金澤讐學專門學校十全會雑誌第五十一號附録︐
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十︑ 目 ︐次
小照及遺墨⁝⁝し⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝一頁
螢病鯨彩⁝⁝ポ⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝三⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝五頁
恩師終焉之鵠⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝↑⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝一二頁
葬儀掌記⁝⁝⁝一・﹂⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・一⁝⁝⁝⁝⁝⁝ーポ⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝;・⁝一九頁
恩師之性行⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝一⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝二九頁
家系及経歴⁝⁝⁝・⁝⁝・三︸⁝⁝一⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝・⁝・・乳三入頁
病床鯨涯・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝郵⁝⁝L−⁝⁝⁝⁝⁝﹁⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝し四五頁
病・床筆談⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝:⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝一⁝⁝⁝⁝影⁝⁝・⁝五山ハ頁
追悼手量:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝一⁝・・⁝⁝:ザ・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝−⁝・・⁝・⁝⁝⁝←ハ山霧頁
手骨奉安⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝三⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝⁝⁝⁝七七頁
い どどどどうノ どノくニどノ くいボ長ければ辱多し長く−⁝ ごも四十に足ら氾程に︑
一
〜て ?ネん・︑そめ享か∵ぺけれ 景好 w がへ
は し がき
Q某日九度五分の熟をも敢てせす本誌の爲に主ら筆墨らる\小原芳雄兄に逢ふ︑曰く小川先生の爲に何か書き給は
ぬ2⁝⁝⁝左様経歴にても少し書いて見ん?⁝⁝⁝・ざのπようなき話頭一轄途に斯るはしセなきものごなれ︶︑
節により章により事の粗なるあり密なるあり︑文騰亦格を異にし調を異にするものあるは一に筆に任せて思の儘
を折に回れ時に癒して綴りたるに因れり︑唯恩師か聖徳を漬すの罪聖なるは深︽悪謝する庭なり
0直情挙行︑左右に顧謄して人の鮮色を凝り巧に議言談辞を吐くの嫌なきは余か特性なり︑塁砦にロを僻し腕を断
たる\や逡別の席上︑ムー後本誌の爲には筆墨らさるべし只先輩知友よりの通信は其厚情に報ゆる浄め及ふだけ之
を質するにつだめんこ誓言せり︑さるに今恩師か爲に禿筆を弄する︑事甚た矛盾の観あるも︑余や夙に恩師か爲
に働き恩師か爲に生き恩師か爲に爲さんざ欲する庭を噂すもの恩師か爲には一死樹辞する腱にあらざるなb︑誓
を破って恩師か爲に之を零す余は衷心省みて穐つる所以を知らさるなう︑此末こても事筍くも恩師にか︑るもの
あらば之を再ひし之を三なひする露厭ふ庭にあらさるなり
◎皇師自筆のものにはいろはε片仮字ビ耀し叉○︑﹂等の蔵入あるは凡て虚蝉ざして存せり︑敢て之か改窟︑削除を
なさ\るもの一に恩師を追望するの情に撃つ︑叉他意あるにあらさるなり
O終焉之記一篇は夜來看護し奉ザし田宮か畳俊つる筋書を元よりεして綴うπるもの其談話の如き殆んざ之に擦れ
り今之を明にして其好意を謝すこど爾り
明治四十一年十一月五日 金城療病院にて 門下生 八 田 智 証 謹識
因に恩師が逸話︑遺聞叉は恩師に甥する馬蝉等はカめて本誌難誌部叉は小生宛御逸附あらん事を大方に向て
廣一切璽す
○小照及遣墨
釜に於ける墨書は爾幽の順序に薫影響の覆によ轟申せしものにして
eは去骨七年恩師第講高等學綾馨學部激授こして雑地へ赴任︵天長節當地貫︶せらる︑に際し
東京本郷︑四︑中黒爲激情店にて撮影せられπるもの︑裏面には﹁明治二十七.年十月廿五日爲︑自舜保
存品﹂ご自署し給へう
◎は廿九年天長の佳節第四高等學葛鰹上大蓮動會職員競走に於て一等賞を得賞牌を楓ひ給
ふ庭にして︑全癒九日賞品なる爲眞券を以て當地中町小池爲愈愈に於て撮影せら︐れカるもの
なり︑卓上の包封には﹁職員競走萱等賞﹂戴に﹁職員競走壼等賞運動勲状爲眞券﹂ぜ記るされ其前に カヅノプスプーンの横はるを見.るべし︑御隠南受曰く勝陳も其頃は元氣旺盛にて野田︵忠廣︶ずンご二人
で豫行練習ビか云ひ座敷中を面子回はり互に一等賞を取るとて競ひました云々︑爲眞の裏に
は軍に﹁明治二十九年十一穏廿九日爲﹂このみあう
◎は三十八年七月目日夜使して小生に贈られたるものにて添ふるに一要素書を以てせらる︑
其の蝋節は則ち逡墨こして下方に揚要る慮の如く以て恩師か爲眞観を窺ふへく以て愚庵居
士︵俗爾天田五郎︑出城深草之里に草庵を結ひ先年寂に入る︶を深く敬慕せられ隔るを想ふへし︑
爲眞の裏面には一首をものせられ﹁明治三十入年五月十六日爲︑初老ごいふも趾かし上髭に霜
降れり鷲は思はさうしを 未曾藏生 呈八田智﹂芝あり
臆小州先生一
臆小川先生二
⑭恩師久しく日本赤十字肚石川支部看護婦養成及遺志看護婦人主に講師亘り︑錯八年十月十
五日画院総裁宮殿下御台臨の際特別毒言に推薦せられ給ふ︑撮影年月は不明なるも右特別祇
員章受用よレ推せばうれ以後なるべく︑奥檬か一昨年の春撮った様に思ひますε申さる﹂に
よう或は其然るを思ふべし
㊥は本年四月廿九日午後二時金澤病院櫻上息女室に於て大日本私立衛生會養成産婆看護婦
卒業証書授與式あり︑恩師講習所長こして之に臨み小生亦講師巴して之に列す︑式後婦人科診 む 察室蘭窓の下に於て記念の爲に撮影をなす實に恩師か病床仰臥に先立つ厘に旬日恩師最後
むの撮影なり︑當目省小生の爲め逡別記念ざして特に婦人科一同撮影の約を以てせられだるも
折悪しく爲眞露寒の種子板失念の止め鯨儀なく止み把る事あり ︵絡帝室記墾照︶
門標 三十八年十一月味噌藏︐町片原︵雌鯨諏圃纏播職私︶より下本多町六番丁金澤電工重三向に縛
居せられたる盤質に作b給へる慾のにして昨夏現住所なる長町一番丁に移られたるも門標
は依然こして其儘なり3︑御隠居様の御話によれは氣に入ら沁から書き直さんざ云ひつ\ツ
ヘ ヘ ヘ ヘイ其儘に及ひたるものなりざの事なり︑然し行草のものは他に求めて得さるなきも恩師か回
書は殆んざ得易からす即ち特に之を掲くる事とせり︑時に恩師を訪ひ時に門前を過ぎ.りし者
今回を見て要π多少の戚なきにあらさるべし
む 遣墨 向て右は本年五月七日憂然こして吐鴫血に哺くの思し給へし後︑ヌ左は四月十四日兎
角我身の勝れさせ給はさるに就・て食素の重縫を腹臓な.く初めて打明け給へる共に岡本氏宛
の親書の一節なり︑﹁登病鯨影﹂に就て之を調照し見ぱそ㌧うに歳入が佛偲はれて戚懐斎きに
霊きさるものあるべし
下方のものは㊤の下に述べπる如くにして叉詞藻の一端を窺ふに足るべし︑筆蹟流麗護過し
難きものなきやを恐れ試に之を暴くれは左の如し
く〜︾≦〜〜︶c〜〜〜〜〜≦〜〜⁝ 〜〜⁝
小照一葉呈上致候小生由來孚身を爲さす況んや顔の・︑︑をや謂セらく顔面ハ其人二あら
すいな其人の全部にあらす世人面識といふて雪男こいはすア・臆予の固ナル久シ実又
貸て思ふもごこれ虚影のミ李面のミ立体にあらす等等にあらすナンゾ全ざ雫ざをざは
ん⁝⁝⁝五月十六日は生が生れる苦ミを鯉脱しπるの臼なb⁝⁝⁝いつ竜胸に浮ぶは うつし見る鏡に親のなつかしき わか影なから片身ざれも㌍は
翼箇に然らくく生常々苺々之を講して或一打泣キ︑或ハ慰ム⁝⁝⁝⁝⁝⁝鳴愚父よ遽く
去て在まさすいなノ\眼前ニアリ脚下に在り只々ロ語り手プレ得ずルノ︑ミいなノ\其
ロ其手其⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・皆コレ父ノミ而して亦冶レわれ田⁝頃日二見の小照轟轟すらく
われにしてわれには.あら漁われなれは われ巴な思ひそわれご贈爵よ
三三同一見地﹂−圃鋪三生 三
癒小川︐先生門生愚庵居士の扇を有す詩あり其三四にいはく 一三一鉢︑三千界青︐山何﹁庭不故郷
居士は嬉々の占卜戦後父を尋ねて四方を週痛し足跡天下に遍ししかも憂虞ふ能はす逡
に登心して灘三二入レジ云々
生山この結句に就て大二得たるこころあり毎々居士を以て未見の師となす不思筆して
鼓に到る其何の故控るを知らす 七月初一夜認 臥 牛 智謹學人 机下
夜三更濁坐聴雨懐三余年前奮作荘々故山遽 紗々前胸中雲漠々 戸外雨 即 興小夜ふけてひεりしすけき五月半の 昔静かな.る世にもある 三門瀟々
かな
︑彰鮮
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皆 .︐︷聖−一層.斎1︐門・︑︐ ・.咀uJ闘一目司︐朔判︐一当﹄轟−ーー.一網当ヨ﹄翌翌−項一. ︐ーー−﹂噂.
