外来種ウチダザリガニの移入とニホンザリガニの圏内送付に関する情報
川井唯史 ・中 島 歩
北海道内には2003年現在, 806種類の外来種が 確認されており,その中には地域の水域生態系 を著しく破壊する種類も含まれている (北海道ブ ルーリスト,htゆ://bluelist
.
hokkaido-ies.go.jp). そのため外来種対策は急務である. 特に移入に 関する知見を収集することは,外来種対策を検討 するための基礎となり重要である. その他,北海 道に生息する個体を本州へ移出することも,地域 固有の生態系や遺伝子情報を破壊する可能性があ る. そのため,各種の情報を集めて,対策を検討 する必要がある. なおブルーリス トにおいて,淡水域の無脊椎動 物で,特に在来生態系への影響が懸念される種類 として,ザ リガニ類がある. これま で外来種のザ リガニ類についての研究は数多くあるが (例えば 川井ら, 2002),分類や生態に関するものが多く, 移入に関する情報は少ない. さらに,それらの 情報も 二次資料を根拠とした報告が多く,より精 度の高い一次資料に基づいた情報が求められてい る. ま た在来種のザリガニ類の国内移入に関しで も,情報が見当たらない. なお本稿では,特に生態系への影響が懸念さ れているウチダザリガニPacifastacus leniusculus CDana, 1852) (例えばN北ata&
Goshima, 2⑪03) の移入当時の 一 次資料を集めた. また地域個体 群数が減少傾向にある在来種のニホンザリガニ Cambaroides ja抑nicus (de Haan, 1841 ) (例 え ばKa
wai et al., 2002) の本州への送付に関しても 一 次情報を集めて総括し たその結果,ウチダザリガニの摩周湖への移入に 関する従来の知見が検証され, さらに摩周湖以外 での移入に関連する情報が新しく得られた . また, Tadashi K A W A I
&
Ayumi N A K ASHlMA: lntroduction of alien crayfish, Pacifastacus leniusculus, and int町ーprefecture transportation of native crayfish,Camb伽 oides japonicus, in Jap叩
従来見られなか った,ニホンザリガニの本州への 送付に関する情報も見つかった. これらの情報は, 移入種対策の基礎となり重要である. また本研究 の副次的な成果として, 大正時代におけるニホン ザリガニの呼び名が分かり , さらにニホンザ リガ ニの移出は皇族方の食材として利用するために行 われたこともあ ったので (北海道庁, 1915),本 稿は文化考証や博物学的な価値も有する. なお本稿で扱う北米産外来種の名称に関して は,和名は蛭田(1986)を尊重してウチダザリガニ, 学名は浜野ら (1992) を参考にしてPacifastacus leniusculusを用いた.
調査方法
過去の知見によると,北海道内に水生外来種が 意図的に導入され,ま た在来種が本州に移出され たのは,大正から昭和初期が多い (例えば川井ら, 2002). また当時の水生外来生物の意図的移入に は,内水面の水産関係機関が関与していた例があ る( 例えば川井ら, 2002) そこで2005年3月3 日, 10日, 23日に独立行政法人さけ ・ます資源管理セ ンター ( 以下センターと略す) 千歳支所, 24日に センタ一本所にて大正時代と昭和初期の公文書 を 探し,その中から水生外来種の移入や在来種の移 出に関する文書 を選び出した. なお組織の名称が 大正 昭和初期時代以降,変化している機関は, 各文書で当時使われていた名称を,そのまま用い た. 結 果 センタ一千歳支所では,明治から昭和初期の公 文書が2 階の書庫に保管されていた . 見つか った 各種の文書 は,表1
に列挙した . またセンタ一本 所では明治時代の公文書が 4 階の図書室に保管さ れていた. 見つか った文書 は二つで,r
明治四拾24
外来種ウチダザリガニの移入とニホンザリガニの圏内送付に関する情報 年四月 日誌 北海道水産試験場西別分場J
,I
明 治四拾壱年 日 誌 北 海 道 水産試験場西別分場」 詳細を紹介した「事業成績報告綴JI
事業報告綴」 「事業成績表J
,事業計画をまとめた 「事業方案J
, 種苗の輸送に関する 記録「運搬決議書」が見つかっ た. その他にも「日誌」も見つかり,これはセン ターで起こった毎日の 出来事を簡単にメモして年 度や年ごとに まとめであった. (以下iJ
内は原文のまま ) であった( 表1 ). 各文書は,原則として年度を単位としてまとめ られたものが一つのファイ ルになっていた( 図1 - a). ファイルの種類は,さけ ・ます鮮化増殖事 業等とは直接関連の無い事柄を綴った「雑件綴J
, 比較的大きな出張などに関しての内容を報告する 「往復綴J
,i
報告綴J
,i
復命書綴J
,研究計画の参 考資料だけをまとめた「参考書綴J
