尺八における音色の解析と演奏者の比較
(平成2年5.月31日 原稿受付)
設計生産工学科制御工学教室古谷忠義
舞鶴工業高等専門学校添田満
九州工業大学大学院博士課程前期道家久人
Acoustic Analysis on Shakuhati for Player Comparison
by Tadayoshi FURUYAMitsuru SOEDA Hisato DOUKE
Abstact
Recent Developement in digital signal processing makes it possible to produce electronic musi−
cal instruments by analyzing the sounds of original ones. The tone colors or timbres of some musical instruments have been investigated for making the new electronic instruments, but very few
studies have been reported for training, player comparison, and education.
Difficult training which puzzles the beginners of the Japanese classic musical instruments can
be improved if the difference between the experts and the beginners who play those is clarified.
This paper shows some acoustic analysis results for the Shakuhati music played by either a well−trained person or a beginner. First exact determination method of signal period is presented together with discussion for superiority of this method compared with the FFT. The discrete Fourier transformed results have revealed that the sounds of experts have higher harmonics than those of the beginners. But more components of higher harmonics don t prove that they are played by the expens. The ratio of odd and even ha㎜onic powers gives us some clues for the preferable
quality of Shakuhati sounds.
析を行なうのを可能にした。これにより様々な目的で研
1.緒 論
究が進み,とくに,LSI,MSI, ICなどを用いた 近年,ディジタル信号処理技術は,多方面において利 電子楽器音の合成は,特に盛んに行なわれている。しか 用されるようになっている。音楽の分野においても楽器 し,その合成音を構成する様々な楽器の音の構造の物理 音から得られた音の信号をサンプリングして,A/D変 パラメータは,未だ明確に解明されておらず,そのため 換し,ディジタル演算により,スペクトル分析などを行 に現在の電子楽器音は一般の自然楽器音と比較して自然
なう技術を用いることによりアナログ信号処理技術では 音との差異さがあると指摘されている。
実現が困難であった複雑な信号処理機能が実現でき,高 ところで楽器の構造が複雑で,リズムが単純化され,
い精度や安定性を得ることを可能にした。ここ数年では, 音を作り出すことに関して熟練者と初心者の差異がない 音響処理や音声処理などにも応用されている。 ように工夫されている西洋の楽器の音について解明は,
また,楽器音の音響学的解明も,高度なディジタル信 この点研究が容易なので,楽器音の研究は数多くの研究 号処理技術をもちいて,複雑な楽器音波形の実時間的分 がある。しかし,構造を単純なまま残し,音を作り出す
14 古谷忠義・添田 満・道家久人
人の熟練がなければ正しい音階さえも出ない日本の楽器 れている。処理の対象が周期信号の場合は,得たデータ の音については,西洋の楽器と比較して,研究の際に演 の長さが信号の1周期,あるいはその整数倍に一致して 奏者の熟練度まで考慮しなければならないなどの難点が いる場合は問題ないが,信号の周期とデータの長さが一 あり,その解明は遅れている。 致しなくなることから問題が出てくる。
