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研究活動報告 : 1998年度

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(1)

研究活動報告 : 1998年度

雑誌名 東西南北

巻 2000

ページ 155‑175

発行年 2000‑03‑18

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003651/

(2)

CⅡ教育・生活研究系 研究活動報告︒|九九八年度 AⅡアジア・地域研究系棚剛沖掴識服窄釘人華相叶簿諦御輔い〃州鵠恥繩磁剛齢即剛リランヵ研究フォーラム BⅡ表象・文化研究系言語文化研究会/フェミニズム・ジェンダー研究会/表象研究会/シンボル文化研究会

アジアの教育l研究と交流/企業行動分析研究会 ﹁多摩丘陵地域のフィールドワーク﹂研究会/教育研究へのコンピュータ利用

(3)

この年は現代中国研究会の主力メンバー

劉・鈴木・加藤の三人が学外研究︑日本に残

って活動できるのが実質的に二人という変則

的な形となった︒活動報告は無論三人の学外

研究が中心となるべきだが︑これは帰国後の

研究会で報告されるので︑次年度に回させて

いただく︒

七月一七日︑﹁アジアの教育﹂グループと

共催で︑上海の復日天学経済学部の童適平先

生をお呼びして︑﹁アジアの金融危機と中国

の課題﹂というテーマで報告をいただき討論

会を催した︒童先生のお話は︑まず人民元を

切り下げるべきか否かという中国経済が直面

する焦眉の問題から始まり︑切り下げによる

インフレ懸念が内需拡大を抑える︑東南アジ

ア金融危機再発への引き金になりかねないと

指摘された︒内需拡大策では住宅建設と販売

促進︑そのための消費者信用制度の拡充を中

心に展望された︒更に国有企業の改革︑金融

制度の改革に話し及ばれ︑図表を使った明解 ︑現代中国研究会

P◆

な解説に︑中国経済の全体像と問題点が浮き

彫りにされて︑貴重な知見を得た︒

中国への調査旅行は︑劉・加藤がともに北

京にいる時を選んで棺案館調査を中心に行な

うこととした︒

一二月二三日成田発上海着︑山村ゼミ出身

上海三機許展潟氏の出迎えをうけ︑午後浦東

開発区などを案内してもらい︑最近の上海の

経済情勢︑都市生活現状などを紹介してもら

った︒ 翌二四日は一日上海棺案館で資料調査︑日

本の上海史研究会の紹介で館長助理・﹁租界

↑直弁公室主任の馬長林氏と会い︑手配をい

ただいたので︑あらゆる資料にほとんど制限

無し︑スピーディーに資料が出て来る︒橘案

館は中国式公文書館︑武装警察に守られ特に

外国人には馴染みの薄い︑恐ろしげな存在だ

ったが︑最近開放が進み︑閲覧室も賑わって

いた︒佐治は一九二○︑三○年代の文芸雑誌

と内部資料を中心に︑山村も同時期の日本人 社会の資料を中心に調査した︒

翌二五日は新装なった上海博物館を参観︑

佐治ゼミ出身上海理工大学の張正蘭氏と会い︑

日本語教育の現状と困難点などを聞いた︒

その日のうちに北京へ︒二六日加藤さんの

案内で北京槍案館へ︒ここも新装なったばか

り︑完全にコンピューター化して開放の度合

いも進んでいるが︑コンピューターの検索に

かけて貰うためにカードを繰って資料を探す

のに時間がかかり︑一日では十分に必要な資

料に辿り着かない憾みはあったが︑櫓案館学

への入門は果たせ︑貴重な資料をたくさん購

入できた︒

二七日は長安大戯院で京劇観劇︑二八日は

北京外国語大学外事処訪問︑和光大学との交

流の現状と今後の可能性について陳杭柱所長

と意見交換し︑日語科の学生たちと交流会を

持ち︑卒論のテーマの決め方︑研究の進め方

などについて大いに意見をたたかわせ︑翌二 九日帰国した︒荏治俊彦︶

‑ 1 5 6

(4)

︑﹁在日﹂フォーラ

本年度︑アジア関連研究グループは﹁在日

フォーラム﹂という新しい企画を実験的にこ

ころみることにした︒在日朝鮮人という﹁体

験﹂︑その現在と未来をテーマに﹁在日﹂二

世︑三世を中心に懇談や討論を行なう︒その

﹁体験﹂︑そして二一世紀に向けての未来像を

語り合える共通のことばを在日朝鮮人と日本

人で探るのが目的であった︒三年の間に年二

〜三回程度︑少人数グループで開催し︑その

年のテーマにそって年一回︑学内外向きのイ

ベントないしシンポジウムを開く構想であっ

た︒

本年度の第一ラウンドとして︑七月二日︑

﹁在日フォーラム﹂は朴容福︵バク・ヨンボ

ク︶氏と森井清志氏を招き︑問題提起をして

いただいた︒両氏は︑日本で生まれ育ち︑同

じ職場の同僚でありながら︑法的地位や生活

体験も考え方も正反対である︒

朴氏は︑一九八○年代から指紋押捺を含む

外国人登録法に反対し︑在日朝鮮人の人権擁 識運動に先駆的な役割を果たしてきた方であ る︵一九九九年の外国人登録法の改定案をめ ぐる審議にあたって衆議院の参考人にもなっ た︶︒

森井氏は︑﹁愛国主義者﹂と自称し︑過去

のことや民族差別はともあれ︑日本人が民族

的プライドを持つべきという思想の持ち主で

ある︒とはいえ︑お二人はそれぞれの立場を

持ちながら︑日常生活のなかで長い時間をか

けて﹁言い合える﹂という信頼関係を築き︑

興味深い﹁共通性﹂をみせた︒二人の会話は

イヤでもお互いの主張を聞く耳をもちあって

いる︑という印象だった︒

本フォーラムは朴氏の話を中心にすすんだ︒

氏は﹁体験的日本人論﹂というテーマで︑

﹁在日﹂と日本人のかかわりについて︑もっ

とも切実で﹁対等﹂なこれまでにない関係で

話し合うことを目標としていたが︑ヨ在日﹂

の悩みは多くの日本人が気づかない︑自らの

社会に強要される﹁自己抑圧﹂に端を発し︑ その根底には日本人の悩みも潜んでいる﹂と 提起した︒

なお︑その抑圧のしわ寄せは︑法的制度の

ありよう︑地域社会のしきたり︑偏見などさ

まざまな形で﹁在日﹂に向けられている︒

﹁おカミ﹂を恐れる人びと︑﹁周りの目﹂にと

りつかれている人びと︑﹁自分たちでさえこ

の世の中で生きることが耐えがたいのに︑な

ぜ朝鮮人が好き勝手なことをしているのか﹂

と戸在日﹂への脅迫状でたまに本音を書く人

びと︒結局︑少数者の﹁在日﹂の救いは

日本人の〃救いと密接に絡み合っており︑

日本人側がそれを見抜かない限り︑共通のこ

とばも︑対等な関係も容易に生まれてこない︒

また︑このような無自覚は﹁共生﹂社会の実

現をさまたげるものである︑というのが︑氏

の発言であった︒

朴氏は︑日常生活のさまざまな例を挙げな

がら︑﹁何々さん︑あなたはどうでしょう﹂

と参加者を指し︑攻めてくる︒不愉快な思い

l 5 7 ‑

(5)

