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「保守主義」政治と労働組合 : イギリス保守党の 労働組合政策の特質

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(1)

「保守主義」政治と労働組合 : イギリス保守党の 労働組合政策の特質

その他のタイトル Conservative Politics and the Trade Unions in Britain

著者 小西 秀樹

雑誌名 關西大學法學論集

45

1

ページ 77‑119

発行年 1995‑04‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00024618

(2)

m

保守党と労働組合︑労働者階級

②圧力団体政治におけるイデオロギーの役割 固﹁保守主義﹂の四類型と圧力団体 二﹁トーリー・デモクラシー﹂と労働組合

m

ピールの自由主義的改革路線

③ディズレイリの﹁トーリー・デモクラシー﹂路線

R・チャーチルの﹁トーリー・デモクラシー﹂運動

﹁保守主義﹂政治と労働組合

三﹁新保守主義﹂と労働組合

m

関税改革運動と﹁社会改革委員会﹂

③戦間期における﹁集産主義﹂的路線の模索

③﹁新保守主義﹂と労働組合

Wマクミラン政権の﹁三者協議制﹂

四﹁サッチャー主義﹂と労働組合

m

﹁ニュー・ライト﹂派の拍頭

U

③﹁サッチャ﹈主義﹂と労働組合 五結論・﹁保守主義﹂の本質と労働組合

ー イ ギ リ ス 保 守 党 の 労 働 組 合 政 策 の 特 質

I

﹁ 保 守 主 義 ﹂ 政治と労働組合

七七 西

︵七 七︶

(3)

労働組合や労働者階級に注目する必要がある︒

(1)  義﹂の四類型について概説する︒

第四五巻第一号 本論文の目的は︑イギリス保守党の教義である﹁保守主義﹂の生成と変容︑およびその本質に着目しながら︑保守

党の労働組合政策︑そして労働者階級に対するアプローチの特質を検討することにある︒はじめに序論では︑問題の 提起と︑圧力団体政治の研究における本論文の位置づけを行ったうえで︑本論文における検討の軸となる﹁保守主 保守党と労働組合︑労働者階級

的︑産業的な脅威をもたらすと︑

﹁保守主義政治は︑組織された労働者階級の政治への参入によって︑おおいに影響を受けてきた︒労働組合は政治

(l ) 

つねに保守党員は確信してきた﹂というテーラーの指摘どおり︑イギリス保守党は︑

一八世紀なかばに始まった産業革命による本格的な資本主義社会の到来以降︑政治過程に参入してきた労働組合への 対処を余儀なくざれてきた︒産業家団体とならぶ強力な圧力団体として︑階級対立を原動力に社会変革をおしすすめ ようとし︑ときには政権を倒すほどの威力を発揮してきた労働組合は︑社会の安定を重視する保守党にとってみれば︑

基本的には脅威的な存在であり︑

の接触︵協調・対立・闘争︶によって生成し変容することを考えれば︑﹁保守主義﹂の変容をうながすものとして︑

しかし労働者階級は︑保守党のたんなる対立集団ではない︒保守党は︑政権獲得には欠かせない多大な支持を労働

関法

いわば対立集団といえるだろう︒ある集団のイデオロギーは︑主として対立集団と

七八

︵七 八︶

(4)

七九

者階級から得ているのである︒つまり保守党は︑選挙における得票数の半数近くを︑全労働者階級の約三分の一を構

成するワーキング・クラス・トーリーズと称される労働者たちから得ているのである︒この労働者たちが保守党の有

力な支持集団を構成している背景を探るうえで︑保守党の労働組合や労働者階級に対する政策を検討することは重要

だろ

う︒

イギリスは︑議会での多数党が政権を担当する政党政治の国であると同時に︑ピーアが﹁もし政治権力を測定する

( 2)  

手段があるとすれば︑今日︑イギリスの圧力団体はアメリカのそれよりも強大である﹂と述べたほど︑圧力団体が政

治過程において著しい影響力をもってきた国でもある︒結局︑政権政党として保守党は︑

︵七 九︶

一九世紀以降拍頭してきた

圧力団体としての労働組合に対処せざるをえないし︑そして何より選挙で勝利するためにも︑労働者の支持を獲得す

ることが必要であった︒今世紀の保守党政権は︑労働組合に対して︑ときに労使関係の﹁任意主義﹂的な慣行を尊重

し︑﹁協議﹂を通じて穏健な態度を示し︑ときに立法措置を通じて規制に乗り出すなど強硬的な態度を示してきたが︑

なぜ︑そのような労働組合に対する態度や政策の相違が生じるのであろうか︒

﹁歴史的にみて︑保守党は︑労働者階級と労働組合を区別しようとしてきた︒しかし︑労働組合主義が労働者階級

から容易にはかけ離れられない以上︑労働者階級を攻撃することなく︑労働組合を攻撃するというのは困難である︒

今世紀の保守党指導者たちは︑このジレンマを解決するために︑﹃健全な

(s

ou

nd

)﹄労働組合主義と﹃不健全な

( 3)  

(u

ns

ou

nd

)﹄必力鋤祀組ムロ主義という区別を試みた﹂︒つねに保守党は︑労働組合への態度と政策を決定するうえで︑現

実の労働組合運動がどのような形態と動向を示しているのかを注視してきた︒そこで︑この﹁健全な﹂労働組合主義

と﹁不健全な﹂労働組合主義という区別が保守党のすぐれて主観的な判断である以上︑その区別が一体何を基準にな

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

(5)

第四五巻第一号

されているのかを問う必要性が生じる︒そして︑保守党においては﹁他の問題とは異なって労働組合問題については︑

( 4)  

教義の問題と政治的便宜性による打算とが︑容易には共存しない﹂ことを考えれば︑保守党の労働組合政策を検討す

る場合には︑保守党の教義である﹁保守主義﹂を問題にしなければならないだろう︒本論文が検討にさいしての軸と

して﹁保守主義﹂をとりあげるのは︑そうした理由からである︒

ところで︑圧力団体政治において政治的イデオロギーは︑どのような役割を果たしているのだろうか︒この点につ

いて

スミ

スは

つぎのように述べている︒集団の役割を過大視する伝統的な﹁多元主義者は︑政策過程における観念

︵イ

デオ

ロギ

ー︶

の役割を︑その不可視的性質のゆえに考慮していない︒政策の性質を決定するうえで︑そして︑ど

の集団が政策過程へのアクセスを認められるかということに影響する点で︑イデオロギーは一っの重要な要因なので

( 5)  

