滋 賀 大 学 教 育 学 部 紀 要 教 育 科 学 No.51, PP.119-130,2001
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戦後復興期 のイギ リス保守党教 育政策
藤 田 弘
之
:Education Policy of British Conservative Party from 1945 to 1955
Hiroyuki FUJITA 1、 は じ め に 本 稿 は、 第2次 世 界 大 戦 後 の 復 興 期 に お け る イ ギ リ ス保 守 党 の 教 育 政 策 に つ い て 整 理 、 検 討 す る こ と を 目 的 とす る。 さ て 、 イ ギ リ ス の 政 治 に お い て 戦 後 の コ ンセ ン サ ス が 存 在 した か ど うか 、 ま た そ の 内 実 は 如 何 な る も の か に つ い て の 論 争 が 、 歴 史 家 、 政 治 学 者 の 間 で 続 い て い る。 特 に 、1980年 代 初 頭 以 後 、 こ の 問 題 に 関 し て 多 数 の 著 書 や 論 文 が 出 さ れ て い る。 コ ン セ ン サ ス の 存 在 を 主 張 す る の は、 ア デ ィ ソ ン(P.Addison)、 ダ ッ ト ン(D.Dutton)、 ガ ヴ ァ ナ ー(D.Kavanagh)、 セ ル ド ン(A.Seldo n)な ど で あ り 、 彼 ら は1940年 代 か ら1979年 ご ろ ま で イ ギ リ ス政 治 に お い て コ ン セ ン サ ス が 存 在 し た と主 張 す る 。 こ れ に 対 し、 ピ ム ロ ッ ト (B.Pimlott)、 ジ ョ ー ン ズ(H.Jones)、 カ ン デ ィ ア ー(M.Kandiah)、 デ ィ ー キ ン(N.Deakin)な ど は そ の よ う な コ ン セ ンサ ス は 存 在 せ ず 、 綿 密 に 研 究 を 進 め れ ば そ れ が 妄 想 で あ り、 幻 想 で あ る こ と が 明 ら か に な る と主 張 し て い る 。(1) イ ギ リ ス に お い て 福 祉 国 家 が 成 立 、 発 展 す る と と も に、 こ れ と関 わ っ て 保 守 党 の 教 育 政 策 が ど う進 展 し た か を 明 らか に し ょ う とす る 場 合 も こ の コ ン セ ン サ ス 論 争 は重 要 で あ る 。 バ ソ(G. Batho)は 、 第2次 大 戦 後 の イ ギ リ ス 教 育 史 に つ い て 、1944年 か ら1964年 の 間 を コ ン セ ンサ ス の 時 代 、1965年 か ら1979年 の 間 を政 治 化 の 時 代 、 1979年 か ら1988年 の 間 を 集 権 化 の 時 代 と 時 期 区 分 し論 じて い る 。(2)ま た 、 ゴ ス デ ン(P.Gosden) は、教 育 行 政 と関 わ って 、 「便 宜 上 、1945年4月 1日 にバ トラ 一法 が 施 行 され て 以 後20年 の ほ と ん どは コ ンセ ンサ ス の時 代 とみ な され る。実 際、 教 育省 の 目 的 の一 つ は コ ンセ ンサ スを 達 成 す る こ とで あ った。 」と述 べ て い る。(3)こ う した時 期 区 分 は、 視 点 に よ って 種 々 可 能 で あ ろ うが、1944年 か ら1960年 代 中 期 、 ない しは1970 年 代初 頭 に至 る時 期 は、 政 治 一 般 と同 じ く、 教 育 政 策 や 教 育 行 政 につ い て 政 党 間 で 一応 の コ ン セ ンサ スが 存 在 した 時 期 と捉 え られ る こ とが多 い。もち ろ ん、 この時 期 に お い て も党 派 間 で 教 育 政 策 上 の 差 異 や 争点 は存 在 し、 また各 党 内 で も教 育 政 策 を あ ぐる論 議 や見 直 しが 行 わ れて お り、 コ ンセ ンサ スの 内実 そ の もの や程 度 が検 討 さ れね ば な らな い と され る。 しか し、 こ の時 期 の教 育 政 策 や 教育 行政 は お お む ね、 政 党 間 の 合 意 に よ って 制 定 され た1944年 教 育 法 の枠 組 み を 基 礎 に形 成 、 実 施 さ れ、 福 祉 国 家 の発展 と平 行 して 、 そ れ を具 体 化 、 実 質 化 す る方 向 で 行 わ れ た と見 られ て い る。 そ して 、 政 府 の 教育 令 の関 与 が 大 き く進 み、 教 育 サ ー ビスが 拡 充、 整備 さ れ 、 国民 の教 育 を保 障 す るた め いわ ゆ る福 祉 国 家 教育 政 策 が 進 展 した と され る。以 上 の よ うな 戦 後 の福 祉 国 家 教 育政 策 に一 定 の変 化 が 生 じ始 め るの は、1960年 代 後半 か ら70年 代 初 頭 で あ っ た。 言 われ て い る コ ンセ ンサ ス時 代 、 す な わ ち、 す な わ ち1945年 か ら1970年 初 頭 まで の時 期 の教 育 政 策 は さ らに、1945年 か ら1955年 頃 ま で の戦
120 藤 田 弘 之 後 復 興 期 、1955年 頃 か ら1960年 代 前 半 の教 育 の 拡 充 整 備 期 、1960年 代前 半 か ら1970年 頃 まで の 教 育 の 実 質 的平 等 化 を志 向 した 時 期 、 の3期 に 大 き く区 分 して 検討 す る こ とがで きるで あろ う。 本 稿 は と りわ け1945年 か ら1955年 の戦 後 復 興 期 に お い て、 保守 党 が 福 祉 国 家 教 育 政 策 につ い て ど の よ うな 立 場 を と り、 教 育 政 策 の形 成 に ど う 関 わ り、 ま た は ど う具 体 化 したか を 中心 に整理 、 検 討 した い 。 この時 期 保 守 党 は、 進 展 す る労 働 党 の福 祉 国 家 政 策 に ど う対 応 し、 保 守 党 と して ど の よ うな 政 策 を と るか の検 討 に追 わ れ た 。 そ して 、 党 内 で は進 歩 派 と守 旧 派、 自由 主 義 派 な ど に分 か れ 論 議 が 続 いた 。 本 稿 で は、1945年 に成 立 した労 働 党 政 権 の下 で保 守 党 は どの よ う な教 育 政 策 を 形 成 した か、 保 守 党 の福 祉 国 家政策 、教育 政策 の検 討 にあた っ て重 要 な役 割 を 果 た した と され る党 内 集 団 の ひ とつ、 「一 つ の国 民集 団」(One Nation Group一 以 下 、ONGと 略)が 教 育 政 策 に つ い て ど の よ うな立 場 を と った か、1951年 に成 立 す る保 守 党 政 権 の 下 で 保 守 党 は ど の よ うな教 育 政 策 を 進 あ た か 、 な ど に つ い て 整理 、検 討 す る。 2、 労 働 党 政 権 下 の 保 守 党 教 育 政 策 さ て、1944年 教 育 法 が 成 立 した 翌 年 、 す な わ ち1945年 の5月 に は交 戦 を 続 けて き た ドイ ツ が 降 伏 した。 チ ャー チ ル は ドイ ツが 降伏 した直後 、 関 係者 の意 向 を受 けて 、 連 立 内 閣 を解 散 し、 総 選 挙 が 行 わ れ る こ とに な った。 選 挙 戦 に あ た り 労 働 党 と 自 由党 は、 戦 時下 で検 討 さ れ て きた社 会 改 革 構 想 の実 現 を 強調 し、 公約 と して掲 げた。 ま た、 保 守 党 の 側 も戦 勝 の功 労 者 と して チ ャ ー チ ル を持 ち上 げ、 戦 勝 の ムー ドに乗 ろ う と した 『 一 方 で、 他 党 と同 じ く社 会 保障 や国 民 医療制 度 、 完 全 雇 用 の 実 現 な どを 公 約 に掲 げた 。 こ の よ う に、 総 選 挙 運 動 に あ た って どの 政 党 も、 社 会 保 障 が ゆ き と ど き、 国 民 が様 々 な サ ー ビス や便 宜 を受 け られ る社 会 の建 設 を構 想 した戦 時 中 の計 画 の 実 現 を公 約 に含 め た の で あ る。 と こ ろで 、 この 総選 挙 に 際 して、 各 政 党 は教 育 政 策 につ い て どの よ うな主 張 を掲 げ た の で あ ろ うか。 保 守 党 の 選 挙 綱 領 を ま とめ れ ば 次 の 通 りで あ る。 ①1944年 教 育 法 に した が って 教 育 制 度 を再 編 す る こ と。 ② 必 要 な教 員 、 お よ び施 設 を供 給 す る こと。 ③ 将 来 の良 き責 任 あ る市 民 を 育 成 す るよ うに努 あ る こ と。 ④ 親 が学 校 を 選択 で き、 ま た、 子 供 の教 育 にっ き当 局 と と も にそ の役 割 を果 たせ る よ うに す る こ と。 ⑤ 初 等 学校 が 奨励 、改 善 さ れ るべ き こ と。⑥ 全 て の 者 のた め の 中 等教 育 は、 多様 性 、 実 際 的 な訓 練 、 水 準 等 の 点 で、 そ の 価 値 を 親 に確 信 させ ね ば な らな い こ と。⑦ 技 術 教 育 は拡 充 、 改 善 され ね ば な ら な い こ と。 以上 で あ る。 ま た、 労 働 党 の選 挙 綱 領 は、 ① で き るだ け速 や か に16才 ま で の義 務 教 育 就 学 年 齢 の 引 き上 げ を行 う こと、 ② 継 続 教 育 、 成 人 教 育 、 全 て の者 の た あ の 中等 教 育 な ど の提 供 も含 めて 、1944年 数 育 法 を具 体 的 に実 施 す る こ と、 ③ 教 育 の 目 的 は個 々 の市 民 が 自 ら考 え る こ とが で き る よ うに す る こ とで あ る こ とを 想 起 す べ き こ と、 ④ 全 て の 国 民 が 余 暇 を 十 分 に 楽 しみ 、健 康 な レ ク レー シ ョンの 機 会 を 持 つ こ とが で き るよ うに 、 種 々 の 社 会 教 育 施 設 を提 供 す る こ と、 な どを 掲 げ て い る。 