• 検索結果がありません。

内なる楽園 : バイロンにおける〈島〉の地形学

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "内なる楽園 : バイロンにおける〈島〉の地形学"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

内な る楽 園

―バ イ ロンにお ける 〈島〉 の地形学―

英米文学研究室 I 楽園 とは人類 に普遍的なノスタルジアである。 それ は資金時代 に神 によって祝福 された人間たちが 住んだ と考 えられた,地上 と天界の交流 を可能 とす る トポスであった伊エ リアーデ Mircea Eliadeが 宗教的人間の特質 として世界の中心 に神殿 を建設す ることを挙 げる時

,そ

の聖所 は天 と地 を繋 ぐ, (混沌〉の中の く中心〉であった。 さらに言 えば,そ の聖なる土地の中心 には世界軸 朋た物クη″ が 存在 し

,そ

の軸 を通 して天上 と地上 と地下の二 つの世界が結 ばれると古代人 によって考 えられたの であった。 この中心性の神話 について

,エ

リアーデ自身の言葉 を聞いてお こう。

The three cosmic levels― ―earth,heaven,underworld― ―have been put in communication,As we just saw,this communication is sometirnes expressed through the image of a universal pillar,αχ恋夕%%η務″,which at once connects and supports heaven and earth and whose base is fixed in the world below (the infernal region).Such a coslnic pillar can be only at the very center of the universe,for the、vhole of the habitable、 vorld extends around it。(2)

この よ うに

,世

界 軸 は地上 とその上 の霊的世界 の接 点 とな り

,人

類 に とっての犯 す べか らざ る理 想空間 を形成 して いた の で ある。人 間が理想 空 間 を創造 す る こ とは

,人

類 の歴 史 で最 も古 く

,最

も 普遍的なる憧れなのである

pま

た,この願望 は楽園的状態 を地上 に再興 しようとする試みなのである, とも言い直せ るのであろう。人類の文明の発達 とともに

,

この願望 は神話的なエデ ンの楽園 を「囲 われた庭」“力θγ紘 じο

%紘

蓉"として顕現せ しめたか らである伊 た とえば

,18世

紀 には「熱烈的庭愛好症」`物℃/力θ汚,ηsA"が起 こり

,楽

園はホイ ッグ党的な理 想世界 として,沼を埋 めた り,川をせ きとめた り,丘を切 り開いた りして造 った庭園 となる伊そこに, 人々は聖書的意味 を込 めて神殿 を建てることもあった。 ところが ロマ ン派の時代 に下 ると

,そ

の囲 われたエデン的空間か ら自然の谷 とか

,田

園風 の風景 とか

,孤

立 した島へ と向かお うとする傾 向が 現われて くる。具体的に言えば,「隠 し堀」“ha ha"が庭 とその向 こうの風景の具体 的切れ日を見 え な くして しまい

,さ

らにロマン派 はその境界 を越 えて外の世界へ と出て行 こうとするのである。 そ して

,そ

こに彼 らは有機的宇宙観 を織 り混ぜた りす る。 しか しフランス革命の幻滅が第一期世代 の ロマン派 をや り込 めて しまった後,現実の世界の腐敗 とか不平等 とかがはっき、りと認識 されて くる。 その後

,ロ

マ ン派 は自らの内側の精神状態

,あ

るいは歴史的記述の断片か らエデ ン的 トポスを建設 しなければな らな くなる。つ まり

,ロ

マン派 は自らの内側 に理想空間 を形成する必要 に至 るのであ る。 こういった コンテクス トの中で

,バ

イロン

George Gordon Lord Byron(1788-1824)が

さま

日 J 日 ︱

(2)

ざまな詩作品において どのような理想空間を描いていったのか

,以

下考察 していきたぃ。 II ロマン派の人々 は

,時

を離れた霊的世界や自然の世界 と生 きた一つの部分 にな りたい という望み ヽをもっていた。バイロンの場合 もそうであるが

,彼

の場合楽園が内面化 されて しまい

,そ

こにナポ レオン戦争やフランス革命の幻滅や本国イギ リスでのカースル レイ Vicount Gastlereaghの 圧政か らの逃避 という面が入 って くる。そういうわけで

,彼

の楽園は 〈庭〉 というィギ リス的空間ではな く,〈島〉という異国的空間 として内面化 されるのである。バイロンは 〈島〉を楽園 と同一視 してい るのであるが

,彼

の〈島〉には必ず と言ってよいほど含 まれている要素が二つある。第一 はその〈島〉 の中にいる主人公の恋人か極 く近親の者が死ぬ という

,死

の要素である。第二 はその 〈島〉から主 人公が

,あ

る場合 には彼の恋人か近親者 を伴 って脱出するという

,楽

園 を捨て去 る行為 である。 こ れ らの二 つの点 に焦点 を当てつつ

,バ

ィロンの個々 の詩 を見ていこう。 『海賊』Ttt Cθttα″(1814)で

,二

つの重要 な トポスが見出だされる。一つは

,地

中海一帯 を 荒 らし回っている海賊 たちの首領 コンラッド

Conradの

恋人 メ ドラ

Medraの

塔がある,エーゲ海南 部のキクラガスCyclades諸島の中のある島である。もう一つは,コ ンラッドと敵対関係 にある ,ト ルヨの将軍セイ ド

Seydの

船団が寄港 している,ペロポネソス半島の南西に位置するコロンCoronと いう港町である。 メ ドラの住む島は

,海

賊たちの家族愛や同胞愛 に満 ちた

,祝

福 された楽園である。彼 らはアウ ト ローであ り

,誰

に も支配 されていな くて,コ ンラッドのカ リスマ的指導力に従 っているだけである。 つまりここでは支配す る者 と支配 される者の間の社会構造が見出だされずに

,原

始的共同体の生活 が営 まれているのである。 もちろん彼 らの生活の糧 は略奪行為 という罪によって得 られているのだ けれども

,こ

の島 自体 が キクラデス諸島の中で最 も豊かな土地で もあ り

,燦

燦 と降 り注 ぐ太陽にも 恵 まれて

,地

上の楽 園 となっている。海賊たちがぶん取 り品を携えて島へ帰 って来た時

,彼

らが島

に残 っている仲間 と取 りかわす言葉 は,“Friends',husbands',IOvers'names in each dear wOrd"

(I.1lo)0で

あ り

,彼

らの間にはまるで収穫 を終 えた農夫たちの気楽 ささえ漂 っているのである。 彼 らはまだ堕落 していないパス トラル的空間に住んでいるのではないだろうか。

彼 らの首領 で あ るコ ンラ ッ ドは

,決

して肉類 は日 にせず

,酒

も飲 む こ とはない。彼 の食事 は

“Earth's cOarsest bread,the garden's hOmeliest r00ts,/And scarce the sunl=ner luxuary of fruits"

