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巻頭特集

美味しい沖縄

――医食同源の島々を巡る 撮影=垂見健吾 文=編集部  スタイリング=嘉陽かずみ(p.14-23)  地図=上泉 隆 p.014 和食が世界無形文化遺産になった。四季の素材を扱う技術、 盛りつけの美、もてなしの心、そうした要素が和食の文化た る点だが、和食の中でもひときわ異彩を放つのが南西洋上 に浮かぶ島、沖縄の料理だ。その特徴をひと言でいえば医 食同源。健康は食にあり、だ。極めつきのおいしい長寿食 を求めて、いざ南へ。 (p.014) 夏の必需品、ゴーヤージュース。ゴーヤーは 15 世紀前半に沖縄にもた らされ、今では地域を代表する野菜として定着。ゴツゴツとした竜の皮 のような表皮と、濃い緑色が特徴。慣れないと独特の苦みに閉口するが、 シロップやシークワーサーを混ぜてジュースにすることで、子どもにも飲 めるすっきりとした味わいとなる。ウチナンチュ(沖縄人)が夏バテしな い秘密の一つ。 (p.016) マース煮(魚の塩煮)。本土とは違い醤油はあまり使わない。味の決め 手は塩と、沖縄特産の蒸留酒、泡盛。水に塩と泡盛を入れ、魚と一緒 に 15 分ほど煮立てることで、白身魚のおいしさを素のまま楽しめる。生 姜やイーチョーバー(フェンネル)を入れると臭みが取れる。うろこや腸 (腹わた)を取り除き、湯びきする下ごしらえも重要なポイント。写真は 高級魚の「アカジンミーバイ(すじあら)」。 (p.017) いか墨汁。疲れや二日酔いにも効くが、地元では「下げ薬」として知ら れる。血圧を下げたり、解熱・利尿作用など、体内の余分なものを排 出してくれるという。沖縄では産後に胎盤を出す際にも飲用される。妊 婦さんが飲んで危うく流産しかけたという驚きの逸話も。あおりいかを 使用することで料理に甘みとコクが出る。 (p.018) ・クファジューシー(堅めの炊き込みご飯) ・ラフテー(豚三枚肉の角煮) ・チムシンジ(豚レバーの煎じ汁) ・ゴーヤーチャンプルー(ゴーヤー入り豆腐炒め) ・泡盛(沖縄特産の蒸留酒) (p.019) 沖縄の代表的な家庭料理の数々。彩り豊かなクファジューシーは宮廷由 来の料理だというが、今では沖縄庶民の食卓にも欠かせない。「彩りが きれいなことは栄養バランスが取れていること」といい、今回は人参(オ レンジ)、島人参(黄)、わけぎ(緑)、しいたけ(白)、豚三枚肉(バ ラ肉)(茶)を入れた。右下のチムシンジは薬効の高い「ヌチグスイ」 料理。滋養に富み、疲れやだるさを吹き飛ばす。 (p.020) 「清明祭(シーミー)」の際に登場する重箱。中身は最前列左側から時 計回りに、大根、ごぼう、カステラかまぼこ(沖縄独特のかまぼこ。魚 のすり身と卵を混ぜて蒸し揚げる)、昆布、めかじきの天ぷら、こんにゃ く、揚げ豆腐、豚三枚肉(バラ肉)の煮つけ、かまぼこの 9 種類と白 いお餅。約 7cm 四方の格子状に盛りつける。重箱の中央と、重箱入れ につけられた緑色の葉は「サン」と呼ばれる魔除け。 1

すべての食事は「ヌチグスイ(命の薬)」

p.020 沖縄料理とは何なのか? 何がそんなに本土の和食と異なる のか。そこには「ヌチグスイ」という考え方が強く影響している という。沖縄の歴史と食事情が大きく反映された「ヌチグスイ」 精神。沖縄料理の研究家・嘉陽かずみさんに聞いた。

お墓参りのご馳走

p.021 4 月中旬、緑も眩しいある週末、沖縄県那覇市に居を構える 嘉陽家は、清明祭(シーミー)の準備におおわらわだった。 2014年 春/夏号 日本語編

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嘉陽かずみさんは 2 日前から準備を始めていた料理を朝から 重箱に詰め、一族のお墓参りへ出かけた。後から続々と一族 が集まってくる。今年は総勢 20 名だ。家ごとに順番に拝み、 重箱料理を供えた後は、そのお料理と、持ち寄ったオードブ ルを皆でわいわいといただく。子どもたちはピクニック気分 で大はしゃぎだ。元々は中国から伝わった、祖先供養の祭り である。  沖縄では必ずどんなお墓にも、この清明祭を行えるスペー スが確保されている。お墓の前でピクニック、などと聞くと中 国の人も首をかしげそうだが「祖先の前で、子孫が仲むつま じくご飯を食べ、賑やかにしている姿を見せる」ことが沖縄 流の孝行なのだという。 「これはうちだけかもしれないんですけどね、祖父が豚肉を お餅で挟んで、それはそれはおいしそうに食べるんですよ。 それを見てるのが好きでね」と語る嘉陽さん。「こんなおいし い料理は、琉球王国第一尚氏の流れをくむお義母さんにしか 作れない」と思っていたが、フードスタイリストの仕事を通し て沖縄料理の奥深さを知り、伝統を残したいと真剣に考える ようになった。 「料理の材料や工程、すべてに意味があるんです」と語る嘉 陽さんは、沖縄生まれの沖縄育ち。元々は料理のスタイリン グの仕事をしていたが、作ることを本格的に学び、現在は沖 縄料理の教室を主宰したり、沖縄料理について講演するため 全国を飛び回ったりと大忙しだ。「沖縄には琉球王国伝来の 宮廷料理と、庶民が食べていた家庭料理の流れがあります。 私は嫁ぎ先の嘉陽のお義母さんから宮廷料理につながるおも てなしの料理を、実家の母から家庭料理をたくさん教わりま した。もちろん、料理学校の先生からも。私には先生が、た くさんいるんです」。嘉陽さんは、徐々に本来の沖縄料理が 失われていくことに危機感を抱き、自分たち世代をはじめ、 多くの若者に本来の沖縄料理を残そうとしている。沖縄料理 を未来へ伝える、今注目の若手だ。「若手といってももう50 代。 でも沖縄のおばあたちに比べると、やっぱり貫禄がまだまだ 足りないのよね」とハツラツとした笑みを見せる。  昔から沖縄には、食を大切にする風土が色濃く残っていた。 今なお残る「ヒヌカン」への崇敬もその一つといえるかもし れない。ヒヌカンは直訳すると火の神様。かまどのある場所(台 所)に置かれ、一家の守り神として大切にされている。月に 2 度は必ず拝み、更に結婚、出産、旅行、病といった家族の 出来事も、ヒヌカンへの報告を欠かさない。一方、お墓参り などで先祖に報告するのは「よいことだけ」。先祖に心配を かけてはいけないのだ。  食を大切にする背景には、この小さな島の事情も大きく関 与している。 「食材が限られていた時代に、地元の材料を無駄なく調理す る知恵を、昔の人は生み出していたんだなぁと思います」と 嘉陽さんがいうように、太陽と海の恵みがあふれているとは いえ、ほんの数世紀前まで、庶民が口にできるものには限り があった。近くに自生していた雑草(薬草)に関する食べ方 や効能の伝承も数多く、今でも緑色をした「雑草」が数多く 市場に並ぶ。その種類の多さたるや本土とは比べものになら ない。  貴重なたんぱく源であった豚にしてもそうだ。 「沖縄では、豚は泣き声以外全て食べるなんて言いますが、 本当にそのとおりなんです」。かつては正月などの特別なとき には 1 頭の豚をさばき、頭から尻尾まで丸ごと活用するため、 多くの知恵が絞られた。食べきれない肉は塩漬けして保存。 肉から切り取った脂身は長時間焼いてクルトンのような浮き 身に。血は片栗粉と塩を混ぜて調味料に、肉を下ゆでしたと きのゆで汁は冷やして脂を取り除いてからだしに。このとき取 り除いた油は調理用油に。骨からも濃厚なだしがとれる。耳 の皮、顔の皮、足なども煮込み料理などとして活用した。  言葉にも、食に対する思いが表れている。食は「ヌチグス イ(命の薬)」だという。 「命をいただき、命をつなげるというか、食事って、ただ口 に入れるのでなく、薬効などの意味があるんですよ。だから 疲れているときに、体にしみ込むような真心のこもった手料 理をいただいたときなんかは『ヌチグスイナイビタン(命の 薬になりました)』といって、作り手に感謝を伝えますね」  食事と薬は同じものという「医食同源」の思想から、毎日

