日本 ファシズム体育思想 の研究
(Ⅲ
) 保健体育科教育教室 入 己 はじ
め
に 本稿 では日中戦争の開始 (昭和12年
)か
ら太平洋戦争の勃発 (昭和16年)ま
での段階 にお けるフ ァシズム体育思想 を考察する。 この段階は人的資源開発政策,国
民総動員運動,新
体制運動 など全般的なファシズム体制 の強化 に呼応 してあらゆるファシズム体育 のイデオロギーが動員 され,展
開 されていった。 それ らの フア シズム体育論 には意志的体育論,労
作主義体育論,国
民学校体育論,皇
道主義体育論,
日本主義ス ポー ツ論 などがあるが,い
ずれ もさまざまなファシズム・ イデオロギーに追随 した独善的,非
体系 的な論理 によってつらぬかれている。この段階における百花争鳴 ともいえるファシズム体育思想 は, 昭和16年以 後の全体 としての「日本体育道」思想へ と凝集 してい くが,一
応 この段階 をフ ァシズム 体育思想へ移行する第2段
階 としてみることがで きる。3,日
中戦争の開始 とファシズム体育思想の確立1.
ファシズム体育制の強化(1)広
田,林
内閣のファシズム体育政策 軍内部の皇道派 と統制派の対立,抗
争 は昭和11年の2.26事
件 による急進的な皇道派の敗北 に と もなって統制派 を中心 とした軍部 ファシズムが確立す るにいた った。 その結果,国
体明徴運動 を通 して軍部の政治的権力 ならびに発言権 は,軍
部や在郷軍人等のイニシアチプの もとに次第 に強化 さ れていった。 こうした状況のなかで昭和m年
3月 9日 に「庶政一新」 を政策理念 にかかげた広 田弘 毅内閣が成立 し,文
相 には平生卸こ郎が就任 した。平生文相 は,内
閣調査会の答申に もとず く学制 改革案 を同年6月10日に発表するとともに,同
年 8月25日には「庶政一新」のスローガ ンを具体化 した「七大国策要綱」を発表 した。 この要綱 は主に(1)国防の充実,鬱
)教育 の刷新 ならびに改善が中心 になってお り,「国防の充実」ということのなかには国防の基本方針である北進政策 と同時 に,南
進 政策 をもぶ くめ,今
後 なお一層国策の樹立 をはか ってい くとい う重大な意味が こめ られていた。 これ は裏 を返せばたんにソビエ トのみならず,英
米 をも敵 として国策が想定 され,全
面戦争 に向 けての方針を意味 していた。「庶政一新」とは,全面戦争のための高度国防国家体制の基本理念 にほ かな らなかった。 また この「七大国策要綱」とともに,昭
和11年 12月 6日 には教育の刷新改善策 として教育 内容 の全 面的な改訂の方針が明 らかにされたが,そ
の基本方針は(1)国体観念の明徴,鬱)児童の能力 に応 じた 教材配 当,(3)低学年における合科教育,“)作業教育の強調,(5)郷土教育の重視,(6)体育 の合理化,(7)情 操教育 の徹底,(81理科教育 の改善,19)数学の実用化 というものであった。 これ らの方針 は一瞥 して 克 江入江克己:日本 フ ァシズム体育思想 の研究 (m) 明 らかなように大正 自由教育の方法的成果 を吸収 しなが ら国体観念の注入 を柱に小学校段階 にお け る基礎教育 と体育 の充実
,さ
らには教育 内容の全般的なファシズム的再編 を企てようとす る もので あった。 さらに文部省 は(1)国防の見地,(動青年期 における教育 の重要性,(3)産業上の見地,14)教育 の機会 均等 とい う観点か ら義務教育年限の延長 を(8年
制)を
示唆 したが,
これは「将来の戦争 は戦闘方 式の変更 に併 い一兵卒 と雖 も自己の判断により適宜 に行動す る必要が一層力日わ り,近
代兵器 の進歩 は之 に応 じた科学的知識の普及 を必然 に要求す る。更 に又将来の戦争 は第一線 に活躍する軍人 のみ の戦争ではな くて,国
民全体の戦 として国家総動員 を必要 とす るであろう。従 って国民一般 に対 す る国家的意識の深化,体
位の向上及知力特 に適当な判断力の養成,科
学的知識の普及等 は,国
防力 の増進か ら見て一 日も忽 にすることを許 さ溶とか らにほかならない との認識 によるものであ り,国家 総力戦 に即応 した教育 の立て直 しをめざす ものであった。 しか し,平
生文相 によるこれ ら一連の学制改革案 も軍部 との衝突 による広田内閣の亙解 (昭和12 年1月 23日)と
ともに立 ち消 えとなった。かわって昭和12年2月 2日に登場 したのは俗 に軍部 の ロ ボッ ト内閣 とさえいわれた林銑十郎 内閣で あつた。 この林 内閣 はその政策の主眼に「祭政一致」 を おき,政
党 内閣制 の否定,行
政権 の強化,統
師権の独立,さ
らには軍部大臣武官専任制 といったい わば軍部独裁の方向を打 ち出す一方,自
らも外相 と文相 を兼任す るとい う独裁ぶ りを示 した。 この従来 にない極 めて濃厚 なファショ的色彩 をもつ林内閣の教育政策 は,教
学刷新評議会 の答 申 を実現 することを主眼 とし,そ
の具体化のために昭和12年9月 8日に日本諸学振興委員会 を設置 し たのである。 この委員会 の目的は,ほ
かで もな く「国体,日
本精神 ノ本義二基 キ各種 ノ学問 ノ内容 及方法 ヲ研究批判 シ,我
ガ国独 自ノ学問文化 ノ創造,発
展二貢献 シ延テ教学 ノ刷新二資スルとことに あった。 これ と同時 に文部省直轄の各大学,高
専のほか公私立大学,専
門学校等で「 日本文化講義」 ――別名国体明徴講座―― が実施 されていった。 こうした林内閣の ファシズム教育政策が急速 に進 展するなかで内閣審議会の廃止 (昭和■年 4月)の
後,国
策 に関する総合的な企画機関 としての機 能を独 自に果 していた内閣調査会は,昭
和12年5月 には企画庁 に再編成 され る一方,昭
和12年 5月 に内閣資源局 は「国家総動員準備 の概要」 を発表 した。 これはいわゆる人的資源開発政策の構想 を 明 らかに した ものであったが,そ
の概要 は,人
的資源 とい うものの考 え方について「国力 の要素た るもの,即
ち一国存栄 に資すべ き源泉 を資源 と謂 う。分 って人的資源及物的資源 と為す ことを得 よ う。其の人的資源の育成,物
的資源の開発 こそは,実
に一国存栄の要諦であ り,国
民福祉の条件 で ある」 といい,し
たが って「道徳の善美たることも寧 ろ最 も根本的なる有用の資源」であるととも に,「資源 に関す る問題 は,畢党之 を如何 にして育成開発すべ きかを以て,最 も重 しとすべ きであ り, 資源保育 の問題 は,正
に資源問題 の核心であると言わねばならぬ?と述べている。 また陸軍省 もや はり昭和12年5月29日に昭和16年までに基幹産業 を計画的に振興すべ きである と した「重要産業五年計画」を発表 し,「帝国 ヲ主体 トスルモ克 ク日満 ヲー環 トスル適地適業 ノ主義 ニ 則 り且 ツ国防上 ノ必要 ヲ顧慮 シ所要産業 ヲ努メテ大陸二進 出」 させ,同
