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技能知の獲得における手続的知識と概念的知識に関する一考察

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(1)

教育心理学教室

憲 一 郎

1

は じめ に 前稿(Dでは

,生

田久美子121の「世界への潜入」とい う概念 をキーワー ドにして

,職

人 と伝統芸道 に おける技能知 の獲得過程 を検討 した。 周知 のように

,生

田の「わざ」の理解構造 は主観的活動 (自分

1)→

客観的活動 (自分

2)→

(自 分

3)の

三段階か ら成 り

,そ

れ は日本 の伝統芸道 における「守・ 破・ 離」の三段階 に対応す るとい う。すなわち

,(自

1)の

状態 とは

,学

習者がある「わざ」の世界 に入門 して師匠の「形」を模倣 し

,そ

れ を繰 り返 してい る状態であ り,「形」をまね るだけで精→杯 とい う状態である。当然

,自

分 を客観視 し自分以外の周囲の世界 を眺 める余裕 もまだない。 そして

,こ

のような状態の中で

,そ

の 初心の入門者 は師匠の家の中で行儀作法 を学んだ り

,他

の弟子 と会話 を交わ した り

,他

の弟子の稽 古 を見学 した り

,さ

らに師匠の 日常生活 と関わった り

,師

匠の家にあるもの と関わ つた りす るなか で,「わざ」の世界の リズムに自分 の生活の リズムを同調 させてい く。 これ を

,生

田 は「世界への潜 入」 と呼んでいる。 さて

,こ

のような「世界への潜入」 とい う段階が深化す るにしたがって

,師

匠の示す「形」 を感 応的に把握 し

,同

調的 に反応す る能力が高め られてい くのであるが

,同

時にそのような自分 を客観 的に眺めるもう一人 の自分が分化 して くる。 これが

,第

二段階の (自分

2)と

い う状態である。す なわち

,模

倣 と繰 り返 しに没頭す る自分 を眺 めるところの自己の中の他者が現われ る。 ここにおい ては

,今

まで 自分が模倣 し繰 り返 して きた「形」 を批判的 に吟味 し反省するとい う行為が現われ, 自分な りに師匠 とは異なる工夫 を試みてみるとい う行為が現われ る。 以上 のように

,第

一段階 は主 として肉体 の世界

,非

言語の世界であ り

,第

二段階が非言語的世界 か ら言語的世界への過渡的段階であるとす るな らば

,最

後 の第二段階 は主 として言語的世界 に入 る であろう。すなわち

,生

田によれば

,第

二段階 においては

,学

習者 は「わざ」の世界全体 の意味連 関 を自ら作 り上 げてい き

,そ

の中で自分や他人が表現す る「形」の意味 を考 え始 める とい う。私 な りに換言すれば

,そ

れ まで自分の内部 だけに限定 されていた

,も

しくは自分 と師匠 とい う最小 の対 人関係 の中だけに

,あ

るいはせいぜい師匠の家 の中だけというような狭 い範囲に限定 されていた自 己の行為 を

,自

分 をとりま く世界全体 の中に位置付 けることがで き始 める。 その ことによって

,自

分が今 まで苦労 して積み重ねて きた稽古 の結晶たる「形」 というものが

,自

分 も含 めた世界全体 の あ り方あるいは世界 の法則の必然性 に則 つていることを認識 し充足感 を味わ うのである。

(2)

このように見 て くると

,既

に触れた「守 。破・ 離」 とい うのは

,ま

ことに言い得 て妙 である。す なわち

,ま

ず模倣 と繰 り返 しを通 じて自己の内部へ と師匠の「わざ」 をひたす ら取 り込み

,そ

の後 自己の枠 を破 り自己の外部へ とはみ出 し

,師

匠か ら受 け継 いだ「形」 を乗 り超 え

,最

後 には自己か ら離れて世界 と自己 とを客観視 し

,そ

の両者 の意味連関 をつける。生田の説 に従 えば

,

このように 「わざ」の理解 は進む。 ところで

,生

田の「世界への潜入」 とい う概念 をこのように見て くると

,前

稿で考 えていたの と は少 し異なって

,技

能知 の獲得 とい う問題が必ず しも非言語 の世界でのみ行 なわれ る とは単純 に言 えな くなって くる。第二段階 において は

,自

己の行為 を世界 の意味体系の中に意味づ けるとい うこ とか らして も

,技

能知 は言語的世界 との緊密な関わ りをもたざるをえな くなる。 た しかに

,そ

うい うふ うに解釈 しなければ

,生

田の言 う「,い身合一」 とい うような観点 は出て こないであろう。 この点で

,波

多野 と稲垣(0の「手続的知識」,「概念的知識」,「理解」とい う見解 は注 目され る。波 多野たちは

,文

化 の中核 たる知識が

,世

代か ら世代へ と伝達 され ると同時 に個人 によ り構成 され る, すなわち新 たな ものが造 り出され付 け加 え られ る とい うメカニズムに関 して次のような仮説 を提出 している。