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の食事で病を防ぎ、治療し、体調を管理してきた。「たとえ ば風邪をひいたらフーチバー(にしよもぎ)を食べます。貧 血になればハンダマ(水前寺菜)、いか墨汁は高血圧やのぼ せに効きますね」。暑い地域だが夏バテしないのは、ゴーヤー をよく食べるから。もちろん、今でこそわかるゴーヤーの「モ モルデシン」や「ビタミン C」という成分を先人たちが知っ ていたわけではないが、「ヌチグスイ」精神を持つ沖縄では「夏 にはゴーヤー」が生活の知恵として伝えられてきた。  沖縄県外の人も、沖縄料理は「滋味深い味だなぁ」としみ じみ感じられる。年配の沖縄人の料理をご馳走になり、「おい しい」と言えば「ティーアンダが入っていたからね」と返され る。ティーアンダは直訳すると手の脂。手脂がしみ出るほど 手間ひまと愛情がかかっていることの証しである。  だし作りから始まる沖縄料理。だしの材料は大抵、かつお 節と豚だ。豚肉を食べるときは「下ゆでは欠かせませんね。 まず、ゆでこぼしてから、更に 1 ∼ 2 時間かけて下ゆでします。 脂も落ちるし、保存性も高まるんです」。このときに出たゆで 汁が、だしの素になる。下ごしらえに時間をかけるのが、沖 縄料理の特徴の一つだ。  手間ひまかかったスローフード、生活に根づいた医食同源 の知恵、眩い太陽の日差しを受けて育った地元の野菜や海草、 そうしたものすべてが沖縄の人々の暮らしを豊かで健やかな ものにしている。 (p.021) 各家庭の台所に祭られている火の神様、ヒヌカン。毎月、旧暦の 1 日と 15 日(新月と満月)には水、塩、泡盛をお供えし、感謝の気持ちと願 いを伝える。 沖縄の代表的な野菜と薬草 (p.022) ゴーヤー。ゴツゴツとした不思議な表皮の内側は、白く歯ごたえのある 果肉。横に切ると子どもサイズの腕輪のような円の中に、かぼちゃのよ うな白い種が多数詰まっている。 慣れないと青臭い苦味が舌に強烈に残るが、この苦み(モモルデシン) が肝機能を高めたり、食欲を増進させるという。ビタミン C 含有量はレ モンの約 4 倍。しかもゴーヤーのビタミンは加熱しても壊れにくいため、 チャンプルー(豆腐炒め)など、炒め料理に多用される。ほかにも天ぷ らにしたりジュースにしたりと、夏の沖縄料理で幅広く活躍する。 (p.023) 左上から時計回りに、サクナ(長命草/ぼたん防風)、大谷わたりの新芽、 シークワーサー、島唐辛子、島バナナ、島らっきょう、フーチバー(に しよもぎ)、ハンダマ(水前寺菜)、島人参、ウリズンマメ(四角豆)。

沖縄人(ウチナンチュ)の胃袋を支える

公設市場の女性たち

p.024 「まるで日本じゃないみたい」という感想をよく聞く。沖縄全 体のことであるが、「とくに市場」。本土とは違う沖縄「らしさ」 が表出する場所だ。地元の人はどのように市場を利用してい るのか。「買い出しに行きますよ」という嘉陽かずみさんの後 をついていくことに決めた。  本土の商店街のような通りもあるが、市場の中央は完全な 屋内。そこに小さな店が所狭しとひしめく。ひしめくのは店だ けではない。並べられた商品も、極彩色の色も、そこかしこ から漂う匂いも。漬け物すらもカラフル、魚は巨大な熱帯魚。 ほかにも野菜、果物、豆腐、海草、惣菜、豚肉、牛肉、山 羊の肉。見るからに薬効のありそうなお茶や、一見しただけ では用途の不明な素材も並ぶ。早朝の市場は、店主たちの 商品並べが見もの。見渡すと圧倒的に女性店主が多い。不 思議に思って嘉陽さんに聞いてみると「昔から、女性が家族 の健康を守ってきたからかしら」とひと言。そういえば沖縄の 神様は巫女にのみ、その声を聞かせるのだとか。  まず嘉陽さんが向かったのはかつお節がずらりと並ぶ松本 商店。店主の大城ゆかりさんは、削る前のかつお節を 4 本手 にとって魚の姿を再現してくれた。「背側はあっさりとしておい しいけど、家で削るのは難しいの」。逆に腹側には脂がのり、 家庭でも削りやすい。もちろん店で好みの厚みに削ることも 可能。  こうしたきめ細かな対応も市場ならではだ。魚を買うときも

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「重箱用に」と伝えると、丁度よいサイズで切ってくれる。 長嶺鮮魚のお母さんは、「アカジンミーバイも買うの? 豪勢 だねぇ。マース煮? もったいない!」とびっくり顔。マース煮に してしまうと一品しかできないが、「まず刺し身にして、それ から煮つけや塩焼き、残った部分であら汁も作ったらいろん な料理ができるのに」という。貴重な素材はとことん活用す るのが沖縄流。「いか墨、多めに入れといたからね、先生」 と嘉陽さんとはすっかり顔なじみ。観光客には、購入したも のを市場の 2 階で料理してくれるサービスも人気だ。  台所に密着した市場のアンマー(お母さん)たちが、今日 もウチナンチュ(沖縄人)の健康を支えている。 (p.025) 沖縄人が大好きな島豆腐。「沖縄の豆腐はあったかいまま売ってるの。 こうして触って温度を確かめてから買うのよ」。柔らかい本土の豆腐と 違って水分が少なく、大豆のうまみが凝縮。重箱用の赤いかまぼこは、 その場で食紅を使って着色してくれる。 (p.026) 嘉陽かずみ 料理研究家。料理教室「よんなーフード」主宰。市場で買い物をすると ころから体験できる数時間コースの教室は、外国人旅行客の人気も高い。 www.yonnerfood.jp/okinawagurasi/leafletE.html (p.027) 仲里食肉の仲里さんも、嘉陽かずみさんとは長い付き合い。「ここのお 肉は本当においしいの。三枚肉なんか、店に出した途端に売り切れちゃ う」。県産豚としては「あぐー」が有名だが、近年「やんばる島豚」も 人気上昇中。 1

太陽の恵み:沖縄ハーブ

p.028 沖縄の食の魅力の一つは多彩なハーブだ。沖縄ハーブの専門 家・嵩西洋子さんのハーブと歩んだ人生。 (p.029) ローゼルアケールとアカバナ(ハイビスカス)は、ジャムだけでなくサ ラダにも使える。 p.029 豚をとことんまで使った料理、独特の形と味の島野菜など、 沖縄の料理・食材は個性的であるがために、独自に進化した 伝統色の強い料理と受け取られがちだが、沖縄料理の大きな 特徴はハーブを多用した料理だと理解するとわかりやすく、 また見方もちょっと変わってくる。  嵩西洋子さんは、おそらく沖縄のハーブを現代の食卓の目 線で探って行く際に、避けることのできない人物の一人だ。 NPO 法人ジャパン・ハーブ・ソサエティーの八重山支部代表 であり、石垣島ハーブスクールを主宰。沖縄本島の南西、台 湾に近い八重山列島の石垣島でハーブに囲まれた生活をして いる。ハーブを育て、ハーブを摘み、ハーブを使った料理を つくる。ハーブに関するエッセイを雑誌に連載し、プロの画 家並みのハーブの植物画も描く。 「今度ポニーを飼うことにしたんです」  その日嵩西さんのハーブ園を訪れると、まずは馬の話。 「私は農家の娘でしたから、家で馬を養っていました。幼い頃、 畑に行く父に鞍の前に乗せてもらったのが懐かしくて、ずっと 前から馬が欲しいなあと思ってたんですよ」  嵩西さんは石垣島よりさらに西にある与那国島の出身。与 那国島といえば在来種の与那国馬でも知られる。  嵩西さんの幼少時の話を聞くと、昨日や今日ハーブを学ん だハーブ研究家とは一線を画する。沖縄のハーブの中に生ま れ、ハーブとともに生きてきた人生であることがわかる。  嵩西さんは 1954 年の生まれ。敗戦から立ち上がりはじめ た時代の与那国島で育った。電気もあまり普及せず、水は井

