橡望月ゼミナール4年次進級論文.PDF

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98 年度望月 宏ゼミナール4年次進級論文

経済学部国際経済学科

W08−0175B 松木 弥来

複雑系経済学で見た市場経済

<目次> はじめに 第1章 行き詰まる経済学 ・ ケインズの失敗 ・ マネタリズムの失敗 ・ サプライサイドの失敗 ・ 日本政府の失敗 第2章 新古典派経済学理論 ・新古典派経済学の基本的枠組み ・ 効用最大化の計算 ・ 複雑系への流れ 第3章 複雑系経済学の構想 ・ 限定合理性 ・ 自己組織化 ・ 収穫逓増 第4章 自己組織化の市場経済 ・ 新古典派型市場観 ・ 自己組織化の市場観 ・ 相対取引での価格決定 第5章 収穫逓増の市場 ・ 収穫逓減の世界 ・ 収穫逓増の世界 ・ 収穫逓増の要因 ・逓減と逓増の混合 おわりに 用語説明 参考文献

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はじめに

近年、経済学の影響力が弱まりつつある。そして、大学の経済学部の人気は、昔よりなく なり、経済学者より経営学者の発言や助言が求められるようになってきている。書店の経 済書のコーナーは、だいぶ狭くなり、かわりにビジネス書のコーナーが拡大している。講 義においても、難しい経済学理論は社会に出てから(就職してから)使うことはないと耳にし たことがある。では、なぜそれを勉強する必要があるのであろうか。経済の流れを把握す るためでしょうか。それとも、政府が行っている経済政策を理解するためであろうか。ど ちらとも疑問が残る。つい最近ノーベル経済学を受賞した学者が2人もいるヘッジファン ドLTCMが破綻した。彼らは、デリバティブの理論(ブラック・ショールズ方式)を作り、 デリバティブの発展に貢献したとのことで受賞した。そして、その理論を用いて投機活動 を行ったが失敗したのである。つまり、経済の流れを正確に読み取ることができなかった のである。また、経済政策といっても、日本政府はバブルをつくり、崩壊後の不況から現 在も抜け出せずに必死に経済政策を行っている。このように、経済学に対する期待感が薄 れてきている。そのような中、従来の経済学とは異なった観点で経済を見ようとする複雑 系経済学が産声を上げている。これは、まだ研究され始めたばかりの学問で理論構築まで は、いたっていないがどのような考え方を持つ経済学なのであり、従来の経済学とはどこ が違うのであろうか。そこで、私は近頃よく「市場まかせ」や「市場中心」などで使われてい る抽象的な言葉であり、私たちが経済活動を行う場の市場経済を取り上げ、従来の経済学 と複雑経済学とで、市場経済を説明すると、どこが違い、どのような変化があるのか両者 の比較を通して考察していく。 章の構成としては、まず複雑系という考え方がなぜ生まれてきたのかを考察する。その背 景としては、経済学が影響力を失ってきたことにある。そこで、どうして影響力を失った のかを1章と2章で述べる。1章では、日米の経済政策を例に取り、その問題点を明らか にし、2章では、その問題点がなぜ必要だったのかを、従来の経済学である新古典派主義 を例にとって考える。3章では、その問題を教訓にして出てきた複雑系経済学の構想を述 べ、4章においては、そのうちの自己組織化という概念を用いて市場がどのように機能し ているのかを価格の決定の面から、従来の経済学との考え方の違いを考察する。5章では、 もっと現実的な市場を考えてみる。従来の経済学によると、企業は収穫逓減の法則が働く 市場で行動していると説いている。ところが、その正反対の収穫逓増が起こる市場がある と複雑系経済学は指摘する。もし、それが本当ならまったく異なる2つの法則の下での市 場の働きは収穫逓減と比較して、どのような相違、変化があるのかを考察する。

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第1章 行き詰まる経済学

第1節 ケインズの失敗

ケインズ経済学あるいはケインズ政策の絶頂期は、1960年代にありました。アメリカ ではケネディ大統領がニューフロンティアを唱え、「偉大な社会」に向けて歩み始めた時、 その政策を経済面から支えたのはケインズ政策であった。しかし、ケインズ政策の実際の 成果は、期待からは遠いものだった。1960年代の景気拡大は109ヶ月に及んでいま すが、この長い景気回復は、ケネディが用意したというより、アイゼンハワー時代の緊縮 財政の成果と見る人がいます。景気回復の期間は長く続きましたが、インフレ率もかなり の高率であった。引き続く問題だったのは、幾度の景気刺激政策にもかかわらず、失業率 が4%以下には下がらなかったことである。そして、ケインズ政策にとって何よりの打撃 となったのは、インフレと景気後退とが共存するスタグフレーションの出現であった。1 960年代終わりから、アメリカ経済のインフレ傾向は強まり、度重なる引締め政策にも かかわらず、70年代前半を通してインフレ率は上昇傾向をたどった。ところが、引き締 めの度ごとに失業率が高まり、インフレ率と失業率とが共に上昇したのである。石油ショ ック後の1975年には、インフレ率9.3%、失業率8.5%とを記録しました。このよ うな傾向は、石油ショック以前からヨーロッパ諸国でも認められ、ケインズ政策の破綻が 意識されるようになったのである。 第2節

マネタリズムの失敗

1960年にケネディと大統領の座を争ったニクソン氏は、1969年から大統領になり、 ウォーター・ゲイト事件で1974年に辞任しました。このニクソン大統領の時代から、民 主党大統領カーター氏が1980年の再選大統領選でレーガン候補に敗れるまでが、マネ タリズムが力を持った時代であった。マネタリズムは経済調整に最も重要なのは貨幣数量 であり、これを一定率で成長させるべきだと主張していたのである。1970年代前半を 通じて、マネタリズムは勢力を増し、連邦準備銀行、銀行家、ホワイトハウスや議会に次 第に賛同者を増やしていったのである。そして、マネタリズムの頂点は、1975年の1 0月6日にあったということができる。この日、連邦準備制度のボルガー議長は、連邦公 開市場委員会を開き、重大な決定を行いました。それは今後の金融運営にあたって、マネ タリズムの考えを採用するというものであった。しかし、マネタリズムの金融政策、すな わちマネーサプライを重視して市場操作を行うという方針は、すぐ困難にぶつかってしま ったのである。1975年中頃、すでに10%に近づいていた金利は、マネーサプライの 伸び率を一定範囲に収まるよう市場操作をした結果、1980年はじめには18%に迫り

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ました。金利費用がかさみ、企業の倒産が増え、利益は圧縮され、住宅着工件数は減少し てしまったのである。結果は失業率の上昇であった。厳密なマネタリズムの金融政策は7 ヶ月しかもたなかったのである。1980年の上旬には、連邦準備制度は早くも政策の修 正、転換を図ったのである。痛い目にあった連邦準備制度が最終的にマネタリズム政策を 放棄するのは1982年の中旬とされている。

