ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題
まえが
き
(( ( 中 ミッテル 部 テューリンゲンのアルンシュタッ ト (( ( その他で 薬 プ ロ ヴ ィ ー ゾ ア 剤師主任助手 、後にザクセン=マイニンゲン公国の首邑マイニ ン ゲ ン (( ( で 公 爵 家 の 司 ビ ブ リ オ テ カ ー ル 書 と な っ た ル ー ト ヴ ィ ヒ・ ベ ヒ シ ュ タ イ ン Ludwig Bechstein ( 一 八 〇 一 ─ 六 〇 ) は、 十 九 世紀後半のドイツ語圏において、彼自身が尊敬していたグリム兄弟すら凌ぎ、極めて精力的かつ極めて人気のあった 口承文芸編著者だった。 彼 は フ ラ ン ス 人 亡 命 者 ル イ・ ユ ベ ー ル・ デ ュ ポ ン ト ロ ー (( ( の 非 嫡 出 子 と し て、 一 八 〇 一 年 十 一 月 二 十 四 日 ザ ク セ ン =ヴァイマル公国の首邑ヴァイマルに生まれた。母ヨハンナ・ドロテーア・ベヒシュタイ ン (( ( は当時二十六歳、アルテ ン ブ ル ク (( ( の 官 吏 ヨ ー ハ ン・ ヴ ィ ル ヘ ル ム・ ベ ヒ シ ュ タ イ ン (( ( の 娘 だ っ た。 フ ラ ン ス の ヴ ァ ン デ 地 方 (( ( の フ ォ ン ト ネ イ・ ル・コン ト (( ( 出身である父は、絶えず旅行していて、定住地は不明、と記録されているのみ。 父 の 名 と 姓 を 継 い だ ル イ・ デ ュ ポ ン ト ロ ー は 誕 生 後 す ぐ、 母 親 に よ っ て 報 酬 目 当 て の 人 間 の 許 へ 里 子 に 出 さ れ ((( ( 、『ドイツ
昔
メルヒェン話
集』
(一八五七)試訳(その一)
鈴木滿
訳・注・解題
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 一八一〇年まで不幸で悲しい子ども時代を送る。この年十月、マイニンゲン近郊のドライスィヒアカー在住で、母方 の伯父に当たる、植物学と鳥類学の分野で今日でもその名は忘れられていないヨーハン・マテーウス・ベヒシュタイ ン ((( ( 夫 妻 が 子 ど も を 引 き 取 り、 年 末 に は 姓 を も 与 え た( 夫 妻 は 一 人 息 子 に 早 世 さ れ た の で あ る )。 ル イ・ ベ ヒ シ ュ タ ンは翌一八一一年以降ルートヴィヒ・ベヒシュタインと名乗る。ルートヴィヒ・ベヒシュタインが自然に、そしてと りわけテューリンゲン 森 ヴァルト のうららかな山並に、深い愛着を持ったのは、疑いも無くこの伯父夫妻の薫陶を受けたた めであろう。彼は伯父=養父のために記念碑を建立したし、一八五五年には『ヨーハン・マテーウス・ベヒシュタイ ン博士とドライスィヒアカー林学 講 ア カ デ ミ ー 習所 』なる著書を刊行している。 さて、伯父夫妻の庇護下に置かれたお蔭でこの子はマイニンゲン 古 リ ュ ツ ェ ウ ム 典語高等中学 に入学することもできた。余暇に 彼は多量の読書に耽り、奉公人部屋で故郷テューリンゲンの伝説を物語るのを好んだ。結局彼の勉学熱は空想力 ほ 強くはなく、 大 ア ビ ト ゥ ー ア 学入学資格試験 (= 古 リ ュ ツ ェ ウ ム 典語高等中学 ・ 古 ギ ュ ム ナ ジ ウ ム 典語中高等学校 卒業資格試験)の前に学校を退き、一八一八 年アルンシュタットの薬剤師の 徒 レーアリング 弟 となった。その後アルンシュタット、マイニンゲン、 バ ート・ザルツンゲ ン ( 薬剤師主任助手として仕事、傍ら著述を続けた。こうして十年が過ぎたが、その後の人生は決定的に変わった。彼の 君侯ザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト・エーリヒ・フロイン ト ((( ( が、一八二八年に出版されたベヒシュタインの 『 十 ゾ ネ ッ テ 四行詩 の環』 Sonettenkrän z ((( ( e を読んでこの若き抒情詩人に着目したためである。 公爵の後援で、ベヒシュタインは一八二九年と一八三〇年、ライプツィヒ大学とミュンヒェン大学で哲学、史学、 文 学 を 学 ん だ。 既 に 述 べ た よ う に 大 学 入 学 資 格 試 験 は 受 け ず じ ま い だ っ た が、 学 イ マ ト リ ク ラ ツ ィ オ ー ン 籍 登 録 は で き た の で あ る。 一八二三年『テューリンゲンの民話』 Thüringische Volksmärchen と題する創作集を発表し た ((( ( ほ どの才子だから、そ れも当然かも知れない。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 短期の大学生活ではあったが、お蔭で彼の心に「古代」への著しい傾倒が目覚めた。一八三一年故郷へ戻り、公爵 によって司書に任命された彼は、一八三二年「ヘンネベルク古代研究協会 」 ((( ( を創立、死の三年前までその初代協会長 の座にあった。一八三二年には二十四歳のカロリーネ・ヴィスケマ ン ((( ( と結婚もした。彼女は一子ラインホルトを産ん だが、早くも一八三四年に死ぬ。一八三五年ベヒシュタインはテレーゼ・シュル ツ ((( ( と再婚。彼女は七人の子を彼に贈 った。 当時の司書というものがそうだったように、ベヒシュタインも自由な生涯を送った。彼は資料を収集し、著述を行 い、詩文を創作し、幾つもの大旅行を敢行、パリへも赴いた。しかしフランスは彼の性に合わなかった。アルザスの ヴォージュ山地(ドイツ風に申さば、エルザスのヴォーゲゼン山地)まで戻って来て、やっとのんびりしたようだ。 一八五六年ザクセン=マイニンゲン公国太子ゲオル ク ((( ( とイタリアへも旅行しているが、結局のところ、彼を魅惑した のは三つの地方のみ。すなわち、テューリンゲン、フランケン、そして ボ ヘミアである。これらの地方はとりわけ彼 の口承文芸収集の情熱に報いてくれた。 『テューリンゲン地方の伝説群と伝説圏』 Der Sagenschatz und die Sagenkreise der Thüringerlandes (一八三五─ 三八) 、『オーストリア帝国の 民 フォルクスザーゲ 間伝説 、 昔 メルヒェン 話 、 宗 レ ゲ ン デ 教伝説 Die Volkssagen, Mährchen und Legenden des Kaiserstaats Österreich (一八四〇。奇妙なことだが、題目に明記されているにも関わらず 昔 メルヒェン 話 は収録されていない) 、『フランケ ン地方の伝説群』
Der Sagenschatz des Frankenlandes
(一八四二) 、『ドイツ伝説集』 Deutsches Sagenbuch (一八五三) 、 『テューリンゲン伝説集』 Thüringer Sagenbuch (一八五七)が続続出版された。これをもってなお足れりとせず、 彼 は 歴 史 資 料 や 伝 説 を 素 材 と し て 民 ロ マ ン ツ ェ 謡 調 物 語 詩 や 譚 バ ラ ー デ 詩 も 少 な か ら ず 生 み 出 し た。 既 に 一 八 二 九 年『 リ ブ ッ サ の 予 言 』 Die Weissagung der Libussa を刊行しているし、更に『ハイモンの子どもたち』 Die Heimons-Kinder (一八三〇) 、
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 ホ ルバ イ ン ((( ( の 絵 に 刺 激 さ れ て『 死 ト ー テ ン タ ン ツ の 舞 踏 』 Der Totentanz ( 一 八 三 一 )、 『 フ ァ ウ ス ト ゥ ス 』 Faustus ( 一 八 三 三 )、 『 タ ー』 Luther ( 一 八 三 四 )、 そ し て 死 後 の 一 八 六 五 年『 テ ュ ー リ ン ゲ ン の 王 家。 そ の 災 禍 と 没 落 』 Thüringens
Königshaus. Sein Fluch und Fall
が上梓された。 これに加うるに歴史小説、紀行もあるが、これらは一応 措 お くことにする。 しかし、 グリム兄弟の『子どもと家庭のための 昔 メルヒェン 話 集』
Kinder- und Hausmärchen der Brüder Grimm
