ウィリアム・モリスと彩飾手稿本『詩の本』
蛭
川
久
康
◆はじめに ウィリアム・モリス(一八三四─一八九六)における書物芸術といえば、だれしもケルムスコット・プレスを想 起するであろう。が、じつは本論が取り上げる『詩の本』 ( A Book of Verse )は、この私家版印刷工房によって成 し遂げられた一連の「理想の書物」群に二〇年あまり先行したモリスの仕事だった。完成は一八七〇年春、モリス 流儀に則った仲間との協働の成果として仕上げられた。小冊ながら、このうえなく精緻・美麗をきわめた、宝石の ような自撰詩集である。モリスの書物芸術の領域における先駆けとなった記念碑的作品であり、モリスが試みた最 初の彩飾手稿本である故に、それはモリスによるカリグラフィ活動の宣言の書、あるいは新分野への挑戦の書とも なった。はじめて手にする時、だれしも予期せぬその静謐な詩趣に囚われるのではなかろうか。 考えてもみれば、ウイリアム・モリスは、ラスキン(一八一九─一八八二)の到達点を出発点として始動して以 来、絶えず変容をみせながら、時には後退を思わせないではなかったが、一貫して芸術家であり、文明批評家であり、 社 会 活 動 家 で あ る よ う な 統 合 的 主 体 と し て あ り 続 け た の だ っ た。 だ か ら、 『 詩 の 本 』 の 出 現 は、 一 見 不 意 の 出 来 事 の よ う に 思 え て も、 こ の 新 事 業 へ の 挑 戦 は、 長 い 時 間 を か け て モ リ ス 自 身 が 熟 成 を 図 っ た こ と の 成 果 で あ っ た。 そ し て『 詩 の 本 』 を は じ め と す る 彩 飾 手 稿 本 の 達 成 が、 こ ん ど は 後 の ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス の 発 足 に つ な がったが、それはいかにもモリスらしい見事な連鎖と見ることができる。 モ リ ス が 彩 飾 手 稿 本 と 取 り 組 ん だ 時 期 は、 後 に も 先 に も そ の 生 涯 の 一 八 七 〇 年 か ら 始 ま る 五 年 間 だ け で あ る。 『 詩 の 本 』 を は じ め と す る、 こ の 時 期 に 属 す る 一 〇 余 点 は、 後 に 続 く ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス 全 五 三 点 の た め の い わば実験とか試作などという二義的位置付けにはなじまない。手書きによる一冊一冊が一点かぎりの書物であるこ とによって、複数の増刷を容易にゆるす活字印刷本とはまた別な書物群として特別の関心の対象となるに十分であ る。 た し か に 量 的 に は 及 ば な い と し て も、 質 的 に は、 つ ま り 芸 術 的 完 成 度 に お い て、 彩 飾 手 稿 本 は 決 し て ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス 刊 本 に 劣 る も の で は な い。 「 手 書 き 」 で あ る こ と、 つ ま り 一 点 だ け の 存 在 と い う そ の 特 質 か ら は、 製作者の美的追及の熱度において、ケルムスコット・プレス刊本を凌駕するのではないかさえと思わせるものがあ る。印刷工房の刊本はあくまで印刷本である。手書きから印刷へ、それは一八七〇年頃までにモリスが磨きあげて きたはずのカリグラファーあるいはタイポグラファーとしての力量・感性にさらに磨きをかけた段階で、はじめて モリス独自の活字書体が創出され、優れた印刷業者と出会うという幸運にも恵まれて、活字印刷に成功したのだっ た。 『 詩 の 本 』 を 中 核 に 築 き 上 げ ら れ た モ リ ス の 彩 飾 手 稿 本 の 世 界 は、 従 来 と も す れ ば、 ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス 刊本の完璧と華々しさの陰にかくれて、不当に等閑視されてきた虞れなしとしない。以上が『詩の本』のもつ第一 義的意義。
『 詩 の 本 』 は も う 一 つ の 見 逃 せ な い 問 題 を 提 示 す る。 モ リ ス は、 こ の「 宝 石 の よ う な 書 物 」 を バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ 夫 人、 ジ ョ ー ジ ア ー ナ( 一 八 四 〇 ─ 一 九 二 〇 ) の 第 三 〇 回 目 の 誕 生 日 に 彼 女 へ の 贈 り 物 と し た 事 実 が そ れ で あ る。一体、このことはなにを意味するのか? この事実によって『詩の本』は「宣言の書」 、「挑戦の書」であるこ とから、一挙に個人色の強烈なきわめて暗示的な一書に変容する。贈る者と贈られた者の共犯関係を思わせる「問 題の書」とさえみなされる。モリスとジョージアーナとの間になにがあったのだろうか? その時、親友バーン= ジョーンズ (一八三三─一八九八) はどうしていたのだろうか? そしてもう一人、 モリスの妻ジェイン (一八三九 ─一九一四)はどうしていたのだろうか? この二組の、生涯を通じて親友であり、美談に事欠かない友情を持続 させた希有な関係として知られるモリス夫妻とバーン=ジョーンズ夫妻になにが起こっていたのだろうか? 具 体 的 に は、 モ リ ス と 人 妻 ジ ョ ー ジ ア ー ナ の 関 係、 画 家 バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ と 人 妻 マ リ ー ・ ザ ン バ コ ( 一 八 四 三 ─ )との関係、さらにダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(一八二八─一八八二)亡き後ジェインが陥ったウィ ルフリッド・スコーエン・ブラント(一八四〇─一九二二)との第二の「親密な関係」という、運命的な人間関係 をめぐる問い掛けであるが、その結節点にあるのがほかならぬ『詩の本』である。 本 稿 は 以 上 の 諸 問 題 を、 次 の 三 つ の 表 題 の 下 に、 『 詩 の 本 』 が 提 示 す る、 予 想 を こ え た 広 が り と 奥 行 き を 明 ら か にして、モリスの晩年を考察する。 「ウィリアム・モリスと自撰詩集『詩の本』 」 ・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・ 4 「モリス夫妻とジョージアーナ・バーン=ジョーンズ」 ・・・・ ・・・ ・・・ ・ 21 「モリス夫妻とウィルフリッド・スコーエン・ブラント」 ・・・・ ・・・ 49
◆ウィリアム・モリスと自撰詩集『詩の本』 ずっと以前から、父はフランスとイギリスの中世絵付き手稿本に深く親しんで、ボドリアン図書館や大英博物 館の最高に美しい蔵書を自分の本であるかのように熟知していました。それどころか、これ程楽しい思いをし ているのだから、自分の蔵書そのものだ、とよく笑いながら言っていました。バーン=ジョーンズと一緒に大 英博物館の写本部門で幾時間も楽しい時を過ごしたのです。あの若さで父ほどその宝物に親しんだ者は、写本 部門の係員を別にすれば、ほかにだれもロンドンにいなかったと思います。 モリスの彩飾手稿本に対する関心について、娘のメイ・モリスが記した言葉である 。 (1 ( こうした学生時代にさかの ぼる関心が本格化したのはモリス一家がクウィーン・スクエア二六番に住んでいた一八七〇年頃からであった。そ の後ホリントン・ハウスで過ごした時期にも、この関心は途切れることなく持続したのだった。とはいえ、商会の 仕 事 が 多 忙 を き わ め る と、 お の ず と「 こ の 静 謐 で 思 索 的 芸 術 」 か ら 遠 ざ か る こ と に な り、 多 方 面 に 活 動 す る 父 に とって、この新領域は「間違いなく寛ろぎの日曜日のこの上ない心休まる楽しみ」になったのだという。 それにしても、中世の筆写と彩飾の技を一九世紀後半に蘇らせるのは生易しいことではなかったはずである。印 刷 術 の 発 達 が こ の 領 域 の 再 生 に 不 可 欠 な 諸 条 件 を 時 代 か ら 完 全 に 奪 っ て し ま っ て い た。 筆 記 用 具 に し た と こ ろ で、 伝統的な羽根ペンは鋼ペンに取って代わり、用紙についてもヴェラムばかりを使用するわけにはいかず、紙を用い れば、風合いがまるで違った。それにインクの質も変わってしまった。モリスは職人として安易な妥協や真似事を 嫌って、神経質なほどに原型・原質にこだわった。後のことになるが、ケルムスコット・プレスの三活字体、特注