これ か らわ か る とお り、 若 干 の ニ ュア ンス の差 が あ る もの の、 対 立 点 は ほ とん どな く、 何 れ も1944年 法 の実 施 と具 体 化 を 重 要 な 政 策 課 題 と して取 り上 げて い る。(4) さ て、 実 際 の選 挙 運 動 に お い て、 保 守 党 は社 会 改 革 構 想 の実 現 を力 説 し、 確 約 す るよ り も、 労 働 党 へ の攻 撃 に ウエ イ トを お い た。 選 挙運 動 に あ た って は、 発 刊 さ れ て ま もな い 、 ハ イ エ ク の 『隷 従 へ の道 』 が使 わ れ よ う と した。 保 守 党 の社 会政 策 の主 張 は具 体 策 に 欠 け て い た。選 挙 民 は、 こ う した保 守 党 の姿 勢 を支 持 せ ず 、 戦 勝 の功 労 者 と して の チ ャー チ ルが 率 い る保 守 党 よ り も、 社 会 改 革 の 実 現 を標 榜 す る労 働 党 へ の支 持 を強 めて い った 。 こ う した状 況 の 中 で、1945 年7月 に行 わ れ た選 挙 結 果 は、労 働党 が圧 勝 し、 これ以 後1951年 ま で ア ト リーを 首相 とす る労 働 党 政 権 の下 で 、 政 治 が 行 わ れ る こ と にな った。 1945年 に成 立 した労 働 党 政 権 は、 しか しな が ら戦 後 の極 あ て困 難 な 社 会 経 済 的 状 況 の 下 で 政 治 を 始 め ね ば な らな か っ た。 イ ギ リス は戦 争 に よ って 巨大 な 債務 を 負 って い た。 戦 後 多 くの海 外 資 産 を 失 って い た。国 内 の 生 産 設 備 も壊 滅 的 な状 況 に あ った 。1947年 に生 じた猛 烈 な寒 波 は さ らに ま た大 き な打 撃 を与 え た 。 す な わ ち、 燃 料 危 機 が生 じ、 イ ン フ レが 亢 進 した 。 国 際 収 支
戦 後復興期のイギ リス保守党教育政策 121 は悪 化 の 一 途 を 辿 り、 経 済 的 に極 め て困 難 な状 況 が 続 い た 。 さ らに第 二次 大 戦 後 は、 ソ連 や社 会 主 義 諸 国 と の間 で 冷 戦 が始 ま り、 そ れ が い っ そ う厳 しさ を増 す と と もに 、軍 事 費 の 負担 も増 加 傾 向を 示 した。 労 働 党 政 権 は 種 々 の対 応 策 を 考 え、 実 施 したが 、 厳 しい 経済 状 態 は続 い た。 しか しな が ら、 労 働 党 、 ア ト リー政 権 は、 こ う した 困難 な社 会経 済 状 況 の下 で 選 挙 公 約 を 実 現 す べ く福 祉 国 家建 設 の骨 格 とな る諸 政 策 を 次 々 と決 定 、 実 施 した。 す な わ ち、 イ ング ラ ン ド銀 行 を 皮切 り に、 民 間航 空 、 そ の他 の 基 幹 産 業 を 国有 化 した 。 また 、 国民 保 険 法 、 国 民 保 健 サ ー ビ ス法、 国 民 扶 助 法 等 の社 会 保 障 関 係 立 法 を精 力 的 に行 い 、 さ らに戦 災 に よ る住 宅 不 足 を解 消 す るた め に、 住 宅 供 給 に取 り組 み、 ニ ュー タウ ン法 や 都 市 ・地 方 計 画 法 等 を成 立 さ せ た。 労 働 党 政 権 下 の教 育 政 策 もま た、 以 上 の よ う な困 難 な状 況 の 中で 展 開 せ ざ るを得 な か った。 ア トリー内 閣 に お い て教 育 大 臣 に任 ぜ られ た の は、 ウ ィル キ ン ソ ン(E.Wilkinson)で あ った 。 彼 女 の下 で 教育 省 の最 大 の課 題 は1944年 教育 法 を実 施 し、 具 体 化 す る こ とで あ った。 この時期 、 教 育 省 は、 法 を 速 や か に実 施 す べ く種 々 の 規 則 を制 定 し、 地 方 教育 当局 に通 達 、 覚 え 書 きを 矢 継 ぎ早 に発 した。 そ して、 当局 は、 こ う した 通 達 や覚 え書 きを受 けて、 当該 行 政 区 域 内 の教 育 発 展計 画 を 作 成 しこれ らを具 体 化 す る こ とを は じあ 、1944年 法 に よ って 課 さ れ た多 くの他 の所 掌 事 務 の 処 理 に忙 殺 され た。 この時 期 、 教 育 行 政 の最 大 の 課 題 は、 教 育 施設 ・設 備 を整 備 し、 必 要 な教 員 を 確 保 す るこ とで あ った。す なわ ち、 戦 災 を 被 った相 当数 の学 校 を 復 旧 し、 ま た戦 前 よ り引 き継 いだ 老 朽 化 した校 舎 や ス ラ ム化 した 学 校 を修 理 、 整 備 しな け れ ば な らな か った。 建 設 が進 め られ て いた 新興 住 宅 地 に学 校 を 新設 す る必 要 もあ った。 また、 学 制 の改 革 に と もな っ て これ ま で 初 等 段 階 か ら中等 年 齢 段 階 まで の 子 ど もを 同 時 に収 容 して い た学 校 を 分 離 し、 さ ら に必 要 な 中 等 学 校 を整 備 しな けれ ば な らなか っ た。 そ して ま た、 ウ イル キ ン ソ ンの非 常 な努 力 に よ って 、 公約 を果 たす べ く閣 内 の一 部 の反 対 を 押 し切 って決 定 さ れ た義 務就 学 年 齢 の15才 まで の 引 き上 げ を実 施 す るた め に、 必 要 とす る 施 設 設 備 を 整 備 し、 大 幅 に不 足 す る教 員 を確 保 す る た め緊 急 の措 置 が 講 じ られ ね ば な らなか っ た。 これ らに加 え て、 戦後 の 出 生 率 の 爆 発 的 な 増 加 の結 果 予 測 され る児童 数 の 急 激 な 増 加 へ の 対 応 も始 め ね ば な らな か った。 以 上 の よ うに、 教 育 行政 は 当面 す る様 々 な 課 題 に速 や か に対 応 す る こ とを迫 られ た。 しか し、 戦 後 の 厳 しい財 政事 情 の下 で、 これ らを 行 うた あ の財 源 は極 あ て 不十 分 で あ り、 思 うよ う に進 まな か った。 と ころ で、1944年 数 育 法 に お いて 未 決 に さ れ た 重 要 な 問題 の一 つ で あ る中 等 教 育 の形 態 に つ いて 、労 働党 政 権 の下 で ど の よ うな政 策 が推 進 され たの で あ ろ うか。 結 論 か ら言 え ば、 教 育 省 は1943年 の教 育 白書 や ノ ー ウ ッ ド報 告 書 等 に示 され た3分 岐 制 が望 ま しい と して、 これ を支 持 し、 そ の 旨地方 教 育 当局 に通 達 を 出 し、 資料 を 送 付 した。 そ して、 地 方 教 育 当局 の側 で も、 お お む ね こ の線 に沿 って発 展 計 画 が作 成 さ れ た の で あ った。 労 働 党 政権 下 の教 育 省 が この よ うな 立 場 を と っ た理 由 と して、 大 臣 が教 育 省 官 僚 の 助 言 に従 っ た こ とが あ げ られ て い る。 しか し、 ウイ ル キ ン ソ ンは党 内 で 中道 穏 健派 に属 し、 彼 女 自身 も当時 一 般 的 に支持 され て い た3分 岐 制 が望 ま しい と考 え て いた の で あ った。 大 臣 が こ の よ うな立 場 を と った こ と に対 して 、教 育 の 平 等 化 を志 向 し、 中 等 学 校 の 総 合 化 を進 あ よ う と す る労 働 党 内 の一 部 の勢 力 か ら批判 が な され 、 党 大 会 等 で は これ を め ぐって 激 しい 論議 が な さ れ た。 しか し、 以 上 述 べ て きた 政 策 は ウ ィル キ ン ソ ン急 逝後 、1947年 に教 育 大 臣 に な った トム リ ンソ ン(G.Tomlinson)の 下 で も基 本 的 に変 わ らなか った。 以 上 、 ア トリー政 権 の教 育 政 策 の概 要 を 述 べ た が、 他 に多 くの 緊急 な政 治 課 題 を抱 え て い た 同政 権 にお いて教 育 は優 先 事 項 で は な く、 教 育 行 政 は厳 しい財 政 事情 の 中 で 当面 す る課 題 に対 応 しな けれ ばな らなか った。そ して、教育 施設 ・ 設 備 の整 備 や 、 教 員 の 確保 は順 調 に は進 まず 、 地 方 に よ って 教 育 条 件 に大 きな格 差 を生 じ、 ま た 、過 大 規 模 学 級 の 解 消 を は じめ とす る種 々 の 教 育 問題 を解 決 す る こ とが で きな か っ た。 この 時 期 の教 育 行 政 の主 た る成 果 は、 義 務 就 学 年 齢 を15才 に まで 引 き上 げ た こ と、 学 校 給 食 や無 料 ミル クの提 供 が 推 進 され た こ とで あ った が、 それ 以 外 の 問題 につ いて 極 め て 不十 分 な対 応 し