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戸から汲んで、薪をくべてご飯を炊くという暮らしだった。父 親は病気で長期にわたって本土で入院していたため、母親が 長女である嵩西さんをはじめとする 4 人姉妹を育ててきた。 母親は洋裁で生計を立て、子どもたちは畑で作った野菜や自 家製の豆腐を学校に行く前に売りに行った。その頃の与那国 島はそんな子どもたちがたくさんいた。 「幼い頃の私は珍しい面白い植物を見つけると手元に置いて おきたくなる子どもでした。自分の手の届かない崖の上にあ る花を取ってきてとか、花びらが何枚ついているか見てきて とか、大人や一緒に暮らしていた従兄弟に無理を言っては泣 いて困らせた。『洋子を山に連れていくな』と言われていました」  小学校に上がって一人で野山に行けるようになると、自分 でいろいろな植物を採ってくるようになる。田んぼの水草を とってきて、家の壁に貼りつけて葉っぱの数を数える。祖母に 「おばあちゃん、これ水の上でも生きてるんだよ」「こんなの が面白いの?」「うん、面白い」と、関心はもっぱら植物。し かしそういう祖母もまた、薬草や漢方薬を当たり前のように 使いこなし、その腕を頼って別の村から人が訪れるほどの人 だったという。 「学校で勉強しているときも野原のことしか頭になかった。今 頃あの木の実が熟してるだろうなとか、次の遊びの準備ばか り。ユリやフロックス、マツバボタン……なんでも野原から取っ てきたり人から譲ってもらったりして庭に植えていました」  高校進学で石垣島に来たが、家の事情で大学進学は叶わ ず、与那国島に戻り、就職し、職場結婚。3 人の子をもうける。 嫁ぎ先の与那国島の比川に暮らす義理の父は理科の教師で、 庭にいろいろな薬草を植えていたというから、どこまでもハー ブに縁がある。  夫の転勤で再び石垣島で暮らしはじめるが、務めながら子ど もたちを育てる中で石垣島での食生活に疑問を抱きはじめる。 「つまり食材が少ないということなんです。自分が植えたにら で料理したよとか、野原の桑の葉っぱを天ぷらにして食べた よとか職場のみんなに言っても通じない。みんな外から入っ てくるスーパーで買うレタスとかアスパラとか、それしか食べ ていない。スーパーで買ったエンサイ(空芯菜)を炒めて食 べたら味が違う。匂いもしない。エンサイなんて庭で当たり 前につくっていたものだし、ねぎだってもっと香ばしいはず。 昔は芭蕉の根っこやパパイヤの芯も食べていた。もちろん食 べるものがない時代だったというのもあるかもしれません。 でも、以前はもっともっと野にあるものを食べるという知恵が あったのに」  そんな中、高校 2 年生の長女・紀和さんを交通事故で亡く すという悲劇に見舞われる。一番かわいい時期の娘が突然い なくなるという現実を突きつけられて、嵩西さんの中で時間 が止まってしまう。仕事を今まで以上にこなしながらも、元気 はまったく湧いてこず、人とは話をしたくなかった。しかし、 その出口の見えない暗闇から嵩西さんを救い出したのもハー ブだった。  娘が作っていた小さな手製の本を見つけ、それを本にしよ うと出版社に持ち込んだときのことだ。ふとした手違いから、 亡くなった娘に宛てて書き続けてきた手紙形式の日記が、編 集者の目に触れ、出版を促される。出版すると今度は、手紙 の中に頻繁に出てくる娘と交わしたハーブの話をエッセイと 絵にしてくれないかと依頼された。 「いつも娘への手紙の中にハーブの話を書いていたんです。 娘とケーキを作るときでもハーブの話をしていましたから。で も絵があるならやらない、と最初は断りました。そうしたら『何 でもいいから描いてみて』と編集者に言われて。それで絵を 描いて持っていくと『あんたの絵はすごいよ』とおだてられて、 その気になったんですね」  そして、地元誌での連載が始まる。絵を描いていた夫に遠 近法などのいろはを教わり、絵に打ち込んでいく。プロの画 家の手ほどきを受けてみて、自分の描きたいものは「絵」で はなく「植物画」であると気づき、植物画の通信講座も受け てみたが、テキストの課題どおりに色を塗ってみると違和感 が残って、早々にやめてしまったという。  嵩西さんの意識の中に漠然と、だが確固たる植物のイメー ジあるのだ。実体験としての植物との接し方の違い。絵にす るために植物を見る人と、体と心を解放して植物との交流を もってきた人との違いだ。

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「幼い頃、例えば採ってきたセイロンベンケイソウが葉っぱか ら発芽することを見つけて私は『不思議なのが いる 』とい うんです。いつも植物を人のように話してしまう癖が今も抜け ません」  嵩西さんの植物画の写実性には、そんな植物との親密な 距離感が描かれている。  絵の手ほどきをしてくれた夫は、植物とは縁のない人だっ たというが、嵩西さんとの縁を結んでくれたのは植物だった。 最初の出会いでユリをプレゼントされたのだ。嵩西さんが一 番好きな花であるヤマユリ。その後何回か会って結婚に至っ た。しかし、長らく支え合ってきた夫も、長女に続いて 3 年 前に急逝する。脳梗塞で一瞬の出来事だった。 「だから、夫との最後の旅で与那国島に行ったとき、比川の 浜でテッポウユリが実を結んで群生しているのを見てびっくり しました。亡くなったのはその 6 か月後で、私は信仰心のあ る人間ではないですが、ユリで出会ってユリで結ぶなんて不 思議だなあと思います。私から夫への最後のプレゼントだっ たのかもしれないって」  嵩西さんにとってのハーブは、薬効を求めるというより食に 使えるということが基本。たとえ薬効があっても、薬草然とし た料理ではだめだという。エディブルフラワーは嵩西さんの 思い描くハーブ食の理想の一つだ。沖縄ハーブの新しい食の 伝統を生み出そうとしている。 「食は明るいものでなければいけないというイメージが、私 にはあるんです。アカバナ(ハイビスカス)のハーブティー に対して、グソウバナ(アカバナの別名。お墓の傍らによく 植えられるため、あの世の花という意味がある)を食べたり 使うものではないという人もいますが、でも昔から使ってき たものだし、食は五感を通して楽しむものだと思います。薬 効はその次についてくる。楽しんでそれを食べているうちに 元気になるよってことです」  沖縄は長寿の県として有名だ。いや有名だったというのが 正確で、かつて日本の 47 都道府県別の平均寿命ランキング で男女とも 1 位を独占し、長寿といえば沖縄といわれたのだ が、2013 年のランキングでは、女性は 3 位とまだ上位を保っ ているものの、男性は 30 位と転落が著しい。その原因は食 生活の変化による肥満の増加といわれている。 「沖縄は日本の中では日照時間が長い。一年中緑豊かという 土地柄です。要するに植物が眠っている期間が少ないので、 植物が蓄えるものが違ってくる。私は研究者じゃないけれど、 光をたくさん受けた植物は活力があるし、濃厚だと思います。 沖縄で育ったハーブは香りが強いし、苦みも強い。レモング ラスひとつとっても本土のものとは違います。ハーブの会合 でも、『沖縄のハーブは独特ね。匂いが強いね』と県外の人 は言います。そういうものを食べていたから沖縄は長寿県だっ たのではないかと。私は長寿県というのを未来につないでい きたい。人間は食で始まります。食は一番大事なもの。食を 豊かにしていきたい」  今、嵩西さんの心に浮かぶのは与那国の風景だ。与那国 島にいつか戻りたいという思いを嵩西さんは温めている。 「今思えば、自給自足の生活を親子でやって、お金がなくて もやりくりしながら食べていけた時代は、逆に幸せだったなあ と思います。遠足の時期だったら小さな足で野山を歩きまし た。高台にあがれば、棚田や村をパノラマで一望できる。与 那国の青くてあんな透き通った海はほかにない。真っ青に底 の砂が見える。絵に描いたようなメルヘンの世界です。そう いうことが年をとって後になってわかりました。そのときは、 それが当たり前だったから。でも、それが今もあることで、 まだ取り戻すことができる。長閑に薬草を食べた時代に近い ものを、より進化した形で取り戻せる。島の文化、歴史、そ して薬草も、守り伝えていきたいという思いです」 (p.030) 右上は嵩西さんがつくってきたハーブの押し葉標本。植物学的な目を通 したたくさんの書き込みがある。右と下はハーブ園で採ったハーブ。 (p.031) 嵩西さんが地元誌に書き続けてきた植物画を 1 枚にまとめたポスター 「八重山のハーブ」。幼少時から培ってきた植物に対する観察眼が発揮 されている。

