「配給機能論」について
岡 田 千 尋
1 はじめに さきに,意思性の有無によって活動と現象を区別するという独自の方法論 によって従来の伝統的な商業論とは明らかに異なり,商品流通を社会経済的 側面から分析するという「商業経済学」として提唱された谷ロ吉彦氏の商業 1) 論を検討したが,そこで検:討した著作には既に大企業のマーケティングを念 頭におかれたとおもわれる次のような記述がみられた。すなわち「今日すで に一部の傾向として,謂ゆる商人排除傾向の窺われるのは,即ち社会的流通 の本質が,次第に人格的流通から場所的および時間的流通に移りつつあるこ とを暗示するものであろう。同時に此の傾向は又,現象としての商業組織の 範囲が次第に狭められて,之に代うるに活動としての意識的組織の範囲が, 2) 次第に拡張されつつあることを暗示するものであろう」。こうした「商業の本 質的活動に或程度の部分的変化を示しつつある傾向は,之を窺うことが出 3) 来る」。また,「私の商業経済学が,最近アメリカに発展しつつあるMarketing 4) 論に近いとの批判をおそれた」という記述である。しかも,「商業として概念 5) さるるものもまた次第に変化する」という谷ロ氏の主張は,この商業論の必 然的延長上にいわゆる「配給論」を位置づけた。だがそこには次のような記 サ の の の ロ サ の ロ ロ ロ 述がみられる。「商品が最初の生産者から最後の消費者まで,転々と社会を流 1)拙稿「商業論の一方法」『彦根論叢』第238号。 2)谷口吉彦「商業の本質及び商業経済学に就いて」『経済論叢』第30巻1号,P.208。 3)谷口吉彦『商業組織の特殊研究』日本評論社,1931年,PP.14−15。 4)谷口吉彦「経済学と経営学との境界線に就いて」『経済論叢』第34巻4号,P.141。 5)谷口,前掲書,P.15。通して行く現象を商品配給といい,或は商品流通といい商業現象というも, 同じ意味である」。またその後,商品配給は「配給」という用語に置き換えら 7) れている。だが,さきに検討したように,商業現象は「商業」と捉えられて きた。しかしこの記述では「商業」と「配給」は同義のように受けとれる。 ここに新たな問題が生ずる。なぜなら,もとより「商業」と「配給」とは異 質なものである。とすれば,谷口氏の言われる「配給論」と「商業論」は同 一のものかどうか,つまり,氏の言われる「配給論」とは一体何か,が問わ れなければならない。そこで本稿では,この課題を解決する手がかりとして, 谷口氏のいわれる「配給」の概念と「配給機能」についてみていくことに 8) する。 II 「配給」の概念 1 谷ロ氏のいわれる「配給」の意味 谷口氏は「配給」を考察する場合も商業の考察と同じように,社会経済的 な現象として捉え,つぎのように規定される。すなわち配給とは「社会的に 生産されたる商品が,最初の生産者から最後の消費者に向って,社会的に転 々と流通して行く現象」(〔1)P.22)である。そして社会経済的な意味にお いて配給を規定する理由は,わが国において現実に配給が問題となった社会 的根拠を基にして概念規定することが必要であるとして,次のように述べら れている。いわく,「配給」という概念は「物価暴・騰時代において,商品の生 産者から消費者への流通過程を合理化することによって,物価調節に資せん として生れ出たものである。従って斯くの如き社会的根拠に立つ以上は,配 給の概念もまた必然に………国民経済的でなければならぬ」(〔1〕P.24) と。つまり谷ロ氏は現実社会で「配給」が問題とされたこと,また配給の概 6)谷口吉彦『配給組織論』千倉書房,1935年,P.4。 7)谷口吉彦『配給通論』千倉書房,1953年,P.2。 8)本稿で検討する谷口氏の〔1〕『配給組織論』,〔2〕『配給通論』からの引用について は,以下それぞれ本文中に引用箇所を示す。