,事業 内容の 雑 件 綴 に 綴 ら れ て い た 各 文 書 に は 通 し 番 号 が あ り,綴りの最初には通し番号順に標題を列記し た目次が添付してあった( 図1 - b) 目次におい て,センタ一千歳支所が受取った文書には,送り 年代 内容 年 表 1 見つか った文書綴 表紙* 保存機関 明治 報告綴 1905 自明治三十八年九月 歪全上四十年報告綴千歳分場北海道さけ ーます資源管理センタ一千歳支所 往復綴 1908 明 治 四 拾 壱 年 度 往 復 綴 千 歳 分 場 同上 19ω 明治四十二年四月ヨリ 明治四十三年三月 往復綴千歳分場向上 日誌 1907 明治四拾年四月 日誌北海道水産試験場西別分場北海道さけ ・ます資源管理センタ一本所 1908 明治四拾壱年 日誌北海道水産試験場西別分場 同上 大正 参考書綴 1912 大 正 元 年 度 起 参 考 書 千 歳 支 場 北海道さけ ・ます資源管理センタ一千歳支所 1918 大 正 七 年 以 降 参 考 書 綴 千 歳 支 場 同上 1922 大正十一年 以 降 参 考 書 綴 千 歳 支 場 同上 雑件綴 1917 大正六年一月 ヨ リ 雑 件 綴 千 歳 支 場 向上 1920 大正九年一月 雑 件 綴 千 歳 支 場 向上 1921 大正十年一月 雑 件 綴 千 歳 支 場 向上 1922 大正十一年 雑 件 綴 千 歳 支 場 向上 1924 大正十三年 雑 件 綴 千 歳 支 場 向上 事業方案 1926 大 正 十 五 年 度 事 業 方 案 向上 事業報告 1913 大 正 武 年 度 事 業 報 告 千 歳 支 場 向上 1914 大 正 参 年 度 事 業 成 績 報 告 綴 千 歳 支 場 向上 日誌 1922 大正十一年 日 誌 北 海 道 水 産 試 験 場 千 歳 支 場 同上 1923 大正十二年 日 誌 千 歳 支 場 向上 1924 大正十三年 日 誌 千 歳 支 場 向上 1925 大 正 十 凶 年 日 誌 出張員 同上 昭和元 - 10年 遂 搬 決 議 簿 1931 昭 和 六 年 度 運 搬 決 議 簿 千歳膨化場 向上 雑件綴 1928 昭和三年 雑 件 綴 北海道膳千歳鮭鱒解化場 向上 事業成績表 1927 昭 和 武 年 度 以 降 鮭 鱒 癖化場 事 業 成 績 表 向上 1931 昭和六年度 事業報告綴 (永久保存) 千歳鮭鱒解化場向上 1932 昭和七年度 事業報告綴 (永久保存) 千歳鮭鱒緋化場向上 1933 昭 和 八 年 度 事 業 報 告 綴 (永久保存) 向上 日誌 1928 昭和三年 度 目 誌 採 卵 場 向上 1930 昭 和 五 年 日 誌 千 歳 鮭 鱒 鮮 化 場 附 属 採 卵 場 同上 1930 昭 和 五 年 日 誌 千 歳 鮭 鱒 鮮 化 場 向上 1931 昭 和 六 年 日 誌 千 歳 鮭 鱒 解 化 場 向上 1931 昭 和 六 年 度 目 誌 採 卵 場 同上 1932 昭 和 七 年 日 誌 千 歳 鮭 鱒 採 卵 場 向上 1934 昭 和 九 年 日 誌 千 歳 癖 化 場 同上 1934 昭 和 九 年 日 誌 採 卵 場 向上 復命書 癖化場位置選定復命害北海道水産自存化場千歳支場向上 移 植 並 運 搬 復 命 書 北 海 道 水 産 癖 化 場 千 歳 支 場 向上 府化事業監督並検査復命書( I ) 北海道水産癖化場千歳支場向上 試験調査 (IT ) 復命幸子 北海道水産癖化場千歳支場向上 向上 * 文香表紙の標記を正確に示した。主が書いてあった. ま たセンタ一千歳支所が発送 した文書に は,送った先が記入してあ った. さら に綴には, 受け取り文書をそのまま綴つであるも のと, 受け取り文書の内容を写して綴つであるも のがあ った また発送文書も内容を写して綴って あった . センタ一千歳支所が発送した文書には発 送した日が記されており,受取った文書には文書 が作成 ・発送された日付と受取った日が併記され ていた. 以下,外来種の移入や在来種の国内送付に関係 した綴を年代順に示し,その中の移入と在来種送 付に関する記述を列挙する . なお公文書の紙質は 半紙などであり, しかも崩しである文字で記入さ れており,基本的に判読が難しか った . そのため, 判読可能で原文のまま示せたものは
iJ
内に 書 き, 読めないものは( 判読不能) と示した.• r
大正六年一月ヨリ 雑 件 綴 千 歳 支 場j 文書番号113号,5 月24 日付け, 受領日は不明の 受取り文書,文書標題「刷姑運搬ニ干スル件J . 北海道の苫小牧駅前にある小保方運送庖から受 取った文書で,支場長が宮内省次官宛に支筋湖産 のニホンザリガニ300個体を発送した時の確認で あった 114号5 月22 日付け( 受領は24 日) の受取り文書, 標題は不明であ った . ニホンザリガニに関する文 書を内務省から受取った. 115号日付けと受領日不明の受取 り文書,["刷姑輸 送ニ干ス ル件J. 小保方運送庖からの文書で,内 容の詳細は不明で、あった. 116号5 月20 日の発送文書,i
