密
教
相
承
の
傳
説
に
就
い
て
松
本
文
三
郎
一弘
法
大
師
は
そ
の
付
法
傳
に
於
て
、
密
教
相
承
阿
闍
黎
の
名
を
列
記
し
。
第
一
傳
法
阿
闍
梨
、
號
曰
摩
訶
毘
盧
遮
那
娑
多
他
掲
多
。
第
二
付
法
祖
、
名
金
剛
薩
唾
阿
闍
梨
耶
。
第
三
祖
、
曰
龍
猛
菩
薩
阿
闍
梨
耶
。
第
四
祖
、
名
曰
龍
智
菩
薩
阿
闍
梨
耶
。
第
五
祖
、
金
剛
智
阿
闍
梨
耶
。
第
六
祖
、
不
空
金
剛
阿
闍
梨
耶
。
第
七
青
龍
寺
恵
果
阿
闍
梨
耶
。
と
次
第
し
て
あ
る
。
此
中
最
後
の
恵
果
は
兎
に
角
、
第
六
の
不
空
に
至
る
迄
の
相
承
説
は
當
時
の
密
教
家
に
於
け
る
一
般
の
通
説
で
あ
つ
た
ら
し
い
。
で
嚴
郢
の
﹁
大
唐
興
善
寺
大
廣
智
不
空
三
藏
和
尚
碑
銘
﹂
に
も
昔
金
剛
薩
唾
、
親
於
毘
盧
遮
那
佛
前
、
受
瑜
伽
最
上
乗
義
、
後
數
百
歳
、
傳
於
龍
猛
菩
薩
、
龍
猛
又
數
百
歳
、
傳
於
密
教
相
承
の
傅
設
に
就
い
て
一
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 二 龍 智 阿 闍 黎 、 龍 智 傳 金 剛 智 阿 闍 黎 、 金 剛 智 東 來 、 傳 於 ︹ 不 空 ︺ 和 尚 、 和 尚 又 西 遊 天 竺 師 子 等 國 、 詣 龍 智 阿 闍 黎 、 揚 擢 十 入 會 法 、 法 化 相 承 、 自 毘 盧 遮 那 如 來 馳 於 和 尚 、 凡 六 葉 矣 。 と あ り 、 又 趙 遷 の ﹁ 大 唐 故 大 徳 贈 司 空 大 辨 正 廣 智 不 空 三 臓 行 状 ﹂ に も 、 昔 者 婆 伽 梵 毘 盧 遮 那 、 以 金 剛 頂 瑜 伽 秘 密 教 王 眞 言 法 印 、 付 囑 金 剛 手 菩 薩 、 垂 近 千 歳 、 傳 龍 猛 菩 薩 、 數 百 年 後 、 龍 猛 傳 龍 智 阿 遮 梨 耶 、 後 數 百 年 龍 智 傳 金 剛 智 阿 遮 梨 耶 、 金 剛 智 傳 今 之 大 師 ︹ 不 空 ︺ 。 と い ふ 。 此 密 教 相 承 の 説 の 何 時 誰 人 に よ つ て 創 説 せ ら れ た か は 固 よ り 不 明 で あ る が 、 こ の 中 、 善 無 畏 三 藏 の 始 め て 密 教 根 本 経 典 の 一 た る 大 日 経 を 傳 譯 し た に 關 は ら す 、 之 を 除 き 去 れ る を 以 て 見 れ ば 、 そ の 不 空 門 下 の 唱 ね だ 所 た る は 秋 毫 疑 を 容 れ な い 。 所 が 同 じ く 不 空 門 下 の 一 人 た る 恵 應 に よ つ て は 、 之 と 稍 相 異 な れ る 説 の 傳 へ ら れ て 居 る の は 抑 も 何 故 で あ ら う か 。 是 れ 余 輩 の 大 に 興 味 を 感 ず る と こ ろ で あ る 權 徳 輿 の ﹁ 唐 大 興 善 寺 故 大 宏 教 大 辨 正 三 藏 和 尚 影 堂 碑 銘 井 序 ﹂ に は 次 の 如 く い ふ 。 こ こ 應 公 又 推 本 其 教 曰 、 昔 毘 盧 遮 那 如 來 入 不 空 王 三 昧 、 説 瑜 伽 最 上 乗 義 、 授 普 賢 、 以 平 等 性 智 而 造 妙 覺 ⋮ ⋮ 普 賢 授 龍 猛 、 龍 猛 授 龍 智 、 凡 千 百 歳 、 而 先 大 師 ︹ 金 剛 智 ︺ 授 於 大 師 ︹ 不 空 ︺ 、 纂 服 六 葉 之 數 、 紹 明 三 摩 之 法 、 懾 護 成 就 斯 爲 妙 門 。 此 に 應 公 と あ る の は 、 即 ち 不 空 入 室 の 弟 子 悪 應 の こ と で あ る 。 で 此 文 の 前 に も 不 室 の 弟 子 の 名 を 擧 げ 大 師 ︹ 不 空 ︺ 之 弟 子 、 曰 沙 門 含 光 、 曇 貞 、 覺 超 、 恵 應 、於 鄰 潜 眞 、 恵 覺 等 、或 爲 粛 宗 灌 頂 阿 闍 黎 、 清 凉
山 功 徳 使 、 或 爲 内 道 場 三 教 大 徳 、 或 爲 僧 録 、 皆 偉 然 龍 象 、 爲 法 棟 梁 。 と い ひ 、 更 ら に 之 に 次 ぎ て は 、 而 恵 應 、 惑 覺 傳 授 秘 藏 。 と も あ る 。 即 ち 悪 應 な る も の ゝ 不 空 高 足 の 弟 子 一 人 で あ つ た こ と は 疑 ひ な い や う で あ る 。 勿 論 弘 法 大 師 の 付 法 傳 中 、 恵 果 の 條 下 に は 、 不 空 授 法 の 弟 子 頗 る 多 し 、 ﹁ 五 部 琢 磨 成 立 八 箇 、 論 亡 相 次 、 唯 有 六 人 其 誰 得 之 、 則 有 金 閣 含 光 、 新 羅 恵 超 、 青 龍 恵 果 、 崇 福 恵 朗 、 保 壽 元 曉 皎一 作 覺 超 、 後 學 有 疑 、 汝 等 開 示 ﹂ と あ り 、 前 記 碑 銘 に 擧 ぐ る 七 人 の 中 に は 唯 含 光 と 覺 超 と が 顯 は れ て 居 る の み で 、 權 徳 輿 が 特 に 秘 藏 を 傳 授 せ ら れ た と い ふ 恵 應 も 恵 覺 も 大 師 に よ つ て は 算 出 せ ら れ ぬ 。 大 師 の 此 文 は 恐 ら く 不 空 表 制 集 の 大 暦 八 年 に 、 不 空 が 遺 法 を 付 囑 し た と い ふ 六 人 を 擧 げ た の で あ ら う 。 又 同 年 不 空 が 持 誦 僧 七 人 を 撰 び 、 國 の 爲 め に 念 誦 せ し め た 人 々 の 中 に は 、恵 覺 の 名 は 見 へ て 居 る が 、 此 に も 恵 應 の 名 は な い 。 或 は 恵 應 な る も の は 權 徳 輿 の い へ る が 如 き 當 時 第 一 流 の 密 教 者 で な か つ た の か も 知 れ ぬ 。 後 世 或 は 彼 を 以 て 恵 果 の 弟 子 と な し た も の も あ る や う で あ る が 、 是 れ は 明 ら か に 誤 で あ る 。 而 し て 此 碑 銘 の 作 者 權 徳 輿 は 、 親 し く 恵 應 に 就 い て 學 ん だ も の ゝ や う で あ る 。 で 此 文 の 中 に も 、 今 應 公 以 二 大 師 遺 影 之 在 此 堂 也 、 不 可 以 不 識 、 應 公 入 大 師 之 室 、 徳 輿 入 應 公 之 藩 、 以 茲 因 縁 、 俾 掲 文 字 。 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 三
