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弘 前 医 学 3 4:1 9 3‑22 0,1 9 82

ある神経症少女‑ の治療的関わ りか らみた伝統的 農村 の 「 家」の家族力動 と前思春期の精神力動

‑ 少女 「き りん」 の政 行 を め ぐって‑

安 藤 嘉 朗

YosHI AKIANDO

弘 前 大 学 医 学 部 神 経 精 神 医 学 教 室 ( 主任 佐藤時治郎 教授) ( 昭和 5 7 年 3 月 1 8 日 受付)

KEY WORDS:C hi l dhoodne ur os i s pr ea dol es c e nc e f a mi l ydynami c s s oc i o‑ c ul t ur a lps yc ha i t r y s a nd‑ pl a y

は じ め に

従 来,精 神 医学 は病者 の精 神 世 界 を, そ の 個人 が生 きる社 会 か ら切 り離 した形 で対 象 に し,精 神 障害 を個体 の脆 弱性 として のみ捉 え る嫌 いが あ り, そ のた め に病 者 理 解 に も自ず と限 界 が あ った よ うに思 え る.

私 た ち は既 存 の精神 病理 学 や精 神 分析 学 を 踏 まえ,超克 す る意 味 で,治療 場 面 に社 会 ・ 文 化精神 医学 的立 場 を取 り入 れ,個人 の精 神 生活 を と りま く社 会 ・文 化的世 界全 体 の中か ら理解 してい こ うとす る診 療 活 動 を し て い る.

私 た ち の作 業 とは,病者 との 「出会 い」 の 状 況 にお い て表 出 され る事 象 を受 け とめ,柄 者 と治療 者 ( す なわ ち私 ) との 「共 感」 の世 界 とい う治療 の舞 台 で彼 の 「生活史 」 と 「共 時 的 な関係性 」 を眺 め合 うこ とに よ って現 在 の彼 らを確認 してい くこ とで あ る と考 えてい る.具 体的 な病 者理 解 の方 法 として は,病者 と精神 医療 の出会 う状 況 が どの よ うな社 会構 造 の 中に置 か れ てい るか を見つ め なが ら,柄 者 と出会 う治療 者 自身 を も対 象 化 しつ つ ,柄

ー 1 9 3

者 の体験 の詳 細 な観 察 と記 述 を行 い, そ の体 験 内容 を性格 ・生活 史 ・発 病状 況 との連 関か ら力動 的 に分析 し, さ らに社 会 ・文 化的文脈

1 )

の 中で理解 して行 くこ とが 必 要 と考 え て い る.

この よ うな活動 の中で 出会 った のが仮 名 を

「き りん」 とい う‑ 少女 を 中心 に した 「ムサ シ家」 の人 々で あ った. き りんは不 安 , ひ き こ も り,転 換症状 を主症 状 とした小 児神経症 で あ り, そ の精神 世 界 は父親 の 自我 理 想 のイ メージ‑ を ひ き継 ぎ,過 疎 の村 か ら移 住 した 自 らの 「家 」 の新 しい村 で の緊張 と 7 代 女 系 の 伝 統 的農 村 家族 の現 在 にお け る歪 み を反映 し てい る と思 われ た.治療 として は, 「箱庭 」 を用 い た非 言語 的交流 , つ ま り表 出す る媒 介 を用 いつ つ, 同時 に家族 との話 し合 い の 中で 家族 内 の関係 を整理 し操 作 してい った. この よ うな治療 的経過 におい て,地 域社 会 にお け る 「家」 と 「全 体 として の家族 」 ( f a mi l ya s awhol e) を とらえて行 くと,地域社 会 の 中 で は個 々が いわ ゆ る 「家」 とい う枠 組 を背負 いつつ 関係 しあ って い る こ と, つ ま り個人 が

「家」 とい う枠 組 にお け る他 家 との緊張 を背

景 に心理 的緊 張 を強 め あ ってい る こ とな どが

知 られ た. この よ うな 「家」 を背 景 に した人

間関係 の実態 は従 来 の外 国 よ り直輸 入 され た

ま まの 「家族 精神 医学 」 で は捉 えに くい もの

で あ り,私 た ちの症 例 を通 して, そ の生 きて

(2)

1 9 4

い る 日本 の地域社会 の特殊性が浮かび上 って 来 るよ うに思 えた.

以 下,症例 「き りん」 との治療的関わ りの 中で村 の中でのあ る 「家」 におけ る人格形成 と個 々の関係性,前思春期 の友人 関係 の挫折 とそれ を支 え られ なか った家族 の 「 歪 み」 な どを箱庭療法 の結果 を踏 えて記述 し分析 して みたい.

経 過

1) 出会 いか ら

「き りん」 は父 母に連 れ られ てM病院精神 科外来 にや って きた.最近,元気 がない,悲 しが る,物 を大 きな声 で言 えない,食欲が な く, ほ とん ど食事 を しない.他人 に会 うのを 嫌 い, 「他人 に悪 口を言 われてい るよ うな気 がす る」 とい う悩み を父母に訴 えていた とい うこ とで あ るが,受診時 は主 に父母が代弁 し ていた.

昭和 5 4 年秋 , 2 学期 に き りんの通 う K 小学 校 の全校児童会 の選挙が あ り, き りんは A 組 の児童会副委員長候補 として立候補 した. 普 りん と同 じ 「 沢部落」 の友達で仲 の良か った

「 春子 」 「夏子 」 「 秋子」 は B 組 に属 し, B 組 の副委員長候補 が春子で あるた め, き りん は この 3 人 と選挙 で争 うことにな った.結果 は き りんが予想外 の大差 で勝 ち, き りんは 3 人 に対 してす まない とい う気持 を もったが, この件 を きっかけに 3 人 は き りんか ら離れ て 行 った .A 組 には同 じ部落 の友達 がいないた め き りんは寂 し く思 った.

昭和 5 5 年 1 月 2 日に大好 きだ った 曽祖母が 心筋梗塞 で突然死亡 し, その 日き りんは急 に 高熱 を出 したが一 日で下熱す る とい うエ ピソ ー ドが あ った.葬式 の 日には姉 と共 に弔辞 を しっか りした調子 で読 んだが, その数週後 か ら父 の属す る森林組合 の理事選挙 が あ り,家 に人 の出入 りが絶 えず,両親 も忙 し く子供達 の相手 を してやれ ない状況が続 いた. き りん は この頃 か ら人 と全 うのを嫌 い 自室 に閉 じこ

もる ことが多 くな った.

K 小学校 は PTA も含 めてバ レーボ ールに 最近熱 を入れていたが, き りん もバ レー部 に 属 し,厳 しい練 習 のた め, 「バ レーが うま く 行かず,つ らい,悲 しい」 と言 い, 「で も, バ レー部 を辞 める と友達が いな くな る」 と悩 んでいた. また, き りんは昭和 5 5 年 4 月か ら 沢部落 の集 団登校 の リーダ ーとな り,部落子 供会 の会長,学校 の清掃委員 な ども含 め色 々 の役割 を担 い きれ ないほ ど担 っていた.

昭和 5 5 年 3 月 2 8 日, き りんは風邪 をひ き, 連 日 Y 病院へ通 っていたが, その頃か ら元気 のない様子が 目立 って きた. 4月24日か らは 学校 よ り泣 いて帰 って くるこ とが 3日も続 き 家 で も泣 いて悲 しが るよ うにな った. 4 月26

日か らは元気 のない様子 が と くに 目立 ちは じ め,大 きな声 で物 を言 わない,何 も食べ ない とい う状態 とな り,泣 く理 由を問 うと, 「バ レーボ ールが嫌 だ.だけ どバ レーを辞 め る と 友達がいな くなる・ ‑‑」 と言 っていた. 4 月 2 8 日 ,M 病院小児科 を受診. その後 ,Y 病 院 と M 病院 をかけ もちで受診 していた .M 病院 小児科 では身体的 には特 に問題 はない, 「自 律神経失調症 だろ う 」 「長 くかか るが, クス リを出す」 と言われた, き りんは元気が ない よ うに見 える反面, 「皆か ら遅 れ る‑‑」 と 勉強 の遅れ を心配 して 自重 に こも り一人で勉 強 を していた りもした. この事態 に父母 は狼 狙 し,かか りつ けの開業医 に も受 診 さ せ た り,祖母 のすすめで何 カ所か の神 サマ* の も とに連れ歩 いた りした. こ うして さまざまな 医師 に診 て もらって も父母 は満足が行かず, 困 りはてた様子 で 5 月 2 日 ,M 病院 の精神科 を受診 した.

1 年 間 M 病院に勤務 し, その後,非常勤 医 として外来 を受け もってい た 著 者 が 初 診 し た. き りんは両親 の背後 に隠れ るよ うに して 入室 し,顔つ きは洗 うつで無欲状 であ り,周 囲に対 し怯 え るよ うに して ビクビクして うつ む いてお り,時 々上 目使 いに診察者 を見てい

*民間医療 を行 う祈篇師

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ある神経症少女の 「 家」 と前思春期の精神力動 た.背 は高 い方 だが,痩せ てお り,手足 も細

く, フラ ミンゴのよ うな印象 を与 えた.話 し ぶ りも小声 で活気が な く,応答 はすみやかで あ るが,訴 えが あい まいで,抑 うつ気分は明 瞭 に訴 えず,制止症状 も認 め られ なか った.