胴姑発送ノ件J . 宮 内省次官に発送した文書で,支勿湖のニホンザリ ガニ300個体を発送した輸送代に関しての連絡で あった . 118号5 月29 日付 け ( 受領 は30 日) の受取り文書, 「馴姑発送ニ干スル件J . 小保方運送庖から,ニホ ンザ リガニを発送した報告の電報があった 119号 6 月 2 日付けの発送文書,i
酬姑ニ干スル 件J . 小保方運送屈に水コケ代,ニホンザリガニ の捕獲費などに関して問い合わせる文書 を発送し た. 金額などの詳細は読み取れなか った. 120号 5 月31 日付け( 受領は 6 月 1 日) の受取り 文書, [ " 刑姑ニ干スル件J . 小保方運送庖から葉書 連絡があ った. 水コケ代,ニホンザリガニの捕獲 費の確認があ った 北海道の苫小牧駅を出発した 荷物 は, 36時聞かけて東京の上野駅に到着した記 述があった. また文書には「至急」との添え書き もあった 121号 6 月 7 日付け発送文書,i
胴姑輸送ニ干スル 件J . 宮内省の機関である大膳寮に連絡した. 宮 内省に送った300個体のニホンザリガニの輸送方 法に関して記述してあ った. 輸送用の箱には外箱 と内箱があり,箱の 内部には氷塊と水コケが入っ ていたとの記述があった. 122号 5 月30 日付け (受領は 6 月 4 日) の受取り 文書,i
刷姑輸送ニ干スル照会」 発送先は不明で あった. 宮内省へ送付するニホンザリガニに関し 図1 ar
大正六年一月ヨリ 雑件綴 千歳支場j の表 ての連絡があ った. 紙,b 綴の 目次, c文書1 5 6号, d文書1 6 5号 124号日付けと受領日が不明の受取り文書,i
刑姑26 外来種ウチダザリガニの移入とニホン ザリ ガニの圏内送付に関する情報 輸送運搬後二干 スル件J. 小保方運送庖からの文 書で,内容の詳細は不明. 125号日 付と 受領日の記述無し,発送文書,
I
刷姑 運搬費用請求 ノ件J . 支場長から大膳寮への 連絡 で,ニホンザ リガニの捕獲費用と発送費用 と発送 方法に関して記述されていた 156号 7 月11 日付け (受領 は13 日) の受取り文書, 「刷姑ニ干スル件J. 小保方運送庖からの連絡で, ニホンザリ ガニを7
月19 日までに日光田揮の御用 邸に発送する予定が変更され,発送先は上野駅に なり,発送する個体 をしばらく勝化場で蓄養する との記述があった (図1- c).
159号 7 月14 日付 けの発送文書,I
刷姑ニ干ス ル 件 J. 小保方運 送 庖 に 送 っ た 文 書 が あ っ た 大 膳 寮へ送った ニホンザリガニの発送方法と代金に関 して連絡をとった 160号 7 月14 日付け ( 受領 は15 日) の受取り文書, 「刷姑発送変更ノ 件j 小保方運送庖か ら葉書があ り, 日光から 上野に荷物の発送先が変更された こ とに関して の連絡があ った 163号 7 月16 日付け ( 受領は 17 日) の受取 り文書, 「ざりがにニ干スル件J . 小保方運送庖からの電報 があり,発送した荷物が苫小牧駅を 出発した こと の連絡があった . 164号 7 月19 日付 け (受領 日の記述無し ) の受取 り文書,i
物品 ニ干スル件J. 小保方運送庖から葉 書があり,荷物が東京に 到着したことの確認の連 絡があった 165号 7 月18 日付 け( 受領は 19 日) の受取り文書, 「ざりがに ニ干スル件J . 小保方運送庖からの連絡 があり,荷物が到着したことの確認と代金に関し て記述しで あった. 天候不順のため捕獲人件費が 多く 掛 り代金も多くなったとの内容であった( 図 1 - d). 167号 7 月19 日付 けの発送文書,I
ざりがにニ干ス ル件J . 大膳寮宛 てに連絡し ,ニホンザ リガニの 発送に要した代金の請求を行 った. 173号 7 月 20 日付け ( 受領は 22 日) の受取 り文書, 「賜蝦願ニ干スル件J. 北海道水産試験場高島本場 からの連絡があり,i
賜蝦旅行」の「義 出」に 行 っ た千歳支所の菊地技手には暑中休暇申請不要であ るとの書類で あった( 図2 - a). 174号 7 月24 日付け( 受領は24 日) の受取り文書, 「宮殿下支幼湖御宿泊ノ 件J. 北海道水産試験場高 島本場からの文書があり (図 2 - b ), 8月 1 日に 「クニノミ ヤ」殿下が支拐湖に宿泊の際は , ヒメ マスと ニホンザリガニが供されるので,事前の準 備を行 って欲しい旨の電報があ った. 同じく174 号では,その返電も行っており,その内容として は,支勿湖に出張することの連絡であ った. 175号 7 月24 日付け の発送文書, [ " 全上J . 文書の 発送先 は不明 であっ た 千歳支所が苫小牧から 打 電し ,7月26 日には 出張で支勿湖 に行くので, 心 図2 aI
大正六年一月ヨリ 雑件綴 千歳支場j の文 書173号の電報,b 文書174号の電報,CI
大正 十年 雑件綴 千 歳支場j の文書36号, d 文書 123号配不要との連絡を行った .
