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J.K.A.ムゼーウス「誘拐-ある逸話」訳・注・解題

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題    

かどわかし

――

ある逸話

ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著

鈴木滿訳・注・解題

  テ ュ ー リ ン ゲ ン の 境 に あ る フ ォ ー ク ト ラ ン ト (1) の 小 さ な 湖 ロ ッ ク ヴ ィ ッ ツ (2) の 畔 ほとり に ラ ウ エ ン シ ュ タ イ ン( 1) 城 が あ っ た。 こ れ は か つ て 女 子 修 道 院 で、 フ ス 派 戦 争 (3) で 破 壊 さ れ た。 聖 な る 領 地 は 放 棄 さ れ た 財 産 と し て そ の 後 再 び 世 俗 の 手 に 渡 り、 当 時 領 主 だ っ た オ ル ラ ミ ュ ン ダ 伯 爵 (4) か ら、 あ る 封 臣 に 預 け ら れ た。 で、 こ ち ら は 修 道 院 の 廃 墟 に 城 を 建 て、 正 当 に 得 た こ の 財 産 に 自 分 の 名 を 付 け た か、 あ る い は 城 か ら 自 分 の 名 を 得 た か し た の で あ る。 彼 の 名 乗 り は ラ ウ エ ン ブ ル ク の 郷 ユ ン カ ー 士 で (5) あ っ た。 け れ ど も ほ ん の 間 も な く、 聖 界 の 所 領 は 俗 人 の 不 浄 な 手 の 中 で は 繁 栄 し な い こ と、 か か る ひ そ や か な 聖 せ い も つ 物 略 取 は 何 か し ら の 方 法 で 罰 せ ら れ る こ と

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 が明らかになった。   もう数世紀にも 亘 わた って暗黒の地下納骨堂で静寂な平穏の 裡 うち に安らっていた尊敬すべき修道女たちの遺骨は、その神 聖さに加えられた冒涜行為をあっさり我慢することはできなかった。 死 し 人 びと の朽ちた骨は生気を取り戻し、夜更けとも なると地の底からがたがたからから音を立てて上がって来て、まだ壊されずに残っていた回 廊 (6) で恐ろしい物音を響か せた。修道女たちの行列が厳かな壮麗さで城の中庭を練り歩くこともしばしば。彼女たちは部屋部屋をうろつき回り、 扉を開けたり閉めたりして、ここを我が家としている所有者を不安に陥れ、眠りの邪魔をするのだった。奉公人部屋 とか厩とかで騒ぎ、下女たちを怖がらせ、あちらこちらで 抓 つね ったりつまんだり、家畜を苛めることも少なくない。牝 牛らは乳を 涸 か らし、馬どもは鼻嵐を吹き、棹立ちになり、馬房の隔て板を打ち壊す始末。   敬 虔 な 尼 僧 方 の こ う し た 乱 暴 狼 藉 と ひ っ き り な し の 呵 か 責 しゃく に 遭 っ て、 人 間 も 動 物 も い じ け て し ま い、 す っ か り 意 気 阻喪した。上は 郷 ユンカー 士 殿から、下は怒りん坊の吠え咬み屋[わん公]に至るまで。領主は費用を惜しまず、極めて名高 い幽霊祓い師を頼んで、この騒騒しい同居人に安息を命じ、永遠の沈黙を課そうとした。けれど、 悪 ベリアル 魔 の (7) 全王国すら それをやられては震え上がる最も強力な呪文も、普通なら、家蠅に対する蠅叩きのごとく、悪霊どもを退治してくれ るお聖 水 (8) に浸した 灌 かん 水 すい 器 (9) も、かつて自分たちが所有していた地所に対する権利を断固として守り抜く幽霊 女 ア マ ゾ ン 人軍 の頑 強さには長いこと何の効果も無かった。そこで 祓 ふつ 魔 ま 師 し たちはたびたび聖遺物といった厳かな道具一式もろとも逃げ出 して、敗退せざるを得なかったわけ。   その世紀のガスナ ー )( ( のような男で、国中を遍歴し、魔女を探知し、コーボル ト ) ( を捉え、悪霊に 憑 つ かれた人から悪霊 の卵を取り除くのを業としていた御仁がやっとこさ、夜浮かれ騒ぐ女幽霊たちに最終的に言うことを聞かせ、彼女ら を再び暗い納骨堂に封じ込めるのに成功した。そこでなら好きなだけ、 髑 ど く ろ 髏 をあちこち転がしたり、骨をがらがらか

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 たかた鳴らすことを許された。さてこれで城中は何もかも平穏になり、尼僧たちは再び静かな死の眠りについたので ある。しかし七年後、一人の落ち着きのない修道女の幽霊がまたしても眠りから覚め、夜更けに姿を現し、暫くの間 以前の遊びをやった。くたびれると、七年休息し、それからまた上の世界を訪問、城を点検するのだった。時ととも に城の所有者たちは幽霊の出現に慣れてしまい、尼僧が姿を現す周期になると、雇い人たちは宵には回廊に足を踏み 入れないよう、あるいは、部屋から外へ出ないよう用心した。   初 代 の 所 有 者 が 死 去 す る と、 封 土 は 彼 の 法 に 適 かな っ た 結 婚 か ら 齎 もたら さ れ た 後 裔 に 受 け 継 が れ た。 以 来 決 し て 男 系 の 嫡 子 が 絶 え る こ と は 無 か っ た が、 三 十 年 戦 争 ) ( の 時 代 に 至 る と、 そ れ が ラ ウ エ ン シ ュ タ イ ン 一 族 の 末 裔 の 栄 華 の 最 後 で、 自然はこの家系を存続させる精力を使い果たしたかのように思われた。自然はこの末裔の体を作り上げるのに材料を 気前良く浪費し過ぎたので、この御仁が完全に膨張しきった時、 郷 ユンカー 士 殿の体重はほとんど有名な太っちょ、プレスブ ル ク )3 ( のフランツ・フィナツィ(2)の重さに達し、その肥満度はパウル・ブッターブロートという名の大変なでぶち んのホルシュタイン人よりほんの数ツォ ル )( ( 少ないだけだった。ブッターブロートは最近パリのご婦人がたの観覧に供 されたが、彼女たちは彼の丸丸とした腿と腕に触って至極ご満悦だった。とは申せ、 郷 ユンカー 士 ジークムントは、 南 かぼちゃ 瓜 時代 以 前 に は 全 く 立 派 な 男 で、 倹 約 な 父 祖 か ら 受 け 継 い だ 遺 産 を 減 ら し は し な か っ た が、 人 生 を 楽 し く 享 楽 す る の に も 使 っ た の で あ る。 彼 は、 先 代 が 身 を 引 き、 ラ ウ エ ン シ ュ タ イ ン を 自 分 に 譲 り 渡 す と す ぐ さ ま、 そ の 祖 先 全 て の 例 に 倣 っ て 結 婚 し、 名 門 の 血 統 存 続 を 大 真 面 目 に 考 慮、 幸 い 奥 方 と の 間 に 婚 姻 の 果 実 の 初 生 な り を 得 る こ と が で き た。 が、 子どもは器量の良い女児。そしてこれをもって繁殖は打ち切りとあいなった。優しい妻のあまりにも面倒見の良い世 話は栄養の行き届いた旦那様に向けられたので、跡継ぎの子宝が欲しい、という希望はことごとくでっぷりした脂肪 に化けてしまった。結婚当初から独り家政の実権を握っていた家庭的な母親は、息女の教育も一手に引き受けた。太

