中国の「ナショナリズム」に関する一考察―「国権
」と「民権」の共時的関係史の観点から(2)
著者
村田 邦夫
雑誌名
神戸外大論叢
巻
65
号
4
ページ
63-88
発行年
2015-03-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1085/00001727/
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低度化>
の発展 を、 モ デル を使 っ て 、 どのよ う に描 く こ と がで き るのか、 と 考 え て き たので あ る。 それ ゆえ、 A に組み込まれて見えな く な っ て しま っ た関 係 を、 も う 一度、 再現す るのが必要 と な るだ ろ う 。 そ う し た関係 を、 つ ま り 、 共時的関係 を再現 し たのが、 筆者の描 く あのモ デル で あ り 、 そ こ で示 さ れたセ カ イ で あ る。(25) こ こ で、 こ れま での話 をま と めてお き たい。 「経済発展」 → 「民主主義の発 展」 の図式 で描かれ る歩みが実現 さ れ る ためには、 先ずは、 複数の共同体が存 在 し てい なければな ら ない と い う こ と 、 次に、 それ を も と に し て、 一方におい て、 I 期から II 期、 そ して III期へと 、 段階を上昇 してい く ためには、 必ず、 他 方において、 そ う し た上昇が、 許 さ れない、 上手 ( う ま) く いかない共同体が、 つ く り 出 さ れ る と い う こ と 、 換言すれば、 一方の共同体が、 他方の共同体 を、 そ う し た関係の下に、 差別、 排除す る こ と に成功す る (度合い) に し たがっ て、 上昇 し てい く のに成功す る と い う こ と 、 等々で あ る。 少 しやや こ しいのだが、 「経済発展」 → 「民主主義の発展」 と い う と き 、 こ こ ま で の話 を踏 ま えて、 も う 少 し正確 に表す な ら ば、 [経済発展→民主主義の 発展] と示 さ れるが、 それは I 期の段階、 II 期の段階、 そ して III期の段階の、 三つの段階が、 想定 さ れてい る こ と を、 筆者は位置づけ直 し た。 リ プセ ツ ト の 経済発展 と 民主主義の関係 につい ての見方 を始 め と す る、 い わゆる 「発展主義 ア プ ロ ーチ」 の発展につい ての見方は、 「世界史」 的背景の中で捉 え直す と き 、 筆者のモ デル で描 く セ カ イ と な るのでは ない だ ろ う か。 と 同時に、 民主主義の 発展に至 る段階 を、 上昇す る際に、 一方の共同体と 、 他方の共同体の関係につ い て、 筆者は、 も う 一つのモ デル を提示 し た。 す なわち、 [ A ]→ ( X) [ B ]→ x [ C ] (省略形) の図式に示 されるモデルである。(26) なお、 こ れに関連 し て付言すれば、 筆者は、 すで に本論文の前半部分におい て、 提示、 紹介 し てい る よ う に、 こ れ ら のモ デルの さ ら に一番外側に、 { } の記号を用いて、 それで も っ て、 覇権システ ムの存在 を、 読者に強 く 印 象付け る よ う に配慮 し た。 す なわ ち、 国権 と 民権の共時的関係の歩みは、 国家 を舞台 と す る と 同時に、 さ ら にそ う し た国家 を、 その内に含みこ んだ、 覇権国 を中心 と し てつ く り 出 さ れて き た、 覇権 システ ム を舞台 と し て、 展開 し て き た こ と を、 表 してい る。 こ こ で提示 し たモ デルは、1970年代までの歴史に該当す る。 I 期から II 期、 そ して III期へと 、 A が上昇 るために、 そのために、 C の存 在が必要不可欠 と な る よ う な、 そ う し た共時的関係 を、 描い たモ デル で あ る。 l25) こ れに関 しては、 前掲拙著 『民主化の』 を参照 さ れたい。 (26) こ う し た 「民主主義の発展」 の 「段階」 に関連する内容については、 前掲拙著 『「日本人」』 を参照 さ れたい。三つの共同体 を想定す る と き は、 A と C の中間と して、 B を想定 して、 三者の 共時的関係 (史) モデル を描いた。(27) (二) 筆者のモ デル を使っ た場合、 「発展主義ア プ ロ ーチ」 の抱え る問題点につい て、 はっ き り と 理解で き る。 ま た、 民主主義の発展の段階 を、 経済発展の段階 と 関係づけ て、 三者の共時的関係モ デル と し て、 描い てい るので、 「従属論 ア プ ロ ーチ」 によ る 「発展主義ア プ ロ ーチ」 の批判にみ られ る問題点につい て も、 同時にま た指摘で き る、 と 筆者は考えてい る。 A の く北> の発展に よ り 、 C の
<
南>
は、 従属 (低開発の発展<
深化> ) を、 強い られる運命に、 置かれてい る と の従属論 ア プ ロ ーチ の見方は、 ア ジア ・ ニー ズの発展に よ っ て、 修正 を迫 ら れ る こ と にな る。 こ う し た修正 を迫 ら れ る事態に直面 し て、 それではそれ を、 どのよ う に位置づけ、 理解 し なが ら 、 そ う し た事態 を、 ど う い う 風に、 モ デル で描け るのだ ろ う か。 こ の問題に対 して も、 筆者のモ デル を使っ て、 応答可能 で あ る と み て い る。(28) こ れに関連 し て言 えば、 筆者のモ デルは、 河合秀和が比較の軸 と し て想定、 採用 し てい る、 ①国家主義②自由主義③民主主義④社会主義の軸で描かれる歴 史 を、 相互に結びつけ る こ と に よ っ て、 捉 え直 し てい る。 ①が I 期の段階に、 ②が I 期から II 期の前期の段階に、 ③が II 期の段階から、 III期の段階に、 ④は ソ連、 中国 を想定す る場合には、 I 期の段階から、 n 期の前期の段階に、 また 西欧型の社会民主主義 と し てみる場合は、 n 期の後期の段階から、 I[I期の段階 に、 それぞれ該当、 呼応 し てい る こ と が理解 で き る。 と 同時に、 ①②③④の軸 で描かれる 「出来事」 は、 筆者のモ デルで描 く { [ A ]→ ( X) [ B ]→ X [ C ] } のセ カ イ に示 さ れ る、 共時的関係史の中に、 置き 直 し て再考 さ れ る、べき<
歴 史>
で あ る 、 と 筆者 はみ て い る。(29) ま た河合 を始め、 ウ イ アール ダの提示す る比較の枠組では、 今日の先進諸国 が直面 し てい る民主主義の発展の 「低度化」 の状況 を、 十分に描き 切 る こ と は で き ない 、 と 筆者 は強調 し てお き たい。(3°
) こ れについ ては、 コ リ ン ・ ク ラ ウ チの 「ポス ト ・ デモ ク ラ シー」 ( コ リ ン ・ ク ラ ウチ著 『ポス ト ・ デモ ク ラ シー一 (271 こ れに関 しては、 同上拙著 『21世紀の』 を参照さ れたい。 l281 「発展主義ア プロ ーチ」 と 「従属論ア プロ ーチ」 の問題に関 し て、 筆者は、 こ れま での研 究 におい て論究 し て き た が、 今後 も さ ら に それ ら の ア プ ロ ーチ の問題 につ い て 考察 し てい き たい と 考 え てい る。 し か し なが ら 、 それ ら のア プ ロ ーチ の問題点 を追及 し てい く こ と は、 筆 者 を含 めた私た ち一人一人の生 き 方 に伴 う 問題点の究明 で あ る と の自覚が何 よ り 重 要で は な いか、 と 筆者は最近、 強 く 思わ ざる を え ないので ある。 l29) 河合の 「比較の軸」 に関する見方は、 河合 前掲著書 を参照 さ れたい。格差拡大の政策 を生む政治構造一』 青灯社2007年) や、 E ・ ト ッ ドの 「デモ ク ラ シー以後」 ( E ・ ト ツ ド著 『デモ ク ラ シー以後』、 『帝国 ・ 以後』 藤原書店) の見方 に も 、 等 し く 同様に該当す る、 と 筆者は考えてい る。 こ れ らの著作にお い て共通 し てい るのは、 民主主義の描き方が、 「一国 (地域) 枠」 で ある こ と か ら 、 関係 と し て、 民主主義の発展の歩み を、 考察で き ない こ と か ら 、 今日の 先進諸国が抱え る格差問題 を、 非西欧諸国 と の関係か ら、 導かれた もの と し て、 構造的 に分析で き ないので あ る。(3
'
