首都圏の都市成長前線帯に沿ける小売商の形成
‑ 1
埼玉県毛呂山町長瀬団地の場合││
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
夫 村
正 田 序
論
今や︑都市や都市化の問題は︑社会科学の領域において花盛りである︒過去においても︑歴史学・社会学・地理学
などの諸分野において︑多くの業蹟が積み重ねられてはきたが︑今日ほど鮮明に︑この問題がクローズアップされる
ようになったことはなかった
TY
衣食住のうちの︑住を除く三者は序々に解決の道を歩み︑
﹂れ
は︑
第二
次大
戦後
︑
戦後
一
O年にして一応解決されたにもかかわらず︑住宅問題は︑いまだきわめて深刻な問題であり︑住宅が不足し︑
さらに住環境が未整備のまま取り残されていて︑これらの問題が︑容易には解決されにくいという現状に基づいてい
る︒いいかえれば︑住生活を中心とする環境の問題は︑現今の社会に根強く食い込んだ問題として︑一般に意識され
るようになったのである︒
147
時あたかも︑福祉経済・福祉政策が叫ばれ︑われわれの住む環境をどう改造すればよいのかという論議が︑やかま
しくなってきた宮古都市生活において︑住環境の量的質的な充足は基本的な問題であるが︑他方では︑都市におけ
148
る生産配置の問題が表裏の関係をなしていることに注意する必要がある︒
一般に人聞社会の存在は︑政治・経済・文化的の三側面によって構成されているといわれる︒これらの側面を地域
に投影した場合︑どうなるであろうか︒ここは政治地域︑ここは経済地域︑またここは文化地域というような地域区
分はナンセンスである︒なぜなら︑人聞の存在するところ︑あらゆるところに︑前記の三側面があって︑地域的に画
然とすることが不可能だからである︒いいかえれば︑人聞が分布すれば︑必ず︑そこには三側面が付随し交錯して︑
有機的に構成しているから︑一側面だけを強調することは︑単にそれだけで︑論議が終始してしまう虞れなしとしな
ぃ︒そこではじめて︑地域構造ということばが意味をもつようになる︒地域構造の究明とは︑右の三側面がどのよう
に結びついて地域を構成し︑それがどのような意義をもつかを究明することと解したい︒
都市域が新たに形成される場合︿3﹀は︑そのメカニズムを︑実態に即して詳細に分析することが重要である︒都市
地理学の研究分野では︑従来︑ややもすると︑都市施設の位置をプロットし︑主としてその前後関係を明らかにする
ことに主眼を置くもの︑都市と工業との関連を追究する余り︑地域で活躍する人聞が不在であるという傾向をもつも
の︑定量化を目途とする余り︑単なる分布を示すにとどまるもの︑等々が多かった︒とくに︑昭和三0
年代
以降
︑
L 、
わゆる高度経済成長以降における都市域の形成に関する研究は︑今や︑その緒についたばかりであるといえよう︒ゲ
マインシャフトを村落に︑ゲlゼルシャフトを都市に対置させるだけでは︑都市社会の実態を認識することは不可能
に近
い︒
方法論的には︑文献学的
( 4
あるいは)
誕‑ B
百三
芝生
5﹀の傾向が強かった点を否定できない︒一般に地域構造を解明
するための実態調査に基づく研究が少なかった︒かかる実態調査が︑多くの困難を伴うものであることが︑その理由
としてあげられよう︒極論が許されるならば︑自然科学における実験に相当するものは︑社会科学における実態調査
である︒したがって︑いかに困難であっても︑実態調査を軽率にして︑議論をすすめることは不可能である︒従来︑
たとえば︑ある地域の商庖構造をみようとする場合︑その地域にある一︑二の事例企業をあげて︑あたかも︑それが
代表例であるかのように取り扱うことも多かった︒また推計学を応用するサンプル調査によって︑数学的に処理しょ
うとする︒しかし︑個々の人聞や人間集団は︑工場で製造される耀詰とは違って︑それぞれに個性をもっ存在であ
