほに︑人心和順し︑一世安楽ならん事︑日々に新に︑月々にさかんなる
へし︒ ︵一九ページ︶
一農家此書をよミ其大概をしるといふと
︵12︶
用て実に其理を執行し︑修練会得せされハ無益の徒事なり讐ハ遺教抄
の発端に著述せられしことく︑書物ハよむ人の志によりて益不益異事あり︑読て徳
を得さるハ其時の失にあらす︑読人の心かけあしきなり︒諺にも論語よミ論語しら
すと云り︒
品書も度々よみ記諦する人ありとも︑其身にハ勤メ疎にしてよく呑込
た顔付にて︑よりくの口遊︸座の物かたりなとにしては更に益な
し︒農業の道におみてハ幼少より真実に心かけ思ひを深くし︑九夏三
伏の炎天をも不厭︑冬の雪吹も苦にせす︑昼夜油断なく勤て農功を得
る時は老て後安楽なり︒都て農人ハ皆平生いとなむわさにして世なミ
人なみの家業なれハ︑彼放下幻術の奇妙或は軽業の綱わたり杯︑熟し
て奇︵異︶の巧をなして人の目を驚す類ひよりハ︑其効を得る愛子以
たやすかるへし︒ ︵13︶も︑日々にいとなむ農事について︑心を尽し︑力を用て︑実に其理を事の上に執行︿とりおこなひ﹀し︑勤めて修練会得
〈た
れんとくしん﹀せずハ︑唯是無益の徒事な
るべし︒たとえ︒ハ儒書をまなんで︑四
書小学に熟し︑其余の経書にも粗通
じ︑字義︑訓諮を譜じ︑且講説ことに
詳なりといへども︑⁝却て文盲の人の
ごとし︒此書も又是に同じ︒たびく
・れを弄翁馴記論塞に﹀す・人
ありとも︑徒に此事を以て︑よりく
の口遊︑一座の話談として︑農業の上
におみてハ︑真実に心を励ミ思ひを箪
し︑力を用ひてこれを心ミ営ミ︑三た
び壁を折の労なくしてハ︑大に験を得
る事かたかるべし︒農民殊にごエにお
みて︑心をと却め力を尽すべし︒しか
ハあれど︑是皆平生︑農家のいとなむ
わざにして︑よの常の事なれば︑彼放
下幻術の雑事︑これを習ふ事久して後
其事熟し︑奇異の巧をなして︑入の目
を驚す類よゆハ︑其効を得る事甚以て
たやすかるべし︒
︵二九〜三〇ページ︶
一凡種芸の事にハ四季八節二十四節を考て四季ハ春夏秋冬︑八節ハ立春︑春
分︑立夏︑夏至︑立秋︑秋分︑立冬︑冬至也其時日にをくれす︑時々に耕種
るを肝要とするなり︒四季八節を用て月にハか三一るへからす︒喩ハ ラウケツ歳の内の立春なれハ其節を追ふて朦月翁ハ﹀に春の日数を積りて耕を
始るなり︒地の利と人の功とハよく回るといへとも︑天の時に合され
ば苦労重くして益すくなし︒尤南北の違ひ山川の勢ひにより寒暖のか
ハり有て︑其所くのよき時節仕覚︑草木の︿芽立﹀目当もある通な
れハ一偏に定めかたし︒されとも大抵定りたる中分の法を立て︑時を
見合年々の心覚してうへ蒔すへし︒四時天主勤有︒時節二格別先立て
うゆれは早過て生せす︑又時せつにをくれて盛れハ辛くして実のりわ
るし︒物によりて時節少しの違ひにて実のり甚少き事なれハ︑言々考
へはかるへし︒大方早きに理あり︒ ⁝凡種芸の事にハ︑四季︑八節︑二十四節を考て四季ハ春夏秋冬︑八節ハ︑立春︑春分︑立夏︑夏至︑立秋︑秋分︑立冬︑冬至也其時日にをくれず時分くに耕し干るを肝要とするなり︒四季八節を用て︑月にハかxハるべからず︒喩バ歳の内の立春なれバ其節を追て︑臓月︿れは﹀に春の耕しを始るがごとし︒地の利と人の功とハよく調るといへども︑天の時に合ざれバ︑苦労空しくして益すくなし︒尤南北の違ひ︑山川の勢により︑護︿さむしあた玉か﹀のかハり有て︑其所々のよき時節ある事な
れバ︑一偏に定めがたし︒されども太抵
定りたる中分の法を立をきて︑其所の草
木発生の時を見合せ︑年々の心覚してう