(I.71-72)で

あ り

,普

通 の意味での海賊が もつ野卑 さや快楽主義的なイメージは

,彼

には微塵 も ないのである。 ロマ ン主義的な謎めいた苦悶の表情 は隠せないけれ ども

,明

らかに彼 には黄金時代 のイノセン トな人間のイメージが重ねられているのである。 この何や ら暗い罪 を背負 ったような横顔 と無垢 さとを合わせてもつヨンラッドが恋 している女性 メ ドラの住 む塔 は

,エ

デンを思わせ るような地所 に建 っている。それは灌木や野生の花々に覆われ てお り,その塔 を囲む銀色の泉か らは生命 を与 えるような水が こん こん と噴 き出 しているのである。

And freshness breating from each silver spring, WhOse scatter'd streams from granite basins burst, Leap int0 1ife,and sparklng、 v00 your thirst,

(I。 126-28)

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 39巻 第

2号

(1988)

崖 の上 に建 設 され てお り

,そ

これ辿 り着 くた め には

,険

しい

,ご

つ ごつ とした岩 々 や危 瞼 な崖 を越 えて

,螺

旋 状 に径 を登 って行 かな けれ ば な らな いの で あ る。 しか も

,そ

の塔 に住 む の は純粋無垢 な 自然 の子

,メ

ドラで あ る。彼 女が恋人 のために用意 す る食事 は

,何

もせ ず とも手 に入 れ る こ とがで きる黄金時代 の果実 か らな っている ようであ る。

Be silent,Conradl come and share

The feast these hands denghted to prepare;

Light toiユI to cuH and dress thy frugal farel See,I have pluck'd the fruit that promised best,

(I.420-23)

メ ドラの塔 がエ デ ン的地勢 にあ り

,島

の高所 に立 ち,その居住者 が堕落以前 の乙女 で あってみれ ば, その塔 は人類 に とって祖型 的な天 と地 の交流点 としての高 い山 に立 つ神殿 とみな され て よいので は ないだろうか

pさ

らに,そ の塔の中のメ ドラの部屋 は,恋人たちの愛の語 らいの場 とい うよ りも,無 垢なる女 と既 に堕落 して しまい

,楽

園を追われた男 を対比 させ る場 として機能 しているのである。 彼女の部屋 は,コ ンラッドが帰還 して も住む ことが許 されない楽園なのである。事実,“Without one

hope on earth beyond thy love,/And scarce a glimpe of mercy from above"(I, 400-401)

という内面の苦悩 を恋人 にうち開 ける時

,コ

ンラッ ドは恋人の愛のみを頼 りとして

,楽

園を垣間見 ているにす ぎないのである。彼 は島→塔→部屋 とい う求心的構造 をもつ楽園には

,所

詮異質 な存在 なのである。 この 〈島〉の楽園を蛇の ように狙 っている男がいる。 トルコ軍の高官セイ ドである。 そして彼が逗留 している都市であるコロンが,『海賊』にお けるもう一つの重要な トポスである。 コ ロンはコンラッドの島 とは対極的な

,堕

落 した都市 として提示 されている。 そ こで は

,セ

イ ドの軍 隊は既 に海賊たちを打 ち負か した も同然の ように

,前

祝 いの夜宴に興 じている。お ご り高ぶ る彼 ら の様子 には

,楽

園への侵入者の姿が重ね焼 きされている。

`Tis but to sail――no doubt to― morro、v's Sun Will see the Pirates bound,their haven wonI

(H.12-13)

Haven"(■

.13)に

は「港」や「安 息所」の意 味 の他 に,「 聖域」 とい う意味 もあ る。 だか ら

,

ト ル コ軍 の侵略 は 〈島〉 とい う楽園の破壊行為 とも読 み取 られ得 るので ある。 さ らに彼 らにそ ぐわ し い残虐行為 は

,次

の よ うに こ とさ らに強調 されて い る。

Though an,who can,disperse on shore and seek

To flesh their glowing valour on the Greck,

Ho、v、vell such deed becomes the turban'd brave― ― To bare the sabre's edge before a slavel

(■

.16-19)

To nesh"(H.17)は

「 肉 を刺 し貫 く」 ことで あ り

,こ

の よ うな殺 りくのイメー ジは海賊 た ち に は与 え られていなか った。 つ ま り牧歌的空間 の住民 で あ る海賊 と戦争 に耽 る

,堕

落 した トル コ軍 と が対照的 に

,色

分 けされ てい るので あ る。 さ らに言 えば

,コ

ロンにいる トル コ人 た ち は高度 に秩序 化 され た共 同体 に帰属 してい るので ある。彼 らの頂点 に立 つの はセイ ドで あ り

,彼

の命令 は絶対 で あ る。 もち ろん彼 の愛妾 たち も彼 に全面 的 に依存 してお り

,

トル コ軍 の旗色 が悪 くな った時 には全 く顧 み られず

,炎

上 して い るに もか かわ らず

,後

宮 の 中 に捨 て去 られ るので あ る。 ところが

,こ

の セイ ド自身 もさ らに大 きな権力 で ある トル コ皇帝 の勅令 に従 い

,海

賊 た ちの討伐 に来 て い るので あ

(4)

る。権力者 による血の制裁のお きてが支配す る垂直的な社会構造が

,コ

ロンの町 を覆 っているので ある。だか ら

,コ

ンラッドの島が黄金時代 に属するのだ とすれば

,コ

ロンの トル コ軍 は鉄の時代 に 堕落 してい るのである。 この物語でコンラッ ドは トル コの将軍セイ ドの根拠地に托鉢僧 というぶれ こみで入 り込み

,大

い に暴れてセイ ドの軍隊をやっつけるのだが

,燃

えている部屋の中のセイ ドのハー レムの女たちの悲 鳴を聞いて

,コ

ンラッドは海賊たちの大半 をその救助 に回 して

,そ

のす きにセイ ドの軍隊 に負 けて しまう。 コンラッ ドが トル コ軍 に先制攻撃 をかけるのは

,

もちろん自分の島 を守 るためである。 こ の試みにコンラッ ドは失敗 し

,セ

イ ドによって監禁 されて しまう。 しかし運良 くセイ ドの妾のガル ネア

Guhareの

助 けで

,コ

ンラッ ドは解放 され る。ガルネアは暴君セイ ドを自らの手で殺 し

,彼

血 を流す ことによって

,楽

園はか らくも破壊 を免れ るのである。 さて

,こ

のガルネア という女性 はコンラッドと非常 に近 い関係にあるのではないだろうか。彼女 の眼はヨンラッ ドの と同様 に暗 く

,明

示 されてはいないが

,彼

女が不可解 な過去 を もっていること を思わせ る。彼女の髪 は鳶色で豊かであ り

,全

体的イメージとしては

,彼

女 は「運命 の女」の系列 に入 るのであろう。 コンラッ ドとガルネアの近接性 は

,彼

女が“If thou wilt perish,I wili fan wi血 thee"(Ⅲ.373)と 言 うことか らもわか るように

,共

通の運命 をもっていることに依拠 している。 さ

らに

,彼

女 はコンラッドと同様 に

,セ

イ ドに反逆す る意志 を濃厚 に抱いているのである。彼女は密 かに反逆分子 と手 を握 っているようなのである。彼女 はこのように

,コ

ンラッ ドを勇気づ ける。

Misdoubting COrsairI I have gain'd the guard, Ripe for revolt,and greedy for reward.

