マ レー半 島 にお け るジ ャクンの親族 名称
前 田 成
文
A Jaktln Kinship Terminology
by
Narifumi MAEDA
1 調 査 の オ リエ ンテ ー シ ョン 社会 人類 学 で は,親族 組 織 の問題 が ,古 くか ら研 究 の 中心 的 な課題 で あ り,理 論 的 に も最 も 発 展 した と考 え られ て い るが, それ で も種 々の未解 決 の問題 が残 って い る。 最 近 の親族 組織 研 究 の傾 向 と して は,(1)従 来 な お ざ りに され て い た非 単 系血 縁 組織 の研 究 か ら,新 しい展望 を親 族 組織 研 究 に取 り入 れ よ うとす る傾 向,(2)構 造言 語 学 な どの影 響 を受 けて ,親 族 名称 とい う体 系 に論理 的完 結性 を求 め よ うとす る行 き方, (3)計 算 機 を使 って,統 計 的処理 に よ るモデ ル を設 定 しよ うとす る傾 向 , (4)親 族 組織 の意 味 と目的 , な い しは機 能 を, 現 実 の体 系 と して で はな く,諸 規 則 か らな るモ デル と して捕 え よ うとす る行 き方 , な どが注 目 され る。 本論 1'は,主 に親 族 名称 の 内的 な一 貫性 を 中心 と した記述 で あ るが,筆 者 の意 図す る と ころ は, 親 族 組織 を,婚 姻規 制 ,姻族 間 の近親性 ,親 族 名称 の三 つ の側面 か ら, 全体 と して把 握す る ことで あ る。 本 論 文 の デ ー タ は, いわ ゆ る原 マ レー人 と称 せ られ る,マ レー半 島南 部 に居 住 す る ジ ャ ク ン2) の コ ミュニ テ ィの現 地 調 査3)に基 づ くもの で あ る。 彼 らの社会 が,母 系制 で も,父 系制 で もな い ことは,従 来 の乏 しい資 料 か らで も明 らか で あ った。 しか し, それ で は,彼 らの双 系 制 の構 造 はい か な る もの か, とい う ことは不 明 で あ ったので ,本 論 で は, そ の点 を 明 らか にす る。 1) これは,1966年10月27日の,東南アジア研究センター研究例会において報告 したものを敷街 したもの である。例会において,岩村忍,姫岡勤,泉井久之助,William Newell諸教授か ら御教示を得たこ とを感謝する。 2) このジャクンという語は,マ レー語 として蔑称的な響を有 し,できれば避けたいが, この人種 グルー プを総称する適当なことばがないので,民族学 ・人類学文献で広 く使われる語 として, ジャクンを便宜 的に採用する。なお,マラッカのある原住民をジャクンと称することもあるが,本論文でのジャクンと いうのは,そのような特定の小 グループを指す ものではないことを附言 してお く。 3) 筆者の現地調査は,東南アジア研究センターのマ レーシア ・イン ドネシア地域研究計画の一環 として, 行なわれたものである。調査期間の1965年8月より1966年4月まで,ジ ョホール州エンダウ川流域の部 落に定着 して,同上計画のクダー(Kedah)州 アロール ・ジャングス(AlorJanggus)の調査 とも比較 しなが ら,社会構造の研究が行なわれた。調査地の選定,調査の経過などについては,拙稿 「マラヤの
Aborigines」『東南アジア研究』第3巻第2号(1965),124-128頁,および
,
「エンダウ川流域の Orang Hu111(Jakun)の家族覚え書」上掲誌第3巻第5号(1966),156-160頁参照。ジ ャ ク ンの 社会 を概 観 す る と,通 例 , イ ス ラー ムを受 容 せ ず ,比 較 的奥 地 に居 住 して ,主 と して焼 畑耕 作 に従 事 して い る こ とが特 色 で あ る。 もち ろん ,海 岸 部 を 占拠 す るマ レ-人 ム ス リ ム との接 触 の頻 繁 な場 合 に は ,一 概 に,非 ム ス リム とい う こ と と,焼 畑 耕 作民 で あ る とい う尺 度 に よ って , ジ ャ ク ンを マ レー人 ム ス リムか ら区別 で きな い こ と も起 りう る。 そ の上 ,他 の 原 住 民 , な か ん ず く, ジ ャ ク ンの居 住地 域 のす ぐ北 方 に住 むSenoi系 の 人種 との 混血 もあ って , 周 辺 部 の グル -プ は, そ の 人種 的帰 属 が不 明確 な場 合 が多 い。 ま た, ス ラ ンゴール (Selangor) 州 の南 西 海 岸 部 に住 む Mah Meriと称 され るグル ープ の よ うに,言 語 的 に は, Senoi系 に近 いが ,社 会 組織 ・生 活様 式 な どは ジ ャ ク ンと変 わ らな い , とい った例 もあ るo ジ ャ ク ンの分 布 は,主 に, パ - ン(Pahang)州 南部 , ス ラ ンゴー ル, ヌ ブ リ ・ス ン ピ ラ ン(NegeriSembilan), マ ラ ッカ (Melaka), ジ ョホ - ル (Johor)各 州 の奥 地 に わ た って い る (Fig.1参 照 )0
Fig.1 DistributionoftheAboriglneS
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号 筆 者 の調 査 した地 域 は, ジ ョホール 州 とパ- ン州 との州境 の一 部 をなす , エ ンダ ウ(Endau.) 川流域 の, ジ ャク ン ・コ ミュニテ ィで あ る。Jakun Proper と も言 われ るグル ープ に属す るが, 体質 を外 か ら見 ただけで も,Senoi系の血 が混 じって い る ことが明 らか な個体 が多 い。 また, 中国人, マ レー人 との 混血 もか な りあ るよ うで あ る。 しか しなが ら,総体 的 に外見 だ けで は, 普 通 の マ レー人 と識別 され ない。 彼 らの ことば も, マ レー人 に対 して, どの程 度 の接触交渉 を持 って い るか によ って異 な るが, ほぼ,マ レー語 の方言 といえ る もの を話 す 。 ただ, ア クセ ン トや イ ン トネ ー シ ョンが標準 マ レ ー語 あ るいは ジ ョホ ール ・マ レー語 に比 べて,奇 妙で あ り,比 較 的 ア ラビア語 系の影 響 を受 け ず, またサ ンスク リッ トの抽象語 も身 につ けず ,古層 の言 語 を残 して い るよ うで あ る。彼 らの ことば に慣 れ ないマ レー人 が,彼 らの話 す の を聞 いて も, さ っぱ りわか らない ことが多 い。4) 逆 に,彼 らは ,標準 マ レ-語 を 自由 に話 し,聞 き,かつ,方言 の違 う他 の ジャク ンの グル ープ との共 通語 と して も用 い るO彼 らが標準 マ レ-語 を使 え るよ うにな ったの は,最近 の こと と言 われ, ラジオの普 及 が その一 因を な して い る ことは否 めない。 2 エ ンダ ウ川 とオ ラン ・フルの部 落 エ ソダ ウ川流域 の ジャク ンほ, 自分 達 を指す の に, オ ラ ン ・フル (Orang Hul°) と言 い, 他 に特別 な名称 を持 って い るわけで は ない 。6) オ ラ ンとい うの は 「人」, フル とい うの は 「川 の上 流の
」
「奥地 の」
「源 の」 とか い う意 味 で あ る。 この ことばは, エ ンダ ウ川上 流 域 の住民 の み に限 定せ ず , い わゆ る奥地 に住 む原住民 を漠 然 と指 す こと もあ る。以下 ,本論 文 で は, オ ラ ン ・フル と言 った場 合 は, エ ンダ ウ ・ジャク ンを中心 と して,周辺 域 の ジ ャク ンを も含 めた 名称 と して,使 用す る。 エ ンダ ウ川は, ジ ョホールの 中央 山塊 に源 を発 して, ゆ るや か に蛇行 しなが ら,下 流 部 で は, パ - ン ・ロ ンピ ン ・エ ンダ ウ (Pabang-Rompin-Endau) デル タ地 域の一 部 を形 成す る。下 流 域 には低 湿地帯 が多 く,雨 期 には,洪 水 にな る こと も多 い。下 流 か ら上流 に向 って,景 観 は, 紅樹林 ・湿地 森林 ,淡 水 ・湿地 森林 ,低地 デ ブテ ロカルプ ル森林 , と変 化 して い く。 その合 間 に,焼 畑の あ とを示 す , ララ ン(1alang,ImPerata cylindrica)磨,二 次森林 (ブル カール, belukar)が点 々 と存在 して い る。森林資 源 と して は,木材 の外 に,膝 , ダマ ール, ジュル トン4) マ レー人の間でも, 方言の差異が 大きいので, しばしば 意思の疎通を 欠 く場合がある.
