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「文化的多元論」から「多文化主義」へ : デューイのナショナリズム論の今日的意義によせて(梶田公教授退官記念論文集)

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全文

(1)

か ら 「

多文化主義」へ

リズム論の今 日的意義 によせ て一 は じめ に 筆 者 は別稿 にお いて, ジ ョン ・デュー イのナ シ ョナ リズム論 につ いて若子 の 1 ) 考察 を試みた。 そこでは,多 民族社会アメ リカにおけ る国民統合 をめ ぐる諸問 題 につ いての彼の考 え方の検討が行 われた。本稿 ではそれ を承けて彼のナショ ナ リズム論の今 日的意義 を見いだすための手がか りを探 ってみたい。結論的に 言えば,こ れ まで 自明のごとくに考 えられて きた国民国家のあ り方およびその 観念の相対化の試み とい うことが彼のナ ショナ リズム論に秘め られている特徴 であるように思われ る。デュー イは二つの方向で,そ の相対化 を試み ようとす る。一つは,一 国家 =一 民族 =一 文化 とい う国民国家についてのステレオタイ プ的なイメー ジの解体 であ り, も う一つは,国 家主権の相対化である。後者の 方向は国際法において国家主権の発現 として認め られている戦争の禁止 をめ ざ す とい う戦争違法化の思想 と行動への取 り組み として最 もよ く現れている。更 に,そ れ をふ まえて,国 家間の政治的軍事的組織化 よ りもむ しろ,各 国民衆の 共通の利益 に根 ざし,そ の実現 をめ ざすた非政府的 レヴェルでの国際交流の必 要 の強調, また,「世界連邦」の構想 などが想起 され る。 これについて,筆 者は 2 ) かつ て若子 の検 討 を試み た こ とが あ る。 そ こで,小 稿 では,前 者の方向 を取 り あげ てみ たい。 近 年, 国 民 国家 の あ り方 につ い て の一 国 家 =一 民 族 =一 文 化 とい う単 純 化 され た 図 式 的 理 解 に根 底 的 な批 判 を投 げ か け て い るの が 「多文 化 主 義 1 ) 刀 ヽ西 [1996b] 2 ) 小 西 [1983],[1996a]

「文

化的多元論」

―デュー イのナ ショナ 呑日 中 西

/Jヽ

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268 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) (multiculturalism)」といわれ る思想である。それは,国 民国家が多民族,多 文 化 によって構成 されてお り, しか も,す べ ての文化が互 いに等 しい価値 を持つ こ とを強調す る。今 日において,国 民国家における多民族的,多 文化的状況は 世 界の共通現象 とな りつつあ り,カ ナダや オー ス トラ リアでは,政 府による多 文化主義的政策の実施 も見 られ るが,こ こでは,主 として現代 アメ リカにおけ D る多文化主義の思潮に注 目したい。そ して,多 文化主義 をめ ぐる議論の中に, デュー イの思想 との接点 を探 ってみようとす るのが,イ ヽ稿 の基本的な狙 いであ る。 I 文 化 的 多元論 か ら多文化 主義 ヘ ア メ リカの 多文化 主義 は思想的 な先駆 を持 ってい る。 それは 「文化 的 多元論 (cultural pluralism)」と呼 ばれ る考 え方 であ り,デ ュー イはその支持者 として 理解 されて い る。 ここでは,ア メ リカ社会 におけ る人種 ・民族 問題 との関 わ り で,20世 紀初頭 におけ る文化 的 多元論 の 出現 と,近 年 の 多文化主義 の台頭 の背 景 を簡 単 に見 てお くこ とに しよ う。 ア メ リカは建 国期 か ら多民族社会 として出発 したが,当 時 の 多数 派 であった ア ング ロ ・サ クソン系民族 とその文化 が主流的位 置 を占め るこ とになった。 そ の後,ア メ リカには移 民が陸続 と渡来 して きたが,旧 移 民 と呼 ばれ る19世紀前 半 の西 欧系 お よび北 欧系 の移 民 とは異 なって,19世 紀後半以降20世紀初 め にか け て は,新 移 民 と呼ばれ る東欧系お よび南欧系移 民 と,そ してア ジア系 の移 民 が増大 した。新移 民お よびア ジア系移 民 は人種,言 語,宗 教,生 活様 式等の 多 くの面 で,従 来 の移 民 とは異質 であ り,彼 らをいか にア メ リカ社会 に同化 させ, 国民統合 を実 現 す るか が主 流派 に とっては深刻 な課題 であった。 移 民 の同化 につ いては 「ア ングロ ・コンフォー ミテ ィ論」 と 「対描論」 の二 3)合 衆国以外におけ る多文化主義の動向につ いては,梶 田,関 根,を 参照。合衆国につい ては,有 賀,今 田,能 登路, を参照。 なお,multicuituralismの和訳は様 々で一定 してお らず,多 元的文化主義,複 合的文化主義,あ るいは文化的多元主義 とも言われ る場合があ るが,小 稿 では multiculturalismを多文化主義,従 来の cultural pluralismを文化的 多元 論 とい うこ とにす る。両者の内容的違 いについては行論の中で明 らかに したい。