︑沖縄の地域社会

11l与那国調査の経過報告

沖縄県︵八重山郡︶与那国島の実態調査は︑

一九九九年三月一二日から一○日間にわたつ をさせるくらいだったが︑一方的でありなが ら︑ひとつの〃出会い〃ともなったようだ︒ 森井氏と朴氏とのやり取りでは︑﹁法は法な り﹂︑﹁郷においては郷に従え﹂︑﹁だから日本 人が嫌い﹂などの発言があり︑日本人学生に とって刺激的な言葉が飛び交った︒が︑二人 にはある種の親しみが感じられ︑それは森井 氏が朴氏と違うことばで﹁日本人の悩み﹂を 語ろうとしていたからかもしれない︒

朴氏の問題提起に対して同席した二○数名

の学生たちの反応はさまざまだった︒氏の言

いたいことが十分伝えられたかな︑と心配し

ていたが︑その後︑ゼミ生の感想文では︑

﹁驚いて返すことばがなくてくやしかった﹂

とか︑﹁反論したい﹂と反発した者もいれば︑

朴氏の﹁攻撃性﹂︑﹁パワー﹂︵﹁怒り﹂と書い

た者もいた︶の裏を読み取って﹁在日朝鮮人

て行なわれた︒言うまでもなく︑与那国は国

境の島である︒台湾からわずか一○○キロあ

まりのこの孤島は︑海を共有する中国・台湾 の本音をはじめて聞いてよかった﹂︑﹁朴さん は心の暖かい方で︑日本人に対して大きな期 待を抱いている﹂と感じた者も少なくなかっ た︒﹁私たちは確かに抑圧を感じないが︑そ れは生まれた時から抑圧を感じない社会にた だ〃なれているだけだからかもしれない﹂︑ ﹁われわれは︑自分の力で社会を変えること がないと教え込まれてきた﹂などと書いた学 生もいる︒いずれにせよ︑﹁今後︑本当の対 話を求めたい﹂あるいは﹁もっと知りたい﹂ という意見が大半だった︒

夜の懇談会では落ちついた雰囲気で突っ込

んだ話ができ︑そのやり取りも考えさせる材

料に富んでいた︒

つぎに︑七月二日に町田市民ホールで呉

徳洙監督の記録映画弓在日﹂戦後50年史﹂

の上映会があり︑三○○人の地域住民や学生

と︑あるいは朝鮮を含む東アジアの諸国︑そ

して沖縄本島と日本︑とどのような歴史的な

関係をもってきたのか︑それらが﹁シマ﹂の が集まった︒賛同人には和光大学教員有志も 多くいて︑映画の上映後の﹁呉監督を囲む会﹂ は﹁在日フォーラム﹂と本学の﹁物語研究会﹂ の共催で行なわれた︒

一般市民︑﹁在日﹂︵朴氏も含めて︶︑学生

など約三○人の同席者は二時間半をかけて映

画や﹁在日﹂と日本人の今後の関係について

活発な意見を交わしたが︑ここでは︑学生と

ともに﹁在日フォーラム﹂で行なった議論を

さらに深めることができた︒

本年度のフォーラムは結果的に︑多くの学

生には十分刺激的であり︑一部の学生には深

い問題提起になったと思われる︒ただテーマ

の枠が広すぎるなどの反省点もあり︑来年度

からの研究活動は検討中である︒

︵ロバート・リケット︶

‑ I 5 8

(6)

︑スリランカ研究フォーラム 固有の社会と文化の形成にどのような影響を 与えてきたのか︑未見の史料と証言を求めて︑ 与那国の三集落︵租納︑北川︑久部良︶につ いて資料収集と聞き取り調査を行なった︒主 要な調査項目は︑

①朝鮮・台湾との関係︑とくに日本統治下

の台湾経済圏の与那国︑

②一九四五年敗戦直後の﹁密貿易﹂時代︑

③二集落の地域史研究︑戦後の展開過程︑

③集落の自治組織と祭祀慣行︑

⑤地域社会教育とくに自治公民館活動にみ

本フォーラムは︑スリランカに関心をもつ

者が自由な立場で参加し交流できる場である︒

年二回︑研究発表を主体とした研究集会を催

している︒九八年度は次のようなフォーラム

を行なった︒

111︲第五回フォーラム

九八年六月一三日︵土︶一四時より

いきいきプラザ一番町にて 21パラオの沖縄移民調査

南洋の沖縄移民が︑いかに沖縄のコミュニ

ティに影響を与えているかという観点から︑

南洋庁の中心︑パラオ共和国へ一九九九年一

月二六日から二月三日まで調査に出かけた︒

沖縄移民のネットワークは︑日本本土からの

移民と若干異なるようであるが︑調査地では る地域特性︑などである︒ 大きな輪郭は明らかになってきたが︑さら に詳細な分析調査が必要である︒︵小林文人︶

21第六回フォーラム

九八年二月一四日︵土︶一四時より 発題ⅡJ・B・ディサーナーヤ力︵コロン ボ大学︶ ﹁スリランカの言語教育と言語問題﹂ コメンテーターⅡシャーンタシーラン・カ ディルガーマル︵明治学院大学︶ 綿井礎値吻︵ジャーナリスト︶ 日本の遺族会からの寄付の取り扱いや旅行斡 旋をめぐり︑日系移民同士の複雑な人間関係 があるため︑あまり深く立ち入れなかった︒ パラオ共和国の首都コロール島で主に調査を 行なったが︑三日間︑北部のガラルド州に出 かけて︑戦前に著名な報告書がある村を訪ね︑ パラオ研究で有名な土方久巧と杉浦健一を知 っている老人を訪ねた︒調査結果は︑次回の 人間関係学部紀要に発表する予定である︒

︵中生勝美︶

和光大学J1二○五

発表lⅡ池本道夫︵フォスター・プラン︑

スリランカの会世話人︶

﹁スリランカにおける開発援助の現状と問

題点lフォスターペァレント運動を通し

て﹂ 発表21モンテ・カセム︵自立のための道

具の会代表︑立命館大学︶

﹁スリランカにおける地域開発lリサィク

1 5 ‑

(7)

n南西アジア研究会

本年度から発足した南西アジア研究会は︑

旧象徴図像研究会時代から一○年来関わり続

けてきた南アジア︑西アジア︑中近東世界の 第五回フォーラムでは︑和光大学が招聰し ていたコロンボ大学のJ・B・デイサーナー ャヵ教授にお話しいただいた︒独立以降スリ ランカでは︑言語は常に重大な問題であり続 けている︒氏は言語学者の立場から︑言語は コミュニケーションの手段のみならず民族的 なアイデンティティにも深くかかわることを 指摘し︑国家によるシンハラ語政策に言及し た︒シンハラ語の公用語化はまさに民族紛争 の契機の一つにほかならない︒さらに︑近年 のジャーナリズムや出版界における新しい文 体についても報告された︒