(a)い

かなる文化 もその重要な部分 として

,そ

の文化 の中で生活 してい くうえで必要な手続的 知識 を数多 く有 してお り

,社

会 はもっぱらそれ をその成員 に獲得 させ ようとす る (この限 りで知識 は

,基

本的に伝達 され るものである)。

(b)し

か し人々 は

,よ

り深い理解への動機づ けをいわば生 得的にもっているので

,獲

得 した手続的知識 を適用す る中で

,と

きとして これに対応 す る概念的知 識 をしだいにつ くりあげてい くことがあ りうる(この限 りにおいて

,知

識 は個人的な構成物である, と見 なされる)。 概念的知識 の構成 によ り

,人

々 は与 えられた手続 きをそれぞれの仕方で意味づけ, すなわち理解 し

,そ

れ によって文化 に直接的 には規定 されな くな り

,あ

る意味で はそれ を超 えるこ とがで きる。 さらに

,上

の仮説 の記述の中で用い られたキー ワー ドについて

,波

多野たちは定義 を与 えている が これ も非常 に重要 なので抜 き出 してお こう。 まず手続的知識 とは,ある領域や課題 において問題 を解 くために繰 り返 し用い られる手順(rOutine) をあ らわす ものである とす る。すなわち,`こうい うときにはこうする″といった

,条

件 と行為 の対 (プログクション

)の

集合 によって記述 で きるものであるとす る。 また

,概

念的知識 とは

,手

続 き の対象 を含む世界 を代表す るモデルを意味す るものであ り,なぜその手続 きが うま く働 くのか とか, それぞれのステ ップで このように行為す ることがなぜ必要なのかを説明する基盤 を与 えるとされる。 さらに

,最

後 の段階である理解 とは

,多

少 とも首尾一貫 した解釈 を確信 をもって採用す ることと定 義 されている。 このような

,波

多野 たちの手続的知識

,概

念的知識

,理

解 の三段階論 は

,私

見 によれば

,生

田の 「守・破・離」

,す

なわち (自分

1),(自

2),(自

3)の

三段階論 とほぼ対応す るもの と思われ る。 ただ

,生

田の場合の第二段階 は波多野 たちの場合 の手続的知識 と概念的知識の面者 にまたがる 状態であ り

,過

渡期 として位置付 けられ よう。 また

,波

多野たちの理解 とい う段階 は

,生

田の場合 の (自分

3)の

よ り高次の段階 として考 えることがで きよう。 さらに

,波

多野 たちは

,手

続的知識 は容易 に獲得 され るが

,そ

れだけで は応用力や適応性 に大 き な限界があること

,概

念的知識 を構成 して初 めてそれ までの文化の水準 を超 える新 たな手続的知識 を発明す ることがで きると指摘 している。 この

,波

多野 たちの見解 は重要である。従来

,や

や もす れば

,伝

統芸道 とか職人が技能 を習得す る過程 は

,非

言語の世界 とか肉体的鍛練 の世界 とか と単純

(3)