( KHM を 幼 い こ ろ 愛 読 し た 訳 者 に と っ て 最 も 関 心 が あ る の は、 他 で も な い、 グ リ ム 以 降、 グ リ ム 兄 弟 に 類 似 し た 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 収 上 の 業 績 を、 そ れ も K H M と ほ ぼ 同 様 の 分 量 で 残 し た 彼 の 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 で あ る。 す な わ ち、 『 ド イ ツ 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』 Deutsches Märchenbuch ( 一 八 四 五 )、 『 新 ド イ ツ 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』 Neues Deutsches Märchenbuch ( 一 八 五 六 )、 そ し て も う 一 つ『 ド ツ 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』 Deutsches Märchenbuch ( 一 八 五 七 )、 更 に 既 に ち ら と 言 及 し た『 テ ュ ー リ ン ゲ ン の 民 話 』( 一 八 二 三 の四集。 最後のもの、すなわちベヒシュタインの初期の愛らしい習作は、ロマン主義的色彩の濃厚な美しい文体の四つの物 語 か ら 成 る。 す な わ ち、 「 ゼ リ ン デ 」 Selinde 、「 ハ ラ ル ト・ フ ォ ン・ ア イ ヒ ェ ン ─ ─ 十 二 世 紀 後 半 の 一 齣 こま 」 Harald von Eichen. Eine Skizze aus der (ten Hälfte des 1( ten Jahrhunderts. 、「 ベ ー ラ ー の 洞 窟 ─ ─ 民 フォ ル ク ス メ ル ヒ ェ ン 話 」 Die Böhlershöhle. Volksmährchen 、「 巨 人 の 匙 ─ ─ あ る 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 」 Der Riesenlöffel. Ein Mährchen. で あ る。 こ れ ら は リム兄弟の行き方とは異なり、郷土テューリンゲンの大先輩であるザクセン=ヴァイマル公国の文人ヨーハン・カー ル・ ア ウ グ ス ト・ ム ゼ ー ウ ス( 一 七 三 五 ─ 八 七 ) 著『 ド イ ツ 人 の 民 話 』( 五 分 冊。 一 七 八 二 ─ 八 六 ) Johann Karl August Musäus: Volksmärchen der Deutschen と同じく素材を民間伝承に借りた、あるいは借りたように見せ掛けて いる創作 昔 メルヒェン 話 である。従って口承文芸論的研究の資料とはなしえない。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 け れ ど も、 そ の 物 語 作 さ く ほ う 法 に ム ゼ ー ウ ス の 影 響 が 甚 だ 顕 著 で あ り、 「 ゼ リ ン デ 」 に 至 っ て は ム ゼ ー ウ ス の 長 編「 メ レ クザーラ」の登場人物を借りて来て楽しんでいるので、 『ドイツ人の民話』の訳・注・解題を全三巻( 『リューベツァ ールの物語』 『沈黙の恋』 『メレクザーラ』 。いずれも国書刊行会)として本邦で始めて刊行しえた訳者は、こりゃあ、 ぼ く で な く っ ち ゃ 訳 せ な い( 事 実、 そ う だ、 と 思 い ま す よ )、 と「 ゼ リ ン デ 」 紹 介 を 思 い 立 ち、 訳・ 注・ 解 題 を「 人 文 学 会 雑 誌 」 第 三 九 巻 第 三 号( 二 〇 〇 八 ・ 一 月 ) に 掲 載、 更 に ま た( 騎 虎 の 勢 い 已 や む に 已 ま れ ず )、 「 ハ ラ ル ト・ フ ォ ン・アイヒェン」の訳・注・解題を同誌第三九巻第四号(二〇〇八 ・ 三月)に、 「ベーラーの洞窟」の訳・注・解題を 同 誌 第 四 〇 巻 第 一 号( 二 〇 〇 八 ・ 七 月 ) に、 「 巨 人 の 匙 」 の 訳・ 注・ 解 題 を 同 誌 第 四 〇 巻 第 二 号( 二 〇 〇 八 ・ 十 一 月 ) に掲載した。 さ て、 一 八 五 七 年 版 の『 ド イ ツ 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』 で あ る。 こ れ に は 同 時 代 人 で 著 名 な ロ マ ン 派 の 画 家 ル ー ト ヴ ィ ヒ・ リ ヒ タ ー ((( ( の挿絵が豊富に 鏤 ちりば められている。 収 録 さ れ た 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 に は K H M 第 七 版( い わ ゆ る 決 定 版。 や は り 一八五七刊行)のそれと重複するものも少なくないが、日本では知ら れていないたぐいの方がずっと多い。また、ベヒシュタインの編集は、 民間伝承の本質を充分に理解しながらも、口承文芸研究者というより も む し ろ 文 人 の 立 場 か ら 行 わ れ て い る の で、 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 本 来 の 素 朴 さ を 失 わないまま、物語として首尾一貫し、 KHM にはややもすれば看取さ れる筋の欠落、不自然、尻切れとんぼといった(あくまでも文芸学的 に見た上での不条理な難詰ではあるが) 瑕 か し 疵 はまず存在しない。 晩年のルートヴィヒ・リヒター
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 比較口承文芸研究・民俗学の泰斗ルツ・レーリヒ教 授 ((( ( (敬愛するレーリヒ先生は二〇〇六年十二月二十九日に物故 された)は次のように述べている。 世紀転換期頃〔十九世紀末から二十世紀初頭〕まで〔のドイツ語圏では〕 、ベヒシュタインの幾つもの『 昔 メルヒェン 話 集』 はグリムの KHM より更に人気を博し、更に広範に普及していた。こうした多大な成果にリヒターの挿絵の数数が大 いに貢献したことは確かであ る ((( ( 。 しかしながら管見の及ぶ限りでは今のところ『ドイツ 昔 メルヒェン 話 集』 (一八五七)の邦訳はない。 そこでできるだけ十九世紀半ばのドイツ語原文の雰囲気を伝える日本語〔従ってこれは古風なものにならざるをえ なかった〕を心がけ、物語の背景を成す中・近世ドイツ語圏の文化的・社会的状況理解の一助となるよう詳細な訳注 を附し、簡単な解題〔本来は「解題略記号凡例」にあるように、多くの参考文献を記すはずだったが、紙数を考慮し て最低限度に留める。ただし、いずれ充足するつもりなので、凡例はこのままにしておく〕を添え、更に L ・リヒタ ーの挿絵も紙面の許す限り掲載し、今後何回かに分けて発表する。ただし、 KHM と ほぼ筋が一致するものは原則と して番号とタイトルだけを掲げるに留める〔ベヒシュタイン一流のおもしろさが顕著な場合は訳出〕 。 目下のところ底本としてはヴァルター・シエル フ ((( ( の注とあとがき付きで、ルートヴィヒ・リヒターの一八七葉の挿 絵 が 入 っ た 下 記 を 用 い て い る 。
Ludwig Bechstein: Sämtliche Märchen. Wissenschaftliche Buchges
ellschaft. Darmstadt 1((( . なお、訳文中の[ ]、その他の〔 〕の部分は訳者の説明・補足である。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 一八六〇年五月十四日ベヒシュタイン逝去。享年五十九歳。墓はマイニンゲンの公園墓地にある。 訳注・解題略記号凡例 AT アンティ・アールネ/スティス・トンプソン編著『民話の話型』 Antti Aarne / Stith Thompson: The Types of the Folktale. Suomalainen
Tiedeakatemia. Academia scientiarum Fennica. Helsinki 1
((( . A T U ハ ン ス = イ ェ ル ク・ ウ タ ー 著『 国 際 的 民 話 の 話 型 』 Hans-Jörg Uther: The Types of Internatinal Folktales. A Classification and Bibliography.
( Vols. Academia scientiarum Fennica. Helsinki
(00 (. AT の増補改訂版。 B P ヨ ハ ン ネ ス・ ボ ル テ / ゲ オ ル ク・ ポ リ ー フ カ 編 著『 K H M 注 釈 』 Herausgegeben von Johannes Bolte / Georg Polívka: Anmerkungen zu
den Kinder- und Hausmärchen der Brüder Grimm.
( Bde. Georg Olms Verlagsbuchhandlung. Hildesheim 1
((( . DMB (一八四五) ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ 昔 メルヒェン 話 集 』
Ludwig Bechstein: Deutsches Märchenbuch
( 1845 ). DMB (一八五七) ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ 昔 メルヒェン 話 集 』
Ludwig Bechstein: Deutsches Märchenbuch
( 1857 ). DS グリム兄弟編著『ドイツ伝説集 』
Brüder Grimm: Deutsche Sagen.