これに対し︑力ディルガーマル氏がタミル

人の立場から︑綿井氏が紛争取材の経験から

コメントし︑両言語・民族の共生の可能性に ル運動を通して﹂

文化にフィールドをもつメンバーが集い︑自

発的な研究活動の母体として第一歩を踏み出

した︒ ついて議論された︒研究者だけでなく︑日本 人学生︑スリランカ人学生も加わり︑言語問 題の重大さを理解することができた︒

第六回フォーラムでは︑NGO活動に従事

する方々に報告していただいた︒池本氏は︑

子どもの教育支援を主眼とするプラン・イン

ターナショナル日本支部に参加し︑スリラン

カ部門の世話人をつとめている︒主にバドゥ

ッラ地方の活動に基づいて︑ペアレントとチ

ャイルドの関係が構造的に説明された︒幼稚

園︑子ども会︑婦人会︑福祉︑居住環境改善

などの活動を報告しながら︑目的は自主的な

運営であり権限の委譲こそ目標であると述べ

られた.しかし︑現地事務所の外国人スタッ

フによる横領などの問題についても明らかに

された︒

モンテ・カセム氏は︑自立のための道具の

所属するメンバーの多くが︑文部省から科

学研究助成を継続的に受けてパキスタンのバ

ローチスターン地方の調査に従事している︒ 会を設立し︑使用されなくなっている道具を 修理してスリランカやインドの貧しい人びと に贈る︑一種の村おこし的活動を行なってい る︒スリランカの村では︑小規模発電やリヤ カー付き自転車を考案した生活改善活動につ いて報告していただいた︒氏からは︑会計報 告をきちんと行なうことの必要性が強調され た︒このフォーラムでは︑NGOもさまざま な困難を抱えていることが認識できたと思う︒ カセム氏が述べた﹁私たちの活動で変わるの は︑母親が子どもの宿題に目を通してあげら れる時間ができる程度のことなのです︒﹂と いう言葉が印象的であった︒池本氏からは ﹁この程度の困難でめげてしまっては︑NG Oをやっている意味がない︒﹂との力強い言 葉があった︒溌谷利雄︶

‑ 1 6 0

(8)

︑一九世紀末を中心とする日本の進路決定llllllllIj この実績を踏まえて︑初年度の活動は︑現地 調査において常にパートナーとなる国立バロ ーチスターン大学︵クエッタ市在︶を公式訪 問し︑両大学教官・学生による学科間交流プ ログラムを立ちあげるためのミーティングを 持った︒

ミーティングには︑美術交流・美術教育の

現場視察を目的とした川添修司︵世話役︶︑

本会の代表である松枝到︑そしてバローチス

ターン調査経験者である芸術学科非常勤講師

の村山和之と大坪潤子らの計四名が出席した︒

バローチスターン大学からは︑新設された︵

九八年度は申請当初計画の初年度にあたっ

ていて︑メンバーにも地理学︑女性学︑アメ

リカ文学︑韓国政治外交︑美術等の専門分野

を加え︑日本私立学校振興・共催事業団の学

術研究振興資金を申請して発足した︒申請は

採択されなかったが︑法人からの予算を得て

研究活動を開始した︒

研究目的二○世紀の終末を迎え︑混迷 ローチスターン研究センター︵大学院レベル︶ と美術学科から︑それぞれ代表教員や学生た ちが参加して︑教育の現場を舞台に有意義な 意見交換を行なった︒

このパキスタン交流プログラムについての

成果とその詳細は︑﹁東西南北1999﹂に

掲載された以下の報告にゆずる︒

﹁和光・バローチスターン大学交流史と新

学科﹂村山和之

﹁美術学科の人びとと﹂大坪潤子

また︑現地訪問と並行してメンバーたちに

よる自主的な研究会が個別に行なわれ︑来年

を深める日本の進路に見通しを得るために一

九世紀末の日本を検証しなおす︿日本と深く

かかわったアジア︵とくに中国と朝鮮︶など

の諸外国をも視野におきつつ﹀lは申請前

の研究の方向をひきつぐが︑もともと〃文化

の視点という立場をとるため︑きわめて多

岐にわたる事柄をどうテーマとして統合させ︑

研究を蓄積し発展させてゆくか︑その成果を 度に予定しているインド現地調査の準備活動 を進めている︒バローチスターンにおけるヒ ンドゥー巡礼史︑そして仏教美術史の観点か ら資料収集︑踏査の必要性を強く感じるから である︒対象地域はパキスタンと接するイン ド西部︑そしてデリー周辺の博物館や神殿で ある︒

初年度とはいえ︑学内外から多数の若い参

加者たちを得て︑フィールドワーヵーたちの

開かれた交流の場として始動できたのは大き

な成果であるといえよう︒ ︵松枝到︶

得るのは容易ではなく︑苦労を重ねた一年間

であった︒以下︑研究会︑調査︑見学等に分

けてこの一年間を回顧する︒

一研究会﹈

つねに公開の立場で開かれたが︑参加者は

多忙もあって毎回五〜六名から一○名程度ま

でにとどまった︒計画しても委員会と重なっ

て不可能になったりして実質的には年三本の

1 6 1 ‑

(9)