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.
C.C. Brown,StudiesinCountryM'alay.London:Luzac&Comp.,1956.5) 以下の文献に,エンダウ ・ジャクンが,オラン・フルあるいはオラン ・ウルと称せ られている記事が ある.J.R.Logan,"TheOrangBinua of Johore,"Jour.of the Indian Archipelago and EasternAsia,Vol.1(1847),p.246;H.W .Lake& H.J.Kelsall,"A JourneyontheSe m-brongRiverfrom KualaIndautoBatu Pahat,"Jour.oftheStraitsBranch,RoyalAsiatic Society,No.26(1894),p.13;A.D.Machado,=A VocabularyoftheJakunsofBatuPahat, Johore,"Jour.oftheStraitsBranch,RoyatAsiaticSociety,No.38(1902),p.30.
Fig.2 PlanoftheEndau River (jelutong
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な どが あ る. 食 用 可 能 な動 植 物 も種 類 は豊 富 で あ るよ うで あ る. た だ し,採 集経 済 - の依 存 度 は,現 在 で は極 めて低 い。 焼 畑栽 培 は ,彼 らの伝 統 的 な栽 培 法 で あ る。焼 畑 には ,米 , キ ャ ッサ バ , と う もろ こ し,莱 を主 と して 植 え る。 その他 , さ と う きび,甘 薯 , バ ナ ナ な どを栽 培 し, ドリア ン, ジ ャ ック ・ フル ー ツな どの果 樹 も作 る。 この焼 畑 を行 な うた め に, 大体 5- 6年 を サ イ クル と して,土 地 を替 え る。 しか し,彼 らの経 済 生 活 は ,西 洋 人 が初 めて ,彼 らの生 活 を観 察 した19世 紀 前 半 には, す で に, 自給 自足 の生 活 で は な か った。 す な わ ち, 当時 ,行 商 す るマ レー人 か ら, 衣 類 , 陶磁器 (皿 ,水 入 れ),鉄 器 具 (山刀 ,斧 ,檎 ,鍋),砂糖 , コ コ榔子 , 時 には米 , 煙草 , ガ ンビール (横 榔 膏 ), ビ ンロ ウ (横 榔 子 ),石 灰 (後 3者 は , キ ンマ の葉 と共 に噛ん で , 晴好 品 とす る) な どを得 て い る. これ らの代 わ りに, マ レー人 の注 文 に応 じて ,藤 , くす の き, ぴ ゃ くだん , 種 々の樹 脂 , ろ う, グ ッタペ ル カな どを ジ ャ ングル か ら集 めて , マ レー商 人 に 引 き渡 す。6) 現 在 で も, この よ うな交 易 に よ って , オ ラ ン ・フル の 生 活 は支 え られ て い る。変 化 した点 と い え ば,(1)マ レー人 が後 退 して , 中国 人 の材 木 業者 ,藤 業 者 , 鉱 山業者 が彼 らの 生 活 を支 配 す 6)J.R.Logan,oP cit.,p.262.東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号 るよ うに な った こ と,(2)物 々交 換 の形 は無 くな り, 形 式 上 , 貨 幣 を媒体 と して, 交 易 が行 な わ れ るよ うに な った こ と, (3)生 活 必 需 品 を購 買 品 に よ って賄 う こ とが益 々多 くな った こ と, な ど が あげ られ る。 現 在 , オ ラ ン ・フル が主 と して依 存 す る現 金 収 入 の 道 は ,篠 伐 採 に よ る もの が , 最 も手 軽 で普 遍 的 に行 なわ れ て い る 。この 現 金 収 入 の量 は,膝 伐 採 に従 事 す る労 働 時 間 の 多少 に よ って , 各 個 人 差 と同 時 に,部 落 差 が見 られ る。 しか し, 全 体 と して見 れ ば,膝 伐 採 に よ る収 入 は , これ 以 上 増 加 す る こ とは な い限 度 まで きて お りなが ら, それ だ けの収 入 で は , 到 底 最 低 生 活 を維 持 で きず ,伝 統 的 な生 活 様 式 で あ る焼 畑栽 培 をせ ね ば な らぬ状 態 に余 儀 な く置 か れ て
Table1 HouseholdsandPopulationbyHamlet1965/66
Nameof hamlet Petal Punanl TanJOngTuanl Jorakl Mentelonga.2 Mentelongb.2 Denai2 Labong3 Total
Per
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ver 12y
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F Personsunder r L2_牡 ∃ T。tal iTotaLP9nP,unl^ation M 【 F 5 1 3 8 9 8 2 5 8 5 6 2 5 7 7 5 ・92 巨 76 日 49 i 174 t 691 7 0 9 1 nU 5 8 5 1 一 281 Sources:1. MyInterview (April,1966)・(Ineach parenthesisisanumberofunmarried persons.)
2. Datasuppliedfrom theAdministrativeStationofMentelong (June,1965). 3. Datasuppliedfrom theHelperinEndau (March,1965).
4. Datasuppliedfrom theDepartmentofAborigines,Johor(1962).
い る と言 え る。 これ は , む しろ簾 業者 の巧 み な労 働 力統 制 に よ る も の で あ る と言 う方 が適 当で あ るか も知 れ な い が ,本 論 文 で は, この こ とに 関 して これ 以 上 触 れ な い。 オ ラ ン ・フル の 部 落 は, ジ ャ ン グル を切 り開 い た 川沿 いの土 地 に , 家 を建 て , その ぐる りに, 畑 , さ らに焼 畑 地 を 作 って い る.- 部 落 の 人 口は,50人 か ら150人 位 の範 岡 で あ る (Tablel参 照 )。 調 査 の 写真1 ジ ョラッ部落の一部
拠 点 と して選 ん だ ジ ョラ ッ
(
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部 落 は, 人 口1
2
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人,33
家 族(
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8
軒 の家 に住 ん で お り, ジ ョラ ッ部 落 よ り上 流 で は最 大 の部 落 で あ る。筆 者 が イ ンタ ビ ューを行 な った上 流4部 落 の 人 口構 成 は,人 口絶対 ピ ラ ミッ ドに見 られ るよ うに,母 体数 が少 ない割 には, か な り均斉 の とれ た ピ ラ ミッ ドと言 え る(
Fi
g3
参照 )。 ジ ョラ ッよ り 下 流 域 には , パ - ン 州 側 の ム ン トゥロ ン(
Me
nt
e
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) 川に沿 って,2
8
家族1
3
9
人 , ドゥナ イ(
De
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)
に1
3
家族7
2
人 , ラボ ン(
Labo
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に3
2
家族1
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5
人 が住 ん で い る(
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参 照 )0 AG亡FtRI(D l ■ 旧 I l 50 201
0
0 0 10 20 Fig.3 Agea
nd SexPyramid
ofFourHamlets , 19
66 5Ll 各 部 落 で は, バ テ ィ ン(
bat
i
n)