第一巻(一八一六) 。第二巻(一八一八) 。 E M ク ル ト・ ラ ン ケ 創 始 / ロ ル フ・ ヴ ィ ル ヘ ル ム・ ブ レ ー ド ニ ヒ 編『 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 百 科 事 典 』 Begründet von Kurt Ranke. Herausgegeben von Rolf ルートヴィヒ・ベヒシュタイン。 陶板に描かれた油彩。
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 W ilh elm B re dn ich z us am m en m it H er m an n B au sin ge r: E nz yk lop äd ie de s M är ch en s : H an dw ör ter bu ch z ur h ist or isc he n un d ve rg lei ch en
Erzählforschung. Walter de Gruiter. Berlin [u.a.] 1
((( -. H d A ハ ン ス・ ベ ヒ ト ル ト = シ ュ ト ロ イ ブ リ 編『 ド イ ツ 俗 信 事 典 』 Herausgegeben von Hanns Bächtold-Sträubli: Handwörterbuch deutschen Aberglaubens.
10 Bde. Walter de Gruiter. Berlin / New York 1
((( . H d M 『ドイツ 昔 メルヒェン 話 便覧』
Handbuch des deutschen Märchens.
このうち二巻のみが一九四〇年までに刊行された。 EM の前身。 K H M グ リ ム 兄 弟 編 著『 子 ど も と 家 庭 の た め の 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』 Kinder- und Hausmärchen gesammelt durch die Brüder Grimm. 初 版 第 (一八一二) ・第二部(一八一五) 。決定(第七)版(一八五七) 。 NDMB (一八五六) ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『新ドイツ 昔 メルヒェン 話 集 』
Ludwig Bechstein: Neues deutsches Märchenbuch
( 1856 ). V d D ヨ ー ハ ン・ カ ー ル・ ア ウ グ ス ト・ ム ゼ ー ウ ス 著『 ド イ ツ 人 の 民 話 』( 一 七 八 二 ─ 八 六 ) Johann Karl August Musäus: Volksmärchen Deutschen. 5 Teile.
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題
一
勇敢な小男の仕立屋の話
昔 む か し 小 男 の 仕 立 屋 ((( ( が い た。 住 ん で た 町 の 名 は ロ マ ー デ ィ ア ((( ( 。 こ れ が あ る 時 仕 事 を し な が ら 傍 に 林 りん 檎 ご を 一 つ 置 い と い た と こ ろ、 ま あ、 夏 な ん て 季 節 は そ ん な も の だ け ど、 林 檎 の 甘 い 香 に 惹 か れ て た く さ ん 蠅 が た か っ た。 そ こ で か っ と し た 小 男 の 仕 立 屋 は 丁 度 布 ヘ レ 地 入 れ へ ((( ( 落 と そ う と し た 端 は ぎ 切 れ を 押 っ 取 り、 林 檎 を ぴ し ゃ り と や ら か し て か ら ひ ょ い と 見 る と、 蠅 が 七 匹 叩 き 潰 さ れ て い た。 い や あ、 あ た し ゃ あ 大 し た 勇 士 だ ね え、 と 小 男 の 仕 立 屋 は 考 え た。 で、 す ぐ さ ま ぴ か ぴ か の 鎧 を 誂 あつら え る と、 胸 当 て の 上 に 黄 き ん 金 文 字 で「 一 打 ち で 七 つ ((( ( 」 と 書 か せ た も の。 そ れ か ら 小 男 の 仕 立 屋 は こ の 鎧 を 一 着 に 及 び、 路 地 や 大 通 り を 歩 き 回 っ た。 胸 当 て を 目 に し た 人 人 は、 こ の 豪 傑、 た っ た 一 打 ち で 七 人 の 男 を 殪 たお し た ん だ、 と 思 い 込 み、 恐 れ 戦 おのの いた。さてこの同じ国に王がいて、その名声は天下にあまねく轟いていた。偉業を成し遂げるなり、怠け者の仕立屋 さん、すぐさま針と鋏と 火 ア イ ロ ン 熨斗 を掛け釘にぶら下げてしまい、さて赴いたのがこの王の許。王城の中庭に入り込むと、 そこの草の中にひっくり返って、ぐっすり寝入ったもの。出入りする召使たちは豪勢な鎧に身を固めている仕立屋の
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 姿を眺め、例の黄金文字を読んで、当代のような平和な 御 み よ 世 にこんな闘い好きが王宮で何をやらかそうというのだろ う、と大いに 訝 いぶか しんだ。大物だってことはこれっぽっちも疑いない、と思われた。 王の顧問官たちはこれまた同様、眠っている仕立屋を見て、この由をいとも 優 ゆう 渥 あく なる国王陛下にご注進申し上げ、 一 いっ 朝 ちょう 合 かっせん 戦 といった 紛 ふん 糾 きゅう が生じますれば、かような勇士は大いに有用な存在となり、国家に貢献いたすことができま し ょ う、 と の 見 解 を 鞠 きっ 躬 きゅう 如 じょ と し て 捧 呈 し た。 王 は こ の 意 見 が 大 層 御 ぎょ 意 い に 召 し、 即 刻 鎧 姿 の 仕 立 屋 の と こ ろ に 使 者 遣わし、仕官を望むか、と訊かせた。仕立屋の返辞。自分がこちらへ参上したのはまさにそのため。国王陛下が忝く も自分を必要とお考えあそばすなら、奉公いたせ、とのご仁慈を垂れたもうようお願いつかまつる、と。王は小男の 仕立屋が家臣となることを聞き入れ、彼に立派な宿舎・居 室 ((( ( を与えるように命じ、何もしないのに、おもしろおかし くすてきな生活が送れる結構なお給金を下しおかれた。 けちな俸禄しかもらっていない王の騎士たちが、罪のない仕立て屋さんを恨み、悪魔のところに行っちまいやがれ ばいい、と思うようになるまで大して時間は掛からなかった。ことに、彼と揉め事を起こしたら、ろくすっぽ太刀打 ちできまい、と心配だったし。なにせ、そんなことになったら、相手はいつでも自分たちをたった一打ちで七人叩き 殺すだろうからね。さもなければさっさと追い出してしまいたかったのだが。そこで騎士 輩 ばら はどうすればあの背筋が ぞ く ぞ く っ と す る よ う な 戦 いくさ 人 にん を 始 末 で き よ う か、 と 二 六 時 中 思 案 を 廻 ら し た。 し か し 面 面 の 頓 智 頓 才 は 着 て い る 上 着 ((( ( 同様いくらか寸足らずに 裁 た たれていたので、勇士殿を宮廷から遠 退 の ける計略は見つからなかった。そこでとどの つまり衆議一決、打ち揃って王の御前にまかり出で、長のおいとまを頂戴したい、と申し上げよう、ということにな り、これを実行した。 善良な王は、忠義な臣下たちがたった一人の男のせいで自分を見限ろうとしているのを知り、いまだかつて味わっ