ある﹂︒つまり︑圧力団体の影響力を決定する要因としては︑その組織形態や活動形態のみではなく︑政策決定者の

信念︑イデオロギーも重要なのである︒したがって︑スミスのいうように﹁研究者の役割は︑あるイシューが︑他の

イシューはそうでないのに︑政治アジェンダに到達するのを保証する構造と信念を明らかにすることにある︒特定の

( 6)  

圧力団体の活動に注意を払うのでは十分ではない﹂︒

圧力団体政治の分析には︑圧力団体が活動するコンテキストの検証︑つまり政治文化︑政策過程の機構︑政策決定

( 7)  

者の利益やイデオロギー︑政策決定上の諸制約などの検証が必要なのである︒圧力団体が活動しているコンテキスト

を十分考慮した形で圧力団体政治を研究することは︑圧力団体政治の歴史的方向性を明らかにすることができ︑圧力 ②圧力団体政治におけるイデオロギーの役割 関法

八〇

0)

(6)

①﹁トーリー主義﹂ す

る︒

決定者のイデオロギーを扱う本論文も︑そうした試みのひとつに位置づけられる︒

﹁保守主義﹂の四類型と圧力団体

^  団体が主要な役割を果たしている現代政治社会の総合的理解のための一助になるであろう︒﹁保守主義﹂という政策

﹁サッチャー以前の︑より古いパターナリズム的な保守主義の形態と︑労働党と労働組合の結合はともに︑経済的

( 8)  

利益集団が政策決定において顕著な役割を有することの容認をうながす﹂という指摘にもあるように︑﹁保守主義﹂

と圧力団体政治の関係はきわめて深い︒しかし﹁保守主義﹂は︑ただパターナリズム的な傾向のみをもっているわけ

( 9)  

ではない︒﹁保守主義﹂は︑それが保守しようとする価値や政策によって四つに類型化できるのである︒この四類型

は︑保守党の長い歴史のなかで生成し︑あるいは流入してきた四つの思想に対応している︒つまり︑貴族・地主階級

を基盤として出発したトーリー党

1 1 保守党本来の教義だった﹁トーリー主義﹂︑大衆民主主義時代の到来への適応と

して一九世紀後半に﹁トーリー主義﹂から派生した﹁トーリー・デモクラシー﹂︑産業家をも支持基盤に取り込んだ

0世紀になって本格的に流入してきた﹁レッセ・フェール的資本主義﹂︑戦間期から模索され始める﹁集産主義﹂

である︒以下︑現在の﹁保守主義﹂を構成している四類型の基本的な理念の内容を︑とくに圧力団体との関係で整理

一義的に志向しなければならない︒政府の諸決定はその指導者によって排他的になされねばならないので︑圧力団体 (3) ﹁強い政府﹂︑効果的な﹁統治術﹂や﹁公共の秩序﹂の達成を通じて︑政府の﹁権威﹂維持と社会の﹁統一﹂を第

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

(7)

第四五巻第一号 とは厳格な距離を保って︑政府の﹁自律性﹂を確保するべきである︒法外な要求をしたり︑﹁公共の秩序﹂を損ねた り︑政府の﹁権威﹂を失整させる︑と考えられる圧力団体の行動は抑制されるべきである︒とくに労働組合のそうし た行動は抑制されるべきである︒政府︑産業家団体︑労働組合による﹁三者協議制﹂は︑部分的利益しか代表しない 圧力団体に拒否権をあたえることになり︑﹁弱い政府﹂をつくりだすだけなので行うべきではない︒保守党は﹁国家 調和的で秩序ある﹁共同体﹂擁護のために︑また﹁社会進歩﹂をうながすためにも︑﹁憐み﹂をもって社会の諸利

益に十分配慮する必要があるし︑﹁社会改革﹂を積極的に行わなければならない︒それは︑﹁国益の管理人﹂としての 支配階級の義務である︒政府が経済的︑社会的領域に介入し︑とくに労働者階級のための政策を講じること︑および

圧力団体を政策決定過程に包含して︑その要求に配慮を示すことは正当である︑とされる︒

③﹁レッセ・フェール的資本主義﹂

﹁市場﹂が原則であるので︑政府の経済への介入を排して﹁自由企業体制﹂を採るべきである︒﹁自由競争﹂が本 旨である以上︑政府は赤字企業への援助や失業対策を行う必要はない︒三者間で経済問題を﹁協議﹂して解決する必 要はそもそもない︒労働組合が大きな権力を握ったり︑政府が所得政策で強制的に賃金規制を試みることは﹁市場﹂

を束縛するものなので有害である︒また︑﹁小さな政府﹂は﹁独立独行﹂や﹁勤勉﹂といった個人の道徳心を必然的 に喚起する︒政府は個人の﹁自由﹂に十分留意すべきである︒また︑クローズド・ショップ制は個人の﹁自由﹂を侵

害するものであるから禁止されるべきである︑とされる︒ ②﹁トーリー・デモクラシー﹂ 的利益﹂を志向しなければならない︑とされる︒ 関法

(8)

(1

(2

の強みであるといえよう︒ 資本主義経済の発展であるといえる︒ 秩序の維持による社会﹁統この達成であり︑

④﹁

集産

主義

﹁資本主義﹂の安定的発展を図るために︑奔放な﹁市場﹂原理は修正されなければならないし︑政府は経済に積極

的に介入して﹁合理主義﹂的な経済運営を行う必要がある︒そのためには何よりも経済の﹁計画﹂化が不可欠であり︑

﹁三者協議制﹂を十分に活用しなくてはならない︑とされる︒

以上の四類型を比較すれば︑﹁トーリー主義﹂と﹁トーリー・デモクラシー﹂の優先事項は︑何より﹁共同体﹂的

一方︑﹁レッセ・フェール的資本主義﹂と﹁集産主義﹂の優先事項は︑

また︑四類型がそれぞれどの社会階級を主要な包含対象としているかについていえば︑﹁トーリー主義﹂は﹁権威﹂

と﹁秩序﹂維持を説く点で上流階級に︑﹁トーリー・デモクラシー﹂はパターナリズムを重視する点で上流階級に︑

そして﹁社会改革﹂を説く点で下流階級に︑﹁レッセ・フェール的資本主義﹂は産業家などの中流階級に︑﹁集産主

義﹂は下流階級にそれぞれアピールするという傾向をもっている︒こうした﹁保守主義﹂の全階級包含性は︑保守党

前述のように︑これらの類型をもっ﹁保守主義﹂は︑長い保守党政治の歴史のなかで生成し︑変容してきた︒この

﹁保守主義﹂の変容過程のなかで︑保守党と労働組合︑労働者階級は多様な関係を展開することになる︒以下では︑

一九世紀以降の保守党と労働組合︑労働者階級の具体的な関係を検討する︒

Ta yl or ,  A .  Th e  p ar ty n  a d  t he   tr ad e  unions

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B al l S . ,     ( e d .) , C  on se rv at iv e  C e nt u r y,   Ox fo rd ,  19 94 , p .   49 9.   Be er ,  S . ,  

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0, N  o.  1,  19 56 , p .  

