• 検索結果がありません。

佐藤 恵 一

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "佐藤 恵 一"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

41

1870年代アメリカにおける通貨論争(上)

一党換再開問題をめぐって一

佐藤 恵 一

〔B問題の所在      第1に,この問題は,南北戦争後,1870年代中

〔1〕南北戦争直後の通貨問題と政策対抗     葉に至るまでの, アメリカ史上では 『再建期』

(1)マカロックによる収縮政策の遂行     (Reconstruction period)と呼ばれる時期におけ

  (2)ボートウェルによる政策基調の転換    る通貨論争の主要な論争点をなし,またそれ以後,       {31〔皿〕 『党換再開法』の成立とその背景      世紀末まで展開される本位制をめぐる論争の前史

(1)『党換再開法』(第1次案)の不調     をなしているからである。従って,この問題は内      (4)(2)『党換再開法』(第2次案)の成立     戦以後の通貨論争の転回点に位置しており,これ

〔1V〕 『党換再開法』の規定内容とその問題点   を画期とする2つの時期の論争の特質を把握する

(D『党換再開法』の規定内容       ための重要な手懸りを与えるはずのものである。

(2)『党換再開法』に内在する問題点     第2に,党換再開を可能にするために選択された

〔以上本号掲載〕  政策手段の検討は,当該期アメリカ金本位制の機

〔V〕シャーマンによる党換再開準備政策の展開  構を解明し,その特質を把握するための視点と方

〔班〕結語と展望      法を示唆するはずである。すなわち,党換準備金 はいかにして調達されたのか,またそれはいかに

      して維持されえたのか,等々の問題は,アメリカ〔1〕問題の所在      における中央銀行の欠如,巨額な資本輸入国とい

南北戦争(1861−65年)の終結直後からの,わ  う歴史的条件のなかで,比較史的観点からも多く けても19世紀第四・四半期におけるアメリカの主  の関心を引きつけるものとなろう。

      {5}

v経済政策論争史が,関税政策と通貨政策をめぐ   ところで,本稿の課題と直i接かかわる限りにお って展開されたと措定することについては,ほぼ  いて,研究史に一瞥を与えてお・くことが便宜であ

異論のないところであろう。このうち,通貨政策  ろう。まず,アメリカにおける研究では,バレッ      111論争に関しては,私もこれまでに若干の検討を試  ト (BarretちD. C.)の, Tゐe O7eeπδα魔5

みてきたが,対象領域をこの部分に限ってみても, αη4Re鍬卯痂ηo/SpεcεePαッ魏e犯ε5, 1862 その重要性にも拘らず,今なお分析の機会を得ら  一1879,1931.を無視することはできない。本稿

れないままに残されている問題が少くない。    においても,われわれは,パレットの成果を批判       可2}

@本稿では,かかる問題のなかから,1875年制定  的に摂取するっもりである。しかるに,第2次大 の『党換再開法』(the Resumption Act)をめぐ  戦後の研究には,パレットの水準に到達している る政策抗争および同法の規定によって実際に党換  ものが乏しいとの印象を拭い去ることができない。

が再開される1879年1月1日までの,党換再開の  とくにパレットが独立の1章を与えて検討してい ための準備過程の検討を課題として取上げたい。  る当該期の英=米金融関係は,われわれの分析

その際,われわれは,この党換再開問題を,と  にとっても今なお有益であるが,その後の,例え りあえず,以下の2点において注目しておきたい。 ばニュージェント(Nugent, W.T.K.)らの研究は,

(2)

新たに発掘された史料や新しい分析方法を用いつ  (2)  拙稿「1870年代アメリカにおける銀問題一 っも,上述の如き分析視角は,欠落ないしは希薄    一『銀問題調査委員会報告書』の意義と限界一」

       『茨城大学人文学部紀要』(社会科学),第6号,化しているようにおもわれる。

っぎに,わが国の研究に浮L・ては,政治史から    1973;同「19世紀末葉アメリカにおける本位制 の接近ではあるが山本幹雄氏のrアメリカ帝国    論争の一帰結一1878年ブランド=アリスン法の成

      立をめぐって一」『茨城大学政経学会雑誌』第30主義の形成』(1977年)が,有益な視点を提示して

      号,1973;同「アメリカ金本位制確立過程の特いる。とくに本書の第3章は,党換再開準備のた

      質一1890年代にお・ける政策抗争とその帰結一」めの政策遂行者であったシャーマン(Sherman,      『西洋史研究』新輯第8号,1979;同「19世紀

i.)の分析に充てられており,われわれの研究と      末アメリカにおける本位制問題一銀立法の展

の照合・検証の作業が可能となろ鰯      開と本位制の動揺_」鈴木圭介編rアメリカ独 なお・ここで本稿において主に依拠する2つの    占資本主義一形成期の基礎構造一』(弘文堂,

史料について簡単に言及しておく必要があろう。    1980)所収,参照。本稿は,これらの欠落部分 第1のものは,第46議会第2会期の下院文書であ    を補お・うとするものである。

り,このなかには,党換再開の準備過程に関する  (3)  マイヤーズは言う,「(南北戦争の)戦後の最 史料が多数収録されている。とくに興味深いのは,   初の10年間は,不況のときにも好景気のときに 財務長官シャ』マンが党換準備金確保のために,    も,あらゆる経済生活お・よび政界に影をお・とし その代理人としてロンドンに駐在させたコナント    ていた問題は,正貨支払再開のそれであった」

(Conant, C.F.)との間に交わした文書類(書簡,    と。Myers, M・G・,A IF∫ηαπcゴα 伍討・r写

電報等)である。また,第2のものは,当該期の    o∫置ゐeση晩4Sε圃es,1970,μ175.