にみなされがちであったが

,そ

れ は

,た

だそれ まで伝 えられて きた水準 を維持す るだけであれば, それで も構わないわ けであるが

,一

段 の飛躍 とか発展 とか を考 えれば

,言

語的世界への移行が不可 欠なのである。 そ こにおいて初 めて

,生

田の言 う「′い身合一」 とい う議論 の妥当性が現われ るので あろう。 以上 のように

,現

代 の認知心理学の知見 に依拠 しなが ら

,技

能 あるいは技能知 に関わ る議論 を見 て きたわ けであるが

,こ

こでぜひ ともとりあげておかねばな らないのは南博律)の見解である。南 は, 日本 のいや世界 の心理学研究者 のなかでは唯一

,伝

統芸道 の持 つ心理学研究上 の意義 を認識 してい る大先達である。 しか も

,最

近 になってようや く認知心理学 の一部 の人 たちがその意義 に注 目して 研究 を開始 した はるか以前 に

,認

知心理学的潮流 とは異 なる独 自の視点か らその議論 を展開 してい る。南の学問的見識 に対 しては

,ま

ことに頭の下が る思いである。以下 に

,彼

の到達 した問題意識 を検討 しなが ら概略 を見てみよう。 南の伝統芸術論

,芸

道意識論 は

,驚

嘆すべ きことであるが

,上

に触れた現代 の認知心理学的議論 のほとん どすべてを含 んでいる。重要な論点 を私な りにまとめれば

,四

点 ほどに要約で きる。それ らは

,①

基本型 と創造型

,②

型 の芸術 と内容 の芸術

,③

芸術的人格

,④

自然 と人間の統合である。 まず

,基

本型 と創造型であるが

,南

によれば

,型

には二つあ り

,創

造型 とは独創的な天才が自分 の創造過程の最後 に到達 した最高の表現形式 としての型である。一方

,基

本型 とは

,上

の創造型 を モデル・ 手本 として作 られた練習のための基本型である。芸道 の修業 とい うのは

,先

人 のつ くった 創造型 に もとづ く基本型 をまず十分 に学び とり

,次

にはその基本型 を くぐりぬけて

,自

分で独 自の 創造型 を生み出 してい く努力 にほかな らない

,

と述べ る。 この

,南

の議論 は

,わ

れわれが既 に見て きた生田

,お

よび波多野 と稲垣 の説 とまった く同 じことを主張 していると思われる。すなわち

,生

田の段階

1(主

観的活動

,自

1)と

南の基本型 は同 じものを指 していると考 えられ るし

,段

階3 (自分

3)と

創造型 も対応 していると思われ る。 また

,波

多野 たちの場合 との対応で は

,南

の基本 型 は手続的知識 と

,創

造型 は概念的知識の発展形態 と見 なされ るところの理解 とい う段階 と対応 し ていよう。南の場合 は実証的な研究 というよりも

,た

とえば能 とか和歌

,俳

諸 な どの芸術論 を文献 的に研究す ることによ りこのような議論 に到達 したのであるが

,南

のパースペ クティブの広 さと深 さには敬服すべ きものが ある。 次に

,型

の芸術 と内容 の芸術 について見てみ よう。南 は芸術 を身体芸術 と非身体芸術 の二つに分 類す る。お どり

,う

,語

りな どは前者であ り

,文

学た とえば和歌

,俳

諸 な どは後者のジャンル に 入 る。 そして

,身

体芸術 は見 まね

,聞

きまねの真似事 を主 とす る身体的訓練 による型 を介 して伝承 され る。 そのために

,個

人的な接触が可能な家族 あるい は小集団の内部で

,世

襲的に行 なわれ る場 合が多い。 したが って

,非

身体芸術 に比べて保守性 。閉鎖性が強い。一方

,文

学 に代表 され る非身 体芸術で は

,身

体芸術 よりも発展性 。開放 性が大 きい とす る。すなわち

,型

よりも内容 を重視す る。 この

,南

の第二 のポイン トも波多野 たち との関連で興味深い。すなわち

,身

体芸術 は波多野たち の言 う手続的知識 の占めるウエー トの大 きい芸術 であ り

,手

続的知識の反復訓練 の後 に概念的知識 が芽生 え

,さ

らに才能 に恵 まれた一部 の者がその上 の段階すなわち理解 に至 るとい う図式であろう か。 これ に対 して

,非

身体芸術 は

,も

ちろん手続的知識 の段階 も経過す るわけであるが

,そ

れ より もむ しろ

,概

念的知識 に到達 してか らの発展性 のほ うが重要である。南 も指摘す るように

,技

術・ 方法 。内容のすべてにわたって型 の伝承 と録守 を重視す る身体芸術 と違 って

,非

身体芸術 は自由度 が高 く展開的である。む しろ文学 な どは

,内

容 を構成す る思想や観念が新 しくなるのに応 じて

,新

しい技術 や

,方

,形

式 を要求す るのである。非身体芸術 の場合 は

,波

多野 たちの言 う概念的知識

(4)