時 に「最モ必要 卜認 ムル資 源 ヲ選 ヒテ 日支提携二依 り北支ノ資源 ヲ開発 スルニ努 ム甲べ きであるとしている。 この人的資源論 という合理主義 と日本 フ ァシズム理念が もつ非合理主義 との矛盾 についてはすで に指摘 しておいたが,
こうしてあ らゆるファシズム政策が人的資源開発 に向けて次第 に凝集 しは じ め,高
度 国防国家体制への再編成が急速 に進行 していった。 しか しなが らこの林内閣 も昭和12年4 月の総選挙の結果にみ られるように,民
政党の敗退 とファシズム紛砕・ 勤労議会政治の確立 をかか げた社会大衆党の進出 といった既成政党の反軍部,反
官僚主義的なムー ドのなかでその支持層 を失鳥取大学教育学部研究報告 数育科学 第25巻 い
,昭
和12年5月31日に退陣 を余儀 な くされていった。 ところで この広田,林
内閣による体育政策 は何 を主眼 としていたのであろうか。両内閣 は基本的 には,昭
和11年の学校体操教授要 日以後 における体育 を教学刷新評議会の答申理念にそっていかに 具体化 してい くかを政策課題 とし,そ
の点に焦点がおかれていた。た とえば昭和12年2月11日の紀 元節 には「建国体操Jが
発表 され,い
わ ゆる体育の「日本主義」化が絶叫 されるようになった。 そして この体育政策の 日本主義化 と並行 して高度国防国家体制の人的資源 としての国民体力の陶 冶政策が改正学校体操教授要 目をて こに実施 されていったので ある。昭和12年5月29日に公布 され た「青年学校体操科教授及訓練要 目」 はその一環であ り,フ
ァシズム体育政策のかなめであった と いえよう。この要 目は昭和11年3月 19日に岩原拓,小
笠原道生,栗
本義彦,森
秀,大
谷武―,野
口源 二郎,二
宮文右衛門,佐
々木等,戸
倉ハルを委員 に約1年,10回
の会議 をかさねて創案 された もの であったが,そ
の政策的意図 として高度 国防国家体制下 にお ける軍事的能力 (兵力)と
産業的能力 (労働力)の
合理的陶冶にあった ことが指摘 される。委員の一人岩原拓 は,こ
の要 目の性格 につい て次の ように記 している。 「元来青年学校制度の創設せ らる ゝに至 ったについては,我
国青年の死亡率 が諸外国の青年のそ れに比 して高 く,然か も其の死亡す るに至 りし病因が死亡者の殆ん ど半数が結核であるということ。 壮丁検査の結果漸次 甲種,乙
種 の合格が減少 し,丙
種,丁
種 が増加するの傾 向に在 り,其
の理 由 が筋肉,視
力の薄弱,其
の他体質に原因するものなること。文部省 の学生生徒身体検査の結果に依 れば,身
長,体
重,胸
囲の絶対数 は漸次増加するも,体
重,胸
囲の増加率が身長の増加率 に併わず, 且近視,願
歯,腺
病質等増加の傾 向にあること等各般の事情 によ り推断す るに,青
年の体位が漸次 低下 し,青
年の病気 に対す る抵抗力が薄弱 なることを示 し,国
家将来のために深憂 に堪へざるもの があるか ら,青
年の健康状態 を改善 し,体
位の向上 を計,我
国 に絶対必要な人的資源 を涸渇せ しめ さらん ことが青年学校制度の積極的理由の一 となって居 る。7
同要 目は男子 の教材 として体操器具 を組合せた各種 の障碍競争 をその中心にお き,男
子の身体能 力 を軍事能カヘ効率的に転移 させ ることをめざす とともに,女
子の教材 については「保健整容的種 目」 をもって軍事能力 を補完 しようとしたのである。 この ことは戦時体制下 における体力の創出が 従来の体育の合理化 を軸 にしつつ,天
皇制体制の精神的な支柱である家族主義 の論理が付加 され, 男女の性的機能 を意図的に分離 し,陶
冶するとい う方策の もとに行われた ことを意味 している。 この要目の公布以後,青
年学校の対 するファシズム体育政策 はなお一層強化 されていったが,そ
れを示す一つの例 として国防競技大会 をあげることがで きる。 この国防競技大会 は,昭
和12年に大 阪毎 日新聞社,第
4師
団の後援 によって実施 され,昭
和13年には東京 日日新聞社主催 によ り第1回 関東地方青年学校国防大会が実施 されたが,
こうした国防大会 を媒介 にしなが ら軍部 との結びつ き を深める一方,「そ こにはただ団体行動の尊 さを知 ると共 に『近代武道』たる国防体育運動を通 じて その国策的意義 を体験 した とともに,こ
の機会に従来のスポーツ観再検討の要あることを広 く有識 者 に宣伝 し,かつスポーツ選手制度匡正の急務 を説 きた西」といったように日本主義的スポーツ道ヘ のイデオロギー的接近 がはか られていった。 青年学校 を中心 とした軍事教育の強化 は,学
校体育全般のウル トラ・ ナシ ョナ リズム化 に多大の 影響をあたえるとともに大 日本連合青年団な どのファシズム教化団体 との癒着 を深めていった。(2)第
一次近衛内閣の成立 と国民精神総動員運動 昭和12年7月 7日 芦濤橋で日中両軍が衝突 した。いわゆる日中戦争の開始である。国際的にも昭入江克己:日本 フ ァシズム体育思想の研究 (m) 和10年におけるイタ リアのエチオピア侵略
,同
11年の ドイツ,イ
タ リアによるスペイ ン内苦しに対す る干渉に続 くものであ ったが,さ
らに同13年にナチス・ ドイツのオース トリア,チ
ェコスロバ キア に対する武力併合 によってここに日独伊 による帝国主義な世界分割戦争が開始 されたのである。 こ うした状況のなかで林 内閣の後 をうけて昭和12年6月14日に成立 した第一次近衛内閣 は,当
初戦争 不拡大の方針を明 らか に していた ものの軍部の圧力に屈月叉し,杉
山陸相 は同12年7月 1日 に「華北 派兵」 を表明するに至 った。 そして同年 8月13日には上海事変が勃発 し,戦
争 はいよいよ拡大の方 向を辿っていった。その結果近衛内閣 は,昭
和12年8月24日に「国民精神総動員」運動の閣議決定 を行い, 9月13日には国民精神総動員運動 に関する実施要綱 を発表 した。 また同年10月には全国市 長会,日
本経済連盟,帝
国在郷軍人会等の74団体 をもって国民精神総動員中央連盟が組織 されると 同時 に,県
段階においてはその下部組織 として実行委員会がおかれた。 近衛内閣 は,こ
れ らの国民精神総動員運 動 を組織化す ることによって国民 のあ らゆる階層 を教化 し,か
つまた教育のファシズム化 を図 っていったが,高
度国防国家に向 けての体制づ くりは,必
然 的に軍事力の近代化,
したが って軍需工業の合理化 と生産力 の拡充 といった要求 を生 み,そ
れは同 時 に教育制度や内容 にわたる全般的な教育改革 とい う課題 を派生 させていった。文相木戸幸― は, この課題 を実現すべ く臨時教育会議以来 といわれる内閣直属の教育審議会 を設置 した。 この審議会 は主 に国体理念への絶対帰― を目指す とともに青年学校 の義務化 を中心 とした幼稚園,国
民学校, 師範教育 について審議 し,昭