2︑﹁井上円了の妖怪学﹂

一二月二日

報告者Ⅱ橋本堯・人文学部教授

参加者Ⅱ六名

宗教学者︵とくに仏教関係︶の井上円了が

明治二九年︵一八九六︶に公刊した﹁妖怪学

講義﹂の内容紹介を通じて一九世紀末近代的

な学問研究の方法論の一側面と︑当時の民衆

の文化的関心について述べた︒宗教学という 発表にとどまった︒ 1︑﹁長崎と鉄道﹂

ll長崎と鉄道知識の導入

九月二日 報告者Ⅱ原田勝正・経済学部教授

参加者Ⅱ一一名

営業路線開通以前の︑幕末︑嘉永四年︵一

八五二ごろからの文書による情報l鉄道知

識の導入︑模型作成︑機関車試運転︵安政五

年︑一八五八︑真偽のほどが取り沙汰される︶

に至る北九州の佐賀藩︑長崎の果たした役割

について突っ込んだ分析がなされた︒近代化

の姿勢が未だ出てこない中での外来文化の受

け入れ方︑という問題提起であった︒

調査活動﹈

1︑東京都内資料調査活動

九月一〜二日

九七年度長崎調査の際︑明治期の資料につ

いては東京都などに多数存在する︑という情

報を得たので︑外務省外交資料館︑国立公文

書館︑都立中央図書館︵郷土資料室︶等を中

心に手分けして調査した︒その結果︑明治期

の邦人︑外国人の︑出入国関係の情報は外務 3︑﹁〃日本の唐人町研究調査中間報告﹂

九月二日 報告者I佐治俊彦・人文学部教授

参加者Ⅱ二名

九七年度の長崎調査活動︵九八年三月実施︶

をふまえ︑﹁日本華僑社会の研究﹂︵内田直作

著︶と﹁長崎唐人屋敷﹂︵山本紀綱著︶の二

研究書を参考に一五七一〜一八七一年の歴史

的概観を提供した︒〃華僑〃問題の現在の研

究レベルも紹介しつつ今後の研究の展望をも

述べる︒

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状 ど 況 う に し っ て

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3︑第二次長崎調査活動

九九年三月二二日〜二五日

ァ︑県立図書館

ィ︑三菱重工長崎造船所 2︑関西方面調査活動

九九年一月三○日〜二月一日

ァ︑京都市︵府立総合資料館︶

ィ︑天理市︵天理大学図書館︑天理教本部

〃おやさとやかた︶

ウ︑神戸市︵中華街︶

以上の三箇所を調査︑それぞれのメンバー

のテーマと関心にもとづく研究資料や情報︑

知見の収集につとめた︒

なお︑室泉都府百年の資料﹄︵一〜九︑府立

総合資料館編集︑昭和四七年刊行︶はこのと

きに入手した︒ 省に︑また明治期に刊行された図書の大部分 は国会図書館に︑また英文を中心とする洋書 類と︑長崎県および長崎市に関連する刊行物 と文書︵地図を含む︶は国立公文書館に保存 されていることが判明した︵東京大学史料編 纂所は夏期休暇中のため断念︶︒

‑ I 6 2

(10)

﹇U言語文化研究会 ウ︑長崎大学東南アジア研究所 以上の三箇所を重点的に資料︑情報の収集 を行なう︒ 4︑横浜見学会

九八年一二月二二日

これは調査活動というよりメンバーによる

この数年間の︑それこそ言語文化に関わる

情報関連分野の︑世界的な変転のありようは

驚異的でありました︒それは主として技術的

発展に由来するものであり︑産業と直結した

自然科学の領域が世界を振り回した時代だと

も言えましょう︒

PHS・携帯電話の普及は︑従来の電話に

よるコミュニケーションのあり方を全く変え

てしまいました︒同様に︑パーソナルコンピ

ュータの世界も︑それまでの計算や文書作成

という機能が中心であったものから︑インタ

ーネットやEメールの浸透によってコミュニ

ケーションの道具へと︑その性格を変えてし 気楽な関連テーマ見学会である︵横浜は別途 に大々的な研究が進行しつつある模様で︑当 研究グループの調査対象地とはしていない︶︒

ア︑横浜開港資料館

イ︑シルクセンターおよび同所内の横浜商

品取引所lここで実際の取引の見学および

説明I

まったのです︒少なくともパーソナルコンピ

ュータが通信塚癖詣としての性格を持たなかっ

たとしたら︑現在のような話題性は持ち得な

かったでありましょう︒

インターネットの普及によって︑世界中の

人びとが気軽に交信し得るようになって︑改

めて必要となったのが翻訳ソフトでした︒そ

れまでは生活の中で英語を必要としなかった

人びとが︑外国の商品をネットで購入したり︑

他国のホームページを開くための手軽なシー

ルとして翻訳ソフトを用いるようになったの

です︒

それのみならず︑研究者も論文作成に当た の二箇所︒ 以上のほか︑今後の研究計画や︑グループ のメンバーの研究状況の報告︑交流を含め︑ 三回の打ち合わせ︵四月一五日︑五月八日︑ 九九年三月九日︶と一回の合宿︵九八年九月 二〜三日︶を行なった︵参加者は各回とも五 〜六名︶︒︵橋本堯︶ り︑英文で文章を書くよりも日本語で書いて おいて︑翻訳ソフトで英訳したものを手直し するなどの動きも出てきました︒確かにその 方が時間の節約になるからです︒

数十枚の原稿を翻訳するのに︑僅か二・三

分で下訳が可能となれば利用しない手はない

わけです︒もっとも固有名詞の清水さんが

99吋爵常Z﹂訳されるなどの珍事もあります︒

試用した教員の報告によれば︑今や翻訳ソフ

トは十分に使用可能な文房具になっていると

いうことでした︒

このことから考えれば︑翻訳ソフトの利便

性は︑今後の市場価値を十分期待させるので

I 6 3 ‑

(11)

フェミニズム・ジェンダー研究会は一九九

八年度︑ジェンダー・フリー・スペース︵仮

称︶の構想づくりを中心に活動した︒大学の

構成員が学内外で直面するさまざまのジェン

ダー問題に関する情報収集・提供︑教育・啓

発活動︑研究・調査活動の拠点が必要だとの

認識から︑アメリカや日本の他大学の先行事

例を多角的に調査し︑検討した上で︑一九九

九年一月にジェンダー・フリー・スペース

︵仮称︶の構想をまとめ︑大学施設建設委員

会に提出するにいたったのである︒ nフエ三一ズム・ジエンダー研究会 す︒そのことが︑現在おびただしい種類の翻 訳ソフトを市場に氾濫させる原動力になった のでしょう︒

当研究会では︑一つの作業として翻訳ソフ

トを試用することにより︑翻訳ソフトの社会

的影響について検討することに︑この一年間

を当てました︒言い換えれば︑翻訳ソフトの

機能の善し悪しや使い比べではなく︑翻訳ソ

フトが今後市民社会の中に浸透していく中で︑

具体的にはまず︑七月八日に﹁アメリカ諸

大学の女性センター﹂について︑ミシガン大

学を中心に︑同大学大学院生の山口智美さん

に話していただいた︒

ミシガン大学には︑アファーマテイブ・ア

クション・オフィス︑性暴力の予防と自覚の

ためのセンター︑女子教育センター︑レズビ

アン・ゲイ・パイセクシュアル・トランスジ

ェンダーのためのオフィス︑オンブドパース

ン︑女性・ジェンダー研究所などさまざまの

窓口が設けられており︑それらが横断的に組 いかなる影響がもたらされるかという事です︒

さしあたって考えられることは︑公教育や

大学教育における語学教育への影響でありま

しょう︒換言すれば︑従来の方式での語学教

育の見直しといった︑教育課程そのものに関

わる間題を︑翻訳ソフトは投げかけてきてい

るように思います︒

次に活動方針の主軸としていた外部講師に

よる講演会は︑年度末の押し迫った時期であ

織化されていることなどが分かった︒

七月二三日に当研究会の五人が高知大学を

訪問し︑高知大学女性の人権委員会の委員長

ほか四名の委員から︑この委員会設置の経緯︑

組織︑規則︑実際の活動等について話を伺っ

た︒

当日開催の教育学部﹁学生&教職員のため

のセクハラ問題を考える学習会﹂にも参加し︑

和光大学のガイドラインについて説明する一

方で︑高知大学教育学部におけるセクハラ事

件の経過とその問題点等についての討論に加 り︑また一般入試の最終日という極めて条件 の悪い中で行なわれたために︑参加者も限ら れて︑講師には大変申し訳なかったのですが︑ 実行することが出来ました︒

講師Ⅱましこひでのり氏

演題I﹁抗原抗体反応としての日本語論

I日本語文化の境界l﹂

日時Ⅱ一九九九年二月一二日

︵鈴木勁介︶

‑ 1 6 4

(12)