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(p.032) ハーブを楽しむ手づくりスコーン。ハーブティーは赤がアカバナにジャ ムを落とし、月桃やピパーツなどのスパイスを加えたもの。黄色がハマ マーチ(琉球よもぎ)。 ジャムは赤がローズ、黄色がピパーツ(島胡椒)とウコン、紫がローゼ ルアケール。 (p.033) 左:「石垣島のエディブルフラワー・庭のサラダ」。アカバナ、ういきょう (フェンネル)、ヒレザンショウ、ピパーツ(赤)、サクナ(長命草)、ハ ママーチ(琉球よもぎ)など。 右:石垣島のスパイス類。コリアンダー、マージョラム、ピパーツ(島胡椒)、 うこん&ピパーツ、ヒレザンショウ、セボリー、ゲットウの実、ナンキョウ。 嵩西洋子 1954 年、与那国島の生まれ。石垣島在住のハーブ研究家。石垣島胡 椒園代表、NPO 法人ジャパン・ハーブ・ソサエティーの八重山支部代表、 石垣島ハーブスクールを主宰。沖縄ハーブの伝道者だ。 www.herb-ishigaki.com 1

味の伝道師たち

p.035 この人たちがいなければ、沖縄料理はもっと味気なかったかも しれない、と言うと言い過ぎだろうか。けれど彼らの食にかけ る思いは、そう思わせるに足る熱さがあり、今に至る道のりは 興味深い。ハレの日に欠かせない「田芋」、王国時代から続く 「きっぱん」菓子に「豆腐よう」、伝統蒸留酒の「泡盛」。それ ぞれの食材の魅力にとりつかれた現代の伝道師たちの物語を 聞いてみよう。 (p.034) 一面に広がる石垣島のさとうきび畑。背丈以上のさとうきびが、風が吹 くたびにザワザワと葉擦れして揺れる。畑の向こうに見えるのは車えび の養殖でも知られる崎枝湾。さとうきび栽培は一時この島の主要産業で あり、「沖縄らしい光景」であったが、近年その図式も変わりはじめている。

田芋(ターンム)―石川達義さん

p.036 市場を回っていると里芋のような、きれいな紫色をした芋が ふかして売られているのに気づく。生のものは売られていな い。聞いてみると「田芋(ターンム)だよ。知らないの?」。 水田で育てられる芋で、すぐにいたんでしまうので農家でふ かしてから流通させるという。  使い道も幅広い。元は宮廷料理の「ドゥルワカシー」もそ の一つ。田芋を煮くずしてつぶし、カステラかまぼこなどを 混ぜた、きんとんのような料理で、今や酒の肴の定番だ。ほ かにも田芋揚げなどは祝いの料理として正月や清明祭(シー ミー)に欠かせない。最近では田芋パイなどのスイーツとし ても人気。沖縄料理に密着した高級食材、それが田芋なのだ。  この田芋、高級なのには訳がある。ふかすとねっとりとし た食感、揚げるとホクホクとした甘みに需要は多いものの、 いたみやすく栽培条件も厳しいため限られた地域でしか栽培 できないのだ。なかでも最大規模なのが沖縄県宜野湾市の 大山地区。石川達義さんはこの地域に 7000㎡の田芋畑を構 える、田芋作りの名人だ。 「田芋のルーツ? 由来は諸説あるんだよ。マレー半島って 話もあるし、ハワイのタロイモとも少し似てる。でも沖縄の田 芋はそのどれにも負けないと思ってるね。風味が豊かでミネ ラルも多い。豚肉やチーズにもよく合うよ」と誇らしげに教え てくれた。おいしさの秘訣は大山の土と地下水。 「この地域は元々沼地だったんだ。だから微生物や田うなぎ がいて土が豊か。水をためても腐らないし連作も可能。元々 が畑じゃこうはいかないよ」。しかも夏の暑さをどう乗りきる かが課題の沖縄でも、冷たい地下水が問題を解決してくれる。 こう聞くとまるで手間いらずの大山での田芋作りのようだが、 実際はやはり苦労も多いという。 「まるで人みたいなんだよね。農薬を減らしてるからやっぱり 虫が来るんだけど、2、3 度葉を食われるともう葉を出すのが 怖くなるみたいで成長が止まる。それと親芋が立派だとまわ りの子芋があまり育たなかったり、逆もあったりね。人みたい に奥深いでしょ? 一番気を遣うのは水加減かな。でもどん

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なに手をかけても虫と台風には敵わなかったねぇ」。一度も失 敗したことがなかった名人の田芋作りも、2012 年の台風と虫 害には勝てなかったという。  植えてから収穫まで約 10 か月かかるため、1 年に 1 期作。 年中収穫できるようにするため、水田ごとに植える時期を少 しずつずらす。収穫した後もふかし作業のために、ヒゲ(根) をむしり、芋の両端をカットし、洗って炊いて袋詰め。機械 ではできない作業が続く。 「先祖から受け継いだ土地を荒地にはしたくないからね。手 間はかかるけど続けていくよ。味にもこだわりたいしね」。今 は後継者の若者を育てたり、小学校の体験学習を受け入れた りと、沖縄の食文化をつなぎながら、わが子のように田芋を 育てている。 (p.036) 左:市場で売られている田芋。ふかした美しい紫が特徴。 上&右:「この田芋は 100 点満点のでき」と掘り起こした田芋を手に、 喜ぶ石川達義さん。

きっぱん―謝花ひさのさん

p.037 「きっぱん」の材料は柑橘類の果肉。それに少しの砂糖と水。 ほかの混ぜ物やつなぎは一切使用せず、300 年以上作られ 続けてきた宮廷菓子である。元は中国から伝えられたという が、真っ白い糖衣をかけるのは沖縄オリジナル。鼻に抜ける 芳醇な香り、ほのかな甘みの中にややビターな後味がおとな の風情。かつての王への献上品は、今も茶会の干菓子や大 切な人への贈り物として人気が高い。  由緒あるきっぱんだが、実は製作に手間がかかるため、営 業を続けているのは「謝花きっぱん店」ただ 1 店舗。今も伝 統の製法を守り続けている。 「まず皮をむくところから始まるのですが、みんな手作業。収 穫の時期は大変です」と語るのは、謝花きっぱん店 6 代目当 主の謝花ひさのさん。  皮をむいたら果肉だけを取り出して刻む。大鍋で湯がき、 アクを取る。砂糖を混ぜながらペースト状にしたら、冷めな いうちに手で丸めて 3 日間乾燥。2/3 くらいまで凝縮されたら 糖衣を二度がけして、桐箱の中で一晩ねかせ、ようやく完成。 「1 日に作る量ですか? そうですね、100 個はいかないです ね」。話しながらも作業は続いている。「これが最後の大仕事。 きっぱんに砂糖のコーティングをしているんです」。見れば両 手のひらは真っ赤に腫れている。「この液体は水と砂糖を熱し たものなんです。熱くないとうまくコーティングできないか ら」。火からおろしたばかりのあつあつの砂糖液を素手でとり、 両手で素早く練る。透明だった砂糖液が、手の間で魔法のよ うに白くなり、薄黄色のきっぱんに次々とコーティングされて いく。素早く作業しなければ火傷しそうな温度。しかし、こん なに手間も忍耐も要するのに機械化はしないのだろうか?  「私はイギリス人の夫とイギリスで 10 年間暮らしていたこと があるんです。就職もして、子どももいました。それでも沖 縄に帰ってきたのは、きっぱんの歴史があり、祖母や父がそ こに掛ける思いを見ていたから。そしてやっぱりきっぱんが好 きだからですね。好きだから守りたいし、途絶えさせたくない。 それは機械でなく手だから表現できてきた世界だし、今も手 仕事に勝るものはないと思うんです」   それでもひさのさんは、ただ頑固に味を守り続けるだけで はなく、更に多くの人に、沖縄が誇る銘菓を食べてもらう工 夫を常に考えているという。もう一つの看板商品「冬瓜漬け」 を、伊江島のラム酒で漬けたり、シークワーサー味のバリエー ションも考えたり、と新商品開発にも積極的。「ラム酒とシー クワーサーは今年中に商品化できると思いますよ」。海外へ のオンライン通販もひさのさんの代になって始めたという。 「イギリスから帰ってくることが、大きな決断だったとは思って ないですね。世界は狭いから、行きたければいつでも行ける。 今は空手好きの主人とともに、夢を追いかけています」と飾 らない笑顔を見せる 6 代目に、沖縄銘菓の明るい未来を見た。 (p.037) 6 代目店主、謝花ひさのさんが手にしているのは、温州みかんの原種と もいわれる「九年母」。これとほかの各種柑橘類を乾燥させ凝縮させて から糖衣をかけ、完成。

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謝花きっぱん店(じゃはなきっぱんてん) 沖縄県那覇市松尾 1-5-14 Tel. 098-867-3687 www.jahanakippan.com