) それゆえ、 こ こ で問題 と な るのは、 今日の先進諸国の民主主義の発展の段階 l30) ハワー ド ・ ウイ アール ダの著作 『比較政治学入門』 の分析視角 と分析枠組の問題点と して、 筆者は、 以下のよ う にみてい る。 す な わち、 民主化 を捉 え る眼が 「一国 (地域) 」 枠で あり 、 その意味では、 従来の政治学研究者の見方 と 同様で あ る。 l31) コ リ ン ・ ク ラ ウチに関 しては、 コ リ ン ・ ク ラ ウチ著、 山口二郎監修 ・ 近藤隆文訳 『ポス ト ・ デモ ク ラ シー [格差拡大の政策を生む政治構造] 』 青灯社、 2007年。 こ こ で は ク ラ ウチ に対 す る筆者の書評 と い う 形で 、 論 を展開 し てみたい。 先ずは総論的 な 印象 を述べてお く 。 「ポス ト ・ デモ ク ラ シー」 な る用語 で も っ て、 著者が伝 え よ う と し てい る 事柄 に 関 し て は、 筆者 も 同意 し てい る。 ポ ス ト ・ デモ ク ラ シー な る用語 は、 E ・ ト ツ ドの 「デモ ク ラ シー ・ 以後」 ( こ の タ イ ト ルの訳書 も、 フ ラ ン ス を例に し て、 同 じ よ う な内容 を述 べてい る) と い う 意味で使われてい る。 も う少 し、 分かりやす く い う と 、 「福祉国家」 に象徴 さ れ る 「民主主義の発展」 におけ る 「高度化」 の 「段階」 を、 も はや維持 で き な く な り 、 次 第に 「低度化」 へ と 向か う 歩み を、 指 し てい る。 筆者のモ デルでい う と 、 I '期から II '期、 そ し てIII '期へ と 向か う 歩みに他な ら ない。 ク ラ ウチ の訳書の12頁の図 を見る と 、 それがよ く 理 解で き る。 ク ラ ウチ に よ る 「主張の眼日は、一
民主主義の形態は今 も完全 に有効で あ り 、 今日 では 強化 さ れてい る面 も あ る が、 政治 も 政府 も 、 ま る で 民主主義以前の時代 の よ う に特殊エ リ ー ト の管理下へ と 退歩 しつつ あ る こ と 。 そ し て、 その プ ロ セ スの重大 な帰結 と し て、 平等主義 の大義の無力 さ が増 し てい る こ と 。 ま た、 こ こ か ら はつ ぎの こ と も 暗示 さ れ る。 民主主義の 病弊 を単に マ ス メ デ ィ ア の誤 り と ス ピ ン ド ク タ ー (政治家や党派の情報操作ア ドバイ ザー) の台頭 と し て と ら え るのは、 は るかに深刻 な進行中の プ ロ セ ス を 見落 と す こ と にほかな ら な い。」 の指摘 (14-
l5頁) 、 及びま えがき におけ る 「一
まず一九九0 年代後半には、 先進工 業国の大半でつ ぎの よ う な こ と が明 ら かに な り つつ あっ た。 どん な政党 が政権に就 こ う と 、 国の政策 には富め る者の利益に な る よ う 一 定の圧力が継続的 にかけ ら れ る。 規制 な き 資本主 義経済か ら の保護 を必要 と す る人々 ではな く 、 む し ろ恩恵 を受け る人々の利益が優先 さ れ る ので あ る。 E U (欧州連合) のほぼ全加盟国で中道左派政党が優勢で ある と い う 状況は、 ま た と ない機会 と 思 われた が、 日 立 っ た成果 はま る で あがっ てい ない。一
こ こ には構造的 な 力 が関与 し てい るので あ る。 す な わ ち、 二0 世紀の大半にわた り 、 組織化 さ れた肉体労働者 階級が社会的 に優遇 さ れ る富裕層の利益に異議 を唱 えてい たが、 それに代 わる も のが国家 の 内部 に現れてい ない。 その階級が数の上で衰弱 し た結果、 政治はかつ ての姿 と 似 た様相 を呈 し つ つ あ る。 つ ま り 、 も ろ も ろ の特権階級 に利 す る も の と な っ てい る のだ。」 ( 1-
2 頁) の く だ り に も 、 そ う し た流れ (変容) が述べ られてい る。 と こ ろ で、 ク ラ ウチ は、 民主主義」 を 「自由民主主義」 と し て 「定義」 す る こ と に批判的 で あ り 、 「自由民主主義 と い う 志の低い民主主義の展望 に満足す る な ら 、 私がポス ト ・ デモ ク ラ シー と 呼ぶ体制の台頭 に も満足す る こ と に な る。」 と し て 、 次の よ う に言及す る。 「こ の ポ ス ト ・ デモ ク ラ シー と い う モ デル で も 、 た し かに選挙は存在 し 、 政権 を交代 さ せ る こ と がで き る が、 政治の公開討論は、 各陣営の説得術の専門家集団 に よ っ て厳重 に管理 さ れた見世物 と な り 、 そ う し た集団が選んだ狭い範囲の争点 を め ぐ っ て展開 さ れ る。 一般大衆は受動的でを、 経済発展 と 民主主義の発展の関係史モ デル で示す と き 、 一体 どのよ う に描 かれ るのかで あ る。 ま た、 先進諸国が抱 え る格差社会の出現におい て、 端的に 象徴 さ れ る よ う に、 先進諸国におけ る、 民主主義の発展の段階に見 ら れ る低度 化の歩みは、 どのよ う に し て導かれたかについ て、 考察す る こ と で あ る。 こ れ ら の筆者の問い かけに対 し て、 先の一連の著作は、 ほ と ん ど答 え ら れない ま ま に あ る、 と 筆者はみてい る。 静かな、 さ ら には し ら け た態度 を と り 、 与 え ら れた シ グナル に し か反応 し ない。 そ し て こ の 見世物的 な選挙ゲー ムの裏で 、 選出 さ れた政府 と 、 徹底 し て企業の利益 を代表す るエ リ ー ト た ちの相互交渉 に よ っ てひ そかに政治は形成 さ れ るので あ る。 完全 な理想 と 同様、 こ れ も ひ と つ の誇張で は あ るが、 現代の政治 には こ のモ デル を構成 す る要素が認 め ら れ る た め、 私た ちの政治生活 がこ のモ デル と 完全 な民主主義の間の ど こ に位置す るか と 問 う の も 無駄で は な い。 と く に、 その両極の ど ち ら に向かっ てい るのか見定め る価値は あ る。 ポス ト ・ デモ ク ラ シーの極に どん どん近づい てい る と い う のが、 私の主張で ある。」 (10
-
11頁) こ れま で引用 し て き た く だ り に、 筆者 も 、 ほ と ん ど異論は ない。 その と お り り で あ る、 と 筆者は考え るのだ が、 ク ラ ウチ が 「民主主義」 と し て礼賛す る 「社会民主主義」 を、 「福祉国 家」 の 「段階」 (筆者のモ デルのnl 期に該当す る) にまで高度化 した 「民主主義」 と し て理 解す る な ら ば、 その 「民主主義」 の始ま り は、 「自由民主主義」 の 「段階」 (筆者のモ デルの I 期から n 期に該当す る) ではなかっ たのか、 と筆者はみてい る。 それゆえ、 「社会民主主義」 の 「段階」 に ま で、 「民主主義の発展」 が 「高度化」 で き た背景 と し て、 筆者は、 あのセ カ イ の形成 と 発展が必要不可欠で あっ た と みてい る こ と か ら、 ク ラ ウチ の 「一国枠」 (一地域<
欧 米先進地域>
的) 「民主主義」 の理解の仕方には、 少 し距離 を置か ざる をえ ないので ある。 こ の位置づけ方が、 結局の と こ ろ、 筆者 と ク ラ ウチ の、 「ポス ト 」 (低度化) をめ ぐ る議論の 流れに、 大 き く 影響 を与え る こ と は疑い ない。 た と えば、 そ う し た流れに、 具体的 に、 どの よ う に対応 、 対 処す る のか と か、 ま た、 そ う し た 可能性 につ い て で あ る。 こ こ で 、 少 し ま と めて み る と 、 ク ラ ウチ は、 筆者 の よ う に、 { [ A ] → ( x ) [ B ] → x [ C ] } (省略形) の図式にある経済発展と 民主主義の発展の関係 (史) を も と に し て、 ク ラ ウチ のい う 「デモ ク ラ シー」 が、 初 めて 実現可能 と な る な ど と は、 決 し て 考 え よ う と は し ない。 そ れ ゆえ、 ま た そ う し た 関係の変容 と 、 そ の結果 と し て 、 { [ B ] → ( x ) [ C ] → x [ A ] } へと 、 経済発展 と 民主主義の発展の関係が、 導かれる こ と にな る と い う 見方 も 、 理解 で き ない だ ろ う 。 