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Clay pp. MacCauley. ) Clay MacCauley Meiji era Data on T ky dialect from Clay MacCauley s An Introductory Course in Japanese. Clay MacCauley s An Intr

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要 旨

本稿は、まず Clay MacCauley s An Introductory Course in Japanese.(明治 29 年刊)の日本語研究について、指示詞の意味機能を一人称、二人称、三人称と の相関関係によって捉えたことは、日本人としてほぼ同じ時期に同じ認識に達し た草野清民著『草野氏日本文法』(明治 27 年稿、明治 34 年刊)と同じく特筆され るべきであることを論じた。そして、本書第三部の会話テキストを明治中期の東 京語資料として、先行する日本語教科書、同時代の文学作品との比較を通じて、(一) 人称代名詞、(二)否定過去の表現、(三)当為表現、(四)副詞、(五)補助動詞「∼ てある」、「∼てをる」と「∼ている」、(六)敬語、(七)接続詞、(八)終助詞的 な「コト」の用法、(九)テキストの文体、(十)会話テキストにおける欧文脈の 語法、などの点において、明治中期の丁寧な東京語話し言葉として充分な質と量 を有するものであることを論じた。 キーワード 日本語 日本語教科書 近代語 東京語 外国人宣教師 1 はじめに 江戸時代の初めや幕末の外国人宣教師による日本語研究の成果が今日なお日本語学 史と日本語史の一級資料たる価値を失っていないように、一部ヨーロッパ文法学の桎 梏をいまだ免れない譏りはあるものの、明治時代の外国人による外国人のための日本 語文法のなかには、今日の日本語学の先駆的な成果として評価に値するものが多い。 もちろん時代が降るにつれてその資料価値が下がるが、日本語史の資料として注目す べきものも少なくない。本稿は、Clay MacCauley, A. M. 著 An Introductory Course in Japanese. (明治 29 年刊)について、その日本語研究の優れた成果の一端を示すと ともに、収録の会話テキストを明治時代の東京語資料として、時代を前後にする日本 語教科書、文法書や同時代の文学作品と比較し、その資料価値を明らかにしたい。

明治時代の東京語資料としての Clay MacCauley 著『日本語入門』

1

Meiji era Data on Tōkyō dialect from Clay MacCauley s

An Introductory Course in Japanese.

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2 書誌と著者 Clay MacCauley 本書は、明治 29 年の出版にかかり、時代的には決して幕末、明治初期の外国人によ る日本語教科書、日本語文法書のような稀少価値を持つものではない。しかし、明治 30 年前後の十年間は、明治時代を通じて、日本語学史においても日本語史においても、 もっとも変化が激しく、実りの多い時期である。すなわち、日本語学史においてはヨー ロッパの言語学に範をとる一連の国文法の試みがようやく成果を上げ始める頃であり、 日本語史の上では、正しく東京語の成立時期にあたるのである。日本語学史のみならず、 東京語の歴史の資料として本書が注目されるゆえんである。 著者 A. M. Clay MacCauley(クレイ・マッコーレイ、マコーリ(マコーレー)とも) については、次のような略歴が知られる2 アメリカ人の宣教師。1843 年 5 月 8 日に、ペンシルヴェイニア州チェンバースバー クに生まれる。1889 年アメリカ・ユニテリアン協会から、A. ナップ(Arthur Knapp) に次いで派遣され来日。同時に帰国した神田佐一郎と共に日本ユニテリアン協会を設 立。機関誌『ゆにてりあん』(のち『宗教』となり、さらに『六合雑誌』と合併)を創 刊して、自由キリスト教の普及宣伝に努めた。1900 年に一旦アメリカに帰国し、1909 年に再来日。Senshin Gakuin(先進学院)代表、日本アジア協会会長(1910-16)、国 際記者クラブ副会長、東京ジャーナリスト・クラブ日本平和協会会長などを歴任。 1920 年帰国、1925 年 11 月 15 日没。 以上の経歴からは、一回目の来日の初期には日本語文法書の編纂など日本語研究に も取り組んでいたが、日本滞在中は主に宗教家として活躍していた様子が窺われる。

本書は、The Syllabary: Writing and Pronunciation, Elements of Grammar, Practice in the Colloquial. の三部構成を本体とし、巻頭に General Introduction(pp.1-19)を 冠する。 General Introduction(pp.1-19)では、日本語の歴史の概説に続いて、標準語とし て一般化していく明治時代の東京語と Tudor English(チューダー王家(1485-1603) 時代の英語)との類似を説く。著者の英語史の造詣の深さと日本語史、とりわけ明治 中期の東京語への関心の高さが窺われる。 第二部の文法概説には日本語学史的に興味深い内容が多く、第三部の会話テキスト は、日本語 157 頁、和文約 73600 字、英訳 157 頁、見開き一面に和文と英訳を左右に 配する対訳式を採る。これは、明治中期の丁寧な東京語(polite social Tōkyō dialect) の話し言葉を身につけるために、48 のことわざの意味を「いろは」順に解説しながら、 外 国 人 ロ ビ ン ソ ン 氏 と 日 本 人 ミ カ タ 氏 と の 会 話 を 収 め る。 編 集 に あ た り、Iwao Hasunuma(蓮沼磐雄), Saichiro Kanda(神田佐一郎), Hisato Kikuchi(菊池寿人) の諸氏が協力したと前書きに記すところによれば、東京語の資料価値はおおむね信用 してよいと思われる。

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J. J. Hoffmann: Japanese Grammar.

W. G. Aston: Grammar of the Japanese Written Language. Rudolf Lange: Lehrbuch der Japanischen Umgangssprache. J. H. Hepburn: Japanese-English Dictionary.

B. H. Chamberlain: Handbook of Colloquial Japanese.

なかでも、B. H. Chamberlain の『日本口語文典』を多く踏まえているという(Preface: p.3)。

3 Clay MacCauley の日本語研究

日本語学史の資料としては、指示詞研究に本書の価値がもっとも顕著に現れている。 とりわけ、次のような記述が注目に値する。

125. 3. DEMONSTRATIVE PRONOUNS. The chief for pointing out, directing attention, are the pronominal nouns:

---126. a. これ kore, this one, when the object is near, or possessed by, the speaker ; それ sore, that one, when the object is near or in possession of the person spoken to.

and あれ are, that one, when the object is far away, or not in possession of the person spoken to. Also :−

127. b. こ の kono this , そ の sono that , and あ の ano that , are words used as pronominal adjectives. They are used in the same relations respectively, as, --これ kore,

それ sore and あれ are.

