第354号
ひたむきな君が好き!!塾生・家庭の情報誌 2017年 10月1日 発行 樽井文化センター TEL 484-2295 482-1799 URL... http://taruibunka.la.coocan.jp E-mail... [email protected]
どうしたいのか?
────────────────────────── 9 月 18 日朝日新聞朝刊に, 「独自の学力テスト,自治体2割超実施 小中学生対象 日大教授ら調べ」 が掲載されました。 全国の市区町村教育委員会の2割以上が,小中学生を対象に独自の学力 調査を実施していることが研究者の調べで分かった。「学力向上」が求めら れるなかでの傾向だが,国や多くの都道府県教委も同様の調査を実施して おり,調査の目的が問われそうだ。 学力調査の実施状況を調べたのは,日本大学の北野秋男教授(教育学)と 佐賀大学の村山詩帆准教授(教育社会学)。昨年に全 1788 の都道府県・市 区町村教委に照会し,752 教委から回答を得た。このうち「独自の学力調査 を実施している」と答えたのは 53%の 398 教委で,全教委の約 22%にあ たる。回答があったうち,都道府県の 77%,市区の 55%,町村の 48%が 実施していた。 文部科学省は 07 年から小6と中3を対象に全国学力調査を実施してお り,現在は全市区町村教委が参加し,調査結果の提供を受けている。 市区町村教育委員会がなぜ,独自の学力調査を実施するのか。調査に回 答した教委の 92%は「学力の定着向上」を挙げた。独自調査が増え始めた のは 2002 年以降で,06 年は 27 教委と最も多かった。「学力低下」が問題 となり,全国学力調査の導入も決まった時期だ。 関西地方の町教委は「全国学力調査で成績がふるわず,議会で質問され たのがきっかけだった」と明かす。「学力向上に力を入れる姿勢を示すため にもテストは不可欠」と言う。この町教委は民間テストを使っている。「全 国基準と比較でき,作問や分析の手間もかからない」のが理由だ。 ただ,学校現場からは「テストが多すぎる」という声も出ている。都内 の中学校教員は「テストは一日がかり。授業時間が足りなくなり,本末転 倒だ」と述べる。九州地方の小学校長は「それぞれの学力調査で事前準備 や事後対応が求められ,大変だ」と話す。20 年度から全面実施される新し い学習指導要領では,授業時間もさらに増える。「時間をどうやりくりする か,今から頭が痛い」 殆どの人は,形式的にはこの国の学力後退を認めており,各 種のテストの増加はその「焦り」の現れです。しかし,重要 な こ と は ,あらゆるデータが,この国の教育目標たる「創 造的能力の育成」の結果としての学力の後退が危機的状況 を迎えていることを示している ことです。にも関わらず, 教育行政,教育に関わる多くの人は,学力後退の根本原因 が,教育目標を無視した教育レベルの低下にあることを全 く理解していません。如何なる教育手法を導入しても,どん な目標を持って何を教育するかをさておいた教育議論は全 く無益なのです。 社会の進展に適応した高度な教育目標を達成するために は,如何に守備よく行っても,その実現のための十分な時 間が不可欠です。無駄な「テストが多すぎる」ことは自明で す。公立中学,公立高校の基礎 5 教科の授業時間数は,間違 いなく私立六年一貫校の半分以下であり,実質的な授業時間 は,多分三分の一以下です。これでは,少な過ぎ,基礎学習 を学校外学習に依存せざるを得なくしています。公立中学, 公立高校の 5 教科の授業は,レベルが低すぎる,授業時間が 少なすぎるの二重のかせ枷によって,現実に応えることが全くで きなくなっています。 「中等教育は,現状のように,私立中高一貫校に任せれば よい」という意見もあります。しかし,現実は,そうした流 れの中で,この国の学力が致命的に後退していったのです。 国際的にみても私立の中・高校の (基礎) 教育レベルは決し て高くなく,さらにその上,現状は「短時間で,定型の課題 に正答する」という大学入試に適応する教育になっており, 殆どそこでは,本来の学習の目標である「創造的な個性の獲 得」が困難になっています。 こうした実態が,結果として,この国の大学教育のレベ ルを押し下げ,大学院に進んでも,創造的な活動ができる 人が極めて少なくなっているのです。もちろん,優秀な外国 人は,日本の大学へは殆ど来なくなっています (ゼロではな い)。大学で高度な教育を行うにも,その準備が学生の側に できていないのです。この国の教育レベルを向上させるに は,少なくとも中等教育 (中学,高校) のレベルの向上を図 らねば,如何ともし難いのです。指導要領と大学入試がまさい か ん に あしかせ 足枷になっています。 それでも,「東大に進学すれば,少しはマシだ」と思う人は,この文章を 読んでも何の役にも立ちません。目をつむ瞑っていては,現実は何も見えませ ん。なぜなら,一極集中の象徴である東大の実績が地に落ちたことが,この 国の学力低下の象徴であり,救いがたい危機を招いているからです。東大 を卒業し東大大学院に進み,東大で学位を取得した母子家庭の若者が,定 職が得られず,年老いた母親がなぜこんな事態に陥ったのか,と嘆いた場 面がテレビ報道されて久しい。まじめに取り組み,そのコースでは優秀で あった人が,必ずしもその努力が報われていなかったのです。多くの東大 卒業生は,そこで獲得した学力に期待するのではなく,「東大卒」という看 板だけに頼っているのが現実です。教育内容や研究レベルは,殆ど実質を なしていないのです。現実に,東大受験生は,明らかにその「看板」をも とめて,受験勉強に励んでいます。学力が低くなるのは自明です。 週刊東洋経済 9/16 「生徒も教員も危ない 学校が壊れる 学校は完全なブラック職場だ」 が出ました。既知の資料ばかりですが,教育情勢をよくまとめたものに見えます。しかし,一つ一つの指摘とデータが全 て正当であるのとは裏腹に,統一した評価と展望を欠いた 主張になっています。 たとえば,「ブラック化する部活動」において, 「とはいえ,中学校で部活動を止めるというのは難しい。教員の中には部 活動が好き,あるいは部活動をやりたくて教員になった人がいるからだ。」 とある。何をか言わんや。この著者の意図は一体何なのでしょうか。 それらは,結局,次の記述と同じ論拠になっています。 「 『日本の公教育投資は先進国で最低クラス』と言われ る。だが初等教育と前期中等教育に絞ると,違った姿が浮か び上がる。初等教育への公財政支出の割合は 1.3%,前期中 等教育は 0.7%。OECD 平均はそれぞれ 1.4%,0.9%であり, 見劣りしない。 そして,初等・中等教育段階における教育 到達度を測定する『生徒の学習到達度調査 (PISA2015) を見 ると,『科学的リテラシー』『読解力』『数学的リテラシー』の 3 項目は参加 65ヵ国・地域の中で上位だ。学力という基準だ けでみれば,投資効果は高いと言えそうだ。 」 これによれば,日本の教育は,全く問題がない,先生の負 担さえ減らせば,この国は,良くなると言っている,としか 理解できません。「学力観」が全く狂っているから,こうし た矛盾が起こるのです。 妹尾昌俊氏は,「教員の多忙はこう解決せよ」の中で, 「 学校は教育機関というよりは 『福祉機関』になりつつある。」 