3.

 

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4t

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

︵八 三︶

(9)

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(c:v:,) Taylor, A., op. cit., pp. 499‑500. 

("") Lane, T., "The Tories and the trade unions", in Hall, S. Jaques, H. (ed.), The Politics of Thatcherism, Lawrence and 

Wishart, 1983, p. 170. 

(.,,) Smith, M. J., "Pluralism, reformed pluralism and neopluralism", Political Studies, Vol. 38, No. 2, 1990, p. 308. 

('°) Ibid., p. 320. (r‑) Cf., ibid., p. 3 2 2. 

(co) Wilson, G. K., Interest Groups, Blackwell, 1990, p. 78. 

(m) Cf., Crewe, I. & Searing, D. D., "Ideological change in the British Conservative Party", American Political Science Review, Vol. 

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Ideologies, Macmillan, 1992, pp. 68‑79. W~ も,~~¢ 伽拒「楽榊咄総」,{]]途令・送睫固~(嬬)『感起S溢担函誤』娯造k

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(10)

きた労働組合は合法化されたのである︒ めた工場法を制定した経験をもつ︒ヒールたち改革派の入閣によって︑リヴァプール政権は︑労働組合政策の転換を図ることになった︒政策転換の直接のきっかけとなったのは︑二四年に︑下院の産業問題に関する特別委員会が行った勧告であった︒つまり︑労使双方から意見を聴取した委員会は︑﹁団結禁止法﹂が労使双方に不信感をもたせ︑労働者の団結に暴力的な性格をあたえて社会的混乱をうみだしてきたとし︑平和的な団結を許すよう法改正を行うべきと

( 2)  

勧告したのである︒この勧告を受けて同年に﹁団結禁止法﹂が撤廃され︑それまで友愛協会といった形態で存続して

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

かし

一九年にロバート・オーウェン に︑当時のトーリー党政権は︑啓蒙思想にもとづく急進主義的な運動を極端に警戒して抑圧政策をとりながらも︑産業革命による社会変動によって拾頭してきた中産階級や労働者階級をどう扱うかという困難な課題に対処しなければならなかった︒そうした課題のひとつが労働組合政策であり︑リヴァプール政権は︑選挙法改正を求める労働者による集会を弾圧した一九年のピータールー事件のように︑労働者の急進主義的な運動には強硬な態度を示してきた︒し た

のが

プール ため︑小ピット︵一七五九ー一八0六︶トーリー党政権は強圧政策をフランス革命後の国内情勢不穏化に対処する

とり︑急進主義運動を弾圧し︑﹁団結禁止法﹂︵九九年︶で労働組合を非合法化した︒この﹁団結禁止法﹂は︑リヴァ

︵一七七0│︱八二八︶トーリー党政権によって撤廃された(‑八二四年︶が︑このとき大きな役割を果たし

一八ニ︱年に内務大臣として入閣した自由主義的改革派のピール︵一七八八ー一八五0)であった︒

(l ) 

そもそも﹁十九世紀の保守主義は︑十八世紀の啓蒙思想や産業革命との関連においてとらえられる﹂とされるよう

︵一

七七

︱│

︱八

五八

党として位置づけようとするこうした試みは︑

八五

︵八 五︶

の働きかけのもと︑綿工場での幼児労働禁止などを定 一九世紀に入ってから本格化してくる︒

(11)

第四五巻第一号

またピールは︑首相時代の一八四六年︑保守党内の異論にもかかわらず︑野党自由党の協力を得て︑国内農業の保

護を目的とした﹁穀物法﹂を撤廃し︑自由貿易路線への転換を果たした︒このとき彼は︑保守党の進歩性を示し︑中

産階級の支持を得る党への脱皮をめざしていたのである︒しかし保守党は分裂し︑やがてピール派は自由党へ移るこ

ピールは︑こうした改革路線をどのような理念から推進したのであろうか︒ビーアによると︑当時保守党の唯一の

教義であった﹁トーリー主義﹂は︑国王と国教会の﹁権威﹂だけでなく︑政府の﹁権威﹂をも強調するようになった︒

つまり︑﹁イギリス政府は︑成立するとただちに︑自らの判断と確信にしたがって︑議会と国民を導き指示する責任

( 3)  

を負う独立体である﹂という観念である︒統治者は︑諸集団や諸階級の要求や苦情に耳を傾けるが︑伝統的な叡知に

導かれて最終的には排他的に決定を行い︑﹁有機体﹂としての社会を﹁統こするべきである︒このような統治は︑

貴族・地主といった上流階級以外には担えない︑というのである︒何より社会の﹁統こを重視する﹁トーリー主

義﹂にもとづく﹁統治﹂とは︑政権担当者としてのピールからすれば︑すぐれた現実主義的感覚で︑政党の対立を越

( 4)  

えて時代の趨勢を把握し︑自由主義的な改革路線を推進することであった︒

﹁団結禁止法﹂撤廃によって労働組合運動は急速な広がりをみせたが︑三二年の第一次選挙法改正では労働者階級

は選挙権を獲得できず︑またレッセ・フェール政策がとられていたことで︑労働者の苦しい生活状態の根本的解決は

図られないままであった︒こうして一九世紀なかばにかけて︑労働者の政治的不満は高まっていた︒富裕な中産階級

出身である︒ヒールにひきいられた保守党は︑時代の趨勢として自由党的な路線をとったことで︑労働組合の合法化を

達成することができたが︑高まる労働者の政治的不満に対しては︑まさに自由党的な路線をとってしまったために︑ と

にな

る︒ 関

八六

︵八 六︶

(12)

まず︑ディズレイリは一八六七年︑ダービー

( 5)  

