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マルクス恐慌論研究序説

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(1)

マルクス恐慌論研究序説

1 1

マルクスとリカ!ド︑

シスモンディならびに

J

・ミルの恐慌把握の検討

1 1 1

一 口

順三郎・

目 次

まえ

がき

第一章ブルジョア経済学者の恐慌観

第一節リカ

Iド

の恐

慌観

第二節シスモンディの恐慌把握

第三

J :

︑︑

ルの

恐慌

観:

・:

・ハ

以上

︑本

号所

載)

第二章マルクスの恐慌把握第一節唯物史観の﹁公式﹂と恐慌

第二節経済学の﹁区分﹂と恐慌

第三節産業循環と労働者階級

簡単な総括 まえがき

本稿は︑科学的経済学の創始者といわれるK・マルクスが過

剰生産恐慌の問題をどのようにとらえていたかということを︑

ブルジョア経済学者の恐慌観との対比において︑明確にするこ

とをめさしたものである︒

恐慌が︑資本主義社会の発展において︑時代を画すべき意

義をもつものであったことは︑すでにあまねく知られていると

ころである︒一八二五年の最初の過剰生産恐慌は︑イギリスに

おける資本主義的生産の成熟と同時に欄熟を指示するものであ

り︑一九

OO

年の恐慌は︑資本主義の帝国主義的段階︑すなわ

ち︑独占資本主義の段階への移行の契機をなしたものであり︑

マルクス恐慌論研究序説(前編﹀二

O

(2)

マルクス恐慌論研究序説(前編)

さらに︑一九二九年の世界大恐慌は︑国家独占資本主義という

独占資本主義のヨリ発展した段階をもたらしたものである︒だ

が︑このような資本主義社会の発展における重要な意義をもっ

恐慌も︑この本質を充分な広がりと奥ゆきにおいて正しくとら

えるミとは︑きわめて困難な仕事であるといわなければならな

資本主義的生産における特徴的なこの過剰生産恐慌を︑もっ

とも深く︑もっとも包括的に研究した人は︑ほかならぬマルク

スである︒彼は︑丁度︑イギリス資本主義の発展がほぼ十年周

期の芯慌を迎える時に︑その生涯のほとんどを過している︒そ

して︑白らの身をロンドンにおいて︑そこで経済学の研究を行

い︑古典派経済学・俗流経済学の批判を通して﹁近代的社会の

経済的運動法則﹂を暴露したのであり︑その成果が﹃資本論﹄

である︒マルクスは︑この﹃資本論﹄においてのみではなく︑

﹃剰余価値学説史﹄・﹃経済学批判要綱﹄などの著作において

きわめてしばしば恐慌に関する論述を行っており︑又︑エンゲ

ルスやその他の友人への手紙あるいは雑誌への寄稿論文等にお

いても︑頻繁に現実の恐慌の進行具合やその特徴などを書きし

るしている︒さらに︑自らの研究のための準備として書きとめ

られたいわゆる経済学のつ区分﹂の中の最終項目に﹁世界市場

と恐慌﹂という一項目を残している︒これらの点から︑マルク

スは経済学研究に際して過剰生産恐慌がきわめて重要な意味を

もつものであると考えていた︑と判断することができよう︒ 二

O

本稿において︑考察は︑まず︑彼が経済学の研究を行うさい

に﹁導きの糸一として役立ったいわゆる唯物史観の﹁公式﹂を

検討し︑ここで彼が過剰生産恐慌をどのようなものとして理解

しているかを明らかにし︑ついで︑この﹁公式﹂の資本主義社

会への適用における彼のいわゆる経︑治学の﹁区分一において︑

過剰生産恐慌がどのようなものとして把握せられているかを究

明し︑さらに︑彼の生きた時代における具体的な恐慌に対し彼

がど

のよ

7な判断をくだしているかを︑産業循環とその下での

労働者階級の状態の検討を通して概観したものである︒具体的

な恐慌に対する考察の検討においては︑F・エンゲルスの所説

もマルクスの所説と並んでくみ入れられてあるQだが︑これら

の考察に先だって︑マルクスに先行するおブルジョア経済学者た

ちが︑この過剰生産あるいは恐慌の問題をどのように考えてい

たかを︑簡単に見てみることにした︒彼等は︑D

・リ

カ!

ド︑

s

・シスモンディ︑およびJ・ミルの三人であるが︑リ方

ド1 .

およびミルは恐慌が周期的恐慌としてプルジヨア社会を襲う以

前に彼等の理論的活動に携わっているのに対し︑シスモンディ

はこれが深刻な問題をeブルジョアJ位会にあたえるにいたった時

期に考察を進めている︒このような相違は︑当然︑彼等の労作

の中での過剰生産あるいは恐慌に対する取扱い方の相違を生一せ

しめるものである︒わたくしが︑前二者については﹁恐慌観一

といい︑後者については﹁恐慌把握﹂といったのは︑右にみた

ような相違によるものである︒彼等の考察を検討することによ

(3)