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
る︒元来が同質的な存在であり︑突発的に異質品が製造される工場製品とは全く異なり︑異質であることを前提とす
る存在である︒したがって︑地域構造を解明するために︑人間集団を調査する場合には︑当該地域の全数について調
査する必要がある︒この点を吟味することなく︑安易なサンプリングを行ない勝ちであることに注意を促したい︒
従来︑歴史地理学の領域において︑先・原史時代から近代までの時期を対象とする研究が多かったのは︑斯学の特
質上︑当然のことであった︒しかしながら︑首都圏における都市化のごとき急激な変貌がみられる今日︑最近一O年
の地域的変化は︑過去一OO年の変遷をしのぐほどの集落の変質をもたらしている︒とくに本論文の研究対象地域
は︑後述のように︑一O年以前までは全くの山林であった地域が開発されて︑一挙に数千人の団地人口を擁するにい
たり︑周辺地域に大きな
‑ 5
宮♀を与えつつある︿
6)︒
現代という時期を対象とする研究であるがゆえに︑歴史地理学研究にあらずという考え方が打ち出されるならば︑
それは︑極論すれば︑学聞を対象によって分類することを意味する︒しかし︑内田寛一は﹁古い歴史自体も変わり︑
149
新しい歴史も次々に生まれる﹂ハ7
﹀と
し︑
﹁厳密な意味で︑現在というのはほんの瞬間に過ぎない︒それも次の瞬間に
は過去となり歴史となる︒そう見れば古い歴史と新しい歴史とが融合しているというのが現在の地理事項の常態とい
15⑪
える﹂(主と説現しており︑学問の分類は︑方法論を主体として行なわれるべきζょを示唆している︒およそ︑学問的
研究であるならば︑一問題の指摘や分析の視角が︑その根幹をなすのである︒問題の所在や分析の視角という側面から
必要であるために︑可能な限り︑過去をも研究対象時期とすることが︑歴史地理学徒として重要な課題となる︒した
がって︑集落としての長瀬団地を研究対象とする限り︑研究対象時期を︑団地形成以前の山林としての土地利用時期
としなければ︑歴史地理学の研究ではないという意見に対しては︑承認できない︒
本紀要は﹁文化圏の歴史地理﹂というテlマで編集されている︒本論文は︑菊地利夫の﹁文化圏プロパlの研究者
ではなく︑日ごろの研究を文化圏に角度づけて研究できるかもしれない︒というのは生産・交通・政治などの研究は
文化圏の基盤あるいは文化圏の下部構造となっているからである﹂︹立という視角に同意して︑執筆じた︒そして千
葉徳爾のいうように寸文化とは何か︑これを地理的に把握するにはどのような方法が可能かといった論議が︑さまざ
まに提出されて差支えないし﹂ハ旦﹁地理的方法が文化認識にとって不可欠のものであることを立証するか︑もしくは
他の方法で認識された文化が︑地理的にどのような意義をもつかを明らかにしなくてはならず(中略)︑既成概念にと
らわれない見方での発表示ーを意図したものである︒
文化圏は︑都市と同様に︑人間活動の総合的な一具現であり︑複雑な過程を経て形成され︑同時に将来へ展開するも
のであって︑抽象的には︑都市文化圏という概念が肯定できる︒本論文は︑首都圏の都市成長前線帯における小売商
形成の分析を通じて︑都市とは何か︑また都市経済圏が都市文化圏の基盤として︑どのように形成され︑そのことが
行政圏との関連のもとに︑どのような意義をもつかを明らかにしたい︒
経済地理学や産業地理学の研究において︑統計数字を︑単に統計地域単位に並べ変えても︑あるいは︑それらの結
果を分布図に描いても︑そこからは︑現象による地域の色分けしか生まれてこないという限界をもっ
0 4
︿‑
J U E E
