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音楽教育における鑑賞について
音楽科研究室 臼井 英 男
は じめ に
一般的に言って,音楽に興味を示す第一歩は.音楽をきくことから始まるといえる。音楽をきくうち に何んとなく興味をそそられ,自然に旋律を口ずさんだり,身体反応をしたりし,この度合が深まれば 再度聴きたいという意欲にかきたてられたりする経験は,暴れしも持ち合わせていると思われる。
音楽を聴く行為である音楽鑑賞は,聴者の音楽経験の度合により,又聴く時の生活態度,心理状態,
或いは環境条件等により種々の反応を聴者に起こさせる。この反応をどのように予測し,又どのように 発展させるかが,音楽教育における鑑賞指導である。新しい文部省指導要領でいう〈表現〉とく鑑賞〉
との関係は,音楽において表裏一体を為すものであり,それぞれの指導展開も緊密な関係を持つべきこ とは当然である。〈表現〉を予測して〈鑑賞〉を,或いは〈鑑賞〉を予測して〈表現〉をというこの関 係は,音楽の根源的なもの,即ち楽譜を通して,器楽或いは声楽という一つの媒介手段により,作曲者 の意図に演奏者の意志をからませながら音楽をつくり出すという,いわゆる再現芸術の特質に帰してい
る。
音楽鑑賞は,元来実際の演奏に接してこそ,その意義を十分に発揮できることではあるが,学校とい う限られた条件において行われるために,近年目覚ましい発達を見せている再生機器の利用が活発であ り,この利用は方法により多大な効果をあげられる筈である。音楽への導入から音楽への没入に至る全 ての過程に関連する音楽の鑑賞は,現在の音楽教育において大きな意義を持ち,その方法も種々の機器
の利用によ』り多種である。
鑑賞とその意義
児童の音楽への興味は,それぞれの家庭環境,個人的な才能等一律に論じられないまでも,第三者に よって与えられる音楽で芽生える。教師の歌う旋律を聴き,それを反復するこどによって,レコードを 聴きながら身体反応をしたり,その旋律を口ずさむことによって,又,簡単なリズム楽器を用いること
によって音楽に親しむことはごく自然である。
小学校低学年の音楽教育は,まず簡単でリズミカルな音楽を与えることから始まり,その目的は,音
楽に興味,関心を持たせること,音楽を好きにさせることである。鑑賞も同様の目的に沿って行われる
べきであり,いわゆる〈音楽あそび〉の範囲内での音楽との接触は,美に対する感受性を高めることを
期待する音楽教育の出発点である。中学年は,この低学年の延長線上にあり,総じて低,中学年は,音
楽への興味を芽生えさせ,その興味を持続させる一連の音楽教育課程における第一段階である。低;中
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学年で行われる表現活動は,歌唱にしても,器楽の演奏にしても,当然のことながら狭い範囲内での行 為であるが,レコードによる鑑賞を例にとれば,低,中学年の歌唱と同程度の音楽を広い範囲にわたって選ぶ ことができる。それぞれに異った性格を持つ児童達のそれぞれ異った音楽への潜在感覚を引き出すため にも,多種多様の音楽を系統的に聴かせることは必要である。
音楽鑑賞において,小学校の低,中学年と高学年以上とでは,一般的に言って一線を画すべきと思 える。即ち,前者にあっては音楽を聴かせることに,後者においては音楽を聴くことに主眼を置くべき である。音楽を聴かせることと,聴くこととの相異は自主性の有無であり,音楽鑑賞の本来あるべき姿 は,主体性をもって自ら聴き,感じ,そして思考することである。又,鑑賞そのものには,二つの面を 見ることができる。一つは感情的鑑賞といわれるもの6・,演奏されている作品を自我の中に自己中心的
な主観をもって享受するものである。これは感情的な面が強く,作品としてはmマンティックなものか ら受け易い。感情的鑑賞にならざるを得ないのは,低,中学年の鑑賞である。これに対するものに静観 的鑑賞がある。これは演奏される作品の構造を分析し,客観的な態度をもって鑑賞するもので,高学年 以上において徐々に重きをなし,感情的鑑賞とよいバランスを保ちながら鑑賞の展開をすることが理想 的な鑑賞の姿である。
鑑賞は演奏表現の裏返しであるので,両者相まって音楽の教育が展開されるのは当然である。児童,
生徒の音楽上の発達段階それぞれの場面において,個人或いはグループで演奏されたものを鑑賞するこ とは,互いの長所,短所を知る上で効果的である。音楽経験の浅い,又はその経験の内容密度の薄い場 合には,なお更自らの姿を見ることが困難である。そのために,テープ・レコーダー等機器を用いての 自らの演奏の鑑賞は,第三者としての客観性を持って行われるので,思考と表現の不一致を正すことに 役立つ。又,模範的な演奏に接すれば,大きな啓蒙を受け,表現の技術的,或いは精神的な面での進歩
