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(1)

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点 ― M

・E・リッチモンドの針路をめぐって ―

著者 日根野 建

雑誌名 評論・社会科学

号 70

ページ 1‑21

発行年 2003‑03‑20

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004408

(2)

︹論文︺

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

││M・E・リッチモンドの針路をめぐって││

日 根 野 建

︵文学研究科社会福祉学専攻博士課程後期︶

一はじめに

本稿は︑アメリカのソーシャルワークの専門職化に付随し今日に積み残す史的論点を整理する試みである︒アメリカ

のソーシャルワークの歴史は︑その専門職化に向けた願望と努力が形成した面が強い︒まずは︑その専門職化の経緯と

方途に起因する根本問題を瞥見した上で︑ここでは一九世紀から二〇世紀にかけて同じ時代を生きてソーシャルワーク

の伝統を築いた象徴的な二人の女性︑リッチモンドとアダムズの事績を対照的に取り上げ︑このうち本格的な専門職化

の扉を開いたリッチモンドのケースワーク論の特徴を確認する︒そして︑これをめぐって今日に到るソーシャルワーク

の歴史を眺望してその史的論点を把握するとともに︑これによりリッチモンドのケースワーク論を今日的に問い直す視

角と意義を明瞭にしたい︒

― 1 ―

(3)

二ソーシャルワークの専門職化の根本問題

1専門職化の経緯

全米ソーシャルワーカー協会は︑かつてソーシャルワークを﹁個人︑グループ︑コミュニティが社会的機能を果たす

能力を回復または向上させるのを援助し︑この目標を達成するために適切な社会的条件を創造する専門職の活動であ

︵1︶る﹂とした︒この定義は︑ソーシャルワークの焦点と内容を端的に表現するとともに︑それが専門職の活動であること

を明示する︒もとよりソーシャルワークの始原は︑一九世紀の貧困問題の解決に対する宗教的動機や人道的動機に発す

る慈善活動や博愛活動といったボランタリズムの発露にあった︒これが︑現代では専門職化の一路を進み︑少なくとも

一個の職業として人々の生活問題の解決にのぞむ活動に移り変わった︒

ポップル︵

Popple, R. P.

︶は︑ソーシャルワークの職業開拓と専門職化の発端は次の点にあると指摘する︒第一に︑

当時のボランティアが生計を立て得る活動への転換を求めたこと︑また第二に諸種の活動の中で専門性を備える必要性

を認め始めたこと︑そして第三に各種の職業の専門職化という時代の趨勢があったこと︑最後に女性の社会進出の気運

︵2︶が女性が大半を占めた当時のボランティアを触発したことである︒この最後の点は︑岡田英己子もソーシャルワークの

創出に際して﹁フェミニズム運動の果たした役割は大きい﹂とし︑﹁市民女性の自己実現の歩みに沿う形で﹂その職業

︵3︶開拓が展開したと強調する︒

このボランティアから一個の職業への変容は︑現代社会の分業編成の一齣であり︑同時にソーシャルワークを成型す

+

末であった︒もとよりボランティアは︑自由意志という語源があり︑一般に自主性・主体性︑無償性・無給性︑連

帯性・社会性︑創造性・開拓性といった特性を有する︒一方︑﹁社会と個人︑あるいは全体と個体との結節点が職業で 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

― 2 ―

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︵4︶あり︑そしてこの点を通じての動的相関が人間の社会的共同生活の基本構造を﹂なすとし︑また職業は物質的報酬のみ

︵5︶ならず﹁人びとに精神的報償を与え︑またそれにたずさわる人びとの社会的地位を決定する﹂と尾高邦雄は分析する︒

要するに︑職業は生計を継続的に保持することは当然のこと︑諸個人に個性を発揮させるとともに社会的な役割を遂行

させて一定の地位を供与する点に自由意思を根幹とするボランティアとの相違を見ることができる︒

このソーシャルワークの職業開拓は︑現代社会の成り行きに即すなかで当時のボランティアを魅了する道標をもたら

し︑ソーシャルワークの実相を造成するとともに︑そこに内在していたソーシャルワークの専門職化に関する根本問題

に素地を準備することになった︒

2専門職化の方途

専門職を意味する英語のプロフェッションは︑辞書的には信仰告白や知的職業などといった語義をもち︑古典的には

神学︑法学︑医学の三つの職業が独占する名称であった︒というのも︑当時西欧の大学組織はキリスト教会の強い影響

の下にあって概して神学︑法学︑医学の三つの学部編成を敷き︑そこで教育を受けた全ての者を聖職者

と見なしてい

︵6︶た︒今日でも古典的な三大専門職が学問的素養を要し同時に聖職的性格を帯びるという心象は︑こうした歴史的事情が

あった︒

ただし石村善助は︑現代の専門職には﹁中世に存在した職種で今日にいたるまで存続したもの︑中世の末ごろから発

︵7︶生してその後プロフェッションとしての地位を獲得したものの︑二つの系譜がある﹂とする︒たしかに中世以降︑後の

近代科学の発展と並行して三大専門職の世俗化が進行するとともに︑広く他の職種が新しく専門職を標榜し社会的な承

認を得ることになった︒一九世紀の社会に芽吹いたソーシャルワークは︑この先発と後発といった専門職化の展開のう

ち︑先発の沿革を夢見ながらも後発の系譜の上にその足跡を残すことになった︒

― 3 ―

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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このことは︑一九一五年の全米慈善矯正会議でフレクスナー︵

Flexner, A.