の占めるウエー トが大 きいのである。 第二のポイン トである

,芸

術的人格 を見てみよう。南 は

,世

阿弥『風姿華伝』中の型 について述 べた とい う次の箇所 を引いて論 を起 こしている。「稽古 とは

,音

曲・舞・働 。物真似

,か

様 の品々 を 究むる形木 (かた ぎ

)な

り」。南 によれば

,形

木 は江戸時代 になると気質 (かた ぎ)と いう字 を当て られ

,今

日の心理学で言 うパー ソナ リティーに近 い意味 を持 って くるという。そして

,世

阿弥の言 う形木 は

,一

人 の芸術家が彼 の全人間 を賭 けて到達 しようとす るところの

,行

動 と思想 の統一 され た もの という意味 において

,パ

ー ソナ リティとか芸術的人格 と言い得 るという。私な りにこの形木 を解釈すれば

,生

田の段階

3す

なわち自分3の段階 に対応す る人格的側面が形木であ り

,生

田の言 う「′い身合一」であ ろう。 また

,波

多野 らの理解 の段階 に対応す る人格的側面 に も対応 していよう。 このように見て くる と

,芸

術的人格 を指す形木 は基本型 の習得 を踏 まえて

,さ

らに創造型 にまで 到達 した芸術家 の人格 であるとい うことがわか る。 また

,わ

れわれ はしばしば

,職

人気質 とい う言 葉 を用いるのであるが

,こ

れ も段階3に至 った職人 の人格的狽1面を指す というぶ うに理解すれば, 職人 の場合 と芸道 の場合 の類似性が一層際立 って くるであろう。実 は

,本

稿で は職人の具体例 に即 して議論 をすすめる予定であるので

,こ

のポイン トは記憶 に とどめておかねばな らない。 で は

,最

後 の自然 と人間の統合 とい うポイン トに話 を移 そう。南 は

,日

本 の伝統芸術 の特徴 とし て

,自

然 を媒介 として人間性の回復 を試みようとい う

,き

わめて人間的な要求 に発 している点 をあ げている。 これ は

,わ

れわれが前稿で渡植彦太郎 の技能知 を検討 した際に注 目した技能知 をエコロ ジカルに とらえるとい う視点 とあい重なる。渡植の指摘するように

,技

能知が伴 う技能 とは

,自

然 環境 を傷つけず

,人

間 と自然 との調和 を保つように機能す るものである。 この点で

,渡

植 は伝統芸 道

,職

,主

婦 に共通 に技能知 は働 くとするのであるが

,南

の議論 は渡植 の議論 を既 に包括 してい る。 以上のように

,今

日の認知心理学の知見および南博 の卓越 した芸術心理学的見解 を参考にしなが ら,われわれの問題意識 の概略 を述べて きたわけであるが

,次

に本稿 の直接 の目的に触れてお こう。 前稿 を書いた時点で は

,技

能知 の習得 はもっぱら非言語の世界 で行 なわれ る と解 していた。 とこ ろが

,こ

れ までの ところで見て きたように

,非

言語 の世界 のみの習得お よび伝達で は必ず限界 につ き当たる。その限界 とは

,従

来 の文化 の到達水準 を超 えることが

,非

言語的世界 の範囲内ではで き ない とい う点 と

,心

身合― の境地 あるいは南の言 う芸術的人格 の段階 に到達す ることが非言語的水 準のみで は不可能であるとい う二つの意味 を持つ。 そこで

,本

稿で は

,前

稿 と同様 に職人 のい くつかのケースを検討 しなが ら

,波

多野 たちの言 うと ころの文化 を伝承 しそれ を超 える とい うこと

,す

なわち

,知

識 は社会的に伝達 され ると同時に個人 によって構成 され る とい う二面性 をもつ という点に焦点 を絞 って

,そ

れが単 に身体的訓練 のみによ つて成 し遂 げ られ るので はな く

,波

多野 らの言 う概念的知識 とか理解 とい う段階にまで到達 しなけ れば生 じえない とい うこと

,そ

して

,そ

れ らが人 と人 とのコ ミュニケーシ ョンも含 む社会的・ 文化 的過程 の中で営 まれ る とい うことな どを検討 し

,若

干の考察 を加 えてみたい。

2方

法 二人 の職人 を対象に聴 き取 りを行なった。聴 き取 りに要 した時間 は

,一

時間前後である。実施時 期 は

,1990年

11月お よび1991年 6月 である。

(5)