手 漉 き 用 紙、 ド イ ツ の ヤ ー ネ ッ ケ 商 会 の 黒 イ ン ク な ど へ の 拘 泥 は そ の 好 事 例 で あ る。 時 代 の 流 行 は ゴ シ ッ ク・ リ ヴァイヴァル、だが、モリスは無節操な便乗を遠ざけた。ステンドグラスや染職においてそうだったように、まず 過去の優れた実例を徹底して観察・吟味し、文献に歴史を学び、ようやく実作に取り掛かり、しばしば共同作業に よって成果を得た。そして最後に作品とは別に講演や論文の形で仕事の要諦を記録として残す。これがモリスの流 儀だった。書物芸術についても、こうした一連のモリス流儀は踏襲された。 モ リ ス の 中 世 彩 飾 手 稿 本 の 体 験 は、 メ イ の 言 う「 ず っ と 以 前 か ら 」、 つ ま り 大 学 生 の 頃 の ボ ド リ ア ン 図 書 館 や 大 英 博 物 館 で の 体 験 と さ れ る が、 後 に そ の 時 の 衝 撃 を、 モ リ ス は 次 の よ う に 書 い た。 「 少 年 の 頃、 カ ン タ ベ リ 大 聖 堂 の堂内に入った時のことを覚えています。天国の門が開かれたような気がしたのです。同時にそれは初めて彩飾手 稿本を見た時と同じ経験でした。こうした初めての、自力で見つけ出した喜びは、以後経験したなによりも強烈で し た 」 と 。 (2 ( あ ま り 知 ら れ て い な い こ と だ が、 「 衝 撃 を 受 け た 」 青 年 モ リ ス は、 早 く も 一 八 五 六 年 と い わ れ る が、 彩 飾 手 稿 本 に 挑 ん だ。 こ の 時 は あ く ま で 試 作 の 域 を 出 な か っ た が( 当 然 で あ る )、 五 六 年 と 確 定 で き る 三 葉 が 現 存 す る。 う ち 一 点 に、 ロ バ ー ト・ ブ ラ ウ ニ ン グ( 一 八 一 二 ─ 八 九 ) の 長 詩『 パ ラ ケ ル ス ス 』( 一 八 三 五 ) を 題 材 に し た 一葉がある。この劇詩は演劇界から高い評価をえて、ブラウニングの名を文壇に知らしめた出世作だが、主人公パ ラケルスス(一四九三/九四─一九四一)は波乱に富む四八年の生涯を遍歴のうちに送ったスイスの医学者・化学 者だが、医学書、錬金術書のほかに哲学・神学関係の難解・膨大な著作を残した知の巨人として、しばしば「医学 のルター」と称された。 この一葉はモリスの中世後期の手稿本に対する強い関心を示して、モリスの「書物芸術」を予示するものとして はなはだ貴重である。書体はゴシック、例えば頭文字のAとHはそれにつづく詩行と不釣り合いなほどに大きな装
飾文字、左右の余白を埋める縁飾りは奇怪に引き伸ばされた胴と尾をもつ仮想動物で(長い胴が一見蛇を連想させ る )、 そ れ が 詩 句 を 囲 む と、 そ の 効 果 は 中 世 写 本 の 世 界 そ の も の が 現 前 す る。 そ れ に し て も 小 さ く ぎ っ し り 緻 密 な ゴシック体で書かれた、いや 描かれた といいたいほどのブラウニングの詩句は、いささか読みにくいが、文字まで が 装 飾 性 を 獲 得 し た、 な ん と 精 巧・ 精 密 な 出 来 栄 え だ ろ う。 テ キ ス ト と 装 飾 は 晩 年 に み ら れ る 見 事 な コ ラ ボ レ イ シ ョ ン か ら ま だ 遠 く 隔 た っ て は い る も の の、 カ リ グ ラ フ ィ ー に 関 す る 限 り、 モ リ ス は す で に た だ の 真 似 事 で な い、 技を極めた職人芸に達していることは誰の目にも明らかである。ロセッティは一八五六年一二月一八日付ウィリア ム・ ア リ ン ガ ム 宛 の 長 文 の 手 紙 の な か で、 「 モ リ ス は 建 築 家 に な る つ も り で い る、 そ の 目 標 に む か っ て す で に 画 家 の修業をはじめて、上達の最中である。彩飾稿本とその種の仕事のすべてにおいて、私の知る限り、当代のいかな る者も彼に肩を並べる者はいない─ラスキンは古い時代のどんなものより良いとさえいっている 」 (3 ( メ イ・ モ リ ス は、 「 以 下 が 完 全 な リ ス ト だ と 思 う。 た だ し 全 点 が 計 画 通 り に 完 成 さ れ た わ け で は な い 」 と 断 り な が ら、 一 八 七 〇 年 の『 詩 の 本 』 か ら 一 八 七 五 年 の『 ア エ ネ ー イ ス 』 に い た る 手 稿 本 の 全 仕 事、 一 三 点 を 列 挙 し た。 う ち 未 完 本 は 五 点、 ま た 七 点 が ア イ ス ラ ン ド・ サ ガ の 翻 訳 だ っ た ( (4 ( F・ マ ッ カ ー シ ー は 別 に 一 八 点 と す る )。 ほ か に断片的ながら多数の試作を心掛け、全体量は一五〇〇ページを越すとい う 。 (5 ( またジョン・ナッシュは、同じ期間 に 二 一 点 ほ ど の 彩 飾 手 稿 本 を 手 掛 け た と し な が ら も、 「 う ち 完 成 し た と い え る の は 二 点 だ け 」 (6 ( と い う。 さ ら に 一九三四年にヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で催されたモリス生誕百年記念展のカタログによれば二五 点 で あ る。 こ れ ほ ど ま ち ま ち な の は、 お そ ら く モ リ ス が 書 物 と い う ま と ま り の あ る も の か ら、 ば ら ば ら の 紙 リ ー フ 葉 ま で、 さ ま ざ ま な 形 を 試 み た か ら で あ ろ う。 い ず れ に せ よ、 モ リ ス の 彩 飾 手 稿 本 は 一 八 七 〇 年 の『 詩 の 本 』 か ら 始 ま っ た。 そ し て 金 泥 を 豊 富 に 使 用 し た 絢 爛 豪 華 な ヴ ェ ラ ム に よ る『 オ マ ー ル・ カ イ ヤ ー ム の ル バ イ ヤ ー ト 』
(一八七二年─本書もジョージアーナに贈られた!)と『ホラティウスの頌歌』 (一八七四)がつづき、一八七五年 には『ウェルギリウスのアエネーイス』が掉尾を飾った。その間、数点のアイスランド・サガを題材にした手稿本 が製作された。 製作にあたって、モリスが手本にしたのは、その蔵書から類推すると、一六世紀のイタリア・ルネサンス期の筆 記 手 本 書、 『 ペ ン 先 に よ る カ ッ テ ィ ン グ 法 』( ル ド ヴ ィ ー ゴ・ デ ッ リ・ ア リ ー ギ 著 )、 『 筆 写 人 の た め の 宝 典 』( ウ ー ゴ・ダ・カルピ著)など四点のカリグラフィーに関する書籍であると考えられる。四点はいずれも、当時のイタリ ア社会で公的文書を作成するための専門家を対象にした教則本・手本書の類で、モリスが所持していたのは(入手 時 期 は 一 八 六 四 年 頃 と 推 察 さ れ る が 不 詳 )、 緋 色 の モ ロ ッ コ 革 装 の 分 厚 い 四 冊 合 本 で あ っ た と い う。 そ の 頃、 知 遇 を え た 出 版 社 経 営 の か た わ ら 稀 覯 本 販 売 に も た ず さ わ っ て い た F・ S・ エ リ ス( 一 八 三 〇 ─ 一 九 〇 一 ) の 助 言 も あっただろうが、いかにもモリスらしい真面目そのものの正攻法である。モリスはアルファベット文字の千変万化 する実相を目の当たりにして、その豊かな装飾性を直感し、魅了され、書物芸術への確信を深めていったのではな いか。 一 〇 点 前 後 の 彩 飾 手 稿 本 と ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス 刊 本 全 五 三 点 の 美 麗 本 は、 二 〇 年 ほ ど の 長 い 歳 月 を 隔 て て、 輝かしい二つの書物群を形成するが、ともにモリス後半生における画期的業績であることに変わりはない。 さて、各論に移ろう。 ま ず オ マ ー ル・ カ イ ヤ ー ル 著、 エ ド ワ ー ド・ フ ィ ッ ツ ジ ェ ラ ル ド 訳『 ル バ イ ヤ ー ト 』( 一 八 七 二 ─ 図 1・ 8ペ ー ジ) 。モリス没後一〇〇年を記念した空前の回顧展(一九九六年五月─九月)に呼応して出版された『ウィリアム ・