現在症 としては,活気 に乏 し く,悲哀感, 食欲不振 が あ り,子供 らし くは しゃ ぐことも な く,他人 の存在 を うるさが り,独 りで 自室 に こもる とい う嫌人傾 向, 「人 に悪 口を言わ れ てい るよ うな気 がす る」 とい う関係念慮, 自己へ の他者 の評価 を懸念 し, 自己不全感が 目立 った.一応 ,表面的 には , 「と くに悩 んで い ることもない」 と述べ なが ら, 「一番つ ら いのはバ レーボ ール」 と告 白す る.父母 は, 診察 中ボ ソポ ソと小声 で答 えてい るき りんに 対 して 「もっと大 きな声 で」 とか, 「しっか りしな さい」 と盛 んに傍 か ら激励 していた.

き りんは 「勉強 を し な い と‑‑皆 に 遅 れ る」 「バ レーを辞 め る と友達が いな くなる」

「委員 の仕事 をや らね は」 な どと焦燥感 を伴 う,他者‑ の配慮 を示す言葉 を述べ て もいた が,学校場面 での対人葛藤 を介 して,孤独‑

の予期不安が強 ま った状 態, あるいは過剰 な 役割 を担いす ぎて背負い切れ な くな った状 態 ではないか と推察 された. 診 断 的 に は 初 診 時,小児神経症 ( 抑 うつ状 態) あ るい は若年 型 うつ病 ( 大井 の分類 Ⅰ塾,性格反応塾 うつ 柄) と考 え,取 りあえず イ ミプラ ミン 2 0mg

とジアゼパ ム 3mg を授与 し,安静 と心 理 的 負荷 の軽減 を計 る とい う治療方針 で臨 んだ.

5 月 6日, 2回 目外来受診.春 の連休 中 も ほ とん ど食事 をせず, 2口か 3口食べ るのが や っ とで, 5 月 2 日に行 われた子供会 に も出 席 で きず, 6 日か ら始 ま った集 団登校 に も行 けない と泣 いた りす る状 態 であ った . 「学校 に行 きたいけ ど行 けない」 , 「足が カ クンとな って階段か らお ちる」 , 「勉強が遅 れ る」 と辛 じて話す様子 で,両親 は相変 らず は っぱをか けてい るよ うであ った. そ の後 も学校 を休 ん でいたが, 5 月 8 日の夕方 , A 組 の友達が 3 人見舞 いに訪れ 5 分位会 った後 , 1 時 間ほ ど

‑ 1 95

して急 に手足 を硬 くして過呼 吸状態 とな り, 3 0 分 間位持続 した.父母 は心配 してす ぐ M 病 院の救急部 に連れて行 き,小児科病棟 に即時 入院 とな った. しか し,翌 日にな る と医師か ら 「どこも悪 くない,帰 って もよい」 と言わ れたた め,父母 は精神科 を訪 れ, 「このまま では ど うな るのか心配 だ」 と入 院治療 を希望 した. この時 は, 「足が カ クカ クす る」 と言 い,歩 き方 もぎこちな く,元気が な くフラフ ラしていた.食事 も摂 ってい なか ったが,父 母 は フラフラす るのは薬物 のせいだ と考 え, 服薬 を止 め させ ていた.家 では親類 や近所 の 人達が集 ま り励 ます とい うこともあ り,なか なか安静 ・保存 的 な ひ き こ も り ( cons er va ‑

2 )

t i on wi t h血a wa l ) の状態 にお け ず, 祖 父 母 は き りんに対 してか まいす ぎ,母親 が祖母 に

「励 ま さない よ うに」 と言 うと祖母 はそれ を 不満 に思 い,母 と祖 母 の嫁一姑 関係が気 まず くな るとい った複雑 な家庭状 況 であ った.衣 の中の混乱 と同時 に両親 と も あ わ て ふ た め き, き りんを精神的 に支 えることが難 しい よ うに見 えた ので,入 院治療 が のぞ ま しい と考 えた .M 病院精神科病棟 はその構造上 児童 に とって精神的負担が強い と思われ ること,小 児科病棟 では看護 スタ ッフの対応 が困難 であ ることか ら,著者 の勤務 す る H 病院へ の入院 を考 えた. しか し,い ざ入 院 とな る と精神 科 へ のた め らい もあるのか 「9 」 の 日は縁起が 悪 い とか 「5 月 1 2 日は誰 そ れ の 命 日で ま ず い」 とか言 う祖 母 の考 えに左右 され て動 きが とれ ない始末 であ った. しか し,父母 との話 し合 いの結果,即 日の入院 を希望 したため, 父母 とき りん, そ して著者 とが辛 に同乗 して 直 ちに H 病院‑ と向か った.

2) き りんの 「家」 とその家族 について ( 図 1参照)

ムサ シ家 は現在,奥羽地方北部 にあるE 町

きわ

の山間部 と盆地部 の接 す る 「沢」部落に住 ん でい る. しか し昭和 4 7 年 までは 「沢 川 」沿 い

ひが

L

た に

約 1 0km 山間に入 った 「東 谷」 部 落に住

んでいた. ムサ シ家 の祖先 は東谷 よ り数 km

(4)

1 96 ‑ 安 藤

図 1 E 町 の 地 図

いわ あな

沢川沿 いに下 った下流 の 「 岩穴」部落 の S 家 で あ り, S家 は き りんの母 の実家 で もあ る.

祖先か ら語 りつがれた ところでは平家 の落人 が集 ま り, 「 岩穴 に入 って隠れた」 とい うこ とか ら 「岩穴」 とい う名がついた と言われて い る.平家 の血筋 を継 ぐとい う伝説 を持 ち, 代 々朕 の厳 しい家風 で あ った.神 仏へ の信 心 は厚 く,近隣 に ある 「出雲大社」 を信 仰 し, 昔 は近隣 の人達 と共 に 3 カ月 もかか って 四国 巡 りをす ることもあ った とい う. ムサ S /家 で も裏 山に神社 を建 てたほ どであ った. ムサ シ 家 は東谷当時 よ り所帯 が大 き く, 「女 の強い 家 だ」 と言 われ,祖 母 の代 まで女 系 7 代,女 性 が家 を継いで きてお り, き りんの父が久 し ぶ りの男性 の家長であ った.今 までは男が生 まれ なか った り,生 まれ て も年下 とい うこと で,家 を継 ぐに足 る嫡男 に恵 まれ なか ったた め とい う.

昭和 4 7 年, き りんが 3 歳 の時 に ムサシ家 は 沢川沿 い の下流 で国道 に沿 った沢部落に移住 した.当時,東谷部落 に 7 軒家が あ り ( その 内 ムサシ姓 は 5 軒 あ った),西谷部 落 に 3 軒 の家が あ ったが,東谷 ・西谷 ともに過疎 の部 落で あ り,地理的 に も不便 で冬 に な る と道路 が雪 で埋 ま って しまい,病 院に も学校 に も遠 く,不便 であ り, この事が移転 の主 な理 由で あ った.移転時 は本来 な らは一軒 一軒 ,個 々 に移 る話 で あ ったが,皆が一緒 に移 る方が部 落 の人 々に と り気強い とい うことで,県 と町 か ら助成金 と無利子貸付 を受 け,沢部 落の地 主 か ら水 田を買い上 げ,全部 落 をあげて移住

した.

移転当初,沢部 落 の中で き りんの家族 は他

の移住 した家 同様,従来か ら沢部落に家 をか

まえていた人 々に対 して緊張感 を持 ってお り

最初 の 2 年 間位 は東谷 ・西谷 ・岩穴か ら移住

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ある神経症少女の 「 家」 と前思春期の精神力動 した十数軒 の家 々だけで独 自に 「自治会」 を

つ くり,入会地 の件 な どを談合 して決 めてい た とい う.移住後 2 年 目をす ぎた頃, よ ラや くき りんの父 は移住 した家 々の代表 とい う形 で沢部落会 に出席す るよ うにな り,役員 の一 人 とな った.現在,父 は沢部落 の 「幹事役員」

であ り部 落 の代表 にな ってい るが,部落会 に 入会 した当初 は 8 人 いた役員 の中で何か決定 す る際 はいつ も 「よそ者」扱 いを されていた とい う.父 は幹事役員 の選挙 の時 もよそ者 だ か らとい う反対 がか な り強 か った とい う.