和13年12月 8日 の第10会総会にそれぞれについて答申をしている。答 申は「皇道 ノ道 ノ修練 ヲ旨 トシテ国民 ヲ錬成 シ,国
民精神 ノ昂揚,知
能 ノ啓培,体
位 ノ向上 ヲ図 り, 産業並二国防 ノ根基 ヲ培養 シ,以
テ内二国カ ヲ充実 シ外ハ八紘一宇 ノ肇国精神 ヲ顕現 スベキ次代 ノ 大国民 ヲ育成セ ンコ トヲ期 セ リ?と述べているように,「皇道 ノ道」に対 す る「絶対帰一」を基本理 念 とし,「産業並二国防」の「根基」を「培養」することによって「八紘一宇 ノ肇国精神」を体現 し た「大国民」の育成 することを強調 したのである。 その結果 この観点 に立 った教科内容の再編成が 意図 され,「イ,東
亜及世界 口,国
防 ハ,郷
土」の立場か ら内容 を構成 し,「知識 ノ統合」 とと もに「訓練の重視」,「教授 の振作」,「体位 ノ向上」,「情操 ノ醇化」が指摘 されたのである。 一方 日中戦争の開始以後の軍動員体制 の強化に ともなって産業部門 における労働力の不足 は,次
第 に深刻 さを増 していった。 そのため政府 は昭和13年3月 に国民総動員法 を成立 させ,軍
事的能力 と産業能力の両面 にわたる陶治 をよ り計画的,総
合的に培養 し,か
つ合理的 に配置す る必要 に迫 ら れ,そ
れが体育政策の根幹 をなすようになった。例 えば昭和12年 10月 13日に木戸文相 は,体
育運動 審議会 に対 して「国民精卒申総動員 二際 シ体育運動上特二実施スベ キ事項」 を諮問 した。 この諮問 に対 して同審議会 は同年11月 26日 に総会で答申案 を決定 したが,そ
のなかで国民体育 の 理念 に関 して次のようにいっている。 「国民体育 ノロ的ハ国民体位 ヲ向上 セシメ国民精神 ヲ振作 シ,国
民 ヲシテ真 二国民 タルノ自覚 ノ 下二克ク国家ノ要望二副 フベ キ健全有為ナル資質 ヲ具ヘシムエア リ。 コレ即 チ国民 ノ基礎 ヲ培 フ所 以ニシテ,適
正ナル国民体育 ノ振興ハ是二国家百年 ノ大計 タ リトイフベ シ。 殊二最近 ノ世界情勢ハ国民体育 ノ国家的意義 ヲシテ益々旦重大ナラシメ,今
ヤ国民体育 ノ振興 コ ソハ 自覚セル国家二お ケル必須 ノ重大国策 タルベキヨ ト,之
ヲ列強諸外国 ノ実情二徴 スルモ極 メテ 明瞭ナ リ。翻 ッテ我国 ノ世界二お ケル使命並二今 日ノ地位二鑑 ミ,而
モ又近来動モス レバ国民体位 ノ低下 ヲ憂ヘ ツ ゝアル我国 ノ実情 ヲ願ル時今 日我国二船 テ国民体育 ヲ振興 スルノ必要ナルハ正二何 レノ時代何 レノ国二船ケル ヨリモ蓬二喫緊切実ナルモノアルヲ痛感ス。攣鳥取大学教育学部研究報告 数育科学 第25巻
(3)第
二次近衛内閣の成立 と新体制運動 第一次近衛内閣のあとを うけた平沼瑛一郎内閣,阿
部信行内閣,さ
らには米内光政内閣等 は独 ソ 不可侵条約以後 の国際情勢 をめ ぐる見解 の相違,軍
部 との衝突,あ
るいは戦時体制下 にお ける国民 生活の矛盾の拡大 と経済政策のゆきづ まりのなかで退 いていった。 そして昭和15年7月 に成立 した のは第二次近衛内閣であつた。当時 ドイ ツとイギ リス,フ
ランス,ポ
ー ラン ドとの戦端が開かれ, またイタ リアが参戦す るといったように,国
際情勢は次第 に全面的な帝国主義戦争の様相 を呈 し, それにつれて当初の不拡大方針 とはうらはらに日中戦争 も拡大 と長期の一途 を辿 っていった。 近衛内閣はこの事態 に対処 するために就任直後の 8月 1日 に日満支 による大東亜新秩序の建設 を 国策の基本方針 とする ことを発表 し,教
育政策 もこれを基本理念 に皇国主義のイデオロギー形成の 機能 と同時に,労
働能力,軍
事能力 の陶治手段 としての性格 をあ らわ していったのである。昭和15 年 9月24日には国土計画設置要綱が発表 されたが,そ
の第7頂
に総合的人 口配分計画 をあげ,都
市 配置 に関する計画,職
能別人 口配分計画,地
域別人 口配分計画,総
合移民計画等 について明 らかに している。 また昭和16年 1月 13日には人的資源の合理的管理 と配置の観点か ら「人的政策確立要綱」 を発表 している。 その政策上 のね らいは(1)人口の永遠の発展,鬱
)増殖力,資
源面 において他国 を凌 駕す ること,(3)高度国防国家 における兵力 と労働力の確保,(4)東亜諸民族 に対す る指導力の確保 と その適正 な配置 にあった。 こうして高度国防国家体制の確立 に向 けて人 的資源開発政策が全面的に 展開 されていったが,こ
のある種の近代主義的な政策理念 は,藤
田省三が いうように絶対主義的な 天皇制国家原理 と究極的にはあいいれず,そ
の矛盾のなかに天皇制国家の理念その ものが崩壊する 契機がすでに含 まれていた といえる。 こうした矛盾 をかかえなが ら,
しか も長期戦時体制の維持 と 強化 をはかるために人的資源政策 を推 し進 めざるをえなか ったのであるP
政府 は昭和15年8月28日に第1回新体制準備委員会 を開催 し,そ
の会議で「新体制声明」 を発表 した。それは国民 と政府の一体化 と国民的総力が政治領域 に集約 され るべ きことを説 き,そ
のため の具体 的な組織 として中央集権 的な大政翼賛会の設立 を明 らか にした ものであった。以後「大 日本 産業報国会」(昭和15年 11月 ),「大 日本青少年団」佃召和16年1月),「大 日本言論報国会」(昭和16年 12月)等
あらゆる文化的領域 と職域 を支配す るファショ的統制団体が組織 され,「新体制」化が展開 されていった。 こうして戦時体制下 における国民の相対的な窮乏化 と帝国主義戦争の遂行 とい う矛盾 を陰蔽する ために東亜を欧米 の帝国主義列強か ら解放す るとい う大アジア主義イデオロギーが もちだされねば な らなかったのである。(4)国
民学校令 と体錬科の性格 昭和16年4月 に教育審議会案 による国民学校が発足 した。 この国民学校 の創 出 という教育制度の 再編 は,そ
の教育 目的 として「国民学校ハ皇国 ノ道二則 テ初等普通教育 ヲ施 シ国民 ノ基礎的錬成 ヲ 為 スヲ以 テロ的 トス」ωと規定 しているように皇国主義イデオロギーに もとづ く国民教化政策の再編 にほかな らなかった。つ まりこの国民学校の創出は,「満州事変 い らい顕在化 した国内矛盾 を帝国主 義戦争 によって打開すべ く,軍
部独裁の もとにファショ化の一路 を邁進 して きた歴史的過程 の,教
育 における集大成」1)であ り,「天皇制 ファシズムの教育体制の完成」りを意味 するものであった。 こ の立場 か ら皇国主義教育の内容 を編成する基準 として(1)教育全般 における皇道 の修練 と国体観念 を 深化 させ ること,(2)国民生活 に必須な知識,技
能の体得,情
操の醇化 と健全 な身体 を育成す ること, 偲)日本文化の意義 を間明 し,東