128. c. Besides these words, there are such derivatives as, --- こ ん な konna, this kind of , そ ん な sonna, that kind of , and あ ん な anna, that kind of , and their equivalents かう いふ ko iu, this called, さう いふ so iu, that called, , and あ あ いふ a iu, that called . (p.109)

まず、The chief for pointing out, directing attention, are the pronominal nouns の ように物を指し示したり、注意を向けさせたりするものとして、指示代名詞を定義す ること、話し手に近いか、それとも聞き手に近いかによって「これ」と「それ」、さら に両者から遠くにあるか、または聞き手の所有しないものによって「あれ」の用法を 規定するように、人称との相関関係によって指示代名詞の意味機能を捉えていること、 の二点がもっとも特筆されるべきものである。 わけても、次に引用するように、日本人による日本語文法書として初めて人称との 相関関係によって指示詞の意味機能を捉えた、草野清民『草野氏日本文法』(明治 27

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年稿、明治 34 年刊行)とほぼ同じころ、松下大三郎『日本俗語文典』(明治 34 年3 の先蹤として注目してよい。  (一)第三者ノ、聽者ヨリモ談者ニ近キニハ、「こ」「これ」ヲ用ヰル。之ヲ第一稱ト 名ヅケン。(二)第三者ノ、談者ヨリモ聽者ニ近キニハ、「そ」「それ」ヲ用ヰル。之ヲ 第二稱ト名ヅケン。(三)第三者ノ、談聽兩者ニ對スル距離同一ナル時、或ハ同一ナラ ズトモ、殆ド相似テ之ヲ區別スル必要ナキ時ニハ、「か」「かれ」「あ」「あれ」ヲ用ヰル。 之ヲ第三稱ト名ヅケン。(草野清民『草野氏日本文法』、65-66 頁)  外称[或は第三人称]の話説定代名詞とは話説の局外者、即話を話す人にも聴く人 にもあらざる事物を指す代名詞にてコイツ、ソイツ、アイツ、コレ、ソレ、アレなど の如きものなり。外称に三つあり、近称、中称、遠称といふ。  近称[或は近主称]の代名詞とは話説の主体即話をする人に近き外物を指す代名詞 にて、人を指すに、此奴、広く事物を指すにコレ、コイツ、所を指すに此所、方位を 指すにコツチ、コチラなどあり。(中略)  中称[或は近客称]の代名詞とは話説の客体即話を聴く人に近き外物を指す代名詞 にて人を指すに、其奴、広く事物を指すにソレ、ソイツ、所を指すに其所、方位を指 すにソツチ、ソチラなどあり。中称とは近くも遠くもあらざるものを指すをいふ意よ りして附したる名なれど当らず。中称は遠近の中に位するものを指すにはあらで聴話 者に近き事物をさすものなり。されば近客称といふを当れりとす。  遠称の代名詞とは話説の主体(話す人)にも客体(聴く人)にも孰へも遠き事物を さす代名詞にて、人を指すに彼奴、奴、広く事物を指すにアレ、アイツ、所を指すに 彼所、アソコ、方位を指すにアツチ、あちらなどあり。(松下大三郎『日本俗語文典』 第三版、15-16 頁) しかし、時期的には、Clay MacCauley が『草野氏日本文法』を参照しえたとは考え られないが、明治 32 年 9 月この世を去った草野清民と松下大三郎が、本書を参照した かどうかについては、いまのところ詳らかにしない。 Clay MacCauleyの指示詞研究がいかに独創的で優れているかは、本書に先行する、B. H. Chamberlain: Handbook of Colloquial Japanese. の初版(1888)及び第二版(1889)4 の以下の記述と比較すれば、いっそう明らかになる。

 The demonstrative, interrogative and indefinite pronouns, being marked by certain correspondences of sound and formation, may be best shown by means of a table. The adverbs formed from the same roots are also given there, so that the student may embrace all the kindred forms in one glance. He should note that

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Japanese, like Latin, distinguishes a nearer that(sore, Latin iste)from a further that(are, Latin ille); furthermore that, like French, distinguishes substantive forms of these pronouns from adjective forms, e.g. kore, celui-ci , but kono, ce . (1st

ed. p.44)

 The demonstrative, interrogative and indefinite pronouns, being marked by certain correspondences of sound and formation, may be best studied by means of a table which we give on the next page. The adverbs derived from the same roots are also given there, so that the leaner may embrace all the kindred forms in one glance. He should note that Japanese, like Latin, distinguishes a nearer that(sore, Latin iste)from a further that (are, Latin ille), the former being used of things not very distant and of things connected with the person spoken to, while the latter is applied to things which are distant or have relation to the person spoken of. He must note furthermore that Japanese, like French, distinguishes substantive forms of these pronouns from adjective forms, e.g. kore, celui-ci , but kono, ce . (2nd ed.

p.49)

B. H. Chamberlain: Handbook of Colloquial Japanese. の 初 版 に い う と こ ろ の、 nearer that(sore, Latin iste)と further that (are, Latin ille)は、おおむね従来 の「中称」と「遠称」の区別に等しく、第二版ではやや記述が詳しくなったものの、 本書のように「ソ系指示詞」と「ア系指示詞」を、二人称、三人称へ関連づけていない。 Clay MacCauleyの指示詞研究は、草野清民とともに特筆されるべきである。 4 明治時代の東京語資料としての会話テキスト 明治時代の東京語は、現代語のいろいろな性格を決定づける大きな地盤となってい る。これについて、田中章夫 2001 は次のように述べている。  明治 20 年ごろは、近代語の語法史の上で、特に注目される時期である。それは、幕 末あたりから現れ始めた、近代語的な諸表現が、ほぼ出そろい、それとの勢力争いに 敗れた、近世後期の江戸語的な言い回しが、急速に衰退に向かった時期に当たるから である。(田中章夫 2001:619 頁) 実際、Clay MacCauley の初来日から本書の出版までにおよそ五年の歳月を閲したこ とを考えれば、本書の会話テキストは、時代的には明治初期から中頃にかけての東京 語の資料として十分な質と量を備えているといえる。このような激しく変化していく 東京語の様子が本書にどのように記録されているのか、以下いくつかの項目に分けて

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見ていきたい5

4.1 人称代名詞

ヨーロッパの言語と違って、日本語では人称代名詞があまり用いられないことは、 現代語についてよく知られることであり、明治時代の東京語については、つとに B. H. Chamberlainによって、次のように記述されている。

 The chief thing to remember in connection with the Japanese nouns answering to our personal pronouns is the extremely rare use that is made of them. Except in cases of special emphasis or antithesis, the information concerning persons which is in European languages conveyed by means of pronouns, is left to be gathered from the context. (2nd ed. p.47)

 A Japanese will often discourse for half-an hour without using a single personal pronoun. The perpetual recurrence of watak㹧shi and anata is one of the surest signs of a clumsy foreign speaker, translates his own idiom into Japanese, instead of thinking impersonally as the Japanese do. (2nd ed. p. 48)

これに対して、同じ明治時代の東京語を対象としながら、Clay MacCauley は、次の ように、むしろ B. H. Chamberlain と異なる観察をしている。

 The third section, --- Practice in the Colloquial, ---may attract the attention of some scholars of Japanese on account of the comparatively free use in it of personal pronouns, ---that is to say, a use of them much more frequent than was characteristic of social speech in Japan in former years. But a change in this direction is noticeably taking place in the intercourse of the younger generation of the Japanese people, along with their increasing familiarity with, and use of, the languages of the West. (Preface: pp.2-3)

このように、明治時代中頃の東京語人称代名詞の多用について、Clay MacCauley が 明治の新しい世代のヨーロッパの言語の影響を受けて特に多用するようになったとし ているが、それが、本書の会話テキストがいかに上品な東京語の生きた言葉遣いと変 化の方向性に敏感であるかを示しているのだとすれば、一方の B. H. Chamberlain の 記述はむしろより伝統的な規範意識に基づいた観察をしていたのであろう。 実際、本書の会話テキストにおける人称代名詞の使用が目立っており、特に一人称 代名詞「わたくし」324 例、二人称代名詞「あなた」167 例と多く用いられる。その一