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﹃戸 口円 四回 目同 回一 喝q ug ro F0 4色ロ
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間 同
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目 u u
といっている
( m u o
西川治も地理学における
動態的研究を展望した23しかし︑実態調査に基づく地域構造の分析は︑必ずしも盛んに行なわれたとはいい難い︒
本研究は︑長瀬団地を主とする小売商全数を対象とする聞き取り調査に基づいている︒
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
研究対象地域
東京西郊の都市化については︑中央線沿線が最も早く︑小田急線・京王線・西武線の沿線がこれに次いでおり︑
般に北するに従って都市化がおくれ︑とくに東上線沿線は︑最もおくれた︒これは︑東京のいわゆる山の手の住宅地
域に近くて鉄道が早くから敷設されていた地域が︑最も早く都市化されて︑順次︑外延に都市化が拡大されたことを
物語っているo
川越市の都市化が︑急速に現われたのは︑一九六五年以降である︒川越市の人口の急増自)がこれを示すが︑中心
商庖街である新富町通りへのデパート・スーパーマーケットの進出による商庖街の中心の南下が︑端的にこれを物語
って
いる
83東上線沿線における川越市以北東松山市以南の都市化も︑ほぼ時を同じくしている︒
都市化に伴う商業地域の発展の背景には︑
BR W2
が存在する︒また急激な都市化の要因には︑都心からの時間距
離を算定基準とする地価の上昇がある︒鉄道のスピードアップ︑車両増発︑車両改善などに伴って︑等時間距離帯が
151
新たに・形成され︑これに思わくが加わって︑地価は著しく上昇する︒都心から遠方の地域において地価上昇が顕著に
みられるのは︑遠距離地域においても︑住むに値する4
即日
5が︑近距離に劣らず︑あるいはそれ以上に高められる
152
からであるQYいわゆる近郊守口げ
5Z
象ではない︒そこには商業地域形成の
B2
巳E
由自
があ
る︒
の商業化現象は︑既成商業地域からの単なる押し出しなEZ現
しか
し︑
長瀬団地を対象地域とする理由は川東京・大阪・名古屋の三大都市人口増加率は︑都心から四01五
o h 前後でマ
イナスに転ずる詰)といわれるが︑本地域は五
o h 弱にあたり︑東京駅を中心とする等時距離では九O
分を
要し
︿担
︑ 0 5 O O m
(注) 主要商庖街。
数字は標高 (m)を表わす。
いわば首都圏の都市成長前線帯にあたっていること︑州問
武
州長瀬駅を拠点とする同団地の形成が︑越生線ハげ﹀沿線にお
ける急激な都市化の先駆であること︑州問同団地における小
売商の版売圏が︑従来の同線沿線における小売商版売圏を︑
長瀬団地およびその周辺
一挙に凌駕し蚕食するに至ったことなどである(図)︒
長瀬団地に最も近い武州長瀬駅が︑昼なお暗い山林に固ま
れた無人駅から︑曲がりなりにも駅員配置駅となったのは︑
一九
五九
年︑
M霊園の開園に伴う同園から東武鉄道への交渉
による︒しかし同園の墓地販売実讃は思わしくなく︑赤字解
消のため︑面積二O万dの半ばを︑デベロッパ
l Kへ売却する
ことを余儀なくされた
a u o
同園の会社設立は一九五二年で︑
五九年に株式が発行された︒山林の買収価格は三・三d
あた
り四
OO円であったが︑現在︑
一 五 ︑
00
0円で販売されて
いる︒借財が完済されたのは一九六六l六七年ころといわれる︒川越市以北の急速な都市化の始期に遭遇しなけれ
ば︑都市化に備えて行なわれていた東京資本の先行投資が︑その効力を発揮し得なかったのである︒