「何をやるかにおいては,『教育効果がある』は判断基準に ならない。とはいえ,教員たちも頭ではそれを理解して いても,実際にはなかなか実行できない。その最大の理 由は,学校は仕事や業務の必要性や優先順位を判断する 基準を持っていないことである 」 と言っています。全くその通りですが,今に及んで,こん な曖昧な表現をすることにどんな価値があるのでしょうか。 「学力後退を続けているこの国の教育をどう立て直すか」は きっきん 喫緊の課題ではないのでしょうか。 前文部科学事務次官 前川喜平氏は,インタビュー記事の 中で,次のように言っています。 ―前川さんが守ろうとしている ナショナルミニマム とは, どういうものですか。 教育の中身も,高度成長の担い手となるような中堅的,中 間的勤労者層を育てるものではなく,一人ひとりがオリジ ナルの力 を発揮できるようにしないといけない。 前川氏は,何もオリジナルなことを主張しているのでは なく,教育基本法の定める「教育目標」を忠実に主張したも のです。そしてそのことが今,教育をめぐる議論の中で,最 も重要な課題となっています。現在の (実は,一貫して) 教 育の目標を明確に見定め,教育政策を論じている人は,前 川氏を お 措いて他にほとんど見られません。この国では現在, たとえトップに立っても,真実を語り,憲法と教育基本法の 理念を守ろうとすると,干されるのです。前川氏には,大き な期待がかかっています。 教育・学習は自らの問題でもあります。私たちは,他の人 の活躍を期待するだけでなく,いまこそ,目的意識的な取り 組みを始めなくてはなりません。 ──────────────────────────
塾からのお知らせ
────────────────────────── 1 何事も,やるべきことを,やるべき時にやらねば,成 就しません。中三生であっても,受験勉強は基本的には「否 定的役割」しか持ちませんが,そこそこの高校へ進まねば, 多くの将来の道が塞がれてしまいます (もちろん,全てでは ありません)。いまは,馬鹿げたことですが,偏差値を 1 ポ イントでも向上することです。その訓練に耐えてください。 当塾は,「上手くやれば,受験勉強は,面白く,有益である」 などのごまかしは絶対に行いません。そうした考えが,この 国の学力を後退させてきたからです。 2 何をやるにも,事態の進展に伴い,「頭の切り替え」は 重要なことです。しかし,それは,長期的,短期的な自らの 課題が何かを忘れてよい,ということではありません。例え ば,塾の授業に出席するにしても,今日およそどういうこと を勉強するのか,全く何も考えないままの出席では,学習効 果を減退させるし,一般に自分の課題を持ち続けることは, 生活をより合理的に,しかも継続して力強く進める原動力 になります。そうした継続が,優れた個性を形成します。 3 塾を休む時は,必ず保護者からご連絡ください。 塾は定刻に始まり,定刻に終わります。学習は,児童・生 徒の本分であり,最も重要な活動だからこそ,リズミカルに 楽しく続けよう。 4 塾の月謝は,前納制です。月末に月謝袋をお渡ししま すから,当月の月謝は,最初の塾の日に納めてください。必 ず,領収書を発行しますから,その日に確認してください。 ──────────────────────────塾生募集中
募集中のコースと月謝 ────────────────────────── 定員は,基本的には各コース,5 人です。どのコースも大 幅な欠員が発生していますが,中 2,中 3 は原則として英・ 数は 4 以上,4 未満ならば面接でその意欲を確認の上,入塾 を話し合います。 募集中のコースと月謝 *中学進学コース(小学5,6年) 英語,算数,国語,(理科) 10,000 円 独自のカリキュラムで英才をめざします。 *中学1年 英数コース 12,000 円 国語は国語ゼミ,理,社は演習で学習します。 基礎からの指導を受けられます。 *中学2年 英数理コース 14,000 円 社会は演習,国語は国語ゼミに参加できます。 英・数 4 以上の生徒が望ましい。 *中学3年高校受験コース 16,000 円 英,数,理,社,国語ゼミ,受験指導 現在,17 年度の中 3 生は,募集停止中です。 現在,授業時間は“ 時間割例 ”に示しているものと変わり ませんが,カリキュラム構成は,塾生の成長,学校の状況変 化に対応して,随時変化しています。こうした体制で,近年でも,清風南海高校併願合格など の卒業生を出しています。多くの卒業生が,大学・高校・中 学の教師,国および自治体の公務員,医師,企業での研究・ 開発,個人企業の経営,その他で活躍しています。 ──────────────────────────
このままでは済まない
(
続き
)
────────────────────────── 1 『春夏秋冬 353 号』の「このままでは済まない」の続 きを書く。斎藤孝氏の「まねる力―模倣こそが創造である」 と同時に購入した, 「理系脳で考える AI 時代に生き残る人の条件」 成毛真著 朝日新書 2017 年 8 月第 1 刷 は,読むに堪えないお粗末なもので,これからは何物も学ぶ ことはできない。著者は優秀な脳の持ち主には違いないと 思うが,“ 理系脳 ”,“ 文系脳 ”が存在するなど,最後まで証 明されず,成毛氏の妄想で終わる。少し詳しく見ておこう。 この本は,極めて党派色の強い主張を多く含みますから,結果として,こ こでは,それに関わる私の偏ったメッセージを含む可能性があります。そ のことを踏まえて,読者は自分の責任で慎重に読んで下さるようお願いし ます。誰のための教育かを無視しては,最早議論が成り立たなく なってい るからです。 成毛氏によると,“ 理系脳 ”の条件は ⃝ 新しいものに興味がある・変化が好き1 ⃝ 刹那主義で未来志向2 ⃝ コミットの範囲が明確3 ⃝ コミュニケーションが合理的4 で,そういう人が,「クリエイティブな仕事」ができる,と 主張している。 成毛氏は,民主党政権の鳩山氏や菅氏を口汚く罵る。しかし,私は,歴 代政権の中で,数少ない実績を出した政権だったと今も思っている。ねじ れ国会で,政策は殆ど頓挫したが,その間わずかだが,新生児の数が増加 し始め,経済は回復傾向を示したし,国際関係は改善に向かっていた。株 価さえ上昇傾向にあった。データは正確に詳細に見るべきだ。 菅氏が福島第一原子力発電所に赴いたことの評価は,『春夏秋冬 352 号』に書 いているからそちらを見てほしい。成毛氏は,今も原発推進派に違いない。 将来,取り返しがつかない禍根が予想されても,また,沖縄にどんな災厄 が予想されても,現実には目を瞑り,目先の特定の人たちの利益を優先す る姿勢には,若者を相手とする教育に関わるものとして,とても同調でき ない。 現政権は破綻がバレそうになれば,次々と「一億総活躍社会」,「人づく り革命」のための「人生 100 年構想会議」(9 月 8 日) の設置など行った が,まだ何一つ実績を出していない。特に,政権の当面果たすべき最大の 課題は,国民の安全・安心であるが,何一つそれを果たしていない (もち ろん,日本だけで,それを成し遂げることはできないが,日本の役割は大 きかった。9 月 17 日現在では,既に日本,いや米国も有効な手立てを失っ ている)。