第3節 サプライサイドの失敗

ケインズ政策、マネタリズムが失敗した後、アメリカ合衆国の経済政策の花形として登場 したのはサプライサイドの経済学であった。「サプライサイド経済学」(供給側の経済学)は名 の示すとおり、この経済学は、需要や貨幣供給量だけでなく、経済を活性化させるには供 給側の条件も重要だというものである。サプライサイド経済学の最も有名なプロモーター は、アーサー・B・ラッファーであった。彼が与えた処方箋は、減税すれば、経済活動が活 発になり、結局政府収入が増えるというものでありました。レストランで食事中、このこ との説明のために紙ナプキンに書かれたのが有名な「ラッファー曲線」です。 税収 増収 図1 ラッファー曲線 税率 0 減税後 現行 100% 税率 税率 上の図1のようにラッファー曲線の説明は簡単なものです。税率0なら、税収は0となり ます。 反対に税率が100%でも、税収は0となります。所得のすべてを税金に取られる なら、誰も働こうとせず、したがって所得は生まれず、税率が0と100%の間では、税 収は正となりますが、曲線が山ひとつとすれば、どこかに最大税収点が一つあります。も しそうなら、最大税収点にいたるまでは、税率を下げれば、国の税収は増えることになる。 もしこれが本当なら、こんなうまい話はありません。ラッファーの処方箋に従うならば、 国民は税金が安くなり、政府の収入は増えるのだから、みんなが得をすることになる。最 初は、こんなうまい話は信用されなかった。レーガン大統領と組んで副大統領候補となる 前のジョージ・ブッシュは、こんないいこと尽くめの経済学を「呪術経済学」と評価していた ほどである。しかし、最初に議会が、そして大統領がこの処方箋を受け入れました。レー ガン大統領の経済政策は、しばしばレーガノミックスと呼ばれていますが、基調にあるの はサプライサイドの考え方であった。そして、レーガン大統領は、税率を下げると同時に

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軍事支出を拡大しました。旧ソ連との競争が最終段階を迎えたこの時期にあっては、軍事 費の支出が増えたのは、政治的には仕方ないことだったかもしれない。一方、税率を引き 下げても、経済の刺激効果はそれほど大きくはなく、税収は減少してしまった。減収と支 出増とが重なったので、政府の赤字は大きくならざるを得なかったのである。レーガンと ブッシュは、その意図とは反対に、歴史上もっとも大きな財政赤字を生み出した大統領と なってしまったのである。マネタリズムの実験の失敗が誰の目にも明らかだったようには、 サプライサイド経済学の実験の成否は明確なものではない。しかし、その実験は基本的に は失敗だったというべきである。レーガン時代を通して景気拡大は続いたが、減税して赤 字を解消するという約束は、さんたんたる結果を生んでしまったからである。

第4節 日本政府の失敗

日本政府は1990年代の平成不況を大型経済対策という財政支出拡大政策で克服しよ うとしてきた。バブル崩壊後、平成不況克服のために行われた6次にわたる大型経済対策 の事業規模を合計すると66兆3700億円になる。宮沢、細川、村山各政権下で陸続き と大型対策が実施された。しかし、それにもかかわらず景気は回復していない。政府は1 993年10月に景気底打ち宣言、すなわち回復に入ったとの宣言を行ったが、その正否 は現状を見れば火を見るより明らかである。こうした大型対策がなければ景気は更に悪化 したとの見方もあるが、経済社会の成熟化の中で、こうしたケインズ型の財政支出による 対策の景気浮揚効果(乗数効果)が構造的に低下していることも否めない。いずれにせよ、景 気の低迷と税収低下の下で、こうした大型対策を実施しつづけた結果、財政赤字は急速に 累増することになった。そして、次の橋本首相はその財政赤字を縮小するため、消費税5% への引き上げなどの9兆円ともいわれる実質増税の財政再建改革を行った。財政赤字の縮 小によって金利が低下に向かえば、投資が刺激され、プラスの資産効果をもたらす。また、 家計部門が将来の税負担の低下を期待するようになれば、恒常的な所得の増大から消費の 拡大につながる可能性が高いという期待があり、この政策を打ち出した。しかし、財政デ フレの影響が深刻になると、一転して、財政赤字拡大による景気刺激策に舞い戻ってしま った。そして、ついに経済企画庁は発表した1998年度版「経済の回顧と課題」(通称・ミニ 経済白書)の中で、バブル後の経済政策に重大な誤りがあったことを認めている。つまり、 政府の経済政策は失敗した。それは経済政策を支える経済学が失敗したことを意味してい る。 以上の経済政策の失敗が経済学が影響力を失ってきて、役立たないといわれるゆえんであ る。では、なぜ役立たないのであろうか。それは、実体経済と経済学の間に溝があるから ではないだろうか。溝ができてしまった原因として、従来の経済学の前提としている完全 合理性と経済分析方法である要素還元主義とがあげられる。 完全合理性とは、人間は自分の置かれた利害や状況を理解している。そのため、複数の選

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択肢に直面した時、必ず最適な選択(意思決定)をするということである。この考えを人間に あてはめれば、人間は生まれながらにして懸命な存在であり、決して選択を誤ることはな いということである。つまり、人間は完璧な存在としてみとめられ、意思の決定でミスを しないというのである。この完全合理性の原点は、哲学者のデカルトによるものである。 彼は懐疑に懐疑を重ね、絶対に確実な存在を求め続けた。その結果、「私は考える、ゆえに 私は在る」という有名な命題を手にしたのである。この世で唯一、確実といえるものが「私 が考える」ことであるなら、数学の公理などの真実は、人間生まれながらにして備わってい るはずである。これがデカルト流の合理主義である。合理主義では、人間は生まれながら にしてさまざまな観念を持っているので、そこから出発すればすべては論理的に解決でき る、という。これが従来の経済学における完全合理性の原点である。 要素還元主義というのは、ものの実像を知るためには、対象となるものを多くの要素に徹 底的に分解しようというものである。例えば、要素還元主義では目の前にある水を「水」と はとらえず、この液状の物体は酸素と水素から成り立っていると考える。「水」というひと つの対象を、二つの要素に還元した上で、その本質に迫っていくのである。これが要素還 元主義である。それでも「水=H2O」の場合、その要素は単純に分解できる。だから、まだ いいとしよう。しかし、高度なサイエンスや経済の分野ではそうは行かない。経済では、 労働力、雇用、生産といったさまざまな要素に分解されるからである。 しかし、これらがなぜ問題なのか考えてみる。もし、完全合理性が人間の本質だとすれば、 私たちはショッピングで迷うはずはないし、無駄な買い物をすることもないだろう。更に いえば、人生の岐路に立った時も、躊躇せずに最善の選択をし、ばら色の人生を手にでき るはずである。しかし、多くの人たちは現実がそうでないと知っている。また、先ほどの マネタリズムが全盛の頃、合衆国では合理的期待形成理論が大はやりであった。合理的期 待形成理論は、政府がどのような政策をとろうと、人々がその効果を事前に合理的に計算 して行動する結果、政策の効果は無効となる、というものだった。政府の研究機関や金融 機関の研究所でも、ある政策の効果や結果を正しく予測できないというのに、それ以上の ことを普通の人々が計算しているというのだから、非現実的な仮定なのである。このよう に完全合理性とは、人間は生まれながらにして懸命な存在であり、決して選択を誤ること はないというものだった。そういった認識から出発して、生きた経済を無数の要素に分解 し、分析していった時、その結果は現実とは、恐ろしくかけ離れたものになりかねないの である。だが、従来の経済学が完全合理性を前提にしたのは、理論付けに必要だったから である。その例を次の 2 章で従来の経済学の主流である新古典派経済学の基礎の一般均衡 論において見てみます。