き りんは 3 歳 の時 に この沢部落 に移 り2 年 間 幼稚 園 に行 ってい るので友達 の中では よそ者 扱 いを受 けて はい ない よ うだが, 「 親 の年代 の人達 は き りんを よそ者 と見てい るか もしれ ない」 と父 は言 う. ムサ シ家 の本家 は岩穴か ら E 町 の中心部へ移 り,本家 の 「 跡取 り」が 町会議 員 を した り,町 長選挙に出た りもした が,町 長選挙 では落選 し,経済的 に も行 きづ ま ったた め,現在 では ムサ シ家が本家扱いを され るよ うにな り,親族 を と りま とめ て い る. ムサ シ家 には沢 と東谷 に合 わせて 2 町 8 反歩 の水 田が あるが,農業 に加 えて父 は沢部 落 に来 てか ら木材業 をは じめ,他人 の山林 の 売買 を して成功 し,経済的 に成 り上 って きて お り,今年初 めか らは地域 の森林組合 の理事 に もな ってい る. ムサ シ家 の土地 の名義 は父 と祖 母 の弟 で分け られてい るが,家長 として 父 がすべ てを と りま とめてい る.近在 で も家 屋 は大 き く,裕福 な家庭 と し て 知 られ て い

る.

ムサ シ家 には現在 き りん以 外に父母,祖父 母,姉 が 同居 してお り,昭和 5 5 年 1 月 までは 曽祖母 も健在 で あ った.以下, ムサ シ家 の人 々につ いて述べ る. ( 図 2 参照)

父 は 41 歳, 4 人 同胞 の 2 番 目, 長 男 で あ り,下の 2 人 の同胞 は父親 が異 な ってい る.

木材業 と農業 を営 み,森林組合 の理事 を して い る. ムサ シ家 では 7 代ぶ りの男 の当主 であ るが,物腰 は低 く,穏やか な人柄 であ り,仕 事 はバ リバ リす るらしい. き りんの教育 に も

‑ 1 9 7

熱 心で, PTA の会合 に も積極的 に参加 し, PTA の学年部長を もしてい る.父親 自身 は 岩穴分校 で小学校時代 を送 り, 中学校 はT町 の中心部 に下宿 を して通い,高校 は この地方 では伝 統 あ る進学校 で ある N 高校 に学 んだ.

その後 ,大学進学 の希望が強か ったが, 田畑 も広 く,家長 として働 かね はな らず,祖 母 の 反対 も強か ったた め,進学 をあきらめて農業 を継 ぐことにな った.上 級進学 がで きない こ とが分 ってか らは気落 ち して高校 2 年時か ら はほ とん ど勉強 を しな くな った とい う. 自分 が希望 に反 して進学 で きなか った こともあ っ て,子供達 の教育 には人 一倍熱 Lで, で きる だけの ことは したい と述べ,子供達が教 師 に な りたいのであれ は教師 にな るよ う援助 した い と言 う.子供 に対 しては 寛 容 な 面 が 目立 ち,衣類 な どに も賛沢 を させ てい る.父 は現 在沢部落 の幹事役員 を してお り, ムサ シ家 の 親族 の リーダ ー的存在 で もあ り,木材 の取 り 引 きで産 をな し,経済 的 に成功 し,社会的 な 自負 心を持 ってい る.家 の中にあ っては祖 母 と母 の間で,母 を も り立 て よ うとす るが祖 母 が ロ うるさ く当た り散 らすため,両者へ の積 極 的な介入 をで きかねてい る.

母 は 35 歳,岩穴 の S 家 よ り見合い を して嫁 いで きた ムサ シ家 に とって は 絶 え て 久 し い

「 嫁」で あ った.母は き りん が 3 歳 の 時 ま で,家事 を していたが,それ以後,日中は外で 働 くよ うにな り,木工製作所 につ とめ,昭和 48 年か らは学校給食 セ ンタ ー に つ とめ て い る. き りんの世話 は今 まで祖母がす ることが 多 く,母 もそれ に甘 ん じてお り,入院当初 は き りんの最近 の状況 も詳 し くは知 らず,教条 的な態度や言葉 で き りんに対応 す るのが 目に ついた.子供 の朕 に戸惑 った よ うな, ぎ こち ない印象 を与 えた.やや肥満体 で,外向的 な 性格 で あ り,物事 には穏当 な対応 をみせ る.

家事 は, 夕食 のあ とかたづ け位はす るが,食

事 の仕度 はほ とん ど行 ってい ない.祖母につ

いては 「うるさ く, 細 か く,神経質 ‑‑‑」 とネ

ガテ ィブに評価 し,死 んだ曽祖母 については

(6)

1 9 8

i コ /

図 2 ム サ シ 家 の 家 族

「他人思いで,や さしか った」 とポ ジテ ィブ に評価 してい る.祖 母 に対 しては不満 を持 ち なが らも祖母 との葛藤場面か らは逃避 的で あ る.母 自身, き りんの族 に祖母 の干渉 が あ っ て思 うよ うに関与 で きない ことを 自覚 してお り, 間接的 に干渉 を控 えて もら うよ うに発言 した こともあるが,か え って祖母 の不満 を買 い,腹 を立 てて当た って くるので困 って しま い, 「自分 が話 し下手 で まずか った のか もし れ ないが ‑‑で も困 った こ と も あ る」 と述 べ,祖母へ の攻 撃 は抑 えて しまい,家 の中で は控 え 目にふ るま ってい る.

祖母 は 64 歳, ムサ シ家 の 7 代 目の家 長で あ った. ムサ シ家 は代 々男子 に恵 まれず,祖母 には弟がいたが年がか な り離れ てお り,農家

の機能 を考 え る と祖母が婿養子 を と り家 を継

が ざるを得 なか った.最初 の婿 は34歳 で急死

し現在 の祖父 は 2 度 目の婿 であ る. ムサ シ家

では女性 が中心 にな って家 を切 り盛 りして き

た長い歴史が あるが,祖母 は神経質 で細かい

ことまで うるさ く述べ た て るた めに祖父が家

の中を丸 く治 め よ うとしてい る らしい. き り

んの母 に対 しては朝早 く,家族 の起 きない う

ちに説 教す る ことが よ くあ り, オテ ンパ で反

抗的 な姉 の S 子 に対 して も 「S 子 はだめ」 と

いつ も言 ってい る.祖母 は姉 S 子 を叱 る こと

で暗 に母 を責 めてい るよ うな 面 も あ る ら し

い. き りんは 曽祖母 に とって も,祖母 に とっ

て も 「いい子」 であ り, お とな し く,言 うこ

とに も素直 に従 い,祖母 は き りんに対 して細

(7)

ある神経症少女の 「家」 と前思春期の精神力動 かい ところまで干渉 していた とい う.治療初

期 には祖母が心配 のあま り,親類 の者 に き り んを励 ます よ うに頼 んだ り,神 サ マに何度 も 見せた りしていた.父母が 「あま り励 まさな い よ うに医師か ら言われて きたか ら‑」 と伝 える と, 「お前 らが私 の ことを悪 く言 うか ら だ」 とか え って家族 に八 当た りして食事 をつ

くらな くな った りした こともあ った.祖母 は 曽祖父 に似 てい る と言われてお り,物事 に対 して くど く,心配症 である らしい.丁 度,柿 の S 子が生 まれ る頃 に肝臓 を悪 くして, 同時 に歩 けな くな って,足 が 曲が り,一時 は腕 を ひろげて歩 くよ うにな り,周囲か ら 「 奇 病」

と言われた こともある とい う.それ以来,身 体 の ことを気 に し, ち ょっ とした心配事 が あ って も胸 が苦 し くな り,足 がふ らふ らし,情 緒的 に もイ ライ ラして人 にあた った りす る.

そのた め家族 は祖母 に対 してはあた らず さわ らず の対応 を して きた らしい.先祖代 々,土 俗 の神 さま‑ の信仰が強 いが,祖 母 も近隣 の

「 稲荷 さま」 と 「出雲大社 」 を中心 に さまざ まな神 サ マの所 を歩 いてい る.今 回 もき りん を何 回か場所 を変 えて神 サ マ に 見 せ た り,

「こ うな った のは母親 の信仰心が うすいか ら だ」 と母 を責 めた りもした.外面的 にはお と な し く, どこか オ ドオ ドとした,気弱 な印象 を与 える人柄 であ る.

父の実父 は34歳 で急死 した.そ の当時, あ る神 さまか ら 「障 って死 んだのだ」 と言 われ たが,今 回の き りんのエ ピソー ドに対 して も この時 に障 った ものが き りんに乗 り移 った の だ と祖母 は考 えていた.

現在 の祖 父は 6 2 歳,祖母 の前夫 が早 く死亡 し,農家 としては家 を支 え るた めに男手が必 要 であるた め, ムサ シ家 に婿入 りす る ことに な った.夏場 は農業 を し,冬場 は き りんの叔 父 にあた る実子 が大阪 で土木関係 の仕事 を し てい る ことか ら,大阪‑ 出稼 ぎに行 く.いつ もエ コニ コしてお り,家 の中では良いお じい ち ゃんで通 ってい る. 口 うるさ く,神経質 な 祖 母 とはか ど が 立 た ない よ うに暮 してい る.