政策担当者でボらたシャーマンのr回想録』,Rε一    吹春寛一訳『アメリカ金融史』・1979・212頁。

co〃ec蜘πo∫For妙 yFeα7s加彦ゐe H側se,  (4) 前掲拙稿「19世紀末アメリカにお・ける本位制問

Seπα陀απd Cα6∫ηeち1895,7epγ∫撹ed 1968.で    題」・160頁参照・

       (5)  吉岡昭彦「国際金本位制の成立に関する覚書」,ある。われわれは,これによって,彼の通貨問題

に茄る基本認識とその行動過程を矢。ることがで  岡田与好 広中灘樋゜陽一編『社会科学と

      諸思想の展開一世良教授還暦記念一下』,創文き,もってその財政政策の歴史的背景を把握する

スめの有益な素材が与えられること噸8 (6陛ユ耽弊』議論とその史学史的背景

(注)       については,差当り,本田創造「アメリカ合衆

国の発展」,岩波講座『世界歴史』20.1971,479

(1)  当面の時期の関税政策史に関しては,Terr−     −82頁,大塚秀之「『第2次アメリカ革命』批判

ill,T.E.,The Tα7ガAPo1観cε,伽d A7ηe7εcαη    論の一考察」.神戸外国語大学外国学研究所『研 Foγεゴ8πPo1ε卿,1874−1901,1973.が,また通     究年報』㎜,1970・参照。

貨論争史に関しては,SharkeめR. P.,〃oηe〃,  (7)  山本氏は,シャーマンについての分析視角を・

C1α∬,απdPα吻:!1ηEcoπo伽cS施のoブ    (1》共和党という南北戦争遂行集団のなかの新急 C溺JWα7α裾Recoπ5置γ麗置∫偽1959;Unger,    進派として登場し,戦後は,同派のなかでコン

1.,TんeGγeθπ6αcゐE7α:A Socgα απdPo1 一     クリング,モートン,プラット,ローガンらの

置∫cα 伍5〜o卿o∫Ameγ∫cαηIF∫παηce,1865一    いわゆる「生粋の党人」派に対抗してブレーン

1879,1964;Nugent, W.T.K., Moη卿α裾んηe一    らと「雑種」派集団を形成・(2)80年代はじめの

r∫c伽80c∫吻,1865−188α196&Weinstein,A.,    「生粋の党人」派の瓦解による 「雑種」ヘゲモ

Pγe1掘doPOP%傭催0惚伽oノ診ゐe S e7     ニー集団への上昇を契機として・金融勢力との 155%ε,1865−187&1970.などがある。        結託を背景とする財政政策の展開を基軸に・最

(3)

佐 藤:1870年代アメリカにおける通貨論争(上)       43

終的な権力掌握をめざして,ブレーンらとも競  第1図においても確認されるところである。しか 争しつつ,(3)その過程でヤンキー「通商帝国」  し,この不換紙幣の処理をめぐっては,戦後直ち への指向を明確にしていく,と設定され,シャ  に,通貨膨張論者と通貨収縮論者との間で,政策 一マンとその一派が「南北戦争・再建期」と「帝  論争が引き起され,その後この対抗は約四半世紀 国主義」との架橋集団の役割を担うと措定され  以上もの間続けられることになった。

       【4}

トいる。前掲書」34頁。      ところで,このグリーンバックスは,1862年2月

(8)  すなわち・Spede Re5%即蜘ηαπd Re加η一  25日,合衆国の信用に基づく証券,1億5,000万 伽90μ舵N画0ηα1Deゐ置であり・それは・   ドルの発行を認め,それを法貨とする法案が成立

VoL XV11 Na 9 H°use Executive Documellts

@ することによって,出現した。すなわち『第1次

for the 2nd Session of the 46th Congress.

@      法貨法』(The First LegaレTender Act)である。

としてまとめられているものである・以下・引続いて数次にわたる追加発行腫ねられて,1

  SpedεRe甜卯痂πと略記する。      局,4億5,000万ドルまでの『合衆国紙幣』の発(9>  この『回想録』は,若干の注意を払えば,「現      行が認められることとなった。これは,関税およ  在でもなおある程度の利用価値をもっている」

       び公債利子を除くすべての公私の債務の支払に充とワインシュタインは評価している。山本,前

       てることができる法貨であった。「グリーンバック掲書,132頁。以下,Rεco〃edゴoπsと略記する。

彼にはこのほかに,SeJeded Speecゐesα記   ス」という通称は・この紙幣の裏面が緑色のイン Reρ副εoπFεπαπce伽dTακα置 o篤!γo勉185g  クで印刷されていたことに由来してい登8 置0187&1879.がある。       内戦の終結によって,緊急の政策課題となった

(1ω  例えば山本氏は,シャーマンの究極的な狙い  のは,1865年8月には28億ドルにのぼっていた債 は,(1)26億ドルをこえる多種類の戦債を統一的  務の返済計画と党換規定をもたないグリーンバッ

な新公債に借りかえ,それを戦後経済の柱とし  クスの処理であった。同年3月に財務長官に就任      σ1て定着させたうえで,(2)緑背紙幣お・よび雑貨幣  したばかりのマカロック(McCullock, H.)は,直

の党換の開始,見換の本体を金と指定するこ  ちにかかる困難な政策課題の処理を委ねられる立 とによる国家信用の増大を媒介として・(3撮終  場に置かれた。彼は,まず,グリーンバックスの 的には通貨の「収縮なき金本位制」を実現する  正貨による党換を速やかに実施すること,またそ

ことにあったとされる。前掲書・138頁。    の発行根拠法であるr法貨法』(Legal Tender Acts)を撤廃することを基本方針として,その実 現に向けての具体的措置として,1865年末には,

〔1〕南北戦争直後の通貨問題と政策対  国庫剰余金によってその回収を開始したのである。

抗      このようなマカロックの早期回収策は,もとよげ 議会の支持するところでもあり,下院は同年12月

(1)マカロックによる収縮政策の遂行       18日のアレイ決議(Atley resolution)を144対 南北戦争は,1865年4月に北部の勝利をもって  6の圧倒的多数で可決し,かかる施策に支持を与

終結したが.この内戦はアメリカ経済史,とりわ  えていたのである。しかし,これが収縮政策に対      {91

ッ財政・金融史に強大な変革の刻印を遺した。戦  する支持の絶頂期であった。議会は翌66年4月に

覧1〕       αα

費を調達するために1861年には保護関税が大巾に  なると『収縮法』(Coπ♂ゲαc εoπ孟d,別称Loαπ 引上げられ,1863年には新たに国法銀行制度が創  Ad)を成立させて,グリーンバックス回収に関 設された。このほか,1862年には戦時緊急通貨と  する財務長官の権限を,同法成立後の6ケ月間は,

してのド合衆国紙幣」(グリーンバックス)が発行  1,000万ドルに制限し,それ以降は,月に400万

(4)