3結

(1)和

菓子職人 (昭和20年生 まれ

,調

査当時45歳): 和菓子作 り職人の二代 目である。高卒後

,父

親 の後 を継 ぐことになったが

,父

親 の作 る菓子 は昔 風なので今後 はもう売れない と考 えて

,新

しい和菓子作 りを覚 えるために東京 の専門学校へ

1年

間 入 る。その後

, 1年

半 は東京 の和菓子屋へ弟子入 りす るかたちで勤 めた後

,帰

郷 した。帰郷 した後 は

,本

を参考 にした り

,東

京の先輩 に尋ねた りして

,自

分の努力で試行錯誤 しなが ら

,ま

た地元で 同業者 の勉強会 を開いた りしなが ら新 しい菓子づ くりに挑戦 している。 この人 の場合 は

,自

分 の父 親か ら直接学ぶ とい うことはほ とん どな く

,他

人か ら学んだ ことのほうが はるかに多い。 しか し, 子 どもの頃か ら父親 の仕事 はときどきで はあるが見 ていた。 自分の子 どもは娘 しかいないので

,後

継者 はいない。以下 に

,聴

き取 りの抜粋 を示す。 (前略) 「職人 さんが減 っているってい うのはどうしてですか?」 「やっぱし

,そ

のむづか しいってい うのが第一だ ろうね。技術 を覚 えるのがね。10年くらいかか る。10年で もまだ初歩 をか じった ぐらいです けどね。和菓子 はとって も底が深 いですが。洋菓子 は ベースが決 まってますか らね。不日菓子 は

,あ

ん こを作 るのか らむづか しいだが。それか ら

,い

ちば んむづか しいのが

,包

みあんす るってい うんだけど

,結

局包むんですね。これ に

,4,5年

かか る。」 「徒弟 に入 った ときの勉強の仕方 とい うのはどうい うふ うなんですか?」 「職人 はあんまり教 えて くれん しね。結局

,盗

み見ですが。む こうが量 るのをぱっ とみて

,帳

面 に書 き込 んだ りね。 それか ら

,ど

うい うことをつ くるか

,他

の ことをしょうって も見て自分の帳面 に書 きょうりましたよ。 それ と

,見

もって

,見

て覚 えないけんですな。盗 んで 自分 の ものにしよう って一生懸命です。職人 は

,自

分 か らは教 えんです よね。 こっちが聞かん と教 えんです。なかなか 上手 に教 えて くれんしね。やっぱ り自分 の持 ってるものは教 えた くないってい うんで しょうね。結 局

,自

分 の秘伝ですか らね。」 「 まず最初 はあん炊 きですわ。 い ろいろなあんの種類があ りますか らな。 それ を覚 えるの も

3年

4年

はかか ります よ。 この和菓子 はあんが命 ですか らね。」 「 あん この炊 き方 とい うのは教 えて もらったのですか

,最

初 の時 にP」 「一応

,見

もって

,炊

いてみて,『どうですか』

,Fど

ぅですか』って もっていかないけんだが。ず つ と

,見

て くれ らせんだけえ。」 「手 とり足 とりって ことはP」 「絶対 ないです

,そ

んな ことは。 自分が入 った ら他 の人が炊 きょうるで しょう。それ を見 もって, 教わ るんですか らね。

3, 4年

かか ります よ

,あ

んだけで。それ にね

,あ

ん とい うのはその店 の一 番の熟練者が炊 くんですわ。次 ぎに習 うのは何か とい うと,この菓子 を包む。これが また包 めんだ。 これ包むのに

4, 5年

はかか る。だで和菓子 はむづか しいだが

,そ

れでみんな苦労 しょうるだが。」 「包 み方 は見 るしか覚 え方がないんですかP」 「見 るしか方法がない。 それで

,

とにか く自分 はさかづ きを

,ち

ょこをたえず毎 日こうしてひね りょうった もんですわ。寝 とって も起 きとって もひまさえあれば。仕事がすんで職人が帰 ってか ら, 後 は夜

,自

分 はそこに残 ってね

,一

生懸命やってみた りね。そうい うかたちで まあ覚 えていって,

(6)

後 はこっちに帰 ってか ら本読み もって

,い

ろい ろ研究 していったわけですな。い ろいろ苦労 して本 見 もってね

,考

えもって自分でアレンジして

,い

ろい ろ工夫 して

,そ

れか ら

,自

分 の場所で売れる 菓子 じゃない とね。都会 の菓子 とこの家 の菓子 とは違 いますか らね。都会のは

,今

一個200円 300円, このへんで一個100円くらいで しょう。だか ら同 じのを作 って も駄 目なんですが,と って もコス ト高 くなってね。 だか ら

,こ

っちにあった ようにアレンジ して作 っていかないけんだ し

,ま

,そ

うい うことを考 えもってあみだ してい くんです けどね。」 「和菓子 を作 られていてお もしろい こととか はあ りますか?」 「 ええ

,あ

りますよ。 もうこれ は底 のない仕事ですか らね。掘れば掘 るほどいっぱいでて きます か らね, この仕事 は。」 「いろいろな研究会 な どで勉強 されているとか とうかが ってい ますが?」 「 この地域で菓子組合 ってい う組合があるですが。 その中で