有効に対処することができなかった︒ビール後の保守党の課題は︑自由党と対決しつつ︑労働者階級に対する保守党

ディズレィリの﹁トーリー・デモクラシー﹂路線

ピール失脚ののち︑保守党の改革路線を指導したのは︑﹁穀物法﹂撤廃問題ではピールと鋭く対立したディズレイ

リである︒ディズレイリは︑大衆民主主義時代の到来に適応すべく﹁保守主義﹂の明確化を図り︑自由党と対決した

ので

ある

八七

︵八 七︶

︵一七九九ー一八六九︶政権の蔵相・下院院内総務として第二次選挙

法改正をなしとげた︒これによって有権者は一三五万人から二四七万人へと増加し︑都市労働者らが選挙権を得た︒

このときディズレィリは︑伝統的な﹁共同体﹂を構成している労働者が選挙権を体制変革の手段には用いるはずはな

( 6)  

いとして︑都市労働者への選挙権拡大を正当化し︑第一次選挙法改正によって政治的発言力を増しつつあった中産階

級を抑制するため︑選挙権の付与によって労働者階級を政治体制のなかに組み込み︑階級社会の調和を図ろうとした

( 7)  

のである︒そして︑首相時代の一八七五年には︑

の法的平等が実現され、「共同謀議•財産保護法」では労働組合のストライキ権とピケット権が承認された。こうし

て︑労働組合は︑強力な圧力団体として政治体制内部で機能することが可能になったのである︒

ディズレィリがこうした改革路線を推進したのは︑彼自身の生い立ちに起因するところが少なくない︒出自がユダ

ヤ人で平民であった彼は︑貴族と地主の党にあっては﹁部外者﹂的存在であった︒しかし︑イギリス社会のいわば外

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

(2)  独自の政策理念を明確にしていくことであった︒

一連の社会立法を制定した︒なかでも﹁雇主・労働者法﹂では労使

(13)

しかし︑ディズレィリが一貫して保守党を進歩的な党に脱皮させようとし︑﹁トーリー主義﹂を一変させたと考え

るのは早計であろう︒例えばコールマンは︑﹁ディズレィリの政治においては︑政権をいかに獲得し維持するかとい

( 9)  

う短期的な打算がたびたび働いていた﹂と述べて︑ディズレィリが﹁トーリー主義﹂を根本的に再形成してはいない

( 1 0 )  

ことを強調する︒コールマンによると︑ディズレィリは都市有権者へのアピールの必要性を感じ︑﹁トーリー主義﹂

を時代に合わせて変化させたが︑その変化は実質的なものではなかった︒確かに︑保守党は一八八0年までには︑国

外的には積極策︑国内的には消極策をとり︑﹁社会改革﹂の党ではなくなった︒結局のところ︑﹁ディズレィリは保守

党が著しく進歩的な立場に転じるのも防いだし︑もっと融通のきかない頑固な保守主義的立場に移動するのも防いだ

( 1 1 )  

わけ

であ

る﹂

そこで問題となるのが︑ディズレィリ時代をへて保守党の新しい理念となった﹁トーリー・デモクラシー﹂の本質

である︒ディズレィリは︑従来の﹁トーリー主義﹂によって説かれたように︑社会﹁統この前提として政府の﹁権

威﹂を重視する︒﹁自らの責任をよく認識する統治階級が国家権力を有していると︑﹃二つの国民﹂は︱つになる︒こ る戦略に結びついたのである︒ にあることによって︑かえって現実的にイギリスの現状を洞察することが可能であった︒彼の著作﹃シビル︑あるいは二つの国民﹄(‑八四五年︶などにも描かれているように︑労働者の生活は富者のそれとは全く異質で悲惨であり︑商業も﹁自由競争﹂の名のもとに病弊し︑階級間の激しい対立でイギリスは﹁二つの国民﹂に分極化していると︑

( 8)  

ディズレィリは考えたのである︒ディズレィリのこうした基本的認識は︑党の新しい社会基盤として労働者階級を包

摂しようとする戦略︑ 関法

第四五巻第一号

つまり﹁国民の状態﹂に関心をもっ﹁社会改革﹂の実践者として︑保守党を位置づけようとす

(14)

バルフォア ③R・チャーチルの﹁トーリー・デモクラシー﹂運動 ﹁トーリ﹈主義﹂も変化したといえよう︒

八九

︵八

九︶

の一っの国民は多様な利益と階級とで構成され︑ディズレィリはそのような諸力のバランスをとる必要に関心をみせ

( 1 2 )  

つづけた﹂︒しかし︑社会の諸力のバランスは自動的には保たれないのであり︑国家権力による﹁慈恵的政策﹂とい

う形で社会的弱者の立場保護を行うべきと考えたディズレィリは︑従来の﹁トーリー主義﹂のうち︑﹁社会の諸利益

に配慮すべき﹂という統治者のパターナリズム的義務を最大限強調したのである︒このように︑国民の福祉と幸福を

実現するために諸改革を推進する必要がある︑という主張がなされるようになった点において︑保守党は変化し︑

( 1 3 )  

ビーアがディズレィリ政権の社会改革立法を﹁たんなる圧力政治の結果﹂であるとみなしたように︑﹁雇主・労働

者法﹂制定へむけての

T u c

︵イギリス労働組合会議︶議会委員会による激しい圧力活動があった︒ディズレィリ政

権は︑こうした圧力活動に﹁社会の諸利益に配慮する﹂という理念でもって対処し︑労働組合政策を正当化したので

ある︒この﹁社会の諸利益に配慮する﹂という理念が︑

リー・デモクラシー﹂の中心理念となる︒いうまでもなく︑多様に分化した﹁社会の諸利益﹂を代表する圧力団体が

拾頭し︑政党と圧力団体が複雑な関係をみせ始めたのが近代社会である︒﹁トーリー・デモクラシー﹂は︑保守党が

親和的に圧力団体と接するための正当化根拠になっていくのである︒

一八

0

年代︑保守党の国内政治における消極性に不満をもち︑保守党改革運動を展開したのがR

・チ

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︵一

八四

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一九

︱︱

1 0 )

ら党内若手である︒﹁第四党﹂を称したこの改革派は︑ディズレィリを称賛し︑

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

のち

R・チャーチルらの改革派によって強調され︑﹁トー

(15)

リー

第四五巻第一号

( 1 4 )  

﹁トーリー・デモクラシー﹂の実現を唱えて︑保守党の大衆政党化を図ろうとした︒一八八四年の第三次選挙法改正

によって地方労働者に選挙権があたえられ︑また︑自由党では︑ジョゼフ・チェンバレン

︵一

八四

急進派によって労使協調路線が推進され︑労働組合から選出された議員は自由党の一員として行動する﹁自由

1 1労働

派﹂が形成されていたので︑保守党にとって労働者の支持獲得はいっそう切実な課題であった︒

( 15 )  