‑ 1 99

両親 ともに 「お じい ち ゃんはいい人 だ‑‑」

と評価 してい る.

曽祖母 は昭和 5 5 年 1 月 2 日に心筋梗塞 にて 80 歳 で死亡 した.や さしい人柄 で, き りんは 普段か らよ く曽祖母 の部屋 で話 を した りして 遊 んでいた.祖 母 と母 の仲たがい も曽祖母が 中に入 って ま とめていたが, この曽祖母 の死 亡後 ,祖母 と母 の対立が表面 的に浮かび上 っ て きてい る. 曽祖母 は家 で は 「お ば あ ち ゃ ん」 と呼 ばれ,祖母 は 「ばあさん」 と呼 ばれ ていた とい う.

姉 の S 子 は 1 3 歳, き りん よ り 2 歳年上 で誕 生 日が 同 じで, K 中学校 2 年生 であ る.神経 質 な反面おてんばで祖母か ら嫌 わ れ て い る が,その ことは微塵 も苦 に していない.見 る か らに活発 でハ キハ キしてお り, ボ ーイ ッ シ ュな感 じの女 の子で, 自分 の不満 は直接相手 に伝 えて くる.父母 は S 子 とき りんの性格 は 正反対 だ と言 い,教師 の話 で も姉 は き りん と は逆 に馬力が あ る ことで有名で,成績 は良か ったが我 を張 るた め小学 6 年時 には友達 に反 感 を もたれ て嫌 われ,そのため学級 の役 に も つけ なか った. 中学 に入 ってか らは少 しずつ 自分 を抑 え るよ うにな り,皆 に受け入 れ られ るよ うにな った らしい. き りん とは中学 1年 までは よ くケ ンカ していたが,最近 は き りん が食物 を S 子 に譲 った り, S子 が き りんにあ た る際 に もき りんが とぼけ るよ うに して S 子 を立 て るよ うに してお り, ケ ンカにな ること もなか った. S子 は将来 は教師 にな りたい と 小 さい頃か ら考 えてお り,進学校 で ある父 の 母高 の N 高か, F 高 に行 きたい と勉強 を して い る. き りん もそれ を見習い,姉 に負 け じと 勉強 を していた. S子 はスポ ーツは苦手 で あ り, 「き りんはスポ ーツが得意 で, スポ ーツ の面 で も皆 に期待 され ていた」 と言 う.妹 の き りんの ことは 「内向的 な性格 だか ら」 と考 えてい る. 自 ら将来 家か ら出たい と思 ってお

● ) り る 3

「家 は き りんが継げ ばいい」 と述べ てい

き りんの性格 について

(8)

2 0 0 ‑ 安

内気,凡帳面 で責任感 が強 い と周囲か ら言 われ てい る . 「周 りの 目を気 に し」 , 「皆 の役 に立 ちたい」 とい う他者 に対 す る役割 アイデ 3 ) ンテ ィテ ィ ( Ro l l e ni de nt i t a t ) を求 め る傾 向 が強い.姉 と同 じよ うに行動 し,負け まい と す る 自我理想 の高 さを うかがわせ,家 では テ レビを 1 時 間 しか見 ない と心に決 め, 自室 で 勉強す るな ど, いわゆる 「 頑張 り屋」 であ っ た. また,お とな し く, あま り要求 もせず, は っき り物 を言 わず, 「や さしい子」 で あ っ たた め,祖母 は可愛が りす ぎる ぐらい可愛 が っていた.担任 の C 先生 の話 に よる と,学校 では相手 に不快 な気特 を与 え るのではないか とい うことをいつ も気 に して, 自分の気持 を 穀 してで も他人 を立 て るよ うな面が あ り,他 人 の 目をいつ も気 に していた とい う. クラス の中では リーダ ー格 であ り,勉強 も成歳 の上 では数香以 内に入 ってい るが,能力が ある と い うよ りま じめに コツ コツ とや るタイ プで, 思考面 で硬 く,融通 の きか ない所 が あ り,実 力 テス トは学 内 テス トよ り成績 が下が る.間 違 いをひ どく気 にす る とい う.内に秘 めた負 けん気 が あ り, マ ラソンや スキ ーの際 も顔色 を変 えて頑張 り,上 位に入 ってい る.

入 院中 も他息へ の 自分 の影響 を気 忙 し,時 に 自責的 とな り,母 の話 し声 に も他息 に迷惑 をか け るのでは と気 を配 っていた. ベ ッ ドメ イ クも几帳面で,過剰 な程 に四すみを ピシ ッ と整 え,敏一つ,塵一つ あ って も気 に してい た .

4 ) 生活歴 について

昭和 4 4年, E 町東谷部落に生 まれ る. 3 歳 時 に過疎 のため部 落 中で沢部落 に移転 した.

幼 少時 は近所 に同年輩 の子供 もお らず,幼椎 園に入 ってか ら初 めて余所 の子供 とのつ きあ いが始 ま った. 2年間,幼 椎園に通 ったが, 最初 は通 園 したが らず,奥 の部 落 の 「山畑」

か ら来 る同級生が一緒 でなけれ ば通 園 を嫌が り,いつ もバ スを見 て, その子がい るのを確 めてバ スに乗 った とい う . 3 歳時 よ り母が外 に働 きに出 る ことにな り,それ以後 は祖母 の

世話 を受 け ることが多 く, 曽祖母か らも世話 され て育 った.小学校 1 年 の時か ら姉 と共 に ピァノを習い始 め,姉 は途 中で止 めて しま っ たが, き りんは今で も続 けてい る.小学校 4 年 までは姉 と 2段ベ ッ ドで寝 ていたが,以後 は 自分 の部屋 で寝起 きし,割 に 自立 的 な生活 を していた.小学校 高学年 にな る と,将来 は 教師にな りたい と勉強 は しす ぎる位 に してい た.学校 ではバ レーボ ールの選手 とスキーや マラソンの選手 もしてお り, クラスの保健委 員 な どを していた こともある. 昭和 5 4 年夏 に は姉 と 2 人 だけで大阪 の叔 父 の もとに行 った りして元気 に していた.秋 の児童会 の選挙 で 副委員長 に立候補 し, 同 じ沢部 落の友達 と選 挙 で争 ってか ら交流 を失い寂 しい思 いを して いた.昭和 5 5 年 1 月には曽祖母が死亡 し, そ れか ら間 もな く行 われた父 の森林組合理事 の 選挙 で家 中が ゴクゴク した頃か ら, 自重 に引 きこも りが ち とな り,元気 が な く, 「やせた い」 と言 っていたが徐 々に食欲 もな くな って い った. 同年 2月にはバ ス定期乗車券 の証 明 書 を職員室に ど うして も貰 いに行 けない とい うことが あ った. き りんはス キーの距離競技 の選手 で あ ったが, 2 月のスキー大会 を前 に して同級生 の 「ま り子」 との競争 心を強 め, 緊張 していた.以前か ら交 際 して い た 親 友

「うさぎ」 との交換 日記 に も変調がみ られて い る.

きりんとうさぎの交換日記から‑‑

2 月 2日 (うさぎから) ,町民スキー大会はがん はるのよ.でも,この頃のきりんは変よ,悩みご

とがあるんならそうだんしなさいよ.

2月 5 日 (きりんから),‑‑・ 私,まり子さんみ たいな性格だいきらい.

2 月27 日 (きりんから) ,今日,学校に行った ら みんなが 「 髪きって,かっこわりい」 といって, せめておせ じでも言っていれれはよか った のに

‑‑,私一人 とりのこされた感 じ,もう私たった

の一人ばっち.もう学校なんかいきた くない,辛

っぱり友がいなければさみしい.でも私は くじけ

ないわ,いつもニコニコしているのが一番.ゆり

(9)

ある神経症 少女の 「 家」 と前思春期の精神力動

子がいつ も私か ら うさぎを うは っ て い く,に く い.私や っぱ りとりの こされ る‑‑

3 月 1 8 日は卒業式 で き りんは副会 長の役 目 で送辞 を述 べたが,暗記 していた文句 を途 中 で忘れ,つ ま って しまい, しば ら く周囲が シ ーンと静 ま りか え りつ らい思いを した.その 級,食事 の量 が さらに少 な くな った.

3月26日, き りんは うさぎに‑通 の手紙 を 出 してい る. 「うさぎさん, 6 年生 にな って もず っとお友達 でい ま し ょうね.私 に とって は,た った一人 の大切 な大切 な人 なのです.