191
号8
月10
日付け( 受領 は11
日) の受取り文書, 「刷姑ニ 干スル件J . 小保方運送庖からの連絡があ り,ニホンザ リガニ発送用の箱や水コケに関して 問い合わせがあった なお本綴の最初にあった目次によると,文書は12
月分(391
編) まであるが,綴られていた文書 が存在したのは191
号8
月10
日付けまでであった. これ以降は,綴られた記録が消失していた. 本綴 の目次で,192
号以降の文書で見つか ったニホン ザリガニに関する連絡事項として,読み取れた分 だけを以下に示す. ただし, 目次には文書日 付や 受領日や発送日の記述は無か った8
月中では195
号があ った. 標題は原文のまま 示し「ざりがにニ干スル件j,送り 主 と送り先も 原文のまま示し「場長J
からの発送文書であ った197
号(1
ざりがにノ件」 電報で,1
場長J
からの 発送文書)198
号(1
ざりがにニ干ス ル件j,受取り文書で送 り主判読不能) •207
号(1
ざりがにノ 件J
,1
小保方」からの文書).9
月中では218
号(1
ざりがに発送ニ干スル件J
, 「場長J
からの発送文書).226
号(1
刷姑ニ干スル件j,1
宮内省」からの受取 り文書) •228
号(1
ざりがにニ干スル件J
,1
大膳寮」からの 受取り文書) •230
号(1
ざりがに発送ノ件j,1
場長」からの発送 文書).246
号(1
ざりがに,以下判読不能J
,1
場長」から の発送文書) •253
号(1
ざりがに発送,以下判読不能J
,1
小保方j からの受取り文書).258
号(1
ざりがに代請求書ニ干スル件j,1
小保方J
からの受取り文書)•10
月中では274
号(1
ざりがにニ 干スル件J
,r
小 保方j からの受取り文書) .275
号(1
ざりがにニ干ス ル件J
,1
場長J
からの発 送文書)278
号(1
ざりがに荷送ニ干スル件j,1
小保方J
か らの受取り文書)•282
号(1
ざりがにニ干スル件,電j,電報と思わ れる .1
小保方J
からの受取り文書) .283
号(r
ぎりがにニ干ス ル件j,1
宮内省J
からの 受取り文書) .284
号 (標題は判読不可能,1
小保方」からの受取 り文書) •290
号(1
ざりがにニ干スル件J
,1
場長j から発送 した文書).11
月中 では331
号(1
ざりがにノ件j,1
宮内省」 からの受取り文書) .332
号(1
ざりがにノ件j,1
場長」から発送した文 書) .12
月中,351
号 (r刷姑輸送ノ件J
,受取り文書 で送り主は判読不能)352
号(1
刷姑 (以下判読不能jj,1
場長J
か らの 発送文書) •• 1
大正九年一月 雑件綴 千歳支場J
180
号7
月7
日打電 (受領は8
日) の受取り文書, 「ザリガニ (途中は判読不能) の通知( 電) J . 小 保方運送庖からの電報で,ニホンザリガ ニが到 着したとの連絡があった. なお 「大正六年一月ヨ リ 雑件綴千歳支場」の各文書によると,小保 方運送屈は大正6年に数回,宮内省用のニホンザ リガニを発送していた業者である. そのため,大 正6年から3年しか経過していない大正9年も運 送業者の状況に大きな変化は無かったと仮定でき る. このことから,小保方運送庖からのニホンザ リガニに関しての文書は,宮内省への送付に関し ての文書であ ったと解釈した.245
号日付けは不明 (受領は 10月15
日) の受取り 文書,1
胴姑発送ニ干スル件J . 内務部からの連絡 があり,大日本水産会博覧会に参考品として出品 する200
個体のニホンザリガニに関しての電報で あった.• r
大 正 十 年 雑 件綴 千歳支場J
36
号2
月10
日付け( 受領 は14
日) の 受け取 り文書, 「ザリ蟹移植ニ干スル件J . 山形県から ,支勿湖産 のザリガニ移植の適期と 価格に関 しての問い合わ せがあ った (図2 - c).42
号2
月付 け (日は読み取れず) の発送文書,r
ザ リ蟹移植ニ干スル件J . 6月が適期で値段は12
(通28
外来種ウチダザリガニの移入とニホンザリガニの圏内送付に関する情報 貨単位は判読不能) と返信している. 43号文書日 付けは不明 ( 受領は2月9日) の受取 り文書,標題は判読不能. 根室支場からの文書で, ニホンザリ ガニ1
個体の発送を依頼された. そし て 「ホルマリン漬j との記述があ った 123号文書日付けは不明 , (受領は5 月17日) の受 取り文書,r
標題無しJ . 小保方運送庖からの文書 で,大膳寮からの依頼でニホンザ リガ ニ400個 体 を苫小牧駅から発送したとの報告があった (図2
- d).