改革派は︑﹁立法改革の手段によって達成されるイングランド人民の社会進歩は保守党の政策でなければならない﹂

として︑鉄道運賃の統制︑労働者初等教育の充実︑八時間労働の確立などの問題を政府が処理するよう主張した︒こ

れは﹁大きな政府﹂を明確に志向したものであり︑

七ー一九二九︶ R・チャーチルの親友でもあった自由党のローズベリー

( 1 6 )  

は﹁ランドルフは集産主義すれすれのところにいるのに気づいていた﹂と述べている︒ソールズベ

︵一

八三

0

0 1

︱‑

︶内

閣で

蔵相

に就

任し

R・チャーチルは︑﹁社会改革﹂実現のために軍備費を抑えた予

算を組むが︑首相や陸相の反対にあい辞任している︒かつて第二次選挙法改正のさいにディズレィリの路線に反対し︑

必要な部門以外での国家干渉に懐疑的なソールズベリーが首相の座についているように︑保守党にあって﹁トー リー・デモクラシー﹂が広範に支持されるはずもなく︑﹁第四党﹂による改革運動は失敗してしまう︒

﹁民王主義﹂は﹁自由﹂と﹁私有財産﹂を脅かすという基本的認識をもつソールズベリーは︑労働者階級の支持を 積極的に得ようとしたり︑社会問題全般に対して国家が積極的に干渉することを嫌った︒しかし彼は︑﹁有機体﹂と しての社会を﹁統一﹂するのが統治階級の責任である︑という伝統的な﹁トーリー主義﹂の認識も抱いていた︒具体 的にいえば︑﹁保守党の主張は︑すべての階級が共有している本能にアピールすることで擁護されねばならないと信 じ︑この限りにおいて︑労働者の生活状況の改善によって社会統一体に労働者階級を統合する現実的必要を容認し

関法九〇

︵一八三六ー一九一四︶ら

(16)

者階級の取り込みにあったのに対し︑

ることで︑保守党の支持基盤拡大を意図したのである︒

︵九

一︶

一九

八二

年︑

ここ

し二

四ペ

ージ

一九︱一年に党首となった製鉄商人

( 17 )  

た﹂のである︒要するに︑指導者の義務として特定の問題への国家干渉は認めるが︑﹁自由や私有財産の重要性も承

( 1 8 )  

知しているから︑政策全般についての干渉を認めることを拒否した﹂のである︒

R・チャーチルらの強い関心が労働

ソールズベリーが意図したのは︑労働者階級の拍頭に脅かされ︑自由党急進主 義にも幻滅を感じていた中産階級の取り込みであった︒﹁自由﹂と﹁私有財産﹂の保護を唱えて中産階級にアピール することで︑﹁ソールズベリーは︑有権者の支持を失うことなく社会立法のペースを遅らせることが可能だったので

( 1 9 )  

ある﹂︒このように︑ソールズベリーは︑﹁トーリー・デモクラシー﹂ではなく︑伝統的な﹁トーリー主義﹂に依拠す また一九世紀末︑保守党が産業家の支持を得るにつれ︑あるいは工業・金融利益出身の保守党議員が増えるにつれ

て︑産業家層が党に多大な影響を及ぼすようになり︑保守党は﹁レッセ・フェール的資本主義﹂を擁護するように なったのである︒このため︑保守党は﹁社会改革の党﹂からますます遠ざかり︑

のボナ・ロー(‑八五八ー一九二三︶は︑﹁保守党が社会改革を追求するのは概して有益な傾向ではないと個人的に

( 2 0 )  

は信じていた﹂︒自由党が一九世紀末の分裂をへて二0世紀に入って没落したことで︑﹁レッセ・フェール﹂をもとめ

( 2 1 )  

る社会的勢力は保守党支持にまわり︑保守党における﹁レッセ・フェール的資本主義﹂派の力はいっそう強まった︒

(1 )

北岡

勲﹃

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義﹄

御茶

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書房

︑一

九九

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(2

)

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働組

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新版

︶︑

大前

朔郎

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前真

訳︑

東洋

経済

新報

社︑

照 ︒

(3

Be er ,  S .,   Mo de rn r  B it is h  P o li t i cs ,  F ab er   an d  F ab er ,  19 69 ,  p

245. .  

(4

)

村岡健次﹃ヴィクトリア時代の政治と社会﹄ミネルヴァ書房︑一九八0

年︑

七七

!八

四ペ

ージ

参照

﹁保

守王

義﹂

政治

と労

働組

(17)

翌坦嫁回閑踊撚1alt> ‑Kl 

(‑Kl 

1) 

(Lt)) ‑E, 函批造『栄佑州瘤C#溢車釈』咀叫用蒸吉{~<l~'Il<‑1 ]~'(-:~ ~\産゜

(<O) 廿請歴迫響『十~:1:1"°~='KC蓋ぐ昧活祇』坦赳択学:;ti'1~1'ilK\ll-11<111'(-:~-.;q.1‑iIll.采攀%「i卜ゞk~-=-C栄{ヤ州堀~.;q:t;;-r-Q咀祖州堀e虻r,({:_¢」(~~米麦ト『嵌縦坦充他ぐ阻恩醤』撚ば鞠撚I]alt>' 1~ ギく母)幽苗径゜

(c‑) ‑E, 函批据-~眠編Illt-::--~\lo

(co) 戻ぐ叫食品『感~'<c-~:::---K~:Je,S,(奎尽点』1阻涎拡翌I;::; ギ国母'H=l<-,,Ot-·;;--~苗翌(o,) Coleman, B., Conservatism and the Conservative Party in Nineteenth‑Century Britain, Edward Arnold, 1988, p. 158 

(~) Cf., ibid., pp. 131‑162. 

(;:::) Ibid., pp. 161‑162. 