と呼 ばれ る統 率者 が一 人選 ばれ て , 彼 が村 人 問 の紛 争 の決 裁 ,諸行 事 の 日取 り決 定 と遂行 ,外 部社 会 に対 す る窓 口な どの役 割 を果 して い る。逸 脱行 為者 に対 す る制裁 は ,慣 習法 に よ って, 罰金 の額 を言 い わ たす だ けで あ る。従 って,実 際 には, バ テ ィ ンの説 得 力 と,部落 民 の多数 の支 持 とが無 けれ ば, バ テ ィ ンの役 目を遂行 で きな い。部落 の構 成 員 が少数 な の も,生態 学 的 な条件 の ほ か に, この よ うなル ーズ な統 制 関係 に よ って構 成 員数 が限定 され て い るか らには か な らない。 そ して,諸 部落 の 中で も,
「か け ひ き」 に巧 みで, 「機 智 」 に富ん だ バ テ ィ ンの下 には,比 較 的 多 くの人 が集 ま り,影 響 力 の弱 い と見 られ たバ テ ィ ンの下 には,人 々が集 ま って こな い。 部落 問 を結 びつ け る連 合 組織 とい う ものは ,存 在 して い な い。 彼 らの社 会 で は,部落 が最小 の統 治単 位(
mi
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malgo
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nme
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)
で あ り, 同時 に, それ 以上 の大 き さの土 着 の統 治組織 も 有 して い な い。部落 内部 の構 成 員 は,普 通 , バ テ ィ ンを中 心 とす る親 戚 関係 に よ って ,多 かれ 少 なか れ 結 びつ け られ て い る。 しか し, この ことは, 彼 らの部落 が排他 的で ,親戚 で な い もの は ,受 けつ け な い とい うので は決 して な く,非 常 に開放 的 で さえ あ る。 た とえ ば,中国 人 が オ ラ ン ・フル の社 会 に入 って い くと,彼 は オ ラ ン ・フル との結 婚 に よ って ,他 の オ ラ ン ・フル と ま った く同一 視 され るよ うに な る。 一 つ の部 落 が バ テ ィ ンの統 率 の もとに良 くま とま って い るのは,部 落 が親 類縁者 か ら構 成 さ れ て い るか らだ とす るのは,誤 ま りで あ ろ う。 む しろ,個 人 が独 立 生 活 を営 め ば,死 - と追 い東 南 ア ジ ア 研 究 第 4巻 第 5号 や られ る しか な い生 活 条 件 の 中 で ,一 つ の集 団 と して行 動 しな けれ ば な らな い とい う,経 済 的 ・社 会 的 ・環 境 的 な要 求 が, 人 々を して結 束 させ るの で あ って ,親 族 組織 は そ の よ うな結 合 を 保 持 す るた め の一 つ の考 案 物 で あ り, 人 間 の結 合 を親 族 関係 に よ って ,強 化 させ て い るに過 ぎ な い。 従 って , これ を逆 に見 れ ば ,親 族 組 織 に あ らわ れ た 関係 を通 して , この社 会 を よ り良 く 理 解 す る こ とが で き る と も言 え る。
3
親 族 名 称 親 族 組織 の考 察 を行 な うには , 現 地 に お い て, まず 系 譜 関係 を で き るだ け集 め, そ の系 譜 に 基 づ い て ,種 々の つ なが りを想 定 す る。 そ の つ なが りが , どの よ うな 「こ とば」 で表 現 され , どの よ うな性 質 の 「関係 」 な ので あ ろ うか を で き うる限 り 広 範 囲 の人 々か ら確 か め て , 一 定 の パ ター ンを導 き出す 。 これ が第 1段 階 で あ る。 と ころが実 際 に オ ラ ン ・フル の 系 譜 作 りに あ た って , い わ ゆ る樹枝 型 の系 譜 を想 像 して い た筆 者 に は ,非 常 に困難 な こ とが わ か った。 とい うの は ,4部 落 の全世 帯 に対 して , た ど られ るだ け の親 戚 (主 に尊属) の名 前 を 聞 き出 して い った時 , まず 曽祖 父 母 の名 前 を知 って い る もの は皆 無 ,祖 父 母 の名前 を挙 げ た の も ど くわず か で 7), 父 母 の名 前 を言 わ な い者 もい る とい う有 様 で あ る。 同 時 に, 彼 らが テ ク ノニ ミーを 習 慣 と して い る ことや , 個 人 名 (と くに 尊属 の名) を直 接 呼 ぶ こ とを忌 避 しよ う とす る傾 向 が , こ の名 前 の記憶 の あや ふ や さを 助長 して い る。 彼 らが ,親 族 と して , は っき り系 譜 上 の関係 を思 い 出せ るの は ,普 通50人 内外 で あ り, そ れ 以 上 は漠 然 と した (本 人 には わ か らな い が , とに か く,親 類 で あ る とい った) 間 柄 の もの に な る。 本 当 の双 系 制 原 理(bilateralism)が , 系 統 関係 (descent)で は な くて , 親 子 関係 (miation)を 基 調 とす る もので あ る とい うの は , オ ラ ン ・ フル の社 会 で も正 しい。8) しか し同 時 に, オ ラ ン ・フル の親 族 関係 の次元 が ,遡 行 的 で あ るよ り も,前 進 的 な関係 ,共 時 的 な 関係 に重 点 が 置 か れ て い る こ とに注 目す べ きで あ る。9) これ は , 親 族 名 称 にお け る融合 の法 則ヽ (merging rule), 即 ち,兄 弟 間 ,姉 妹 間 の社 会 的 同等 の原 則10' が表 面 に押 し出 され て い る こ と と, 後 に述 べ るテ ク ノニ ミ- の慣行 等 に よ って 明 らかで あ る と い え る。 7) 祖父母 にあたる親族名称が,先祖一般を指すのにも使われ ることも,彼 らの記憶 している系譜の世代 が浅いことを示す。8) Cf.LeopoldPospisil,"Law andSocietalStructure among the Nunamiut Eskimo,"In W .H.Goodenough (ed.),ExplorationsinCulturalAnthro♪ology,New York:McGraw-Hill Comp.,1964,p.399.
9) 家の名前を継いだ り,父の名前を受け継いで 自己の名前の一部 に繰 りこむのは,現在にいて過去をみ るという点で遡行的といえる。 これに対 し,子供の名前を もって 自分の名前の一部 とするのほ,現在か ら 未来- という点で前進的といえる。遡行的 ・前進的関係は,通時的な見方を基調 とす るが, これに対 し 現在の時点のみを問題 とする共時的な関係がある。親族組織では,同世代問の関係においてあ らわれ る。
10) Floyd G. Lounsbury,"TheFormalAnalysisofCrow-andOmaha-Type Kinship Te r-minologies,"InW .H.Goodenough (ed.),ibid・,p.357・
Table2 ListofKinshipTerms 1. anak 2. bapa (pak) 3. emak (mak) 4. wahorbapasaudara 5. amoioremaksaudara 6. n6nek (n6k) 7. chuchu (chu) 8. monyeng 9. ch6ch6t(chit) 10. bah ll. adek
12. ad6k-berad6korsaudara 13. anak-buah 14. mentuha 15. menantu 16. 1par 17. bisan 18. biras 19. 1aki 20. bini 21. madu 22. tiri 23. pupu c f m e L E . 甲 cc 毎 ㌘ Generation -1 yS S S_C M至 ⊆M MS/SM CMP MSM h \V Co-wife Steprelationship
Consanguinealcollateral degreeofrelationship 1 1 l 1 2 2 3 3
0
0
0
1 1 10
00
0
0 十 + 十 十 + 一 + 一 一 + 一C:child,P:parent,S:sibling,W :spouse,f:father,m:mother,
b:brother,S:sister,h:husband,W:wife,y:younger,e:elder,
/:and,or,Underlined:unboundedhorizontalextensiontoallofego'Scollateral consanguinealsofthesamegeneration(&sex)indicated
系譜 関 係 に あ らわれ る 「つ な が り」 を表 現 す るオ ラ ン ・フル の 「ことば」 を表 に した の が, 祝族 名称 の表 で あ る。 これ は,主 と して ジ ョラ ッにお い て採 集 され た もので あ る。話 し手 の性 別 ・地 位 に よ る 「こ とば 」 の相 違 が な い ので ,話 し手 (Ego)は誰 で もよい。11)