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第2章 新古典派経済学理論

第1節 新古典派経済学の基本的枠組み

新古典派経済学には、2 つの方法的枠組みがあります。1 つは、最適化原理です。最適化 原理は、経済学のさまざまな場面に現れます。消費者理論では、効用の最大化。生産者理 論では、利潤最大化、費用最小化といった具合である。消費者や生産者など、経済活動の 担い手を主体と捉え、主体の経済行動を何らかの目的関数の最適化と表現するのが、新古 典派経済学の第1 の方法的特徴である。第 2 の方法的枠組みは、均衡というものである。 これは市場に観察される価格や取引数が、与えられた条件の下では、基本的に現在どおり に定まり、その条件が変化しない限り変化しない、と言う考えにたっている。価格が均衡 であるためには、需要と供給とが一致していなければならない。もしそうでなければ、価 格は変化してしまう。現在の価格が一定の安定性をもつ以上、その価格は需給の一致を生 んでいるはずで、価格はそのような需給一致条件から求めることができる。これが価格均 衡の基本的な枠組みである。需給で決まる価格のグラフは下の図2 で示している。 数量 図 2 価格均衡(需給の線は曲線である) 供給曲線 取引数量 需要曲線 0 価格 均衡価格

第2節 効用最大化の計算

新古典派経済学では、消費者一人一人は、購入される財・サービスの集合の任意の 2 組に 対し、選好と呼ばれる順序関係を持っていると考える。教科書では、よくりんご 2 つとみ かん3 つのバスケットとりんご 3 つとみかん 2 つのバスケットとあって、どちらかをとる ことができる時、あなたはどちらを選ぶか、といった問いが例としてあげられている。こ んな簡単な場合はともかく、財・サービスがたくさんある時、その任意の2 組を比較できる というのは、非現実的な仮定だが無視しておく。この選好関係がある条件を満たすならば、 この選好関係はひとつの効用関数で表すことができる。そこで、以下では、選好関係のか わりに、効用関数を用いる。効用関数を用いると、消費者の買い物行動は、予算制約の下 での効用関数値の最大化問題として定式化できる、と新古典派は考えます。消費者の行動

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がある最大化行動によって記述できると考えているわけですから、ここに最適化原理が前 提されていることになる。 みかん 等選好曲線 3 2 図 3 選好関係 2 3 りんご 効用最大化問題では、まず消費者は、ひとつの効用関数 u(x1、x2… xn)と財・サービス の期首保有量 z1、z2、… zn とをもつと考える。ここで、x1、x2… xn は、購入すべき財 やサービスの量を表す。期首保有の全量をいったん市場に供給し、価格をにらんで必要量 を買い戻すと考えれば、価格体系p1、p2… pn において、この消費者の予算額は C=z1・p1+z2・p2+・……+zn・pn となる。消費者は、どんな財・サービスの組み合わせでも購入できるわけではないので、財 やサービスの購入価格総額が金額 C を超える場合には購入することはできない。これが予 算制約である。購入可能な財・サービスの組み合わせx1、x2… xn は不等式 x1・p1+x2・p2+…+xn・pn≦C を満たさなければならない。任意の価格体系p1、p2… pn が与えられた時、この制約条件 の下に、関数値u(x1、x2… xn)を最大化せよ、というのが効用最大化問題である。 今、すべての財・サービスは、単位の倍数ごとに売られていると考える。この時、x1、x2 … xn は整数となる。特に、単価が全部正ならば、このような組み合わせは、有限個しかな い。この時、予算制約条件を満たす財・サービスの組み合わせの中で、効用の値を最大化す るものがある。効用の値も有限個だから、その最大のものがあるのは当然である。原理的 には、効用最大化は何の問題もないが、これを実際に求めるとなると話が違ってくる。 この最大の効用を与える組み合わせを実際に計算してみることを考える。財・サービスの 種類 N が少し大きい時には、暗算では到底できないので、コンピューターを使用し、その 計算時間を推定してみる。効用の最大化計算は、有限の時間で終了します。大阪大学の塩 沢教授の計算結果によると、財・サービスの種類の数 N が 10 以下なら、瞬間に終わる。N が20 でも、1 秒で終わる。N が 30 になると 17 分も待たなくてはいけない。N が 40 は 12 日、50 では 35 年も待たなくてはいけない、というようになる。 表1 N の計算時間 N 計 算 に 要 す る時間 10 20 30 40 50 60 70 0,001 秒 1 秒 17 分 12 日 35 年 3,57 万年 3,66 千万年

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上の表から、効用を最大化する計算をコンピューターで行うにしても、財・サービスの種 類の数は、せいぜい30どまりでなければ実際には使えない。しかし、財・サービスの種類 が全部で30以下というのは、きわめて原始的な経済でも考えられない。現在、小さなコ ンビニエンスストアでも、1,200品目ぐらいの商品を陳列しているのではないでしょ うか。このように制約条件付き効用最大化問題は、原理的には計算可能だが、実際には解 けない。それは、人々の買い物活動が最大化原理に従っていないことを意味する。このこ とは、今までのような難しい考察をするまでもなく、日常生活におけるみずからの買い物 活動を考えてみればわかることである。私たちは、あらゆる可能な買い物結果を考えて、 それらの中から自分が最も好ましいと思う買い方をしているのではない。洗剤、ゴミ袋、 醤油、油などがなくなってきたから、新しいものを補給したり、アジが食べ飽きたから鮭 に変えてみたり、予算の許すかぎりでかなり気の向くままに買い物をしている。思い切っ て買い物することはあっても、綿密に計算し尽くして結論をだすなどということはない。 このようなことはある意味でわかりきったことである。だが新古典派が効用最大という定 式を捨てられないのは、そうすると理論的に困ったことがおきるからである。それは、需 要関数が構成できないということです。需要曲線は、価格を任意に与えた時、人々が商品 をどれだけ需要するかを仮想的に考えて構成したもので、もし人々が最大化原理に基づい て需要を表明するのであれば、各人の需要関数を集計することにより、市場全体の需要関 数が定義できる。しかし、上に見たよう、財・サービスの種類N が 70 を超えるくらい大き くなると、コンピューターを使用しても最大化は不可能である。そうすると、最大化原理 に従って需要関数を構成することは意味がなくなってしまう。こうしたことから、需要関 数を構成するのには、消費者が効用最大化しているという仮定が必要なのである。そして、 そこに人間を全知、全能の神に同一視したような完全合理性が必要だったのです。

第3節 複雑系への流れ

経済学が影響力を失ったのは現実ばなれているところにあり、経済活動をしている複雑な 存在である私たち人間を単純化したことに帰する。それは物理学にも同じことがいえる。 例えば、物理の教科書にはピサの斜塔から同じ大きさだが重さの違う2 つの玉を落とすと、 その落下速度は同じであるという説明がある。これを実際にやると、玉は空気の抵抗など を受け、理論どおりには落下しない。つまり、この有名な理論は、空気がないという、現 実にはありえない仮想世界の中だけで成り立つものであり、空気のある現実の世界では、 それを説明することはできない。高校時代の化学や物理学の公式には、こうした前提や条 件が必ずついていた。例えば、「完全な真空状態として」とか「温度が一定の場合には」な どである。なぜこのような前提条件が必要だったのか。それは、真空であったり、温度が 一定でないと、空気や温度が実験内容に複雑な影響を及ぼしてしまうからである。その結