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文化的多元論」から 「多文化主義」へ 269 つ の考 え方 が あ った。 前 者 は渡 来 して くる移 民 た ちの民族 的文化 の価 値 を否定 し,彼 らが 自分 たちの文化 を捨て主流 をなすアングロ ・サ クソン的な文化に順 応 (conform)すべ きである,と主張す るもので,人種差別や移民排斥の動 きを支 えることになった。後者はアメ リカ社会 とい う巨大 な 「対相」の中で多様 な民 族が溶け合 い,新 しいアメ リカ人 とその文化が作 り出され るとい うものである。 これは移民たちの もたらす文化 に積極的意義 を認め,そ れ らが合成 されて新 し いアメ リカ文化が形成 されてい くと考 えるのであるが, しか し,結 局の ところ, 彼 らの文化 それ 自体 は消滅す ることが期待 されていた。 アングロ ・コンフォー ミティ論 と対描論が ともに移民たちの文化の消滅 を含 意す るものであったのに対 して,諸 民族の多様 な文化 を尊重 し,相 互の共存 を 実現すべ きだ, とい うのが文化的多元論の主張であった。哲学者のホー レス ・ カレン(HOrace M.Kallen)がその代表的な提唱者 として有名であ り,デ ュー イ もまたカレンを支持 した。 しか し,両 者の間には,諸 民族の文化の尊重 という 点 では同 じであるに して も,そ れ らの相互共存のあ り方 をどのように考 えるか をめ ぐって基本的な違 いがあった。換言すれば,今 日の多文化主義に比べ ると, 文化的多元論は共通文化 としてのアメ リカ国民文化の意義 を認めていたのであ るが,彼 らは各民族の文化 とアメ リカ文化の関係 をどのように理解す るかの方 法的観点 をめ ぐって異なって くるのである。 この点については後述す る。 さら に,20世 紀初頭のカレンやデュー イの文化的多元論の特徴 としては,そ れが も っぱ らヨー ロッパ系移民の統合 を念頭にお き,黒 人やアジア系移民 をほ とん ど 無視 していたことがあげ られ る。 文化的多元論の主張に も関わらず,ア メ リカ社会の現実的動向はそれ を裏切 るものであった。第一次大戦後に広が った人種差別の風潮は1924年の新移民法 の成立 となって現れた。 これによ り, ヨー ロッパか らの移民,特 に東欧系およ び南欧系の移民は大幅に制限 され,ま たアジアか らの移民は 日本人を含めて全 面的に禁止 されたのである。 しか し,そ の後1930年代後半か ら50年代 にかけて文化的多元論の考 え方は国 民統合 の理念 としてアメ リカ社会 で受け入れ られて きた。 それは,ア メリカの

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270 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号)

多様 性 を賞賛 す る理 想 として,そ して それ まで抑圧 され て いたマ イ ノ リテ ィ・ グルー プ の権 利保 障の理 念 として,共 感 を得 るよ うにな ったのであ る。 ただ, その過程 で,文 化 的 多元論 の概 念 は曖味かつ 多義 的 な もの とな り,多 くの矛盾 と混乱 を内包 してい った。 この こ とは,M.ゴ ー ドンの言 う「自由主義的多元論 (liberal pluralism)」と 「集 団主義 的 多元論 (corpolate liberalism)」とい う二

4 ) つのタイプヘの文化的多元論の分化 を生ぜ しめた と言えよう。 この二つの多元論の違 いは具体的な政策論の レヴェルで大 きな対立 となって 現れた。 自由主義的多元論 では,個 人が単位 であ り,そ の平等 と能力主義が基 本 とされ, したがって,特 定の人種 ・民族に属す るか らといって,個 人が特別 の待遇 を受け ることはない。 また,個 人がいかなる人種 ・民族集団に属 し, ど の ような文化や宗教 を保持 しようとして も,政 府はそれに関知 しない。 これに 対 して,集 団主義的多元論 では,人 種 ・民族の ような属性主義的集団が権利付 与の単位 として認め られ る。 また,政 府の政策 によって,集 団 とその文化の保 持が奨励 され る。 したがって,歴 史的に差別 され,不 平等 な扱 いを受けて きた 黒人や他 のマイノ リティ集団に属す る個人に正 当な教育,雇 用,政 府 との事業 契 約 等 の機 会 を与 え る こ とを 目的 とす る 「積 極 的 是 正 措 置 (affirmative action)」が是認 され るのである。 1960年代半ば以降,ア メ リカでは,「積極的是正措置」の施行 によって,マ イ ノ リティに属す る人々の経済的社会的地位の向上が図 られた。 それ と共に,様 々の人種 ・民族集団がその属性的カテゴ リーヘの帰属 をもとに して,政 治的お よび社会的権利獲得 をめ ざす ようになった。こうして1970年代以降,「エスニ ッ ク ・リバ イバル」 と呼ばれ る運動が展開 され, これが多文化主義の台頭の背景 となったのである。しか し,自 由主義的多元論の立場か らすれば,「積極的是正 措置」は個 人本位 の機会 の平等 とい うアメ リカ社会の伝統的原則に反す るもの であ り,「逆差別」 をもた らす ものだ とい う批判がなされた。1990年代 に入 っ D て, そ の廃 止論 が高 まるにつ れて, 賛 否 をめ ぐる論争が激 し くなって きてい る。 4)Gordon,pp.182-184, 関根。 5)「 積極 的是正措置」につ いては,有 賀,今 回,越 智 を参照。

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文化的多元論」から 「多文化主義」へ 271 自由主義 的 多元論 と集 団主義 的 多元論 の対立 は,「積極 的是正措置」をめ ぐる 議 論 だけ では な く,多 文化教 育 に関す る論争 として も現れてい る。 その中で, 多文化 主義 と呼ばれ る思想潮流が 台頭 して きた。199o年代 よ り盛 んになった多 文化教 育 の主張 は,マ イ ノ リテ ィや女性 な ど,こ れ まで過小評価 されて きた人 々 のア メ リカ社会へ の貢献が, も っ と教 育 の場 で教 え られ るべ きだ とい うこ と であ り,マ イ ノ リテ ィの文化 の尊重 を強調す るものである。具体 的には,初 中 等教 育 の場 での社会科 お よび歴 史の教科 書 の改訂 と,大 学 での必須科 目の変更 ・多様化 の要求 として提起 されている。 多文化主義の思想はこのような多文化 教 育 の主張 を正 当化 しよ うとす る もの であ った。 そ して,各 民族の文化 の尊重 と共通文化 としてのア メ リカ国民文化 の位 置づ け をどの よ うに理解 す るのか と い うことが,多 文化主義批判 との間で,中 心的な争点になってきた。 このこと が実は文化的多元論の中でのカレンとデューイの違いに関わる問題でもあった こ とは先に触れた とうりである。 以上の検討か ら,20世 紀初頭に出現 した文化的多元論の考 え方は,そ の実現 の仕方 をめ ぐって, 自由主義的多元論 と集団主義的多元論 とい う二つのタイプ を生みだ し,両 者の対立の中か ら多文化主義が現れた, とひ とまず理解 してお くこ とに して,次 に,多 文化主義 をめ ぐる議論 とその特徴 を考 えてみることに しよう。 II 多 文化主義 とその問題点 ここでは,効 夕A物 夕句物%齢 ヵθあ/誌 上で行われた,ラ ヴィッチ(Ravitch,D.) とアサ ンテ(Asante,M.K.)の論争 を取 りあげて,多 丈化主義 をめ ぐる議論で何 が問題 になるのか を探 ってみたい。論争はラディカルな多文化教育 を主張する 多文化主義の動向についてのラヴィッチによる批判的検討か ら始 まり,そ れに 6)ラ ヴィッチは コロンビア大学教育学部教授でブッシュ政権の教育次官補 をつ とめた。ア サ ンテはテンプル大学のアフロア メ リカン研究学科長である。前者が小稿 で言 う文化的多 元論の立場 であ り,後 者は多文化主義のそれである。論争の概略に触れた もの として,越 智,今 回, を参照。