︵14︶
一五穀其外患の類ハ大かた節気に先達て生る急なるゆへ︑少早きかよ
し︒若男はからさるさハり有て時にをくる玉垂あらハ︑よき塾しの取 シタ分陽気のつよき物を下に多くしきてうゆれハ︑罷業こやし植物の陽気
を庵るゆへに早く生成し︑大かたミのりよきものなり︒萬の物其時書
くの気を得て発生するゆへ︑それくの物生る時分をよくはかりて
コヤ ツチカ己に生せんとする時うえ︑己にさかへんとする時平し培ひ︑段々手
入を用れハ︑天地の生理によくかなふゆへ豊年にハ云に及ハす︑少し
の凶年にても万の難くせすくなく︑災をのかれて秋のミのり空しきこ
とハなきものなり︒ ︵15︶
へ蒔べし︒四時︿しき﹀各其つとめあり.+
ニケ月をのく宜しきあり︒時節に先立
てうゆれバ早過て生ぜず︒又時節にをく
れて種れパ晩くして実のりうすし︒物に
よりて︑時節少の違ひにて︑其実のり甚
少き事なれバ︑能々考はかるべし︒智者
ありといへども︑冬うへて春収る事ハな
らざるものなり︒ ︵七九〜八○ページ︶
○又五穀其外記の類ハ︑大かた節気に先
立て生ずる物なるゆへ︑少早まきでハよ
し︒をそきに損多し︒若又はからざるさ
ハり有て︑やむ事を得ずして︑時にをく
るx事あらバ︑よき寒しの取分陽気のつ
よき物を下に多くしきてうゆれ︒ハ︑則其
こやし︑うへ物の陽気を助るゆへ︑早く
生長し︑少し時にをくれても︑大かたの
ミのりハするものなり︒ ︵八○ページ︶
○又万の物其時分くの気を得て発生す
る麟へ︑それくの物の生ずる時分をよ
くはかりて︑巳に生ぜんとする時うへ︑
巳にさかへんとする時︑糞し培ひ︑段々
次第︑時によって手入を用れバ︑天地の
生理によくかなふゆへ︑豊年にハ云に及
ハず︑少々の凶年にても︑万の難くせす
くなく︑災をのがれて︑秋のミのり空し
きことハなきものなり︒
︵八○〜八一ページ︶
一音て蒔物ハ午麓﹀の戸前宜し︒蒔たる土の其日かハくをよしとす︒
より前回陽気も盛んなれハなり︒
昼
⁝一日の内といへども蒔物ハ午の前宜
し︒蒔たる土の其日かハくをよしとす︒
昼より前ハ陽気もさかんなれバなり︒
︵八一ページ︶
174
サイ一菜愈サ﹀類稗荏子なとの苗を外へ移しうゆる物ハ午盒﹀の後よし︒其
ゆヘハうへて後日かけ和らぎて痛ます︑頓て夜気を得て夜の間にも生
付ものなり︒取分曇りたる日雨を待てハ猶々よし︒物によりて月かし
らに遡る物多し︒是に陰陽のみちかけ一日一時の違にて目にはさやか ○又菜︿やさい﹀などの苗を仕立をき︑時至りて移しうゆる物ハ︑午の後よし︒其ゆヘハ︑うへて後日かげ和らぎて痛まず︒頓て又夜気を得て︑夜の間にも立付もの
︵16︶
に見えねとも︑皆以盛衰あること莫.太なれハ︑種蒔ものハ片時も早く
油断せす︑又刈逸る物上少し遅くよく実のるを待得て刈とるへし︒但
しそは煙草粟なとの類ハ少し早きもよし︒年中辛労して作り︑一夜の
風雨霜嵐に損毛する事計かたし︑是則十分なれハこほるx道理を兼て
心得へし︒
一前条にも出ることく農人ハ常に暦を見て土用入専節かハりを考へ風雨
ホの変あらんことを心にかくへし︒必節の替りにハ晴天も見る中に替
る事有ものなれハ︑朝夕其心得手配りをよくして︑諸節かわりの妨を
も因るx覚悟すへし︒
一心て事を前に定る工夫ハ農事に限らねとも︑農人ハ取分心を用ゆへ ︵17︶なり︒取分雨気曇りたる臼猶よし︒四物
一三日よし.又物によりて︑月半︿かつ艦﹀
より前︑月の初︑めに種る物多し︒宴に陰
陽のみちかけ︑ 一日︸時の違にて︑目に
ハさやかに見えねども︑皆以て盛衰