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果、理論を導き出すことが不可能になってしまうからである。これらは現実にある複雑さ を、ある意味で捨象したところで成立していたのである。そこで現実をより現実らしく表 すためには、複雑な存在は複雑なものとして受け止めることが必要という考えが広まり、 複雑系の考え方が出てきたのである。それは数学、物理学、化学、生物学や経済学などの 学問に影響を与えています。複雑系の概念をサンタフェ研究所のブライアン・アーサーは、 「多くの要素があり、その要素がお互いに干渉し、何らかのパターンを形成したり、予想 外の性質を示す。そのパターンは各要素そのものにフィードバックする」と述べている。 これを経済にあてはめると、経済は相互に干渉する要素(エージェント)からなり、それ らのエージェントがお互いに反応しあうようなパターンを形成するという意味で複雑系な のである。しかし、他の複雑系との違いは経済における要素が知的だということ、すなわ ち人間という点である。そうした認識の下、複雑系経済学はその複雑さをありのままに受 けとめ、さまざまな要素と要素が干渉し合う状況を綿密に観察し、そこから経済の実態を 探っていこうとするものである。そして、複雑系経済学の構想としては、「限定合理性」、 「自己組織化」、「収穫逓増」の 3 つの柱がある。限定合理性と収穫逓増は、従来の経済学 の完全合理性と収穫逓減に対する新しい前提で、自己組織化は人間行動を見る時の考え方 である。

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第3章

複雑経済学の構想

第1節 限定合理性

限定合理性は、完全合理性とは異なり、人間は自分の置かれた利害や状況を不完全にしか 把握できないし、最適な選択や行動を計算する能力も持ち得ない。それゆえ、部分的、限 定的な合理性しか追求し得ないとする考え方である。これは、ハーバード・A・サイモンが提 唱した。サイモン氏は完全合理性に対して、もし人間に合理性の限界がないならば、経営 学はいらない、なぜなら、すべての理論はただ 1 行、代替的な選択肢の内から最適なもの を選び出せということに帰着すると述べている。また、アーサー氏はチェスで完全合理性 に反論している。チェスはルールが定義されたゲームである。初手から指し手もある程度 決まっている。将棋でいう定石である。こうして指し手が決まっている上に、完全合理性 でいうように人間が常に賢明で、最善の選択をするとすれば、対局する勝負師達は絶対に ミスを犯さないし、結果は予測できることになる。それどころか、チェスというゲームそ のものが成立しない。しかし、現実にはチェスというゲームが存在している。それはなぜ か。たとえ対局者たちが、一般の人と比べてきわめて賢明だとしても、彼らは常に考え、 迷っている。「ん∼、次はどのように指せばいいか?」と。これが現実のチェスである。た しかに、人間は合理的に考える。しかし、そこには必ず限界がある。だからこそ、チェス というゲームが成立するのである。それは将棋の世界でも同じである。名人戦に登場する 棋士達は最高の頭脳と技量の持ち主に違いない。しかし、彼らにもおのずと限界がある。 だからこそ、定石を重視しながらも、棋士達はあらゆる可能性を求めて相手の手を読もう とする。こうして、初めて将棋というゲームが成り立つのである。では、合理性の限界と は、どのようなところに限界があるのでしょうか。それは、人間の合理的な推論能力、計 算能力、思考能力には限界があるということである。また、外界の状況に関する情報収集 能力一般についても、一定の限界がある。つまり、情報の収集と処理において限界がある ということである。このように複雑系経済学は、人間が有限の能力を持った存在であると いう、実に平凡な観察を理論形成の出発点に置きます。人間は無限の合理性をもつもので はなく、一定の合理性をもつが、その合理性には限界がある。これが複雑系経済学の人間 像である。

2 節 自己組織化

経済の総過程を考察する場合に、自己組織化という考えを重要視している。自己組織化と は、空間的、時間的に混沌とした中から、内部的な作用によって、自律的にある秩序を形 成していく過程をいう。例として、長い廊下状の平面を左右から押し寄せた多数の人が反

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対方向に歩いている状況を考えてみる。ある場合には、左行き、右行きの人はまったくラ ンダムに交ざっているかもしれない。しかし、このような流れがしばらく続くと、右に行 く人同士が、左に行く人同士がいくつかの帯になって動くようになり、いくらか秩序らし いものが生まれてくる。これは同じ方向に歩く人の近くを移動するほうが、そうでない場 合よりも楽に移動できるからである。もっともうまい場合には、中央付近に分離帯が 1 本 でき、その両側で、右行き、左行きが判然とわかれる。このような秩序の自然発生的な形 成を自己組織化という。右行きの流れの中をあえて左に進もうとすれば、そうでない場合 より、かなりの努力をしなければ同じ速さでは進めない。自己組織化された状況の中では、 全体の過程がどうあるかによって、個別主体のとるべき行動が違ってくる。つまり、自己 組織化されてできた支配的な状況に個体の運動が支配されていることになる。これを経済 の総過程に置き換えると、総過程がどうあるかというマクロの状況がミクロの行動を決め るという側面がある。しかし、そこでは逆の関係も成り立つ。経済の総過程は、さまざま な経済行動が相互に組み合わされて進展するものである。それがどのような総過程となる か、どのような秩序と反復のパタンが見られるかは、これら経済行動が全体として生み出 す性質でもある。その意味では、経済の総過程ともいうマクロは、自己組織化を通して個々 のミクロの行動が作り出しているものである。ここでは、ミクロがマクロを規定している 側面が見られる。経済では、このようにミクロとマクロとは相互に円環的に規定しあって いる。だから複雑経済学では、この自己組織化を通して経済分析をする。

3 節 収穫逓増

収穫法則は大きく 3 つに区別できる。それは収穫逓増、逓減、一定の 3 つである。これら は新古典派経済学者のアルフレッド・マーシャルが提唱したものである。 収穫逓減とは、一部の生産要素、例えば労働時間を 1 単位追加すると、限界的には収穫の 増加分が逓減することをいう。時間が経過するにしたがって、追加 1 単位の労働による収 穫は、徐々に逓減していく。収穫逓減の例として、面積がかぎられた農地での農作物の収 穫高を考えてみる。この農地で例えば米の収穫高をあげるには、面積当たりの稲の数を増 やせばいいわけだが、単純に倍の数を作付けすれば、単位面積当たりの稲の密集度が大き くなるわけで、その分肥料も多くする必要がある。こうして、稲の成長に必要な要素であ る水、肥料などを倍に増やして行けば、収穫量もそれだけ増えていくかというと、なかな かそういうわけにはいかない。なぜなら、稲が密生することで、1 株当たりの土壌が少なく なり、稲の生育状況が悪化するからである。結果として、面積がかぎられている以上、ど んなに肥料を多く、あるいは高品質のものを与えたとしても、投入量に比例した収穫は上 がらなくなってくる。これが収穫逓減である。 収穫逓増は、収穫逓減とはまったく反対のメカニズムが働くことになる。つまり、労働時 間を追加すればするほど産出量の増え方も多くなる。教科書では、電気、ガス、鉄道、電

