• 検索結果がありません。

Vol.41 , No.2(1993)095土屋 松栄「浄土教思想の諸問題 (IV) -『十住毘婆沙論』に展開せる念仏思想について-」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Vol.41 , No.2(1993)095土屋 松栄「浄土教思想の諸問題 (IV) -『十住毘婆沙論』に展開せる念仏思想について-」"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

印度學佛教學研究第41巻第2號 平成5年3月

浄土教思想 の諸問題(の

『十 住 毘 婆 沙 論 』 に 展 開 せ る 念 仏 思 想 に つ い て 土 屋 松 栄 大 乗 仏 教 の基 礎 を 築 い た 竜樹 に は, 古 来 多 くの著 作 が あ った と伝 え るが, 今 日 学 界 で は, 漢 訳 の み 現 存 して い る 『大 智 度 論 』 お よび 『十 住 毘 婆沙 論 』 につ い て は, 竜樹 真撰 か ど うか疑 問 あ り とされ て い る。 蓋 し 『十 住 論 』 の 場合 に は, 竜 樹 の 真 撰 と され る 『菩 提 資 糧 論 』 とも思 想 的 に 近 い もの が あ り, そ の偶 頽 な どの基 本 的 な構 成 内容 に 関 しては 竜 樹 の真 撰 と見 て も大過 な か ろ う(爪 生津隆真 ナ ーガ ールジ ュナ研究』33ページ以下参照)。い ま小論 の立場 としては,『十住論』 と 『大智 度 論 』 とを一 応 竜 樹 の著 作, も し くは 竜 樹 の思 想 系 統 に 属 す る著 作 と考 え, さ ら に 竜 樹 真 撰 と さ れ る 「五 部 論 」 そ の他 の現 存 す る諸 資料 を参 照 して,『 十 住 毘 婆 沙 論 』 に 展 開 せ る念 仏 思 想 に つ い て, 少 し く検 討 を行 ない た い。 さて, この 『十 住論 』 は本 来, 華 厳 経 典 の眼 目た る 〈十 地経 〉 の初 地 よ り第 ニ 地 まで の 広説(vibhaa)を な し, 特 に 初 地 に つ い て 集 中 的 に広 説 した も ので あ る が, そ の 「入 初 地 品」 に注 目す べ き思 想 内容 が 説 か れ て い る。 それ は竜 樹 が 〈維 摩 経 〉 か ら大 いに 示 唆 を 受 け, 形 成 され た に 相 違 な い 重 要思 想 で あ る。

羅 什 訳 『維 摩 経 』 の 「仏 道 品 」(emdarhy emda of emdarhyemdarhy ed, by J Oshika, p. 204, 1. 23-4)に は 「智 度 菩 薩 母 方便 以 為 レ父 一 切 衆 導 師 無 レ不 二由 レ是 生 一」 とあ り, これ を竜 樹 は 『菩 提 資 糧 論 』 の本 頒 中(第 一巻, 第五偶)に 引用 し て 「般 若 波 羅 蜜 菩 薩 仁 者 母 善 方 便 為 レ父 慈 悲 以 為 レ女 」 と い い, さ ら に 同 じ く 『資糧 論 』 の本 頚(第 三巻, 第二十 五 ・六 偶)に は 「菩 薩 乃 至 得 二諸 仏 現 前 住 牢 固 三 摩 提 不 レ応 レ起 二放 逸 仏 現 前 住 牢 固 三 摩 提 此 為 二菩 薩 父 大 悲 忍 為。母 」 とい って い る。 しか して 『十 住 論 』 の 「入 初 地 品 」 に は こ の 『菩 提 資 糧 論 』 を 引用 して 「智 度 無 極 母 善 権 方 便 父 」 とか また 「般 舟 三 昧父 大 悲 無 生 母 一切 諸 如 来 従 二是 二 法 生 」 とい うよ うに あ る。 さ らに 『大智 度 論 』 巻 三 十 四 に は 「是 故 仏 以二般 若一為 レ母 般舟 三 昧為。父 」 とあ るな ど, 以 上要 す る に般 若 波 羅 蜜 が 菩 薩 の母 と して, 般 舟 三 昧が 菩 薩 の父 と し て強 調 され, この両 者が 大 乗 菩 薩 道 にお け る車 の両 輪 ・鳥 の 双 翼 の 如 くに重 要 視 され て い る こ と が 窺知 され よ

(2)