って︑マルクスの恐慌把握がヨリ深くとらえられると思われた

ので

ある

現段階における恐慌の問題を正しくつかまえるのはきわめて

困難な作業であろう︒資本主義的生産の基本的矛盾は︑もは

や︑以前の如く周期的な過剰生産恐慌としての発現形態にとど

まらない︒これの理解のためには︑﹃資本論﹄を中心とするマ

ルクスの理論と並んで︑レlニンの所説の検討が不可欠であろ

う︒ブルジョア経済学との対比においてマルクスの恐慌把握の

概観を試みた本稿においては︑﹃資本論﹄等にみられる恐慌に

関する理論的説明については立入って検討を加えていない︒レlニンの所得の検討とともに︑わたくしの課題設なすものであ

る︒本稿の主題を﹁マルクス恐慌論研究序説一としたのはかか

る所

以で

ある

第一章ブルジョア経済学者の恐慌観 ︒

ブルジョア経済学者として本章で考祭の対象伝とりあげろの

は︑﹁まえがき﹂においてみたごとく︑古典学派の完成者であ

ると同時にその最後の代表者であり︑過剰生産恐慌日固有の恋

慌を経験することなくおわったD

・リ

lドと︑過剰生産恐慌

を経験し古典学派への懐疑と同時に恐慌に対する解決策を模索

した最初の経済学者たるスイスのS・シスモンディ︑および︑

﹁販売と購買との形而上学的均衡﹂といういわゆる一セイ法則﹂

マルクス恐慌論研究序説(前編) の実際上の考案者たるJ・ミルの三人である︒一般的にいえ

ば︑本章においては︑各論者の恐慌に関する所説を検討するの

であるが︑リカlドについては︑然︑かいかに﹁一般的過剰生

産﹂を否定するかに焦点をあわせ︑シスモンディについては︑

彼の恐慌のとらえ方とその解決方法︑および︑その解決方法の

主つ客観的意義の検討を︑さらに︑ミルについては︑かの﹁セ

イ法則﹂の検討を︑それぞれ念頭におくものである︒

第 節

リカードの恐慌観

近代ブルジョア社会の最も特徴的現象たる過剰生産恐慌は︑

一八二五年にはじめて勃発する︒一八一七年に主著﹃経済学及び

課税の原理﹄合口岳刊号

E n

‑ ‑ 2 0

25

おと出

2 5 5 u

﹀出

口仏

︑叶同盟円山口与をあらわし︑一八二三年にその生涯を終ったリカi

ドは︑それ故︑この恐慌を経験しなかったわけであるが︑しか

しながら︑彼はまったく恐慌を知らなかったわけではなく︑一

八一五年の恐慌その他を経験している︒しかし︑これらの恐慌

は︑﹁近代的産業の特徴的な生活径路﹂(ロミ

n F R

庁芯

江田

片山

町内

門 巾 ず 叩

SE C

2

B G

巾 門 口

Q

g H

E

ロ 凹

仲 立

L

本論

﹄︑

第一

巻︑

ィン

ティ

テュ

lト

版︑

六六

六頁

︑長

谷部

訳︑

青木

書活

版島

︑九

八一

頁︑

以下

﹃資本論﹄からの引用はすべてこの版による)たる産業循環の一局

面としての恐慌とはいえず︑したがって︑固有の恐慌というこ

とはできず︑又︑リカlドは︑これらを紙幣の減価や穀物騰貴

等によって説明しえたのであるハ﹃剰余価値学説え﹄︑マルクス・エ

O

(4)

マルクス恐慌論研究序説(前編)

γゲルス全集︑ディ1ツ版︑第二六巻︑第二分冊︑四九八頁︑邦訳︑大

月板

︑六 七一 一良

︑円 以下

﹃学 説史

﹄と 略記

L︑全集からの引用はすべてこ

の板による﹀︒したがって︑リカ1

ドば

A‑スミスと同様に︑

資本主義的生産の一切の矛盾の爆発であり世界市場の大暴風雨

である恐慌を経験することなく終ったのである︒このようなリ カlドは︑資本主義的生産に矛盾を求めるのではなく調和を求 め︑破滅を求めるのではなく繁栄宏求める︒彼は︑生産力の上 昇にとって資本主義的生産方法がもっともすぐれた方法である と信じて疑わず︑これを﹁生産の絶対的形態

L

(山 富

D E

門印刷︐

RE

弘司

門司

昆長

o

p

﹃学説史﹄︑全集︑第二六巻︑第三分冊︑五O頁︑大

月版︑六二頁)として把握するのである︒このことは︑スミス 同様リカlドが資本主義社会を歴史的・過渡的な社会とみず︑

超歴史的な永遠の繁栄を続けるべき社会とみなすことに深い関 連 を も つ も の で あ る と い え る

︒ し た が っ て

︑ 当 然

︑ リ ヵ l ド は︑この資本主義社会の生産力の上昇が必然的に過剰生産を生 み出すというとと︑しかも︑この過剰生産はある特殊な部商に のみとどまるととなく︑あらゆる生産部耐を襲い一般的過剰生 産を結果するということ︑すなわち︑過剰生産恐慌を必然化す るということを認めることはなかったのである︒資本主義的生 産関係のもとでの生産力の発展は︑まだ根本的対立