モ リ ス 』 に、 こ の 手 稿 本 の 見 開 き 二 ペ ー ジ が カ ラ ー 図 版 で 載 っ て い る。 さ し て 大 き く な い 図 版 だ が、 『 ル バ イ ヤ ー ト 』 が い か に 豪 華 本 で あ る か を 知 る に 十 分 で、 驚 き を 隠 す こ と が で き な い。 見 開 き が 一 単 位 と い う モ リ ス の 紙 面 作 り の ル ー ル( 後 述 ) に 則 り な が ら、 全 体 は 豊 潤 な 装 飾 に よ っ て 埋 め 尽 く さ れ、 均 衡 あ る 心 地 よ さ を 醸 し 出 し て い る。 そ の 感 興 は ピ ザ ン テ ィ ン の モ ザ イ ク 壁 画 に、 例 え ば ラ ヴ ェ ン ナ の サ ン・ ヴ ィ タ ー レ 聖 堂 内 で 対 面 し た 時 に どこか響き合うように思われる。 メ イ・ モ リ ス は『 ル バ イ ヤ ー ト 』 を 評 し て、 「 宝 石 の よ う な 書 物 で、 縁 一 杯 ま で 装 飾 さ れ た ペ ー ジ が ま じ っ て、 花 々 は 一 風 変 わ っ た 真 実 ら し さ と 優 し さ で 描 出 さ れ た。 繊 密 な 一 二 葉 の 仔 羊 皮 紙 ペ ー ジ を 想 像 し て み て く だ さ い。 小 さ な ペ ー ジ は 全 巻 を 通 じ て 冒 頭 が 金 文 字 に 飾 ら れ、 ど の ペ ー ジ も 花 と 果 実 と 精 妙 な 人 物 図 1 『ルバイヤート』1872. ヴェラム、水彩、金箔。13.5×23.5 cm(見開き)。モ リスが唱える見開き 1 単位のルールが活かされた好例。ジョージアーナに 贈られた 1 冊。のち彼女は英国図書館に寄贈した。
像が密に精細に描かれた装飾に埋め尽くされています。薄い小さな本ですが、月並みなあるいは名もない花はひと つとしてないと思います。スイートピー、スイカズラ、ヨウシュトリカブト、オダマキ、セイヨウサンザシ、アオ ルリヂサなどが目に入る、他にも沢山のなじみ深い花々があります。信じられないほど自然のままに、信じられな いほどに調和して、花壇が書物に変わったのである。この職人芸は熟達と繊細さの度合いにおいて批評を越えてい る。 人 物 像 は 父 と バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ の 下 絵 を も と に C・ F・ マ リ ー が 彩 色 し た 」 (7 ( と 完 璧 な ま で の 所 見 を 記 し た。 この「宝石のような書物」をモリスはジョージアーナに贈る。いや、宝石以上の贈り物である。そのことの検証は 後述にゆずる。 次 に『 ホ ラ テ ィ ウ ス の 頌 歌 』( 一 八 七 四 ) は モ リ ス の イ タ リ ッ ク 体 に よ る 筆 写 と 精 緻 な 飾 り 文 字 の 頂 点 を き わ め る傑作で、モリスのルネサンス書体の研究の成果を遺憾なく発揮した代表作といえる。一八三ページに及ぶテキス ト部分はすべて書き上げながら、装飾をわずかに残したままで作業が途絶えた。そのことによってメイは本書を未 完とする。なお装飾の一部に個人的には技巧過多と思われる点がないわけではないが、それがバーン=ジョーンズ とチャールズ・フェアファックス・マリー(一八四九─一九一九)の両人が装飾の一部を手掛けたこととどこまで 関係あるのか明らかではない。 次 に『 ア エ ネ ー イ ス 』( 一 八 七 四 ─ 七 五 ) は ロ ー マ ン 小 文 字 体 の 頂 点 を 極 め る も の だ が、 一 七 七 ペ ー ジ ま で で、 これも未完に終わる。未完部分の文字と装飾はフェアファックス・マリーら友人・知人が完成させた。それにもか か わ ら ず、 「 こ の 作 品 は 素 晴 ら し い 継 続 的 努 力 の 成 果 で あ り、 モ リ ス の 意 図 ど お り、 彼 の カ リ グ ラ フ ィ ー の 一 大 傑 作となっている 」 (8 ( とジョン・ナッシュが述べるように、一般に評価はきわめて高い。なおこの稿本の縁飾りにアカ ンサスの葉がモチーフとして登場することを書き添えておきたい。これはやがてケルムスコット・プレスの刊本に
受 け 継 が れ て い く モ チ ー フ で あ る の だ か ら。 メ イ・ モ リ ス は 上 記 三 点 に つ い て、 身 贔 屓 で な い 次 の よ う な 所 見 を 記した「一覧表の最初の六点の手稿本は輝くばかりの細密な装飾の点で重要である。そしてその頂点が『アエネー イス』である。筆写の美しさとパリパリした感覚と自由によって、この作品は、未完にもかかわらず、注目すべき 手稿本のひとつに数えられるのである。六点すべてに実にさまざまな創意と手法が明らかであり、それだけでもこ の方面の技芸に通じている者の目には特別な価値がある。金文字と風格ある鮮明な書体と多数のバーン=ジョーン ズの絵に飾られた『アエネーイス』と歓びと生気にあふれ宝石のような魅力的な『ホラティウス』と並べると、そ の 対 照 的 な こ と は 清 新 な 驚 き で あ る。 同 じ 一 人 の 頭 脳 の 仕 事 で あ り な が ら、 異 な る 雰 囲 気 を 結 果 し た。 『 詩 の 本 』 はそのいずれとも異なり、書物装飾の嚆矢となった 」 (9 ( 。 『 詩 の 本 』( A Book of Verse , 一 八 七 〇、 ヴ ィ ク ト リ ア ・ ア ン ド ・ ア ル バ ー ト 美 術 館、 27.9 × 21.6 cm ─ 図 2・ 12 ペ ー ジ ) (10 ( は ア イ ス ラ ン ド 伝 説 の 翻 訳 詩 を ふ く む 短 詩 二 五 篇 か ら 成 る、 わ ず か 五 一 ペ ー ジ、 た だ し「 目 次 」、 「 奥 付 」 などをふくめると全六四ページの自撰詩集である。モリスは共同制作を試み、詩に寄り添う彩飾画、詩行とページ の余白を飾る植物文様を仲間の手にゆだねた。とはいえ基本はあくまでモリスの着想である。制作にかかわったの はエドワード・バーン=ジョーンズ、チャールズ・フェアファックス・マレー、ジョージ・ウォードルという三人 の常連であった。マレーはロセッティ、モリスの友人で、画家、美術品収集家であり、一八七〇年頃主としてステ ン ド グ ラ ス の 作 画 を 通 し て 商 会 と 関 係 を 結 ん だ。 「 馬 力 の あ る 青 年 で、 仕 事 は 誠 実、 協 調 性 に と み、 ち ょ う ど 父 の 目が商会の作画室の隅々にまで行き届かない時期で、まことに得難い人物だった。手紙で分かるように、父はこの 青 年 を な に か と 頼 り に し て い た 」 と メ イ は 記 し た 。 (11 ( ジ ョ ー ジ・ ウ ォ ー ド ル は、 ウ ォ リ ン ト ン・ テ イ ラ ー の 後 を つ
い で 商 会 の マ ネ ジ ャ ー を 務 め る か た わ ら、 図 案・ 挿 絵 画 家 と し て 活 躍 し た 信 頼 で き る 仲 間 だ っ た。 「 長 い 間 父 の 右 腕的存在でした」とメイは回想する 。 (12 ( 『詩の本』の題扉には A BOOK OF VERSE / BY / WILLIAM MORRIS / WRITTEN IN LONDON / 1870 の 文字が緑の枝葉(柳の葉であろうか)の中に刻まれて、中央に詩人の横顔が配され、花咲く格子垣を背にして、中 世の吟遊楽人に擬した四人の女性像が古楽器を奏する。この楽音は反復のうちにも幾多の変奏を経て最終頁へとつ ながる。通底するのは、壁紙の習作期にわれわれが確認できたあの「臆面もない自然主義、自然と様式のこの上な い絶妙なバランス」であり、壁紙の特質がここに文学と絵画の共存、コラボレイションという新たな意匠のうちに 再現された。 モリスの詩句は、題扉から最終の五一ページまで、手書きの一六世紀イタリア写本に倣ったローマン書体で綴ら れ る。 縦 線 が 太 く、 横 線 が 細 く、 な お か つ 起 筆 部 と 終 筆 部 に セ リ フ( serif ) と よ ば れ る 小 突 起 線 が 特 徴 で、 造 形 的 にも紙面にリズムをあたえる効果がある。紙面は多彩な素朴な植物文様に彩られるが、最初の一〇ページは、すで に 指 摘 の 通 り、 ジ ョ ー ジ・ ウ ォ ー ド ル の 担 当、 そ れ 以 降 の ペ ー ジ は ウ ォ ー ド ル を 引 き 継 い だ モ リ ス の 仕 事 で あ る。 両者の仕事の微妙な差異が、一一ページと見開きであるため容易に見て取れる。両ページとも左部分に大きな余白 がもうけられ、色調こそ大差ないものの、一一ページに描かれた花や茎や枝には、壁紙に認められた上方にむかう 蔓のごとき「成長の感覚」がある。形状と色調を微妙に変える淡彩の花々と緑の枝葉、それらは結び合い絡み合い ながら、詩行を取り囲み、あるいは詩行に寄り添い、さながら花壇や野原や果樹園に詩人の憧憬や詠嘆が谺まし共 鳴するかのようである。あくまで静的でありながら、林を吹き抜ける風の感触であろうか、なにかが流れていると いう微動の感が漂う。こうした詩趣はもっぱら詩の領域に属する感興である。気がつけば、装飾は詩に接近してい