私いつ も給食時 間にな る と,私だけ一人 と り の こされた よ うにな るの.だ ってあのゆ り子 がサ,私 に話 させ よ うとして くれ ないんだ も ん.私 にマ ラソンでぬかれ るこ とはか り気 に していて

‑・ ・ .私 は うさぎにはぬかれ て もい いの. お手紙下 さいね .」

昭和55 年 4 月,小学 6 年 の新学期 にな り, クラスの席変 えが あ り, うさぎのまわ りに女 の子 が何人か坐 るよ うにな った.それ までは うさぎの方 か ら必ず き りんに声 をかけて近寄 って来 ていたのが,今度 は き りんが声 をかけ ない と うさぎはまわ りの女 の子 と遊 んで話 を 止 めない と感 じ, 同 じ部 落 の友達 を失 な った 上 に うさぎ とも仲が悪 くな った よ うに 感 じ た. この頃,学校 で も声 が小 さ くな った. 6 年 前期 の児童 会 の役員改 選 に もき りんは立候 補 せず, クラスの委員長 にな りたい と立候補 したが男 の子 に投票 で小差 で 負 け て 落 選 し た. 3 月末 には風邪 をひ き, バ レーボ ールの 練 習 もつ ら くな り,元気 のない様子が 目立 ち 始 めた.バ レーボ ールでは左 前衛 で レギ ュラ ーだ ったが, エ ースアタ ッカ ーの 「たか子」

が勝気 でいつ も 「き りんには絶対負 けない」

と競争 心 を丸 出 しにす るの で 嫌 な 感 じ を も ち,バ レーボ ール の コーチであ る男性 の教師 に も, 「どこかへ行 って しまえ」 と言 う程 の 嫌悪感 を もっていた. しか も 4 月か らは沢部 落 の集 団登校 の リーダ ーをす る予定 にな って お り,対立 した友達 と一緒 に登校 しなけれ ば

‑ 2 0 1

な らない状 況 にあ った.

5) 治療経 過 について

治療終結後 に治療経過 を 振 りか え っ て み て, き りんの変 化か ら経過 を 5 期 に分けた.

第 1 期 ;母 と共 に入院 させ, き りんの内面 を探 ろ うとした時期.

5 月 9 日,入 院 まで M 病 院 の玄 関で 1 回,辛 内で も H 市街 に入 る と 1 回 過 呼 吸 状 態 とな る.車 の中か ら外へ手 を出 し,父 母 に注意 さ れ て も頑 くなにやめない . H 病 院 に 入 っ て も,息 を荒 くし,膝 をガ クガ クさせてなかな か前 に進 も うとせず, 「妹 あ,嫌 あ」 と小声 で体 を くね らせ,母 はそれ に対 して 「す ぐ帰 るか ら」 とごまかす よ うに対応 す る.表情 は うつ ろで周囲のち ょっとした物音 に もビクッ と反応 し,小声 で頭 が痛 い,頭一杯 に張 る感 じ,胸 が苦 しい,何 とな く不安 な感 じで,歩 く時 に膝が カクンカ クンと な り疲 れ る と言 う.抑 うつ症状 に加 え, ヒステ リー性 の症状 を思 わせた. マイナ ー トランキライザ ーを授 与 し, プ レイル ームで接触 して行 くよ うに し た. 同時 に点滴 を開始 した.

5 月 1 1日,母 は き りんに対 して教条的 な態度 を と りがちで あ り,娘 が食事 を とらず, 自分 の言 うこともきか ない と音 を上 げて しまい, 看護婦 の手 をか りたい と援助 を求 めてい る.

5 月 1 3 日,食事 はほ とん ど摂 ろ うとせず,不 安 そ うに眉間に敏 を寄せ,膝 の先 に感覚 のな い ことを訴 え, 申 し訳 な さそ うに してい る, レク リエ ーシ ョンの時 には 「学校 と同 じだ」

と言 って泣 く.

5 月 1 5 日,政行 が著 明にな る.母 には 「入院 してお金が どの くらいかか るのか」 な どと金 銭的 な心配 を してい る . 「うさぎさん とは今 年 にな って席 が離れ, 自分 も行かず,仲がだ めにな った気が して‑・ . ・ 」,「バ レーはつ らか った」,「母 さんは うるさいが嫌 い じゃない」,

「ばあさんは こわい」 , 「食べ たいけれ ど食べ られ ない不安 が ある」 な どと小声 で述べ る.

5 月 1 9 日, き りんが母 を うるさが ってい るよ

うな面 もあ り,母が教条 的な面 はか り見せ る

(10)

2 0 2 ‑

図 3 ‑1 箱 庭 第 1 回 ために,一時, き りんを一人で入院 させ るこ

とにす る. き りんは母 に 「何 も分 って くれ な い」 と言 う.

第 2 期 ;き りん単独 の入院 とな り, プ レイ / レ‑ムでつ きあいなが ら箱庭療法 を始 めた時 期.

5 月 22 日,修学旅行 に皆 んな出かけて しま う と取 り残 され る不安 が強 くな る.

5 月24日,時 々病院 に来 る父母, と くに母親 に対 して 「身体的 なふれ あいを し, き りんが 頼 りにな るよ うに して欲 しい」 , 「祖 母 に は き りんの しつけか ら一歩下 って もらい,母が どん どんつ きあ うよ うに」 と要請す る.

き りんに対 しては心的 な表現 の場 を広げ る 意味 で箱庭療法 に導入, 「これで何 で もよい か ら自由につ くってみて下 さい」 と道具 を見 せ る と,抵抗 な く箱庭 をつ くり始 め る.

( 箱庭第 1 回)表題 ; 「左 すみの柵 の ある 家」

≪左 中央 部 に柵 で囲 まれた家が あ り, それ

は さらに山の尾根 で囲 まれ る.柵 の中の池 には水鳥が 2 羽 向 きあ ってい る.全体 に左 側 に偏位 し, 「自己」*の内 界 に 閉 じ こ も

り,外界 に対 して恐 れを持 ち,逃避 的であ ることを感 じさせ る と同時 に, 内界 を指 向 す るき りんの中に守 ってや らなければな ら ない ものがあ るこ とを感 じさせた.左下 の 泉 は空虚 で,か らっぽなェネル ギ ーを思 わ せ る. き りんの テ ーマ として 「家」 と 「二 つ の ものの対立」が出現 してい る. この箱 庭 の家は昔 の東谷 の家 を連想 させ る. ≫ 5 月 2 6 日,他息 の T 子 よ り自分 の面接が早 く な って しまい, T 子 に申 し訳 ない とメソメソ と泣 く.

5月28日,左 大腿部 の痛 み を訴 え, 「足 はな お りますか」 と心配す る.治療 的 な意味か ら 祖 母の来院 を控 えて もらってい るこ とか ら, 祖母が母 を逆恨 み してい ることを き りん も知

*ここでい う 「自己」とはコングのい う 「 Se l f 」

に相当す る.

(11)

ある神経症少女の 「 家」と前思春期の精神力動 ‑ 2 03

図 3 ‑ 2 第 2 回

り, 「き りんの ことで母 さん とばあさんが ケ ンカにな って ごめんな さい」 と言い, また入 院 してお金 はか り使 わせ て と自責的 にな り,

「 死 んでお ばあち ゃん (曽祖母) の所 に行 き たい」 とメモす る.屋上 に散歩 に出て も披行 が著 明で息 を荒 くす る.

5 月 31 日,床頭台 の引 きだ Lにベル ト,ひ も を隠 してい る.死 にたい と思い, 曽祖 母 の写 真 を枕 の下 に入れ, 「お ばあち ゃんの所‑行 きたい」 と母 に何度か言 ってい る. この頃か らかすか な発語 があ るだけでほ とん ど繊黙状 態 とな る.

( 箱庭第 2 回)「左上 の家,誰 もいない道 」

≪左上 に柵 で囲 まれた家が あ り, き りんの 世界 は相変 らず内部 を向いてい るが,右 の 森へ 向けて 1 本 の道がで きた.外界‑ の道 ではあるが誰 もお らず,い まだ荒涼 として い る.右下 の 2つ の泉 ではエネル ギーのた ま りが動 き始 めてい る.森 とは暖かいが暗 く,一度 は通 り抜 けなけれ ばな らない とこ

ろなのだろ うか と考 えさせ られたOき, 6 月 4日,全 く繊黙 し,不安 そ うな表情 で周 囲 の物音 に敏感 に反応 す る. き りん との コ ミ

ュニケ ーシ ョンの手段 として,筆談 での応答 を受 け とめ る ことにす る. 「自分 で も言 える ことを,お父 さん,お母 さ ん が 先 生 に 話 し て,過保護 みたいに先生や友達 にみ られ るの が嫌だ った」 と伝 えて くる.

6 月 5日,病棟 ピクニ ックに母 と共 に参加す るが,途 中で 「家 に帰 る」 と顔 を しか めて道 路 にかけだ し,缶 ジュースのふたで手首 を 自 傷 ,浅 いが傷 をつ け る.「こんな ところに来 る な ら修学旅行 に行 きたか った」 と紙 に書 く.