そこで本論文では邦楽の主要な楽器である尺八につい 図一1に周波数4Hzの正弦波から1秒の長さに相当 て信号処理技術を用いて解析を行なうこととした。ここ する個数のデータをサンプリングし,それから計算され では熟練者と未熟者の差異を考えることとし,尺八の良 たスペクトルを示している。図一1(a)では,4Hzのとこ い音色とは何かを考えることとする。 うにのみ周波数成分が存在している。一方,図一1(b)の 場合,もともと存在しないはずの周波数成分が多く現れ
2.音楽(音色)の解析
ている。この問題は,高周波数成分を含むような複雑な信 2.1 FFTによる解析の問題点 号を解析するときにとくに注意する必要がある。この間 離散フーリエ変換について考える。 題の改善法としては,FFTを計算する前に, Window DFT(離散フーリエ変換)は,(1)式で定義されている。
F、一繊exp(一ブ。2。*蹴) (dB)
・一゜ 0 (〃=0.1…,」V−1) (1)
この式では,エ.はサンプリングされたデータ,ノは
虚数単位σ=−1)である。この式はもっと簡単に, −20
レ叱v=exp(一∫*2π/ノV) (2)
とおくと,
一40exp(一∫*2π*η*ん/∧r)=師りv触 (3)
−60
となるから,(1)式は, 0 10 20 30
。.、 (Hz)
F永=Σエ。隔批 (4)
;° (H_,N−、) (a)
となる。ここで定義した仇は回転子,またはひねり因
子(Twiddl。 F。。,。.)と呼ばれている. (dB)
0 凡は,周波数k/NTにおける成分である。
上式を見るとDFTの計算のために多くの積和計算が
必要になる。例えばN=1024の時計算回数は1048576回 一20 となり非常に多くの時間を要する。よく用いられるFFT
はこの計算回数を大幅に減少させるものである。しかし,
周期信号解析において,FFTは,必ずしも有用な演算 一40 方法とはいえない。つまり
(1)データ数が任意の数のべき乗個に限られること。
。60 (2)得られたパワースペクトルの最大値が必ずしも基
本周波数でないこと。
一 、 (Hz)
の2つの点で周期信号に対して無駄な計算を行なっとい
う⊇・ある.DFTを計財るということはこのN個 (b)
0 10 20 30
のデータが周期的に無限に続いていると仮定して計算さ 図一1 パワースペクトル図
を採用することが行なわれている。しかしWindowを 2.2交点検出による周期推定
採用すると演算時間も長くなり,FFTの意義が少なく ここでは確定的周期信号のフーリエ変換式をそのまま なる。 用いるので,演算時間の短縮及び,より詳細な分析を可 もう一つの欠点を示すために図一2の尺八の楽音(周 能にするために,楽器を得た信号から正確な1周期を推 期信号)についてパワ・スペクトル計算をFFTに行な 定する。
う。図一3がその結果になる。この波形の基本周波数は, まず,データの最大値を求め,最大値の数%の値との 298.5Hzであるがそのパワースペクトルのピーク値は 交点を検出する。そして,その点の前後10個のデータを 基本周波数より高いところにあり,この結果より基本周 納めておき,1番最初の交点のデータを基準にして,順 波数を検出することは困難でありれ周期信号解析にFF 番に1つ1つの誤差を求めそれを合計し,その誤差が最 Tを用いることは不利となる。そこで確定的周期信号の 小のものを,1周期とする。
フーリエ変換式をそのまま用いることにした。またFF 以上の方法で95%以上周期の推定が可能であるが,さ Tではデータ個数Nと同じ点数の周波数についてスペク らに精度をあげるため1番目の交点の傾きを基準にして,
トルを計算しなくてはならないが,音楽の楽音では20倍 それぞれの交点の傾きを計算し,最も近いものを1周期 高調波ぐらいまで計算すれば良いので計算時間の点でも とする。
遜色はない。 以上の計算によってまず周期を定める。
2.3パーワースペクトル解析
今回使用するデータは,平均値を引き,分散で割るこ とにより全パワーを1.0となるようにした。
つまり,X(〃)を測定した信号として,
x (κ)=(x(η)−Aγ)/σ (1)
ここで,AVは平均値,σは標準偏差である。
この信号の1周期を推定し,信号を切り出し,離散フー リエ変換を行なった値を凡とする。するとパワースペ
クトルS醍[k]は,
Sエ劣[k]=lF此21
=凡*Fκ
図一2 尺八の波形 で定義される。孔*は,F此の複素共役を表わす。
これにより信号におけるパワーの周波数分布が与えら れる。この周波数分布は,信号の1周期をフーリエ変換