グリーンバックスの回収に関しての自由裁量を期   かかる状況の変化は,グリーンバックスの収縮 待していたマカロックの収縮収策の遂行を著しく  政策に対する議会の対応に一層の転換をもたらす 制約することになった。これに加えて,彼にとっ  ことになった。1868年2月4日の法律は,前述の       118

ト不運であったことは,その通貨収縮策が66年5  66年法(『収縮法』又は『公債法』)において財務長 月のオーヴァレンド・ガーニィ社 (Overend   官に付与されていたグリーンバックスの回収権限 Gurney&Co.)の倒産の時期に当っていたこと  を停止し,以後の回収を一切禁止するものであっ である。このパニックの影響がアメリカに波及す  た。ここに至って,潮流は大きく転回することに

るという経済状況のもとでは,実業界をはじめ,  なった。

農業利害や行政府内部からの収縮反対論の高揚に

直面することとなり,マカロックは毎月400万ド       (注)

ルと規定された回収さえも差控えねばならなかっ

      (1)  南北戦争の経済的諸結果については,鈴木圭た。とは言え,彼の収縮策の遂行によって,66年       介編『アメリカ経済史』,373−90頁,フォーク10月までに,グリーンバックスの発行残高は,3億       ナー著・小原敬士訳『アメリカ経済史』下,6549,900万ドルにまで減少し,さらに68年2月には       頁,参照。

3億5・60°万ドルになってい触      F。。kne馬H.U,肋。伽。 E,。。。傭胸。,鮎 ところで,かかる回収反対勢力は,その主要な    8th editi叫1g60, p.508.

構成部分をつぎの3方面から供給されていたとさ  (2)  アメリカの銀行制度については,奥田勲r米 れている・その第1は・戦後反動による物価下落    国銀行制度発達史』,最近のものでは高山洋_

に直面し・その多くは債務者的地位に転落した西     rドルと連邦準備制度』,国法銀行の意義に 部農民から形成されており,彼らはかかる苦境か    ついては,楠井敏朗「アメリカ独占資本形成期

ら脱却するためにも流通手段を増加させ,農産物    の金融構造」(上),rエコノミア』N軌64.14−31 価格を上昇させることによって,債務の実質的負     頁参照。

担を軽減する効果を期待していた。第2は,賃銀  (3) Mitchell, W・C・, A H競oγ90μんe Geeη一       〔131労働者階級から形成されていた。彼らは,1866年    ゐαcん5・Pμ44−81・

恐慌に伴う大量の失業の発生という事態のなかで, (4) フォークナーは言う・「南北戦争財政の遺産の 1868年には「全米労働組合」(National Labor    ひとつは・債務者グループ,とくに農民によっ Union)を結成し,いわゆる「真のアメリカ的金    てたたかわれた・通貨縮小を阻止・物価を南北 融制度」(the True American System of Fina.   戦争当時・つまり自分たちが多額の債務を負っ nce)の創出を提唱し,通貨は政府によってのみ発    たときの水準に維持するための30年戦争であっ

       た」,と。Faulkner, op.飢.,p.513;前掲訳書,行され,しかも低利の国債で償還されうるグリー

       下.671頁 参照。ンバックスのみが発行さるべきであると主張して

によって最も典型的に表明されていた・その主張 (7)Myers,。圃。μ176、前掲訳書,212−13頁,

は・豊富な貨幣供給・高率関税・全生産階級の団    参照。

結を三大支柱としており,その政策論は政治の舞  (8) Hepbu鵬A. B.,溺1魏o瑠oブC麗γγeπcg fη痂e

台では「銑鉄のケリー」(Kelley, W.D. Xスチー    こ1η漉d S姻e5,1903(reprinted lg67),μ207.

ヴンス(Stevens・T・)・グリスワルド(Griswold, (9) Unger, oρ. c肱P.41;Sharke憐oP. c甜. P.66.

J・A.),モレル(Morrell, D.J.)などによって論  (1① Barrett, oμc 2., P.163.

じられていたのである。       (11) Dunbar, C. F., Lαws oμ舵Uη甜e48観e5         u田

(5)

佐 藤:1870年代アメリカにおける通貨論争(上)       45

γeJα伽g C駕77εηc翌,F珈伽ceα記B伽短伽8,    かくして,ボートウェルは,次のような巧妙な Fr伽1789加1896・1891(reprinted 1969),PP・ 論理を仕立てて,グリーンバックスの 「予備」

199−200・      (reserve)なるものを発行する行動に出た。すな

(12) Studenski・P・and K「°°ss・H・E・F伽犯c∫α    わち,グリーンバックスの発行限度額は,64年6

伍ε °γツo∫伽σ競e4 S置α彦e5・1952・P・172;  月30日の法律によって4億ドルと規定されており,

Unge「・°πc∫ちP°42°       さらに68年2月4日の法律により,この時点以降

{13》 Sha「keめ叩dちPμ135 40 ;Unge「 °P°   の発行残高は,3億5,600万ドルに固定されてい

c甜.,pp.195−212.

@       るので,財務長官はその差額である4,400万ドル

(14> Bimba, A., Tゐe H競o瑠0/壼ゐeんηe7 cαπ      の「予備」を発行する権限を留保しているとの主 WPo7ゐ π8 C1α88, 1927. (reprinted 1968),pp.       張であった。この論拠により,彼は69年に150万   145−151.; Sharkey, op. c詑., pp.183−199.      14,

@       ドル,その後72年には463.3万ドルを増発し,(15) 乃d.,pp.165−66.;Kelley, W. D., Speecゐe5,

      こに前任者マカロックの収縮政策は完全に放棄さAdfe55e5αηdL副eγsoη1弛伽5置γα1απdF

      れてしまうのである。ηαπdαQ鋤es師oηs,1872. (reprinted 1969),pp.       ,5,

210.38.       その後も議会内における通貨膨張論者の一層の

(16) Dunbar,。μd彦., Pμ201.本法は大統領署名な  勢力伸張を反映して・下院では・1870年2月14日

しに成立したものである。       第1図

各種通貨の流通高 億17

む16

(2)ボートウェルによる政策基調の転換

@      151868年11月の大統領選挙にお・ける共和党のグラ ント(Grant, U.S.)の勝利は,南北戦争後の通貨   14 論争に新たな段階を画するものとなった。すなわ  13

       11}

ソ,この年の民主党の選挙綱領には,南北戦争時   12

金貨・金証券

の国債の利子と元本をグリーンバックスによって       11

償還することを内容とした 「オハイオ案」(Ohio

@      10Idea),又は「ペンドルトン・プラン」(Pendleton Plan)が盛込まれていた。しかし,通貨膨張論者 9

      121

ヘ,上記の選挙では敗北したことにより,その要   8

求達成のためには,従来のようなグリーンバック   7

国法銀行券

スの収縮を阻止するだけでは不十分である,と認       6 銀ド レ・銀証券

識しはじめ,むしろその発行額を増加させようと

       5

キる積極策に転換したのである。このような状況 グリーンバックス のなかで,69年3月に発足したグラント政権の財 4

@      3

、_ ,顧♂《

鴨 唱 ,、 、、、 舳  一 鴨嚇 ● 一 一

務長官に就任したボートウェル(Boutwel1, G.S.)