1矛盾の爆

発を生み出すことなく︑したがって︑リカ

i

ドは与えられた現 実になんらの不安も疑問も起すことなく︑又︑自らの学説にな んら矛盾を感じることなく︑このような主張をなしえたのであ

ニ O

注1︑このように︑リカlドは﹁固有の恐慌﹂を経験せず︑した

がって︑﹁周期的恐慌﹂などは知りえないものであったのである

が︑ここに人あって︑﹁リカードにおいては︑恐慌現象は資本家的

商品経済にとって必然的なものとしては理解されなかったし︑まし

てや周期的恐慌として処理されることもなかったといわなければな

らない﹂と主張し︑その﹁理由﹂として︑﹁形態的機構内?)や変

動過程ハ?)を消極的に処理したハ?)ところに︑りカlドにおい

て恐慌の必然性や循環過程の解明が欠如する根拠があったといえよ

う﹂︿﹃資本論講座﹄青木書庖版︑第七分冊︑二三i

四頁 参照

ハ?)l高橋︑ちなみに︑関連箇所の執筆者は︑大内力氏と大内芳

明氏 であ る︒

Vというならば︑それにはどのように対応すればよい

であろうか︒正確を期すため関連箇所を全文ここに引用してみるこ

とに しよ う︒

﹁以上のようなリカード恐慌論の帰結がどうして生じたかについ

ては︑もちろん︑いろいろな理由をあげることができる︒しかし︑

ここではただつぎのことだけを指摘しておくにとどめよう︒周知の

ようにリカードは﹁ブルジョア体制の生理学﹂の出発点を︑投下

﹁労働時聞による価値規定﹂においた︒そして︑資本と賃労働の対

立を利潤と労賃の反比例関係としてとらえ︑それをさらに必要労働

と剰余労働の分割関係に還元したのである︒だが︑同時にかれは︑商

品形態に特有な価値としての同質牲を︑いわば超歴史的な生産物一

般としての同質性︑つまり︑たんなる投下労働量に解消してしまっ

た︒そのため︑価値が労働によって規定され︑さらに利潤としての

(5)

剰余価値が剰余労働という内容をもつにしても︑ぞれらはいずれも

商品経済に特有な形態的機構ときりはなしえないものであることを

じゅうぶんに明らかにすることができなかった︒むしろ︑それらの

機構は全面的に看過されてしまうのであり︑たとえば価値形態を基

礎に価格が価値から軍隊しつつ表現されることも︑またそれが需給

の対立をとh潤して変動する市場価格の形態をとることも︑積極的に

解明できなかったのである︒また︑かれは︑利潤と労賃が実質的内

容においては投下労働量の分割関係に還元されるにしても︑資本関

係としては労働力の商品化を前提しつつ資本家的商品経済に特有な

剰余価値生産の機構が展開されざるをえない点についても︑かなら

ずしもじゅうぶんな理解をもっていなかった︒あるいはまた︑剰余

価値の生産が︑資本の回転期間によって制約をうける点についても︑

立ちいった検討はしないままで︑ただ価値論の修正要因にそれを解

消してしまっている︒要するに︑りカIドにおいては︑投下労働量

による価値規定にたいして︑﹁そのほかの諸範謄││生産諸関係と

交易関係﹂が︑﹁どこまで一致し︑または矛盾するか﹂という見地

からの検討があるにとどまり︑労働による価値規定によって法則と

しての内容のあたえられた価値法則が︑商品経済に特有な形態的機

構をつうじて貫徹してゆく姿は無視されてしまった︒したがって︑

流通商における価格変動や労賃︑利潤率および利子率の変動などは

看過されざるをえなかったのである︒このように︑形態的機構や変

動過程を消極的に処理したところに︑リカlドにおいて恐慌の必然

性や循環過程の解明が欠如する根拠があったといえようじ

この筆者独特の用語法たる﹁形態約機構﹂あるいは﹁変動過程﹂

といった概念に対して筆者自身による明確な規定が与えられていな

マルクス恐慌論研究序説(前編)

いわれわれは︑これらを筆者の意図にそって正確に把握することは

不可能のように考えられるが︑次の点についてはたしかなように思

われる︒すなわち︑彼は︑一方において﹁商品経済に特有な形態的

機構﹂といい︑他方では﹁資本家的商品経済に特有な剰余価値生産の

機構﹂といっている︒したがって︑彼が﹁形態的機構﹂という場合︑

それは﹁商品経済﹂に﹁特有﹂なのであって﹁資本家的商品経済﹂

に﹁特有﹂なものではありえず︑あるいはむしろ﹁資本家的商品経

済﹂をも包括する﹁商品経済﹂に﹁特有﹂な﹁形態的機構﹂を問題

としているということである︒だが︑このような考え方はそれ自体

重大な問題をもつものであろうoなぜなら︑恐慌は︑﹁商品経済﹂

一般に︑すなわち︑単純な﹁商品経済﹂にも﹁資本家的商品経済﹂

にもあてはまる﹁商品経済に特有な形態的機構﹂から説明されるべ

きものではなく︑まさに﹁資本家的商品経済﹂そのものから説明さ

れるべきものだからである︒すなわち︑恐慌はまさに﹁資本家的商

品経済﹂にこそその根拠をもつものであるといわなければならない

のである︒したがって︑かかる﹁商品経済に特有な形態的機構﹂が

﹁消極的に処理﹂されると︑なぜもって︑資本主義社会にのみ特徴

的な﹁恐慌﹂の﹁必然性﹂や﹁循還過程﹂が解明しえないのかは︑

とうてい理解しえないところである︒あるいは︑逆にいいかえると

この﹁商品経済に特有な形態的機構Lがいかに積極的に﹁処理﹂さ

れようとも︑かかる﹁商品経済﹂一般に﹁特有な形態的機構﹂をも

ってしては︑資本主義社会にのみ固有な恐慌はとうてい説明しえな

いところである︒だが︑一歩譲って︑この﹁商品経済に特有な形態

的機構﹂を︑筆者の説明ハ﹁資本家的商品経済に特有な剰余価値生

Vから付度して︑﹁資本家的商品経済﹂に﹁特有な形態的

ニ O

(6)

マルクス恐慌論研究序説(前一網)