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話、ゴミ収集業などの産業では、収穫逓増の範囲で市場の需要を賄うため、収穫逓増が見 出せるという。これは、自然独占と呼ばれている。しかし、複雑系経済学はこの自然独占 型産業ではなく、ハイテク産業において収穫逓増を見出した。 収穫一定とは、理論的には追加生産要素(労働時間)と同率の産出量が得られる状態のこ とである。 図4 収穫法則 産出量 産出量 産出量 生産関数 生産関数 生産関数 収穫逓減 労働時間 収穫逓増 労働時間 収穫一定 労働時間 ところでなぜマーシャルは収穫逓減だけを考えたのであろうか。それは、もし収穫逓増が 企業単位で成立するなら、産業が一企業に独占されてしまうという問題があったからです。 それはこういう過程が成り立つからである。最初に、偶然他より少し大きくなった企業が あるとする。この企業は低い平均原価を武器として、製品価格を引き下げることができる。 そうすると、この企業は自社製品に対してより多くの需要を獲得し、さらに生産規模を拡 大することができる。もしこの過程が無限に続くならば、特定の企業のみが生産を拡大し、 他の企業は需要を奪われ、結局産業全体が一企業に独占されてしまうことになる。しかし、 マーシャルが収穫の法則を考えたのは、19 世紀のことで、経済はまだほとんどの生産が中 小企業によって担われており、独占はともかく、寡占的市場も珍しい時代であった。そう いう意味では収穫逓減は現実に忠実であったといえる。しかし、現在収穫逓増がハイテク 産業に起きている。そこで、複雑系経済学は現実をありのままに受け取るために、収穫逓 減に対して収穫逓増を考えるのです。

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第4章 自己組織化の市場経済

第1節 新古典派型市場観

私たちは、市場経済の下で経済活動を行っています。市場経済は、世界中に取引の網目が 広がっている。もしこれが組織ならば、きわめて大きな組織ということができるが、この 大きな組織には中心がない。これは他の大きな組織、国家機構、軍隊、カトリック教会、 計画経済などと比べると際立った特徴である。誰も全体に指令するものがなく、各経済主 体の判断に任せながら、市場経済はなぜ機能していくのだろうか。これは、最も初歩的で ありながら、経済学が答えるべき最も重要かつ基礎的な問題である。市場は個々の商品取 引を通して、色々な商品の価格が決定され形成される。市場形成において重要な価格決定 プロセスを従来の経済学では、すべての財の市場の同時的需給均衡によってなされるとい うワルラスの一般均衡理論で、またこれに対して財の価格がその財単独の市場で決まると したマーシャルの部分均衡論で説明している。 ワルラスが経済を一般均衡の体系と捉えた考え方は、パリの証券取引所をモデルに考えら れたものである。ワルラスは、このような市場を完全に組織された市場と考えていた。だ から、ワルラスの念頭にあった市場は、たぶん東京やニューヨークの証券取引所と同じ、 げきたく商いという価格の決定方式を用いるものだったのであろう。この運営は、定刻が くると 1 人の競り人の周りに場立ちが集まり、立ち会いが始まる。一定の順番で特定の銘 柄を取り上げ競り人が価格を叫ぶ。それに対して場立ちが売り買いの数量を手振りで示す。 売買一致したところでその銘柄の価格と取引が決まる。ただ、このような価格決定方式と ワルラスの理論との間に決定的に違うところが1 つある。それは、1 つ 1 つの銘柄を独立に 取引していることである。ワルラスはすべての商品について需要と供給の一致が成立する 時、初めて取引が行われると考えた。東京証券取引所は、約三千の銘柄がある。それらす べての需給が一致するまで待つとなると、時間は過ぎていって一度は需給の一致が成立し ていた銘柄も、売りが多くなったり買いが入って均衡が破れてしまう。1 つ1つの銘柄ごと に価格を決めて取引を成立している点は、ワルラスが想定した市場のあり方と根本的に違 っていた。 一方、マーシャルの部分均衡はワルラスよりは現実的なものとして、教科書に使われてい ます。それは簡単化のため、他の市場との関係を切り離して単一の市場だけを取り上げて いるので、現実との関係が明確に表わせるからである。つまり、ある 1 つの財に対する需 要曲線と供給曲線とが交わる点で、その価格が決まるということである。この考えの背景 には、部分ごとに均衡に向かうとすれば全体としても均衡に向かうはずというのがあるの であろう。このように、従来の経済学は第 2 章で述べたように最適化をもって行動するこ とで需給曲線が描けて、その均衡点で価格が決まると考えた。

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第2節 自己組織化の市場観

複雑系経済学は、自己組織系として市場経済を捉える。市場経済では、経済の担い手であ る多数の主体は、基本的に自己判断に基づいて行動する。市場においては、これら主体の 相互作用が重要である。そしてその相互作用として、相対取引に注目する。経済における 相互作用の形態は、基本的には 2 者間の取引、つまり相対取引だからです。これ以外の相 互作用、3 者間取引、4 者間取引もあるがなぜ 2 者間取引かというと、第 1 に、関係者が多 くなればなるほど、合意が難しくなるということである。これは単に情報の交換時間が長 くなるということに限らない。相互の要求する条件を満たす解を見つけるのも大変になる。 すべての条件を満足する解がないかもしれない。たとえあったとしても、限界合理性の人 間にとって、そのような解を見つけるのは大変だからである。第 2 は、多数者の間で交渉 をし、取引をすることの利益が限られていることである。2 者間の取引を繰り返すことで、 多数者の間の取引に変えることができるなら、合意の難しい交渉をあえて行う必要がない からである。その相対取引が繰り返される中から、自然に生まれてくる秩序、自生的に作 られる秩序が市場経済である。つまり、市場経済は相対取引の繰り返しから自己組織され る秩序である。このことを認めた上で、相対取引における価格成立を述べる前に、まず説 明しなければならないのは、この秩序がなぜそこそこの効率性をもちうるのかということ である。ワルラス型の経済においては、この問題は一般均衡のパレート最適性といった主 題で議論されている。しかし、あくまでも相対取引を基礎として、経済がおのずと一定の 効率性を保証する体系であることを説明しなければならない。それはリカードの比較生産 費説を用いて説明します。この説は国際貿易の利益の説明原理というように理解されやす いが、実は国内経済についても成立する原理である。仮にそれを価格裁定の原理と呼んで おく。 価格裁定の原理とは、同じ国の中であれ、2 つの国の間であれ、経済に 2 つの部分があり、 そこに比例的でない価格が成立している時には、2 つの経済間で交易を行うことにより、双 方の経済成果を高めることができる。このことは、2 つの価格体系の不比例性を利用して裁 定取引を行うことにより促進されるということが成り立つことをさす。リカードの比較生 産費説は、イギリスとポルトガルの 2 国において、ラシャとぶどう酒の相対価格が等しく ない時の説明であった。 表 2 リカードの比較生産費説 ラシャ ぶとう酒 イギリス 100 120 ポルトガル 90 80

