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ある研究者の回顧 東京薬科大学長

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Academic year: 2021

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一 663 一

東医大誌 52(6):663,1994

ある研究者の回顧

  東京薬科大学長    日本学士院会員

山  川  民  夫

 私が医学部を卒業した頃は医師国家試験制度もなく,太平洋戦争の末期だったので,そのまま軍 医として戦地に赴かなければならないと覚悟していた.幸か不幸か私は三学年の夏休み,伝染病研 究所の薬学の研究室で実験の手伝いをしてミスにより大火傷を負って死線をさまよい,その為に徴 兵検査では丙種合格となって兵役免除となった.

 当時としては不名誉な姿で基礎医学の生化学を専攻することになった.それに始まって私の一生 と研究生活は「塞翁が馬」の諺のように正に運命に左右されて来たと思う.勿論いろいろな場面 で,自分の意志で動きはしたが,周囲の情況という自分の力ではどうにもならない自然の成り行き が主として自分を導いて来た.私のやってきた研究も現今流行の分子生物学より以前のいわば古典 生化学で,犬も歩けば棒に当る式で,偶然に興味を惹かれたテーマに全力で当っているうちにうま い結果が出た時には天にものぼるといった気持になる一生であった.だから「運,鈍,根」という 言葉を私は好きだ.自分が頭のよい人間と思った事はないので,専ら「鈍」な人を好ましく思うの だ.といってもその「鈍」には「根」が付随していないと駄目で,辛抱強く粘り強く五感のすべて を集中して問題に喰いついている中に第六感というような「ひらめき」が突然に訪れるものと信じ ている.こういうやり方はもう古いといわれてきて今日ではオートメーション化された機器分析や コンピュータで,すぐに結果の出る様な研究が流行しているが私のような古典的な人間にとっては 面白味がない.でも私自身はそういうものに馴染みが少ないが若い人たちにはそういう方向を寧ろ 積極的にすすめて来た.時代は変って今では大学院に入り,外国に留学し,論文を数多く書き,有 名学術誌に投稿し,それがどれだけ他人に引用されるかでその人の就職や昇進が左右される世の中 になっている.そのようにしてやや規格化された人材が世の中に出て行くのだが,それでは時流を 左右する程の業績が産まれるのかなと天の邪鬼の私は時々考えこむ.

 東京医科大学と東京薬科大学は姉妹校の関係にあるので,もっとしかつめらしい事を書くべきか と思ったが,自分の事ばかりで紙面を汚してしまった.

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