〈さニろへ﹀ある・と︑莫大なれバ︑種蒔
物ハ片時も早く由断せず︑又刈収る物
ハ︑少し遅くよく実るを待得て刈とるべ
し︒但物によりて︑大風森雨の見合︑是
又肝要也︒ ︵八一〜八ニページ︶
○又農人ハつねに暦を見て︑土用八専︑
其外節気のかハりを考へ︑風雨等の変あ
らんことを心にかくべし︒二身のかハり
には︑晴天も見る中にかハる物なれバ︑
朝夕つとめの品手く︒ハりを︑閨の中にて
よくおもんバかり︑彼節がハりの妨をも
のがる玉覚悟兼てすべし︒
︵八ニページ︶
○抑事を前に定る工夫ハ︑農事にハ限ら
172
し︒天気の考へを疎にしぬれハ一時の風雨に数月の苦労を空しくする
ママ すエむ をくるユこと問多し︒必油断すへからす︒物こと進ハ陽なり︑ 後幅陰なり︒
ぐん農業も軍隊く﹀事にかハることなし︒す玉まされハ勝利少なし︒日月
の草木国土を照し給ひ︑嘱する間も滞たゆミなき理りを目当として寸
陰も怠るへからす︑殊に耕作種芸の事一直に天道の福をいのる事なれ
ハ︑心ゆるみ怠りて朝も日にをくれて起︑大切至極の光陰を弁へす︑
け ふ今日の又なき遺教抄に古人一日を過す事千金より重しと事をハうち忘れて
農業を油断がちに勤めぬれハ︑讐ハ一日に一時つx不足しても﹁年に
ハ三百六拾時也︑合て見れハ六十日の違になる︑三ケ年三二怠れハ半
年の働不足と成る也︒又是を一時つふ励て下る時ハ三ケ年にハーケ年の余慶と
成︑如此出精すれハ家富栄へ子孫相続疑なし︒是を年々積れハ困窮の基ひ︑天 やせ道の恵にもれ︑いっとなく田畠も瘡あれ終には先祖より代々心労して
来たる家督を失ひ家内春断ちりくになる類ひ世間に多し︒乱曲心あ
らん農民ハ年頭のうれへを思ひて︑天の時に随ひ一寸の光陰をも大切
におしミて農業を大切に勤怠る事なかれ︒ ねども︑農人ハ取分心を用ゆべし︒天気の考へを疎かにしぬれば︑一時の風雨
〈かコあめ﹀により︑数月の苦労を忽に空しく
すること間多し︒かならず二二すべから
ず︒物ごと進は陽なり︒後ハ陰なり︒農
業も軍事愈く﹀にかハることなし.す・
まざれバ勝利︿かっこと﹀少し.日月の天にめ
ぐりて︑瞬する問も滞たゆミなき理りを
目当として︑寸陰も怠るべからず︒殊に
耕作種芸︿うえまく﹀の事ハ︑直に天道の福を
専いのる事なれ︒ハ︑怠瀬して︑朝も日に
をくれて起︑大切至極なる光陰をわきま
へず︑今日の日の又なき理りをバうちわ
すれて︑偏に怠りがちに︑不浄なる気立
にて︑農業をいとなめバ︑其心違へるを
以て︑天道のめぐミにもれ︑いっとな
く︑田畠も瘡あれ︑年をへ︑月をかさ
ね.災いやまし︑肇︿うへこぼへ﹀のうれへ
にせまり︑後々ハ父子夫婦もはなれぐ
になり︑終に人つかれハれの身とおちぶ
︵18︶
一耕作ハ天地の恵にてそたつものゆへ年中陰陽の考第︸なり︒夫陰陽の
理りハ至て深しといへとも︑耕作に用る的野至心を付ぬれハさとり安
し︒農人これを知らすんハあるへからす︒其利をよく弁へて耕作を勤
れハ利潤多し︒先昼ハ陽︑夜ハ陰なり︒火ハ陽︑水回陰︑土の乾たる もろ ハ陽︑しめりたるハ陰︑ねはりかたまりたるも陰︑脆くさハやかなる
ヤハラカ ふ でい ハ陽︑かるくして柔.過ぎたる浮運命剣﹀の類ハ陰なり︒重く強くは
たくるハ陽なり︒此ホの類を考へ土地の心を知るへし︒仮初にも陰気
の陽気に勝さるやう二分別して陽と陰と順によく調ふ計を専とすへ
し︒此段陰気の陽気に勝さるやうに分別せよとあり︒警ハ天地の陰陽不順なれハ世