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 たことのない悲しみに沈み、あんな勇士なんぞに会わなければよかった、と考えた。さはさりながら解雇するのも躊 躇された。あの男のために全臣民もろともやっつけられ、そのあと自分の王国があの暴れ 武 む 者 しゃ に乗っ取られるんじゃ ないか、と心配だったから。そこで、何もかもうまく片付け、上上の首尾に漕ぎつけるにはどうすればよいか、この 難 問 の 解 決 を 模 索、 と う と う あ る 企 み を 考 え 出 し、 こ れ を 使 え ば、 あ の 戦 人( だ れ も 仕 立 屋 だ と は 思 っ て い な か っ た)を厄介払いしてしまえるだろう、と思い込んだ。即座に勇士を召し出して、こう語ったしだい。余(王)は、貴 公(仕立屋) ほ ど勇猛果敢な 武 もののふ 士 は決してこの世にはおらん、と思う。さて、近くの森に巨 人 ((( ( が二人棲みついていて、 余の領内で略奪、殺人、放火といったげにも由由しき凶行を働いて廻り、武器その他いかなる手段を用いても打ち勝 つことができぬ。というのは巨人どもを殺そうと余がどう画策しても、やつらは全てぶち壊してしまうからだ。やつ らを本当に退治してくれれば、余は姫を妻として与え、王国の半ばをその婚資として提供するであろう。また、巨人 征伐のため騎士を百人助勢として添えるつもりである、と。 こう王に告げられた小男の仕立屋はすっかり好い気分になり、王様のお婿さんになって、王国の半分を持参金とし て戴くのは、悪くないな、と考えた。そこで勢い込んでいわく。いともお恵み深き国王陛下に喜んでお仕え申し上げ、 巨人どもを始末してご覧にいれまする、百人の騎士の加勢などなくてもがな、やつらを殺すすべは心得ておりまする、 と。それからその森とやらへ出掛けて行き、要らない、と言ったのに王に命じられて致し方なく 随 つ いて来た百人の騎 士には森の外で待機しているように命じ、自分は茂みに入った。そしてどこかに巨人がいないかと偵察して回った。 長 い こ と 捜 索 し て か ら 漸 く 連 中 が 一 本 の 樹 の 下 で 眠 っ て い る の を 発 見。 し か も 彼 ら の 鼾 いびき と き た ら、 あ た り の 木 木 の 大枝が、嵐に見舞われているように、ゆらゆらと 撓 しな うありさまだった。 仕立屋はさして考えもせずに、急いで懐に小石をぎっしり詰め込み、巨人たちが根元に眠っている樹に 攀 よ じ登り、
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 片っぽの胸板目掛けて堅い石ころを投げ始めた。その巨人はすぐさま目を覚まし、相棒に腹を立て、なんだっておい らをひっぱたくんだ、と 詰 なじ った。もう片っぽの巨人は精一杯詫びを入れ、知らずにぶっちまったんだよ、眠っててや らかしたに違いない、と言った。で、また彼らが寝入ると、仕立屋はまた石を手に取り、違う巨人に投げつけた。こ ちらは飛び起きて仲間に腹を立て、なんだっておいらに石を投げるのか、と詰問した。言われた方は、何も知らん、 と言い張った。二人の巨人が少しばかり口喧嘩して、眠たいので再び目を閉じると、仕立屋はまたしても烈しく先 どのに石をぶつけたから、こちらはもう辛抱できず、殴りおったな、と思い込んで相棒を手ひどくぶっ 挫 くじ いた。さて、 やられた方は堪忍袋の緒がぷっつり切れたものだから、双方ぱっと立ち上がり、そこいらへんの木木を地面から引っ こ抜き──なんとも幸いなことに仕立屋が座り込んでいた樹は無事だった──、それでもってめったやたらに叩き合 い、最後には両方とも殴り殺されてしまった。 座り込んでいた樹から、二人の巨人がお互いを殴り殺したのを見届けた仕立屋は、天にも昇るような気分、いそい そと樹から降りると、巨人めいめいに剣で切りつけ、一箇所か数箇所傷を負わせると、森を出て、騎士たちのところ に行った。こちらは、巨人を発見したか、それともどこにも見当たらないか、と訊ねたもの。 「ああ」と仕立屋。 「い た、 い た、 見 つ け た。 そ れ で 二 人 と も ぶ ち 殺 し た ─ ─ あ た し が ね。 連 中 は ど こ か の 樹 の 下 に 転 が っ て る 」。 こ れ を いた騎士の面面、不思議がるもいいところ、男が独りっきりで怪我もせずにあの巨人どもを退治した、それも事もあ ろうに殴り殺しちまった、なんて話は信じられなかったし、信じたくもなかった。そこでこの奇蹟をとっくり検分し ようと自分たちも馬で森に入り、かくして仕立屋の英雄が告げた通りのものを発見した。騎士たちはなんともまあび っくり仰天、ぞくぞくする恐怖を覚え、これまでにも増していやあな気分になった。この勝利者を敵に廻したら一同 悉く殺されてしまうだろう、と思ったので。こういうしだいで彼らは都へ戻り、王に事の顛末を報告したのだった。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 さ て そ れ か ら 仕 立 屋 が 王 の 許 に 参 上、 成 し 遂 げ た 仕 事 を 直 接 ご 披 露 申 し 上 げ、 王 女 様 を 王 国 半 分 を 添 え て 頂 戴 つ か ま つ り た い、 と 言 い 出 す と、 王 は こ の 素 性 も 知 れ な い 戦 人 に し た 約 束 を ひ ど く 後 悔 し た。 何 せ、 巨 人 は 片 づ け ら れ て も う 何 も 悪 い こ と な ん ぞ で き な く な っ て い る し。 ど う す れ ば ま と も な 遣 り 方 で こ の 勇 士 と 縁 切 り で き る か、 と っ く り 思 案 し た。 息 女 を く れ て や る な ん て こ れ っ ぽ っ ち も 考 え た こ と は 無 か っ た の で あ る。 そ こ で 仕 立 屋 に 向 か っ て こ う の た も う た。 ま た 別 の 森 な の だ が、 そ こ に は 残 念 な が ら 一 ユ ニ コ ー ン 角 獣 が ((( ( 一 頭 の さ ば っ て い て、 こ れ が 余 の 魚 ((( ( や ら 臣 民 や ら に 大 層 害 を 与 え て い る。 こ い つ も ど う か 捕 ま え て 欲 し い。 そ れ が 成 就 す れ ば、 姫 を 嫁 に 遣 つか わ そ う、 と。 お 人 好 し の 仕 立 屋 さんはこれも承諾、綱を一巻き持つと、兇暴な一角獣が棲んでいる森に出掛け、付添いの者たちに、森の外で待つよ うに、と言いつけた。いわく、自分は独りで中に入り、独りで事をやり遂げたい、例の二人の巨人たちを退治する仕 事も他人の助けを借りないで独りで済ませたように、と。暫く森の中をぶらぶらしていた仕立屋は一角獣に気がつい た。角を突き出し、こちら目掛けて突進、殺そうとする。仕立て屋は身動きせず、すぐ近くに迫るまでじっと待ち受 け、間近になったとたん、最寄りの樹の後ろにさっと身をかわした。疾走していてもう向きを変えることができなか
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 った一角獣は泡を喰ってその樹にまっしぐらに進んだので、鋭い角を ほ とんど貫通せんばかりに突っ込んだ。で、角 は刺さったままびくとも動かなくなった。仕立屋は一角獣が樹にくっついてもがいているのを看て取ると、樹の後ろ から前へ出て、かねて用意の綱を一角獣の頸に絡ませ、完全に樹に縛りつけた。それから森の外に控えている狩猟の 同勢のところに行き、兇暴な一角獣に勝ったことを教えた。それから小男の仕立屋は王の御前に 伺 し 候 こう 、ご用命を無事 に果たしましてございます、と恭しく言上、王の二回に亘る約束を慎ましやかに思い出させた。そこで王は 殊 こと の 外 ほか 気銷沈、どうしたらよいものか、と途方に暮れた。仕立屋は息女を欲しがり、自分はやりたくなんぞなかったんでね。 そ こ で も う 一 つ こ の 戦 人 に 要 請 し た。 つ ま り、 三 つ 目 の 森 に 出 没 し て 何 も か も 荒 し 回 る 物 凄 い 猪 を 擒 とりこ に し て も ら たい。それが成就したら、遅滞無く姫を嫁に遣わそう、またこのたびも配下の猟師たちを全部加勢に付けよう、と。 仕立屋は、王の度重なる要請が特に嬉しかったわけではないが、同勢と一緒に森へ出向き、森林に到着すると、外 に留まっているよう指図した。猟師たちはいやもう心から喜んで満足した。なにしろ猪のやつはこれまでしばしば、 彼らの多くが帰宅するのを永遠に忘れてしまうようなもてなしぶりを発揮したからで。そこでもうこの猪を追っ掛け 回すなんてまっぴらごめんだったわけ。されば一同、仕立屋がたった独 りで危地に足を踏み入れ、自分たちを安全圏に残して行くのを真底あり がたがった。仕立屋が森に入ってさ ほ ど経たないうちに、猪は気がつい て、口に泡を吹き、牙を研ぎ澄まして襲い掛かり、ただちに地面に叩き つけようとした。そこでこちらは震え上がり、急いで逃げよう、と辺り を 見 回 し た。 運 良 く 壊 れ た 古 い 礼 拝 堂 ─ ─ 以 前 人 人 が そ こ で 贖 しょく 宥 ゆう を ( かった──がその森にあるのが目に留まり、またその近くにいたので、