捕助・小額

は,国債の鋳貨による償還の方針を確認したもの   2 f 一硬貨

1 ,. 一

の,免換再開問題の解決には,きわめて冷淡であ   1   剛

り,前任者の政策を中断し,むしろグリーンバッ       0

、亀,一一 一  一  9 一一  一

■9」 @、

鴨  亀  鴨 一  一

一  一  隔 ,一一ノ

クスの増発の方策を探求していたのである。ここ 186018651870187518801885189018951900190519101915       13}

ノ至って,党換再開問題は党派的対抗関係を超え      〔出典〕 Robertson, R.M., H説o瑠oノんηε7∫cαπ

て,交錯した構図をとりはじめたのである。       Ecoπo鰐,1955. p.421.

(6)

に,産業界は流通通貨量の増加を必要としている  おいて,1つの決議が財政委員会から報告された・       ・3レ

との決議が可決され,5,000万ドル以上の通貨増発

を規定した法案を通過させたが,これは上院にお    「決議。1869年3月18日に承認された『公信 いて否決される結果となり,一頓座はきたしたも   用を強化するための法律』(『公債強化法』一 のの,かかる増発要求は,同年7月12日の法律に    筆者注)において誓約された以下のことがら よって,国法銀行券の発行限度額を5,400万ドル    を実践するための明確な方策を採択すること だけ引上げて,3億5,400万ドルにする形式をも    は,現会期中の議会の義務とされる。すなわ って実現されたのである。ここで,グリーンバッ    ち,その誓約とは,合衆国は,合衆国紙幣の クスと国法銀行券の絡ず合いの様相が示されてく    鋳貨による償還のために,可能な限り速やか るのである。両者の流通高の推移については第1   に立法を行うことである。かくして,財政委 図において確認されるが,もともと国法銀行券は,   員会は上院に対してかかる誓約を実現するこ

日用通貨(Hand−to−hand Currency)として紙幣    とのみならず,常に金或いはそれと同等物と の主要部分を占めるべきものと期待されていたの    交換することができ,かつ商工業の(貨幣的)

であるが,国債担保発行という制約のため,急激    需要に対応しうる普遍的価値を有する通貨を な膨張ば7なしえず,やがて,78年5月31日の法律    準備するよう勧告する」(注)( )内の注記は で,銀行券によるグリーンバックスの代位は禁止    引用者による。

されるという事情にあった。

【81@      ところで,この財政委員会決議を支持して74年

      (注)       1月16日に行われたシャーマン演説は,当面する       {41(1》 Unge馬oπc∫♂..,μ163.       党換再開問題に対する彼の姿勢を示すものとして

(2) 1堀・,pp・43・;Sharkey,op. c甜., pp・97−101・   注目される。その要旨は,以下の如きものであっ

(3} Barrett・・P・c∫2・・P・172.         た。①「正貨本位制」(a specie standard)こそが

(4) HePbu「n, oP. c菰, P・216・      現代のすべての文明国家によって承認されている

(5) Dewey・D・R・・F珈側α 伍伽瑠゜μゐeひ協ed 最良で唯一の価値尺度である。②われわれは,金 S観ε5・1903(「eP「inted 1968)・P 360      をすべての財産,すべての生産物,すべての信用,

(6) Dunba「 oP°c琵 PP°202 05         すべての交換手段,すべての紙幣の価値がはから

(7) 奥田・前掲書・176頁・参照。         れる唯一にして真の価値尺度,世界の真の貨幣と

(8) D・・ba…μd君・・μ217・国法銀行券の性格につ  みなすことができる。かくして③価値低落を引起 いては・吹春寛一「国法銀行と銀行券発行」・   している通貨の(存在する)必要性は消滅するか

『八轍学論集・・14巻1号淘よび高山洋一 @ら,われわれ鞍全確実.容易1・正貨本位制に『ドルと連邦準備制度』(新評社,1982),第2章,       引戻すためには,旧来の政策に復帰しなければな

参照。      らない。④すべての公債は,その利子を鋳貨で支

払われ,元本は(所定の)期日に鋳貨で支払われ

〔㎜〕『党換再開法』の成立とその背景   るという神聖な誓約に基づいてのみ発行されたも

(1) 『党換再開法』(第1次案)の不調      のである,と。

1873年恐慌がきわめて深刻なものであったため,  このような認識のもとで,シャーマンは上院財      11

ッ年12月に議会が開会されるや,通貨,国債,  政委員長として党換再開のための政策の推進にあ 国法銀行に関する60以上の法案,決議,動議が持  たり,74年3月23日には,財政委員会原案として・

込まれ,それらは対象となる課題の性格上,上院   『合衆国紙幣の償還と再発行および自由銀行制度

では財政委員会に付託された。このような状況に  を準備するための法案』(五ゐご〃加pγ0磁e∫0γ      121

(7)

佐 藤:1870年代アメリカにおける通貨論争(上)      47

置漉7ede㎜傾oηαπdγeε55麗oμんeση漉d   っと貨幣を」という政策要求を強めていた当時の S観esηo置e5απd∫oγ方eeゐαη短η8)を報告し  経済状況を考慮に入れることによって,はじめて た。その内容は,①合衆国紙幣の最高限度を3億  理解できるものであろう。

8,200万ドルとする,②かかる合衆国紙幣を,18      (注)

76年1月1日以降,財務長官の選択に従・,鋳貨

      (1) 1873年恐慌については,差当り,Fels, R.,或いは5%利付国債によって段階的に償還する,

      ノ17ηeγ記αη B駕sゴηe5s C写ce8, 1865−1897, 1959.,というものであった。

しかし,前章で蕨如き購再開問題に対する  ・μ8」11a

      (2)  Sherman, Reco〃ed∫o犯8,1, p,490;基調が転換しつつある状況に加えて,73年恐慌の      (3) 乃鼠,P.490.