(Ⅲ。312-13) ガルネアはち ょうどコンラッドが意気消沈 している時 に勇敢な行動 をし

,彼

がメ ドラの待つ島へ帰 つた時か らは詩 に登場 しな くなる。ガルネアは主人公の願望 を補完する役割 を引き受 けたような女 性なのである。 ガルネアがセイ ドを殺す ことには

,何

か特別 な意味があるように思われる。彼女が暴君 を殺害 し た後でコンラッ ドに会 った時の場面は

,

このように描写 されている。 They meet― ―upon her brow――unknown,fOrgOt― ―

Her hurrying hand had left――'twas but a spot――

Its hue、vas an he saw,and scarce withstoOd― ―

ohl snght but certain pledge of crime――'tis b10od! (Ⅲ

.414-17)′

ガルネアの額 に付着 した暴君の返 り血 は

,後

で論 じることになる

,あ

のカイン

Cainが

ァベルAbel を殺 したために天使 によって額 に押 される焼印を象徴的に表わ しているのである。 コンラッドは海 賊の首領 として百戦錬磨の活躍 をして きたのだか ら

,少

々の血が流 され るのを見た ところで驚 くこ とはないはずである。 ところが

,彼

は彼女の額 の小 さな血の跡 に非常に驚 き

,血

も凍 らんばか りに 震えあが る。つ まり

,彼

女の行為 はカインによる人類最初 の殺人行為 を象徴 しているのである。メ ドラの島へ帰 る航海の途中でも

,コ

ンラッドはガルネアの額の血について

,こ

の ようにこだわって いる。

This Conrad mark'd and felt― ―ahl cOuld he lessP― ― Hate Of that b100d,but grief fbr her distress;

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 ,社 会科学 第 39巻 第

2号

(1988)

And Heaven must punish on its angry day:

But――it was done:he kne、 v,whate'er her guilt, For hilln that poniard smote,that blood was spilt;

And he was freel.… (III. 523--29)

コンラッ ドはガルネアの犯 した罪によって救われたのだか ら

,彼

もその罪の責任 を負わなければな らないはずである。彼 らはこの共犯関係 によって一つの人格 にまとめあげられているようにさえ思 われるのである。 コンラッ ドが く島〉へ帰 った時

,既

に恋人 メ ドラは死 んでいる。彼女の死 とコンラッ ドの帰還 と は論理的に繋が つているように思われる。つ ま り

,今

まで この乙女 はコンラッドに とって楽園 を垣 間見 るための よすが となっていたのであるが

,罪

を背負 ったために彼 はそうする権利 さえHll奪され て

,放

浪の旅 に出て行かねばならないのである。 この ように『海賊』 における(島〉 には死の要素 が入 り込 み

,永

遠 にコンラッドを受 け入れることはない楽園 となっているのである。 『海賊』 と同様 に,〈島〉が重要な トポス として描かれている作品に『 ドン・ジュア ン』

D%)%α

η (1818-23)がある。人妻 ジュ リアJuliaと の情事が発覚 して,ジュアンはスペインのカデイズCadiZ から,道徳的教育 を受けるために海路イタリアヘ向かう。しかし,彼が乗 った船「三位一体号」Ff働確tttα 'α '' は途中で難破 し

,彼

一人が生 き残 ってキクラデス諸島のある島に泳 ぎ着 く。 この島でジュアンは純 粋無垢な乙女ハ イデHaidёeと 彼女の侍女に介抱 されて元気 を取 り戻すのである。豊かな稔 りのその 島で

,ジ

ュアン とハイデはぜい沢三昧の

,こ

の世 の楽園 とも言 うべ き生活 を楽 しむのである。彼 ら 二人が治める島 は,ハイデの父親 ランブロー

Lambroの

支配す る秩序か ら解放 された人々の喜 びの 声でみなぎっている。

Here was no lack of innocent diversion

For the imagination or the senses, I

Song,dance,wine,Inusic,stories frOni the Persian,

All pretty pastirnes in、vhich no offence is, (Ⅲ。35)

島民たちは一時的に黄金時代 に戻 っているかの ようなのである。

ところで

,苦

しい航海の末 にこのように至福 の島 に辿 り着 くというパ ターンの祖型 は

,ホ

ーマー

Homerの

『オデュセイ』

0か

り に出て くるカ リュプソーCalypsoの住むオギュギア

Ogygiaと

呼 ばれ る島に関す る話 に求め られる。オデュセウスOdySSCusは オギュギアに10年間にわたって足留め させ られ るのであるが

,こ

の島 もまた非常に豊かな稔 りに恵 まれている。オデュセウスは ここに上 陸 して洞窟のなか に住 んでいるカ リュプソーに会 う。同様 に

,ジ

ュアンが深い眠 りか ら目覚 めて初 めてハイデに出会 う場所 も島の洞窟の中であつて

,両

作品の間には類縁関係があることを暗示 して いる。 またバイロンはカ リュプソーの島に関 して,『チ ャイル ド・ハロル ドの遍歴』θ″虎 肋 陶謬 `

Dな

効 (1809-18)に おいて

,次

のように言及 している。

But not in silence pass Calypso's isles, The sister tenants of the middle deep; There for the weary still a haven s■ les,

Though the fair goddess long hath ceased to weep, And′o'er her chffs a fruitless、 vatch to keep For hinl、 vho dared prefer a mortal bride:

(6)

Here,t00,his bOy essay'd the dreadful leap

Stern Mentor urged from high tO yonder tide,

ヽVhile thus Of bOth bereft,the nymph― queen doubly sigh'd. (II. 29) 地 中海 に浮 かぶ双 子島 であるカ リュプ ソーの島 は

,引

用 中 に見 えるように

,

トロイ戦争 の後 にギ リ シアヘ帰還 中のオ デ ュセ ウスを捕 えたのみな らず,彼 を尋 ねて来た息子のテレマコス

Telemachusを

,も

し女神 アテナ

Athenaの

助 けが な けれ ば捕 え込 む ところであったのであ る。 この よ うにカ リュプ ソーの島に言 えるように,〈 島〉とい う空間 は神話的 には恐 ろしい空間