鳩山氏や菅氏が,特別優れた人たちだとは誰も思っていないが, 成毛氏のように,教育や科学技術を論ずるとき,評価が分かれるあるいは 党派性の強い問題を前面に出し,“ 文系脳のレッテル ”を張って彼らをこき 下ろすのは,公正ではない。北朝鮮の核ミサイルの開発を許したのは一体 誰なのか,冷静に考えねばならない。その結果,防衛予算を増やし,この 国の核ミサイル開発を主張する意見が強まり始めている。 日本の IT 産業の苦境の源流は,日本の産業政策の失敗にあった。借り 物の基本ソフトでは,自律的な発展は望めない。日夜,ウイルスと怪しげ なソフトに悩まされている。実用的な表計算ソフトは,Lotus 1-2-3 が最 初で,少しの間私もこれを利用していた。その後マイクロソフトの Excel が出たが,その試用版では,見かけは殆ど Lotus 1-2-3 とそっくりだった が,まだ機能しない多くの項目が並んでいた。もちろん,その後改善され, Windows の時代には,圧倒的な利便性とシェアを獲得した。私は,表計算 ソフトはほとんど使わない,たまには,OpenOffice を使う。 政治や経営で勝つことは何も悪いことではないが,それを「目標」に,あ るいはそれを「手本」に教育や科学を論じると大きな誤りをもたらすこと もある。成毛氏の主張は,権力者や勝者の現状肯定,おご驕りに過ぎない。成 毛氏は,どんなオリジナリティーをこの世界に残したのだろうか。 第 2 章は,「なぜお金持ちは理系脳なのか?」である。そ の背景には,モデル「お金持ち← 企業経営 ← 技術開発 (経 営モデルなども含む)← クリエイティブ ←“ 理系脳 ”」があ るようだ。 “ 理系脳 ”は,必ずしも理系の学部を卒業した人の脳では なく,理系, 文系と関係なく,上の条件を満たせばよい,と 成毛氏は言う。3 人のシリコンバレーの“ 成功者 ”と 3 人の 東洋人を代表的な“ 理系脳 ”の持ち主として挙げているが, 概念としての,あるいは実体としての“ 理系脳 ”が全く浮か び上がってこない。ただ単に,お金持ちになったり,権力や 名声を獲得しただけ,しかも一時的な成功例に便乗した展開 に過ぎない。 一時的な利益を得ることによって,取り返しのつかない負債を負うこと もある。 原発推進政策はその代表だ。世界は今,電気自動車 (EV) に流れている が,私は長期的には,主にバイオマスをそのまま用いることができる外燃 機関であるスターリングエンジンにシフトするのではないか,と思ってい る (電気や水素を作る 1 次エネルギーをどこに求めるかが重要だ)。余分な 木材は炭化し,保存すればよい。石炭紀ではなく,木炭紀だ。これは,30 年ほど前までの 15 年間,私の全てを賭けて取り組んだ,内燃機関の研究者 としての夢だが,妄想に終わるかもしれない。ゆったりと高度な文化を楽 しむ社会に,徐々に変化するのではないかと考えている。また,現在,流 通・通商は大きな課題だが,将来は完全自動化され,そこから大きな利益 を得ることなどできなくなる。 どの党あるいは誰とはここでは敢えて言わない,少なくとも多くの人た ちは,拉致問題の解決に,国連等を通じて問題を国際化して解決すると訴 えていた零細政党を嘲笑し,また各種のパイプを通じて話し合いの糸口を 探っていた人たちを「国賊」呼ばわりし,「二元外交」と見なしていた。そ していま,拉致問題の解決はおろか,国民の安全を危機に陥れ,従属的外 交と防衛費の増加を避けられなくしている。それが彼らの初めからの狙い かも知れない。政治は結果責任のはずだ。こうした事態に陥った責任を誰 も取っていない。 もともと中国の指導層は,殆ど理系の大学を出ており,幹部の人たちは 理系的思考をする人が多かったが,「習近平氏 (法学部出身) にはほかの後進 国のリーダーにありがちな,独裁者じみた言動がほとんどみられない」と は,驚くべき記述だ。ウイグル問題,香港,台湾,南沙諸島,そして東シ ナ海に対する習近平氏の姿勢には疑問を持たざるを得ない。生まれながらの独裁者など存在しない。権力を集中する中で,徐々に独裁者に変質しつ つあるのではないか。 人の評価を,一面的に行えば,必ず問題が生ずる。豊臣秀吉の朝鮮出兵 は現代にまで影を落とす重大な失政ではなかったのか。 成毛氏は,自らが制御できない問題に,関心を示したり議 論することは,不合理だと主張している。制御できたかどう かは,後にならなければわからない。所与の条件を不変なも のと見なし,その中で,利益を得ることを考えよ,と言って いるようだ。民主主義や平和などに関心を持つものは馬鹿 だ,“ 文系脳 ”だ,と“ 勝者 ”の論理を展開している。 第 4 章は,「好かれようとするな!―理系脳的コミュニケー ション術」である。チューリングを取り上げるのならば,「計 算可能性」について書いて頂きたかった。要は,目標を明確 にして臨め,ということだ。円周率を議論するなら,是非 『中学数学基礎』の円周率の展開を見てもらいたい。成毛氏 程度の議論は,中学生でも行っている。問題はその先だ。成 毛氏の見解は,数々の困難の中でも教育や学習の目標「創造 的な個性の獲得」を方便としてではなく,その追求を一貫し て行ってこなかったことこそが,この国の学力後退をもたら したのだ,という我々の認識と全く無縁である。 成毛氏は,“ 文系脳的作品 ”では,「説明しすぎていたり, 冗長し過ぎたりするものが多い。特に文章の場合はそれが 目立つ。いわゆる悪文という奴だ。言葉が多く,何度も同じ ことを説明しているのだから理解は深まって良さそうだが, そこで使われる比喩が独自に過ぎたり,自分が思っているだ けのことなのに断定してあったりして,混乱する」と書いて いる。何か,私の文章が批判されているような気にもなる。 氏は,小林秀雄の『X への手紙』を「小林秀雄の視点に立 ち,同じ問題意識を持ち,彼の陶酔にどっぷり浸かることな ら,これを読んで酔って悪くないどころか,どんどんしたら いいと思う。それは個人の自由だ。しかし,伝える側に立っ た時に小林秀雄を真似るのはやめてほしい。目的は酔わせ ることなのか伝えることなのかはっきりさせ,後者を優先す べきだ」と書いている。 私は,そうは思わない。必要だと感じたら,何度でも,あ らゆる手段で伝えるよう努力するべきだ。独創性や創造性, 強烈な個性は,通り一遍の論理では絶対に伝わらない。真実 を明らかにし,それを伝えるためには,同じ内容のことを, 別の視点や例で説明したり,論理的には不要であっても,聴 衆の誤解や思い込みを解くための努力は普通に行っている ことだ。なぜこんな定理や法則を思いついたのかを表現す ることは,論理的には不要であっても,普通にみんなが行っ ている努力だ。独創性や創造性は,過去の実績からの飛躍 だ,流行の言葉では, し よ う 止揚(アウフヘーベン) である。近年の コミュニケーションやプレゼンテーションの議論は,根本的 に間違っている。人の価値の主軸は,独創性や創造性に大き くシフトしている。全ては,それを助長し,実績を伸ばすよ うに再構築する必要がある。一言で言えば,内容,中身を軸 に,そうした手段を議論しなければならない時だ。形式は, 内容に従属する。 創造的な労作は,その飛躍が大きければ,世の中に受け入れられるには 多くの努力と時間を要する場合がある。ヒッグス粒子の実験的検証は,ピー ター・ヒッグス氏が 1964 年に提唱してから,約半世紀も経ってからだっ た。ヒッグス氏の論文のレフェリーであった南部陽一郎氏が,ヒッグス氏 に新粒子の提唱を明確にするよう助言したことは有名な話である。 