機構

E解釈し︑さらに︑りカlドの天才がこの﹁資本家的L

な﹁ 形

態的機構﹂を積極的に﹁処理﹂しえたとして︑彼は果して良く﹁循

環過程の解明﹂が行いえたであろうか?一八一七年の司原理﹄の

書かれた時代は︑本文にものべたとうり︑まだ﹁箇有の恐慌﹂は勃

発しておらず︑したがって︑産業循環の運動を通しての資本主義的

生産の発展はまだ明確にその過程をあらわしていないのである︒し

たがって︑いかにリカlドといえども︑かかる歴史的時代において

﹁恐慌の必然性﹂や﹁循環過程﹂を解明することがとうてい不可能

であるととは︑むしろ当然のことといわなければならない︒たとえ

ていえば︑魚のいない水泳プールに釣糸をたれ︑魚がそこで釣れな

い理由として︑それは永の流れや釣糸についての正しい理解が欠如

していたからだ︑と説明するものがもしいたとしたら︑その人は正

常な思考の持主とはたしてみなされるであろうか?むしろ逆にリ

ヵIF

が資本主義的生産の諸矛盾の恐慌という形態における周期的

爆発を経験しなかったところに︑資本主義的生産についての彼の正

しい理解もなしえなかった大きな根拠の一つがあるのだ︑というべ

きで ある う︒

ちなみに︑同じ筆者は︑マルFスの﹁恐慌論﹂に先きだちりカー

ド等の学説を検討する理由として次の如︿のべている︒

﹁﹃ 資本 論﹄ には いる まえ に︑ マル

Fスに先行する古典的な恐慌学

説について︑ごく簡単に検討しておこう︒それは︑たんなる学説史

的興味にもとづくものではない︒むしろマルクスの恐慌論が︑古典

的な学説にみられる対立論争を︑かならずしもじゅうぶんには止揚

していない︑またそのために︑マルFスの恐慌論にも︑多くの矛盾

と混乱がはい9こむことになり︑それがまたマルF

ス以 後の 論争 の

二 一

O

源流ともなっている︑といった事情があるからである﹂門前掲書一

九頁

υ

かくて︑この筆者の立場は︑わたくしがリカlドやシスモンディ

等をとりあげる立場とは根本的に異なるものである︒

とはいうものの︑リカiドは一般に過剰生産をすべて否定し

てしまうというわけではない︒現実の資本主義的生産はそれを

許さない︒彼は特殊な部面での過利生産は認める︒しかし︑一

般的過剰生産は認めないのである︒このことを﹃経済学及び課

税の原理﹄(以下﹃原理﹄と略記)第一一一章﹁利潤及び利子に

及ぼす蓄積の影響﹂において次の如くのべている︒

﹁生産物は常に生産物または勤労によって購買されるもの

であって︑貨幣は単に交換を行なう媒介物たるに過ぎぬ︒特 定貨物が余りに多く生産せられ過ぎて︑それに賛された資本

を償わぬ程の供給過剰が市場に起るということは起り得る︒

併しこれは︑一切の貨物に就いては有り得ぬことである︒穀 物に対する需要は︑之を食うべきロによって︑靴や上衣に対 する需要は︑之を

14用すべき人々いいよって制限される︒併し

一つの社会︑若しくは社会の一の部分は︑その消費し得る限

り︑または消費せんと欲する限りの穀物や帽子や靴を有する ということはあり得るけれども︑同じことは自然若しくは技

術によって生産せられた一切の貨物については言われ得ない

のである︒或る人は︑若しそれを獲得する力さえあれば︑も

っと多くの葡萄酒を消費するであろう︒他の充分の葡萄酒を

(7)

J除+眠時〈々~'w8~議団IK8主張刷;<て]饗1←会'例‑1'.2竺w(;n1l郎副thote wine, if they had the abi1ity to ptocute it. Oth巴r'S

訂料rr~イベJおrl'(lP長心小。例-1'.21>ミ8-<々~'w8i幽~;<寸這having enough of wine, would wish to incr聞記the

s:;:-.'拠.-.Jv~w8蝋幽向型F撚如、と心事長,_)~随時会4辰.jÇ-QOquantity or improvthequality of their furniture. Others 

)J .jC排8)J--'J-4Jj積'拠,_)v~,ν84訴のせ申込)1と~ぐ--'J話rl'(l騒might wish to ornament their grounds, or to enlarge 

+VぬくQ主護軍駐日揮'x:J;:::::ご必.jÇド臨時。~旧民(:6l'(l.,.;J8き-1'.2their houses. The wish to do all or some of these is 

'~息収QP~心,}Ë,_)~銭!I(-Rw緊迫~.-.J早止の.,.;J8竺'州側8imp1anted in every man's breast; nothing is required 

罫異~~.'1~-(::6ニ8\J~l'(l。J叫主手:灸{ei毒手民b主主砲程屯ホHbut the mans,and nothing can afford the means, but t五.'1(:6,_)思~-1'.2必,.0'~'誕竺令~~持込),_)γ1)心('I~[幡叫淀an increase of production. If 1 had food and ncessnes

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味).t<会対ニド崎心小j

C

‑Eo咲馬,:f阿古起伏世擾clιyl1f司‑,くJm()Omen who wou1d put me in possession of some of the "Productions are always bought by productions