付言 す れば、 ク ラ ウチ の 「放物線」 の図 に あ る よ う に、 そ の 頂点へ と 民主主義の発展が 「高度化」 し てい く 、 あ るいはま た、 頂点か ら 逆に 「低度化」 し てい く その流れ を、 筆者は、 覇権国が中心 と な っ て形成、 発展 さ せ てい く 、 覇権 シ ステ ムと その秩序 を も と に、 その歩みが織 り な さ れて い く 経済発展 と 民主主義 の発展の関係 (史) か ら描い てい る、 と み る こ と がで き る。 ク ラ ウチ の 「ポス ト ・ デモ ク ラ シー」 に関す る内容 は、 筆者 の 「民主主義の発展」 の 「低度化」 の歩みに重 な る も ので あ り 、 ま た その具体的 例 を示 す上で有益で ある。 筆者は ク ラ ウチ の対応策に反対 し ない し、 む し ろ支持 を表明す る者の一人 だが、 それ ゆえ、 そのた めに も (多国籍) 企業の政治支配に立 ち向か う と か、 民営化に反対 しつつ、 営利日的 化 し ない公共 サー ビスの提供や政党の再生等 を提言す る際に、 上述 し た よ う な関係の変容、 並び に それ を導 く 覇権 シ ステ ム と その秩序の流れ ( と く に 「米 ・ 中覇権連合」 の形成 と その 展開) を も視野 (射程) に含み込む、 民主主義論が必要で ある、 と 筆者は主張 し たい。 換言 すれば、 木 を見 る た めに も森 を見 る こ と が、 大切 だ と い う こ と で あ る。(三) それではこ こ で、 筆者の普遍主義に関す るモ デル を使っ て、 先進諸国におけ る民主主義の発展の歩み を、 示 し てお こ う。 1970年代頃までは、 [経済発展→ 民主主義の発展 (高度化) ] の図式で描かれる、 民主主義の発展の歩みと なっ て い る。 こ れに対 し て、 1970年代以降にな る と 、 [経済発展→ x 民主主義の発展 (低度化) ] の図式で示 さ れる民主主義の状態に、 あり 続けてい る。 と こ ろが、 先 に紹介 し た ク ラ ウチ 、 ト ツ ド、 あ るい は タール等の見方は、 あま り に も欧米 の民主主義の歴史 を前提 と し ながら、 民主主義の歩み を分析 し てい る こ と か ら、 それ ゆえ、 彼 ら の民主主義の歴史の中には、 非 ・ 欧米世界での民主主義の発展 に見 る長期間のその不在の歴史、 あ るいは欧米先進諸国におけ る民主主義の発 展に見 ら れ る低度化 の歴史が、 共に組み込ま れ ない ま ま に あっ た。 そ も そ も 、 彼 ら の民主主義の発展に関す る見方 には、 筆者のモ デル で描 く よ う に、 B と C の経済発展と 民主主義の発展の関係 (史) が、 彼 ら が姐上に上げ てい る、 先進諸国のA の経済発展と 民主主義の発展の関係 (史) と 、 切 り 離 さ れて語 ら れてい るので あ る。 付言すれば、 こ の 「裏返 し」 のよ う な、 逆の例 と し て、 今日の中国の民主主義の発展 を語 る論者 (た と えば、 朱建栄に代表さ れ る著作は、 中国や ア ジア におけ る民主主義の発展 と 、 それ を支 え る中間層の形 成 に至 る高度化の歴史 を、 (す なわち今日の中国におけ る中間層の形成 と 、 そ の拡大の歩み を) 、 A の先進諸国の民主主義の発展の低度化 ( その一 つの具体 例と しての 「分厚い中間層の解体」 の歩みが見ら れる) と 、 共時的な関係 (史) と し て描かれ る、 そ う し た歩み と 位置づけ理解す る代わ り に、 逆に、 別個の歩 み と し て、 切 り 離 し て、 中国の民主化の流れ を捉 えてい る、 と 指摘で き るで あ ろ う。 それ ゆえ、 彼 ら は、 先進諸国の 「ポス ト ・ デモ ク ラ シー」 の状況 な り 状 態 を、 先進諸国の政治的経済的環境の変化 と 、 も っ ぱ ら 結びつけ て、 語 ろ う と す る こ と か ら 、 た と えば、 その代表的 な例 と し て 、 今日の民主主義の発展 を 「後退」 さ せ た最 も大き な原因 を、 新自由主義 (政策) に起因す る と の見方 を 挙げ る こ と がで き るが、 それ以前の欧米先進国 と 途上国 と の国権 と 民権の歩み、 あ るいは経済発展 と 民主主義の発展に見 られ る、 共時的関係の歴史の中でつ く り 出 さ れて き た、 A の先進諸国の民主主義の発展の性格と い う か、 その形成 と 発展の歴史過程自体が、 抱 え続けて き た問題点には、 ま っ た く と 言 っ て よい ほ どに、 目が向け ら れ ない ので あ る。 さ ら に、 ま た仮に、 関心や注意が払われた に し て も 、 それは、 せいぜいの と こ ろ、 経済的
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帝国主義>
の問題 と し ての観 点か ら 、 も っ ぱ ら 取 り 扱 われて き た こ と がわか るので あ る。(32) (3a こ れに関 し ては、 前掲拙著 『「日本人」』 第一部 [ 1 ] 「日本人」 と 「民主主義」 「民主主義」 の 「歴 史」 と 切 り 離す こ と ので き ない 「靖国」 、 を を参照 さ れたい。(四) 筆者は、 ま さ に、 そ う し た共時的関係 (史) の形成 と 発展と その変容の歩み の中に こ そ、 私た ちが自 ら の掌中に、 掴み捉 え直 さ なければな ら ない、 問題究 明 と 解明に向けての糸口があるのではないか、 と 考えてい る。 す なわ ち、 { [ A ] → ( x ) [ B ]→ x [ C ] } の図式 を前提と しながら、 民主主義の発展 (高度化) の歩みが、 実現可能 と な っ た と こ ろ に こ そ、 今日に至 る災厄が生み出 さ れ るに 至っ た、 と 筆者はみてい るのだが、 多 く の論者は、 た と えば、 佐々木毅の著作 に見 る よ う に、 そ う し た流れ を、 「20世紀体制」 と 位置づけ るにせ よ、 それ を 民主主義の発展の抱 えて き た 「宿阿」 と し ては、 位置づけ、 理解 し よ う と は し ないので ある。 ク ラ ウチが 「デモ ク ラ シー期」 と称賛 し た、 その 「デモ ク ラ シー」 の形成 と 発展の歩み (関係史) の中に、 筆者は、 次の段階と さ れてい る 「ポス ト ・ デモ ク ラ シー」 (民主主義の発展の 「低度化」) に導く 、 原因が存在 してい たのでは ない か、 と みてい る。 と こ ろ で、 こ の点に関 し てい えば、 E ・ ト ッ ド も例外ではない。 彼 も、 中国 やイ ン ドの台頭 と フ ラ ンスの政治的経済的状況 を関連づけて、 理解 し よ う と 試 みてはい る も のの、 筆者のモ デル で描い た よ う に、 普遍主義 を支 え、 つ く り 出 し て き た衣食足 り て (経済発展) と 礼節 を知る (民主主義の発展) におけ る関 係史 を、1970年代以前から、 捉えながら考察 してい る と は、 思われない。 ある 点では、 欧米先進諸国の過去の民主主義の実現の歴史 を、 棚上げに し たよ う な、 身勝手 な論の展開 を し てい る よ う に、 理解で き るので あ る。 彼は 「自由貿易」 を、 諸悪の根源 と し てみてい るが、 そ う し た見方 に も 、 身勝手 な解釈が、 垣間 見 ら れ る、 と 筆者は考えてい る。 そ う し た見方 に代 えて、 筆者は、 何 よ り も、 筆者のモ デルで描いて よ う に、 { [ A ] → ( X) [ B ] → X [ C ] } の図式に表され る、 「衣食足 り て (足 り ず) 礼節 を知る (知らず) 」 の営為の関係史 を前提 と し てつ く り 出 さ れて き た普遍主義 (自由、 民主主義、 人権、 平和) と その実現の 歩みこ そ、 諸悪の根源ではなかっ たのか、 と み る、べき だ と いい たい。 それゆえ、 自由貿易は、 そ う し た普遍主義 を構成す る、 民主主義、 す なわち く自由主義
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的民主主義の歴史の一部 を担 う ものと し て、 位置づけ、 理解 さ れ るべき だ ろ う。 第nl 章 グローバル化の中の中国における 「文明の抹消」 と 「民主化」 の進展 1 先進諸国の「格差問題」と 尖閣諸島をめ ぐる「領有権問題」を結びつける「環」 (-