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対す るアサ ンテの反論 と更にラヴィッチの再論 とい う形で行 われた。論点は多 岐にわたるが,主 張の基本的な対立点は次の ように整理 で きるように思われる。 ラヴィッチによる多文化主義批判は,彼 女 たちは各民族の多様 な文化 を尊重 しなが らも,同 時に 「よ り豊かな共通の文化」 を求め るのに対 して,ア サ ンテ の ような多文化主義者たちが 「いかなる共通の文化 も不可能であ りまた望 まし くない」 と主張す る″点に まず向け られている。 ここに従来の文化的多元論 と近 年の多文化主義の基本的な違 いが存在す ると言ってよい。そ して,そ の主張に 基づ いて 「自民族 中心主義的なカ リキュラム」への改訂の要求がなされ ると批 判 され るのであ る。 なぜ この ような主張になるのか と言えば, ラヴィッチによれば,多 文化主義 が「過度 の祖先崇拝」,お よび人種 ない し文化 による決定論あるいは宿命論の思 考傾 向 を持 っているか らである。つ ま り,「それは子供 たちに彼 らのアイデンテ ィティが彼 らの 「文化 的な遺伝子」によって決定 され ることを教 える」 とい う のである。だか ら,ア サ ンテたちの多文化主義の持つ意味合 いを突 き詰め ると, 「人種 的 また民族的少数者はア メ リカ文化の構成部分 ではない し,ま たそ うな ろ うとすべ きでない」,「ア メ リカ文化 は白人 とヨー ロッパ人である人々にのみ 属 している」,「 白人で もヨー ロッパ人で もない人々は彼 らの人種や民族によっ てアメ リカ文化か ら疎外 されている」,「彼 らが帰属 し, また帰属 し得 る唯一の 文化 は,た とえその家族が何世代 に もわたってこの国に住んでいるとして も, 彼 らの祖先の文化 である」, とい うような 「民族分離主義のイデオロギー」にな の りかねない。 換言すれば,多 文化主義者たちは,「共通のア メ リカ文化のよ り広範な解釈」 を無視 し,「国民の多 くの人種的,民 族的,文 化的な集団が国民文化 を変容 させ るあ り方への正 当な承認」を否定す る。つ ま り,そ れは,「アメ リカ文化 を発展 させ た り,修 正 した りす るとい うことにまった く関心 を持 たない」,そ もそ も, 共通の文化の存在 を否定す るのであ り,し たがって,「諸集団間のいかなる調停 をも, またそれ らの間の区別 の線 を消 し去 るようないかなる相互作用 も拒否す 7)Ravitch[1990],p.341,

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文化的多元論」から 「多文化主義」へ 273 るの で あ る」。 あ るい は また,彼 らは,各 民 族 の 「諸 文 化 が絶 えず相 互 に影 響 し 合 い, 思 想 や 芸 術 や 技術 を交 換 して い る こ と, そ して,そ の 交 換 を通 じて豊 か に な る こ とが普 通 で あ る」 こ とを見 よ う と しな いの で あ る。 さらに,多 文化主義は,民 族集国内部 での 「大 きな文化的,歴 史的,宗 教的 そ して言語的な差異」や,集 団間での通婚,そ して諸集団 を交差す る様々な り ンケー ジの存在 を無視 して しまう。要す るに,あ る民族集団に属す る人はすべ て 「同一の文化」 を持つ と考 えることになるのである。 最後 に,多 文化主義は,「普遍性の観念 をヨー ロッパ中心主義の微岸 さの形だ として非難す る」 とい う特徴 を持 っている。 ラヴィッチによるこのような批判の論点のすべてに応えているわけではない が,ア サ ンテの反論の要点は次の ように理解 され よう。 多文化教育のカ リキュラム改編に反対す るラヴィッチの主張は 「ヨー ロッパ 中心主義のヘゲモニーの新 しい形」にす ぎず,「カ リキュラムにおける白人の文 化的優越の弁護の試み」以外の何 もので もない。だか ら,ラ ヴィッチの主張の 意味は次の ように理解 され るべ きである。 「現状維持派によって主張 されているような共通のアメ リカ文化 なるものは まった く存在 しない。あるのは,あ たか も共通の文化 であるかのごとくに押 しつけ られ るヘ ゲモニー的文化 である。おそらく,ラ ヴィッチはここで概念 を混同 している。共通のアメ リカ社会は存在す るが,そ れは共通のアメ リカ 文化 とは まった く異なるものである。一定の文化的特質が社会の内部の人々 に よって共有 されているが, しか し多文化主義の意味は 「文化の多数性」 と い うことである。 多文化教育 を信 じることは多 くの文化が存在す ると考 える こ とである。 ラヴィッチが混同に陥 る理由は,彼 女が 「多 くの文化」 を調停 しうる唯一の方法が 「大 きな」 白人文化のヘゲモニーの下での多 くの 「小 さ な」文化 (の存在)を 主張す ることだか らである。だか ら,彼 女の言わん と す るこ とは……… ヨー ロッパ 中心主義の枠組の中での他の諸文化の受容 であ 8)Ibid.,pp.341,347. 9)Ibid.,p.342.

