奈良教育大学学術リポジトリNEAR
特殊学級(精神薄弱)への親と教師の期待 ― 教育 課程論への問題提起 ―
著者 津曲 裕次
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 5
ページ 73‑83
発行年 1969‑02‑28
URL http://hdl.handle.net/10105/6154
特殊学級(精神薄弱)への親と教師の期待
教育課程論への問題提起
票 約
津 曲 裕 次
(障害児学教室)
本論は。本研究所紀要第四号(1968)の「特殊学級(精神薄弱)成立経緯の研究一教育課程論 への問題提起一」にひきつ\き,埼玉県K小学校の特殊学級開設時の親と教師との特殊学級への 期待とそれにからまる特殊学級発足当初の実態を考察し旭教師はこの学級を「精神薄弱教育」の 場として考え,親は,拾くれた学力をとりもどす場と考えた。K・」・学校に拾いでは,この両者の期 待の上に「補導学級」として発足するが,こうした二つの特殊学級観の対立は,特殊学級をめぐっ て,普遍的にみられるところである。そして,この対立が教室にも持ちこまれ,日々の教育実践を 大きく左右しているのだが,実際は,教育実践の場の問題としてよりも,親に対する教師の啓蒙と いう方式でとりくまれている。本論は,このような二つの相対立する特殊学級観を,精神薄弱教育 の理論の問題一教育目標・内容。指導法等一として位置づけてみる必要があるのでは哀いかとい
う問題提起である。但し本論てば,具体的な理論の提示までは至っていない。それは,今後の問 題にしたい。
I は じ め に
私は,先に埼玉県K小学校に倉ける特殊学級(精神薄弱)の成立経緯を考察することにコ=って,
特殊学級の成立に影響を与えたと思われる種々の問題点を指摘した。 (津曲 1968)この研究そ れ自体,特殊学級成立経緯の研究としてみれば,他の比較研究がないなど,多くの問題を残してい
るが,ひとまず,そこであげた八項目の問題点が,K小学校特殊学級の教育実践に,どのようを関 連をもつか・また・こうした関連から・精神薄弱教育の教育課程研究がどのようになされねばなら 在いかということが,この一連の教育課程への問題提起のための研究である。
ここで,前の報告であげた,K小学校特殊学級開設に至る八項目の問題点を再録する。
ω精神薄弱,特に重度,重症児を含む就学猶予,免除(児)への対策が不在であったこと。
12i重症児をもつ親たちが終始一貫して特殊学級設置運動の担い手てあっ走こと。しかし在がら,
特殊学級が設置されたとき,彼らはその対象者からはずされてしまったのである。
13〕社会福祉事務所,民生委員,児童委員,身体障害者協会等の積極的庄協力があったこと。
(4)これに対して,教育の第一線にある学校側は,特殊学級の設置には協力的であったが,最後ま で受動的であったこと。
(5)教育行政当局の姿勢は不明確であったこと。特に市教育委員会は消極的であったこと。
㈹特殊学級設置,定員増の決定に拾いて,知事をはじめとする,いわめる有力者の力が大きがつ たと推定されるこ』
(?〕特殊学級担任者の選定,説得が難航して,正式決定をみたのが開級直前であったこ』しかも・
担任予定者は開設校からは選ばれず, また,全くの未経験者であったこと。
(8)特殊学級設置の決定から開級までの準備期間が一カ月しかとられていないこ』
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ここであげた八項目の問題点は,その後の研究で,多少不正確なところも出てきたが,一応,この 問題点のもとに,K小学校特殊学級の開設後の動きを考察する。
I K小事校r特殊学級」に対する親と教師の期待
「促進学級」論と「精神薄弱学級」論
11親の「特殊学級」観一「拾勉強」を教えてほしい一
K小学校特殊学級は,1959年(昭和34年)4月1日に開級が決定され,早くも,5月8日には 児童七名を入れて発足した。 (な桧,前の報告(津曲,1968:55」)てば,開級を5月7日として いるが,5月8日と訂正する。)しかしながら,前の報告で要約したように,特殊学級設置の推進者 に教育関係者が少なかったこと,学校側,市教委側が受動的であったこと,担任教師の準備期間が短 かかったこと在とから,発足当初にあって。親と教師の間で必ずしも,特殊学級への期待が一致して いたとはいえ衣かった。親たちの特殊学級への期待は,一口にいえば,「少しでも基礎学力をつけて