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注1 (120/100)/(80/90)=1.35>1 これは特化条件と呼ばれているが、同時に裁 定行動の可能性を示している。この比率が1 に等しくない(相対価格が等しくない)とき、 裁定行動による利潤機会があるが、1 より大きいか小さいかにより、商品をまわすべき向き が逆になる。 上にリカードの比較生産費説を示した。この時、ラシャをイギリスから輸出して、それを ポルトガルで売り、その代金でぶどう酒をイギリスに輸入して現金に替えれば、ラシャを 購入した資金よりも多くの現金が得られる。これは、貿易で利潤をあげられるという条件 である。このような時、そのことに気づいた人はいち早く、そのような活動に取り組むで あろう。これが裁定行動あるいはさやとり行動である。この活動自体は貿易商人の利己的 な活動なのですが、このような活動の結果、イギリスでぶどう酒の生産からラシャの生産 に労働人口が移動し、ポルトガルでラシャの生産からぶどう酒の生産に労働が移動すれば、 両国で働く人の数が一定でも、2 国で別々に生産していた時に比べてラシャとぶどう酒の双 方の生産量を増大させることができる。これが貿易の利益である。重要なことは、私益が 公益を促進するという構造があるということである。つまり、貿易商人が誰のためでもな く、自分の利益のためにさやとり行動を行うことにより、双方の国の経済成果が改善され る可能性が生まれるということである。この可能性は、無限に続くものではない。裁定行 動を続けると、たとえばイギリスでは、ラシャに比べてぶどう酒の価格が次第に低下して、 ポルトガルの相対価格に近づく。もし、輸出に伴う費用や危険が 0 とすれば、二国の相対 価格が一致するまで裁定の可能性はあるが、現実には貿易の費用や危険のため、一定の価 格差を残したまま終息する。しかしそのようにして変化した価格体系の下で、上記の生産 量の変化と労働移動とが起こり、総労働時間は同じでも両国を合わせた全体としての生産 量が増大することになる。このことを頭に入れ相対取引での価格の成立を考えてみる。

第3節 相対取引での価格決定

相対取引では近い過去の身近な取引を参照しながら価格や取引数を決める。取引者たちが、 市場全体を見渡して決めているわけではない。部分的な情報と判断に基づいて、取引を繰 り返しているわけである。初めの内は、1 つの商品にさまざまな値段がつくことになるであ ろう。誰もどれが正しい値段か、適正な価格か知らないのでこれは当然である。人々は思 い思いに値段をつけ思い思いに価値を評価する。高い価格でも取引が成立することがあれ ば、低い価格でも取引が成り立たない場合がある。しかし、一方に低い値段で売りたい人 がいて、他方に高い値段でも買いたい人がいれば、そこに裁定の機会が生じる。価格裁定 の機会があると、機敏な商人が現れてその機会を利用して値段を変化させる。しかし、こ のような状態は長くは続かない。次第に、人々がこの位の値と考える価格の水準が知られ

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るようになる。初めは星雲状に散らばっていた取引価格が、ある一つの値の周りに収束し てくる。こうして市場価格といえるようなものが成立するのである。価格裁定がある程度 進み、もはやさやとりの機会が少ない状態になると、相対取引の市場にも一物一価に近い 状態が成立する。すべての商品にこのような市場価格が定まると、そこに市場価格の体系 ができあがる。このようにして得られた相対価格の体系は、ワルラス型の市場が機能した のに劣らない高い効率性をもつことができるのである。それは、個別の修正が次第に全体 の効率を高めるようなしくみがこの自己組織化に組み込まれているからである。それが上 でのべた価格裁定の原理である。価格裁定というメカニズムを通して、価格体系は部分的 な修正を受け、次第により効率的なものに変化していく。このような裁定行動を行う機会 が少なくなった状態、つまり市場価格の体系ができあがった状態は、現存する資源を再配 分してみても、もはやそのことから全体の成果を高めることはできない状態なのである。 市場価格は、誰が命令して作り上げるものではないが、市場は価格裁定という機構を通し て、このように効率的な価格体系を自動的に発見、生成するのである。 以上のように、市場経済の機能を価格の決定から、従来の経済学と複雑系経済学を比較し てみた。ワルラスの一般均衡は別にして、マーシャルの部分均衡は財の価格がその財単独 の市場で決まるとしたが、現実にはある財の価格を考える時、その財の市場だけではなく 他の関連ある財の市場も考慮しなければならない。そこで複雑系経済学は、価格裁定とい うメカニズムを用いてそれを考慮した。相対取引による価格の決定は、従来の経済学より 現実的な考え方であるといえる。しかし、このような限定合理性をもつ人間の行動パター ンを理論化するのは無理な話である。もし、マルチ・エージェント・モデルと呼ばれるもの で、日本人1 億 2500 万人についてロボットを作り、それを全部つなげてシュミレーション を行えれば可能かもしれない。市場機能の考え方は複雑系経済学のほうが現実に根ざした ものといえるが、理論付けになると抽象化して考えなければいけないことは否めない。

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第5章 収穫逓増の市場経済

第1節 収穫逓減の世界

収穫逓減と逓増における市場はそれぞれどのように動いているのだろうか。収穫逓減の世 界は、マーシャルの時代の大量生産経済に見て取れる。その市場で成功した製品や企業は、 最終的には限界へとたどり着き、その結果、予測可能な価格およびマーケット・シェアの 域に落ち着く傾向がある。詳しくは、マーシャルの世界の、1880、90 年代にさかのぼる。 鉱石、金属、石炭、木材、大豆、コーヒーといった天然資源に依存し、ノウハウといった 知識や情報を重要視しない大量生産の世界であった。このような世界では、例えば、ある コーヒー・プランテーションがその生産を拡大するならば、最終的には、コーヒー栽培がで きなくなるまで土地を酷使していくと考えるのが妥当であった。言い換えれば、この生産 活動はまさしく収穫逓減に向かっていくのである。もし、複数のコーヒー・プランテーショ ンが競争しあっていたならば、それぞれコストが上昇するか、利潤が減少するような限界 にいたるまで生産を拡大させる。そしてコーヒー市場は、多くのプランテーションによっ て分割される。また市場価格には、消費者の好き嫌い、農地の適切な利用といった要因に 左右されながら、予測可能な水準というものが形成される。農園主はコーヒーを生産する ことで利益が生み出される限り、コーヒーを栽培しつづけるだろうが、もはや独占的な利 益を上げることはできない。ほどほどの利益を上げながら、他の農園主達と共存してビジ ネスの均衡が保たれるのである。このようにプランテーションの農園主の場合、破産しな いかわりに夢のような巨富を手にすることもできない。微妙にバランスの取れた安定した 状態である。マーシャルはこのようなマーケットを完全競争と呼んでいる。しかし、マー シャルの世界は 1 世紀後にもまだ、穀物、家畜、工業、食品、小売商品といった産業の大 規模に毎日毎週繰り返される、大量生産に依存している近代経済の中に生きていたのであ る。これらの商品は、どの商品にも絶対的な優位性がなく、ほとんど似たり寄ったりの固 定した商品である。しかも、製造に特殊なノウハウを必要とせず、誰もがビジネスに参入 できる。激しい競争にさらされても、最終的な勝利者が残るわけではない。それぞれの体 力にふさわしいシェアを維持し、何とかビジネスとして成立していく。例えば、菓子メー カーは乱立し、激しい競争を展開しているが、あるメーカーがマーケットを寡占化するこ とはない。森永製菓やグリコといった大メーカーが存在する一方で、地方の菓子メーカー もそれなりに健闘している。鉄鋼を見ても、新日鉄、NKK、神戸製鋼といくつかのメーカ ーがあり、業界内では強弱があっても、トップメーカーの新日鉄だけがマーケットを独占 することはないのである。このような大量生産経済には、いくつかの原理が存在する。第1 は、収穫逓減の法則である。規模を拡大し、生産性を向上させようとしても、いずれ限界 にぶつかって利益は逓減していく。これは既に述べたとおりである。第 2 は、商品や製品 が固定化しがちだという点である。、穀物、家畜、工業、食品、小売商品といった農産物の