念が成立した社会的根拠に基づいて概念規定されたのである。 2 「配給」の研究対象,目的と:方法 まず配給論の研究対象からみていこう。前項で明らかなように,そして谷 口氏の主張にしたがえば,配給を社会経済的現象として捉えるということは, 経済現象としての配給現象を捉えることである。つまり,配給現象とは「商 品が最:初の生産者から最後の消費者に向って,社会的に転々と流通して行く 所の無意識的・自然発生的な社会経済現象を意味し,………一の社会経済現 象である」(〔1〕PP.24−25)。したがって,必然的に個別経済的に捉えられる 配給と区別されることになる。つまり,ここで問題とする配給現象は個別経 済の「配給行為または配給活動と対立的に区別」(〔1〕P.25)されねばなら ないことになる。なぜなら,ここにいう配給活動とは「個別経済の意識的・ 計画的な活動,即ち謂わゆる売買活動」(同)だからである。 こうして,配給活動と配給現象を区別することによって「経営経済学とし ての配給論と,国民経済学としての配給論」(〔1〕P.26)とが区別されるこ とになる。そして,広i義の配給論の対象は配給活動と配給現象の二面城を含 むものとして研究されることになる。このうち配給活動は個別経済の意思的 活動,すなわち売買活動を意味し,この意味での配給論は経営経済学の研究 領域とされ,配給現象は社会経済的な無意識的現象,すなわち社会的な商品 流通であり,この意味での配給論は社会経済学の研究対象とされる。そして この社会経済的な配給論は「流通論の発展したるものとなるであろう」(〔1〕 P.49)として,研究対象を明らかにされるのである。 それでは,谷口氏の配給(機能)論の研究目的は何であろうか。 谷口氏によれば,配給事象を研究対象とする配給論の目的の「一は,それ らの配給事象の間に行われる法則の発見,またはそれらの配給事象の法則的 説明これであり,二は,配給事象に対する規範の設定,または配給活動もし くは配給現象に関する政策の規定」(〔2〕P.66)である。つまり,法則発見 的な配給理論と実践的な配給政策との確立にある。しかもそれは氏の一貫し た研究方法からみれば,社会経済的なそれである。したがって一方では,個
別経済的な配給理論と実践的な配給政策が成立することにもなる。 では,この理論と政策の関係はどのようなものであろうか。つまり,同一 の研究対象であっても,研究目的が異なれば研究領域が異なることとなり, この場合にはそれが理論と政策に分けられることになる。つまり,理論と政 策は基本的には異なる二つの独立した学問分野を構成するのである。しかし ながら,このことについても従来の研究との相違を明確にされる。つまり, 形式論理的に理論と政策とをそれぞれ独立のものとして捉えるのではなく, 相互依存の関係のものとして捉えるのである。このことは氏の,商業論研究 における商業経済学と商業政策学との“相互依存の関係”を想起すれば十分 に理解できることである。つまり氏の主張にしたがえば,「事実の存在を認識 しうる前提には,すでに当為の政策が予定されているし,また存在法則の発 見が前提されて,初めて当為法則の設定が可能となる」(〔2〕P.67)のであ る。しかも「政策学としての客観的妥当性を有しうるためには,その前提と して,先づ事実に関する存在法則の究明がなければならぬ。ことに経済事象 の発展法則を発見することは,将来の当為政策を設定する上に,直接に重要 な基礎を提供するものである。経済発展の法則を認識して,その上に設定さ れる政策でなければ,殆んど学問的な政策学と言うことは出来ない」(〔2〕 P.68)と,理論と政策の関係を説明される。 そして次に,このことに関連することと前置きされながら,理論と実践と の関係についても言及されている。それによれば,従来の「総ての学問的研 究は,その研究の出発と過程と結果において,理論は全く実践から遊離して いた。即ち研究はただ研究のために出発し,形式論理によって理論を構成し, 結果の実践性を顧みな」(同)かった。これに対する自己批判として,理論的 研究は実践から出発すること,研究過程における理論と実践の統一,そして 理論的研究の結果についても実践と統一する,という理論と実践との統一の 9) 要求が強くなってきている,とされる。しかしこれは従来の研究方法への単 なる反動としてではなく,独占段階の複雑な発展に対する学問研究への要求 9)詳しくは〔2〕PP.68−69。