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( 鼓腹になればなるほどますます精神が不活発になって来たパパは、煮たり 焼いたりした物以外世の中の事にもはや関心を示さなかったのでね。   令嬢エミーリエは、家事がいろいろ忙しく執り行われている時、大体は 母なる自然のまめやかな世話に任されたが、それで別段具合が悪かったわ けではない。自分の評判を危険に曝すのを好まず、過ちを犯すと何か傑作 を作ってその埋め合わせにするのが通例のこのひそやかな芸術家は、体重 と精神の才能を、息女の場合は、父親よりもっと正しい比率に適合させた。 つまり彼女の方は美しく、そして聡明だったのである。若い令嬢が、体重 も魅力も花開き始めると、消え失せつつある血統の栄光をこの子によって まだまだ立派に高めよう、という母親の意向はどんどん強まった。このご 婦人、家系図を厳粛に尊重し、これをこの家の最も大事な飾りと思ってい る 点 を 除 い て は、 普 段 の 生 活 ぶ り か ら は ち ょ っ と そ れ と は 看 て 取 れ な い、 ひそかな誇りを抱いていた。ラウエンシュタイン一族の最後の花を移植し たい、と願っている血統としては、ロイス 家 )( ( の 公 きん 達 だち ほど彼女にとって充分古く高貴なものは、全フォークトラントに は無かったのである。そこで近隣の若殿 輩 ばら が、この素晴らしい獲物をさっと掠め取りたい、といくら心掛けても、狡 賢い母親はこうした意図を巧妙に挫折させるすべを心得ていた。彼女は、税関吏が都市の門の遮断棒を監視するよう に娘の心を注意深く見張っていたので、密輸入品が忍び込むことは無かったし、媒酌をもくろむ善意の従姉連やら伯 母御たちの思惑取り引きを全てご辞退申し上げ、息女とともにいとも高貴にふるまったので、 郷 ユンカー 士 などが敢えて近づ

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 くことなどできなかった。   乙女心が教えに従っている限りは、鏡のような湖面に浮かび、舵が導くままに操られる小舟に譬えられる。でも風 が吹き起こり、波浪がこの軽い乗り物を揺さぶると、もう舵の言うことを聞かなくなり、風浪の弄ぶまま。おとなし いエミーリエは母親のあんよはお上手を習う 紐 ひも に )( ( すがり、喜んで誇りの道を導かれて行った。まだだれのものでもな い心はどんな刷り込みも可能だったのである。彼女は自分のさまざまな魅力に臣従する 公 プリンツ 爵 か )( ( 伯爵を期待して、それ よ り 低 い 生 ま れ の 親 パ ラ デ ィ ン 衛 騎 士 が )8 ( 慇 いん 懃 ぎん を 通 じ よ う と し て も、 冷 淡 に つ ん と し て 撥 ね 付 け る の だ っ た。 け れ ど も ラ ウ エ ン シュタインの 典 グ ラ テ ィ ア 雅の女神 に )( ( 求愛する身分に相応しい男性が現れないうちに、母親の結婚計画を著しく狂わせ、ドイツ 民族の神聖ローマ帝 国 )( ( の全ての公爵、全ての伯爵が姫に求婚するには遅すぎる、という原因となる事態が起こった。   三十年戦争の騒乱の際、勇敢なヴァレンシュタイ ン ) ( の軍勢がフォークトラントの諸地方に冬営を設けたことがある。 郷 ユンカー 士 ジークムントは、昔の夜 彷 さ ま よ 徨 い歩く女幽霊たちにも増して乱暴狼藉を働く、数多くの招かれざる客人らを城中に 迎える羽目になった。この連中、幽霊たちに較べれば所有権はさほど主張しなかったが、悪霊祓い師に追っ払われる ような代物では無かった。領主一家は、こうした所業に対し愛想良くふるまわざるを得なかったし、居丈高な殿方 輩 ばら のご機嫌を取り結ぶために、たっぷりご馳走を供したもの。饗宴と舞踏会はとっかえひっかえしょっちゅう。前者で 采配を振るうのはこの家の奥方で、後者では息女。客人権をこうまで気前良く重んじてやったので、粗野な軍人たち も大層如才がなくなり、かくも豊かにもてなしてくれるこの家を尊敬、主人側と客たちは 和 わ 気 き 藹 あい 藹 あい だった。これらの 軍神たちの中には、足萎えの 鍛 ウ ル カ ヌ ス 冶の神 の艶っぽい伴侶を誘惑できそうな若い英雄も少なくなかった が ) ( 、一人として彼 女の淑徳を曇らせた者は無かった。   男前のフリッツと呼ばれている一人の将校は冑を 被 かぶ った愛の神様とでも言うべき風采だったが、めでたき教養と好

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( ま し い 行 状 と を 結 び 付 け て お り、 穏 や か で、 謙 虚 で、 感 じ が 好 く、 そ の 上 活 発 な 精 神 の 持 ち 主 で、 輝 か し い 踊 り 手 だった。エミーリエの心に感銘を与えた男性はこれまで皆無だったが、彼だけが彼女の純潔な胸の 裡 うち に経験したこと のない感覚を呼び起こし、言葉では言い表せない快さでその魂を満たしたのだった。乙女にとって不思議なのはただ 一つ、この魅惑の 美 ア ド ニ ス 青年 が男前の伯爵、あるいは、男前の公爵ではなく、ただ単に男前のフリッツと呼ばれるだけの 存在であること。彼女は折があると、いくらか親密になった彼の戦友のだれかれに、かの青年の 氏 うじ 素性を 質 ただ した。し か し こ れ に つ い て い く ら か で も 照 明 を 当 て て く れ る 者 は い な い。 だ れ も が 男 前 の フ リ ッ ツ を、 勤 務 に 精 通 し て い て、 この上もなく好ましい性格の勇敢な男だ、と賞賛。それなのに彼の家系図となるとなんともあやふやで、さまざまの 異説が唱えられる始末。これは丁度、有名だけれども、にも関わらず謎めいているカリオストロ伯 爵 )3 ( ―― マルタ騎士 団 )( ( の あ る 総 帥 の 子 孫 で、 母 系 で は ト ル コ 大 帝 の 甥 な の だ、 と か、 ナ ポ リ の 御 者 の 小 こ 倅 せがれ だ、 と か、 ロ ツ ァ ー レ ヴ ィ ッ チ シ ア 皇 太 子 の )( ( 実 の弟だ、とか、アルバニア 公 )( ( と称している、とか、また、その表向きの職業に関しては、奇跡を行う人なのだ、とか、 や れ、 鬘 かつら 作 り だ、 と か 諸 説 紛 紛 ― ― の 本 来 の 素 性 と 身 分 に 関 し て と 同 様。 全 て の 証 言 が 一 致 し て い る の は、 男 前 の フリッツは卒伍から身を起こして騎兵中隊長にまでなっ た )( ( のであり、更に幸運に恵まれれば、急速に出世して軍の極 めて光輝ある地位にすら立身するだろう、ということ。   知りたがり屋さんのエミーリエがこっそり訊き回ったことはフリッツに内緒のままではいなかった。友だち連中は この警報を彼に注進しようと思い、いろいろご親切な推測をくっつけた。彼の方は謙遜な性格だから、彼らの申し立 てを 揶 や 揄 ゆ 、冗談だ、と解釈した。しかしながら、令嬢が自分のことを問い合わせた、と聞いて心中嬉しかったのであ る。なぜなら令嬢を一目見た途端、恍惚とした昂揚感に襲われたのだが、この気持ちは、恋の先駆なのが普通。   甘美な共感ほど活力を持ち、同時に明瞭で確固とした特殊語法はまたとない。そしてこの効能によって初対面から