もらいたい」 (宮崎,196012)ということであった。
I子の母は次のように述べている。「一字を教えるのに三時間もかかる。しがって,ぶって,なか してまでも拾ぼえさせようとしてどうやら一字拾ぼえさせた。ところが次の日になって聞いたら字の 読み方は拾ぼえてい在いで,ぶったとかつまじくっ九ということのみが印象にのこっている。この字 はここをぶった時教えた字だねと聞きかえした。本当にかなしくなってしまいます。」 (宮崎,
1960: 98)
「補導学級(K小学校特殊学級の校内での名称一後出一註)というところは遊んでばかりいる ところなのかしら。そうだとしたら出してしま拾うかしらと思っているんですけれど・・…・」
(H子の母)(加須小学校 加須中学校,1963:21)
「特別教室てば勉強をやらせないレ,今まで拾ぼえたことまで忘れさせてしまう。特別教室に入れ てから赤ん坊になって用もできなくなったし,友だちもあそんでくれなく在った。こんなバカぱっか
しの組から出してく札」 (エ子の父)
「学校で遊んでばかりいるから不満で不満でしようがないんです。家に帰えって来たらカードを使 ったり,雑誌を買ってきたりして棒で走たきをがら教えています。とにかくこの組に入れぱきちきち とたたき込んでくれるかと思いIましねそして患者が医者にかかるように,すぐ良くなるのかと考え ていました。ですから先生のやることがもの足りなくて仕方がありませんでした。入れて後悔してい
・ます。」 (H子の母)
この他にも,開設七日目に,子どもを特殊学級から出してほしいと手紙をもたせてきたH枝の母や 勉強し在いなら,東京の学校に転校させるといってきたY男の母など,明らかに,重症で,勉強は無 理であるという子どもを除いて,ほとんどの親たちが,特殊学級では,「拾勉強」をさせてほしいと 願っていた。
2.教師の「特殊学級」観・仕事好きで円満な人格の子を育てる^
いずれ稿をあらためて検討する予定であるが,担任として選ばれたM教諭ぱ、普通学級の教師とし ての経険は十分であったが,特殊学級の担任ばばじめてであった。それも,担任決定が難航し,しか も,決定から開級までの期間が極めて短かかったことは,前の報告でのべたところである。M教諭は この短かい準備期間の見学,研修の中から,「今まで,しいたげられたパーソナリティをノ1レマ1刺
(宮崎,1960:2)することか,糖ネ構弱特殊学級のねらいであるとして,次のように考えた。
「補導学級の子どもたちの指導目隠は一人で社会に生きぬく力のある子にすることである。その ためには仕事好きで円満な人格の子どもに育てることであろう。補導学級に入って来た子どもたち は,いずれも性格的にひずみのある子が多い…。学校ぐるみの指導により,子どもの労働愛好と円 満な人格の形成に助力するよう努めている。」(宮崎,1960:6)
さて,ここで,同じく教師側の立場で,学校の管理・運営の責にあたる校長の特殊学級観にふれ て巻きたい。いまな拾,「心置制ではない」(小宮山,1962:l04)特殊学級の運営にあたっ ては,校長の意向が大きく影響することば言うまでもないことである。ところが,K小学校にあっ ては,校長は特殊学級を発足させようという熱意は十分にうかがえたが,それをどのような学級と するかということについては,必ずしも,校長としての明確な構想はみられなかったようである。
まず,特殊学級の担任として着任してきたM教諭に対しでは,K小学校としては,どのような特 殊学級を考えているかという構想を示していない。ほぼ,全面的にM教諭にまかされた形であった。
ただ,校長が,着任早々のM教諭に対して,「とにかく早く(児童を)集めて勉強を教えていくら かでも良く在ったらもとの組にもどせぱいいよ」 (加須小学校,加須中学校,1963:16)と言 っているところに,校長の特殊学級観がうかがわれる。勿論,この言葉の裏には,着任早々,「が らんとした教室にただ浩然と立って」いたM教諭に対する慰めと励ましの気持ちが含まれていたの であろうが,この言葉からのみ考えれば,校長もまた,「各クラヌで単に遅れている子どもを集め て学力をつけさせて帰えすという促進学級的な考え方をしていた」 (加須小学校,加須中学校,
1963,16−I7).ものと考えられる。
3.「補導学級」の発足一二つの「特殊学級」観を含んで一
K小学校は,開設する特殊学級の性格もはっきりせぬ室まに,「とにかく発足しようとの校長先 生の考えや担任として始まらないことには困るとのあせりと市民有志の強い熱意とで」 (宮崎,