という社会的根拠があるといわれるのである。いわく「資本主義の後期に入 って,生産力の発展が著しく拘束されて来ると,経済の実践は最早これまで の経験にのみ頼っては実践されず,そこに新たな理論的基礎づけを要求する と共に,理論もまた,ただ従来の抽象的理論を形式論理で追求していては, 理論としての存在を失うに至る。かくして今日の如き時代において,理論と 実践との統一が強く要求されるのは,まことに必然的な社会的根拠に立つも の」(〔2〕P.69)である,と。 とはいえ,理論と実践とは直接に結び付くものではなく,両者の間には政 策と技術の媒介が必要である,とされる。つまり,「正しい理論的研究の結果 は,そこから導き出される妥当な政策によって実践に一歩を近づけるが,そ の政策を実践に移すためには,さらに一定の技術を必要とする。かくして政 策と技術の媒介によって理論と実践は統一される。要するに,従来の実践の 不満に対する実践的要求から出発して,実践を素材とする理論的研究に進み, そこから政策と技術を媒介として,新たなる実践に発展する。この意味にお いて学問の研究は,実践に出発して実践に帰着する」(〔2〕PP.69−70)こと になる。こうして「理論と政策と技術は,この二つの実践の中間に介在して, 全体としての実践的・理論的体系を構成するもの」(〔2〕P.70)となるわけ である。 それでは,こうした目的をもつ「配給論」はどのような方法で研究されね ばならないのだろうか。周知のように,また谷口氏もいわれるように,研究 視角は大まかに分けて理論的分析と実証的分析の二つに分類できる。これも 含めて谷口氏の研究方法をみていこう。 谷口氏はまずアメリカにおけるマーケティング論の研究方法,具体的には
プライヤー,コンバース,両氏による商品別アプローチ(Commodity
Approach),制度的アプローチ(lnstitutional Approach),機能的アプロー 10)チ(Functional ApProach)の長所,短所を紹介,検討し,谷口氏の方法を規 10) Cf. R. F. Breyer, “Commodity Marketing”, 1931, P. D. Converse, “The Elements of Marketing”,1935。なお,これらのアプローチについて詳しくは橋本勲『マーケティン/回する。それによれば,まず動的な配給機構を想定し,それを研究する二つ の方法が主張される。第一に「商品が生産者から消費者へと流通する順序に 従って,縦に配給機構を研究する方法である。この方法は必然に,前に述べ たcommodity approachに当るものとなる。………第二は,商品の生産者か ら消費者へ流通する場合の各々の流通段階につき,横に配給機構を研究する 方法である。………この方法は必然に前に述べたfunctional approachに相 当する」(〔2〕P.77)。 こうして谷口氏は商品別アプローチ,機能的アプローチを研究方法とする。 しかしこの両アプローチを平行して行うのではなく,まず「商品別方下すな わちcommodity approachを採る。何となれば,厳密に配給機構を研究せん とすれば,個々の商品または商品群について,その配給過程を実証的に研究 せねばならぬからである。斯くの如き個々の実証的研究をつづけた結果.とし て,その一般的結論として,各段階の配給機構が明らかとなるわけである。 即ちfunctional approachはcommodity approachを実証的に進めた後に, 到達しうる方法である」(〔2〕P.78)。こうして谷ロ氏は,実証分析を基に理 論構築を志向する研究方法を採るのである。 III配給機構の分析 1 配給機構の概念と構成要素 さて,前節で明らかにされたように,谷口氏の研究は動的な配給機構を念 頭におき,それを実証的に分析することから始められた。このことは配給機 構の概念規定にも通ずるものである。つまり,谷口氏は商品の生産者から消 費者への社会的流通現象を「配給」と捉えられたが,商品の社会的流通現象 がみられるのは「そこにその流通を可能ならしめる機構が成立しているから」 (〔2〕P.2)であって,この機構が「配給機構または配給組繊」(同)であ る。つまり氏の言われる配給機構とは「商品をして生産者から最後の消費者 まで,転々と社会を流通せしめる社会的な機構または組織」(同)である。 \ グ論の成立』ミネルヴァ書房,1975年,第3,第4章参照。