,人

を だ ま した り,誘 惑 した りす る空間 なのである伊ジュア ンの上陸す る島 も例外 で はない。この島の楽園 には,,微妙 な形 で死 の要素が入 り込 んでい るので あ る。 しか も 〈死〉 を もち込 んでい るの は

,無

垢 な乙女ハ イデで あ る。彼 女 の姿 には

,次

の よ うに 〈死 〉 のイメー ジが巧 み に重 ね られ てい る。

Her hair,I said,was auburn;but her eyes

Were black as death,their lashes the same hue,

Of downcast length,in、vhOse silk shadow lies Deepest attractiOn,fOr when tO the vie、 v FOrth frOm its raven fringe the full glance flies, Ne'er with such fOrce the swiftest arrOw fle、 v;

`「ris as the snake late cOil'd, who pOurs his length,

And huris at once his venom and his strength. (II. 117)

矢のイメー ジや蛇 のイメー ジが暗示 しているよ うに

,ハ

イ デ は男 を破滅 の淵へ と誘 い込 む 〈運命 の

女〉 なのであ る。 だか らハ イデのい るこの島 は

,神

話 的 な恐怖 の 〈島〉 の一変型 と考 えて よいので ある。

しか しなが ら

,実

際 に この島 に侵入 して来 て く死 〉 を完成 させ るの は

,ハ

ィデの父親 ラ ンブロー

である。ハ イデ をジュアンか ら引 き離す彼 の腕 は“a serpent's cOil"(Ⅳ

.48)で

あ り

,彼

の手下 の 海賊 たちの隊列 は“an angry asp"(lV。

48)の

よ うにジュア ンに襲 いかか る。 だか ら

,ラ

ンブ ロー と海賊一味 は

,楽

園 を狙 う蛇 のイ メージを帯 ぴてい るので あ る。恋人 たちの愛の楽園 を破壊す るた

めに

,ラ

ンプロー はジュァンに向 けて ピス トル を発射 しようとす る。 しか しその瞬間 にハイデが彼 らの間 に入 って来 て

,ジ

ュア ンの命 は救われ る。 この よ うにである。

`On me,'she cried,`Let death Descend― ―the fault is mine,this fatal shOre

He fOund― ―but sought not.I have pledged my faith;

1 love hiFn― ―I will die with hirn:I kne、 v

YOur nature's armness__knOw yOur daughter's tOO,'

(IV。 42) ハ イデはジ ュア ン とともに死の うとす るのだか ら

,彼

女 は 〈運 命 の女〉 の面影 を残 して い る。 しか

,彼

女 は結果 的 に恋人 の命 を救 うことにな る。 それ に加 えて

,彼

女 はジ ュア ンが父親 に よって島 か ら追放 された後 に

,恋

にや つれて死 んで しまう。 それ故

,ハ

イ デ は『海賊』 にお けるガル ネア と メ ドラの二人分 の機能 を果 た してい ることにな る。(運命 の女〉と く無垢 な女〉のイメー ジは

,ハ

ィ デにおいて出会 うのであ る。彼女 の死 はジュア ンの追放後 に起 こるのであるが

,愛

す る こ とに よ っ

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第39巻 第

2号

(1988) 173

て恋人 を殺害 した罪 はジエアンの上 に降 りることになる。楽園において く死〉 を完成 させ るのはラ ンブローであるが

,そ

うする行為の く罪〉はジユアンが負わなければな らないのである。 こう考 えて くる と

,ラ

ンプローカうジユアンを捕 えて殺 しても当然であったのに

,寛

大 にも追放 し ただけであった理 由が判然 として くるのである。バイロンはランプローが娘のハイデに気質的に似 ていて

,娘

への愛情 か らジュアンを殺 さなかったのだ と暗示 しているのであるが

,海

賊 の首領であ る父親が最大の宝物である娘 を奪 ったジュアンを見逃すのは奇異である。つ まリランプローがジユ アンを追放す るの は

,罪

を犯 したために楽園の辺か ら追放 され るあのカインのパ ター ンをなぞって いるのである。 このように,『海賊』 と『 ドン・ジュアン』 は『カイン』働 肋 (1821)と 同 じような人類の第二の 堕落のパ ターンを描いてい るのであるが

,当

の『カイン』 自体 にも楽園は 〈島〉 として描かれてい るのである。ル シファー Luciferに よって黄泉の王国へ連れて行かれたカインは宇宙 における流動体 の空間をパ ラダイスか ら流れている川 として形容 している。

Cαゲ%. And yon immeasurable liquid space

Of glorious azure which floats on beyond us,

which iooks tike water,and which l should deem The river which flows out of Paradise

Past my own dwening,but that it is bankless

And boundless,and of an ethereal hue― ―

what is itP

(H.

。178-84) さ らに地球 を含 む天球 の群 は大洋 に浮かぶ島々 として描 かれ

,そ

の海 は人類 を堕落 させ た蛇 よ りも さ らに恐 ろ しい表情 を した

,巨

大 な蛇 に よって取 り巻 かれ て い る。 この地球 が 中心 と して描 かれて いない宇宙 は中心 が遍在 してい る19世紀 の科 学 的宇宙 に合 致 している とともに

,あ

の キ クラデス諸 島の地形 を宇 宙 的 に拡大 した もので はないだ ろ うか伊 ともか く,その島々 を囲 む海 一宇宙 の様 子 を眺 めて み よ う。

cαιη. And yon l■lmense

Serpent,which rears his dripping mane and vasty

Head ten tirnes higher than the haughtiest cedar Forth froni the abyss,Iooking as he could coil

Hil■self around the orbs we lately look'd on― ― Is he not of the kind which bask'd beneath The tree in EdenP

(H.