図 2 『詩の本』題扉。アイスランド・サガの翻訳詩をふくむ自撰詩集。紙、イ
図 3 『詩の本』第 19 歌「息子の悲嘆」(部分)詩行と挿絵の融合を図ったモ
るということなのであろうか。 詩集の題扉には、モリスの横顔を描いた円形肖像画が掲げられた。これはモリスの写真を下敷きにマレーが描い たもので、今ではモリスの肖像を代表する一葉となっている。写真は三六歳のモリスを真横から写した、前方を直 視 す る 生 真 面 目 な 肖 像 で あ る。 ネ ク タ イ に 背 広 姿、 ト レ ー ド マ ー ク の 豊 か な 頭 髪 と 顎 髭 が 印 象 深 い。 モ リ ス の マ レー宛ての六月一三日付けの短 信 (13 ( が残る─「明日、火曜日、写真家のパースンズの所へ写真を撮ってもらいに行く つもりです。ご一緒しませんか、それとも先方で落ち合いましょうか。遅くとも一一時には先方に行っています」 。 モ リ ス は こ の 時 の 写 真 が 気 に 入 っ た ら し く、 マ レ ー に こ れ を 下 敷 き に 肖 像 画 を 依 頼 し た の だ っ た。 「 二 三 歳 の 時 撮ったダゲレオタイプの昔の写真を別にすると、わたしが知る限りもっとも古い父の写真 」 (14 ( であり、メイは著作集 第二巻の巻頭にこの父の写真を載せた。 ま た、 こ ん な 手 紙 も マ レ ー に 書 い て い る。 「 四 季 の 下 絵 の 候 補 を 探 し て い ま す が、 胸 を あ ら わ に し た「 春 」 な ん かでいいんでしょうか、皆目見当がつきません。なにか別な絵にしなければ駄目でしょう。でもきっと小生の詩に ぴったりのが見つかると思います。近く拙宅へおいでくださいませんか。その折り、他の彩飾画についても相談し た く 思 い ま す。 で き れ ば 今 月 中 に 仕 上 げ ら れ れ ば、 あ り が た い の で す が 」 (15 ( と 書 い て、 『 詩 の 本 』 に 収 め る 四 季 を 表 現する四人の中世吟遊楽人の女性像について相談をもちかけている。追伸に「彩飾画は出来上がるまでだれにも見 せないでください」と念を押すなど、モリスの仕事ぶりはあくまで慎重である。贈呈する相手のことを意識しての こ と と 思 わ れ る。 結 局、 胸 を 半 分 あ ら わ に し た 緑 の 着 衣 の「 春 」 に 落 ち 着 い た。 『 詩 の 本 』 の た め、 マ レ ー は、 巻 頭を飾るモリスの肖像画以外に、全部で一六点の彩飾画を描いた。 表紙は栗色のベラム(仔牛皮紙)で、花をモチーフにした金の浮彫細工によって装飾され、表、裏の両表紙中央
には花輪のなかに ,, G. B . J. ,,のイニシャルがやはり金の浮彫細工によって刻まれている。 奥 コ ロ フ ォ ン 付 に よ れ ば、 題 扉 の 装 画 は バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ が、 他 の 彩 飾 画 は す べ て マ レ ー が 担 当 し た と 明 記 さ れ、 「 た だ し、 四 〇 ペ ー ジ の『 春 』、 『 夏 』、 『 秋 』 の 三 人 の 女 性 像 は 小 生 の 下 絵 か ら マ レ ー が 仕 上 げ た も の 」。 四 〇 ペ ー ジ に は 短詩「時の移ろい」が書かれ、次ページの「引き裂く夏」とともに全巻中もっとも繊細にして優しげな空間を構成 す る 見 開 き の ひ と つ が 完 成 さ れ た。 モ リ ス の 考 え る 見 開 き 一 単 位 と い う ル ー ル( 後 述 ) が は じ め て 実 行 に 移 さ れ て、その満足できる実効を確信することができた。植物文様については、やはり奥付で「ジョージ・ウォードルが 最 初 の 一 〇 ペ ー ジ の 装 飾 全 部 を 下 描 き し、 そ れ に 小 生 が 賦 色 し た。 ま た 大 小 を 問 わ ず 色 文 字 は す べ て 彼 が 担 当 し、 他 の 装 飾 一 切 と 詩 句 な ど を ふ く む 文 字 の す べ て は 小 生 の 仕 事 で あ る 」 と、 ま た「 『 ク リ ス テ ィ ー ヌ の バ ラ ッ ド 』 と 『 息 子 の 嘆 き 』 の 二 篇 は ア イ ス ラ ン ド 語 か ら の 翻 訳 で あ る 」 と わ ざ わ ざ 断 っ た。 さ ら に 奥 付 に は モ リ ス の 署 名 と と もに場所と日付けが、ロンドン、ブルームズベリ、クゥイーン・スクエア二六番、一八七〇年八月二六日と明記さ れた。 こ の 奥 付 に つ い て は さ ま ざ ま な 憶 測 が な さ れ た。 協 力 者 に 対 す る 謝 辞 を 意 図 し た と 考 え て も い い か も し れ な い。 きわめて個人的であるはずの詩集としてはいささか奇異に思える。もともと印刷や販売のつもりがなく、純粋に贈 呈用に手書きによって仕上げられたとすれば、奥付がなくて普通である。奥付の趣意は手紙で伝えることも、会っ た機会に直接話をしてもそれで済むことである。ただモリスが、将来の商業的需要を見込んで、それに備えて制作 上のデータを記録に残したとすれば、話はまた別である。それに、翻訳詩二篇はその旨わざわざ断った裏には、俺 ならこんな詩は書かんぞ、とでもいいたげな自負があったのではと受け取ることもできよう。ロジー・マイルズは 「 ジ ョ ー ジ ー[ ジ ョ ー ジ ア ー ナ の 愛 称 ] の た め に 個 人 的 に 綴 ら れ た も の で は な く て、 あ た か も『 詩 の 本 』 が い づ れ
商業的あるいは社会的にきわめて高価な垂涎の的となることを予測して、まごうかたなき贈物の一点であることを 保証しようとした伝票のごとき意味合いがある」と述べたが、案外モリスの真意を突いているのかもしれない 。 (16 ( というのは、モリスはとくに『詩の本』に後々までも強い執着をもちつづけて、ケルムスコット・プレス設立の 年、 同 工 房 の 刊 本 第 一 号『 輝 く 平 原 の 物 語 』 に 続 く 第 二 号 と し て、 た だ し 書 名 を『 折 り ふ し の 詩 』( Poems by the Way ) (17 ( と 変 更 し て、 い わ ば「 復 活 」 さ せ た か ら で あ る。 復 刊 本 は『 詩 の 本 』 所 載 の 詩 を ふ く む、 一 八 六 八 年 か ら 九 一 年 の 間 に 作 っ た 四 九 篇 を ま と め て、 印 刷・ 販 売 に 踏 み 切 っ た の で あ る。 二 〇 四 頁、 活 字 は ゴ ー ル デ ン・ タ イ プ、初の二色刷り、初の工房のロゴ・マーク入りなど、モリスの意気込みのほどが明白である。ヴェラム刷本一三 部、それに紙刷り三〇〇部を作り、奥付に一八九一年九月二四日と日付を入れた。 次にモリスの書物製作について基本原理を、具体的に『詩の本』から、見開き四〇ページと四一ページを取り上 げて、考えてみよう。すぐ目につくのは、ページに占める版面の位置である。現在普通に行われているのは上下と 左右の余白が均等になる割付けである。しかし、モリスは版面をページ中央に置かない。つまり、下部〔地〕と外 側〔前小口〕の余白を上部〔天〕と内側〔のど〕の余白より広く取ることが、 「自然な均整の感覚」に適うとした 。 (18 ( こうして、版面はページのやや中寄り、やや上に位置することになる。両ページとも、詩行を左寄りに配し、右側 に生じた余白部分を素朴な描法による縁飾り─淡青色の小花を咲かせ緑の葉群に覆われた蔓状の小枝─が埋め、そ れはさらにスタンザとスタンザの隙間にも広がる。四〇ページに装飾画が配されれば、四一ページには各スタンザ 冒頭の一文字が飾り字体となる。 も ち ろ ん、 こ う し た 構 成 は こ の 見 開 き に 限 っ た こ と で は な く て、 『 詩 の 本 』 の 基 本 原 理 と し て 採 用 さ れ る。 モ リ