) それでは、 こ こ で も う少 し、 今日の先進諸国が直面 してい る、 格差問題 を取 り上げて、 論究 してみよ う。2011年 6 月 3 日 (金曜日) 4 日 (土曜日) のニュー ス で 、 ア メ リ カ の雇用状況 がお も わ し く な く 、 失業率 も9.1% 云々、 と い う のを聞き なが ら、 先進諸国の経済衰退 を、 民主主義 と 結びつけ て語 るには、 どの よ う な枠組みな り 、 視角が求め ら れ るのか、 と 筆者は、 自身のモ デル を念頭に 置き ながら 、 考えてい た。 それでは、 こ う し た問い かけに、 筆者 が何故、 こ だ わるのかと い う と 、 多 く の論者は、 経済衰退 に対処す る ためには、 こ れま で以 上に意法 を守 り 、 民主主義の社会 を実現す る こ と が大切 で あ る、 と 語 るのに対 し て 、 筆者 は、 ま さ に その憲法 を守 り 、 民主主義 を推進 し て き た こ と が、 「必 然的」 に、 今日の先進諸国が直面 し続けてい る経済衰退 を、 その具体的な一つ の現象 と し て の格差社会 を、 招来 し たので はない か、 と 論 じ て き たか ら で あ る o (33) それでは、 こ れについ て、 さ ら に言及 し てお き たい。 筆者か ら みれば、 先進 諸国の多 く の人々が直面す る生活問題に対 し て、 現在の民主主義、 民主化研究 は、 「有効に」 対 処、 対応 で き ない のでは ない か、 と 言 わ ざ る を え ない。 た と えば、 先述 し たウ イ アール ダ著 『入門比較政治学』 の第5 章の 「民主主義と 民 主化」 に述べ ら れてい る内容は、 そのほ と ん どが、 今日に至 る ま で、 民主主義 な り 民主化の経験があま り なかっ た諸国に限定 さ れてい て、 先進諸国が今日直 面 し てい る、 民主主義、 民主化の状況 な り 状態に関 し て、 な ん ら 考察 さ れては い ない。 こ れま での比較政治学の民主主義ない し民主化研究は、 ポリ アーキー ( R ・ タールが考案 した民主主義に代わる概念) を、 各国の 「到達すへき日標 (地点)」 と して設定 し、 それ を も と に、 民主化の比較研究がな さ れて き た。 ポリ アーキー と は、 自由民主主義のこ と で あ り 、 その一番充実 し た段階が、 「フル ・ ポリ アー キー」 と 位置づけ ら れた。 い わゆる福祉国家の段階で あ り 、 先のク ラ ウチ に よ れば、 「デモ ク ラ シー期」 の段階で あ る。 現在の グロ ーバル化 さ れた世界の中 で、 今や民主化の地球的規模におけ る拡大傾向が見 ら れ る と 、 一方 では語 ら れ てい るが、 こ う し た傾向の中で、 先進諸国の民主化の段階は、1950, 60年代の それと 比較す る と き 、 ど うや ら、 その活力 (元気) を失っ てい るのではないか。 あ るい は民主化の歩みは 「後退」 し てい るのでは ない か、 と 位置づけ ら れ る よ う に な る。 こ れに対 し て、 ア ジア ・ ア フ リ カ諸国、 ラ テ ン ア メ リ カ 諸国、 そ し て ロ シ ア におい ては、 なお民主化の 「入 り 口」 な り 「途上」 に あ る、 と み な さ れて い る ので あ る。 と こ ろ で、 (二) こ のよ う に民主化の入 り 口、 あ るいは途上に あ る と さ れ る、 こ れ (331 こ れに関 し ては、 前項拙稿 「 グロ ーバ リ ゼー シ ヨ ンの」 を参照 さ れたい。
ら諸国の民主化の歩み (段階) を、 先のポリ アーキーの物差 し を使っ て測定す る作業に、 はた して問題はないので あろ う か。 そ も そ も、 先進諸国の 「ポリ アー キー」、 「フル ・ ポ リ アーキー」 (「デモ ク ラ シー期」、 「民主主義の発展」 の 「高 度化」) に至 る歩みは、 どのよ う な仕組みの下で、 実現 し たので あ ろ う か。 こ こ でい う 「仕組み」 と は、 国際政治経済関係 を念頭に置い てい る。 た と えば、 リ プセ ツ ト は、 「安定 し た民主主義」 の 「発展」 には、 「分厚い中間層」 の形成 が、 必要不可欠 で あ る と み るのだが、 そ う し た分厚い中間層の形成には、 い か な る国際政治関係が、 与っ て き たのだ ろ う か。 こ の問題 を考え る と き 、 今日の先進諸国では、 い わゆる 「分厚い中間層」 は、 もはや形成 で き ない段階 を迎え てお り 、 逆に、 「解体」 し てい く 段階に入 っ て い る。 た と えば、 そ う し た流れが意味 し てい るのは、 先進諸国の雇用が、 海外 に輸出 (移転) さ れてい る、 と い う こ と ではないか。 それと の関連から問題 と な るのは、 先進諸国の民主主義の (民主化 さ れて き た) 「政治」 が、 何故、 そ う し た輸出に、 マ ツ タ (歯止めな り 、 規制) をかけ られないのか、 と い う こ と で あ る。 その際、 その理由の一つ と し て、 賃金の安い中国や ア ジア諸国に、 資 本が移 るのは、 経済合理性の観点か らみて も、 当然だ と い う の を聞 く 。 それは、 そ う か も しれ ない が、 も し雇用が悪化 し て、 経済困窮者が増大す る と なれば、 民主主義社会それ自体の、 不安定化 に導 く 、 一つの要因 を形成す る、 と 考え ら れ るだ ろ う。 その意味では、 それは、 政治的合理性に、 反す るのではない か。 それゆえ、 そ こ か ら 考え なければな ら ないのは、 経済合理性の観点のみな ら ず、 民主主義、 な り 民主化 の歩みの中に、 マ ツ タ で き ない,マ ツ タ す るの を許 させ ない、 何 ら かの関係が、 存在 し てい るのではない か、 と い う こ と で あ り 、 それ を、 究明 し なければな ら ない だ ろ う。(34) (三) さ て、 尖閣諸島の領有権 をめ ぐ っ て、 い ま大変 な騒ぎに な っ てい る。 中国の 「無茶苦茶」 と も 思われ る 「演出」 によ り 、 日本の主権が、 危 う く な っ てい る。 し か し、 その一方で、 今の不景気 な時に、 中国人の購買力 を当て に し て、 日本 (国) の経済的 「復活」 を図 る動き が、 顕在化 してい る。 こ こ に も、 中国にお け るナ シ ョ ナ リ ズム (国権と 民権の両者の歩み) と 、 日本におけ るナ シ ョ ナ リ ズム (国権と 民権の両者の歩み) の関係 を、 垣間見る こ と ができ る。 日本側か ら みれば、 も し中国 を怒 らせ る こ と に よ り 、 それが日本製品の不買運動に ま で 導 く こ と にで も なれば、 そのよ う な事態は、 困 るだ ろ う し、 か と い っ て、 何で e 筆者の こ れま での研 究は、 ま さ に そ う し た観点か ら 論究 さ れて き た と い っ て も過言 では な いo
も かんで も 、 お金のために、 と 割 り 切 り す ぎて、 主権の存在 を、 ない が し ろ に すれば、 こ れま で、 外国人 に参政権 を認 めない、 与 え ない で き た、 「理由」 そ の も のが、 消失 し て し ま い かねない。(35) も っ と も 、 こ う し た板挟 みの中 で 悩 んでい る のは、 も う 、 それ こ そ、 一部の 日本人だけ なのか も しれない。 日本の森林 をは じ め、 多 く の不動産が、 外国人 に買 われてい る。 ( も ち ろ ん、 日本 も同様のこ と を し て き た し、 今 も そ う し て い る。) こ れらは、 た と え、 買い たたかれて も、 お金のや り 取 り を前提 と して い る。 し か し 、 北方四島、 竹島、 そ し て尖閣諸島は、 「力」 で も っ て 、 奪われ て し ま う のだ ろ う か。 そ し て、 その後 で、 「共同開発」 援助 と い う 名の下に、 多 く の税金 を、 む し り 取 ら れ る こ と にな るのか も しれない。 こ れ らの 「無法」 (不法) 行為は、 人類が 「正 しい軌道」 を歩むために、 我慢すべき こ と なのか。 こ こ ま での く だ り を も と に、 も う 少 し 、 考え てみたい。 と こ ろ で、 無法 (不法) と 述べる と き、 何 を物差 し (基準、 根拠) と して、 い るのだ ろ う か。 国際法や国際海洋法 も さ る こ と なが ら 、 そ こ には、 国民 と し て、 こ れま で、 それ ら の領土 を領有す る こ と が、 「合法」 で あ る と 信 じ て き た (あるいは、 信 じ込ま さ れて き た) と い う 、 「事実」 に照ら して、 それに反す る か ら 、 「無法」 なのでは ない だ ろ う か。 