︶の﹁ソーシャルワーカーは専門職か﹂と

題する講演がその専門職化に対する気運を一斉に高潮させたという史実から明白である︒フレクスナーは︑医学教育の

改革を通じて医療の近代化を進めた人物で自身が理想とする医師の描像に照らし︑ソーシャルワークは専門職に非ずと

結論した︒このとき︑フレクスナーが掲げた専門職の基準は︑第一に高度に個人的な責任を伴なう知的

操作を行うこ

と︑第二に科学や学問に裏づけをもった活動であること︑第三に実践的でかつ限定的な目的に科学や学問を応用する活

動であること︑第四に教育課程のなかで伝達が可能な技術を保有すること︑第五に専門職団体を自律的に組織する性格

があること︑第六に利他主義的な動機を鼓舞する傾向にあることの六点であった︒

フレクスナーは︑ソーシャルワークはたしかに科学や学問に立脚した活動ではあるが︑多彩な活動があって目的が無

限定かつ不明瞭であるために︑高度な個人的責任を受け持つ知的操作も︑また教育課程で教授と習得を可能にする技術

も未確立であり︑他の専門職を呼び集めたり社会的煽動に熱心であったり︑また代償を天に求めたりするのは専門職の

︵8︶名に値しないと論難した︒ここに︑ソーシャルワークの専門職化に対する願望は︑この不備や欠落を繕うことに努力を

︵9︶傾注して以降の歴史を形作ることになった︒

しかし後年には︑この専門職化の方向は歴史的にソーシャルワーク本来の職務内容の発達を阻害したという反省が起

こる︒レヴィ︵

Levy, C. S.

︶は︑ソーシャルワークは人間援助の職業として実質的な成長を期さず︑むしろフレクスナ

ーの基準を満すことに専念して﹁自分の地位を懸念するあまり︑クライエントに対する彼らの専門職としての意義を︑

十分に探求しなかった﹂とする︒またオースティン︵

Austin, D . M .

︶も︑ソーシャルワークの地位を検討するときフレ

クスナー博士の亡霊が頻繁に顔を覗かせたが︑﹁彼の亡霊を追い払い︑ソーシャルワーク専門職の特有の社会的責任か

ら生ずる重要な課題に関心を振り向ける﹂べきであるとする︒ソーシャルワークは︑社会的地位の確立と向上に偏向し

た専門職化といった根本問題を孕み︑これに伴なう幾つかの障壁に歴史的に突き当たることになった︒ 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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三ソーシャルワーク論の萌芽と争点

さて︑現代のソーシャルワークの礎を築いた双璧というべき女性が一九世紀から二〇世紀にかけて同じ時代を生き

た︒一人は︑ケースワークの母として知名なリッチモンド︵

Richmond, M. E.

︶であり︑もう一人は社会改良のチャン ピオンの異名をとったアダムズ︵

Addams, J.

︶である︒このうちソーシャルワークの専門職化に積極的な功績を残した

のはリッチモンドであり︑一方のアダムズはその専門職化にはむしろ批判的な姿勢を窺わせた︒この二人の女性の素性

と経歴は対照的な事績を綴り︑両者の摩擦と時代の趨勢がソーシャルワークの伝統を培うとともに︑その専門職化に脈

絡をつけその発展方向を塑像した︒

1M・E・リッチモンドの事績

リッチモンドは︑一八六一年イリノイ州ベルヴィルに生を受け︑三歳の時に母親を亡くしたのち育児に無関心な鍛冶

屋を生業とした父親に代わって︑中流下層の地域社会で貸間業を営む母方の祖母に養育を受けた︒一一歳の時に学校教

育を受け始めボルチモア東女子高校を一六歳の時に優秀な成績で卒業した後︑リッチモンドは教師の仕事を志望したが

縁故がないために断念せざるを得なかった︒そのために︑リッチモンドは工場勤務に始まり出版社の書記︑文具店やホ

テルの経理の仕事を転々としたが︑いずれも知的関心を満たすことはなかった︒この間にリッチモンドは︑読書を好み

孤独を癒すとともにユニタリアンの教会に交友を求めて通いはじめた︒このリッチモンドを社会福祉の世界に足を踏み

入れさせたのは︑一八八九年に偶然眼を留めたボルチモア慈善組織協会が出す会計補佐の求人広告の誘いであった︒そ

の二年後にはその総主事の地歩を固め︑一九〇〇年にはその手腕を買ったフィラデルフィア慈善組織協会が活動の立て

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米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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直しのためにリッチモンドを総主事として招き入れた︒そして︑一九〇九年にラッセルセイジ財団が慈善組織部を設け