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 四 と も あ る 。 斯 く 應 公 の 弟 子 た る 權 徳 輿 が 、 不 空 の 弟 子 た る 恵 應 よ り 親 し く 聞 く 所 を 記 し た も の で あ る と す れ ば 、 不 空 當 時 密 教 相 承 に 關 し 、 斯 か る 異 説 の 存 し た こ と は 疑 な い 事 實 の や う で あ る 。 の み な ら ず 權 徳 輿 の 此 文 を 作 つ た 時 に は 、 嚴 郢 や 飛 錫 の 碑 銘 も 既 に 成 り 、 彼 亦 之 を 見 て 居 た こ と は 彼 の 文 に 、 初 先 大 師 之 滅 也 、 呂 工 部 向 、 杜 衛 公 鴻 漸 爲 之 記 、 大 師 之 云 亡 也 、 嚴 京 兆 郢 、 沙 門 飛 錫 爲 之 碑 、 威 縁 行 化 、 皆 以 詳 熟 と い へ る に よ つ て も 之 を 知 り 得 る の で あ る 。 而 し て 嚴 郢 等 の 銘 に は 明 ら か に 普 賢 の 名 を 出 さ す し て 、 金 剛 薩 唾 の 名 を 著 は す に 關 は ら ず 、 彼 は 尚 ほ 普 賢 龍 猛 に 授 く と な す 、 愈 以 て 當 時 そ の 異 説 の 存 し た こ と を 知 る べ く 、 而 し て 此 等 相 承 の 説 の 、 不 空 の 自 か ら 説 い た も の で は な く 、 ( 若 し 不 空 自 か ら 説 い た と す れ ば 其 門 弟 中 斯 く 異 説 の 生 す る 筈 は な か ら う ) 不 空 の 門 人 に よ つ て 始 め ら れ た こ と も 容 易 に 推 測 し 得 ら る ゝ の で あ る 。 二 此 等 傳 説 に 就 き 第 一 に 問 題 と な る の は 龍 猛 以 前 の 相 承 で あ る 。 こ れ は 勿 論 歴 史 以 上 の こ と で あ る か ら 、 経 説 に よ つ て 之 を 臚 列 し た に 外 な ら ぬ 、 然 ら ば 此 等 兩 説 の 相 違 は 畢 究 そ の 所 依 と す る 経 典 の 相 違 に 歸 す べ き で あ る 。 即 ち 最 初 の 大 日 金 剛 と 相 承 し た と い ふ の は 主 と し て 大 日 経 の 所 説 に 据 り 、 第 二 の 大 日 、 普 賢 と 相 傳 し た と す る の は 、 金 剛 頂 経 に 憑 つ た も の で は な か ら う か 。 若 し 果 し て 然 り と す れ ば
金 胎 兩 部 の 學 者 は 少 く と も 唐 代 に 於 て は 、 各 々 相 異 な れ る 相 承 説 を 組 織 唱 道 し て 居 た も の と 推 測 せ ら る ゝ の で あ る 。 一 體 大 日 經 と 金 剛 頂 經 と の 出 顯 の 前 後 は 固 よ り 判 然 と し て 知 る べ か ら ざ る も の で あ る が 、 殆 ん ど 相 接 し 一 は 中 論 派 の 學 系 に よ り 、 一 は 華 嚴 又 は 瑜 伽 系 の 教 義 に よ り 成 立 し た も の か と 思 ふ 。 先 づ 大 日 經 に 就 い て , 一 言 せ ん 。 此 經 を 一 讀 す る も の は 何 人 も 經 中 般 若 的 思 想 の 最 も 濃 厚 に 顯 出 づ る を 看 過 し な い で あ ら う 。 例 之 へ ば 同 經 、 住 心 品 の ﹁ 此 一 切 智 々 道 一 味 、 所 謂 如 來 解 脱 味 、 世 尊 、 譬 如 虚 空 界 、 離 一 切 分 別 、 無 分 別 、 無 々 分 別 、 如 是 一 切 智 々 、 離 一 切 分 別 、 無 分 別 , 無 々 分 別 ﹂ と い ふ が 如 き 、 或 は ﹁ 心 前 後 際 不 可 得 故 ﹂ と い ふ が 如 き 皆 然 り で あ る 。 而 し て ﹁ 眞 言 相 唯 是 假 名 ﹂ と な し 、 ﹁ 如 空 中 無 衆 生 、 無 壽 命 、 彼 作 者 不 可 得 、 以 心 迷 亂 故 、 而 生 如 是 種 々 妄 見 、 譬 如 火 燼 、 若 人 執 持 在 手 、 而 以 旋 轉 空 中 、 有 輪 像 生 ﹂ 等 と も い ふ 。 又 眞 言 品 に は 、 阿 闍 梨 の 修 行 を 説 き ﹁ 初 阿 闍 梨 應 發 菩 提 心 、 妙 慧 慈 悲 、 兼 綜 衆 藝 、 善 巧 修 行 般 若 波 羅 蜜 、 通 達 三 乗 、 善 解 眞 言 實 義 、 知 衆 生 心 、 ﹂ 等 と い ひ 又 更 ら に そ の 次 の 偶 に は 、﹁ 佛 法 離 諸 相 、 法 佳 於 法 位 、 所 説 無 譬 類 、 無 相 無 爲 作 、 何 故 大 精 進 、 而 説 此 有 相 、 ⋮ ⋮ 法 離 於 分 別 、 及 一 切 妄 想 、 若 浄 除 妄 想 、 心 思 諸 起 作 、 我 成 最 正 覺 、 究 竟 如 虚 空 、 ⋮ ⋮ 無 作 無 造 者 、 彼 一 切 諸 法 、 唯 住 於 實 相 、﹂ 等 と 述 ぶ る が 如 き 、 畢 究 皆 般 若 の 思 想 に あ ら ざ る は な い 。 心 性 清 浄 説 や 瑜 伽 の 語 も 顯 は れ て は 居 る が 、 後 世 瑜 伽 派 に 於 け る 最 も 肝 要 な る 三 性 説 の 如 き は そ の 痕 迹 を も 認 め 得 な い や う 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 五
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 六 で あ る 。 而 し て 大 日 經 に 於 け る 説 法 者 は 、 經 題 の 示 す 如 く 、 毘 盧 遮 那 佛 で あ り 、 其 對 手 の 金 剛 手 秘 密 主 で あ る こ と は 言 ふ 迄 も な い 。 次 に 金 剛 頂 經 は 不 空 の 所 譯 に よ れ ば 、 主 と し て 儀 軌 を 述 べ 、 教 義 を 説 く こ と は 極 め て 僅 か で あ る か ら 、 そ の 何 れ の 教 派 に よ る か は 勿 論 判 然 し な い 。 元 來 金 剛 頂 經 な る も の は 、 或 は 印 度 に あ つ て は 、 今 漢 譯 に 傳 ふ る よ り も 一 層 大 部 の も の で あ り 、 漢 譯 は 唯 其 中 の 一 部 を 譯 出 し た も の で は な か ら う か と も 思 ふ 。 現 に 不 空 譯 に も 同 名 の ﹁ 金 剛 頂 一 切 如 來 眞 實 攝 大 乗 現 謹 大 教 王 經 ﹂ と 題 す る も の ゝ 、 二 巻 本 と 三 省 本 と の 二 種 が あ り 、 そ の 内 容 亦 同 じ く は な い 。 三 巻 本 は 大 曼 荼 羅 儀 軌 品 と い ひ 、 二 巻 本 は 金 剛 界 大 三 昧 耶 修 習 儀 軌 と 、 同 大 曼 拏 羅 毘 盧 遮 那 一 切 如 來 族 秘 密 心 地 印 眞 言 羯 磨 部 、 三 昧 耶 部 、 供 養 部 と を 説 く 。 そ の 他 金 剛 頂 の 字 を 冠 す る 輩 經 は 諸 種 あ つ て 、 何 れ も 皆 異 つ て 居 る 。 此 等 は 果 し て 別 々 に 作 ら れ た も の か 、 或 は 一 部 の 經 の 各 部 を 別 出 し た も の か は 明 ら か な ら ぬ が 、 兎 に 角 同 一 系 統 の も の で あ る こ と は 疑 な い 。 で 此 等 は 密 部 の 毘 盧 遮 那 と 華 嚴 の 盧 遮 那 と を 同 一 視 し た か 、 若 く は 彼 と 融 會 せ し め た も の と 思 は れ 、 其 説 法 も 天 上 に 於 け る も の と な り 、 三 巻 本 に は 或 は 阿 迦 尼 托 天 宮 中 大 摩 尼 殿 に 住 す と い ひ 、 或 は 須 彌 盧 頂 金 剛 摩 尼 賢 峰 楼 閣 に 往 詣 す と も い ふ 、 の み な ら す 普 賢 の 名 も 此 に は 屡 々 顯 は れ 、 或 は ﹁ 或 辨 普 賢 種 々 行 ﹂ と も あ り 、 或 は 其 説 法 の 相 手 と し て も ﹁ 婆 伽 梵 大 菩 提 心 普 賢 大 菩 薩 住 一 切 如 來 心 ﹂ と も い ひ 、 或 は ﹁ 時 普 賢 大 菩 提 薩 垂 身 、 從 世 尊 心 下 、 一 切 如 來 前 、 依 月 輸 而 住 、 復 請 教 令 、 時 婆