ぼ)Beer, op. cit., p. 268. , Sn-~r-,,ヽぷ「i卜ゞI'\~ヽ-ざ送遮.(:!,~..lJ廿討巨如堆~,.lJ_),i_.!,.t...—=―溢担如華曲

心」

(Coleman,op. cit., p. 162) ..lJ瑕''(ヤ;,‑0

(~) Beer, op. cit., p. 264. ほ)Cf., Greenleaf, W. H., The British Political Tradition: Vol. II, the Ideological Heritage, Methuen, 1983, pp. 219‑223. ; Pear‑

son, R. Williams, G., Political Thought and Public Policy in the Nineteenth Century, Longman, 1984, pp. 85‑86. ; Blake, R., 

The Conservative Party from Peel to Churchill, Fontana/Collins, 1970, pp. 131‑166. ,¥q‑'i,‑‑‑1:‑,ぷ入ー『中求回S溢叙』サ

翠叫三嫁·Ill茶醒赳峯-~梨翌;::;, くは母'1111‑1,‑1II'.<-·:;--~産゜「緑回叙」..>Jti'迷告叙'{Ill王叙'ド'<c-~I~

'、ユ回咀報!J.0'V'「回詣IIIlS叙」心;,0憮溢印‑%'i{l

(臼)Greenleaf, op. cit., p. 2 21. 

ぼ)Quoted in ibid., p. 223. 

(~) Pearson & Williams, op. cit., pp. 84‑85. 

(~) Ibid., p. 99. 

ぼ)Ibid., p. 8 5. 

(忌)Beer, op. cit., p. 273. 

(芍)Cf., Pearson Williams, op. cit., pp. 88‑89. 

(18)

﹁新保守主義﹂と労働組合

関税改革運動と﹁社会改革委員会﹂

一九世紀なかばにその全盛を迎え︑やがては保守党によっても容認された﹁レッセ・フェール﹂を原則とする資本

一九二九年の世界恐慌を契機として信用を喪失してしまう︒この動揺

一九

0年代に保守党は︑﹁自由貿易﹂と﹁小さな政府﹂路線を放棄して︑﹁保護貿

0世紀に入ってからの自由主義の危機的状況は︑保守党内においては﹁レッセ・フェール的資本主義﹂派への挑

戦という形で具体化した︒そのひとつが︑自由党から移ってきたJ・チェンバレンによって一九0三年に始められた

(l )

2

) 

関税改革運動であり︑もうひとつが︑一九︱一年から一四年にかけての﹁統一党社会改革委員会﹂による改革運動で

あっ

た︒

J

・チ

ェン

バレ

ンは

ソールズベリー政権での植民地相時代に︑ドイツやアメリカなど後発国の急成長に危

機感を抱き︑帝国の再建と維持の必要性を認識していたのである︒彼は︑﹁関税改革同盟﹂を結成し︑バーミンガム

に代表される製造業利益の支持を得て︑﹁保護貿易﹂支持の論陣を張った︒当時の保守党は︑この問題について三派

に分かれて対立していた︒議員約一三0名を擁するチェンバレン派︑約六0名の﹁自由貿易﹂派︑そして地方の農業

( 3)  

利益層に支持されて慎重論を唱えたバルフォア首相派約二

00

名である︒結局︑党内対立によってバルフォア内閣は

一 九

0五年に瓦解し︑翌年の総選挙では保守党は大敗北を喫し︑J・チェンバレン自身の病気によって関税改革運動

は失

敗に

終わ

った

J・チェンバレンは︑﹁欧米との競争に対して帝国内産業を援助するための保護関税は︑大英帝

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

易﹂と﹁大きな政府﹂路線に転ずるのである︒ にともなう政治的混乱をへて︑ 主

義経

済体

制は

一九

世紀

末に

は動

揺し

始め

(1) 

︵九 三︶

(19)

第一次世界大戦後︑﹁保護貿易﹂政策は︑前首相ポールドウィン

第四五巻第一号

( 4)  

国を団結させるだけでなく︑中産・地主階級の財産に課税することなく社会改革の費用を捻出する方策を提供する﹂

という﹁社会帝国主義﹂論を掲げ︑土地利害層から保守党の支配権を奪い︑中産階級と労働者階級から支持される党

への変革をめざしたのであった︒

︵一

八六

九ー

一九

︵一八六七ー一九四七︶率いる保守党主導のもと しかし︑﹁レッセ・フェール﹂の立場から労働組合の拍頭を嫌悪する議員や︑また独自の政党である労働党を組織した労働組合に敵対心をもつ議員も多く抱えていた保守党は︑全体として︑﹁社会改革﹂による労働者階級の取り込みには消極的であった︒このような党内情勢によってJ・チェンバレンの運動は挫折したけれども︑

一党社会改革委員会﹂が党内で結成されている︒第一次世界大戦が始まる一四年までの間︑この﹁社会改革委員会﹂

は︑﹁レッセ・フェール的資本主義﹂を否定し︑﹁トーリー・デモクラシー﹂の理念にもとづき︑﹁社会改革﹂を推進

するよう提言や要求をくりかえした︒また﹁社会改革委員会﹂は︑労働組合問題についても︑労使関係に介入し︑産

業平和を促進するうえでの政府の役割を説いたが︑党首ポナ・ローをはじめ議員の多くは︑労使関係への介入は有害

であるという態度をくずさなかった︒結局︑﹁社会改革委員会﹂の主張は保守党の公式な政策にはならなかったが︑

J・チェンバレンや﹁社会改革委員会﹂による運動は︑その後の保守党の政策転換にとって重要な経験であったとい

えよ

う︒

に誕生したマクドナルド(‑八六六ー一九三七︶挙国政権の手で︑三二年に﹁輸入関税法﹂の制定という形で採用さ

( 5)  

れた︒﹁保護貿易﹂採用のイニシアテイプをとったのは保守党であり︑ネヴィル・チェンバレン

0 )

が中心となって︑父が唱えた﹁保護貿易﹂政策の私案作成に着手したのである︒このボールドウィンと

N ・

チェ

関法

九四

︱一

年に

は﹁

︵九

四︶

(20)

九五

︵九 五︶

ンバレンの両者は︑かつて﹁社会改革委員会﹂と連携して活動した経験をもっていたのである︒

﹁保護貿易﹂路線への転換は︑保守党における﹁レッセ・フェール的資本主義﹂の信用性の喪失傾向に拍車をかけ

た︒この﹁レッセ・フェール的資本主義﹂に最終的な打撃をあたえたのが︑保守党内の﹁トーリー・デモクラシー﹂

( 6)  

派や経済界で主張され推進された産業合理化運動である︒産業合理化運動は︑﹁市場﹂から産業を解放し︑﹁協同﹂と

いう理想のもと︑同業者組合に価格と生産量を調整させようとするものであり︑経済政策の面での政府の積極的な介

入を強く要求するものであった︒こうした主張のなか︑挙国政府は︑産業再編成のための集産主義的政策を推進する

ここで重要なのは︑﹁集産主義が戦時中に発達し︑労働党の見地に適合するからその後も存続したものではなく︑

( 7)  