6 月 7 日, ( 箱庭第 3回) 「 道 のむ こ うの親 キ リン ( キ リンの家族 の分割)」

<: 左上 に柵 で囲 まれた家,左下 の池 と2 巽

のボ ー T l, 中央上 の池 と 2 羽 の フ ラ ミ ン

ゴ,右下 の森 ,左上か ら右下‑ の還 と,道

で分断 させ られた親 キ リンと子 キ リン 2頭

と羊か らな る. 自我活動が少 しずつ表面 に

(12)

2 0 4 安 藤

図 3‑3

出てい るが,不安 が強 く, 自己の挫 折感 , 親 と子の断裂 な ど,家庭感情 の問題 が提起 され る.右上 の社会的領域 では実 りない枯 木 の世界 が広が る.子 キ リン 2頭 の中の異 分子 としての羊 は祖母 なのだろ うか,治療 者 なのだろ うか . ≫

6 月 1 1日,以前連れ て行 かれた 「神 サマが こ わい」 と盛 んに胸 をか きむ し る. 苦 悶 様 で

「姿 は見 えないけれ ど人 が悪 いてい るよ うな 気 がす る」 と泣 き,過呼吸状態 とな り病棟 の ドアを叩いて 「帰 る, 帰 る」 とか す か に 言 う. 5月11日が学校 の運動会 で, 「あんなに 毎朝, マ ラソンの練 習 を していた のになんに もな らなか った.生 まれ ては じめての悔や し さだ」 と友達 関係 の緊張,入院 の不本意 さを 伝 え る. 「き りん, この頃眠れ ない,い ろい ろな神 サマの ところに行 った時 の こ とを思 い 出 して‑死 ぬほ どこわか った」 と転 々 と連れ て歩かれた神 サマの所 での不安 を思 い出 し伝

第 3 回

えて くる.治療 者 としては, き りんの告 白を 受 け とめなが ら,超 自我 の緩和 と父母 に甘 え

ることを許 す よ うな態度 を とった.

6 月1 3 日,看護学生 が 自分 はか りに付 きそ っ てい るので,緊張す るし, 同室 の人 に も悪 い 気 がす る と筆談 し, 「たか子が 『わた し, き りんに負 けない』 とい うので,負 けて しま う のではないか と思 いつ めた」 と述べ る.

6 月 1 4 日,久 しぶ りに笑床 を見せ,母 と一緒 に面談室 で鍵板ハ ーモニ カを吹 き, うま く吹 けない と笑 う. き りんの側 か ら紙 に メモを し て治療者 に コ ミュニケ ーシ ョ ンを と っ て く る .

( 箱庭第 4回) 「真 ん中の家」

≪家が 中央 に移動 し,上 と右 は柵 で囲 まれ

るが,左 上へ遠,左 下 の池 にはボ ー トが用

意 され る.親 子関係 の安定 を機 に家が 中央

に半 は開 き, 「自己」 の展 開の きざ しを思

わせ るが, まだ外 に対 して警戒的 であ る.

(13)

ある神経症少女の 「 家」 と前思春期の精神力動 ‑ 2 0 5

図 3 ‑ 4

しか し社会的 な豊か さが準備 されつつ ある のか,右上 の山には緑 の葉 がつ け られ, ど ことな く殺風景 な中に も新た な活動 が予測 され る . 「二つ の ものの対立」 も示 され続 けてい る. き,

6 月20 日,表情 は柔和 にな って きてい るが, 政行 は著 明で,左足 をつ っば らせ右膝 をカク ンカ クンと折 って歩 く,知覚,聴 覚,運動 も 左側 の機序が落 ちてい よ うにオ ドオ ドしなが

ら伝 えて くる.

6 月 21 日, 「左 の 目が ぼやけ る」 と何度か訴 える.

( 箱庭第 5 回) 「森 へ向 か う馬,右上 で遊 ぶ 3 匹のキ リン」

≪左 中央 の柵 で囲 まれた家 は門戸 を開 き, 右 の森へ太 い道が で き, そ こを木 々に囲 ま れ 白い馬が森 ‑ 向か ってい る.左上 の池 に は一対 の水 鳥 とフラ ミンゴ,左 下 の池 には 一対 のボ ー ト,右上 には親 キ リン, 2 頭 の 子 キ リンと 2 頭 の ロバがい る.下方 には花

第 4 回

が現われれ る.全体 として静 的 な造形か ら 動的 な もの‑変化 し,現実 的 な動 きの予兆 を感 じさせ る.家 は左側 に置 かれ,い まだ

「自己」 は内閉 しつつ も,右 の森へ 「足」

の象徴 として連想 され る白鷹が走 る.左 か ら右へ の動 きは進化 のサイ ンとして, また 木 々にま もられ なが らひそやか に駈けだす こ とを予告 していた のか もしれ ない. 3 回 目の箱庭 で分断 された親子 キ リンは社会的 領域 で認識 され,親子関 係 の 安 定 化 が 願 望 ,予兆 として存在 してい る ことを感 じさ せた . き,

6月24日,隣 のベ ッ ドの老女がの どをつ ま ら せた こっけい な場面 で大笑 い をす る.友達 の こ とにふれ る とお ちつかず キ ョロキ ョロす る が, 「同 じ部 落 の友達がい な くな った上 に, うさぎさんの席が えで, うさぎさんか ら声 を かけて もらえず仲 が悪 くな った 気 が し て‑・

・ ・ ・ 」 と筆談 で告 白す る ●

6 月2 5日, 「お母 さんがい る と病院 の ご飯 も

(14)

2 0 6 ‑

図 3 ‑ 5

食べれ る と思 う」 と母 にな じみ,母が付 き添 うことを希望す る.

6 月 2 8 日,担任 の C 先生が来院 し, き りん と 面会す る. き りんは政行 を見せ なが ら,神妙 な態度で対面,嬉 しそ うな表情 も見せ る. C

先生 は面会が終わ ってか ら,痩せた き りんの ことを思い涙 を流 していた.母 も来院 し ,2 9 日よ り再 び一緒 に入院生活 をす ることを決 め る.

( 箱庭第 6 回) 「山のふ もとを回る馬,親 子キ リンの団棄」

≪ 中央 に大 きな山が築かれ, その周囲に道 がめ ぐり, 山には木 々 と向 きあ った 白熊 と 黒熊 がお り,周囲の道 には白馬 と茶色 の席 が走 る.右下 には親子 キ リ ン, 2 頭 の ロ バ,子羊がお り,上方 には ライオ ン, ピュ ーマがい る.全体像 は分割か ら調和へ と変 化す る中で,大団円の近 さを感 じさせ る.

家においては母 とき りん姉妹 の連帯 と安定 をみ ている 「自己」 はス ピー ドがつ き,坐

第 5 回

き生 きした ものを感 じさせ るが,箱庭 中央 の ファリックな象徴 としての 「山」 で 2 頭 の動物の対立が展開 し,競争 の世界 での葛 藤 の存在 を思わせ る.友人 とき りん,祖母

と母の対立 なのだろ うか。≫

第 3 期 ;母 と一緒 の入院生活 を再 開 した時 期.食事量 も増 え,母 に対す る遠慮 もな くな り,柔和 な表情 になる.母には教条の押 しつ けは止 めて もらい,外 出や一緒 にす ごす時間 の中で き りんの困 っている ことを共感的に一 緒 に考 えては しい,理解 してや ってほ しい と 伝 える.

6月30日, 「時 々 目が見 えな くなる」が 「 耳 の方は大丈夫 です」 と記す.食事量 も増 えて きてお り,点滴 を中止す る.

7 月 1 日,眼科頼診 して もらい,異常 な しと

言われ る.相変 らずの政行 に対 して 「 今度は

整形外科 に診 て もらお うか」 と言 うとオ ドオ

ドして息 を荒 くし, 「なん だ か 分 りま せ ん

が,今, 自分 の気持がおちつ きませ ん」 と書

(15)

ある神経症少女の 「 家」 と前思春期の精神力動 ‑ 2 07

図 3‑ 6

く.

7 月 4 日,髪 をいつ もと逆 に 分 け る な ど し ( ふ り返 ってみ る と, これ は 「変身」 を意味 し, またその前兆 と思 える),表情 も柔和 で, 隣 の老女 に近寄 って笑 った り,母 と食事 を互 い にすす めあ っては しゃぎ,笑 い ころげてい た りす る.体重 も最低時 よ り 5kg も増 える.

7 月 5 日, ( 箱庭第 7 回) 「共存の動物達 と 5 匹のキ リン」

≪ いろい ろな動物達 の群れが表現 され,右 上 に 5匹の キ リン,左 下 の泉 を と り囲 んで 4 匹の ライオ ンがい る.動物達 が共存 し, 対社会集 団が多様 に 構 成 さ れ る 中 で 「自 己」 の整理 を始 めてい る.第 6 回 目の箱庭 での山の うしろにひそやか に存在 していた ライオ ンが 中央 に硯 出 し, ある程度 の攻撃 性 を取 り戻 し,深 い 自我 や 衝 動 の 領 域 で は,泉 の よ うな新た な兆 しが見 られ,次 の 活動 に備 え るよ うな水 の補給 が行 われ てい

第 6 回

る.全体 としてい きい きとした 自由な印象 を与 える. ≫

7 月 9 日,母 と共 に レク リエ ーシ ョンに参加 し,歩 いて行 き帰 りし,部屋 では母が レース 編 みを してい るのを膝をのは してニ コニ コし なが ら見 てい る.

