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密教文化 Vol. 1998 No. 199-200 004岩本 弘「不空三蔵の訳経活動をめぐる一考察――乾元元年の訳経許可文書を中心として―― P69-92」

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全文

(1)

-乾

て-岩

(1) 不 空 三 蔵 は 天 宝 五 載 に 五 天 ( イ ン ド ) よ り 唐 土 に 還 り、 多 く の 密 教 経 典 を 将 来 し た。 金 剛 頂 経 系 を 中 心 と す る 新 来 経 典 の 翻 訳 を 為 し え た こ と は、 中 国 密 教 の 大 成 者 と さ れ る 不 空 の 最 大 の 功 績 と い え よ う。 不 空 三 蔵 の 訳 経 に 関 し て は (2) (3) 翻 訳 経 典 に み ら れ る 思 想 や 訳 経 の 背 景 な ど 究 明 す べ き 問 題 は 少 な く な い が、 不 空 の 事 跡 を 追 う 中 で あ と づ け る と き、 経 録 や 伝 記 史 料 の 記 載 が 無 批 判 に 採 用 さ れ る 感 は い な め な い。 し た が っ て、 不 空 の 訳 経 活 動 を 実 証 的 に 論 ず る に は、 最 も 信 頼 し う る 史 料 を 基 本 に し て 考 察 す る 必 要 が あ ろ う。 ﹃ 代 宗 朝 贈 司 空 大 弁 正 広 智 三 蔵 和 上 表 制 集 ﹄ ( 以 下、 ﹃ 表 制 集 ﹄ ) 巻 一 は、 不 空 自 ら が 訳 経 を 奏 請 し て 許 可 を 得 た 記 録 で あ る、 乾 元 元 年 の 三 つ の 公 文 書 ( 訳 経 許 可 文 書 と 略 称 す ) を 収 載 す る。 本 稿 で は、 今 ま で あ ま り 注 目 さ れ る こ と の な か っ た、 こ の 訳 経 許 可 文 書 に 焦 点 を あ て、 新 た な 視 点 か ら 不 空 の 訳 経 活 動 を 論 じ て み た い。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

(2)

密 教 文 化

三、

不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 の 全 体 像 を 概 観 し て お こ う。 不 空 の 訳 経 に つ い て 言 及 す る 最 も 古 い 史 料 は、 と も に 開 元 十 八 年 に 智 昇 の (4) 編 纂 し た ﹃ 開 元 釈 教 録 ﹄ 巻 九 ( 以 下 ﹃ 開 元 録 ﹄ ) と ﹃ 続 古 今 訳 (5) 経 図 記 ﹂ の 金 剛 智 の 条 で あ る。 そ こ で は、 不 空 が 開 元 十 八 年、 長 安 の 大 薦 福 寺 で 金 剛 智 の 金 剛 頂 経 曼 殊 室 利 菩 薩 五 字 心 陀 羅 尼 品 一 巻 及 び 観 自 在 如 意 輪 菩 薩 喩 伽 法 要 一 巻 の 翻 訳 に て ﹁訳 語 ﹂ し た と 記 さ れ る。 ま た ﹃ 大 唐 貞 (6) 元 続 開 元 釈 教 録 ﹄ ( 以 下 ﹃ 続 開 表 一 不 空 三 蔵 訳 経 史 関 係 年 表

(3)

元 録 ﹄) 巻 上 に よ れ ば、 金 剛 智 訳 の 金 剛 頂 経 喩 伽 脩 習 毘 盧 遮 那 三 摩 地 法 一 巻 な ど 四 部 四 巻 を (6) ﹁ 筆 受 ﹂ し た と い う。 一 方、 ﹃ 貞 元 新 定 釈 教 目 録 ﹄ ( 以 下 ﹃ 貞 元 録 ﹄ ) (7) 巻 一 五 及 び ﹃大 唐 故 大 徳 贈 司 空 (8) 大 弁 正 広 智 不 空 三 蔵 行 状 ﹄ で は、 開 元 十 二 年 に 二 十 歳 で 具 足 戒 を 受 け た 後、 金 剛 智 の 翻 訳 に ﹁ 訳 語 ﹂ と し て 参 加 し、 唐 梵 両 語 を 対 校 す る な ど、 文 義 に 精 通 し た と さ れ る。 不 空 は、 金 剛 智 の 没 ( 開 元 二 十 九 年 ) し た 後、 天 竺 に 遊 学 し 天 宝 五 載 に 中 国 に 多 数 の 経 典 を 新 将 来 し た。 こ の こ と は ﹁ 三 朝 所 翻 経 請 入 目 録 流 行 表 一 (9) (10) 首 ﹂ で 不 空 自 ら 述 べ る の を は じ め、 諸 伝 に み ら れ る 疑 い の な い こ と で あ る。 一 方、 ﹃ 貞 元 録 ﹄ 巻 一 五 に は 二 度 目 の 渡 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