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・爵餐 ︐ ●今死十旺と初回十日間の膿温及豚搏を示す︵表にに数時間毎に算定ぜられあろも地場中よ卯左の如く抜出ゼリ︶
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雲かεばかり打眺められたる櫻も一夜の雨に凝りなく散う果てぬ︑吹く風面花の薫をれくらね
ど見渡す限り青葉若葉ケ萌に出つる頃︽五月の七日朝恩師憂然こして表裏の響あり︑飛ふ鳥の
塒に漁る江つ方また\くひまに高熟襲い來︵四十度四分︶稽留週鈴梢衰へたるも時折出つるあか
きもの廿六日まて引績き︑九天直下憔悼の状見るもあはれの御すがた
水無月初め方より九度の上を昇らすなりけるも術入度内外あり十四日の朝六時初めて七度に
降りニ十四日正午六度五分の聲を聞く︑爾來七一八度の間を上り下りの寝ろく人も獣ひ自らも
喜ひ給ふいぢ︑らしさ
模花一朝の夢なら漁糠喜ごはさてもつれなき熟はまた八月七日入度一分越俊て十二日九度三
分となれう︑之よりは頼み少なき消耗性且つは不定になり果てつ︑梧一葉の秋の風九月十六日に
ぞ及ひける
〜〜〜〜〜〜〜≦⁝〜嚢Σ5〜〜〜〜〜一
人生浮捧の如く水流また金箭の如し︑さても恩師がいたつきの斯くも劇しき象り方夢に夢見る
心地すれその因り來る源は咋日今日にはあらさもき︑岡本氏に眞情を打明け給へる水董のあと
や這般の清息偲ふべく︑去年の入月末つ方患ひ給へるヘモロィドそれより勝れ綴榮養の此春よ
りは爾も亦人目に立ちていやまさる異常のほども偲はれて休ませ給ふ数も殖へ彌生の塞や卯
臆小川先生 五
癒小川先生六
の月の入は花にご狂ふ頃濁り御古いたみつ\引籠み給ふ占いセわし\
花腿うゆ・く廿一日の午下一時子宮全摘出術あり︑メス執れわれ助けんご宣ひたおも玄理なる︑明
けて虚夢襲ひ來るわれ然るなり師の君のなざで衆意なからめや︑此日限のわが童心れきなく養
ふに引き代へ恩師か無理くビ知り給へつ3院に出て親しく診察なし給ふ御心のう問ち秀い泥
ましき骨七日金谷舘にて歎にもあら綴我が爲に墨壷の宴を催ふさる︑席上恩師︐にはピラミードンを服
用し給へりε聞くも涙の鍾子にこそ
五月三日之月曜なり師の君にハ此日親しく登院診察︑翌日胃膓の加減よろしからす︑静養途に五
目六日ビ打過ぎて震震一回天外之響
≧ 層 莞 以下三通の潰息は恩師より岡本京太郎氏に致されれうものふるも︑恩師の高湿の員相や初よ・り軍に む ℃βΦo目○巳①とのみまひて堅く秘せられカるものふれに今之を公にするにいかぜミ思ひ巻頭の遣墨に も其差支ふしミ自信せし部分のみ存出れぜし次第なうが︑このれび岡本氏が今に之な公にするも差 支ふ.いろべし二幅により謹んで益麦准鼠戸ろ事とぜ咳見ん入云ふ其心して㈱誕ゼられん事存
◎潰︑息 一
葬啓毎々家族共の病毒に付ては細大共選配慮を懸け御蔭にて安心罷在韓八田氏事も御蔭
により縁付先キ都合よろしく取b運ビ是亦同人ト慨則銘謝配下所二御座候愈同氏の僻表
ハ咋日手許迄受取本日山崎氏の診断書出來次第院長に差出す都合二御座候
○勝利義昨日虫にてもサ︑レタルニャ陰董包皮ノ尖端浮腫毒口腫脹か昨夜ハ爲メニ夜孚
二目畳メ︵療震二堪ヘス老母ニガソく掻プクレきテ叫ヒタリ︶今朝ハ憂人忘レタル如ク候
へじも唯今放尿ノ.際槍ス〃二腫脹部一層進行増多致謡言二御座候﹂老母も腹部一ク庭︑下碑
ハ背部︸箇腱焦し一虫二ず・ジケン余程欝欝腫脹痛痒シトノ﹁二御座候
○最後臨御願致度ハ小生事二御座候御承知の如く小生は御覧の通り︑の騰格工廠35注意ハ
不絶致居候故にやサシタル事もナク経過致候慮一昨年輕度ナカラ黄疽ヲ濠州シ頃より︵當
時モ貴下二御心勢相掛け其前後一一−や﹁インフルエンザ﹂ナリシカ一日四十度近クノ熟慮り=7
全身倦怠殊二腰部非常ニイタク貴下ノ﹁マッサージ﹂にて大二快ク威シタリ〃﹁今モ記憶セ
リ℃.七時胸部モ一診チ乞ヒ何力異状アフヤノ問二心音..q建①賞鴇ト思ハルトノ言記憶致
候一i往年心地臼來任ノ震域.冒=カ︑り一友二心セシメシニ右肺何レノ慮ナリシや一小
部二分呼吸誓音義⁝裂カト思ハルト申晶ノレタルコアリ二代外出來﹃自三四他自覚心墨何竺寸ノ徴候等一下メ
ラレズ候︶物事惣て軸性こなり昨夏肛園膿瘍︐ヲ患ヒシより一層虚弱ざなうしやに自豊被致
候︵名心事毎こ貴下ヲ産する老母ノ疾病に付ては外李氣ヲ装フ丈ヶ内苦痛ヲ威スル.事甚シ
ク老境二歳ケル宿病不絶薄氷ヲフムノ威アリ近來ハ御蔭にて老母ノ方比較的却て都合よ
ろしく老母却て小生/疾チ危プム様二相成リ・コレ亦苦心の種昌御座候︶籐事ハナタオキ先
日加女子磯病の夜︵三日目小・生全く不眠ノ故ナリシや翌日威胃ノ氣味アヲ四日ナリシや五
日ナソシや九∵度四∵分ノ登熟アリ翌ほハ八度ド四一分ビなか翌日ハ七度㌦七八分εな転氣分三差
臆小川先生 七
臆小川先生糊
したる事なきε病訴ヲ可成老母四囲蔽致し度存念よう面癖ノ通り働作言居り公休ヲ幸ヒ
七日迄家居転居候八日は始業日故登稜全院内ノ診察情致魂呼メ少しく疲勢翌九日も出勤
産婆試鹸杯致し夕刻二至り十二一層曲譜致候都合故十︑十一日ノ爾日ハ休ミ十二日ハ大二.