にも連なり,音楽の指導は学校内の教師のみならず,学外,或いは国外の多数の指導者に教えられるこ とにもなる。曲種,曲目に関していえば,学校という限られた条件内では,実際に聴くことも,演奏す ることもできない曲種,例えば大規模な管弦楽曲やオペラ等,又は技術的に演奏不可能な作品,平易で あっても楽譜が入手できぬ作品等をレコードで鑑賞でき,多種多様の音楽をいとも簡単に,しかも同じ曲 を何度も繰り返し聴くことができる。上述の事柄を,教師が学校教育という場において,系統的,効果 的に利用し得る点に鑑賞の意義があり,又このことが現在の音楽教育の利点であり,魅力的な活用面で
もある。
鑑賞の方法
音楽を聴くことは,聴覚が正常のものであれば誰れにでもできるし,程度の差はあれ,それによって
何かを感じ取ることはできる。しかし,目的なしにただ鑑賞することは教育的ではない。学校教育にお
ける音楽鑑賞指導の最終目的は,音楽の芸術的内容に鋭敏に反応する能力を養い育てることにある。前
にも述べたように,小学校低,上学年では音楽に興味,関心をもたせることが第一であるが,始めて聴
かせる作品を早急に理解させ,即座に好きにさせることは不可能であろうし,又その必要もない。同じ
曲を何度も聴かせ,時間をかけて児童の音楽への興味,関心を引き出すべきである。いずれの分野でも
同様であるが,殊に音楽における成長の鍵は,児童が音楽を好きになることで,逆に嫌いになっては何
んの発展も見られない。この事を出発点とし,第二段階として徐々に憤み重ねることによってではある
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が,次の音楽に対するための基本的な三つの条件を満たすことが必要である。
第一の条件は,音楽固有の約束事に対する理解,即ち音楽の基礎的な理論に精通することである。勿 論,理論の先行は児童,生徒の音楽への興味を減退させてしまう危険があるが,高学年以上にあっては 鑑賞曲の音楽的基礎理論を知ることが重要であり,この理論の積み重ねが,次の段階への大きなステッ プの一つとなる。小学校,申学校,高等学校と9年間かけても音楽理論の何分の1かを知る程度と思わ れるが,基礎知識は少しでも多いにこしたことはない。第二に,音を聴きわけること,即ち音に対する 理解という音楽において重要な条件がある。前述の音楽理論も結局のところ,音で表現されて始めてそ の意義が成立するのであり,表現された音を聴きわけることが,聴者にとって重要である。このことは 演奏者にとっても同様であるし,作曲者にとっては,このような音になることを期待して楽譜に音符等
の記号,又は文字で記入するのであるから,音楽に関与する全てのものにとって音の理解は重要である。
音の聴きわけ,反応力を身につけるためには,年令が低い方が効果的であるので,小学校低学年におけ る鑑賞においても,前述のように簡単ではあるが多くの種類の音楽を聴かせて音楽に興味をもたせ,併 せて音感的教育が施されれば,後の音楽教育の流れをスムーーズにする一要因となる。音楽の授業が,教 師と児童,生徒の音による会話で,音楽を語り合うことができればどのように素晴らしいことであろう か。しかし,この場合,教師が音に対する理解力,反応力を持つことが前提であることは言うまでもな い。第三は,鑑賞に際しての聴者の姿勢である。音楽を自主的に聴きたいと思う場合,曲目,演奏者,
会場等を選択し,自らの聴く姿勢を演奏会に向けて調整するし,レコードの場合においても自らの生活 内で自主的に行うのが通例である。しかし,学校教育における鑑賞の場合は,カリキュラムにのっとっ て行われ,曲鼠についても文部省指導要領に示される共通共材を中心に年間計画をもって,教師によっ て選ばれるのが実状である。従って,児童,生徒の側からすれば,多少の希望は通るとしても,集団学 習の性格上,聴きたくない時に聴きたい音楽を,聴きたい時に聴きたくない音楽を聴かされるというち ぐはぐな結果が当然考えられる。鑑賞の場合,この問題が大きな障害となり,この障害を除去するため の方策は,教師に与えられる大きな課題である。このことのために,児童,生徒の鑑賞授業に臨む心の 準備,或いは,その曲に興味を抱かせるような教材についての準備指導が必要となる。音楽の演奏,鑑
賞共に,それぞれの奏者,聴者の心の準備が大切であり,しかもそれは自主性をもって臨むことに発展 の糸口が見い出される。
第三の自主性をもって音楽に接する態度を,マーセル James L. Murse11はその著 音楽的 成長のための教育ri・2)において,「音楽教育の重要な一部分である」とし,「音楽的自主性の発達が,
音楽的成長の自然な現われであり,それがまた,音楽的成長を促す強力な原動力になる。」と述べてい る。又,音楽的自主性を養うための1つの案として,音楽経験に関するもの,音楽活動に関するもの,
及び音楽学習に関する3つの分野のリストを前掲書に示しているので,参考までに次に引用する。
A 音楽経験に関する自発性 a コンサート,オペラなどに行く b ラジオの音楽番組の利用
c 音楽に関する評論や新聞雑誌の記事を読むこと
d 音楽や音楽家についての本を読むこと
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ef・9h.1 レコードを選び,きくこと レコード収集