わった︒組合女性部や学生の活動と教員たち

の活動とが連動し︑協力し合っている様子が

窺えたのは︑収種であった︒

さらに一○月一二日には︑研究会から四人

が立教大学ジェンダー・フォーラムを訪問し︑

所長以下六名の関係者に面談した︒

このフォーラムは初めは学生生活部内で検

討され提案がまとめられた後︑予算措置等を

含む提案として学長から部長会に諮られ︑学

長直属の機関として出発することになった︒

学長任命の所長︑全教員から公募した一三名

の運営委員︑女子寮同窓会選出委員二名から

成る運営委員会が︑フォーラムの企画・運営

に当たり︑嘱託職員が事務を担当︒九八年四

月に発足し︑九月から嘱託職員を採用し正式

にオープンした︒

ジェンダーに関する講演会︑調査・研究︑

情報提供等を行なう予定という︒ジェンダ

ー・フォーラム規程をはじめ︑いくつかの資

料をいただいたが︑この立教ジェンダー・フ

ォーラムは︑私たちの構想の直接のモデルと

して︑大いに参考になった︒

こうした他大学の事例を参考にして︑九月

三○日に第一次案を作成し︑数度の検討を経 て︑一月末にジェンダー・フリー・スペース 構想をまとめたわけである︒

ジェンダー・フリー・スペースの構想づく

り以外の今年度の活動は︑以下の通り︒

11梅根記念図書館所蔵フエミニズム・

ジエンダー関係文献目録の作成

前年度来の課題として取り組んできたが︑

外国語文献を含む目録がようやく完成した︒

データベースで検索可能な形になっており︑

希望者にはフロッピーで配付できる予定でぁ

ヂ︵︾︒

211ビデオ上映会

今年度は高島真理子講師のご協力により︑

計七回のビデオ上映会を開催することができ

た︒主に二○世紀のアメリカ女性の歴史をま

とめたビデオシリーズで︑テーマは以下の通

恥即ソ︒ l・映像の誕生︵六月九日︶

2.大衆文化のイメージーl服装の変化

︵六月一六日︶

3.大衆文化のイメージ−1服装の変化

︵六月二三日︶ 311研究発表・ワークショップ

二月二七日に︑表象研究会と合同で︑へ

アート・ロヴィンク︵アムステルダム新旧メ

ディアセンター︶と趙恵浄︵延世大学︶二氏

を招いてのワークショップ﹁メディアとフリ

ースペース﹂を開催し︑一月二七日には大島

かおり講師による講演会﹁ユダヤ性・同化・

ジェンダー﹂を開催した︒

大島さんのお話は︑ご自身が翻訳されたハ

ンナ・アレントによる伝記﹁ラーエル・ファ

ルンハーゲン﹂を素材として︑一九世紀初頭

のドイツ・ロマン派のユダヤ女性の生涯と︑

一九三○年代にナチ・ドイツから亡命したア

レントの生き方と思想を重ね合わせながら︑

表記のテーマを考える︑非常に密度の渡い内 容であった︒︵井上輝子︶ 4.大衆文化のイメージ−1髪型の変化

︵六月三○日︶

5.二○世紀初頭の女性労働︵九月三○且

6.第2次大戦と女性︵一○月二七且

7.ウーマン・アーティスト

︵二月二四日︶

I 6 5 ‑

(13)

前年度までの物語表現研究を閉じて新しく

発足した表象研究会は︑本年度の全体テーマ

を﹁ドキュメンタリーの世界﹂と題して活動

を行ないました︒さまざまな表現媒体におけ

る物語現象を包括的に考察することから︑少

し的を絞って事実と虚構という二分割の下に︑

安易に事実をそのまま映し出していると考え

られてきたドキュメンタリーを取り上げて︑

事実といわれているものをなんらかのかたち

で表現体にまとめる場合︑その中に存在させ

ざるを得ない編集性lこれを別の言い方にす

ると物語ということになるでしょうがlをあ

ぶりだしてみようというのがテーマの意図す

るところでした︒

ところで︑ドキュメンタリーと言っても大

きくわけて文字表現によるものと︑映像表現

によるものがありますが︑今回の研究活動で

は主に映像表現を取り上げてみようというこ

とになりました︒もっとも︑映像のみで作品

がつくられることはないといっても過言では ︑表象研究会

ないでしょう︒言葉による説明︑音楽などが

備わっているのが通常でしょう︒したがって︑

映像のみを考察の対象にするわけではなく︑

あくまでも映像を中心とするというのがこの

研究会の基本姿勢であること存確認して会を

発足させました︒が︑さしあたってどの作

品・作家からアプローチするかについていろ

いろ相談もし︑またさまざまの示唆もいただ

きたかった非常勤講師の福田克彦氏が︑一九

九八年一月一二日に突然亡くなられました︒

メンバーの関心はドキュメンタリーにあった

のですが︑その専門家がいなかったので︑福

田氏を大いに頼ろうとしていた矢先のできご

とでした︒授業への痛手に勝るとも劣らない

衝撃でした︒

このハプニングの整理もつかない四月︑表

象研空公云は出発しました︒

福田氏は︑ドキュメンタリー映像作家でも

ありましたので︑本当につらい出発ではあり

ましたが︑この会の第一回目を福田氏の作品 を見ることから始めることにしました︒氏の 代表作の一つである﹁草取り草紙﹂を鑑賞し て︑長年のパートナーであった写真家の波田 野ゆき枝氏に制作当時の福田氏の様子やドキ ュメンタリーに関する思索についてお話をう かがいました︒福田氏の言葉として波多野氏 が紹介して下さった︑﹁リアルと言うのは理 想をもつこと﹂ということが私たちの研究テ ーマにストレートに突き刺さってくるのでし た︵六月二六日︶︒

第二回目の研究会はアジア研究会との共催

で︑本学非常勤講師の呉徳洙氏の﹁在日﹂を

みる会を七月二日に町田市市民ホールで行

ないました︒この作品は五時間を超える長編

でなかなか見る機会にめぐまれない作品でし

たので︑一般の人びとと一緒に見られて貴重

な体験でした︒ドキュメンタリーはなるべく

精確を期すために長くなる傾向があるようで

すが︑どのくらいの長さに収めるかは︑編集

の問題としてやはり私たちのテーマに関わっ

‑ I 6 6

(14)

︑シンボル文化研究会 てくることを確認した研究会でした︒この日 は︑映画上映終了後にアジア研究会主催で意 見交換会も開かれました︒

第三回研究会は一九九九年三月一六日に研

究会のメンバーである小関和弘氏に発表をお

願いしました︒研究会で購入した﹁満鉄記録

映画集﹂を鑑賞する第一弾として︑基本的情

第一回七月四日︵土︶

﹁アフガニスタン・バーミャンの図像を語る﹂

前田耕作︵本学教授︑研究会代表者︶

アフガニスタンのバーミャンの渓谷東方に

は有名な大仏像があるが︑その天井画につい

て新しい図像解釈が述べられた︒従来︑主像

は太陽神スーリア︑つまりインド系の神格と シンボル文化研究会は古今東西のシンボル

を︑美術史︑歴史学︑考古学︑神話学︑宗教

学︑人類学などの学際的研究によって解明す

ることを目的としている︒今年度は以下の三

氏より報告をいただいた︒ 報を丁寧に紹介してもらいました︒映画集に ついて︑満州・満鉄について︑全一二巻にお よぶヴィデオのおおよその内容などの予備情 報をくわしく解説していただいた後に︑数編 の作品をみました︒この資料にはメンバーの 関心が高かったので︑一回で終わらせずに次 年度も引き続き研究素材として行こうという されてきたが︑今回はそれをすべてイラン系 のミスラ神との関係で読み解くことが試みら れた︒