影響を受けて高揚している「もっと貨幣を」とい      (4)  16∫{義,pp.491−95.

う要求のなかで,かかる党換再開法案が容易に前      (5) 乃鼠,P.495.

進するはずはなかった㌔上院での審議過程におい  (6) Unge馬o臥d彦.μ233

て,いくつかの修正を受けることになるが,その  (7) Sherma隅Reco〃ecε,oπ5,1.pp.504−05.

主要な点は,①4,600万ドルの国法銀行券の増発  (8}乃鼠,μ505.Barrett,。臥c髭.,μ178.

②グリーンバックスを1,800万ドル増発して・そ (9}Myers,。勉c ε., P.192.;前掲訳書,230頁,参照。

の発行残高を4億ドルに引上げる,③地方銀行が (10)Unger,岨c詑. p.241.

ニュー・ヨークの諸銀行に預託して保有すべき準

備金額を制限し,自行の準備金に%を保有すべき  (2) 『党換再開法』(第2次案)の成立

ものとする,等であった。さらに,法案名も『合   前項でみたように『党換再開法』(第1次案)1よ 衆国紙幣の総額および国法銀行券の流通高を確定  本来の正貨支払条項を欠落させられ全く原型を留 するための法案』(A占濯め加診んeα観傭犯置げ  めない程に修正され,名称までも変更されて,か Uη漉dS観esπ0診e5απ♂君んec∫γC麗1α♂加0∫  らくも両院を通過したのであったが,大統領拒否 ηα蜘ηα16伽鱈,απdプ0γ0孟ゐeゲP解PO8e5)と変  権の発動によって葬り去られてしまった。しかしな

17鳶       (1、

更されて,4月6日に,上院を29対24の僅少差を  がら,この法案の敗北の2ケ月後には,下院で,

もって通過し,4月14日には下院を140対102の表  国法銀行券発行総額に対する制限の撤廃をもりこ 決をもって通過した。       んだ「自由銀行法案」(abill providing for free         18レ

@この法案に対して,健全通貨論者および党換再  banking)が準備されていた。しかし,これは上院      12}

J論者は,「危険なインフレーションの開始」と認  で否決されたため,妥協案の作成が試みられ,① 識して,抵抗を試みたのであるが,議会内にお』け  グリーンバックスの発行限度を3億8,200万ドル

  (9,

髑j止が不成功に終ったため,議会外から大統領  に引上げる,②国法銀行券の地域的配分額を修正 グラントに働きかけを行い,グラントは彼らの意  し,東部から5,500万ドル引揚げて,西部・南部 向を体して,この法案,通称r第1次インフレ法  へ再配分する,③党換業務お・よび免換準備金を財

案』に拒否権を発動したのであった。      務省に集中する,の如き内容をもって,74年6月20       110[

@かくして党換再開を実施するための財政委員会  日に成立した。73年恐慌の責任を問われている共      13,

エ案は,その名称変更を伴う程の修正を受け,内  和党内の混乱のなかで,かかる事態は来たるべき 容も「換骨奪胎」されてしまって,当初の立法目  中間選挙に向けての懐柔策の発動にほかならない

的を喪失し,その上,『インフレ法案』として大統  ものであろう。にも拘らず,これは共和党の大敗       ⊂41

フ拒否権を発動されてしまったのである。    北を防止するものにはなり得なかった。この中間 シャーマンらの政策意図に反して生じた,原案の  選挙において,共和党は,下院における110議席 基本的性格の変化は,やはり73年恐慌による「も  を有する多数党から71議席の少数党へと転落し,

(8)

下院での支配権を失い,上院でも民主党の進出に    法案は再提出されたが,拒否権をくつがえすた

危機感を抱いていた。シャーマンも,この政治状    めに必要な%の得票を得ることはできなかった」         51況の変化をみて,「この政治革命は,疑いもなく73    とされる・Myers.・杁dε., P.192.

年の恐慌に起因するものであった」と述懐してい    前掲訳書,231頁.参照。

る。かくして,シャーマンらの共和党首脳部は,新  (2) Barrett・oμ ちP・179

巳6,

c会が成立する前の,共和党多数支配下にある現  (3) Hepbu職oμdちPμ221−22;Dullbar・oμc ち 議会の残余の会期中に,懸案の見換再開問題に決    P「L210−14

着をつける方針を固めたのである。       ㈲  マイヤーズは言う「この懐柔のそぶりは・

74年12月には,共和党上院幹音『会が開かれ,そ    1874年後半の議会選挙において・共和党候補の

      敗北を救うには十分ではなかった」と。前掲訳こで起草小委員会が指名され,直ちに,『党換再開

      書,231頁。Myers, oρ. c記., p.222.法』(第2次案)の起草作業が開始されたのである。

       ・      〔6} Sherman,、Rεco〃ec諺joηε,1, p.524.その原案は,主にローガン(Logan, J. A)とエド      (7)  Hepburn, oρ. c甜., pp.222−23.

ムンド(Edmund, G. E)によって起草され,とく      (8}  Barrett, op. c記。, p.182 にその根幹的部分とされる第3条は,エドムンド      (9)  Dunbar, op. d銑, pp.214−15.