たのを機に部長の任をリッチモンドが担うことになり︑名実ともに全国の慈善組織協会の指導者的な立場に立った︒

このリッチモンドが活躍した慈善組織協会は︑一八六九年にイギリスのロンドンで誕生したロンドン慈善組織協会が

嚆矢をなし︑後にアメリカの都市でも広まった︒その当座のねらいは︑貧困者の救済に向かう慈善活動の無秩序な施与

がもたらす濫救や漏救を防ぐところにあった︒そのために活動の内容は︑第一に諸種の慈善団体の間に立って連絡をと

ったり調整を図ったり︑第二に施与の効用をめぐって貧困者を救済に値する者と値しない者とにより分ける調査を行っ

たりした︒そして第三には︑主に中流層の女性がボランティアとして貧困者の家庭を訪ね歩き︑暮し向きを把握したり

人格的な交流を試みたりする友愛訪問活動を展開した︒この友愛訪問活動は︑﹁施与よりは友情を﹂を合言葉にし︑道

徳的な感化によって貧困者に自立生活を取り戻させることを主眼に置いた︒ここには︑慈善組織協会の活動の基調に一

九世紀の個人主義があり︑貧困の原因を個人の怠惰とする観点に立って︑貧困者が施与に依存し切ることを抑制する働

きがあった︒

2J・アダムズの事績

一方︑アダムズは一八六〇年イリノイ州セダヴィルに出生し︑三歳の時に母親を失うがクェカーの信仰をもち大企業

家で州上院議員の父親の薫化を深くうけ︑豊かで不自由のない生育環境を与えられた︒アダムズは一八八一年にロック

フォード女学院を卒業した後︑医師を志してフィラデルフィア女子医科大学に入学するが︑最愛の父親を亡くし自らも

健康を害して中途で諦めた︒生きがいを見失い身も心も疲弊し無為に過ごす日々に親友のスター︵

Starr, E. G.

︶ととも

に趣いた欧州旅行の先で視察したトインビーホールは︑アダムズの前途に光を射し込みここに社会福祉の世界が開け

た︒トインビーホールは︑一八八四年にイギリスのロンドンでバーネット夫妻が設置した世界で最初のセツルメントハ 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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ウスである︒アダムズらはこれに学び︑一八八九年にアメリカに持ち帰ってシカゴにセツルメントハウスのハルハウス を開設した︒このハルハウスは︑著名な哲学者のデューイ︵

Dewey, J.

︶を始めとする学識者も数多く参与し︑全国の

セツルメントハウスの模範となった︒アダムズは︑一九二一年に全国慈善矯正会議の女性で最初の代表者になったが︑

第一次世界大戦の頃からは平和運動や女性運動に傾倒することになり︑一九三一年にノーベル平和賞の授与という栄誉

に浴して名声を広めた︒

このアダムズが乗り出したセツルメントハウスの活動は︑貧困問題に対する社会的認識を深め︑一九世紀の個人主義

を連帯主義で刷新した社会改良を煽動した︒その活動の基盤には︑貧困者の自立生活をむやみに強いる視点とは違い社

会構造の矛盾としての貧困問題に関心を差し向ける観点があった︒その具体的な活動の内容は多岐にわたるが︑特徴と

して第一に大学卒の若者や知識人の市民などがレジデントとして下層の労働者が住む地域社会に定住し︑住民や移民の

交流を促して教育活動を進めたり︑第二には劣悪な労働条件や生活環境の改善に向けた実態調査を︑地域社会を視野に

収めて繰り広げたりした︒そして第三には︑これらを踏まえて社会的施策の整備や拡充を行政に訴えかけ実現させる社

会改良の運動を捲き起こすこともその活動を特質づけた︒一九世紀から二〇世紀に移る数十年間は︑社会全体が社会改

良の気運を高めた革新主義の時代であって︑このセツルメントハウスはその象徴というべき役割を果たした︒

3﹃社会的診断﹄︵一九一七年︶の誕生

慈善組織協会とセツルメントハウスは貧困の見方や活動の仕方の違いから互いに競合対立し︑リッチモンドとアダム

ズの間にも確執と相克が垣間見える反面︑相互影響の下に切磋琢磨する様子を覗かせた︒両陣営の関係者は︑ともかく

も同じ全国慈善矯正会議に集い︑一九〇〇年頃には友愛訪問員やレジデントを一括してソーシャルワーカーと公式に呼

称する者も登場し始めた︒ただし︑革新主義の時代の風はセツルメントハウスの活動を勢いづかせ︑一方の慈善組織協

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米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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会の活動は鳴りを潜める羽目となり︑リッチモンドにして﹁失意の時代﹂を覚えさせた︒ところが︑第一次世界大戦の