• r
大 正 十 一 年 以 降 参 考書綴 千歳支場j 「計画」の部分の 「移植並ニ試験」の部分に , 「欧州産ザリガニ 三年間移入シ冷水養殖試験部 ニ於テ飼育シ将来道内ニ分配増殖ヲ計jレj と書か れており,欧州産ザリガニの内訳は諸経費1,000 (通貨単位は 判読不可能),経常費11,650とされて おり,備考には「欧州産ザリガニハ十年目以降行 ウモノナ 1)J
と記述されてお り,実際に欧州、│産の ザリガニを移植し た事実は記述されていないが, 欧州産ザリガニ類を移植する計画があ った• r
大正 十 一 年 雑 件綴 千 歳 支 場J
88
号3
月15
日付け (受領は17
日) の受取り文書, 「姫鱒並「サルカニ 」下付ニ干スル件J. 内務部か らの文書で,英国皇太子殿下に供進する目 的で支 務湖のニホンザリガニ500個体 を提供する願 いが 出されていた (図3 )89
号日付に関する記述は見当たらず, ["姫鱒ニ干 スル件J . センタ一千歳支所の内部文書で あった . 文書 番号88
号 の ニ ホ ン ザ リ ガ ニ を 発 送 す る 計 画 は, 実行はされなか ったことが記述されていた . 178号日付けは判読不可能 (受領は6月6日) の 受取り文書,["蝦運搬代ニ干スル件J . 小保方商庖 からの文書で,内容の詳細は判読不可能であった. 334号9月7日付けの発送文書,[ " 賜蝦願ニ関スル 件J . 勧業課に発送した . 内容の詳細は不明であっ た. 337号「支妨湖m
化場台覧設備J
,の千歳支場の内 部文書であった. ["一,聯化案内, (ロ) ざりがに 数百尾ヲ鮮化槽ニ放ツJ
,と 書 かれており, 当時 は支妨湖解化場でニホンザ リガニが飼育されてい たことを示している. 371号 9 月27日付けの発送文書で,r
賜蝦願ニ干ス ル件J . 高島場長( 人名 ではなく小樽市高島にあ っ た水産試験場本場の場長を意味すると解釈でき る) に発送した . 内容 は判 読できなか った.• r
大 正 +一年 日 誌 北 海 道 水 産 試 験 場 千 歳 支 場」 6月
5日分に「賜」の文字が読み取れる.10月5
日分に「半田技師 (途中,判読不可能) 賜 蝦欠勤」との記述がある .• r
大正十二年 日 誌 千 歳 支 場」2 月10
日分に「賜蝦欠勤中 (途中,判読不可能) 菊地技師本日ヨリ出勤」との記述があ った 7月23日分に [" (途中,判読不可能) 本日賜蝦欠 勤 (途中,判読不可能)J
との記述があ った 7月28
日分に「賜蝦欠勤中ノ長峰技 (途中,判読 不可能) 日ヨ リ出勤セラル」との記述があ った. 8月
29日分に「賜蝦出札中ノ品川 雇 (途中 ,判 読 不可能)J
との記述があった .• r
大正十三年 日誌千歳支場」5
月15
日分に「賜蝦療養中藤井技師本日帰場セjレj 図3r
大 正 十 一 年 雑 件 綴 千 歳 支 場J文書88号との記述あった . 8 月31 日分に「藤井技師賜蝦札幌( 途中 ,判読不 可能) 賜蝦欠勤中ノ( 途中,判読不可能) 本日ヨ リ出勤」との記述があった.
• r
昭 和 三 年 雑 件 綴 北 海 道 鷹 千 歳 鮭 鱒 癖 化 場J
(この綴には目次が無い) 産水第834号昭和 3 年 5 月10 日付け( 受領は 15 日) 受取り文書,r
米国産クローフィッシュニ関する 件J . 産業部長からの文書で,ゼーケー商会から のクローフィッシュの購入に関しての案内があっ た. 値段は1尾弐円で販売されていた( 図4- a
, b, c) . 903号昭和 3 年12月26 日付け ( 受領 は27 日) の受 取り文書,I
ざりがに移植ニ関スル件J . 北海道水 産試験場からの文書で,長野県から北海道のニホ ンザリガニ移植に関しての問い合わせがあり,内 図4 a, b, Cr
昭和三年雑件綴北海道鷹千歳鮭鱒 勝化場」文書8 34号,d文書903号 容としては支務湖のニホンザリガニの産卵時期, 本種の天然餌料の種類,北海道から宮内省に送付 するときの輸送容器や時期や運搬費, 一年間の捕 獲尾数や捕獲時期,その他の移植上の参考となる ことであ った. この照会に回答した文書は,昭和3
年の雑件綴に,見当たらなかった• r
昭和五年 日 誌 千 歳 鮭 鱒 癖 化 場j 7月21 日分に「米国産クローフィッシュ摩周湖輸 送ノ為 ( 途中 ,判 読不可能) 菊地 ( 途中 ,判読不 可能) 横浜ヘ出発サル」と記述されていた. 7月
30 日分に「主張中ナリシ場長本日帰場サル」 と記述されていた.• r
移 植 並 運 搬 復 命 書 北海道水産勝化場千歳 支場J
1. 北海道博覧会出品魚類輸送概況復命書 大正七年六月 二十二 日付けで,技手 菊地覚助が 復命している. 内容は北海道博覧会に出品する魚 族の輸送のため江別へ出張している. この時,ニ ホンザリガニ40個体が輸送されており,結果とし て衰弱したことが記述されている. 2. 昭和五年七月 クローフィッシュ輸送復命書 昭和五年八月五日付けで,技手 菊地覚助が復命 している (図5 -a, b). 内容はクローフイ ッシュ 図5r
移植並運搬復命書 北海道水産試験場千歳支 場j 昭和五年七月 クローフィ ッシュ輸送復命 書の表紙(a) と 1 枚目 (b )30 外来種ウチダザリガニの移入とニホンザリガニの圏内送付に関する情報 図6