それにはミスラに捧げられた讃歌﹁ミフ

ル・ヤシュト﹂との精綴な照合が必要だが︑

テキストには暖昧な個所が少なくなく︑難し

い︒そこでアフガニスタンに隣接する地域で

出土したコインの神像︑銘文との交差比較の

手法が導入され︑その結果︑天井画には主神

ミスラ︑祥需押アルシュタートとウァナインテ

ィ・ウパラタート︑駆者アシ︑風神ワータが

描かれていること︑つまりそれらはそれぞれ

日︑月︑星辰︑雲︑風︑火の六要素︑すなわ ことになりました︒

今年度の反省としては︑予期せぬ出来事に

出鼻をくじかれたこともあって︑テーマが拡

散してしまったことが上げられるでしょう︒

次年度はもう少しアプローチの方法を具体的

に確定していかなければ︑と考えています︒

︽杉本紀子︶

第二回一○月一七日︵土︶

﹁絵巻物の劇場空間lフリァギャラリー

所蔵﹁地蔵菩薩霊験記絵巻﹂第三︑四段を

めぐって﹂

昼間範子︵本学講師︶

アメリカ︑ワシントンDCにあるスミソニ

アン協会位属の東洋美術館であるフリァギャ

ラリーには日本美術の逸品が数多く所蔵され ちイランのゾロアスター教の聖典﹁アヴェス ター﹂に述べられている大天使アムシャ・ス プンタの表現であるという︑きわめて重要で 刺激的な指渥嗣が行なわれた.

I 6 7 一 一

(15)

第三回一二月一九日︵土︶

﹁阿修羅と龍王の天空世界Il中国石窟の

図像解釈﹂

北進一︵本学講師︶

アスラ︵阿修羅︶はアジアの宗教美術のな

かで広範な広がりを示す図像の一つだが︑中

国の初期仏教岩窟では︑龍王とともに須弥山 ている︒発表ではその一つである一三世紀の 絵巻﹁地蔵菩薩霊験記絵巻﹂がスライドによ って紹介され︑霊験識の概略が紹介された︒

内容はある僧侶の夢に地蔵菩薩の使者が出

現し︑興福寺楽所の舞の名手である狛近真に

春日大社の境内で陵王の舞を舞わせるように

というお告げを受けたので︑実際その通りに

舞が行なわれたというものである︒

また発表の後半には︑同系統の霊験調の絵

巻である﹁春日権現験記絵巻﹂︵宮内庁蔵︑

一三○九年︶をはじめ︑﹁春日宮曼陀選︵湯

木美術館蔵︑一三○○年および東京国立博物

館蔵︑一三世紀︶︑﹁一週聖絵﹂︵歓喜光寺/

清浄光寺蔵︑一二九九年︶︑﹁石清水八幡宮曼

陀羅﹂︵大倉集古館︑一四世紀︶などとの詞

書と図像の両面からの比較検討が行なわれた︒ 図中の天空世界に登場している︒

発表では︑雲岡石窟第一○窟前室北壁の阿

修羅像と龍王像の図像解釈を中心として︑イ

ンド伝来の仏教図像と中国古来の神仙図像の

習合が考察された︒

雲岡石窟の場合︑須弥山図は拱門の上に描

かれている︒須弥山の中腹は細くくびれ︑二

匹の龍王がからみつく︒須弥山の右側には三

面四臂で上手に日月を掲げる阿修羅像︑左側

には五面六臂で上手に日月を︑中手に弓矢を

持つ阿修羅が配される︒これは初期仏典に見

られるインド古来の魔族に由来する阿修羅の

群像イメージに通じる︒

また阿修羅が日月を捧げるのは︑初期仏教

説話に登場する帝釈天との戦闘の際︑日月を

つかんで日蝕︑月蝕をおこした阿修羅の影響

と思われ︑後の中国や日本の阿修羅像は必ず

日月を持っている︒

なお︑二龍王が山岳を縛るようにからみつ

くのは︑インド神話に見られる﹁乳海撹枠﹂

における曼陀羅山にからみつくナーガ︵龍王︶

のイメージが反映している可能性がある︒

他方︑敦燈莫高窟第二四九窟天井西面では︑

須弥山の前に一面四目四臂の阿修羅像が大海 いずれの発表もJlO4の視聴覚教室にお

いて︑スライドやプロジェクターによる多数

の写真や図版の紹介とともに行なわれた︒毎

回︑三〜四○名の熱心な参加者があり︑多方

面からの質疑応答も行なわれ︑充実した例会 であった︒︵松村一男︶ から聾え立ち︑山腹に二龍王が取り巻き︑天 に昇っている︒

阿修羅は単体だが︑その凄まじい形相は︑

後に護法神として表現される阿修羅像の原型

となっている︒また︑二龍王は須弥山に巻き

つくというより︑山頂に向かってよじ登るよ

うに表わされ︑漢代以降の帛画や画像石︑壁

画墓に表わされた篦南山に昇天する龍のイメ

ージに通じる︒

この他︑この須弥山図には︑中国古来の神

仙︑鬼神が多数描かれ︑また六道中の天界・

人界・修羅界・畜生界・餓鬼界の原型も表わ

され︑阿修羅・龍王・須弥山をめぐる多様な

図像世界が展開されていることが併せて指摘

された︒

‑ 1 6 8

(16)

︑アジアの教育工伽究と交流ⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡU

九八年度は︑本チームの研究活動二年目に

当たる︒九七年の発足を前にプロジェクトの

趣旨を公示してメンバーを公募し︑応じた九

名が本年度も引き続いて共同研究に参加した︒

五月の第一回研究会で︑研究目的を再確認

し︑本年度の研究計画を立てた︒

目的は︑ 一︑アジアの教育の現状を歴史的社会的背

景のなかで調べ︑成果を公表する

二︑必要可能な支援を考える

三︑一と二を大学教育の前進に役立てる

であり︑ 計画は

①現地調査

②月例研究会

③それに伴う文献収集と検討その他

である︒ チームの前史つまり﹁入門研﹂の外国大学

訪問調査も含めると︑アジア対象七カ国目の

本年を機に︑現代に切り込む新しい課題を加 えることとなった︒経済・社会発展に伴う環 境問題に注目︑という視点である︒メンバー に元々この方面の研究者がいることもあって︑ 研究会でも現地調査も︑教育と深く関わる重 要条件の一つとして焦点化を試みたのである︒