快ク午前午後共々會アリタレ矩用心ノ並製不参昨十三日ハ月曜にもあり校長にも會ヒタ
シ趣旨もアシカラずレハ出勤夕刻迄在院臨宅後再ヒ訳載アリ︵入度四分し夕飯後三 木三郎氏
來談﹁入田氏ノ事に付小生ヨリ成行ヲキ・タシトノ﹁一=グ凡ソニ時間も封南南候後フト︵同
氏も宮田氏も近頃インフルエンザ︐後気膜炎19・ヲナヤミタル由︶右側胸部ノ下方二一小部不
快ノ鈍痛ヲ畳工殊二咳蹴時二幾分著く擬し呼吸多少促追ヲ畳工︵呼吸面狡クナリタルヤノ
威アリ︶候様轟なり肋膜炎ノ初期にもやご面戸レ候ま㌧李常よb早く就・褥致シ安眠ノ後今
朝畳メ候二軸分爽快にて罷温七度一分位食氣ハナケレ飛膳椀牢位︑鈍痛部ハ矢張り同慮論
アレ短昨朝程著からす﹂咳噺岨面今時舟アリ少量濃厚の略疾演出シ難ク嬉嬉故ラエ咳回す
ることも有之候要するに小生等ハ着順何レニ高論こ潜ミ居ルと信ずる方忠直ナルヘクoD葺眠
ハ如何哉不知候へ嫁も﹁ベルッ﹂ノ.所謂コ①母OI口器墾田○巨Φ様ノ毛ノ一=プモァラズや或ハ思の
八二風蝕ヒロガリ居り昨今冒︒・畠HほΦ匪・調ノ爲メニ多少ノ怯臆起リタルモノ︑ニや何レニシ
ロ小生ハトクヨリアキラメ居り候へこも唯老母二小生ノ重恩アルヲ.知ラシメずル■唯一︑
ノ願ニテ必覧老母ヲ見量りプ・ノ後ナラバ其翌日眠ル毛亦Q毎︒犀ノ大ナルモノト信シ居り
候實ハ近頃鼠貝家ニタ一︷憾診・察ヲ受ケント存七一候へ輩︵鯨−−・畠隈⁝シ渦㎜キテハ家㎜族ノ心配チマス
■アリテモ心ナラスト思ヒ却テァカうずマニ當時流行ノインフルエンサニ托シテ拙宅ニ
テ一鷹受診チ乞ヒ度ト存シ不等長キ枝葉二渉リタルフ迄モ申述ペタルハ前述ノ次第故別
日二小生ユハ貴家ノ所見チ腹臓ナク御洩らし被丁度老母始メ妻ニハ唯アリフレタル病氣
ノ如ク御申渡シ願度又他入ニモ御洩らし無外様願度候
四月十四日午前認 小 川 生
岡 本 老 兄 机 右
○本日御都合次第御家診相願度候也
○今朝九時頃ト十一時頃ト扁虫二出染場ルニ男ノ尿差出申候
先日來今朝迄便秘の露十時頃軟便回アソタリ
O滑 息 二
拝啓 御蔭にて旭々輕快海面庭ム︐朝六時累歳畳むるご同時に突然○○中量始メ何氣ナク
一音シタルニ階赤色ノムシロ凝○トモイフヘキモ.ノ少量︑引キ績キ咳鍬頻賦して其都度殆
ト純○出て候設\入の氣付かぬ問二便所二面り紙にて暫らくトヲ候二後には追々薄クナ
ワ唾液トマヂリ︵疾ハ殆トナシ︶候様ニナリタレハ受座顔洗ヒナカラ食下少量チのみ術先日
ノ頓服ノモヒ捌ノ孚量ヲヒソカニ服用致候︵国量u①罵①匿チ巳蛋ニスル考ラグ︶老母も下婬も昨
夜より春︐朝にかけ舳嚇漏皿脚前論点出闇剛及﹂候に醤自﹇一分も属燥慷Aコ緬欄野壷愈シタリ・ト糊塗致贈直候︵○○ノ
臆小川先生九
億小川先生 ﹁ 一〇
コ誰レエ︑知ラズ﹂唯貴下ニノミ気相チ打明ヶ候故其御つもりにて御聞取被下妻叉御他言も
御無用二三度候 自畳にては右胸部之中程異派ノ戚︵所謂孫孫︑塵域?︶アルカト思ブ位にて昨夜來熟戚もな.
<殆ト季常ト異ナラズかねて畳悟致居候故殊更驚きも不歯応へ共如何匿しても家入りr知
ラセヌ内ユ止血モシ韓ヲ離レソト盛切ナ川ノミL取り敢ズ臆度ハ﹁褒角丸﹂等にても戴き置
土午後御手スキニ相成候ハ・御忍訪測度︵今スグ・=グメ却プ家人ヲ驚がす故ワザト午後二
願度候︶老樽もかねて申シタルガ﹁貴下以外ノ人ニミプモラヒ度ナシ﹂ト小生も黒穂故他ノ人
ミサニモ診セヨ杯ノ御ロ上ナキ様コレ亦預メ願置候﹂生ハ天命二安シテ憂ヘス催レサルっ竜リ
ナレ疋唯家人殊二老母二主審ヲ知ラ層セ度ナクこれのみ畢生の心願二御座候 りの 唯前年來老母00ノ際自分磁浄原町佳の時入浴申突然セキシタ〃二同様○○習シタレ毘早蓮
食盛チノ︑︑︑其マ︑眠りタルニ其後何の異状ナシ﹂トイフ﹁チ語りテ老愚サ慰安シタルコアリキ
O昨日ハ朝カユニ椀午後ご夜ハウドンニ椀宛﹂イヌア前腹部幾分膨滞の戚アリキ﹂
右に玉月タ日午前認められしものふり
♪ダ〜〜〜〜〜〜≦♪﹂〜2〜︶⁝〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪︑〜︑〜≧〜﹀︸>5≦タ︑
◎濾 息 三
園自畳的苦シキ7ハ例ノ喉頭以下邊ヨリ時々殊二突然シカモ柚湯二衝キアグ川如ク咳鰍
アルコナリ只今ハ一.寸樂ナレ臣多分局部.ニブルート︑シライム︑タン積ル断碑ヒ.シゲキ愈々
加バリ爾者共段々大トナルコ前審⁝三日來ノ定例ナツ可成セキハずケ得ル丈ヶ避クレ矩カ
クナリρグ全ク反↑射的ノミタドウシテモトドムル不能コレ昨ム﹂ノ最苦痛トスLイクラセキ烈
キ︐モ痛ハ殆トナク唯ツキァグル片モシ手ノロ頭ヲ蔽フナクハじd罫蔚必スヤロ外二・送出セン
ト思ハ〃位ナリ﹂ぞルコト爾三回モァリタ川故アラカシメ紙グ拭ヒ取り他より全ク見得
ヌ機﹃ナシ其都度三門ずシプ便所二塁二丁シ土居レジ︵其都度モヒ一包ヲ水藥ニテ頓服シ
一時間後輪角丸二〇ヲ頓服ス豊代リ其後ハ暫らく樂ニシプ殆ト無病ト思ハル・如ジ
○ロバ昨夜小†♪・如キ卒淫心二丁ジシ拝ハ︑自ラ保護ス川二急二γ看護﹂婦笛命スルコモナラス︵ア
ラカシ露命シオク﹁モアレ死︐︶擾々永くに渉ル爲メ看護婦キ疲勢シ折角ノ御苦心モ一寸水
泡二丁セシムル﹁ナキエシモアラス﹂就・而ハ語論恐縮ニハ高間バカンゴ二二名ノ交代ヲ乞
ヒ︵例セハ今日國府ニノ明土塁︑崎ノ如キ︶夜間メカンゴ婦三百ノ交代チ頼ム更二大至急貴下
二御報ラセメ卿迄工起リタ〃出來事ユ鋼ノ多クハ摩生ノ.自箇義倉ノ脳カナキ塙合ト属時
二看護嫌ノ示導等チモ御依頼三度甚ダ恐縮ナレ陀恰モ非番中/方 轟然御願致ずンカト