, 

or objects most useful or most dir1eto me." ("Works" 

by services ; money is only the medium by which the Bd. 1, Cambriuge at the University Press, 1953, pp, 291‑2.) exchange is effected. Too much of a particular comm‑=' 1モ-~:2付l'(l--'J'Iま服組主主J(particular commodity).'1 

odity may be produced, of which there may be such a 主主主~摺謀'がお♀♂摺震引制:長必心小心。-I'.2--'J付'TfI"縦蓉今

glut in the market, as not to repay the capital expen‑詳今斗対や誌の。リ足心主,w.jÇωI~'r-て初口J(the mou‑

ded on it; but this cannot be the case with respect to ths which are to eat it)今「調理担いて的‑<~ j (the persons all commodities ; the dmandfor corn is limited by the who are to wear them)斗叫やV鑓殺宮お軍医仏).,.;Jわ.,.;J8P

mouths which are to eat it, for shoes and coats by the ~l'(lo)J足斗殺,_)~ノ,%,_)ド毒ij翼手喜震...lJ-0ぶ-(::6ニ4眠雰ψ怖心~persons w ho artowear thm;but though a commun‑s:;:-.小的。権限慎今橋回K~ベ忠臣~8D'Y}殺到:長会J.jCP必旬。トJ.jC

ity, or a part of a community, may havasmuch corn, 8.,.;J8.'1殺,_)~w8[!~w空~,_)ロg~匹余!吾:斗w却のトJ--'J.'1~ニトノ

and as many hats and shoes, as it is able or may wish .,.;J 0 -<~

I

陸軍側j(breast)さ息堅p~l'(lOw.‑.J¥‑‑,T<'リ£♂to consume, the same cannot be said of every commαlity 8ゆ々1)茨ト的事長側‑H'時的.,.;J88揺捌81長時込書受8.,.;J88事長

produced by nature or by art. Some would consume lw剖ぺ;;r~リ二小吋小.'1~員i量EE1)主fl~J小l'(l.,.;J8十時的。えJ

ト土ミ~K民J陸海$長民~~寝(iE!緊)111 1 

(8)

マルクス恐慌論研究序説(前編)

れ故︑これらの貨物においては供給過剰あるいは過剰生産は起

りえず︑たえざる生産力の増大こそこの願望に答えられる︑と

いうのである︒したがって︑かかることの結果として︑﹁特定

貨物﹂を生産すべき生産部面においては供給過剰はありうる

が︑全般的・一般的な供給過剰は決して起らない︑ということ

が結論されるのである︒

生産に対する無限の信頼と資本主義的生産方法を生産力の飛

躍的増大を可能ならしめる唯一の生産方法と考えて疑わないリ

カlドは︑かかる主張を彼の科学的立場と共存せしめているの

であり︑又︑現実に生産力増大の結果としての一般的過剰生産

がまだ勃発していない資本主義的生産の発展段階において︑彼

はこのような主張をなんら彼の科学的良心にそむくことなく行

いえたのである︒だが一体︑このような主張は果してよく受け

入れられるべきものであろうか︒ここで一貫して流れている思

想は︑資本主義的生産とはすなわち使用価値の生産であり︑人

間の生活にとっての﹁富﹂の生産である︑ということである︒

だが︑このような思想ほど資本主義的生産の本質とへだたって

いるものはない︒資本主義的生産の本質は使用価値の生産では

なく︑価値の生産であり︑剰余価値の生産であり︑できるかぎ

り多くの他人の剰余労働の取得である︒リカlドは︑資本主義

的生産における特徴的な過剰生産の説明において︑資本主義的

生産の本質を無視して︑それ以前のすべての歴史的生産形態の

説明の立場に立ってこの過剰生産を否定するのである︒さら

に︑マルクスの指摘する如くハ﹃学説史﹄︑全集︑第二六巻︑第二分

冊︑

O七頁︑大月版︑六八四頁参照﹀︑現実の恐慌の際には︑社

会の圧倒的多数の人々ーーー特に賃銀労働者

li

は︑彼等の必要

とする生活手段から遠のけられているのであり︑﹁過剰生産﹂

の結果﹁過少消費﹂を強いられているのである︒社会のすべて

の﹁食うべき口﹂や﹁着用すべき人々﹂にその欲求が充たされ

たあとでなければ過剰生産はありえないというのならば︑そも

そも﹁特定貨物﹂における供給過剰さえ今まで一度たりともあ

りはしなかった︑といわなければならないであろう︒

注2

︑こ

のリ

19

トの

主張

は︑

シス

モン

ディ

のう

けつ

ぐと

ころ

なっ

た︒

彼は

︑リ

lド

の詑

弁的

な過

剰生

産に

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経済

学新

原理

﹄世

界古

典文

庫版

︹上

︺︑

九八

頁﹀

特殊な部面における過剰生産はありうるが︑一般的な過剰生

産は決して起りえない︑というこのようなリカIドの主張とは

正反対に︑マルクスは特殊な部面(主要な商品)における過剰

生産が一般的な過剰生産(したがって恐慌)をひきおこすと主

張す

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﹃学

説史

﹄︑

全集

︑第

二大

巻︑

第二

分冊

︑五

二三

頁︑

大月

版︑

(9)

七O六頁参照﹀︒たとえば︑綿織物業において綿製品の過剰が

起ると︑まず第一に︑この産業に従事する労働者に影響するこ

とになり︑彼等の消費は制限されたり︑あるいはまったく中止

されたりしてしまう︒綿製品を含む彼等の消費対象はそれだけ

収縮することになる︒だが︑それだけではなく︑綿織物業にお

ける過剰生産は綿紡績業者や綿花商人に︑さらに︑機械製造業

者や鉄鉱業者等々にまで影響を及ぼし︑彼等の商品の販売不可

能をもたらすであろう︒これら関連諸部両における労働者の消

費は︑それらの資本家の収入部分の消費とともに︑制開削される

ことになるのである︒ここでは事態は二重である︒一方では︑

綿織物業や各関連諸部面の労働者及び資本家の消費が制限せら

れることによって︑消費手段の過剰が生ずる︒他方では︑直接

・間接に綿織物業に関連する諸部面における生産物すなわち生

産手段の過剰が生ずる︒従って︑綿織物業という一生産部面に

おける過剰生産が消費手段生産部門及び生産子段生産部門にお

ける一連の過剰生産︑すなわち︑一般的過剰生産をもたらすと

いうことである︒ここで注意しなければならぬことは︑これら

綿織物業以外の生産部面においては過剰生産が行われていなく

ても︑すなわち︑綿織物業における順調な再生産にとって必要

なだけしかそれらの部簡で生産されていないとしても︑やはり

︑ ︑

それら関連諸部面においては相対的に過剰生産となっていると

いうことである︒このように︑特殊な部面の過剰生産の肯定と

一般的な過剰生産の否定というリカlドの主張とはまさに正反

マルクス恐慌論研究序説(前編﹀ 対に︑主要な生産部面における過剰生産が一連の過剰生産をひきおこすのであり︑かくして一般的過剰生産をひきおこすことになる︑とするマルクスの主張を知ることができる︒