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274 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) る。 … … … 多文化主義 の問題 につ いての本 当の分 かれ 日はカ リキュラム をめ ぐっ ての ヨー ロ ッパ 中心 主義 を真 に維持 しよ うとす る人々 とヒエ ラル ヒー の ない 文化 的 多元論 を真 に信 じる人々の間にあ る。 ラヴ ィ ッチは前者 の立場 を擁護 1 0 ) して い る」。 アサ ンテによれば,ラ ヴィッチが教育において少数民族の文化 を尊重す ると 言 う時,ア メ リカ社会 におけ るヨー ロッパ 中心主義の白人文化のヘゲモニーの 存在 とい う現状 を無視 していると批判す る。かか る現状 をその ままに して共通 のア メ リカ文化 なるもの を語 ることは白人文化のヘゲモニーヘの他の諸民族の 文化的従属 を認め ることにな りかねない。 ラヴィッチの議論はこれに陥ってい る。だが,ア サ ンテによれば,共 通文化がそのようなものだ とすれば,存 在 し ないほ うが ましである。彼に とって,共 通文化 は, ヒエ ラル ヒーのない文化的 多元論,つ ま り,対 等 な立場 での 「あ らゆ る民族集団の完全 な参加」の上 に成 立す るものでなければならないか らである。そのために, ヨー ロッパ中心主義 の 白人文化のヘゲモニー とい う現状の改革が まず必要だ とい うわけである。 多 文化主義による教育改革の要求はこのことを意味 してお り,「アフ リカ中心主義 が他 の諸文化 を微岸に無視す ることにおいて ヨー ロッパ中心主義に とって代 わ ろ うとす る」 ことではないのである。 アサ ンテに よるラヴィッチ批判はい くらか細かい点に も触れているが,そ の 要点は以上 で尽 きていると思 われ る。 そ して,共 通文化が形成 され るコンテ ク ス トにおけ る文化的ヘゲモニーの存在 を問題化 しえず, したがって,普 遍主義 の装 いの下 での少数派民族の文化の不平等な取 り扱いを容認す ることになる, とい う指摘 は一定の妥当性 を含んでいると言える。 しか し,ア サンテはラヴィ ッチが行 った多文化主義への批判に十分 に応えているとは言えない。そのこと が彼によるラヴィッチにたいす る批判の力 を弱めて しまい,か えって 自己の立 場 の限界 を露呈す るこ とになるように思われ る。以下,そ の点 を検討 してみ よ 1 0 ) A s a n t e , p p . 2 7 0 - 2 7 1 . 11)Ibid.,p.268.

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文 化 的 多元論 」 か ら 「多文化 主義 」へ 275 つ。 まず,多 文化主義には人種 ない し文化的な決定論 または宿命論の傾向がある とい うラヴィッチの批判に対 してアサ ンテは有効 な反論 を行 っていない。その 結果,ア サ ンテは一義的な文化的アイデンティティを求めているかのような印 象 を与 え られ るのである。 ラヴィッチはアサ ンテヘの反論でこのことを繰 り返 し次の ように指摘 している。「それは,あ たか も同一の皮膚の色 を持つ ものは誰 で も同一の文化や歴史 を持 っているかのごとくに,人 種 と文化 を混同す る」。し か し, も しそ うだ とすれば,ア サ ンテは,ヘ ゲモニー文化について彼 自身が批 判 したの と同 じような他文化 に対す る抑圧 とい う事態の可能性 を再現す ること にな りは しないのだろうか。 さらに,個 人のアイデンティティのレヴェルで考 えてみれば,そ の形成 自体が多様 な社会的文化的文脈の交差する場においてな され るとい う事実が無視 され ることにな りかねない。その結果,現 代社会にお け る個 人のアイデンティティをその複合性,可 変性において捉えることができ ず, したがって,一 人種 (一民族)=一 文化 =個 人のアイデンティティという ような「単一文化主義 (mOnOculturalism)」の考 え方 を脱却 しえな くなるのでは ないか と思われ るのである。 次に,ア サ ンテはすべ ての文化が等 しい価値 を持つ として, ヒエラル ヒーの ない文化的多元論 を共通文化のあ り方 として主張す るが,よ く考 えてみれば, これはあま リリアルでないように も思われ る。 というのは,社 会的現実におけ る権力関係の非対称性 を念頭におけば,相 互に関係 し合 う諸文化は何ほ どかの 程度において力関係の上 で不平等な位置 を占め ざるをえないことは不可避であ り, したがって,す べての文化が まった く対等で,共 存す るということは実際 には考 えに くいか らである。かか る現実のあ りようを十分に留意す ることな く, 単 に ヒエ ラル ヒーのない文化的多元論 を強調す ることは,「諸文化間のスタティ 12)一 義的な文化的アイデンティティの問題性 については,モ ー リスー鈴木,ア ッピア,酒 井, を参照。 13)Ravitch[1993],p.273. 14)個 人のアイデ ンティティの多元的複合″性,可 変性 については,Okamura,p.452,High‐ am,p。203,斎藤,モ ー リスー鈴木,梶 田,山 影,を 参照。