時を同じくして︑長瀬団地形成の初期においても︑東京資本による同様の先行投資がみられた︒M霊園の土地買収
に続いて︑東京大田区のI製材社(一九三六年創業)が︑武州長瀬駅北側の平地林を︑一二・三dあたり一︑三OO円
で買収し︑宅地を造成したのである︒しかし︑当時︑都心からの所要時間は︑平均乗り換え時聞をふくめて約二時間
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
を要し︑しかも山林を切り開いたばかりの宅地を購入する者はまれであった︒
かかる事情のもとで︑製材商の経験を生かして︑宅地付き建て売り住宅の販売部門を開始し︑本社を渋谷区千駄谷
に移転して分かれたのが︑T社である︒この建て売り住宅は一九六二年に着工され︑翌六三年︑宅地六六d︑建坪二
三・七六dの平家建てが︑総額四五万円(ロlン付き)で販売された︒毎月間借り賃程度の支出で︑一五年後に自己
所有となるという条件によって︑前述のような交通の不便にもかかわらず︑住宅難を反映してまたたく聞に第一次
一 ︑
00
00万円前後で七OO戸売り尽くしたのが︑第二団地である︒ 0戸(第一団地)が売り切れた︒この機に乗じて︑東方の隣接地に翌六四年に着工︑翌年︑同様の物件を一
M霊園が︑経営不振から立ち直ったのは︑同団地の形成によって︑駅利用客が増加したことを契機としている︒い
いかえれば︑団地形成と霊園の経営不振挽回は︑川越市以北の急速な都市化の始期にマッチして現われた相互に関連
する
( H 2
ぽH o
g ‑ )
現象であった︒なお︑前述のように駅員配置を促した霊園側の駅施設に対する要望一の方が団地側
153
のそれよりも早かったために︑駅ホlム・改札口のいずれもが︑霊園側(南側)に設けられ︑日常の乗降客数の多い
団地側(北側)との連絡には︑駅の踏み切りを経由しなければならなくなっている︒すなわち集落形成期の諸事情が
154
地 区 │ 世 帯 数 │μ
毛 日 山 1,865 38 JII 角 801 16 団 地 2,255 46
う ち 長 瀬 団 地 1,735 (35)
815 (17) 第 2団 地 680 (14) 第 3団 地 240 ( 4) 総 4,9211 100
毛呂山町の世帯数 表1
公共施設の配置に影響を与え︑その後︑事情が変化しても︑その配置が変化
しないで︑現在におよんでいる︒
町当局は︑団地形成当時は︑うっそうとした山林伐採地に︑
一九
七二
年現
(1972年3月,配給世帯)
在同町世帯数の三五%(表1)にも達するような集落が形成されることを予
期で
きず
︑
一九七O年建蔽率七O%と規定するまで︑建築許可不要地域とし
ご本
︑
幅員六
m )
を除
い
ていた︒したがって︑南北方向の自白山口
25 Z
て︑第一・第二団地内道路幅員は四・01四・五mであり︑現在の消防団組
織の下では︑出火時における著しい類焼を免かれない︒将来は︑団地外側に消
また︑平坦地であり施設が不十分であるため排水事情も良くない︒町当局や一般地元民が気付かぬうちに︑予想もし 防施設を設置し一軒おきに住宅を間引くという構想が伝えられている
a u o
なかった地域に︑忽然と︑人口数千人の集落が形成された点は︑日本の都市化︑大都市圏のスプロール化を考える場
合に︑きわめて重要な問題を提起するとともに︑政治地理学的な問題でもある︒
かくて︑西方の隣接地において︑第三団地二五O戸が一九六八年に着工され︑翌六九年に販売された︒東西方向の
白色
ロ臼
昨日
えの
道路
幅員
六t八m︑団地内道路幅員四・五ml五mとなり︑道路面積は全面積の三分の一強︑緑地面
積は全面積の三三分の一となった︒第一・第二両団地の形成によって︑数千人の人口を擁するに至ったために︑商庖
一戸
当た
り宅
が形成され︑小学校が増築されると︑第三団地では﹁買い物便利︑教育環境整備'一の
P.
R.