﹇月例研究会﹈

前年度と同様に︑メンバーによる問題提起

と︑メンバー外からの講演とで構成した︒

第一回︵九八年五月二○日︶

﹁パプアニューギニア調査報告と主要課題

の検討﹂石原静子ほか︑および九八年度研

究計画の立案︑検討︒

第二回︵九八年六月一七日︶

﹁アジアの農薬汚染問題﹂内田正夫

第三回︵九八年七月一七日︑学内公開︶

﹁アジアの金融危機と中国の課題﹂童適平

︵復旦大学経済学部副教授︶

第四回︵九八年一○月七日︑学内公開︶

﹁ネパール留学生︵院生︶に聞くネパール の教育事情と環境問題﹂シルワル・ソルバ ッゲ︵東京農工大学大学院修士課程︶ 第五回︵九八年一二月九日︶ ﹁緑の革命がアジアに持った意味﹂福島達 夫 ﹁国連開発計画﹁人間開発報告書一九九 八・消費パターンと人間開発﹂について﹂ 伊藤武彦 第二回のテーマはアジア農業における環境

問題︑第五回はその歴史的側面であり︑同回

の﹁国連開発計画﹂云々は途上国先進国を見

渡す現況の検討である︒第三回の中国は改革

開放に伴う問題の噴出︑第四回のネパールは

逆に開発未熟の地に生ずる環境破壊の典型例

である︒

﹇現地調査﹈

これらの研究をふまえて本年度の現地調査

は︑ネパールを対象国とした.環境問題だけ

でなくネパールは︑中国とインドという二大

ノ 6 9 − −

(17)

︑企業行動分析研究会

企業行動分析研究会は︑現代社会における

経済主体の一つ︑﹁企業﹂の行動を多面的に

分析研究し︑評価することを目的としている︒

過去においても成果を上げており︑本研究会

の九八年度の活動は還元すれば従来からの継 核保有国に挟まれて︑核実験競争にさらされ ている平和問題の焦点地でもある︒調査は九 九年二月末〜三月初に︑メンバー四名の参加 で実現した︒

日本のNGO﹁ネパール教育支援の会﹂の

協力を得て︑まず文部大臣と会見︑唯一の国

立トリブバン大学の教育研究所で︑ネパール

教育の全容と改革の理念・方向を把握した︒

教育学部の分校二つを訪れて教育の現場に触

れ︑三つの小学校︵公立二校は街なかと農村︑

私立一校︶で授業を参観︑子どもと対話し︑

教員たちと交流した︒合間には露天での火葬

やヒンズー寺院のいけにえ儀式︑九歳の少年

の成長祝いの宴︑など珍しい民俗を実見︑都

市のインフラ不備による大気汚染や水不足を

続研究であるといえる︒したがって︑研究手

法も基本的にはこれまでを踏襲したものとな

っている︒

本研究会は︑企業行動の分析・評価という

目的を達成させるため︑企業へのアンケート ﹇文献収集ほか﹈ ネパールおよびアジアの環境問題に関する

諸文献を検索して読み合い︑現地でも関連文

献を入手した︒

必要可能なアジア教育支援は︑九七年の調

査を機縁に︑黒柳徹子著﹁窓ぎわのトットち

ゃん﹂ラオス語訳と出版︑小学校教員志望学

生への奨学金支給の試みがスタートした︒大

学教育前進の面では︑メンバーの授業に反映 体験して︑教育との関わりや人びとの未来に ついて考えた︒

調査報告は︑﹁ネパールの生活・教育と未

来﹄と題する小冊子にまとめて︑九九年六月

学内外に配布した︒

調査を実施する研究計画を想定している︒九

八年度はその調査実施に対しての準備年度で

あった︒すなわち︑どのような企業を対象に︑

どのようなアンケートを実施するか︵アンケ

ート項目の吟味︶︑どのような結果が期待さ しただけでなく︑その記録や論稿等が文字に なっている︒その数例を記す︒

○石原静子﹁アジアに羽ぱたけトットちゃ

んl現代子ども労働の一考察﹂﹁東西南北1

998﹂︑一○二〜二四頁

○同﹁アジアのなかの青年心理学l大学授

業の創造と学生の発達支援に向けて﹂﹁和光

大学人間関係学部紀要一第三号︑一九九八年︑

一〜一四頁

○石原静子︑伊藤武彦﹁大学一年生ゼミに

おけるアジア理解と交流の試み﹂一九九九年︑

帝塚山学院大学国際理解研究所︑第二四回国

際理解教育賞論文に応募︑佳作入賞︑印刷中

︵石原静子︶

‑ 1 7 0

(18)

れるかなどについて主として議論してきたの

である︒さらに︑これまでにない企業行動の

分析・評価はどのようなものか︑どのような

柱が必要かについて︑研究会メンバーの意見

聴衆と取りまとめを行なった︒結果として︑

企業行動の分析・評価に際しては﹁倫理性﹂

を加味した分析手法を用いるという結論に達

している︒

そのような目標意識のもと︑活動は基本的

に研究会メンバー個人個人による研究活動が

主体となった︒現在のところ体系化を進めて

いる段階であるが︑個々による学会の研究報

告︑論文発表というかたちで︑研究会の意図

は成果として着実に結実している︒

さらに本研究会の目的達成と向上のため︑

関連する学会に積極的に参加してきた︒とり

わけ︑一九九八年一二月四・五日中部大学に

て開催された経営行動研究学会中部部会へは

メンバーの多くが参加し︑研讃を重ねた︒

以上が本研究会における九八年度の活動報告

概要である︒

以下においては︑九八年度を顧みての企業

行動の特徴の一つを明らかにし︑その根拠に

ついて私見を述べておきたい︒ 九八年度において企業がとった行動はさま

ざまであり︑これまでになくドラスティック

であった︒山一証券における自主廃業︑長期

信用銀行の国有化など大企業の経営行動は記

憶に新しいところである︒そうした中で︑企

業行動の最大の特徴の一つが︑リストラとい

える︒リストラというと︑マイナスイメージ

が先行するが︑正確にはリストラクチャリン

グ︑事業の再構築である︒

バブル経済期︑企業行動は多角化戦略を遂

行する傾向にあった︒特に不動産事業︑土地

開発事業に多角化した企業は数多く︑目を見

張るものがあった︒ところが︑九八年度は︑

新日本製鉄に代表されるように﹁本業回帰﹂

という企業行動を打ち出している︒また︑多

くの企業が多角化した事業部門のうち不採算

部門を見直すという行動にシフトしている︒

もちろんそうした中には︑雇用削減︑新規採

用見送り︑早期退職推進︑給与体系見直しな

ど︑いわゆるリストラも進行したといえよう︒

さらに︑企業間の結びつきを強める行動も

特徴といえる︒M&Aというビジブルなかた

ちもあるが︑特に外資系の企業あるいは外国

企業との業務提携︑資本提携は顕著なものと いえるであろう︒

これらは︑事業の再構築の一例であるが代

表的な企業行動と考えられる︒では︑こうし

た企業行動はどのように解釈すべきなのか︒

会計的に解釈してみよう︒

企業決算は︑基本的に九八年度を含め数年

間︑減収減益という環境にある︒これを脱す

るには︑﹁減収増益﹂にシフトさせる企業行

動をとるしかない︒すなわち︑収益︵売上高︶

構造の改善が見込めないことを想定し︑いか

にして利益を確保するかという行動である︒

利益は︑収益マイナス費用にて算出される︒

収益が一定かマイナスの状況下において︑利

益を得るには費用︵コスト︶を徹底的に削減

するほかない︒特に︑これまで手をつけてこ

なかった固定費を削減するということになる︒

そこで︑固定費とされる工場・部門費の見直

し︑あるいは固定費を代表するヒトにかかわ

る費用を削減する企業行動が生み出されたと

分析できるように思われる︒

ただし︑こうした企業行動が必ずしも妥当

であるかどうかは今後の課題となろう︒すな

わち︑研究会の独自性である企業倫理︑社会

的正義を取り入れた評価において現代の企業

I 7 I ‑

(19)