それでは,こうした社会的な配給機構はいかにして生成するのであろうか。 それは生産と消費との間に「多数の企業が介在して,その各々の企業におい て,商品売買すなわち配給活動が行われる」(〔2〕P.7)からである。その 売買活動という行為そのものは個々の企業における商品の再販売購入による 「差益を利得せんとする意思と目的の外に出でるもの」(〔2〕P.8)ではな いが,「単なる営利の目的をもって商品の売買を繰りかえすの結果として,社 会的に彼らの意思や目的から独立した一つの現象,RPち商品の社会的流通と いう現象が結果され」(同)るからである。 しかしながら,現象的にはこう捉えられても,それが売買活動の結果とし て捉えられるだけではまだ不十分である,と谷口氏は言われる。つまり,.単 なる売買関係だけでは配給機構は成立せず,それが「機構にまで発展するた めには,その関係の連続または反復による常住関係が存在せねばならぬ。即 ち一つの機構の成立するためには,之を構成する諸要素間の関係が,永続的 かつ常住的とならねばなら」(〔2〕P.9)ないのである。なぜなら「機構 (Mechanism)または組織(Organisation)とは,一定の機能を果すための 一定の関係の常住的存在を意味する」(同)からである。したがって,谷口氏 の研究対象である配給機構の機成要素は「主として個々の企業であり,企業 と企業との常住的な売買関係」(〔2〕P.10)ということになる。つまり,個 々の構成要素(ここでは企業)が個々バラバラに存在するだけでは機構とな りえず,そこに売買関係の継続が必要とされているのである。 この配給機構の構成要素としての企業は,それ自身も組織として存在する が,この組織の特徴は「組織を構成する諸要素間の常住関係が,意識的・計 画的に作りあげられた関係である」(同)ことにある。それゆえ,こうした企 業組織は「一定の企業主体が,その計画に従って意識的に種々の要素を集め 来り,それら相互間の関係を規定して,一つの企業という組織を意識的・計 画的に作為したもの」(同〉であり,谷口氏はこれ.らの企業組織を社会経済的 な組織と区別して特に「経営組織」(同)と規定する。 こうした意識的な経営組織の社会的な総合が経済組織として捉えられてい
るが,これが経営組織と異なるのは,経済組織を「構成する諸要素間の常住 関係が………無意識的に社会的に生成する」(同)。つまり「経済組織は一つ の無意識的な生成組織である」(同)ことである。 このように経営組織と経済組織は区別されるが,その本質的区別はやはり 「意思性の有無」に求められる。また配給機構の存続・発展についても,意 識的なものと無意識的なものに区別されている。つまり「一は意思活動とし ての利潤獲得または欲望充足を目的として,それを続けるがために存続し発 展するに反し,他は何らの意識的目的をも有しない。即ち経営組織は意思活 動の結果として存在し,且つ意思活動の原因として存在するに反し,経済組 織は個人の意思活動の直接の結果でもなく,またその直接の原因としても存 在するものではない」(〔2〕PP.10−11)。 ではこのような配給組織はなぜ必要とされるのだろうか。 谷口氏は,配給組織は生産,消費両組織と共に社会経済組織を構成してい るが,生産は生産だけで,また消費は消費だけでは組織や機構は存在しない, といわれる。そして,「配給機構が社会的な組織の成立に対して有する役割 は,生産組織に対する場合と消費組織に対する場合とによって,著しくその 意味内容を異にする」(〔2〕P.14)けれども,配給機構の媒介が不可欠であ るといわれる。それでは,生産と消費に分けてみていこう。 まず生産であるが,「商品は永久に生産機構の中に止まって,転々として無 限に循環することは出来ない」(〔2〕P.13)のである。それは,生産過程は 一面では商品の消費過程を意味し,その意味では生産と消費を連係する商品 流通が必要となるからである。つまり,生産とは一面では「新たな商品の創 造」(同)であり,これは生産物を消費することである。しかし「この場合の 消費は,生産のための消費であるから,そこからは常に新たな商品が生産さ れねばならず,この商品は再び配給機構の媒介によって,他の生産過程に入 ることはあっても,しかし結局は生産組織の外に出でて,消費組織の中に入 らねばならぬ」(同)からである。 こうした,一方における生産的消費とともに,個人的消費の部面がある。