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方で、三人称の人称代名詞については、本書の文法概説に次のようなものを挙げている。

Third Person. He. あのおかた ano o kata(polite); あのひと ano hito(polite);

She. ano o kata(polite); あのをんな ano onna(familiar). あれ are(rude, for he or she )

It. それ sore. (108 頁) しかも、会話テキストに「かれ」は一例もなく、「かれら」もわずか以下の 2 例に止 まる。 せいくわつ は かれら に とりて は ばん-あく ちう の もつとも おほひなる もの で ある の です。(だい し:242 頁) この へん に は また おほく の こども ありて、 かれら に ねだりて すいちう に ぜに を なげ-いれ しめ その わづか の り の ため に、 じふ-ぐわつ にて も すひちう に とびいる もの ありし が、 それら の ため に も おほく の かね を つひやさざりき。(だい さんじふ し:424 頁) なかでも、前の 1 例だけが会話の中の用例であり、残る 1 例は書き言葉風の場面を 説明するものである。実際、Clay MacCauley が初来日した明治 25 年から本書が刊行 された明治 29 年までの数年は、明治 22 年に初めて小説『野末の菊』に三人称代名詞「か れ」、「かのじょ」、「かれら」が嵯峨の屋御室によって導入されてからはまだ間もない ころにあたり、会話の中への浸透もいまだ寥々たるものに過ぎなかったことを、この 2 例が物語っているといえる。 「かれら」の用例のほかに、本書の会話テキストに、次のような三人称の人称代名詞 として「そのにん」という語形が 2 例見られる。 6.―さう です。 それ から また さくねん の ふゆ わたくし が ききました ある わかいもの が した やう な こと を して も いけ-ません。その にん は わたくし の ともだち

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の ところ へ いやしき とくめい の てがみ を おくつた の です が ともだち の しよき は その にん の しゆせき を しつて ゐました の です。(だい じふ し:308-310 頁) この 2 例の「そのにん」は、それぞれ he と his の訳語として用いられているところ をみると、三人称の代名詞と見て間違いなさそうである。しかし、従来明治時代の三 人称の人称代名詞としてまったく記述されることなく、一時的な使用に終わった語形 かと思われる。 4.2 否定過去の表現 明治時代中頃の東京語にとって否定表現も新しい語形の成長と古い語形の交替とが 重なりあうものである。幕末に編纂された S. R. Brown: Colloquial Japanese(文久 3 年) と E. Satow の Kuaiwa Hen 会話篇6(明治 6 年)、『沖縄對話』(明治 13 年)それに本 書の会話テキストの否定過去の語形を表に示すと、「なんだ」から「ナカッタ・マセン デシタ」への交替の軌跡が明瞭に読み取れて興味深い。 表 1 の示すように、「∼マセンデシタ」と「∼ナカッタ」が語形として大きく用例を 伸ばしたのに対し、「∼マセンデゴザイマシタ」、「∼マセンダッタ」、「∼ナンダ」が衰 退していく過程が明らかになり、これらの語形の交替時期を特定する大きな手がかり となる。とりわけ、ここに挙げた四冊の文法書はいずれも日本語会話テキストという 性格において共通するものであり、文学作品に用いられる否定過去の表現形式を裏付 ける意味が大きく、特に本書は、明治時代中頃の東京語における否定表現の実態を知 るうえで、重要な資料を提供しているといえる。 一方、本書の会話テキストにまったく用いられていない「∼ナンダ」の形であるが、 本書の Section II ELEMENTS OF GRAMMAR[文法解説]の中の否定表現の表(133 頁 ) に は、「∼ ナ カ ッ タ 」 と 並 べ て 挙 げ ら れ て い る と こ ろ か ら 見 る と、Clay MacCauleyの目には、「∼ナンダ」はまだすっかり過去のものになりきっていない語 【表 1】幕末、明治初期の日本語教科書と本書における否定過去の表現 Colloquial Japanese 会話篇 沖縄對話 本書 ∼マセンデシタ 0 2 0 24 ∼マセンデゴザイマシタ 0 1 0 0 ∼マセナンダ 11 0 10 0 ∼マセンダッタ 0 1 0 0 ∼ナカッタ 4 1 0 12 ∼ナンダ 1 0 0 0

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形と映ったのであろうことが推測される。一般的には、「なんだ」は、明治時代のなか ごろから、饗庭篁村のような江戸趣味への個人的なこだわりを持つ作家を除けば、完 全に「なかった」に取って代わられてしまったというのが通説のようである(田中章 夫 2001:614 頁)が、本書を初め、文法書における記述に「なんだ」が残っている事 実を重く見れば、両者の交替は更に緩やかなものとして、明治末期、大正時代のなか ごろまで考えても良さそうである。 4.3 当為表現 明治前半期と後半期、それに続く大正期において、当為表現の語形が激しく交替が したことは、田中章夫(1967)などの研究によって明らかにされている。本書に用い られている当為表現の語形も、この過渡期の様相を如実に示している。それを表に示 すと、つぎのようになる。 表 2 に見るように、全体的に「ナイ系+ナル系」の優勢にたいし、「ズ系+ナル系」 が半数に止まり、両者は二大勢力を維持しつつも、交替しつつあるなかで、「ナクテハ +ナル系・イク系」の語形を欠くものの、次のような、「ナケレバイケナイ」が 1 例使 われていることは注目されてよい。 3.―ちつとも ありません。 もう なに も なからう と おもひます。 しか し あの ばん に なる まへ に わたくし に ようじん を させる の  に は よほど つよい せうこ で も なければ いけ-なかつた でせう。(だい  じふ:276 頁) 実際、明治前半期と明治後半期の東京語資料で、「ナケレバイケナイ」は共に 0 例、「ナ ケレバナリマセン」は前半期に 1 例、後半期に 2 例(田中章夫 2001:711 頁)のなか にあって、もっとも早い時期の用例として貴重である。 【表 2】本書における当為表現の形式 後部分 前部分 ナル系 イク系 小計 計 ナラナイ ナラヌ (ナラン)ナリマセン ナリマスマイ イケナイ イカヌ (イカン) ナイ系 ナケレバ 1 5(2) 17 3 1 27 27 ナクテハ ナイト ズ系 ネバ 1 7(3) 5 13 13 ヌト 小  計 2 12(5) 22 3 1 40 計 39 1

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4.4 副詞 副詞は明治時代初期から大正、昭和時代、さらに戦後にかけて、語彙の変化が激し く行われていた品詞の一つであるが、松井栄一(1977)では、程度の甚だしさを表す 副詞について、近代口語文における程度副詞の消長を明らかにしている。 ここで、本書の会話テキストに用いられる程度の甚だしさを表す副詞の上位 7 番を 集計してみると、表 3 のようになる。