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276 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) ックな複数性 のみ を擁護 し,相 互 の競合 や交雑 に よる文化 の新 たな複数化 を従 来 の 多元性 を損 な うもの として退 け る」 こ とを意味 しかね ないであろ う。 アサ ンテが共通文化 の必要性 を認め なが ら も,そ の形成や変化 の動 態へ の視 点 を十 分 に示 しえないの もこの ことにかかわっていると言えよう。 ヒエ ラル ヒーのな い文化的多元論の実現は,非 対称的な力関係 としてある諸文化の布置状況の絶 えぎる変更 として,つ まり,「劣位 に置かれて きた文化の再生 。自己主張が文化 全体 の支配的 コンテクス トを変化 させ てい く」 とい う不断のダイナ ミクスの創 出 として,理 解 されなければならないように思われ るのである。 この よ うに考 え うる とす れ ば,多 文化 主義 が 「諸集 団間の いか な る調停 (accommOdation)も,そ れ らの間の境界線 を薄 くしようとす るいか なる相互作 用 (interactions)も否定す る」,ま たは,「あ らゆ る諸文化や諸文明の相互に混 じ り合 う折衷的な性格 と,相 互に変化 し合 う多様 なあ り方 を否定す る」 とい うラ ヴィッチによる批判は一定の妥当性 を持 っていると言えよう。 しか し,彼 女の 議論 もまた不十分 さを持 っている。 それは,ア サ ンテの言 うように,共 通文化 の形成におけ るヘゲモニー的文化の問題 を曖味に しているか らである。その結 果,「共通文化がその下位 の諸文化の相互作用によって形成 され る」ことを説 く だけで,共 通文化 は文化全体 の支配的 コンテクス トの不断の変化のダイナ ミク ス としてあること,そ して諸文化 はその全体 の関係的文脈の中で位置づけ られ ること,へ の視点が弱 くなると言えよう。そ して,こ のように,文 化全体 の支 配的 コンテ クス トの不断の変化 を通 じて,つ ま り,文 化的ヘゲモニーの再編 と して,共 通文化が形成 され,変 容 され るとい う視点が弱いために,ラ ブィッチ は, 白人文化のヘゲモニーの現状の変更 を主張す るアサ ンテたちの多文化主義 に対 して,「社会の分裂や 自民族 中心主義」を生み出す ものだ とい う過剰 な反応 を示す こ とに もなると考 え られ るのである。 15)斎 藤。 16)Ravitch[1990],p.341,[1991],p.273. 17)Ravitch[1991],p.276.多 文化主義に対す る反発や恐れ を表明 して話題 を読んだ著作 と して,ア メ リカ歴史学界の大御所 であるシュ レー ジンガーの 『ア メ リカの分裂』がある。

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文化的多元論」から 「多文化主義」へ 277 ラヴ ィ ッチの思考 にお いては,出 発 点 に個 々の諸 民族文化 が置かれ,そ れ ら の相 互作 用 として全体 的 な共通文化 の創 出が想定 されてい る。 ここに見 られ る 特徴 は,個 々の諸文化のあ り方その もの を全体の関係性の視点か ら把握 しよう とす る方法の欠如 である。か くして,出 発点 としての各文化が所与的ない し回 定的性格において理解 され る傾 向が現れやす くなる。だが,こ の ような思考傾 向は実はアサ ンテに も潜んでいると言える。 とい うのは,彼 もまた,個 々の文 化か ら出発 し,そ れ らの実体的把握 を前提 に して共通文化 に対す るそれ らの優 先性 を強調 していたか らである。 だか ら, ラヴィッチ とアサ ンテは,対 立 して いるように見 えなが ら,そ の根底には同 じような思考の特徴 をもっていた と理 解 され るのであ る。 以上,多 文化主義 をめ ぐっての,ラ ヴィッチ とアサ ンテの応酬について若干 の検討 を試みて きたが,そ こか らさしあたって引 き出され る問題 として,一 人 種 (一民族)=一 文化 =個 人のアイデンティティとい う一義的なまたは固定的 な文化的アイデンティティ理解 をいかに克服す るのか,そ して,諸 文化の共存 に基づ く共通文化の形成におけ る文化的ヘゲモニーの問題 をどのように考 える のか, とい うことを指摘 で きるであろう。換言すれば,個 人のアイデンティテ ィの多元的複合性 ならびに可変性への注 目と,そ して,諸 文化の共存のあ り方 の理解 におけ る全体的な関係性の視点の必要 である。問題 をこの ように考 えて くる時,筆 者 としては,デ ュー イによる個人のアイデンティティの理解の仕方 と,そ して,「 トランスア クショナル ・アプローチ (transactional approach)」 とい う方法的観点の提示が想起 され る。以下,こ のことを手がか りに しなが ら, 今 日のア メ リカにおけ る多文化主義 をめ ぐる議論 とデュー イ思想の接″点につ い て考 えてみたい。 I H デ ューイ と多文化主義 デュー イにおけ る文化的多元論 と今 日の多文化主義の思想的関連 を探 るため に,文 化的多元論の主唱者 とみなされ るカレンとの対比 を試みてみ よう。 とい うのは, 彼 らの思想的交錯の中に, 上 述 して きた多文化主義 をめ ぐる論点が見