が残りの第1条と第2条は・ローガンが担当し  (10) 拙稿「19世紀末アメリカにおける本位制問題」,

たとされてい喬訴原案は・12月21日に・財政委員     鈴木圭介編rアメリカ独占資本主義』所収,164 長シャーマンのもとに提出され,翌22日には,上    一65頁。

院で討論に付され,修正されることなく,32対14 で通過した。翌75年1月8日には,下院において,

1日の討論に付されるのみで,136対98で可決さ   〔IV〕『見換再開法』の規定内容とその れ,1月14日には大統領の署名を得るというき     問題点

わめて短期間の成立過程を示している。すでに別      ⊂動

eでも言及している如く,内戦終結以来,10年に  (1) 『尭換再開法』の規定内容

もわたる政策論争の争点をなしていた党換再開問   『党換再開法』は,前章でみたような過程を経 題が,かくも短時日のうちに,「解決」され得た背  て成立したが,同法の基本性格にっいては,当初 景には,上述の如き73年恐慌とその後の政治情勢  より「政治的所産」との評価が定着しており,き が重く作用している事情があるとともに,法案の  わめて不評のものであった。しかも,すでに審議       lP

燉e自体が,当初から成立を容易ならしめるため  過程においてその規定内容自体に関していくつか 妥協的内容をもつものであったという事情の存在  の疑義が発せられており,また成立後においては,

に留意する必要があろう。規定内容に即しての立  その実施過程における脆弱性を危惧されていた。

?チた検討は次章にゆヂちれる。         かくして,同法の規定内容それ自体を検討し,12老 こに内在している問題点を析出することが,ここ

(注)       での課題とされる。

(1)  マイヤーズによれば,「グラント大統領はその   さて・同法は全体で3条から構成されているが 法案に賛成であると,一般には信じられており, そのうち第1条お』よび第2条は,もともと通貨当局

その拒否権発動を勧めていた代表団に対する彼  の実務上の要請を体したものであり,第3条こそ

の無頓着な対応は,その印象を変えるものでは  がその根幹的部分であったとみなされている。そ       〔31なかった。2・3日後,彼が拒否権のメッセー  こでまず,順次,同法の規定内容に検討を加えて

ジとともに,その法案をつき返したとき,それ  みよう。

は,両党派にとって一つの驚きであった。その

(9)

佐 藤:1870年代アメリカにおける通貨論争(上)      49

第1条。 (補助銀貨条項)       第3条。(自由銀行制条項,或いは国法銀行券 財務長官は,可能な限り速やかに標準銀をも         条項)

って,10セント,25セント,および50セントの    ①本法により,国法銀行券の発行総額を制限し 銀貨を,同上の額面の小額紙幣の同一の数量お     ている合衆国修正法令第5117号は廃止される。

よび総額を回収するために,合衆国造幣所で鋳     既存の銀行は上記の総額の制限を顧慮すること 造し,発行する権限を付与され,かっこれを義     なく,現行法に従いその発行額を増加させうる。

務とされる。或いは,財務長官の裁量により,     新規(開業の)銀行は,上記の総額の制限を顧 かかる銀貨を合衆国の造幣所,支国庫,公金預     慮することなく,組織されうる。

託所,郵便局を通じて発行することも可能であ    ②本法により,国法銀行券を回収し,かかる銀 る。かかる発行を引当てに,財務長官は前記の     行券の州および準州の間での再配分を規定した 小額紙幣を,その流通総額が回収されるまで回収     法律は廃止される。

する権限を付与され,かっこれを義務とされる。   ③銀行の資本或いは銀行券を増加させようとす る銀行に対して,3億ドルを超過する分の合衆 国紙幣を回収すること,かかる銀行に対して発 かかる規定自体は,小額紙幣を補助銀貨で代置    行される国法銀行券の総額の80%まで合衆国紙 するものであって,当面の立法者達にとっても,     幣を回収すること,および合衆国紙幣の発行残

さして重大視されたものではない。ただし,この    高が3億ドルとなるまで,かかる合衆国紙幣を 条項の実際上の起草者は誰に求められるべきかに    回収し続けることは,財務長官の義務とされる。

っいては,今なお見解が分かれているが,少くと    ④(党換再開条項)

もこれが西部の産銀諸州の議員によって推進され     1879年1月1日以降,財務長官は合衆国紙幣 たことにっいては疑問の余地がないとされている。    をその償還のためにニュー・ヨーク市に所在す 例えばワインシュタインは,この条項の起草者    る合衆国財務省出納局次長のもとに・50ドルを

は,銀鉱山業利害と深い関係をもっていたローガ    下回らない額において呈示された場合には・そ ンであると指摘している。      れを鋳貨で償還しなければならない。本法によ 引続いて第2条をみてぎ』う。       る償還を準備するために・財務長官は・特段の

規定のない場合,国庫剰余金を使用し,また18

      70年7月14日の『国債を償還するための権限を第2条。  (自由鋳造条項)

      付与する法律』と命名された法律に規定されて合衆国修正法令第3524号において規定されて

       いる種別の国債を,少くとも額面どおりに鋳貨いる標準金地金の鋳貨への党換に対する0.2%

      (払込)で発行し,販売し,整理する。その際の鋳造費はこれをもって廃止される。またこれ

       には,本法を充分な効果をもって運用するため,以降,かかる業務のために,いかなる鋳造費も

       また上記の目的を達成するための方策を活用す課せられない。

るために必要な限り,財務長官は(上記の法律 に規定されているのと)同様の資格,特権およ この条項も・第1条と同じく・もともと財務省    び例外規定を付与され,かかる目的のため(上 の実務担当者によって要請されていたもので・党    記の活動から生ずる)収入を利用することがで 換再開=金本位制復帰にとっては不可欠の前提と    きる。

される「金の自由鋳造」を定めたものである。そ

の限りにおいては,論争の対象とはなり得ないも    本法の諸条項に矛盾するすべての条項はこれに のである。       よって廃止される。

さて,問題の第3条へ進もう。      (注) 上記の訳文は,原文の直訳ではなく,

(10)

便宜上,意訳された部分がある。また,整理番  地域的再配分を廃止し,さらに(3>新規に発行され 号,()の挿入は訳出者によるものとする。   る国法銀行券総額の80%に相当する額のグリーン

バックスの回収を,グリーンバックスの発行残高 第3条は,最も長文でかつ複雑であって,その  が3億ドルに至るまで続け,それ以上のグリーン 規定内容をどのように理解するかについては,論  バックスの回収は行わない,そして最後に,本来 者によって見解の分かれるところである。例えば  ならば最も重視され,具体化さるべき問題となる 財政史家デューイ(Dewey, D. R.)は,同法の内  はずの(4)1879年1月1日から党換を再開すること 容を5項目に集約しており,そのうち,2項目は, およびその実施のための財務長官の権限を規定し

それぞれ第1条および第2条に該当しているので, ていた,と。      σ}

結局彼は第3条の内容を3項目に分類したと判断       (注)

される。すなわち,その3項目は,(1)将来にわた      (1)  Unger, oπc菰, pp.261−62;一部評者は,こ

って検討されるであろう自由銀行制度(ASys一@   れを_種の臨終の臓悔と呼び,他の人々は,そ tem of free banking)・(2)新規に発行される国法    れに政党和解の一つの約束をみた,とされる。

銀行券の総額の80%と同等額のグリーンバックス    いずれにせよ,それは,両党派の過激派から嫌 を回収すること(ただし,グリーンバックスの発    われた中道の法案であった。マイヤーズ,前掲

行残高が3億ドルになるまで),(3)1879年1月1日    訳書,231頁。Myers, oP. c髭., PP.192−93.