と い う こ と は、 換言すれば、 も し国民 で ある と い う 意識 な り 、 認識 が、 希薄に なれば、 無法 と か不法 と い う感情 も 、 抱かな く な っ て し ま う のではない だ ろ う か。 そ う し た感情の失 われてい る国民 に、 国際法 を根拠に、 そ う し た無法 (不法) と も呼へる行為に対 して、 団結 し て、 反対行動に立 ち上がれ、 と 呼びかけてみて も 、 効果はないのではなか ろ う か。 それでは、 国民で あ る こ と に対す る、 あ る種の こ だ わ り を、 何故、 感 じ な く な っ て し ま っ たのだ ろ う か。 グロ ーバル化 の進行 に よ っ て、 そ う し た状態が、 引 き 起 こ さ れたのだ ろ う か。 あ るいは、 こ う し た見方 を、 逆に し てみ る と き 、 以下のよ う に な る。 す なわ ち、 そ う し た国民 と し ての存在で あ る こ と に対す る、 感情の希薄化 に よ っ て、 (付言すれば、 こ う し た、 希薄化の流れ も、 ナ シ ョ ナ リ ズムの歩み (国権と 民権の両者の関係史) の表れで ある、 と 考え られるが) 、 グロ ーバル化 と い う 事態が、 導かれ るに至っ たのでは ない か、 と も言 え るので l3 元 よ り 「領土」 を所有す る た めには 「力」 が必要で あ り 、 それな く し ては な に も話 に な ら ない 問題 で あ る。 北方 四島、 竹 島、 尖 閣諸島にお け る日本のかつ て の 「領有」 は、 日本 の 「侵略」 戦争の 「歴史」 と 密接 に関係 し てい る。 その当時日本が保持 し てい た 「力」 がそ う し た 「領有」 を可能 と さ せ てい た こ と を鑑 みれば、 そ う し た 「力」 の喪失 は、 こ れま で日本の 領土 と し てい た [根拠] を根底から覆す と い わざる をえ ない。 元々 「国際法」 自体が、 各々 の 「国力」 の 「函数」 と し ての意味 し か持 ち合 わせ てい ない よ う に、 筆者 には見 ら れ るので あ る。
は ない か。 い ずれに し て も 、 あ る時期におい ては、 国民 と し ての存在が、 強力 に説かれた ( こ れ もナ シ ョ ナ リ ズムの歴史 (国権と 民権の両者の関係史) の現 れで あ る) の も確かで ある し、 そ う した こ と を踏ま えれば、 何故、 国民 と して の存在が強 く 主張 さ れてい た時代か ら 、 逆に、 それがあま り 強 く 意識 さ れ な く な るのか、 必要 と さ れ な く な るのか。 (四) こ こ には、 ナ シ ョ ナ リ ズム (国権と 民権の歩み) に関わる問題が、 関係 して い る。 先の 「正 しい軌道」 (それはま た、 民権の歩みと 重な る。 それは、 自由 主義 と 民主主義 と い う 一対の概念、 す な わ ち自由主義的民主主義で測 ら れ る 「軌道」 で あ る) と 、 ナ シ ョ ナ リ ズムと は、 一体、 どのよ う に関連 し てい る も のだ ろ う か。 換言すれば、 A、 B、 C におけ る 「衣食足 り て (足 り ず) 礼節 を 知 る (知らず) 」 の営為の関係史と 、 その実現の歩みと 、 ナ シ ョ ナ リ ズムと は、 一体 どのよ う な関係に あ るのだ ろ う か。 こ れ ら の問題 に関 し て、 さ ら に掘 り 下 げて論述 し てい こ う。 と く に、 中国におけ るナ シ ョ ナ リ ズムの高揚 と 、 日本に お け るナ シ ヨナ リ ムの成熟化 、 円熟化、 あ るいは、 鈍化の歩み と 、 「正 しい軌 道」 と さ れ る自由民主主義の歩み と の間に、 どの よ う な関係 が存在 し てい るの か、 と い っ た問題意識の下に、 論 を展開 し てみ よ う。(36) それでは、 こ こ で、 福田和也の 「解説」 (『英米にと っ ての太平洋戦争』 草思 社 1999年) を も と に、 「正 しい軌道」 に関す る福田の見方 を紹介 しておき たい。 福田の見解 を も と に し なが ら、 政治学で語 ら れて き た民主主義の見方 を捉 え直 す と き 、 重要な論点が浮かび上がっ て く る。 こ こ で注意すべき 点は、 民主主義 と は、 あ く ま で も自由民主主義のこ と を意味 し てい る。 自由主義 を前提 と し た、 受け入れた民主主義で ある。 た と えば、 西部邁が 「民主主義」 批判 を繰 り 返す と き 、 それは、 自由民主主義 を念頭に置い てい る こ と を、 銘記すべき で あ る。 西部 ら が、 大衆民主主義の弊害 を説 く と き 、 それは、 大衆が担い手 と な っ てい る自由民主主義で あ る こ と を、 忘れては な ら ない。 その意味では、 弊害 を導 く のは、 大衆や大衆民主主義 と い う よ り も、 自由主義それ自体に、 問題があ るの か も しれない のだ が、 西部の批判は、 そ こ には向け ら れないので あ る。 それが、 西部の 「大衆民主主義」 批判 に関す る論の問題点では なか ろ う か。(37) 「誰 も が 政治に参加 で き る政治支配の在 り 方」 と し て、 民主主義 を定義す る際、 その民 主主義 と は、 自由民主主義で あ る こ と に注意すへき で ある。 C ・ B ・ マ ク フ アー e61 「正 しい軌道」 と 「ナ シ ョナ リ ズム」 と の関係に関 しては、 拙稿
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「イ ン タ ーナ シ ヨナ リ ゼー シ ヨ ン」 の時代におけ る 「民主主義」 論> 『外国学研究』 84 神戸市外国語大学研究所 2013 年 所収 を参照 さ れたい。ソ ン に従 えば、 「すべて の者 は自由 で あ る が、 あ る者 は、 他の者 よ り も 、 も っ と 自由で あ る」、 そ う し た白由主義社会のル ール を受容 し、 前提 と し なが ら 、 すべての者 が政治に参加 で き る仕組み を指 し てい る。 筆者の図式 に あ る民主主 義の発展の民主主義は、 も ち ろ ん、 こ の自由民主主義の こ と で あ る。(38) さ て、 政治学は、 民主主義 を、 も っ ぱ ら 、 理念 と し て 、 神棚に祭 り あげ るの だが、 も う 一度、 こ こ で、 念 を押 し てお く と 、 その民主主義 と は、 自由民主主 義の こ と だが、 それは、 福田の 「解説」 に ある 「世界史」 (「人類の全歴史 を、 原始か ら民主主義社会にむか う 精神的階梯 と み る」) の歩みに他な ら ない こ と がわか る。 ヘ ーゲルは、 「市民的自由 を人間精神の最高の価値 と し て理念化す る こ と で、 歴史の意味 を、 精神の進歩 と し て定式化 し た」。 し か し 、 こ う し た 捉 え方 を し て し ま う と 、 「人類の発展が、 単一的 な終局にむかっ て進むべき も の」 と し ての、 す な わ ち、 「あ る社会に く ら へて その目的地 と し て の市民社会」 の 「階梯」 以外の歩みは、
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お し な、べて 「未開」 「野蛮」 と し て その価値 を 否 定 さ れ る。 こ と に な ら ない だ ろ う か。(39) こ こ に指摘 さ れた く だ り を、 「世界史」 の歩み と 結びつけ て、 も う 少 し検討す る な ら ば、 お そ ら く 、 それ こ そ、 筆者のモ デル で描 く あのセ カ イ の形成 と 発展 と 、 その変容の歩みに、 重 な るので は なか ろ う か。(4°
) 2 中国の 「文明の抹消」 を導 く 中国の 「民主化」 の歩み (-
) こ こ で 、 筆者 がこ れま で紹介 し て き た、 「衣食足 り て (足 り ず) 礼節 を知 る (知らず) 」 の営為の関係史のセ カイ から、 こ の世界史の歩みを捉え直 して、 考 えてみたい。 す な わ ち、 ヘ ーゲルのい う 「人間精神の最高の価値」 と さ れ る市 民的自由 な る も の を、 A、 B、 C におけ る 「衣食足 り て礼節 を知 る」 の営為の 関係史 を構成す る、 「礼節 を知 る」 の 「礼節」 と 仮定す る と き 、 それで は、 そ l3 西部に よ る一連の 「民主主義」 批判の特徴は、 それ を 「大衆民主主義」 と も っ ぱ ら 結び付 け て、 批判す る と こ ろ に あ る。 大衆民主主義 と い え ど も 、 それは現代の民主主義で ある以上、<