,青

年部 つていった らおか しいな, もう壮年部

,だ

いたい45まで

,こ

れが一応菓子の研究会。 自分 らが集 まって作 ったんです。菓子作 って持 っていった り

,慰

安旅行 してい ろいろ話 し合 つた りで,よ うや く去年か

,45過

ぎたか ら

,今

, ち ょっ と顧間になっ とるけどね。 それ とは別 に菓子 の講習会 もしょうりますけどね。講習会 もやっ とるし勉強会 もやっとるです よ。 それ まで は

,飲

んで騒 ぐ会 はあったけど

,勉

強す る会 ってい うの は全然 なかったです。 それ じゃあいけんって言って

,特

に自分 はよそに出 とったで しょう。 よその 菓子の厳 しさを見 て きとるで しょう。 とって も厳 しいです けえ。一 ヵ月に何回か よその研究会 って あるです。みんなが菓子 もちよって研究 しょうるですだが。鳥取 に帰 った らみんなのんび りしとる な。魚釣 りした り

,ひ

まだな―て

,し

とるで しょう。 なんだ こりゃ

,鳥

取の菓子 はこりゃいけんな ―て言 って

,で

,自

分だって こっちへ帰 った ら体がだるっちゃうですが

,都

会 に出 るとまた しゃき つとして,こ れ じゃいけんって ことで何か研究会 をしようってことで,それでそ うい う会 を作 って」 「研究会 はお父 さんの頃にはあったのですか?」 「全然 なかったですね。 自分が部長 しているときにね

,講

習会 しようっていって

,そ

れで

,昔

の 人 の技術 と若 い人 の技術 を集 めて講習会 したのですが。 とにか く

,鳥

取 の菓子屋 さんはのんび りし とる

,

これ じゃいけん

,い

つまで もしとった ら今度 はよそにや られ ますか らね。い まどん どん都会 のが入 って くるで しょう。みんなむ こうに食われちゃうか らね。やっぱ り対応で きるような菓子 を 作 っとかないけんっちゅう

,そ

うい う頭があったですね。」 「 こういう仕事 をして一番良かった と思われ ることはP」 「まず

,自

分 の腕が出せた。腕が発揮で きたって ことが大事。すべて この菓子 に自分 の技が出せ る

,こ

れが一番 じゃないかな。勤 めだ とで きんけねえ。 自分 の思った もの作れて配達で きて

,そ

れ を買 って もらえる

,そ

れが一番 うれ しい ことだけねえ

,そ

れが一番 じゃないかな。」

(2)紙

漉 き職人 (大正

4年

生 まれ

,調

査当時76歳): 子 どもの頃か ら母親が紙 を漉 くの見 て育つ。18歳の時か ら県主催 の伝習所で講習 を受 けるな どし て本格的に紙漉 きを始 めたが

,そ

の後養子 に行 き

,そ

こで家業 として営む ことになる。紙漉 きに必 要な

,水

,

トロロアオイなどの原料 に関す る知識 にも詳 し く

,ま

,漉

くときに用 いる道具の吊 し 方などに

,独

自の工夫 を とりいれている。現在

,息

子が後 を継いでいる。以下 に

,聴

き取 りの抜粋 を示す。 「僕が気がついた ときには

,母

親が一人紙漉 きした り

,そ

の漉いた紙 を乾燥 した りしとりまして

(7)

な。そ こに行 って話 を聞いた り,まあ牙焉魔 しとったわ けですわ。母親があっちへ行 けばついて行 き, 小学校 にあが るまでそうしとったんです。」 「(18歳の頃