豆腐よう―友寄千枝子さん・国場有子さん

p.038 「60 歳から豆腐ようの研究を始めました。楽しかったですねぇ」 とニコニコ話すのは「友よせ豆腐よう」の友寄千枝子さん。 今や御年 85 歳というのに少女のように楽しそうに研究のこと を話す。どれだけ豆腐ようのことを考えながら日々を送ってい るのか伝わってくるようだ。  豆腐ようとは沖縄高級珍味の代表。乾燥させた島豆腐を、 黄麹と紅麹を加えた泡盛の中で発酵させたものだ。その味わ いは、もとが豆腐とは思えないほどに濃厚で複雑。黒文字の 先で少しずつすくいながら泡盛とゆっくり楽しむのが乙だとい われている。1 年間熟成させたという商品をいただくと、クリー ムチーズのような柔らかさとほんのり泡盛の酸味と香り。紅麹 の色だというサーモンピンクのソースに驚いたものの、さわ やかで癖も少ない。現在巷に出回っている豆腐ようとはかな り違う。泡盛だけでなくワインやお茶とも好相性。  この豆腐よう、健康にも美容にもいい長寿食の一つであり ながら、その手間や宮廷料理という特殊性から、長い間一部 の人にしか伝えられてこなかったという。 「25 年前は豆腐ようなんて、食べたことがある人のほうが少 なかった。宮廷内だけの知られざる逸品ですからね。泡盛も あの頃丁度見直されて研究が始まっていましたね。でもそっ ちは研究者も多かったので、私は豆腐ようを」   初めは資料探しも難航し、娘と二人、作っては捨てる、の 繰り返しだったという。「材料の紅麹を探すのも一苦労でした。 レシピも秘伝でしたが、私はどうにか王家の親戚筋の方に教 えてもらう機会を得ました」。しかも友寄さんは幼少期にたま たま豆腐ようを食べる機会があったという。「最初はあまりに まずくてひっくり返りました。冷蔵庫もない時代でしょう。  保存のためでしょうけれどかなり塩辛かったですね」。当時の 味を再現することは目標ではないという。「宮廷料理のリバイ バルではなく、豆腐ようという食文化を広めたい。だから今 の人の口に合うことが一番です。防腐剤という手もあります が、私たちは絶対にそれを使いたくないので温度管理は徹底 しています」   驚くべきは、このおいしさにもかかわらず、友寄さんの更 なるおいしさへの挑戦が続いているということだ。 「一生研究、完成はないですよ。今でも私の舌が目指す理想 の味を追い求めてます」。今年は新しい試みとしてカルーア風 味とブランデー風味の豆腐ようも発売した。更なる進化が楽 しみな「育つ」珍味である。 (p.038) 上:完成した豆腐よう。サーモンピンクのソースの中にはクリームチー ズ色の、もと豆腐が包まれている。 下段:紅麹(左)と熟成期間中の豆腐よう(中央)。 下段右:友寄千枝子さん(右)と娘の国場有子さん(左)。 www.tomoyose-toufuyou.com

薬膳味噌―崎山淳子さん

p.039 歴史ある泡盛の蔵元、そこで造られている味噌がいま、健康 志向の食通の間で人気だ。その名も「薬膳味噌」という無添 加の味噌。崎山酒造廠 4 代目女将の崎山淳子さんを訪ねた。 「まぁまずはこの味噌を食べてみてください」。出されたのは カチューユー。味噌にかつお節を加え、お湯を注いで 3 分ほ ど蒸す伝統食で、風邪のときに食べるヌチグスイ(命の薬) だという。薬膳味噌でつくるカチューユーは、濃厚でうまみ 成分が凝縮された味わい。通常の味噌が大豆を原料とするの に対し、この薬膳味噌は黒大豆のほかにも黄大豆、はと麦、 玄米、黒胡麻、それと沖縄の自然海塩。いわれてみると確か に、玄米やはと麦のはじけるような食感と炒った玄米の香ば しさ。本土の味噌とは違う、まろやかな「塩の甘さ」もある。  沖縄には「味噌は家の主」「医者に金を払うより味噌屋に 金を払え」などということわざもあるほど、味噌は生活に浸透

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し、重要視されている食材。ンブシーと呼ばれる味噌煮料理 も食卓の定番だ。市場の味噌屋にも数多くの味噌が並ぶ。そ うした土壌でこの薬膳味噌は生まれた。考案したのは食育研 究家の知念美智子さん。アトピー性の息子のため、25 年か けて開発したという。崎山さんは自分たちの「麹力」を生か してこの素晴らしいアイデアを形にし、世に広めたいと考えた。 崎山酒造廠は 100 年以上の伝統をもつ泡盛の酒蔵だ。つま り泡盛の原料である黒麹菌が建物全体に住みついている。そ こで味噌を発酵させる黄麹菌のために 10km 近く離れたうる ま市に味噌蔵を造った。 「沖縄は湿気が多いでしょう? だから下手をすると雑菌が発 生して発酵ではなく腐敗になってしまう。だから味噌樽も木製 ではなく、小さな樹脂樽を使います。これなら 1 年ほど熟成 させられるんです」。女将さんはこの味噌に惚れこみ、麹が 棲みやすい空間だけでなく、大豆などの原料についても全国 を行脚して一番いいものを探し回った。 「北海道の黒千石大豆は、漢方として使われてきた黒大豆の 中でも更に原種に近いものです。珊瑚を育む沖縄の海から生 まれた塩は、ミネラルがものすごく豊富」と薬膳味噌のこと を語りだすと止まらない。話の中に「身体にいいんです」と いう言葉が繰り返し出てくる。「食」は身体によくあるべき、 という女将の考え、ひいては沖縄の精神をひしひしと感じる カチューユーの味であった。 (p.038) 泡盛蔵の中に佇む崎山淳子さん(左)。蔵の黒ずみは泡盛の原料でもあ る黒麹(左手上部)の色なのだという。でき上がった泡盛は「松藤」と いう名で店頭に並ぶ(右)。sakiyamashuzo.jp 薬膳味噌で作るカチューユー。風邪や二日酔いの朝の定番料理で、味 噌とかつお節にお湯を注いでいただく。yakuzen-miso.jp

泡盛―長嶺哲成さん

p.040 沖縄料理を語る際に沖縄の酒「泡盛」のことを外すわけには いかない。原料はタイ米、色は透明。泡盛を飲むために料 理が発展したという人もいるが、この香り豊かな蒸留酒が沖 縄料理に合うことだけは確かだ。  独特の泡盛の香りで初心者は好みが分かれるが、泡盛の虜 となるきっかけはおそらく100 人が 100 人、泡盛の古酒であ る。その古酒とは何かを、沖縄本島から南西諸島に及ぶ 46 酒造すべての泡盛を揃える沖縄料理店「カラカラとちぶぐゎ ∼」の店主・長嶺哲成さんに聞いた。長嶺さんは沖縄県知 事が認可する泡盛マイスターの資格取得者でもあり、泡盛の 伝道師的存在だ。 「 3 年以上熟成した泡盛をクース=古酒といいます。泡盛は 本来自宅の甕で育てるものなんです。味をみながら、飲みな がら、注ぎ足して育てていく。親から子、子から孫へと伝えて いけるお酒です。戦争でほとんど失われましたが、戦前は 100 年、150 年の古酒はざらにあったそうです」  ウイスキーは樽から瓶に移すと熟成が止まるが、泡盛が面 白いのは瓶の中でも熟成していく点だ。そもそも泡盛の熟成 とは何なのか。 「古酒に育つための重要な成分は高級脂肪酸です。蒸留を繰 り返して度数を上げるウイスキーの製法ではその成分を飛ば してしまいますが、泡盛は単式蒸留で基本は1度のみの蒸留 だから成分が多く残る。長く貯蔵することで高級脂肪酸とアル コールの化学反応が進み、コクや芳醇さが生まれるわけです」  バニラの香り、ミルクチョコレートの香り、土(ミネラル) の香り、お米のおこげの香り……古酒に酔いしれるのは熟成 がもたらすこの豊かな世界だ。  戦後泡盛の製造を再開し、1980 年代に泡盛のおいしさが 改めて認知された。酒蔵は今ちょうど代が変わる時期で 30 ∼ 40 代の若い製造責任者が増えてきた。 「10 年以上の泡盛古酒はまだ絶対的な生産量が少ない。で も世界で売れる味わい、品質があります。モデルは同じ島国 であるアイルランドです。アイリッシュウイスキーは世界で飲 まれている。学ぶところがたくさんありますね」  泡盛古酒が世界のスピリッツに匹敵することを、まずはあ なた自身で確かめてほしい。

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(p.040) 前ページで紹介した崎山酒造廠にて。 上:瓶詰めの作業。特別な泡盛は一本一本手詰めで行う。 下左:特製の甕で販売している泡盛の松藤。甕ならではの熟成が楽しみ。 下右:泡盛をねかせる貯蔵庫。