スはテキストと装飾の一体化を図る。モリスの言葉に耳を傾けよう 。 (19 ( 装飾が、なんであれ、絵であれ文様であれ、記憶に留めるべき要点は、それがページの一部分を形作り、書物 の全計画の一部となるべきであるということである。提言は単純そのものではあるが、念を押しておかなけれ ばならないのは、近頃のやり方が印刷と装飾の相互関係を完全に無視するからである。だから、もし両者が相 互に助け合っているとしたら、それはただの偶然にすぎない。印刷に携わった昔の人々は文字と絵その他の装 飾との正しい関係を完全に理解していた。だから、木版画がひどく粗雑であっても、なお文字と版画が一体と なって伝えてくれる豊かさが喜びをもたらすのである。……そこで、巧みにデザインされた活字、しかるべき 行間と語間、それにページ上に適切に配置された版面があれば、すべての書物はすくなくともこじんまりと感 じのよい、見た目にも楽しいものとなるはずである。 モリスはほとんどいつも、壁紙が好例だが、実践が先行していて、その後暫くしてから理論の発表が行われるの で あ る。 エ ッ セ イ「 印 刷 」( 一 八 九 三 ) で 公 開 し た 持 論 は そ の ま ま『 詩 の 本 』 に ま で 溯 る。 モ リ ス は ほ と ん ど 最 初 か ら、 美 し い 印 刷、 理 想 の 書 物 に 関 し て、 完 成 さ れ た 理 論 の 持 ち 主 だ っ た。 そ れ に 右 の 引 用 に み ら れ る、 「 こ じ ん まりとして感じのよい、見た目にも楽しい」という字句は、モリスの美意識の根底にある重要な基準のさりげない 表明である。田園の風景、建物の佇まい、壁紙の文様、そして今、書物の姿形について、ずっと以前からの持論の 変奏を明示したと考えることができる。 『詩の本』について、 「それはさまざまなな素材から創くられた『書物』という名の工芸品であり、読む者であり
見る者であるわれわれは、それを構成する異なる要素と全面的に連帯することになる。……装飾はテキストと同じ く書物の構想全体と一体をなし、一つは他を抜きにしては考えられない。この一体感はテキストと装飾両方に関わ る 筆 写 人 の 産 物 で あ り、 し た が っ て 完 成 さ れ た 書 物 は 彼 の 労 働 が 見 事 に 統 合 さ れ た こ と の 証 し な の で あ る 」 (20 ( 、 と 核 心に触れたのは R・マイルズだが、 『詩の本』の放つ喚起力に言及して説得力がある。 だ が 一 方 で、 皮 肉 な こ と に、 小 野 二 郎 が ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス 刊 本 に つ い て、 「 読 ま れ る た め と い う よ り 蒐 集 するためにあるという一般の批評が生まれるのも、やむを得ないかもしれぬ 」 (21 ( と指摘し、あるいは『チョーサー作 品 集 』 に つ い て、 「 こ れ は 読 む た め と い う よ り、 テ ー ブ ル の 上 に 置 い て 眺 め る 方 が ふ ( マ マ ( さ う 感 じ で あ る 」、 と も 言 い、 さらに、モリスは「 『私の装飾を、活字のページの一部分たらしめる必要をつねに忘れまいと試みた』 、といってい るが、その抑制を越えたと一般に感じられるものがないでもない」との不満を述べた。小野は『詩の本』はきわめ て繊細な美しさをもつが、絵本である、と言いたげである。あるいは寿岳文章の次のような評言を思い出してもよ い だ ろ う。 「 ケ ル ム ス コ ッ ト・ プ レ ス 本 は 決 し て 読 み や す く な く、 多 く は 装 飾 の 過 剰 に よ っ て 目 移 り が し、 ま た そ の黒すぎる反面は読者の頭を混乱させもする。そして必ずしも無条件に美しいとは言えない 」 (22 ( 。 こんな不満、あるいは欠点を聞けば、筆者にも思いあたる場面がないわけでもない。モリスが奥付で翻訳である と 断 っ た 第 一 九 歌「 息 子 の 悲 嘆 」( 図 3・ 13ペ ー ジ ) で あ る。 詩 は 全 部 で 四 六 行、 そ の 全 体 が 三 ペ ー ジ に 整 然 と、 そしてほぼ均等にゆったりと配され、詩行が花咲く野と果樹園に囲まれた三葉に接すれば、だれしも詩句を楽しむ より、装飾の豊かさ、繁茂といったらいいのかもしれない、その過剰とも思える豊饒につい目を奪われて、読むこ とより見ることが先行してしまうのではなかろうか。それは読者ないしは見る者の責任ではないだろう。花も果実 もじつに色とりどり、多彩をきわめる。このことはなかでも見開きとなる三八、 三九ページにあてはまる。
マ ッ ケ イ ル は『 詩 の 本 』 に つ い て、 「 モ リ ス の 彩 飾 本 と し て は 最 上 の 出 来 で は な い が、 全 体 と し て み れ ば、 最 も 美しいものではないか。本書によって、 モリスは完全に中世の手法と決別して、 偉大なウェルギウス( 70-19 B.C. ) の写本の色彩と文様を自らの独創的天才によって変容し再現することに成功した。それでありながら、いかなる伝 統にも依存することのない現代性があり、新鮮さがある。……万一装飾手稿本がふたたび民衆芸術のなかにその位 置を占めることができるとすれば、それは必ずしも不可能とは思われないのだが、その最も有望な道筋はまさにこ の美麗本が提示する方向にあるのだ……最初期のモリスの壁紙にも当てはまることだが、技術的にはより完成され た後の彩飾手稿本より、第一作の『詩の本』が素朴さと適合性の点で優れている」と述べた 。 (23 ( と、またヘンダース ン は「 本 書 の あ ふ れ る 魅 力 は 二 年 ほ ど 後 に 制 作 さ れ る 壁 紙《 ジ ャ ス ミ ン 》 を 予 告 し て い る 」 (24 ( 、 と 評 し た。 『 詩 の 本 』 がただ予告にとどまらず、詩人モリスとデザイナーモリスのいわば協働の成果であることにこそ、その真骨頂があ るといわねばならない。 メ イ・ モ リ ス は、 ウ ィ リ ア ム・ モ リ ス 著 作 集, 第 九 巻 の 序 文 で、 『 詩 の 本 』 に つ い て「 葉 や 花 を 淡 彩 に 軽 や か に 描き、完成度の高い人物像を緑の枝葉の間に配し、それらが素早い精緻な褐色の筆の運びのうちに絡み合う装飾を 完成させた。……この詩集は、バーン=ジョーンズ夫人の誕生日という慶事にあわせて数週間のうちに用意された 特 別 目 出 度 い 一 書 で あ っ て、 華 や か な 瑞 々 し い 各 頁 に は 素 朴 な 情 感 が あ ふ れ る 」 (25 ( と 述 べ、 「 輝 く ば か り の き ら め き とこまやかな装飾の点に意義がある」と評した。また、それとは別に、少女期のメイにとって、父の仕事場のテー ブルはワンダーランドそのものだったらしい。
も ち ろ ん、 作 業 台 の 上 の 絵 筆 一 本 動 か し た り 触 れ た り す る な ん て 夢 み た い な こ と で、 た だ 眺 め る だ け で し た。台の上には、中国産の特性インク棒(必要になると、すりつぶす作業がわたしに回ってくることがよくあ り ま し た )、 貴 重 な 顔 料 で あ る ウ ル ト ラ マ リ ン の 使 い か け の ち っ ぽ け な 塊、 貝 殻 に 入 っ た う す 金 の 絵 具 な ど が あって、それに本には金色の葉っぱがはさんでありました。それを見せてもらうには、ちょっとでも空気が乱 れて脆い金の輝きを台無しにしてしまうといけないので、わたしたちは直立不動の姿勢をとって息を止めなけ れ ば な り ま せ ん で し た。 …… 家 具 の 少 な い が ら ん と し た 明 る い 部 屋、 質 素 な 作 業 台、 金 絵 具 の 上 に 屈 み 込 む 堂々とした頭と巻き毛の束が絡み合わんばかりにくっつき合った二つの幼い頭。……それから美しい白のヴェ ラム皮紙や小ぎれいで繊細な絵筆の数々、鵞ペンから細字用のカラスの羽根ペンまでさまざまなペン、見事に 鍛えられたいろいろなナイフ、優雅な定規やコンパスなどなど、この愛すべき技芸になくてはならぬたくさん の物たちがそこにあって、その全部がそれぞれに美しく用途にふさわしく、疲れを知らぬ手が自家薬籠中の物 とすることに、わたしは思わず感嘆の声を上げるのでした 。 (26 ( メイの観察眼のたしかさよ! おとぎ話の一片に通じる純な眼差しがある。さらにメイの魅力的な言葉に耳を傾 けよう 。 (27 ( 父は例外的に忍耐力の強い人でした。人間相手では必ずしもそうでなかったかもしえれませんが。もちろん目 的のための手段として物を相手にただ闇雲な根気をみせるというのではなく、気晴らしということを心得てい る人でした。父のがっしりした大きな手が針の先程の五つの点で小さな花を成り立たせながら、半インチほど