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 ぴょんと跳び込んだが、扉の反対側の窓──もう 硝 ガ ラ ス 子 が 嵌 は まっていなかった──からもんどり打って抜け出した。そ の後からすぐに牝猪が続き、礼拝堂の中を家鳴り震動させた。仕立屋の方はその小さな建物をさあっと廻って、扉の 前にぱっと到着、急いでこれをばたんと閉ざし、かくして物凄い野獣をちいちゃな教会に監禁した。それから狩猟の 同勢のところに行き、自分の偉業を告げた。猟師たちはそこへ出向いて、事の次第が全くもってその通りであること を確認、びっくり仰天して都へ戻り、王にご注進申し上げた。大胆不敵な戦人がまたしても首尾良く功名手柄を挙げ た、という報せが、王様を喜ばせたか、それとも悲しがらせたか、血の巡りがそう良くなくったって、だれにも簡単 に分かるよね。だって、こうなっては仕立屋に姫君を 娶 めあ わせなくてはならなくなったし、さもなければあちらは、か くも驚嘆すべき実例を三つも示した豪勇ぶりをこちらへ振り向 けかねないからなあ。しかしながら、これは疑いも無いことだ が、この英雄が一介の仕立屋だということを、王がよくよく承 知していたら、姫を進呈するより頸をくくる方が増しだ、と思 ったことだろう。もっとも仕立屋としては、氏素性の無い── 母親から生まれたってことは確かだけれど──男に娘をやるこ とを王が気にしようがすまいが、喜ぼうが喜ぶまいが、そんな ことは大して、あるいは全然問題じゃなかった。とにかく王様 のお婿さんになるってのは自慢だったし、嬉しかった。こうい うわけで、王家側としてはあんまりめでたくはないものの、華 燭の典が挙げられて、仕立屋は王の婿殿、いや、王様にあいな
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 った。 大して時が経たないうちに若い王妃は、背の君である御前様が寝言を言うのを耳にした。それもはっきりこんな言 葉が聴き取れたのだ。 「おい、やっこ、胴着を仕上げな── 洋 ズ ボ ン 袴 を 繕 つくろ え──さっさとしやがれ──さもないとあたし ゃあ──この物差でてめえの横っ面あ引っぱたくぞ」 。若い王妃はこれになんとも合点が行かなかったが、そのうち、 旦那様は仕立屋なのじゃないかしら、と気づき、このことをお父様の王に打ち明けた。話を聞いて王の胸は張り裂け んばかり。一人娘を仕立屋 風 ふ 情 ぜい に連れ添わせておかなきゃならないとはなんたることだ、とね。で、できるだけ姫を 慰め、こう言った。次の夜は寝室の扉を開けておきなさい。戸口に家来を何人か控えさせる。 そなたがまたもやそうした言葉を聴き取ったら、家来たちに押し入らせて、さっさと夫を始 末してもらうのだ、と。若い奥方は承知してそのように手配した。さて、こちらの王には仕 える盾持 ち ((( ( が一人いたが、これは仕立屋に忠実だった。あちらの王の不実な話を聴き、急い で若い王の許に行き、その身に宣告された、そしてこれから執行される重い判決を暴露し、 手を尽くしてお体をお守りになられますよう、と懇願した。仕立屋の王様は警告をしてくれ たことに大いに感謝、こういう事態に対してはどうすればよいか、ちゃんと心得ている、と 答えた。夜になると、若い王はお妃ともどもいつもの時刻に寝所に引き上げ、すぐに眠った ふりをした。すると奥方はこっそり起き上がり、扉を開き、それからまたひっそりと横にな った。暫くすると若い王はまたまた寝言を言い始めた。ただし、部屋の外にいる連中によく 聞 こ え る よ う に は っ き り し た 声 で。 「 お い、 や っ こ、 洋 ズ ボ ン 袴 を 仕 上 げ な ─ ─ 継 ぎ を 当 て ろ ─ 胴着によ、さもなきゃあたしゃあこの物差でてめえの横っ面あ引っぱたくぞ。あたしゃあな
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 ──一打ちで七つ──叩き潰したんだ──二人の巨人を──ぶち殺したんだ──一角獣をとっ捕まえた──牝猪も 捉 とら まえた──そのあたしが怖がるってのか──この部屋の外にいる連中なんぞをよ」 。 部屋の前でこんな 科 せ り ふ 白 を聴かされた男たちは、千匹もの悪魔に追っ掛けられているかのように逃げ出す ほ か致し方 なく、仕立屋に打って掛かろうなんてのは一人もいなかった。そういう次第で勇敢な小男の仕立屋はそれからずうっ と生涯の間、そうして世を終わるまで王様のままでおりましたとさ。
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号
二
七人のシュヴァーベン男の
昔
メルヒェン話
原題Das Märchen von den sieben Schwaben.
KHM
一一九「シュヴァーベン七人男」
Die sieben Schwaben
に相当するため訳出せず。
三
肝臓を食べちまったシュヴァーベン男の話
原題Vom Schwaben, der das Leberlein gefressen.
KHM 八一「のんきぼうず(戦友ルスティヒ) 」 Bruder Lustig に相当するため訳出せず。
四
泥棒の親方の認定試験
原題Die Probestücke des Meisterdiebs.
KHM 九二「泥棒の名人(泥棒の 親 マイスター 方 )」 Der Meisterdieb に相当するため訳出せず。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題
五
魔法に掛けられたお姫様
昔 む か し 貧 し い 手 職 人 が お っ た。 倅 せがれ が 二 人 い て、 一 人 は 善 い 子 で 名 前 は ハ ン ス、 も う 一 人 は 悪 い 子 で、 こ れ は ヘ ルメリヒと言った。けれど世の中はえてしてそういうもんだが、お 父 と っつあんは善い方より悪い方をずっと可愛がっ た。 さて、ある時いつもより 諸 しょしき 色 の値が高い歳があって、親方の財布はすっからかんになっちまった。そこで考えた。 やれやれ、暮らしは立てなくっちゃなあ。お 顧 と く い 客 さんがこっちへ来てくれないんなら、あっちに足を運ぶのが礼儀っ てもんさな、と。思い立ったが吉日。朝早く出掛けて行って、立派なお屋敷の扉をいくつも叩いた。ところが、とっ ても立派な旦那衆がとっても払いがいいわけじゃない、というしだいで、だれも勘定を済ます気がない。そこで手職 人はへとへとになって夕刻在所に戻り、しょんぼり独りっきりで居酒屋の戸口の外に腰を下ろした。なにせ、常連客 とおしゃべりする気分にはなれなかったし、女房のがっかり顔を眺めるのもあまりぞっとしなかったのでね。ところ が物思いに沈んで座っていたものの、店の中で交わされている会話を聞かずじまいにはできなかった。ちょうど都か ら着いたばかりの 余 よ 所 そ 者 もの がこんな話をしていたのである。綺麗な王女様がある 邪 よこしま な魔法使いの 虜 と り こ 囚 にされていて、 魔法使いの出す三つの問題をだれかが解かなければ、生涯地下牢にいなくてはならない。でもそういう男が現れれば、 姫君も、それから姫君のすばらしいお城も宝物ごと頂戴できるのだ、と。親方は最初のうちこそ上の空で聞いていた が、 そ れ か ら 片 耳 を 貸 し、 果 て は 両 の 耳 を ぴ ん と お っ 立 て て 傾 聴 し た。 て の も、 わ し の 倅 せがれ の ヘ ル メ リ ヒ は、 や っ て みろ、と言われたら、牡羊の髯だって 剃 そ れる ほ ど利口者、賭けてもいいが、やつならその問題を解いて、綺麗なお姫 様のご亭主に納まり、国と民草の殿様になるだろう、だってお姫様のお父上の王様がそうお 布 ふ れ 告 を出したんだからな、