「プログラムを書くように文章を書く」ことに反対する気 はない。しかし,「文章を書く」ことも,創造的活動と見なせ ば,分かりやすさを基準に文章を書くことが,常に一番重要 なことだ,とはならない。真実の解明・展開をそのまま表現 することがより重要だ,という判断もあっていいのではない だろうか。成毛氏は,創造性などに全く関心がないようだ。 そんな人が,教育を論ずることなどとても無理だ。 2005 年 (年々の大学の教育レベルの低下に嫌気がして,非常勤講師を止 めようと思い始めたとき),「思うこと」という文章を書いて,信頼していた 十数人の教師に配布した (今から思えば,その 2005 年は,日本の論文の絶 対数が低下し始めた年だ)。その中に次のような文がある。 学生はプログラミングの練習によって何を身につけていくのだろうか。 C(Fortran でも可能)によって,ある程度計算機自身や計算のしくみの 学習が可能だ。これは基礎情報処理の課題の一つでもあり,怠りなく継続 していく必要がある。精度などの問題を出すまでもなく自分が何をやって いるのかをその基礎においてしっかり理解しておくことは,プログラムを 組む人の責任である。また対象を正確に理解しておく,訳も分からずプロ グラムを組み始めるような姿勢は現に慎まなくてはならない。(「流体力学 への有限要素法の適用」の応用力学連合会での発表で起こした) 私たちの ような失敗は避けられない。 それにつけても,最近の「オブジェクト指向」という言葉の意味がよく わからない。真面目に勉強したことがないから,間違っているかもしれな い。研究者,技術者にとって,プログラムすべき課題は明白である。そして その「核」の部分がオリジナルであり,自分の主張である。そのアルゴリ ズムをどう実現するか,でプログラムは始まる。それがそこそこ何とか使 えるかどうかのチェックのためのにその周辺のプログラムを追加する。う まくいけば,現実の課題に答えるように一般化し,付加的な条件も導入し て一つのプログラムとして完成に近づける。「核」となる理論やアルゴリズ ムが先行する。私は一貫してそうしてプログラムを組んできた。たとえ全 体としては一万行 (自動運転のソフトは,一千万行にもなるそうだ) であっ ても,核の部分は 100 行前後だ。ただし,人のためにプログラムを組んだ ことはない。わたしは,プログラマーではない。原子核の構造解析やエン ジンの性能シミュレーションでも自分のために組んだのであり,たまたま, 人にも使ってもらっただけであるから,大きなことが言えたがら柄ではない。 しかし,プログラミングのプロを養成するのならば,「オブジェクト指向」 もいいだろうが,そんなものを一般の研究者や技術者に押しつけられては たまらない。学生のプログラムの授業においても,何がしたいかを明確に し,ぎらぎらした欲望をどう表現するかに徹して考える,この方が理にか なっており,おもしろいのではないか。他との調整は適宜改善すればよい。 プログラミング技法など関心はない,あえて言えば技法を自然と教えてく れるような良いプログラミング言語を選んでおけばよいのではないか。ブ ランド品をいっぱい身につけた中身空っぽでふらふらしている人より,少 しでも知恵を働かして何か新しいものを作る人の方が好きだ。やっぱりわ たしは「教師−首!」なのかな。 成毛氏は,管理職として優秀なのかもしれないが,これか ら必要とされる人間,「創造的な個性」,その象徴である学者 的,研究者的な人間像とは,かなり離れているように感じ
る。少しずつではあるが,これからは,競争と利益のための 瞬間芸ではなく,全ての人に,安定性・継続性と発展性を両 立させる創造的な活動が求められる。特定の人が経営や管 理職を続ける,という時代ではなくなる。 第 5 章の「理系脳を磨くライフスタイル」は,お粗末の 極みだ。「最新の iPhone を使い続けよ」など,勝手なこと だ。自分がいいと思い,経済的に余裕があれば買えばよい。 スマホや SNS などなくても,情報の収集は可能だ (即時的 な対応を要する課題には,不可欠なのかもしれない)。それ に代わる手法を身に付ければよい。スマホやタブレットで, あれやこれやの発案,瞬間芸はできるかもしれないが,学 問はできない。今考えなければならないことは,この国の 学力が後退していることである。我々が身に付けねがならな いことは,他の人と比べ,一日や二日の遅れで,決定的な 差が出てくるような課題に対応する能力ではない。現在は, そうした競争,ミクロな課題ばかりが強調され,本質的で重 大な課題には,無力となりがちだ。科学は,検証可能性,す なわち普遍性,一般性をその基礎に於いている。瞬間芸は, 学問に馴染みにくい。学力は,分かりやすく言えば,学問を する能力だ。利益を出すことではない。 成毛氏は,3 人のシリコンバレーの“ 成功者 ”は,いずれ も米国の超一流の大学の出身者であること,経済学部でも 高等数学が必須であることを無視している。基礎科学抜き には,現在の創造性は殆どあり得ないのだ。一方,利益は瞬 間芸による部分が多い。 成毛氏は,学習や教育について提案をしているが,やり 方は色々あってもよいし,それを否定する根拠もない。しか し,いずれのやり方も,幼稚な提案に過ぎない。それは,現 在の「知の在り方」の質的転換を全く無視しているからであ る。 上に引用した「思うこと」には,次のようなことも書いている。 教科終了時の学生アンケートは今やあちこちで行われています。しかし, 思い出してほしい。あなたが本当に自分が力を付けた分野,非常に興味が わいてきた分野などで,講義を聴いた直ぐあとで「講義が十分理解できた」 などと感じたことがあっただろうか。学問は「飛躍」であり,講義はそれ の準備をするだけであり,そこに到達するには,講義を受けてから何ヶ月, あるいは何年か後に「あーそうだったのか」とわかるのではないだろうか。 講義を受けて後の自己研鑽が理解を深めるのであり,ノートや教科書を見 直し,演習問題をやり,他のテキストに接したり,あるいは新しく現実(実 験,データなど)に接して理解が深まるのではないだろうか。だるまのよ うに腕を組んでじっとしているだけで何かを理解できるほど人間は便利な 生き物ではない。科学は緻密な論理,信頼できるデータから構成されるの だろうが,進歩にはなにがしかの「飛躍」が決定的であり,その理解もそれ に従属する。「学習」の運動法則を無視した施策は百害あって一利なしだ。 (「思うこと」は,その当時の私の教育論を書いたつもりだ。認識に おける「飛躍」を重要視し始めたのもそのころだ。教育や学習,一般に認 識は「力学系」であると書いている。しかし,残念ながら,そのモデルに は,「飛躍」を適切に組み込んではいない。「思うこと」を検討してやろう, と考えて頂けるならば,全文を pdf ファイルで送ります。メールでご連絡 ください。) 教育や学習を認識の進歩と理解すれば,学問や認識には 「飛躍」が重要である,という『春夏秋冬』の主張は,不変 であり,これを軽視した教育や学習は似非教育である。 2 面白い文章に出会った。 「イノベーションを支えるのは実は『文系』 シリコンバレーの投資家が語るスタートアップの真実」 日経ビジネス ONLINE 2017/8/1 今の時代,文学や哲学といった「文系」の科目ではなく,STEM(科 学,技術,工学,数学)という言葉に代表される「理系」を勉強しないと 就職やキャリア形成に不利だという声がよく聞かれる。実際,文系の学部 の廃止を検討する大学は増えている。子供のうちからプログラミングを教 えようと考えている親も少なくない。 文系の肩身は狭くなる一方だが,シリコンバレーのベンチャーキャピタ リストはそんな今の風潮に異論を唱える。イノベーションを起こしてきた のは必ずしも理系のエンジニアではなく,現実の社会やビジネスにおける 課題を知る文系。彼らとソリューションを知る理系のコラボレーションが 社会を変えるのだ――と。