ワザ門中に映ひあり︑人の陰陽不順なれハ身に病あり︑又朝寝して遅く起れハ其身の陰 ホロボ気かちて陽気をふさくゆへ︑年月を積り忽病ひ生し︑家業怠ると家を滅すなり︒又 ︵19︶れ︑貧苦のかなしミやむ時なし︒然れバ心あらん農民ハ︑必後のうれへを思ひて︑あらかじめ︑ふせぐべし︒天の時にしたがひ︑一寸の光陰︿いとま﹀をも大切におしみて︑農業に身を投ち︑心を用ること慎でおこたる事なかれ︒ ︵八二〜八四ページ︶⁝夫陰陽の理りハ至て深しといへども︑耕作に用ゆる所ハ︑其心を付ぬればさとりやすし︒農人これをしらずハあるべからず︒其理りをわきまへずして耕作をつとむるハ︑多くの苦労をなすといへども︑.利潤を得る事少なし︒先土のしめりたる一二なり︒乾きたるハ陽なり︒ねバりかたまりたるハ陰なり︒脆く︑さハやかなるハ陽なり︒かるくして柔か過たる浮泥︿はいつち﹀の類ハ陰なり.重く強くはらエぐ類は陽なり︒此等の類ををしはか
ホロボ男に読図する女と女の差図を請ル男ハ陰陽逆するゆへに終に一家を滅す事古今其
ためし少ナからす︒孔子も女子と小人とハやしなひかたしとの給ふ︒○耕作にハ
多くの心得あり︒先我身の分限をよくくはかりて田畠を作るへし︒
二三分際より内︒ハなるをよしとす︒其分に過るを甚あしxとす︒この
ゆへに家内の人数を計りて田畠を少しうちハに作るへし︒さすれは心
のまxに耕しくさきるゆへに︑三三のりて取おさめよきものなり︒又
分外に多く作るときハ手廻し成かねあぐみ仕事手後レ思ひの書取収て
物成あしきものなり︒第一家内の働による事なれハ︑家族ハ云ふに及
す下男女迄情をかけ賞翫を正し︑仕事の出来よき時ハ誉︑又出来のあ しかしき日も呵らす︑扱てにハ仕事のてき少しよろしからねとも︑か様の
時ハ何ンそ差支心遣ひなとあり︑却て皆々精力を尽し嚥草臥つらんと
なぐり畳込申︒此段かくへっ仕方あしく心得かたき事もあらば︑其日の人数書留
置︑人の善悪を考へ︑其中にて実意成ものを改︑追て内々聞糺ときハ善悪虚実分明
に知る事もあり︑其上にて人の遣ひやうあり︒然共主人たるものハ日々夜々心を付
作場へ趣︑召使の者へ下知を成すへし︒内に斗り居てハ仕事の進退しれるものにあ
らす︑代々下人と共二農事を勤可申肝要なり︒是天理にも叶ふて順なり︒万事順成
則ハ福有︑逆成劫ハ禍有と思ふへし︒又折々藤下男女にも魚肉なとあたへ浮
世の物語なとして興し︑扱其方共も只今手前か仕事を出精してくれる
とハいふものx︑給銀賃銭を取からハ則我身の仕事をすると心得︑ りて︑土地の心をしるべし︒仮初にも陰気の陽気に勝ざるやうに分別し︑陰陽のよく調る計を専とすべし︒ ︵四八〜四九ページ︶⁝抑耕作にハ多くの心得あり︑先農人たるものハ︑我身上の分限をよくはかりて田畠を作るべし︒各其分際より内︒ハなるを以てよしとし︑其分に過るを以て甚あしxとす︒ ︵四七〜四八ページ︶⁝多少︿おほきもすくなくも﹀下人をつかふもの
ハ︑心をねんごろ︑に用ひて︑仁愛を専と
し︑正直信実を本とし︑善悪をわかち︑賞
罰を正しくして︑己を和悦︿やハらぎょろこばしく﹀
に心よくして人をつかヘバ︑下人も又︑
心いさミ苦労をわすれてつとむるゆへ︑
其仕事のはかゆくのミならず︑五穀等の
生成も自ら滞らず︑よく長じよく実のる
ものなり︒ ︵四九〜五こ口ージ︶
︵20︶
常々正直信実に無間断勤れハ必天の御盃ありて後々福ひ来るといふ事
を念頭に教れハ︑皆いさミて辛労をもこらへ︑かけおもてなく働くゆ
へ仕事のはかゆきおのつと五穀よく成長するやうに成もの也︒遺教抄
第二巻に㎜年の計ハ春耕にあり︑春耕され副署の功なし︑一日の計ハ
鶏鳴にあり︑是を能々考へ明日の業ハ前夜より工夫を定め暁方起て天