楽譜を集めること
地域の音楽活動に関心を持つこと
学校の音楽の催しや活動に関心を持つこと
B 音楽活動に関する自発性
a 公に,あるいは,私的に,演奏の機会を求め,あるいは作り,またそれを利用すること b コーラスや合奏のグループに参加すること,及び,そのようなグループを組織し,また,指導
すること。c 作曲をすること
C 音楽の学習に関する自発性 a 練習法の工夫や創案
b 練習する麟の解釈(表現のしかた,楽器編成をも含む)を考えること
音楽鑑賞の方法としては,第一に聴者の前で実際に行われる演奏をあげることができる。この方法が,
本来の鑑賞の姿であり,視覚的にも,雰囲気的にも演奏者と聴者が一体となって音楽が語られ,説得力 に満ちwZいる。教師の演奏も,言葉ではなく,直接音楽によって児童・生徒に語りかけることは,たと え,器楽であっても,声楽であっても訴える力は強い。一方,児童,生徒の個人或いはグループによる 演奏の聴き合いも楽しいし,刺激を与え合うことにもなる。これは,学級,学年,学校各単価でもでき るし,或いは他校と丁丁で行えばなお効果的である。以上の方法は,よく行われていることと思うが,
学校単位で,或いは数校合同で音楽家による演奏会を行うことは是非とも必要である。独奏,合奏,独 唱,重唱等どのような形態でもよいが,できれば系統的に,しかも年に一度ではなく,継続的に多い回 数で行われればより効果的である。立派な音楽家の演奏は,授業では与えられぬ刺激を児童,隼徒に与 えることができる。
音楽の鑑賞は,文部省指導要領に示されている鑑賞共通教材のせいか,レコードによる鑑賞が強調さ れる傾向にあると思えるが,実際に聴者の前で行われる演奏に接することを常に考慮し,音楽を表現す ることと一体にして鑑賞を捉えるべきである。勿論,児童,生徒の表現には自ずと限界はあるが,それ を補う方法を学外に可能な限り求め,このことにレコード等の利用を図るべきと思う。学年により,或 いは学校の規模等により一律に考えられないまでも,実際の演奏を聴く機会は多い方がよい。又,演奏 者を学外に求める場合には,経費の問題が,複数の学校合同の場合には経費以外に会場の問題が生じる が,前者は学校及び市町村等の理解に期待し,後者は残念ながら講堂,公会堂等あるものしか使用でき ない。しかし,演奏の形態によっては野外コンサー・トも考えられる。
次にレコードによる鑑賞であるが,前項 鑑賞とその意義 で述べたように,現在では多種多様のレ コードを購入できるので,低学年向けのものから系統だてて揃えることができる。レコwwドの利点僻,
途申でとめることができるので,鑑賞の途申であっても補足説明ができるし,又,同じ曲を何度も繰り
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1 61返して聴くことができる。このことは,音楽教育の継続性を考えると大変に便利である。しかし,レコ ードによる鑑賞で注意すべき点(a ,同一曲を異なる演奏家のレコードでも聴かせることである。繰り返
し聴ける利点をレコードは持っているとしても,同じレコードの使用は,曲の解釈を一律化させてしま う危険がある。異なる演奏家によるレコードで同じ曲を聴けば,人によって解釈が違うことに気付く。
音楽の独創性,主体性を理解させるためにもこのことは必要である。レコ 一一ド鑑賞の場は,必ずしも音 楽の授業ばかりではなく,生活化という意味において,始業前,昼食時,下校時等にも利用できる。児 童,生徒のよくできた演奏を録音して放送することは,彼等に励みを与え得ることにもなる。
ラジオは,NHKの学校向け番組及びF・M放送による音楽番組が利用できる。どデオ・テープは市 販されている教材も豊富であるし,テープ・レコーダーに至っては活用度が高く,録音再生による鑑賞 は,児童,生徒の音楽的な長所,短所をよく理解させ,音楽表現に大きな示唆を与えることができる。
テープ・レコーダーは,時間芸術である音楽の表現研究のよき姿見である。
お わ 夢 に
音楽が演奏され,そしてその演奏が第三者によって鑑賞されるという場合,作曲と演奏が同時に為さ れる即興演奏が第三者によって鑑賞されるという場合,或いは,その二つの場合に第三者が介入しない という塩種類のケースが,鑑賞の形態として考えられる。最後の第三者がいなくとも鑑賞という行為が 起り得ることは,演奏者自身が聴者でなければならないからである。音楽表現に関与する者は、全て鑑 賞者たり得るわけであるが,その意識の如何は自主性にある。自主性をもつ演奏者は,自らの演奏をよ く聴くことができるし,自主性をもつ鑑賞老は,その演奏,或いは作品の本質に積極的に迫る可能性を 持ち得る。音楽鑑賞の本来のあり方は,実際の演奏に接することであるが,音楽を知るためeそして研 究するための手段としてレコL一一tド等を利用することは価値がある。教育に供される機器は,現在,矯の 量,質において目覚ましいものがあるが,要はそれ等の機器をどのように扱い,利用するかという点に
ある◎