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 恋まで、一兵卒から士官まで出世するより通常遥かに速く進展が行われるのである。なるほど口での愛の告白までは そう急には。けれども双方が考えを伝え合うことができ、お互いに理解し合った。視線が途中で交錯、内気な愛の思 い切っての告白を伝える。不注意な母上は、家内がごたごたしているので、可愛い娘の心の門前に配置していた番兵 をよりにもよってまずい時期に撤収してしまっており、この重要な歩哨が配置されていなかったので、例の術策に富 む密輸業者である 愛 アモール 神 が、薄明かりに紛れて人知れずこっそり忍び入る機会を窺っていた。一度足場を占めたとなる と、 愛 アモール 神 は令嬢にママとは全然違う教育を施したもの。あらゆる礼法の公然の敵である彼が、従順な女弟子からまず 真っ先に取り除いたのは、最も甘美な情熱にあっても生まれと身分が顧慮されねばならない、そして恋人たちは整然 た る 一 覧 表 に 掲 載 さ れ、 昆 虫 採 集 標 本 の ち い ち ゃ な 甲 虫[ 「 若 い 綺 麗 な 娘 」 と い う 意 味 も あ る ] と 地 中 の 虫 け ら み た いに、この表に従って分類されるのだ、という先入主。冷たい血統自慢は彼女の心の中で、さながら快い日の光に大 気を暖められた凍った窓硝子の氷の奇怪な花蔓模様のごとく、急速に溶け去った。エミーリエはいとしい 男 ひと に家系図 と 叙 爵 書 を 免 除、 氏 素 性 と い う 古 臭 い 特 権 は、 こ と 恋 愛 に 関 し て は、 人 間 の 自 由 に 負 わ さ れ た 何 と も 耐 え 難 い 軛 くびき で ある、との意見を持つに至ったほど、政治的異端説を大いに推し進めた。   男前のフリッツは令嬢に恋い焦がれていた。そしてあらゆる状況から、戦の 勲 いさお しに負けず劣らず 雅 みやび の道の勲しに も恵まれているのに気づいたので、生じた最初の機会に、 怯 お めず臆さず自分の思いの 丈 たけ を吐露するのを 躊 た め ら 躇 わなかっ た。彼女はこの愛の告白に顔を赤らめて、けれども心嬉しく耳を傾け、かくして相思相愛の二人は変わらぬ 信 ま こ と 実 を互 い に 誓 い 合 っ て 一 つ に 結 ば れ た。 さ て、 彼 ら は 今 現 在 は 幸 せ だ っ た が、 こ れ か ら の こ と を 考 え る と 恐 ろ し さ に 震 え 慄 おのの く の だ っ た。 芳 し き 春 が 回 帰 し て 部 隊 は 再 び 天 幕 生 活 に 戻 る こ と に な っ た。 軍 勢 は 集 結 し、 恋 人 た ち が 別 れ 別 れ にならねばならない悲しい期日が迫って来た。そこで、死以外の何物たりとも彼らを引き裂くことのないよう、愛の

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8 絆を法に適った遣り方で有効にするにはどうしたらよいか、深刻な協議が行われた。令嬢は誓いを交わした相手に結 婚問題についての母親の考え方をかねて打ち明けていたが、誇り高い奥方が大事に育んで来た計画について、愛の結 婚のために、髪の毛一筋分でも譲歩するだろう、とは期待できなかった。   母夫人の計画を掘り崩そ う )8 ( と、百もの謀りごとが発案され、また全て投げ捨てられた。そのどれもこれもに、うま く成功するとは甚だ疑わしい、測り知れない困難さが飛び出すのだった。けれども若い軍人は愛するひとが、大願成 就に至る道をどれか開拓しよう、と心を決めているのが分かっていたので、彼女に、恋が考え出した最も確実な策略 で あ る 誘 か ど わ か し 拐 を 提 案 し た。 こ れ は も う 恋 の 道 で は 数 え 切 れ な い 回 数、 両 親 の 構 想 を 引 っ く り 返 し、 彼 ら の か た く な な 我意を打ち破るのに成功を収めて来たし、今後もまだまだ繰り返しうまく行くことだろう。令嬢はちょっと思案して、 同意した。あと工夫しなければならないことはただ一つ。堅固に壁を廻らし、防塁で守られている城からエミーリエ がどうやって逃げ出し、待ち構えている略奪者の両腕の中に飛び込むかである。なにしろ彼女は、ヴァレンシュタイ ンの駐屯部隊が進発し次第、母親なる哨兵はまた以前の配置に就き、自分の一挙手一投足を監視、目を離しっこない だろう、とちゃんと弁えていたから。しかし工夫に富む恋はあらゆる困難に打ち勝つ。古い言い伝えによれば、幽霊 修道女が七年過ぎたので城中に姿を現す時が、次の秋の万霊 節 )( ( に迫っていることを彼女は知っていた。これが出るの を城の住人が皆怖がっていることも同じく承知だった。そこで、今度は自分が幽霊の役割を引き受け、尼僧の装束を ひそかに準備しておき、こうした変装で逃亡する、という大胆な思いつきをしたのである。   男 前 の フ リ ッ ツ は こ の 良 く 考 え 抜 か れ た 企 て に う っ と り し、 嬉 し が っ て 手 を 叩 い た。 三 十 年 戦 争 時 代 に は 強 きょう 靭 じん な 精 神 )3( ( が世に認められるのはまだ時期尚早だったが、若い勇士は充分しっかり者で幽霊の存在には疑いを差し挟んでい たし、あるいは、少なくともこうした怪力乱神をあれこれ 穿 せん 鑿 さく せずそっとしておくだけの心得はあった。取り決めが

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 一切済むと、彼はひらりと馬にまたがり、愛の庇護に身を委ね、指揮する騎兵中隊の先頭に立って出発した。あらゆ る危険を物ともしなかったが、戦役は彼にとっては無事に終わった。愛が彼の願いを聞き届け、その保護下に置いた かのように思われた。   かれこれするうち令嬢エミーリエは 惧 おそ れと希望の 狭 は ざ ま 間 で暮らしていた。彼女は忠実なアマディ ス )3 ( の命を思って戦慄 し、冬営した客人たちの身が戦場でどうなったか情報を集めるのに熱心に専念した。小競り合いの噂を聞くたびに驚 いたり案じたり。これを母親は娘が優しく感じ易い心を持っている証拠と解釈、悪く気を回したりしなかった。軍人 の方は、時時秘密の手紙 ―― これらは忠義な腰元という経路によって届けられた ―― を通じて、自分が遭遇したさま ざまな巡り合わせについて自身いとしいひとにせっせと報告、同じ経路で彼女から音信を受けるのが常だった。戦役 が終了するとすぐさま彼は、かねてからの企てである遠征のために準備万端調え、 駅 えきてい 逓 の旅のために四頭の 黒 あ 馬 お と一 台の 狩 ヤ ー ク ト ・ シ ェ ー ズ 猟用軽馬車 を購入、約束の場所であるラウエンブルク城近くの小さな林苑に待機しなければならない日をうっ かり間違えないよう熱心に暦を覗いたもの。   万霊節になると令嬢は、例の忠義な腰元に手助けしてもらって計画を実行する支度をし、少し気分が悪いとの口実 で早くに自室に引き上げ、そこでこれまで地上に出現したうちで最も可愛らしい 騒 ポルターガイスト 霊 に )3 ( 姿を変えた。宵の数時間 はゆっくりと経過、エミーリエにはひどくのろのろとしているように感じられた。時時刻刻、冒険をやってのけたい、 と い う 気 持 ち が 膨 れ 上 が る。 そ う こ う す る う ち 恋 人 た ち の 寡 黙 な お 友 だ ち で あ る き ら め く 月 ルーナ が そ の 薄 黄 色 い 光 で ラ ウエンシュタイン城を照らした。城中はせわしない昼間の物音が次第に消えて深閑と静まりかえった。城中で起きて いるのは、夜更けなのにまだ厨房の経費を計算して七面倒な数字と取り組んでいる女中頭、ご主人様の朝食のため半 ショック[三十羽]の 雲 ひ ば り 雀 の )33 ( 羽を 毟 むし らなきゃならない 家 か 禽 きん 調理 人 )3( ( 、同時に夜警の仕事も引き受けて 刻 とき を大声で告げる