の四角形の金紙を埋めていく作業を眺めたことがありますが、すこしでも手元が狂えば不揃いや汚点となるの に、いとも容易くしかも正確に、まるで一生筆を握り続けた中国の工芸家を思わせる技量で花を描き切るので した。 敬 愛 す る 父 に 寄 せ る 優 し い 娘 の 心 情 が う か が わ れ て ま こ と に 微 笑 ま し い。 ( そ れ に し て も 母 ジ ェ イ ン に つ い て 書 かれた文のなんとメイに少ないことか!) ◆モリス夫妻とジョージアーナ・バーン=ジョーンズ 彩飾手稿本『詩の本』は、一八七〇年前後におけるモリスの芸術上の営為とジェインの夫という私人モリスの他 人には知られたくない心情を表白した問題の一書である。 モリスは、先述したように、この美麗な自撰詩集を盟友エドワード・バーン=ジョーンズの妻ジョージアーナに 捧げた。三〇回目の誕生日を迎えた彼女への贈り物だった。それだけではない、この時期に矢継ぎ早に手掛けた稿 本のうち、完成させた少数の、しかもメイ・モリスが極上の出来栄と見做す完成品を、GBJのイニシャルを添え る な ど し て、 ジ ョ ー ジ ア ー ナ に 贈 っ た。 『 ル バ イ ヤ ー ト 』 を は じ め 、 自 ら 訳 し た 中 世 北 欧 叙 事 文 学 『 ヘ ン ・ ト リ ー ル の 物 語 』( 一 八 七 四 年 頃 ) な ど が そ れ で 、 手 掛 け た 全 一 三 点 の う ち 掛 け 値 な し に 最 上 ・ 最 高 の 部 分 で あ る 。 モ リ スの彩飾手稿本への強い製作意欲とは別に 、ジョージアーナに対するただならぬ執心がうかがわれる 。まだモリス が学生時代 、ロイヤル ・アカデミ展の会場で 、バーン=ジョーンズ夫人となるずっと以前のジョージアーナ ・マク ドナルドをたまたま知人から紹介されたのが 、二人の出会いだったのを思い出す 。その付き合いは長い 。長い友情
の 証 し と し て の 贈 り 物 ? そ れ と も … … ? 一八七〇年前後、モリス夫妻とバーンズ=ジョーンズ夫妻、二組の結婚生活に罅が入り始めていた。モリスから いえば、ジェインがますますロセッティと親密の度合いを深めていたこと、一方ジョージアーナからいえば、夫が 美貌のギリシャ女性マリー・ザンバコとの情事にはまりこんだこと、それぞれが、気がつけば、家庭生活の危機に 直面していた。とすれば、この時期、モリスとジョージアーナの二人がたがいに裏切られた思いと同情と慰めを求 めながら親密の度合いを増していったとしても、なんの不思議もない。モリスは対象をただひとりジョージアーナ に見据えて純一に詩作することが、おのれの「地上楽園」であることをすぐ発見した。公開もましてや印刷も予定 しないところで綴られた「報われない愛」のいわば私的詩行が、モリスが予想もできない後世のファクシミリの技 術によって世界に流布したのは、モリスの人生の皮肉だった。 一八七〇年の夏、ジェインとロセッティの関係は、ケルムスコット領主館において一つの帰結点に達した。裏を 返せば、モリスの「挫折と敗北」の痛々しさが頂点に達した時期である。意識的に領主館から遠のき、二度のアイ スランド旅行を試み、 『詩の本』をジョージアーナに贈りながら、おそらく痛手を癒そうと悪戦苦闘している時に、 ケルムスコット村ではロセッティがテムズ河畔でジェインと過ごす田園の夏を謳歌していた。以下はロセッティの 田園詩の一節 。 (1 ( ホームズコートからハーストコートまで 風が川面を走る そよ風を受けた木々の囁き
冷たく優しいさざ波 両岸のあいだで愛が小声でささやかれ 陽気な笑いがさざめき渡る 櫓を漕ぐむきだしの白い腕 昨年の五月の最初の日 皮 肉 に も、 『 詩 の 本 』 所 載 の 第 一 歌「 川 の 両 岸 で 」 は、 若 者 と 娘 が 川 に 隔 て ら れ た 愛 の も ど か し さ を 嘆 き 合 う。 そ の 詩 趣 を バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ の 装 飾 画 が 高 め る。 「 優 し い さ ざ 波 」 や「 愛 の 小 声 」 に か わ っ て、 若 者 が 慨 嘆 す る の は「 白 い 冬 」 の 無 情 で あ り、 浅 瀬 を 渡 る 娘 は、 「 濁 流 」 に 阻 ま れ て、 岸 辺 か ら 両 手 を 差 し 出 す 若 者 の 手 に 届 き そ う で 届 か な い。 恋 人 た ち の 声 が 問 答 歌 の よ う に 交 わ さ れ、 あ た か も リ フ レ ー ン の ご と く 若 者 の 口 か ら 発 せ ら れ る、 それは「憧憬と希求」 。「おお、燃える太陽よ、おお、不安の支配者よ/鳥が空巣の傍らで眠っているこの時に/な に 故 わ れ わ れ は 最 善 の も の を こ ん な 思 い ま で し て 投 げ 捨 て な け れ ば な ら ぬ の か 」。 娘 は「 急 流 」 に、 「 灼 け つ く 太 陽 」 に、 「 国 王 」、 「 堅 固 な 市 門 」、 「 暗 闇 」 に む か っ て、 「 こ れ 以 上 ど う し て 二 人 を 分 け 隔 て て お く こ と が で き よ う か」とリフレインの叫びをあげる。そして「ああ、愛する人よ、独りでいることの、そのつらさよ」で終わる。若 者が発する言葉は三行と四行から成る二つのスタンザ、それに応える娘は四行の一スタンザ、計一一行が緩やかな 一問答となって、これが八問答、全八八行からなる、モリスの心情を転写した詩である。モリスが流れに隔てられ た両岸をかなわぬ希望や願望を人生の苛酷さに譬えるのは珍しくない。後に社会主義者として社会参加に身を投じ よ う と し て、 決 断 の つ か ぬ ま ま に、 行 く 手 に 立 ち 塞 が る 巨 大 な 障 壁 を「 火 の 川 」 と 呼 ん だ こ と は よ く 知 ら れ て い
る 。 (2 ( 第 六 歌「 報 わ れ た 愛 」 も 同 工 異 曲、 「 引 き 裂 か れ た 時 間 の 苦 痛 」 を 耐 え 忍 ぶ こ と を 基 調 と す る。 や は り バ ー ン = ジョーンズの筆による、たっぷりした余白に描かれた挿絵─青いドレスの金髪の女性が濁った流れの対岸に立つ恋 人に両手を差し出している─にもそれは明らかである。苦痛を離れた心の安らぎは「眠りと死」にしかないようで あ る。 し か し、 「 そ の 眠 り さ え / 強 い 思 い を 少 し も か な え て は く れ ま い 」。 な ら ば、 「 目 を 覚 ま し て / 優 し い 恋 人 を か た わ ら に 見 る こ と こ そ 甘 美 / 唇 を 合 わ す こ と こ そ さ ら な る 甘 美 / 満 た さ れ ぬ 思 い を / 心 が 隠 し て こ そ 最 上 の 甘 美」と苦痛の中に痛々しい歓びを想う。こうした現実は過去と並置される─「目と手が近づきながら/至福を推し 量ることができそうもなかった」過去、 「それが失われた夢でしかなかった」過去、 「惨めな思いにかさかさに乾い ていた歳月/愛はただ死滅するだけに生まれてくるかと思われた」過去が現実と並置される。現在も過去も「報わ れ た 愛 」 の 充 足 感 と は 無 縁 だ。 「 報 わ れ た 愛 」 と い う 皮 肉 な 題 名 が 悲 嘆 と 別 離 の 痛 々 し さ を 伝 え る。 そ れ は、 モ リ スにとって、虚実のあわいに去来する幻にすぎないのだろうか。 あるいは第一一歌「狡猾な愛」─「愛が花咲く美しい庭にわたしを招いてくれた/愛はそこに息づくさまざまな 驚 異 を 教 え て く れ た 」。 し ば し、 詩 人 は 死 も 変 化 も 老 齢 も 恐 れ は し な か っ た。 だ が、 そ ん な 眠 り か ら「 つ い に 覚 め た と き、 強 い 不 安 と 苦 痛 が あ っ た 」。 そ れ で も 以 前 に 増 し て「 愛 の 神 髄 と 本 質 」 を 知 る こ と が で き た。 同 時 に、 あ り と あ ら ゆ る 恐 れ を 知 る こ と で も あ っ た。 た だ 一 つ の 恐 れ を 残 し て。 そ し て 最 終 ス タ ン ザ、 「 お お、 愛 よ、 愛、 愛 よ、お前はなんということをしてくれたのだ/……美しい大地はどこへいった、太陽はどこだ/お前は教えてくれ なかったではないか/僕の愛をあの 女 ひ と の目、手、唇が祝福してくれるとばかり思っていたのに!」と叫ぶ。これは ジョージアーナをなじった一篇というより、モリスの愛を踏みにじったジェインに対する深い嘆きであるように思