全米で話題の新刊,『The Fuzzy and the Techie: Why the Liberal Arts Will Rule the Digital World』の著者,スコット・ハートレー氏にイノ ベーションにおける文系の役割を聞いた。(篠原匡,長野光) として,著者へのインタビュー記事が掲載された。私も,原 著を読むべきだが,まだ読んでいない。非常に関心があるこ とだから,インタビュー記事の要約を巻末に示す。 10 年位前までは,私の専門分野以外のものでも,字引を引きながら,何 とか読んできた。特に,
The Dark Side of the Force
Economic Foundarions of Conflict Theory Jack Hirshleifer 著
は,最も印象に残る専門外の洋書だ。序文以外のところの展開は,極めて 数学的なものだから,理解はできたつもりだ。しかし実際のところ,翻訳 がなかったから仕方なく,読んだに過ぎない。
『The Fuzzy and ・・・』はアマゾンで,ハードカバーなら 3028 円, ペーパーバックスで 1902 円,とりあえずペーパーバックスで予約注文し た。この原稿には,間に合わない。 内容は,巻末の資料を見て頂くことにして,重要なことは, シリコンバレーのベンチャーキャピタリストは,現代的な 問題は,実は他の領域,他の学問に根ざしており,リベラ ルアーツ(一般教養)をしっかり勉強している ということ だ。 教育とその成果を,A から B に行く ”チケット ” ではなく,世界中の国を訪れる ”パスポート ”と して捉えるべきではないでしょうか。 スコット・ハートレー氏の含蓄豊かなこの指摘は,現在の 教育に大きな反省を うなが 促 している。数学,科学,プログラミ ング,語学,哲学,などの修得は,解を得るための技能では なく,問題性を自らのものにするための能力・資質と理解す るべきだ,と解釈できる。逆に,現在の日本の多くの教育や 学習は,そうした技能習得に重点を置き,結果として,現代 が必要とする学力が後退しているのだ。 スコット・ハートレー氏の考えを成毛氏の“ 理系脳 ”と比 較してほしい。成毛氏は,彼の“ 理系脳 ”志向によって,「ク
リエイティブな仕事」ができるようになる,と言っている。 スコット・ハートレー氏は,創造的な仕事の基礎は,リベラ ルアーツにあると言っている。リベラルアーツとは,簡単に 言えば,あるゆる分野の基礎学力のことだ。さらに重要な ことは,成毛氏の“ 理系脳 ”は,脳あるいは知的能力におい て,ご都合主義で,明確な概念が規定されていないことだ。 内容は空虚であり,科学的認識とは無縁の世界のものだ。 しかし,成毛氏の“ 理系脳 ”に全く価値がない,という ものではない。その“ 理系脳 ”のメリットを活用して,上手う ま く世渡りできたり,経営を成功させることもあり得るのだ。 即ち,成毛氏が身に付けた処世術である。成毛氏は,自ら が“ 成功者 ”であると考えており,その“ 生き方 ”を“ 文系 脳 ”の我々に教えてくれているのだ。それは,法則とか原則 とか真理というものではなく,そうすることで君も“ 成功者 になれるかもよ ”,と言っているのだ。人の生き方は,自由 だ。しかし,その自由を基礎に,他の人の生き方を否定する 権利は,誰にもない。 しかし,私たちの関心の中心は,教育・学習であり,その 主要な内容である科学にある。受験対策や進学・就職,ある いは何らかの直接的利益を得ることではない。もちろんそ れらも極めて重要なことであり,首尾よくそれらを達成しな ければならないが,それらは,教育・学習の目標ではない。 教育・学習の目標を達成することによって,当面は受験に, そして最終的には将来の生活,特に労働において大きな成果 を得ようと期待している。これが教育・学習の目的だ。人の 働きは,必ずしも,働く人の利益をもたらすものばかりでは ない。むしろ,ますます,利益とは反する傾向の労働が増加 している。そうした労働をすることを容認,あるいはもっと 積極的に推進するかどうかは,社会の問題である。社会の価 値観やあり方が決めるものである。現状の社会の価値観で, 利益を得るかどうかを確定し,それに有効に適応する能力, すなわち利益を出す能力,と固定することは,教育・学習の 目標と大きく離れている。 現在の医療・福祉や教育は,利益を出すことを至上命題と して,組織されている。結果は,惨憺たるものだ。患者をまも護 る病院は,ことごとく経営危機,さらに倒産に至っている ことは,国民みんながよく知っていることだ。皆が“ 進学実 績 ”によって評価を高め経営を安定させようとした結果が, 学力後退をもたらした。 3 データは既に十二分に揃っている。この国の教育の成 果としての「学力」はあらゆる面から見て,大きく後退して いる。教育は完全に失敗していたのだ。巻末の資料にも目を 通しておいてほしい。危機は,日に日に深まっている。 国際的な大学ランキングや PISA のランキング,文科省の学力テストな どは,学力評価と全く対応しない。ここで大学ランキングをも資料とする のは,大学ランキングの低下は,日本の大学の学力レベルの後退の一要素 である,という視点で取り上げているに過ぎない。新興の THE 上位大学 では,まだほとんどノーベル賞受賞者を輩出していない。さらに,これから どう発展するのか,私には見えてこない。「金を出せば,成果が出る」と思 うのは勝手だが,日本のノーベル賞受賞者のほとんどは,欧米の先進国に 比べ,かなり劣悪な環境の中で,大きな実績を出した人たちだ。ひも付き でも,金をチラつかせれば,何とかなる,など全く歴史を無視した考えだ。 その基本的構造は,教育や学習の目標を,「短時間で,与え られた定型の課題に正答する」という訓練にわいしょう矮 小 化し,教 育や学習の本来の「創造的な個性の育成」という「目標」か ら大きく逸脱した結果である。国内の受験偏差値がいくら 向上しても,学力は低下の一途をたどる。 受験偏差値で示される能力の基礎となる入試問題は,その ほとんどの部分が既に AI が完全に瞬時に正答する。全米の クイズ王が,AI のワトソンに完敗したのは有名な話である。 人は,その解答が,人が出した答えなのか,AI が出した答 えなのかさえも分別が困難になりつつある (こうしたチェッ クを,チューリングテストという)。そうした能力は,人ら しく生きるためにはある程度欠かせないが,現在ではそれ を人の能力として評価する基準にはなり得ない。要するに 知性を身に付けるのに必要な基礎訓練と知性があることと は全く異質の次元の問題となってしまった。多くを知るため の努力,多くの課題を的確に処理する訓練は,動物としての 人の能力として重要であるが,それだけでは,現代の人間 としての評価には,全く結びつかない。