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ような場合、需要は限定される。無限に作ったとしても、売れるのは必要分だけなのであ る。そうなれば、収益は低下し、一種の均衡した状態となる。あとは限られたパイを競争 者達が奪い合うだけである。第 3 は、人々が毎週、毎年生産を続けていけば、遅かれ早か れ、完全ではないにしても、理に適ったやり方で物事を進めるようになる。これが、人々 は最適化を目指すという完全合理性の発想でもある。

第2節 収穫逓増の世界

ハイテク産業でおこる収穫逓増とはどのような世界であろうか。収穫逓増とは、成功して いるものはいっそう隆盛する傾向、優位性を失ったものはますます優位性を損なう傾向の ことである。すなわち、市場において成功を勝ち取ったものを更に強化し、ダメージを受 けたものを更に弱めるポジティブ・フィードバックのメカニズムのことである。収穫逓増は、 均衡ではなく不安定を生み出す。ある市場で熾烈な競争をしている、製品または企業が幸 運あるいは秀逸な戦略によって成功したならば、この収穫逓増のメカニズムが働くことに よって、その優位性は拡大し、その製品なり、企業なり、テクノロジーが、その市場にロ ックインを続けていく。その事例をアメリカの1980 年代初頭、CP/M(8 ビット CPU 用 DOS)、DOS、およびアップルのマッキントッシュというシステムが競争していた、パソコ ン(以下PC)のオペレーティング・システム(以下、OS)の市場で見てみる。ここでは、 あるシステムが成功すると、それは次にソフトウェア開発者およびハードウェア・メーカー がそのシステムを採用しようとする呼び水となり、このシステムが更に勢いに拍車を掛け ていった。CP/M は最初に市場に登場した OS であり、79 年までは高い定評を得ていた。 その後マッキントッシュが現れた。DOS は 80 年に、マイクロソフトが IBM−PC のため にOS を提供するという合意がなされた時に誕生した。1、2 年の間は、どの OS が優位性 を獲得できるかは判然としなかった。しかし、DOS と IBM ユーザーは成長し、彼らから の支持が増えることによって、ロータスのようなソフトメーカーがDOS 向けのソフトウェ アを開発するようになった。DOS の優位性は、IBM−PC の優位性でもあるが、更なる優 位性を生み、ついには DOS と IBM のコンビネーションは市場のかなりの部分を支配する ようになった。ここで、いくつかの事柄に注目してみる。どのシステムが支配的になるか は予測不可能であった。ひとたびDOS と IBM が成功すると、そのユーザーにして見れば、 新たに別のOS に切りかえることはコスト的に割に合わない。よって DOS は市場にロック インされた。支配的なシステムが最高のものと限らない。だが、ひとたびDOS が市場にロ ックインされると、その提供者であるマイクロソフトは、広がったDOS ユーザー達にその 開発コストを分散(外部経済化)させることができた。その結果、マイクロソフトは巨額 のマージンを享受したのである。その後、マイクロソフトはウィンドウズを世に送り込み、 ウィンドウズ95 で OS 市場をロックインし、寡占状態を作り出したのである。それでも、 例えばアップルコンピューターのマッキントッシュなどが、小さなシェアを獲得する余地

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はある。しかし、ほとんど勝者が大半をさらう状況になるのである。これらの性質、つま り、市場の不安定性、多数の潜在的結果、予測不可能性、ある市場でロックインする能力、 勝者に対する厚い利得といったものが収穫逓増の存在を示している。

第3節 収穫逓増の要因

なぜハイテク産業に収穫逓増が起きているのだろうか。第 1 の要因は、初期費用にある。 製薬、コンピューター、航空機および他のハイテク製品は、その定義からも設計すること が困難であり、また市場に持ち出されるまでに時間がかかるものである。それらは、ノウ ハウに依存し、物質的な資源はあまり関係ない。それゆえ、それらは一般的に、単位コス トに対するR&D コストが非常に高い。マイクロソフトは、ウィンドウズ 95 の最初のディ スクの費用は5000 万ドルの費用を要したが、その後のディスクの費用は 3∼4 ドルであっ た。価格は100 ドル近いので、製造コストの約 25 倍で販売していることになる。だから、 単位コストは売上の増加と共に減少し、収穫は逓増する。第 2 の要因は、ネットワーク効 果である。利用者が特定のシステムを利用すればするほど、そのシステムの利用者が増え るので、正の外部性が生まれる。よく知られている例として、ビデオの VHS(松下)とβ (ソニー)の関係がある。VHS の利用者がベータより少しでも多い時、新しくビデオデッ キを買う消費者はレンタルビデオを利用することを考えて、VHS を選択していく。 第 3 の要因は、顧客適合性である。一度特定のシステムを学んだ人は、なかなか他のシス テムに親しみを持ちにくい。現在のキーボードの文字の配列(qwerty,クワーティ)がこの例 である。必ずしも合理的に配列されていないにもかかわらず、多くの人が慣れているがゆ えに利用されているのである。第1 の要因は、供給側の生産費用に関する要因であり、第 2、 3 の要因は需要者側の要因である。この 2、3 の要因は、デファクトスタンダードといわれ る内容を指している。こうしてハイテク市場では、収穫逓増のメカニズムによって、市場 の優位性を獲得する製品が更なる優位性を獲得しつづけ、市場を不安定にし、さらに市場 をロックインの下に置くことを保証する。もちろん、ロックインは永続しない。またウィ ンドウズ 95、VHS、qwertyを使う人が多くなれば、それらがロックインされる収 穫逓増の市場の背景には、皆が左を歩けば、左を歩く人がだんだん多くなるという自己組 織化がある。 以上の収穫逓増の3つの要因から、ハイテク産業は初期開発コストは膨大にかかるが、ひ とたび他社に先駆けて成功すれば、あとはそのコピーを作るだけで、その製造コストと時 間は逓減していき、他社が開発に時間を取られている間に、短時間で市場を独占すること になる。さらにハイテク機器は、代替がききにくく、使う側としても多く出回っているも ののほうが、他機器との互換性などの関係から使い勝手がいいため、一度市場で一定のシ ェアを占めると、加速度的に市場を席巻することになる。