そしてさらに比較するために、S. R. Brown: Colloquial Japanese(文久 3 年)に用 いられた程度の甚だしさを表す副詞の使用頻度を表 4 に示しておく。 ここで注目したいのは、松井栄一(1977)では、明治 28 年∼明治 42 年までの間に 上位 15 番内に上がっていた、「非常に」、「大いに」、「甚だ」、「大変(大変に)」、「大層」、 「ひどく」、「極めて」、「頗る」、「ごく」、「至極」、「いやに(やに)」、「大きに」、「至って」、 「やけに」、「いと」のうち、「極めて」、「頗る」、「いやに」、「大きに」、「至って」、「や けに」、「いと」の用例はなく、順位も大きく入れ替わっていることである。中でも一 位の「大変」と二位の「たいへんに」を合わせれば、41 例を数えるが、「たいへんに」 がなお 14 例といまだに形容動詞の連用形としての用法を保持しているあたりは副詞「た いへん」の語誌を跡づける資料となる。 それから、表 4 には挙げなかったが、「いたつて」8 例、「オヲキニ」4 例(内ヲオキ ニ 1 /オオキニ 1)を数える。もっとも用例の多い順は、「はなはだ」16 例、「あまり」 15 例、「たいそう(に)」14 例と、この三者が拮抗していることが分かる。そして、次 に「いたつて」8 例、「オヲキニ」4 例が続くが、「いたつて」は漢文訓読によってもた らされた副詞であり、「オヲキニ」は関西方言系のものである。程度の甚だしさを表す 副詞の中で、「オヲキニ」は決して上位を占めているわけではないが、上位 5 番はやは りその勢力のいまださほど衰えていないことを示しているといえよう。表 3、4 を合わ せてみると、関西方言的な要素である「おほきに」は、「たいそう(に)」、「はなはだ」 とともに、次第に姿を消していった代わりに、「非常に」、「ごく」が台頭してくる全体 的な語彙の交替が見て取れる。 【表 3】本書における程度の甚だしさを表す副詞の用例数 たいへん たいへんに 非常に ごく 甚だ おほひに たいそう ひどく 29 14 22 19 4 4 3 2 【表 4】 における程度の甚だしさを表す副詞の順位 たいへん(に) あまり 非常に ごく 甚だ おほひに たいそう(に) ひどく 0 15 0 1 16 0 14 0

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ちなみに、松井栄一(1977)によれば、「たいへん(に)」は江戸語ではもちろん、 明治初期にも用例が極めて少なく、その台頭は主に第 2 期(明治 17 年から明治 27 年) に始まり、第 3 期(明治 28 年から明治 42 年)にかけて用いられるが、第 4 期(明治 43 年から大正 11 年)以降は大きく後退し、松井栄一(1977)の調査範囲では、「おほ きに」は第 5 期(大正 12 年から昭和 20 年)には僅か 8 例しか見つからず、順位も大 きく後退し、ついに標準語の中から姿を消してしまうことになるという(746-749 頁)。 松井栄一(1977)は、主に文学作品を用いた集計であるので、それを多種多様な人物 の会話又は異なる背景を持つ作家の用語として見た場合、それぞれの時代の程度の甚 だしさを表す副詞の全体と一般的な傾向を示すのに対し、表 3 の使用は本書の上品な 東京語としての地域性、位相性という限定はつくものの、明治時代中頃の東京語にお ける用法として独自の価値を有するものと言える。 副詞については、もう一つ「とても+形容詞(肯定形)」の語法も見逃すことができ ない。 程度副詞「とても」は現代語では、「とても+形容詞(肯定形)」の用法が普通であ るが、かつては、「とても+否定の助動詞」の用法がもっぱらであった。「とても+形 容詞(肯定形)」の用法がいつから東京語において使われ始めたかについて、芥川龍之 介の『澄江堂雑記』―「とても」(1924)に、次のような記述がある。 ・『澄江堂雑記』―「とても」(1924)  「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したの は数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかった訳では ない。が、従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云ふや うに必ず否定を伴ってゐる。  肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河の国あたりの方言であらう。現に三河の国の 人のこの「とても」を用ゐた例は元禄四年に上梓された「猿蓑」の中に残ってゐる。  秋風やとても芒はうごくはず 三河、子尹  すると「とても」は三河の国から江戸へ移住する間に二百年余りかかった訣である。 「とても」手間どったと云ふ外はない。(『芥川龍之介全集』第六巻、岩波書店、1978 年、 208-209 頁) ・『澄江堂雑記』―続「とても」  肯定に伴ふ「とても」は東京の言葉ではない。東京人の古来使ふのは「とても及ば ない」のやうに否定に伴ふ「とても」である。近来は肯定に伴ふ「とても」も盛んに 行はれるやうになった。たとへば「とても綺麗だ」「とてもうまい」の類である。この 肯定に伴ふ「とても」の「猿蓑」の中に出てゐることは「澄江堂雑記」(随筆集「百艸」 の中)に辨じて置いた。その後島木赤彦さんに注意されて見ると、この「とても」も「と

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てもかくても」の「とても」である。  秋風やとても芒はうごくはず 三河、子尹  しかしこの頃又乱読をしてゐると、「続春夏秋冬」の春の部の中にもかう言ふ「とても」 を発見した。  市雛やとても数ある顔貌 化羊  元禄の子尹は肩書通り三河の国の人である。明治の化羊は何国の人であらうか。  (『芥川龍之介全集』第七巻、岩波書店、1978 年、218 頁) 以来、次のように、言語学者によって証言されたり、辞書によって記述されたりす るようになる。 浅野 こういう表現について思い出すのは、大正から昭和の初めにかけて、「とても暑 い」という言い方が特に用いられたのですが、一部学者から猛烈な批判があったもの です。これはもともとすでにご存じのように、「とても暑くてたまらない」というように、 「とても ―ない」という一連の慣用句法なのでした。それが、下に否定の語をとら なくなって、肯定の語(形容詞形容動詞)をとるようになってしまったのです。今で はもう標準句法になっています。(浅野信 1954:112 頁)  「このような『とても+形容詞(肯定形)』は、「大正期の中ごろから多用されるよう になったらしい」(『日本国語大辞典』第 2 版、小学館、2001 年) そのために、「とても+形容詞(肯定形)」の語法が「大正期の中ごろから多用され るようになった」ことはほぼ定説化した感があり、『日本国語大辞典』(第 2 版、小学館、 2001 年)は、以下の童謡の用例を挙げている。 童謡・大きなお風呂(1925)<有賀連>「とても大きなお風呂です」。 もちろん、多用される時期すなわち用例の最初と考えるのは、早計であろう。実際、 明治時代の文学作品にこそ、「とても+形容詞(肯定形)」の語法が見られないが、本 書の会話テキストには、次のような例が見られる。 6.へや は とても あつくて まど は しめ-られず。(だい しち:256 頁) この例の「とても あつくて」は、文終止ではないが、関係的には、「とても」は「あ つく」を修飾していると見て間違いなさそうである。英語の原文も、The room was

