華 僑 社 会 と 幇
一特に南洋客属総会に因んで一
須 山 卓
(1)はじめに
海外に存在する中国人社会=華僑社会はその歴史的発展において独自の社会的団結を維 持し,相互扶助的役割を果してきた最大の社会関係の支柱は箒(Pang)であった。幕は 今日まで一貫して華僑社会の構成体の基本的要素である。本来移民社会として存在してき た華僑社会が最:初に経験する社会的事象の一つは海外での自分自身が熟知している方言を 話している他人と接触するだけでなく,自分の郷里や部落などの地域から到来した人々と の多くの接触は自ら親近感の温床となっていることである。どちらかと言えば,この経験 は異邦において流亡する者達が,地理的にもっとも近接した出身者として,お互いに同情
し合う激しい感情の発露として時に重要な意義をもつことにもなる。
このように蓄は華僑社会という特殊集団あるいはCommunityの現実の生命と生活の 維持のための必要性に根差している重要な意味のものであるにかかわらず,今日まで,実 はこの用語の歴史的発祥について未だこれと言った定説がない。その機能的役割について は,これまで自力救済的なギルド(Guild)として,数多く論じられてきているが,歴史 (注1)
発生的ということになると華僑の海外発展は一千年にも及ぶにかかわらず,それに関する 考証にいたっては今のところ一つの課題として残されているのが現状である。しかるに,
今日華僑研究グループの一部には「かってのi華僑および華喬が現在では現住国住民の一 部,すなわち,華人系市民に変り,または激しく変りつつあるのを無視して彼等を相も変
らず華僑または「華商」はなはだしくは中国人と表現したりするのは正しくない」という (注2)
ことを理由の基礎として「華人上層ブルジョアジーは,彼等の利益のために,幣結合に表 現される伝統的な結合原理や前近代的な意識をできうるかぎり利用してきた。しかしその 幕結合にも内部から強い批判が出され,いまや幕結合は理論的には否定されたに近い」と (注3)
見る傾向さえ生じている。勿論かかる見方に一理のあることは認めるとしても,基本的に
は華僑があくまで「客居異邦の中国人」であることを看過すべきでなく,仮りに頭の切換
えによっていわゆる今日の世界人権宣言によって示されているように,外国人である華僑
が居住国の国民と平等に基本的人権において差別を受けないということが文字の上に書か
れたとしても,現実におかれた華僑達の頭の中にはブルジョアジーやプロレタリアートを
問わず,実生活の上で示される具体的な無権利状態の数々は,人権i尊重の保障が与えられ
るどころか,差別的取扱いという意識的支配の方がはるかに,強く作用しているのではあ
るまいか。もしそうだとすれば華僑の大多数は差別雨湿抑圧民族であり,将来の世界史的 段階においては入権平等の基本的原則の確立をみるに至るであろうが,現段階では未だ客 居異邦の外国人であるとの意識は観念的にも払拭し得べくもない。万事は 樹高千丈,落 葉帰根 の思想であり,すくなくとも,理念的にはそれが歴史の底に流れている。
わたくしは以上のような現状認識において華僑の幣を理解し,その社会経済的機能を評 価しつつ客家常について関即することにしたい。
注1)成城大学の内田直作教授は,幣をもって自力救済的なギルド的結合の集団だとされ,「それは 通常指摘されがちな,単なる歴史的残津物ではなかった」と指摘されているが,幣が何時から 一般に呼称されてるようになったか歴史的発生については触れるところがない。ただ併し同教 授はギルドが「中国国有の姓氏国体と相ならんで海外にあって,何等の国家保護を期待しえな かった華僑商人社会の保全と発展に寄与したのみならず,……漢民族の発展を今日まで導いた 民間の潜在勢力であった。」 (内田直作「日本華僑社会の研究」昭和24年同文館p.45)と せられている点では根岸倍博士の「支那ギルドの研究」と共に教えられることが多い。
また現在ホンコンの中吊大学の全離昇氏の旧著「中国行革制度史」(民国23年新生命書店)お よびバージェス(J.S. Burgess)著のThe Guild of Peking(1928)などがある。
現在熊本商科大学教授の游仲勲氏は,華僑の社会経済組織の性格をギルド的と見倣すことには 批判的だとして次のように指摘されている「中国人が本国同様,海外にあっても,強固な社会 経済的結合を示しつつ発展を遂げてきたことは著名である。
しかし,ここに組織された華僑社会経済組織をすべて単純なギルドそのものとするのは正しく ない」(タイ華僑社会経済組織,日向学院論集)第5号,昭和37年3月p.103,またR。H.
トーネイが「欧州の諸国において,ギルドが微弱な職入の組合から,後には政府を攻撃し,時 にはこれを左右するほどの有力な機関となった。その歴史は,中国のギルドの歴史には欠けて いたのである。」(支那の農業と工業 浦松,牛場訳,岩波書店昭和10年P.126),とする見 解にも注意を払いたい。中国のギルドはヨーロッパのそれに比して同郷性が強く,世界に拡が る華僑の赴くとごろ常にギルドを携えて行くと言われた所以である。但し,中国ギルドはヨー ロッパ,ギルドと異なり中国独自の血縁,地縁,熟識にかる自然的な人的結合関係が支配してい ることに注目すべきである。
注2)戴国輝編「東南アジア華入社会の研究,上 アジア経済研究所p.14」
注3)同上p.lll
(2)客属の歴史的移動と卵形成
今,ここに客家の方言の口話を話す客家集団の本国における居住範域を明らかにすれ ば,次の通りである。
すなわち,純客振県33県,非純面住(客家畜住)県106県,計7省,135県におよんでい
る。だが,東南アジア地域に進出した客家幕を出身州県別に大別すれば,ほぼ次の通りに
することが妥当である。
省別1
純客
州 県 レ客 家 混 住 県 江 西
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