122 藤 田 弘 之 か 出来 な か っ たの で あ る。 こ う して 、 モ ー ガ ン (K.Morgan)等 は労 働 党 政 権 の下 で 、 他 の 領 域 に比 べ て教 育行 政 は成 果 の乏 しか った領域 で あ っ た と し、 特 に 、 コ ンプ リヘ ン シ ブ ・ス ク ール の 導 入 が 図 られ なか った こ と、 独 立 学 校 ま た はパ ブ リ ック ・ス ク ー ル の 問題 が 扱 わ れ なか った こ とを 批 判 した ので あ る。(5) 労 働 党 政 権 の下 で以 上 の よ う な教 育 政 策 が 進 む一 方 、 既 に述 べ た よ う に野 党 に な っ た保 守 党 は、 そ の支 持 率 の 低下 や 世 論 の動 向 を背 景 に、 党 再 生 の た め に組 織 や 政 策 の見 直 しを迫 られ て い た。 こ う した見 直 しは戦 後 再 編 さ れ た保 守 党 調 査 局 の主導 の下 で行 わ れ たが、 その際 バ トラー や マ ク ミラ ンを は じめ 、 い わ ゆ る進 歩 的保 守 主 義 者 、 穏 健 主 義者 が 影 響 力 を持 って き た。 そ し て、 彼 らの主 導 の 下 で 、 世 論 の動 向 を考 慮 しっ っ、 保 守 党 は 福 祉 国 家 的 諸 政 策 を漸 次受 容 して 行 った。 と ころ で この 時 期 保 守 党 は、 教 育 政 策 に つ い て い か な る立 場 を と った の で あ ろ うか。 結 論 か ら言 え ば、 こ の時 期 教 育 政 策 は保 守 党 に お い て も重 要 な政 策 課 題 で は な か った。 この こ と は保 守 党 大 会 の状 況 を 見 れ ば よ くわ か る。 確 か に、 選 挙 が あ った1945年 の大 会 で は教育 問 題 が論 議 され 、1944年 教 育 法 を支 持 す る こ と、 初 等以 後 の教 育 につ い て 実 験 の機 会 を歓 迎 す る こ と、 技 術 教 育 、 職 業 教 育 の拡 充 、 体 育 や組 織 的 活動 の 施 設 整 備 の必 要 性 を認 め る こ と、十 分 な 数 の 優 秀 な有 資 格教 員 の確 保 を求 め る こ と、等 々 の大 会 決 議 が な さ れて い る。(6)し か し そ れ 以 後 、 1950年 まで 大 会 で 教 育 問題 が大 き く扱 わ れ る こ と は な く、 大 会 決 議 に も全 く含 まれ て い な い。 これ は一 つ に は労 働党 政 権 の教 育 政 策 が 保守 党 の政 策 と大 き く相 違 せ ず、 フ ォー マ ル に は未 だ ノ 労 働 党 と の 間 で 教 育 政 策 上 の 論 戦 が な か っ た こ と を 示 して い る 。 しか し、 保 守 党 関 係 者 の 間 で は 、 既 に 中 等 学 校 問 題 に つ い て 労 働 党 内 の 一 部 急 進 派 に 対 抗 し て グ ラ マ ー ・ス ク ー ル の 防 衛 と コ ン プ リヘ ン シ ブ ・ス ク ー ル 化 阻 止 の 動 き が で て い た 。 そ の 先 鋒 に あ っ た の は 、 保 守 党 統 一 教 員 協 会(Conserv-ative and Unionist Teachers'Association一 以 下 、CTA)で あ っ た 。 党 本 部 調 査 局 に お い て も党 政 策 見 直 し の 一 環 と し て 教 育 政 策 の 検 討 が 進 ん で い た 。 この 検 討 に あ た り 覚 え 書 き を 提 出 した の が 、 マ ク ロ ー ド(1.Macleod)で あ っ た 。 彼 は 、 「平 均 以 下 の 人 々 を 引 き 上 げ る こ と よ り も 、 水 準 を 引 き 下 げ る と い う 、 全 て の 領 域 に 顕 著 な 社 会 主 義 の 傾 向 は 特 に 教 育 の 領 域 に お い て も 明 らか で あ り、 グ ラ マ ー ・ス ク ー ル の 将 来 に と っ て 重 大 な 脅 威 で あ る 」 と 述 べ 、 優 秀 で あ り 伝 統 を 持 つ グ ラ マ ー ・ス ク ー ル の 保 持 を 強 調 す る と 共 に 、 保 守 党 教 育 政 策 の 将 来 の 優 先 事 項 と し て 、 残 存 す る 全 年 齢 学 校(all-age schools)の 再 編 、 学 級 規 模 の 縮 小 、 モ ダ ー ン ・ス ク ー ル 水 準 の 引 き上 げ 、 テ ク ニ カ ル ・ス ク ー ル の 拡 大 、 3分 岐 制 の 擁 護 と実 施 等 を 提 示 した の で あ った 。 (7)彼 の 覚 え 書 き の 趣 旨 は 、 党 の 政 策 見 直 し の 文 書 と し て1949年 に 出 さ れ た 『イ ギ リ ス の た あ の 正 し い 道 』("The Right Road for Britain") に お お む ね 反 映 さ れ た 。(8)そ し て 、 こ の 内 容 は そ の 後 、1950年 総 選 挙 に 際 し て 保 守 党 が 公 表 し た 選 挙 綱 領 に 収 束 し た の で あ っ た 。 3、 「一 つ の国 民 集 団 」の教 育政 策 論 第2次 大戦 後 の イ ギ リス保守 党 の 福 祉 国 家 政 策 へ の 対 応 を 検 討 す る際 、 「一 つ の 国 民 集 団 」 の 存 在 を 無 視 す る こ と はで きな い で あ ろ う。 ONGは 、1950年2月 に 行 わ れ た 総 選 挙 で 初 当選 した9人 の下 院 保 守 党 陣笠 議 員 に よ り結 成 さ れ た 非 公 式 な ク ラ ブで あ る。 こ(bONGは 、 戦 後 保 守 党 史 の 中 で 、 い わ ば 「神 秘 的 な位 置」を 与 え られ て きた と され る。 ウオル シャ(R.Walsha) は、 「ONGは しば しば並 外 れて 重 要 で あ る と描 か れ て きた 。 そ れ は、 そ の 初 期 に発 刊 した2つ の 著 作 物 、 つ ま り1950年 のr一 つ の国民 』 と1954年 の 『変 革 こ そわ れ ら が 味 方 』 、 の た め で あ り、 また 、 保 守 党 下 院 議 員 の私 的 な 会 食 集 団 が 普 通 に期 待 され る影 響 を は るか に超 え る と見 られ る影 響 を 議 会 の 裏 場 面 で 及 ぼ した た め で あ る。 "一 つ の国 民 を 掲 げ る保 守 主 義" と密 接 な関 連 を もっ たそ の 集 団 は、 戦 後 初 期 の 保守 党 も近 代 化 勢 力 の前 線 にお り、 ま た こ の時 期 の 保 守 主 義 の 再 検 討 に中 心 的 な 役 割 を果 た し た と見 られ て きた 。」 と述 べ て い る。(9)彼 は ま た 、ONGの 重 要 性 につ い て 、 お そ ら く 「そ の 存 在 の 長 さ のた め 、 ま た メ ンバ ーの 非 常 に多 く が 、 内 閣 に入 った と い う こ との た あ 、1945年 以
戦 後復興期 のイギ リス保守党教育政策 123 来 増 大 し て き た 多 く の 類 似 集 団 の う ち最 も有 名 、 か っ 重 要 な も の で あ る。 そ の 設 立 者 の 中 に は 、 保 守 党 史 に お い て 重 要 な 役 割 を 果 た す こ と に な る、 ピ ー ス(E.Heath)、 パ ウ エ ル(E.Powell)、 マ ク ロー ド、 カ ー(R.Carr)が 含 まれ て お り、 後 に ジ ョ ウゼ フ(K.Joseph)、 リ ド リー(N.Ridley)、 ビ ッ フ ィ ン(B.Biffin)、 リ ッ ポ ン(G .Rippon) な ど が 加 わ っ た。」 さ ら に 、 「内 閣 の 地 位 を 獲 得 した メ ン バ ー の リ ス トが 非 常 に 長 い の で 、1970 年 代 初 期 に は 、ONGは 将 来 の 指 導 者 達 の 教 育 的 フ ォ ー ラ ム に な っ た と さ え 言 わ れ た 。」 と し て い る。(10)ONGは 、 当 時 の 新 し い 時 代 精 神 を 代 表 す る も の と して 見 ら れ て い る が 、 そ の 立 場 や 保 守 党 の 政 策 へ の 影 響 の 程 度 に つ い て は 評 価 が 分 か れ て い る 。 ONGに つ い て は こ れ ま で 本 格 的 な 研 究 が な さ れ て お らず 、 通 常 はONGの メ ンバ ー の 伝 記 や 保 守 党 史 関 係 の 文 献 で 簡 単 に 触 れ られ る こ と が 多 か っ た 。 そ れ は、,こ の 集 団 に よ り 出 さ れ た 出 版 物 が 極 め て 少 な い こ と、 こ の 集 団 が 非 公 式 の も の で あ り、 残 さ れ た 資 料 が 極 め て 少 な い こ 、 と に よ る。 ONGは 教 育 問 題 の 議 論 や 検 討 も行 っ て い る 。 こ のONGの 教 育 政 策 論 に つ い て は 、 管 見 し た と こ ろ こ れ ま で の ほ と ん ど取 り上 げ られ て い な い 。 こ う し た 状 況 の 中 で 、 戦 後 保 守 党 の 教 育 政 策 検 討 に あ た りONGの 教 育 政 策 の 検 討 は 一 定 の 意 味 を 有 す る もの と 考 え ら れ る。 さ て 、 す で に 述 べ た よ う に 、ONGは1950年 2月2月 の 総 選 挙 に お い て 初 当 選 し た9人 の 下 院 議 員 、 す な わ ち オ ー ル ポ ー ト(C.J.M.Alport)、 カ ー 、 フ ォ ー ト(R.Fort)、 ピ ー ス 、 ロ ン グ デ ン (G。Longden)、 マ ク ロ ー ド、モ ウ ド(A.Maude)、 パ ウ エ ル 、 ロ ジ ャ ー ス(J .Rogers)、 か ら結 成 さ れ た 集 団 で あ る。 ONGの 結 成 事 情 は必 ず し も は っ き り し て い な い 。 