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too hot to keep the windows closed. のように、「とても」は too に相当する副詞である こともそれを裏付けている。「とても+形容詞(肯定形)」の用例であることは疑いない。 ちなみに、協力者三人のうち、蓮沼磐雄の出身は詳らかにしないが、神田佐一郎は 和歌山県串本の出身、菊池寿人は岩手県盛岡の出身なので、いずれも芥川龍之介の推 測した三河の人ではない。とすれば、芥川龍之介の推測はその根拠を失ってしまうこ とになる。しかも、一般的に知られている大正中期よりも早い明治中期に以上の用例 が現れていることは、たとえ辞書の用例として相応しくないとしても、「とても+形容 詞(肯定形)」の語誌にとって無視できないものであろう。外国人による日本語教科書 の中とはいえ、日本人協力者による日本語訳、訳者蓮沼磐雄、神田佐一郎、編集協力 者菊池寿人の存在を考えれば、このような会話文の用例は、「とても+形容詞(肯定形)」 の語法のもっとも早い時期の例として注目に値する。 4.5 補助動詞「∼てある」、「∼てをる」と「∼ている」 現代語では、たとえば「壁に絵がかけてある」に対して「壁に絵がかかっている」 のように、「∼てある」と「∼ている」がそれぞれ他動詞と自動詞を受けて、状態の存 続や物の存在を表すが、本書の会話テキストには、「∼ている」はわずか 2 例(「さら されて ゐます」1 例、「ひかり が かかつて ゐま-した」1 例)だけで、その代わ り「∼てをる」が 121 例用いられている。やはり「上品な東京語」としては、「∼てをる」 が一般的だとされていたものと考えられる。一方の「∼てある」19 例のうち、「他動詞 +てある」の例は 17 例と最も多く、残る 2 例は、「しらゆきにおほはれてあるいただき」 1 例、「すでにししてありけり」1 例である。一方の「∼てをる」は、他動詞に下接して、 動作の進行を表す用法が 77 例ともっとも多く、自動詞につくもの 38 例、他動詞の受 身形に接するものが 6 例ある。とりわけ、「他動詞の受身形+てをる」6 例中、「おほは れてをる」が 2 例、「おこなはれてをる」、「おもはれてをる」、「しられてをる」、「だま されてをる」が 1 例ずつあることは注目される。しかも、「他動詞の受身形+てある」 の形も使われているところに、本書が成った明治時代中頃には、いまだ「他動詞+て ある」と「他動詞受身形+ている(てをる)」の形による対応が成立していないことを 物語っている。それぞれ 1 例ずつ挙げるにとどめる。 はかば の しはう は みな その すぎ-の-き で おほはれて をりました。(だい じふ いち:288 頁) この ごろ の やう に はれわたつた あき-ぞら で あさひ の でる じぶん しらゆき で おほはれて ある いただき と いつたら ひとつ の みもの です よ。 (だい はち:264 頁)

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ちなみに、湯澤幸吉郎(1951)によれば、「他動詞の受身形+ている」の形は、昭和 17 年ごろからすこしずつ講演や口語体に用いられるようになったという(160-161 頁)。 「他動詞の受身形+ている」の形そのものはあるいはその通りかもしれない。しかし、「∼ てをる」と「∼ている」は語形こそ違うものの、類義関係にある語彙であり、「他動詞 の受身形+てをる」の形はまさに「他動詞の受身形+ている」の前身と考えられる。「他 動詞の受身形+てをる」の形も含めて考えれば、このような形式による存在表現は、 明治時代中頃に遡ることができ、むしろ欧文脈の影響がいち早く東京語に現れていた 例として注目される。 4.6 敬語 明治時代中頃に、後期江戸語から東京語への変遷の中で、敬語も尊敬表現と謙譲表 現を中心に大きく体系化を遂げたことは、よく知られている。本書も「上品な東京語」 に相応しく、敬語表現が数多く用いられている。 ま ず、 現 代 語 の 尊 敬 表 現 の な か で、 相 手 の 動 作 行 為 を 敬 う 代 表 的 な 形 式「 お (ご)∼になる」については、江戸ことばにおいて比較的新しく発生したもので、辻村 敏樹(1951)によれば、江戸時代の用例は江戸時代も極めて末期の二十数年間に限られ、 しかもその用例は少しずつ増える傾向にあるも、いまだ極めて少なく、敬意も高い改 まった言い方であったようである。それが明治も 10 年頃に出ている実録物の類にも用 例は依然少なく、二十年頃には小説などにかなり多く現れてくるという(辻村敏樹 1951:100-101 頁)。明治 20 年頃を境に用例数が急上昇し、さらに 30 年から 40 年頃に かけてついに尊敬表現として「お(ご)∼なさる」を凌ぎ、勢力を逆転させて今日に至っ ているようである(107 頁)。一方、山田巌(1959)は、明治初期の新聞から広く口語 体資料と帝国議会議事録の用例を集めて分析した結果、議会という特別の場、話し手 はすべて男性という制約はあるものの、東京語の話し言葉としてはおおよそ明治 23 年 ごろにすでに「お(ご)∼になる」の優位性が確立したことを明らかにしている(214 頁)。 ここで、「オ∼ナサル」、「オ∼ニナル」、「∼ナサル」、「∼レル・ラレル」の使用につ いて、Colloquial Japanese と Kuaiwa Hen 春秋雑誌會話篇7と『沖縄對話』(明治 13

【表 5】幕末明治時代の日本語会話書における尊敬語の形式 Colloquial Japanese 會話篇 沖縄對話 本書 オ(ゴ)∼ナサル 180 29 33 89(29)* オ(ゴ)∼ニナル 1 7 42 13 ∼ナサル 11 2 4 8 ∼レル・ラレル 17 1 0 20 * 本書の「オ(ゴ)∼ナサル」89 例中、29 例は命令形である。『沖縄對話』の「∼ナサル」4 例 はすべて「∼ナサレル」の形。「レル・ラレル」の敬語としての用法は、「∼ナサレル」のほか、 「∼クダサレル」、「オオセツカハサレル」だけである。

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年刊)を比較すると、全体的に本書の会話テキストは、「∼レル・ラレル」による敬語 表現の台頭を除けば、会話篇における敬語の使用に最も近いようである。 これによって、同じ外国人のための会話テキストとして、本書では、依然「オ (ゴ)∼ナサル」が優位に立っていることがわかる。これもおそらく「上品な東京語」 という編集方針の然らしめるところといえよう。参考のために、明治 2 年に刊行され た加藤弘蔵(弘之)の『交易問答』、明治 4 年に刊行された仮名垣魯文『牛店雑談安愚 樂鍋』における「オ(ゴ)∼ナサル」と「オ(ゴ)∼ニナル」の用例比を表に示すと、 表 6 のようになる。 辻村敏樹(1951)と山田巌(1959)の研究と表 4、表 5、表 6 をつきあわせてみると、 帝国議会議事録、日本語会話テキスト、小説といったデータによって、それぞれ「オ (ゴ)∼ニナル」の確率時期が異なるように見えるが、実際、話し言葉では、資料的に 位相差は否定できないという難点はあるものの、およそ明治 23 年前後に、小説の類に おいては、明治 30 年ごろから明治 40 年ごろにかけて、「オ(ゴ)∼ニナル」の優位性 が確立していることのようである。とりわけ日本語会話の教科書の類においては、話 し言葉には十年ぐらい遅れて、規範意識としては一つ前の時代の「オ∼ナサル」の優 位が保たれていたことが興味深い。 敬語表現でもう一つ注目したいのは、待遇表現の謙譲語の形式である。従来、江戸 語と東京語との重要な相違の一つに待遇表現の相違があげられている(小松寿雄 1967:93 頁)が、なかでも、現代語ではもっともよく用いられる「お∼する」は、江 戸語にも稀にはあるものの、明治時代の中頃から一般化したものである。「お∼いたす」 という形も、その発生は、遠く近世前期に遡れるが、一般化するのはやはり明治にはいっ てからである(小松寿雄 1967:97-98 頁)。つまり、明治 30 年代において、同種の表現 には、「お∼申す」(含「お∼申し上げる」)、「お∼いたす」、「お∼する」の三種があっ たことになり、前二者は後者によって待遇価値の下部を補われ、結果的に価値の下落 をまぬがれ、「お∼する」の進出にともなって、その価値を漸減させていったとされる(小 松寿雄 1967:99-100 頁)。 そこで、「お∼まうす」、「お∼いたす」、「お∼する」が大きく交替していく、明治時 代中頃に成った本書の対話テキストから、この三つの語形の用例を集計してみると、「お ∼する」は一例もなく、「お∼いたす」、「おはなしいたす」が 4 例ずつ、「おいとまい たす」が 3 例、「ごぶさたいたす」が 1 例に止まり、しかも語種も名詞と動詞の連用形 【表 6】明治初期の口語文献における「オ∼ナサル」と「オ∼ニナル」 交易問答 安愚樂鍋 オ∼ナサル 10 7 オ∼ニナル 5 4