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278 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) いだされ るように思われ るか らである。 デュー イは1915年のカレンヘの手紙の中で,カ レンの文化的多元論の考 え方 には,各 民族の分離,隔 離の傾 向を認め ることになる契機が潜んでいるのでは ないか とい う危倶の念 を示 していた。その前提には,カ レンによる民族 とその 文化 についての固定的把握 と,そ れによる個人のアイデンティティヘの一義的 規定性 とい う考 え方 を,デ ュー イが看て取 った とい うことがあるように思われ る。 とすれば,カ レンの文化的多元論にはアサ ンテのような多文化主義の考 え 方が何 ほ どか含 まれていた と考 えられ るであろう。 しか し,後 年になって,カ レンの主張に変化がみ られ,「民族的アイデンティティの視点が後退 し,相 互交 流 と調和の要素が前面に押 し出ている」 と言われている。その意味では,カ レ ンの考 えがアサ ンテか らラヴィッチのそれに移 ってきた とも言えよう。だが, カレンとデュー イの間の違 いはなお残 り,個 性の理解の仕方 と,そ の基礎にあ る方法的観点 をめ ぐって顕在化す ることになった。 まず,個 人のアイデンティ ティの理解の仕方についてその違 いを見てみ よう。 カレンは,1956年 に 『文化的多元論 とアメ リカ的観念』 とい う著作 を刊行 し た。 これはカレンの論文 とそれに対す る数人の学者の コメン ト,そ してカレン の再論 を収めた ものであるが,そ の中で,コ ンヴィッツ(Konvitz,M.R.)が個人 ない し個性の理解 の仕方についてカレンとデュー イは同 じなのか違 うのか とい う質問 を行 っている。 これに対 して,カ レンは,「個人の一位性」を主張す るこ とにおいてデュー イと異なっている, と答 えているが,十 分 な説明を行 ってい ない。 しか し,カ レンは1959年の 「個性,個 人,そ してデュー イ」 と題す る論 文 において,デ ュー イの個性 ない し個人の理解の仕方について批判的な検討 を 試みている。 カレンはジェイムズ(James,W)の個人主義の考 え方 を支持 しなが ら,その特 徴 を次の ように説明す る。つ ま り,多 様 な個が基本的であ り,そ れ らの合一 と 18)Eisele,p.72,ガヽ西 [1996b]。 19)内 田。 20)Kallen[1956],pp。157-158,177.

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文化的多元論」から 「多文化主義」へ 279 して あ る全体 な る もの は 多様 な個 の 「究極 的には外的な関係の機能」である。 換 言す れ ば, 様 々 の個 の存在 が思考 の 出発 点 として前提 され, 全 体 は それ らの 相 互 作用 の所産 として, 「二次的形成」として理解 され る。 だが, デ ュー イには この ような見方が まった く見 られない とカレンは指摘す る。 その代 わ りに,デ ュー イにおいては,「個性は可変的な社会的所産 としてのみほん とうに個的であ る」,つ ま り,「個 人の持つ特徴 は社会的状況の諸側面である」 と理解 されてい る。 したがつて,デ ユー イは「言葉で言い表せ ないアイデンティティ」,あ るい は 「諸個 人の持つ絶対的な個性」のあ り方 を把握す ることがで きていない, と され る。 そ して,カ レンは,デ ュー イの見方は 「実存」 と呼ばれ るような,極 限におけ る人間のあ り方への何 らの深 い洞祭 も示 さない と批判 し,こ の洞察 は レジスタンスの経験 をふ まえたフランスの実存主義哲学の中に見 られると言 う のである。か くして,カ レンが個人のアイデンティティのあ り方 をその不動性 において見 ようとしていることは明 らかである。「集団的アイデンティティの固 定的側面 よ りも,む しろ流動的側面によ り注 目す る」方向へ後年変化 した と指 摘 され るに もかかわ らず,個 人のアイデンティティのあ り方 を究極 においては 不動 の, したがって固定的な側面において捉 えるとい う見方は彼においてなお 残 っていると言えよう。 これに対 して,デ ュー イは個人のアイデンティティの複合性 ない し可変性の 側面 に注 目す る。彼 は,1940年 の論文 「時間 と個性」において,次 の ような見 方 を示 している。「個 人はそれ 自身歴史であ り,経 歴 である,… ……その理由か ら彼の伝記は時間的な出来事 としてのみ語 られ うる」。個性は「時間的発展」と して考 えられ るがゆえに,「不確実性,不 確定性,あ るいは偶然性」を含んでお 21)Kallen[1959],pp.301-302,312-313.小稿 でのテーマか ら逸れ るが,カ レンに よるデュ ー イの個人概念への批判 とフランスの実存主義哲学への支持は, ミシェル ・フー コー らに よるサル トル批判 とい う逆 の方 向 を想起 させ る。 デュー イ哲学 と近年のいわゆるポス ト・ モダン思想の接点 を採 る手がか りの一つが ここに見いだされ る。 リチャー ド・ローティに よるデュー イ解釈 が そのひ とつの現れであるこ とは言 うまで もないであろ うが,こ の問題 につ いては他 日に検討 の機会 を持 ちたい と思 う。 22)内 田,Kallen[1956],p.55.

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280 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) り,「世 界の中での予見不 可能 な もの ご との源泉」であ る。 だか ら,個 性 は 「所 与 的 な既 成 の もの」 として,つ ま り固定 的 に,見 られ るべ きではない。要す る に,個 性 は時 間の 中での 「出来事 」 として現 れ る,だ か ら,そ れは可変 的 な も の として, ま た,「発展 す る力」 を持 ち,「未来 を作 り出す もの」 として理解 さ れ るべ きなの で あ る。 ここに含 まれている争点を,誤 解 を恐れずに単純化 して言えば,ま ず,個 人 のアイデンティティのあ り方を,カ レンのように,そ の絶対的性格ないし不動 性において見るのか,そ れ とも,デ ューイのように,そ の可変性ないし相対性 において見るのか ということである。そしてそのことと関連 して,思 考の出発 点を,個 にお くのか,そ れ とも,全 体にお くのか という方法的観点の問題があ げられるであろう。 そこで,次 なる問題は,多 元的な側面を持ちかつ可変的な存在 としての諸個 人のあ り方を認めつつ,彼 らが作 りあげてゆ く社会的な諸関係 をどのように理 解するのか,あ るいは,多 文化主義の問題に即 して言えば,各 民族の多様な文 化 と共通文化の関係 をどのように見るのか ということである。換言すれば,個 のあ り方の多元的複合性や可変性を前提にしつつ, しか もそのような個によっ て作 り出される全体的なつなが りを理解する方法的観点 としてどのようなもの が考 えられるのか ということである。ここでもまた, カレンとデューイとで違 いが見られる。 端的に言えば,カ レンは個か ら出発す る。全体は多様な個の 「調和的編成 (orchestration)」としてある。つまり,各 々の個が 「それ自体の領域 (enclave) の中で自由にかつ独 自に発展 し,そ してお互いに絡み合 うことによって,全 体 なるものの変化の型を示 し, また象徴する」 というのである。カレンによれば, このような見方は,“intercultural",“interfaith",“interracialルとぃった表現 におけるinterという接頭語によって示 されるものである。その含意は個か ら 出発 して,そ の相互作用の所産 として,二 次的形成 として,全 体 を理解 しよう

2 3 ) D e w e y [ 1 9 4 0 ] , p p 。 1 0 2 , 1 1 1 - 1 1 3 . 2 4 ) K a l l e n [ 1 9 5 6 ] , p . 9 8 .