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( 門番、それからわおうんと吠えて昇って行く月にご挨拶 申し上げている 目 め 敏 ざと い番犬のヘクトルだけ。   真 夜 中 の 鐘 が 響 く と、 大 胆 な エ ミ ー リ エ は 出 発 し た。 彼女は全ての扉を開く鍵をかねて手に入れておいた。足 音を忍ばせて階段を下り、回廊を抜けて行くと、厨房に まだ灯りがついているのに気がついた。そこで彼女は鍵 束を力一杯じゃらじゃらと鳴らし、全ての暖炉の焚き口 の蓋を大音響を立てて閉め、館の扉と城門の脇の 潜 くぐ り戸 を何の支障も無くすらすらと開けた。と言うのは、城中 で起きていた例の四人の住人は異様な騒音を耳にするな り、騒ぎ屋の尼さんがやって来た、と勘違いしたのであ る。びっくり仰天して、鳥の羽を毟っていた男は台所の 戸棚に、女中頭は寝床に、犬は犬小屋に、門番は妻が寝ている藁の山の中に、それぞれ飛び込んだ次第。野外に出た 令嬢は林目指して急いだ。そこに駿馬に繋がれた馬車が止まって自分を待っているのがもう遠くから見える、と彼女 は思い込んだ。ところが近づくとそれは人惑わしの木木の影に過ぎなかった。彼女は、自分がこの幻影に騙されて落 ち合う場所を間違えた、と考え、林苑の全ての路を端から端までくまなく歩き回った。けれど彼女の騎士もその馬車 もどこにも見当たらなかった。このできごとに度を失った令嬢は、これをどう解釈したらよいのかさっぱり分からな かった。約束した 逢 ラ ン デ ヴ ー い引き に姿を現さないというのは、恋人同士にあっては既にもう是認し難い犯罪である。が、今

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 回のような場合に居合わせないのは、恋愛道では大逆罪以上。エミーリエは一時間ほど待ちぼうけを喰わされ、悪寒 と 不 安 に 胸 を 震 え 慄 か せ た 挙 句、 い た ま し く 泣 き、 か き く ど き 始 め た。 「 あ あ、 あ の 不 実 者 は あ つ か ま し く も 私 を 物 笑いにしているんだわ。あのひとはどこかの娼婦の腕に 捉 つか まって、そこから逃げられないで、私の誠実な愛情のこと な ど 忘 れ て し ま っ て い る ん だ わ 」。 こ う 考 え た 彼 女 は 忘 れ て い た 家 系 図 を ふ と 思 い 出 し、 氏 も 無 く、 高 尚 な 感 性 も 持 た な い 男 を 愛 す る ほ ど ひ ど く 身 を 貶 おとし め た こ と を 恥 じ た。 目 く る め く 情 熱 に 去 ら れ た そ の 瞬 間、 し で か し た 失 錯 を 償 うために理性に相談した彼女に、この実直な忠告者は、再び城に引き返し、それから信義を破った男など忘れてしま いなさい、と言った。彼女は最初の方はただちに実行、安全かつ無事に寝室に辿り着いた。彼女に全てを打ち明けら れ た 忠 義 な 腰 元 は 大 層 驚 い た。 で も、 二 番 目 の 項 目 は、 取 り 掛 か っ て は み た も の の、 ゆ る ゆ る と で、 そ れ も 再 考また再考。   さ は さ り な が ら 氏 の 無 い 男 に は、 か ん か ん の エ ミ ー リ エ が 思 っ て い る よ う な 罪 が あ っ た わ け で は な い。 彼 は 過 た ず 時 間 通 り に や っ て 来 て い た の だ っ た。 胸 が 歓 喜 で 一 杯 の 彼 は 可 愛 い 恋 の 戦 利 品 を 受 け 取 る の が 待 ち き れ ず に じ り じ り し た。 真 夜 中 が 近 づ く と 彼 は、 城 の 傍 に 忍 び 寄 り、 潜 り 戸 が 開 く の を じ っ と 窺 っ て い た。 思 っ た よ り 早 く い と し い 修 道 女 姿 が そ こ か ら 出 て 来 た。 潜 伏 場 所 か ら 彼 女 を 迎 え に 飛 び 出 し た 彼 は、 真 心 籠

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 め て 相 手 を 抱 き 締 め、 こ う 言 っ た。 「 君 が 手 に 入 っ た、 君 を 捉 ま え た、 二度と君を放さない。すてきな可愛いひと、君はぼくのもの、すてき な 可 愛 い ひ と、 ぼ く は 君 の も の、 君 は ぼ く ん だ、 ぼ く は 君 ん だ、 体 も 心 も ね 」。 フ リ ッ ツ が 喜 び 勇 ん で 魅 惑 の 荷 物 を 馬 車 に 運 び 入 れ る と、 馬車は猛烈な勢いでまっしぐらに山坂を上ったり下ったり進んで行っ た。馬たちは鼻息荒く、息を弾ませ、 鬣 たてがみ を振り、興奮して、もはや 馬 は み 銜 に従おうとしなかった。車輪が一つ外れ、ひどい衝撃に御者は野 原にぱっと投げ出され、切り立った断崖を越えて馬も馬車も一切合財、 奈落の底へ円筒のように転がり込んだ。恋する主人公は我が身に何が 起こったのやら五里霧中、体中小突き回され、頭はぶっ叩かれ、激し い転落に意識を全く失った。再び正気に返った彼はいとしい駆け落ち 相手が傍にいないのに気付いた。夜の残りをこうした危なっかしい状 態で過ごした彼は、朝になって彼を発見した数人の農夫たちに最寄り の村へと運ばれた。   何もかも失くなった。例の四頭の黒馬は頸をおっぺしょっていた。しかしこうした損失は彼にはろくすっぽ気にな らぬ。ただいとしいエミーリエの運命を思いやって、居ても立ってもいられず、人人を全ての街道に派遣、彼女の消 息を求めた。けれども彼女について分かったことは皆目。彼が当惑から覚めたのは漸く真夜中のこと。鐘が十二鳴る と、扉が開いて、失踪した駆け落ち相手が入って来たのである。でも、魅力溢れるエミーリエの姿ではなく、おぞま

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 しい骸骨の幽霊尼僧の姿で。男前のフリッツは自分が間違ったのを引き当ててしまったことに気づいて驚愕し、瀕死 の冷や汗を流し、十字を切り、呪文で祓い、恐怖のうちで思いついた危急の時に唱えるありとあらゆる短いご祈祷を 唱 え 始 め た。 修 道 女 は そ ん な こ と は ろ く す っ ぽ 気 に も 留 め ず、 寝 台 の 彼 に 歩 み 寄 り、 氷 の よ う に 冷 た い 乾 ひ 涸 から び た 手 で 彼 の 火 照 っ て い る 両 の 頬 を 撫 で て 曰 く。 「 フ リ ー デ ル、 フ リ ー デ ル、 お と な し ゅ う し や れ、 わ ら わ は そ な た の も の、 そ な た は わ ら わ の も の、 体 も 心 も の う 」。 彼 女 は 時 計 で 計 っ て 一時間ほどかようなお出ましで彼を責め苛み、それからまた消 え失せた。それからというもの、彼女はこうした 非 プ ラ ト ン 肉体 的恋愛 遊戯を毎晩行い、彼が宿営しているアイヒスフェル ト )3( ( まで随い て来た。   ここでもフリッツは一向安息を得られなかった。幽霊の色事 のために苦しみ悲しみ、気力を 悉 ことごと く失ったので、連隊の士官 たちはだれもかれも彼の深い憂愁を看て取り、実直な兵士たち は皆彼に同情を寄せた。この勇敢な仲間がどんな問題を抱えて いるのか、だれにも謎だった。なぜなら彼は、不幸な秘密が周 囲に知れ渡るのを憚ったからである。しかし男前のフリッツに は朋輩たちの中に一人の信頼の置ける親友がいた。これは年老 い た 騎 兵 曹 長 心 得 で、 シ ュ レ プ フ ァ ー )3( ( の あ ら ゆ る 術 に 通 じ た 名 人だ、との評判だったし、噂によれば、 金 こんごう 剛 不 ふ え 壊 の体にな る )3( ( 失