-1008-(156) 浄土教思想の諸問題(の(土 屋) う。 しか も この思 想 は も と く維 摩 経 に 「智 度 菩 薩 母 方 便 以 為 父 」 と あ る そ の 「方 便」 を 「般 舟 三 昧 」 に書 き換 え た とい うもの で あ る。 また 「警 喩 品 」 に初 地 全 体 を総 括 して 「従 二初 発 心 乃 至 成 二諸仏 現 前 三 昧 於 二 其 中 間 具 説 二初 地 功 徳 能 生 二是 諸 功 徳 生 已 修 集増 長 名為 二初 地 」 と あ り, さ ら に 「助 念 仏 三 昧 品 」 に は 「菩 薩 行 二是 般 舟三 昧 果 報 亦 応 レ知 問 日修 二習是 三 昧 得 二 何 果 報 答 日於 二無 上道 得 二不退 転 報 」 とあ る か ら, 故 に この般 舟 三 昧 の思 想 こ そ 『十 住 論 』 に 展 開 せ る大乗 菩 薩 道 の中 心 思 想 で あ る と理 解 せ られ る。 こ の般 舟三 昧 の 思 想 は, 在 家 の菩 薩 た る践 陀 婆 羅(Bhadrapala)を 対 告 衆 とせ る く般 舟 三 昧 経 に説 くもの で,『 十 住 論 』 の二解釈 も こ の<般 舟 三 昧経>と 大 体 一 致 す る。 所釈 の 十 地 経(龍 山章真 梵文和訳十地経』三五頁, emdarhyemdarhy ed. by R. Kondo, P. 26, 1. 2-4)に は 「此 の歓 喜 菩 薩 地 に 住 す る菩 薩 に は, 広 大 見 と願 力 とに よ りて, 多 くの仏 が 現 は れ 給 ふ。」 云 々 と あ り, それ は十 浄地 法 を生 起 せ る菩 薩 が 広 大 見 と願 力 に よ って 見仏 す る ので あ る。 しか るに 竜樹 は この〈十 地 経〉 の見 仏 思 想 を 〈般 舟 三 昧経 〉 に依 拠 しなが ら解 釈 して い るの で あ り, 実 に特 筆 す べ き画期 的 な る念仏 思 想 と仏 身 思 想 とを 提 示 して い る。 竜 樹 は 『大 智 度論 』 で も般 舟 三 昧 につ い て三 十 箇 所 以 上 言 及 す るが, い ま 『十 住 論 』 の 「念 仏 品」 よ り以 下 七 品 に提 示 され た 念 仏 思 想 を概 観 してみ る と, 要 す るに般 舟 三 昧 に は色 身 と, 法 身 と, 実 相 を 念 ず る三 重構 造 の 念仏 な る もの の あ る こ とが知 られ て くる(前 掲 菩提資糧論』 第三巻, 第二十五 偏 自在釈参照)。 まず 色 身 の念 仏 は, 三 十 二相 や 八 十 種 好 な ど仏 の 色身 を 念 じ, そ の相 好 を称 讃 し歎 仏 す る。 法 身 の念 仏 は, 仏 の功 徳 法 た る 四十 不 共 法 に よ って 法 身 を 念 じ, 現 前 に偶 頚 を も つて讃 仏 す る。 しか して実 相 の念 仏 とは,こ の 色 身 ・法 身 に貧 著 せ ず 実 相 を もっ て仏 を念 ず る ので あ り, 信 楽 空 法 に基 づ く念 仏 で あ っ て, そ れ は ま さに 〈般 舟 三 昧経 〉 の所 説 た る 「空 三 昧 を 得 る念 仏 」(三巻 本の 「行 品」)な い し 「無 著 ・無 想 の念 仏 」(「無著品」「無想品」な ど参照)に 対応 して い る。 ま た竜 樹 の仏 身 思 想 が ニ 身説 で あ る こ と は 『十 住 論 』 のほ か 『大 智 度 論 』 や 宝 行王 正論emdarhy とか 六 十 頽 如 理 論 距 観emdarhyな どに よ つて確 認 で き る。 この二 身(法 身 ・ 色身)に 関す る名 称 や 意 味 内容 は 必 ず し も一 様 で は な いが,『 大 智 度 論 』 の所 説 な ど参 照 す る に, そ の色 身 は三 身 説(法 身 ・報身 ・応 身)に お け る応 身(化 身)に 相 当す る と見 られ, 法 身 は 三 身 説 に お け る法 身 と報 身 との両 側 面 を有 す る ので あ ろ うと理 解 せ られ る(宇 井伯寿 印度哲学研究』 第四, 四〇一頁以下参照)。 故 に 色 身 ・ 法 身 の念 仏 は共 に, 真 俗 二 諦 に お け る世 諦 の範 疇 に属 す る。 しか れ ば 実 相 の 念 仏

(3)