によ
って
︑
地二五%︑建坪六七%を増加しただけで︑当初価格の六倍を越える二八O万円で取引されるにいたったのである︒し
かもこの﹁買い物便利﹂の実態は︑前述のように︑低廉な不動産を入手した所得階層品)を主とする
BR r2
を背景
とするため低物価現象を伴っている︒したがって︑その小売商圏は︑団地以外の旧来の購買力をも吸収し︑さらに周
辺におけるやや高級な団地の立地底)を促している︒このことは︑都市化の官
02
訟を考える上で重要である︒
建蔽率七OMが規定された一九七O年の翌年に着工︑七二年に販売中の第四団地二三O戸では︑
自由
吉田
昨日
巳の
ほ
か団地周囲に幅員六1八mの道路をめぐらし︑二戸当たり土地は当初の五O%︑建坪は一O八%各増加しており︑当
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
初価格の一O倍余りで取引されている︒
以上のように︑長瀬団地は︑消費環境をつくりあげたデベロッパlの企業戦略に基づく性格規定を受け︑これに伴
う
BR WE
が形成されている︒
︑ 小 売 商 の 形 成
ω
概
観
既述のようないわば首都圏の都市成長前線帯にあたるスプロlル的な団地形成地域においては︑小売商の形成につ
いていかなる特色を生ずるかを問題にしたい︒一朝にして山林変じて団地となった地域は︑商業経営の立場からみれ
ば︑紛れもない
BR r2
の突発的な誕生である︒
した
︑が
って
︑
いかなる
52
rg
uB
によって︑小売商が形成され
るかを検討する必要がある︒形成の
B2 EE S
を端的に示す形態は︑次の五つであるo
付 独
庖員または職人岳)としての経験を経て︑直ちに開庖したもので︑第二次大戦前には﹁のれん分け﹂
立 型
Z3 F h u
ー的な独立の過程を踏んだものである︒戦前にみられた徒弟制度的な慣習が稀少になっている現在︑独立時における資
156
本の寡少性をぬぐえず︑庖舗購入価格の低廉さが開庖の条件として要求される︒長瀬団地における不動産入手価格の
廉価が︑この型の小売商の形成要因として︑重要な意味をもっ︒
付 進 出 型
すでに他地域において営業していた小売商が進出したもので︑いわば商業の立地移動を示してい
る︒商庖が実際に移動する場合と︑経営規模の拡張によって旧居舗以外に庖舗を新設する場合とがある︒後者では旧
庖舗と本支庖の関係になることが多い︒ハ円が主として実務経験をもつものの移動であるのに対し︑︒は経営の経験を
もつものの進出をふくむ︒また一般には︑同の資本の蓄積は︑ハ円のそれよりも大きい︒
伺 内 職 裂
既成市街地域では︑
EE 2‑
仏に適応した庖舗経営がすでに行なわれているので︑内職として営S
む庖舗の成立する余地が少ないのに対して︑都市成長前線帯︑いわゆる新興市街地域では︑それの成立する可能性が
比較的大きい︒急激な人口流入によって
SR
rz
が形成されるため︑小規模な営業でも︑一定期聞は︑存続できる
から
であ
る︒
悼 転 業 型
広舗の移動が︑転業を契機として行なわれる場合と︑移動後転業する場合とがある︒いずれも転業
に伴う江井が大きく︑経営的には︑日開ほどではないが︑不安定な要素を多くもっている︒後者の場合には︑通勤地
獄からの脱出を意図したものが多く︑これをタlン転業型と仮称する︒当該業種Uの経験がないものが多いにもかか
わらず︑開業し得るのは︑新興市街地域であるために︑当初は︑同業種の競合が少ないからである︒
白 事 離 農 型
新興市街地域成立前に︑当地および近傍において農林業を営んでいたものが離農して開設した庖舗
が︑この型に属する︒離農は転業の一種ではあるが︑とくにこの型を別にとりあげたのは︑いわゆる地元の農家が都
市化に伴う商業化に対して︑農業経営の離脱という直接的な適応を示す一面を明らかにするためである︒
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
団地内の人口と庖舗(l 972~千 3 月)
人 口 百 舗 数
実数│比率(%) 実 数 │ 比 率 問