資 料 や 関 係 者 の 証 言 を あ わ せ る と、1950 年 の 総 選 挙 後 しば ら く し て 、 徐 々 に そ の 結 成 が 進 ん で い っ た もの と思 わ れ る 。 す な わ ち 、 当 時 の 労 働 党 政 権 の 社 会 政 策 に 対 す る 保 守 党 幹 部 の 対 応 の 不 十 分 さ、 ま た 保 守 党 自 体 の 社 会 政 策 の 一 貫 性 の な さ に不 満 を 持 っ て い た モ ウ ド と オ ー ル ポ ー ト と の 間 で 議 論 が 始 ま り 、 こ れ が 契 機 と な り 、 そ の 後 ロ ン グ デ ンが こ の 議 論 に 加 わ っ た。 そ して 、 彼 らは非 公 式 に食事 を取 りっっ 、 な す べ き こ とを 検 討 し始 あ た。 や が て こ う した議 論 に、 カー を は じあ とす る設立 メ ンバ ー が順 次、 加 わ った の で あ る。 ONGに 参 加 した 議 員 は 、 「1950年 の ク ラ ス 」 と呼 ば れ て い る。 彼 らの 多 くは、 保 守 党 の議 員 候 補 者 の選 考 手 続 きを 改正 し、 民 主 化 した1948 年 の 党 組 織 改 革 の 結 果 、選 ば れ た もの と さ れ、 「近 代 的 、専 門 職 的 で 、実 業 家 の 精 神 を も っ た 、 しば しば下 級 中 産 階 級 出 身 の者 」 が多 か った。 す なわ ち 、 保 守 党 は新 しい血 や階 級 を呼 び入 れ たの で あ る。 もち ろ ん 、ONGの メ ンバ ー は全 て が この よ う な出 身 者 で は な か ったが 、 階 級 意 識 を 持 た ず 、 階 級 融 和 的 な者 が多 か っ た と さ れ て い る。(11) この 集 団 の 目的 は、当初 よ り、 保 守 党 に対 し て 、 労 働 党 の 社 会 政 策 に対 抗 す る健 全 な政 策 の 基 礎 を 提 供 す る こ とを 目指 して お り、 これ に関 連 して 、 メ ンバ ー の 間 で非 公 式 な議 論 が な され た 。ONGの 活 動 が よ り明 確 に な って く る の は マ ク ロー ドが 加 わ って か らで あ る。 す なわ ち、 マ ク ロー ドに 対 して は保 守 党 本 部 よ り社 会 サ ー ビス に関 す る小 冊子 を ま と め る よ うに 求 あ られ て い た が、 彼 はONGの エ ネ ル ギ ー を 集 約 す る 手 段 と して この 冊子 を ま と め る こ とを メ ンバ ー に提 案 した の で あ る。 後 に、 モ ウ ドの提 案 に よ り、 『一 つ の 国 民 』 と称 され る こ とに な る社 会 サ ー ビ スに 関 す る こ の 冊子 の編 集 は、 マ ク ロ ー ドとモ ウ ドの責 任 の も とで始 ま った。(12)メ ンバ ーは そ れ ぞ れ得 意 な 特定 の節 の草 稿 執 筆 を分 担 し、 出来 上 が った 草 稿 を メ ンバ ー全 員 が順 次綿 密 に検 討 、 修 正 し た。 そ して 、 内 容 につ いて全 員 の合意 を得 つつ 、 編 集 が進 め られ た。 正 式 には 、 『一 つ の 国 民 一 社 会 問 題 へ の保 守 党 の ア プ ロー チ ー』 と題 す る この冊 子 は、 メ ンバ ー全 員 の合 意 の下 に書 か れ た もので あ る こ とを 示 す た め に、・各節 を 特 定 の 人 物 の執 筆 と して 示 さな い こ と と され、 創 設 メ ンバ ーの 全 員 が そ の 著者 に名 を連 ね、 編 集 者 と して マ ク ロ ー ドとモ ウ ドが示 され る こ とに な っ た 。(13)こ の 本 は、1950年10月 の保 守 党 大 会 に あ わ せ て 出版 され た が、 これ は発 行 後 、数 週 間 で8500部 を売 上 げ、 政 治 的 パ ン フ レ ッ トと して は異 例 の ベ ス トセ ラー に な った。
124 藤 田 弘 之 『一 つ の国 民 』 は、 バ トラーの緒 言か ら始 ま っ て い る。 バ トラー は戦 後 復 興 期 の 保 守 党 政 策 の決 定 に お い て 重 要 な人 物 で あ った。 彼 は 『一 つ の国 民 』 の 緒 言 に お いて 、 これ が党 の公 式 の 立 場 を示 す も ので は な い と して い る が、 この文 書 が 健 全 で あ り、 ま た建 設 的 な もの で あ る と し て推 薦 して お り、 当 時 の党 の方 針 か ら大 き くず れ る もの で は な か った と見 られ る。この 文 書 は、 福 祉 国 家 問題 を含 む社 会 サ ー ビ ス の 発 展 、富 の 再 配 分 の社 会 的 効 果 、人 口政 策 、住 宅 政 策 、教 育 政 策 、 保 健 政 策 、 保 険 及 び援 助 問題 、 高 齢 者 の 援助 ・介 護 問 題 、 産 業 社 会 政 策 、 僻 地 政 策 、 地 方 自 治政 策 、社 会 サ ー ビス財政 の問 題 を取 り扱 っ て い る。 『一 つ の 国 民 』 の第1節 は、 「思 想 の対 立 」 と題 し、 労 働 党 の立 場 と比 較 しつ つ 、ONGの 基本 的立 場 を 述 っ て い る。(14)す な わ ち、 第1 に、 労 働 党 の 基 本 的立 場 は必 要 性 の有 無 や財 政 状 況 に関 係 な く、す べて の もの に同 じよ うなサ ー ビス を提 供 す る こ とで あ るが 、ONGの 立 場 は 必要 と して い る人 に対 して、 ま ず そ れ を提 供 す べ き とい う立 場 で あ る。 第2に 、 これ と関 わ る が、 労 働 党 は国 家 が平 均 的 水準 の サ ー ビス を提 供 す べ きで あ る と考 え る が 、ONGは 国 家 は基 本 的 な最 低 限 の サ ー ビス を提 供 す べ きで あ り、 それ 以上 は人 々 が 自 ら勤 勉 、 節 倹 、 能 力 ・才 能 の許 す 限 り、 そ の水 準 を 自 由 に 高 め て い くべ き で あ る と考 え て い る。 第3に 、 労 働 党 は私 的 な 慈 善 を重 視 せ ず、 公 的 サ ー ビスを基 本 とす るが、 ONGは 強者 が 弱 者 を 助 け る と い う、 社 会 に お け る相 互 扶 助 を重 視 す る。、第4に 、 労 働 党 と異 な って、ONGは 、 現 実 的 、 か っ 経 済 的 な 制 約 の範 囲 内 で 社 会 政 策 を進 あ よ う と考 え る こ とで あ る。 そ の た あ、 社 会 サ ー ビス の提 供 に あ た っ て は行政 的 効 率 性 を重 視 し、 優 先 を 明確 に認 識 す る こ とで あ る。 「一 つ の 国 民 』.は以 上 の よ うな立場 を基 礎 に、 個 々 の社 会 サ ー ビス の領 域 につ いて論 じ、 最 後 に社 会 サ ー ビス提 供 の た め の財 政 問題 を論 じ、 基 本 的 な 立 場 を確 認 して い る。 す な わ ち、ON Gの 社 会 政 策 の 目 的 を 、 「生 活 や 労 働 の基 本 的 な最 低 水 準 の 確立 と維 持 」 と し、社 会福 祉 サ ー ビス の提 供 の た め の過 大 な 支 出 をや め 国 家 が 財 政 的 に支 持 で き る範 囲 内 で 行わ れ るべ きで あ り、 経 済 状 況 が 許 す 限 りで 段 階 的 に導 入 され る と い う現 実 的 政 策 を 取 るべ きで あ る と して い る。 ま た、 社 会 サー ビス提 供 のため の税 負担 強化 によ っ、 て 、 企 業 や 個 々人 が 競 争 力 や気 概、 事 業 精 神 を 奪 う こ とが な い よ うに と述 べ て い る。(15) 彼 ら に と って 、 社 会 サ ー ビス提 供 の た あ の財 政 的 基 盤 の確 立 は重 要 で あ った。 そ の た め、 産 業 の 発 展 や生 産 の 増 大 は重 要 で あ り、 こ の た め 規 制 を撤 廃 し、 市 場 を 解 放 し、 競 争 や 私 的 事 業 を奨 励 し、 税 負 担 の軽 減 を主 張 した。 ま た、 国 家 に よ る不 必 要 な 水 準 の 富 の再 分配 を 批 判 し、 普遍 主 義 的 な 社 会 サ ー ビ スの提 供 を 批 判 した。 そ して 、 真 に必 要 とす る領 域 や 人 々 に対 して 、 効 率 的 、 効 果 的、 目的 的、優先 的、選 択 的 にサ ー ビ スを提 供 す べ き こ と、 自助 や私 的 な 相 互 扶 助 の 回 復 を 主 張 した 。 『一 つ の 国 民』 は、 「社 会 サ ー ビ ス提 供 に お け る国 家 の役 割 を 条 件 付 で 認 め る こ と と、 そ う した サ ー ビ スを 提 供 す るた め に必 要 な 富 を 生 ず るた あ よ り大 きな 競 争 や 自由 を育 成 す る こ と の バ ラ ン スを と っ た もの で あ った。 また 、 福 祉 改 革 は適 正 な 範 囲 で 支 出 され 、 国 家 が 負 担 可 能 で あ る限 り、 ま た負 担 可 能 で あ る と き に推 進 さ れ る もの で あ った。 した が って、 これ は特 に、 教 育 や 保 健 サ ー ビス の提 供 の 強化計 画 を述 べ たが 、 そ れ はあ く まで 長 期 的 な理 想 であ る と強 調 され、 常 に必 要 な財 源 が 確 保 で き るよ うに な って か ら で あ った 。」(16)ウ オ ル シ ャに よ れ ば、 『一 つ の 国民 』 の 主 張 は、 その 当 時 『産 業 憲 章 』 や 『イ ギ リスの 正 しい道 』 にお いて保守 党執 行部 に よ っ て示 され た政 策 を 是 認 す る もの で あ った 。 『一 つ の 国 民 』 は、 こ う した党 の 政 策 を さ らに詳 細 に論 じ、 ま た理 論 的 に体 系 性 を もたせ た。 た だ、 社 会 サ ー ビス の優 先 的 選 択 的 提 供 、 規 制 や 補 助 金 の 撤 廃 の主 張 な どで 党 の 政 策 を 越 え る もの で あ っ た。 結 局 、 「この冊 子 は そ の 時 代 の 政 治 的 風 土 か ら考 え て 大 胆 な も の とみ な され るべ き も の で あ っ た。」(17) 「一 つ の 国 民 』 発 刊 の 目 的 は、 著 者 達 が 、 「保 守 党 が社 会 主 義 者 の社 会 福 祉 サ ー ビ ス の 提 供 を 哲 学 や実 践 の上 で こえ る こ と を可 能 に す る