考候鯨り肖身勝手ナレ托家欺實二御覧の漣りにて不得止次第御推恕可被下士
尤も讐員諸君の御依頼ハ勿論摩生澄串轟ッヘク候
○右の貴下蒲柳の身ヲ以テ内外ノ劇務ニァタラレ殊ユ此雨三夜ハ再度モ御見舞被下候義
心カラ戚謝ノ意ヲ表スル風付7︵貴下︐居ラル︑聞ハ一入爽快ニメ誠二心丈夫ナリ︶亦貴下
11︐臆小川先生 ﹂ 二
癒小川先生三
ノ健康ヲ慮バカレハナリ然シイツガハ夜中貴下ノ夢ヲ驚カスコモアラン
恩師にに紙誌以來堅く面會並に談話か嚴︑戯しつ㌧ありし痛め日夜診察の岡本氏と難殆んと全
く談話⁝の交換ば遜けられれり︑今此溝息は手紙にあらずして筆談ふ・り即ら思ふ違之な口にすべ くもあらさうに任ぜ之私記しおきて岡本氏に示されたうものなり︑月日の記入ふき爲め充分︐定 かならさうも五月+二日のものみらんとの事ふり︑
〜〜ミ〜〜〜腐㌦〜︷ 鴛 ヤ 〜き 五月.廿九日夜恩師急に呼吸困難あり死期到來心頭ら畳え沁と後にて申されき︑翌夜工リ佐々水 先生の思召によ.り全膣局員三木三鄭︑林篤︑齊藤房治︑野朋直の四氏交代宿泊︐親しく看侍して萬一 に備⁝ふること實に甘甑臼に及ヘリ︑我等ば佐々木先生か官爵と共に四氏か厚惜⁝に向て甚大の謝
意︑な表する馬のふり︑因に佐々・木先生に流月十三日初診し給ヘリ 一
0恩師.終焉之記
九月十五日 .午後四時看護婦田宮全佐々木の交代に罷出っ折ふし記念爲置ハ︵去ぬる五月舞昌金
澤病院職員看護婦使丁中里綾什年以上に及へる者の爲に催せる祝賀會土野︶を持ち侍りしに﹁今
随分氣分かヨイヵラ直ぐオミセ﹂この仰せあう親しく手に取り給ひ﹁大ヘン皆がよく撮れてユル
鳴呼私もモーーケ月病氣を遅くするご此中ヘハイ川ノデアジタニ惜しいこごした勝手の方へ
出さずにシマッタ置けよ﹂こて奥機に5渡されける
程なく是非起しグレよごの仰せあり︑い陀つきの御床に臥し給ひてより目既に久しく其間三伏
の暑さにも未だ曾てサル仰せなく二山ハ時中い.ご静に仰臥し給ひけるに︑さりごて切なる仰せ画
き奉らんも心苦しくセメテ岡本民の來診までε諜め奉りし愁事の疾を皆一度に出し度いから
是非にくこの仰せ詮術なく身席上孚部を牢臥の位置まて起こし墾らせしに之では目的達し
かぬる故今少し起せざの仰せ︑本意なくも筒直角の位置まで御事こし.申上けしも更に略疾出て
す直に元の儘に復し奉りけるに・暫くの澗多くの略書出づ︑れさまるを待って佐々木館らんこせ
しに暫らく待てよとてと璽め給ひ奥﹁檬に何か命せられ露︑勝手もとの方に出しある旨ゆされけ
るにサ﹁ラ一こ︑へ持ち墾れこの仰にて病床め邊まてシヤンペンテイダ一瓶︑小コソプ三個盆に
のせて子運はれける﹁誠に臭いヤラ風ないヤラの面倒をよく見て呉れる之は酔ふものではない
から三人︵宮本︑田宮︑佐々木の三看護婦︶で飲んでクレ︑奥様にれ零せま皆飲めよ﹂ご宣ひ三尊号ま
こεに昧よろしく斯く飲み申せしざて室き罎を逆懐にして御挨拶しつるに殊の外嬉しき御か
んばせにて﹁私の側で飲んで誠に氣持がヨィヨ﹂ご宣ひけるも打績く咳蹴略疾に一ぎわ苦しさあ
まる幽いたわしさ︑か︑る中より佐々木に﹁ッマラヌ事で足を止め陀早く戻って休んでクレ﹂との
御心づかび勿膿なくて賎か女にも涙の出つるを壷俊さりきε云へり
略疾暫し治まりて後上田さんは経過か良いかごの御尋あウ日にく御快方にて尿閉も今日初 ホめて遜し大ヘン喜ひ居らる︑由看護婦の申上けし.にサ屯御みつから営利せしかの如く早雪れ
﹁ハ其はヨカッタ私懲尿閉を聞いてドンナに氣持が悪からふε實に察して居セ然し年が廻って
居るからドーカ良い経回⁝ガトレ︑噛バ良いが﹂εの御案じあり
.ーーー旨一劇判酬−三一先生 ミー−〜 ーー 一三
臆小川先生西
七時頃豆腐の鱈カケと才望の茶粥を畷られ定藥︵實融々なり︑術ピラ.・︑ードン︑タカヂアスターぜ︑
安息香酸︑淡酸グアヤコールの温々及結麗亜曹驚をも供ふ︶をも召されけるに咳鰍︑略疾始まう
む翌十六日 午前二時頃まで五分間の止み間もな仁打績きたり︑ケ程長時間綾ぐこごは今晩か初
めやご仰せられ如何にもセッなく如何にも苦しき御仁檬御苦痛の劇しきほざも偲はれて章節
の外なく︑日頃氣丈夫なる御老母襟には蚊帳の外にて忽び泣きして一夜を過されけるが如何に
恩師のサトソ給ひけん﹁誕母機は其事に居ラツシヤルのか私はモー大分擁が膨まして薬になウ
ました﹂ご申され﹁ア︑それぢやいって休み罪しやうよ﹂ご二階に上られたるも再ひ績く転轍の音
に心も35ならず蚊帳の外にて含蹴の舵茶の手傳なと只管我が子に知らさじどつごめらる\い
ぢらしさ・あはれ焼野の細螺夜の鶴我子を思ふ親心情けのほこも偲はれて側に見る身の金張り
裂けんばかりにてセキ來る涙εやめも合へす
二時頃にな.りいつまで苦んでも詮なし一層横になりて出し霊さんと申され離被架も取う除き
横臥になり給ふや膿檬略疾膿盤に孚ぱ過くるほど一時に出て漁︑騰りに其量の多きサテハ如何
あらんご打守り居りしが︑績いゴてトギレくに含噺に混して出つること三画面ア・之で樂になっ
たから梨子を食べるご宣ひつ︑三十分.間ばかり眠らる目畳めて四五ヘギの露を取られ之は岡
本きんから貰ひし品や誠にウマイごて喜ばれ﹁私はモレ之でヨイからあ前さんら其をゐアガリ
大暦ウマイよ﹂ご仰せられたるも看護婦共の慮へのみしてヨクも得取らざりしに﹁其はイカン人
が食べ一ざ云ったら直ぐ食べるものよ﹂ε重ねて仰せらるへま\早速頂戴大ヘンるいしい旨申