第 1 団 地 │ 乙70 64
第 2 団 地 │ ω 9 1 29
第 3 団 地 │ 7
計 叫 吋 100
布
一 般 小 売 業 サ ス
日 衣 身 家 文 lマ
ハ l
用
貨辺細品
ピ lケ 計
品
・料食品 料 具 イヒ ス ヅ
品 類 品 業 トネ
29 7 2 51 10 26 1 801' 第 1団 地 36 9 3 61 13 32 11 100
511 70[100 39 67 46 50 51 14 4 3 15 36 :1 第 2団 地 39 11 8 42 100 ;1 25 31 20 26 231' 4 2 3 9¥1
第 3団 地 45 22 33 100)j 7 15 5
101 3 2 2 13 1 311i
隣 接 地 区 32 10 6 6 43 3 1001:
17 30 151 13 23 50 1001' 571 10 21 13 15 57
計 37 6 1 8 10 37 1 1001 1 100 100 100 100 100 100 100 100 (注) 脅ディスカウントショップをふくむ(表6・8も
同じ)
上段:実数,中段:地区内業種構成比(%) 下段:業種別地区構成比(%)
多小売商の商圏は︑小売商が立地する団地の範囲にとどまらないから︑各団地の人口比と庖舗数比は符合しない(表
表 3
の 分
種 業 表 4
3)
︒このことは︑第一団地の形成によっていち早くそこに立地した庖舗が︑
続いて形成された第二・第三団地の
BR
止をも包摂し︑さらに第二第三団地に形成された庖舗も︑第一団地に商圏を拡大して︑庖舗聞の競合が著しくW
157
なったことをも示唆している︒
庖舗の業種構成をみると(表
4)
三つのグループに分けられる︒第一は︑最も多数をしめる日用品・食料品とサ!
158
ピス業(計七四%)であり︑第二は︑比較的少ない文化品・家具類・衣料品(計二四%)︑第三は著しく少ない身辺細
貨品・スーパーマーケット(計二%)である︒第一のグループのうち︑日用品・食料品の比率は停滞ないし低下するの
気製品に対する需要が︑時を追って浸透することを物語っている︒ に対して︑サービス業の比率は逆に上昇している︒第二のグループのうち︑家具類の約半数は電気商であり︑家庭電
また衣料品・文化品は︑地元購買率の低さ8
﹀や
表わすのに対して︑スーパーマーケットの緩漫な進出がみられる
a ) O
BR ra
の限界を示している︒第三のグループのうち︑身辺細貨品は︑衣料品の場合よりも著しく
BR
えの限界をr
布 独 進 内 転 離 立 出 職 業 農 計
型 型 型 型 型
331 20 151 11 11 80 第 1 団 地 41 25 191 14 11 100 561 37 68 58 33 51 151 14 4 3 36 第 2 団 地 42 391 11 8 100 27 26 181 16 23 2 4 3 9 第 3 団 地 231 44 33 100
3 71 14 6 81 16 5 21 31
: 隣 接 地 区 261 52 15 71 100
141 30 261 67 20 581 54 221 19 31 156 言
十 371 35 141 12 21 100 100 100 100 100 100 100
の 分 態 形 表 5
形態別にみると(表
5)
第二団地では︑独
(注)上段:実数,中段:地区内形態構成比(%) 下段:形態別地区構成比(%)
立・進出両型合計の商庖数が八一%をしめる
のに対して︑第一団地では六六%であり︑残
りのほとんどは内職・転業型でって︑第一団
地における庖舗の族生を思わせる︒まだ︑第
一・第二団地と第三団地・隣接地区とを比較
すると︑前者の方が独立型の比率が高く︑庖
舗入手価格のより低廉
な前者の性格をよf g
く表わしている︒さらに第二団地は︑第一団
地と比較して︑独立型の比率よりも進出型の
比率
の方
が高
い︒
第一
一一
団地
およ
び憐
接地
区で
態 一 般 小 売 業 サ ス
日 衣 身 家 文 ノミペ才
用
辺 貨細&.