さらに︑貨幣の機能を考慮してヨリ具体的にこの過程をみて

みるならば︑次のようにいうことができよう︒たとえば︑綿織

物業者は白己の商品を商人に売り︑代金を手形で受取ったとし

よう︒つまり︑貨幣は支払手段としての機能を果すのである︒

同僚に︑綿織物業者は綿糸を紡績業者から手形で購入し︑紡績

業者は綿花や紡績機をそれぞれ綿花商人や機械製造業者からや

はり手形で購入していたとしよう︒いま︑綿織物業者が手形の

満期になコて世間人から支払いが行われないとすれば︑彼は紡績

業者に対しても支払いを行いえず︑紡績業者はまた綿花商人や

機械製造業者に対しても支払いができなくなる︒かくして︑一

連の取引はすべて停止され︑ざるをえなくなるのであり︑こうし

て恐慌が起るのである︒このような恐慌は︑貨幣の機能の中の

支払手段としての機能から当然起るものであるが︑リカードの

ように︑貨幣を﹁単に交換を行う媒介物﹂

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は︑とうていこれらの諸関連は理解しえないことになるのであ

さらに又︑リカlドは次のように主張して︑ る ︒

を否定することもできるのである︒

﹁われわれが大都市の市場に注目して︑趣味の変易又は人 一般的過剰生産

一 一

一 一

(10)

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粧直~!_よ民主-Q卓~i?'-2.::J週均株{11f,:草子(11哩恩~..>Jシトm同~-Hl'‑‑.J竺S~~語的弱;)~リ心的--.J'‑2lt:‑iミ足ド二時ト)..>J;<c覇軍ぬモト~'~'Jミ~-C,jヰ2::,6駆4寺山時審判(\1'国--.JvI\J8主主政ベH眠時捌邸~+C

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When we look to the markets of a large town

, 

and observe how regularly they arsuppliedboth with ho‑

me and foreign commodities, in the quantity in which they are required

, 

under all the circumstances of var‑

ying demand

, 

arising from the caprice of taste

, 

or a change in the amount of population

, 

without often pr

ducingeither the effects of a glut from a too abund‑

ant supply, or an enormously high price from the su‑pply being unequal to the demand, we must confess 

that the principle which apportions capital to each trade 

in the precise amount that it is required, is more act‑ivthanis generally supposed." (ibid., PP. 89~90.)

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In the ordinary course of events

, 

there is no comm‑odity which continues for any length of time to be supplied precisely in that degree of abundanιe, which 

the wants and wishes of mankind require

, 

and the‑refore there is none w hich is not subject to accidental 

and temporary variations of price. It is only in consequence of such variations, that ca‑

pital is apportioned precisely, in the rquisiteabundance and no more, to the production of the different commodi‑

ties which happen to be in demand. With the rise or fall of prise

, 

profits are elevated above

, 

or depressed below 

their general level

, 

and capital is either encouraged to enter into, or is warned to depart from the partic‑

(11)

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このように︑彼は︑資本主義社会においては需要の変動につ

れて資本の移動が起り︑この需要の変動に応じた供給量が確保

されること︑資本のこの移動が一般的利潤率

(1

一利潤の普通水

準﹂)一を形成すること︑したがって︑各資本の利潤を求める運動

は︑﹁貨物﹂の﹁過剰より起る飽充

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を決して生み出すものではないこと︑これらの

ことを主張するのである︒だが︑ことですぐ問題となること

は︑前にみたリカlドの主張である︒そこで彼は︑一般的過剰

生産を否定するために︑﹁食うべき口しゃ﹁着用すべき人々﹂

に制限を見いだす穀物や靴や上着にほ過剰はありうるが︑﹁願

望﹂の増大し7る様々な貨物には決して過剰は起りえず︑した

がって︑一般的過剰生産はありえないと主張したのである︒も

し︑今われわれがみたような資本の移動による一般的過剰生産

の否定の説明をもってするならば︑なぜ穀物や上着守続に過剰

がありうるのであろうか?リカ

Iドは︑以前には資本主義的

生産を使用価値の生産・﹁富﹂の生産とみなし︑ここではそれ

と異なりこれを利潤のための生産とみなしているのである︒

このような資本主義的生産に対する相対立する見解の並置は

問わないとしても︑かかる資本主義的生産に対する楽観論は︑

リカ

i

ドまでは存在理由をもっ︒恐慌による爆発を経験しない

リカ

lドにおいて︑かかる説明をもって一般的過剰生産を否定

マルクス恐慌論研究序説会前編) することは︑一定の現実的根拠をもつものといえる︒だが︑一度︑一般的な過剰生産すなわち恐慌が勃発するに到れば︑資本の移動による均等化の回復は︑一般的過剰生産を否定するものではなく︑逆に︑かかる資本の移動による均等化の回復こぞ︑一般的過剰生産したがって恐慌という形態でのブルジョア的生産の諸矛盾の爆発である︑といわなければならないのである︒恐慌は︑あらゆる生産部面における過剰生産を強力的に調援する過程であり︑かくして均等化を回復する過程なのである︒マルクスが︑恐慌はつブルジョア的経済のあらゆる矛盾の現実的総括および暴力的調整としてつかまれなければならない﹂(ロぽ巧色