上げしに﹁良い梨だ﹂と賞め給ひ︑今何時だ蓬の仰せに三時過と御答申上けし腱﹁モ!夜か明けるな
一﹂ご宣ひ俄に横になりて膿疾溢出約二百琵︑其間一時間冠りに及ひぬ
臓残んの月淡く西にかくれて夜はほのノ\ご明け渡り漁朝霧深くとち勤めて葉末に結ふ自選
は旭も侍たで散りやすし︑こ︑旬日來殊の外なる御やつれあしたゆうべの苦しみに加はり止譲
濾衰弱︑疲勢︑げに骨ご皮ばかりなる御憔悼右の頬より左の頬が見に透くまでに衰ひ給ふ参涙な
る︑かくて再ひたらく巴夢路に入り給ふこ巴走時ばかりにて畳め給へは略疾胸にさしせまり
呼吸困難甚しく豚搏細小黒馬ごなり今にも窒息し給ふかと︑危ぶまる︑心なさ︑加ふるに折悪し
く烈しき戦藻に次eに悪寒甚しく起り一時間の後熟磯するこε三十九度一分急き岡本氏の許
ぺ憐して解熱捌を乞はしめだるも間も無く三十八度一分に降れり 可
時移るにつれ御宮分も快方に向はせられ十時頃岡本壁厚診せられけれはつこめてニコヤカに
病症に就て御物語あり︑後﹁カスター﹂一服次て定定を服用し給ひ看護婦に﹁鳴呼誠に長々れ前さ
ん等に汚ない世話をして貰った私は實に満足ぢや﹂ご仰せられけるも胸迫りて何んざ御仁も致
しかね︑箱暫くして左様なこご仰せられては御返答の致し様もありませぬε申上げるに﹁其代リ
ムーに立派に治って見せるよ皆の人に報ゆる爲にもキット癒るよ13ーデもヨボくざ歩ける榛
になつだらば婦人科一同で爲眞を撮るよ︑八田さ〃の退かれる蜜きに爲眞を撮らなんだつけな
誠に残念した私も立つだら暫く或一方へ身を寄せて養生する﹂ご前後曾てなき楡異なる語調を
以て明に宣ひけり
嘘小川先生三
臆小川先生コハ
折しも配達せし大坂新聞︵御就床以來絶待的安静を要する爲め堅く面會絶謝の上談話は愁こよ
り新聞の如き愁凡て之を曝し恩師また克く之を嚴守せられしも一時御零快人々聯か愁暦を開
きし頃より折々新聞離塁督信など御目を通され叉徒然なるま\書き記るさせ給ふこビもあう
き︶にれ目を止めさせ給ふ庭へ御老母再見腔控てまつりければ﹁誠に樂になりましだミンナが種
々ざ手訟からなく世話して呉れるものですから割合苦しく威じません昨夜の苦しみはミソナ
の諌を用みすご不行儀をやった罰でしπ全く私が悪るかったのです﹂芒参仰せらる
書頃看護婦宮本葡萄を捧くへく外出せんとせしに﹁ス・れは結溝だか二人墨銀に居ないビ心細い
から行くなら早速戻って呉れ﹂ご申されウトくと眠り給ふほご竜無く醒畳せられけれは良く
眠られませんかご奥襟の尋ねさせ給ふに﹁態と自勢で畳ますのや影響の様なこごがあるとコワ
イから﹂ご答ひさせ凝れ次て﹁モ大ヘン疲れたからかまわすねるかられ前さん等ヂーツト側に居
て呉れ目の畳むるごきにソコラ一ぱいに疾か押し出るも知れんぞ敷物をあて\れいて呉れ﹂ご
仰せられし故御心配なく暫く御静み遊ばせ必つむりが治まればまたれ疲れがなをる丈けれよ
ろしいかも知払ませぬご看護婦の申上け︑るに﹁ア誠にミンナがよく世話をして來れるから喜
んで居る﹂︵此御燈は今朝來三度目にして從來かつで例なき腱ε云ふ︶ご仰せられ一時雫ばかり
静に御睡眠あり︑員畳め給ふもいつになぐ略章迫り來らす此度は御亭まみ目畳めにならましだ
ざ申上け\︑るに﹁イヤノ\弓うでないよ胸か一ばいになって居る大便がしたいドチラから出そ
うか﹂と亦復苦しまれ給ふほどに葡萄ど小細工の箱を宮本の持ち蹄う此箱は八十四才のれ爺さ
んか仕上けましたのですと申上け見せ奉りけるに御昔痛の裡より﹁ア其は戚心誠に美しく出來
て居る﹂と御手に取られて宣ひしも最早視線は箱に至らす︑離被架をカに横になり疾を露すよと
仰せらる\懐\膿盤を御ロの下へ重てがい一時間余を重くるも徒ら︐に呼吸促迫するのみにて
略.震少しも出です︑四時頃佐々木輩下岡本氏ご共に來診あり﹁先生︑佐々木先生か御見にになりま
しπ﹂さ申上け\る竜﹁誰か來ても駄目ぢや﹂ビ仰せられ佐々木郵亭には診察なく容態に付落逸語
にてニッ三ツ御話あり︑次第に迫る呼吸豚搏に岡本氏躍り苦しい襟なれは注射を致し恥しよう
かご申されけるに﹁そうですな随舜苦しいですな﹂ご仰せられ莫比とカンフソ各一町宛上臆に注
かれける︑今はハヤ恩師の御一生も次第に臨絡に迫る御容子︑不取敢結城及東京へ打電し學校病
院並に八田氏へ電話にて危篤を報じ越野氏の許へは急使を走らし漁
三十分ばかりを経て岡本氏樂ですかご問ひ給ふに少しも苦痛なきも重出つるもの出てさるは
残念托ε答へられ︑五時十分鷲山添を先きに十分を経て岩佐︑鷹見の両氏騙寛ぐ恩師﹁難匂う﹂との
御挨拶あり︑御嬢参れ側へ墾られ﹁鳴呼御父さま﹂ご大暑號泣遊はされけるに︑ヨシく分つだあち
らへいってれ休みよ﹂ε常の如く申され︑御隠居機星羅ご唱ノ\に交々分りますかご﹂申さる\に
﹁確か〜\﹂ご答へさせ給ひ︑叉御手を取う永き訣をみしませ給ふ御隠居様に向はせあれ﹁御母様の
御手は大意熱つい何々かあ細る一はありませ蹟か﹂ご案じさせられ﹁13コも悪るくはないから35
配しないでい一よ﹂ご申さる㌦に﹁うれならは安心だ﹂ご宣ひの︑ろの終始論らせ給はさる日頃の御
孝心のほこも偲はれて並み居る者三三ら諏はなかりき
臆小川先生 モ
億小川先生冗
轍の昔にソレ八型先生ぢやと看護婦の申す毎に御目を開け春せ給ふも其然らさるに及ふやい
たく失望の色あり︑五時五十分入田氏漸く騙附く︑八田さんがご御隠居襟の耳近く申さる3につ
れ待ちしごばかりジツご親線を向けられ御里繹あり︑八田氏﹁先生﹂ごばかうカこめて申上げた