(4)

密 教 文 化 天 竺 を 試 み た 天 宝 八 年、 途 上 の 南 海 郡 の 紹 州 に 止 ま っ た 際 に 翻 訳 を 行 い、 天 宝 十 二 載 に は 河 西 武 威 郡 の 寄 野 翰 の 請 う 所 に よ り、 金 剛 頂 三 切 如 来 真 実 摂 大 乗 現 証 大 教 王 経 三 巻、 菩 提 場 所 説 一 字 頂 輪 王 経 五 巻、 一 字 頂 輪 王 喩 伽 経 一 巻、 一 字 頂 輪 王 念 諦 儀 一 巻 等 の 翻 訳 を 行 っ た と さ れ る。 こ の こ と は、 他 の 伝 記 に は み ら れ な い ﹃ 貞 元 録 ﹄ の み に 叙 述 さ れ る 事 柄 で あ る。 と こ ろ で 不 空 が 本 格 的 に 訳 経 に 着 手 し た の は、 安 禄 山 の 乱 沈 静 後、 長 安 ・ 洛 陽 の 収 復 さ れ た 後 で あ る こ と を う か が わ せ る 記 事 が 存 す る。 す な わ ち、 年 表 一 の 乾 元 元 年 の 条 に み え る ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 一 所 収、(1)﹁請 捜 撮 天 下 梵 爽 修 輯 翻 訳 制 書 一 首 ﹂、(2)﹁制 許 捜 訪 梵 爽 祠 部 告 牒 一 首 ﹂、(3)﹁制 許 翻 訳 経 論 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ で あ る。 こ れ ら が 玄 奨、 義 浄 な ど 先 代 三 蔵 将 来 の 未 訳 梵 本 の 捜 検 ・ 続 訳 と、 不 空 の 新 将 来 し た 金 剛 頂 系 経 論 一 千 二 百 巻 の 翻 訳 を 許 可 す る 公 文 書 で あ る こ と が 特 に 本 稿 の 注 目 す る 所 以 で あ る。 (11) こ の 後、 幾 つ か の 個 々 の 翻 経 年 次 が 比 定 可 能 で あ る が、 さ ら に 精 力 的 な 訳 経 を 如 実 に 示 す の は、 大 暦 六 年 十 月 十 二 日、 代 宗 皇 帝 に ﹁ 三 朝 所 翻 経 請 入 目 録 流 行 表 ﹂、 す な わ ち 不 空 の 新 訳 経 軌 を 進 奉 す る 上 表 文 を 自 ら 奉 っ た こ と で あ ろ (12) う。 こ こ に 上 表 日 ま で の 翻 訳 経 軌 七 十 一 部 九 十 八 巻 を 井 記 し た 不 空 自 撰 の 目 録 を 掲 載 す る。 ま た、 ﹃ 続 開 元 録 ﹄ 巻 上 (13) は、 右 の 自 撰 目 録 と 不 空 の 莞 年 日 ( 大 暦 九 年 六 月 十 五 日 ) ま で の 翻 訳 経 軌 一 百 一 十 部 百 四 十 四 巻 を 秩 立 て で 記 載 し、 (14) ﹃ 貞 元 録 ﹄ 巻 一 五 は、 右 の ﹃ 続 開 元 録 ﹄ の 翻 経 目 録 を 踏 襲 し な が ら、 一 百 一 十 部 百 四 十 一 巻 の 経 軌 を 挙 げ る。 以 上 の よ う に、 不 空 の 訳 経 活 動 は 安 禄 山 の 乱 後 お お い に 進 展 し た こ と が わ か る。 こ の な か、 乾 元 元 年 の 三 公 文 書 で (15) 訳 経 が 許 可 さ れ た 以 降、 仁 王 護 国 経 の 再 訳 を 許 可 す る ﹁ 請 再 訳 仁 王 経 制 書 一 首 ﹂ (永 泰 元 年 四 月 四 日 付 ) が ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 一 に 存 す る 他 は、 直 接 翻 訳 を 許 可 す る 公 文 書 を み な い。 ゆ え に、 乾 元 元 年 の 訳 経 許 可 文 書 の 存 在 意 義 が 不 空 の 訳 経