ビ J J 言十 品
・食料品 料 具 ヒイ ス ケ
ツ
ロ
ロ口 類 口'"口 業 ト
21 31 2 58 独立型 36 51 4 51 101 40 100 37 301 100 231 40,1 40 37 23 3
l i j
171 2 54進 出 型 44 6 311 3 100 40 30 301 100 35 8 2 31 9 22 内職型 36 9 14 41 100 141 20 20 16 14
3 2 19
転業型 161 10 161 21 1i 37 100 51 20 231 2711 12 12
2 3
離農型 67 100
4 2 ワ
貯 一
1砧61 い2寸 日
13言十 371 61 11 81 1011 371 11 100 1001 1001 1001 1001 10011 1001 1001 100
と 形 首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
種 業 表 B
上段:実数,中段:形態別業種構成比 (%),下段:業種別形態構成比(%)。
は︑進出型が四四1
五 二
%
をしめ︑独立型の比率が低
下している︒独立型比率の
減少進出型比率の増大の要
因は︑自担保えの存在が︑
より明りように確認される
ようになったことである︒
とくに第三団地における庖
(注)
舗数の八二形は︑第一・第
であり︑第二団地から隣接地区へ移動した転業型もみられる︒すなわち︑一戸当たり一層購買力の大きい新設団地へ 二両団地から移動した庖舗
と進出したのである︒
かくて︑形態別には︑三つのグループに分けられる︒第一は︑最も多数をしめる独立・進出両型(計七二%)
で あ
り︑第二は︑これよりも比較的少ない内職・転業両型(計二六形)︑第三は著しくない離農型(一一括)である︒
第二のグループの分布要因として団地が毛呂山町東部市街地の中心をなすに至ったために商業化されやすかったこ
159
シカゴのばあいのように都心の近くでなく︑大東京の最外郭でそなえ詰)﹂ と︑また﹁パージェスがシカゴについて﹁E﹂と画定した地帯(移民の一時的居留地)がもっていたような性格を︑
なお団ていたことなどが︑あげられる︒
160
地内の転業型には︑Uタlン転業型が多い︒第三の離農型が少ないのは︑急速に山林から市街化したこの地域におい
て︑転入者と伍して商業に転換するという農民の意識が少なかったことを表わしている︒また不動産価格が首都圏全
域からみれば低廉であっても︑在来農民の眼には︑著しく高価に映じたのであって︑都市化が急激であったことをも
表わしている︒離農型は︑今後︑団地内よりもむしろ隣接地区において増加するものとみられる︒
業種を形態別にみると(表
6)
︑日用品・食料品では進出型に次いで独立型︑サービス業では独立型に次いで進出型
が主体となっている︒またサービス業では︑日用品・食料品と比較して内職・転業両型が多いが︑逆に離農型が少な
ーケットは進出型だけである︒一般に各形態とも︑日用品・食料品︑ ぃ︒文化品・衣料品では内職・転業両型︑また家具類では転業型の各比率が高い︒身辺細貨品は独立型︑
スー
パー
マ
サービス業の比率が高い︒家具類の内職型はな
く︑離農型は日用品・食料品とサービス業に限られている︒
前 住 地 と 形 態 a b c d 東京
都
内 東 県 ab 県外 京 百十 都 を 23 除
区 下 内 く
42 21 11 31 58 独立型 72 41 19 51 100 51 18 24 171 37 15 71 22 101 54 進出型 28 12 41 191 100 181 64 49 561 35 12 1 7 21 22 内職型 55 41 32 91 100 15 91 16 101 14 13 1 2 31 19 転業型 68 51 11 161 100 16 9 41 17 12 3 3 離農型 100 100
7 2 82 11 45 181 156 E十 53 71 29 111 100 100 100 100 100 100 表 7
(注
)
上段
・実
数︑
中段
・形
態別
前住
地構
成比
(%
)︑
下段