伽 梵 ⋮ ⋮ 授 與 彼 普 賢 摩 訶 菩 提 薩 唾 、 一 切 如 來 轉 輸 王 灌 頂 ﹂ 等 と も い ひ 、 其 他 普 賢 の 名 が 最 も 多 く 、 又 最 も 著 し い 、 菩 薩 と し て 説 か れ て あ る 。 こ れ が 抑 々 彼 の 普 賢 行 願 讃 の 同 じ く 不 空 に よ つ て 譯 出 せ ら る ゝ に 至 つ た 所 以 で も あ ら う 。 此 讃 は 勿 論 そ の 本 文 に 於 て は 密 教 的 教 義 の 秋 毫 見 る べ か ら ざ る も の で は あ る が 、 (而 し て そ の 終 の ﹁ 速 疾 満 普 賢 行 願 陀 羅 尼 ﹂ な る も の も 、 麗 本 に 存 せ ざ る 所 を 以 て 見 れ ば 、 梵 本 に 元 よ り 存 し た か 否 も 明 ら か な ら ぬ 、 ) 金 剛 頂 經 に 普 賢 の 徳 を 賛 歎 す る 所 か ら 密 教 家 に 採 用 せ ら る ゝ に 至 つ た に 相 違 な い 。 此 點 か ら 見 れ ば 金 剛 頂 經 は 華 嚴 經 の 色 彩 を 可 な り 濃 厚 に 有 つ て 居 る も の と 稱 し て 差 支 な か ら う 。 し か し 華 嚴 の 教 説 は 、 印 度 に 於 て 特 に 一 宗 派 を 成 し て 居 た も の で は な い 、 而 し て 瑜 伽 涙 に あ つ て は 或 點 に 於 て 華 嚴 と 密 接 な る 關 係 を 有 つ て 居 る 、 例 之 へ ば 彼 の 瑜 伽 派 の 三 聚 戒 の 如 き 、 世 人 の 既 に 唱 ふ る 如 く 、 華 嚴 よ り 脱 化 し 、 更 ら に 之 を 詳 細 に 説 述 し た も の と も 考 へ ら れ る 。 の み な ら ず 金 剛 頂 經 一 類 の 經 典 に は 、 常 に 瑜 伽 の 語 が 其 經 題 に 冠 せ ら れ て 居 る と こ ろ を 以 て 見 て も 、 直 接 か 間 接 か 瑜 伽 派 の 系 統 に 属 す る も の で あ る こ と だ け は 秋 毫 疑 を 容 れ ざ る 事 實 で あ ら う 。 又 密 部 の 經 典 の 中 に は 、 文 殊 問 經 の 字 母 品 と 共 に 瑜 伽 金 剛 頂 經 釋 字 品 な る も の が 、 共 に 不 空 の 譯 す る 所 と な つ て 居 る 。 こ れ は 果 し て 元 よ り 金 剛 頂 經 の 一 部 を な し て 居 た も の か 、 或 は 彼 に そ の 一 部 と し て 作 ら れ た も の か も 判 ら ぬ が 、 兎 に 角 金 剛 頂 經 系 統 の 學 者 の 探 る と こ ろ と な つ て 居 た も の と 思 は れ る 而 し て こ れ に は 五 十 字 の 釋 義 を 擧 げ て あ る の は 文 殊 問 經 の そ れ と 同 じ で あ る が 、 そ の 密 義 は 必 ら ず し 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 七
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 八 も 彼 と 同 一 で は な い 。 寧 ろ そ の 多 く は 大 日 經 と 全 然 同 じ と い つ て 差 支 な い 。 し か し 大 日 經 で は 僅 か に 二 十 九 字 の 密 義 を 説 く の み で あ り 、 而 し て そ の 外 の ・n ∼n n ・ n m の 五 字 は 、 最 後 に 之 を 一 括 し ﹁ 仰 若 拏 も た 那 麼 於 一 切 三 昧 自 在 、 速 能 成 辨 諸 事 、 所 爲 義 利 、 皆 悉 成 就 ﹂ と い ひ 、 一 々 別 に 其 字 義 を 述 べ て な い 。 然 る に 金 剛 頂 經 釋 字 品 に は 、 此 等 の 五 字 の み な ら ず 、 大 日 經 に は 全 然 略 し て 述 べ ぬ 他 の 母 音 等 に も 一 々 そ の 密 義 を 説 い て あ り 、 而 し て そ の 密 義 と す る 所 は 華 嚴 の 四 十 二 字 觀 門 に 擧 ぐ る そ れ と 全 く 同 じ い 今 そ の 二 三 の 例 を 取 つ て 之 を 比 較 し て 見 や う 。 聲 字 金 剛 頂 經 釋 字 品 文 殊 問 經 華 嚴 經 四 十 二 字 觀 門 孃 一 切 法 智 不 可 得 。 制 伏 佗 魔 聲 。 一 切 法 能 所 知 性 不 可 得 。 拏 一 切 法 論 不 可 得 。 除 諸 煩 惱 聲 。 一 切 法 離 諸 誼 諍 、 無 往 無 來 、 行 住 坐 臥 不 可 得 。 曩 一 切 法 名 不 可 得 。 偏 知 名 色 聲 。 一 切 法 相 不 可 得 。 葉 一 切 法 吾 我 不 可 得 。 息 嬌 慢 聲 。 一 切 法 我 所 執 不 可 得 。 是 れ に よ つ て 見 て も 金 剛 頂 經 の 釋 字 品 な る も の は 、 大 日 經 に 據 り 、 更 ら に 之 を 補 ふ に 華 嚴 經 の 説 を 以 て し た こ と は 知 る べ き で あ る 。 而 し て 釋 字 品 が 果 し て 金 剛 頂 經 の 一 部 を 構 成 し た も の と す れ ば 、 恐 ら く 大 日 經 の 顕 は れ た 後 、 彼 の 大 日 如 來 と 華 嚴 の 盧 遮 那 と を 同 一 視 し 、 從 つ て 普 賢 を 以 て 金 剛 手 中 の 最 も 優 れ た も の と な し 、 經 中 に も 斯 く 屡 々 普 賢 の 名 を 點 出 す る に 至 つ た も の で は な か ら う か 。 斯 く し て
一 方 は 大 日 ︱ 金 剛 薩 唾 の 傳 説 と 、 他 方 に は 大 日 ︱ 普 賢 相 承 の 傳 説 と を 生 じ た も の か と 思 は れ る 。 三 し か し 此 問 題 を 解 決 す る に は 尚 ほ 幾 多 の 考 慮 を 要 す べ き も の が あ る 。 若 し 果 し て 大 日 金 剛 相 承 の 傳 説 が 大 日 經 に 本 づ き 、 大 日 普 賢 の そ れ が 金 剛 頂 經 に 据 っ て 超 つ た と す れ ば 、 前 者 は 大 日 經 を 傳 へ た 善 無 畏 よ り 、 後 者 は 金 剛 頂 經 を 授 け た 金 剛 智 の 唱 ね た 所 で あ つ た ら し く も 思 は れ る 。 而 し て 不 空 は 主 と し て 金 剛 智 に 就 い て 學 ん だ の で あ る か ら 、 此 點 か ら し て は 同 じ く 大 日 普 賢 相 承 の 説 を 傳 へ る の が 、 寧 ろ 當 然 の や う に も 考 へ ら れ る 。 し か し 又 不 空 は 金 胎 兩 部 を 傳 授 し た の で あ る か ら 、 大 日 金 剛 の 説 を 取 る こ と も 可 能 で あ る 。 然 ら ば 恵 應 も 嚴 郢 も 將 た 趙 遷 も 皆 不 空 の 門 に 學 ん だ に 關 は ら ず 如 何 に し て 斯 く 兩 説 相 分 る ゝ に 至 つ た の で あ ら う か 。 前 に も 一 言 し た 如 く 善 無 畏 や 金 剛 智 は 密 教 の 事 相 や 教 相 を 傳 へ た が 、 當 時 密 教 は 尚 ほ 未 だ 一 宗 派 の 形 を な し て 居 な か つ た 。 特 に 善 無 畏 の 門 下 に は 、 其 宗 旨 を 大 成 せ し む べ き 偉 材 に 乏 し か つ た も の ゝ や う で あ る 。 で 李 華 の ﹁ 善 無 畏 和 術 碑 銘 ﹂ に も 其 弟 子 の こ と を 述 べ 、 弟 子 僧 寳 思 、 戸 部 尚 書 榮 陽 鄭 公 善 果 曾 孫 也 、 弟 子 僧 明 思 、 瑯 珊 王 氏 、 井 高 族 上 才 、 超 然 自 覺 息 言 、 爲 樂 説 之 辨 、 妙 用 即 釋 那 之 宗 、 入 和 上 之 室 、 惟 茲 二 人 而 已 。 , と あ る の で も 判 る 〇 一 行 釋 師 の 如 き も 嘗 て は 無 畏 に 就 い て 學 ん だ こ と は あ る が 、 必 ら ず し も 彼 の 傳 燈 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 九