頃になると︑革新主義の時代に凪が訪いセツルメントハウスの活動が退潮し︑代わって慈善組織協会の活動に勢いを盛

り返させた︒このとき時代の前景に浮上したのは︑リッチモンドが着実に布石を置いてきた友愛訪問員の有給化や専従

化︑そして専門教育の開始を踏まえたケースワークというソーシャルワークの職業開拓であり︑専門職化の動向であっ

た︒

このソーシャルワークの職業開拓と専門職化に対して︑アダムズは拒絶的であった︒アダムズが﹁

レジデントたち

が︑近所の住民と同じ重労働と低賃金という生活をしなければ﹃貧困者とともに住む﹄という単純な衝動のみせかけの

とおり一片のものにすぎないのではないか﹂と吐露するとき︑その発想自体が生ずる由もなかった︒この自らを追い詰

める自問を心中にめぐらせ得たのも︑親の莫大な遺産を用いて活動に専心没頭することが可能な境遇にあったからかも

しれない︒反面︑リッチモンドは若い頃には必ずしも裕福とは言えない苦労を味わい︑何の躊躇いもなしに女性が社会

的に自立する決め手としてソーシャルワークの職業開拓と専門職化に邁進した︒

リッチモンドは︑一九一七年に﹃社会的診断﹄を著してその冒頭で次のように宣言した︒﹁善意だけで尊敬を集める

ことを放棄したいとするソーシャルワーカーの明確な願いを歓迎すべきである︒﹂そして︑専門職化を測る標準で仕事

の内容を評価することにソーシャルワーカーは挑戦するべきである︒ソーシャルワークは専門職ではないと論定した一

九一五年のフレクスナーの講演に反駁することが︑リッチモンドがこの書を上梓した直接の契機であった︒そこでは︑

社会的調査︱社会的診断︱社会的治療と取り運ぶケースワークの援助作法を示唆し︑社会的診断を﹁クライエントの社

会的状況とパーソナリティとを可能な限り正確に把握する試み﹂とした︒この社会的診断とは︑クライエントやその家

族の社会的困難を探って社会的証拠を収集し︑クライエントやその家族の潜在能力とともに地域社会の諸種の生活資源

を活用する社会的治療の内容と方向を見極める局面である︒ここに︑医学や法学などに学びながらもケースワークの独 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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自の視座と手法がソーシャルワークの専門職化に向けて確立した︒

またリッチモンドの第二の主著というべき﹃ソーシャル・ケース・ワークとは何か﹄︵一九二二年︶では︑ケースワ

ークを﹁人間と社会環境との間を個別に︑意識的に調整することを通してパーソナリティを発達させる諸過程からなり

立っている﹂とする定義を樹立し︑社会的治療の局面にも注目したスキルを提示した︒このスキルとは︑﹁個性と個人

的特徴への洞察﹂︑﹁心から心へ働きかける直接的活動﹂︑﹁社会環境の資源︑危険︑影響についての洞察﹂︑﹁社会環境を

通じて働きかける間接的活動﹂であり︑新しい専門的な職能を顕示するものであった︒

小松源助らは︑このリッチモンドの構築したケースワーク論を評価すべき点として︑次の四点を挙げる︒第一にケー

スワークの科学的展開を明確にしたことであり︑第二にケースワークを社会改良と相補的な関係に位置づけたことであ

り︑第三にはケースワークの共通要素の体系を編み上げたことである︒そして最後に︑クライエントの呼称を使い︑人

間と環境の間を調整する働きをケースワークに与えたことである︒これらは︑リッチモンドが期したソーシャルワーク

の専門職化の針路というべき功績であった︒

四ソーシャルワーク論の軌跡と課題

一九五七年︑グリーンウッド︵

Greenwood, E.

︶は体系的な理論の総体︑専門的権威︑コミュニティの認可︑規制的

な倫理綱領︑専門職文化といった専門職の属性に照合し︑ソーシャルワークは不完全ではあるが︑すでに専門職と呼ぶ

に相応しいとした︒しかし︑社会的地位の確立と向上に力点を置くといったソーシャルワークの専門職化の根本問題と

からみ払拭が難しい課題がその歴史にはまとわりついた︒それは︑ソーシャルワークの専門職化を嘱してリッチモンド

が指し示した針路に密接に関係する宿弊であり︑科学的作法︑社会変革の志向︑共通の実践様式︑生活モデルをめぐる

― 9 ―

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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四つの論点として立ち現れた︒