この個人的最終消費者の組織としての社会経済的な消費組織についても次の ように言及されている。しかし,社会経済的な消費組織といってもその「構 成要素たる個々の消費過程は,それら相互の間に何ら直接の経済的関係なく して,ただ個々別々にそこに併宣しているに過ぎない」(〔2〕P.14)。しかし ながら,これが社会的な一つの消費組織として捉えられるのは「配給機構の 媒介によって,それらの孤立せる家計が,相互に間接に結ばれるからである。 即ち何れの消費過程でも,必ずや何れかの配給機構に繋がることにより,そ の配給機構を通じて,一定の社会的な組織を構成することとなる」(同)から である。 こうして,生産,消費の両過程は配給機構の媒介によって社会的な経済組 織として成立することになる。つまり,「生産組織も消費組織も,ただそれぞ れの個別経済の経営組織だけでは,社会的な機構としては成立しえず,配給 機構の媒介によって,初めて社会的な生産組織および配給機構を構成し,さ らに配給機構と共に社会全体の経済組織を構成する」(同)のである。 2 研究対象としての配給機構とその発展 さて,配給機構は商品を生産者から消費者まで流通させる機構と規定され た。しかもこれは社会的な存在としての流通機構である。というのは,谷口 氏の「配給」の規定および研究対象が社会経済的な「現象」であるところが ら必然に,配給機構の概念も社会経済的なものとならざるをえない。すなわ ち「何人の意思にも計画にもよらずして,ただ社会的に無意識的に自然発生 的に生成するに至った」(〔2〕P.12)ところの「社会経済組織としての配給 機構」(同)である。 こうした社会経済的な配給機構は国家の政策によってある程度の影響を受 けるとしても,生成も発展も無意思的なものである。すなわち「この機構の 存続・発展もまた………全く無意識的に存続し発展するものである」(同)と はいえ,これは全く偶然的なものではなく「そこには純粋に経済的な法則が 行われ,個人の意思や目的や希望や努力とは全く独立した一つの経済法則の 支配の下に,それが生成し存続し発展するものである」(同)と考えねばなら
ず,この経済法則を発見し,説明することが谷口耳の研究目的であった。つ まり,配給機構の発展を支配する経済法則を発見し,それを政策面に反映す ることに研究の目的をおいたのである。しからば,谷口氏は配給機構の発展 をいかに捉えているのであろうか。次にそれをみていこう。 谷口氏は「配給」を生産と消費の分離を克服するものとして捉え,生産と 消費の人格的,時間的,場所的分離を社会的に統一するものである,とする。 その中でも本質的要素は人格的分離の克服であり,他は付随的なものである とする。すなわち「商品の生産者から消費者への社会的流通とは,その人格 的流通を本質とするものであって,現実にはこれと共に,場所的流通および 時間的流通を伴うことはあっても,併しこれは寧ろ附随的な要素に過ぎない」 (〔2〕PP . 23−24)。そして,この「配給」を遂行する機構,すなわち配給機 構は,資本主義の成立によって新たな発展,特徴をもたらされることになる。 つまり,生産様式の変化によって流通機構も変化することになるのである。 その特徴の第一は,「大資本を有する大規模生産の出現する時は,その前後の 配給機構は商業上にも,金融上にも全くその大規模生産の附属機関のような 地位に堕する」(〔2〕P.28)。そして第二に,商品生産の一般化によって配給 機構の拡大化と複雑化が要請される。そして第三に,配給機構の段階的増加 である。 しかしながら,独占段階へ移行すると「配給機構においては謂わゆる商人 排除の傾向が現われて,商人は横にその数を減ずると共に,縦にその段階を 減ずることとなる。即ち社会の配給機構は,ここで却って単純化の傾向を現 わすこと」(〔2〕P.30)になる。そして当代の現実に基づいて,流通機構の 変革の実態が述べられる。第一に「近世的配給として成立していた配給系統 の崩壊である。………一つの傾向は,何れかの段階を省略して,出来るだけ 単純な配給機構によらんとする」(〔2〕P.31)ことである。特に顕著なこと は消費財産業における「直接配給」である。ここで直接配給といっても,そ れは今様の生産者と消費者との直接取引を意味しているのではなく,ただ「小 売商に向って直接に連絡せんとするもの」(〔2〕P.32)であり,卸売商業が