(15)

文化的多元論」から 「多文化主義」へ 281 とす る見方であると言ってよい。かか る見方では,個 は推論の起点に据 えられ るこ とにおいて何 らかの規定性 を既に持 っていると考 えられ る。 その意味で, 固定″性ない し不変″性を押 しつけ られ るこ とになる。だか ら, カレンによる個人 のアイデンティティの理解の仕方は彼の方法的観点 と結びついていた と考 えら れ るわけである。 これに対 して,デ ュー イは,『知 ることと知 られ るもの』(1949年)とい うA・ F・ベ ン トレイとの共著において,「 トランスア クショナル ・アプローチ (trans‐ actional approach)」とい う別の方法的観点 を提示 している。 ト ランスア クシ ョン とい う言葉 は,「インターア クシ ョン(interaction)とい うこ とに よってな され うるよ りも強 くシステムに力点 を置 くために」使用 され る。換言すれば,

inter"とい う接頭語が 「の間で (in between)」とい う側面 を示すのに用い られ

るのに対 して,“trans"は 「相互性 または交互性 (the mutual and reciprocal)」

を強調す るために使用 され る。単純化 して言えば, トランスア クショナル ・ア プ ローチは ものごとの見方において全体 のあるいは統合の観点か ら出発す ると い う特徴 を持 っている。 インターア クショナル ・アプローチでは, ものごとが 「様 々な程度の独立性 を割 り当て られた,バ ラバ ラの要素 と見なされ,そ して, 相互作用の形式において考察 され る」のに対 して, トランスア クショナル ・ア プ ローチによれば,そ れ らは 「独立 した ものではな く, トランスア クショナル な状況全体 の諸局面 (aspects)」として,ま たは,「ある共通の過程の諸相 (phases of a common process)」として見 られ るのである。そ して,こ の ようなデュー イのアプ ローチは近代哲学におけ る二項対立的図式の解体 を含意 していた と理 解す るこ とがで きる。「以前の議論では,知 ることと知 られ るものが分離 され, 相互作用において見 られていた」が,そ のアプローチでは,「知 ることと知 られ るものは一つの過程 として捉 えられ る」か らである。 だか ら,デ ュー イのこのアプローチにおいては,い わゆる近代的認識論の主 体 とい う考 え方が 「無益 な余分の もの」 となっているとい うカレンの指摘は当 たっていな くもない と言えよう。 このことは,個 人 と社会 とい う二元論的思考 25)Dewey[1949],pp.101,264,272.

(16)

田 公 教授退官記念論文集 (第305号)

の否定 となって現れる。つまり,「個人的という言葉やそのあらゆる代番が放棄

される, というのはそれが………本質 (主義)的にみえるからである」。その代

わりに,「

個人的と社会的の区房Jがその側面であるようなトランスアクションに

基づいて両者を包含する」ために,「行動」というタームが用いられる。要する

に,個 人 も社会 も 「実体,本 質,実 在」 といったものに還元 されるのではな く, トランスア クションとしての人間の行動の諸側面 として理解 され るとい うので あ る。カレンはこの ようなデュー イの考 え方について,「個性 を社会的諸関係に 還元 し続けるだけでな く,社 会的諸関係 を行動の連鎖の中に解体 して しまう」 と指摘 し,主 体 としての個人の喪失 を批判 したわけである。 さて,以 上に見 たようなデュー イの トランスア クショナル ・アプ ローチは多 文化主義の議論 とどの ような接″点を持つ と考 えられ るのであろうか。多文化主 義 の検討か ら引 き出された問題は,端 的に言えば,個 のアイデンティティの多 元的 また多層的な複合性や可変性 を前提に した相互のつなが りの把握,逆 に言 えば,多 元的に交錯 し,変 化す る多様 なネ ッ トワー キング=関 係性に規定 され るもの としての個 の理解, を可能 とす る方法的観点の必要であった。 さらに, 諸文化 の共存 とい う問題 に即 して言えば,共 通文化が下位の諸文化の相互作用 に よって形成 され ることを説 くだけではな く,そ れが文化全体 の支配的 コンテ クス トの不断の変化 のダイナ ミクス としてあること,そ して,諸 文化はその全

体の関係的文脈の中で位置づけられること, を把握しうるような視″

点の必要と

いうことであった。このような問題意識からすれば,カ レンのような考え方は

不十分であると言わざるをえないであろう。デューイの方法から見れば,そ れ

はインターアクションの観点に留まっているということになる。そこで,彼 の

26)Kallen[1959],pp.304-305. 27)Itzkoffは,デ ュー イ哲学におけ る「統一 と多元主義 とい う対立す る観念に対す るアンビ ヴ ァレンス」の放に,デ ュー イ とその影響 を受けたカレンの文化的多元主義が失敗 したと 考 え (pp.60,62), また,Wissotは ,カ レンがデュー イの影響 を受 けてお らず,だ か ら, デュー イは失敗 したが,カ レンはそ うで もない と考 えているようであるが (pp.193,195), その ようなデュー イ理解 は,彼 の トランスア クショナル ・アプローチの意義 を十分に捉え ていないことに基づ いているように思われ る。

(17)