それらは,機械が行 える。人は,過去の人たちが築いてきた人の能力・文化など を守るだけでなく,さらに深め発展させる能力がなければ, この社会を維持・発展させることはできない。人こそができ る創造的能力を発揮することなく,人の社会を守ることはで きない。戦後,新憲法に準じて定められた教育基本法におい て,また第一次安倍内閣の下で行われた改訂教育基本法にお いても,教育・学習の主要な目標が,「創造的な個性の育成」 であることに全く変わりはない。にもかかわらず,この国の 教育は,各種の受験教育にシフトし,この 40 年ほどは,指 導要領に即して,教育レベルの低下を強行してきた。文部省 が政策官庁として脱皮し始めたころから,教育レベルの低 下が始まっていた。そして,大学入試の共通一次テストが始 まったころから,学力は大きく低下の一途をたどり始めた。 分数計算ができない東大生が,何割もいる,という実態 が報告されてから久しい。もちろん彼らが,大学受験時に, 分数計算ができなかった,とは信じがたい。技能としての分 数計算も,1 年も過ぎれば,全く脳にはその痕跡もなくなっ ていたのだろう。分数計算ができなくなっていること自身は それほど重要なことではないが,間違った答えをいつまでも 修正できないとするならば,これは重大な障害である,と判 断せざるを得ない。なぜなら,「技能の低下」が「学力の低 さ」を露呈したことになるからだ。 多くの場合,学力は技能訓練に付随して獲得されている。 何事によらず,合理的な訓練なくして,能力は獲得できな い。しかし,訓練は,目標に寄与するように行わねば,そこ で獲得された技能は,短時間に減退し,高度な認識を困難 にする。学力には,結びつかない。一般に,「ドリル型学習」 が批判されるのは,そういう意味だ。こんな問題が解けるよ うになったからと言って,それは必ずしも学力が向上したこ とにはならない。『春夏秋冬』では,「東ロボ君」プロジェク トリーダーの新井氏が「ドリル型学習」を批判していること
を何度も紹介した。新井氏は,「偉大な数学者は,暗算計算 が苦手だ」とも言っている。 考える力を付けようとすれば,「考える」ことに執着しな ければならないことは自明である。何もわからないことを知 ろうとするとき,過去に知られたやり方をいくら繰り返し て練習しも,それだけでは何も得られない。過去を通して, 「考える」ことを学ばねばならない。それは,ドリル型学習 とは大きく異なる。受験対策は,ドリル型学習と同じ軌道を 歩んでいる。そして,受験が終われば,最低の技能も頭から 全て抜けていく。 漢字を覚えることは,いくらかの救いがある。漢字はその意味を考えな がら,覚える。歴史を考えながら覚える。身近な現実を考えながら覚える。 そして,言葉の一部だから,思考に貢献する。頭の体操の優れた道場でも あるのだ。 それに比べ,分数計算で,殆どの人は,分数の意味 (割り算の定義と言っ てもよい) を考えて計算していない (『中学数学基礎』には,中学生にはこ れくらいは理解しておいてほしい,というレベルの話をきっちり書いてい る。是非,参照頂きたい)。現状の中学・高校の数学は,学習の目標とは完 全に乖離している。電卓や Wolfram Alpha でやれば十分だ。大学卒業ま で,そんなことをやっている。先月号で書いたように,曽野綾子氏は,中 学・高校の数学で二次方程式など止めてしまえ,と主張したことを紹介し た。私も,現状では,大半の生徒にとって,中学・高校の数学など止めて も全くその人の能力に関係ない,と考えている。それほど現状の“ 教育 ” は,堕落しているのだ。 相変わらず,「**大学**名合格」,「**高校**名合 格」,「**中学**名合格」などが塾,予備校だけでなく, 学校の宣伝文句になっている。こうしたことが続く限り,あ るいは教育の真似事,ま ね ご と「似非教育」が続く限り,この国の学え せ 力後退は一層深刻化する。どうせ創造性教育を放棄するのな らば,世渡り上手を指南する成毛氏の言う“ 理系脳 ”を目標 に努力する方が得策だ,という話になる。“ 理系脳 ”は幻想 だが,一部の人には,心の支えになるかもしれないからだ。 一つの基礎科学における研究成果,一つの新技術の開発 においては,創造性は明白に姿を現し,世界で初めての認 識,世界で初めての技術が何個もそこに含まれる。細かく 見れば,一つの論文には,何個もの独創性・創造性がそこに ある。そして,科学者・技術者は,その創造性を獲得する には,自らのどんな学力が役立ったのかをよく理解してい る。基礎科学研究や新技術開発は,人の創造性の典型的な場 となっている。人の創造性は,科学研究や技術開発の場だけ で,発揮されるものではないが,これからの人の「知の在り 方」の典型を示している。 多くの教育に携わる人に尋ねたい。君は,どんな創造的な 活動,成果を出したことがあるのか,と。自らが,創造的な 活動,あるいはその成果に臨場したことがない人が,若者に 創造性教育ができるとでも,考えているのか,と。マニュア ルの伝達は,機械でもできる時代だ。教育の自動化は,これ からどんどん進む。コミュニケーションツールとしての語学 学習は,日に日にその価値が低下している。ましてや,現状 の入試に対する入試対策においては,教師の無用化がどんど ん進む。「知の在り方」の変化に即して,「教師」は大きく変 わらねばならない。日本の学力後退は,主要には,この社会 が時代に即応していないことによるが,その上に安住して いる多くの教育関係者の怠慢にもよると言わざるを得ない。 曽野綾子氏が言う通り,現状の多くの中学生や高校生に,現 状のように二次方程式を教えることは,公教育で不可欠の 「教育」ではないのだ。殆どの生徒にとって,中学・高校の 数学の授業は,「教育」ではなくなっている。そろばんや多 くの習い事,知的ゲームと何ら変わらない。他のものに取っ て代ることが十分可能なのだ。教師とは,教育を行う人だ。 4 しかし,世の中,私たちと同じように考える人は,む しろ少数派である。多くのことを書くつもりはない。私たち と違う考えを述べ続けている人たちの本を2つだけ示す。 「受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る」 林修著 集英社文庫 2015 年 10 月 「受験学力」 和田秀樹著 集英社新書 2017 年 3 月 和田氏は,20 年度大学入試改革は,全大学が AO 入試化,経 済格差を後押し,従来型の入試で養われた計画性,探求力 が犠牲になる恐れがある,と主張している。和田氏の主張 は,日経 ONLINE でも行われ,国語ゼミの教材の一部とし て,塾生にはプリントで配布した。 多くの人が,そうした考え方をしている,ということを しっかり理解しておく必要がある。その代表の二人は,いず れも東大出身者であり,一貫して受験産業で働く人である。 受験産業は,受験競争の上に成り立ち,入試がどのように変 化しても,明確な競争の形態を必然とする考え方しか採用で きない立場の人である。もっと端的に言えば,多くの人たち は,そうした受験競争を あお 煽り,そこで利益を得ることを主要 ななりわい生業とする人たちにリードされた考え方に従属している。 本来,公教育の歴史と発展にとって,受験は必ずしも不 可欠の要素ではなく,現在では,主要には,教育を受ける人 たちを選別し,各種格差を維持・拡大する目的で行われてい る。