(db) したことにより,そのままデータである音の倍音の構造
周期の決定を行なうことは音階の同定を行なうことに一10 なる。しかし相隣る音(反音階)の周波数比は,21/12=
−20
1.059であるため。低音域においては,その周波数差は,
0 5 10 15 20 音階同定においては,周波数のまま同定を行なうと桁数 倍音 などの不都合があるため,音楽で用・・られる単位である,
図一3 パワースペクトル CENT に変換し同定する。 CENTは
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A/Dボードの設定は,約0.2秒間隔でサンプル周期 [CENT]=1200*LOG2(ん/ノ長)
10μsのデータを1000個を1組として128組ラムディスク φ:基鞠麟) に納めるようにした。
で定義される。これを用いることにより半音階は100 音の採取は,演奏者の胸にマイクを付け,ひとまず CENT,全音階は,200 CENT,1オクターブは,1200 テープレコーダで,テープに録音する。その録音した音 CENTとなる。 をテープレコーダで再生する。音は, A/D変換ボード 次に演奏者の優劣を考える。ここで対象とする邦楽の にアナログ信号として入力され,ディジタル信号に変換 主要三楽器のうちの一つである尺八は,竹幹の自然な形 後,PC−9801RXのラムディスクに書き込むようにし をもとに,その節を抜き,5個の指孔を設け,歌口に水 ている。
牛の角などで作ったエッジをはめ込んだだけの構造上最 周期推定は,色々な波形をもちいて確定後,パワース も単純な楽器の1種である。しかし,その表現力の幅は,ペクトル解析を行なった。音律は, 尺八の音色の良否 極めて広く,洋楽におけるバイオリンに匹敵すると考え が端的に表われる 一定音における,熟練者と,初級者
られている。 の判別のために演奏者が考えている筒音(ロ)に絞った。
その尺八の性質として以下のことがあげられる。 その後,また電子キーボードを用いて,ある楽曲(君が (1)訓練を積まないと音さえもでない。 代)に付いて熟練者,初級者,電子キーボードのそれぞ (2)同一の尺八でも演奏者によって音色が異なる。 れの波形及び,倍音構造などを用い解析及び,音色の解 (3)体調,環境,時間などの間接的な原因によって同 析を行なった。
一人物,同じ尺八でも音色が異なる。 3.2 実験結果
(4)どの音がよい音かわからない。 尺八において初心者と熟練者との差異をみるために,
以上の点と一般に音の良し悪しは主観的なものであるの 口音の波形とその倍音構造(スペクトル分析)を図一5 で音の優劣を判定することは困難であるが,熟練者,初 に示す。図一5(a)は,初心者のもので正弦波に近い波形 級者の2つのグループにわけて,同一の尺八で吹いた音 を示し,同図(b)は,複雑な波形を指している。同じ楽器 を主にそれぞれの音の倍音構造に着目し,音色を解析し の同じ音律にもかかわらず,これだけの異なった性質持 た。 つことがわかる。
3.実験結果 3.1実験方法
図一4に,スペクトル解析に用いたシステムの構成を
示す。
演奏 波形 波形
(db) (db)
051015200 5101520
倍音 倍音
A/D変換ボード 倍音構造 倍音構造
00
↓
戟@ l l l
: 堰@ ε
1 1 o l i 8
5 i ,
@ l i
(a)初級者 (b)熟練者
図一5 初級者と熟練者の波形と倍音構造 図一4 システムの構成
これから次のことが分かる。
0(db)
(1)波形が熟練者の方が複雑である。
−10 (db
(2)熟練者の方が高倍音がでている。
(3)熟練者の奇数次倍音が非常に大きい。 −20(db
(4)熟練者のスペクトルより,2に対する3,4に対 .30(db する5の倍音が大きい。
−40(db)
以上の4点が熟練者と初級者のそれぞれの音を解析した 図_8 熟練者の演奏中のスペクトル 結果得られた双方の違いである。
次に,ある楽曲(君が代)を熟練者及び,初級者が演 歌 奏し,その音と電子キーボードで演奏したときの音につ 律 いて解析を行なった。
図一6から図一11までは「君が代」を演奏中の音色の 。 解析結果を示したものである。スペクトルによる倍音構 、 造,演奏中の倍音構造の時間的変化をそれぞれの3者の , 場合について示したものである。倍音構造の時間的変化 の図において四角形の面積がその倍音の強さを示し,音 1°
率は尺八の八寸管におけるものの周波数にもとづき,前 ほ 忽 述の周期決定法によって求めたものである。 ル
頂 }ォ み 一 が 一 よ 一 は
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0(db)