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の両方が用いられ、全体的に制限があるようである。一方の「お∼まうす」は 14 例用 いられているうち、「おいとままうす」1 例を除く他の 13 例に現れるところの動詞連用 形も「はなし」(2 例)「待ち」、「とどめ」、「たづね」、「ねがひ」、「とめ」、「かり」、「あ げ」、「とどけ」、「いはひ」、「わかれ」のように、語種にも多様性が窺われ、その生産 性がもっとも高く、謙譲語の主な形は「お∼まうす」であることが知られる。上品な 東京語としては、待遇表現の上位を表す表現はやはり「お∼まうす」がいちばん相応 しかったのであろう。 4.7 接続詞 本書の会話テキストに用いられる接続詞にも特徴的なものが見られる。すなわち、 逆接には、「しかし」が 75 例、「ところが」が 11 例用いられているのに対し、接続詞「が」 は 13 例、「だが」は 4 例、「ですが」は 5 例用いられ、接続助詞「が」の用法が多数を 占める。これによって明治時代中頃の丁寧な東京語の話し言葉における接続詞「が」 の勢いが知られる。 接続詞「が」については、湯澤幸吉郎(1936)によれば、近世前期の『好色伝受』 と『苅萱桑門』にその例が見られ、湯澤幸吉郎(1957)には、『浮世床』と『娘節用』 の例が挙げられている。しかし、その成立は古いものの、明治時代の言語資料にはむ しろその用例が多くない。例えば、明治 30 年出版の尾崎紅葉『金色夜叉』には、接続 助詞「が」が 4 例、「ところが」が 4 例見えるが、「ですが」と「だが」は一例もない。 これも本書の会話テキストの話し言葉の資料としての価値を示しているといえる。ち なみに、「ところで」と「ところへ」も本書には用いられていない。 4.8 終助詞的な「コト」の用法 文末に用いられる「∼コト」は現代語では、女性語として用いられるが、本書には、 以下のように、男性が用いる例が数例見られる。 7.(ミカタ-し)―どうも ばら や もみぢ の きれい な こと。 じつに はでやか で ありません か。 オヤ ハヤシ-さん だ。 「しばらく お-め に・・・・・・。」 ハヤシ-さん、 このかた は わたくし の ともだち で アメリカ の ロビンソン-し で ございます。(だい じふ に:292 頁) 1.ロビンソン-し:―まこと に ゐごころ の いい お-へや です コト。(だい じふ ろく:314 頁)

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2.ミカタ-し:―さやう。だうり と かんじやう と は ともなはない もの で ございます。 しかし もう お-いとま いたさねば なりません。 あなた の にはばん は たいへん よく うゑき を ていれ いたしました ね。つつぢ の きれい な こと。(だい にじふ さん:358 頁) ロビンソン-し:―ありがたう・・・・・・この カハサキ の はし から みた フジ-さん の けいしよく は いい じや ありません か。 やま が ゆき で まつしろ で ございます。 はた の あれて ゐる こと。(だい さんじふ に:408-410 頁) 11.―すなやま の はう へ のぼりませう。 どうも けふ の みづ の きれい な こと。しほ も たいへん に たかい やう です ね。 オホシマ が ちかく みえる こと。ふんくわざん も けふ は たいそう な けむり を だして をり-ます な。(だい さんじふ し:422 頁) 14.(ミカタ-し)―オヤオヤ、 みづ が この がけ の ねき へ はひ-あがる こと。(だい さんじふ し:426 頁) 外国人の「ロビンソン-し」と日本人「ミカタ-し」の両方を使っているところから、明 治時代中頃には「∼コト」はまだ女性語として特化されていなかったことが窺われる。 4.9 テキストの文体 本書の会話テキストには、上品な東京語というのに相応しく、一貫して「デス・マス」 体を用いている。「です」については、  「デス」は、すでに明治十年代には、かなり一般化しているにもかかわらず、教科書 の会話文体がデス・マス体の全面採用になかなか踏み切れなかったのは、やはり、大 槻もいうように、当時の教養層・識者の間に、「デス」のもつ卑俗なニュアンスを嫌う 風潮があったからに違いない。(田中章夫 2001:775 頁) といわれ、さらに、

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 デス体の文章が、はじめて登場するのは、明治二十年前後の国語教科書からである。 文章とはいっても、低学年の会話体ないしは談話体の文章に限られ、全体としては、 デアリマス体、デゴザイマス体あるいは文語体が主流であった。三十年代になると、 デス体がかなり有勢になってはくるが、教科書の文体がデス体で統一されるのは、や はり、一九〇三年(明治 36)の国定教科書からである。(田中章夫 2001:751 頁) とされる。本書は国定教科書ではないが、外国人による外国人のための会話テキスト に「デス・マス」体が用いられることは、一つは本書の趣旨「上品な東京語」に相応 しいものであり、今ひとつはやはり生きた東京語に対する著者 Clay MacCauley のこ だわりの現れとみることができるかもしれない。 4.10 会話テキストにおける欧文脈の影響 以上は、主に近代の東京語としての本書の資料価値を示すいくつかの項目を取り上 げたが、本書のなかには、更に近代東京語と欧文脈の融合を示す語法がいくつか見ら れる。以下「∼つつある」と「∼的」を取り上げる。 管見のかぎり、近代日本語教科書のなかで、最初に、欧文脈の語法として、「∼つつ ある」に言及したのは、松本亀次郎『言文對照漢譯日本文典』(中外圖書局, 1904. 初版, 1904.12. 第 3 版)である。  近來ノ歐文飜譯體ノ文章ニ、一種ノ進行法アリ。助詞ノツツヲ用ヒテ、之ヲ表ス。 例左ノ如シ。  日本ハ東洋ノ平和ト自國防衛トノ必要ニ因リ、目下露國ト交戰シツツ有リ。〔日本因 東洋之平和、與本國防衛之必要、目下方與露國戰。〕  清國ハ目今泰西ノ新學ヲ奬勵シツツ有リ。〔清國目今奬勵泰西之新學〕  世界ノ文明ハ、長足ノ進歩ヲ以テ、發達シツツ有リ。〔世界之文明、方以長足的進歩、 而發達〕(259-260 頁) 実際、明治 30 年頃は、同時代の文学作品のなかには、ようやく「∼つつある」が一 般化の兆しが見られるようになる時期にあたる。しかも同じ時期の作品でも、作家に よっては用いられたり、用いられなかったりするし、作家によってはまったく用いら れないのもある。中でも、夏目漱石の作品における「∼つつある」の使用が目立って いる。それを、表 7、8 に示すと、以下のとおりである。