教育の機会均等は,それぞれの個人の個性や成長に即し た教育を行うことであり,それを,共通したテストによる選 抜やそれに向けての“ 受験勉強 ”などによって達成できるな どあり得ないことのはずだ。 和田氏は,一貫して,筆記テストの合理性を説いている。 それが現行の AO 入試や怪しげな選抜法より相対的に機会 均等により近いやり方である,ことは事実である。しかし, 繰り返すが,そこで展開される「知的能力」は,現在では ほとんどその価値が消失しつつある。受験勉強に徹すれば, ただ単なる「バカ」になるだけである。ここで言う「バカ」 とは,教育の目標である「創造的な個性」を持たない人のこ とだ。教育目標は,高い偏差値や単なる物知り,定型化され た課題に短時間で解答する能力を持つことではなく,現実の 課題に対して,人こそができる対応,創造的な能力の育成で ある。いくらクイズ番組で多くのことに答えることができ ても,そうしたことは,既にコンピュータあるいは AI には 勝てない。林先生や和田氏は,極めて優れた知的能力を持っ ており,さらにそのキャラクターは間違いなく愛すべきもの
である (演技者として優秀である) が,その主張は,結果と して極めて悪質なものと言わざるを得ない。 この国の若者や教師が怠けている訳ではない。しかし,(標 準的な) 教育レベルは,この 40 年大きく後退し,この 15 年 では,この国の学力後退による各種の弊害があらゆるとこ ろに現れだした。この学力後退を食い止め,教育・科学技 術・文化立国の道を歩まねば,この国の凋落は日常生活にま で及び始めるだろう。科学技術は,一昔前のようないわゆる 「理系」に限定したものではない。文系と理系は,現在では 限りなく重なる部分が増大しており,その境界は消失しつつ ある。科学技術は,人類が獲得し,しかも最も発達した文化 である。そこに,人の創造的な活動の源泉がある。受験競争 などに関わる余裕は,この国にはない。 個人は,それでも生き抜かねばならない。日本のロケット開発の父と言 われた糸川英夫氏は「大学受験勉強は 1 年以内」と言っていた。長ければ 長いほど,その弊害は大きいからだ。浪人生活は絶対に良くない,と言っ ているのではない。数は少ないが,人によっては,この大学でなければ学 習できない,という大学・学部・学科もあるはずだ。 しかし,現在では,専門教育は殆ど大学院に移行している。多くの場合, 無理をしないで,大学院入学で雪辱を果たす,という選択が合理的な場合 が多い。特に“ 東大 ”にこだわる必要はない。むしろ大学は,地域の大学 を選択する,という偏差値とは別の原理の方が重要になりつつある。 本来,小・中・高校も,地元の学校へ通うのが最適であるはずだ。教育 は,出来上がり,マニュアル化されたコンテンツを児童・生徒に伝えるこ とではない。それだけなら,学校など要らない。各個人が創造的な能力を 獲得する長い道のりの中のそれぞれの過程である。橋爪大三郎氏は,「大学 は,単なる通過点だ」と言った (『春夏秋冬 299 号』)。なおさら,小・中・ 高校では,その意味合いが強い。地域は,充実した小・中・高校を展開す る責任がある。教育基本法は,そのことを定めている。 ──────────────────────────
速さと位置,力学的エネルギー
────────────────────────── 1 一般に,加速度,速度,位置の関係を議論することを 運動学 (kinematics) と言う。 中学では,一次元の運動 (必ずしも直線ではない) を取り 扱う。 まず,時々刻々と変化する速度で進んだ時の進んだ距離の求 め方を考える。 時刻 t[秒] が t = taと tbの区間を巾 ∆ti(i = 1, 2,· · · , n) の 小さな区間に分割し,各区間ではその区間の適当な速さ vi を用いて進んだ道のり vi∆tiを求め,これらを加え合わせれ ば,ta[秒] と tb[秒] の間に進んだ道のりが得られる。 ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... .... ... ... ... ... ... ... ... ...... ...... ...... ... . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ... ... ... ... ... ... ... . ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... . ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... .. ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... .... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... .. ...... ... ... ... ... ... ... ... . O ta tb t[秒] v[m/秒] 厳密にはこれをいくらでも細かく分割すれば,いくらでも 正確に求まる。すなわち, t = taと tbの間に進んだ距離は, 速度のグラフと t = taと t = tbおよび t 軸 で囲まれた面積に等しい。 である。 中学では,運動の区間を区切れば,速度 v[m/秒] は一定 の割合で変化する,すなわち,加速度 (acceleration)a[m/秒 2] は一定の場合のみを考える。したがって,その区間の中で は,時間 t[秒] の,速度 v[m/秒] は, v = at + v0 ・ ・ ・ (1) と表すことができる。v0は時刻 t = 0 の速度である。 ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . O at + v0 v0 t v t (t, at + v0) v = at + v0 進んだ距離は x = 1 2at 2+ v 0t したがって,時刻 t の位置 x は, x = 12at2+ v 0t + x0 ・ ・ ・ (2) となる。ただし,x0は,t = 0 における位置を表す。 (1) を変形すると, x = 12a(t +va0)2+ x 0− v2 0 2a ・ ・ ・ (3) (3) は,x = 1 2at 2を t 軸の方向に−v0 a,x 軸の方向に x0− v2 0 2a だけ平行移動したグラフである。 ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... • ... x1 ... x2 ... ... ... ... ... ... ... O t x x0 t1 t2 • t1+ t2 2 M x =1 2a(t + v0 a)2+ x0− v2 0 2a 中学数学では,二次関数では,2 点間の平均の傾きは,そ の中点での接線の傾きに等しいことを学ぶ (『中学数学基礎』 を参照してください)。即ち t1と t2における平均の速さ xt2− x1 2− t1 = 時刻t1+ t2 2 における瞬間の速さ である。 2 それでは逆に,加速度が一定の直線運動であることを 調べるにはどうすれば良いのだろうか。 