1科学的作法をめぐって

第一の論点は︑ソーシャルワークの科学的作法をめぐる問題である︒現代のソーシャルワークを生み出した慈善組織

協会やセツルメントハウスの活動が高唱したのは︑科学的慈善や科学的博愛であった︒そして︑ソーシャルワークが専

門職化の目標を公然としたとき︑その実践活動が拠って立つ科学的基盤の存否がこれを左右するという信条を一層強く

胸に刻むことになった︒リッチモンドの﹃社会的診断﹄は︑ケースワークの科学的展開を提示し︑その信奉の一端を披

瀝する最初の成果であった︒ただしそれは︑具体的な個々の実践活動でその科学的展開をとる際に︑アートの作動をも

同時に要求していた︒このアートは︑科学が実証性や合理性を誇る論理的で客観的な認識行為を追求するのに対し︑経

験や直観を頼みにした属人的で主観的な認識行為を意味する︒リッチモンド以降のソーシャルワークは︑概して専門職

化を切望してこのアートを科学に置換する努力に熱意を注いだ︒

ここには︑強烈な科学信仰を一貫させて近代社会の聖職者ともいうべき科学者の素養を医師に備えさせることを図っ

たフレクスナーの影響があった︒その理想的な医師の相貌は︑臨床と実験を行き来し科学的知識を帰納的かつ演繹的に

扱うことを修得することであり︑これこそが専門職化を念願するソーシャルワークにとって憧憬の的であった︒

ところが他面では︑科学的知識を使うソーシャルワークの展開に対する反発や疑念を呈する見解も無しとはしなかっ

た︒一九二八年にケンプトン︵

Kempton, H. P.

︶は︑リッチモンドはケースワークを科学とはせずアートとしたはずで

Bowers, S.

あるとし︑また一九四九年にはバワーズ︵︶はリッチモンド以来のケースワークの定義を分析し︑それは科

学の応用以上の営為という意味でアートであるとした︒ここには︑押しなべて科学的知識がケースワークから共感の姿

勢や創造的な展開を奪い︑冷徹な態度や機械的な展開のみをそこに残すという危惧があった︒一方︑一九六一年にベー 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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ム︵

Boehm, W . W .

︶はこの類の懸念は科学とアートを二項対立の関係に置くことから生ずる誤解であり︑双方の両立

は可能であって専門職化を目指すソーシャルワークはあくまでも科学的知識の追求と駆使を手放すべきではない旨の主

張を繰り広げた︒

しかし︑ソーシャルワークの展開に依拠する科学的知識に対して抵抗や懐疑を窺わせる所論は︑これで消え去りはし

なかった︒一九九〇年代に入っては︑ゴールドシュタイン︵

Goldstein, H.

︶がソーシャルワークはアートとして定立す

べき代物ではないかと問い掛けた︒ここには︑ソーシャルワークの科学的知識の内容や構成は実際の実践活動に有益な

形で発達を見せたとは言い難いし︑もとよりソーシャルワークが向かい合う人間の尊厳や複雑な社会の理解に対し科学

的知識は不適切かつ不十分であるという認識があった︒このゴールドシュタインの指摘は︑ソーシャルワークが社会変

革の志向を閑却し︑共通の実践様式を分断し︑医学モデルに固執するといった後述する趨向にも通底する︒

以上は︑ソーシャルワークの本質は科学か︑またはアートかという問題であり︑その専門職化を促したリッチモンド

の所論にもそのことは判然としない面があった︒リッチモンドは﹃社会的診断﹄でケースワークの科学的展開を明確に

したことに違いはないが︑アートをいかに位置づけたのかこのあたりの事情をいま一度探る必要があるだろう︒

2社会変革の志向をめぐって

第二の論点は︑ソーシャルワークの社会変革の志向をめぐる問題である︒慈善組織協会とセツルメントハウスを母胎

としたソーシャルワークは︑対人援助の志向とともに社会変革の志向を帯びて生成したはずであった︒たしかに︑リッ

チモンドの﹃社会的診断﹄は︑社会改良と相補的な関係にケースワークを位置づけ︑また社会構造の矛盾に由来する生

活環境の破綻にケースワークを焦点づけた︒ところが︑ソーシャルワークの専門職化は︑社会変革の志向を閑却し対人

援助を展開するケースワーク︑ことに心理療法に似通ったケースワークに重点を置くといった陥穽を作った︒

― 11 ―

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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実際に︑リッチモンド以降のソーシャルワークは運動から機能への変容を遂げ︑社会的な視点を欠いたケースワーク

が主流を占めはじた︒ここで運動とは︑社会問題の解決に向けて情熱や使命を携えて開拓的に社会変革に挑むソーシャ

ルワークの姿を表す概念であり︑機能とは︑社会機構が組み込む働きとして知性や技術で対人援助を持続的に担うソー

Lee, P. R.