からの尭換再開とその政策目標を達成するための  (2) Unger, op. dε., p.263.

財務長官の権限,となっている。つまり,彼は第  (3) Sherman, Rec。〃ed・η5,1, pp.511−14.       q5}

R条全体の内容を3項目に,とくに,その前段部  (4) Weinstein,・μc∫診., p.46.

分の規定一われわれが自由銀行制条項,或いは  (5) Dewey,・ρ. c砿, pp.372−73.

国法銀行券条項と表題を付した部分一を2項目  (6) Barrett,・μc砿Pμ185−86・

に集約して把握していると考えられる。     (7) この法案の賛成者ですら・グリーンバックス 他方,パレットは,同法の全規定内容を同じく    の積極的収縮なしに・党換再開は不可能である 5項目に分類しているが仔細に検討してみると,   と信じていた。マイヤーズ・前掲訳書・232頁。

第3条に関しては,やはり3項目に分類している    Mye「s oP°d置 P°193

ものの,デューイが独立の1項目として取上げた

自由銀行制度については,これを独立の項目から  (2)  『見換再開法』に内在する問題点

外して,他方デューイが同一の項目の中に組込ん   以上の検討により,『党換再開法』の根幹的部分1よ でいた党換再開時期の規定とその政策目標を達成  第3条において担われており,従って種々の問題 するために財務長官に付与される権限の規定とを  点もこの部分に凝集されていることを確認しえた。

それぞれ独立させて別個に列挙している。両者の間  かくして,ここでは,第3条を立入って検討する       く6)

に存在している項目列挙の相違は,同法のどの規  ことになるが,それに先立ってその他の諸条項,

定に力点を置いて内容把握をしているのかの相違  とくに第1条について若干の言及が必要である。

を表出するものであり,われわれに重要な示唆を  すでにみた如く,第1条は,補助銀貨条項であっ 与えているようにおもわれる。         たが,その実務的要請に加えて,その政策的意図

かくして,われわれは第3条の内容をつぎのよ  として小額紙幣の回収を通じて免換再開を促進す うに把握しておきたい。第3条は,まず最初に(1) るとの説明がなされたため,この条項が,「銀問題」

国法銀行券発行額に関するあらゆる制限を撤廃し, を国政レベルの政策論争として浮上させる契機を

引続いて(2)1874年6月の法律に基づいて必要とさ  用意することになった。例えば,1876年1月に提       q)れた「愚かで,多分強制力のない」国法銀行券の  出された『パイパー・サージェント法案』(p珈γ

(11)

佐 藤:1870年代アメリカにおける通貨論争(上)      51

Sαγ8eπ坊∫〃)は,5ドルまで法貨認定されていた  (Hamilton, W.)の質問に答えるなかで言う,「も        ● u貿易銀ドル」を20ドルにまで引上げることに加  し国法銀行券を発行するとして,何故にそれと同       ■

ヲて,銀貨鋳造が50セントまでとされていたのを, 額の合衆国紙幣を回収しないのかという質問が出

1ドルにまで拡大することを主内容としていた。  されよう」,「その解答は,(国法)銀行法の規定の      (2)1873年以降の銀価格の低落とともに,一部論者か  なかに求められる」,「国法銀行は,その預金或い

らは銀の貨幣的需要の拡大の要請が強まり,その  は発券のための準備金として,発行した銀行券の 際には必ずこの条項が,かかる政策提案のための  少くとも20%を,自行内に保有しておかねばなら 媒介項として援用されたのである。このように,  ない」,「かくして,国法銀行券総額の80%相当額 r党換再開法』の第1条は後述の第3条の規定と  は,(20%相当額は準備金として保有され流通界に ともに,これまでの通貨論争を本位制論争へと転  は出ないのであるから一引用者),現実に流通し 回させる具体的契機を準備したのである。ここで  ている銀行券総額と等しくなる」,(従って)「この 本題に立戻ろう。      条項は通貨を収縮させるものでも,また膨張させ

 第3条の前段部分,すなわち自由銀行制条項或  るものでもない」と説明しているのである。これ       {5)

「は国法銀行券条項に係る問題としては,差当り  を敷衛すれば,こうなるのではあるまいか。すな 2点を検討してみよう。まず第1の問題点は,何  わち,提案者は,部分的にせよグリーンバックス 故にグリーンバックスの回収が,国法銀行券の発  を回収することによって,幾分でも党換再開の 行額の80%相当額と規定されたかに関するもので  ための負担を軽減したいが,この施策が一方的に ある。すなわち,グリーンバックスの発行残高の  通貨収縮に加担すると受けとられるのは好ましく 上限が3億ドルに設定されていることを前提条件  ないので,均衡をとる必要上,国法銀行券の発行

として踏えれば,当面の時期のグリーンバックス  制限を取除いて,形式可能性として,1億250万 の発行残高は3億8,200万ドルと算定されていた  ドル(8,200万ドル×1。25)の新規発行を用意す

から,その超過分8,200万ドルを回収しつつ,そ  ることにした,と。再び,パレットによれば,「国       〔61の減少分は国法銀行券の増発によって埋合される  法銀行券の発行制限の撤廃は,インフレ論者に呈

という関連となっている。それにしても,グリー  示された懐柔策(amatter of concili甜on)であ ンバックスの回収額が,何故に国法銀行券発行額  り」,いな「党換再開法全体がインフレ論者のプラ

の80%に相当する額としなければならないのか,  ン」ときめつけている見解さえ存在しているのである。       σ〕

全く理解しかねるところである。そこで,これま  念のため,現実の展開過程は,以下の如くであ での研究史の指摘を参照しつつ,検討を続けよう。 った。1875年1月には,国法銀行券の流通高は3 まず,パレットは言う,「党換再開(を促進する方  億5,200万ドル,グリーンバックスのそれは3億 策として)の観点からみれば,グリーンバックス  8,200万ドルであった。1878年4月1日までに,