.190-96)

宇宙空間に横 たわ るこの巨大な蛇は,エリアーデが“the paradittnatic figure of the marine monster of the priinordial snake,symbol of the cosl c waters,of darkness,night,and death"(1° )と して

表現する宇宙蛇のイメージに合致する。『カイン』は構造的に不安定な神秘劇 であつて

,こ

の宇宙蛇 のイメージと楽園 を狙 う蛇のイメージが重な り合 っている。最終的にカインの楽園の辺 か らの追放 がテーマ となっているこの劇の枠組みか ら見 るな らば

,こ

の蛇 は楽園 を脅かす悪魔 の化身 とみなし て差 し支 えないだ ろう。ただ し

,カ

インはアダムの堕落以前の (Pre―

Adamite)楽

園を見ているの だか ら

,こ

の蛇 は聖書的な意味の楽園の敵 とい うよ りも

,楽

園 という概念 に本来ついて回る

,ネ

ガ ティヴな価値 を代表 しているように見 える。すなわち

,こ

の巨大な蛇 は楽園について離れないく死〉 を象徴 しているのである。何故なら

,人

類の堕落 はル シファーが蛇の姿 を借 りてエデンに侵入 し,

(8)

知恵の果実 をエバ に採 らせ て初 めて起 こるか らで あ る。 カイン とルシフ ァー はアダム以前 の地球 に 住 んで いた人間 と天使 の中間 の生物 たちやマ ンモスの群 の死後 の姿 を見 て きたのだか ら

,そ

の宇宙 を統轄 してい る蛇 は生 きる者 が必 ず受 けね ばな らない運命

,す

なわ ち 〈死 〉の象徴 とな るのであ る。 カイ ンが アベ ル

Abelを

殺 害 して く死 〉を楽 園 に もち込 んだ とい う聖書 的事実 につ いて は

,議

論 の 余地 はないだ ろ う。 ところが

,カ

ィ ンは父 のアダムが楽 園 に く死〉 を招 き入 れたのだ と言 うのであ る。彼 がル シフ ァー に対 して言 う

,次

の言葉 を見 て み よ う。

thou hast shown lne shado、 vs Of that existence、vith the dreaded name

Which my sire brought us― ―Death;...

(■

.五

.363-65)

さ らに先 ほ ど見 た よ うに

,ア

ダ ム以前の優秀 な人 間 たちが既 に死 んで いるの をカイ ンが 目撃 した こ とを考慮 に入れ るな らば

,聖

書的 な 〈死 〉の系統論 は覆 され な けれ ばな らない こ とにな る。つ まり , バ イロンが 『カイ ン』 とい ういささかギクシャク した論理 をもつ哲学的な詩劇で言 いたか った こと は

,楽

園 とはいつで も 〈死 〉に汚 されてい るので あ り,〈 死 〉を他人 に与 える とい う罪 を犯 した人間 は常 に楽 園か ら追放 され る とい うことなので ある。 『 カイ ン』が島 としての楽 園 を極 限 に まで拡大 したのに対 して,極小 に まで狭 めた作品がある。それ は『チ ロンの囚人』T力ι ettθ%ιγげ θ″ぢοη(1816)であ る。サ ヴォイの公 爵

Le Duc de SavOyeの

主権 に反抗 した愛国者 ボニ ヴ ァール

Francois de BOnnivard(1496?-1570)は

,レマ ン

Leman湖

の 中の島 に建 て られた城 の

,さ

らにその中の土 牢 の中に閉 じ込 め られてい る。彼 の 目の高 さの所 に 湖 の水 が見 え

,彼

は二重 に厳 し く幽閉 されてい るのであ る。 この よ うに

,彼

が い る空間 は非常 に求 心 的 な構造 を もっている。 ボニ ヴ ァール は父 と二人 の兄弟 を戦場で

,一

人 の兄弟 を火刑 で失い

,残

りの二 人 の弟 とともに上 牢 の中 に押 し込 め られて い る。 これ らの生 き残 った弟 た ち も

,飢

えのた めに次 々 に死 んで い き

,ボ

ニ ヴァールの足 下 に埋 め られ る。 ところが

,こ

の ボニ ヴ ァール は次第 にこの狭 い土 牢 を第二 の故郷 と呼ぶ ほ どに愛す るようになる のであ る。看守 た ちに よって遂 に釈放 され る時

,彼

は今 まで過 ごして きた この暗黒 の世界 の こ とを 次 の よ うに述懐 して い る。

And thus when they appear'd at last,

And an my bonds aside、 vere cast,

These heavy wans to me had grOwn

A hermitage― ―and all my ownI

My very chains and l grew friends,

To make us what we are:― ―even I

Regain'd my freedom with a sigh.

(375-78,389-92)

余 りに も暗 く

,わ

び しい世界 で はあ るけれ ども

,ボ

ニ ヴ ァールが捕 えられてい る牢獄 は

,彼

に とっ て島の楽 園 とな ってい るのであ る。外界 か ら二重 に遮 られ ることによって

,彼

の閉所 愛好 症 は強度 を増 すのである。外界 か らの攻撃 か ら完全 に守 られ ている囲われた空間 に

,外

界 へ の感 受性 を悉 く 抹殺 して籠 るこ とによって

,ボ

ニ ヴ ァール は現象学的 に牢獄 を楽園に変貌せ しめたので あ るよりもち

(9)

鳥取大学教育学部研 究報告 人文・ 社会科学 第 39巻 第

2号

(1988) ろん

,そ

の楽園 は

,今

まで見て きた通常の島の楽 園の陰画であるのだけれ ども。 ボニヴァールが この悲 しき楽園を追放 され る時

,彼

は微妙な仕方ではあるけれ ども

,罪

人 となっ ているはずである。すなわち

,

もし彼がサヴォイの公爵に反抗 しなかったな らば

,父

と六人 の兄弟 は殺 されず にすんだか らである。サヴォイの公爵 を暴君 とみなすならば

,暴

君 に敵対 す ることによ って楽園に く死〉 を もた らし

,そ

のために楽園 を追放 され るというパターンが ここで は守 られてい るのである。 とりも直 さず

,こ

れは『海賊』の分析で見 られたパ ターンと一致 している。楽園追放 のテーマは,『チロンの囚人』 において も

,そ

のバ ックボー ンとなっているのである。 主人公が島の楽園か ら追放 されずに

,恋

人 と愛 を成就 させ る例外的な作品がある。 それ は

,そ

の 名 も『島』T力ιA力%プ (1823)と い う詩である。 これはかな り断片的な詩であ り

,1789年

の『バ ウ ンティ号』T力ι Bθ%%炒 という名の船の中での反乱 に取材 した ものである。詩 自体 は反乱 の事実 より も

,反

乱 を起 こした水夫たち と島の娘たちの恋愛 を描 くことに中心 を置いているようで ある。 しか し幸福 な期間は長 くは続かず

,反

乱軍 は追手の軍隊 に攻撃 され

,一

人 また一人 と殺 されてい く。最 後に残 った トーキル TOrquilは 島の娘メーハ

Neuhaと

ともに崖か ら海へ跳び込み,洞窟の中で命 を 取 りとめる。 しか し

,

これは愛の成就 と呼ぶ には余 りにも悲惨 な物語である。 とい うの は

,主

人公 の仲間のベ ンBen Bunting,ジ ャックJack Skyscrape,そ してクリスチャン Christianは 惨殺 され るのに

,

トーキルだけが助か るか らである。 そ して

,一

人生 き残 った彼の胸 の裡 には死 んだ仲間ヘ の うしろめた さが去来 しているはずである。バ イロンは再生の元型的イメージである洞窟 を トーキ ル とヌーハの生 き残 りの トポス として用い