ll) 以下,親族名称のなかで,呼び掛けに用い られ る名称 と,指 し示す場合に用い られ る名称 とを区別 し て,前者を呼称,後者を示称 とする。
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号 1. 尊属親 と同世代親 生 まれ て か ら結婚す るまで は,生 まれ た核 家族 (Family ofOrientation) の中 に とどま り,姻戚 関係 は生 じない。 さ しあた り 「自己」 よ り上 の世 代 の親 族 の名称 法 を考 察 し よ う。 父母 の呼 び方 は,別 に変 わ った ことは ないが, フ ォーマ ル な席 上 で , よ く ibuとい う語 が発せ られ る。標準 マ レ-語 で は 「母 」 を指 すレ-語 で あ るが,文脈 か ら考 えて,両 親 を 意 味 してい る場合 が多 い。 エ ソダ ウの町 に近 い ラボ ン部落 で は,父 も母 も同 じ語 wah と呼 ばれ,特 に性 別 の必要 な 時 には,男 と女 とを意 味す るjantan と betinaを各 々 wall の後 につ け る (wan jantan:父 wah betina:母)。 呼称
と示 称 とは同 じで あ る。 父 母 の世 代 の親 族 は,性 別 によ って名称 が異 な るのみで , 写真2 NenekPakMangkok 他 のマ レー人 の よ うに,父母 との相対年 令 によ って識別 す る ことは ない。12'また,父方 と母方 との親 族 は,名称 の面 のみ な らず ,行 動 において も, ま った く区別 され ない。従 って, オ ジ名 称 は 「直 系型 」 といえ る。 ラボ ン部落 で は,他 の部落 で オ ジ名称 で あ る wah を両 親 に対 して 使 って い るので , オ ジ名称 と して,mamak を使 って い る。 オバ名称 は他 の部落 と 同 じ 名 称 (amoi)で あ る。13' この ラボ ンで の親 族 名称 の違 いは, 父 ,母 , オ ジ名称 だ けなので あ るが, 今 後 さ らにデ ー タを補 いた い と考 えて い る。 他 の世代 に言 及す る ときに明 らか にな るが,性 別 に よ って,世 代 を二分 す るの は, この両 親 の世代 だけで あ り,他 の世 代 で は,男女 の区別 が問題 に され ない。 オ ジ, オバ名称 の一般 的 な もので あ る wah と amoiとの外 に,bapasaudara(オ ジ),emak saudara(オバ)(saudara は 「き ょうだい」)も,時 々用 い られ る。14)しか し, クダ ー(Kedab), ベ ラッ (Perak)な どで 用 い られ る penakan とい う語 は ま った く使 われ ない。 祖父母 の世 代 にな る と,男女 の別 も,直 系 と傍 系 とに よ る区別 もな くな り,す べて の親族 が, 12) 形容詞をつけて,たとえば
,
「若い父」Pa'Oda として,父の弟を指すこともある。 13) ドゥナイ部落のバティンは,2人の妻をもっている。彼と第 1の妻は, ラボンの出身で,第2の妻は, ムン トゥロン出身である。第1妻の子供は,その両親を wah,オジを mamakと呼ぶ。第 2妻の子供は, その両親を pak,emakと各々呼び,オジを wah と呼ぶ。各々の子供は,父の他の妻を amoi(オバ) と呼ぶ。14) 標準マ レー語の感覚からすると
,
「父のきょうだい」なのであるか ら,saudarabapaとする方が合理 的なように思われるが,実際にsaudarabapa とは言われない。 オラン ・フルの使うマ レー語は, し ばしば 「名詞+修飾語」を 「修飾語 +名詞」として使う。例えば,kainborok (orburok)というの を,borokkain と言う。マ レー人が, これは間違いだか ら,kainborok と言うのだと子供に教えてnenek と称 され る。15) この語 は ,同時 に,年 少者 が , か け離 れ た年 令 の もので , しか も部 落で 権 威 の あ る者 を呼 ぶ の に,親 族 関係 に こだ わ らず に,用 い られ る こ と もあ る。 曽祖父 母 の世 代 の親 族 は,す べ て monyeng と呼 ばれ る。 祖父 母 , 曽祖父 母 名称 は,両 方 と もに,漠然 と祖先 を指 す の に も用 い られ る。 曽祖父 母 よ り上 の世 代 の 尊属親 に対 す る親 族 名称 は ほ とん ど言 及 さ れ ない。 き ょ うだ い名 称 は,一 般 の マ レー人 が,兄 と姉 との 区別 (abang/kakak)16'をす るの に対 し, bah とい う彼 ら特有 の語 で ,兄 姉 を指 す O 弟妹 は , マ レー人 と同 じ く, adek とい う一 語 です ま して しま うo マ レー人 の問で は,兄 一妹 (abang-adek) 名称 を, 夫 婦 の問で お互 いを呼ぶ 時 に用 い る ことが あ るが, オ ラ ン ・フル で は, この よ うな ことは な く,個 人 名 を呼 び捨 て にす るだ けで あ る。配 偶者 の示 称 は,夫 を laki,妻 を biniとす る。 き ょうだい 呼称 (bah/adek)
は,広 く傍 系 同世 代 親 に まで拡 張 して用 い られ るが, 尊属親 と違 い, 同世 代親 問 で は, 個 人 名 が使 われ る ことが多 い。兄 姉 に対 して も,名前 を呼 び捨 て にす る。 ことに テ クノニ ムが あ る と, 親 族 名称 よ りもテ ク ノニ ムの方 を 日常 用 い る傾 向が多 くな る。
マ レー語 同様 ,性 に関係 な く, き ょ うだ い全般 を指 す 語 (adek-beradek または saudara)も
使 われ る。 この語 は,(I)き ょうだい,(2)き ょ うだい とい と こ,(3)自分 の親 族 , と拡 張 して用 い
られ もす る。
い と この示称 は,傍 系 の程 度 に よ って 区別 され る。 即 ち, saudarase-pupu17)は両 親 同志 が き ょ うだ い の もの,saudara
dua-pupu17'は祖父母 同志 が き ょうだ い の もの,Saudara ti ga-pupu17)は,曽祖 父 同志 が き ょうだ い の もの を指 し示 す 。第4 イ トコは,salldara empat-pupu17)と言 うことがで きるが,
これ はす で に親 族 の 中 に は入 れ られ な い し身 内で ない人 lain orang または他 所 の人 orang dagang)。 い と この呼称 は, 前 述 した よ うに,相対 的年 令 に よ って,兄 (柿 ) ま たは, 弟 (妹 ) 名称 を使 う。 従 って, イ トコ名称 は, 呼称 において 「- ワ イ型 」,示 称 にお い て 「エ スキモ ー型」 18)とい え る。 sauda「a saud∂「∂ se-pupu sauda「∂ dua-pupu S∂uda「a tiga-pupu Fig.4 'pupu-relationship 上 記 の pupu とい う語 は,必 ず しも同一世 代 の イ トコに対 して のみ使 われ る もので は な く, 異 世 代 間 の傍 系 の程 度 を示 す の に も使 われ る。例 え ば,祖 父 の兄 弟 の息子 は, 自己に と って, 15) マ レー人の間では,祖父 と祖母 とを区別することが多い。 たとえば, ヌブ リ・ス ンピランの datok とnenek,クダーの to'wan とtok など。 16) 東海岸地域では,kakak を兄に対 して も用いる。 オラン ・フル は abang (兄)名称を,姉に対 し て も用いる混同を犯す ことがある。親族名称に限 らず,オラン ・フル以外の人間がいると,努めて標準 (あるいはジョホール)マ レー語を使 う傾向が見 られる。その為に上記のような混同を起 しがちである。 17) se-,dua-,tiga-,empaト は,各々 1,2,3,4を表わす数詞0 18) ただ し,pupu の考え方によって,示称 も- ワイ型であると言えないこともない。