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 〇 相 承 者 で は な い 。 而 し て 此 に い ふ 寳 思 、 明 思 の 如 き も 、 後 世 更 ら に 傳 ふ 所 は な い 。 即 ち 無 畏 は 經 典 を 傳 譯 し た に 止 ま り 、 後 世 永 く そ の 教 説 を 留 む る に 至 ら な か つ た の で あ る 。 之 に 反 し 金 剛 智 は 幸 ひ に 不 空 な る 一 大 偉 材 を 得 、 金 剛 部 の 教 説 を 一 切 瓶 潟 し た の み な ら ず 、 不 空 は 更 ら に 南 海 に 至 つ て 胎 藏 界 の 灌 頂 を も 承 け 來 つ た の で 、 金 胎 兩 部 は 彼 に よ つ て 綜 合 せ ら れ 、 後 世 密 教 の 基 礎 は 此 に 成 立 し た の で あ る 。 勿 論 後 世 で は 無 畏 と 金 剛 智 と が 各 互 ひ に そ の 教 を 傳 授 し た と い ふ 説 も あ る が 、 こ れ は 到 底 信 す る の 足 ら ざ る の で あ る 。 此 事 は 善 無 畏 の 傳 に も 金 剛 智 の 傳 に も 將 た 又 不 空 の 傳 に も 未 だ 曾 て 見 ざ る と こ ろ で あ る 。 而 し て 不 空 が そ の 師 金 剛 智 の 滅 後 早 々 に し て 先 師 の 遺 命 と 稱 し 南 海 印 度 に 至 つ た 所 以 の も の は 、 主 と し て 胎 藏 部 の 灌 頂 を 受 け ん が 爲 め で あ つ た と 思 は れ る 。 金 剛 智 の 入 滅 は 開 元 二 十 九 年 で あ り 、 善 無 畏 の 入 滅 は 之 に 先 つ こ と 六 年 の 開 元 二 十 三 年 で あ つ た か ら 、金 剛 智 の 滅 後 不 空 は 到 底 彼 よ り 傳 授 せ ら れ 得 な か つ た 。 で 彼 は 直 ち に 南 海 に 渡 り 、 或 は 普 賢 ( 趙 遷 の 不 空 行 状 ) 或 は 龍 智 (嚴 郢 の 不 空 三 藏 碑 銘 、 弘 法 大 師 の 不 空 傳 、 海 雲 の 付 法 記 等 ) に 就 い て ﹁ 十 八 會 金 剛 頂 瑜 伽 法 門 毘 盧 遮 那 大 悲 胎 藏 を 開 か ん こ と を 請 ふ ﹂ た の で あ る 。 勿 論 此 に い ふ 普 賢 や 龍 智 な る 名 は 必 ら ず し も 信 せ ぬ が 、 そ の 何 人 で あ つ た か 、 又 そ れ が 果 し て 師 子 島 で あ つ て も 將 た 南 印 で あ つ て も 、 今 此 に は 必 要 と す る 所 で は な い 。 不 空 が 何 庭 か に 於 て 誰 人 か に 就 い て 胎 藏 部 の 灌 頂 を 受 け た こ と が 明 ら か と な り さ へ す れ ば 足 れ る の で あ る 。 而 し て 不 空 も 大 暦 六 年 の 上 奏 に は 自 か ら い ふ 、
不 空 爰 自 幼 年 承 事 先 師 大 弘 教 三 藏 和 上 、 二 十 有 餘 載 、 稟 受 瑜 伽 法 門 、 後 遊 五 天 尋 求 所 未 受 者 、 井 諸 經 論 、 更 重 習 字 。 そ の 未 だ 受 け ざ る 所 の も の と は 、 主 と し て 胎 藏 部 の 教 説 で あ つ た の で あ ら う 。 斯 く 不 空 に よ つ て 金 胎 兩 部 が 始 め て 綜 合 せ ら る ゝ に 至 つ た の で あ る が 、 不 空 は 單 に 之 を 傳 譯 授 受 し た に 止 ま り 、 未 だ 一 宗 派 と し て の 密 教 を 組 織 大 成 す る に 追 な か つ た 。 從 つ て 從 來 佛 教 家 の 重 要 視 せ ら れ た 傳 燈 相 承 の 説 の 如 き も 、 ま だ 之 に 説 及 ば な か つ た も の と 思 は れ る 。 若 し 不 空 が 親 し く 之 を 説 い た と す れ ば 、 前 に も 一 言 し た 如 く 同 じ く 不 空 及 門 下 の 弟 子 が 二 種 の 異 説 を 唱 ふ に 至 る 筈 は な い 。 是 に 由 つ て 見 れ ば 密 教 の 傳 燈 相 承 の 説 は 不 空 門 下 に 至 つ て 始 め て 顯 は れ 來 つ た も の と い は な け れ ば な ら ぬ 。 然 ら ば 同 じ く 不 空 門 下 の も の が 如 何 に し て 斯 く 二 種 の 相 違 し た 説 を 唱 え る に 至 つ た か 、 又 如 何 に し て 弘 法 大 師 は 其 中 の 一 説 た る 大 日 金 剛 の 相 承 説 を 探 ら る ゝ に 至 つ た か 。 こ れ は 餘 り に 穿 ち 過 ぎ た 説 で あ る か も 知 れ ぬ が 、 余 輩 は 次 の 如 く に 考 へ る の で あ る 。 元 來 密 教 の 相 承 は 必 ら ず し も 常 に 金 胎 兩 部 と 限 ら れ た 譯 で は な く 、 時 に は 金 剛 部 の み 、 時 に は 胎 藏 部 の み の 傳 受 に 止 ま つ た も の も 多 か つ た 、 否 寧 ろ 一 部 の み の 相 承 の 方 が 多 數 で あ つ て 、 兩 部 共 に 傳 授 せ ら る ゝ も の は 、 比 較 的 少 か つ た ら し い 。 で 弘 法 大 師 の 悪 果 傳 に も 、 不 空 の 言 と し て 次 の や う な こ と が い つ て あ る 。 此 大 法 者 五 天 竺 國 太 難 得 見 、 一 尊 一 部 不 易 得 、 何 況 兩 部 乎 、 所 有 弟 子 其 數 雖 多 、 或 得 一 尊 或 得 一 部 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 一
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 二 と 、 又 い ふ 、 吾 當 代 灌 頂 三 十 餘 年 、 入 壇 授 法 弟 子 頗 多 、 五 部 琢 磨 成 立 八 箇 淪 亡 相 次 、 唯 有 六 人 、 ⋮ ⋮ 廣 智 數 萬 、 印 可 八 箇 、 就 中 七 八 得 金 剛 界 一 部 、 青 龍 則 兼 得 兩 部 師 位 。 又 呉 慇 纂 の ﹁ 恵 果 阿 闍 梨 行 状 ﹂ に も 、 そ の 弟 子 の 受 法 を 述 べ 訶 陵 辨 弘 、 新 羅 恵 日 、 並 授 胎 藏 師 位 、 剣 南 惟 上 、` 河 北 義 圓 、 授 金 剛 界 大 法 、 義 明 供 事 亦 授 兩 部 大 法 今 有 日 本 沙 門 空 海 來 求 聖 教 、 以 兩 部 秘 奥 壇 儀 印 契 、 ⋮ ⋮ 此 是 六 人 堪 傳 吾 法 燈 、 吾 願 足 矣 。 此 等 に よ つ て 見 て も 當 時 兩 部 の 灌 頂 を 受 け た を の ゝ 寧 ろ 極 め て 、 稀 れ で あ つ て 同 じ く 受 法 の 弟 子 と い つ て も 多 く は 單 に そ の 中 の 唯 一 部 に 過 ぎ な か つ た こ と が 判 る 。 斯 く 一 部 づ ゝ 相 承 し た も の ゝ 中 、 金 剛 部 の 受 法 者 は 金 剛 頂 經 に よ り 、 大 日 普 賢 と 次 第 し 、 胎 藏 部 の も の は 大 日 經 に よ つ て 大 日 金 剛 と 次 第 し た の で は な か ら う か 。 