弘 前 医 学 3 4:1 9 3‑22 0,1 9 82
ある神経症少女‑ の治療的関わ りか らみた伝統的 農村 の 「 家」の家族力動 と前思春期の精神力動
‑ 少女 「き りん」 の政 行 を め ぐって‑
安 藤 嘉 朗
YosHI AKIANDO
弘 前 大 学 医 学 部 神 経 精 神 医 学 教 室 ( 主任 佐藤時治郎 教授) ( 昭和 5 7 年 3 月 1 8 日 受付)
KEY WORDS:C hi l dhoodne ur os i s pr ea dol es c e nc e f a mi l ydynami c s s oc i o‑ c ul t ur a lps yc ha i t r y s a nd‑ pl a y
は じ め に
従 来,精 神 医学 は病者 の精 神 世 界 を, そ の 個人 が生 きる社 会 か ら切 り離 した形 で対 象 に し,精 神 障害 を個体 の脆 弱性 として のみ捉 え る嫌 いが あ り, そ のた め に病 者 理 解 に も自ず と限 界 が あ った よ うに思 え る.
私 た ち は既 存 の精神 病理 学 や精 神 分析 学 を 踏 まえ,超克 す る意 味 で,治療 場 面 に社 会 ・ 文 化精神 医学 的立 場 を取 り入 れ,個人 の精 神 生活 を と りま く社 会 ・文 化的世 界全 体 の中か ら理解 してい こ うとす る診 療 活 動 を し て い る.
私 た ち の作 業 とは,病者 との 「出会 い」 の 状 況 にお い て表 出 され る事 象 を受 け とめ,柄 者 と治療 者 ( す なわ ち私 ) との 「共 感」 の世 界 とい う治療 の舞 台 で彼 の 「生活史 」 と 「共 時 的 な関係性 」 を眺 め合 うこ とに よ って現 在 の彼 らを確認 してい くこ とで あ る と考 えてい る.具 体的 な病 者理 解 の方 法 として は,病者 と精神 医療 の出会 う状 況 が どの よ うな社 会構 造 の 中に置 か れ てい るか を見つ め なが ら,柄 者 と出会 う治療 者 自身 を も対 象 化 しつ つ ,柄
ー 1 9 3
者 の体験 の詳 細 な観 察 と記 述 を行 い, そ の体 験 内容 を性格 ・生活 史 ・発 病状 況 との連 関か ら力動 的 に分析 し, さ らに社 会 ・文 化的文脈
1 )
の 中で理解 して行 くこ とが 必 要 と考 え て い る.
この よ うな活動 の中で 出会 った のが仮 名 を
「き りん」 とい う‑ 少女 を 中心 に した 「ムサ シ家」 の人 々で あ った. き りんは不 安 , ひ き こ も り,転 換症状 を主症 状 とした小 児神経症 で あ り, そ の精神 世 界 は父親 の 自我 理 想 のイ メージ‑ を ひ き継 ぎ,過 疎 の村 か ら移 住 した 自 らの 「家 」 の新 しい村 で の緊張 と 7 代 女 系 の 伝 統 的農 村 家族 の現 在 にお け る歪 み を反映 し てい る と思 われ た.治療 として は, 「箱庭 」 を用 い た非 言語 的交流 , つ ま り表 出す る媒 介 を用 いつ つ, 同時 に家族 との話 し合 い の 中で 家族 内 の関係 を整理 し操 作 してい った. この よ うな治療 的経過 におい て,地 域社 会 にお け る 「家」 と 「全 体 として の家族 」 ( f a mi l ya s awhol e) を とらえて行 くと,地域社 会 の 中 で は個 々が いわ ゆ る 「家」 とい う枠 組 を背負 いつつ 関係 しあ って い る こ と, つ ま り個人 が
「家」 とい う枠 組 にお け る他 家 との緊張 を背
景 に心理 的緊 張 を強 め あ ってい る こ とな どが
知 られ た. この よ うな 「家」 を背 景 に した人
間関係 の実態 は従 来 の外 国 よ り直輸 入 され た
ま まの 「家族 精神 医学 」 で は捉 えに くい もの
で あ り,私 た ちの症 例 を通 して, そ の生 きて
1 9 4 ‑ 安
い る 日本 の地域社会 の特殊性が浮かび上 って 来 るよ うに思 えた.
以 下,症例 「き りん」 との治療的関わ りの 中で村 の中でのあ る 「家」 におけ る人格形成 と個 々の関係性,前思春期 の友人 関係 の挫折 とそれ を支 え られ なか った家族 の 「 歪 み」 な どを箱庭療法 の結果 を踏 えて記述 し分析 して みたい.
経 過
1) 出会 いか ら
「き りん」 は父 母に連 れ られ てM病院精神 科外来 にや って きた.最近,元気 がない,悲 しが る,物 を大 きな声 で言 えない,食欲が な く, ほ とん ど食事 を しない.他人 に会 うのを 嫌 い, 「他人 に悪 口を言 われてい るよ うな気 がす る」 とい う悩み を父母に訴 えていた とい うこ とで あ るが,受診時 は主 に父母が代弁 し ていた.