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( わ れ た 秘 法 を 心 得 て い て、 精 霊 た ち を 呼 び 出 す こ と が で き、 そ し て 毎 日 自 フ ラ イ ク ー ゲ ル 在 弾 の )38 ( 射 撃 を し て い る、 と の こ と。 こ の 世故に長けた兵士は愛情の籠もった容赦なさで友人に、彼を悩ましている内緒の苦悩を打ち明けるよう迫った。呵責 に遭っている恋の殉教者は生きるのに倦み疲れていたので、他には決して洩らさないよう固い約束の下、とうとう懺 悔せざるを得なくなった。 「兄弟、それだけのことかね」と祓魔師は微笑みながら言った。 「こんな拷問からはすぐに 解 放 し て 進 ぜ る。 わ し に 随 い て わ し の 宿 舎 ま で 来 な さ れ 」。 不 可 思 議 な 準 備 が た く さ ん 執 り 行 わ れ、 円 や 記 号 が ど っ さり地面に描かれ、魔術師の召喚に応じて、魔法のランプのぼんやりした光だけが照明の暗い部屋の中に真夜中の幽 霊 が 今 回 は 真 昼 間 に 出 現、 犯 し た 乱 暴 狼 藉 を こ っ ぴ ど く 叱 責 さ れ、 あ る 人 里 離 れ た 谷 間 に あ る 中 が う つ ろ な 川 かわ 柳 やなぎ を )3( ( 居所として与えられ、即刻この 流 パ ト ム ス 刑地 に )(( ( 赴くように、と指示された。   亡 霊 は 消 え 失 せ た。 け れ ど も そ の 瞬 間 嵐 と 言 お う か 旋 つ む じ か ぜ 風 と 言 お う か 一 陣 の 狂 風 が 巻 き 起 こ り、 町 中 が 仰 天 し た。 大風が吹き 荒 すさ ぶとそのたびに、十二人の選び出された市民が即座に厳かな騎馬行列を作って通り通りを練り歩き、馬 上 で 懺 悔 聖 歌 を 詠 唱、 風 の 退 散 を 祈 念 す る の が、 こ の 土 地 の 敬 虔 な 慣 わ し だ っ た( 3) 。 十 二 人 の 乗 馬 長 靴 を 履 い た 馬 術 上 手 の 使 ア ポ ス テ ル 徒 た ち が、 颶 ぐ 風 ふう を 鎮 め る た め に 街 頭 に 派 遣 さ れ る と、 轟 轟 と 吼 ほ え 猛 っ て い た 風 音 は ぴ た り と 止 み、 亡 霊は二度と姿を現さなかった。   勇 敢 な 軍 人 は、 こ の 妖 あ や か し 異 ご と が 自 分 の 哀 れ な 魂 を 目 標 に し た の だ、 と よ く 分 か っ て い た の で、 呵 プ ラ ー ク ガ イ ス ト 責 霊 が い な く なってくれたことを心から喜んだ。彼は人に恐れられる ヴ ヴ ァ レ ン シ ュ タ イ ナ ー ァレンシュタイン帽 を )( ( 被り、再び元気一杯遠いポンメルラ ン ト )( ( へ出征した。そこで、魅惑のエミーリエの消息に接することなく、三度の戦役に従事、天晴れ見事にふるまった ので、ボヘミアへ引き上げる折には連隊を率いる身分になっていた。彼はフォークトラントを通る道を取ったが、彼 方 に ラ ウ エ ン シ ュ タ イ ン 城 を 望 む と、 い と し い 女 ひと も 自 分 に 操 を 立 て て く れ て い る か、 と 不 安 と 猜 さい 疑 ぎ に 心 臓 が ど き ど

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 き し た。 以 前 親 し く し て 戴 い た 一 家 の 友 人、 と だ け の 口 上 で 訪 おとな う と、 そ れ 以 上 詳 し く 名 乗 ら な か っ た の に、 客 人 権 の 慣 わ し に 従 い、 た ち ど こ ろ に 招 じ 入 れ ら れ た。 あ あ、 不 実 者 だ と ば っ か り 思 い 込 ん で い た 男 前 の フ リ ッ ツ が 部 屋 に 入 っ て 来 た 時、 エ ミ ー リ エ は ど ん な に 驚 い た こ と か。 彼 女 の 優 し い 心 は 嬉 し さ と 腹 立 ち に 襲 わ れ、 親 し げ な 視 線 を 彼 に 向 げ て や る 決 心 が 付 か な か っ た。 も っ と も 美 し い 双 そ う ぼ う 眸 と こ の よ う に 同 盟 す る に は 非 常 な 自 制 を 必 要 と し た の だ っ た が。 彼 女 は 三 年 以 上 も の 間、 不 誠 実 と 考 え て い た 氏 の 無 い 恋 人 を 忘 れ 去 ろ う と す る に せ よ し な い に せ よ、 自 分 自 身 を 相 手 に 頻 頻 と 相 談 に 耽 っ て い た の で あ り、 そ れ ゆ え に こ そ 寸 刻 た り と も 相 手 を 忘 れ た こ と は 無 か っ た の だ。 彼 の 面 影 は し ょ っ ち ゅ う 目 ま な か い 交 に 揺 曳 し、 と り わ け 夢 の 神 が 彼 の 有 力 な 庇 護 者 で あ る よ う に 思 わ れ た。 な に し ろ、 フ リ ッ ツ が 去 っ て か ら と い う も の、 令 嬢 が 見 た 無 数 の 彼 の 夢 は、 ま さ し く 彼 を 弁 護 す る、 あ る い は、庇ってやることをもくろんでいるかのようだったから。   颯 爽 た る 連 隊 長 )(3 ( は、 そ の 尊 敬 す べ き 官 職 が 母 夫 人 の 厳 し い 監 視 を い く ら か 和 ら げ た の で、 間 も な く 人 交 ぜ せ ず に い と し い エ ミ ー リ エ の 取 り 繕 っ た 冷 淡 さ を 吟 味 す る 機 会 を 見 つ け た。 彼 は 誘 拐 行 の あ の お ぞ ま し い 椿 事 を 打 ち 明 け、 彼 女 の 方

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( は、フリッツが信実の誓いを破った、と疑ってとても切なかったことを率直に告白した。相愛の二人は、自分たちの 秘密を知る範囲をいくらか拡げ、ママを内証事に 与 あずか る狭い内輪に引き込むことに合意した。   善良な奥方は狡賢いエミーリエの秘めたる情事を聞かされて仰天、また、誘拐計画の 事 スペキエス ・ ファクティ 実再構成 を )(( ( 告げられて、こ れまた同じくひどく驚いた。彼女は、愛がこうした苛酷な試練に報いてくれたのをもっともだ、と納得。ただ、氏の 無い男であることがおもしろくない。けれども令嬢に、男の無い氏と結婚するより、氏の無い男と結婚する方が遥か に賢明である、と諭されると、こうした論拠に何も故障を申し立てることができず、母親としての同意を与えた。な ぜなら、どこぞの伯爵がその胸に候補として潜んでいたわけではなかったし、当事者たちの間では秘密条約によって も う か な り 話 が 進 ん で い る よ う だ っ た か ら。 男 前 の フ リ ッ ツ は 魅 惑 の 許 い い な ず け 嫁 を 抱 き 締 め、 幽 霊 尼 僧 に 異 議 を 申 し 立 て られ る )(( ( ことなく、無事平穏に婚礼を挙げた。   原注 ( 1) ラ ウ エ ン シ ュ タ イ ン  Lauenstein. 33  こ の 名 が 付 い て い る 土 地 は い く つ か あ る。 た と え ば、 エ ル ツ ゲ ビ ル ゲ 地 方 の あ る 古 城 と 小 さ な 町、 下 ニーダー ケルンテンのある小さい町、ハノーファーのある山城と村が挙げられる。おそらくまだ他にもあろう。 ( 2) フ ラ ン ツ・ フ ィ ナ ツ ィ  Franz Finatzi.   食 べ る 心 配 に つ い ぞ 悩 ん だ こ と の な い こ の 紳 士 は、 生 年 五 十 六 歳 で 正 味 四 八 八 ポ ン ド〔 英 国 ポ ン ド なら約二二〇キロ。現代のドイツプフントなら二四四キロ〕あった。 (3)大風が吹くとそのたびに……この土地の敬虔な慣わしだった   この風退散の騎馬行列は前述の都市では今日まで続いている。   訳注 (1) フォークトラント   Vogtland.   ザクセン地方南東部の山岳地帯。 (2)ロックヴィッツ   Lockwitz.   同名の村がザクセンにある。ドレースデンの近く。