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﹃学

説史

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第二

六巻

︑第

二分

冊︑

五一

O頁︑大月版︑六八九頁﹀といい︑

﹁撹乱された均衡を瞬間時に建設する暴力的爆発﹂(官宅由民1

目白

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第三

巻︑

二七

七頁

︑長

谷部

訳︑

青木

書市

出版

山︑

三六

一│

二頁

Vという時︑右にみたような

リカ

iドの見解に対する適切な批判ともなっているということ

ができるであろう︒

さて︑このようにリカ1ドによる一般的過剰生産否定に関す

る前拠は︑あろ場合には詑弁的性格をもつものであり︑あろ場

合には現実の発展にょうて破産せしめられるべきものであっ

二一

(12)

マルクス恐慌論研究序説(前編﹀

た︑といいうるものである︒まことに︑リカiドは幸せにも良

い時に亡くなった合経済学批判内全集︑第十三巻︑一五三頁︑大

月版︑一五五頁参照)︒彼の死後二年をして︑資本主義的生産はは

じめて過剰生産恐慌を経験するのであり︑このことは︑資本主

義的生産に対する彼の期待と真正面から衝突するものであり︑

﹁富﹂の生産にとって資本主義的生産がもっともすぐれた形態

であるという彼の﹁信仰﹂をうちくだくのに充分なものだった

であろう︒したがって︑彼の﹃原理﹄に対する深刻な反省を呼

びあこさずにはおかなかったはずである︒リカiドほ︑このよ

うな苦痛をすべて味わうことなくその生涯をおえたのである︒

だが︑一八二五年恐慌は︑従来の経済学に対して深刻な疑問

と徹底的な反省とを呼びおこさ令いではおかなかった︒人類に

幸福と繁栄とをもたらす﹁富﹂の増大︑この増大をなしうる唯

一の生産方法と考えられていた資本主義的生産方法が︑それと

まったく反対に︑過剰生産による﹁富﹂の破壊を︑賃銀労働者

に失業と飢餓を︑資本家に破産と没落を︑もたらしたのであ

る︒かかる現実は︑もはや︑資本主義的生産方法に対して従来

のような楽観論をいだくととを不可能にした︒ここに救いがた

い矛盾があることが明白になってきたのである︒この矛盾を最

初に主張した人が︑スイスの経済学者シモンド・ド・シスモン

ディである︒次にわれわれは︑節を改めて︑このシスモンディ

の所説を︑恐慌に関する彼の叙述を中心として︑概観してみる

こと

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二一

第二節シスモンディの恐慌把握

シスモンディの主著﹃経済学新原理(│iまたは人口との関係

での富について﹄

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由江口口・以下司新原理﹄と略記)は一八一九年に初版が出されて

いる︒すでに︑イギリスはナポレオン戦争後の一八一五の恐慌

を経験しており︑その影響はヨーロッパの各国にも波及してい

る︒彼がこれら諸国を旅行してみて体験したととは︑労働者の

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版︑

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巻︑

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訳︑

世界

古典

文庫

(上

)︑

一ニ

O頁Vの状態であり︑資本家の倒産であ

り︑又︑貴族の動揺であった︒若い時からA・スミスに親しみ

傾倒していた彼ではあるが︑これらの現実は︑彼をしてスミス

の体系に対する疑問と不満を起させるのであり︑さらに︑その

体系

に対

する

﹁修

正﹂

(自

丘町

民円

三邑

口前

掲書

︑二

九頁

︑前

掲訳

︑二

3九頁)の必要をも感じさせるのである?一八一一五年の恐慌の一

年後に出された第二版への序文において︑われわれは︑いかに

彼および他の経済学者たちがこの現実に当惑し狼狽していたか

を知ることができる︒

﹁(初版発行より││高橋﹀七カ年の歳月は流れ︑そして諸

事実は決定的に私の味方に立って闘い抜いたように恩われ

る︒現実は︑私に対立していた学者逮が︑偽わりの繁栄を追

(13)

,*̲̲j ¥‑' :二;'.2..1Jニ小ト)4~tlWGilI\I縄~'~平~~-BIK~!1終判手~rendre le riche plus riche, elles rendaient aussi le 

;'.2心リt{'!1.;.c;ニド'義組窓畑Q踏榊収型

N(

;<,Jja'誕1)判キJ;'.2..1Jpauvre plus pauvre, plus dependant et plus depourvu. 