亜および世界の大勢 に関す る理解 と皇国の地位 な らびに使命 に自覚入江克己 :日 本 ファシズム体育思想の研究 (HI) することをあげている。そしてこれ らを実現するために教科カ リキュラムにおける分科主義 を廃 し, 合科主義教授の原則 にたち国民科 (修身・国語 。国史 。地理の統合
),理
数科 (算数・理科 の統合), 体錬科 (体操・武道の統合),芸
能科 (音楽・ 習字・ 図画・ 工作・裁縫 。家事の統合),実
業科 (農 業・ 工業・商業・水産 の統合)と
い う5大
教科の構造 に再編 されたのである。 ここには明 らかに大正新教育 の遺産 である近代 的な合科教育の論理が吸収 され るとともに非合理 的な国体観念への絶対帰一 とい う本来矛盾 し,対
立すべ き異質の理念が並置 されている。 この こと は言い換 えれ ば「新教育 の自己疎外」意味 し,か
つ また「天皇制 ファシズム教育が,た
んな る絶対 主義教育 の要素だけで自己 を貫徹することがで きず,ブ
ルジョア教育 に基礎 をお く合理的な近代教 育方法を体制化 しなければならない事態90に陥 った ことをあ らわ している。 この矛盾 は,天
皇制教 育 その ものの矛盾ではな く,天
皇制体制 の根源 に存在 するものであった。 その結果国民学校 におい ては「異質の思想が無責任 に癒着 しあい,個
人 と全体,科
学 と神話,自
発性 と服従な どが無雑作 に 結合 しなが ら,基
本的には人間性,知
性,科
学 に背 を向 け,国
民の自発性 に対す る恐怖 にみ ちなが ら,フ
ァシズム権力 に隷属する人 間]°の教化がめざされたのである。そして体錬科 は,「身体 ヲ鍛錬 シ精神 ヲ錬磨 シテ濶達剛健 ナル心身 ヲ育成 シ献身奉公 ノ実践力」を養い,か
つ「皇国民 トシテ必要 ナル基礎的能カノ錬磨育成工カムベ シ19との教授方針 をかかげる一方,そ
の内容 は軍隊の歩兵操典 を基準に徒手各個教練,徒
手部隊密集教練,礼
式(単独,部
隊の敬礼,閲
兵,分
列),指
揮法,陣中勤 務等の軍事教練 と武道 によって占められ,こ
こにおいてすでに学校体育 は拡散 し,崩
壊 した といえ よう。(5)厚
生省の設置 と国民体力法の制定 高度国防国家体制の要求 に即応 した人的資源開発政策の一環 として昭和13年 1月 に厚生省が設置 され,
また昭和15年 8月 には国民体力法が制定 された。 この厚生省の設置な らびに国民体力法の制 定 は,い
うまで もな く戦時体制下 における労働者,農
民の極限なまでの喰潰 しと磨滅,そ
れに とも なう壮丁体位の低下ならびに労働力の量的,質
的な低下 という矛盾の解決 を目的 としていた。戦時 体制下 における若年労働力の大量採用 と超時間労働,半
封建的地主制度下の過重労働 と生活条件の 低質性,さ
らには出稼労働 による低賃金 と過重労働 は必然的に壮丁体位の慢性的な低下 をもた らす 主要な原 因であったが,そ
れ らの矛盾 は戦争の拡大 とともに深刻の度 をふかめていった。 この事態 を背景 に厚生省 は設置 されたのである。厚生省の設置問題 は,す
で に大正11年に社会不 安の緩和 という社会改良主義的意図をもって内務省社会局か ら「社会事業,労
働行政,保
健制度 を 掌 る社会省」の設置計画案 として提出 されていた。 この厚生省 の組織的整備 にいたるまでには体力, 壮丁体位の改善にその目的 をしば るべ きであるとする陸軍側 と社会政策的意味 をもたせ ようとす る 近衛 内閣および一部内務官僚 とのあいだに対立があったが,最
終的には厚生省の 目的 として「国民 体位の向上」 と「国民福祉の増進」がかかげられ,
また機構面では「体力局Jと
「労働局Jと
を並 置す ることによってその予盾 を解決 しようとした。 そして体育運動審議会 は,厚
生省の附属機関 と して位置づけられたが,こ
の ことは体育政策 における統一的視点の欠如 とい う欠陥 を修正 し,総
力 戦体制下 における国民体力政策への凝集 というかたちで全般的なファシズム体力政策機構 のなかに 具体 的に組 み込 まれたことを意味するよ°そして このね らいか ら大 日本体育協会の フ ァシズム的再編 がすすめ られていったのである。昭和15年5月 に大 日本体育協会 は文部,厚
生の両大臣に対 して「体 育新体制樹立に関する建議」 を提 出 したが,同
建議 は,(1)政府 は体育国策 を樹立 し,国
民体力錬成 のための全国的な官民一体の体育体制 を確立す ること,り)体育行政の一元化 を図 ること,(3)学校体鳥取大学教育学部研究報告 数育科学 第25巻 育の指導方針 を具体化 することを骨子 とし
,そ
の 目的のための協会組織 の再編 に応 じた。国民学校 制度の創出を柱 に厚生省の設置 と国民体力法の制定 にいたる過程 は,体
育が教育政策のわ くを逸脱 し,そ
の教育的概念 を捨象することによって軍事,労
働力政策 に吸収 され,解
消 されてい く途 で も あった。(6)地
方 におけるファシズム体育政策の進行 第二次近衛 内閣 によるファシズム体育政策 は,地
方 にお ける体育 の策に急速 に浸透 していった。 例 えば山形県の場合,昭
和12年7月12日に同県知事 は同県の体育運動審議会 に対 して「現下 ノ情 勢二鑑 ミ県民体位 ノ向上二関 シ執ルベキ方策如何」 を諮問 したが,こ
の諮問に対 して同審議会 は次 のように答申 した。 「国家興隆 ノ源泉ハ実二国民 ノ優秀 ナル体位 卜旺盛ナル士気二倹 ツモノ極 メテ多ク,旺
盛 ナル士 気ガ強健 ナル身体二基 ツクヤ言 ヲ倹 タズ。而 シテ国民体位 ノ低下ガ国運衰頼 ノ前兆ナルハ古今東西 爛 トシテ史実 ノ明示スル所 ナ リ。 抑モ現下 ノ国民体位 ヲ按ズルニ最近文部省 ノ示ス統計二明カナル如 ク学生生徒及児童 ノ身体 ハ形 態方面 二船テハ檎増大 ノ風 アルモ体質方面二船 テハ寧 口低下 ノ傾向ア リ,又
壮丁ノ体格ハ近年 甲種 乙種 ノ合格者漸次減少 シ丙種丁種 ノ者次第二増加 ノ傾向 ヲ示 シ,現
役二服 シ得ザル身体上 ノ欠陥 ヲ 有スル者全壮丁 ノ約四割 ヲ算スルニ至ル。比ノ実情ハ誠二国家将来 ノ為憂慮二堪ヘズ。特 工本県亦 其 ノ例二洩 レズ壮丁検査 ノ成績二船 テモ第八師団管下中最下位二在 り誠二深憂二堪ヘザル所 ナ リ。 更二青年 ノ思想 ヲ顧ルニ,近
時時局二依 り檎々緊急 ノ気分アルモ,明
朗雄健 ノ気塊二乏 シク,真
ニ 青年タルノ責務 ヲ自覚 セザル憾 ナシ トセズ。 今 ヤ我ガ国刻下 ノ情勢極 メテ重大ニシテ,内
二経済上思想上二幾多ノ問題 ア リ,外
二今次支那事 変二依ル国際関係益々複雑多難 ヲ極 メ実二国民 ノー大決心 ヲ要スル時局二直面セ リ,此
ノ秋 二際 シ 挙国一致時難 ヲ克服 シ肇国ノ理想実現 ヲ期 スル為国民体位 ノ向上 ヲ図ルハ緊要ナル責務 タ リ。 体位 ノ向上ハ其ノ方策多々ア リト雖モ,現
下 ノ実状二鑑 ミー般民衆二対 シテ,真
ノ体育的 自覚 ヲ 促ス ヲ以 テ最モ急務 トス即 チ体育運動 ヲシテ従来 ノ如キ専門的跛行的ナル ヲ排 シ,之
ガ普遍化通俗 化 ヲ図 り,且