昭和 5 4 年秋 , 2 学期 に き りんの通 う K 小学 校 の全校児童会 の選挙が あ り, き りんは A 組 の児童会副委員長候補 として立候補 した. 普 りん と同 じ 「 沢部落」 の友達で仲 の良か った
「 春子 」 「夏子 」 「 秋子」 は B 組 に属 し, B 組 の副委員長候補 が春子で あるた め, き りん は この 3 人 と選挙 で争 うことにな った.結果 は き りんが予想外 の大差 で勝 ち, き りんは 3 人 に対 してす まない とい う気持 を もったが, この件 を きっかけに 3 人 は き りんか ら離れ て 行 った .A 組 には同 じ部落 の友達 がいないた め き りんは寂 し く思 った.
昭和 5 5 年 1 月 2 日に大好 きだ った 曽祖母が 心筋梗塞 で突然死亡 し, その 日き りんは急 に 高熱 を出 したが一 日で下熱す る とい うエ ピソ ー ドが あ った.葬式 の 日には姉 と共 に弔辞 を しっか りした調子 で読 んだが, その数週後 か ら父 の属す る森林組合 の理事選挙 が あ り,家 に人 の出入 りが絶 えず,両親 も忙 し く子供達 の相手 を してやれ ない状況が続 いた. き りん は この頃 か ら人 と全 うのを嫌 い 自室 に閉 じこ
もる ことが多 くな った.
藤
K 小学校 は PTA も含 めてバ レーボ ールに 最近熱 を入れていたが, き りん もバ レー部 に 属 し,厳 しい練 習 のた め, 「バ レーが うま く 行かず,つ らい,悲 しい」 と言 い, 「で も, バ レー部 を辞 める と友達が いな くな る」 と悩 んでいた. また, き りんは昭和 5 5 年 4 月か ら 沢部落 の集 団登校 の リーダ ーとな り,部落子 供会 の会長,学校 の清掃委員 な ども含 め色 々 の役割 を担 い きれ ないほ ど担 っていた.
昭和 5 5 年 3 月 2 8 日, き りんは風邪 をひ き, 連 日 Y 病院へ通 っていたが, その頃か ら元気 のない様子が 目立 って きた. 4月24日か らは 学校 よ り泣 いて帰 って くるこ とが 3日も続 き 家 で も泣 いて悲 しが るよ うにな った. 4 月26
日か らは元気 のない様子 が と くに 目立 ちは じ め,大 きな声 で物 を言 わない,何 も食べ ない とい う状態 とな り,泣 く理 由を問 うと, 「バ レーボ ールが嫌 だ.だけ どバ レーを辞 め る と 友達がいな くなる・ ‑‑」 と言 っていた. 4 月 2 8 日 ,M 病院小児科 を受診. その後 ,Y 病 院 と M 病院 をかけ もちで受診 していた .M 病院 小児科 では身体的 には特 に問題 はない, 「自 律神経失調症 だろ う 」 「長 くかか るが, クス リを出す」 と言われた, き りんは元気が ない よ うに見 える反面, 「皆か ら遅 れ る‑‑」 と 勉強 の遅れ を心配 して 自重 に こも り一人で勉 強 を していた りもした. この事態 に父母 は狼 狙 し,かか りつ けの開業医 に も受 診 さ せ た り,祖母 のすすめで何 カ所か の神 サマ* の も とに連れ歩 いた りした. こ うして さまざまな 医師 に診 て もらって も父母 は満足が行かず, 困 りはてた様子 で 5 月 2 日 ,M 病院 の精神科 を受診 した.
1 年 間 M 病院に勤務 し, その後,非常勤 医 として外来 を受け もってい た 著 者 が 初 診 し た. き りんは両親 の背後 に隠れ るよ うに して 入室 し,顔つ きは洗 うつで無欲状 であ り,周 囲に対 し怯 え るよ うに して ビクビクして うつ む いてお り,時 々上 目使 いに診察者 を見てい
*民間医療 を行 う祈篇師
ある神経症少女の 「 家」 と前思春期の精神力動 た.背 は高 い方 だが,痩せ てお り,手足 も細
く, フラ ミンゴのよ うな印象 を与 えた.話 し ぶ りも小声 で活気が な く,応答 はすみやかで あ るが,訴 えが あい まいで,抑 うつ気分は明 瞭 に訴 えず,制止症状 も認 め られ なか った.