こ れ が 抑 々 同 じ く 不 空 の 門 人 で あ り な が ら 、 二 種 の 異 説 を 生 じ た 所 以 で あ ら う 然 ら ば 兩 部 の 灌 頂 を 受 け た も の は 如 何 な る 説 を 採 つ た か と い ふ に 、 密 教 の 根 本 經 典 に よ れ ば 此 等 二 説 以 外 別 に 傳 説 の 考 へ 得 べ く も な い 。 で 何 と か 此 二 經 の 説 を 調 和 し な け れ ば な ら ぬ 、 而 し て こ れ は 大 日 金 剛 相 承 の 説 に よ つ て 容 易 に 融 會 す る を 得 た の で あ る 。 何 故 か と い へ ば 金 剛 頂 經 に 据 ら ば ﹁ 一 切 如 來 は 金 剛 の 名 を 以 て 金 剛 手 と も 號 せ ら る ﹂ も の で あ る か ら 、 普 賢 も 亦 是 れ 金 剛 薩 唾 と 稱 せ ら る べ き で あ る 。 然 ら ば 金 剛 薩 唾 の 名 は 兩 者 に 共 通 す る 所 で あ り 、 普 賢 の 名 の 金 剛 頂 經 に の み 顯 は れ 、 大 日 經 に は
秋 毫 見 ざ る と こ ろ で あ る の と は 、 大 に 趣 の 異 な る も の が あ る 。 こ れ が 抑 々 大 日 金 剛 相 承 の 説 の 、 後 世 密 教 家 の 一 般 に 探 る 所 と な つ た 所 以 で あ ら う 。 斯 く 後 世 の 密 教 は 、 實 は 不 空 に 始 ま つ た も の で あ る が 、 傳 燈 相 承 と し て は 不 空 は 、 金 剛 智 に 學 ん だ の で あ る か ら 、 此 中 に 金 剛 智 の 名 を 没 す る 譯 に は 行 か ぬ 。 が 金 剛 智 は 本 來 金 剛 部 の み を 傳 へ た の で あ る か ら 、 後 世 密 教 の 祖 師 と し て は 不 充 分 な る 觀 が な い で は な い 。 で 後 世 の 學 者 は 金 剛 智 を も 何 せ か し て 兩 部 の 祖 師 と な さ ん と し 、 途 に 彼 の 金 善 互 授 の 説 を 按 出 し た も の と 思 は れ る 。 而 し て 唐 の 太 和 八 年 に 作 ら れ た と い は る ゝ 海 雲 (義 操 の 弟 子 ) の 兩 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 (巻 上 ) に は 既 に ︹ 金 剛 智 ︺ 遂 請 無 畏 三 藏 、 求 授 大 盧 遮 那 大 教 、 互 爲 師 資 、 傳 授 二 本 大 教 。 と い ひ 、 又 同 書 巻 下 に も 繰 返 し 、 無 畏 三 藏 和 尚 、 復 將 此 大 毘 盧 遮 那 大 教 王 、 授 付 南 天 竺 三 藏 金 剛 智 、 三 藏 金 剛 智 復 將 金 剛 界 大 教 王 、 授 三 藏 善 無 畏 、 互 爲 阿 闍 黎 、 遍 相 傳 授 。 と も あ る か ら 、 此 互 授 の 説 も 可 な り 古 く か ら 一 部 に 學 者 の 間 に 唱 へ ら れ た も の と 思 は れ る 。 が 弘 法 大 師 や 傳 教 大 師 の 付 法 傳 抔 に は 未 だ 一 言 も 出 て 居 な い 所 を 見 る と 、 假 命 ひ こ れ は 海 雲 自 身 の 空 想 か ら 創 作 せ ら れ た も の で な い と し て も 、 恐 ら く 唐 の 元 和 の 末 年 か ら 太 和 に 至 る 間 、 弘 法 傳 教 兩 大 師 等 の 歸 朝 後 、 間 も な く 何 人 か に よ つ て 唱 出 さ れ た も の と 推 測 せ ら る ゝ の で あ る 。 密 教 相 承 の 傅 説 に 就 い て 一 三
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 四 四 以 上 述 べ た 所 説 の 外 、 尚 ほ 金 胎 兩 部 各 別 相 承 の 説 も あ つ た 。 我 邦 台 密 の 相 承 が そ れ で あ る の み な ら ず 、 海 雲 の 相 承 も 亦 之 に 屬 す る 。 傳 教 大 師 の ﹁ 内 證 佛 法 相 承 血 脉 譜 ﹂ に よ れ ば 胎 臓 界 に は 、
と
傳
へ
、
金
剛
界
に
は
大
日
︱
金
剛
薩
唾
︱
龍
猛
︱
龍
智
︱
金
剛
智
︱
不
空
︱
順
曉
と
し
て
あ
る
。
又
海
雲
の
﹁
付
法
記
﹂
に
は
胎
藏
界
の
相
承
を
説
き
、
三
藏
善
無
畏
云
、
此
法
︹
大
日
經
法
︺
從
毘
盧
遮
那
佛
、
付
囑
金
剛
手
菩
薩
、
金
剛
手
菩
薩
、
經
數
百
年
、
傳
付
中
印
度
那
爛
陀
寺
達
磨
掬
多
阿
闍
梨
、
達
磨
掬
多
阿
闍
梨
次
付
中
印
度
國
三
藏
釋
迦
種
善
無
畏
と
あ
り
、
次
に
金
剛
界
に
就
い
て
は
、
三
藏
金
剛
智
云
、
我
縦
南
天
竺
親
於
龍
智
阿
闍
梨
邊
、
傳
得
此
金
剛
界
百
千
頌
經
、
龍
智
阿
闍
梨
自
云
、
從
毘
盧
遮
那
如
來
在
世
、
以
此
金
剛
界
最
上
乗
法
、
付
囑
普
賢
金
剛
薩
唾
、
普
賢
金
剛
薩
唾
付
妙
吉
詳
菩
薩
、
妙
吉
群
菩
薩
後
經
十
二
代
(
一 本 に は 第 二 の 普 賢 以 下 、 今 字 側 點 を 付 す る 二 十 二 字 な く 、 之 に 代 ゆ る に ﹁ 經 數 百 年 ﹂ の 四 字 を 以 て す 。)
以
法
付
囑
龍
猛
菩
薩
、
龍
猛
菩
薩
又
經
數
百
年
、
以
法
付 嘱 龍 智 阿 闍 梨 、 龍 智 阿 闍 梨 又 經 百 餘 ( 一 本 數 百 に 作 る ) 年 、 以 法 付 金 剛 智 三 藏 (遊 方 叢 書 巻 四 に 據 る ) と あ る 、 即 ち 之 を 表 に 列 す れ ば ︹ 胎 藏 界 ︺ 大 日 ︱ 金 剛 手 ︱ 達 磨 掬 多 ︱ 善 無 畏 ︱ ︹ 一 行 ︺ ︹ 金 剛 界 ︺ 大 日 ︱ 普 賢 ︱ (妙 吉 祥 )︱ 龍 猛 ︱ 龍 智 ︱ 金 剛 智 ︱ 不 空 と な る の で あ る 。 之 と 稍 似 て 又 多 少 異 な る の は 安 然 の ﹁ 教 時 問 答 ﹂ ( 岩 三 ) の 説 で あ る 。 同 書 に は い ふ 、 胎 藏 界 、 大 日 如 來 付 金 剛 手 、 金 剛 手 數 百 年 後 、 付 ︹ 達 磨 ︺ 掬 多 、 掬 多 在 世 已 入 百 歳 、 付 善 無 畏 。 金 剛 界 、 大 日 如 來 傳 金 剛 手 、 金 剛 手 傳 妙 吉 詳 、 妙 吉 祥 傳 龍 樹 、 龍 樹 傳 龍 智 、 龍 智 在 世 三 百 歳 間 玄 業 詣 彼 、 先 學 三 論 空 宗 、 ⋮ ⋮ 玄 奨 歸 後 、 龍 智 尚 存 、 龍 智 傳 金 剛 智 、 金 剛 智 傳 不 空 ( 日 本 大 藏 經 本 に 据 る ) と あ る 、 即 ち ︹ 胎 藏 界 ︺ 大 日 ︱ 金 剛 手 ︱ 達 磨 掬 多 ︱ 善 無 畏 ︹ 金 剛 界 ︺ 大 日 ︱ 金 剛 手 ︱ 妙 吉 詳 ︱ 龍 樹 ︱ 龍 智 ︱ 金 剛 智 ︱ 不 空 と な る の で あ る 。 此 等 の 三 傳 は 何 れ も 多 少 づ ゝ 異 な つ て 居 る が 、 そ の 金 胎 兩 部 各 別 相 承 と な す 點 に 於 て は 全 然 同 一 で あ る 。 而 し て 吾 人 は 之 に 由 つ て 愈 無 畏 門 下 と 金 剛 智 門 下 と 、 若 く は 胎 藏 部 と 金 剛 部 と の 間 各 師 資 相 承 の 説 を 異 に し て 居 た こ と を 知 る べ き で あ る 。 密 教 相 承 の 傅 説 に 就 い て 一 五