1960:1)1959年(昭和34年)5月6日の埼玉大学S助教授の講演を機会に,5月8日から
「補導学級」を発足させた。本来ならば,校長,教師,親の三者で,共通のイメージと在るべき
「特殊学級」観が,教師と親とで分裂していたこと,しかも,この両者の意見は,正反対であり,
教師の側に立つべき校長の意見も不明確であったことが,発足当初から,教育の実践に大きく影響
した。
そのひとつは,特殊学級の名称の問題である。特殊学級とは,学校教育法第75条に定められて いる「特殊教育機関」 (辻村他編,1968:I7)の一種であって,その名称は,各学校できめる ことができる。したがって,その名称は,特殊学級の性格,そこで指導のねらいともからんで,各 設置枝でいろいろと苦心のあるところである。その当時の埼玉県下の特殊学級の実情をみても,
「ひまわり学級」,「複式学級」,「補導学級」とか,あるいは,担任の名称をとった「望膳級」
とか,いろいろであった。こうした中で,K小学校の特殊学級は,主として,次にあげる三つの理 由から「補導学級」という名称のもとに発足した。(宮崎,1960:2−3)
(1〕 r特殊学級」とかr特別教室」とかいう名称をつけると,なにか特殊視するようであるから・
できるだけそれを避けたい。
(2〕学級編成に際して,専門家の診断を待たずに児童を入れてしまったので,「精薄学級」とぱっ きり銘うつことができ左かった。
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(3〕促進学級的意味も含まれている。
ここでみられるように,K小学校の特殊学級は,はじめから,「精薄学級」的性格と,「促進学 級」的性格を合せもって発足をしたのであっ旭そして,開設後の一年間は,この二つの性格の矛 盾が・随所にあらわれてき旭
r補導学級」ぱ,かくして,5月8日,二年から六年までの児童,七名を大級させてスぷ一トし た。児童の実態,選衡の経過,指導方針,カリキュラム等ぱ,いずれ,稿をあらためて取りあげる が,ここでは,こうした「補導学級」のもつ性格の二重性が,学級経営の上にもたらした大き在問 題点をとりあげる。それは,親たちやそれに影響された子どもたちが,特殊学級をやめようとする 動きと,それをどとめようとする担任及び校長の努力である・
「補導学級」がぱじまって,わずか十日目に,H枝の母は,子どもを特殊学級から出して,「新 学級」にもどしてほしいと言ってきた。H枝の母自身も手紙を書くこともできないが,その子ども を「特殊学級」に入れていることに対して,近所の人からあれこれいわれたのである。そして,二 週間たった6月5日,H枝の母と,近所の人と,亘枝の母にたのまれた市会議員が,学級参観にや
ってきた。
こうした親の態度が影響して,子どもたちも,補導学級に来ることをいやがった。開級後十日た った5月18日,H枝は,この学級にいると「ばかにされる」し,「六年生の勉強をちっともやら ない」といって,新学級にかえしてくれと申し出た。Y男も,新学級にかえってしまって,補導学 級に来在いことがあった。 (加須小学校,加須中学校,1963,18−19)
これに対して・担任のM教諭は子ども達に対しでは,教室での実践で,親たちに対しでは,話 し合いを通して働きかけていった。
まず,子ども達に対しでは,「心の解放」を願って,徹底的に遊ばせた。M教諭は,5月8日か らの一学期を「解放期」 (宮崎,1960:17)であったと書いでい糺
「開級当初は何の備品もなかった。あったのぱ子ども用机六つ,それに教師用机二つに椅子一つ のみ。その上担任は全くの素人なので指導法などすこしも知らない。知っているのは『あそぱせな さい』の先崎先生からの一語のみだった。担任はこの言葉を忠実に守った。しかし不安は日に日に 深まってゆくのみだった。けんかは十分と間を拾かずにところかまわず拾こなわれた。そのけんか もただごとではなかった。椅子をなげる,棒をふりまわしてガラスをこわす,しっかく,かみつく 服をやぶく……。それは,それは見るにしのび左かった。これでも,時が解決してくれるであろう
とのんぴりとかまえた。『けんかがあって困ったという時期が早くくれぱ,その学級づくりは成功 だ。そして,二,三カ月ぱつづくだろう』との言葉をたよりに自分をなぐさめ,他人の批判をもぐ っとこらえ旭この子ども達ぱ,今まで教室の片隅に古いやられ,自分の感覚で何もとらえること のでき左かった子ども達である。一個人としてのあつかいをされなかった子ども達であるのが,個 人として認められ自己主張するように在ったことが,このすさんだ学級の状態となってあらわれた のであろう……。」 (宮崎,1960:17−18)