r
移植並運搬復命書 北海道水産試験場千歳支 場j の2枚目 (a )と6枚目 (b) の輸送のため東京,横浜,多11路市に出張し, 出発 は7月22日で29日に帰着したことが記述されてい る. 詳しい内容としては,米国産のクローフイツ シュは横浜港に7月25日に到着し( 図6 -a), 28 日に北海道東部にある釧路管内の摩周 湖岸に着 き,湖岸の水温は15t であった. そこの岩陰に雄 248,雌228,合計476個体を放流した (図6 - b). 考 察 得られた結果に基づき,以下,項目別に考察を 進めた. - ウチダザリガニの移入に関する情報 「昭和五年 日 誌 千 歳 鮭 鱒 僻 化 場 」 に よ る と 菊地技師が解化場を 出たのは7月21日であり ,B昨 化場に再び出勤したのは7 月30日である.I
移植 並 運 搬 復 命書 北海道水産鮮化場千歳支場J
に 綴られていた「昭和五年七月 クローフィッシュ 輸送復命書」では,菊地技師の出張が7 月2 2日か ら29日ま でとな っている . そのため ,昭和五年の 日誌とクローフイツシュ輸送復命書 における菊地 技師の旅程の日付には整合性がある . 川井ら (2002) は,こ れまで混乱していたウチ ダザリガニの移入に関しての情報を検討し,大正 から昭和初期 当時にクローフ イツ シュと称されて いた生物はウチダザリガニであり,移入年は1930 年で,放流数は476個 体 と 考 え た 今 回 の 一 次 資 料調査で得られた情報として,昭和5年の輸送復 命書と日誌を総括し,ウチダザリガニの移入年は 1930年で,移入個体数は476個体であったと考え られる . そ のため,川井ら (2002) の知見は今回 の一次資料調査で追認された - ウチダザリガニ移入当時の状況 ウチダザリガニを運んだ菊地覚助氏とは北海道 さけ ・ま す僻化事業における著名な人物である . このことを裏付ける資料は,r
魚 と 卵 , 故 菊 地 覚助氏特集号」がある. この号には北海道水産卵手 化場 長 を勤められた半田芳男氏を始めとした10名 の寄稿があり (半田, 1963),多くの方が菊地氏 の活躍や逸話 を記述している . なお,半田 (1963) によるとウチダザリガニを輸送した1930年当時, 菊地氏は北海道水産僻化場千歳支場長を務めてお り,組織の長が自らウチダザリガニのために出張 して復命していたことになる. このことから考え て,ウチダザリガニの輸送が極めて重要な任務で あったと理解できる . その他 の情報として,ウチダザリガニが北海道 の摩周湖に放流された昭和5
年の以前である昭和 3年に,ゼーケー兄弟商会がウチダザリガニの販 売を行 っており,公的機関にも照会を行 っていた ことが明らかにな った (図4 -a, b, c). そのため, 当時,ゼーケー商会から購入したウチダザリガニ が北海道内に導入されていた可能性がある. - ニホンザリガニの呼び名 大正時代か ら昭和3年当時における,ニホンザ リガニの名称は,各種の文書 に見られた記述を根 拠とすると複数あり,I
ざりがにJ
(図1 - b),I
刷 姑J
(図1 - c, d ),I
ザリ蟹J
(図2 - c),r
サルカニ」(図
3 )
があった. ま た各種の文書や日誌に よる と,特に宮内省に送付する個体に限 って,r
賜蝦」 (図 2 - a) の名称が使われることもあ った. その ため宮内省送付用の個体は特別視されていたこと が明らかである. - 宮内省送付用ニホンザリガニの採集地と採集者 宮内省に送付したニホンザ リガニの採集場所 に関しては 二つの見解がある. 一つは秋山徳蔵 氏によるもので (例えば秋山 ,1957),北海道中 央部に位置する旭川市の方が採集したと主張し ており,採集地は旭川市周辺と推定される . も う一つ は支勿湖で得たとされている( 北海道庁, 1915) . 本調査で得られた各種の文書から( 例え ば図4 - dr
従来支勿湖産ざりがにヲ宮内省ニ納 入J) 大正時代における宮内省送付用のニホンザ リガニの採集地は支勿湖であ ったことが支持され た. 宮内省送付用ニホンザ リガニの捕獲者に関して は, 二つの情報がある .r
大正六年一月ヨリ 雑 件 綴 千 歳 支 場J
165号等を根拠にすると,運送 業者から「人夫費j が計上されており (図1 - d), 運送業者が採集に関与していたと思われる. そし て,r
大正六年一月ヨリ 雑 件 綴 千 歳 支 場J
173 号( 図2
- a)
などを根拠とすると,卵字化場の職 員が「賜蝦旅行」の「義出J
をしていた ことが明 示されており,さらに「大正十一年 日誌J
,r
大 正十二年 日誌J
,r