シャルワークの姿を示す概念である︒一九二九年にリー︵︶がこのソーシャルワークの変転を読み取った頃

に席巻したのは︑社会変革に無関心な精神分析の似姿を思わせたケースワークであった︒とくに一九二九年に勃発する

経済恐慌に対応して役割が拡大する公的福祉によって浸食にあったケースワークは心理療法と見紛う方向にも流れ︑こ

のとき相応の報酬を得て行う開業実践も萌芽させた︒一方この頃︑公的福祉を受け持つケースワークは社会変革の志向

を発揚させたが︑これはマルクス主義的な社会改革を期する労働運動の一環であり︑専門職化とは一線を画していた︒

一九五〇年代に至ってもソーシャルワークは︑バーンズ︵

Burns, E . M .

︶が指摘する通り専門職化に伴い職域が限定

的となり︑ケースワークに重点を置いて社会政策に関心を寄せないのが現実であった︒そこで一九五四年には︑マイル

Miles, A. Towle,

ズ︵︶がリッチモンドに回帰してケースワークの現状を問い直すことを︑また一九六一年にはトール︵

C.

︶がケースワークを起点としたソーシャル・アクションなどでリーの概念をケースワークに

統合すること

を提起し

た︒しかし︑専門職化に執着し心理療法の装いをまとったケースワークが幅を利かすソーシャルワークの修繕は容易で

はなかった︒

ところが︑一九六〇年代の貧困の再発見は︑ソーシャルワークの専門職化に名を借りた安住を許しはしなかった︒こ

のとき︑アフリカ系アメリカ人たちは貧困問題の解決と人種差別の撤廃を訴えて自ら急進的に立ち上がり抗議行動に走

った︒そして連邦政府は︑一九六四年に公民権法を制定するとともに︑貧困戦争を布告して諸種の社会

的施策を講じ

た︒この社会変革の志向が社会全体に充満する時代は︑痛烈な批判の矛先を専門職化のみに熱心なソーシャルワーク︑

ことに心理療法に傾斜したケースワークに向けた︒一九六七年︑パールマン︵

Perlman, H. H.

︶は﹁ケースワークは死 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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んだ﹂という衝撃的な標題を掲げた論文を発表し︑ソーシャルワークの関係者に波紋を広げた︒ただし︑その内容は一

九六〇年代の社会問題に処するには社会変革の志向の強調を要するが︑しかしそこでは同時にケースワークも不可欠で

あることを主旨とした︒要するに︑パールマンはこの時代に寄与するために本来的なケースワークの意義をあらためて

確認することを︑反語的に注意を喚起し説明したのであった︒

しかし︑一九七〇年代以降には︑ケースワークに代わってクリニカル・ソーシャルワークの呼び名で心理療法に類似

した対人援助を個人開業で繰り広げる一派が台頭しはじめた︒この経過と動向を見据えて︑一九九〇年代にはスペクト

は︑対人援助の志向と社会変革の志向の伝統を持つはずのソーシャルワークが本分を忘却するその姿態に対し︑﹁不誠

実な天使﹂と自嘲的に蔑称を突きつけた︒

ここに見てきたのは︑ソーシャルワークの志向は対人援助か︑または社会変革かという論点であり︑その専門職化の

趨勢がソーシャルワークに社会的視点を軽視させるといった問題である︒その専門職化を図ったリッチモンドがケース

ワークを社会改良と相補的な関係に位置づけことを再度確認する契機がここにあるだろう︒

3共通の実践様式をめぐって

第三の論点は︑ソーシャルワークの共通の実践様式をめぐる問題である︒現代のソーシャルワークは︑慈善組織協会

やセツルメントハウスの相異なった活動から次第に一個の職業という意識を芽生えさせて︑専門職化に向かった︒リッ

チモンドの﹃社会的診断﹄も︑社会改良の一翼にケースワークを定位させると同時に︑慈善組織協会の友愛訪問活動の

ほかに医療ケースワークや司法ケースワークの発芽を視野に取り込みケースワークの共通要素の体系構築を意図し︑ソ

ーシャルワークを単一の職業と想定していた︒

しかしソーシャルワークの専門職化は︑他の職種に見る専門職化の趨勢と同様に︑実践分野ごとに専門特化を深めて

― 13 ―

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

(15)

職能団体の林立を促す傾向をもち︑これが一個の職業の分断を招来し逆に専門職化の進行に支障を来すおそれがあっ

た︒つまり︑この専門特化はソーシャルワークの専門職化の進展を意味する一方で︑アイデンティティや社会的地位を

崩壊させて職業自体の自壊を惹起する危惧があるということである︒ことにソーシャルワークは時代と社会の要請に応 !