恐慌と闘うための方策として︑三0年代の保守党主導の挙国政府によって意識的に採用されたもの﹂だったことであ

る︒保護貿易政策も集産主義的経済運営も︑あらかじめ政府が経済的︑社会的領域における責任を引き受けることを

前提とする︒いわば︑政府は﹁大きな政府﹂でなければならないのである︒保守党は︑﹁トーリー・デモクラシー﹂

の伝統から︑こうした﹁大きな政府﹂路線を正当化するのである︒

0年代︑保守党内における﹁トーリー・デモクラシー﹂派の勢力回復にともない︑また︑経済危機を乗り切るた

めにも︑保守党は︑労働者の取り込みを熱心に意図するようになった︒首相時代の二六年にゼネストを起こした

TU

Cや労働組合に対して︑翌年の﹁労働争議・労働組合法﹂の制定で一矢を報いたポールドウィンは党員にむかって︑

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

よう

にな

った

②戦間期における﹁集産主義﹂的路線の模索

(21)

第四五巻第一号

ディズレイリ的﹁︱つの国民﹂観にもとづく労働者階級取り込みの必要性を説き︑労働組合を穏健なものと戦闘的な

( 8)  

ものに区分し︑穏健な労働組合の利益と主張を十分考慮しようと論じた︒また︑﹁トーリー・デモクラシー﹂派の中

心人物・マクミラン(‑八九四ー一九八六︶は︑自著﹃中道﹄(‑九三八年︶において︑﹁欠乏をなくし︑富の再分配

( 9)  

なしに階級闘争を避ける手段としての国家計画﹂といえるような提案をしている︒

挙国政府は︑集産主義的政策の実施に着手したが︑産業に対する強制的介入には慎重であり︑そうしたこともあっ

て︑全くの自由経済でもなく︑国家が経済を統制する体制でもない︑政府と産業家団体の﹁協議制﹂方式が発展した

のである︒﹁トーリー・デモクラシー﹂の中心的理念は︑かつて

R ・

チャーチルらによって強調された﹁社会の諸利

益に配慮する﹂ことである︒保守党内の﹁トーリー・デモクラシー﹂派は︑政府と圧力団体の﹁協議制﹂を︑﹁社会

﹁新保守主義﹂と労働組合

四五年の総選挙で野に下った保守党は、バトラー(-九0二—八二)、イーデン(-八九七ー一九七七)、マクミラ

ンら﹁トーリー・デモクラシー﹂派が中心になって教義の見直し作業を開始し︑四九年党大会で﹃産業憲章﹄を採択

して﹁レッセ・フェール﹂からの決別を謳い︑戦後の労働党政権によって推進されていた﹁福祉国家﹂と﹁管理経

済﹂を柱とする社会民主主義路線を﹁追認﹂するのである︒五一年︑﹁新保守主義﹂を掲げて成立したウィンスト

ン・チャーチル(‑八七四ー一九六五︶政権は︑労働党政権の政策の多くを継承し︑いわゆる﹁合意の政治﹂が成立

したのである︒この戦後保守党の新しい立場である﹁新保守主義﹂は︑すでに検討した﹁保守主義﹂の四類型のうち︑

(3)  の諸利益に配慮する﹂ための具体的手段としてみなしたのである︒ 関法

九六

︵九

六︶

(22)

九七

︵九

七︶

﹁トーリー・デモクラシー﹂と﹁集産主義﹂を基礎にしたものである︒なお︑本論で用いられている﹁新保守主義﹂

一九

0年代に西側先進国で注目を集めた新保守主義のことではないので︑注意されたい︒

﹁新保守主義﹂は︑﹁保守主義﹂のなかの伝統的な理念を基礎とし︑保守党の﹁知的伝統﹂を逸脱するものではな

いが︑現実社会への﹁適応﹂という︑すぐれて現実主義的な性格もあわせもっていた︒従来から保守党が︑他政党と

比較して︑現実主義的な対応を示してきたことには相違ないだろう︒ディズレィリの﹁社会改革﹂や戦間期における

﹁集

産主

義﹂

の主

唱は

いわば時代の変化に柔軟に対応したものであった︒ところが﹁新保守主義﹂は︑窮地に立た

された保守党がなした苦渋に満ちた選択であり︑敵対政党の政策を容認するものであるから︑きわめて現実主義的な

性格をもっていたのである︒﹁トーリー・デモクラシー﹂を信奉する政治家からすれば︑﹁合意の政治﹂の先駆者は保

守党であるが︑それ以外の政治家からすれば︑﹁合意の政治﹂は︑たんに保守党が﹁妥協﹂したために成立したので

一時的な保守党の態度にしか思えなかったであろう︒現実主義的対応という面をもっ﹁新

保守主義﹂は︑﹁現実﹂しだいで容易に動揺する危険性を秘めていたといえる︒﹁新保守主義﹂のこうした本質は︑保

( 1 0 )  

守党と労働組合の関係に如実に示されているので︑この点を以下で検討する︒

第二次世界大戦勃発以降︑労働組合は総力戦遂行のための協力を政府から強く要請されるようになる︒そのひとつ

が︑労相の諮問機関で労使一五人ずつからなる﹁全国合同諮問委員会﹂

( Na t i on a l J o i nt   Ad vi so ry   Co mm it te e)  

者ベヴィン

の設

であったが︑政府と労働組合の相互不信は容易には解消しなかった︒チャーチル挙国政権に入閣した労働運動の実力

︵一八八︱│︱九五一︶労相は︑﹁全国合同諮問委員会﹂の下部機関として︑労使七人ずつで構成される

﹁合

同審

議会

( J o i C n t on su lt at iv e  C om mi tt ee )

を設置して能率化を図った︒また︑ベヴィンは戦中のストライキ禁止

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

あり

︑﹁

新保

守主

義﹂

は︑

とは

(23)

第四五巻第一号

についての合意を労働組合から得て︑事実︑小規模のものを除いてはストや争議の件数は戦争中少なかった︒ただし︑

この労使協調の精神は︑ひとり政府の法的︑行政的措置の力によるものではなく︑﹁侵略の脅威に対する国防という

( 1 1 )  