大正十三年 日誌」には,そ れぞれ「賜蝦欠勤」との記述がある . これらを根 拠にすると鮮化場の技師が採集に関与するために 現地入りしていたと考えられる . ところで宮内省送付用のニホンザリガニの採 集数に関しては 二つ情報があり, 一つは「大正 六年一月ヨリ 雑 件 綴 千 歳 支 場 」 の 文 書 番 号 113号にあった300個体であり, 他 の一つは「大 正 十 年 雑 件 綴 千 歳 支 場 」 の 文 書 番 号123号 (図2 - d) にあった400個体 である. 大正時代に おける支勿湖のニホンザ リガニの個体数密度は不 明である. しかし , にはかなりの努力を要したと推測できる. 加えて 数百個体を運ぶことも多大な労力を要したと思わ れる. なぜなら運んだのは,今から100年近く前 の大正時代であり ,当時の道路交通事情は現在よ りはるかに悪か った. これらのことを考え合わせ ると,採集も運搬も少人数で行える些細な作業で はない. そのため実際に採集に携わった作業者と 人数は,卵手化場の職員と数人の作業人夫であった と思われる . なお支勿i
胡では現在,湖岸からニホンザリガ ニの個体群が消失しているが,消失した正確な 時期や原因は不明である (例 え ば K awai et al., 2002). 本稿で得られた各種の資料から大正時代 にはニホンザリガニが豊富に生息したことが明ら かである . この生息情報は,個体群が消失した時 期を正確に特定するのに役立つ. さ らに個体群が 消えた時期が判明することができたなら,この時 期を境にして大きく変動した諸環境を抽出し,こ れらの環境の中でニホンザリガニの生息に影響が 強いものが,支第湖における個体群消失原因であ ると考えることもできる. そのため,支勿湖にお けるニホンザリガニの正確な分布の情報は,個体 群の消失原因を推定するのに役立つ情報となる. - 宮内省送付用ニホンザリガニの発送年と発送回 数 ニホンザリガニを宮内省に送付していたことを 示す文書があった最も古い綴りは,r
大正六年一 月ヨ リ 雑 件 綴 千 歳 市 支 場J
で,最も新しいの は「大正十三年 日誌千歳支場」であった. そ のためニホンザリガニの宮内省への送付は,少な て良い. 次にニホンザリガニが年間に発送された回数を 検討する.r
大正六年一月ヨ リ 雑 件 綴 千 歳 支 場j に基づくと,大正六年に宮内省へニホンザリ ニを送付したのを確認できる文書は次の通りであ る. 正六年には,少なくとも4 回以上発送していた . また 「大正十年 雑件綴千歳支場」によると, 123号の文書で宮内省に1回発送していたことが 確かめられた「大正十一年 雑 件 綴 千 歳 支 場J
178号では, 小保方運送庖から「賜蝦j 関係の文 書が届いていた. なお前述の通り,賜蝦とは宮32 外来種ウチダザリガニの移入とニホンザリカ相ニの国内送付に関する情報 内省へ送付するニホンザリガニの呼び名である. そして小保方運送屈は,少なくとも大正6年と10 年に宮内省にニホンザリガニを運送している. そ のため,小保方運送庖から「賜蝦
J
の文書があっ た大正10年も,宮内省に少なくとも1回は,ニホ ンザリガニを発送していたと理解できる. これら の文書から大正6
,10, 11年には少なくとも年聞 ことが分かる. なお過去の資料においても支坊 湖のニホンザリガニが宮内省に送付されていたこ とを記述したものが多くある( 例えば北海道庁, 1915・1916). しかし,それらの資料において , 送付の回数に関しては「大正時代には何度もj と いった定性的な表現であり,複数回であることは 示されているが,数値の具体性には欠けていた. 本稿では一次資料に基づき,大正時代における, 1 年間にニホンザリガニを送付した回数が推定さ れた. - 宮内省送付用ニホンザリガ二の採集時期と輸送 方 法 「大正六年一 月ヨリ 雑 件 綴 千 歳 支 場 」 に よ ると,宮内省にニホンザリガニを採集,送付した 月日が記述されていた文書は, で記述されている5月, 218 331 の11月であった. そのため少なくとも大正6 年の 発送していたことが確かめられた. また「大正十 年 雑 件 綴 千 歳 支 場 」 に よ る と , 123号の文書 で宮内省に5 月に発送していたことが書かれてい た 「 大 正 十 一 年 雑 件 綴 千 歳 支 場j の178号で は7 月に宮内省に発送していたことが示されてい る. 「大正十一年 日 誌 北 海 道 水 産 試 験 場 千 歳 支 場」では, 6 月 5 日分, 10月5 日分にニホンザリ ガニを採集していたと示唆される記述がある. 「大正十二年 日誌千歳支場」では, 2 月10日, 7月23,28日, 8月29日にニホンザリガニを技師 が採集した記述がある.I
大正十 三年 日 誌 千 歳支場J
5月15日, 8月31日の記述では,ニホン ザリガニの採集に関して書かれている これらの 採集に関しての記述では,共通してニホンザリガ ニのことが賜蝦と書かれている . そして前述のよ うに宮内省へ送付するための個体には賜蝦の名称 が用いられていた . そのため,これらの日誌で示 されたニホンザリガニは,宮内省送付用であると 考えられる . これらのことからニホンザリガニの は明らかである. さらに 「大正六年一月ヨ リ 雑 捕獲から送付までは,連続して行われている. そ のため,採集されたニホンザリガニの送付は,採 ていたと考えられる. 宮内省へ送付するためのニホンザリガニに関 しては,小保方運送庖との連絡だけが見られ( 例 えば図1 -C, d,図2 - d),他の運送業者との連 絡は見当たらなかった. なお小保方運送庖とは北 海道南西部にある苫小牧市の駅前にある運送業者 である( 図1 -
c
,d).