戦後復興期の イギ リス保守党教育政策 125 の に不 可 欠 と考 え た 明 確 な保 守 党 の 福 祉 政策 の 力 強 い基 礎 を 提 供 し よ う とす る こ と にあ った。 そ れ は、 これ まで の 保 守 党 社 会 政 策 形 成 の 断片 的 な性 格 の もの に支 え と な る合 理 性 を提 供 しよ う とす る試 み で あ っ た 。 ONGは 、 保 守 党 が社 会 主 義 者 の 立 場 に追 随 す る ので は な く、 真 に保 守 主 義 者 の態 度 を示 す こ とが 本 質 的 な こ とで あ る と信 じて い た ので あ る。」(18) 『一 つ の国 民 』 は、 そ の影 響 が正 確 に は何 で あ った か につ いて 論 議 が あ り、 ま た必 ず し もそ の後 の保 守 党 政 権 の社 会 政 策 の基 礎 に な る もの で はな か った が、 戦 後 保 守 主 義 の発 展 に お いて 重要 な文 書 と広 く認 あ られ て い る。 その提案 は、 「戦 後 保 守 党 政 治 家 た ち の新 しい 世 代 に よ る大 きな 、 ま た積 極 的 な国 家 の.受容 の輝 か しい例 と して 見 られ、 ま た パ ター ナ リス テ ィ ック な一 つ の 国 民政 策 か らよ り積 極 的 な保 守 主 義 へ の旅 だ ちの 種 を 含 む もの と して 見 られ て きた。」(19) しか し、 この 文 書 には 相 容 れ な い2っ の見 方 が 含 ま れ て お り、 こ れ に よ ってONGの 保 守 主 義 の 性 格 に つ い て 異 な った 解 釈 を生 じて い る。 す なわ ち 、1っ はONGの 見 解 を バ トラーや イ ー デ ンの よ う な戦 後 の 指 導 者 達 の 見 解 に広 く一 致 す る もの で あ り、 そ の 意 味 で 党 の 左 派 の立 場 に 立 ち、 進 歩 的 な 、 新 保 守 主 義 の 先 陣 に立 つ もの と見 るい わ ば通 説 的 見 解 で あ る。 も う1っ は、 ONGの 本 質 は誤 解 さ れ て お り、 党 の 左 派 の 立 場 に属 す る もので は な く、 や が て サ ッチ ャー主 義 に通 ず る急 進 主 義 的 な 側 面 を 基 礎 に持 つ とい う立 場 で あ る。 実 際 、 『一 つ の 国 民 』 に はあ い ま いな 表 現 が含 まれ、 こ うした論 議 の火種 とな っ て い る。 『一 つ の 国 民』 に あ い ま い な 表 現 や 相 容 れ な い見 解 が 含 ま れて い る の は、 そ の編 集 事 情 と時 代 状 況 を考 え る必 要 が あ るで あ ろ う。 す な わ ち、 こ の文 書 は9人 の メ ンバ ーの 合 作 で あ り、 メ ンバ ー の見 解 の差異 を調 整す る必要 があ っ た ことで あ る。 「ONGは 、 そ の 初期 におい て も、 異 な っ た見 解 の合 わ さ った もので あ った の で あ る。」(20)ま た、 当 時 の 時 代 状 況 か ら、 保 守 党 が 社 会 福 祉 政 策 を継 承 す る こ とを選 挙 民 に示 さ な けれ ば な らず、 そ の意 味 で真 の主 張 が弱 ま り、 温 和 な もの にな った の で あ る。 先 述 の よ う に 、 『一 つ の 国 民 』 に は 、 教 育 政 策 に 関 す る節 が 含 まれ て い る。 教 育 に関 す る節 の草 稿 は、 ア ンガ ス ・モ ウ ドが執筆 し、 メ ンバ ー の検 討 を経 て節 に加 え られ た もので あ る。 この文 書 の 中で 教 育 は住 宅 問 題 に次 い で第2 番 目 に重 要 な サ ー ビス と され 、 住 宅 と教 育 の2 っ の サ ー ビス が、 イ ギ リス国 民 の健 康 、 繁 栄 、 モ ラー ル を決 定 す る もの と して い る。 ま た、 教 育 は 単 に社 会 サ ー ビス に と ど ま らず 、 国 防 の一 部 を 担 う もの と して重 視 して い る。 教 育 問 題 の検 討 に あ た り、 こ の文 書 は財 政 や 資 源 が逼 迫 して い る中 で子 ど もの数 が 増 え教 育 にお いて重 大 な問 題 を生 じて い る こ とを 述 べ た 後 、 限 られ た資 源 を うす くば ら撒 き水 準 を低 下 させ るべ きで な い と し、 「非 常 に高 い 質 的 水 準 を 低 下 す る こ とに よ って 維 持 され る平 均 的 な水 準 の 教育 は不 十 分 よ り も も っと悪 い もので あ る。 それ は長 く維 持 で きな い。」 と基 本 的 な 立 場 を 述 べ て い る。(21)以 下 は 『一 つ の国 民 』 に お け る教 育 問 題 に 関す る主 張 の要 約 で あ る。(22) (1)ま ず1944年 教 育 法 を評 価 し、 こ の実 施. を主 張 して い る。 す な わ ち、 保 守 党 の 実 績 と し て1944年 数育 法 の制 定 に尽 力 した ことを指 摘 し、 こ の法 律 が す べ て の もの に対 す る教 育 機 会 の 主 張 、 人 間 の性 質 や能 力 の多 様 性 の認 識 、 国 民 統 合 の指 針 の達 成 な どの点 で 保 守 党 政 策 を 貫 く筋 道 で あ る と して い る。 そ して これ が 順 調 に実 施 され て い ない こ とを認 あて い る。 そ して 、 こ の 文 書 の最 後 で 、1944年 法 を支 持 し、 保 守 党 が 可 及 的 速 や か にそ れ らの実 施 を誓 うべ き もの と結 ん で い る。 (2)1944年 法 の実 施 を棚 上 げ にす る こ と は 認 め られ ず、 短期 的計 画 と長 期 的 計 画 に区 分 し て実 現 を図 るべ きで あ る と し、 直 ち に必 要 な こ とは、 増 加 す る子 ど もの た あの 学 校 の 建 築 と設 備 の整 備 で あ り、 また優 秀 な教 師 を 確 保 し、 訓 練 す る こ とで あ る とす る。 そ して 、 資 源 が 不 足 す る中で 、学 校建 築 は初 等 学 校 と中 等 モ ダ ンス ク ー ル に優 先 順 位 が お か れ るべ きとす る。 また、 教 師 の確 保 、 彼 らの再 訓 練 、 給 与 や 勤 務 条 件 の 改 善 も必 要 で あ る と して い る。教 師 につ い て は、 特 に グ ラマー ス クー ル の教 師 を 重 視 して い る。 す な わ ち、 「これ らの重 要 な学 校 の水 準 が 高 い レベ ルで 維 持 され る もので あ る とす るな らば 、
126 藤 田 弘 之 グ ラマ ー ス ク ー ル の教 師達 に特 別 の 配 慮 が な さ れ るべ きで あ ろ う。 これ らの水 準 の 低 下 は この 国 が いっ か 重 大 な 代 償 を支 払 う こ と に な る災 難 につ な が るで あ ろ う。」 と して い る。 (3)諸 々 の 制 約 の 中 で1944年 法 の実 施 が 困 難 な場 合 、(就 学 人 口 を増 や し)教 育 水 準 を 低 下 させ る か、 入 学 年 齢 を 引 きあ げ ま た は、 雑 学 年 齢 を 引 き下 げの 選 択 が 必 要 に な る が 、ONG の立 場 は後 者 で あ ると し、 この よ うな措 置 に よ っ て教 育 水 準 を 確 保 す る こ とが 重 要 で あ る と主 張 して い る。 こ の よ う な立 場 は チ ャ ー チ ル な ど執 行 部 の立 場 と共 通 す る もの で あ っ た。 (4)こ の 文 書 は提 供 され る教 育 に つ い て、 特 にそ の 水 準 の確 保 につ いて 論 じて い る。 す な わ ち、 学 問 水 準 の確 保 が必 要 で あ り、 子 ど も達 に3Rs、 基 礎 的 知 識 を 身 に つ け さ せ る こ と を 重 視 し、 「教 育 方 法 を 人 間 化 す る と い う近 代 的 な主 張 は概 念 で は望 ま しい が、 そ れ は 伝 統 的 な 学 習 の規 律 を放 棄 す る言 い訳 に な され るべ きで は な い。」 と して 、 進 歩 主 義 的 教 育 を 批 判 して い る。 そ して 、 高 い学 問 的水 準 を 確 保 し、 最 低 限 の達 成 水 準 を 確 保 す る ことが必 要 で あ ると し、 そ の た め に学 校 修 了 テ ス トな どが 必 要 で あ る と 述 べ て い る。 (5)彼 ら は教 育 内 容 に つ い て 、 校 長 や 視 学 官 に任 せ る べ き とす るが、 子 ど も達 の 日常 生 活 に お け る宗 教 教 育 や礼 拝 に つ い て は特 別 の 考 慮 を払 うべ き こ とを 主 張 す る。 ま た 、 全 て の 宗 派 が設 立 す る私 立 学 校 を 支援 し、 そ れ を 援 助 す べ き と して い る。 (6)現 下 の 危 機 的 状 況 の も とで は初 等 学 校 の改 善 に 第1に 優 先 が お か れ るべ きで あ るが 、 保 育 学 校 、継 続 教 育 学 校 、 技 術 学 校 につ いて も 改 善 ∼振 興 の 必 要 が あ る とす る。 (7)最 後 に独 立 学 校 につ い て 述 べ て い る。 す な わ ち 、 彼 らは公 的 制 度 の 外 部 に位 置 す る独 立 学 校 の 存 続 を本 質 的 な もの と し、 これ らの学 校 の最 上 の も の は、 教 育 水 準 の 基 準 を提 供 す る もの と して い る。 そ して 、 これ らの学 校 が 十 分 な教 育 水 準 を 維 持 して い る限 り、 政 治 家 は それ ら に介 入 す べ きで な い と主 張 して い る。 ただ し、 水 準 に 問 題 が あ る場 合 は、1944年 法 に基 づ き、 独 立 学 校 の 視 察 が始 ま るべ き と して い る。 ナ イ ト(C.Knight)は 、 ONGや 『一 つ の 国民 』 にお け る教 育 政 策 論 につ いて言 及 し、1970年 代 中 期 以 後 の保 守 党 教 育 政 策 に大 きな 影 響 を及 ぼ す 保 守 主 義 的 教 育 論 の真 の起 源 で あ り、 こ う し た立 場 の萌 芽 的 な考 え方 が 示 され て い る と論 じ て い る。 ま た、 メ ンバ ー の う ち、 ロ ング デ ン、 モ ウ ド、 パ ウ エ ル を典 型 的 な保 守 主 義 的 教 育 論 者 と して い る。〈23) ナ イ トは、 『一 つ の国 民』 に つ い て 、 以 下 の 点 で、 そ の後 発 展 す る萌芽 的 な保 守 主 義 的教 育 論 が見 られ る と指 摘 して い る。 す な わ ち、 第1 は、 平 均 的 な教 育 を 提 供 す る こと を批 判 し、 教 育 サ ー ビス に つ い て 多 様 な機 会 を提 供 し、 教 育 の多 様 性 を維 持 す べ き こ との主 張 で あ る。 第2 は、 い わ ゆ る近 代 的 進 歩主 義 的教 育 方 法 を批 判' し、 優秀 な子 ど もの た あ 伝統 的 な学 習規 律 の維 持 を 主張 して い る こ とで あ る。 第3は 、 子 ど も の 毎 日の生 活 に お い て 宗教 教育 や礼 拝 に適 切 な 位 置 を与 え、 人 間 本 性 の 精 神 的 要素 を教 育 す る こ と、 そ して 宗 派 学 校 を 維 持 し、 カ リキ ュ ラム にお い て 宗 教 教 育 を 保 持 す べ き こ との主 張 で あ る。 第4は 、 教 育 水 準 の 一 つ の 尺 度 と して私 立 学 校 の 存 続 を 主 張 し、 そ れ へ の 国 家 の 介 入 を 否 定 して い る こ とで あ る。 これ らを 総 じて 、 ナ イ トに よれ ば 、 「ONGが 主 張 した こ との 多 くを後 の保 守 主 義 的 教 育 論 者 達 が 是 認 した こ と は、1950年 の 幾 人 か の保 守 党 下 院 陣 笠 議 員 の考 え が、 そ の 後30年 に わ た っ て 保 守 党 内 で 発 展 した"教 育 にお け る優 秀 性" と い う哲 学 の触 媒 で あ った こ とを 示 す もので あ る。 特 に、 保 守 党 の 哲 学 に お け るONGの テ ー マ、 す なわ ち、 特 に社 会 政 策 の領 域 に お い て国 家 は最 小 限 の水 準 を提 供 し、 そ れ以 上 は人 々 が、 勤 勉 、 節 倹 、 能 力 、 才 能 が許 す限 りで 自 由 に引 き上 げ るべ きで あ る とい う信 念 は、 多 数 の保 守 主 義 的 教 育 論 者 に一 つ の教 義 を提 供 す る もの で あ った。 」(24)『 一 つ の 国 民 』 の 主 張 に は,当 時 の 党 執 行 部 の立 場 や 、 伝 統 的 な 主 張 が含 ま れて い る が、 同 時 に ナ イ トが指 摘 す るよ うに、 そ の後 保 守 党 の教 育 政 策 の基 本 哲 学 と し て発 展 す る要 素 が含 まれ て い た の で あ る。 『一 つ の国 民 』 発 刊 以 後 、ONGは 解 散 す る 可 能 性 もあ った が、 しか し、 下 院 に お け る会食
戦後復興期の イギ リス保守党教育政策 127 グル ー プ と して存 続 す る こ とにな り、 その組織 、 また 活動 は そ の後 も続 く こ とに な った。 そ して、 ONGは そ れ 以後 、 非 公 式 な 会 合 を 通 じて 、 メ ンバ ーに知 的、 政 治 的議 論 の機 会 を提 供 し、 メ ンバ ー の社 会 化 の手 段 を提 供 した。1954年 には、 再 び 「変 革 こそ わ れ らが道 』 とい う冊 子 を発 刊 した。(25)こ れ は、 『一 つ の 国 民 』 の 中 で主 張, され た経 済 問 題 を さ らに発 展 さ せ、 イ ギ リス の 経 済 的活 性 化 の方 途 を論 ず る もの で あ った。 こ れ は産業 経 済 政策 が 中心 で教 育 問題 は含 ま れ て いな い が、 産 業 の 柔軟 な構 造 改 革 、 消 費 者 の選 択 、 自由 な 市 場 経 済 や 競争 の重 要 性 を説 く もの で あ った。 ONGの 考 え方 や主 張 は、 党 の 委 員 会 、 議 会 委 員 会、 党 首 な ど に一 定 の影 響 を及 ぼ した と考 え られ る。 しか し、ONGは 集 団 と して 活 動 し た もの で はな く、影 響 はあ くまで個 々 の メ ンバ ー によ る もの で あ った 。 前 述 の よ う に 、ONGの メ'ンバ 「 の 多 くが 、 そ の後 次第 に党 や政 府 の要 職 に つ い た 。 彼 らは個 人 と して、 そ の立 場 に つ く こ とに よ って 影 響 を 及 ぼ した もの で あ り、 そ の意 味 で そ の影 響 につ い て評 価 、 判 断 す るの が 難 し い。 教 育 政 策 につ い て い え ば、 例 え ば、 モ ウ ドは保 守 党 教 育 委 員 会 の委 員 長 に な って い る し、 また ロ ング デ ン は、 そ の副委 員長 で あ った。 モ ウ ドはそ の後 、 教 育 黒書 運 動 に関 わ った。 ONGの 組 織 は その 後 も存 続 し、 一 定 の 活 動 が な され て き たが 、ONGの 歴 史 か らみ れ ば 、 1950年 か ら1955年 ご ろ まで が最 も活 発 な時 期 で あ った。 4、 保守 党 政 権 下 の 教 育政 策 1945年 よ り政 権 を 担 当 して きた労働 党政 権 は、 1950年2月3日 、 任 期 満了 を前 に して議 会 を解 散 し、 総 選 挙 が 行 わ れ る こ とに な った。 この選 挙 は、 既 に 保 守 党 が党 政 策 の見 直 しの中 で混 合 経 済 体 制 や 完 全 雇 用政 策、 さ らに は福 祉 国 家 の 建 設 を基 本 的 に承 認 して い た の で、 実 質 的 に は 余 り大 き な 争 点 の な い選 挙 で あ った。 こ の こ と は、 教 育 政 策 につ い て も同様 で あ っ た。 保 守 党 の選 挙 綱 領 は、①1944年 教 育 法 が 述 べ る改 革: を実 施 す る こ と、 ② 発 展 計 画 の ス ケ ジ ュ ール に つ いて 地 方 教 育 当局 や宗 派 団体 と討 議 す る こと、 ③ 学 級 規 模 を 縮 小 す る努 力 をす る こ と。 ④全 年 齢 学 校 を 初 等 学 校 と中等 学 校 に分 離 す る こ と、 ⑤ グ ラマ ー ・ス クー ル を保 持 す る こ と、 ⑥ 親 が 選 択 した 学 校 に子 供 が就 学 で き るよ うに援 助 す る こ と、⑦ テ クニ カル ・ス クー ル や カ レ ッ ジの 地 位 を 引 き上 げ、 これ を拡 充 す る こ と、 ⑧ 有 能 な人 材 が 教 職 に就 くよ うに待 遇 を改善 す る こと、 等 々 を 公 約 と して 掲 げ た。(26)こ の中 で、 グ ラ マー ・ス クー ル の 保持 を 明確 に した こ とが注 目 され るが 、 これ を 除 け ば1944年 法 の具 体 化 の必 要 性 を 強 調 して お り、 結 果 的 に1945年 総 選 挙 の 際 の 綱 領 と大 差 はな か った。 ま た、 労 働 党 の選 挙 綱 領 は、義 務就 学 年 齢 を 引 き上 げ た こ と、 学 校 を 新設 して い る こ と、 奨 学 金 な ど の提 供 に よ り高 等 教 育 の 機会 を よ り広 く開 く努 力 を して い る こ と、 教 員 養成 の拡 大 に努 力 して お り、 や が て学 級 規 模 の 縮小 が可 能 で あ る こと等 、 労 働 党 政 権 下 の 成 果 を 強調 しっっ 、 これ まで の 政 策 を さ ら に進 め 、 財 源 が許 す限 り教 育 の拡 充 に努 あ る こ とを 掲 げ て い る。