気の晴雨をよく見定手配すへし︒前条に述ることく一日に一時つxと
いへとも増と減との違にてハ莫太の損益なれハ︑一日に一時つx働出
す事を家風とすれハ︑塵積りて山となる理合て天地の道に合ふゆへ
に︑これに過ぎたる祈禧もなく︑諺にかせくに追付尊書なしといふこ
とく︑をのつから耕作よく実のり其年の暮豊にして又来ル年も装画︑
仕馴仕来家法と成︑次第に家栄へ子孫長久なるへし︒然則ハ先祖へ孝
となり子孫ヘハ慈愛と成︑其身も安楽にて年寄ルほと富貴になり︑家
督ハ子に譲り楽隠居のたのしミ此うへあるへからす︒
︸百姓ハ農具を撰らみて遣ふへし︒農人精力を尽すといへとも農具あし
けれハ仕事のしるしなきものなり︒少しの費をいとハすかねなとよき
を調へ用ゆれハ︑思の外仕事のはかゆきて益多し︒鎌ハ猶以よきをつ
かふへし︒零墨一年備州を刈て翌年山草をかるやうに年々心掛てよ
し︒ 又古語にもいへるごとく︑一年の計ハ春の耕にあり︑百の計量鳴︿よるのハツ﹀にある事なれば︑未明より起て早朝陽気につれて︑田畠に出て動くべし︒星明る日の仕事を則前夜より考へ定めおき︑暁方おきて天気の晴雨をよく見ハかりて︑猶其日の手くバりを定むべし︒ ︵五〇ページ︶○惣じて農具をゑらび︑それくの土地に随て宜きを用ゆべし︒ ︵六七ページ︶⁝農具の類あしけれバ︑農人精力を尽すといへども︑仕事のしるしハなき物なり︒必少のついへをいとハずして︑かね
よき農具を用意し︑思ひのまxにはたら
くべし︒ ︵五一ページ︶
一農業ハ牛︵悪症の牛又は高値の牛求へからす︑中くらいよし︶のよし
あしにて益不益有︑又牛の飼やう甚大事なり︒其家主たるもの大家小
・家共牛を大切にすへし︒下人まかせにすへからす︒先此辺にてハ山野
の草ハ申及す︑年中の糠類︑藁︑大小豆のから︑稗粟のから切こしら
へ︑ぬかの交りけん縄手草ハ︿牛の喰ぬ草類也﹀あしき草を除ケて
干︑又麦刈の時を考へ︑扱水の飼やう朝夕四季のかけん有夏土用中幅昼 たなもと水呑てよし白水棚下の洗水ホ猶以て冬春の飼料別て大事なり︒春の牛
やせたる家ハ必身上あしきもの也︒牛ハ其家の妻女たる者飼やう心掛へし︑
男たるものハ外トへ出るものゆへ行届ぬ事あり︒
一田畠ハ年々に土地をやすめて作るをよしとす︒然共地余慶なくてハか うへゆる事ならすハ︑植ものをかへて作るへし︒毎年一種を作るへから
す︒所により水田なと一年休め又ハ畠となし作れハ土の気転してさか
んになり︑虫気もなく実のり〜倍もある物とかや︒此辺にて田はこ地
の跡稲のよく出来る理りなるへし︒凡土ハ転しかゆれハ陽気多く︑執
回すれハ陰気おほしと心得へし︒晴たる日に耕し其土白く干たる時か ⁝又田畠ハ年々にかへ︑地をやすめて作るをよしとす︒しかれども地の余計なくて︑かゆる事のならざるハ︑うゑ物をかへて作るへし︒所により水田を一︑二年も畠となし作れバ︑土の気︑転じてさかんになり︑草生ぜず虫気もなく︑実のり
︵22︶
きくたきてよし︑
し︒ 耕しうゆる事ごとに陰陽を調て天地の徳をたすくへ
せいふつ こん一種子ものハ五穀に限らす種をゑらふ事肝要也︒是生物︿しやうするもの﹀の根
けん源食﹀則生理其中にある事なれ四阿て大切にすへき事也︒作物語もせ
すよき程に出来て虫気の痛もなく︑色よくうるハしきを常のかりしほ め ほより猶よく熟して刈取稲刈雌穂を見わけてゑりどるへし︒左の図を見
て考ふへし︒
エソテイシソノウシ エラ タネ ヲイシ 古今原ン始二云ク︑炎帝神農氏始メテ澤ヒニ五穀ノ種ヲ一曲テレ民二作テニ載量