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 と考えたので。──すたこら家に帰った親方は、新しい話で頭が一杯、売り 掛け代金やお顧客のことは忘れてしまい、急いでおかみさんに打ち明けた。 そうして翌朝にはもうヘルメリヒに、この壮行のために馬と武具を用意して やろう、と言ったもの。ヘルメリヒの旅立ちはなんともかんとも早かった。 別れを告げながら彼は両親に向かって、六頭立ての馬車でとんまの弟ともど も ((( ( すぐに引き取りに来るからね、と約束した。もう王様になったような気分 だったんで。さて、大はしゃぎで進みながら、道で出くわすありとあらゆる ものにひどいことのし放題。枝に留まって自分たちには分かる唄で天にまし ます神様を誉め讃えている鳥たちを鞭を振るって木から追い散らす。行き逢 う動物でこいつに悪ふざけを仕掛けられないのはいない。まず出合ったのは 一つの蟻塚。これを馬で踏み潰す。怒った蟻たちは馬とそれから人間自身の 体にも這い上がり、人馬双方を噛んだけれど、どれもこれも叩き潰し、押し 潰す。それから清らかな池にやって来ると、そこでは十二羽の鴨が泳いでい た。ヘルメリヒは鴨を岸辺におびき寄せ、そのうち十一羽を殺した。十二番 目だけは逃げた。最後に見つけたのは蜜蜂の巣。すると蜜蜂たちにも蟻と同 じことをやらかしたもんだ。こんな具合に、罪の無い生き物を何かの役に立 てるのではなく、ただただいたずら心から苛めてめちゃめちゃにしちまうっ てのが、お気に入りのお楽しみだったわけ。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 日暮れ時、王女様が魔法に掛けられている壮麗なお城に到着すると、ヘルメリヒは閉ざされている扉を乱暴に叩い た。しいんと静まりかえっている。騎手はますます激しくどんどんやる。やっとこさ上げ下げ 窓 ((( ( が開き、 蜘 く も 蛛 の巣色 の ((( ( 顔 を し た 歳 を 喰 っ た お っ か あ ど ん が 外 を 覗 い て、 一 体 何 の 用 だ ね、 と 不 機 嫌 に 訊 い た。 「 お 姫 様 を 救 い 出 す ん だ 」 とヘルメリヒがどなる。 「さっさと開けろ」 。「急がば回れさ、お若いの」と婆さんが言う。 「あしたって日もあるによ。 九時にここに来な」 。そうして引き戸を閉めたもの。 翌朝九時、ヘルメリヒがまた姿を現すと、おっかあどんは 亜 あ 麻 ま 仁 に が ((( ( ぎっしり入った小樽を用意して待ち構えていて、 これを派手にぶちまけた。 「種を拾い集めるがええ」と騎手に言いつける。 「一時間したら戻って来るだで。それまで に 仕 事 を 終 わ っ と か な く ち ゃ い け ね え だ 」。 ─ ─ け れ ど も ヘ ル メ リ ヒ は、 こ り ゃ あ 愚 に も つ か な い 冗 談 だ、 こ ん な こ とのためにしゃがみこむのは引き合わないや、と考え、その間ぶらつきに出掛けた。そこで婆様が戻って来た時、樽 は 相 変 わ ら ず 空 っ ぽ だ っ た。 婆 様 い わ く「 こ り ゃ よ か な い 」。 次 に 懐から十二本の黄金の鍵を取り出すと、深くてよどんだ城の池に一 つ一つ投げ込んだ。 「鍵を拾い上げるがええ」と婆様。 「一時間した ら ま た 来 る だ で。 そ れ ま で に 仕 事 を 終 わ っ と か な く ち ゃ い け ね え だ」 。──婆様は、戻って来ても難題が片付いていないものだから、 ま た し て も 叫 ん だ。 「 こ り ゃ よ か な い、 こ り ゃ よ か な い 」 っ て ね。 それでもヘルメリヒの手を取ると、階段を上って城の大広間に連れ て 行 っ た。 そ こ に は 女 性 の 姿 が 三 体 座 っ て い た が、 ど れ も 分 厚 い 面 ヴェール 紗 を被っていた。 「選びな、お若いの」と婆様。 「だが、ちゃんと
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 選 ぶ よ う に 気 を 付 け る だ あ よ。 一 時 間 し た ら 戻 っ て 来 る だ で 」。 ヘ ル メ リ ヒ は 相 手 が 戻 っ て 来 て も、 い な く な る 前 り利口になっていたわけじゃなかった。でも行き当たりばったりで意気揚揚とこう叫んだ。 「右手のを選ぶぞ」 。── すると三体はどれも 面 ヴェール 紗 を上げた。真ん中に座っているのは世にも愛らしいお姫様だったが、右と左はおっかない二 頭の龍で、右手の龍はヘルメリヒを鉤爪で引っ摑むと、窓越しに奈落の底へ投げ込んだ。 ヘルメリヒが王女様を救いに出掛けてから一年経ったが、両親の許には相変わらず六頭立ての馬車は来なかった。 「ああ」とお 父 とっ つぁんが嘆いた。 「うちの飛び切り上等の 倅 せがれ の代わりにぶきっちょなハンスが出掛けていりゃあなあ。 そ し た ら こ の 不 幸 せ も い く ら か 増 し だ っ た ろ う が 」。 「 お 父 つ ぁ ん 」 と ハ ン ス が 言 っ た。 「 お い ら を 行 か せ て お く れ。 お い ら も 試 し て み る 」。 で も 父 親 は 気 が 進 ま な か っ た。 だ っ て ね、 利 口 者 が 失 敗 し た こ と を ぶ き っ ち ょ な の が や り げられっこないもんな。父親が馬も武具もくれなかったので、ハンスはこっそり出発、兄が馬で旅したのと同じ道を 三日掛けててくてく歩いて行った。でも怖くはなかった。そして毎夜、柔らかな苔の上、緑の枝枝の下で、両親の家 の屋根の下でと同様、安らかに眠った。森の鳥たちは彼を恐れ憚らず、寝ている彼にこの上なく素晴らしい唄を歌っ て聞かせてくれた。例の蟻たちのところに来ると、この連中は新しい住まいを作り上げようと一所懸命だった。彼は 邪魔などせず、手伝ってやろうとした。ちいちゃいのが体に這い上がって来ると、噛んだりしても、殺さないでつま み取った。彼も鴨たちを岸辺に誘ったが、これはパン屑を餌にやるためだった。蜜蜂たちには路傍で摘んだ新鮮な花 を投げてやった。こうしてハンスはいそいそと王宮にやって来て、慎ましやかに引き戸を叩いた。すぐさま扉が開い て、婆様が要件を訊ねた。答えて「こんなおいらでよかったら、綺麗なお姫様を救い出せるかどうかおいらも試して み た い ん で す が 」。 「 試 し て み り ゃ え え だ、 お 若 い の 」 と 婆 様。 「 だ け ん ど な あ、 三 つ の 問 題 を こ な せ な か っ た ら、 にかかわるだに」 。「さあ、おっかさん」とハンスが言う。 「何をすればいいのか言ってください」 。すると婆様はあの
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 亜麻仁の難題を出した。ハンスはしゃがんでせっせと拾った が、四十五分過ぎても樽は半分も一杯にならなかった。そこ でハンスは気が挫けそうになった。ところが突然黒い蟻たち がうんとこさ出て来て、ものの数分で地面には一粒も残らな か っ た。 婆 様 は 戻 る な り、 「 こ り ゃ え え 」 と の た ま っ て、 例 の十二の鍵を池に投げ込み、一時間で 掬 すく い上げるよう言いつ けた。しかしハンスは池から一本の鍵も拾い出せなかった。 どんなに深く潜っても、底まで行き着けなかったのだ。がっ かりして岸辺に座り込むと、あの十二羽の鴨が泳ぎ寄った。 どれもが 嘴 くちばし に黄金の鍵を一本づつくわえていて、それを濡 れた草の中に落としてくれた。こうして難題は解決したわけ。 で、戻って来た婆様は今度はハンスを広間に案内した。そこ では三番目の、一番難しい問題が待ち構えていた。ハンスは 三体の同じ 面 ヴェール 紗 姿を眺めて気落ちした。ここで自分を助けて くれるのはいなさそうだったからね。そこへ開いた窓から蜂 の一群が飛んで来て、広間をぐるりと回ると、 面 ヴェール 紗 を被った 三体の口の周りでぶんぶんいった。でも、右のと左のからは すぐさま飛び退いた。だって、龍ってのは食べ物にしている
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 瀝 ピ ッ チ 青 と 硫 黄 ((( ( の 臭 い が ぷ ん ぷ ん し て る で し ょ。 蜂 は 皆 真 ん 中 の 姿 を 取 り 巻 て、 低 く ぶ ん ぶ ん わ ん わ ん「 真 ん 中 の、 真 ん 中 の 」 と 唸 っ た の。 な ぜ っ お 姫 様 が お 好 き で 召 し 上 が る 蜂 自 身 の 蜜 の 良 い 香 り が 薫 っ た か ら。 そ う、 そ う い う わ け で、 婆 様 が 一 時 間 後 に 戻 っ て 来 る と、 ハ ン ス は 落 ち 着 き 払 て、 「 お い ら、 真 ん 中 の を 選 び ま す 」 っ て 言 っ た の さ。 そ こ で 邪 悪 な 龍 も は 窓 か ら 外 へ 出 て 行 き、 綺 麗 な 王 女 様 は と い う と、 面 ヴ ェ ー ル 紗 を か な ぐ り 捨 救 わ れ た こ と と 綺 麗 な お 婿 さ ん を も ら っ た こ と を 嬉 し が っ た。 そ し て ハ ス は お 姫 様 の 父 君 に 大 至 急 の 使 者 を、 自 分 の 両 親 に は 六 頭 の 馬 が 牽 く 黄 の 馬 車 を 遣 わ し た。 そ う し て 皆 華 や か に 楽 し い 暮 ら し を 送 り ま し た よ。 し死んではいないなら、今でも生きてることでしょう。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題
