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小田原利光先生との想い出(小田原利光先生追悼文)

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Academic year: 2021

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ゑや

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尤 先 生

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の恕、

い広

小田原利光先生は本誌C A NC ER 11号の「中沢 毅一先生と日本甲殻類学会」のなかで,

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中沢先 生こそ私の学問に対する情熱を沸き立たせてくだ さった最初の恩師であり,以後教授室やご自宅を たびたび訪ね,第二の父以上に生物学や二宮尊徳 先生の科学的精神を授けくださり,私の将来を親 しく指導くださった ・.

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と述べられてい ます。 先生は中学生の頃から貝類,昆虫類 (鞘麹類) に興味をお持ちのようでしたが,医者の長男だっ たこともあって慈恵医大に進まれたようです。そ こで生物学教授であり,甲殻類の研究者 (サクラ エピ研究の第一人者) でもあった中沢毅一先生に 初めてお会いになり , ご指導を仰いでいます。 中沢先生は慈恵医大病院で胆石の手術を昭和

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(1940)年10月18日に受け, 一週間で急逝された そうですが,先生は,その中沢先生から逝去され る前に将来甲殻類に興味あるならと,甲殻類学者 の酒井恒先生や久保伊津男先生を紹介していただ いたとのことです。 戦争中はその酒井,久保両先生とも遠く離れ 写真1 診察室にて ( ‘03.7) 村 岡 健 作 ばなれとなり,甲殻類の研究も遠ざかっていた そうですが,昭和25年になって両先生と再会し, 再び教えを乞うたとのことです。昭和36年 4 月に は先生の病院に併設された甲殻類博物館で岡田 要先生,横屋献先生,福井玉夫先生,椎野季雄先 生,酒井恒先生, 三宅貞祥先生,岩佐正夫先生, さらには大英博物館の当時甲殻類部長であった Dr.I.Gordonなどの諸先生をお迎えして, 日本甲 殻類学会の発会式が執り行われました 。 この発会式はDr.I.Gordonの来日( 読売新聞社 (東京) の招鴨) を記念しての意味合いも含まれ ていますが,もともと先生は, この学会の設立に は酒井恒先生と共に情熱を傾けられていました 。 その思いが結実し,ょうやく D r.I.Gordonの来日 を機に発会式へと漕ぎ着けたわけです。今や世界 に誇れる日本の甲殻類学会の発展につながったわ けで,先生のこうした多大な協力や努力が惜しみ なく注ぎ込まれなければここまで歩んで、くること は出来なか ったのではと思 ってい ます。 先生と私は,私が神奈川県真鶴町にある横浜国

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立大学学芸学部附属 の理科教育岩実験所( 現在は 教育人間科学部附属理科教育実習施設) に勤務し ていたときに お会いし たのが最初で, まだ,学会 が設立される前でし た。その際,当時の所長で、あっ た酒井恒先生から医者と紹介されました 。その時, お医者さんにもエビやカニを研究する人がいるこ とを初めて知りました 。私は昭和33年4月から昭 和43年3月までの十年間,この実験所で過ごし ま したが,その間 ,先生は奥様とご一緒に来られた り,お子さんを連れても来られていまし た。 先生が来所される際には酒井先生( 当時 は鎌倉 に勤務) も来られ,私も 一緒になって実験所の前 の磯で採集したり,実験所の研究調査船で真鶴沖 や初島( 熱海市) 沖などに出かけて ドレ ッジを行 なうなどしていました 。 こうして集められたカニ は液浸や乾燥標本にして先生の甲殻類博物館の二 階収蔵展示室に保管されていました。 先生は,当時 は外科医として活躍されており , 病院には入 院患者もい るのに,標本の採集から整 理, さらには展示 と,こ うした 一連の作業が よ く 出来るものだと感心 していました 。 その後も先生とは伊豆,三河,紀伊,九州,沖 縄など,多くの地域に採集に出かけました 。そう したなかで,採集ではなく,

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先生ご自身の想い 出につながる

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とも 言 える地を訪ねる際にご一緒 写真2 静岡県由比港 にて ('94.4) させていただいた こともあ ります。前述のように 先生は中沢毅一先生の 門下生でもあるわけです。 中沢先生は晩年 サ クラエピの 生態研 究や深海生 物の研究のために ,

1920

年代の後半に静岡県の蒲 原海岸に「駿河湾水産生物研究所」を私費で開設 されたことはよく知られています。その跡地を小 田原先生から訪ねて見ないかとのお誘いをいただ き,奥様も同伴され,平成6 年 4 月にご一緒に訪 ねたことがあり ます。 研究所は昔の写真を見ると松林がある砂浜に 建っていたようです。その跡地と思われる場所に 行っては見ましたが,写真のような面影はなく周 辺は宅地になっていました。研究所があったと思 われる所には二階建ての共同住宅風の建物が建っ ていて,結局,そこが研究所の跡地かどうかも はっきりしないまま,その場を立ち去ったことを 覚えています。 訪れた季節はサクラエ ピのシーズンでもあり, 先生にとっては,こ の地に件 むこ とで,脳裏に自 分の若かりし頃教えを受けたサ クラエピ等を研究 する中沢先生の姿を思い出 されたのではと感じま した 。 また,私にとっても採集とは違った先生の お姿にも接することができ,懐かしい旅の想い出 の一つになってい ます。 ( 本学会評議員 )

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