早稲田大学大学院理工学研究科
博士論文審査報告書
論 文 題 目
閉じ込められた中性原子気体 Bose ‐ Einstein 凝縮の 量子場の理論による定式化
Quantum Field Theoretical Formulation for Bose‐Einstein Condensates of Trapped
Neutral Atomic Gases
申 請 者 奥村 雅彦
物理学及応用物理学専攻・量子力学基礎論研究
2004 年 3 月
氏 名
専攻・研究指導 (課程内のみ)
量子力学的粒子はボソンとフェルミオンに大別されるが,このうちボソンは演 算子間の交換関係で正準量子化され,粒子の入れ換えに対して対称な波動関数で 記述される.その結果,フェルミオンがひとつの量子力学的状態には高々1個し か入ることができない(Pauliの排他律)のとは対照的に,ボソンは同じ量子力学 的状態を何個でも占めることができる.こうしてボソン系では極低温になると巨 視的な数の粒子が最低エネルギー状態に縮退してしまうと予想される.これがい わゆるBose–Einstein凝縮(BEC)であり,1925年にEinsteinによって予言されて 以来,その実験室での実現が待ち望まれていた.BEC実現のための最大の障害は µK∼nK程度の極低温の実現にあったが,1995年になってようやく,閉じ込めら れた中性原子(ボソン)気体に対するレーザー冷却および蒸発冷却という巧妙な技 術を駆使することではじめて実験室で実現された.それ以来,この分野の研究は 実験,理論のいずれの面でも常に大きな注目を集めてきている.その背景にはこ の系が極めて理想的な状況を備えていることがある.まず,中性原子気体のBEC は極めて希薄であり原子間の相互作用も弱いため,相互作用は極めて単純な形(接 触型2体相互作用)となり,その結合定数はs波散乱長で与えられるとしてよい.
すなわち,この系の理論模型は大変単純な構造を持ち,取り扱いやすく,摂動論 も有効である.一方,実験的制御性の高さはこの系のもうひとつの著しい特徴で ある.実際,新しい実験技術の開発,進展とあいまって,この系では多くのパラ メータが制御可能であり,望みの状況が実験室で実現可能となっている.例えば,
Feschbach共鳴現象を利用すれば,相互作用の結合定数は符号を含めて(すなわち 引力相互作用↔斥力相互作用の変換も含めて)自在に制御可能である.
本論文は,このような閉じ込められた中性原子気体のBECを場の量子論の枠 組みで理解しようという試みの第一歩である.この系に対する従来の解析の多く は平均場近似あるいは平均場近似を基にした摂動論である.絶対零度での凝縮体 の振る舞いを記述するGross–Pitaevskii(GP)方程式をはじめとして,平均場近似 に基づいたこれらの取り扱いでも実験結果はよく説明されているが,その一方で,
これらの理論の自己無撞着性(self-consistency)には疑問が残るというのが申請者 の立場である.これらの取り扱いでは,凝縮体に対応する演算子を,凝縮数が巨視 的な数であるからとしてしばしばc数に置換えてしまう(Bogoliubov近似)が,こ のような置き換えは場の量に対する正準交換関係を保存せず,首尾一貫した取り 扱いとなっているのか疑問である.また,巨視的な数の凝縮原子の周囲には凝縮 していない原子が存在しており,量子・温度効果によって絶えず生成消滅を繰り返 していると考えられる.そもそも凝縮体の出現というダイナミクスを理解するた めには,多体系の量子力学に頼っていたのでは不十分であろう.申請者の取り組み は,場の量子論の枠組みに則ってこの系を首尾一貫して取り扱おうというもので ある.その際,この物理系には原子を閉じ込めるポテンシャルが存在しているため に,並進対称性が失われていることに注意しなくてはならない.BECの実現とは
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凝縮相という新たな相の出現に他ならない相転移であり,場の理論の枠組みでは,
場の演算子に有限な期待値を与えるようなユニタリー非同値な真空の出現として 捉えられる.この真空は,系の古典的作用が持っていた大域的位相変換対称性を自 発的に破っており,この破れに伴ってエネルギーゼロのNambu–Goldstone(NG) モードが現れる(Goldstoneの定理).場の演算子間の正準交換関係や対称性から 導かれる保存則を保証しているのがこのNGモードであり,本論文ではNGモー ドを首尾一貫して扱うひとつの枠組みが提示されるとともに,それに基づいた量 子・温度効果がループ展開の1次までの近似で計算されている.
本論文は5章から構成されている.以下,順を追ってその概要と評価を述べる.
第1章は序論であり,閉じ込められた中性原子気体のBEC実現の歴史が概観さ れるとともに,最近の様々な実験的進展,展開が紹介される.さらに,本研究で の問題意識と目標が明らかにされ,本論文の内容が示される.