える。 あ る い は 第 二 三 歌「 孤 独 な 愛 と 愛 な き 死 」。 詩 人 は、 夏 の 盛 り に 闇 が 迫 る 気 配 に 脅 え、 柔 ら か な 夕 陽 が 陰 り、 傍 ら に 立 つ 死 神 の 姿 に 不 吉 を 予 感 す る。 そ し て 自 問 す る、 「 自 分 の も の だ っ た は ず の 生 活 が / 探 し 求 め た 憧 憬 が / い ま 力 を 失 っ て、 消 え よ う と し て い る の か?/ そ れ と も す で に 永 遠 に 消 え て し ま っ た の か?」 と。 「 わ た し を 縛 り つ けた愛を縛りつけたい/愛がもたらす全てを手放すまいとした/あのひたむきな願望が/無に帰したというのだろ う か?」 詩 人 は 最 後 ま で 苦 痛 に 耐 え て、 こ ん な 自 問 自 答 を く り か え す、 「 も し も お 前 が 本 当 に あ の 女 ひ と を 見 か け た な らば/もしも手があの女の指に触れたならば/もしもあの女の息づかいを聞いたならば/どんな言葉を口にするだ ろうか?」 、「あの女」とはむろんジョージアーナである。 一 転 し て 第 一 二 歌「 夏 の 夜 」 は 恋 の 逢 瀬 を 謳 う ─「 お お、 恋 人 よ、 も し お 前 に 近 づ く 僕 の 足 音 が 聞 こ え る な ら ば、その時僕は君の息遣いを聞く思いがするだろう。おお、恋人よ、本当に二人だけなのか? 灰色の葉が震えて いる、われわれ二人と月の間で。おお、恋人よ、お前の目に愛が宿る。全ての生き物がそうであるように、今宵も す で に 終 わ ろ う と し て い る。 お 前 が や っ て 来 た、 至 福 の 始 ま り の 素 早 い 終 わ り な の だ ろ う か? お お、 わ が 恋 人 よ、おお、お前の目、おお、お前の手、おお、お前のキス」 。これは前掲の詩とは趣がまるで別である。 「この詩は ジェインとの経験を記録したものとは言いがたい。……おそらく、モリスとジョージアーナが抱擁を交わした夏の 夜を語ったものと思われる」と J・リンジーは判定する 。 (3 ( やはり当時のモリスの心境に解明の手掛りを与えてくれると考えてよい、こんな無題の 詩 (4 ( (一八七一)もある。
聞け、二人は少しずつ、少しずつ 接近した。思うにわたしの焔が あの 女 ひ と のなかに潜む炎を目覚めさせ 誇りと恥じらいの古着を あの女の心からかなぐり捨てて どんよりした暗い日々に別れを告げたようだった。 それでも、わたしはなかば忘れられ、許されもせず、一人きりだ 一人きりで、暖炉の傍らに惨めな思いで腰を下ろした…。 続 く 詩 行 か ら 無 造 作 に 拾 い 読 み を す れ ば、 「 も し 二 人 が 死 ぬ 前 に も う 一 度 幸 せ に な れ る と し た ら / そ の 時 は ど ん な毎日だろうかとしきりに考えた/が、まだその至福の姿を想像できないままでいる」 、「悲しみは永遠のように思 われる/二人の心が痛み、休息は遠いかなたのように思われる」 、「そしてふたりは愚者の楽園の焼け焦げた残滓に /冷たい怪訝な眼差しを注ぐ」 、「わたしは暗闇でお前にむかって救いを叫ぶ/今お前だけが昔と少しも変わらぬと 思われ/お前だけが甘美な日々の偽らざる名残りなのだから」 、「二人が会って、笑い、話をしても/わたしが決し て忘れることができないことは、依然封印されたままなのだ」 、「あの二人が姿を見せなくなったとき、わたしは独 りで愚かしい勝利の記録をめくりながら/あの二人がいなくなったまま戻って来ない時のことを考える」 こ こ で「 お 前 」 は ジ ョ ー ジ ア ー ナ、 「 二 人 」 は モ リ ス と ジ ョ ー ジ ア ー ナ の 両 人、 「 あ の 二 人 」 と は ロ セ ッ テ イ と ジェインとして読むことができよう。
あるいはまた、こんなにも切実さをにじませた詩句をこの場で引き合いに出すこともできる─「ああ、白々とし た暁に、触れたりキスすることが叶わぬとは!」 、「もしお前が『恋人よ、冷たさの前に一度だけのキスを/孤独の 夜 と 悲 し い 歳 月 が 冷 え 冷 え と す る 』 と 言 っ て く れ た ら ……」 、 あ る い は「 わ た し が 触 れ た 唇 は も う な に も 話 し て は くれまい……」 、「幾度もキスをしたお前のかわいい手は/もう安らぎと喜びの珠玉の言葉を綴ってくれることもあ るまい」 。 モリスの彼岸にむけた悲痛な叫びがある。それはジェインにむかって訴えた叫びではない、ジョージアーナのこ とを考えていたはずだ、とリンジーは言う。そして「モリスはこの頃ジョージアーナに極めて接近し、愛するよう になった。しかし……肉体関係があったかどうか不明である。どうもぎりぎりのところで、彼女は思い止どまった のではないか 」 (5 ( とも述べる。根拠となるのが、 「近くてはるかに遠く離れて」と題された詩である。 あの 女 ひ と はためらい、立ち止まり、引き返した。目は、 その濃い灰色の心の窓は濡れているようだった、 声にならぬわたしの惨めさに気づいて、 後悔なのだろうか優しい眼差しにかわった。 そしてわたしの胸の内に起こった哀願を、 強い恥辱の網に捕らえられながら口に出そうとしたとき、 あの人はわたしを制止して、 「あなた!」と叫び、わたしたちの唇が重ねられた。 あの人の手はわたしを楽園に導いてくれた。
その口づけは甘美に思えた、やがて彼女は立ち去った、 彼女の言葉は甘美に思えた、それは 言葉のない音楽だったかもしれない─だが真実が降りかかる そして口づけと言葉を知ったわたしはひとり残され、 まるで石の壁に向かい合っているようだった、 その間、背後には果てしない海のうねりが響いていた。 ちがう、どうしたというのだ、なぜお前はためらうのか ツグミが悲しげに鳴いている、となぜいうのか 空が石のように硬く灰色だとなぜいうのか 東風が花や大枝を引き裂くとなぜいうのか なぜこうまで人の子らは絶望的とみえるのか お前の恋人はもういない、哀れな者、お前はひとり きりなのだ。 モリスはジョージアーナとの関係にためらいがちであ る。彼女がマリー・ザンバコのために悲嘆のどん底に喘 い で、 「 か り に モ リ ス に 体 を 委 ね よ う と し た と し て も、 図 4 ウィリアム・モリス 1888。
彼女はきっと危ういところでさっと身をかわし、相手の執拗な要求をはねのけたに違いないのである。……それに 詩に描かれた濃い灰色の眼はジョージアーナのそれであり、ジェインのものではない 」 (6 ( と論じた。ジョージアーナ の眼は、グラハム・ロバートスンがいみじくも指摘したように、 「深い英知をたたえ、水晶のように澄んだ眼 」 (7 ( は、 対 面 す る 人 に、 思 わ ず 自 分 は そ の 純 粋 さ に 値 す る の か と 内 省 を 迫 る ほ ど の 迫 力 が あ っ た と い う。 そ れ に ジ ョ ー ジ アーナはいったんこれと信じ込めば、その大義のために自分の存在のすべてを賭ける徹底ぶりを発揮する精神の持 ち主だった。婦人参政権運動において然り、ブール戦争反対において然り、後にモリスが社会主義者として実践活 動に生活の主軸を移動させたときですら、モリスは、錯綜する不条理な人間関係に翻弄されながら、ふだんの真摯 な筆使いで、 しかし、 特段の相談があるわけではないのに、 幾度となくジョージアーナに手紙を書き送った。 「バー ン=ジョーンズと一緒にいる限り、彼女にはこうした個性を発揮する機会にはほとんど恵まれなかった。モリスの 傍らにいてこそ、彼の情熱と献身を共有する彼女の姿をわれわれは見ることができる。二人は二人の関係に潜むこ うした可能性に互いに気づいたに違いない。しかし、ヴィクトリア朝にあっては夫婦はあくまで夫婦でなければな らなかったし、いまここで、モリスとジョージアーナの二人が夫婦であろうとすれば、徹底した社会的制裁が待ち 受 け て い る と い う 認 識 が そ の 頃 の 二 人 の 手 枷 足 枷 と な っ て い た に ち が い な い 」 (8 ( 。 マ ッ ケ イ ル は、 こ の 時 期 の 記 述 に つ い て、 「 差 し 障 り の な い よ う に 気 を 遣 う こ と が 多 々 あ っ て、 ひ ど く つ ま ら ぬ 書 き 方 に な っ て し ま っ た に ち が い な い。……しばしば事実に背く嘘にちかくなってしまい、ひどく不快でした」と懸念を表した。 こ こ で、 「 近 く に し て は る か に 遠 く 離 れ て 」 に 異 説 が あ る こ と を 紹 介 し て お こ う。 ヘ ン ダ ー ス ン の 解 釈 は こ の 一 篇から「モリスが依然として妻に恋い焦がれているのに、相手からほとんど、あるいはなんの反応もえられなかっ たということが了解されるだろう。…明らかにジェインに向けて書かれた」詩である、と解説する 。 (9 ( これを頭から