,純

粋 。無垢な愛の空間を創造 しようとしたのであろう。 しか しなが ら, この試みはどうや ら失敗 してい るようである。 というのは

,

トーキル は恋人 に対 し て生 き残 って良かつた とは一言 も言わない し

,仮

にそう言 つた としたならば

,彼

は仲間 を見捨てた 卑劣漢 となって しまうであろう。であるか ら

,恋

人 同士の どちらかが死 んで しまうとい うパ ター ン には適合 しない とい う点で

,こ

の『島』 とい う詩 は例外的であるけれ ども

,死

とい う要素が主人公 の心の奥深 く入 り込 んでいると言えるのである。 よって

,

トーキル とヌーハ は死の恐 ろ しさか ら完 全に免れているわ けではないのである。 さらに言えば

,当

然死ぬべきであった恋人たちの どちらか一方が死ななかったので,『島』は構造 上の不均衡 さを露呈 しているのである。バイロンはエデン的過去を再興するために

,二

つの基本的 価値観に沿っているよリーつはギリシアの英雄たちの過去で

,精

力的な男の世界である。もう一つは 全てを包み込む愛の世界である。 トーキルは前者の「戦 う」 という行為を貫かずに

,後

者の愛の至 福のみを退行的に追い求める。それ故に

,詩

は最後の大団円を迎えることができず

,単

に洞窟に逃 避する場面だけで終わっているのである。『島』における前述の二つの要素の間のアンバ ランスな関 係は

,こ

の詩の劇的緊張の欠如をもたらしつつ

,さ

らに く島〉空間のもつ重要な特性 を規定 してい るように思われる。それは地上において戦いとそれにともなう 〈死〉の要素を排除 した

,愛

のみが 支配する理想空間を創造することは不可能だということである。『島』における洞窟 は

,海

中を潜 つ て島の崖に開いた横穴からしか入ることができない

,外

部から遮断された囲われた空間である。バ イロンはこの岩の裂け目からしか光が差 し込 まない

,薄

暗い空間を愛の トポスとして現出させよう とした。 しか し

,既

に調べたようにこの狭い空間 に も 〈死〉 は トーキルの心理 を介 して侵入 してい るのである。それ故

,彼

はこの空間には何や ら異質 な

,受

け入や られ難い存在 となっているのだ。 『島』 における 〈島〉空間 は

,こ

の仲間の死 に対 して罪 を負 う男 を排除 して当然だ と言 えるのであ る。『島』の結末 は素朴 な愛の讃歌で終わっているけれ ども,ト ーキルの追放が描かれていないので, この作品はいささか寸足 らずな もの となっている。 この点 に関 して

,彼

の追放 はむ しろ読者の内的

(10)

体験 において期待 され るような形で描かれていると言 うべ きであろう。 以上検討 した ように

,バ

イロンにおける 〈島〉空間 はいずれ も 〈死〉 とそれにあずかる人間の追 放 を扱 ってぃる。 これ は単純 に言って

,聖

書中のカインの追放 のテーマのなぞ りで はないか と主張 され るか もしれない。だが

,そ

のように論 じて事足 れ りとするのは

,バ

イロンの楽園 に関す るプロ ブレマティクスを回避 しているのだ と言わねぱな らない。問題の根はもっと深いのである。つまり,

バイロンは何故こんなにたくさんの 〈島〉楽園を描き

,敢

えてそれらを捨ててきたのかという問題

が答 えられていないのである。次節では

,こ

の件 を中心 に して論 を立てていきたい。 III バイロンの 〈島〉空間には否定的要素が入 り込んでいて

,そ

れは多分 にアンビヴ ァレン トな空間 になっている。 ところが

,実

際には 〈島〉 とは彼 における地上の楽園の一典型

,数

多あ る楽園的空 間の氷山の一角にす ぎないのである。た とえば『 アバィ ドスの花嫁』7ル Bγt,9げ

4妙

あs(1813) において

,ァ

バィ ドスの太守の一人娘ズレイカZuleikaが実の兄のセ リム

Senmと

浜辺 で死 んでい く場面は,ヘレスポントHellespont岬 の沖合の島に設定されている。『サーダナペイラス』世勁Zα紹″″熔 (1821)において

,紀

元前

7世

紀 のアッシリア王朝最後の王サーダナペイラスは涯蕩な生活 を楽 し んだ後

,ギ

リシア生 まれの寵姫 ミラ

Myrrhaと

ともに自ら宮殿 内に積んだ薪に火 を放 ち

,そ

の上 で 二人抱擁 した まま死 んでい く。この場面ではちょうど大洪水が起 こっており

,宮

殿 は水 に囲 まれた 島になっているのである。 これ ら二つの作品では,〈島〉楽園に 〈死〉は訪れ るが

,罪

を負 った者が 放浪の旅 に出るとい ったテーマは見 られない。 また『天 と地』FFgαυι%,%″励 ォカ(1822)で

,大

洪水の最中にただ一人岩の上 に残っているジャフェッ トJaphetは湯れる人々 を見 なが ら,自分だけ はそこで安全 に守 られている〈島〉の上にいるのではないだろうか。一方

,彼

の恋人 アナ

Anahは

天 使アゼイジェル Azazielに 連れ られ,天ではない どこか遠 い地上へ と運ばれる。ジャフェッ トは箱船 に乗 ることになるのだか ら

,こ

こでは二人の恋人 はともに放浪に出て

,ど

ち らかが死 ぬ とい うこと は起 こらない。だか ら,〈島

)は

カインの物語 に見 られ る 〈死〉と罪による 〈追放〉の構造へ と

,普

遍的に還元 され るわ けではないのである。 バイロンにおいて,〈島〉はその囲われ

,守

られているという特性の故に

,地

上の楽園が描かれ る 際にその具体的イメ‐ジ として選ばれやすい トポスにすぎない。彼の文学において数々の 〈島〉楽 園を現出せ しめている原因は

,天

上 にお ける完全無欠のユー トピアをこの地上 において再興 しよう とする執念 とも言 うべ き強い恵志である。彼の楽園は徹底的に地上的なものである『

0彼

は天上 の世 界の完全 さへ と自 らの関心 を上昇 させるのではな く

,そ

の完全 さを地上へ と下降 させ ようとす るの だ '° 彼の楽園の生成過程 は,天上か ら地上へ とい う下向 きのヴェク トルをもつのである。た とえば, 『天 と地』において