(5)

活 動 に と っ て、 お の ず か ら 重 要 と な っ て く る の で あ る。 こ の よ う に 不 空 の 訳 経 活 動 を 実 証 的 に 検 証 す る に は 乾 元 元 年 の 三 つ の 訳 経 許 可 文 書 に 着 目 す べ き で あ る、 と 考 え る。 二、 ﹃ 表 制 集 ﹂ 巻 一 の 構 成 と 粛 宗 朝 期 文 書 (16) ﹁表 制 集 ﹂ 巻 一 は、 西 明 寺 円 照 の 撰 し た 序 文 と ﹃表 制 集 ﹄ 巻 一 の 目 録、 本 文 で あ る 粛 宗 朝 期 文 書 十 一 首、 代 宗 朝 期 文 書 九 首 を 収 載 す る。 ﹃ 表 制 集 ﹄ は 安 禄 山 の 乱 終 息 後 (至 徳 二 載 以 降 ) の 不 空 に 関 わ る 上 表 や 勅 書 等 を 編 年 体 で 編 纂 し た 公 文 書 集 で あ り、 唐 朝 と 不 空 の 事 跡 を 知 る 上 で の 第 一 級 史 料 と い え る。 し た が っ て、 所 収 順 序 と 文 書 様 式 か ら 各 文 書 の 特 徴 が 幾 つ か 把 握 で き る。 ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 一 に 伝 存 す る 粛 宗 朝 期 文 書 を 所 収 順 に 挙 げ た 表 二 か ら つ ぎ の こ と が い え よ う。 最 初 の 表 二 ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 一、 粛 宗 朝 期 文 書 表 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

(6)

密 教 文 化 至 徳 二 年 十 月 二 十 四 日 付 ﹁ 賀 収 復 西 京 表 一 首 ﹂ 以 降 の 四 文 書、 及 び 乾 元 元 年 四 月 八 日 付 ﹁ 賀 冊 皇 后 張 氏 表 一 首 ﹂ は、 不 空 か ら の 慶 賀 や 謝 恩 と い っ た 上 表 文 と 粛 宗 皇 帝 の 批 答 か ら な る。 一 方、 乾 元 元 年 の(1)﹁請 捜 捻 天 下 梵 爽 修 輯 翻 訳 制 (17) 書 一 首 ﹂、(2)﹁制 許 捜 訪 梵 爽 祠 部 告 牒 一 首 ﹂、(3)﹁制 許 翻 訳 経 論 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ は、 旧 来 経 典 の 捜 捻 ・ 続 訳 と 新 来 経 典 (18) の 翻 訳 を 奏 請 し た 不 空 へ の 許 可 文 書 で あ り、 所 謂 ﹁ 奉 詔 訳 ﹂ を 促 す 公 文 書 と も 考 え ら れ る。 こ の 三 文 書 は そ れ 以 前 の (19) " 上 表 文 と は 明 ら か に 性 格 を 異 に し、 不 空 の 上 奏 文 に 対 す る 皇 帝 及 び 官 人 に よ る 裁 可 を あ ら わ す た あ、 よ り 重 要 な 案 件 を 示 す。 こ う し た 形 式 の 文 書 は ﹃ 表 制 集 ﹄ に 多 く 収 載 さ れ る が、 乾 元 元 年 の 訳 経 許 可 に 関 す る 文 書 群 を 最 初 ((1) が 一 等 早 い ) と す る。 よ っ て、 こ れ ら の 訳 経 許 可 文 書 は 安 禄 山 の 乱 後 の 不 空 が 最 初 に 唐 王 朝 に 働 き か け た 結 果 と み な さ れ る。 こ の 点 か ら 訳 経 事 業 が 不 空 に と っ て 如 何 に 重 要 で あ っ た か が み て と れ よ う。 そ こ で 以 下 に 内 容 を 具 体 的 に 検 討 し た い。 三、 乾 元 元 年 の 訳 経 許 可 文 書 乾 元 元 年 の 三 つ の 訳 経 許 可 文 書 は、 文 頭 よ り、 ﹁ 翻 訳 す べ き 梵 爽 の 記 事 / 右、 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 奏 す。 云 云 ﹂ と す る 上 請 内 容 を 前 文 と す る。 こ の あ と、 皇 帝 及 び 官 府 に 裁 可 さ れ て 不 空 に 伝 え ら れ た 過 程 が あ ら わ さ れ て い る。 (20) ま ず(1)、(2)文書 を 提 示 し よ う。