るに促迫過る御苦しき呼吸の問より﹁君が...・⁝⁝己稽暫くして﹁縄ねず⁝・⁝⁝.﹂の語を登し給ひ︑術何
か云ひ置けんε唇の邊を動かし給ふも御苦痛甚しきにや御群居檬始め人々近寄りて耳を傾け
聲を潜めたるも聞き奉らんに由なかりしこそ返へす〜\も逡憾なれ
岡本氏︑鷲山氏二階より下りたち御病床の右には上より八田︑岡本︑鷲山の三子右には御隠厚様︑奥
標︑御嬢様並に看護婦宮本︑田宮侍し奉り両側に垂れ給ふ御手は左御隠平準︑軽羅右岡本︑八田の両
氏にて取り奉り豚搏を槍す㍉其内刻一刻御臨終はさしせまり濾目は宇ば閉ち給ふも眼球上質し
蓬々だる御霧の間ようは尊号を開かせ給ふも血色ざては露ほこも見奉らず︑薄暗き電燈の影蒼
自いよノ\死の色を浮べ給ふにつれ御病床に集ふ御家族門生看護婦の雄勝流涕と\めも合へ
ず︑而して臨終に先だつ五分看護婦の御苦しくはあうませ澱.かご尋れ墾らせたるに﹁全く苦痛な
し﹁ご明かに答ひさせ給ひだる参恩師か最後の御詞なる
生者必滅會者定離︑さるにても之が此世に於ける親子夫婦師弟の永久の別れなるか︑老いて我子
に先立たれ給ふ御懸居機の御胸のうち︑いだいけ盛りの御命嬢御櫛息を擁して濫り給ふ奥様の
御心申︑さては終生の恩師ビして頼みつる我等門生か悲嘆︑黒くは御快復あれかしご日夜看侍し
奉りし看護婦が落膿︑今はの瘍合せめてもの心壼しに綿に水を含めて粒く■ノ\御唇を漁めし奉
る哀れさ悲しさよ
一同御臨終のほどを守りつるほざに御呼吸安静こならせ給ひ今の今まで聞き奉るも涙の種子
なりし御胸につまりし疾のズーく響く音も打絶俊てスやくご姜らかになり給ふに從ひ︑欠
射せる細小なる豚搏は打つか打πぬに攣り果て間もなく豚搏全く打絶にて心卓立止︑むに及ひ む 静に深き吸息を歎秒の閲を隔て︑︑二回窪し給ふ︑時正よ六時廿分︑︐一鳴呼く之ぞ恩師最後の
呼吸なるm鳴呼く之参恩師最後の呼吸家る川⁝
○葬儀略記
恩師長職︑に逝き給へり呼べご諮叫へとも亭亭らさるの人こなり給へり︑今われ︸芥の身︑つ陀な
き筆睡りて葬儀前後の模機など書き綴らんこする愁亭々眞に夢に夢見る心地して叉當時を追
懐するに忍ひさるものあり︑顧れば當時我は何を面すべく叉何を幽しつ\其日・くを腐りしか︑
げにわれは震のが封記さへも綴るを忘れ果てたりき︑勿忙之裡われ我を忘れて我か爲せしこご
さへ覧ねなき身のなごで他に及ふの暴力あらんや︑殊に當時斯くもつたなき筆把りて恩師の徳
を戦け奉るの幻灯なきに至らんごは是丈はさりし事ごて何等深き意を彿ふこビも得せで打過
きつるころ返へすノ\もわか身の過なれ
されど恩師や夙に天地を以て棺榔と爲し9月を連壁ご翻し星辰を霜曇ざ潔し油物を齎邊ご爲
憶小凋先生 晃
癒小川先生き梱
すの人なれば︑わが果敢なくも書き綴るを見給ひてさ奇やさ季苦笑や重ね給ふらん︑思へは罪深
き業にころ
さても恩師最後の呼吸をなし給ふや豫てかくあるべしごは期しつ㌔も今更の如く驚きざ悲し
みこの爲に打集へる者われ知らすワッごばかりに泣き伏し漁︑可分ばかりを維て越野氏息を切
らして駈付けしも時すでに牽く︑鳴呼⁝⁝⁝⁝⁝・・ざばかり︑千秋の恨事面にあらはれてかなしごも
悲し御母堂の意向により寺は六義林玉泉寺ご定曲りぬ︑直に人を走らせたるも折悪しく和術他行中
にて然るへ.き寺院を世話せんとて蛤坂聖運寺を指定し穫り諏
一時間余を過ぎ村上︑宮田︑石川の三先生危篤と聞き罵りしビて來ませり︑之ご前後して佐々木先
生︑少しほど経て高安先生見回給ふ
われ等は不順敢通知先など初は年賀状により次て恩師か古参周記の端に伊呂波順にて記るし
給へる芳名録によリソコハヵざなく調べそめ漁︑佐々木先生には此頃不意に一族︑軽量に不幸あ
り親しく之に携はれりごて葬儀に就て細大漏さず何くれこなく指導せられ鮮麗ら立って世話
し給へるは何事もウブなる遺族門入に取りて此上なき幸なりき
護経の聲あはれに鉦の昔一ぎわ寂さを足し綴︑白衣にて蔽はれ給へる恩師︐か影壁の外打萎れ轟
轟の底に僅に渦高き思のするタいよく悲しく︑通夜せる人々の首うなだれて面のあ陀り冷か
に眠う給ふ故人を偲ひて黙念われ知らす太息をつくそ又なく哀れなる
曉の室︑くだかけの音もそ壇うに響く頃泣くく﹁むくろ﹂を枢に納め奉り顧︑戚慨いε深きもの
あり螢喪の事に⁝就き専門學稜長より特旨叙位の奏請あら一時見合はされ度しεの申込に從ひ途に
翌十七日正午を以て之を爽表せり︑叙位の勲績︑時の都合により齪鋸せしやにて其御沙汰を得さ
りしは聞く者殊の旧いたましう思はぬはなかりき
十七日午後より夜にかけ諸方へ通知状を駿し︑翠十八日初めて北國︑北陸爾新聞に死亡廣告を載
す︑世人か驚きご悲しみやいか︑なりしならん︑訪ふもの悔むもの踵を接し人の文盲の響い嘘力
なく︑三夜一三の卓を前に受附の職を勤め給へる稜院各位か勢眞に察すへきなり
入るもの立つるもの上を下への混雑︑幸に學綾病院各位か夜を日につぎての斡旋心力により暑
各部署は定まりぬ︑葬儀︑通知︑接待の各係員額を暗めて細則を定め遺を拾ひて飴す露なく一から︑
十まで十より百まて何事も萬事滞りなく整へて又敏くる庭なし
葬儀係の務や事最も繁けくして責郷愁重し︑係員各位か多忙を極め努力夜を徹するものあ与し
は佐々木係長か寝食を忘れての責苦と共に只戚泣の外なき詰り︑殊に村上︑宮田︑石川の諸先生親
しく通夜し給ひ金子先生徹冑棺側に侍し給ひしは情誼のほざも偲はれていεゆかしきものあ
り十九日は來り綴︑朝來蒸籠︑供花︑花籠︐放鳥︑諸方より手向けられぬ︑吊電解状入り代り立ち代り配遙.