親たちに対しでは,授業参観,家庭訪問を行なった。市会議員をつれて見学にきたH枝の母に対 しでは,算数の指導をみせて,H枝の学力の実態,補導学級の綿密な指導形態をみせて,特殊学級 から出すことを思い止まらせた。(結局は,H枝は,1O月には新学級にかえる。)子どもに対し て,「特別学級に行くな」といったY男の父に対しでは,三時間に及ぶ家庭訪問で,担任の意図を
理解してもらった。
こうした時の親の主張ぱ・まとめれば・次のようであっ旭 ω 「補導学級」てば,勉強を拾しえてほしい。
(幻 小学校には特殊学級があるが,中学校には設置されていない。子どもが中学校に行ったらど うするカ㍉
(3〕一度,特殊学級に入れると一生そのレッテルが貼られて特別扱いされる。
(4〕これまで遊んでくれていた近所の子どもたちが,r特別学級の子はバカだから遊ばない。」
と仲間はずれにするように庇った。
{5)自分の子どもは,ほんとうに「精神薄弱」なの加
こうした親たちの疑問点や主張に対し,M教諭は,次のように答えて説得にあたった。
(1)このこどもたちぱ,いわゆる「拾勉強」ができないから,この学級に来たのであって,当面 ぱ,国語や算数の勉強よりも「心のしこり」をときほぐす仕事が先である。 また,この子ども だちは,教科書のようなものを使えないから,遊びの中で算数や国語の勉強をさせようとして いるのだ。
121小学校の特殊学級の卒業生がでるころまでには,中学校にも特殊学級をつくる予定であ る。
但し,それには,学校当局と親の協力が絶対に必要である。もし,それ までに中学校に特殊学 級ができる見通しが立たない時は,小学校の特殊学級から,中学校の普通学級に行ってもこま らないように,・』・学校の特殊学級に拾いても教科の遅れをとりもどすような指導をするつもり であること。また,いろいろな事情で,中学校に特殊学級ができない場合には,小学校卒業後 も小学校の特殊学級で指導するような方法も考えている。
(3〕特殊教育の目標は,社会人として,自力で生活できる人間を育てることである。したがって 特別扱いをされるかどうかを恐れてはいけない。
(4)近所の子どもが遊んでくれ在いという問題は,特殊学級だけの問題ではないので,学校全体 の問題としてよく話し合って,前後策を講じたい。
(5)精神薄弱児というのは,国語や算数などの教科の成績は芳しくないが,社会性の面でぱあま り劣っていない。だから,国語や算数の力をつけることでぱなくて・社会性をのばすことに力 をいれて,一日も早く職業につく訓練をした方がよい。
こうした父母と教師の対話の中には。①精神薄弱教育の理論一目的・方法・内容一にかかわ る問題,②精神薄弱をとりまく社会の問題,③精神薄弱教育の制度。体制の問題が,直接的な形で あらわされている。そして,一このような,精神薄弱教育に関する根本的庄課題が,一地方郭市の特 殊学級開設という時期に,父母と教師の間に緊張関係をひき拾こし,その解決を担任教師の膳蒙1 活動にゆだねているのである。
稿をあらためて述べる問題であるが,こうした事情は,当然のこととして,K小学校特殊学級開 設時の教育課程に反映している。開級当初の「開放期」の実態,子どもを特殊学級から連れたそう
とする親,親や友達の態度に影響されて,自ら特殊学級になじもうとしない子どもたち,啓蒙に手 をとられる担任教師等々ぱ,具体的に,カリキュラムそのものを規定していったのであるし上記 の論点にもあげられているように,小学校にひきつづく中学校特殊学級の有無が,小学校特殊学級 の教育そのものに影響を与えるモメントとなり得たのである。
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さて,以上で,K小学校特殊学級開設時の「特殊学級」への父母の期待と教師の働きかけに拾け る問題点が明らかにされたと考えるが,ここで,学校の管理者としての校長自身の動きをみてみよ う。前記の論点でも明らかなように,精神薄弱特殊学級に対する他の普通学級の子どもの親方など,
学校全体の問題として,校長の役割は極めて大きいと見在けれぱなら在い。これに対して,K小学 校の校長の場合,まだ十分な調査は行きとどいていないが,特殊学級に対しでは,「促進学級」的