各個人及団体 ノ実情二即 セル健康生活 ノ自主 自律的態度 ヲ確立セシメ,併
セテ保健衛 生栄養改善等 ノ指導施設 ヲ整備 シ,之
ガ徹底的合理化 ヲ期 スルハ最モ緊要ナルコ トト信 ズ。之二依 リテ百拾万県民一心同体 トナ リ,各
自体位 ノ向上 ヲ図ル ト共二志気 ヲ振作 シ質実剛健 ノ県民性 ヲ発 揚 シ現下国情 ノ要求スル有為 ノ国民 トナ リ,以
テ聖慮 二対へ奉 ランコ トヲ期 スルモノナ リ。 現情 二鑑 ミ左記各項 ノ実行 ヲ期 スル コ ト極 メテ緊要ナルモノ ト認ム。」η ここには身体 をふ くめ全人格 をファシズムの論理 によって吸い上 げようとす る姿勢が適確 にあ ら われている。 この観点か ら体育の「指導方針」 に「挙 県一心二体育,衛
生,栄
養一如 ノ県民体位向 上運動工参 ジ村二之 ヲ自覚 セザル家ナク家二之 ヲ実践セザル人ナカランコ トヲ期 ス]°と述べている が,体
力政策がいわゆる「家」制度 を媒介 にしなが ら実施 された ことを示 している。 そしてその「実 践要項」の「学校二船 ケル対策Jと
して次の事項 をあげたのである。 「l―l学校体操 ノ重要性 ノ認識9指
導者養成 卜指導 ノ完成口各種運動競技 ノ適 当ナル指導 ヲ図 り, 特二運動精神 ノ発揚二努ムル コ トlWl学校体育 ノ指導機関 ヲ拡大強化スル コ トlll課外運動 ノ実施 閃戸外運動其 ノ他戸外利用 ノ奨励ltl女子体育 ノ重要性二鑑 ミソノ施設 ヲ拡充スル ト共ニー層適 切 ナル指導 ヲ図ル コ ト1/kl我ガ国固有ノ武道 フ奨励 シ特二志気 ヲ振作 スル コ トl■l冬期間二船 ケル 体育運動特二「スキー」ノ奨励l■l夏期特別指導期間 ヲ設置 シ学科 ノ復習並二作共 ヲ制限 シ水泳,入江克己:日本 ファシズム体育思想の研究 (H) 登山,「キャンプ」遍歴採集等専 ラ体育的衛生的施設二利用スル コ ト倒体力検査並二競技検査 ノ 実施倒体育簿使用 ノ普及 卜活用口国家的記念 日等二当 り集団的体操 ノ実行 ヲ奨励 シ
,体
育 ノー 般的普及 ヲ図ル ト共二国民精神 ノ振作二努ムル コ トロ選手制度 ノ合理化口過労 ノ防止」9 また「民衆ヘノ対策」では「l―l個人体育運動働一般家庭体育運動働青年二船 ケル体育運動lul女子 青年団,婦
人会,其
ノ他職業婦人団体等二船ケル体育運動働工場,鉱
山,会
社二船ケル体育運動子ω をあげている。 一方宮城県では昭和12年 9月 に県知事 (菊山嘉男)を
実行委員長 とし,教
育界か ら第二高等学校 長 (阿刀田冷造),宮
城県師範学校長 (萱場今朝治)等
30余名 を委員 とした「宮城県国民精神総動員 運動実行委員会」が組織 され るとともに昭和13年6月10日には「宮城県教育是」が決定 された。 こ の教育是 は次のよ うな ものであった。 「国民精神 ノ振作 一 聖 旨ヲ奉体 シ国民道徳 ノ振作 ヲ期スベ シ。一 国体観念 ヲ明徴ニ シ,忠
君愛国ノ精神 ヲ作輿スベ シ。一 敬祖崇祖 ノ念 ヲ培 ヒ,敬
度報謝 ノ誠 ヲ効 スベ シ。 県民性 ノ陶冶 一 藩祖公 ノ雄志 ヲ景仰 シ,進
取発展 ノ志気 ヲ振起 スベ シ。一 質実剛健 ノ気風 ヲ助長 シ,堅
忍持久 ノ精神 ヲ更張スベ シ。一 自立 自営 ノ精神 ヲ涵養 シ,勤
労愛好 ノ風 尚 ヲ発揚 ス ベシ。一 連帯責任 ノ観念 ヲ養 ヒ,共
存共栄 ノ実 ヲ挙 クベ シ。 教育 ノ時代即応 一 情操 ノ陶冶 ヲ重 ンジ,公
明ナル人格 ノ修業二努ムベ シ。一 科学的思想 ノ 啓培二努 メ,産
業経済進展 ノ素地 ヲ養 フベ シ。一 体育 ノ普及徹底 ヲ図 り,国
民体位 ノ向上 ヲ期 ス ベシ。rl) こうした教育 の是 はその他の各県において も定 められていったのである。2.フ
ァシズム体育思想への転換(1)意
志的,自
律主義的体育論 日中戦争以後 のス ァシズム体育体制の強化に呼応 してあ らゆるファシズム体育思想が展開 されて いった。 それ らはいずれ もフアシズム体育政策 に追随 し,フ
ァシズム体育政策 をいかに合理化 し, 正当化するかその腐心 に満 ちていた。 昭和11年12月号の「体育 と競技」誌は,「2596年体育運動界 回顧」を特集 してい るが,そ
のなかで 今村嘉雄 は,昭
和11年当時の学校体育 を次の ようにぶ りか えって いる。 「二月事件以来,自
由主義的教育思想 は全 く一転 して,民
族主義的教育思想 と,新
しい人文主義 的教育思想が撞頭 して きた。 教育思想の この転換 はやがて体育 に対する認識 をも更新せ しめた。単 なる知的教育 に と ゞめをさ し,人
格教育 に対す る実践的活動が展開 され るに至 るや,教
育者 は一般 に体育 を深 く考 え,教
育 の 根抵 として体育 を認識せんとす るようになった。 此の認識 を更 に深めるべ き幾つかの現象が我々の前 に現われた。壮丁の体位の低下。学生の健康 状態の悪化。更 に少青年一般の肉体的並びに精神的頑廃等々。 これ らの憂慮すべ き数々の現象 は, 政治家,学
者,教
育者 をして,体
育問題の打開 を痛切 に要求せ しめた。而 してこの運動が『国民保 健の確立 の要望』 として展開 され るに至 ったのである。(中略)世
界の諸国家の対立関係 は何時戦争 を巻 き起 こさない とも限 らない状態にある。体育 はか ゝる好 ましか らざる機会 におて も,敢
然 とし て戦 い得る兵士 と,国
民 との気力 と気塊を作 らねばな らない。而 して この ことに一人一人の体育者 が自覚 して,『国家のために』働 くな らば,恐
らく学校体育の飛躍 は本格的な もの となるであろう。 『祖国のために体力 を養 え!』 この言葉 を もって,吾
人 は多忙であった1936年を諸君 と共 にお く鳥取大学教育学部研究報告 数育科学 第25巻 ることにしたい。!り こうした認識 は
,体
育思想全般 を支配 していた ものであった。大石峯雄 も「今次の事変 (支那事 変――註)は
,只
に日本の安全 ばか りでな く,東
洋百年大計 を樹立 し,東
洋 に船 ける永遠の平和 を 求めん とするところにある。而 してこれ こそは正 しく我国の最高 目的である。我等 は今此の国家の 最高目的 を個々人 の 目的 とし,『時局の重大性 に鑑み,堅
忍不抜の志操 を堅持 して』今後如何 なる顛 難 にも堪 え,国
家 のために奉公の誠 をいた さねばな らない時 に至 っているのであるY°と述べ るとと もに,こ
の支那事変 という国難の時局 に際 して「先 ず吾々 に対 し体育観の転換が要求せ られな伊)と し,全
体主義,国
家主義的体育思想への転換 を強調 したのである。 「 これ まで とて も,体
育が国家政策的支配下 にあった ことは勿論 であるが,併
し必ず しも之が明 瞭 なる認識の下に行われていた とは云 い得 ない。体育観の完全 なる転換 を要求する理由はここにあ る。近衛首相 は 9月11日の国民の覚悟 を速 した演説 にお いて この ことを聞明 してい る。『国家の最高 目的をもって個人の 目的 とす』べ しとは明か に全体主義の立場である。我等 は,独