(27)確 か に各 政 党 内 で は 種 々 の議 論 が な され て い た が、 以 上 に見 られ る よ う に、 この 時点 で フ ォー マ ル な政 策 につ い て な お 両党 間 で大 きな差 異 を認 め る こ と はで き な いo さて、1950年 の総 選 挙 で 労 働党 は勝利 したが、 全野 党 を わ ず か5議 席 上 回 るだ けの 辛 勝 で あ っ た。 こ う した事 情 で成 立 した第2次 ア ト リー政 権 は、 選 挙後 しば ら く して 勃 発 した朝 鮮戦 争 へ の対 応 を迫 られ る こと に な った 。 政府 は ア メ リ カを積 極 的 に支 援 し、 そ の派兵 の要請 に応 じた。 さ らに この参 戦 を契 機 と して 、 共 産主 義 勢 力 阻 止 の姿 勢 を 明確 に し、1949年 に設 立 され たNA TOと 協 調 す る立 場 を1とり、 軍 備 強化 路 線 に傾 斜 す る こ とに な った。1951年 の予 算 は こ う して 巨額 な軍 事 費 を計 上 し、 社 会 保 障 費 につ い て は これ を切 り詰 め ざ るを え な く な った 。しか し、 この時 期 に莫 大 な軍 事 予 算 を組 ん だ こと はす ぐ に経 済 に悪 影 響 を 及 ぼ した。 イ ンフ レが い っそ う進 み、 国 際 収 支 が 悪 化 し、 生活 費が高 騰 した。 こ う して 、 労 働 党 内 の左 右 の対 立 が 激 化 し、 ま た政 府 に対 す る国 民 の批 判 が高 ま った ので あ る。 ア トリー政 権 は、 こ う して政 権 を 安定 させ るた め1951年10月5日 に再 び議 会 を解 散 し、 総 選 挙 を行 う こ とに な った。 しか し、 結 果 は逆 に保 守 党 が 勝 利 し、労 働党 政 権 は下野 す るこ と とな り、
128 藤 田 弘 之 チ ャー チ ル保 守 党 政 権 が 発 足 した の で あ った。 新 た に発 足 し た チ ャー チ ル保 守 党 政 権 の下 で は、 食 料 の配 給 制 や 資 材 の統 制 が撤廃 され た他 、 国 有 化 され た 鉄 鋼 産 業 を民 間企 業 に も どす等 の 一 定 の 変 更 は あ った もの の、政 策 の 基本 的 枠 組 み は労 働 党 政 権 時 代 と大 き く変 わ らず 、 完 全 雇 用 政 策 は引 き継 が れ、 福 祉 政 策 に つ い て もお お む ね これ が 維 持 され よ う と した 。 後 に 、 バ ッケ リズ ム と いわ れ、 「合 意 の政 治 」 と言 わ れ る時 代 が始 ま っ た の で あ った 。 1951年 に成 立 した チ ャ ー チ ル政 権 に お い て、 教 育 大 臣 に任 ぜ られ たの は、 既 に影 の内 閣 に お い て 教 育 を 担 当 して い た ホ ー ス ブ ラ ー(F. Horsbrugh)で あ った。 しか し、 彼 女 は就 任 当 初 よ り、 チ ャ ー チル に疎 んぜ られ、 閣 議 に も出 られ な か った 。 しか も、 選 挙 公 約 に もか か わ ら ず 、 教 育 は内 閣 に よ って 重 要 事 項 とは み な され ず 、 厳 しい 財 政 的抑 制 の 中 で教 育 行 政 を進 め ざ るを え なか っ た。 そ の理 由 は、 既 述 の よ う に軍 備 強 化 に と もな う財 政 的 な圧 迫 が あ った こ と、 保 守 党 が 選 挙 公 約 と して 減 税 や30万 戸 の 住 宅 建 設 の 目標 を掲 げ て お りそ の 優 先 的 実施 の た め に 多 額 の財 源 が必 要 で あ った こ と、 国 際 収 支 が 改 善 されず 悪 化 した こ とな どが あ げ られ る。 こ う した状 況 下 で 大 蔵 大 臣 に就 任 したバ トラ ー は、 徹 底 した 緊縮 財 政 策 を と り、 再 三 にわ た り教 育 支 出 の厳 しい 削 減 を 迫 っ た。 さ らに、 チ ャー チ ル は義 務 教育 開 始 年 齢 の 引 き上 げ、 同 雑 学 年 齢 の 引 き下 げ 、 教 員 退 職 金 負 担 率 の 引 き上 げ、 給 食 費 の 引 き上 げ、 授 業 料 の導 入 等 々 の検 討 を求 め た。 ホ ー ス プ ラー の下 で教 育 省 は、 こ う した 執 拗 な支 出 削 減 要 求 に対 抗 しつ つ、 前 政 権 の政 策 課 題 を引 き継 ぎ、1944年 法 の学 制改 革 実 施 の た あ、 ま た、 出生 率 の増 加 の 結 果 生 じた児 童 数 の増 加 に対 応 す るた め 、 教 育 施 設 ・設 備 の 復 興 や整 備 、 教 員 の 確 保 、 そ の 他 教 育 条 件 の 整 備 に 努 め な け れ ば な らな か っ た。 結 局 、 義 務 就 学 年 齢 の変 更 等 は世 論 を 考 慮 して な されな か ったが、 地 方 教 育 当局 へ の補 助 金 は大 幅 に削 減 され 、 ま た そ の 他 の支 出 につ いて も厳 しい制約 が課 され 、 教 育 条 件 の 改 善 は抑 制 さ れ た の で あ った。 こ う した状 況 に保 守 党 関 係 者 も含 め て批 判 が生 じた が、状 況 は改 善 され なか った。サイモ ン(B.Simon) は、 こ の時 代 を 「厳 しい 経 済 的抑 制 と ヴ ィ ジ ョ ンの欠 落 の 時 代」 と捉 え て い るが、 一 般 に教 育 史 に お い て は この 時 代 は進 歩 の な か った 時 代 と して 無視 され る傾 向 が あ るの で あ る。(28) しか し、 この 時 期 は中 等 教 育 の あ り方 に つ い て 、 各 政 党 の 立 場 が 次 第 に鮮 明 にな り、 政 党 間 の 論 争 が 活 発 化 しっ っ あ った時 期 で も あ った 。 ,既 述 の よ う に ア トリー労 働 党 政 権 にお いて は現 実 的 政 策 が と られ 、3分 岐 制 を基 礎 と して 中 等 教 育 の 整 備 が 図 られ よ う と した が、 こ う した政 策 につ いて は労 働 党 内 よ り批 判 が高 ま ってい た。 そ して 、 党 内で の種 々 の論 議 を経 て、1950年 の 党 大 会 で は 総 合 学 校 化 の 方 針 が 決 議 さ れ 、 翌 1951年 に この方 針 を ふ ま え て 、 『全 て の者 の た あ の 中等 教 育 』 と題 す る政 策 文 書 が 出 され た。 続 い て、 党 は1953年 に、 『イ ギ リスへ の 挑 戦 』 と題 す る政 策文 書 を ま とあ 、 この 中 で11才 試験 に基 づ く3分 岐 制 を 廃 止 し、 中 等 学校 を全 国一 律 に総 合 化 す る方 向 を 確 認 し、 政 権 獲 得 の た め の 党 の 最重 要 政 策 課 題 の 一 つ と明 確 に位 置 づ け る と と もに、 そ の 具 体 化 に向 け活 動 を 本 格 化 さ せ た。(29) 保 守 党 の 側 で も、 こ う した動 きに対 抗す べ く、. 活 動 が 展 開 され た。 こ う した活 動 を最 も活 発 に 展 開 した の は、 既 述 のCTAで あ った 。 そ れ は 、 グ ラマ ー ・ス ク ー ル の保 持 と能 力 に応 ず る教 育 機 会 の多 様 化 とい う保 守 党 の立場 を確 認 しっ っ、 中等 学 校 総 合 化 の背 後 に あ る社 会主 義 社 会 建 設 の政 治 的意 図 を指 摘 した。 そ して 、 そ の方 向 を と る こ とが、 「政 治 的 宣 伝 に ま や か さ れ て 教 育 の進 歩 や個 人 の幸 福 を 犠 牲 にす る もの で あ る」 と指弾 し、 政府 や 党 が 総 合 化 阻 止 に向 け断 固 た る立 場 を と る こ と を 求 め た 。(30)さ らにCTA は3分 岐 制 を強 化、維 持 す るた めに、 グ ラマー ・ ス ク ール 席 数 の 増 加 と地 域 的 格 差 の解 消 、11才 試 験 運 用 の 柔 軟 化 、11才 試 験 後 の学 校 間 移 動 の 便 宜 供 与 、 グ ラ マ ー ・ス ク ー ル の早 期 離 学 者 数 の抑 制 措 置 の実 施 、 中等 モ ダー ン ・ス ク ー ル の 重 点 的 整 備 、 等 な ど の諸 措 置 を提 言 した。 この 問 題 は保 守 党 大 会 で も議 論 さ れ 、1952年 及 び 1953年 の大 会 で は、3分 岐 制 の 支 持 と総合 学 校 化 に対 す る非 難 が満 場 一 致 で 決 議 され た。(31) ホ ー ス ブラー は、既 に影 の内 閣教育 担当 で あ っ た1951年7月 に、3分 岐 制 や 選 抜 試 験 を 維 持 す る とい う保 守 党 の立 場 を明 確 に し、 中 等 学 校 総