カウカ ツトムル シソ ︿スキ﹀ヲ一三耕稼セシム︑此レカレ農ヲ之始メナリ云々︒又日本書紀神代ノ
ヨロコンテ ノ ハ ウツシキアヲヒトクサヘキ クラッチイキ 巻二云ク天照大神喜レ之ヲ日ク︑是物ノ者則チ顕見蒼生ノ可モノトニ堅魚活
スナハチ アワヒエムキ シ ハタツモノ イネ タナツモノ ニ之也︒ 乃 ︿以﹀二粟稗麦豆一︑為二陸田種子ト一︑以レ稲ヲ為スニ水田種子ト
ヨテサタム アマノムヲ キミ イネタネ ︸︒又因定二天邑︿君ヲ﹀一︵今地頭庄屋類也︶︒即チ以テニ稲種ヲ一始メテ
ゥフ アマノササタ ナカタ タリホヤツカニッナビ ヨロツ 植二干天狭田及ヒ長田二一︑其ノ秋ノ垂穎八握莫々然モ甚タ快活トアリ︒ ︵23︶
一倍もある物なり︒ ︵四八ページ︶
⁝凡土ハ転じかゆれバ陽気多く︑又執卜
すれバ陰気おほし︒ ︵四八ページ︶
⁝晴たる日に耕し︑共土白く干たる時か
きくだき︑⁝︒農人よく此理りを弁へ︑
凡耕しうゆる事ごとに︑皆陰陽を調て︑
天地の徳をたすくべし︒ ︵四九ページ︶
五穀にかぎらず︑万つの物︑たねをゑ
らぶ事肝要なり︒是生物︿しやうするもの﹀の根
源︿もと﹀にて︑則生理︿上津曙﹀其中に
ある事なれ︒ハ︑慎て大切にすべきことな
り︒作り物の過もせず︑よき程に出来
て︑虫気の痛もなく︑色よくうるハしき
を︑常のかりしほより猶よく熟して刈
取︑雌穂を見分てゑりとるべし︒
︵六九ページ︶
右に述ルことく稲種を取ニハ︑中分のよく実入うるハしきを見立︑其田ヲいく度
ベツも改︑交りいね︑枯穂︑ひへ︑︵男苗穂︶なとを悉取り︑其後よく熟して刈︑別に
ツヨ干てこぎ︑毛いねならバそろく打よくひさびヲして俵に入置べし︒種籾を強く
うつへからす︒
種籾撰方図
.武スエ夢甕 灘騨遷
琉ジ 是ハ上々穂とい
羅 ・半迄・生育 〔㎎?@ ふて末三分一ヨ
リノ 籾二よし心を付
轟
へし峰スエ
右ハ苗代種籾のゑらみ方により取実多少あり︑此事由中国新川郡何某試しに︑藁
一束に凡籾五合程つx余分あり︒されハ田壱反二付馬米里斗五升と見へる︒一国
トナミニてハ莫太の益なり︒扱亦同国蛎波郡何某種籾をゑらみし時︑穂の目方を試し
メナェホ ヲナエホに︑女苗穂ハ男苗穂より二十穂にて凡八匁程つx余計有事なりとそ︑斯のことく
︵24︶
益あるに違なきよし︒加州金沢松村氏より聞けり︒因て農家へ是を伝ふ︒文化十
四丁丑年四月 濃州大垣深造舎トアリ
右ハ文政四辛己正月勝山松毬庵予か耕作を大切に心掛ル事を察して写し送給ふ︒
是則天のあたへと感入︑同年の秋より少しつx女苗穂をゑらミけるに書取実よ
し︒又文政七酉年正月伯州大庄屋足羽氏より蛮行にして方々へ配ラレケルヲ白髪
国蔵持帰り引合候所右同文言なり︒依て種積帳ニモ書入置也︒誠に差寄へから
す︒
一粟稗の類ハ其畠にて穂ふとく色よきをぬき穂にしてつり置へし︒
一大小豆の類ハ粒揃ひて色つやよきを種とすへし︒
一物種を置所ハ土蔵をよしとす︒されとも湿気にふれさる心得すへし︒
一惣て物たねハよくく吟味して少し損したるをもうゆへからす︒いた ⁝上旬黍などの類ハ︑管毛にてよく秀で色よきをゑらび︑ぬき穂にしてつり置へし︒ ︵六九ページ︶⁝物だねをおさめ置所ハ︑土蔵をよしとす︒されとも湿気にふれざる心得すべし︒ .︵六九〜七〇ページ︶
○又物だねを翁らぶ事㍉⁝能吟味して︑
ミたる種ハ のなり︒ 一旦生しさかへるやうなれとも︑終にハかしけてかれるも少も損じたるをハ必うゆるべからず︒少にても痛たるたねハ︑ 一旦生じ由るやう
なれども︑終にかじけて死る物なり︒
︵七〇ページ︶