一10(db)
一20(db)
一30(db)
一40(db)
図一9 熟練者の音律及び倍音構造の流れ
0(db)
一10(db 一20(db
一30(db
図一6 初級者の演奏中のスペクトル ー40(db)
図一10電子キーボードのスペクトル
歌 き一 み一 が 歌
音レレレレレレノノノノノノノレレレウウウウ 音
律 律
メメメ メ ウ メメ メ
倍拍■■■■■ 臼■■書■■1■目 ↑
。一早。書書φ{吾■書■■口1書■■也■■■一 、
。一■{■書■■■畳■唱{書o書■一書書書書←一 、
4}よ一←サー〔・→+←一φ 叶 一〔 °一ふ一 →中 4
5●・●書一◆一●一膓一↓・一一一δ一・一一●+一◆一+一略一㎝ 5 6…・一昏停一一一,一ザー→一・卜略一 一・一←一‥ト}+ 一パ→ ◆− 6 7−÷一卑●4−;一→一●中→一→一→一・一白一ザ●一■畳一砲唱一● 7 8−∋一昏書一昏一つ→一一+一←一や一→一一◆一●唱一→一●… 8 9 ▼一書一命一草…一也→一←一◆一→一つ一}→一一◆一・一●4− ⑳ 910 __◆ ●一◆一セ ◆一一一一 ◆一◎一一一一一一→一一也巾 一一一 一舎 耐 10
き 一 み 一 が 一
ウレレレレレレレレレノノノノノノノノレレ
メ メ メ
■■■■■■■■■■■■■■■■■■書■
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一一←一一一・→・.一¶一…一一ヰー?ィ 守一唱 せ丁一 〜一←. 7
_→_→一や一←−1−←→〜・一ロー→一+「→一寸一一・一〔−」一
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工㊥一→→一 ・一一一←一一 〉一・←一い一→−4−→}→ 一中一←→一中一や一一
一一一一@一一一一一一 一一一 r→−o−一 ^ 一一一一 一「4 ←一一一一
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_●一_←_s____一一吟一一〜 @一 吟一一●一 一白一一一一一〔 一一一一一㎞一 一一@ふ∴一一一∵一一白…も一一→一ニ… 一÷…
図一7 初級者の音律及び倍音構造の流れ 図一11 電子キーボードの音律及び倍音構造の流れ
18 古谷忠義・添田 満・道家久人 3.3 検 討
4.結 論 音の優劣の判定については,数多くの研究があり,多
くの倍音を含む方がよい音とされており,尺八の音につ 本論文で示した実験例より,楽音(音色)は,1つ1 いては同じエアリード楽器であるフルートと同様に奇数 つがそれぞれの性質を持った幾つかの倍音で構成されて 次の倍音が偶数次と比較して,優勢な構造をとっている いることが確かめられた。また楽器を尺八に限ってみて 音が よい音 として望ましいといわれている。 みるとその倍音構造は,よい音については,5次以上の 次に,熟練者,初心者,電子キーボードにおける楽曲 高倍音がでており,奇数次倍音が偶数次倍音に比べ優勢 演奏については,まず初心者の波形は,他の2つに対し であることが示された。倍音構造が解析されたことによ 滑らかさがなく,周期雑音的な形をしている。倍音構造 り,尺八における熟練者の音色と初心者の音色を判別す
よりも明らかにそのことが表われている。(10次以上の ることが可能となった。
高倍音のパワーが大きい。)電子キーボードにおいては, なお本研究は文部省科学研究費一般研究(C)「邦楽 倍音が適度に調節されており,構造的にも悪くはないの 教育の音声信号処理面からの支援に関する研究」によっ であるが,聞いた感じでは,8次以上の倍音が含まれて て行なわれていることを付記する。
いるにもかかわらず柔らかすぎる音が感じられた。これ 最後に文部省科学研究費一般(C)の補助を受けたこ より倍音自体はでているのだが,それがまだうまく生か とに対して謝意を表すとともに,尺八の演奏に御協力い されていないと思われる。熟練者でも一定音律の判別時 ただいた九州工業大学勤務の安松光雄様に深く感謝いた の良い倍音構造から見れば,電子キーボードの倍音構造 します。
の方が良いと考えられる。しかし楽曲における場合,一
定音律の場合のよい音色がかならずしもよいとは限らな 参 考 文 献 いということが言える。
1)安藤由典:楽器の音色を探る,中公新書,中央公論社 2)橋本 尚:楽器の科学,ブルーバックス,講談社 3)雨宮好文,他:信号処理入門,オーム社 4)今井 聖:ディジタル信号処理,秋葉出版
5)山口,安藤:ディジタル信号処理による自然楽器音の分析,
日本音響学会誌,33巻5号(1977)
6)安藤 由典:尺八の楽器としての音響的諸問題と管内形状 の設計,日本音響学会建築音響研究会(1989)