現在症 としては,活気 に乏 し く,悲哀感, 食欲不振 が あ り,子供 らし くは しゃ ぐことも な く,他人 の存在 を うるさが り,独 りで 自室 に こもる とい う嫌人傾 向, 「人 に悪 口を言わ れ てい るよ うな気 がす る」 とい う関係念慮, 自己へ の他者 の評価 を懸念 し, 自己不全感が 目立 った.一応 ,表面的 には , 「と くに悩 んで い ることもない」 と述べ なが ら, 「一番つ ら いのはバ レーボ ール」 と告 白す る.父母 は, 診察 中ボ ソポ ソと小声 で答 えてい るき りんに 対 して 「もっと大 きな声 で」 とか, 「しっか りしな さい」 と盛 んに傍 か ら激励 していた.
き りんは 「勉強 を し な い と‑‑皆 に 遅 れ る」 「バ レーを辞 め る と友達が いな くなる」
「委員 の仕事 をや らね は」 な どと焦燥感 を伴 う,他者‑ の配慮 を示す言葉 を述べ て もいた が,学校場面 での対人葛藤 を介 して,孤独‑
の予期不安が強 ま った状 態, あるいは過剰 な 役割 を担いす ぎて背負い切れ な くな った状 態 ではないか と推察 された. 診 断 的 に は 初 診 時,小児神経症 ( 抑 うつ状 態) あ るい は若年 型 うつ病 ( 大井 の分類 Ⅰ塾,性格反応塾 うつ 柄) と考 え,取 りあえず イ ミプラ ミン 2 0mg
とジアゼパ ム 3mg を授与 し,安静 と心 理 的 負荷 の軽減 を計 る とい う治療方針 で臨 んだ.
5 月 6日, 2回 目外来受診.春 の連休 中 も ほ とん ど食事 をせず, 2口か 3口食べ るのが や っ とで, 5 月 2 日に行 われた子供会 に も出 席 で きず, 6 日か ら始 ま った集 団登校 に も行 けない と泣 いた りす る状 態 であ った . 「学校 に行 きたいけ ど行 けない」 , 「足が カ クンとな って階段か らお ちる」 , 「勉強が遅 れ る」 と辛 じて話す様子 で,両親 は相変 らず は っぱをか けてい るよ うであ った. そ の後 も学校 を休 ん でいたが, 5 月 8 日の夕方 , A 組 の友達が 3 人見舞 いに訪れ 5 分位会 った後 , 1 時 間ほ ど
‑ 1 95
して急 に手足 を硬 くして過呼 吸状態 とな り, 3 0 分 間位持続 した.父母 は心配 してす ぐ M 病 院の救急部 に連れて行 き,小児科病棟 に即時 入院 とな った. しか し,翌 日にな る と医師か ら 「どこも悪 くない,帰 って もよい」 と言わ れたた め,父母 は精神科 を訪 れ, 「このまま では ど うな るのか心配 だ」 と入 院治療 を希望 した. この時 は, 「足が カ クカ クす る」 と言 い,歩 き方 もぎこちな く,元気が な くフラフ ラしていた.食事 も摂 ってい なか ったが,父 母 は フラフラす るのは薬物 のせいだ と考 え, 服薬 を止 め させ ていた.家 では親類 や近所 の 人達が集 ま り励 ます とい うこともあ り,なか なか安静 ・保存 的 な ひ き こ も り ( cons er va ‑
2 )
t i on wi t h血a wa l ) の状態 にお け ず, 祖 父 母 は き りんに対 してか まいす ぎ,母親 が祖母 に
「励 ま さない よ うに」 と言 うと祖母 はそれ を 不満 に思 い,母 と祖 母 の嫁一姑 関係が気 まず くな るとい った複雑 な家庭状 況 であ った.衣 の中の混乱 と同時 に両親 と も あ わ て ふ た め き, き りんを精神的 に支 えることが難 しい よ うに見 えた ので,入 院治療 が のぞ ま しい と考 えた .M 病院精神科病棟 はその構造上 児童 に とって精神的負担が強い と思われ ること,小 児科病棟 では看護 スタ ッフの対応 が困難 であ ることか ら,著者 の勤務 す る H 病院へ の入院 を考 えた. しか し,い ざ入 院 とな る と精神 科 へ のた め らい もあるのか 「9 」 の 日は縁起が 悪 い とか 「5 月 1 2 日は誰 そ れ の 命 日で ま ず い」 とか言 う祖 母 の考 えに左右 され て動 きが とれ ない始末 であ った. しか し,父母 との話 し合 いの結果,即 日の入院 を希望 したため, 父母 とき りん, そ して著者 とが辛 に同乗 して 直 ちに H 病院‑ と向か った.
2) き りんの 「家」 とその家族 について ( 図 1参照)
ムサ シ家 は現在,奥羽地方北部 にあるE 町
きわ
の山間部 と盆地部 の接 す る 「沢」部落に住 ん でい る. しか し昭和 4 7 年 までは 「沢 川 」沿 い
ひが
L
た にに
約 1 0km 山間に入 った 「東 谷」 部 落に住
んでいた. ムサ シ家 の祖先 は東谷 よ り数 km
1 96 ‑ 安 藤
図 1 E 町 の 地 図
いわ あな