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モラエスの 2 人の日本人妻

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Academic year: 2021

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図書館員の文献紹介と

      資料の活

田端里美

 ヴェンセスラウ・デ・モラエスという方をご存知で しょうか。彼はポルトガルの海軍士官であり、明治 期の日本文化研究家として多くの著作を残した人物 です。公務で何度か来日する機会があり、そこから 神戸にポルトガル領事館が開設されると、彼は在神 戸・大阪副領事として日本に住むことになりました。

 そして彼が日本に移住してから出会った日本人女 性が「おヨネ」と「コハル」です。

 おヨネは本名を福本ヨネといい、1875(明治8)

年に徳島県富田浦町(現徳島市)で生まれます。

福本只蔵とカツの三女として生まれ、彼女にはトヨと ユキという2人の姉がいました。おヨネは目鼻立ちが 整っており、芸者という職業柄いつでも相手のことを 気遣うような慎ましい女性でした。

 彼女がモラエスと出会ったのは芸者をしていた時 ではありましたが、詳しい出会いについては不明の ままです。モラエスは彼女に惹かれ、何度もおヨネ のもとへ通いますが、彼女は自分が病気がちである ことや教養のないことなどを打ち明け、彼の気を逸 らそうとしました。しかし、それでも彼のおヨネへの

真摯な情熱は変わることはありませんでした。

 そして彼女が1900(明治33)年にモラエスとの 結婚を決めた時、おヨネは25歳、モラエスは46歳で した。純日本式の結婚式を挙げ、彼女は毎日領事 館や家の中を片づけたり、モラエスの身の回りの世 話をしたりと、よく働きました。モラエスは20歳も年の 離れたおヨネのことをとても可愛がり、女神のように 大切にしていたと言われています。

 1912(明治45)年におヨネが心臓病で亡くなる と彼女の墓石を建立し、昇進していた総領事の職 を辞します。そして彼女への追慕に生きるため、お ヨネの故郷である徳島に移り住むことに決めました。

その移住先の徳島で親しくなったのが、モラエスの 日本での2人目の妻、コハルです。

 コハルはおヨネの姉であるユキと斉藤寿次郎の娘

として1894(明治27)年に生まれます。おヨネの生 前、彼女の病気が悪化すると、度々、ユキや姪の コハルが徳島から神戸に駆け付け、看病をしていま した。そのためコハルは、モラエスとは結婚する以 前から面識がありました。またおヨネがつけていたモ ラエスから贈られた金の指輪は彼女の形見としてコ ハルに手渡されています。

 モラエスとコハルの関係が正式にいつ始まったの かは定かではありません。しかし、おヨネを失い、

傷心していたモラエスにとって若く健康なコハルは、

沈んでいた気持ちを晴れやかにさせてくれるような存 在となっていました。彼らが1913(明治46)年に同 棲を始めた時、コハルは19歳、モラエスは59歳と、

40も年が離れていました。そのためコハルとは結婚 はせず、いわゆる現地妻という形で生活を共にして いました。

 2人の暮らしは1916(大正5)年にコハルが結核 で亡くなるまで続きました。モラエスは彼女の墓石を 建てると、コハルの母であるユキに自分が亡くなった らコハルのお墓に一緒に入れてほしいと頼んでいた そうです。

 日本での2人の妻であるおヨネとコハルがいなく なってしまうと、モラエスはユキに生活の手助けをし てもらいながら、1929(昭和4)年に事故で亡くなる まで、徳島で質素な生活を送っています。

 前号のハーンとその妻セツと同様に外国人との結 婚は、当時、奇妙で軽蔑の対象として見られていま した。それでもモラエスが亡くなるまで日本で過ごし、

日本文化研究家として執筆活動を続けることができ たのは、おヨネとコハルという2人の日本人女性との 出会いを通して、日本への興味を深めていったから だと思われます。そして彼女らの亡き後も、ユキを 含めいろいろな人に支えられたことで、日本に対する 思いを強く持ち続けていたのではないでしょうか。

■参考文献

 〇ヴェンセスラウ・デ・モラエス;岡村多希子訳『おヨネと コハル』彩流社, 2004年。

 〇林啓介著『「美しい日本」に殉じたポルトガル人:評伝 モラエス』角川書店, 1997年。

たばた さとみ(司書・非常勤職員)

モラエスの 2 人の日本人妻

参照

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