7 月 1 1日,家 に電話 を して 「もしもし」 と声 を出 し,母 に も小声 で あ る が 「も し も し」

「しもしも」 と言 って笑 っ て い る. 声 が 出 て, 自分 白身 驚いた よ うに 口をふ さいだ りし てい る.政行 の程度 も軽減 し,足 のふ るえ も 減 ってい る.思 い切 って, 整 形 外 科 に 頼 診 し,異常 のない こ とを伝 えて もらった. この 夜, ニ コニ コして普 通の足 ど りで歩 き, 「 走 りたい」 と言 って廊下 を走 ってみせ,母や看 護 者 を驚かせた.

第 4期 ;政行 と械黙が改善 してか ら退 院 ま での時期 .

7 月 1 2 日,主治 医宛 に手紙 を書 き, 「 声 もも

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2 0 8 ‑ 安 藤

図 3‑ 7 う出ます ‑・ ‑ も う心が沈 んだ りしませ ん‑‑・

7 月末 の登山に行 きた い‑‑それ まで退院で きますか」 と問 うてい る.

( 箱庭第 8 回)「 右上 の家 ( 領域 の反 転)」

<; 家が柵 で囲 まれ なが ら右上 に移動 し,領 域 は右 に比重が置かれ る.右上 の家か ら左 下 の森へ太い遠がで き,右下 に大 きな池, 左上 では白い馬 と茶色 の馬 が向 き合 ってい る 自己の存在が社会 ・機能的 な世界 で確か め られた のではないか と思わせ る. 2頭 の 馬 の対立 は精神的 な障害 として残 され るか もしれ ないが,馬 は道 をはずれ,野放 しの 自由な,規制 をはず された息児 の足 を連想 させ る。き,

7 月 1 4 日,母 と一緒 には しゃぎ,看護 者 とも 大声 で話 し,主治 医に対 して もオ ドオ ドしな が らは っき りと話 をす る. しか し,一方 で祖 母 は父母 だけが病院に行 ってい る ことで,無 視 され てい る と母親 を責 め, 「も う病院へ行 くな, き りんが ど うな って もいい」 とまで も

第 7 回

感情的 にな って言 う.父親 に対 して母 と祖母 の間に入 って欲 しい と伝 えるが, 「祖母は女 の戸主 として何 で も自分 の思 うとお りにや っ て きたんだか ら‑‑・ 」 と父 も困 り果 てて しま

う.

7 月 1 6 日,足が痛 い と湿布 を求 め る ことは あ るが,母 と共 に買物 に市街地へ 出かけた り,

「登校拒否」 で入院 して きた女 の子 とバ ドミ ン トンを した りしてい る.

7 月 1 9 日, ( 箱庭第 9 回) 「4 本の道 ( マ ン ダラ)」

< 中央 に柵 で囲 まれた家, 四隅へ の遠が伸 び,左右 に親子 キ リン,上に馬,辛, ロバ が いて下 に池 をつ くる.家 は中央 で四方 に 道 を拡 げ, 「自己」 の各意識層へ の取 りく み と,取 りま く対集 団へ の 自 己 の 展 開 と 統合 を示 してい るのでは な い か と思 わ れ た . 茅,

7 月 2 5 日,担任 の C 先生 ら教 師 2 人 と同級生

8 人 が見舞いに来 る.院外 で待 ち合 わせて会

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ある神経症少女の 「 家」と前思春期の精神力動 ‑ 2 0 9

図 3‑ 8

って もら うが, デパ ー 十の遊 び場 で皆 とは し ゃいで くる.主治 医には気 をつ かい,希望 を 述べ る時 に も顔色 を うかが ってい るが,母 に は 「 頼 んでお った ものを持 って来 ない」 と責 めた り,反抗的 な位 に 自己を主張 す るよ うに な ってい る.症状 が とれて, き りんは今 まで の エ ピソー ドにつ いて迎合的色彩 もあるが,

「役 目を沢 山背負 って‑‑学校 の役員,子供 会 もあ り‑‑・ 友達 とうま くいかな くて‑・ ・ ・ 」 と述べ る. ムサ シ家 では, き りんが入院 して 以降,祖母がそれ までの家 の中心であ ったの が, き りん‑ の対応 か ら始 ま って父親 が主導 す る よ うにな り,祖母 は 自分の意見 が通 らな くな って徐 々に脇 役 に変 わ りつつ ある.その た め,祖母 には,近頃,ふて くされた言動 が 多い とい う.

7 月 2 6 日, ( 箱庭 第 1 0 回) 「橋の あるなつか しい風 景」

・ 宅家 をめ ぐるス トー リーの緊張 が緩 み, の どかで な ごやかな田舎 の光景が展 開 され,

第 8 回

左下 の乳牛 は 「 生 み青 くむ」 イ メージを与 え る.右上 か ら左 下 に川が走 り,領域 が分 断 され なが らも橋 を架 け ることに よ り,家 庭 の問題 と精神 的 な 「自己」 の問題 のエネ ル ギ ーが対立 か ら調和 を とろ うとしてい る よ うにみ える.神 社 の傍 に置 かれた黒馬 を 祖母 とすれ ば,祖母 と母 の和解 の願望 と努 力 が含 まれ てい るか とも思 える.いずれ に せ よ,初 回の箱庭 か ら 「二 つ の もの の 対 立」 とい うテ ーマが認 め られ た が, 今 回 である程度 の対立緩和 の 兆 し が 見 て とれ る. き,

7 月 2 8 日か ら 31 日まで再 び外泊 し,学校 の行 事 の 「夏 山登 山」 に参加 して くる.友達全員 とは しゃいだ りして頂上 まで登 った と嬉 しそ うに述べ る.父 母 同伴 で,友達 の前 に元気 な 姿 で出て,暖 か く迎 え られ,皆の中に戻れ る

とい う保証 を与 え られた よ うである.

8 月 1 日,退 院.母 に対 しては 「き りんが友

達 関係 で孤立 し,一時,現実 か ら避難 した も

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図 3 ‑9

のの,母 とき りんが同盟す ることに よって, き りんは母 に依存 し,外 に対 しての構 えを再 び作 り出 して対応 で きるよ うにな ったのだろ

う」 と話 してお く.

( 箱庭第 1 1回) 「 待 ちの ぞむ家」

<退 院当 日の午前 につ くられ る.右上 の丘 に柵 のない家が置 かれ,少 し長い階段 とア ーチに左 下か らの道がつ なが る.道 の両脇 には, ソ ファと揺 り椅子 な どが おかれ, ス ゥイ ー トホ ームの印象 を与 える.家 は丘の 上 で ア ーチを開いて待 ってお り,家へ帰 る 嬉 しさが伝 わ って くるが, なお,長い階段 には き りんの不安 を感 じさせ る. しか し家 を背負 った 自己の社 会的機能‑ の願望 は伝 わ って くる. ここで初 回か らのテ ーマで あ った, 自己 とも思 える 「家」 は内閑か ら周 囲へ の展 開の段階 を経 て,社会的領域 に達 した と考 え られ る. ≫

第 5 期 ;外来通院以降.

第 9 回

8 月 8 日,父,祖父母 と共 に来 院す る.来 院 の前 に病院 の近 くの神社 でお被 い を受 けて き た とい う.友達 と一緒 に プールに行 った り, 家 で も入院前 よ り何 で もは っき りと言 えるよ

うにな った と父 が伝 える.

8 月1 2 日,母 の言 うこ とをきか な くな り,皮 抗的 にな った りしたが,母 はそれ を成長 した 証拠 と考 えてい る.友達 との電話 のかけ あい で家 の電話 を 占領 し,友達 とのノ\イキ ングの 世話人 にな った りもしてい る.友達 に後期 の 児童会長 に立 候補 した らといわれ,父母 は心 配 で反対 してい るが, き りんは皆か らすすめ られたか らや るんだ と述 べ,両親 の言 うこと を きか ない とい う.

8 月 1 9 日,部 落 の盆 お ど り大会 で子供会長 と

して挨拶 を し, 「うま くや った よ」 と母親 に

話 した.取 りあえず,精神科 と縁 を切 る とい

う意味 で受診 を終 了 とし, き りんには 「 勉強

も遅れてい るんだ し,児童会 長になるのは無

(19)

ある神経症少女の 「 家」 と前思春期の精神力動 ‑ 21 1

図 3 ‑ 1 0

理 しない方 がいい よ」 と伝 えて別れ る.

以後,新学期が始 ま り, 問題 な く通学 し, 学校 で もは っき りと物が言 えるよ うにな り, 家 では祖母 に対 して もはねか え して 自分 の意 見 をは っき り述べ るよ うにな った とい う.秩 には後期 の児童会長 に選 ばれて, と くに変 わ りな くす ごしてお り, 昭和 5 6 年 7 月に電話 で 連絡 を受 けたが経過 は良好 であ る.