まじ うすつき へり一病りたるたねをうゆへからす︒ 春て多く減てもしらけになりかた
いい たきし︒飯に炊てハむらにへして味まてあしし︒一切種のゑらひあしけれ
ハ色々の損多し︒疎にすへからす︒惣て物種ハ能く干して置へし︒
一いねに赤米零雨色のあしき米の雑るなと八音たねのゑらみあしきゆへ
なり︒少の手間にて過分の徳用となることなれハ︑作人たるものよく
く心得種を撰へし︒ ⁝尤雑りたるたねをうゆべからず︒春て多く減てもしらげになりがたし︒羅にハまじりありて︑見つきあしく︑飯に曾てはむらにゑして︑味までよからず︒物ごとたねのゑらぴあしけれバ︑色々の損多し︒懇にゑらぶべし︒ ︵七〇ページ︶○又五穀の種をよく干あげ︑⁝虫の付事なきものなり︒ ︵七〇〜七一ページ︶○又稲に赤米其外祖のあしき米の雑るなどハ︑多くハ︑其たねをゑらぶ事委しからざるゆへなり︒少しの手間にて過分の
違となる事なれバ︑作人たるものつNし
みてゑらぶへき事也︒ ︵七ニページ︶
164
︵26︶
くさ一耕作ハ︸種︿シナ﹀物を作りてハあしきものなりと老人の咄を聞伝ふ︒よ
く作りあたれハ大利を得るといへとも︑年により天気の不順にて其一
品の作あしき下顎迷惑に及ふものなり︒只数々作れハあしき作ありて
も︑又よきものあり︒大切に心得へし︒此段兼て聞覚たる事なれとも時々流
行の稲有り︑其種を専らに作れハ︑苗代田うへ刈揚ホの勝手よきものゆヘ一種の稲
を多く作るもの也︒然に今年文政八酉年三土用干迄ハ一統豊年ならんと悦ふ処︑土
用明の頃より北風十日斗吹︑俄に冷気強く︑其風にあふたる稲不熟多し︒或ハ竹藪
家陰谷のそむけによりて風をよけたる所ハ実入よし︒さあれハ農民たるもの常々此
心得あるへし︒右悪風にて忽天地の陰陽不順になり作りて不熟と成りしハ天災な
り︒恐るへしく︒
一春の耕ハ冬至より五十五日にあたる頃菖蒲の初て芽だつを見て菖蒲ハ
百草に先立て生るものなるよし耕し弄るものと古書に見へたり︒されと此
山中ハ大雪余寒気強く草木の芽立も遅けれハ︑往古より仕来り言伝首
唱を見て考へ可申事なり︒一村の内にても陰陽の遅速あり︒遍羅にて
も白髪と中原雪の降やう消時も異なり︑されハ雪解に随ひ陽気の催し
を見合耕すへし︒ ︵27︶○又前漢書に記しをけるハ︑穀を種ることハ一色を多くハ作るべからずと︒いかんとなれば五穀を始め︑色々雑穀数多く作れば︑たとひ凶年にても︑釜中に必利を得物もある事なれば︑皆損ずるまでの愁ハなし︒若一種を多く作りて︑相応する年ハ大利を得る事もあれど︑それハ稀にして︑災害︿わさハひ﹀にあふ事ハ多し.農入必色々を作るべしと見えたり︒ ︵一 一 一一ペ ージ︶○さて春の耕しハ︑冬至︿#月﹀より五十五日に当る時分︑菖蒲の初てめだつを見て耕し始る物なり︒菖蒲ハ百草に先立て生ずる物なれ︒ハ︑是を目当とする事也︒⁝すべて田畠共に一村の内にしても︑所により陽気の遅速.︿おそくはやく﹀ある事
なれバ︑寒気の早くしりぞく所より︑
段々に耕す心得すべし︒ ︵五一ページ︶
すい むまくハ︸春の耕代書てそのま二細にてかくへし︒春ハ風おほきゆへすきて久 しく置ハ︑土かわき過うつけて土性ぬくるもの也︒ ⁝又春の耕しハ手に尋で労すとて︑黎てそのま工杷にてかくべし︒いかんとなれ
ぼ︑春ハ風おほきゆへ︑すきてか玉ずそ
のまNをけバ土かハき過︑うつけて︑性
ぬくるものなり︒ ︵五一〜五ニページ︶
つちくれ一壷て間を置日数をふれハ雨にあひて塊の底ぬけ陰気そこにとをして
甚あしき事なり︒
りいちはいろく すき一黎一梶六と早事あり︒十目一度黎てハ六度かきこなせといふ事なり︒