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 六 更 ら に 仔 細 に 前 記 諸 表 を 比 較 し 見 れ ば 、 胎 藏 界 に 於 て 傳 教 大 師 が 單 に 大 日 善 無 畏 と 次 第 す る の は 、 海 雲 や 安 然 と 大 に 趣 を 異 に す る 、 是 れ は 其 相 承 説 系 統 の 同 一 な ら ざ る を 證 す る も の で あ る 。 恐 ら く 傳 教 は 自 か ら の 意 を 以 て 之 を 排 列 し た も の で は な か ら う か 。 安 然 は 果 し て 海 雲 の 書 を 見 た か 否 は 剣 ら ぬ が 、 彼 も 未 だ 金 善 互 授 の 説 を 唱 ね ざ る を 以 て 見 れ ば 、 或 は 彼 等 は 共 に 經 典 の 文 と 李 華 の 善 無 畏 碑 銘 等 に 據 つ て 之 を 説 い た も の か と 思 は れ る 。 而 し て 安 然 が 掬 多 を 以 て 八 百 歳 と な す 如 き も 、 既 に 同 碑 銘 の ﹁ 顔 如 四 十 、 己 八 百 年 也 ﹂ と あ る ,に 本 づ い た こ と は 明 ら か で あ る 。 (而 し て 海 雲 傳 に は 此 文 は な い 。 ) 胎 藏 界 の 付 法 は 何 れ も 比 較 的 簡 單 明 了 で あ る が 、 金 剛 界 に 至 つ て は 頗 る 複 雑 で あ る 。 傳 教 大 師 の 説 は 大 體 に 於 て 嚴 郢 や 趙 遷 の い ふ 所 と 同 し で あ る 、 恐 ら く 彼 は 此 等 の 説 を 蹈 襲 し た も の で あ ら う 、 而 し て 傳 教 が 之 を 以 て 胎 藏 界 の 相 承 と せ ず 、 金 剛 界 と な し た の は 金 剛 智 の 付 法 相 承 で あ る が 爲 め で あ る こ と も 疑 な い 、 然 る に 海 雲 の 傳 に は 大 日 、 普 賢 、 妙 吉 祥 、 龍 猛 と 次 第 し て あ る 。 普 賢 を 以 て 大 日 の 次 に 列 す る は 、 既 に 權 徳 輿 の 傳 に 於 て 之 を 見 た 。 こ れ は 少 く と も 不 空 門 下 に 於 け る 一 部 學 者 の 説 で あ つ て 彼 亦 之 を 受 け た に 相 違 な い 。 而 し て 此 に も 普 賢 を 以 て 金 剛 界 の 相 承 を な し た の を 見 れ ば 、 そ の 付 法 説 の 金 剛 部 傳 授 者 の 間 に 行 は れ た も の で あ る こ と も 愈 以 て 明 ら か で あ る 。 但 普 賢 の 次 に 祥 吉 妙 即 ち 文 殊 を 以 て す る の は 、 果 し て 支 那 の 密 教 者 間 に 行 は れ た こ と か 甚 だ 疑 は し い 。 金 剛 頂 念 誦 經 の 中 に は 文 殊 菩 薩 の 名 も 顯 は れ ぬ で は な い が 、 特 に 普 賢 の 次 に 文 殊 を 置 く べ き 理 由 は な い や う で あ る 。 所 が 後 世 台
密 の 傳 統 で は 大 日 の 次 に 文 殊 を 置 く こ と 、 安 然 の 傳 に 見 る が 如 く で あ る 。 し て 見 れ ば ﹁ 付 法 記 ﹂ の 一 本 普 賢 の 次 ぎ に 文 殊 を 脱 し 、 直 ち に 之 を 龍 猛 に 授 く と な す の が 、 寧 ろ 海 雲 の 原 本 に 近 い の で 、 妙 吉 詳 の 名 を 其 中 間 に 列 し た の は 、 後 世 台 密 抔 の 付 法 説 に よ つ て 之 を 書 入 れ た も の で は な か ら う か 。 或 は 普 賢 の 代 り に 文 殊 の 付 法 を 傍 註 し た の を 、 後 人 誤 つ て 之 を 本 文 の 中 に 挽 入 し 、 普 賢 文 殊 の 何 れ か 一 で あ る の を 、 兩 者 相 次 第 し 列 記 す る に 至 つ た の か も 知 れ ぬ 。 然 ら ば 安 然 は 果 し て 何 に 据 つ て 大 日 、 金 剛 手 、 妙 吉 祥 と 次 第 す る に 至 つ た か 、 こ れ は 支 那 に 於 て は 未 だ 見 ざ る 説 の や う で あ る 。 所 が 安 然 の 教 時 問 答 ( 巻 三 ) の 中 に は 次 の 如 く い ふ 。 又 據 金 剛 界 相 承 大 日 如 來 授 金 剛 手 、 金 剛 手 授 妙 吉 祥 、 妙 吉 群 授 龍 樹 云 云 可 謂 受 大 日 眞 言 於 妙 吉 祥 之 後 、 得 盧 遮 那 念 誦 法 要 。 乃 ち 妙 吉 詳 を 此 に 入 れ 來 つ た の は 、 念 誦 法 要 を 傳 へ た と い ふ 傳 説 に 據 る も の で あ る こ と は 疑 な い 。 而 し て 如 何 に し て 此 念 誦 法 が 文 殊 と 關 係 あ る か と い ふ に 、 同 書 に は 又 新 羅 の 釋 不 可 思 議 撰 の 供 養 法 疏 を 引 き い ふ 。 ︹ 善 無 畏 ︺ 至 北 天 竺 、 乃 有 一 城 、 名 乾 陀 羅 、 其 國 之 王 、 仰 憑 和 上 、 受 法 念 誦 ︹ 念 誦 法 力 ︺ 其 經 文 廣 義 深 不 能 尋 逐 供 養 次 第 、 求 請 和 上 供 養 方 法 、 和 上 受 請 、 於 金 粟 王 所 造 塔 邊 、 求 聖 加 被 、 此 供 養 法 忽 現 空 中 、 金 字 柄 然 、 和 上 一 遍 略 讀 、 分 明 記 著 、 仰 空 云 、 誰 所 造 也 、 云 我 所 造 也 、 問 阿 誰 我 也 、 云 我 是 文 密 敏 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 七
密 教 相 承 の 傅 説 に 就 い て 一 八 殊 師 利 也 。 こ れ が 即 ち 念 誦 法 で あ り 、 爾 時 一 本 は 之 を 國 王 に 與 へ 、 一 本 は 自 か ら 携 え 支 那 へ 來 た と い ふ の で あ る 而 し て 安 然 は 之 に 次 ぎ い ふ 、 可 謂 受 經 掬 多 之 後 、 得 文 殊 授 念 誦 次 第 。 こ れ は 念 誦 法 の こ と で あ つ て 、 直 接 金 剛 頂 經 に 關 す る 話 で は な い が 、 斯 く 文 殊 が 出 顯 し て 之 を 授 け た と い ふ 所 か ら 、 文 殊 を そ の 付 法 の 中 に 列 し た の で あ ら う 。 不 可 思 議 の 疏 の 中 に は 密 教 付 法 相 承 の こ と は 述 べ て な い か ら 、 新 羅 に 大 日 、 金 剛 手 、 文 殊 と 次 第 し た 相 承 説 が あ つ た か 否 は 明 ら か な ら ぬ 、 又 所 言 の ﹁ 金 剛 界 相 承 ﹂ な る も の も 、 果 し て 如 何 な る 書 か 判 ら ぬ が 、 安 然 が 不 可 思 議 の 疏 に よ つ て 斯 く 排 列 し た と い ふ よ り も 、 當 時 疏 に よ つ て 何 人 か ゞ 斯 か る 相 承 説 を 唱 へ た の で あ ら う 。 而 し て 海 雲 が 普 賢 龍 猛 、 龍 智 、 金 剛 智 の 間 、 各 數 年 間 を 隔 つ と な し た の は 明 ら か に 前 述 の 權 徳 輿 や 巌 郢 や 乃 至 趙 遷 等 の 説 を 雑 糅 し た の で あ る 、 が 三 藏 善 無 畏 い ふ と か 、 三 藏 金 剛 智 い ふ 抔 と あ る の は 、 固 よ り 秋 毫 信 す る に 足 ら ざ る の で あ る 。 尚 ほ ﹁ 日 本 藏 經 ﹂ に は ﹁ 相 承 三 宗 血 脉 ﹂ と 稱 す る も の が あ り 、 そ の 中 に は 胎 藏 界 の 相 承 を 大 日 、 金 剛 、 龍 猛 、 龍 智 、 金 剛 智 、 善 無 喪 、 一 行 等 と な し 、 金 剛 界 の を 大 日 、 薩 唾 、 龍 樹 、 龍 智 、 不 空 、 無 畏 、 一 行 等 と な す の は 、 安 然 の と 大 に 異 な る 所 で あ る 。 此 表 に は 何 れ も 下 は 圓 仁 を 以 て 終 っ て 居 る 所 を 以 て 見