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【表 7】明治時代の小説における「∼つつある」8 用例数・その他 作家:作品 用例数 発表年 山田美妙:武蔵野 0 明治 20 年 二葉亭四迷:浮雲(明治 20 ∼ 22)、其面影 (明治 39)、あひびき9、平凡(明治 40 年) 0 森鴎外:舞姫10、ヰタ・セクスアリス、雁、 山椒大夫11、青年 0 幸田露伴:風流仏 0 明治 22 年 幸田露伴:五重塔 0 明治 24 年 樋口一葉:にごりえ12 0 明治 28 年 尾崎紅葉:金色夜叉 1 明治 30 年 国木田独歩:武蔵野 5 明治 31 年 泉鏡花:高野聖13 0 明治 33 年 伊藤左千夫:野菊の墓 3 明治 39 年 島崎藤村:破戒 0 明治 39 年 泉鏡花:婦系図 3 明治 40 年 田山花袋:蒲団 明治 40 年 伊藤左千夫:浜菊 1 明治 41 年 伊藤左千夫:姪子、守の家 0 明治 42-45 年 田山花袋:田舎教師 明治 42 年 長塚節:土 53 明治 43 年 伊藤左千夫:姪子、守の家 0 明治 42-45 年 【表 8】夏目漱石の小説における「∼つつある」 用例数・その他 作品 用例数 発表年 我輩は猫である 17 明治 38 年 倫敦塔14 10 明治 38-39 年 草枕 9 明治 39 年 坊ちゃん 0 明治 39 年 二百十日 1 明治 39 年 虞美人草 18 明治 40 年 野分 5 明治 40 年 坑夫 0 明治 41 年 文鳥15 16 明治 41-44 年 三四郎 16 明治 41 年 それから 18 明治 42 年 門 4 明治 43 年 彼岸過迄 12 明治 45 年 行人 8 明治 45 年

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表 7、表 8 を通じて、森岡健二(1999)によって、明治 23 年の用例がもっとも早い時 期の用例であることが知られるものの、明治 20 年代には、まだ「∼つつある」がごく 少数用いられているにすぎず、しかもこれらの用例はいずれも小説の地の文、または随 筆の文に用いられ、次に引く本書の用例のように会話文に用いられるものは皆無である。 ・「(し)つつある」1 例 20.―その とほり です。 わたくし は しんじつ ニホン の だい しやうり を のぞみます。 21.―もと より まだ なす べき しごと が ひじやう に たくさん ござりますが、しかし われわれ は たへず しんぽ しつつある こくみん だ と おもひます。 わたくし の まうしました こと は お-わかり に なりました か。(だい さん:236-238 頁) 次に、「∼的」の語法を見てみる。 本書の会話テキストには、「∼的」は以下の 4 例が用いられている。 ・「進歩的」2 例 19.―たぶん ふじん の はう は ゆるゆる はなす から でせう。 そこで わたくし の まうし ませう と おもつて ゐる の は ほか で は ありません。いま は わがくに で は 「メイヂ」 の じだい で ございまして、わが くに の せんぱい は いま から さん じふ ねん ほど いぜん に、わが ニホン を せかい-ぢう どの くに にも をとらぬ ほど に しんぽ-てき に なつて ぶんめい に すすめる くに に しやう と いたしました が、 こんにち と なる も なほ むかし の ほうけん-せいど を くわいふく したい と おもつて をる ひとびと が ござり ます。(だい さん:236 頁) 2.ヰイ、カモ-ンノカミ は いま の よ に なつて から、 ニホン で はじめて の しんぽてき の さいし-やう でした。(だい しじふ ご:500 頁)

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・「美術的」1 例 10.―さやう。わたくし など も ニホン の むかし の ふう を このみます。 わたくし の みた ある じゆんすい の ニホン ふう の ゑ に は ひじやう に かんぷく いたしました。 なか に は ニホン ふう とも ヨーロッパ ふう と も つかない まぜあはせ の いや な ゑ も ありました が、 あすこ に かり あつめて ある ゑ を みた とき に は わたくし は ほんたう の びじつてき かんじやう を おこしました。(だい にじふ し:362-364 頁) ・「厭世的」1 例 4.―それ で は、 あなた は いま まで まな-んで をりました もじ で できてる し の うち で をはり の し-く に ある えんせい- てき の はんだん に いつち は なさいます-まい。(だい しじふ はち:518 頁) 「∼的」そのものについては、江戸時代よりも早く、唐宋の語録によって日本に伝え られた中国語俗語の語法であるが、江戸時代には、荻生徂徠点の『六諭衍義』を初め、 朱子、二程の語録、白話小説などの版行によって日本語化したものであるが、幕末、 明治初期には、英語の形容詞語尾-tic を日本語訳する際に採用され、さまざまな翻訳物 に広く用いられて、一般化したものである16 以上の三語について、『日本国語大辞典』(第 2 版、小学館、2001 年)を調べてみると、 それぞれ次のような用例が採集されている。 ・「進歩的」  戦後の文学(1895)<内田魯案>「我等は日本人の進歩的(シンポテキ)なるを飽 くまでも信ずるが故に」 ・「美術的」  日本風景論(1894)<志賀重昂>二「幾何学的に加ふるに美術的を調和する所」  野分(1907)<夏目漱石>七「写真は是非取らして下さい。僕は是で中々美術的な 奴を取るんです」 ・「厭世的」  近年の文海に於ける暗潮(1896)<戸川秋骨>「或る一派の人々に憂ふるが如き怪 しき厭世的不健全を招くに至りしなり」

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 青年(1910-1911)<森鴎外>一一「何だかひどく厭世的(エンセイテキ)な事が書 いてあります」