時刻 t = 0 で静止している物体が加速度 a の直線運動をす ると,時刻 t では y = 12at2のところにきている。いま,t よ り d だけ前の時間 t− d と,t より d だけ後の時間 t + d で の位置を求めると,a(t− d)2/2 at2/2 a(t + d)2/2 それらの間の距離は a(2dt− d2)/2 a(2dt + d2)/2 となる。さらにこれらの差 (第2階差) をとると ad2すなわ ち,差を2回繰り返すと,t の値に関わらず一定値になる。 これを d2で割ったものが加速度 a である。逆に差を2回とっ て,値が一定になると,加速度が一定であることを意味す る。 〔例題1〕 「静止していた物体を滑らかな斜面にそって 滑り落とさせる。手を離した時刻から 0.1 秒毎に落下距離 (cm) を測定したら, 0.0 1.5 6.0 13.5 24.0 37.5 54.0 · · · となった。加速度はいくらか,また 0.7 秒後の落下位置は何 m か。落下をはじめてから 0.5 秒後の速さは幾らか。」 t 0.0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 · · · x 0.0 1.5 6.0 13.5 24.0 37.5 54.0 x の階差 1.5 4.5 7.5 10.5 13.5 16.5 第2階差 3.0 3.0 3.0 3.0 3.0 第2階差を計算すると,確かに一定の 3.0 となる。し たがって,加速度を a とすると ad2 = a× (0.1)2 = 3.0, a = 300[cm/s2]=3.0[m/s2] となる。初速度,最初の位置はど ちらも0と考えられるから,x = 12at2= 1 2 ×3.0× (0.7) 2= 0.735[m]。速度は v = at = 3.0× 0.5 = 1.5[m/s]。 加速度が一定の一般の直線運動は x = 1 2at 2+ v 0t + x0のような t の2次式で表される。この場合も,第2階差は一定で,加速度との関係は, 時間間隔 d を用いると ad2 となる。これより加速度を求めればよい。ま た,初期の位置 y0は t = 0 の位置から,初速度 v0は適当な t について, x =12at2+ v0t + x0とデータが一致するように決めればよい。 3 図1のような摩擦のない斜面を滑ってきた物体が,摩 擦のない水平な台上(この面をA面とする)を右に進む。こ の台は途中から摩擦のある面(B面とする)に変わる。次の 各問いに答えよ。(東大寺学園高) 図1 ...... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... A面 B面 (1) 斜面を滑っている物体の運動を 1 60秒ごとに打点するタイマーで記 録した。図2はその打点を示したものである。物体が滑り始めたところが はっきりしないので,X0と記したところを原点とした。その原点 X0か ら6打点ごとの位置に X1, X2,· · · と記号を打った。表は X0から測った 各記号までの長さを示してある。 図2 · · · · · · · · · · · · · · ······· X0 X1 X2 表1 位置 X1 X2 X3 X4 X5 X6 X0からの長さ (cm) 10.0 21.0 33.0 46.0 60.0 75.0 1 ⃝ X1の間の物体の平均速度は何 m/秒か。 2 ⃝ 各記号間の長さから⃝のように平均速度を求め,グラフにすると図3の1 ようになった。階段のようなグラフは物体の実際の速度の変化を表してい ないが,各平均速度の中央を線で結ぶ直線が物体の実際の速度を表すこと になる。 図3 ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...... ... ... ...... ... ... ... ...... ... ... .. ... ...... ... ... ... ... ...... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... t0 t1 t2 t3 t4 t5 t6 t7 物体の速度 時刻 物体が X0 を通過した時刻 t0 を0秒とするとき,Xnを通過した時刻 tnは何秒か。n を用いて表せ。 (2) この物体が水平なA面を滑っているときの打点は,ほぼ等間隔で, 4.0cm であった。 1 ⃝ A面を滑る物体の速度は何 m/秒か。 2 ⃝ 物体が X0を通過してから何秒後にA面に達したか。 (3) この物体がA面を水平に進んできてB面の上に乗った。この瞬間か ら,物体には速度に関係なく一定の摩擦力が働いた。そして,物体は一定 の割合で減速して,B面に乗ってから 4.0 秒後に止まった。この物体はB 面の上を何 m 滑ったか。 (1) X0から X1までの距離は 10.0cm=0.1m,かかった時間 は 1 60 ×6 = 0.1(秒)。したがって平均の速さは 0.1 0.1 = 1.0m/ 秒 また,t0,t1,· · · の間隔は 0.1 秒より,tn = 0.1n (2) A 面では等速直線運動をしており,1 60秒間に 4.0cm 進 むから,速さは 0.04÷ 160 = 2.4(m/秒) t = 0.05 秒の時,速さは 1.0m/秒,0.1 秒間に速さは 0.1m/ 秒ずつ速くなるから,加速度は a = 0.10.1 = 1.0(m/秒2) であ り,t 秒での速さは v = 1.0(t− 0.05) + 1.0 = t + 0.95(m/秒) である。したがって,A 面に到達する時刻は,t + 0.95 = 2.4, t = 1.45(秒) (3) B 面上で静止した時刻を0秒として,左に加速度 b で B 面の最初の点に到達する,と見なしても同じだから,4.0 秒 で,2.4m/秒に達したとして,b× 4.0 = 2.4,b = 0.6(m/秒 2),進んだ距離は 1 2bt 2=1 2 ×0.6× 4 2= 4.8(m)。 (1)⃝1.0m/秒,1 ⃝0.1n,(2)2 ⃝2.4m/秒,1 ⃝1.45 秒,(3)4.8m2 原理的な難しさはどこにもない。しかし,一つ一つの作業を間違いなく 完璧に行うことは,かなり難しくなる。したがって,式 (1),式 (2) を使っ て,簡単に解いてみよう。 t = 0 X0 x0= 0 ・ ・ ・ ⃝1 0.1 X1 12a× 0.12+ v0× 0.1 + x0= 10 ・ ・ ・ ⃝2 0.2 X1 12a× 0.22+ v0× 0.2 + x0= 21 ・ ・ ・ ⃝3 これを解いて,x0= 0(m),a =0.011 (cm・秒2) = 1.0(m・秒2) v0= 95(cm/秒)= 0.95(m/秒) したがって,x = 1 2t 2+ t (m) , v = t + 0.95 (m/秒) B 面に差し掛かった時間を tbとし,B 面での加速度を b とすると, v− 2.4 = b(t − tb) で,t = tb+ 4 で v = 0 より,b =−0.6(m/ 秒 2)。よって ,v = −0.6(t − t b) + 2.4(m/秒 2), 進 ん だ 距 離 は ℓ =1 2 ×4× 2.4 = 4.8(m)