)父

親 にやってみ ろって言われ ましてや ってみるんです けど

,紙

は漉 けるんです。 こ れ は誰 にで もで きます。で も商品 としてはだめなんです。だか ら父親 によ く

,そ

んな もん売れんっ て叱 られ ました。 あっちが薄かった り

,こ

っちが厚かった り

,100枚

な ら100枚のなかの どれ もが同 じ厚 さじゃない と商品にな らんです。僕が歌 を歌いなが ら漉い とりました もんですけえ

,歌

歌 いな が らなんかやっ とるけえだって叱 られ ました。 それか ら本気 になってや り始 めまして

,10日

たった 頃に

,ま

あまあで きだいたなあ

,こ

の調子でやれって言われ まして

,そ

れでイメージってい うもん をつかみましてな。 その後で兵隊に行 つたです。」 「(全国的な伝統工芸展 な どで

)褒

めて もらえば褒 めて もらうほど

,競

争心 もでて きましたけど, その うち

,自

分 の うちでいい ものを作ればいいんだ

,

と思 うようにな りましてな。それで

,息

子 と よう話す ようにな りましてな。あそこはこうしたほうがしれゝとか,こ こはこうしたほうがいい とか, 本当に飯 の時間が楽 し くな りましてな。 ここにきて自分 たちな りの紙漉 きのや りかたを研究 して き たって言 って もいいです。 それが

3年

ぐらい続 きましてな

,た

くさん研究 した もんです けえ

,そ

の 滓がたま りにたま りまして

,軽

トラいっぱいに津 を捨 て ましたなあ。 それで

,紙

ってい うのはこう いうもんだなあってい うのが

,わ

かるようにな りましたなあ。努力 ってい うのはえらい もんです。」 「ほんに

,僕

は紙 をやっ とってよかったなあ と思い ます。母親 の横でいろいろ聞い とったのが よ かった と思い ます。親 ってい うのは本当に子 どもに とって は大事 な もんですわな。やっぱ り

,子

ど もは親 を見て育 ちますわな。」 「 これ は

,全

部僕が体験 して きたことをもとに自分 で研究 して きたんです。人の もの と比べて違 うところをみつ ける。で,これ はどのようにしてある

,こ

れ はどのようにしてあるってい う具合 に, 人 と一緒 になって

,い

い ものをつ くることに専念す るんです。人 の ものを見て

,い

い もの悪い もの の区別がつ く目を持つ ことが一番大事ですわな。その目を養 うの も訓練 の他 に方法 はあ りません。」 「お祖父さんにあたる人が

,い

い紙漉 くってい うことはな

,朝

けんか したような もんが漉いたっ ていい もんは漉 けんって言われ ましたけど

,そ

の とう りです。だけん

,心

が騒がず に

,そ

の漉 きょ うる紙 にうち こむって言 つた らおおげさです けど

,頭

にい らん ことがあった りします と

,こ

の仕事 は一枚一枚見てい くもんですか ら

,こ

の時 は何か考 えっ とったなってい うことがす ぐわか りますわ な。」 「初 めに

,い

い癖 をつ けることが大事ですわな。だか ら

,誰

の言 うことで も素直 に聞 くことが大 事です。教 えて くれ るってい うことは

,自

分 よりは習わせ る人 は一枚上ですか ら

,そ

の人 の言 うこ とをス トレー トに聞いた人がや はりいい紙やいい薬が作れ ます。一回癖がつ きます と

,直

そ うと思 ってはいるんで しょうけど直 りませんわな。順序が決 まってますか らな。だか ら

,い

い順序 を覚 え て しまうってい うことが紙漉 きに とって は一番大事 な ことです。」

4考

本稿で とりあげた二人 の職人 は

,前

稿 で とりあげた二人 の職人 とは少 し違いが見 られる。それ は, 波多野 らの「手続的知識」 と「概念的知識」,「理解」 とい うキー ワー ドお よび「手際のよい熟達者」 と「適応的熟達者」 とい うキーワー ドを用いれば

,よ

く解釈で きそうである。 波多野 らによれば

,手

際のよい熟達者(rOutine experts)と はただその技能 の遂行 の速 さ。正確 さ。

(8)

自動性 な どにおいてのみ他 の人々 と比べてす ぐれてい る人々の ことである。 これに対 して

,適

応的 熟達者 (adapt e experts)と は自分の遂行 している手続 きを内示的お よび外示的に理解 していて, 状況的制約の変化 に合わせて手続 きを修正 してい くことができ,柔軟性 と適応性 を獲得 している人々 のことである。 ここで