長嶺哲成さんが選んだ個性的な泡盛・厳選6

撮影=伏見早織 文 = 長嶺哲成 p.041 いずれも個性豊かな泡盛だ。泡盛の徳利「カラカラ」で注い で、古酒は親指の先ほどの小さな猪口「ちぶぐゎ∼」でなめ るように飲むのが沖縄流。若いお酒は水割り、ロック、お湯 割り、いかようにも楽しめる。 ● 30 度とは思えない奥深い香り カリー春雨(宮里酒造所) 宮里酒造は、従業員と社長を合わせて 4 人という小さな酒造所だが、う まい泡盛造りには定評がある。マイルド 25 度や春雨ゴールドなどいくつ かの銘柄を製造しており、カリー春雨はその中では定番商品といえる。同 酒造所の社長は、「古くも香り高く 強くもまろやかに からくもあまい酒」 と酒造りの理念を詩にしている。そのとおり、春雨の特徴は芳醇かつ濃厚 なうまみにある。とくに 43 度の古酒は 10 年以上ねかせると、口に含む んだときにまるで砂糖をなめたような甘みを感じさせる。「カリー春雨」 は古酒ではないが、それでも出荷までに1年以上熟成させているため、 30 度とはいえコクと甘みがあり、さらにはかすかなおコゲの香り、燻した 木のような香りなど、複雑さ、奥深さが十分感じられる泡盛だ。 ・オープンプライス ・720ml 30 度 沖縄県那覇市小禄 645 番地 Tel. 098-857-3065 ●じっくり味わいたい甕熟成の古酒 瑞泉おもろ(瑞泉酒造) 琉球王国時代、泡盛造りのメッカであった首里の地で 1887 年に創業した のが瑞泉酒造だ。古酒造りにこだわり、ステンレスタンクだけではなく伝 統的な甕貯蔵も大量に行っている。この「おもろ 10 年」は甕で熟成させ た 100% 10 年古酒。沖縄県工業技術センターの研究では瓶やステンレス タンクでの熟成と比べて甕貯蔵は約 1.5 倍の早さで古酒化が進むという報 告がある。そのデータどおり、おもろ 10 年は、古酒ならではのバニラ香、 ミルクチョコレートのような甘い香りが楽しめる。おいしさを十分に堪能す るコツは、じっくりゆっくり味わうこと。おちょこに注ぎ、空気に触れさせ ながらなめるように時間をかけて飲む。味わうごとにまろやかになり、変 化していく香りを楽しむのだ。 ・3500 円(メーカーの HP 価格) ・720ml 43 度 沖縄県那覇市首里崎山町 1-35 Tel. 098-884-1968 Fax 098-886-5969 www.zuisen.co.jp ●日本酒にも似た甘さと優しさ エンダー(瑞穂酒造) 優しく軽やかな口あたりで、泡盛初心者にもおすすめしたいのがこの銘柄。 一般的な泡盛は製造過程で泡盛酵母によってアルコール発酵を行うが、 エンダーは、東京農大短期大学部酒類学研究室で分離開発した「天然吟 香酵母」を用いている。酵母が酒質や香りに大きく影響を及ぼし、吟香 酵母で低温発酵させたこの泡盛はほのかに甘い米の香りが特徴となって いる。エンダーとは、沖縄の方言で「優しい人」という意味。その名のと おり、さらりと飲める優しさ、ほんのりと甘い香りの優しさが、エンダーの 魅力だ。その香りを日本酒の吟醸香に似ていると表現するも多い。度数 が 25 度と一般的な泡盛よりもやや低いため、オンザロックでも飲み口は 優しい。水割りで日本酒と同じような 15 度くらいで飲むのもお勧め。 ・1000 円(メーカーの HP 価格) ・720ml 25 度 沖縄県那覇市首里末吉町 4-5-16 Tel. 098-885-0121 Fax 098-885-0202 www.mizuhoshuzo.co.jp ●米麹造りに手間をかけたうまみ 忠孝よっかこうじ(忠孝酒造) 泡盛を造る工程には原料の米を糖化させる「米麹造り」がある。通常は 黒麹菌を使って約 2 日間で米麹は完成するが、それを 4 日間に伸ばし、 黒麹の菌糸を米の内部までじっくり食い込ませて泡盛のコクや香りのもと となる成分をたっぷりと生成させて造ったのが、忠孝よっかこうじだ。手 間も時間もかかる常識破りの製法なので、古酒になればおいしいはずだ が、若いうちはやや雑味が強すぎて飲みにくいのでは……という泡盛通 の不安をいい意味で裏切り、43 度の度数を感じさせないほど飲み口は優 しい。それでいて 4 日麹ならではの甘み、旨みが感じられ、香りも濃厚と

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いうより華やかな、洋梨を思わせるほのかな香りがする。これを数年ねか せるとどのような古酒に育つのか、今から楽しみに自宅で保管している愛 好家は多い。 ・1550 円(メーカーの HP 価格) ・720ml 43 度 沖縄県豊見城市字名嘉地 132 番地 Tel. 098-850-1257(代) www.chuko-awamori.com ● 5 年とは思えない風味 常磐5年古酒(伊是名酒造所) 沖縄本島北部の西方に浮かぶ伊是名島で造られる泡盛。昔から豊富な湧 き水に恵まれ、稲作が盛んだった島の酒は、現在も天然水を汲み上げて 島の味を継承している。常磐 30 度が代表銘柄だが、貯蔵年数を重ねて 度数も高い古酒のおいしさを認めるファンも多い。5年という貯蔵年数は 古酒としては若いほうにもかかわらず、飲み口はまろやか。ストレートで 口に含むと、かすかな苦みとともに甘みが舌の上に広がっていく。その複 雑味がうまい。香りも古酒香によくあるバニラのような甘い香りが少しず つ出始めている。その風味を楽しむためには、度数は高めだが、ストレー トやロックでゆっくり飲むのがおすすめだ。古酒ファンには同酒造所の最 高ランクの古酒「金丸 10 年古酒」も人気が高い。 ・オープンプライス ・720ml 40 度 沖縄県伊是名村字伊是名 736 番地 Tel. 0980-45-2089 Fax 0980-45-2614 ●洋食にも合う樽貯蔵の古酒 暖流(神村酒造) 神村酒造は、今から約 50 年前に、泡盛の樽貯蔵を他に先駆けて始めた 泡盛メーカー。暖流は、その代表的な樽貯蔵泡盛だ。泡盛を 3 年以上オー ク樽で熟成させた古酒をベースに、ステンレスタンクで貯蔵した透明な色 の古酒、貯蔵 3 年未満の泡盛をブレンドして造られている。樽貯蔵なら ではの淡い琥珀色が特徴だ。泡盛古酒らしいまろやかな口あたりに、バー ボン樽を使うことで生まれるバニラや蜂蜜などを思わせる甘い風味が加 わっている。オンザロックや水割りでもおいしいが、炭酸水で割ってハイ ボールならぬ「暖ボール」という飲み方が地元では人気だ。ピザやパスタ、 チーズなどの洋食に合う泡盛でもある。 ・1750 円(メーカーの HP 価格) ・720ml 30 度 沖縄県うるま市石川嘉手苅 570 番地 Tel. 098-964-7628 Fax 098-964-7627 www.koosu-gura.jp ※価格はすべて税抜きです。 1

食とテーブルを結ぶ工芸

p.042 沖縄料理は、沖縄の器で食べるのが一番おいしい。沖縄の土 で作り上げられた陶器、沖縄の空気が詰まったガラス。今注 目の作家たちを訪ねた。

原点回帰のモダンな陶器―大嶺實清

p.043 沖縄で盛んな焼物、そのメインともいえるのが「壷屋焼」だ。 素朴で温かみのある民芸調の陶器が多いなか、大嶺工房の 作品は、色といい厚みといいデザインといい、かなり異なる 様相を呈している。色は白や青などが多い。厚みは薄めで、 デザインは造形的でモダン。よく知られた「沖縄らしさ」と は一線を画する。  沖縄陶芸会の重鎮でもある作家の大嶺實清さんにお会いし てみると、独特のオーラを発し、御年 80 を越えてなお気概 に満ちている。大柄な体格、よく通る声、磊落な物言い。な るほどこの方があの作品を、と納得する。  大嶺實清さんと長男の由人さん、次男の亜人さん、三男の 音也さんの 4 人が構える「大嶺工房」は、沖縄県読谷村、「や ちむんの里」の最奥に位置する。工房までの緑あふれる道の りの左右には、多くの焼物工房が窯やギャラリーを構え、散 歩コースとしても楽しい。工房の玄関には噂に違わぬ個性的 なシーサー。さて天井の高い木造民家風のギャラリーに入る と、沖縄の家らしく心地よい風が吹き入り、まるで個人宅に お邪魔したようなくつろぎ感がある。立派なエスプレッソマ