,地

上 の人間の女性たちアナ とアホ リベイマ

Ah01ibamahに

それぞれ恋 した天 使たちアゼィジェル とセイ ミアーサ

Samiasaは

もはや天 に帰 ることが許 されない。天使 たちには , 人間 を天上へ と運ぶ能力がないのである。ワ【宗徒』 勁 ιG力οク

/(1813)の

後半では

,愛

の内に至 高の ものが降 りて来 るのだ と

,次

のように言われ るよ9 DevotiOn wafts the■lind above,

But Heaven itself descends in iOve―― A feeling from the Godhead caught,

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 39巻 第

2号

(1988) 177

A Ray of him who foHn'd the whole― ― A Glory circling round the soull

(1135-140)

バ イロンの楽園 の地上性 は,『 チ ャイル ド・ハ ロル ドの遍歴』 にお ける語 り手 の廃墟 に対 す る感慨 に も見 るこ とがで きる。ローマの コ リセ ウムColiSeumの廃 墟 と対 峙 して

,語

り手 は次 の よ うに言 う。

Hues which have words,and speak to ye of heaven, Floats o'er this vast and wonderous monument,

And shadows forth its glory. (lV。 129)

コリセウムの廃墟 は往時 はどんなにか素晴 らしかっただろうか と過去のその巨大 な建造物の栄光 を 偲ぶ行為 には

,い

つかは必ず崩れ去 って しまわなければな らない地上の事物 に対す る

,常

に変わ る ことがな くて永遠 にその栄光 を保持 している天上の世界の優越性への憧影が重ね られているのであ る。廃墟 はいつか は朽 ち果てねばならない とい う地上性の客観的相関物 (ObieCt e correlat

e)で

あ り

,か

つそれ を通 して天上の完全性 を覗 き込 むよすが となるのである。バイロンは天の楽園を直 接描 くことはな く

,彼

の視線 は常に水平的に地上 の事物 に吸 いつけられて しまう。 その視線 は永遠 を暗示 させ る事物

,た

とえば山

,海,空

,島 ,川

,巨

大 な建造物 に接 して

,そ

の場 その場で断片化 された楽園のヴ ィジ ヨンを造 り出す。楽園 とは客観的にあ らゆる人の上 に実在する天上の王国で は な く

,詩

人が内面か ら断片的に創出する

,主

観的な トポス となるのである。

IV

′ このように

,バ

イロンの楽園は内面化 と断片化の作用 を受 け

,何

度 も何度 も造 られては破壊 され るということを繰 り返すのである。ユー トピア空間 とは本来 自足的で安定 した ものであるが

,バ

イ ロンはそれを故意 に地上 に引 きず り降 ろし

,限

りな く創造 と破壊 をそれに加 え続 けるのである。 こ のユー トピアの下降化現象 は

,巨

視的に見 るな らば西洋の精神史 におけるユー トピア思想 の衰退 に 起縁 しているのであろう『°つまり天上 において静的に安定 している楽園のイメージが次第に信 じら れな くな り

,ロ

マ ン主義時代 に至 ると楽園 とは詩人の個々の人格が内面か ら創造す る宇宙の一部分 となって しまうのである。それ故

,楽

園はその場 その場 における詩人の内的ヴィジ ョンとして断片 化 されるのであ る。 バイロンが この ように楽園の創造 を反複 していった ことには

,一

定のポ リシーがあったように思 われる。つ まり

,完

全 に自足的で

,静

的な楽園は 〈死〉の世界 だ とい うことである。 この動 きのな い世界 は

,短

詩 「暗黒」りarknesぎ (1816)が次の ように描 いている。

The rivers,lakes,and ocean all stood still, And nothing stirr'd within their slent depths; Ships sailorless lay rotting on the sea,

And their masts fell down piecemeal:as they dropp'd

They slept on the abyss without a surge― ―

The waves were dead i the tides、 vere in their grave,

The moon,their nlistress,had expired before,

The winds were wither'd in the stagnant air,

(12)

Of aid from them― ―She was the Universe。 (73-82) バイロンの楽園はこの ような静的な空間ではな くて

,動

きのあるオーガニ ックな空間である。有機 体のように生成 と破壊 を繰 り返す彼の楽園は

,そ

の内側 に く死〉 をはらんでいるが故 に

,限

りなき 再生への道へ と開かれているのである。 この楽園の力学は

,畢

党 ロマ ン主義文学 における 〈永遠〉 との相克の問題へ と帰着す るのではないだろうか分永遠に完全なるもの といつかは破壊されなけれ ばならない地上的 な もの との対立は

,そ

の根本 に霊 と肉

,無

限 と有限

,無

垢 と堕落 といった矛盾の 克服 とい うテーマ を含 んでいる。 しか し逆に言えば

,こ

の ような矛盾 し対立す るものの間を揺れ動 くことによって

,事

物 の存在 (being)で はな くて生成 (becOming)の相 に肉薄することができるの ではないか と思われ る。 ロマン主義文学は永遠 に完全なるものを描 くために

,不

完全 な ものに

,そ

して永遠 に生成 をし続 けてい くものに回執 しなければならないのである。

シュレーゲルFriedrich Schlegelが 「ァテネーウム断片」`Athendums―

Fragmente'(1798)に

いて,「ロマン主義文学 はまだ生成の途上 にある。 それ どころか

,永

遠 にただ生成 しつづけていて , けつして完成す ることがない というのが,ロ マン主義文学に固有の性質なのである」9と言 っている ように,〈永遠〉との相克 に対 しては生成の相で しか対処するしかない と思われる。バイロンの これ らの作品における霊 と肉

,破

壊 され得ない もの と破壊 され得 るもの との対立

,そ

れ らの間で揺れ動 くことは,〈永遠〉との相克に対する彼な りの対応であった。バイロンの霊 と肉

,そ

してそれ らの異

質なものの上場 とい うパ ターンには,ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegelの 弁証法の正・反・ 合を思わせ るものがあ る。つ まり,どうして も和合することのない もの同士 を和合 させるためには, それ らが和合す るための努力 をしているのを繰 り返 させ るしかないということである。 た とえば,『チ ャィル ド・ ハ ロル ドの遍歴』 におけるように

,具

体的な楽園が現われない時 には, 霊 と肉の対立 は語 り手が眺め

,そ

してそれにコメン トを加 えるというある程度の距離が保たれた も のであった。 しか し

,楽

園が 〈島〉 という トポスに限定 されて くると

,そ

れ らの間の対立 は非常 に 切迫 した ものになる。楽園は霊 と肉の対立の解消のための最終的場面

,そ

れ らの間の揺れの連続性 の収微の場であった。 そ して

,そ

の対立 は永遠 に終わ るわ けにはいかないものであったので

,楽

園 その ものに 〈死〉 とい う要素が含 まれていたの もうなずけるのである。それ故

,バ

イロンは 〈島〉 楽園を何度何度 も造 り出 さねばならなか ったのである。そして

,そ

の楽園が内面化 された ものであ つたので

,そ

れ はバ イロン自身の霊 と肉の葛藤の場

,永

遠への憧影のための トポスであった と言え ると思 うのである。 (D 似) 俗) 僻) 低) ` 注 イ 人間が何 らの労働 をしな くて も,あらゆる必要 を満たされていた黄金時代 とその没落については,Norman COhn, aヵθ励 容クヵ げ 筋θ Mit力″″勿η fF¢ クο励″ο″