逸の如 く,強
い て国民社会主義 を とくまで もな く,要すれ ば何時で も此の全体 の立場 に立つ ことが出来 るのである。 身体のためとか,個
人のため とか,或
はスポーツそれ自身のために体育 を行 うと云 うことは決 して 全体主義の立場 ではない。 こ ゝにおて,先
ず国家的立場 を第一 にして,国
家の凡 ゆる成員 を対象 と する国民全体 の体育が行われねばならないのである。従来 の如 く自由な立場 にある体育は,そ
れを 実行すること自身 も亦個人の自由に任 される。併 し全体的立場で は,個
人が体育 によって,産
業部 門に働 き得 る基礎的能力 を養 い,更に益々必要に迫 られている国防能力の基礎 を得 ることをもって, 個人の国家 に対 する義務 とする。此の認識 の ものに先ず吾々 は体育観 の転換 を要求 しなければなら ない。(中略)日本 の体育が 日本精神 によって買かれねばならない ことはあ まりに も当然であるが, その当然なるものを最 もよ く実現するに,皇
軍や銃後の人々 によって示 された忠誠 を活 きた教訓 と して日々の体育 の道 としなけれ ばならない。(中略)戦
時体制下にあって国民精神 的総 動員計画が 行われん としている。体育 は行ず ることによって此の総動員計画に力日わ らねばな らない。先ず我等 は全体的立場 に立 つ体育観 の下 に,堅
忍不抜の態度 を確立 し,同
時 に享楽的,頼
廃的態度 を一掃 し て,現
代 に順応 し得 る人間形成 を企つ ことを第一の目標 とす る。従 って戦闘的種類の遊戯 を一層多 くし,持
久的活動力 を計画的 に養 い,武
道の様な戦闘的態度 を鍛錬 し得 る教材 に対 して も特別の考 慮 を払 いつ ゝ実践するがよい。国防能力 を養成するために,更
に統制 の とれた団体訓練,秩
序ある 団体 の活動,団
体的野外演習の形式 を加味す ることも亦望 ましい。 これ等国防的基礎能力の養成 と 共 に忘れてならない ことは産業のため,労
働 のための準備である。労働奉仕,勤
労 を含 む身体的労 作,こ
れ等 は是非体育 の方面か らも考慮 しなければな らない ものである。 そして結局 は,此
の難局 が如何 に永 くなろうとも,吾
等 は十分 それ に耐 え得 る少青年 を教育 す る必要がある。 `° こうして日中戦争以後 における皇道主義理念 と高度国防国家体制の要求する人的資源開発政策 と を折衷 しようとする意志的体育論,心
身一如論,労
作主義体育論,国
民体力論,日
本主義スポーツ 論等あらゆるファシズム体育論が まさに怒号のごとく主張 されていったのである。 篠崎謙次の意志的体育論 昭和7年
に篠原助市 によって主唱 された人格主義 もしくは意志的体育論 は,想
像以上 の影響 をあ たえ,さ まざまなファシズム体育論 の根底 をな していた。篠崎 は「体育要論」(昭和11年∼昭和12年) において人格 と意志の陶冶 とい う観点か ら体育論 を主張 したが,そ
れ も篠原理論の うえに立つ もの であった。入江克己:日本 フ ァシズム体育思想の研究 (III) 篠崎 は
,ま
ず身心一元論 の立場 か ら「精神,身
体 は到底分析的に考 える事 を許 され得ない全体Yω であ り,そ
れがゆえに精神 な らびに身体 を対象 とする体育 も分析的には とらえきれず,そ
の全体性 において把握すべ きであると述べ るとともに,こ
の全体 としての精神,身
体 は人格的に表現 されな ければならないと次の ように主張 している。 「体育 は身体文化 としての諸種 の運動形式 を利 用 しつ ゝ教育 としての身体教育 を企図するものあ る。而 もたしかに教育 としての身体教育 は,健
康 にして強健,完
全 にして健全 なる身体諸機能,調
和的,美
的な肉体 を形成す る事 をその重要なる領域 とするであろう。 けれ共斯 る形成 の過程 に船て 生々たる精神の交流 を生ぜ させない限 り,換
言すれば身体運動 にお て実体 た らざる心 をよ り高 き教 育理想 に向けつ ゝ表現せ ざる限 り精神 (Geist)の 発展 として生成せ られた身体 であ り得ず,人
格表 現 としての教育 と凡 そ縁遠 い存在 となるであろう。子の つ まり篠崎は,「一切の体育 は健康 ということか ら出発すな♂)が,しか しなが ら,も し「現代体育が こ ゝに初 まって,又
ここに終止 しているな らばわずかに体育 の条件 を満 しているだけに過 ぎないp
のであって,人
格陶冶 と結合 した健康の実現 を根本理念 とすることによって体育 は存在 しうるとい うのである。 「現代教育が求むる鹿の ものは,こ
ゝに出発点において人格表現 としての身体 を創造 し,充
分力 強い身体 を以て強 い意志 と行動 との密なる関連 を保たせ ることである。(中略)之
を教育理念 に向 って次第 に高次 なる中心移動 をなすべ き健康 を出発点 とす る身体教育が体育であ り、それ故人格実 現,全
人的完成 を企図 しつ ゝ,そ
れに必要 なる身体 的条件 を満た しつ ゝ,主
として身体運動 を利用 する教育活動か体育であるとい う事が出来 る。雪° 篠崎が ここでいっている教育理想 とは,「精神が調和的に発展 して完全 なる理性化 をなす こと,(中 略)R口ち精神又他面 よ り之 をながむれ ば身体 であるが故に『夫があるべ き精神身体 を含める完全 な る人間の姿』に求めん」°ことであ り,そ
れ は同時に人格陶冶を意味す る と規定 している。 この観点 から篠崎 は,(1)体育 の理想 とす る人格陶冶 はいかにして可能か,(2)その体育 の独 自の領域 は何か を 問題 に し,第
一の問題である人格 陶冶について篠崎 は,人
格 を個性の理念か ら「人格 とは普遍的な 個性である。而 して之等の普遍的個性 は,そ
れぞれ個体 としての身体 に表現せ られ るものであるが 故 に,第
一 に人格 は身体 を基礎 としている胃)したが って「 この意味か らすれば人格 の実現 は,必
ず より高 き身体の多方的発展 を予想 し,而
も体育独 自の領域が比身体 の多方的発展 を通 じて行われ る ものであるが故に,体
育が単 に基礎的な身体 の発展特 に健康 を目指す こと,そ
れ自身で さえ人格陶 冶への増築工作が可能 となるではないか!°とい う。 そして篠崎は,第二 の問題 については身体 を情意の もとに制禦 しつつ(1)健康,(2)技術(堪能),(3)作 業力 を追求するところに体育 の存在理由があ り,か
つその過程で人格陶冶が実現 されると次の よう とこいっている。 「情意 も一― それは精神の中核 を為す ものであろうと思われ る一一 それ自身内部 に存するものに 非ず。他 との関係 におて存在 し,殊
にそれは行動 という衣 をつけて身体 的に表現せ られ るものであ る。(中略)然