イメージを持ちつつも,M担任の好意的後援者の立場に終始したようである。
同校長は,市会議員をつれて,子どもをつれだそう一として見学に来たH枝の母に次のように言っ て説得した。
「近所の人々がとやかく言うことぱあまり気にしないで信念を持って子どもの幸福を考えて入れ て拾いた方がよいですね。六年生ですから二学期頃まで入れて拾いて遅れをとりもどして六年生と r緒に卒業させるということなのですから……。H枝さんの場合は拾ぼえはぐったことを,勉強し て遅れをとりもどすためなんですから心酒己ありません。」 (加須・」・学校,加須中学校,1963:
22−23)
勿論,これば,子どもを学級からひきあげようとする母親に対して言った言葉であって,それ以 上の意味はない。むしろ,rM子さん(I q39文字はおぼえられ左いだろう)のような子は生活 態度を指導するんだけれど」 (加須小学校,加須中学校,1963,22−23)とあるように,子 どもの能力と,特殊学級の指導のあり方には,理解をもっていたといってよい。但し,M教諭ぱ,
「M子ば施設向きで保護する方で,H枝は特殊学級でちょうどよい」 (加衡』・学校,加須中学校,
1963:23)と考えていた。要は,父母に対する啓蒙の方法論の問題でもあるが,K小学校の校 長としては,特殊学級のイメージはあっても,個々の具体的庄現象に対処できるプランとしての形 はなしていなかったと見てよいであろう。
皿 特熱学級のr性格」論に関する考察
1. 「特殊学級」に対する親の抵抗
特殊学級の開設時に拾いて,大級対象児の親たちが,特殊学級の性格や大級勧奨に対して,いろ いろな観点から抵抗するということは,どこの場合でもみられる一般的な現象であった。こうした 事実を示す資料。記録・調査のたぐいは枚挙の違がない。目下.私どもの研究室てば,その目録づ くりの仕事が進んでいるが,その中から,目につくままにひろってみても。次のような各地からの 報告がある。
まず,山梨県東八代郡の特殊教育研究サークルが,精神薄弱児をもった親に対して拾こなったア ンケ ト調査(実施与不詳)の資料がある。まず,調査用紙の回収率が一割しか左かったという事 実は,調査項目,方法等の問題を抜きにしても,精神薄弱児をもつ親の子どもに対する姿勢をうか がわせるが,アンケートに答えてくれた致すくない親たちの中でも,進んでわが子を特殊学級に入 れたいと答えたのは,その中の約四割にすぎず,大半の親たちば,ちゅうちょないしはっきりと特 殊学級に子どもを入れることを否定している。そして,この親たちば,子どもを特殊学級に大級さ せ念い理由として,「子どもがいやがるだろう」「人目が悪い」「友だちが少なくなるだろう」と 書いている。そうして,r時間をもうけて個別の指導をしてもらいたい」ということを大部分の親 たちが望んでいるのであった。 (松岡,1960:147)
兵庫県佐治小学校のS教諭ぱ,現場の教師の立場から,特殊学級のr進展を阻害している事実」
として,次のように報告している。
「子どもが,学習をしない臨親ぱ『特殊学級に入れてやる』といって,まるで学習させる一つ の道具に特殊学級が使われている場合がある。一般父兄の無理解もぱ在ぱだしい。こうした親の考 え方が変らない限り,学友からも『特殊学級,アホガッキュウ』などとののしられることもなく浸
ら凌い・・・…o
こうしたことが,新学年の学級編成時に大きく影響し,親の虚栄と,無理解によって,『うちの 子は,絶対アホ学級べば入れません』『できてもできんでもよろしい。そっと普通学級に拾いてく ださい』といってことわりを言われる。これでは,子どもの幸せが先か,親の世間に対する見栄が 先か・全く疑問に思われるのであ乱」 (佐竹・1968:28−29)
ほとんどの資料に拾いて,同じよう浸事が報告されている。しかも,そこで言尽されている事項 を列挙すれば,前章でのぺたK小学校特殊学級の場合と,ほとんど同じである。いまここに,別の 資料から,親が「大級に反対するわけ」 (下倉,1667:33)を列挙してみよう。
「(イ) 兄弟や親せきで反対するから (口) 世間や近所でいろいろ言うから
(ハ) やればできるのに,やらないから赴くれたので,一年間指導して見たい (二)一 この予だけ兄弟とちがった学校にやるのぱかわいそうだ。
(ホ) うちの子ば特殊学級に入れるほどおくれていない口
(へ) 特殊学級へ入れると庄桧劣等感を持ってしまう。」 (下倉,1967:33)