せられ各係員か繁劇目も眩衰んばかり︑午下一時過くる頃より會葬者西より東よりし和装あり
憶小川先生 二一
臆小川先生一三
洋装あゆ︑肩摩澱撃叉立錐の蝕地なし
一時孚久しく恩師か塾し給へし室内に鑑枢を前に毘棺の讃経あり・二時露枢機に門を出つ・折か
らの雨肢まウて人孚ぱ傘を閉づ︑喪圭︑未亡人始め一族門生幣然ざして之に從ひ多くの會葬者粛
然として堵を列澱るか如し︑前列漸く動き初むるや列は正に
唐事巌轟騨晶鯵 丁霊 鍵藩儒︒︒︒︒⁝謙・㎜潮香宇鋤章台⁝
益牌芋商章肇轟轟騨蔭⁝重手壷解義撃換箪裏罫孝凄生行列
の順序を以て静々ご進み出ての︑棺側には右に八田︑越野左に飯塚關軍服にて從ひ奉り醐喪主勝利
︵附添岡本︶︑未亡人野鄙子︑令嬢加女子︑命景勝光之に次ぎ各激授職員知友知巳.等一般金嵩者相次
き早生隊最も殿をなして︑順路長町一番丁を糾う河岸に沼ふて下り右衛門橋を右に渡りて右折
石浦町に出て本通を香林坊︑片町︑さては犀川大橋を打越して蛤坂を上り黒部四十分妙慶寺に到
る︑沿道垣を回すの人恩師か温容ビ徳望εを追惜して悲哀の聲を螢せさるはなし
鰻極山門を入る︑直に澹任葬儀委員か指揮の下に諸般の設備整へる本堂正面の祭壇に東面して
盤枢を安置し壇上﹁義山院殿禮制勝陳居士﹂の難牌を建つ︑堂内左側には一般一撃葬者右側には遺族︑
門生.校院激職員︑婦人着席し︑臆がて梵鐘の合馬にて導師全寺住職大村心導師左右導師外様入沙
門を随へ式事に墾着す︑一座寂々こして聲なく再丈長へに期し難きを悲しみ暗涙を浮へて哀悼
の意を表せさるはなし︑四顧請︑廣繊悔︑皇尊回向.墨画︑の後右盛岡師霊前に進み出ぞ︑献湯の式を行
ひ﹁里心甘露水︑麗日妙華雲﹂の癬を捧げ左導師全しく献茶の式を行ひ﹁八功徳水湛然盈満︑清砂香味
如甘露﹂の僻を捧げ更に大村導師献香の式を行ひ恭しく下墨を垂示し畢て一直を呈す︑僻に曰く 三三冷々風退潮 − 遊人吟整催壁土 碧巖鳥落暮天日 迷悟絶行大道蓼
次て十念授與︑護念経を脅し回向文を諦す︑是に於て喪主︑未亡人︑命嬢︑合息︑中澤清八︑高安右人︑佐々
木蓬︑飯塚忠男︑關格之助︑岡本京太郎︑八田智証越寄義三郎︑鷲山謙士R岡田剛吉︑木下克雄の順序を以
て嶢香し奉り︑尉聾念佛扁會の後葉に學稜総代高安右人︑日本赤十字肚代理佐々木逡︑村上懸知事
代理藤波公壽︑學生総代松村喜︼︑門生総代八田智歯︑吊電披露鷲山謙吉の順を以て各吊僻を朗護
す
一で⁝〜〜〜〜〜〜〜?〜〜〜︶≧ ≦〜〜ーーー
吊 僻
鳴戸敏下小川勝陳君逝ヶり君ノ重量隣在ル蕾二孚歳碁年ノミナラス裏葛更ルコト實二十有
四回二審ヘソ吾校ノ歴史其ノ三分ノニ陶磁ト共二進メリト云フヘジ君資性温厚塞受端嚴學
ノニ驚ク激フルニ功高ク時流ヲ超越シ遠ク名利ノ念ヲ距ル眞二士風ア・ソ人皆以テ推ス春秋
術盛ニシテ今や乃チ亡シ堂ユ痛惜ノ至りナラスや襲二君ノ病久シキニ彌ルや吾傍受ノ或ハ
再ヒ記帽タサルチ思ヒ五廻心ノタメニ一良漱授ヲ失ハンコトノ卵偶一ヲ一愛ヘタリキム量⁝逐二幽明長
臆小朔先生 一三
臆小迅先生一町
別ス多少ノ期スルトコηナキニ非サリシモ軸力遽色ナキチ得ス公私両端ヨリ国威交々胸中
二往來スルモノァリ死生ハ天ナリト錐モ故ラニ哀悼ノ情二堪ヘス況ンや遺族各位ノ衷心察
スルニ除アリ復タ何ヲ謡言ハン職員一同二代リラ謹7吊意ヲ表ス
明治四十一年九月十九日 金澤馨學専門學校長讐學博士高安右人敬自
本杜右川支部特別肚員從五位動六等小川勝陳君遠逝セラル
君ハ石川支部看護婦養成所採算トシタ多年激育ニカヲ致ナレ叉驚志看護婦人會石川支會講
師トシラ期會ノ三三盤痒セラシタルノ功績ハ決シテ鼠落ナラストス
ムーや其計昔二接シ誠二痛惜ノ至り日直ヘス傍テ杜員百四十余万人二代り恭シク掛詞ヲ呈ス
明治四十■一年九月十九日
日本赤ナ字肚長侯爵 松 方 正 義
♪〜〜〜〜5︾︵!︶一㌧〜︵≦〜〜〜〜〜ノ辱〜〜〜〜 ⁝
袈二恩員小川勝陳氏ノ遠逝ヲ聞キ哀悼ノ情一握ヘス依テ支部肚員ツ代表シテ吊詞ヲ呈ス
明治四十一年九月十九.日
日本赤十字肚石川支部長 村 上 義 雄
吊 僻
我か敬慕スル
恩師小川敷授ハ不幸二︑督ノ襲7所トナリ逡二蟹ヲ易ヘラル痛惜何物力之昂加ヘン
先生夙二業チ大盛二卒へ爾家本校二男鞭ヲ執ラ〃・事十数年學徳兼備諄々トシテ倦マス今
ヤ先生ノ薫陶テ亨ヶ肚會ノ活舞皇二立ッモノ幾百ヲ以プ歎フ其ノ効績や實二偉大ナリト謂.ツ可シ先生資性高潔ニシテ頗ル聖人君子ノ風アリ洵二後進ノ師表トシテ衆庶ノ敬重チ博セ
ラル感受先生未タ春秋二富ミ前途心血ノ身テ以テ遠ク幽明界ヲ隔乏プレ叉温容二接スルノ
機チ得ス臓悲風園庭ヲ彿フテ美華ヲ損シ惨雲九天ヲ国論鮫月光チ失フ鳴溜涙チ漉イテ仰天
傭地スト錐矩怨恨猶支へ難キヲ奈何ニセン只倍々拮据逸玉シプ本分ヲ完ウシ以グ其ノ鴻恩
ノ萬分ノ=酬乏キアルヲ知ルノミ鼓一義テ在學生一同ヲ代表シ癖腔ノ赤誠チ捧乞グ恭
シーク哀悼ノ辞ヲ奉〃
明治四十一年九月十九日
金澤醤學書論學校生徒総代 松 村 喜 一
!︶﹀〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ノ 〜!〜︶駆︵〜〜︶〜︾〜︵〜2一 一
吊 一僻
恩師小川先生ハ逝キ給ヒヌ嵯恩師先生戸隠レサセ給ヒヌ恩師力尊キ湿容ハ又拝スヘカラナ
ルカ恩師力螢ノ如キ恩情ハ又受クル能ハサルカ而シタ恩師力諄々トシテ倦ミ給ハサ〃慈愛
臆小・川先生二五
臆小.川先生二山ハ
深キ敷訓ハ.途二叉聴クヲ得ずルカ
恩師や各門ノ出︑生レナカラニシプ祀先Z遺風ヲ縫キ温良恭倫譲︑常二沈厚正直ヲ以グ山鼠當
り誠心誠意人ノ肺肪二徹シ給ヘソ其情誼二厚キ師弟ノ問豊骨肉ノ・︑︑ナランや洵二親子ダモ
及バずルモノ.アリキ從・グ軌近世道人心ノ衰頽二流レ師弟ノ情誼陵夷セ〃問二︑在ッラ亭々ト
シ洗其徳望ノ高キ深遠ナル學識ト相肩テ人ヲシテ日夜謄仰景慕措ク能ハサル屯ノァリキ實.ニや學徳粂備トハ蓋シ恩師先生ノ謂ナルカ タグ恩師ノ育英二審k給フ既二十有五年歳功や其勢や隻上筆ナル.長徳ト共二更二苛々ヲ要セず
ル所思フニ今日雷管二仁術二一家ヲ爲セル面一︒以テ何ツ限ランテレド︒恩師力如ク學東西ヲ