じて実践分野を多様化させる特性を持つために︑常にこのことを見過ごしにはできなかった︒

リッチモンド以降のソーシャルワークで︑このことに危機感を強めて公式な議論の場を用意したのがミルフォード会

議であった︒家族福祉︑児童福祉︑訪問教育︑医療︑精神医療︑保護観察に関する六つの職能団体の幹部役員が一九二

三年から一九二八年まで毎年ミルフォードの地に集い︑ケースワークのジェネリックな要素とスペシフィックな要素に

ついて整理を試み話し合った︒ジェネリックとは︑各実践分野で共通のケースワークの側面を示し︑スペシフィックと

は各実践分野で特有のケースワークの側面を表す︒最終的には︑一定の合意に至ったジェネリック・ケースワークの要

素に関する報告書がまとまり︑一九二九年の公刊にこぎ着けた︒ "

しかしこれ以降も︑その専門特化は実践分野を基点とするのみならず︑グループワークやコミュニティ・オーガニゼ

ーションなどの確立がケースワークに続いて起こり実践方法ごとにも深まった︒これを背景にして︑ソーシャルワーク

の職能団体を統合しそのアイデンティティと社会的地位を確保することに一躍寄与したのは︑一九五五年の全米ソーシ

ャルワーカー協会の設立であった︒これは︑医療ソーシャルワーカー協会︵一九一八年結成︶︑学校ソーシャルワーカ

ー協会︵一九一九年結成︶︑アメリカ・ソーシャルワーカー協会︵一九二一年結成︶︑アメリカ精神医学ソーシャルワー

カー協会︵一九四六年結成︶︑アメリカ・グループワーカー協会︵一九四六年結成︶︑コミュニティ・オーガニゼーショ

ン研究会︵一九四六年結成︶︑ソーシャルワーク・リサーチ研究会︵一九四九年結成︶という既成の五つの専門職団体

と二つの研究会が団結したものである︒

この全米ソーシャルワーカー協会は︑結成直後からすべての実践分野に共通し既存の実践方法を再編するソーシャル 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

― 14 ―

(16)

ワークの実践様式の開発に取り組みはじめた︒これは︑ケースワークを始めとする旧来のソーシャルワークの布陣が一

九六〇年代の社会問題の噴出に対しては限界を露呈したことで︑一層の拍車がかかった︒そして︑この取り組みが漸く

結実したのは︑一九七〇年のバートレットによる﹃ソーシャルワーク実践の共通基盤﹄という記念碑的な著作において #

であった︒このソーシャルワークの共通基盤は︑ソーシャルワークの焦点を社会生活機能という概念に統一し︑従来の

実践方法が分け持っていた価値や知識を統合する枠組を提示して︑ジェネラリスト実践の基礎を築いた︒

このジェネラリスト実践は︑すべてのソーシャルワーカーが同一の視座から問題状況を捉えた上で︑適切な対処方法 $

を選択的かつ計画的に使い︑広く社会的状況を改善するソーシャルワーク独自の活動内容を包括的に描出することを可

能にする︒実践分野や実践方法ごとに精通したスペシャリストとは異なり︑単一の理論内容や特有の理論構成を欠くと

いった問題を残しながらもソーシャルワークのジェネリックな実践様式が︑ここに出来した︒

ここに見てきたのは︑ソーシャルワークのジェネリックとスペシフィックに関する論点であり︑その専門職化の趨勢

がソーシャルワークのジェネリックな要素を等閑に付すといった問題である︒その専門職化を願ったリッチモンドがケ

ースワークの共通要素の体系を編み上げた意味を再度確認する理由がここにあるだろう︒

4生活モデルをめぐって

第四の論点は︑ソーシャルワークの生活モデルをめぐる問題である︒ソーシャルワークの専門職化は︑その実践視座

や概念枠組を医学モデルの考え方で設定する傾向を生み出した︒それは︑医学に立脚した疾病の診断と治療という医師

の診療作法を擬制したソーシャルワークの展開を歴史的に根強く支持した︒そこでは︑原因と結果の一方向的な関連性

で物事の生起を理解する科学主義に立ち︑社会環境を度外視しクライエントを客体視した上でその欠陥部分に着眼する

実践活動を導くところに特徴があった︒

― 15 ―

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

(17)

たしかに︑リッチモンドの﹃社会的診断﹄にもその標題それ自体が示す通り︑この医学モデルの影響があった︒ただ

しそこでは︑クライエントという呼称をソーシャルワークに持ち込みその主体性を強調する含意があったし︑また人間 %

個人と社会環境との間を調整するところにケースワークの焦点をおいた︒しかし︑リッチモンド以降のソーシャルワー

クは︑本来的な実践視座や概念枠組を希求しながらもこの医学モデルの影響を拭い去ることは容易なことではなかっ

た︒

ところが︑一九七〇年代頃から医学モデルを脱却し人間の生命・生活・人生の全体的な把捉をはかる生活モデルの体

Germain, C. B. Gitterman, A .