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 ( 3) フ ス 派 戦 争  ボ ヘ ミ ア 王 国 の 説 教 師 で あ り、 首 都 プ ラ ハ( ド イ ツ 語 プ ラ ー ク ) の カ レ ル 大 学 総 長 の 要 職 に も あ っ た 宗 教 改 革 者 ヤ ン・ フ ス ( 一 三 六 九 ― 一 四 一 五 ) は、 カ ト リ ッ ク 教 会 の さ ま ざ ま な 堕 落 を 指 摘、 重 罪 を 犯 し て い る 宗 教 界、 俗 界 の 首 長 は 統 治 権 を 失 う べ き だ、 と 説 い た。 こ れ は 民 族 意 識 を 高 め て い た チ ェ コ 人 に 大 き な 反 響 を 呼 ん だ。 ボ ヘ ミ ア 王 国 の 高 位 聖 職 者 は ほ と ん ど ド イ ツ 人 だ っ た か ら で あ る。 フ ス は 一 四 一 五 年 コ ン ス タ ン ツ の 公 会 議 で 審 問 を 受 け、 異 端 と 判 決 さ れ、 火 刑 に 処 さ れ た。 し か し フ ス の 教 え を 信 奉 す る 人 人、 す な わ ち フ ス 派 は、 カ トリックの支配階層と戦い始める。これをフス派戦争と称する。一四一九年 ― 一四三六年。   (4) オルラミュンダ伯爵  

Graf von Orlamünda.

  オルラミュンデ Orlamünde はオスターラントとテューリンゲンの伯爵家。 ( 5) 郷 ユ ン カ ー 士  ム ゼ ー ウ ス は こ こ で は、 英 国 の 紳 ジ ェ ン ト リ ー 士 階 級 の よ う に、 世 襲 貴 族 や 一 代 貴 族 で は 無 い が 広 大 な 土 地 を 持 つ 有 産 者 の 称 号 と し て 用 い て い る。 なお、 「リブッサ」 、「宝物探し」の訳注参照。 (6)回廊   修道院の中庭を囲む回廊。 (7) 悪 ベリアル 魔  Belial.   悪魔の名。新約聖書コリント後書六章十五節。ヘブライ語で「堕落」 「下劣」の意。 (8)お聖水   カトリック教で司祭により祝別された水。 (9) 灌 かんすい 水 器  聖水を振り掛けるための道具。 ( ()ガスナー   Gaßner.   ムゼーウスの同時代人で評判の高かった悪魔祓い師ヨーハン ・ ヨーゼフ ・ ガスナー(一七二七 ― 一七七九)を指す。彼は、 悪 魔 を 祓 い 清 め る こ と に よ り 病 人 を 癒 す こ と が で き る、 と 称 し た。 一 七 七 四 年 レ ー ゲ ン ス ブ ル ク の 司 教 フ ッ ガ ー に エ ル ヴ ァ ン ゲ ン と レ ー ゲ ン ス ブ ル ク に 呼 ば れ た 彼 の 許 へ、 ボ ヘ ミ ア、 オ ー ス ト リ ア、 バ イ エ ル ン か ら な ん と も 名 状 し 難 い 数 の 群 集 が 押 し 寄 せ た の で、 遂 に 一 七 七 七 年 神 聖 ローマ帝国皇帝ヨーゼフ二世はこの騒動を抑止し、ガスナーにレーゲンスブルクを立ち去るよう命じた。 ( ) コ ー ボ ル ト  Kobold.   特 定 の 家 に 棲 み つ い て、 僅 か な 食 べ 物 と 引 き 換 え に 家 の 仕 事 を な に く れ と な く し て く れ る が、 待 遇 が 良 く な い と ひ ど い 悪 戯 を し て 仕 返 し を す る 家 の 精。 も っ と も、 奉 仕 は し な い で 悪 戯 だ け に 専 念 す る あ ま り 性 質 の よ ろ し く な い 連 中 も い る。 「 リ ュ ー ベ ツ ァ ー ル の物語」訳注参照。 ( ) 三 十 年 戦 争  ド イ ツ を 主 戦 場 と し て 三 十 年 間( 一 六 一 八 ― 一 六 四 八 ) 荒 れ 狂 っ た 内 戦。 も っ と も イ ス パ ニ ア、 オ ラ ン ダ( ( ネ ー デ ル ラ ン ト 諸 州) 、 スウェーデン、 フランスなど外国軍も介入したので、 ヨーロッパ戦争という性格も帯びた。詳しくは「リューベツァールの物語」訳注参照。 ( 3)プレスブルク   Preßburg. 現代のスロヴァキア共和国の首都ブラティスラヴァ。ドナウ河畔の由緒ある古都。この物語が書かれた当時はオー ストリア=ハンガリア二重帝国=王国の重要都市。 ( () ツ ォ ル  長 さ の 単 位。 イ ン チ に 相 当。 「 リ ブ ッ サ 」 に も 出 る。 肥 満 度 な ら 重 さ で 測 る の が 当 然 と 考 え ら れ る か も 知 れ な い が、 突 き 出 た 腹 の 頂 点とその対極の背中の部分の間隔を横から測る、というやりかたもある。

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8 ( () ロ イ ス 家  Reußen.   テ ュ ー リ ン ゲ ン 東 部 の 古 い 名 門 で、 ド イ ツ の 最 高 の 侯 家。 神 聖 ロ ー マ 帝 国 皇 帝 ハ イ ン リ ヒ 四 世( 在 位 一 〇 八 四 ― 一一〇五)によって一〇九九年ゲラ周辺の帝国領代官に任じられたグライスベルクのハインリヒ敬虔侯を祖とする。 ( ()あんよはお上手を習う 紐 ひも   「泉の水の精」訳注参照。 「リブッサ」にも出る。 ( () 公 プリンツ 爵  ここでは神聖ローマ帝国を形成する諸領邦のうち王国以下のしかるべき小国の君主を指す。諸侯。 ( 8) 親 パ ラ デ ィ ン 衛騎士   ここでは貴婦人に扈従し、愛を捧げる騎士。詳しくは「三姉妹物語」訳注を参照のこと。 ( () 典 グ ラ テ ィ ア 雅の女神   Grazie. ローマ神話の典雅の女神たちグラティアエの単数形。 「三姉妹物語」 、「ローラントの従士たち」 、「屈背のウルリヒ」にも 出る。 ( ()ドイツ民族の神聖ローマ帝国  

das Heilige Römische Reich deutscher Nation.