排除されることを意味している。しかしそのためには「生産の大規模化と商 品の標準化が,一定の程度に達せねばならぬ」(同)。第二に「農産物の収集 部面における配給変革」(同)である。これは農産物の「組合的集中形態」(同) によって卸売商業が排除されることをさしている。第三に消費生活協同組合 の台頭,第四に「小売部面における大規模企業の発展」(〔2〕P.33),そして 「生産者から消費者への直接配給」(〔2〕P.34)である。このような,独占 段階への移行による流通機構の種々の変化や特徴的な事実が確認されている。 IV 配給機能 1 配給機能 配給機能を考察することは,谷口氏の言われる「配給」を規定するために はもっとも重要な部分をなす。というのは,谷ロ氏は「商業」論をも含めて, 一貫して“機能”を問題にしておられるからである。そのことは,氏が“機 能”を発揮するもののみが社会的に存在を許され,:存続・発展するものと捉 えられていることからも明らかである。つまり,氏は社会的に存在するもの の根拠を,全てそのものの社会的機能に求められようとしているからである。 氏は,この原理を特に「社会的機能説」と言われ,一貫した態度で研究され たのである。それはこの「社会的機能説」が「総ての社会的存在の存在原理 に関する理論的原理であるのみならず,また総ての社会的存在に対する政策 的原理」(〔2〕序P.1)だからである。こうした氏の一貫した研究は,その 当否はともかく,「機能説」として位置づけられることになったのである。そ れでは,谷口氏の言われる“機能説”をみていこう。 谷口氏によれば,配給機能とは「社会的に発揮する所の一定の作用または 『はたらき』」(〔2〕P.79)であり,これを配給機能と規定するのも「配給の 機能といい或はまた配給機構の社会的機能というのも同じ意味」(同)である とする。しかもその機能は個人的機能ではなく社会的な機能である。それは 谷口氏が配給の研究対象を社会的な配給としたことに相通ずる。すなわち「配 給機構の機能もまた,社会過程において無意識的に自然発生的に,一つの社
会経済現象として発揮せられるものであって,個人の意識的・計画的に遂行 した機能ではない」(同)。しかしこのことは谷口氏が,いわゆる配給の“個 人的機能”を否定するのではなく,個別経済的な配給機構を考察の対象とし ていないだけのことであって他意はない。その個人的な配給機構の機能は次 のように捉えられている。つまりこの「組織の意識的な機能は,商品を売買 することによって,イ営利事業を遂行するにある。………従ってかかる組織す なわち経営組織にあっては,機能は目的と一致する。即ちこの機能は意識的 機能である」(〔2〕P.80)。 これに対してその社会的機能は「初めから意図され計画されて果されるも のではない。………個々の経営組織が意識的にその経営機能を作為する結果 として,その社会的・自然発生的結果として,無意識的に果されるものであ る」(同)。また「個別経営の機能分割および機能分担は,その経営主体の意 識的・計画的活動として果されるものであるが,社会的な経済組織の機能が, 分割され分担されるのは,全く一つの社会経済現象として,何人の意思とも 独立して,社会的に生成するに至ったものである」(〔2〕P.81)。「ここにわ れわれの問題とする配給機構の社会的機能における形式的特徴がある」(同) として配給機構の社会的な機能と個人的な機能を区別される。 そしてこのような‘機能”が流通機構の発展を左右することが述べられる。 すなわち,「一定の配給機構が社会的に成立し,かつその存続発展をつづけて 行くのは,その機構が一定の社会的機能を発揮するから」(同)である。した がって,社会的機能を発揮しえない流通機構は社会的には存在しえないこと になる。これに対し,「最も有効に社会的機能を発揮しつつあるものは,外部 から如何に之を圧迫し制限しても,その発展を如何ともすることは出来ない」 (同)。したがって,昭和初期に大きな社会問題となった中小小売商業問題に 11) 関しても,たとえば「小売店の窮状を振興せんとする場合に,………何より 先づ,その機構と経済とを合理化して,その小売機能を有効に発揮せしめる 11)昭和初期の中小小売商業問題について詳しくは拙著『現代商業研究序説』ナカニシヤ 出版,1989年,第6章参照。
のでなければ,小売更正の根本策とはなり得ない」(〔2〕PP.81−82)ことに なる。なぜなら,「配給機能は配給組織の存在する根拠であり,またその発展 する動力」(〔2〕P.82)だからである。 2 配給機能の分類 前項までで明らかにされたように,谷口氏の配給機能の規定は“商品を生 産者から消費者に流通させるために社会的に発揮される一定の働き”であっ 12) た。こうした配給機能は下のように,本質的機能と副次的機能に分けられて いるが,以下,簡単に主張を聞いていこう。 配給機能 本質的機能 副次的機能