︑﹁多摩丘陵地域のフィールドワーク﹂研究川ⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡⅡU

211学内研究会

九七年度からの継続として︑地域の研究者

の報告による学内研究会を開いた︒

上田茂氏﹁町田の谷戸を写し続けて﹂

六月二四日 111南多摩地域の研究

本学のキャンバスは︑町田市と川崎市の境

界をなす丘陵に位置している︒多摩川の南か

ら三浦半島にかけて広がる南多摩丘陵は︑東

京都と神奈川県に二分されている︒またキャ

ンバスの北側を東京都から神奈川県へのびる

小田急線は︑本学学生︑教職員にとって日常

の主要なライフラインである︒本研究会は︑

この両都県境界地域をフィールドにし︑基礎

的な資料の収集︑研究団体・研究機関および

地域研究者とのネットワークの端緒を開く意

図をもって開かれた︒ 行動はさらなる挑戦を抱えているといえるの ではなかろうか︒本研究会は︑今後とも企業

上田氏は本学学生生活課長である︒写真を

趣味にし︑多摩丘陵の自然を写してこられた︒

カメラをとおして谷戸の自然をとらえた報告

であった︒継続的な具体的な自然観察と写真

記録による谷戸の知見は︑いわゆる研究者の

報告とは違う︑生活者としての自然認識が示

された︒この研究報告会と同時に︑本学図書

館の展示会場で写真展﹁谷戸を写す﹂を開い

た︒

浪江虐氏﹁1930年代から戦後の鶴川﹂

︵逝去により中止︶

町田市立自由民権資料館を訪問した際に︑

浪江慶氏がお元気で地域の文化運動に参加さ

れていることを知った︒五月に同氏宅を訪問

し︑研究会での報告をお願いした︒一九一○

年に生まれた同氏は︑お元気であった︒二度

目に︑報告の具体的な内容をお伺いに訪問し

たときも︑記憶も言葉も明蜥であった︒ 行動を精綴に分析し︑有用な道筋を提言できである︒ るよう︑メンバーの英知を結集していく所存

昭和恐慌の時期に︑東京帝大文学部︵音楽

美学︶に入学したが︑三一年二月に鶴川村農

民組合︑全国農民組合東京府連合鶴川支部に

属して活動し大学を中退した︒治安維持法違

反事件被告となり︑転向声明により︑三五年

懲役二年︑執行猶予四年となった︒三九年に

大蔵町︵現在の鶴川地区内︶で私立南多摩農

村図書館仮開館︑四○年に墓尿府から設立認

可された︒四○年に再検挙され︑図書館を閉

館された︒戦後の四七年に鶴川村村議に共産

党候補として当選し︑農地改革に取り組んだ︒

その農地改革の評価論争で離党した︒その後︑

南多摩地域を中心に図書館づくり運動に専念

された︒この研究会では︑浪江氏がその著作

でふれられていない︑昭和恐慌期から戦後の

農地改革期における鶴川地域の農村・農業問

題についての回想をお聞きすることになって

いた︒しかし︑研究会数日前に体調をくずさ ︵井出健二郎︶

1羽

(20)

︑教育研究へのコンピューター利用 れやむなく中止した︒すでに報告の準備をさ れているはずなので︑健康回復をまって報告 をお聞きすることにしていたが︑ついに逝去 された︒貴重な報告をしていただけず︑残念 であった︒ご冥福を祈るばかりである︒ 311訪問・聞き取り調査

昨年につづき町田市小野路にのこる養蚕農

家を訪問し︑現在の養蚕業を学んだ︒また立

川市の東京都農協連合会支部を訪問し︑東京

都の養蚕業の現状について調査した︒

横浜市開港資料館︑横浜生糸取引所の見学

と資料調査︑聞き取りを行なった︒同所は︑

生糸だけでなく︑他の商品を扱う取引所に改

一九九八年度は︑主に統計数理︑数値分析

システムの教育研究への応用を中心テーマと

しつつ︑その第一歩としてまず最新のアプリ

ケーション・ソフトウエアを利用した学術研

究への適用を試みた︒

その成果は︑経済学部・小林稔および人間 組し︑生糸の取引のノウハウを生かして︑脱 皮している︒ 411地域資料の収集

南多摩地域・小田急沿線近隣自治体資料の

収集を行なった︒多摩市役所市史編纂室を訪

問︑多摩ニュータウン建設に伴う地域資料の

保存状況を伺い︑また﹁多摩市史﹂などの寄

贈を受けた︒東京都農業協同組合立川支部で

は﹁東京都の農業﹂︵農文協︶の寄贈を受け

た︒ほぼ大学近傍の公刊自治体史誌を収集し

た︒収集資料はすべて図書館に保管した︒た

ましん歴史資料室︵国立市中一九五二︶

は︑季刊﹁多摩のあゆみ﹂を発行しているが︑

関係学部・伊藤武彦が学内にて研究会を開催

し発表を行なった︒

同時に小林は︑その成果の一部﹁産業の情

報化と付加価値生産性に関する定量分析﹂を

﹁和光経済﹂第三一巻第三号39148頁に

掲載した︒ 同誌を図書館に寄贈をうけることになった︒ これら関係資料は︑無料の寄贈を受け︑予算 に計上した資料購入費を使い残す結果となっ た︒ 511上白的をはたす

本研究会は︑関係地域の基本的資料を収集

し︑研究機関・組織の状況を把握し︑プロジ

ェクトとしての目的をほぼ達成した︒人間関

係学部人間関係学科は︑町田・川崎などの地

域研究を課題にすることになるなど︑研究プ

ロジェクトを超えた研究と教育の領域として

の取り組みへと発展している︒︵福島達夫︶

伊藤の報告は︑伊藤武彦﹁実践的・探索

的研究の効果測定における﹁効果偏差値﹂の

提案﹂として﹁和光大学人間関係学部紀

要﹄第三号15123頁に掲載された︒

研究会における発表の概要は以下の通りで

李緬︾︾︵︾︒

I Z 3 ‑

参照

関連したドキュメント

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

四二九 アレクサンダー・フォン・フンボルト(一)(山内)

このような状況下、当社グループ(当社及び連結子会社)は、中期経営計画 “Vision 2023”

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目について︑一九九四年︱二月二 0

の後︑患者は理事から要請には同意できるが︑ それは遺体処理法一 0

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