  「屈背のウルリヒ」訳注参照。 ( ) ヴ ァ レ ン シ ュ タ イ ン  Wallenstein. ア ル ブ レ ヒ ト・ ヴ ェ ン ツ ェ ル・ フ ォ ン・ ヴ ァ レ ン シ ュ タ イ ン( 一 五 八 三 ― 一 六 三 四 )。 三 十 年 戦 争 で 活 躍 し た 神 聖 ロ ー マ 帝 国 軍 の 将 軍。 常 勝 将 軍 の 名 を ほ し い ま ま に し た。 帝 国 軍 総 司 令 官 に 昇 る。 ボ ヘ ミ ア 王 国 の 新 教 徒 貴 族 の 子 に 生 ま れ た が、 カ ト リ ッ ク 教 に 改 宗。 自 費 で 数 万 の 傭 兵 隊 を 組 織 す る こ と が で き た。 こ の 物 語 の 軍 勢 も 士 官 か ら 兵 卒 ま で 傭 兵 で あ る。 な お「 リ ュ ー ベ ツ ァ ー ル の 物 語」訳注をも参照のこと。 ( ) こ れ ら の 軍 神 た ち の 中 に は …… 若 い 英 雄 も 少 な く な か っ た  ギ リ シ ア 神 話 の 軍 神 ア レ ス は 足 萎 え の 鍛 冶 の 神 ヘ パ イ ス ト ス の 妻 ア プ ロ デ ィ ー テ に 密 通 し た 間 男 で、 ヘ パ イ ス ト ス に 現 場 を 押 さ え ら れ て、 大 恥 を か か さ れ る、 と ホ メ ロ ス で は 説 か れ て い る。 こ れ を そ の ま ま ロ ー マ 神 話 の 神 名 に 置 き 換 え れ ば、 軍 神 は マ ル ス、 ヘ パ イ ス ト ス は ウ ル カ ヌ ス、 ア プ ロ デ ィ ー テ は ウ エ ヌ ス と な る。 し か し、 ギ リ シ ア 人 に 較 べ 軍 事 を 尊 ん だ ロ ー マ人は、マルスをそのような道化役にはしていない。なお、ここでは、太っちょの郷士殿とその奥方を暗示している。 ( 3) カ リ オ ス ト ロ 伯 爵  Graf von Cagliostro.   自 称 カ リ オ ス ト ロ 伯 爵 ア レ ッ サ ン ド ロ( 一 七 四 三 ― 一 七 九 五 )。 本 名 ジ ュ ゼ ッ ペ・ バ ル サ モ。 十 八 世紀の冒険的山師の一人。詳しくは「屈背のウルリヒ」訳注参照。 ( () マ ル タ 騎 士 団  十 字 軍 に 支 配 さ れ て い た エ ル サ レ ム で 巡 礼 者 の 救 護 の た め に 一 〇 七 〇 年 結 成 さ れ た 修 道 会 は 後 聖 ヨ ハ ネ 騎 士 団 に 発 展 し た が、 シ リ ア の 大 部 分 お よ び エ ジ プ ト を 支 配 し た ア イ ユ ー ブ 朝 の 王 スルタン サ ラ ー フ・ ア ッ デ ィ ー ン( サ ラ デ ィ ン ) に 一 一 八 七 年 エ ル サ レ ム を 征 服 さ れ る と、 キ ュ プ ロ ス 島 を 経 て ロ ー ド ス 島 に 本 拠 を 移 転 し、 対 ト ル コ 帝 国 戦 に 従 事 し た。 し か し、 ソ レ イ マ ン 二 世 に 破 れ、 一 五 二 二 年 ロ ー ド ス 島 か ら も 撤 退 せ ざ る を 得 な く な っ た。 神 聖 ロ ー マ 帝 国 皇 帝 カ ー ル 五 世 は 一 五 三 〇 年 騎 士 団 に マ ル タ と そ の 属 島 お よ び ト リ ポ リ を 与 え た。 騎 士 団 の マ ル タ 島 支配は一七九八年ナポレオン・ボナパルトによって島を占領されるまで続く。 ( () ロ ツ ァ ー レ ヴ ィ ッ チ シ ア 皇 太 子  原 文 は Zannowich と な っ て い る。 Zarewitsch の 誤 記 か。 「 ツ ァ ー レ ヴ ィ ッ チ 」 は 本 来 ロ ァ ー リ シ ア 皇 帝 の 子 息 た ち の 称 号。 山 師 カ リ オ ス ト ロ が 活 躍 し て い た 頃 の ロ シ ア 皇 太 子 は 暗 愚 な パ ー ヴ ェ ル 大 公。 弟 は い な い。 し か し 男 女 関 係 に 奔 放 だ っ た 女 ツ ァ ー リ ナ 帝 エ カ チ ェ リ ー ナ 二 世 が

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題

母親だから、このような噂も立ち易かったであろう。

()アルバニア公

 

Prinz von Albanien.

  アルバニアは一四七九年以降この時代までトルコ帝国領。公国ではない。 ( () 卒 伍 か ら 身 を 起 こ し て 騎 兵 中 隊 長 に ま で な っ た  直 訳 す る と、 「 長 ピ ケ 槍 〔 中 世 末 期 の 歩 兵 の 武 器 〕 か ら 騎 リ ッ ト マ イ ス タ ー 兵 中 隊 長 ま で 立 身 し た 」 と な る。 中 世 の 傭 兵 部 隊 で は、 長 槍 や 弩 な い し 火 縄 銃 を 操 作 す る 歩 兵 は、 騎 兵 よ り 一 段 下 に 見 ら れ た し、 そ の 騎 兵 の 一 個 中 隊 を 指 揮 す る 士 官 と な れ ば、 普 通 は貴族出身者が任命される誉れ高い地位である。近代では中隊長は陸軍大尉が相当官。 ( 8) 掘 り 崩 そ う  城 や 要 塞 を 攻 略 す る 場 合、 防 護 壁 の 下 ま で 坑 道 を 掘 り 進 め、 火 薬 を 仕 掛 け て 爆 発 さ せ、 下 か ら 崩 す 方 法 が あ る。 ム ゼ ー ウ ス は 軍 事用語を用いているわけ。 ( ()万霊節   カトリック教で、教えを奉じて死んだ死者の日。十一月二日。 ( 3() 強 きょう 靭 じん な 精 神  Starkgeisterei.   利 欲 や 煩 悩 に 掣 肘 さ れ ず、 も ろ も ろ の 先 入 観 と 闘 う の も 辞 さ な い 強 い 精 神 の 持 ち 主 の 性 格・ 行 動。 妖 怪 変 化 な どの俗信も受け付けないわけ。 「リューベツァールの物語」 (ここでは殊更注は付けなかった) 、「愛の 信 ま こ と 実 」にも出る。 ( 3)アマディス Amadis.   アマディス・デ・ガウーラ。中世の散文騎士物語の主人公。詳しくは「屈背のウルリヒ」訳注を参照のこと。 ( 3) 騒 ポ ル タ ー ガ イ ス ト 霊 Poltergeist.   家 具 類、 食 器 類 を 投 げ た り、 家 鳴 り 震 動 さ せ た り、 極 め て 騒 が し い 精 霊。 一 般 に は 姿 は 見 せ な い。 詳 し く は「 泉 の 水 の精」訳注参照。 ( 33) 雲 ひ ば り 雀  Lerche.   ヨ ー ロ ッ パ に お い て 雲 雀 は、 小 しょう 禽 きん 類 の 中 で も 特 殊 で、 食 用 に さ れ る ば か り か、 狩 猟 の 対 象 に も な っ て い る。 現 代 で は 地 面 に 設 置 さ れ る 罠 や、 大 き な 霞 網 の 使 用 は 法 律 で 禁 止 さ れ て い る が、 狩 猟 自 体 は 許 さ れ て い る。 ロ ー マ 人 は 既 に 炙 あぶ っ て 詰 め 物 を し た 雲 雀 を 賞 味 し て い た。 十 七 世 紀 に は ラ イ プ ツ ィ ヒ の 雲 雀 の 評 判 は 確 定 し て い た。 こ の 地 方 に は 豊 か な 穀 物 畑 が 拡 が っ て い た の で、 雲 雀 は 上 質 で た っ ぷ り し た 餌 を 摂 る こ と が で き た か ら で あ る。 雲 雀 の パ テ や 雲 雀 の 煮 ア ス ピ ク 凝 り は 近 世 の 発 明。 こ の よ う に 雲 雀 は 鶫 つぐみ 、 鶉 うずら 、 蒿 あ お じ 雀 と と も に ヨ ー ロ ッ パ の 美 食 家 が 好 む小鳥なのである。 ( 3() 家 か 禽 きん 調 理 人  原 文「 去 勢 鶏 の 詰 め 物 師 Kapaunenstopfer 」。 去 ケ イ ポ ン 勢 雄 鶏 は 柔 ら か く て 美 味 か つ 肥 大 し て い る の で 好 ま れ る。 ま た、 鶏 の 丸 炙 や き の 場合、腹腔に詰め物をすることもよくある。 ( 3() ア イ ヒ ス フ ェ ル ト  Eichsfeld. ザ ク セ ン 地 方 と ハ ノ ー フ ァ ー 地 方 の 間 に 広 が る 標 高 四 〇 〇 ― 四 五 〇 メ ー タ ー、 領 域 一 五 〇 〇 平 方 キ ロ の 高 原。 住 民 は 圧 倒 的 に カ ト リ ッ ク 教 徒。 五 三 〇 年 フ ラ ン ク 王 国 の 支 配 下 に 入 り、 次 い で マ イ ン ツ の 大 司 教 領 に 属 し た。 し か し、 町 の 名 で は な い。 中 部 フ ラ ン ケ ン の 都 市 ア イ ヒ シ ュ テ ッ ト Eichstätt の 誤 り か。 こ こ は 神 聖 ロ ー マ 帝 国 直 属 都 市 で あ り、 住 民 は お お む ね カ ト リ ッ ク 教 徒 だ か ら、 神 聖 ローマ帝国軍であるヴァレンシュタインの同勢が宿営するには適している。 ( 3() シ ュ レ プ フ ァ ー  Schröpfer.   フ ラ ン ク フ ル ト と ラ イ プ ツ ィ ヒ で コ ー ヒ ー 店 を 経 営 し て い た シ ュ レ プ フ ァ ー と い う 男( 一 七 七 四 年 死 去 ) は、 心