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号 広 義 のオ ジ (wan) にあた るが, その速 さは,第 2イ トコ同様 に d11a-pupu で ある。 一応 , pupu の定義 と しては, 「尊属 の世代 にお け る, ある き ょうだい関係 を基 線 と して, その基 線 か らの世代 の速 さによ って計算 され る傍系血族 の親等 」 を あ らわす もの と してお く。 と くに, き ょうだい関係 に基線 を もとめ ると したのは,彼 らにあ っては, あ る一 人 の先祖 か らの出 自を た どることによ って, 自己 と他者 との親縁 関係 を知 る とい うので はな くて, 自己の父母 と他 者 の父母 とは, いかな る関係 にあ ったのか, どの世代 の尊属親 が き ょうだい関係 にあ ったのか と い うことによ って,親縁 関係 を知 るか らで あ る。 なお, この pupu とい う語 は,姻族 には決 し て用 い られ ない。 2. 姻 族 オ ラ ン ・フル の よ うに,父方 ,母方 の親類 を 同等 に取 り扱 う双系制 の社会で は, 自己に と っ て姻族で あ るものは,下 の世代 の ものか ら見 れ ば血族 にあ た る。 とい うことは,下 の世代 の も のは,上 の世代 の婚姻選 択 の函数 と して, あ る 範 囲 の親族 と結婚す る ことを禁止 され ることに な る。 オ ラン ・フル の社会 では,婚姻 の対象 を 選択す る際 に,両 親 に加 えて,両 親 の き ょうだ い,即 ち両 親 に とっては,各 々の義理 の き ょう 写真3 未来 の夫婦2組 だい,が重要 な発言 力を持 つ ことにな る。婚姻規 則は, き ょうだい間 イ ンセ ス トと,異世代 間 の通婚 とが禁 止 されてい るだけで, どの 「い とこ」 も自由 に婚 姻 しうる。 と くに特別 な イ トコ 婚 を選好 す る こと もない。 配 偶者 の き ょうだいの示称 は,ipar で あ るが, この語 は, 配 偶者 の イ トコにまで通 用 され る。呼称 は,ipar か, あ るいは き ょうだい 呼称 (bahか adek)か, または誰 それ の夫 ,秦 (laki
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は, 厳 重 に忌 避 され る。 二 人称 代 名詞 と して,一 般 に用 い られ る hiよ り丁 寧 な ajiが,ipar に対 して は用 い られ る。20) 自分 と同世 代 で , 婚 姻 に よ って生 じる関 係 には, そ の他 に bisan と birasとが あ る。bisan は,子 供 同志 が結 婚 した と きの,親 同志 の相 互 的 な関係 を指 す 。biras とは, き ょうだ いを要 った もの同志 の関係 を指 す 。両 方 の関 係 と も,示 称 の みで ,呼称 と して ほ用 い られ る こ とは な い。 名前 が直 接 呼 ばれ る。彼 らの問 には, い くらか の遠 慮 の態 度 が見 られ る こ と もあ るが,特 に規 制 され た態 度 を要 求 され る こ とは な い。
配 偶 者 の両 親 は,mentuha と示 称 され る。 男姑 の 区別 は, pak mentulla,emak mentuha と言 うよ うに, 父 母 名称 を 附加 す る ことに よ って な され るo 男 と外 男 , 姑 と外 姑 との別 は, 普 通 な され ない。呼称 は,父 母 呼称 か, オ ジ ・オバ呼称 が,対 象 の性 に よ って使 われ る。二 人 称 代 名 詞は pakajiない しは ajiが使 用 され る。mentuhaの き ょ うだ い, イ トコ も,mentuha の カテ ゴ リー の 中 に入 れ られ る。 これ に対 し, 自分 の子 供 の配 偶者 を指 す の に, menantu を 用 い,婿 の場 合 は,menantu jantan,嫁 の場 合 は menantu betinaと区別 され得 る。妹 婿 に 対 して も, 男姑 は aji とい う尊称 を用 い る。menantu の語 を呼称 と して も用 い るが,特 に指 名 した い時 には , ア ン ドロニ ムか, テ クノニ ムが用 い られ る. mentuha の カテ ゴ リ-が姻
族 の 中で拡 張 して用 い られ るの に対 応 して,menantu の カテ ゴ リ-は, 自分 の子 のみ な らず , 子 の世 代 のす べ て の 血族 の配 偶者 に まで拡 張 され る。
mentuha-menantu お よび ipar問 の関係 は, 「遠 慮 をす る」 とか , 「問 を 隔 る」 とか い っ た感 じの もので , ことに それ は, 当事者 間 で 個 人 名 を言 うことの忌 避 とい うこ とに よ って制 度 化 され て い る。21'さ らに,娘 の婿 (と くに長女 の) に対 しては, 老 後 の扶 養 を は じめ と して , 種 々の援 助 が期 待 され る。 これ は,例 え ば,焼 畑 の後 に植 え た果樹 の相 続 は, 娘 の問で均 等 に わ け られ , 息子 達 は,単 にそ の おす そ わ けを得 る立 場 に あ る とい う ことな どに よ って も,裏 付 け され て い る。 血族 関係 が, 親 密 さ, くつ ろ ぎな どを特 色 と し, と き と して従順 さを要求 され るの に対 し, 配 偶者 の血族 には, (相互 的 な) 尊敬 の態 度 ない しは遠 慮 の態 度 を期 待 され る。姻 戚 関係 は, 新 しい家 族 を作 る夫 婦 に と って,血 族 以上 に気 を つ か わね ば な らず , かつ それ だ け に オ ラ ン ・
19) テクノニムと区別 して, アンドロニム (andronym) と言えないこともない。 cf.ClaudeL6vi -Strauss,LaPensdeSauuage.Paris:Plon,1962.p.256.
20) Ajiは一種の尊称であるが,マ レー人などの外来者に対 して この語を用いることはない。 21) 筆者のインタビューにおいては,夫婦の親類を知るために夫 と妻 と両方か ら各 々の親族を聞き出さね はな らなか った。 しか し,配偶者の血族を知 らないということはないのである。 たとえば,ある字の書 ける青年は,名前を忌避すべき姻族の名を言 うわけにはいかないが, ローマ字で綴 ってな ら教えられる と,さかんにm,a,n,g,k,0,kなどと言 って くれたo なかには, この名前の忌避 さえもあまり気 にしな くなっている人 も,出てきている。
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号
フル の社会 に お いて重 要 な位 置 を 占めて い る。血 族 で あ った もの が, 姻族 に な る と, 姻族 名称 , 姻族 関係 が,血族 の それ に優 先 す る。 しか し mentuha-menantu,ipar間以外 の関係 に あ る親 族 は ,都 合 の良 い親 族 名称 を採 用 して, それ に見 合 った行 動 を とれ ば よい。menantu以外 に, 血族 の配 偶者 を示 す 名称 は ないが ,配 偶者 は 日常 生活 で は血 族 と殆 ど同一視 せ られ る。 オ ジの 配 偶者 は, オバ名称 で呼 ばれ る とい った よ うに,血 族 の親 族 名称 が その ま ま拡 張 され る。 また, 姻族 の配 偶者 を示 す 名称 も,biras以外 には ないが , 姻族 と同一 視 され る。 3. 卑 属 親 卑 属親 名称 は, 尊属 親 の よ りもい っそ う簡 単 な,世 代 類 別 型 に な って い く。 自分 の子 供 は,単 に anakと称 され る。呼 び掛 け には, 本 名 が使 われ る こ とが多 い。 き ょうだ い の子 , い と この子 は,一 般 に anak-buah といわれ る。 き ょ うだ い の子 は,
anak-buah bah,anak-buah adek あ るいは anak-buah saudaraと詳 し く言 うこと もで き る。呼 称 には,anakが 傍 系親 の子 供 に まで拡 張 され る こと もあ るが,普 通,anak は 自分 の子 ,他 は anak-buahと使 い わ けす る。一 般 的 に は,本 名 を呼 び捨 て にす る ことが 多 い。 子 に対 す る財 産 の分 割 は均分 を建 て前 と して い るが,女 親 の ものは娘 に, 男 親 の ものは息子 に, と与 え られ る こ と が多 い。 どの品物 は , どの子 供 に とい う相 続 規 定 は ない。 写真 4 写真嫌いの子供を 抱 く父親 財 産 とい う程 の財 が ない ので,相 続 は場 合 に応 じた状 況主 義 で行 なわれ る。22) これ に対 す る親 の老 後 の扶 養 の義務 もル ーズで あ る。親 を扶 養 す る第 1の義務 は,娘 の夫 , そ の次 が息子 た ち あ るい は き ょ うだ い の子 で あ る。 しか し,親 は安楽 椅子 に坐 って扶 養 され るので は な くて,働 け るだ け働 き, ど う して もで きない ことの援 助 を求 め るだ けで あ って, 老後 の生 活 に も, 個 人 主 義 の考 え方 は浸 透 して い る。 老 人 は, む しろ,娘 , 息子 の世 帯 に寄 生 す る こ とな く,独 立 し て生 活 を営 む こ とが普 通 で あ り, ま た人 々 もそれ を 当然 の ことだ と考 え る。 22) 相続の決定は,近親 (配偶者,配偶者の親族代表,子供,きょうだい,両親,オジ ・オ/i,オイ ・メ イ)の相談によ ってなされる。 あるインフォーマン トによると,夫が死ぬと,娘があれば彼女が彼の財 をとる。女の子は生計をたてるのが難 しいか らである。息子だけのときは,息子に行 くが, この場合 も 生計をたてるのが難 しいというので,末息子が もっとも権利を主張できる。妻が死ぬと,その財は妻の きょうだい ・両親に行 き,夫は権利を主張できない。なお,果樹の相続について,前項で触れたが,昔 は, ドリアンなどの相続が多 く行なわれていて重要であった。 しか し,現在では,他の経済生活に追わ れて果樹栽培がおろそかになり,相続 した果樹がないというケース,相続 した果樹はあるが一皮 も収穫 に行 ったことがないというケースが多いO土地は概念上,すべてバテ ィンのものとされ,相続の対象 と はな らない。 しか し,焼畑にして,そこに作物を植えると,その収穫はすべて,その耕作者に所属する ことになる。