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シーンも備え、来場客を温かく迎えている。壁や床には、所 狭しと器や置物が並べられ、のんびりと器選びを楽しめる。  その日ギャラリーには、大きく分けて 3 つのシリーズの作 品があった。一つは沖縄の海のように澄んだ青のシリーズ。 高貴なペルシャンブルーは大嶺工房でしか出せない特徴的な 色味。多くの沖縄人や観光客が大嶺工房に興味を持つきっか けになる色だ。もう一つは土本来の味わいを残すシリーズ。 大嶺さんが最近力を入れている一群だという。「土らしさ」と いっても素朴さよりも力強さが勝り、じっと見つめていると引 き込まれるような感覚がある。 「半世紀近くいろんなものをつ くってきたけど、今は沖縄の土を生かすことが楽しいんです。 焼き上がったときに土の感じをどれだけ残せるかが勝負」と 語りながら、県内のあちこちの土のよさを語ってくれる。「こ の器は沖縄の北側、山原にある一番高い山の土です。山の 周りの土って面白いんですよね。僕が本当に見せたいものを つくるには、土だけの焼かない焼物でも開発しないといけな いかな」と冗談とも本気ともつかないことを告げ、いたずらっ 子のような笑顔を見せる。  それから最後の一つは元祖「壺屋焼」を彷彿させる白いシ リーズ。沖縄のヤチムンは 17 世紀後半、琉球王府によって 那覇市の壺屋という地域で保護され、「壺屋焼」として大きく 発展してきた。「今の壺屋焼の厚みのあるぽってりとした土色 の器は元々の壺屋焼では亜流だったんです。18 世紀頃の壺 屋焼は『沖縄の白は美しい』なんて言われるくらい白色がき れいで、つくりも繊細なものだったんですよ」。この白のシリー ズはまるでそれが現代に復活したかのように、薄地で品がよ く、しかもモダンなデザインは現代の暮らしの中でも活用の 幅が広い。「形は変わっても質感は伝統を伝えたいんです」 という大嶺さんの思いが詰まったゆるりと滑らかに光を弾く肌 合いだ。 「沖縄らしさがない」などとんでもない。知れば知るほどどの シリーズにも、大嶺さんならではの沖縄らしさが深く息づい ている。 (p.042) 大嶺實清さんの大皿作品。抜けるような深い青色と、いつまでも見飽き ない、表情豊かな土の隆起。 (p.043) 左上:大嶺實清さんによる個性的なシーサー。沖縄の伝統的な民家に 付き物のシーサーは、基本的に 2 体 1 対の家の守り神であり、悪魔が 侵入することのないよう恐ろしい顔で威嚇するという。 中央下:大嶺工房が使用している9 連房からなる共同登り窯(読谷山窯)。 右上:大嶺工房の作品と、おもてなしの料理。スーチカ(塩漬け豚肉) とテビチ(豚足)の唐揚げ。中央のトマトや、緑の野菜は自身の畑から 収穫されたもの。 大嶺工房(おおみねこうぼう) 沖縄県中頭郡読谷村字座喜味 2653-1 Tel. 098-958-2828

光を取り込むガラスのきらめきが料理を更においしく

する―松田清春

p.044 「ガラスづくりが一番楽しい」そう語るのは清天工房の松田清 春さん。中学を卒業した翌日、15 歳から琉球ガラスの道に入っ た。「一番」と語るのには理由がある。松田さんは 15 歳から 23 歳までの 9 年間に、26 もの職を転々とした。「陶芸もやれ ば、大工もやりました。あらゆる楽しそうなことを試して、結 局一番初めのガラスに戻ってきましたねぇ。でも大工の経験 を生かして今の工房は自力で建てましたよ」。それから 27 年、 松田さんはガラスの道一本で勝負してきた。 「工房を立ち上げた当初はね、機械に対抗するような製品を 作る気でいたんです。薄くて均一なコップとかね。でも作っ てみるとお客さんが琉球ガラスとか沖縄に求めるのってもっと 厚くて丈夫で手のぬくもりのあるガラスだった。今は求められ るものを作っていますよ。とはいっても機械に負けない質は 保っていますけどね」と自信を見せる。言われるままにコップ を触らせてもらうと、確かに手づくりガラスにありがちな底面 のガタつきがない。「コップなら高さや口径、ラインを揃える

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ことにひと手間かけますね」   清天工房の製品は、この確かな技術力とともにデザインも 特徴的だ。琉球ガラスというと「泡ガラス」というイメージが あるが、松田さんの作品には大小の泡が入ったものもあれば、 全く入らないもの、透明感を損なわない程度にちらりと入れ てあるものなど、さまざま。むしろクリアガラスの割合のほう が多いようにも思える。これが「現代の生活にマッチしてい て使いやすい」と、全国展開するセレクトショップのバイヤー たちの評価も高く、幅広い層に愛されている。沖縄料理の研 究家である嘉陽かずみさんもファンの一人。飽きのこないデ ザインなのだ。  こうしたデザインには松田さんだけでなく奥さまの操さんも 関わることがあるのだという。「今や工房の定番になった『モー ル』というねじりのある作品は、私が提案したデザインなん です。ほかにあたためているデザインもあるんですけど、な かなか技術と折り合いがつかなくて使ってもらえませんね」と 屈託のない笑顔を見せる操さん。  清点工房の作品は戦後の琉球ガラスの伝統にのっとり、泡 盛などの廃瓶を素材としている。独特の質感が出る代わりに、 色は限定され、技術革新も難しい。「元の瓶の色であるクリア、 水色、青、茶色、緑などせいぜい 6 色くらいしか使えません。 あとはそのブレンド。それでもガラスのきめ細かさが魅力で 使い続けていますね」。しかし新しいもの好きの松田さん、瓶 だけでなくガラス窓も材料に使えないかどうか検討中だとい う。制約のある中で、果敢に挑戦は続いている。  そもそも沖縄名産の工芸品の中で、比較的新しいのが琉球 ガラスである。第 2 次世界大戦前から細々と興り、戦後は材 料の枯渇から廃瓶が利用された。米軍の要望に従って商品の レパートリーを増やし、技術を進歩させ、名声を高めていっ た分野である。松田さんが顧客の求めに応じ進化し続ける姿 勢は、琉球ガラスの辿ってきた道そのものとも重なって見え る。むしろ清天工房の作品が全国で販売されつつある姿を見 ていると、「沖縄に来て買う土産もの」であった琉球ガラスが、 沖縄という枠を超えてきたようにも思える。そうして生活の中 に入り込み、用の美として真価を発揮しているのだ。 「僕は名前を売りたいとは思ってないんです。作品展もしま せん。毎日の生活に使ってもらえる商品を作って、清天のガ ラスはいいねぇ、使いやすいねぇと言ってもらえるのが一番嬉 しいんです」 (p.045) 左:松田清春さん(手前)はグラスの底面を平らにする作業中。 中央:青の美しい大皿に盛られたのは、奥さまの操さんの手料理。手 前はフーチャンプルー(麩の豆腐炒め)、奥はニンジンシリシリー(人 参のスライス料理)。 上部左:清天工房の特徴的なねじりが入った「モール」シリーズのガラ スコップ。 上部右:ガラス種が高温のガス窯の中で熱せられる。 清天工房(せいてんこうぼう) 沖縄県中頭郡読谷村字座喜味 162 Tel. 098-958-1346 (p.045) 気泡が美しい清天工房の泡ガラスコップ。光に透かすとまるで海の中か ら海面を見上げるようなきらめきを放つ。

土と泡盛に魅せられた研究家―ポール・ロリマー

p.046 「甕の土によって、泡盛の味は全く変わります」。そう熱く語る のは沖縄県南城市在住の陶芸家、ポール・ロリマーさん。「不 思議ですよね。土によって、香りはいいけれどおいしくなかっ たり、逆においしいけれど香りが足りなくなったり。たとえば 沖縄の南部の土はカルシウムを多く含み、焼物としては焼き やすいけれど、甕にすると金属っぽい味になりやすい。私の 好みは北部の土です。泡盛の甘みが出やすいので」   ポールさんはニュージーランド出身。元来の物づくり好き が高じ、地元の著名な陶芸家バリー・ブリッケルさんのもとに、 19 歳で弟子入りした。それでも海が好き、旅が大好きなポー ルさんは、工房で働きながらも休みをとってはヨットの乗組員 として各国を回った。日本では岡山に 3 年半も逗留して陶芸