兼子識古今二通シ徳一世ヲ覆フ者果シテ幾人カア川
早月七日恩師疾アリ病床仰臥鼓二一百辮有三日病勢ノ致ス庭多少ノ滑長アリ激シタ熟トナ
リ疾トナリ壷皿日二増シ疲懲月ニド加バリ時二褥瘡ヲ生ス形容枯骨礁悼ノ状宛トシテ塞山枯
木ノ態アリ而モ幽恩師ノ之二庭スル頗ル︸牛丸煮ノ煩悶ナク些ノ懊⁝悩ナク臨終二先ツ幾分術苦
痛全ク無キヲ明確二憾ヘラル恩師力夙ユ修養シ給ヘル不動ノ精紳ムーや死生ノ境二在リテ超
然薗若トシプ此ノ如キモノァリ先キニ六月七日自ラロヅラミ給フテ日ク かくなりて待たる︑ものは明烏
越ヲニ日 罪深き者巴︐思へば中々に
か\るなやみのいざ讐かるけれ
苦しみをかへて回しむすべをさへ
豊俊つる身のあうかたきかな
ト詠マセ給フ以テ恩師先生力大魯淵ノ⁝機微ヲ窺フヘク以テ註中山浜風ヲ追懐欽 仰スヘシ
サのレ秋風恨多ク自露訳滋クシプ物思フ心ノ千々二曲ル・ハ是レ人生ノ常︑恩師力雲斗ハ今
正二目前二冷カニ眠ソ給フモータヒ北郎一片ノ煙トナリ給ハ騨ナッカシク畑島シキ御.影ハ
最早尋ヌベクモァラサラン膝下二面謁シヲ親シク其風貌二接シ敷瓦チ辱フシテ親シク其温
︑情二浴ス〃能︐ハサルハ千秋ノ恨事ト入ル所永別二臨ミテ我等門生力紙膓ノ念哀切ノ情縷々 トシナ糸ノ如ク瀧キサルコト亦香煙忌日ヘニ立チ迷フカ如シ悲幽矢
時正二仲秋天地漂紗トシテ仰ケハ秋風颯々恩師ヵ遣徳チ傳へ伏シテ回レハ清流漂々トシデ
籐膏ヲ傳フ恩師力遺徳以テ百代二垂レ恩師力師風以テ萬銃口垂ルヘシ先生爾クハ髪髭トシ
テ來り饗ケヨ
明治四十一年九月十九日 門生総代 入 田 智 証 再拝
︵吊電吊歌省署︶
其調或は荘重或は悲哀満堂粛然たり︑次て墾隠者随意禮舞焼香を遷し︑総回向文︑退重鉢にて細査
臆小川先生 二七
億小川先生二八
く了を告く
それより霊枢は再ひ遺族門生綾院敏職員畢生並に有志の會葬者に護せられて蛤坂横町を野町
二丁目に出て本通を南.行死新町を右に泉火葬場に着し︑向て右なる正面特等第一號の石竈に納
め奉る︑闇浜風死して鬼奨鰍々醒蛇身に逼る慮方正に一間に充たす︑畳ねす涙のもれ出つるもの
あ久嵯悲哉
此日朝來照りわたういたるも正午頃より俄に雲動きて雨巴なる而も二時窯枢の門を出つるε共
に牧まり︑泉火葬場を一同退散︑人各家に着きし頃再ひ降雨蒲然たるものあり︑鳴呼恩師か誠徳天
亦之を悲むに似たり
而して會葬者の主なるは本多男爵︑小泉睡中長︑今井︑中野︑河合︑三竹︑市村︑宮川︑導波の四高激授並に
スタイ子ル︑ウォルフワート爾氏︑尾上警視︑本多政由︑清水平鞘︑杉中利李次︑久保田全︑蹄山蘭太郎諸氏
市内開業馨山田謙治氏始め軍讐.激育家興業家隷︑課業激職員︑畢生を合して實に田町の長きに及
べり 静 蓄 苦 * * * 菅
翌朝六時御隠居様始め御遺族一同納骨の爲に火葬場に赴かる︑岡本飯塚關八田之に從ひ中澤圭
入輻田翁亦全件す
.⁝・⁝⁝⁝⁝・あはれ一夜の煙︑佛止む自虐の幾むれ⁝⁝・⁝・・:⁝・⁝・憶
○恩師之性行
恩師は=言にして之を云へは至誠至人也信義之人買實大至人也︑夙に養ひ給へる和魂漢才洋
識を以て公に私に霊くされたる功勢ご上下に於て懸然重きをなされたる徳望ごは今裳に緊聾
するまでもなかるへし︑心事の高潔にして器局の寛宏なる之を仰けは彌々高く性情の眞摯にし
て篤行に敦き之を離れは繁々堅き思あり︑畢止藤下にして和風蕩々たりざ錐郵書て文弱の露な
く風貌れのつから犯すへからさる威嚴を備へ給ひ親むべくして狸るぺからす近づぐへくして
観るへからす︑大和心の旭に匂へる櫻の面影ありて宛然古武士の英姿ほの見俊てゆかしざもゆ
かしきものあり︑常に道を以て已を修め禮を以て人に接し起居寝食萄くもし給はす︑事に臨みて
悠ぐ逼らす曾て疾言遽色なく紳色自若ごして緯々絵裕の測るへからさるものありしは盆其器
の大なムしを窺ふベー其絡始一貫明徳に順ひ至善に吐まり給ひしは内養ふ威頗る深かりしを
想ふへし︑殊に世の所謂學究的偏見なく曲學阿世肉南習なく虚榮に狂はす聞達を求めす利慾に
らす邊幅を修めす廉潔自ら已を持し謙譲自ら巳を卑ふし悠々自適し給へしは古聖人こいへ
とも以て加ふる庭なきなり︑而して其氣品高く人格禦ぐ心境の澄清︑明鏡止水に比すへく叉光風
霧月の状あるに加へ學和漢洋に精しく識古今に通し給ひしは當代筆に見る威且つ其諄々こし
て激へて倦まず入をして徹鷹會得せざれは止み給はさるものありしは︑激化の爲に朋徳を奉し
て天特に此入を世に降し給ひしか如く生れながらにして世の準縄ビなり入の師表たる特性を
臆小川先生二九
臆小川先生三〇
稟け給へりε謂ふべし
世には肚會の木鐸こして且つは風漱の維持看ごして自ら敏育家の斑に列なり育英の重任を憺
ふ者︑時に假面を被り時好に媚ひ或は醜聾を漏らし或は悪露を放ち時こして表裏二面の遣秀け ヴをなし悟然省みる慮なきものあb︑理れごも恩師や其聞に伍して何等の俗的趣味なく方正謹巌
時流を追はす風潮に阿らす曾て非禮の地を踏ます曾て非禮の聲を聞き給はさり3︑叉世には自
ら其説を一=二にし其責任を免れ或は入を彫るものあう其無節操無定見笑ふべく︑或は徒らに.八
方に顧噸七巧言下色至らさるなく画聖反復恒なきものあり其事猫其零幸まこざに驚嘆するに
絵りあり︑此等は凛乎犯すべからさる氣節ご高潔なる品性とか如何に士に術ふへきものなるか
を知らさるの徒なう︑繋れこも恩師にはか︑るいまわしき事露ほどもあらさbき︑恩師や自ら詐
言を重んじ自ら其責を負ひ深く観して疑はす毅然ざして世に衝はす人に設はす知られさるも
慣らす至誠至野天を怨めす人を崇めす常に至公の35を以て歩車の事を行ひ乏を貫くに清高の
眞趣を以て事に攣り世に庭し以て其大節を全ふし給へり︑語に恥く小胆々陵藪大隠々朝市と︑悪
戯恩師や正に市朝の大隠なりき
恩師は頭鷹頗る明蜥︑卓識群を抜き夙.に先見の明あり︑事を博す深思自ら導き熟慮脚本相を究め
老察至らさるなく周密及はさるなし︑絶て其問條理整ひ規矩明かならされは自ら之を決し自ら
意を安んじ給はす︑喜入を敬重し給ふや上下貴賎を問にす老.幼男女を廃せす︑子弟の如き寧ろ全
僚の欺を垂れ給へり︑情人に臨むや常に之に怨ひさるの心を以て臨み給ひしか故に人事先生に