自由主義> 的民主主義で ある。 それゆえ、 筆者は、 自由主義 と 結び付い た大衆民主主義の 批判で なければな ら ない ので は ない か、 と 筆者は考 え る。 その意味で は、 西部の民主主義批 判は、 自由主義 を神棚 に置い た ま ま の批判 と 言 わ ざ る を え ない と 同時に、 それ ゆえ、 西部の 大衆民主主義批判には、 やは り 相当の問題 が孕 ま れてい る と みてい る。 l381 C ・ B ・ マ ク フ ア ソ ンについ ては、 前掲拙著 『史的 システ ム』 138 153頁 を参照 さ れた いo l39) 福田に よ るヘーゲルの 「世界史」 の紹介につい ては、 ク リ ス ト フ アー ・ ソー ン著 市川洋 一訳 『米英に と っ ての太平洋戦争』 草思社 1999年の [解説] を参照さ れたい。 なお、 本論 で筆者が言及 し てい る 「世界史」 と 、 こ こ で のヘ ーゲルのい う 「世界史」 の違い につい ては 留意、 注意 さ れたい。 lO) こ れに関 しては、 前掲拙著 『日本人の』 25 26頁。れ を導き 出す 「衣食足 り て」 の 「衣食」 は、 A、 B、 C 間におけ る、 どのよ う な 「衣食足 り て」 の営為の関係史の中で、 ま た 「礼節 を知 る」 の営為の関係史 の中で、 獲得 さ れ るのだ ろ う か。 こ れについ ては、 既に、 筆者の研究におい て 論述 し て き たが、 行論の都合上、 こ こ で、 少 し述べてお き たい。 要約す る と 、 以下のよ う に な る。 す なわち、 A において市民的自由が実現す る と き 、 B や C においては、 市民的自由と は、 ほど遠い世界が生み出 さ れる こ と と な る。 つま り 、 A におけ る市民的自由の実現す る 「世界史」 の歩みと 、 B やC におけ る市民的自由 を剥奪さ れてい く 、 ま たその結果 と し て、 「野蛮」 「未 開」 の状態へ と 追いや ら れ る関係が、 共時的 な関係史 と し て、 形成 さ れ発展 し てい るので あ る。 その意味で、 筆者 に と っ て、 ヘ ーゲルのみ る世界史の歩み と 、 そ こ で実現 さ れ る市民的自由は、 諸手 を挙げて歓迎 さ れ る も のではない ので あ る 。 も ち ろ ん、 現実は、21世紀に至るまで、 ま さ に世界史礼賛の大合唱で ある。 福田の 「解説」 497頁の最後から 4 行目の段落 「い う なれば、 」 か ら 、 498頁の 2 行目の 「
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ひび を入れ る こ と を意味 し た。」 ま での く だ り を も と に、 今日の中国の歩み をみ る と き 、 どのよ う な こ と がい え るのだ ろ う か。 中国 の民主主義実現に向か う 歩みは、 「西欧諸国に よ る世界制覇」 の、 理念的 な正 当化、 精神的 な完成 を、 「証明」 す る も の と い え るのだ ろ う か。 ま た、 同時に、 中国の民主化の歩みは、 世界史に よ る、 中国 「文明の抹消」 を意味す るのだ ろ う か。 その意味におい て、 「西欧文明」 の 「世界的支配」 を意味す るのだ ろ う か。 も し 、 そ う だ と すれば、 第二次世界大戦後の内戦や内乱 を経て、1949年に 建国 さ れた中華人民共和国 と 、 その国民が勝 ち取 っ た 「解放」 の高揚感は、 一 体、 どこ に消 え去っ て し ま っ たのだ ろ う か。 そ し て、 今日の尖閣諸島の領有権 問題にみ る、 中国におけ る国権 と 民権の両者の関係史 と し て、 位置づけ、 理解 さ れ る、 中国ナ シ ョ ナ リ ズムの高ま り を、 世界史の歩みの中に、 置き 直 し てみ る と き 、 どの よ う にみ る こ と がで き るのだ ろ う か。 (二) 福田の 「解説」 498頁の 3 行目 「今日、 比較文明論の始祖 と みな されてい る N ・ ダニ レフ スキイの仕事は西欧文明の世界史的支配に対す る問題意識 を端的 に反映 し てい る。」 の く だ り は、 注意 し たい と こ ろ で ある。 「西欧文明の世界史 的支配」 と い う 観点か ら 、 ハ ン テ イ ン ト ンの 『第三の波』 で論 じ ら れてい る 「民主化 の世界的拡大傾向」 を捉 え直す と き 、 民主主義の実現の歩み と は、 ま さ に 「西欧文明の世界史的支配」 と し て、 理解 さ れ る と こ ろ と な る。 当然なが ら 、 そ こ には、 民主主義 を拡大 し てい く 際に 「軍事的衝突は不可避 で あ る」 との 「過激 な ア ジテ ー シ ョ ン」 と い う よ り は、 む し ろ、 冷徹な歴史的事実に対す る、 的確 な認識 の眼が見て取れ る だ ろ う し、 「歴史の進展は それぞれの文明 に よ っ て千差万別の類型 があ り 、 単一的かつ普遍的 な世界史な どはあ り え ない」 に も かかわ ら ず、 「人類の発展」 は 「単一的 な終局にむかっ て進むべき も の」 と す る、 「普遍的 な世界史」 の歩みによ っ て、 「西欧文明」 の 「世界史的支配」 が実現す る様相 と な る。 福田 も 指摘す る よ う に、
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その発生点におい て 「文 明」 論的思考は、 歴史の一元的進歩への反抗 と し て提出 さ れた の で あ る。 と こ ろ が、 第一次世界大戦の勃発 と その帰結 を と お し て、 文明論的思考は、 「歴史 を主導 し てい るはずの西欧自身の、 衰退の予感 を語 る ジ ャ ンル と な っ た」 かの感 が あ っ た。(4'
) しか し、 こ う し た シュペ ン グラ ー風の文明論的思考と は 異な り 、 第28代米国大統領ウイ ル ソ ンに代表 さ れ る よ う に、 ( 白由主義的) 民 主主義 を、 普遍化 さ せ る と い う 営為の下に、 「西欧文明の世界史的支配」 は、 第一次大戦後の混乱 し た社会の波の中 を、 力強 く 生き のび る こ と と な る。 こ う し た点 を鑑み る と き 、 「精神的階梯」 の 「終局」 (目的地) と さ れる民主 主義 を、 世界的に拡大 さ せてい く ためには、 ど う し て も、 その精神的 な次元に おけ る 「礼節 を知 る」 の営為 に呼応す る、 物質的次元におけ る 「衣食足 り て」 の営為が、 必要不可欠 で あっ た。 18世紀末のフ ラ ンスやアメ リ カ、 あるいは17 世紀のオ ラ ン ダ、 イ ギ リ スの市民革命 と 、 それが目指 し た 「目的地 と し て の市 民社会」 の 「衣食」 を提供す る際に、 大き な役割 を担 っ たのは、 歴代の覇権国 で あり 、 そ う し た諸国 を中心と して形成 さ れた覇権 システ ムと 、 その秩序で あっ た こ と に、 目 を向け る必要があ る。 「西欧諸国に よ る世界制覇」 と か、 「西欧文 明」 の 「世界史的支配」 を、 具体的に語 る際、 ど う し て も、 覇権国、 覇権 シス テ ムと 、 その秩序の存在抜 き には語れない。 「馬上の世界精神 と し て のナ ポ レ オ ン」 は、 ま さ に、 こ う し た観点か ら位置づけ直す必要があるのではない か。 その と き 、 「軍事的衝突 は不可避 で あ る と す る」 見方 が、 現実の も の と さ れ る だ ろ う し、 そ こ か ら 、 「あの戦争」 を、 も っ ぱ ら 「デモ ク ラ シー」 対 「フ ァ シ ズム」 と の観点か ら議論 で き ない こ と も 、 わか るのでは なか ろ う か。(42) (三) こ こ で唐突 では あ るが、 た と えば、 以下の設問に答 え る よ う に求 め られた と き に、 読者の あな たは、 どの よ う に述べ る だ ろ う か。 (設問) 尖閣諸島問題 をめぐ る日本と 中国の関係 を、 主権国家、 国民国家 を l41) 福田 前掲書 497-498頁。 la こ れに関 しては、 筆者のこ れま での拙論 を見てい ただき たいが、 最新刊の拙著 『21世紀の』 を ご一読お願い し たい。舞台 と し て繰 り ひ ろ げ ら れ る、 経済発展 と ( 自由主義的) 民主主義の発展と い う 観点か ら捉 え直す と き 、 どのよ う に描 く こ と がで き るか。 筆者 が仮に、 こ の問題 に答 え る と し た際、 筆者は、 先ず次のよ う な図式 を も と に、 その全体像 をイ メ ー ジ し てみ る。 拙著 『史的 システ ムと し ての民主主義』 (晃洋書房 1999年、 283頁。) さ らに、 こ の図式と 、 拙稿 「中国の 「ナシ ョ ナ リ ズム」 に関す る一試論