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場所的機能 日寺間的機育旨 金融的機能 危険負担機能 標準化機能 人的流通機能 収集分配機能 数量調節機能 価格調節機能 まず,本質的な機能は人格的機能である。これはさらに人的流通機能,収 集分配機能,数量(需給)調節機能,価格調節機能の四つに細分されるが, これらの機能が本質的な機能である理由は「配給」の概念からもたらされる。 つまり,生産と消費の「人格的分離を克服するのが,即ちわれわれの問題と する配給の本質」(〔2〕P.83)だからである。これは谷口氏が配給の本質を 配給の機能から把握されたからである。つまり氏によれば,「一定の社会的存 在の存続発展にとって,最も根本的に重要なものとして,そのものの社会的 機能を捉えるから,その必然の結果として,そのものの本質を捉えるに当っ 12) (2) P.820ても,何よりも先づそのものの社会的機能の本質を捉えねばならぬ」(〔2〕 PP.82−83)からである。 こうして,人格的機能が配給機能の本質的機能たることを明らかにされた が,それでは,副次的機能との区別はどこに求められるのであろうか。それ は人格的流通機能のみで「配給」の要件が満たされるところに求められる。 つまり,「場所的流通または時間的流通その他の機能は,ただ現実に配給に随 伴しているというに過ぎず,必ずしも絶対に必要なる要件ではない」(〔2〕 P.84)からである。さらに,「副次的機能としての機能の多くは,それぞれ独 立にこの機能を果さんとする企業が,例えば運送業者・倉庫業者・金融業者 ・保険業者などの如く独立に成立しつつある。これらの機能が,それぞれ独 立の専門企業によって果されるに至る時は,配給機構としては,最早これら の機能を必ずしも自ら果すことを必要としない。これ是らが副次的機能たる 所以である。之に反して商品の社会的・人格的流通という機能に至っては, 他に之に代るべき独立の専門機関は現われて来ない。これこの機能が,配給 の本質的機能たる所以である」(〔2〕P.99)。 では次に,収集および分配機能についてみていこう。ここで収集,分配機 能とは「前者は,最初の生産者から商品の収集せられる機能であり,後者は, 最後の消費者へ商品の分配されてゆく機能」(〔2〕P.84)である。この両機 能も「本質的には,人格的な収集または分配であって,物的または場所的な 収集および分配」(同)ではないし,「社会的な一つの配給機能の分担であっ て,企業的な経営主体における収集または分配ではない」(同)。つまり,個 々の経営主体の意識的な購買と販売の「多数に社会的に総合された結果とし て,そこに社会経済的な一つの現象としての収集現象または分配現象が現わ れて来る。これ即ちわれわれの問題とする収集および分配」(〔2〕P.85)で ある。しかもそれは「商品の社会的配給という一つの全体機能を分担する所 の部分機能であり,個々の企業者の意識や目的から独立して,彼らの社会的 存在の地位から必要に規定」(同)されるものである。 そして需給調節機能である。これには消極的な側面と積極的な側面がある。
まず消積的な側面からみていこう。配給の本質的機能が生産と消費の人格的 流通にあるとすれば,「これを一定の商品の立場よりみれば,その商品の需要 と供給とを数量的に調節して,両者を適合せしめること」(同)である。した がってこの場合の「配給機能は,生産過程から出てくる供給の数量と,消費 過程から出てくる需要の数量とを,配給過程において結合せしめるにある。 この意味での需給調節機能は,ただ消極的・受動的に,既に定まった供給の 数量と,既に定まった需要の数量とを,単に結合するに過ぎない」(〔2〕P. 86)ものである。 これに対して,積極的な需給調節機能は次のように捉えられる。すなわち 大量生産体制のもとでは,無計画的な生産と消費とは必ずしも適合しない。 したがって「生産または供給を基本にして,天降り的に消費または需要をこ れに服従せしめねばならぬ」(同〉。その意味で第一に「生産または供給の数 量を基本として,消費または需要の数量を統制して後者を前者に適合せしめ る機能」(同)であり,需要創造機能ともいわれるものである。