孫 の世代 にな る と,直 系,傍 系の区別 が完 全 にな くな り,単 にchuchu とい う語 によ って孫 の世代 の全親族 が称 され る。 これは尊属 の祖父母 の代 が,世 代 をひ とま とめに類別 して しま う の と対 応 して い る. 孫 の呼称 は,示称 を短 くして,chu'と呼ぶ か,本名を呼 びす て にす る。 曽孫 は,chechetで,孫 と同様,世代類別型 で あ る。呼称 は,短縮形 の che(t)か,本名が用 い
られ る とい う。 オ ラ ン ・フル の問で は, 世代 を数 え るの に父 一祖父 一 曽祖父 -・-, あ るいは, 子 一孫一 曽 孫- -叫, とい うよ うに世代 を数 え る こと もあ るが,世代 が離 れ ると,順序 もおか し くな り, 実生活 の上 で は,遠 い世代 は何 の役割 も果 して い ないよ うで あ る。彼 らの親族 の範 囲は,無限 に数 え られ るとい うので は ない。上下 の世代 は, 自己を中心 に三世 代位 ずつ まで が親族 の中 に 数 え られ, それ以上 の ものは,遠 い親戚 と言 われ る ことは あ って も,普 通 ,親族 の中に入 れ ら れ ない。直 系親族 では,祖父母 の生存 してい る ものが ご く少数で, 曽祖父母 は ご く稀 とな る。 従 って,実際 には 曽祖父母 よ り上 の世代 は,全然 問題 とされ ない。傍 系親族 も,第3 pupu と い うのは, 祖父母 の き ょうだい関係 が基 線 で, それ以上遠 い pupu は非親族 と見 なされ る。 この よ うに,直 系上下 三世代 ,傍 系三 親等 (pupu)まで が親族 の範囲 とみて さ しつかえないよ うに思 う。 実 際 には,(i)コ ミュニ テ ィの人 口が比較 的小 さ く,通 婚圏 が(自然 的,社会 的条件 によ り)小 さいので, 同年輩 の配 偶者 を選 ぶ ため には,系譜上 の世代 関係 を無視 して,異 世代 間 の婚 姻 も 行 なわれ ね ばな らな くな る。(2)この ことは,次 の世代 に と っては,父母 の世代 以上 の尊属親 の 再 編成 とな って,世 代 の若返 りが行 なわれ る ことにな る。23)(3)父方 ,母方 の両 方 か ら系譜 を た どる ことによ って, よ り近 い関係 の親族 名称 を選択 で きる。(4)姻族 を擬似血族 と して,血族 名 称 で もって呼称 す る。 (5)テ クノニ ミーの慣行 と,親族 名称 の世代類 別性 とに よ って,親族 関係 の混 同が な され,実 際 の系譜 を た どる ことが 困難 にな り,単 に近 い親類- 即 ち完 全 に系譜 の た どれ る間柄- ,遠 い親類- 即 ちは っき りと どん な間柄 かは知 らぬが, 自分 の親 と他者 の 親 とが親類で あ ったか ら, 自分 と他者 とも親類 で あ ろ うと推 定す る位 の間柄- にわ け られ る にす ぎない よ うにな って くる。 この よ うな種 々の条件 に よ って, 曽祖父母 の上 の世代 まで系譜 を た ど らな くと も,十 分 の親族範 囲 が得 られ るので あ る。 4. 本 名 とテ クノニム 子供 が生 まれ て, しば ら く月 日が たつ と,子 供 の名前 が確定 して くる。特 に名付 けの式 な ど は な く,名付 け親 も決 ま って いない。姓 は な く,名 だ けで あ る。 これ を namabetul(頁 の名 , 本 名) と呼ぶ 。 しか し,大病 を した りす る と,回復 後新 しい本 名 とと りかえ る。 この本 名 の外 に,通称 , あだ名 ともい うべ き,mama gelarがあ るが, これ は誰 で も持 ってい るものではな
23) Cf.RaymondFirth,EssaysonSocialOrganizationandValues.LondonSchoolofEco -nomicsMonographsonSocialAnthropology,No・28,UniversityofLondon,1964.p.121.
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号 い。 この他 に,nana anak 即 ち子供 の名 を もって 親 を呼 ぶ慣行 が あ る。子 供 の名 が Kachin とす る と, 父 親 は, 「カチ ンの父
」
(Pak Kachin),母 親 は, 「カチ ンの母」 (Mak Kachin)と呼 ばれ る.但 し, 子 供 が誕生 して後す ぐにテ クノニ ムが使用 され るの で は な く,一 定 の期 間を経 て (大丈夫 この子 は育 つ と見 きわ めて) か らテ クノエ ムが採 用 され る。 その テ クノニ ムまで の期 間,通称 の よ うに,子 供 が男で あれ ば Pak Eweng(父),Mak Eweng(母),女 の 子 で あれ ば,Pak Deyeng,Mak I)eyeng と呼 ばれ る こともあ る。Eweng,Deyeng は各 々男 の子 ,女 の子 とい う意 味で あろ う。子供 が7,8才 に もな って い るのに,本 名で呼ぶ と,相手 に失礼 で あ るといわ れ る。 写真5 丸太舟に乗 って隣 りの部落-向う従姉妹 とその娘たち テ クノニ ムが本 格 的 に使 われ だす と,本 名 は忘 れ られ て い き,以 後本 名 が,一般 に思 い出 さ れ る とい うこ とは な くな る。従 って,子 孫 は尊属 の本 名 を知 らない ままに過 ごす ことが多 い。 なお,実子 以外 の子 供 の名 を名祖 (エポニ ム)と して採 用す る ことは決 して ない。24)Pak Awang とい う男 とMakKen とい う女 が再婚 して も,そ のテ クノこ ムはその まま続 く。 また養子 (anak angkat)縁 組 を して も,養子 の名 は名祖 とは な り得 ない。 長子 が死 ん だ ときは,mantaiとい う称 号 が与 え られ る。 この称号 は死 後 5- 6年 続 き, も し他 に子 供 がで きれ ばその子 の名で呼ぶ ことがで きる。但 し,子 供 が結 婚 して子 を残 す程 大 き くな ってか ら死 ん だ場合 には, その子 の名 がす ぐにや め られ る とい うことは な く, その まま継 続 されて,mantaiとい う称号 も使 われ ない。 mantaiが一 種 の死 名 (deatl1-nameOrneCrO -nym) の残 存 で あ るか も知 れ ないが,現在 の オ ラ ン ・フル の社会 では, mantaiとい うの は, 結 婚 によ る地位 を指 す特 殊 な名称 ,即 ち 「子供 を もって い ない夫 婦」 の意 味 に近 い カテ ゴ リー と考 え る方 が妥 当な よ うで あ る。 また,実 際 に子供 のず っと うまれ て い ない夫 婦 を も mantai と呼 ぶ 。Needham が ボル ネオのプ ナ ン族.につ いて報 告 した よ うな25), 複雑 なネ ク ロニ ム ・シ ステ ムは存在 して い ない。mantai以外 に ネ クロニ ム と言 え る ものは,配 偶者 の死 ん だ時 に用 い られ る称号 (balu) のみで あ る。 24) ボルネオの陸ダヤ ッ族では,テクノニムは,種々の親族,時には,親族でないものまでを称するのに 用いられる。W .R.Geddes,TheLandDayakofSarauJak.ColonialResearchStudies,No.14, London:1954.p.17.25) RodneyNeedham,'TheSystem ofTeknonymyandDeath-namesofthePenan,"Sout h-WesternJournalofAnthropology,Vol.10,pp.416-431.