・前
住地
別形
態構
成比
(%
)︒
前住地は︑東京都内二三区(以
下︑都内と略称)が過半をしめ
(五
三%
)︑
次い
で県
内(
二九
%)
︑
県外(東京都を除く︑以下同じ︑
二%)︑東京都下(七%︑以下
都下と略称)
の順
であ
る︒
前住地別形態構成比をみると
( 表 7)
︑独立型が過半をしめ
て進出型がこれに次ぐのは都内だけであり︑都下・県内・県外とも︑進出型が過半をしめて独立型がこれに次いでい
る︒また内職・転業両型の比率が高いのは都内︑内職型の比率が比較的高いのは県内︑転業型の比率が比較的高いの
は県外である︒さらに形態別前住地構成比をみても︑独立型は都内に著しく集中し︑内職型は都内に次いで県内にも
比較的多く︑転業型は都内に集中するほか︑県外・県内にもやや多い︒また進出型は︑県内・都内・県外・都下の順
に︑比較的散在している︒
首都圏の都市成長前線帯における小売商の形成
業種別前住地構成比をみると(表
8)
︑日用品・食料品・家具類・スーパーマーケットでは︑都内と県内の二大比率
が相半ばしている︒都内が大半をしめるのは︑衣料品・サービス業・文化日間であるが︑前二者は県内がこれに次ぐの
種
a b c d
東
都京内 東 県 ba 県外 京 言十 都 を 23
除く
区 下 内
日 用 品 24 61 23 41 57
42 111 40 71 100 食 料 品 321 55 521 22 37
一 5 1 2 21 10
衣 料 品 50 101 20 20 106 0
般 6 91 5 11
2 2
身辺細貨品 100 100
2 1
売
1 6 13 業 81 46 100 91 14 8 10 1 41 15
文 化 品 67 6 271 100
12 9 221 10 34 21 13 81 57 サ ー ビ ス 業 60 31 23 141 100 411 18 271 45 37 ス ー パ ー 1 I 2
50 50 100 マ ー ケ ッ ト 1 1 1
821 11 451 18 156 計 53 71 29 111 100 100 100 100 100 100
業
地 と
前 住 表 B 161
(注
)
上段
・実
数︑
中段
・業
種別
前住
地構
成比
{MF)
︑下
段・
前住
地別
業種
構成
比
(MF)︒
162、
に対して︑文化口問は県外がこれに次いでいる島なお身辺細貨品は︑すべて都内から輸入している︒
(B) 地 域 的 展 開
同じく表8において前住地別業種構成比を検討すると次の点が注目される︒すなわち︑サービス業が半ば近くをし
め︑日用品・食料品・文化口問・衣料品の順に業種構成を一訴す都内・県外からの転入商に対して︑日用品・食料品が過
半をしめ︑サービス業・家具類・衣料品の順に業種構成を示す県内・都下からの転入商が区別される︒
付
都内および県外からの転入商
都内l県外から転入したサービス業の八五l八八%は︑第一・第二団地に立地している︒しかし都内からの転入商
では︑独立型五O%︑進出型二四%︑内職型一五%︑転業型一一%であるのに対して︑県外からの転入商では独立型
が無く︑進出型六二一%︑内職型二五%︑転業型一一一%である︒日用品・食料品についても同様で︑都内からの輸入商
では独立型六三%︑進出型一七%︑内職型一一一%︑転業型八男︑県外からの転入商では進出型七五%︑転業型二五%
を示している︒いいかえれば︑サービス業︑日用品・食料品ともに︑都内からの転入商は独立型が多く︑県外からの
転入商は進出型が多いことがわかる︒しかし日用品・食料品の場合は︑都内からの転入商は︑第一団地に七五%︑第
一了第三両団地および隣接地区に各五%であるのに対して︑県外からの転入商は︑第二団地七五%︑第一団地二五%
である︒すなわち日用品・食料品商の場合は︑県外からの転入は︑都内からの転入よりもおくれ︑また︑県外から転
入したサービス業者よりもおくれて転入した︒
文化品については︑都内からの輸入商は第一団地六O%︑第二団地三O%︑隣接地区一O%︑県外からの転入商は
すべて第一団地に転入している︒すなわち︑県外から転入した文化品商は︑同じく県外から転入したサービス業者︑