逸事ハいかにも平らかにむらなくかく事ハ数度かきてよし︒かきこな
ねんごろ つちくれす事懇にして塊なからんかためなり︒細かによくかきたる地ハう ひてウるほひよく水をたもつゆへ少々の早にもかハかすして苗いたます︒
とかく土細かにして和らかされハ作り物の利潤少しと心得へし︒殊に
苗の根のあしき土には思ひあハす︑土あらけれハ糞もむら交りなるゆ
へなり︒ ⁝黎て間ををき︑日数をふれバ︑雨にあひて︑塊の性ぬけ︑陰気そこにとをりて︑甚きらふ事なり︒耕さゴるにハおとれり︒ ︵五ニページ︶○又黎︿スク﹀一︑梶︿効﹀六と云事あり︒是
ハ一度黎てハ六度かきこなせと云ふ事な
り︒ ︵五八ページ︶
⁝又黎ことハいかにも平らかにむらな
く︑かく事ハニ三べんもいか程もくハし
きをよしとする事也︒是かきこなす事の
懇にして︑塊なからんがためなり︒細か
によくかきたる地ハ︑うるほいをよくた
︵28︶
︵29︶
もつゆへ︑少々の旱にもかハかずして︑
苗いたまず︒とかく土細かにして和らが
ざれバ︑作り物の利潤少しとしるべし︒
苗の根︑あらぎ土にハ思ひあハず︑糞も
むら交りあるゆへなり︒
︵五二〜五三ページ︶
一耕しハ肥土断りを平かにすへし︒若深くして底の生土をうこかせハ︑
毒気上にあかりて却て作物のぞたちあしく︑殊更植付前のすきやう深
くして生土うこけハ三生土の毒気にあたりてさかへかたし︒勢多の立
根か底の細土と思ひ合されハミのりよからぬものなり︒惣て穀子
︿こくのミ﹀ハ三根より生ると心得へし︒然るゆへに根の下に塊もなく︑又
にか土もなきやうにこしらへ︑糞も根の下に能行わたる心得すへし︒ ⁝重てすく事ふかくして︑生土をうこかせ︒ハ︑毒気上にあがりて︑却てうへ画いたむものなり︒⁝たね生土の毒気にあたりて︑生じがたく︑さかへがたし︒ ︵五三ページ︶⁝苗の立根が底の細土と思ひ合ざれ︒ハ︑
ミのりよからぬものなり︒物ごと穀子ハ
立根より生ずると心得べし︒然故に根の
下に塊もなく︑又にが土もなきやうにこ
しらへ︑糞も根の下に能行わたる心得す
べし︒ ︵五八〜五九ページ︶
こますな よハ一土の性によりしげくかくへからさるも間にハあるへし︒細砂の弱くや
ハらかなる地︑灰のことく力なくかるき土なとは︑さのミしけくかく
へからす︒これらの土ハ少々塊ありとも性をもたせ重力とする也︒一
へん きてん偏にハ思ふへからす︑所により時によりて機転を用ゆへし︒ ⁝但又土の性により︑しげくかくべからざるも︑聞にハあるべし︒細沙の地︑弱やハらかなる地︑灰のごとくちからなくかるき土などハ︑さのミしげくハかくへ
からず︒此等の土ハ少々塊ありとも︑性
をもたせをき︑力とする事也︒一偏にハ
思ふべからず︒所により︑時によりて︑
機転を用ゆべし︒ ︵五九ページ︶
一田ハ秋耕も宜し︒秋稲を刈おハ.りて一日も早く黎たて︑よこ何へんも
かき置︑白く干たる時又二三へんかき︑雪曇にあハせ置て︑来春地の
気和する時日高を待て又すきかきしてよし︒秋耕の地ハ草もすくなく
春の手廻しよくミのりもよしといへり︒ ○又耕す事乱曲を蒔地の外も大かた秋耕
〈あォすく﹀畳し.秋稲を刈おハりて︑百
も早く黎︑たてよこ何べんもかきをき︑
白く干たる時︑又かく事二三遍し︑雪霜
にあハせ置て︑来春地の気和する時︑日
高を待て又すき︑かきこなす事︑三四へ
んすれバ︑其地さハやかに︑⁝︒秋耕
〈あォすき﹀の地ハ︑草もをのつからすくな
く︑中うち芸にさのミちから入ず︑万づ
徳分多し︒ ︵五九ページ︶
︵30︶