の回収と国法銀行券の増発との間に,何らの理論  国法銀行券は新規に4,300万ドル発行されたが,

的関連も存在しない」と。また,デューイも,同  他方で既発行の7,400万ドルが回収され,結局      〔3}

lの指摘をしたのち,部分的にせよグリーンバッ  3,100万ドルの減少となった。この間,グリーン クスの回収は,その残余の部分を金価値と等しく  バックスは,3,500万ドル回収されて,この両者

するのに役立っが,回収さるべき額は,国法銀行  による通貨収縮は,6,600万ドルにのぼった。か      {8,

狽フ発券額とは別様の条件によって決定さるべき  かる事態に立至るまでに,収縮政策に対する反撃

であると述べている。それでは,かかる条項の提  が開始されることになる。        {引

ト者は,この点をどのように把握していたのであ  つぎに,前段部分に係る第2の問題点について ろうか。以下,審議過程におけるシャーマンの発  簡単に言及しておこう。ここで検討の対象とされ 言によって確認してみよう。彼は,ハミルトン  るのは,ミγedεe喚の定義に関するものであり,こ

(12)

52       茨城大学政経学会雑誌  第47号

の点についてはすでに審議過程においてシュルツ 留められるものではなかった。即時免換再開のた

(Schurz, C.)およびハミルトンから鋭く質問が めの一方策として,銀貨による「正貨」支払いが なされていたのである。すなわち,シュルツ引よ 提起されるに及んで,党換再開問題は,まさしく

ヤε鹿e喚 「回収」されたグリーンバックスは, 本位制問題へと転回を早めるのである。       〔14,

桝Rのことながら,ミcαπce〃θ広「抹消」されると さらに,後段部分には,見換再開のために財務 いう意味において理解しており・従って・決して  第2図金プレミアムの推移

ヤe∫∬喫モ「再発行」されることはないと考えて 蜘

「という言質を法案起草者から取付けることを執 2・翼,

拗に試みたが,シャーマンらは,明確な解答を示 さず,ただこの規定は,共和党内で対抗している 励 通貨膨張論と通貨収縮論のいずれにも傾斜するも

のではなく,ただ正貨支払への道を準備するため 1〔X}職   1臨    187。    1875  187g の措置であることを強調するのみであった。従って, 〔出典〕Dew鑑D・R・・F磁処cごα H観・糊げεゐe

シュルツらは・もし自己の理解に従え1乳グリー  脇IS鵬19°3(劇謝1968)・

ンバックスはヤe伽e喚の過程において,3億ド

ルの発行残高の限界を下回る事態も生じうると 長官に付与される権限=政策手段にっいても規定 して・現実の展開過程に注目していたのであ免8 されているがこれらはあまりにも一般的であり,

かくして・われわれは・1878年5月31日の法律 このような手段によって,尭換再開が実現しうると によって・(1にれ以上のグリーンバックスの収縮 信じているものは,殆どいなかったとされている。

を禁止し・(2)通常の業務を経て財務省に受入れら しかし,第2図が示しているように,75年以降,

れたグリーンバックスは再発行されるべきこと・ 79年に向って,プレミアムは確実に解消の過程に が決定されるに至る事態を知るのであ奄γθdεε喚 あって,現実にも規定通り尭換再開が実現されて の定義は・事態の進行による実証過程を経てはじ いる点を考えるならば改めてこの規定を検討し めて確定されることになったのである。     なければならない。その課題は次章にゆずられる。

引続き第3条後段部分の「尭換再開条項」に係 る問題点の検討に進もう。ここでの最大の問題は,

「鋳貨」(co勧とは何か,すなわち金貨を指すのか金      (注)

貨のほかに銀貨をも含むのか力蟻論の争点となった。 (1) Wbinstein, o杁c紘pp..52.

つまり,同法の第1条の補助銀貨条項では,小額紙 (2) 乃鼠,pp.62。65,67−68.

幣に代置されるものは銀貨と明記されていたが当面 (3) Barrett, op. c砿,μ188.

の条項では,グリーンバックスを償還するのは, (4) Dewey, o露c砿p・374・

「鋳貨」(co∫η)とのみ表記されていた。しかし,こ (5) She「ma馬Reco θdεo篤五P 515

れはマイヤーズ(Myers, M. G.)の注釈の如く, (6) B・11es・んS・・Tゐe F∫犯απdα H競・矧oμゐe

誰でもそれは金鋳貨を意味するものと理解されて   σ㍊e4 S観es・vol・皿・P・292・

       (7)  Barrett, op. c甜., pp.188−89.いたので,特段の規定をしなかったと考えるほか

あるま魂同じ法律のなかでの表記の不続1よ,(8)鰍μ189・

       (9} 乃泓,μ18Zこの法律がいかにもエドムンドらの合作物で,妥

(1①  Nugent, oπd置.,μ22〔瓦 協の産物であったことの明示的な痕跡であろう。       (ll)  Barrett, op.髭., p.188.

しかしながら,問題はかかる条文表記上の不備に

(13)

53

(1幻  Hepburn, op. cご言., p.233;Dunbar, op. cゴ」., p.

217.

⑬ マイヤーズ,前掲訳書,232頁;Myers, op. dち

Pゼ193;       ,

(1の Weinstein, op. d診., pp.87−88.

〔未完〕,

       、 w       皇

@       9

@       b

参照

関連したドキュメント

分に図れず妥当でないと解する︒また︑様々な問題点を放置

これを逃れ得る者は一人もいない。受容する以 外にないのだが,われわれは皆一様に葛藤と苦 闘を繰り返す。このことについては,キュプ

25 法)によって行わ れる.すなわち,プロスキー変法では,試料を耐熱性 α -アミラーゼ,プロテ

(J ETRO )のデータによると,2017年における日本の中国および米国へのFDI はそれぞれ111億ドルと496億ドルにのぼり 1)

 第一の方法は、不安の原因を特定した上で、それを制御しようとするもので

この調査は、健全な証券投資の促進と証券市場のさらなる発展のため、わが国における個人の証券

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

基本目標2 一 人 ひとり が いきいきと活 動するに ぎわいのあるま ち づくり1.