系を構築するジャーメイン︵︶とギッターマン︵︶の試みが登場した︒その時代背景には︑ &

人間の益を願ったはずの科学技術の発達が地球環境の破壊に繋がり︑かえって人間に害をもたらすといった認識が高揚

し︑従来の科学主義に取って代わる視座や枠組への接近があった︒生活モデルは︑生物と環境の関係性を探る生態学の '

考え方を下地にし︑ソーシャルワークに相応しいとする実践視座と理論枠組を供する新しい提起であった︒これは︑原

因と結果は円環的な関連性があるとし︑同時一体に影響を与え合う交互作用として物事の生起を理解する︒

したがっ

て︑人間個人と社会環境の関係性に着目しその接触面に働きかけ︑クライエントの主体性や問題状況の健全な部分を尊

重して問題解決にいかすことをソーシャルワークに指し示した︒そして︑診断から治療へという段階的な援助作法に代

わって︑アセスメントとインターベンションをクライエントと協働して循環的に展開するソーシャルワークの局面構成

を引き出した︒また︑ボランティアなどのインフォーマル・サービスの効用を強調する社会的支援ネットワークや︑ク

ライエントを無力化する不均衡な権力関係をただすエンパワメントといった同じく一九七〇年代以降に発した視点や手

法と生活モデルは親和性をもち包括的でもあった︒ (

なお︑この生活モデルの基調となった生態学の考え方は︑すでにソーシャルワークが摂取していたシステム論と結合

し︑エコ・システムズ・パースペクティブの名称をもってジェネラリスト実践の具備する独自固有の実践視座として︑ 米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

― 16 ―

(18)

またその理論体系を組み上げる概念枠組として広く認知されるに至った︒システム論は︑一九五〇年代に理論生物学者 のベルタランフィ︵

Bertalanffy, L . von

︶が提唱した理論で︑いかなる事象も全体と部分とから成るシステムと見なし︑

そのシステム間の関係に恒常的な安定と連鎖的な変化を読み取り︑生態学の考え方とも馴染み合った︒しかし︑この実 )

践視座と概念枠組がソーシャルワークにとって本当に実効性や有用性があるのか︑疑問も湧き出した︒一九九〇年代に

入って︑ソーシャルワークの目的を一層明確にして諸種の特定理論を適宜に駆使することで事足り︑エコ・システムズ

Wakefield, J. C .

・パースペクティブなど無用であるとし︑ウェイクフィールド︵︶は徹底抗戦に出た︒ *

以上は︑ソーシャルワークの専門職化の趨勢が医学モデルを重視させる傾向を生むことに対し︑その独自固有の実践

視座や概念枠組を生活モデルとして組み直す必要はないのかという問題である︒その専門職化を望んだリッチモンドの

所論は︑クライエントの呼称を使い人間と環境の間を調整する働きをケースワークに与え︑必ずしも医学モデルに立脚

したとは言い切れない面があり︑このあたりをいま一度問い直す必要もあるだろう︒

五おわりに

アメリカのソーシャルワークが女性運動の一環に発しながら現実に採った専門職化の路線は︑その本来的職務の忠実

な遂行よりも社会的地位の確立と向上に偏重するといった根本問題を生じさせた︒そしてその路線は︑セツルメントハ

ウスの活動を深めたアダムズの指向を顧みることなく︑慈善組織協会の活動を率いたリッチモンドのケースワーク論の

構築を促す方向に働いた︒さらにそのケースワーク論の特徴をめぐって︑専門職化の路線は第一に科学的作

法に拘泥

し︑第二に社会変革の志向を閑却し︑第三に共通の実践様式を分断し︑第四に医学モデルに固執するといった問題を今

日に到るソーシャルワークの歴史に付きまとわせた︒

― 17 ―

米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

(19)

ただしこの問題は︑リッチモンドがケースワーク論に寄せて指し示した専門職化の針路をその後のソーシャルワーク

が受け止めて着実な歩みを進めてはこなかった面が否めず︑ここにいま一度それを一層深く探究する視点と意味とがあ

るはずである︒

なお︑本稿では一九九〇年代以降に風靡するポストモダニズムの論調を受けたソーシャルワークについて措くことに

した︒それが︑ソーシャルワークの専門職化と史的論点に対し︑いかなる所見を有するか他日を期したい︒

注︵1︶Barker,R.L.,TheSocialWorkDictionary3rdEdition,NASW,1995,pp.357−358.︵2︶Popple,P.R.,SocialWorkProfession:History,inEncyclopediaofSocialWork,19Vol.,NASW,1995,pp.2283−2284.︵3︶吉田久一・岡田英己子﹃社会福祉思想入門﹄勁草書房︑二〇〇〇年︑六ページ︒

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米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

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米国ソーシャルワークの専門職化と史的論点

参照

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