六
悪魔がおっ
放
ぱなされた、あるいは、悪魔が
火
ブラントヴァイン酒
を発
明
した話
昔むかし二人の領主が領境争いをやっとった。どっち側にも権利を主張する証人たちがおった。その中の二人は悪 魔から黒魔術を教えてもらい、その代わり証文に署名して悪魔に魂を売り渡していた。 この両人、ある時めいめい、自分たちが言い張っている通りのまやかしの 境 さ か い の し る し 界標石 を据えようと思い、黒魔術で石 が も う 何 年 も 何 年 も 前 か ら 立 っ て い た み た い に 見 え る よ う 細 工 す る こ と に し た。 そ こ で ど ち ら も 火 ひ 男 おとこ の ((( ( 姿 に な り、 丘の上へと出掛けたもんだ。で、片っぽが着いてみると、もう片っぽも来ていた。でもどちらも相手が同じことを考 えているなんてお互い知らなかった。 片っぽがもう片っぽに訊いた。 「おぬし、何をしとる」 。 「なんだってそんなことを訊く。おぬしこそ何をしようってのか、先に言うがいい」 。 「境界標石を据えようというのさ。そして領地 境 ざかい の線を引くのだ。本来そうなくっちゃならんようにな」 。 「そいつはもうわしがやった。境界標石はこう立っておる。そこで領地境の線はこう走っとる」 。 「 そ り ゃ 間 違 い。 領 地 境 の 線 は こ う い う 風 に 走 っ と る の だ。 わ し の ご 主 人 は、 わ し が 正 し い、 譲 る ん じ ゃ な い、 と おっしゃるわさ」 。 「おぬしのご主人てな、一体だれだ。さぞかしご立派な だ ム シ ェ ー なさん だ ((( ( ろうて」 。 「悪魔だよ、わしのご主人は。これで頭を下げる気になったか」 。 「そりゃ嘘だ。そりゃわしのご主人のこと。わしのご主人は、わしが正しい、譲るんじゃない、とおっしゃるわさ。 さっさと失せろ、さもなきゃおぬし、まずいことになるぞ」 。武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 そこで二人は喧嘩になり、とどのつまり片っぽの火男がもう片っぽの横っ面をぶん殴ったので、そちらの頭が吹っ 飛 ん で、 山 の て っ ぺ ん か ら 下 ま で こ ろ こ ろ 落 ち た。 そ こ で 頭 の 無 い 火 男 は 自 分 の 火 ひ 頭 あたま の 後 を 走 っ て 追 い か け、 頭 とっ摑まえて、元通りに乗っけようとした。でもどうしても追いつけず、とうとう麓の掘割まで転がり込んだ。 さて片っぽがもう片っぽの横っ面をぶん殴り、そちらが自分の頭を追って走って行くと、突然三人目の火男が出現、 山の上にいる方に「おまえ、何をやらかした」と訊いた。 「 そ れ が あ ん た に 関 わ り が あ る の か よ。 そ れ に わ し に ど う し て 命 令 な ん ぞ。 と っ と と 消 え て な く な れ。 さ も な き さっきのやつと同じ目に遭わせてくれるわ」 。 「 こ の す っ と こ ど っ こ い。 お ま え は お れ さ ま に も う 頭 を 下 げ な い の か。 お れ さ ま が お ま え の ご 主 人 の 悪 魔 だ っ て とが分からないのか」 。 「 あ ん た が そ の 十 倍 も 悪 魔 だ ろ う と、 わ し ゃ 全 然 ど う っ て こ た あ な い。 な ん な ら わ し の 体 を ち ゃ ん と 綺 麗 に 払 っ くれてもいいな」 。 「お情けにそうしてやるが、このことは生涯忘れるなよ」 。 そして悪魔はやり始めて、男を綺麗に払ってやったので、火の塵が山の背一面に飛び散った。 でもこうやって綺麗にしてもらった我が火男はうまいこと隙を見つけて悪魔にぐいと手を伸ばし、頸根っこを摑ん で、身動きできなくすると、こう言った。 「 さ あ て、 こ れ で あ ん た は わ し の 思 う が ま ま だ。 人 間 様 の 手 に 落 ち た っ て こ と を 肝 に 銘 じ さ せ て や る わ。 あ ん た これまでずうっと哀れな連中の頸を 捻 ひね って来たが、今度は頸を捻られるってことがどんなものか、自分でも味わって みるこった」 。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 そこでやり始めて、悪魔の頸を捻ろうとした。悪魔は火男が本気なのを見て取ると、平謝りして、どうか逃がして くれ、頸を捻らないでくれ、やって欲しいことがあるなら何でもするつもりだ、とすこぶる甘い言葉を並べ立てた。 そこで男は悪魔に言った。 「そう憐れっぽく頼むなら、まあ逃がしてやろうわさ。だが、その前に、わしが署名した、 あんたにわしの魂を売り渡すっちゅう証文を返してくれなくちゃいかん。それから、もうわしと関わりを持たん、今 後ずうっと人間に魂売り渡しの契約をまたとさせない、と約束しなけりゃならん、いや、あんたの 祖 ば あ 母 様に 懸 か け て ((( ( そ いつを誓ってもらわなくてはな」 。 悪魔としては、 否 いやおう 応 なく窮地に 嵌 は まり込んでしまったわけ。自由にしてもらいたかったし、頸を捩じられたくなか ったから、酸っぱい 林 りん 檎 ご にかぶりつかざる[いやなこともやらざる]をえなかった。そこで証文を返却、もう男と関 わりを持たない、今後ずうっと人間に魂売り渡しの契約をまたとさせない、と約束し、自分の祖母様に懸けて誓いを 立てた。悪魔がこうしたことを全て済ますと、男は彼を放してやった。 さて、悪魔はまた自由になると、二度と不意打ちを喰わされないようにぴょんと飛び退き、仁王立ちになると、こ う 言 っ た。 「 さ あ て、 こ れ で お れ さ ま は ま た 自 由 に な っ た。 こ ん ち く し ょ う め が。 確 か に お れ さ ま は お ま え に 証 文 を 返してやったし、もうおまえと関わりを持たない、と約束もし、誓いもしたが、また自由になっても、おまえの頸を 捻ろうとはしないとは約束した覚えはないぞ。そこでこの場でたった今おまえをくたばらせてやる。おまえがおれさ まに咽喉をごろごろ言わせて、この頸を捻ろうとした礼にな」 。 こう言うなり悪魔は男に飛び掛っておだぶつにしてやろうとしたが、男はさっと身をかわし、森の中へ逃げ込んだ。 悪魔はどこまでも追っかけた。結局振り切れないと悟ったところで、男は古い 橅 ぶな の樹の許に来た。これは中が 空 う つ ろ 洞 で 下に穴が一つ開いていた。そこで男は急いで中に這いずり込んで、悪魔から体を隠そうとした。けれどもそっくりは
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 入り込めず、まだ爪先が外へ突き出していた。そして身体がすっかり燃えていたものだから、足指は夜の闇に赤赤と 輝いていた。そこで悪魔は男がどこに隠れたのか気がついて近寄り、爪先をとっつかまえようとした。しかし、悪魔 がそろりそろりと探り足でやって来て、手を伸ばし、自分を捉えようとするのを、樹の中で聴き耳を立てていた方は、 完全に体を引き入れて、更に樹の中を上へと昇り始めた。そこで悪魔も這いずり込んだ。男がどんどん樹の 洞 うろ を上に 昇れば、悪魔もどんどん後を追う。とどのつまり、この樹はてっぺんに大きな穴があったので、男はここまで辿り着 き、 そ こ か ら 外 に 這 い 出 し た。 外 に 出 る な り 男 は、 自 分 が 抜 け 出 し た 穴 に 何 か で 楔 くさび を 打 ち 込 み、 す ば し こ く 下 へ りて、根元の穴にも楔をかった。それも黒魔術でしっかり仕上げたので、悪魔自身も、悪魔の祖母様も、地獄が総掛 かりになっても開けられなかった。それから男は好きなところへ行ってしまった。 てなわけで、悪魔は橅の古木に閉じ込められたまんま、出て来ることができなんだ。どうあがいても無駄なこと。 ずうっと中に閉じ込められていなけりゃならなんだ。で、こうやって長い間閉じ込められていた。その頃は、人人が 例の山越しの道を辿るたびしばしば、 己 おの が住まいにされた橅の樹の中で悪魔が、へえへえへえ、ぐうぐうぐう、と啼 いたり 呻 うめ いたりするのを耳にしたもの。けれどもとうとうここで伐採が行われることになり、この橅が伐り倒された。 そこで悪魔はやっとさまた外へ出て、自由の身に戻ったわけ。こうして再び解放されると、まっしぐらに古巣の地獄 へ戻り、どうなってるか検分しようとした。でも地獄は平日の教会みたいにすっからかんの空っぽで、魂の声も聞こ えないし、影も形も見えはせぬ。悪魔がいなくなって、二度と姿を現すことなく、どこへ行ってしまったのかだれに も分からなかったあの時以来、たった一つの魂さえもはや地獄に 堕 お ちなかったのだ。それに悪魔の祖母様は気落ちし たせいで死んでしまい、祖母様が亡くなると、その頃地獄にいた哀れな魂たちは皆仕度を調えて出発、連れ立って全 員天国に入ったのである。そういう次第で悪魔は地獄の中で天涯孤独・独りぼっち・孤影悄然てなありさ ま ((( ( 、どうや