るに体育の手段 とす る庇の ものは,常
に行動 を如何 に表現す るか とい う問題 にある が故 に佃口ち速 く,力
強 く或 いは粘 り強 く,美
的に等)身体 の情意の方向 に発動す る事 を修練 しつ ゝ 多 くの身体文化に堪能 とな り,之
等の価値 を個性の中に実現 し,以
て情意 を陶冶す る事が出来 るの である。故 に一度内に実現せ られたる価値 は,常
に人格価値 として止揚せ られ,そ
れ故一切の身体 運動,特
に技術 は人格的な意味 を内在 して単 なる軽業師の技術や或 は動物の技術 と区別 され る。即 ちそれは常 に行動 とい う意志的場面,情
勢 に依 って形成 される能であるか らである。 ここに初 めて鳥取大学教育学部研究報告 数育科学 第25巻 私 は体育 に依 る人格陶冶が可能である事 にまで到達するを得た。然 らば体育が独 自な領域 におて之 を追窮するとは何か。即 ちそれ は前 に もあげておいた如 く
,身
体条件 を満た しつ ゝ教育 を行 う事で ある。身体的条件 とは第一 に健康であ らねばな らない。第二 に堪能である。第二 に作共力雪°である と。 篠崎 は体育 における人格 の陶冶 を健康,堪
能,実
行力 としての作業力の統一 において とらえ,特
に技術,す
なわち堪能であることそれ 自体が人格 を意味 し,「精神が動作 に現われ,人
格が技術 に表 現せ らる とはか ゝる自己 (精神,身
体 を含 む)と
行動的環境内の物 とが吾人の人生,或
は生活の中 で重要 な意味 を見出 した時写9であ り,し
たが って「体育が其の特質 として身体文化た る身体運動の ある体系 (陶冶材)を
利用する限 り,吾
々 は技術の問題 を度外視す る事 は出来 ないgoと人格陶冶の 根幹 に技術,堪
能 をお き,そ
の人格的意義 について次の ように主張 したのである。 「体育 に船て この堪能 さ一一 ひいては技術が人格 を目指 さねばな らぬ事 は馬の走 やバ ッタの跳躍 の ような自然的能力,或
は軽業師の如 き外形的な空虚 な技術 と区別 し得 る最後の条件 である。即 ち 体育 としての技術 は,そ
れが意志の自己表現であ り,精
神 と肉体 との寸分隙な き統一 であ り,静
止 せ る人格 が直 ちに全 き動 としての人格 にまで表現せ られ る事でなければな らない。つ まり創造 とし ての 自己表現が技術 に現われ,そ
れはやがて自己の個性の中に船 ける陶冶価値の実現 となって人格 価値 にまで高 まるのである。9の この ように主張 した篠崎 は,従
来の体育 には人格陶冶 とい う観点が欠落 していると批判 するので ある。 「か くの如 く体育の指導精神 を教育の理念 たる『人道 をして完全 なる小宇宙 にまで実現 して行 く 永遠の過程』,日日ち『完全 なる人間』を仰 ぎ,そ
の理想 を人格陶治 において健康や堪能,作
業力等 を 之が一つの身体的条件 として必然的 に通過せねばならぬ関門 とするな らば,従
来体育が取 り来 った 立場,即
ち技術 に初 まって技術 に終 り,健
康 に初 って健康 に終 るが如 き立場 を捨てなければならな い。(中略)現
代体育が人格陶冶 を強調する所以の ものは,そ
の独 自なる立場が本質的 に人格の陶 冶に寄興 され得 るものであらねばな らない。過去の体育が この点 に船て運動 を単 なる運動 として考 え,技
術 を技術 として単に健康だ けにしか寄興 し得ぬ と考 え,そ
こに体育 を して益々皮相 的な もの に流れ させ,い
たず らに技術 とレコー ドの奴隷 に堕せ しめたのである。 ここに現代体育 がその使命 を新 らしい考 え方か ら出発 して求 めようとし,人
格 の陶冶にその使命の本質 を見出 した理 由がひそ んでいる。甲 そ してさらに篠崎は,教
育 における意志の不在 を批判 するとともに非常時 を打開 しうる創造力 と 実践力 とをかね備えた人物の登場 を要求するのである。 ′ 「現代が正 に国家非常時 を以て任 じ,凡
ゆる方面 に危機的場面 に直面 してい るとすれ ば,現
代 ほ どか ゝる各方面の危機的場面 を打開 し得 る創造力 と実践 とを切望 している時 はあるまい。即 ち誤れ る方向 を辿 る一切の文化領域 に対 して活発 に働 きか け,之
を是正 し,文
化 をして本来の意味にまで 引 きもどし,真
に人類の為 に役立てん とする試みが為 され る事 を侍 つている。か くて文化 に中毒せ る人間共 を救済せん とす る時,何
として も建設 的,創
造的,実
行的なる人間 を必要 とし,か
ゝる人 間は又同時 に旺盛なる意志力の所有者であらね ばな らぬ関係 よ り,教
育 にお ける意志の問題 は時代 的色調 と共に益々 その重要性 を加 えるのであるS〕こうして篠崎 は,意志 に裏打 ちされた運動,行
動, 活動 を要求 し,「学校体育 は疲れ切 った生活の中に世紀末的,未
補的文化に陶酔 しつ ゝ次第 に力 の意 志 とを失いつ ゝある現代人 に新 しい活動 と燃焼力 を興 えようと試み,身
体の自然的発達 を憧憬 しな が ら強い意力 を培わん としている。入江克己:日本 ファシズム体育思想 の研究 (III)
存動か晶とあ歯洛と
とみ〔セ患みら丞もあとあう
,意
志歯洛あ庶違とあることを多蕉あ教肯学著か
再評▼て上
ゝ
や呼り
,違
動た舟じセ全秩占浩勤を妻表チち掌族休肯
,ま意志あ内洛
tと裏もよきあじ∴諺
態 を具 えている といわねばな らない」0と述べ る一方,体
育の究極的 な目的について「新 らしい学校 体育 は,自
己を残 りな く表現 して無我の境地へ迄導入する事 に依 って其魂を純化 し,一
定方向へ向 う庭の意図 (Vorsatz)を 生ぜ しめて之 を全我的にその実行或は完成へ まで導かんと企ているのであ る!りと結 んでいる。 篠崎の この人格主義 を基調 として健康論,技
術 (堪能)論 ,意
志の陶冶論 は,明
らかに篠原理論 の系譜 をひ くものであった。 石山脩平の自律主義体育論 篠原 の意志的体育論 と一脈相通ずる体育論を主張 したのが石山脩平である。石山は,「最近教育思 潮 と体育―一体育 の陶冶価値 に関す る新見解一―P(昭
和13年 )のなかで「自律 と統制」,「全我活動」 の過程 に人格的意味 をみ,その立場 か らファシズム体育 に理論的基礎 をあたえようとした。石 山は, 「最近教育思潮の要望する陶冶価値 といって も,そ
の実 は最近 の社会情勢の要望す る陶冶価値 であ る。教育 は,常
に社会の動向を背景 とし,社
会の要求す る所 を意図的 。計画的に子弟 にお て実現せ ん とするか らである。 この見地か ら,先
ず最近教育思潮の要望す る陶冶価値 は,自
律 と統制 との綜 合である」 と教育思想の傾 向をとらえ,こ
の自律 は自律的人格の本質的契機 であ り,か
つ また統制 は社会的人格の本質的な条件 を構成 する とし,次
のようにいっている。 すなわ ち り、格 とい う概念 には,既