症 例 の 考 察 1. 性格形成 について

症例 き りんの あ り方 で 目立 った のは対他 的 配慮が強 く,学校や村 の 子 供 達 の 中 で 「役 割」 を過剰 に担 う構 えで あ り, それ は 自責, と り残 され る不安, 自分 は も う駄 目だ とい う 悲観 的 な態度 として,病態 化 して現 われた.

き りんの生 まれた家 は過疎 の部 落で, その 中で ムサ シ家 の人 々は代 々受 け継がれ て来 た 伝統 と誇 りを もっていた.父 は大学進学 の希

第 1 0 回

望 を持 ちなが ら も農 家 の家長 としての役割 を 果た さね はな らず,祖母 の反対 も受 けて進学 を断念 し,父 の情念 は村 の 中での 「家長」 と しての実践 に方 向転換 されて行 く. き りんが 3 歳 の時 に ムサ シ家 は同 じ部落 の家 々 と一緒 に新 しい部落‑移住 し,移住当初 の 2 年 間は 移住 した十数戸 の集 ま りだけで 「余所者」 と して結 束 していた が,以後 は次第 に新 しい部 落 の中に広 が って行 く.その際 には周囲 との 間に,強い 「緊張」 が あ った. また, そ うい った状況 の 中で父は部落 の代表 にまでな り, 木材商 として も政治 的,経済 的 に力 をつけて 行 くが, その過程 で父 も家族 も部落 の 中で さ

らに心理的緊張 を強 い られた と思 われ る.

父 は き りん姉妹 に直接 に期待 を示 して もき

たが, ムサ シ家 の伝統,父 の果たせ なか った

進学 の夢 と部落 内での 「家」 のあ り方 は き り

ん姉妹 の高 い 自我理想 を形成 して来 た と思わ

れ る.そ して, それ は き りんの進学 し教師 に

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2 1 2 ‑ 安 藤

図 3 ‑ l l

な りたい とい う希望 を生み, さらに周囲へ の 家 ぐるみの心理的緊張 とも重 な って,対他的 配 慮が強 く過剰 に役割 を担お うとす る態度 と な って現われ,友達 関係の中での緊張 を生 ん で行 くことにな った.

この よ うなき りんの背伸 び した 「在 り方」

は学校,部落での前思春期 の友人 関係の中で 危機 ( c r i s i s ) を迎 え, き りんは そ の 心 的 負 担 に押 しつぶ されてい った と言 える.

2. 「 港」 と しての家のひずみ

き りんの危機状況 は家 の中での依 り拠がな くなることとも平行す る. 7 代女 系家族 のひ さび さの嫁 であるき りんの母は家での確 固 と した養育 の位置,役割 を もてず,家族 内葛藤 を回避 して家か ら逃れ るよ うに 外 へ 出 て働 き, き りんの養育 も 3 歳以降は祖母 にまか さ れて きた.姉 の S 子 は学童期近 くまで,母 と 共 にお り,母を取 り入れ同一化す るチ ャンス もあ ったのか,祖母に対 しては反抗 して家の 中で 自らの位置 を確かめる ことがで きた よ う

第 1 1回

である. しか し, き りんは神経質 な祖母の影 響 を よ り強 く受けなが ら,父母や祖母の期待 に添 って家 の中で受け入れ られ なければな ら ず,祖母 と母の動 きを うかがいなが ら情緒不 安 の中に育 ち, 曽祖母の所 で気休 めを兄い出 していたのではないか と思 わ れ る. と こ ろ が,祖母 と母 の闇の仲介役 であ った 曽祖母 も 死亡 し,祖母 と母 との対立が時 に表面化 し, 家 の外での情緒 的破綻 を癒す港 としての「家」

は十分に機能せず,か え って家族 内の葛藤 に 直面せ ざるを得ずに き りんは抑 うつ的 とな っ て行 った.母 は学校や家庭 の 養 育 場 面 で も 祖母に対す る気づかいが強 く, き りんに積極 的に関わ りあ うことが で きず に い た の で あ る.

3. 発症 に至 るまでの状況

① 昭和 5 4 年秋 ,児童会 の副会長選挙 に立候補 して,同 じ部落で元 々そ こに住む友達 と対立 し友達 を失 った と感 じる.

④ 昭和 5 5 年 1 月, 曽祖母が死亡 し,悲 しみ も

(21)

ある神経症少女の 「 家」と前思春期の精神力動 まもな く,父 の森林組合 の選挙が始 ま り家 に

人が集 ま り,家族全体の緊張 の中, き りんは ひきこもってい く.

④ 2 月, スキー大会でのま り子 との競争 に緊 張 を強 める.

④ 3 月,卒業式で送辞 を ミスし, 自信 を失 な ラ.

㊥ 4 月,新学期 に入 り,席がえで親友 うさぎ の席が離れ, うさぎ との仲が悪 くな った と感 じ,同時 に クラスの委員長選挙 で も落選 し, 自信 を失 う.

㊥その後,バ レーボ ー/ レの練 習の辛 さ と, ア タ ッカ ーのたか子 との競争 に過敏 とな り疲弊 して行 く.

以上 の 自ら選びかつ縛 りつけ られ るよ うな 危機的 な局面 において,友達関係 での緊張 は の っぴ きな らない様相 を呈 し, 四面楚歌の状 況 の中で き りんはひ きこもってい く.

4. ) 台療経過 の まとめ

当初,著者 は初期 の き りんの政行が固ま っ て行 くのではないか とい う不安 と,入院後 に 誠黙 を強めた こと,そ して コ ミュニケ ーシ ョ

ンの成立 しに くい ことに焦 りと当惑 を抱いて いた. しか し, き りんの 「家」 とき りんの在 り方 を, き りんの生 きる社会一文化的な背景 か ら理解す ることでゆ とりを持 ち, き りんの 様態 を受け とめ, 間 もな く開始 した箱庭療法 は黙 りこんだ き りん と治療者 の気 まず さの中 で共に育む 「 土壌」 としての場 を開 き,治療 者 は徐 々に き りんの 「 語れ ないが示す ことは で きる もの」 に共感的に摸 しは じめていた.

その意味で 「箱庭」は患者 と治療者の闇での 有効 な メデ ィアであ った.そ して, この場は き りんに とっては 「共感 されて在 る場」 であ った と思いたい.

箱庭 の内では,内閉化 した 「家」が社会的

・機能的に次第 に開かれて行 く過程, 「二つ の ものの対立」 の推移,家族像の変化が示 さ れたが, これは 自己が 「内聞」か ら外へ 向か う展 開の経過 で もある.そ して 自己の展開の 過程が, きりんの家の新た な部落での緊張 を

‑ 21 3

継時的に再体験 して行 った過程 であるよ うに も見 える.

箱庭 と平行 して, き りんは初 め頼 りない母 へ陰性感情 を向け,母へ の依存 をため らいな が らも,母 と同盟す ることで周囲に対す る自 己の構 えを再編 し,外にたち向か って行け る よ うにな った と思われ る.一方,母は家の中 におけ る自己の位置や祖母 との富藤 を告 白し つつ,母 としての 自己を確認 して行 った よ う である.かか る経過 の後, き りんは今 までに な く母に甘 え,は しゃぎ, 同時に母に対 して 自己を主張 し,祖母に対 して も祖母の意見を はねつ ける ことがで きる程 に も成長 した.父 は 自らの頓座 した ものを見つめ, き りん姉妹 に期待 し,課 していた ものを意識 化 してい っ た. 「家」 は主導権 が祖母か ら父へ と明 らか に移 り始 めてい る.

学校社会‑ の復帰に際 しては,担任教師の C 先生 の協力を得 て, き りんが学校社会へ出 て行け る 「しかけ」 と保証 が 与 え られ る場 面,いわば一種 の 「統合儀礼」が設け られた

ことに意義があ った と考 える.

考 察

以上,小児神経症 と考 え られ る前思春期 の 少女 き りん との治療的な関わ りの中か ら,発 症経過,性格形成,家族 的背景,社会 ・文化 的背景,治療経過 について論 じた.

要約すれば, き りんの病態 は 「家」お よび 父親か ら引 き継いだ 自我理想 のイ メージ,過 疎 の村か ら移住 した 「家」 の新 しい村での緊 張, 7 代女系の伝統的農村家族 の現在 のひず みを反映 してい るよ うに思われた.治療経過 においては, き りんが母 との安定 した結びつ きを もとに安定 した同性 同年輩関係 を形成 し た と言 えるが,全体的に見れば,三世代家族 において座礁 した家族 の機能が, き りんの病 態化を契機 に再構成 された過程 であ った とも 考 え られ る.

1 . 「家」の歴 史 と自我理 想

き りんの性格形成 について言えは,対他的

図 3 ‑9 のの,母 とき りんが同盟す ることに よって, き りんは母 に依存 し,外 に対 しての構 えを再 び作 り出 して対応 で きるよ うにな ったのだろ う」 と話 してお く

参照

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