こうした,親たちの特殊学級への「抵抗」は,大きく,次の二つの側面を持っていると考えてよ いであろう。即ち①「特殊学級」に対する社会の親方と,②「特殊学級」に拾ける教育に対する親 の「批判」である。この二つの側面が,いろいろ在形をとって,親の態度となり意見となって表面 化している。したがって 私たちば,この側面をどのように考え,対処したらよいかということを 考えねばならないのである。
従来は,このような親の「抵抗」ぱ,「学校側での児童観,ひいては教育方針と,家庭でのそれ らへの理解不足という点」として「強く問題と」されてき旭 したがって,時には,「『親がまち がっている』ときめつけ」たり,「『問題は親の教育ですh親の考え方をな拾さねばどうにもな
り重せんよ』というよう削声がきかれ旭 (小宮山 1967:6−8),かくて,教師・学校側 から親への「啓蒙」がぱじIまるのであるが,この問題は後でとりあげることにして,ここでは,親
のこうした意見を別の角度から検討する必要があるのではないかという問題を提起したい。
まず,問題は,「親の考えはまちがっていて,教師の精薄児童観,教育観は正鵠をえているので ある加」 (小宮山,1967:6)という問題提起である。但し,この問題と真正面から取り組む には,目下の私たちには,その材料と手段があまりにもすく在へむしろ,このような問題提起そ のものが 論議を呼ぶ現状である。そこで,私たちば,前述の如き,親の「意識」の実態とそのよ ってきたる由来を明らかにする作業をぱじめなければ在らない。そのために,親を含めた一般社会 の意識調査に関して,従来の種々の調査の整理。検討と,新た庄調査による検証がなされねばなら ない。私どもの研究室に関していえば,従来の諸種の調査 報告・実践記録等の収集・整理を拾こ なっている段階である。
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勿論,このような作業からの結果は,本節でのべたような,結論の再確認ないし,定式化という 結果になるであろう。問題は,このような「社会の意識」の由来を明らかにすることである。この
点についても,現在の私には,仮説以上のものはない。但し,この問題をいわゆる「意識」の問題 として一般化して考える在らば,親たちにしろ,社会一般にしろ,上述のような手続きを通して得 られた彼らの「精神薄弱児及ぴ精神薄弱教育への親方」ぱ,現在の,「事実」を反映していると見 るべきであろう。こうした,精神薄弱教育にまつわる「事実」を明らかにし,そこから,親や社会 への反映としての「意識」の取りあげ方が必要であると考えているのである。
2.精神薄弱教育理論に右ける「特殊学級」観
このような,親や一般社会に右ける「特殊学級」観に対して,特殊学級の担任教師達は,精神薄 弱教育に拾ける特殊学級論をもって,説得,啓蒙に努めた。埼玉県K小学校のM教諭も,特殊教育 の経験は全くなく,しかも,その短い準備期問の中から,当時の精神薄弱教育理論を吸収し,r補 導学級の子ども遠の指導目標は一人で社会に生きぬく力のある子にすることである」 (宮崎。1960 2)とのべている。
特殊学級(精ネ構弱)と普通学級の教育に拾いて,その目標。方法等が違うという結論が,いつ ごろからでてきたかということについてぱ・まだ,ぱっきりとしたことぱ言えないけれども・1958 年の学校教育法施行規貝I」の改正前後を境にしているようである。それ以前は,特殊学級であっても 小,中学校の教育課程編成の法具1j規定にしたがわなけれぱ庄らなかったので,いわゆる「幼稚園,
小学校又は高等学校に準ずる教育」(学校教育法71条)という観点が強かった。したがって,片 方てば「精神薄弱児のために・…・・。彼らに共通して,根本的に欠けている,自己身辺のことがらの 処理及ぴ社会的適応の能力を少しでも補い伸ばしてやること」 G上村,1956:65)を目的とし ながら,一方てば「如何なる心身の特殊性のある者でも,均しく普通の学校で普通の学級で教育し 指導できることこそ望・ましい」 (辻村・1956:18)という論調が同居してい旭
ところが,1958年(昭和33年)5月,学校教育法施行規則が改正され,小学校特殊学級は,
昭和36年度(1961年4月)から,中学校特殊学級は,昭和37年度(1962年4月)から,特 に必要のある場合は,特別な教育課程によることができるように在り,その前後に 精神薄弱教育 の目的・方法・教育課程・制度等に関する論議が盛んになっていた。以下,その当時の論調をひろ ってみると次のようである.