否 定 す る こ と は で き な い と し て も、 後 発 の リ ン ジ ー の 解 釈 に こ そ 説 得 力 が あ る と 言 え る。 リ ン ジ ー の 場 合、 ヘ ン ダ ー ス ン の 引 用 詩 と 同 じ 詩 句 を 対 象 に し な が ら、 ジ ェ イ ン に 起 因 す る 苦 悶 を 訴 え た 相 手 は ジ ェ イ ン で は な く、 ジ ョ ー ジ ア ー ナ だ と 判 断 す る。 『 詩 の 本 』 の 贈 り 物 の 意 味 に つ い て も そ う し た 文 脈 で 捉 え る。 モ リ ス 没 後 一 〇 〇 年 記 念 シ ン ポ ジ ウ ム に お い て、 R・ マ イ ル ズ は「 『 詩 の 本 』 の よ う な 贈 り 物 を 受 け 取 っ て、 だ れ が 負 担 に 思 わ な い で 済ますことができようか?」 、「この贈り物を受け取った者は、それに見合う相応のお返しには一体どうすればいい のだろう、と困惑しただろう 」 (10 ( といかにも思わせ振りな発言をした。この詩集はジョージアーナを、有無を言わせ ず、共犯関係に引き入れてしまった、とだけは言えるだろう。詩集の装飾といい、感情といい、詩人の満たされぬ 願いをジェインにではなく、ジョージアーナに向かって表明しようとした一書と解されなくてはなるまい。まこと に思い入れたっぷりの誕生日の贈り物だったのである。ともあれ、 「『詩の本』はこの時期のモリスの最奥部の感情 の多くを明らかにするものであり、そこにはモリスとジョージアーナの両人が最も強く惹かれ合った時期の二人の 関係に直接関与する詩も散見される。底流にあるのは過去と報われぬ愛への悲哀と苦悩である。モリスがジョージ アーナに捧げる詩を書き上げ、もてる技すべてを注ぎ込み、本来ならば好奇の目から慎重に遠ざけておくはずの自 らの感情を表白し、それを盛るにふさわしい美しい器を造形しえたことに、モリスが多大の満足を覚えたであろう こ と は 疑 い の 余 地 は な い。 モ リ ス の 私 生 活 と 芸 術 を こ れ 程 ま で に 融 合 さ せ た 結 果 が 稀 に 見 る 手 稿 本 の 誕 生 で あ り、 モリスが多くの悲嘆と愛を共にした女性の喜びのためにそれは捧げられたのだった 」 (11 ( ここで、モリス発ジョージアーナ宛の手紙に注目する。二人の微妙な関係の実相に迫ることができるのではない かと期待を寄せて。ところが見事裏切られる。一八七〇年前後の一通が、というかわずかに断片としての一 葉 (12 ( が残
る だ け で あ る。 「 …… 彼 の こ と、 こ ち ら が い ら い ら し て い る 時 だ か ら、 気 が 変 に な り そ う だ。 そ れ で も 取 り 乱 し は しなかった、あんな立派な人達に交じって、押し潰されそうな気分だったが。……つまり僕なんか狭量な面白味も ない退屈野郎ってわけだ─だったら、もうこれ以上君を退屈させるのも止めにしよう。さようなら、君が許すがぎ り 僕 は 君 の 味 方 だ。 追 伸 ─ 裏 に『 一 〇 月 』 を 書 い て お く、 も し ネ ッ ド が 一 緒 な ら 見 せ て く れ た ま え 」 な ぜ か 明 ら か に 冒 頭 部 分 が 欠 け た、 妙 に 自 虐 的 な 文 面 で あ る。 「 彼 」 と は だ れ な の か、 バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ で あ ろ う か。 詩 「一〇月」は『地上楽園』第三部の詩。 その後は六年以上の空白をおいて─この期間こそ両人が「最も親密で熱い関係」にあった時期である─次の手紙 は( 『 書 簡 集 』 を た ど る 限 り ) 一 挙 に 一 八 七 六 年 三 月 二 六 日 に 飛 ぶ。 そ の 手 紙 は、 当 時 モ リ ス が 没 頭 し て い た 染 色 に 関 す る 話 題 を 主 に し た、 ス タ フ ォ ー ド シ ャ の リ ー ク の 町 で し た た め ら れ た 近 況 報 告 に 終 始 す る。 「 小 生 の 毎 日、 仕事で大混雑です。動きたがらないランカシャの連中にあれこれ仕事の指示をするだけでなく、自分から染色小屋 で 木 靴 を 履 き ぶ か ぶ か の 作 業 衣 を 着 て 仕 事 を し な け れ ば な り ま せ ん ─ お 判 り で し ょ う、 そ れ が 僕 の 性 分 な ん で す。 せっかく僕の詩に期待を寄せてくださったのに、ご厚意に添えず申し訳ありません。……目下のインディゴ染法に まつわる苦労や可能性をお話しするとなれば、一週間はかかるでしょう。でも、順調に事が運んでいることはせめ てご賢察いただけるでしょう。羊飼いの少年が一人で見張りを立派にこなすようになるのと事情は同じです 」 (13 ( これ はこれで完結していると思えても、六年の空白を思えば、いかにも唐突な感じは否めない。その間のいきさつが全 く欠落している事実は、当事者間の理解は成り立っても、われわれには不自然さがつきまとう。なにか反社会的な 事情が絡んだ故の作為的空白ではないかと気に掛かる。しかも、ジョージアーナ発モリス宛の手紙についても、二 人の関係の手掛りにつながる手紙はまったく残されていない。
こ う し た 事 情 に つ い て、 リ ン ジ ー は「 手 紙 は 紛 失 し た か、 破 棄 さ れ て 現 存 し な い。 一 方 モ リ ス の 彼 女 宛 の 手 紙 は 現 存 す る も の が あ っ て も、 ど れ も 用 心 深 く 取 捨 選 択 さ れ、 お そ ら く 編 集 さ れ て い る の で は な い か。 ジ ョ ー ジ ア ー ナ と マ ッ ケ イ ル[ 彼 女 の 娘 婿 ─ 引 用 者 注 ] の 二 人 が、 モ リ ス と ジ ョ ー ジ ア ー ナ の 関 係 を、 こ と に こ の 二 人 が 最 も 親 密 に 熱 く 心 を 通 わ せ 合 っ た 一 八 七 〇 年 前 後 の 数 年 間 に つ い て、 巧 妙 に 刈 り 込 み 世 間 体 に 気 を 配 っ た こ と は間違いない」 (14 ( と分析する。 ところが一八八〇年代前半になると、一転してジョージアーナ宛の手紙が急増する。これはモリスが東方問題を 契機に現実参加を強めた時期に重なり、七〇年前後とモリスの生活環境、対社会の関係はまるで異なる。モリス書 簡 集 の 編 者 と し て 定 評 の あ る N・ ケ ル ヴ ィ ン は、 「 ジ ョ ー ジ ア ー ナ・ バ ー ン = ジ ョ ー ン ズ と ア グ レ イ ア・ コ ロ ー ニ オ宛のモリスの手紙をどう解釈したらよいか、これは基本的疑問─はたしてモリスとこの二人の女性のいずれかと あ る い は 両 方 と の 間 に 性 的 親 密 さ が あ っ た の か ど う か と い う 疑 問 ─ に 対 す る 解 答 が 不 在 な た め、 面 倒 な 問 題 で あ る。事の真相はどうあれ、両人に宛てた手紙に基づけば、ジョージアーナとの関係のほうがモリスにとってより重 要であったことは疑いの余地はない。ジョージアーナこそモリスがあらゆる局面でもっとも率直かつ完全に語りか けた相手であり、関心事や心配事を、とりわけ政治的関心を共有することができた相手であった。彼女こそモリス 図 5 ジョージアーナ・バーン=ジョー ンズ 1880 年頃。