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( 霊術によって精霊界と繋がりがある、と自称していた。ムゼーウスは時代錯誤を承知で遊んでいるのであろう。 ( 3() 金 こ ん ご う 剛 不 ふ え 壊 の 体 に な る  中 世 の 民 間 信 仰 で は、 特 定 の 魔 法 に よ っ て「 金 剛 不 壊 の 体 に な る 」、 す な わ ち、 矢 や 弾 丸、 剣 や 槍 に 傷 つ け ら れ な い 体 になることができる、とされた。 ( 38) 自 フ ラ イ ク ー ゲ ル 在 弾  魔 弾 と も 訳 さ れ る。 撃 て ば 必 ず 的 に 命 中 す る 弾 丸。 カ ー ル・ マ リ ー ア・ フ ォ ン・ ヴ ェ ー バ ー( 一 七 八 六 ― 一 八 二 六 ) の 歌 劇 「 魔 フ ラ イ シ ュ ッ ツ 弾の射手 」は有名。 ( 3() 川 かわ 柳 やなぎ   Bachweide.   川辺に生えている柳。 ( (() 流 パ ト ム ス 刑地   Pathmus.   「三姉妹物語」訳注参照。 ( () ヴ ヴ ァ レ ン シ ュ タ イ ナ ー ァレンシュタイン帽   羽飾りの付いた鍔広帽子。 ( () ポ ン メ ル ラ ン ト  Pommerland. 北 ド イ ツ の ポ ン メ ル ン 地 方。 三 十 年 戦 争 で は、 バ ル ト 海 の 覇 権 を 我 が 物 に、 と 望 む ス ウ ェ ー デ ン 国 王 グ ス タ ヴ・アドルフ、デンマーク国王クリスティアン四世が侵攻した。 ( (3) 連 隊 長  近 代 で は 陸 軍 大 佐 が 相 当 官。 フ リ ッ ツ は 三 年 間 で( 現 代 風 に 言 え ば ) 大 尉 か ら、 少 佐、 中 佐、 大 佐 と 三 階 級 も 昇 っ た、 と 考 え る と、 その栄進ぶりがはっきり分かる。一個の傭兵隊にあっては最高の地位である。また、傭兵隊の連隊は現代の連隊より遥かに人数が多かった。 ( (() 事 スペキエス ・ ファクティ 実 再 構 成  species facti.   ラテン語。法律事件における事実経過の再構成。 ( (() 異 議 を 申 し 立 て ら れ る  婚 礼 に 先 立 ち 教 区 の 教 会 で 聖 職 者 が、 し か じ か の 男 女 が い つ い つ に 結 婚 す る 予 定 で あ る 旨、 会 衆 に 公 示 す る。 異 議 が ある者は指定期限までに申し出る。申し出が無ければ、無事に挙式ができる。 ( (() ラ ウ エ ン シ ュ タ イ ン  Lauenstein. 同 名 の 町 で ザ ク セ ン に あ る の は 海 抜 五 九 六 メ ー タ ー の 高 み に あ る 保 養 地 で あ る。 ご く 小 さ い。 同 名 の 城 も あ る。 た だ し ボ ヘ ミ ア か ら 移 っ て 来 た ド イ ツ 騎 士 団 に よ っ て 建 て ら れ た。 既 に 一 二 八 九 年 に 名 が 文 書 に 挙 げ ら れ て い る。 一 四 〇 二 年 ド ー ナ の 伯 爵家から町とともにヴェッティン家〔ザクセン王室を初めとしてザクセン=ヴァイマル大公家など数数の名家がこの家系〕 に帰属。

解題

この逸話の主題の一つは「死人の愛」である。 訳の底本の注釈者ノル バ ート・ミラーは、ムゼーウスはこの逸話の素材に、生きている妻の姿になったある幽霊に

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誘拐――ある逸話 ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス 著 鈴木滿訳・注・解題 行く先先至るところ付き纏われた、コーブルク公爵の 主 しゅ 馬 めの 頭 かみ の伝説(エラスムス・フランツィスク ス (1) が一六八五年著 した『地獄のプロテウ ス (2) 』の中で物語られている)と、ビュルガー(一七四七─一七九四)の名高い 物 バ ラ ー デ 語詩 「レノー レ」 (一七七三)

Gottfried August Bürger:

Lenore を結び付けたのかも知れない、と記している。 発表されると、ヨーロッパの文壇に大きな反響を呼んだ「レノーレ」の粗筋はこうである。 乙女レノーレが、やがて 夫 め お と 婦 に、と行く末を固く誓った恋人ヴィルヘルムは、プロイセン軍の一員としてオースト リア軍と ボ ヘミアの首都プラーク〔チェコ語プラハ〕で戦っている。やがて長い戦も終わり、軍は帰還したが、その 隊列にヴィルヘルムの姿は見当たらない。レノーレは、恋人が死んだ、と思い、絶望して神を呪う。やがて日が暮れ、 月の照る夜となる。馬の蹄の音がして、門扉の叩き金が鳴る。 「いとしいひと、眠ってるの、起きてるの」 。懐かしい ヴィルヘルムの声。狂喜したレノーレは「起きてます、そして泣いてるの」と答え、更に恋人に、どこから来たの、 と訊く。恋人は、 ボ ヘミアから旅をして来た、それも真夜中だけ、これから君を結婚の新床に連れて行くのだ、と言 う。男の黒馬の鞍のうしろに乗った乙女は、月光の中、疾風のように旅をする。目的地は遠くの静かで冷たくて小さ い場所。到着したのは墓場で、ある墓の傍で馬は止まる。ヴィルヘルムの衣装はずれ落ち、露わになった姿は大鎌と 砂時計を持つ骸骨、つまり「死」 〔死神〕だった。馬は棹立ちになり、地下に沈み、レノーレは 黄 よ 泉 み 路 じ へと赴く。 従 っ て、 こ れ か ら ム ゼ ー ウ ス が 主 題 を 借 り 受 け た、 と す る の は い さ さ か 牽 強 付 会 が 過 ぎ よ う。 「 レ ノ ー レ 」 は「 幽 霊 花 婿 」 譚 な の だ か ら。 「 幽 霊 花 嫁 」 型、 あ る い は「 吸 血 鬼 花 嫁 」 型 な ら、 ゲ ー テ( 一 七 四 九 ─ 一 八 三 二 ) の 物 語 詩 「コリントの花嫁」 (一七九七) Johann Wolfgang von Goethe: Die Braut von Korinth がある。ただしこれはムゼー

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 ウスの物語より後に出版された。 も う 一 つ の 主 題 は 幽 霊 譚 だ が、 こ れ は ド イ ツ で も 枚 挙 に 遑 いとま 無 い か ら、 ム ゼ ー ウ ス の 素 材 を こ れ こ れ と 特 定 す る の は難しい。 な お、 三 十 年 戦 争 時 代 の 傭 兵 隊 に つ い て の 描 写 を ム ゼ ー ウ ス が そ の 時 代 に 生 き た 作 家 グ リ ン メ ル ス ハ ウ ゼ ン ( 一 六 二 一 / 二 二 ─ 一 六 七 六 ) の『 阿 呆 物 語 』( 『 ジ ン プ リ ツ ィ ス ィ ス ム ス の 冒 険 』。 一 六 六 八 / 六 九 ) Hans Jacob

Christoffel von Grimmelshausen:

Der abenteuerliche Simplicissimus

から借りた可能性は大きい。 (1)エラスムス・フランツィスクス   Erasmus Franciskus.   未詳。 (2) 『地獄のプロテウス』  

Der höllische Proteus.

 

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