第4節 逓減と逓増の混合

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まず、収穫逓減と逓増の違いをまとめると、収穫逓減はマーシャルの逓減の原理によって 運営される大量生産経済において見ることができる。それは、知識はさほど重要ではなく、 本質的には物質的資源の凝縮である製品を生み出す物質中心型の経済である。それに対し、 収穫逓増はハイテク産業に見られる。それは、わずかな物質的資源を使って、本質的には 知識の凝結である製品を生み出す知識中心型の経済である。これは情報革命がもたらした。 市場の働きにおいては前者は商品が変化せず、収益も限られた均衡した状態にある。後者 はそれとは反対に他社より先に市場でロックインできれば、独占または寡占状態になり膨 大な利益をもたらす。しかし、次にどの商品がロックインできるか予測不可能で、市場は 不安定な状態にある。このように、収穫逓減のメカニズムは、物質中心型の経済で支配的 である。一方、収穫逓増は知識中心型の経済を支配している。したがって、今後経済は収 穫逓減あるいは逓増のどちらか一方が支配する世界と、この 2 つが相互に関係して作用す る世界とに二分化される。つまりこれらの世界を理解するには一元的ではなく、それぞれ にふさわしい考え方を適用しなければならない。そのことをいち早く認識したのが皮肉に もβでVHSに負けたソニーである。ソニーの出井伸之社長はソニーという有機体は収穫 逓減と逓増の両方が混在する複雑系企業とのべている。それは、今までゲーム市場を任天 堂のファミコンがロックインしていたが、現在ソニーのプレイステーションがその市場を ロックインしようとしていることや、テレビを平面ブラウン管(べガ)でロックインしよ うとしていることからも、収穫逓増を理解していることがわかる。このように収穫逓増を 理解する企業は市場をロックインするために必死でがんばろうとするが、それは独占また は寡占を目指すことになる。しかし、現在の制度はそれを妨げる。なぜならば、市場を独 占することは独占禁止法で名の通り禁止されているからである。その例として、マイクロ ソフトは独占の訴訟をうけている。この制度はマーシャルの説く世界では、十分に理解で きるものであった。しかし、これを収穫逓増の市場にあてはめると、そこでの働きを壊し かねないのである。マルクスは経済学批判という彼の本の中でこうのべている。人間の生 産諸関係の総体は社会の経済的機構を形作っており、これが現実の土台となって、その上 に法律的、政治的上部構造がそびえたっていると。私はこの考えに賛成である。収穫逓減 の制度があり、収穫逓増の制度があっていいのではないだろうか。いや、作らなければな らないだろう。なぜなら、収穫逓増のハイテク産業は、これから急成長していくと思われ る産業である。その産業の成長や経済発展を、現段階での制度では止めてしまう可能性が ある。そのため、収穫逓増を理解し、新しい制度を構築する必要がある。

おわりに

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この論文を通して感じたことは市場というものが、とても説明しづらい存在であるという ことである。そして、一貫しての結論を出すことができなかった。しかし、4 章と 5 章でそ れぞれまとめて結論を出した。4 章では、従来の経済学は市場を抽象化して考えた。一方、 複雑系経済学はもう少し具体的に考えている。それは、両方の前提が異なっているからで ある。5 章の生産者にとっての市場では、収穫の逓減の方は物質的な経済で支配的であった。 その市場は、均衡状態にある。しかし、逓増の方は知的な経済で支配的であって、不安定 な状態にある。そこでは、ロックインなどと言った逓減では見られなかった不思議な現象 が起きている。今後の市場は、これら片方か、両方が入り交じることになるだろう。そこ で、逓増の現象を理解し得る制度が必要になってくると思われる。 ここでもう一度市場とは何かを考えてみたい。特に、4 章で取り扱ったような市場をどう 考えるであろうか。ある人は、市場というものを人為的な拘束を加えなければ、経済が自 然にたどり着く安定な状態として捉えるかもしれないし、多くの制度に守られて初めて存 続していくものとして捉えるかもしれない。そこには、例えば政治が安定し、貨幣が信頼 でき、信用が保証されるといった、様々な条件が不可欠であろう。また、市場というのは 万能でこれこそ人類の歴史が生み出した傑作だと考えるかもしれない。しかし、私はやは り講義で経済原論を習ったせいか、市場は人間を商品化し、人間関係を商品と商品の関係 にしてしまうと考える。だが、この考えは人間らしさを失ってしまっていると思う。この ように人間らしさを失った新古典派の理論はとても美しいものだとされている。しかし、 経済学は美しいだけでは困るのである。複雑な現実を理解し、社会を新しくデザインして いくための手がかりを与えてくれるものでなくてはいけない。しかし、今の複雑系経済学 でもこのような市場を説明するのには不十分であろう。もちろん理論付けができていない 点もあげられるが、市場で経済行動するのは人間である。だから人間の心や感情を捉えよ うとする心理学や、それに哲学などを加えた認知科学、さらに言えば、人間の行動は周り の環境にも制約されているため、慣習、規則、伝統といった文化を究極においてはそこに 取り入れなければならないだろう。複雑系経済学は現段階では学問として使えるものでは ないが、最近の情報革命のように私たちの経済活動が進化する中、学問も進化していかな ければならない。また、経済学が影響力を取り戻すためには、現実の経済状況を正確に読 み取り、的確な判断をする必要がある。そこで、複雑系経済学は経済という複雑な存在を ありのままに受け止めようという理念に基づき、従来の経済学の理論を応用し、補完する ものであってほしいと私は思っている。複雑系経済学はそうした重い任務を背負っている といえる。今後、複雑系経済学が育ち、理解されるようになり、経済学が繁栄することを 期待している。

用語説明

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エージェント

自律的かつ能動的に活動し、他者との協調を図る基本単位。

一般均衡のパレート最適

ある経済状態において、財・サービスの交換・再配分を行い、それによって経済のすべての 主体の追求目的の実現水準を改善できるか、少なくとも悪くすることがない場合に、この 経済には資源再配分によるパレート改善可能性があるといいます。このようなパレート改 善可能性が汲み尽くされてしまった状態、つまりある人の目標値を下げることなくしては、 他の人々の目標水準を上げることができない状態をパレート効率的あるいはパレート最適 といいます。これは、日常私たちが使っている効率性とはかけ離れたものです。パレート というのは、このような効率概念を考え出した経済学者の名前です。価格体系が効率的で あるというのは、もし資源再配分による改善可能性がある場合には、この価格による交換 を通してパレート最適な状態が実現できることをいいます。このような効率的な市場価格 が成立し、それに基づく交換がうまくなされた時には、資源の再配分を更に行うことによ っては、もはや全体として状態の改善をすることはできません。一般には、誰かの実現水 準が高くなっても、誰か別の人の実現水準が低下してしまいます。したがって、効率的な 価格といっても、2つ以上の価格体系を比較してより効率的といっているのではありませ ん。効率的な価格というのは、あくまでもその価格体系による交換により、パレート最適 な状態を実現できる可能性を意味している。

完全競争

ある財において、供給者と需要者の数がきわめて多く、ここの市場参加は市場全体への影 響力がわずかしかないため市場価格を与件として受け取り、その一方、彼らは市場情報と 商品知識を完全な形で所有しており、売買される財はまったく同質で商標や特許などによ る製品差別化はなく、誰もが参入できる競争のこと。

ポジティブ・フィードバック

システムは基本的に安定しており、いずれ均衡するというネガティブ・フィードバックに 対して、システムは基本的に不安定であり、均衡から離れようとするという考え方。

ロックイン

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参照

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