「特殊教育に拾いては,読み書き計算の教育が主になるのでは在く,生活の仕方を学ぶこと,人 人に受け容れられるパーソナリティをつくること……。すなわち1・…、精薄児の教育の目標は,普 通児に追いつくように努力させるというのでは長く,間いい精薄児にする ことだ…・・セ」(三木,
1958:7)
1951年(昭和26年)から特殊学級を運営していた茨城県結城市の特殊学級てば,1959年 (昭和34年)に,次のような特殊学級の教育目標を掲げた。
「精神薄弱児にもいろいろだ段階があり,その程度の差によりそれぞれ教育目標が異る。知的発 達の障害の程度によって到達すべき目標にも限界がある…・・。そうした点で精神薄弱児の教育は単 牝普通教育に準ずるということぱでき在い。 (医学の力によって知能の発達の故障がな古されない 限り)われわれの使命はこの子どもたちに与えられた条件のもとで,いかに生かすかということに
ある。これが特殊教育の課程なのである。」(結城小学校,城南小学校,結城中学校,1959:上2)
また,当時,各地の特殊学級の設置の手引として利用された「特殊学級設置の要領」 (全日本特 殊教育研究連盟編,1960)ぱ,「精神薄弱教育のねらい」として,次のように述べている。
「憲法や教育基本法,学校教育法等によって規定されている教育の一般目標は,精神薄弱児の場 合はもちろん変らない。しかし・・…七精神薄弱児教育の達成すべきぎりぎりの目標は,かれらを社 会に出てとにもかくにも自立できるようにしてやることである。
そのためには,ω排泄,洗面,衣服の着脱,身辺の処理等の日常生活の処理のしかた,基本的庄 生活習憤を身につけさせること,ω仲間との生活がてきるようにしてやることから始まって,学級,
学校という社会集団に参加し,遂に職場や一般社会に入って人問関係をうまくやれるようにしてや ること,13〕将来職業について生産に携わる能力を培うこと一の三つを達成しなくては友らない。
だから,特殊学級の教育としては,読書算,理科,社会というような知的在ものに重点を巻くの ではなく,むしろ望ましい性格の形成,あまり熟練を要しない仕事に対する職業的な適応,社会的 な適応に重点を拾いて,小・中九カ年を一貫したねらいで教育計画をたてることが望Iましいわけで ある。」 (皆川,山1960:94)
埼玉県のK小学校に拾いて,特殊学級の性格が論議されていたのは,まさに,このような時期で あった。したがって,着任早々のM教諭が,補導学級の目標を「仕事好きで円満な子どもに育てる ことにある。」 (富崎,1960:2)としたことは,r具体的な目隠ぱ,読み書き算数,理科,社 会といっ先知的なものに重点が拾かれず,むしろ望ましい性格の形成,あまり熟練を要しない仕事 に対する職業適応,社会的適応に重点を巻くことによって,社会的自立に必要注最少限あものを確 保しようということ」 (山口,1960:6)であるとする、当時から現在につづく,精神薄弱教育 の理論に合致していたのである。
さて,問題は,このようにして,精神薄弱教育の理論からひきだされた「特殊学級」観が,親や 一般社会の特殊学級への「期待」と対立することである。精神薄弱教育の「理論」ぱ,この対立を
r啓蒙」という橋をかけて,のりきろうとするのであるが果して,それ以外に考えられないであ ろう加ここでも,問題を一般化して考えるならば,精神薄弱教育の理論としての,特殊学級の性 格論が,真に理論的検討に耐え得るものであるためにぱ,こうした,父母を含む社会の特殊学級へ
の「期待」もその中に包みこんでいなければならないと考える。すくなくとも,現在の「啓蒙」の あり方は,学校や教師の側の考える「精薄児教育の方法上の特質をくりかえし理解してもらうより ほかない」 (小宮山,1967:8)という,手続きの問題とされているのである。
さればといって,このような親や一般社会の人々の期待まで織りこんだ,精神薄弱教育の理論が どのようなものであるぺきかということについてば,私自身も在んの具体的意見も持ち合せていな いが,従来の精神薄弱教育の理論的研究には,このような親や社会の側の要件があまり考慮されて ぱいなかったということぱ指摘しうる。例えば,私がいま追究している,親と教師の特殊学級観の 違いの研究も,それが特殊学級の教育課程に大きな影響をもっているという仮説のもとに進めてい るのであるが,従来の教育課程論てば,こうした研究は,教育課程を実施する上での手続きの問題 であった。
即ち,従来は,「特殊学級の教育課程を論ずるに当って……明確にしなければ在らない」 (山口,