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題 ってこれからまた魂を手に入れたものやら、しょんぼり途方 に暮れた。だってもうやってはならなかったのだからね。あ の時祖母様に懸けて、もう人間と魂の売り渡し契約をしない、 って誓ったんだし、だからといってその頃は他の遣り方じゃ あ人間を地獄に来させることはできなかったんで。とぼんと 突っ立って心労は果てしなく、懊悩苦悩のあまり頭から二本 の角を引っこ抜きたいくらいだった。──と、突然あること を思いついた。 あの橅の古木に閉じ込められて外へ出ることができないで いると、時間はなんとも長いもの。そこで悪魔はあらゆるこ とにとっくり思案を凝らし、 火 ブラントヴァイン 酒 を ((( ( 案出、発明したのさ。 そのことを悲嘆の真っ最中にどんぴしゃり思い出し、こいつ はまたまた哀れな魂どもを地獄に来させる手管になるに違い ない、と考えた。 そこで彼はすぐさま仕度を調えて出発、地獄はうっちゃら かしておいて、ノルトハウゼ ン ((( ( 目指してえっさらさ、 火 シュナップス 酒 醸造屋になり、以降ずうっと 火 ブラントヴァイン 酒 を製造、これを世間に 送 り 出 し た。 そ れ か ら ノ ル ト ハ ウ ゼ ン の 町 の 衆 一 同 に、
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 火 シュナップス 酒 の作り方を教え、彼らがこれを習得して 火 ブラントヴァイン 酒 を醸造すれば、どっさり金が 儲 もう かる、 と約束した。ノルトハウゼンの市民たちはこの申し出を二度まで言わせず、全員 火 シュナップス 酒 醸造 屋になり、 火 ブラントヴァイン 酒 を拵えて、世間に送り込んだ。今日に至るまでノルトハウゼンでは極め て多量の 火 ブラントヴァイン 酒 が生産されており、こんなところは世界中他にどこにもないが、この時が その 濫 はじまり 觴 なのである。 ともあれ、悪魔が考えた通りにあいなった。人間どもがまずちょっぴり 火 ブラントヴァイン 酒 をきこし めすと、 罵 ば り 詈 雑 ぞうごん 言 やら誓言やらをがなり出す。で、おいらの魂なんぞ悪魔にくれてやらあ、 てな罵りや誓 い ((( ( だもんだから、連中が死んでしまうと、悪魔が彼らを頂戴いたすわけ。そし て悪魔はこれまでは、哀れな魂を手に入れようと思ったら、こいつらに仕えなきゃならなか ったのだが、そうしなくってよくなった。かてて加えて、人間どもが頭をたっぷり 火 ブラントヴァイン 酒 漬けにすると、決まって喧嘩を始め、殴り合いになり、自分で自分の頸をおっぺしょるので、 悪魔は更に苦労知らずで、彼らの頸を捻る必要がなくなった。以前悪魔は毎週一回哀れな魂 を一つ地獄に迎え入れることができる程度だったけど、こうなると毎日うようよぞろぞろ、 わんさかわいわいやって来るので、一年と経たないうちに地獄は満杯になり、悪魔は魂ども を収容しきれず、まるまるもう一階分建て増しをしなければならなくなった。 で、まあ、手っ取り早く申し上げれば、あの折悪魔が橅の古木からまたおっ放されてからこのかた、 火 ブラントヴァイン 酒 なる ものが出現したわけで、 火 ブラントヴァイン 酒 が世にあるようになってこのかた、いよいよもって文字通りこう言えるようになっ たしだい。 「悪魔がおっ放された」 [さあ、ことだ ] ((( ( ってね。
ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編著『ドイツ昔話集』(一八五七)試訳(その一) 鈴木滿訳・注・解題
七
ユーターボックの鍛冶屋
小 さ な 町 の ユ ー タ ー ボ ッ ク ((( ( に 昔 む か し の そ の 昔 一 人 の 鍛 冶 屋 が 住 ん で い た。 こ の 男 に つ い て は 不 思 議 な お 話 が あ っ て、 子 ど も た ち も お 年 寄 り も 物 語 る。 鍛 冶 屋 さ ん、 初 め は う ら 若 い 青 年 で、 父 親 は と て も 厳 し か っ た。 で も、 こ の 御 仁、 神 様 の 十 戒 を ち ゃ ん と 守 っ と っ た。 長 旅 を 何 べ ん も や っ て の け、 冒 険 も た く さ ん 体 験、 そ れ と と も に 途 方 も な く 腕 を 磨 き、 技 わ ざ 倆 を 練 り 上 げ た。 あ る 種 の 鋼 鉄 塗 料 を 持 っ て い た が、 こ い つ は そ れ を 塗 る と ど ん な 武 器 で も 甲 冑 を 貫 け な く な る 代 物。 そ こ で 皇 帝 フ リ ー ド リ ヒ 二 世 ((( ( の 軍 勢 に 加 わ り、 皇 帝 専 属 の 武 具 師 に な り、 ミ ラ ノ ((( ( と プ リ ア ((( ( へ の 遠 征 に も 随 行 し た。 そ の 地 で 都 市 同 盟 軍 の 本 営 用 輜 し 重 ちょう 車 しゃ を ((( ( 略 奪、 皇 帝 が 崩 御 す る と、 金 銀 財 宝 を た っ ぷ り 携 え て や っ と こ さ 故 郷 に 戻 っ て 来 た。 順 風 満 帆 の 暮 ら し を 送 っ た が、 そ れ か ら ま た ど う に も 風 向 き が 悪 く な っ て、 百 歳 を 越 し た。 あ る 日、 自 分 の 家 の 庭 の 梨 の 古 木 の 下 に 座 っ て い る と、 こ れ ま で に も 何 度 か 鍛 冶 屋 の 守 護 霊 で あ る こ と を は っ き り 示 し て く れ た 白 髪 の 小 男 が 驢 馬 に ま た が っ て や っ て 来 た。 こ の お ひ と は 鍛 冶
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 4 号 屋 の 家 に 泊 ま り、 驢 馬 に 蹄 鉄 を 打 っ て も ら っ た。 鍛 冶 屋 料 金 な ん ぞ 請 求 せ ず、 喜 ん で そ う し た。 す る と 小 男 は ペ タ ー ((( ( に 向 か い、 願 い ご と を 三 つ す る が い い、 で も、 肝 心 こ と を 忘 れ て は い け な い、 と 言 っ た。 そ こ で 鍛 冶 屋 は、 棒 ど も に よ く 梨 の 実 を 盗 ま れ た の で、 梨 の 木 に 登 っ た 者 彼 が、 そ う し ろ、 と 言 う ま で 木 か ら 下 り ら れ な い よ う に、 と 願 っ た。 ─ ─ そ れ か ら、 こ れ ま た た び た び 部 屋 の 中 で 難 に 遭 っ た も の だ か ら、 彼 の 許 し な し に は だ れ も 部 屋 に れ な い よ う に、 鍵 穴 か ら な ら い ざ 知 ら ず、 と 願 っ た。 こ し た ば か げ た 願 い ご と の つ ど、 小 男 は「 肝 心 な こ と を 忘 るんじゃないよ」と警告した。三番目の願いごとになると、鍛冶屋のいわく「肝心なことってのは上等の 火 シュナップス 酒 さね。 こ の 壜 びん が 決 し て 空 っ ぽ に な り ま せ ん よ う に 」。 ─ ─「 そ な た の 願 い は 聞 き 届 け ら れ た 」 と 小 男 は 言 っ た。 そ れ か ら らに仕事場に転がっていた何本かの鉄の棒を撫で、驢馬にまたがって立ち去った。その鉄はぴかぴか光る白銀に変わ った。これまで貧乏だった鍛冶屋はまた金持ちになり、ずうっとずうっと達者で暮らした。てのは、決して尽きるこ とのない壜の中の食欲増進剤は、ついぞ気が付かなかったが、不老長寿の霊薬だったのさ。とうとう死が扉を叩いた。 どうやら長いこと親方のことを忘れちまっていたらしい。鍛冶屋はうわべは喜んで死と一緒に旅立つふりをしたけれ ども、ちょいとさっぱりしたものを差し上げたい、あの木から梨の実を二つ三つ採ってください、自分はもう寄る年 波もいいとこなんで登ることができないから、と頼んだ。死が木の上に登ると、鍛冶屋は「上にずっとおれ」と唱え