に『自律的』 とい う条件が本質的に含 まれてい る。 自律 的で ない人間 は,奴隷又 は物品 と同 じ く,他
の手段であってそれ自身の独立 自存の価値 を具 えていない。 故 に倫理学に船ては自主独立の人格 を中心概念 とし,そ
れ自身 目的であって他の目的の手段 でな いことを人格の本質 としている。教育学 におて も自律的人格 は,究
極永遠の目的であ り,時
と鹿 と を超越 して常に妥 当する陶冶理念である。 この理念 を堅持 して,子
弟 の『自己活動』を尊重 し,『自 発性』 を要請するのが教育理念の公式である。 労働教育 も,動
的教育 も,生
活教育 も,其
他各種 のプラン,メ
ソッ ドも悉 く子弟の 自律 を根抵 と せぬ ものはない。 自律 によって自律 にまで とは,実
に教育 の不動の原理であ り,最
近教育思潮の特 に力説する所 である。」 「 自己活動」 といい,ま
た「自発性」 といい石 山 も大正 自由教育 の理念 を受 け継 うとしてい るが, 彼 はこの自律 に対 して統制 とは「社会的人格 の本 質的要件」であって「人格 は自律 によって人格た り得 ると共 に,社
会 によってのみ人格た り得 る。 人間存在の最大 の特色 は社会的存在であ り,他
のあらゆる生物 に比べて,最
も複雑,緊
密 な社会 をな し得 る所 に人間の優位があ り,言
語や道徳 を初 めとして人 間の特 にす ぐれた性能 は社会生活の 優越性 に因由す る。 そして社会生活の枢軸――社会形成 の必須要件一― は協同・服従・規律・犠牲・ 奉公等であって,こ
れ等 は一括 して統制 と名づけることがで きる。統制 こそは社会成立の枢軸 であ り,社
会的人格の要件 である」 と述べている。 そして石 山はこの論理か ら「社会のあ らゆる形態の中で最 も完全強力 なるものは国家」であ り, したがつて統制 とは,同
時 に国家的統制 を意味 し,最
近 の国家主義生活」のに とって不可欠であると 述べるとともに,し
ばしば自律 と統制 とは矛盾 し,相
対立す るもの として解釈 されがちであるが, 両者 は統一的に把握 され るべ きであるという。 「 自律が誤 って放縦,恣
意 に堕するならば,統
制 を破壊 し,統
制が誤 って外的強制 に陥 るな らば鳥取大学教育学部研究報告 数育科学 第25巻 自律 を脅威す る。然 しなが ら真の自律 とは放恣ではな くて
,寧
ろ自発的に統制 に服す ることであ り, 真の統制 とは強制ではな くて,自
律的人格の協調 である。放恣は国家 を脆弱 にし,強
制 は国民 を萎 縮 させ,卑
屈に し,弾
力 を失わ しめる。 自律 と統制 との綜合 こそ,現
代の国家が,従
って また現代 の教育が,最
も切実 に要望す る所である。」 石山はこうした 自律 と統制の概念か ら「体育 は統制 を訓練 し易 い と共 に本来 自律 に根 ざ して居 り, この両面 を綜合すべ き最適の特徴 を具 えている」 と体育 をとらえ,そ
の方法原則 について「l―l子弟 が自発性 に燃 え立 ち,自
律的に体育 を求 めている場合 には,そ
れを導いて統制 的に活動 させ ること によって,自
律 と統制 とが綜合せ られる。0子
弟が初めの間,気
が進 まず して,い
やいやなが ら体 育 をやっているように見 える場合 には,統
制か ら入 って,統
制 の下 に活動 させている間に (その所 謂ウォー ミング・ アップによって)漸
次に気乗 りが して来て,本
来潜在 していた本能的要求が眼醒 めさせ られ,何時の間 にか 自律的 に活動するようにな り,か くして自律 と統制 とが結合する」とい う。 一方石山は,体
育 の教育的意義 を「 自己表現及び自己認識」,「全我活動」,「労作的学習」の観点 からとらえ次の ように指摘 した。 まず石 山は,表
現 は「(1)人生の根源的要求」であ るだけでな く,「(2)社会関係成立の必須条件」で あると同時 に,Ц
3)教育成立の必須条件」である ととらえるとともに「表現の教育 的価値 は第二 に自 己認識 に存する」 とみたのである。 そ して こうした意味 をもつ表現の関係 に といて「体育 は自己表 現の機会 を興 え,相
互理会の増進 を助 け,教
育の可能条件 を充足 す る所 に,そ
の教育的価値」が存 在すると指摘 したのである。 また「全我活動 とい う観点か らは(1)「全我活動 とは知情意の精神機能の 全的活動を意味 する」,鬱
)「全我活動 とは心身一如の活動 を意味す る」,(0「全我活動 とは物心一如 を 意味する」と述べ,そ
れ らの世界が体育 においていずれ も具現 されてい ると次のようにいっている。 「現代 の社会が,
また現代 の教育が,分
業の進化 と教科 目の分化 とを益々促進 して,動
もすれ ば 精神活動 と身体活動 との分離 を招来 し易 いことを思 うの とき,体
育 によって心身一如の全我活動 を 鍛錬することは,愈
々重大な社会的・教育 的意義 を有す るのである。(中略)鉄
棒 もボール もバ ッ ト も竹刀 もすべて我が魂の延長 として,我
自身の分身 として,我
と一つに働かされ ることこそ体育 の 理想である。か くして現代の教育が最 も強 く要望す る物心一如の全我活動 を,体
育が よ く修練 し得 る所 に,そ
の教育的価値が保證せ られ るのである。」 また「労作的学習過程 と体育」 について石山は,ガ
ウデ ィッヒの説 にもとづいて労作過程 を(1)目 的の自覚,(2計
画 の樹立,偲
)その実現,僻
)結果の反省 とい う一連 の過程 において とらえ,こ
の労作 過程 に対応 して(1)「体育 はその動作の目的の自覚 を尊重する」,(動「体育 は計画樹立の訓練 を重視する」, 偲)「体育 はその目的。計 画の実現に当って,さ
きに列挙 した諸条件―一 自律 と統制 との結合,自
己表 現 と自己認識,全
我活動一― を充た しつつ,理
想的な活動 を覚 ませ る」,は)「体育 はその動作 の後 に おて,そ
れ を反省する ことを重視す るJこ とか ら体育 は労作の過程 と合致する と指摘 したのである。 高尾菊雄 の体育 と歴史的人間論 高尾は,「体育 の現実的構造甲 (昭和15年)において人間論 を中心 にす え,そ
の観点か らファシズ ム体育論 を主張 した。 高尾は,「体育 の現実的構造の解釈学的,存
在論的研究 によって体育 のGrundを明 らかにし,体
育 研究の出発点 としての一考察 としたい」と述べ るとともに,「体育 の現実的構造 を明 らかにす る前提 として,先
ず人間の規定 さら第一歩 をふみ出ず〕べ きであるとし,人
間 を二 つの類型,す
なわち(1)自 然的人間,り)歴史的人間,(3)形而上的人間の視点か ら規定 し,そ
れ らの人間観 と体育 の関係 につい入江克己:日本 ファシズム体育思想 の研究 (m) て次の ようにいっている。 すなわ ち自然的人間の視点 か らは,「自然人 とは