そのため宮内省へ送付する ためのニホンザリガニの運搬は,小保方運送庖を 通じて行っていたと考えられる. また宮内省用ニ ホンザリガニの発送は苫小牧駅から行っていたこ とも明らかになった( 図1 - 1 c, d). そして「大 正六年一月ヨリ 雑 件 綴 千 歳 支 場 」 文 書165号 (図 1 - d) によると,宮内省用ニホンザリガニを 収容した運送用箱が16日17時34分に 苫小牧駅を出 発し, 18日5 時に上野駅に到 着している このこ とから当時ニホンザリガニの輸送には,鉄道だけ でも35時間26分以上を要していたことが明らかで ある. この時間は概ね 1.5日分の時間に相当し, 輸送には 長時間を要したと考えて良い. また前述 心に行われていたと考えられている . そしてニ ホンザリガニは高温に弱いので(Nakata
et al., 2002),特に夏季は輸送用容器内を低温に保つ工 夫が必要で= あったと思われる . またニホンザリ ガニは水生生物であり ,湿気を保つ必要もあ った と考えられる 実際に,I
大正六年一月ヨリ 雑 件綴 千歳支場」文書121号では,輸送用箱は二 重にし ,水コケや氷塊を利用していたとの記述も あった . 水コケは保湿のための工夫であったと思 われる 氷塊は保湿にも役立ち,また高水温に弱いニホンザリガニを生かしたまま長時間輸送する ターの巽山 紘( 当時) ,佐藤 隆,高橋敏正, ため,保温するための工夫であったと恩われる. 小村祐悦,高橋昌也, 北海道環境生活吾11環境室の - ニホンザリガ二の本州への発送 ニ ホ ン ザ リ ガ ニ を 本 州 に 発 送 し た 具 体 的 な 記 録は見当たらなかった. しかし「大正十年雑件 綴 千 歳 支 場J の3 6号( 図2
-c)
で山形県から 移植に関しての打診があり,4 2号で返信している . 他にも「昭和 三年 雑 件 綴 北 海 道 臆 千 歳 鮭 鱒 鮮化場」には ,903号( 図 4 - d) で長野県からニ ホンザリガニの移植に関しての問い合わせがあっ た. これらの文書から, 北 海道 産 の ニ ホ ン ザ リ ガニが本州の都府県に送られていたことが示唆さ れる. 特に 山形県では,ニホン ザリガニの天然分 布記録が無いものの,本種の標本が得られている ()II井ら, 2003). 山形県からの移植に関しての 問 い合わせや, これに対しての回答文書があったの で,この標本の由来も 北海道からの移植かもしれ ない. - 今後の移入ザリガニ対策に向けて 一度,導入されて定着してしま った ザ リガニ類 の移入を根絶できた例は,一般的ではない. その ため対策としては,導入を防ぐことが極めて重要 と考えられる. 導入 防止対策を検討するためには, 過去の導入に関しての数多くの正確な情報を得 ることが基礎となる . 本研究の成果として,移入 ザリガニ類の導入に関しての各種の情報が集まっ た. これらの情報に基づき,今後はザリガニ類の 移入を防ぐための対策が進む ことが望まれる. 謝 辞 本調査に多大なるご協力を頂い た,北海道大学 の中田和義,北開水工 コンサルタン ト株式会社の 粟倉輝彦,独立行政法人さけ ・ます 資源管理セン 高野恭子を始めとした各氏に深謝しま す.文 献
秋山徳蔵,1957.ザリガニを盗まれた話. 文芸春秋,35(2) 51-54. 浜野龍夫・林健一 ・川 井唯史・林 浩之,1992 摩周 湖に分布するザリガニについて . 甲殻類の研究,21: 73-87. 半田芳男, 1963.故 菊地覚助氏を語る. 魚と卵,14(1) : 1-2. 蛭田 英一 ,1986 北海道の大型ザリガニ. 採集と飼育, 48(6) : 73-87. 北海道庁, 1915. 漁 業 支 勿i胡産瞭JI姑殖民広報,87 62-63. 北海道庁,1916.漁業本道産刷姑御買上殖民広報,93: 43 北海道水産試験場,1930.j J l I 路園摩周湖に於ける「クロー フイッシュJ
の移植. 北水試旬報,119:1071 川井唯史 ・荒井 健・大高明史, 2003. ニホンザリガニ の地方名と 山形県産標本. Cancer, 12: 31-35. 川井唯史・中田和義・小林弥吉,2002. 日本における北 米産ザ リガニ類( タンカイザ リガニとウチダザリガ ニ) の分類および移入状況に 関する考察. 青森自然誌 研究,7:59-71.K awai, T., Nakata, K., & Hamano, T ., 2002. Temporal changes of the density in two crayfish species, the native Cambaroides japonicus (De Haan) and出eaJien Pacifastacus leniusculus (Dana) , in na加ral habitats of
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(川井唯史: 北海道原子力環境センター 中島 歩 : さけ ・ます資源管理センター )