1963)のは,次の四点であった。
ω 精薄児の知的能力の発達には一定の限界があるということ。
一81一
121精薄児の矢口能の遅れば単に量的な遅れとしてでなく,質的左問題として考慮しなければなら 在いこと。
(31特殊教育を終えた後で彼らがつくさまざまな職業を通して,社会生活を拾くる上で必要なも のであること。
ω 同じ学級内でも,個人差が大きいこと。 (山口,1963)
このような,いわば 児童の心理面に重きを古いた議論が,それ自体の可否は別にして,社会学 的。教育学的側面をもつ,親や社会の特殊学級への期待,ひいては,そのような期待として,親や 社会の意識へ反映している「事実」を組みこみえなかったということ一が言えるのでぱあるまい如 したがって,今後の課題は,前節でもふれたように,ひとつの社会現象。教育現象として,精神薄 弱教育を肥えな拾すということである。そうして,それを組みこんだ特殊学級論が,果して成り立 つのか,あるいは,その際の精神薄弱教育全体の理論構造がどのようになるかというととが,検討 の対象となるのである。
1V お わ リ に
K小学校特殊学級の開設にあたっては,親と学校。教師の両者に拾いでは,特殊学級に対する期 待が,はっきりと食い違っていた。そして,この違いは,K小学校の場合にかぎらず,特殊学級開 設時には,どこででもあらわれる,普遍的な現象であった。しかし在がら,学級を経営していく立 場からは,こうした親と教師の側のイメージの違いは,阻害の要因と考えられる。K小学校のM担 任が「補導学級・…一・の編成にあたっては,その目的をはっきりと決めてかかることが望ましいし またそうで在ければならない」 (宮崎,1960:1)と述べているのも,そのあらわれである。そ
うして,この両者の考えの差を埋めるために,学校・教師の側から,親への啓蒙という手段がとら れる。「啓蒙」に関する諸問題は,別の機会にとりあげるが,ここでは,上述の文脈の中で,ひと つの視点を提示して拾きたい。それは,本論で明らかにしたように,親。一般社会の側の特殊学級 への期待と,学校・教師の側の精神薄弱教育の理論から来る特殊学級観が,食い違っていることが r股的原則ならば,この両者の緊張関係の中で,特殊学級が運営されるのが正しいあり方なのでは
あるまいか,ということである。すくなくとも,「促進学級」か「精薄学級」かということを,前 もってきめてから発足したいということは,教師の願望ではあり得ても,現実にはあり得ないこと なのである。
V 文 献
L 加須小学校。加須中学校(1963):遠い道一特殊学級担任の記録,加須市教育委員会,1963 2 小宮山 倭(1962):精ネ構弱児教育の機関とその管理,全国特殊教育研究連盟編「精神薄
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3 小宮山 ・委(1967):精神薄弱児をもつ家庭の諸問題,「精神薄弱児研究」107:6 1&
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4 松岡 武編著(1960):精神薄弱児の教育一特殊教育を進める上の基本問題について,東洋 館出版社,1960.
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6 皆川正治(1960):特殊学級ではどんな教育をするか,全特連編,特殊教育双書「精神薄弱 児の特殊学級設置の要領」第七章,93−98,日本文化科学杜 1960.
宮崎直男(1960):遠い道(一年目の実践),1960.
佐竹善雄(1966):計画設置遂行上の諸問題,教師の意識・親の考え一小規模町村小学校 特殊学級の場合,r精神薄弱児研究」90,26−29.1966.
9 下倉史雄(1967):特殊学級への大級をどのようにすすめているか 「精神薄弱児研究」
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1O 辻村泰男(1958):特殊教育一その現状と基本問題一・光風出版・1958.
11、辻村泰男他編(1968):現代教育研究,I2特殊学級,日本標準テヌト協会,1968.
12 津曲裕次(1968):特殊学級(精神薄弱)成立経緯の研究一教育課程論への問題提起一 奈良教育大学教育研究所「教育研究所紀要」4,4ト57.1968,3.
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一83一