第2章では閉じ込められた中性原子気体の系を記述する古典的作用が導入され ている.既に述べたように,この系の作用は大域的位相変換に対して不変である が,凝縮相では場の期待値(秩序変数)はゼロとはならず,BECは場の量子論では 対称性を自発的に破る真空の出現として理解される.この際,対称性の自発的な 破れに伴って出現するゼロエネルギーモード(NGモード)を適切に取り扱うこと が首尾一貫した理論体系の構築のために決定的な重要性を持つ.本論文では,対 称性を破る(無限小)項を予め導入しておいて対称性が破れる方向を定めておき,
全ての計算が終わった後でこの項をゼロとして対称性を回復させる方法を採用し ている.観測量と比較すべき理論値はこの極限値として計算される.これはスピ ン系の自発磁化の方向を定めるために微小な磁場を予め加えておく手法にならっ たものである.対称性を陽に破る項を導入したおかげで,NGモード出現に伴う技 術的困難は適切に回避され,理論体系の首尾一貫性を対称性と保存則の観点から 確認できることが以下の章で具体的に示される.この章では正準量子化の一般論 が提示されるとともに,温度効果を考慮する際に用いるThermo Field Dynamics の概要も紹介されている.
第3章では,第2章で導入した作用—大域的位相変換不変性は陽に破られてい る—に基づいて正準量子化が実行される.まず,作用の停留を与える条件から場 の期待値(秩序変数)の従う方程式が導出される.ループ展開(¯h展開に他ならな い)の最低次でこの方程式は,凝縮体の振る舞いをよく記述しているGP方程式に (対称性を回復する極限で)帰着することが示される.続いて通常の手続きに従っ て,場の演算子を完全正規直交系で展開する.この際,期待値がゼロのq数(量子 場)部分と秩序変数に相当するc数部分を自己無撞着に分離,決定しなければなら ない.場の演算子の正準量子化条件を保持しようとした際,GP方程式の解が最低 エネルギー固有関数(NGモードに相当)となる完全系で量子場を展開(並進対称性 がないため平面波を用いることは得策でない)すると,その解自身が展開に不可欠
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であること,すなわちNGモードが必要不可欠であることが明確に示されている.
また,量子場の2次形式部分で与えられる非摂動ハミルトニアンを一般化された
Bogoliubov変換によって対角化し,この系の真空の構造を明らかにしている.真
空状態が具体的に求まれば,異なる位相を持つような凝縮体を実現させる異なる 真空,すなわちユニタリー非同値な真空がどのような機構で実現され得るのかを 調べることができる.本論文では,非同値な真空が(対称性の回復される極限で) 出現することを具体的に確認しており,この点に関する従来の理解との整合性を さらに詰める必要性はあるものの,極めて興味深い結果と言える.さらに,理論 の枠組みの整合性はWard–Takahashi恒等式が確かに成立していることを示すこ とによっても確認されている.また,本論文での枠組みと他の取り組みや提案と の比較検討も行われている.
第3章の結果に基づき,第4章では1次のループ展開まで計算を進めている.対 称性を破るように導入した項は,(ゼロエネルギーモードの存在によって出現する) 赤外発散の正則化因子となっていることが判明する.また,この赤外発散は凝縮 体の個数に繰り込むことで処理可能であることも示される.この章では,凝縮体 の個数分布に対する1ループレベルの量子・温度補正を導出し,数値計算を実行 して具体的に評価している.これらの補正は実験で検出できるほど大きくはなら ないことが判明したが,近い将来の実験的進展に備えた理論的枠組みの整備とい う観点からは重要な一歩と言える.
第5章は本論文のまとめと今後の展望が述べられている.
以上述べてきたように,本論文では,閉じ込められた中性原子気体のBEC系を 場の量子論の枠組みに基づいて統一的に理解するための独自な試みが示されてい る.BECは大域的位相変換対称性が自発的に破れた真空の出現として理解される が,その際現れるNGモードは適切に取り扱われなければならない.申請者はそ のためのひとつの枠組みを提案するとともに,1ループレベルまでの摂動計算で はあるが,この枠組みの首尾一貫性を示している.これらの成果は,BECという 特定の現象の理解に新たな視点を提供するだけでなく,場の量子論という量子論 の基本的理論形式を実験室で吟味する可能性をも示唆しており,今後の理論展開 の足場ともなり得るものである.これらの点における本論文の貢献は顕著であり,
博士(理学)の学位にふさわしいものと認める.
2004年2月
審査員 主査 早稲田大学教授 理学博士(早稲田大学) 中里弘道 早稲田大学教授 理学博士(早稲田大学) 大場一郎 早稲田大学教授 工学博士(東京大学) 栗原 進 早稲田大学教授 理学博士(早稲田大学) 山中由也
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