れ ば 、 圓 仁 若 く は 其 弟 子 が 弘 法 大 師 等 の 説 を 參 酌 し 、 術 ほ 金 善 互 授 の 説 抔 を も 取 入 れ 新 た に 作 ら れ た も の と 思 は れ る 。 で こ れ は 決 し て 古 代 の 相 承 説 と し て 見 る に 足 ら ざ る も の で あ る 。 密 教 の 傳 燈 相 承 に 關 す る 異 説 と 井 び に 其 由 來 と に 就 い て は 、 前 條 既 に 略 之 を 述 べ た が 、 尚 ほ 此 小 篇 を 終 る に 望 み 龍 智 に 就 き 一 言 し て 置 き た い と 思 ふ 。 龍 猛 の 弟 子 に 密 教 の 相 承 者 と し て 龍 智 な る も の ゝ あ つ た こ と は 、 西 藏 に も 其 傳 説 が あ る 。 タ ー ラ ナ ー ト ハ の 印 度 佛 教 史 に よ れ ば 、 龍 猛 は 密 教 を 以 て 唯 龍 智 に 付 囑 す と い ひ 、 又 龍 智 は 東 印 ペ ン ゴ ー ル に 生 れ 、 久 し く 龍 猛 に 侍 し .師 の 滅 後 山 腹 の 巖 穴 に 隠 く れ 、 此 に 入 定 す る こ と 十 有 二 年 に し て 逝 け り ( 同 書 入 六 、 入 七 頁 ) と も あ る か ら 、 こ れ は 歴 史 的 人 物 で あ つ た に 相 違 な い 。 而 し て タ ー ラ ナ ー ト ハ の い ふ 所 に し て 果 し て 信 す べ し と す れ ば 、 龍 智 の 入 滅 は 龍 猛 の 滅 後 十 二 年 で な く て は な ら ぬ 。 所 が 前 に 引 用 し た 趙 遷 の 不 空 行 状 に は 龍 猛 は 金 剛 手 よ り 受 法 し 、 ﹁ 數 百 年 後 、 龍 猛 傳 龍 智 阿 遮 梨 ﹂ と あ り 、 嚴 郢 の 不 空 碑 銘 に も 、 龍 猛 、 ﹁ 又 數 百 歳 、 傳 於 龍 智 阿 闍 梨 ﹂ と い ふ の は 、 共 に 信 す る に 足 ら ざ る の で あ る 。 而 し て 此 點 に 於 て は 權 徳 輿 の 單 に ﹁ 龍 猛 授 龍 智 ﹂ と い ふ の 、 寧 ろ 事 實 の 眞 を 得 た も の と 稱 す べ き で あ る 。 嚴 郢 や 趙 遷 が 如 何 に し て 龍 智 と 龍 猛 と の 間 に ﹁ 數 百 年 ﹂ の 語 を 挿 入 し た か は 固 よ り 明 ら か な ら ぬ が 、 思 ふ に 嚴 郵 は 龍 智 と 金 剛 智 と を 以 て 同 時 在 世 と 考 へ て 居 た の で あ ら う 。 或 は 當 時 斯 か る 傳 説 が 支 那 に あ つ た の で あ ら う と も 思 ふ 。 で 彼 は 金 剛 密 敏 相 承 の 傳 説 に 就 い て 一 九
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 二 〇 薩 垂 と 龍 猛 と の 間 、 龍 猛 と 龍 智 と の 間 、 共 に 數 百 年 と い ふ に 關 は ら す 、 龍 智 と 金 剛 智 と の 間 に は 單 に ﹁ 龍 智 傳 金 剛 智 阿 闍 梨 ﹂ と い ふ 、 の み な ら ず 不 空 が 金 剛 智 の 滅 後 、 ﹁ 又 西 遊 天 竺 師 子 等 國 詣 龍 智 阿 闍 梨 、 楊 擢 十 八 會 法 ﹂ 等 と 述 べ 、 不 空 自 身 す ら も 親 し く 龍 智 に 逢 つ た も の と さ へ な し て 居 る の で あ る 。 不 空 が 龍 智 に 逢 っ た と す れ ば 、 金 剛 智 と の 同 時 在 世 た る こ と も 、 當 然 の 結 論 と な ら な け れ ば な ら ぬ 筈 で あ る 。 し か し 是 れ は 獨 り 嚴 郢 の み の 誤 で は な い 。 恐 ら く 金 剛 智 は 自 か ら 龍 智 の 法 を 相 承 し た と 稱 し た の で 、 當 時 の 學 者 は 一 般 に 金 剛 智 を 以 て 龍 智 直 門 の 弟 子 で あ つ た か の 如 く に 認 め た の で あ ら う 。 こ れ は 印 度 歴 史 の 不 明 な る 時 代 に は 最 も 生 じ 易 い 誤 解 で あ る の み な ら す 相 承 な る 語 が 、 所 謂 次 弟 相 承 の 義 か 不 次 弟 相 承 の 義 か 、 甚 だ 暖 昧 で あ る か ら で あ る 。 で 呂 向 の ﹁ 金 剛 智 行 状 ﹂ に も ︹ 金 剛 智 ︺ 至 三 十 一 , 往 南 天 竺 、 於 龍 樹 菩 薩 弟 子 龍 智 年 七 百 歳 今 猶 見 在 、 經 七 年 、 承 事 供 養 と あ り 、 又 混 倫 の ﹁ 金 剛 三 藏 塔 銘 ﹂ に も 、 金 剛 智 が 往 詣 南 天 、 於 龍 智 處 、 契 陀 羅 尼 藏 、 便 會 宿 心 。 等 と も い ふ 。 こ れ は 何 れ も 龍 智 を 以 て 金 剛 智 の 直 接 の 師 と な し た の で あ る 。 斯 く 龍 智 は 一 方 で は 龍 猛 の 弟 子 で あ り 、 他 方 に は 直 接 金 剛 智 の 師 と 考 へ ら れ た の で 、 龍 猛 か ら 金 剛 智 に 至 る 長 い 歳 月 の 經 過 を 如 何 に 融 通 解 釋 す べ き か に 就 き 諸 種 の 見 解 が 分 れ た も の と 思 は れ る 。 第 一 の 説 は 、 龍 智 の 生 存 年 限 を 延 長 し て 、 此 間 の 空 虚 の 歳 月 を 充 填 せ し め ん と し た の で あ る 。 こ れ
が 即 ち 呂 向 の 龍 智 七 百 歳 今 尚 ほ 見 在 す る も の と い ふ 説 を 生 じ た 所 以 で あ る 〇 七 百 歳 と 稱 す る の も 勿 論 信 ず る に 足 ら ぬ こ と で あ る が 、 從 來 龍 猛 は 約 西 暦 紀 元 前 後 の 出 世 と 推 定 せ ら れ た の で あ る か ら 、 紀 元 後 七 百 年 代 の 金 剛 智 に 至 る 間 を 、 斯 く 計 算 し た の は 必 ら ず し も 當 ら な い こ と で は な い 。 し か し 龍 猛 も 西 域 記 抔 に よ れ ば 養 生 の 術 に 長 じ 、 壽 七 百 歳 と も 稱 せ ら れ て 居 り 、 共 他 七 百 歳 の 老 婆 羅 門 と い ふ こ と も あ り 、 こ れ か ら 七 百 歳 の 數 を 考 出 し た の か も 知 れ ぬ 。 第 二 は 七 百 歳 の 長 壽 と い ふ こ と は 、 人 生 に 於 て 殆 ん ど 不 可 能 で あ る 所 か ら 、 龍 智 を 金 剛 智 の 年 代 に 引 き 下 げ 、 從 つ て 龍 智 と 龍 猛 と の 間 に 若 月 の 年 月 の 經 過 を 認 め ん と す る の で あ る 。 こ れ が 嚴 郢 の 龍 猛 又 數 百 歳 に し て 龍 智 に 傳 へ 、 龍 智 金 剛 智 に 傳 へ た と な し た 所 以 で あ る 。 