,手

続 きを内示的および外示的 に理解す るとは次のように定義 されている。 その技能 を遂行す る人が

,な

ぜ その手続 きが うま く働 くのかを言語的に説明で きれば

,彼

はその手 続 きを外示的 に理解 していると考 えられ る。一方

,言

語的 には説明で きないけれ ども

,適

切 な遂行 の仕方 と誤 った遂行 の仕方 を区別す ることがで きれば

,内

示的に理解 していると考 えられ る。 私な りに解釈 を加 えれば

,手

続的知識 の段階 に とどまっている場合が手際のよい熟達者

,概

念的 知識の段階へ到達 している場合が適応的熟達者 にほば対応するのではなかろうか。今回 とりあげた 二人 の場合 は

,適

応的熟達者 の中で も特 に外示的理解 の高度 の段階 にあるケースであろう。前回 と りあげた二人 の場合 は

,共

に適応的熟達者であることには間違いはないが

,外

示的理解 とい う点 に おいて今回の二人 ほどはまだ進 んでいない と言えようか。では

,そ

の差 はどこか らもた らされたの であろうか。 波多野 らは

,手

続的知識 の段階か ら概念的知識への移行 の きっかけを

,人

々がある手続 きを遂行 する際 に

,ど

うしてそれが うま く働 くか

,あ

るいは

,ど

うしてそれぞれのステ ップが必要なのか を 自間す ることに求 めている。た しかに

,こ

れ は概念的知識へ と移行するために一般的に必要な きっ かけで はあるが

,外

示的理解 の高度の段階へ と概念的知識 を構成する

,さ

らに言 えば

,概

念的知識 の段階か ら理解 の段階へ と移行す るためには

,波

多野 らが別 の ところで指摘 している「よ り深い理 解 を奨励 しあ う小集団」の働 きとか

,そ

のさらに深い ところで働 く社会的 。文化的な過程の働 きが 重要な役割 を果 た しているように思われ る。 た とえば

,和

菓子職人 の場合 は

,若

い頃に東京へ修業 に出て

,商

売の厳 しさとか生産者同士の競 争の厳 しさな どを肌で感 じて帰郷 した こともあ り

,こ

の ままで は県外の業者 に食われて しまうとい う危機感か ら

,地

元で研究会 を組織 し

,互

いに切磋琢磨 しなが ら技 をみが き

,原

料 な どの改良・ エ 夫 をこらしている。 そのような研究会組織 の発起人 にな り

,中

心 になって活動 して きた とい うこと が

,彼

の場合 は波多野 らの言 う理解 とい う段階に至 る非常 に重要なきっかけになっているのではな かろうか。 もう一人 の紙漉 き職人 の場合 は

,上

に述べたような「小集団」の働 きよ りもむ しろ

,水

や トロロ アオイな どの原料 を研究 しなが ら

,自

分 の遂行 している手続 きを自問 してい くというプロセスのほ うに

,主

たるきっか けがあるように思われ る。彼 自身

,す

べて自分で実験す ることによって改良・ 工夫 した と述べているように

,絶

えざる努力 と熱意 の賜 である。 しか し

,そ

れ らの努力 を背後で支 えた ところの地場産業 を復興 して過疎 に悩む自分 たちの地域 を活性化 したい というような地元の願 い

,す

なわち

,そ

れ はきわめて社会的な要因であるが

,

も見逃す ことがで きない。 また

,本

人 も述 べてい るように

,全

国的な展示会等 における入賞経験 な どが

,大

きな励 ましになっていることもた しかである。 本稿 の前半で紹介 した波多野 らの

,文

化 を伝承 しそれ を超 えるためには手続的知識 を遂行す る中 で概念的知識 を構成 してい くことが必要だ とい う仮説 は

,わ

れわれの調査 した二人 の職人 の場合 に おいて もよ く現われているように思われる。二人 とも

,自

分が受 け継 いで きた知識 (文化

)の

到達 水準 を確実 に高めることに貢献 しているか らである。

(9)

1

高取憲一郎 「技能知の認知心理学的研究」 鳥取大学教育学部研究報告[教育科学]1991年1 第錦巻2号,435 -447

2

生田久美子 『「わざ」か ら知 る」東京大学出版会 1987年

「か らだでわかる」 『岩波講座 教育の方法 8』 岩波書店 1987年 所収 76-107

3

波多野誼余夫

,稲

垣佳世子 「文化 と認知」

F現

代基礎心理学 7』 東京大学出版会 1983年 所収 191-210

4

南博 『日本人の芸術 と文化』 勁草書房 1980年 (1992年3月31日受理)

(10)

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