次 に孫 がで き る と, 孫 の 名前 が, 子 供 の 名前 に と って か わ って 名祖 とな る (nana chuchu 孫 名)。 即 ち,孫 が Kotoiとい う名で あれ ば ,その祖父 母 は,Kotoiの祖父 または祖 母 (Nenek Kotoi) と呼 ばれ る。 普 通 最 初 に生 まれ た子 または孫 の名前 が名 祖 と して採 用 され るが, も し 彼 らが身 ぢか に いず,遠 くに離 れ て蓉 して い る時 には,身 ぢか にい る 予や孫 の 名前 が採 用 され る。 孫 の名 に して も,子 の 名 に して も,呼 ぶ者 に と って, そ の名祖 とな って い る孫 あ るいは予 が, 義理 の き ょ うだ いや両 親 で あ る と, その 名を使 ったテ ク ノニ ム も使 うことがで きない。 これ は 前述 した よ うに, 姻族 関係 には 名前 の忌 避 が あ るか らで あ る。 曽孫 の 名前 を用 い る例 は ない。 E.B Tylor は, テ ク ノニ ミ-の慣 行 を , 妻 方属 住始 と, 義理 の息子 の忌 避 とに結 びつ けて 考え た26)O彼 は, テ ク ノ- ミ-を 行 な う社会 と後 二者 の慣 習を もつ社会 とを , 各 々別 個 に相 閑 を もとめ ,両 者 と もにか な り高 い相 関が テ ク ノニ ミ一 に対 して見 られ る ことを発 見 した。 そ こ で, 入 り婿 と して入 って きた夫 が,子供 が生 まれ るまで は家 族 の メ ンバ - と して 認 め られ ない で,
子供
の生 誕 に よ って 初 めて家 板の一 員 と して認 め られ るよ うに な る ことを示 す もの が, チ ク ノニ ミ-で あ る とい う風 に解 釈 した027)タ イ ラーの推 論 は,方 法論 的 に も問題 が あ るが,ITi にその結 論 を取 りあげ て も, オ ラ ン ・フル の社 会 には 当て は ま らない ことは確 か で あ る。 オ ラ ン ・フルの 社会 で は ,結 婚 当初 , 妻方 屠 住始 を行 な うが, 1年 後 には大方居 住, さ らに 1年 後 には 独 If
T
.
居
住 とな るの が理 想 型 で あ って ,現 実 にテ ク ノニ ミーの行 なわれ る頃 には,妻 の親 族 とは住居 を共 に して い ない. ま た, 義 子- 義母 問 の忌 避 闇係 もパ ター ン化 され た もの と して は 認 め られ ない。28) タ イ ラー に対 し,R.Lowie は, テ ク ノニ ミーを 個 々の社会 の特 定 の条 件 に照 ら しあわせ て 解 明す べ きだ と し,通 社 会 的 な類 似性 は,入 念 な研 究 に よ って,不 可 と され る もの が ほ とん ど で あ る とい う。29)そ して, ア ンダ マ ン鳥人 な どの三 つの社 会 の例 を あげて , それ ぞれ の社 会 で テ ク ノ- ミーが果 す役 割 の違 いを指 摘 して い る。結 論 と して , この三 つ の社 会 で慣行 され て い るテ ク ノニ ミーは, た また ま一 つ の共 通 の名 前 で呼 ばれ て は い るが, それ は便 宜 的 な もの で, 三 つ の異 な る習慣 とで も言 え る とす る。 ロ ウ イ-の よ うに, テ ク ノ- ミ-が, 全社 会 を通 じて, あ る共 通 の機 能 を 果 して い るの で は26) EdwardB.Tylor,"OnaMethodoflnvestigatingtheDevelopmentoflnstitution:Applied toLawsofMarriageandDescent,''Jour・oftheRoyalAnthropologicalInstitute,Vol・18
(1889),pp.245-269.
27) E.B.Tylor,oP・cit・,ppl248-249・
28) オラン ・フルでの姻族の名前の忌避は,性的な競合や,インセス トに対する病的恐怖の態度か ら出た ものではな く,む しろ姻族 との結合関係強化のためであろう。
29) RobertH.Lowie,PrimitiveSociety・New York:Liverigh tPublishingCorporation,1947. p.109,pp.433-434.
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号 ない とい うことは正 しい か も知 れ ない。 しか し, テ ク ノニ ミーが,す べての異 な る社会 で,輿 な る機能 を持 つ とは言 え ないのでは なか ろ うか。 テ ク ノニ ミーを同 じよ うな機能 の もとに慣行 す る幾 つかの社会 が,分 類 され得 るに違 いな く, その分 類 に基 づ いて類型 間の相 似を求 め る こ と も,一 つの方 法で あ ろ う。 構造 か ら見 て, テ ク ノニ ミーが (も し,例 外 な く,一 つの社会 のす べての人 が テ ク ノニ ムを 本 名 と代 置す るな らば)年令 階梯 を示 す ことは明 らかで あ る。即 ち,世代 によ って,千 ,親 , 祖父 母 の年 令 階梯 にあ る もの は, その テ ク ノニ ムによ って一 目瞭然 とな り,一種 の社会 の横断 的枠組 とな って い る。 これ は推 移儀礼 に も比せ られ る もので,人 の一 生 にお け る, あ る時期の 生 活局面 にお け る地位 を明確 に して い ると も解 釈 し得 る。 オ ラ ン ・フルの年 令 階梯 に関す る区分 は,彼 らの ことば に も見 られ る。即 ち,第 1期 の未成 熟 の子供 は ngkenek と称 され る。 これ は独立 の仕 事 がで きない子供 達 を さ し, しば しば, こ の時期 の子供 を (実子 で も)呼ふ の に,本 名を呼 ばず に,ngkenek と呼 びす て る。大体 12,3才 位 までの子供 で あ る。 お腹 の 中 にい る子供 まで ngkenek と呼 ぶ。 自分 自身 で独 立 の生 活 の糧 を得 られ る程 ,働 け る時期 にな ると,dara と称 され る。 この語 は,呼称 には使 われ ない。 ほ ぼ13才位 か ら18才位 まで の未婚 の男女 を含 め る。 もし,結婚適 令期 が過 ぎて も長 く婚姻 しない ものが あ ると,bujang と呼 ばれ る。 これ は,単身生活者 とい う意 味で あ る。第 3期 の既 婚 男 女 は,子 の名,孫 の名 な どによ って,世代 区分 され る ことにな るC 同時 に,子供 の名前 を共通 にす る ことに よ って,夫婦 とい う単位 が明確 に され る.父一母一子 とい う関係 が テ ク ノニ ムに よ って一 目瞭然 とな り,常 に夫婦一組 が社会 の単位 とな る この社会 の構造 とよ く一致 す る。祖 父母 の代 にな ると,祖父一祖母 とい う区別 もな くな り,夫婦 その ものが完 全 に一 つの もの とな って しま うことにな る。 この人生 の第3期 にあ って,例外 的 な男女 ,即 ち,離 婚 ,死 別 した も の,子供 を な くした もの, な どは, また別 の称 号 で 区別 され る ことにな る。 あ るいは,孫を持 つ世代 にあ るの に, 孫 がない時は,
「
∼ の父 で祖父 の世代 にあ る人」Nenek Pak∼ とい う風 に呼 ばれ る.30'但 し, この オ ラ ン ・フルでの年令 階梯 は,明確 な 自治集団で は な くて,一種 の (水 平 的)構 造 的枠組 を社会 に与 えて い るに過 ぎない。 社会 の年令 階梯化 とい うことの外 に,個人 の名前 が,非 人格 な地位 の連続 (千 -親 一祖父 ) によ って置 き換 え られ る ことによ って,傍 系親 族 関係 を消 して しま うことが, テ ク ノニ ミ-の 機 能 と して あげ られ る。31'この ことは,非 常 に世代類別 傾 向の強 い親 族 名称 に,直 系原理 の枠 組 を与 え る役割 を果 す。前 述 した枠組 が水 平 的分 化 を示 すの に対 し,垂直 的分 化を も同時 に示 30) マ レー人(クダー)の間では,個人名の前に親族名称をつけて,相手の地位をはっきりさせる習慣があ る。 これは,実際の系譜関係に基づ くものではな く,単に,相対的年令,社会的地位が考慮されるだけ である。31) HildredandCliffordGeertz,''TeknonymyinBali:Parenthood,Age-gradingandGene a-logiCalAmnesia,"four.oftheRoyalAnthyoPologicalInstitute,Vol.94,pp.94-108.