これらの用例のどれと比べても、本書の会話に用いられる用例は、小説の中の会話 に用いられるものより早く、これらの語の語誌にとって重要な用例であることはいう までもない。中でも、「美術的」の場合、「ほんたう の びじつてき かんじやう」 に対応する英語、 a genuine art sensation によって、その意味するところをはっき り捉えることができ、その接続も名詞に直接続くものとして、明治初期から 10 年代の 翻訳物の「∼的」に近く、「日本風景論」の「美術的」のような名詞としての用法から、 形容動詞として「な」を介して名詞を修飾する「野分」の例に先行するものとして注 目されてよい。 5 まとめ 従来の明治時代の東京語研究は、主に文学作品を資料として採用するのが常である。 それには、文学作品と自然言語との間にある種の乖離が当然予想される以上、言語デー タの偏りはやはり避けなければならない。理想をいえば、異なる種類の資料でもって 相補うことが望ましいことはいうまでもない。本書の会話テキストは外国人による日 本語教科書であり、英語原文の日本語訳としての限界も予想しなければならず、近代 の東京語の資料として無批判的には用いられないが、本稿は、前後する日本語教科書、 文学作品における用例との比較を通して、Clay MacCauley 著 An Introductory Course in Japanese. (明治 29 年刊)が、特に丁寧な東京語(polite social Tōkyō dialect)の 話し言葉としての近代東京語の成立過程を明らかにすることに寄与できることを確認 した。なお、会話テキスト全文の記述と、より多くの同時代又は時代を前後にする資 料との比較により、明治中期の東京語の丁寧な話し言葉の実態を多角的に究明するこ とは、今後の課題である。 1 本稿は、拙稿 2010 所収の本書の解説をもとに、その後得た知見を加えて論文として大幅に 書き直したものである。 2 ここに記した著者の経歴は、松井七郎 1972 はじめ、複数の文献の記述をまとめたものである。 3 本書のもとになるのは、明治 32 年 11 月から雑誌『国文学界』に連載したものであるが、『草 野氏日本文法』は明治 34 年の刊行であり、藤岡作太郎「草野氏日本文法の後に書す」(明治 33 年 2 月)によって明治 32 年までに成立したと考えられる。 4 第三版の記述は、第二版と同じである。 5 本書の会話テキストには、文法に関わるもののほかに、東京語の音韻、上方語的な要素など も見られるが、紙幅の関係で本稿では触れないことにする。 6 テキストは、松村明 1998 所収の Kuaiwa Hen Ⅲ,春秋雑誌會話編第三編を用いた。 7 注 1 に同じ。

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8 検索には、新潮社版 CD-ROM『明治の文豪』を用いた。なお、作品の発表年は、いずれも 雑誌掲載、新聞連載の初出と単行本の初版に従った。 9 「あいびき」(明治 21 年)、「めぐりあい」(明治 21-22 年)、「片恋」(明治 29 年)、「くされ縁」 (明治 31 年)を含む。 10 「舞姫」(明治 23 年)、「うたかたの記」(明治 23 年)、「鶏」(明治 42 年)、「かのように」(明 治 45 年)、「阿部一族」(大正 2 年)、「堺事件」(大正 3 年)、「余興」(大正 3 年)、「じいさん ばあさん」(大正 4 年)、「寒山拾得、附寒山拾得縁起」(大正 5 年)を含む。 11 「杯」(明治 43 年)、「普請中」(明治 43 年)、「カズイスチカ」(明治 44 年)、「妄想」(明治 44 年)、「百物語」(明治 44 年)、「興津弥五右衛門の遺書」(大正元年)、「護持院原の敵討」(大 正 2 年)、「山椒大夫」(大正 3 年)、「二人の友」(大正 4 年)、「最後の一句」(大正 4 年)、「高 瀬舟、高瀬舟縁起」(大正 5 年)を含む。 12 「にごりえ」(明治 28 年)、「十三夜」(明治 28 年)、「たけくらべ」(明治 28 年)、「大つごもり」 (明治 27 年)、「ゆく雲」(明治 28 年)、「うつせみ」(明治 28 年)、「われから」(明治 29 年)、「わ かれ道」(明治 28 年)を含む。 13 「高野聖」(明治 33 年)、「女客」(明治 38 年)、「国貞えがく」(明治 43 年)、「売色鴨南蛮」(大 正 9 年)、「歌行燈」(明治 43 年)を含む。 14 「倫敦塔」(明治 38 年)に 0 例、「カーライル博物館」(明治 38 年)に 5 例、「幻影の盾」(明 治 38 年)に 3 例、「琴のそら音」(明治 38 年)に 2 例、「一夜」(明治 38 年)に 0 例、「薤露行」 (明治 38 年)に 0 例、「趣味の遺伝」(明治 39 年)に 0 例。 15 「文鳥」(明治 41 年)、「夢十夜」(明治 41 年)、「永日小品」(明治 42 年)、「思い出す事など」(明 治 43 年)、「ケーべル先生」(明治 43 年)、「変な音」(明治 44 年)、「手紙」(明治 44 年)を 含む。 16 詳しくは拙稿 2006 を参照されたい。 参考文献 浅野 信(1954)「慣用句の誤り」,日本放送協会編『ことばの研究室Ⅳ―正しい表現―』,講談社, pp.102-115. 小島俊夫(1972)「『会話篇』(E. Satow)にあらわれた江戸ことば」,『国語国文』第四十一巻第 五号,pp.41-53. 小松寿雄(1967)「『お・・・する』の成立」,『国語と国文学』第四十四巻第四号,pp.93-102. 田中章夫(1967)「江戸語・東京語における当為表現の変遷」,『国語と国文学』第四十四巻第四号, pp.102-114. ―(2001)『近代日本語の文法と表現』,明治書院. 辻村敏樹(1951)「お∼になる考」,『国文学研究』復刊第四輯,pp.95-109. 土屋信一(1974)「江戸語東京語の断定表現」,『ことばの研究』第 5 集,国立国語研究所,pp.45-64. 飛田良文(1974)「明治初期東京語の否定表現体系―『安愚楽鍋』における『ない』『ねえ』『ぬ』『ん』 の用法―」,『ことばの研究』第 5 集,国立国語研究所,pp.1-44. ―(1977)「英米人の習得した江戸語の性格」,『国語学』第 108 輯,pp.77-96. 古田東朔(1964)「教科書の文章」,『講座 現代語』第 2 巻『現代語の成立』,明治書院,pp.256-278. ―(1967)「幕末・明治初期の翻訳文等における「X +アル」,『国語と国文学』第四十四 巻第四号,pp.78-92.

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―(1974)「幕末期の武士のことば」,『国語と国文学』第五十一巻第一号,pp.1-13. 松井栄一(1977)「近代口語文における程度副詞の消長―程度の甚だしさを表わす場合―」,『松 村明教授還暦記念国語学と国語史』,明治書院,pp.737-758. 松井七郎(1972)「クレイ・マッコーレイの生涯と思想―その友愛会との関係―」,『経済経営論叢』 第 7 巻第 3 号,京都産業大学経済経営学会,pp.66-85. 松下大三郎(1901)『日本俗語文典』,誠之堂書店. 松村 明(1998)『増補江戸語東京語の研究』,東京堂出版. 森岡健二(1999)『欧文訓読の研究―欧文脈の形成―』,明治書院. 山田 巌(1959)「明治初期の文献にあらわれた尊敬表現『お(ご)∼になる』について」,『こ とばの研究』第 1 集,国立国語研究所,pp.201-214. 湯澤幸吉郎(1936)『徳川時代言語の研究』,刀江書院. ―(1951)『現代口語の実相』,習文社. ―(1957)『増訂江戸言葉の研究』,明治書院. 李 長波(2000)「『カレ』の語史とその周辺―三人称代名詞が成立するまでのみちすじ―」,『デュ ナミス』第 4 号,京都大学大学院人間・環境学研究科文化環境言語基礎論講座,pp.1-33. ―(2006)「近世、近代における『∼的』の文体史的考察」,『デュナミス』第 10 号,『デュ ナミス』編集委員会,pp.68-89. ―(2010)「近代日本語教科書選集(第一巻∼第十巻)解説」,『近代日本語教科書選集』(第 十巻),クロスカルチャー出版,pp.1-91.

参照

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