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丸山真男の 「幸福 な結婚」 論 を手掛か り と し て一 」 (『超国家主義の系譜』 御茶の水書房 『ア ソ シエ』 一六号 2005年 所収)-
0 八頁の図式 を、 併せて考えてい く と き、 以下のよ う に論 を展開でき る、 と みてい る。 主権国家、 国民国家につい て考え る こ と は、 主権、 国家、 国民 を、 そ し て、 そ こ か ら民族、 エ ス ニ ツク集団やエ ス ニ シテ イ と い っ た問題 を、 同時に視野の 内に、 含 ま ざ る をえな く な る。 尖閣諸島の漁船衝突 を契機 と し た、 中国側の領 有権 を主張す る物言いは、 ま さ に主権につい ての、 表明に他 な ら ない。 と 同時 に、 日本側におけ る、 「東 ア ジアにおい て領土問題は存在 し ない」 と の物言い も 、 主権につい て の表明 その も ので あ る。 そ う し た主権 をめ ぐ る問題は、 普段 は あま り 気 がつ か ない ま ま に、 見過 ご さ れ て い る (見よ う と し ない でい る) 「全体像」 の一部 を、 構成 し てい る (構成 してい るに過ぎない) こ と を、 理解 す る こ と が大切 で あ る。(43) 尖 閣諸島 を め ぐ る 問題 が生起 し た と き 、 私 た ちは 、 と も す れば、 そ う し た 「全体像」 に目 を向け る こ と な く 、 本来は、 その一部に過 ぎ ない領有権 (主権) 問題 を、 あ ら ゆる も のに勝 る、 優先す る問題 で あ るかのよ う に、 興奮 し て 、 騒 ぐ ので あ る。 主権の定義は、 確かに、 そ う し たイ メ ー ジ を、 抱かせ るのだ が、 主権 も 、 つねに 「相手」 と の関係の中で、 「決定」 さ れて き た も のではない か。 と こ ろ が、 突如 と し て、 領有権問題 がお き るや否や、 そ う し た関係の中で、 そ れ ら がつ く ら れて き た と い う こ と さ え も 、 忘れ さ せ ら れ るかのよ う に、 私た ち を 「衝突」 の淵へ と 、 追い こ むので あ る。 誤解 を恐れずに言 えば、 日本 と 日本人の近現代史 を回顧す る な ら ば、 「我 が 国固有の領土」 と い う 主張 も 、 そ う し た関係 に よ り 導かれた (「結果」 と して の) 「バ ラ ンス」 で あ り 、 したがっ て、 そのバ ラ ンスな る ものは、 いつ も 「力」 の関係 に よ っ て、 変わら ざ る を えない こ と を、 銘記すへき ではなか ろ う か。 そ l 31 筆者は、 「主権」 をこ のよ う に 「関係」 のなかで位置づけ理解す る こ と を試みてい る。 こ う し た理解は、 筆者の 「主権」 国家 を想 定す る際のモ デル で あ る 「自己決定権」 の 「争 奪戦」 の 「関係 (史) 」 の見方に由来 し てい る。 筆者は、 「日本」 と い う 「主権」 国家は、 ひ と り 「日本」 と 「日本人」 の手に よ っ てのみ創造 さ れた と は、 考 え ら れない。 なお、 こ れについ て は、 前掲拙著 『日本人の』 23 25頁 を参照さ れたい。のために も 、 筆者の描 く モ デルのセ カイ につい て、 も う少 し 、 目 を向けてほ し い ので あ る。 と こ ろ が、 現実は、 ま っ た く そ う な ら ない。 相 も変 わ ら ず、 自由 主義、 民主主義 を、 物差 し と し て 、 人類の歩み を語 るので あ る。 あのヘ ーゲル の世界史 と 、 市民的自由 を目指す こ と が、 最終の目的 と さ れ るので あ る。 今回 ノ ーベル平和賞 を受賞す る こ と に決ま っ た中国人の人権活動家が訴え、 主張 し てき たの も、 ミ ャ ンマ ーのノ ーベル平和賞 を受賞 し た、 アウ ン ・ サ ン ・ スーチー 女史 と 同様に、 ま さ に市民的白由 と 、 その拡大で あ る。 (四) 皮肉な こ と だが、 こ の市民的自由 を実現す るためには、 筆者のモ デルで描 く 、 あのセ カ イ の形成、 発展 と その変容の歩み を、 必要 と せ ざ る を え ない こ と を、 筆者は、 主張 し続けて き た。 その意味では、 中国の活動家 も 、 スーチ ー女史 も 、 彼 ら の母国の 「圧政」 に対す る抗議や批判は し て も、 ど う い う わけか、 筆者の あのセ カ イ それ自体の含 み持つ 「圧政」、 す な わ ち、 それが押 しつけ る 「構造 的圧力」 に対 し ては、 抗議や批判は、 試みないので あ る。 正確に言 えば、 で き ない ので あ る。 も ち ろ ん、 その こ と は彼 ら の責任 では ない し、 彼 ら を責め る資 格は誰 に も ない。 それだけは断 っ てお き たい。 しか し なが ら 、 こ こ で筆者 がいい たい のは、 彼 ら の 「善意」 が どの よ う な も ので あれ、 その善意が、 あのセ カ イ を、 皮肉 な こ と に、 支 え る こ と に な っ て し ま う 、 と い う こ と で ある。 も っ と も、 く どい よ う だが、 その物言いは、 彼 ら を 責め る も のではない。 筆者 も 、 そのよ う に言 う 以外に、
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提言は、 何 も持 ち合わせてい ない。 福田の 「解説」 に依拠 し てい えば、 彼 ら ノ ーベル平和 賞の受賞者は、 「馬上の世界精神」 を体現す る、 「ナ ポ レオ ン」 を求めなが ら 、 同時にま た、 民族主義に訴 え る、 「フ イ ヒ テ」 に対す る抗議、 批判 を展開 し て い るので ある。 と こ ろ が、 こ の両者は、 「同 じ穴の洛 (む じな)」 に他な ら ない、 と 筆者は、 そのよ う に、 両者の関係 を捉 えてい るので あ る。 換言すれば、 最初 の図式の左側の歩み と 、 右側の歩み と は、 相互に補完 し合い なが ら 、 次のモ デ ルのセ カイ ({ [ A ]→ ( X) [ B ]→ X [ C ] }) の形成、 発展と その変容の歩みを、 導い てい るので あ る。 す な わ ち、 こ れ ら の こ と を踏 ま えてい う な ら ば、 「ナ ポ レ オ ン」 を体現 し てい る スーチ ー女史 と 、 「フ イ ヒ テ」 を体現 し てい る ミ ャ ン マ ーの軍事政権の リ ー ダーは、 対立衝突 し てい る よ う に見え なが ら 、 筆者のモ デル の、 あのセ カ イ の歩み を、 支 え合 っ てい るので あ る。結びに代え て (
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) 尖閣諸島問題に端 を発 し た、 今日の中国の領有権 (主権) の主張は、 「フ イ ヒ テ」 を体現す る も ので あ り 、 日本の領有権 (主権) の主張は、 「ナポレオン」 を体現 し てい るので あ る。 両者は、 激 し く 対立、 衝突 し てい る よ う に見 え なが ら、 その実は、 あのセ カイ の歩み を、 相互に支 え合 っ てい るので あ る。 悲劇は、 そ う し た関係 を知 ら ない こ と か ら 生 じ るので あ る。 「あの戦争」 で死 んでい っ た人々は、 本来は死な な く と も よい国民ではなかっ た ろ う か。 それが証拠に、 相互に支 え合 う 両陣営 ( 「ナ ポレオ ン」 を体現 し た 「デモ ク ラ シー陣営」 と 、 「フ イ ヒ テ」 を体現 し た 「フ ァ シズム」 陣営) の政治的、 経済的、 社会文化的 リ ー ダー た ちの多 く は、 生 き 残 っ てい る で は ない か。 そ し て、 戦後す ぐ さ ま 「手打 ち」 を し て 、 何事 も なか っ たかの よ う に、 あのセ カ イ の形成、 発展 と そ の変容の歩みに、 参加 し たので あ る。 こ れでは、 たま っ た も のでは ない 、 と 考 え るのは、 筆者一人 で は あ る ま い。(44) こ れ らのこ と か ら、 筆者が読者に、 考えて欲 しい と 願 う のは、 「ナ ポ レ オ ン」 的世界の 「ウ ソ」 で あ り 、 「フ イ ヒ テ」 的世界の 「ウ ソ」 なので あ る。 