此 説 は 第 一 説 に 比 し 奇 怪 の 點 な く 、 頗 る 自 然 で あ る が 、 歴 史 的 に は 全 然 眞 を 得 な い も の と な つ た 。 第 三 の 見 解 は い は ゞ 前 第 一 第 二 の 兩 者 を 拆 中 し 、 そ の 奇 怪 の 點 を 除 か ん と し た も の で あ る 即 ち 嚴 郢 に よ れ ば 龍 猛 と 龍 智 と の 間 に は 若 干 年 月 の 經 過 が あ つ た も の と 見 な け れ ば な ら ぬ 、 而 し て 呂 向 の 龍 智 七 百 歳 今 尚 ほ 見 在 す と い ふ の は 、 到 底 信 す べ か ら ざ る こ と で あ る か ら 、 金 剛 智 を 以 て 龍 智 直 門 の 弟 子 と せ ず 、 龍 智 と 金 剛 智 と の 間 、 亦 若 干 の 歳 月 の 經 過 の あ つ た も の と 考 へ た の で あ る 。 即 ち 數 百 年 の 長 い 歳 月 を 二 分 し 、 平 等 に 龍 猛 と 龍 智 、 龍 智 と 金 剛 智 と の 間 に 割 當 て た こ と ゝ な る 。 こ れ が 趙 遷 の 龍 猛 數 百 歳 に し て 龍 智 に 傳 へ (嚴 郢 の 説 )龍 智 更 ら に 數 百 歳 に し て 金 剛 智 に 傳 へ た ( 呂 向 の 説 の 變 形 ) と な し 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 二 一
密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 二 二 た 所 以 で あ る 。 更 ら に 第 四 の 説 は 、 第 二 と 正 さ に 相 反 し 、 龍 智 を 以 て 龍 猛 に 接 續 せ し め 、 同 時 出 世 と な し 、 從 つ て 龍 智 と 金 剛 智 と の 間 に 若 干 歳 月 の 經 過 を 認 め ん と す る も の で あ る 。 權 徳 輿 の 説 く と こ ろ は 即 ち そ れ で あ る 。 彼 は 前 に 一 言 し た 如 く 不 空 影 堂 碑 銘 に 、 不 空 の 弟 子 恵 應 の 傳 ふ る 所 と し て 、 龍 猛 龍 智 の 法 を 授 け て よ り 凡 そ 千 百 歳 に し て 先 大 師 金 剛 智 、 大 師 不 空 に 授 け た と い ふ 。 歴 史 上 か ら い へ ば 是 れ が 最 も 眞 を 得 た も の で あ る が 、 そ の 千 百 歳 と 稱 す る の は 、 果 し て 如 何 な る 理 由 に よ る か 明 ら か な ら ぬ 。 或 は 趙 遷 が 龍 猛 と 龍 智 と の 間 、 又 龍 智 と 金 剛 智 と の 間 、 何 れ も 數 百 歳 と い ふ 所 か ら 、 各 之 を 五 六 百 年 と 見 徹 し 、 合 し て 千 餘 年 と 計 算 し た の か も 知 れ ぬ 。 或 は 又 龍 猛 若 く は 龍 智 の 年 代 を 、 當 時 何 等 か の 傳 説 に よ つ て 斯 く 古 代 に 溯 ら し め た の か も 判 ら ぬ 。 何 れ に し て も こ れ は 勿 論 信 す る に 足 ら ざ る こ と で あ る 。 以 上 説 く 所 に よ つ て 之 を 觀 れ ば 、 唐 代 に 顯 は れ た 龍 智 に 關 す る 諸 種 の 異 説 も 其 由 來 す る 所 頗 る 明 了 と な り 、 何 れ も 皆 龍 猛 と 金 剛 智 と の 間 に 於 け る 數 百 年 の 歳 月 の 經 過 を 、 如 何 に 按 排 す べ き か と の 問 題 に 對 す る 想 像 的 解 答 に 外 な ら ぬ こ と が 判 る 。 の み な ら す 世 人 の 此 等 假 想 説 に 誤 ら れ 、 動 も す れ ば 唱 へ ん と す る 龍 智 二 人 説 の 如 き も 畢 竟 何 等 の 理 由 な き も の た る を 知 る べ き で あ る 。 而 し て 慈 恩 傳 、 磔 迦 國 の 條 下 に 、 玄 業 の 遭 ふ て 、 百 論 廣 百 論 等 を 學 ん だ と 稱 す る 龍 猛 の 弟 子 七 百 歳 の 老 婆 羅 門 な る も の と 龍 智 と は 、 ま た 何 等 の 關 係 を 有 す る も の で な い こ と も 明 了 で あ る 。 蓋 し 磔 迦 と は 西 北 印 度 五 河 地 方 に 於
け る 一 都 市 で あ つ て 、 金 剛 智 や 不 空 の 學 ん だ 南 印 と は 遠 く 相 距 つ た 處 で あ る 。 尚 ほ 不 空 が 南 印 師 子 島 に 至 り 學 ん だ 師 に 就 い て は 、 嚴 郢 は 龍 智 と な し 、 ( 弘 法 大 師 は そ の 付 法 傳 の 中 に 、 嚴 郢 の 碑 銘 の 全 文 を も 掲 げ て あ る 位 で あ る か ら 、 勿 論 亦 此 説 を 祖 述 し 、﹁ 先 師 入 塔 之 後 有 語 、 差 和 上 及 弟 子 僧 含 光 、 恵 辨 、 井 俗 弟 子 李 元 珠 等 、 令 齎 國 信 、 使 南 天 竺 龍 智 阿 闍 梨 所 ﹂ と い ふ 、 ) 趙 遷 は 普 賢 阿 闍 梨 を 尋 ね た と な し 、 千 鉢 經 序 に は 賓 覺 と い ふ 。 不 空 を 去 る こ と 遠 か ら す 殆 ん ど 相 前 後 し て 、 而 も 同 じ く 不 空 の 弟 子 に し て 、 斯 く 三 種 の 異 説 の 存 す る の は 甚 だ 奇 怪 の こ と ゝ い は な け れ ば な ら ぬ 。 不 空 が 南 天 師 子 國 に 往 詣 し た こ と は 秋 毫 疑 を 容 れ ぬ 事 實 で あ る が 、 彼 が 誰 人 に 就 い て 學 ん だ か は 、 彼 自 か ら は 何 等 言 ふ と こ ろ な か つ た の で あ る 。 若 し 彼 が 之 を 明 言 し た と す れ ば 、 斯 か る 異 説 の 生 ず べ き 筈 は な い 。 不 空 既 に 明 言 し な か つ た と す れ ば 、 そ の 弟 子 の 之 を 知 る べ き 理 由 の あ る べ き 譯 で は な い 。 が 弟 子 の 情 と し て は 、 不 空 の 學 の 確 か に 相 承 す る 所 あ る を 明 ら か に す る が 爲 め 、 南 天 に 於 け る 師 の 名 を も 此 に 擧 げ た か つ た の は 亦 自 然 で あ る 。 而 も 其 師 の 何 人 た る か 知 る べ か ら ざ る に よ り 、 各 空 想 に よ つ て 之 を 顯 出 し た に 外 な ら ぬ 。 而 し て 之 を 以 て 龍 智 と な し た の は 、 不 空 の 師 た る 金 剛 智 の 、 就 き 學 ん だ 所 と な し た か ら で あ ら う 。 が 此 龍 智 は 即 ち 龍 猛 の 弟 子 の 龍 智 で あ つ て 、 別 に 同 名 異 人 の 當 時 南 印 に あ つ た 譯 で は な い 。 之 を 以 て 普 賢 阿 闍 梨 こ な し た の は 、 彼 は 本 ご 大 日 よ り し て そ の 法 を 授 け ら れ た と い ふ 所 か ら 想 到 し た の で あ ら う 。 所 謂 寳 覺 と は 、 そ の 思 想 の 由 つ て 來 る 所 を 知 ら ぬ が 、 何 れ に し て も 本 來 不 空 門 弟 の 空 想 に よ つ て 産 出 せ ら れ た 烏 有 先 生 に 外 な ら ぬ の で あ る 。 ( 完 ) 密 教 相 承 の 傳 説 に 就 い て 二 三