,9M汎

ttρs,″ブ ぬ sサゲδα′4η ,κ力港ぬ げ 肋♂Mt''と9 4FpS(1957 i revised ed,LondOn:OxfOrd Univ Press,1970),pp.187-97参 照。

エ リアーデの この主張 については,Mircea Eliade,TルS♭θ″グ,″ブ″♂

P"″

¢rT/99脆″κ げ 買プをあη (New York,HarcOurt,Brace&Worid,1959),pp 36-65修芸照。 Eliade,pp.3637参照。 楽園が庭 園 として表現 されて きた ことの歴史的記述 については,川崎寿彦,『楽園 と庭―― イギ リス市民社会 の成立――』(東京 :中 央公論社,1984年), 3-53頁参照。 18世紀 にお ける庭 園愛好症 とロマ ン派における内面化 されたエデン的空間 との繋が りについては

,Max F.

Schulzj虎紹〃ぬ¢P″sρηι″ ∫R¢θセαチカ″

sげ

E,9″ 力 どを力ヵ♂″肋―,%プ ミ ιル♂″励―G夕″物

?晩

ιαη′

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 39巻 第

2号

(1988) 179

(London i Cambridge Univ.Pre弱 ,1985),pp 1 37参照。

(6)テクス トは,毘懸物 fЯレ″θ″ レリカs ed Frederick Page(OxfOrd i Oxford Univ Press,1970)に よる。以

下,バイロンの詩の引用 は全て この版 による。

P)天

と地 を繋 ぐ高 い山に建 つ神殿 についての議論 は,Eliade,pp 40 41参照。

(8)この件 については,Ad de Vries,Dカチカ″

,?げ

SD/ηうOJs,″′ 協 寧 ヮ(London&Amsterdam:North―

Holland Publishing Company,1976),pp.271-72参 照。

(9)この宇宙観の変遷 については,Edward E.Bostetter,`Byron and the Politics of Paradise,'PttA,75(1960),

57卜76;Arthur O.Loveioy,Tル G々,チ C力,力 9′B♂力

gf4S物

カ プ カ♂打為わり げ ρη五″,(Cambridge,

Mass.:Harvard Univ Press,1936),pp.288-314;Alexandre Koyrё ,F崎%を あ物♂Cんsθ′ フ%ο″″ 力 涜珍珍 唖 滋 Jη力¢イS¢ (Baltimore:Johns HOpkins Univ Press,1957)参 照。

lo Eliade,p48.

1' この件 については,Mark Storney,動℃″,″″ ″♂

Ewげ

4ヵ形サ舟¢(London:Macmillan,1986),pp.39-77

参照。

t" この点 は,Robert F Gleckner,動℃″ う″ブ 励¢Rクカ

sゲ

脆 物″影(BaltimOre:JohnS ttOpkins univ. Press,1967),pp.15051に おいて指摘 されている。

10 バイロンの楽園の地上性 については,E.D.Hirsch,Jr,`Byron and the Terrestrial Paradise'in肋 解

S¢ηsわ

'It妙

力Rοη,″″θ港物 ∫E鴎勢s Pttsθη形″ んF/2,ヮ万じ力4.ЯO″協ed.Frederick W Hilles&Harold Bloom(New York:Oxford Univ.Press,1965),pp 467-85参 照。

10 ロマ ン主義の意識 におけるく下方へ〉あるいは〈内側へ〉向か う傾 向については,Northrop Frye,`The Drunken Boat:the Revolutionary Element in Romanticism'in Rο η,ηナたλ″ 買♂σοηsガ0タプ

ed,N Frye(New

York:Columbia Univ.Press,1963),pp 1 25及 び同著者の 4 Sr2カ げD昭ぬ力Rο物あ 物(New York: Random House,1965)参照。

10 天か らの光が至高の愛 として解釈 され ることについては,Frederick L Beaty,Lをカオカ ″Fra,υ¢″ :Lο υ¢ 力 醗tん力Rο″α″施 L滋物″κ(Dekalb:Northern Hlinois U v`Press,1971)参 照。

tO

この件 については,アイザイア・ バー リン,「西洋 にお けるユー トピア思想の衰顔」河合秀和訳,『ロマ ン主

義 と政治』所収,福田歓―・河合秀和編 (東京:岩波書店,1984年), 1-42買参照。 なお,この論文 は1978

年 に東京 でりecline of Utopian ldeas in the West'と い う題 日で講演 された ものの和訳で あ り,Berlin著作 集 (英文)には未収録 であることを断 ってお く。 10 このT41については, Aan K.Melior,ど物ダ蓉力 'ο ηαηサたr℃″ノ(cambridge,Mass.:Harvard Univ.Press, 1980),pp 3 30参照。

tO

フ リー ドリッヒ・シュレーゲル,『ロマ ン派文学論』,山本定佑訳 (東京:冨山房,1978年 ),44頁。 なお,念 のため原文 を添 える。

“Die romantische Dichtart ist noch in Werden i,a das ist ihr eigenthches Wesen, daβ sie ewig nur

werden,nie vollendet sein kann,"in Friedrich Schlegel,(力 嚇2拓α力肱 チ

'力

診″ク″′κ万肪を¢ηI(1796-1801),ed Hans Eichner( lunchen i Verlag Ferdinand Schuningh,1967),p.183

さらに,シュレーゲルが ロマン主義文学 を発展的統合文学 と規定 したことの分析 については,Beda Allemann,

力躍諺 クη′Dカカ″夕9g(Tdbingen:Verlag Gunther Neske Pfullingen,1956)参 照。

参照

関連したドキュメント

大学で教えてもらった通りにはいかない。様々な場面

新学習指導要領とICTの効果的な活用

実技試験におけるこのような楽曲と評価基準の設定は,能力別に評価する際に使用される

 音楽を聴くことは,聴覚が正常のものであれば誰れにでもできるし,程度の差はあれ,それによって

【楽譜4】 『幼稚園唱歌集』原本より「蝶々」 (註22) 大阪市立大学附属図書館

ピステッリ国立学校(幼・小学校の一体型学校)は、小学校40クラス、幼稚園7クラス、生徒数計1055人から成

として使用され続けている。近年では、小学校のみならず、幼稚園や保育園においても採用されているところもあ

悩の道を辿らねばならぬという意味での永遠である̲,そ