国民的意識に根ざしたものであった﹂︒労働運動実力者の入閣や労組役員の政策決定への包含によって︑労働組合の

戦争遂行協力はさらに充実し︑労働組合は社会の信望を獲得していった︒

一九二七年にボールドウィン保守党政権によって制定された﹁労

働争議・労働組合法﹂の廃止に乗り出した︒労働組合を規制するこの法律の廃止に︑野党保守党は強く反発したが︑

労働者階級の保守党支持層を拡大するという選挙戦略から︑結局廃止に応じた︒

化した労働組合とTUCは︑戦中にもまして政策協議に参画し︑労働組合が代表を派遣している政府委員会の数は︑

三九年の︱二から四九年には六

0

に及んだ︒﹁宣伝の時代から責任の時代に移った﹂︵四六年TUC総会︑シトーリン

書記演説︶といわれるように︑戦中・戦後を通じて労働組合は︑政府の政策決定に加わって影響力を行使する一方で︑

一時的にしろスト権を放棄するなどの責任を果たしてきた︒さらに︑五一年末までに労働組合員数ば九五0

万に

達し

その八五パーセントはTUCに加盟していたために︑いまや労働組合は﹁戦後の新しい政治的秩序の一部分であるか

( 1 2 )  

のように思われた﹂︒そのような労働組合の地位と影響力を︑保守党は﹁追認﹂するのである︒

﹁新保守主義﹂の具体的表現とでもいうべき﹃産業憲章﹄では︑つぎのように労働組合との﹁協議﹂の必要性がカ

説されている︒つまり︑政府の多くの諮問委員会での労働組合の﹁地位を承認するとともに︑そのことは労働組合が

( 1 3 )  

国民の福祉に貢献しうる広い分野を公共奉仕のうえで開くものであると信ずる﹂︒また﹁協議こそ︑この国の他の幾

多の制度と同様に︑自由で秩序ある成長の種であると︑われわれは認める︒︵中略︶この種の合同協議こそ︑産業内 アトリー(‑八八三ー一九六七︶労働党政権は︑ 関法

一九二七年法廃止によって基盤を強

九八

︵九 八︶

(24)

は︑弁護士で官僚出身のモンクトン

九九

︵九 九︶

一 方 ︑

TUCは︑共産党の影響下にある労働組合の

( 1 4 )  

部に対立の存在しない︑すべて人が共同の目的を目ざして働く︑真の協力精神を示していると信ずる﹂︒ところが同

じ﹃産業憲章jのなかには︑非公認ストの禁止︑公務員組合と政党の結合禁止などが説かれていたのである︒総選挙

が近づくにつれ︑チャーチルがクローズド・ショップ制への反対をあからさまに表明するなど︑保守党内では労働組

合への強硬的発言がめだっょうになった︒﹁管理経済﹂と﹁福祉国家﹂に対しては﹁合意﹂をなした保守党も︑とり

わけ労働組合問題となると︑完全な党内﹁合意﹂は達成されていなかったといえよう︒

チャーチル政権が発足すると︑

時代に比べて︑閣僚と労資双方との話合いのわくが非常に広がってきたし︑また︑協議機関も著しく改善された︒わ

たくしたちは政府がこの協議というやり方を十分に活用︑維持することを希望するものである︒わたくしたちとして

( 1 5 )  

は︑あらゆる問題をその産業上︑経済上の関連性において今後も検討していく方針である﹂︒対するチャーチル首相

好﹂関係構築に専念し︑チャーチルも︑労組指導者を首相官邸でのパーティーに招くなど︑労働組合への好意的意図

を示そうと努めた︒政策面においても︑労組規制立法の検討は見送られ︑穏健的処置がとられた︒例えば︑政権初期

にバ

トラ

ー蔵

相は

TUCに生産性を越える賃金上昇を控えるよう要請したが︑TUCがこれを拒否すると即座に要

求を撤回している︒また︑政策決定における労働組合の役割は全く縮小されることなく︑むしろ﹁保守党政権は労働

( 1 6 )  

党政権よりも︑労働組合員を協議委員会にすすんで任命した﹂︒

活動と影響力を封じ込める努力を行っていた︒このようにして︑保守党政権は﹁かなりの程度の協調を労働組合から

( 1 7 )  

獲得することに成功﹂した︒

﹁保

守主

義﹂

政治

と労

働組

TUCは保守党につぎのような声明を出した︒﹁戦前︑保守党が政権を握っていた

︵一八九︱│︱九六五︶を労相に起用した︒モンクトンは︑労働組合との﹁友

(25)

第四五巻第一号

(1 00 ) 

さて︑﹁トーリー・デモクラシー﹂の理念から︑労働組合の地位保障と政策決定への包摂を掲げた﹃産業憲章﹄を

承認した以上︑保守党政権がそれを現実化するのは当然である︒しかしそう述べるだけでは︑﹃産業憲章﹄承認後も

労働組合への敵対的姿勢を隠さず︑政権復帰後はそれを一変させた指導者の行動を説明できない︒この疑問を解く鍵

は︑保守党の労働組合観にある︒保守党が理想とするのは︑﹁健全な﹂労働組合︑つまり﹁賃金や時間や環境には気

( 1 8 )  

をかけるが︑党利本位には行動しない

(n ot pl ay   po li ti cs )

﹂労働組合である︒﹁党利本位に行動しない﹂とは︑労働

党を利したり︑過激な政治的行動で自己の利益や主張を政府に反映させようとはしない︑ということである︒すでに

ふれたように︑労働組合は︑しだいに政府の政策決定に参加して︑要請された責任を果たすようになっていた︒つま

り︑保守党のみが変わったのではない︒﹁時代が変わったのであり︑時とともに︑保守党も労働組合も変わったので

( 1 9 )  

ある﹂︒チャーチル政権が労働組合との﹁友好﹂関係構築に専心したのは︑労働組合自体の変容によるところが少な

くない︒政府が漸進的な政策を推進するかぎり︑労働組合は政府に協力をつづけるだろう︒逆に︑労働組合が過激な

手段で政府に揺さぶりをかけない以上︑政府も労組規制立法などは議題にしないだろう︑という関係が生じたのであ

しかし︑保守党政権と労働組合のこうした相互関係は一見﹁友好﹂的だが︑その実︑高度の緊張関係にほかならな

い︒この緊張関係を左右するのは政府レベルでの﹁協議制﹂である︒戦後︑﹁新保守主義﹂が積極的に容認した﹁協

議﹂という制度を主軸に︑保守党政権と圧力団体の関係は展開されることになった︒TUCは︑﹁協議﹂の場で政府

に対して優先的に利益主張を行なえるという地位を獲得できた反面︑下部組合の﹁党利本位の行動﹂を抑制するとい

う責任を負うことになった︒保守党は︑現実の労働組合運動が﹁健全なもの﹂であるかどうか注視していた︒五一年 る ︒

関法

10 0 

参照

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