竺ニ吋'持軍-<G;'.2~!1tEl2~吸収}~;'.2容器*G$重刷w策令可1J‑lp;'.2 Des crises tout a fait inattendues se sont succedees dans 

J) ..1J'六!̲̲j \-'提起wG間程~'~Dm*申込1怖い肘ト抑制キ)I'(l己附ole mondcommercial;les progrsde l'industrie et 

;'.2..1Jト』己主'~平42YE経1J'紙特ω二吋ニム;,~l!Ð!1'.怖いde l'opulence n'ont point sauve 1sindustriels qui 

析が総眼安三'怖い制ト隠昨制ゆ斗トlQ.,;lG~fu;'.2J)..1Jω, crientcette opulence, de souffrancinouies; les faits 

話徒会Pド.t'.‑J車生相会o;'.2~~久JíW!f!1胤íW__j;'.2G~fu 0 ;'.2.0 n'ont rponduni a l'attente commune, ni aux pric‑

t1vtl!êニ4窓会おニ尚墜ささ'涯鰍#~目斗寝返ニ千"M-'=ゾ幽鰍tions des sages, et malgr岳lafoi implicitque les disci‑

..1J何事草Q智矧‑.1)'J) G~Dm緯恥忍o氾__j;'.2~回線総現世;<,I*:唖1II4尽Gples enconomiepolitique accordent aux enseignements 

持照会心~v総ニ沼キJト'降伏当,~G 喪世.:J.~"例;'.2稀de leurs maitres, ils sont contraints de demandrail1e‑G~m!1.,;l国吋のふ)..1J.t'v' ~ ̲̲j ¥‑'根本州込者12謀略Eが!1urs des explications nouvells,pour des phenomnes

~ニヤ.J~G組制栴!1JJトペ;'.2禦設:fH~~迂!1.,;l会会Jミバグト'きさqui s'針。ignentsi fort des rglesqu'ils croyaient etablies." 

紳士主'お紳為様制収J~;'.2.,;lG..1J!!l)l!0\-,ニ人)惚斑表会♂,,*0!1(Edition Jeheber, 1951, Tome premier, 18p.) 

吟♀闘士書量平ユドニI'(l縫匝F総G;'.2~G~;'.2おお苔ω'主主!14特定的知的,'J QJ暖辺ÇI:;'ν去三Qム~""主」間てνユチ,,0['杓心主」相~!l総

J)..1JG4経費事お的

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判。14110;'.2G~1告のIiii;~$\fr' l11Hヰ<Jm()O~νP制令怖が;$:l;!'ト~~・K~Q士まい*11細心..),;d過同Q判断Sept ans se sont ecoul白,et les fai ts me paraissent 起All味鰍組Al制機ll!!!~眠時辺倒(',;dJ(綬榊尽援貸料〉。

avoir victorieusement combattu pour moi. Ils ont prouve, ト)G吋."対話再+キ判榔雲母

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兵士的基iii̲̲j二飾品自Q五里1:':2"'‑60bien mieux que je n'aurais pu faire, que les savants ¥‑"や桝ド「煙草i:

‑.1)I' \-':蟻縦判~¥‑':二今'J代川?くQ法制三!1殺dont je m'taisspar岳品taienta la poursuitd'unefausse ̲̲j'様̲̲jv,¥K中入11‑‑干為{!jJ,.0G賂b'11.:)..1J̲̲j ;'.2 ..1J当労Qム十トお

prosperit品;que leurs theories, la 0ellesetaient mises J)..1J ~ fu I'(l。

en pratique, pouvaient bien accroitre la richesse mat「都世;:;¥‑' <-1士!1-rlQ持制ill!1~ニド'5422'細為-<~Gトてriel1e, mais qu'elles diminuaient la masse de jouissances ¥‑' G王手陣宕お玉虫剤~G暗号事司ベJ̲̲j ¥‑' 1刑法G~1)脈経トト(ò;ê_)~!1

r岳servesa chaque individu; que si elles tendaient a ~' ~DmG饗矧竺〈口Q型手~!1{会トト(ò.,;lGやぶさご平1324フ必ぷニ

ト々そ'\K雨量宮司~i$R~itt?~思c1昆!繋)

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(14)

トえそ'¥1'<国4望三糟座長';1怯鰐Ciii:!議)111 

IJ -\.J'怖;!.2IJC-<Gl:@!:PG~oæGくR偏+ú'縦装ぷ1\S1:l昼剥まと小一i吋Jm()。

F明記込j思‑VIJ‑‑'JG崎心理E4ヲニム‑6"5".0高ややお初4ヰ

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士ヰヰ224dJ'ai cherche a etablir, dans le livre que je presente 

心ぷニルJ‑‑'J;),J'1掘¥lf....)吋小弐)挺ぺ;!.2GP今(i;l'(!O~:長叩くRCd巴nouveauau public, que pour que 1es richesses con‑

腿‑‑'J....);!.2)J吋竺'トてドC‑<々Q鼎!思G;!.2>;:1ささ,¥主舵系紙tribuent au bonheur de tous, en raison de ce qu'elles 

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%....)¥‑'製,ばぷ二‑‑'J>,,)J‑‑'J:みとさi植民十時三九'海側Q智黒為く口1'homme, i1 faut que 1eur acroissement se conforme 

Q饗異三社ニF肱新制込,~ ....)‑v' ~ilV制制今眠時数民持--'J'a 1'accroissement de 1a popu1ation,巴tque 1eur distribu‑

W‑iごω湾臨いの〈ロ4LJ4窓←l'(!)J‑‑'Ji己主主眼や喝のベJニ小tion se fasse, parmi cette popu1ation, dans une propor )J --'J伽'\lf♂会LJT,、のリーリヤ~0;!.20[ig:宮口怖よJ在<ll~')J.;C tion qu'on ne peut troubler sans un extrem巴danger.Je 

心Q栂霊法Qゆ々:品製品当主話料:1軍属存在有'IJ.;C理主的)J心,\長靴~me suis propose de faire voir qu'i1 est ncessairepour 

....)~....)~級将--'J~~'〆取駆~斗型H<十時叫CP~トQ)j心,‑< le bonheur de tous que 1e revenu croisse avec 1e 

ロゐ陸軍!!:C4くぬ1を~ト斗塑異J般のけ4-<ロ為[T1=--ぬvcapita1, que 1a popu1ation ne depass巴point1e revenu qui 

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