して い る。32)
さ らに, この テ ク ノエ ムを,necronyme(死 名),autononyme(個 人 名),andronyme(醍
偶者 名) な ど と関連 させ て , 「構 造 的 な」 関 係を見 よ うとす る見方 もで きよ う。33' C.L6vi -Straussは,Needhamの報告 した Penan族 (ボル ネ オ) の ネ クロエ ムか ら出発 して, 人 々が 死 ん だ者 の名前 を言 及 しない とい うこ とが, ネ クロニ ムの 構 造 を説 明す る と し, テ ク ノニ ムに つ い て は, 子供 が生 まれ て , その 手の 名で両 粗が 判 まれ ね ば な らぬ よ うにな る こ とが, と り も なお さず ,両 親 が 「死 ん だ」 もの と して扱 われ た こ とを示 し,鮎 壷が, 新 しい存在 に よ る 占い もの の代 置 と考 え られ て い る こ とを示 す , とす る。34) オ ラ ン ・フル に関 して は, 死ん だ者 の 名前 を呼 ぶ の を禁 止 す る ことは ない。前述 した よ うに 名前の忌 避 は姻 族 問 にの み行 な われ る。 しか し, ■耳実 を無 視 して レヴ ィー-:=ス トロ- スの よ うな 仮定 を立 て て考 え る と, テ ク ノニ ムの み な らず , 姻 族間 の 名前 の忌 避 も説 明で きて 便 利 な こと は便 利 で あ る. 古 く,J.G.Frazerは テ ク ノニ ミ-の起 源 を , 本 名 をL」に出 して言 うの が嫌 だ とい う心 理 的 な事 実 に よ って説 明 して い る。35' テ ク ノ- ミーが,何 らかの 名前 の忌 避 に関 わ っ て い る ことは 事実 で あ ろ う。
また, レグ ィニ ス トロ- スは, テ ク ノニ ムや ネ ク ロニ ムを,termesく宅relationales≫,と し,
個人 名が , 単 に ≪ 自己≫ を他 の ≪ 自己茅,か ら区別す るだ けの もの で あ るの に対 比 させ て い る。 そ して, テ ク ノエ ムが, 闇係 を示 す 語 (親 族 名称 ) と個人 名 か らな って い るの に対 し, ネ クロニ ムが, 関係 を示 す 語 だ けで な って い るの に着 目 して, テ ク ノニ ムを,relation
a
un s°i autre,ネ ク ロニ ムを, relation autreと簡単 に割 切 って しま う。 これ は各 名称 法 の構 成 の分 析か ら言 えば極 めて正 しい言 い方 で あ るが,前述 した ごと くテ ク ノエ ムの水 平 的分 化 作用 を考 え る と, テ ク ノニ ムを単 に彼 の よ うに捉 え るの は, 全体 の社会 構 造 を見 落 す危 険 が あ るよ うに 思 う 。 最 後 に, テ ク ノニ ミーの慣 行 に よ って, 系 譜 闇係 が忘 れ さ られ て36),多 くの親 族 関係 が,漠 然 と した推 定 に基 づ いて い る ことを指摘 したい。 これ は, 彼 らに遡 行 的思 考 を あ き らめ させ , 常 に現在 の世 界 で物事 を見 る ことを強 い る。 同時 に,繰 り返 す よ うで あ るが,世 代 類 別 的 な親 娠 名称 に,直 系 的 なつ な が りを強 化 し,漠然 と した関係 にあ る傍 系親族 を ,親 族 の範 囲 内か ら, は じき出す ことに な る。 32) 陸ダヤ ッでは,必ず しもこの垂直的分化の機能があてはまらない。W .R.Geddes,ibid・ 33) ClaudeL6vi-Strauss,o
少.
cit.,pp.253-265. 34) C1audeLevLStrauss,o
I
)
.
cit.,pp.257-258.35) JamesG.Frazer,TheGoldenBough:A StudyinMagicandReligion.Abridgededition in2vols.London:Macmillan&Co.Ltd.,1957.Vol.1,p.327.
東 南 ア ジ ア 研 究 第4巻 第5号
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むすび一彼 らの社会 の見 方 最 後 に,彼 らの社 会 の モデル と して,一 人 の オ ラ ン ・フルを 中心 と した幾 つかの同心 円的 な 構 造 を指摘 して,本 論 の しめ くくりと したい。 (I) 核 家族- 生 まれ た家族 に しろ,結婚 して作 った家族 に しろ,常 に個人 の第 1の壁 を形 成す るの は,核 家族 で あ る。一 組 の夫婦 か らな る家族 を se-kelaminと称 し,必 ず独 立 の生計 を営 んで,一 つの世帯 を な して い る もので あ る。 この世 帯 の 中 に,核 家 族 以外 の親 族 が くりこ まれ て い るのは, 全体 の14%強 を示 す が, その親 族 の多 くは,永 久 的世 帯共 同者 で は ない。 (2) この核 家族 を め ぐって,結 婚 ,葬 式 ,相 続 な どに必ず参 与 す る近親 の縁者 warisが あ る。 これ は,核親 族 と も言 うべ き もので,父 母 , オ ジ, オバ, き ょうだい,千 , オ ィ, メ イが これ にあた る。 夫 と妻 との各 々の warisは厳然 と区別 され て交 わ る ことは ない が,配 偶者 の warisが, と くに重要 な意 味を もって い る こと(rL 姻族 に対 す る親 族 名称 の項 で述 べ た通 りで あ る。 この場合 ,姻族 が, あたか も血縁 の よ うに取 り扱 われ,夫 と妻 との warisが二 つ, ひ っつ いて,一 つの同心 円を なす。 (3) 直 系三親 等 ,傍 系第三 イ トコまでの範 囲の親 族 。 この場合 も,夫婦 それ ぞ れ の親 族 が重 な って,大 きな同心 円 とな る。 (4) 上 記 の三 つ が,血縁 によ る限定 なの に対 し, ここで初 めて,地 縁 によ って 同心 円を描 く ことにな る。 即 ち,部落 で あ る。 もちろん部落 の範 囲 によ って,核 親 族 や親族 を縦 断 して しま うことが多 い。 ことに親 族 全体 が一 つの部落 の 中 にい るとい うことは,理 論 的 に も不可能 な こ とで あ る. しか し, この モデルを一 つの行 動規 範 と して考 え る とき,常 に部落 の方 が,親 族 の 外 円を な して い るとす るのは正 しい。部落 は,親族 と違 い,種 々な異 質 な もの を容 易 に受 け入 れ る開 いた集 団 で あ るので,親族 内部 で よ りも,対 人 関係 に相 違 がつ け られ る。但 し,理 念 的 には,一 つ の部落 は親族 の集 ま りで あ ると言 われ る。 (5) エ ンダ ウ川流域 の オ ラ ン ・フル の コ ミュニ テ ィ。 これ は,部落連合 とい った もので は な い.彼 らの意 識 の問で,一 つの )桐こ住 む者 は, みん な親 類 なの だ, とい うことが あ り, か つ, 部落相互 間 の接触 交 渉 が,他 の コ ミュニ テ ィよ りも全体 と して頻繁 で あ るか らで あ る。 (6) オ ラ ン ・フルの社会 。奥地 に住 み,貧 しい生 活 に追 われ て い る同類 の民 。必 ず しもイス ラームに改宗 してい ない者 とい う条件 はつか ない。 (7) 非 オ ラ ン ・フル の世界 。 マ レー人 , 中国 人, イ ン ド人 な ど,彼 らの搾 取者 の世界 で あ る。 この 同心 円的構造 の上 に,超 自然 的秩 序 の世界 が垂直 的 に組 み たて られ,全体 と して の モデ ル が,彼 らに行 為 の決 定 をす るた めの,文化 的格律 を示 す ことにな る。主 要 参 考 文 献
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