残念 な こ と に、 私た ちは、 こ れ ら の 「ウ ソ」 に気がつ かない ま ま なので あ る。 そ こ に は、 主権国家、 国民国家 をめ ぐ る国権の歴史 と 自由主義、 民主主義 をめ ぐ る民 権の歴史か ら構成 さ れ るナ シ ョ ナ リ ズムの歴史が 「煙幕」 と な っ て、 私た ちの 目 を、 見え な く さ せてい る と い う 、 大き な理由が存在 し てい るので あ る。 私た ち一人一人 が、 その 「ウ ソ」 を、 嘘だ と 見破 れない ま ま に、 そ う し た 「ウ ソ」 を、 真面日 な顔 を し て、 引 き 受けて生き 続け て き たので あ る。 その意味で も、 こ こ で、 こ う し た問題 を取 り 上げて、 その真偽について、 論究 し てい く こ と は、 有意義 な こ と では あ る まい か。 さ て、 こ う し た話の流れ と の関連 を踏 ま え る と き 、 「反日デモ」、 「反中デモ」 にみ ら れ る 「愛国」 ( ら し き) 流れと 、 民主主義の発展と の間には、 いかな る 関係が存在 し てい るのだ ろ う か。 す なわち、 ナ シ ョ ナ リ ズム を構成す る国権の 歩み と 、 自由や民主主義の社会 を実現 し てい く 歩みで あ る、 民権の歩みの間に は、 一体、 どのよ う な関係があ るのだ ろ う か。 中国におけ るナ シ ョ ナ リ ズムを、 こ う し た観点か ら 、 も う少 し論 を展開 し てみたい。 筆者のみ るかぎ り 、 こ の両 者の関係につい て、 従来の研究は、 十分に論究 し て き た と は言い難い。 あ る研 究者は、 国家、 国民 を姐上に載せて、 その問題点につい て、 論究す るのだが、 ど う い う わけ か、 そ こ か ら 、 そ う し た国家 な り 国民が、 受け皿 と な り 、 あ るい l こ れに関 し ては、 同上拙著 『日本人 の』 を参照 さ れたい。はま た、 担い手 と な っ て、 その歩み をみ る こ と にな る民主主義社会の実現の歩 み (いわゆる民主化の過程で あるが) について、 両者 を、 結びつけて問 う こ と は なかっ た。 (二) それゆえ、 国民国家が抱 え る問題点 を、 告発す る と き 、 それ を舞台 と し て花 開 く 、 民主主義それ自体につい ては、 も し、 その舞台 (国民国家) に特別な問 題 があ る と し て も 、 何か別のそれに置き 換 わる な ら ば、 問題は見 ら れない かの よ う な、 換言すれば、 民主主義自体には、 ま っ た く 問題 がない かのよ う な、 論 の展開に陥 る危険があ るのではないか、 と 筆者は、 危惧 し てい る。 逆に言えば、 民主主義社会の実現には、 ど う し て も、 国民国家 を必要 と す るのではない か、 と い う 「仮説」 を、 含み込む余地のあ る議論 で あっ たな らば (すなわち、 国権 の歩み と 民権の歩み を結びつけ て考察す る論の展開が行 われた な ら ば) 、 私た ちの社会が抱えて き た問題 を、 国民国家に特有の問題 と して、 も っ ぱ ら論及で き な く な る で あ ろ う。 (た と えば、 山之内靖の説 く 「総力戦体制」 の問題 を語 る姿勢 に も それは垣間見 ら れ る) 。 それは、 同時にま た、 民主主義 それ白体が 抱え る問題 (たと えば、 西部邁らが説 く 「大衆民主主義」 の危険性とい う問題) と し て、 も っ ぱ ら それだけ を、 取 り 出す こ と も で き な く な るだ ろ う。 す なわ ち、 問題 と な るのは、 「告発」 さ れ るべき も のは、 ただ単に国民国家の抱 え る問題 のみな ら ず、 あ るい はま た民主主義の抱 え る問題 だけ で も な く 、 それ ら が関係 と し てつ く り 出 し て き た歩み、 換言すれば、 国権 と 民権の両者の共時的関係史、 それ自体の中に、 求 め ら れ るので あ る。(45) それでは、 丸山真男の 「幸福 な結婚」 論は、 両者の関係の抱 え る問題 を、 捉 えてい たのだ ろ う か。 結論 を先取 り し てい えば、 捉 え ら れなかっ たのでは あ る まい か。 逆に、 丸山は、 国権 と 民権の 「バ ラ ン ス」 を首尾 よ く 取 る こ と ので き た グル ー プ と し て、 市民革命 を実現 し た と さ れ る フ ラ ン ス、 イ ギ リ ス、 ア メ リ カ を、 「理想」 モ デル と し て、 近代化 の到達すべき 「目標」 と し て し ま う ので あ る。 つ ま り 、 丸山は、 こ う し た 「バ ラ ン ス」 の取れた フ ラ ン ス な どの グル ー プ におけ る国権 と 民権の関係は、 問題 のない も の と み な し てい たので あ る。 こ れに対 し て、 戦前の日本や ドイ ツ、 イ タ リ ア におい ては、 両者のバ ラ ンスが取 れてい ない こ と を、 問題 と し たので ある。 こ れに対 して、 先の山之内靖や西川 l 筆者 に と っ て残念 なのは、 こ う し た観点か ら の考察があま り に も少 なす ぎ る、 いや皆無だ と 言 う こ と で あ る。 こ こ に も 、 い わゆる 「普遍主義」 の呪縛 が重 く の し かか っ てい るのでは ない か と みてい る。 その意味で も 、 前掲拙著 『21世紀の』 が広 く 理解 さ れる こ と を、 願 う 次 第 で あ る。
長夫 ら は、 国民国家の抱 え る問題点 を、 主張す る中で、 た と え、 い かに 「バ ラ ン ス」 が取れてい たにせ よ、 それが国家や国民 (大衆) を前提と す る限り は、 絶 えず、 問題 を引 き ず り 続け てい る と い っ た観点か ら論 を展開 し てい る、 と 筆 者 はみてい る。 しか し ながら 、 彼 ら も、 丸山 と 同様に、 筆者がこ れま で問い続けた問題には、 向き合わない で き た、 向き 合 う こ と を、 避けて き た よ う に、 思われ るので ある。 す なわち、 その問題 と は、 彼 ら が問題視 し てい る国家や国民 を、 私た ちは何故、 歴史の あ る段階におい て、 引 き 受 け ざ る を え な く な るのか、 ま た、 そ う し た 「役割」 を、 歴史の あ る段階で、 引 き 受け る こ と を望 んだ と き に、 その望みが 何故、 叶 え られないのか。 彼 らは、 国家や国民で あ る こ と を、 問題 と す るのだ が、 も し そ う し た国家、 国民 をつ く り 出す際に、 白由や民主主義、 人権 な る も の (いわゆる普遍主義) が、 密接不可分に与っ てい る と す るな らば、 彼 らの理 想 と す る白由、 民主主義、 人権は、 一体 どのよ う な も のかについ て も、 語 る こ と が求 め ら れ よ う。 少 し 回 り く ど く な っ たが、 筆者が言い たいのは、 国家、 国民 を批判す る こ と は、 同時に、 近代憲法が保障す る自由や民主主義 を、 批判 し てい る こ と に、 彼 ら が気づい てい るのか、 と い う 点で あ る。 単刀直入 に言 えば、 彼 らは、 日本国 憲法 を批判 し てい る と い う こ と を、 「自覚」 し てい るのだ ろ う か。 彼 ら の議論 は、 日本国憲法の 「日本国」 を、 一方で批判 し なが ら、 ど う い う わけか 「憲法」 批判は、 ト ー ン ダウ ン し てい るので あ る。 こ こ に も示 さ れてい る よ う に、 日本 国憲法の 「日本国」 と い う 国権の歩み と 、 「(近代) 憲法」 と い う 民権の歩み (白由民主主義の発展の歩み) におけ る、 両者の 「バラ ンス」 の関係 (史) が、 問われてい るので あ る。 それ ゆえ、 も う少 し論 を掘 り 下げてみたい。 日本国憲法に、 「大日本国憲法」 を加 えてみ る と き 、 そ こ に国権 と 民権の両者のバ ラ ン スの推移が、 顕著に見 ら れ る。 前者 の憲法は、 「近代的」 な も ので あ り 、 後者の それは 「前 ・ 近代的」 と さ れて き た。 丸山は、 こ の違い を、 重視す るのに対 して、 山之内や西川 ら は、 た と え 「大日本国」 か ら 「日本国」 に替わっ て も、 そ こ に、 変わらぬ 「国」 が、 「国家」 が存続 し続け てい る こ と を、 重視す るので あ る。(46) (三) と こ ろ で 、 (拙論) 中国におけ る 「ナ シ ョ ナ リ ズム」