戦後復 興期 のイギ リス保守党教育政策 129 合 制 化 の教 育上 の 問題 点 、 ま た そ の背 後 に あ る 政 治 的 意 図 を 指 摘 して い た。 彼 女 は教 育 相 就 任 後 、労 働 党 の 政 策 の進 展 を背 景 に、 党 内 の論 議 を ふ まえ 、 中 等 教育 政 策 につ いて こ う した立 場 を 繰 り返 し、 あ るい はよ り明確 に した。 す な わ ち 、 労 働 党 の総 合 制 化政 策 は社 会 主 義 の イ デ オ ロギ ーか ら生 じた もの で あ り教 育 的 な もの で な い こ と、 総 合 制 学 校 は規 模 な ど の点 か ら教 育 的 に好 ま し くな い こ と、 地 方教 育 当局 の総 合学 校 化 計 画 に つ い て は教 育 の 観点 か ら判 断 し、 限 定 的 な実 験 は認 あ る こと、3分 岐 制 や11才 試験 は 種 々 の改 善 の余 地 が あ るが 、 特 定 地 域 の 中 等 学 校 を全 て総 合学 校 化 す る よ うな 計 画 は認 め られ な い こ と、 等 々 で あ る。 ホ ー ス ブ ラ ー は、 特 に ロ ン ドン地 域 にお ける グ ラマ ー ・ス ク ー ルの 廃 止 を 伴 う よ う な総 合学 校 化 計 画 を 認 めな か っ た が、 これ に見 られ るよ うに彼 女 は、 グ ラ マ ー ・ ス クー ル 保 持 の立 場 を堅 持 した。 そ して 、 こ れ は以 後 の 保 守 党 政 権 の重 要 な政 策 課 題 と な っ た の で あ る。 5、 む す び に かえて 以 上 、本 稿 に お いて1945年 か ら1955年 の戦 後 復 興 期 に お け るイ ギ リス保守 党 の教 育 政 策 に つ いて 、 と りわ け福 祉 国 家 政 策 に対 す る立 場 を考 慮 しつ つ 述 べ て きた。 既 述 の よ うに、 この時 期 に、 労 働 党 、 保守 党 両 政 権 下 にお い て と もに 類 似 した教 育 政 策 が進 ん だ。 保 守 党 は労 働 党 の 政 策 を お お むね 継 承 し、 福 祉 国 家 政 策 の 多 くを 受 容 して い った。そ の最 大 の 理 由 は 、 時 代 状 況 に よ る と こ ろ が大 き い。 す な わ ち、 財 政 の 逼 迫 下 で、 学 校 の施 設 設 備 の 復興 と整備 、教 師 の確 保、 過 大 学 級 の解 消 、 等 々 当面 す る過 大 に追 わ れ 、 これ ら に つ い て は政 党 間 で差 異 が生 じなか った。 した が っ て、 もち ろん そ れ ぞ れ の政 党 内 で は こ の 時 期 に す で に様 々 な論議 を生 じて い た が、 こ の よ う な 時 代 状況 の中 で本 格 的 な対 立 に は発 展 しな か っ た。 政策 の類 似 性 や福 祉 国 家 政 策 の受 容 は、 世 論 の 動 きか らの影 響 も大 きい。 す な わ ち、 こ の 時 期 、選 挙民 はお お む ね1944年 教 育 法 の枠 組 み を受 け入 れ、 その 実施 を支 持 し、 した が っ て各 政 党 が そ の方 向の 政 策 を推 進 した。 こ う した点 を考 え る と き、 言 わ れ る コ ンセ ンサ ス は決 して 積 極 的 な もの で は ない。 保 守 党 の 進 歩 派 や 左 派 が 福 祉 国 家 政 策 を 積 極 的 に 受 容 し て い っ た と い う の も 一 定 の 留 保 が 必 要 で あ る 。 こ れ ま で そ の 先 鋒 と 考 え ら れ たON Gに つ い て も 、 す で に 検 討 し て き た 通 り 、 そ れ に は 多 様 な 考 え や 立 場 、 矛 盾 を 含 み 、 一 方 で 党 執 行 部 の 立 場 を 認 め っ っ 、 他 方 で 、 こ れ に 批 判 的 な 考 え を 持 っ て い た 。 問 題 は イ ギ リ ス に お い て 福 祉 国 家 の 建 設 が 進 み 、 ま た そ れ が 批 判 す る 中 で ど の よ う な 要 素 が ど の よ う に 受 け 継 が れ 、 重 視 さ れ 、 発 展 さ れ る か で あ る 。 (注)パ ソ コ ン の ト ラ ブ ル の た あ 、 提 出 直 前 に 原 稿 を 消 失 し た 。 急 遽 書 き 直 し た た あ 、 論 述 や 引 用 が 不 完 全 で あ る こ と を 断 っ て お く 。 他 稿 で こ れ を 補 う 予 定 で あ る 。 (1)こ の う ち 特 に 、 ア デ ィ ソ ン の 著 書 は 、 一 連 の 論 争 の 発 端 と な っ た 。P.Addison, The Road to 1945: British Politics and the Second World War, Cape,1975.な お 、 対 象 と な る 時 期 の 時 期 区 分 に つ い て も 見 解 が 分 か れ る 。Cf。 p.Fraser,"The Postwar Consensus", Parliamentary Affairs, VoL52,No.2,2000, PP.347-348.
(2)G.Batho, Political Issues in Education, Cassell Educational,1989, P.1.
(3)P,Gosden,"Public Education in England 1839-1989" in "1839-1989 Public Educa一
,
tion in England 150th Anniversary ", HMSO,1990, P.16.
(4) "British General Election Manifestos 1900- 1900- 1974",compiled1900- and edited by F.W.S. Craig, The MacMillan Press Ltd.,1975, PP.118-119, P.129.(以 下 、 Manifestos)
(5)K.Morgan, Labour in Power 1945-51, Oxford,1984, P.44.
(6) "Conservative&Labour Party Conference Decisions 1945-1981",by F.W.S. Craig, Parliamentary Research Services,1982, P. 41.(以 下 、"Decisions"と す る 。)
(7) "Conservative Policy for Education", 7/Feb/1949,
(8)こ の 文 書 の 中 で 一 定 の 条 件 下 で 、 多 課 程 制 の 実 験 は な さ れ て も よ い と さ れ る。
(9)R.Walsha,"The One Nation Group", Twentieth Century British History,Vol。11, No.2,2000, P.183.こ の 論 文 は 、 「一 つ の 国 民 集 団 」 に 関 す る 唯 一 の 本 格 的 研 究 で あ る と 考 え ら れ る 。本 稿 執 筆 に 際 して も 非 常 に 参 考 に な っ た 。 Walsha氏 か ら は 、 数 度 に わ た っ て 助 言 と 情 報 を 得 た 。
130 藤 田 弘 之 (10)Walsha, P.184. (11)Walsha, PP.187。188。 (12),こ の 冊 子 を 作 成 す る 最 終 段 階 で 、'デ ィ ズ レ ー リ に ち な ん で 、 こ の グ ル ー プ を 「一 つ の 国 民 集 団 」 と 呼 び 、 冊 子 を 『一 つ の 国 民 』 と 称 す る こ と を モ ウ ドが 提 案 し、 マ ク ロ ー ド が 電 話 で 承 認 し た も の で あ る 。"One Nation-A Tory Approach to Social Problems一", Conservative Politi- Politi- calPoliti- Centre,1950.(以 下 、"One Nation"と す る 。) (13)ONGの メ ン バ ー は 下 院 議 員 で あ る こ と が 前 提 で あ り、 閣 僚 に な っ た り、 上 院 議 員 に な っ た 場 合 は こ の グ ル ー プ を 離 れ た 。 ま た 、 メ ン バ ー の 数 は ほ ぼ 一 定 に 保 た れ 、 欠 員 が 生 じ た 場 合 は 、 現 メ ン バ ー の 推 薦 に よ り、 会 合 で 決 定 し て 、 メ ン バ ー を 補 充 し た 。 あ る意 味 で エ リ ー ト的 、 閉 鎖 的 な 集 団 で あ っ た 。 (14) "One Nation",PP.9-10. (15) "One Nation",PP.89-93. (16)Walsha, P.194. .(17)Walsha, P.195. (18)Walsha, P.191. (19) Ibid. (20)Walsha, PP.191-193, (21) "One Nation", P.39. (22) "One Nation", PP.39-49.
(23)C.Knight, The Making of Tory Educa- Educa- tionEduca- PolicyEduca- in Post-War Britain'1950-1986, The Falmer Press,1990, PP.11-12.
(24) Knight, PP,13-14.
(25) "Change is our Alley", CPC,1954. (26)Manifestos, P.148. / (27)Manifestos, P.158.
(28)B.Simon,"The Tory Government and
Education,1951-1960",History(ゾEduca- Education,1951-1960",History(ゾEduca- tion,Education,1951-1960",History(ゾEduca- Vol.14,Education,1951-1960",History(ゾEduca- No.4,1985, P.294.
(29) た だ し、 労 働 党 が 総 合 制 学 校 化 で 完 全 に ま と ま っ て い た わ け で は な い 。 (30)当 時 、 教 育 専 門 職 へ の 共 産 主 義 の 浸 透 は 保 守 党 関 係 者 の 大 き な 関 心 事 で あ っ た 。彼 ら は 、 総 合 学 校 化 を 共 産 主 義 と 関 連 づ け て 考 え た 。 (31) "Decisions",P.41.