しかしこれは 単なる需要創造のみではなく,「従来の需要を増減せしめるのもその一つであ り,また右から左に需要を転換させるのもその一つであり,一般的に言えば, 需要を統制して,供給に適合せしめる所の需要統制機能とも」(〔2〕PP.86− 87)いえるものである。第二は「消費または需要を基本として,下から上に 向って,生産または供給の数量を之に適合せしめるもの」(〔2〕P.87)であ る。これは消費者ニーズを基礎として生産が規制されることである。つまり, 直接には生産量に規定されて消費量が規定されることは否定できない本質的 な側面であろうが,過去の消費動向が生産に一定の制約を与えることも否定 できず,その意味で間接的には「生産または供給を指導し統制するものは, 結局は,需要または消費者であると言える」(同)。それゆえこれは「需要を 基本とする供給統制機能である」(同)。このように「直接には,一定の供給 に対して需要を統制して之に適合せしめ,間接には,一定の需要に対して, 供給を統制して之に適合せしめ,かくして双方の側より積極的・能動的に需 要と供給とを社会的に適合せしめ,従ってまた生産と消費とを社会的に適合
せしめる機能は,配給機能の重要な本質的機能の一つ」(同)なのである。 そして最後に価格調節機能である。このことについて氏は,配給機構は価 格現象を媒介として需給調節機能を果たすといわれる。つまり「価格の変動 によって,需要を供給に適合せしめ,供給を需要に適合せしめる」(〔2〕P. 88)のである。そしてさらに,「配給機構がその本質的機能たる商品の社会的 ・人格的流通を果しうること自体が,すでに価格の作用に負う」(同)ともい われる。つまり商品価格の相違によって商品の流通が結果されることになる。 いわく「生産者と消費者との間に,常に価格上の相違があるからこそ,商品 は生産者から消費者へ流通して行く」(同)と。 このように,商品流通が存在するためには価格の相違が必要要件になって いるが,この価格差が著しく大きい場合は社会経済的に種々の弊害を伴うと して,価格の平準化が望ましいとされる。そしてこの価格調節機能も本質的 な配給機能の一つであるとされる。しかも価格と配給機能は二重に関係する。 「一は配給機能の原因としての価格相違の存在であり,二は配給機能の結果 としての価格相違の否定すなわち価格の平準機能または調節機能」(〔2〕P. 89)である。 それでは,このような価格調節機能はどのようにしてなされるのであろう か。それはつまり,「商品流通は価格の低い所から高い所に向って流れるので あるから,そこで価格の低い所は,商品の移出によって価格は高まり,価格 の高い所は,商品の移入によって価格は低下し,かくして両地の価格の相違 は縮小し,両者平均するに至って商品流通はやむに至る。即ち価格の高い所 を低め,低い所を高めて,価格を調節することにより,その平準化作用」(同) がもたらされることになる。 V おわりに 以上みてきたように,谷口氏は「配給」を社会経済的現象と捉え,生産と 消費を媒介する人格的機能をその本質的機能とされたのである。こうした規 定は「機能説」として位置づけられている。だがこの配給機能にしても問題
がないわけではない。とくに,本質的機能に需給調節,価格調節という機能 までも含めることは妥当かどうかである。このことはともかく,谷口氏の「配 給論」は,少なくともマネジリアル・マーケティング論的な捉えかたではな く,“社会経済的マーケティング論”的な捉えかたである。だが,谷口氏の言 われる「配給」を社会経済的マーケティングとして位置づけることは妥当で あろうか。もしそうであるとするならば,氏の言われる「配給論」は広義の 意味では「マーケティング論」としなければならない。しかし,こう規定す ることにも若干の疑問が残る。それは谷口氏が,必ずしも巨大生産業だけで はなく,大規模商業や消費生活協同組合,農業協同組合など,その他種々の 流通主体を念頭におかれているからである。さらに,社会経済的な「配給論」 は「流通論の発展したるものとなるであろう」(〔1〕P.49)という記述であ る。 これらの疑問を解消しないかぎり,谷口氏の「配給論」の“真意”ははか れないし,「商業論」との異同も問題にすることはできないであろう。しかし これらの検討は次の機会に譲らねばならない。