-1007-浄土教思想の諸問題(IV)(土 屋) (157) こそ 第 一 義 諦 の 境 界 と関連 す る こ とに な ろ う。 そ こで 実 相 の 念仏 につ い て少 し く考 え て み た い。 般舟 三 昧 を究 寛す れ ば, 無 著 ・無 想 の念 仏 に よ って空 三 昧 を得 る とされ てい るが, 何 故 で あ ろ うか。 『十住 論 』 の 「助 念 仏 三 昧 品」 に は 「是 菩 薩 得二上 勢 力 不 下以ご色 身 法 身 深 貧 中著 仏上何 以 故 信 二楽空 法 一故 知 三諸 法 如 二虚 空一」 とあ り, また 第 ニ 地 の解 釈 を なす 「助 羅 果 品」 に 「以 二諸 法 実相 一尚 不 レ貧 二法 身一何 況 色 身 」 とあ る な ど, 要 す るに 空 法 な い し諸 法 実 相 を 信 楽 す る故 に, 色 身 法 身 に貧 著 しな い ので あ る と説 明 して い る。 それ で は何 故, こ の般 舟 三 昧 に お い て 空 法 を 信楽 す る の で あ ろ うか。 とき に, <中 論>mulanndemdarhyemdarhy 第 二 十 ニ 章(羅 什訳 「観如来品」)に 「如 来 所 有 性 即 是 世 間 性 如 来 無 有 性 世 間 亦無 性 」 とい い, さ らに<大 乗 ニ 十 頚 論emdarhyemdarhy 世護訳)に も 「第一 義無 生 随 転 而 無 性 仏 衆 生 一 相 如 虚 空 平 等 」 とい っ てあ る。 そ の意 味 は, 戯 論 寂 滅 せ る真 諦 にお い て, 如 来 も世 間 も一 切 衆 生 も, そ の本 性 は 同一 な る無 自性空 で あ る と開 顕 してい る ので あ る。 し か して 中論 第 二 十 四章(三 枝充鳳 中論偶頚 総覧』766ペ ージ, 羅什訳 に は些か問 題 がある)に は 「お よそ, 縁 起 し てい る も の, そ れ を, われ われ は空 で あ る こ と と説 く。それ は, 相 待 の仮 説 で あ り, そ れ は す な わ ち, 中 道 そ の もの で あ る。」 とあ り, この空 こそ ま さ に縁 起 にほ か な らな い こ とが示 され て い る。 なお 『十 ニ 門論 』 観 性 門 に 「諸 仏 因縁 法 名 為 二甚 深 第 一義 是 因縁 法 無 自性 故 我 説 二是 空 」 と あ り,『大 智 度 論 』 巻 六 に 「因 縁 生 法 是 名 二空 相一 亦 名 二仮 名 亦 名ニ中道 」 とか また 巻五 十一 に も 「是 諸 法 従 二因 縁 和合 一故 無 二自性 自性 無 故 空 」 とあ る。 従 って, この縁 起 を 見 る こ と は, ま さ し く如 来 を 見 る こ とに等 しか っ た の で あ る (中村元 ナ ーガールジ ュナ247ペ ージ以下参照)。 以 上 に お い て述 べ た よ うな こ とを,『 十 住 論 』 の 「助 羅 果 品 」 に も 「能 如 レ是 見 レ空 是 則為 二見 仏 仏 不 レ異 レ空 故 説 言 諸 仏 一 切 衆 生 一 一 切 法 一 法 」 云 々 と, 簡 明 直裁 な る偶 頚 に纒 め て宣 説 してい る。 大 乗 菩 薩 道 を敷 演 せ る 『十 住 論 』 に お い て 竜樹 は, そ の菩 薩 道 に あ って不 退 を 得 るた め に, 般 舟 三 昧 の実 践 を 強 調 し, 実 相 の 念 仏 に つ い て説 き明 か した ので あ るが, こ の諸 法 実相 の念 仏 に よ っ て縁 起 空 法 を 信楽 す る こ とな く して, 真 に清 浄 な る大 慈 大 悲 の精 神 に基 づ いた 大 乗 菩 薩 道 の実 践 な ど不 可 能 で あ る こ とが 理 解 され よ う。 な お 「易 行 品 」 に 関 す る論 述 を すべ て 割愛 し, 注 も省 略 す る。 キ ー ワー ド 浄 土 教, 十 住 毘 婆 沙論, 念 仏, 般 舟 三 昧 (龍 谷 大学 大 学 院 修 了)

参照

関連したドキュメント

に着目すれば︑いま引用した虐殺幻想のような﹁想念の凶悪さ﹂

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

[r]

全体構想において、施設整備については、良好

[r]

[r]

[r]

層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