文化的多元論」から 「多文化主義」へ 283 トラ ン ス ア ク シ ョナ ル ・ア プ ロー チ の特 徴 を今 一 度 振 り返 る こ とに よ って,そ の 問題 意 識 との接 ″点を探 って み る こ とに しよう)。 イ ンター ア クシ ョンの観 点 では,「様 々 な出来事 が,そ れ らの結合 のあ り方の 探 求 に先立 って,適 切 に記述 され る」 と考 え られ る。 これに対 して, トランス ア クシ ョナル ・アプ ロー チにお いては,「諸 出来事 の現在 の記述 は仮 の または予 備 的 な もの としてのみ認め られ,そ の結果,出 来事 の諸局面や諸相 の新 たな記 述 が,そ の拡大形 であれ縮小 形 であれ,探 求 のあ らゆ る段 階 でな され るこ とに な る」。だ とすれば,か か るアプ ロー チには,個 のア イデ ンテ ィテ ィや諸文化 の あ り方 を,所 与的 な もの として固定 的 にではな くて,そ の可変性 にお いて捉 え る視 点が含 まれ てい る と考 え るこ とが で きるであろ う。 また,イ ンターア クションによれば,「様々な探求の対象は,そ れ らがあたか も探求の出発に先立 って適切に命名 され また認識 されているかのごとくに登場 す る結果,そ の後の探求は,仮 定 されている諸対象の位置の再組織化か ら生 じ るよ りもむ しろ,所 与的な対象の相互の作用 と反作用か ら生 じることにかかわ るこ とになる」。 しか し, トランスア クションでは,「探求は,基 本的な観察の 下 で,現 れて くるあ らゆる問題 に及び,か くして,体 系 (system)の中に含 まれ る諸対象の再規定や再命名のために 自由に進行す る」 と考 えられ る。 このこと は,換 言すれば,体 系の変動がその要素 としての諸対象の位置の再組織化 とし て捉 えられ,だ か らまた諸対象のあ り方はその体系 との関係 でたえず再規定 さ れ るとい うことであろ う。だ とすれば, トランスア クションの観点は,共 通文 化が文化全体の支配的 コンテクス トの不断の変化のダイナ ミクス としてあ り, そ して諸文化がその全体 の関係的文脈の中で位 置づ け られ るとい う,あ の多文 化主義 をめ ぐる議論の中か ら見いだされた問題観′点につ ながってい く何 ものか を持 っているように思われ るのである。 さらに,イ ンターア クションの方法によれば,「相互作用 をしている諸要素は 探求 においてバ ラバ ラの 「事実」 として,相 互に独立の存在 として,提 示 され る」。だか ら,そ れは,「 ものごとを基本的に静的なもの として見 る」 という特 28)以 下の記述におけ るデュー イか らの引用は,Dewey[1949],pp.113114.

(18)

284 梶 田 公 教授退官記念論文集 (第305号) 徴 を持 って い る。 それ に対 して, ト ランスア クシ ョナ ル ・アプ ロー チは,「 いか な る諸要素 も問題全体 の他 の要素 の規定 か ら切 り離 され た事 実 としては決 して 適切 に規定 され ない」,そ して,「空間におけ る延長 と同 じ く,時 間におけ る延 長 を不可欠 なこ とであ る と見 な し,だ か ら 「もの ご と」 は行為 の 中にあ る」 と 考 え るこ とに よって,関 係性 お よび可変性 におけ る認識 のあ り方 を強調す るの であ る。 ここで もまた,多 文化 主義 をめ ぐる議論 との接点が見 いだ され るであ ろ う。 か くして,以 上の検討か ら,次 のことを小稿 でのさしあたっての結論 とした い。つ ま り,文 化的多元論や 多文化主義 をめ ぐってのカレンや ラヴィッチやア サ ンテの考 え方は,そ の方法的視点において,デ ュー イの言 うインターアクシ ョナル ・アプ ローチに留 まっている。それに対 して,デ ュー イの トランスア ク シ ョナル ・アプ ローチは,一 国家 =一 民族 =一 文化 =個 人のアイデンティティ とい う従来のステレオタイプ化 された国民国家のイメー ジを脱構築す るという 課題 に取 り組むために必要 な思考方法のあ り方について何 らかの示唆 を与える もの を含んでいるのではないか とい うことである。 このことが具体的にいかな る形 をとって現れ るのか とい うことについての検討は, もはや紙幅 も尽 きてい るので,稿 を改めて果 たす ことに したい。 参 照 文 献 ア ッピア,K.A. 1994「 ア イデ ンティティ,真 正 さ,文 化の存続」Taylor1994. 有賀 貞 ・編 1995『 エ スニ ック状況の現在』 (日本国際問題研究所) Asante,MI.K. 1991 “MIulticulturalism:An Exchange" γ レタz4″タタ″σα″Sσ力ο″α/60 Dewey,John

1940 “Time and lndividuality" 7功夕二α方夕/ ,夕b/Ps 14

* 本 稿 は, 日本デュー イ学会第40回研究大会 (1996年,10月 )で の報告の一部 をもとに し て書かれた ものである。

また,本 稿 は 「平成 8年 度陵水学術後援会学術調査 ・研究助成」 を受けた。記 して謝意

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文化的 多元論」か ら 「多文化主義」へ 285 1949【 ″θ″物gα 物冴 筋夕て物θ″″ 2物夕助 ル/ル わ姥s16

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文化的 多元論」か ら 「多文化主義」

From`Cultural Pluralism'to`Multiculturalism'

一The Relevance of Dewey's ldeas of Natiomalism一

Nakakazu]Konlshi

The purpose of this paper is to consider the relevance of John Dewey's approach to the multiethnic society. The recent contro‐ versy on multiculturalisln presents some problems. We should understand the individual identity not in the monistic fixity but in the plurality or flexibilityo We should grasp the individual identity and each ethnic culture from the relative point of view.The

coexistence of diverse cultures in multiethnic society is to be recognized as a dynaHlics of constant changing of the hegemonic configuration in the whole common culture. I believe that the ナ物%sαび″θ%α′approach which Dewey and A.F.Bentley proposed as an epistemological point of view has some relevance to these problems. According to that approach, things are not viewed as prirnarily static,but are taken as phases of a process in case in which oherwise they have been viewed as separated components, alloted irregular degrees of dependence.

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