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の勉強をした。古備前に興味があったからだ。沖縄へ来たの はそろそろ暖かい海が恋しくなってきた頃だ。短い旅のつも りで石垣島を自転車で回った。「そのとき初めて飲んだ泡盛は 今とは違ってすごくまずくて驚きましたね」。けれどすっかりこ の土地が気に入り、石垣に落ち着いて自分の窯を開いた。  泡盛の研究を本格的に始めたのは約 10 年前。沖縄本島に 移住し、今の古民家に住んでから。「たまたま同じ泡盛を 2 つの甕に入れて 3 年ほど寝かせて飲み比べたことがあるんで す。同じお酒を同じ環境に置いていたのに、全く味が違った。 2 つの甕の土が違ったからだと気づきましたね。今までそん なことを言った人はいなかったけど」。それ以降すっかり土と 泡盛の研究にハマってしまった。どこの土が泡盛をどのように 変化させるのか。何年くらいねかせるのがよいのか。土のど の成分が味や香りを左右するのか。泡盛の蔵元・崎山酒造廠 もポールさんの研究に興味を示し、毎年社長一行が試飲に訪 れるという。「お互い情報交換をして、美味しい泡盛を追求し ています」   泡盛は不思議な酒だ。樽の中で熟成しても瓶に入れると成 長の止まるほかの蒸留酒と違い、ガラス瓶の中でも熟成は進 む。ウイスキーのように樽の力を借りるのではなく、自らの成 分を変化させてまろみを帯びていき、香りも味も花開く。しか も「土の甕に入れると熟成のスピードは約 3 倍だ」という。 この熟成させると美味しくなる特性から、古酒(クース)文化 も 500 年以上前から続いていた。「3 年以上ねかせた泡盛を 古酒といいますが、確かにそのぐらいからぐっとおいしくなり ますね」。ポールさんが研究機関で調べたところによると、ま ず甕の中でカルシウムとマグネシウムが効きはじめる。2 年 以降は鉄が出てきて、泡盛の甘さを増す。その後、おもむろ にマンガンが出てきて香りに作用するのだという。「今では私 の作品の 6 ∼ 7 割が古酒を育てるための甕ですよ」   泡盛に合うおつまみを、ポールさんの器に盛ってもらった。 魚を手際よく切り、庭から草を摘んでくる。苦菜に長命草、 山芋、ハンダマ、コリアンダーなど数々の薬草が植えられて いるという。 「沖縄に来てからは泡盛のせいか、薬草のせいか、薬の類は 全く飲んでいませんね。いずれ八重山薬草の本を翻訳して出 そうかと思っているんですよ」と陶芸以外にも沖縄への興味 が尽きないポールさんは、すっかりウチナンチュ(沖縄人) 以上にウチナンチュの風情だ。 (p.046) 手製の表札が掛かるギャラリーの前で笑顔を見せるポール・ロリマーさ ん(左)と、オブジェ作品(上)。甕やオブジェ以外にも酒器、食器、 花器、茶道具などの作品を作っている。 ポールロリマーギャラリー 沖縄県南城市佐敷冨祖崎 320 Tel. 098-947-1630 paul-lorimer.com (p.047) ポールさんおすすめの、泡盛に合うおつまみ 3 種。手前からぶりの刺し 身とシークワーサー。まぐろの酢味噌和え(苦菜、長命草、ハンダマ入り)。 後ろのお皿は燻製豆腐、トマト、山芋に自家製ピクルスを添えて。器は すべてポールさんの作品。 (p.048) 昔ながらの民家を住みやすく改良したリビング。大中小の甕が棚や床の 間に並び、出番を待つ。大きい甕は 50 升(90ℓ)、中くらいのもので も 20 升(36ℓ)のお酒が入るという。 「あまり小さい甕はあとあと土が酒に勝ちすぎて、味のバランスがおか しくなります」とのこと。また甕を新しく購入する際は「お酒を入れる前 のアク抜き(洗浄)を忘れてはいけません」との忠告も。崎山酒造廠で は甕のアク抜きの相談も受け付けている。 1

おばあの味を伝え継ぐ

p.052 沖縄のお年寄りたちの料理にこそ長寿の秘密がある。食と人 生の教えを請いに、おばあたちを訪ねた。 しょう

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沖縄を旅しているとおそらく頻繁に耳にする言葉がある。「お じい」と「おばあ」だ。お年寄りを尊敬と親しみを込めてい う言葉だ。さすが沖縄は長寿県で、80 歳、90 歳、中には 100 歳を超えるおじい、おばあもいるが、みんな元気で驚く ばかりだ。「あやかる」という言葉があるが、元気なおじいと 握手したり、あるいはおばあに手づくりの料理を食べさせて もらったりすることで、長寿の恩恵を分けてもらえるというこ とになっている。それは 長寿菌 ともいうべき、おじい、お ばあの体に宿っている「いい菌」を分けてもらうことだという のだが、詳しいことはわからない。ともあれ、家庭の食事の 担い手として、家族の健康を支え、さまざまな味を伝えてき たのは、おばあたちなのだ。沖縄料理の源流がおばあたち の手の中にあるといってもいい。今回、おばあたちに会って 話を聞くための案内人をお願いした辺銀愛理さんのことをま ず紹介しよう。  愛理さんの夫は中国人の暁峰さん。二人は結婚後、旅で 訪れて以来すっかり気に入ってしまった沖縄本島の南西にあ る石垣島で暮らし始める。暁峰さんは日本に帰化する際に、 名字を「辺銀」とした。南極周辺に生息するあのペンギンだ。 単にペンギンが好きだったからという。 「移住してすぐは、沖縄の料理を知るごとに目から鱗で、感 動につぐ感動でした。料理法がかっこいいんです。おばあが 『なになに食べるかねー』というと、まず畑に行って野菜を採っ て、外の井戸で洗って作りはじめる。おばあたちは釣りもや るわ、畑はやるわ、海草は採るわ、山に行っていのししは獲 るわ、もうすべてやる。それはかっこよかったですね」と愛理 さん。  その後、辺銀さんは、自ら調合してつくった「石垣島ラー油」 が日本全国に知れ渡る大ヒット商品となり、石垣島に辺銀食 堂を持つに至る。沖縄の家庭料理に愛理さん流の手を加えた 料理を提供している。  石垣島ラー油の開発秘話は本や映画になったりしている が、その徹底した味へのこだわり方を見ても、愛理さんは料 理においてはずば抜けた感覚を持っているようだ。 「鼻だけはいいんですよ。初めての料理でも、食べれば何を 使っているかわかります」と、世界中を食べ歩いてきた愛理 さんはいう。そして、沖縄の料理に魅せられ、沖縄のおばあ たちを訪ねては、料理を教わり続けてきた。 「沖縄のお年寄りたちのところには絶滅しそうな料理がいっぱ いある。娘や息子は内地に行ってしまうので、そういう料理 を受け継ぐ人がいないんですね。だから私たちが代わりにそ れを受け継げないかと思って、いろいろなおじいおばあの家 に行って食べさせてもらっていたんです。石垣は年寄り天国 で、みんな元気で働いているから声をかけやすい。畑に行っ て『これ何干してるの?』『食べたことないの?』『ない』『じゃ あ食べに来なさい』とその人のうちに行って食べられるんで す」  そうしてたくさんの沖縄のおばあたちと知り合いになった愛 理さんは、今も料理を学びにおばあたちの元へと足を運ぶ。 愛理さんと一緒におばあたちを訪ねた。 (p.053) 右ページ:石垣島の辺銀家の経営する辺銀食堂にて。右から、おばあ たちの案内をしてくれた愛理さん、息子の道君、夫の暁峰さんの 3 人。 左:辺銀さんが考案した、(左から)「にんにく油」「石垣島ラー油」「石 垣島ラー油激辛」。いずれも少数生産の人気商品だ。 辺銀愛理流・おばあから学んだ料理 (p.054 上左 ) 島野菜のナムル ナーベラー(へちま)とハママーチ(琉球よもぎ)、じゃが芋とスーナ(海 菜)、ウリズンマメ(四角豆)、島人参と島唐辛子、大谷わたり、ハンダ マ(水前寺菜)。「ハママーチは雑草で、沖縄では雑草=薬草なんです。 スーナは海のミネラルを運んでくれる自然のカプセル。ハンダマはポリ フェノールや鉄分が多く、『女の人にはハンダマたくさん食べさせなさい よー』といわれますね」(愛理) ( 上右 ) 石垣島玄米のマガリス・パンケーキ 「郷土料理のマガリスはあえもののことです。よく一緒にたこ釣りに行く 西表島のおばあのおにぎりの中に入っていて、これ何かなとずっと思っ

参照

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