(7)

(1)﹁請 捜 捻 天 下 梵 爽 修 葺 翻 訳 制 書 一 首 ﹂ ※ 1 ( ア ) (21) ( イ ) 中 京 慈 恩 薦 福 等 寺、 及 東 京 聖 善 長 寿 福 先 等 寺、 井 諸 州 縣 舎 寺 村 坊。 有 旧 大 遍 覚 ・ 義 浄 ・ 善 無 畏 ・ 流 (22) ( ウ ) 志 ・ 宝 勝 等 三 蔵 所 将 梵 爽 ( エ ) 右、 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 奏。 前 件 梵 爽 等、 承 前 三 蔵 多 有 未 翻。 年 月 已 深 紹 索 多 断、 浬 沈 零 落 実 可 哀 傷。 ( オ ) 若 不 修 補 恐 違 聖 教。 近 奉 恩 命 許 令 翻 訳、 事 資 探 討 証 会 微 言。 望 許 所 在 捻 閲 収 訪。 其 中 有 破 壊 訣 漏 随 事 補 葺、 有 堪 弘 閲 助 国 揚 化 者 続 訳 奏 聞。 福 資 聖 躬 最 為 殊 勝。 天 恩 允 許 請 宣 布 所 司。 中 書 門 下 牒 大 興 善 寺 三 蔵 不 空 ( カ ) ( ギ ) 牒。 奉 勅 宜 依 請。 牒 至 准 勅 故 牒。 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 (23) 特 進 行 中 書 令 崔 円 ( ク ) (24) 特 進 行 侍 中 苗 晋 卿 ( 25) 司 空 兵 部 尚 書 同 平 章 事 李 使 ( ケ ) (26) 司 空 尚 書 左 僕 射 同 平 章 事 郭 使 < 校 注 > ︹ 凡 例 ︺ ア ル フ ァ ベ ッ ト は 注 ( 20 ) 表 三 に あ げ た 諸 本 を 示 す。 底 耗 底 本 ( G 慶 安 三 年 刊 本 ) ( ア ) A B C D E ﹁ 先 ﹂、 底 H I ﹁ 光 ﹂。 諸 写 本 に よ り ﹁ 先 ﹂ と 改 め る。 ( イ ) C な し。 ( ウ ) D E ﹁ 寺 ﹂。 ( エ ) C ﹁ 纈 素 ﹂、 D ﹁ 漏 索 ﹂、 E ﹁ 編 素 ﹂。 底 ﹁ 絡 ﹂ 字 の 右 傍 に ﹁ 一 本 作 編 ﹂、 ﹁ 素 ﹂ 字 の 右 傍 に ﹁ 一 本 作 素 ﹂。 ( オ ) E F ﹁ 採 ﹂。 ( カ ) E な し。 ( キ ) B C D E F な し。 ( ク ) D ﹁ 黄 ﹂。 ( ケ ) B C D E F ﹁ 郭 ﹂、 底 H I ﹁ 順 ﹂。 諸 写 本 よ り ﹁ 郭 ﹂ に 改 め る。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 三 考 察

(8)

密 教 文 化 (27) ( ア ) (2)﹁制 許 捜 訪 梵 爽 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ ※ 2 ( イ ) ( ウ ) 中 京 慈 恩 等 寺、 及 東 京 聖 善 長 寿 寺、 井 諸 州 縣 舎 寺 村 坊。 有 旧 大 遍 覚 ・ 義 浄 ・ 善 無 畏 ・ 流 志 ・ 宝 勝 等 三 蔵 所 将 梵 爽 ( エ ) 右、 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 奏。 前 件 梵 爽 等、 承 前 三 蔵 多 有 未 翻。 年 月 已 深 絡 索 多 断、 浬 沈 零 落 実 可 哀 傷。 ( オ ) 若 不 修 補 恐 違 聖 教。 近 奉 恩 命 許 令 翻 訳、 事 資 探 討 証 会 微 言。 望 許 所 在 捻 閲 収 訪。 其 中 有 破 壊 鉄 漏 随 事 補 葺、 ( カ ) 有 堪 弘 閲 助 国 揚 化 者 続 訳 奏 聞。 福 資 聖 躬 最 為 殊 勝。 天 恩 允 許 請 宣 布 所 司。 勅 旨。 依 奏 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 ( キ ) 特 進 行 中 書 令 集 賢 院 大 学 士 知 院 事 監 修 国 史 上 柱 国 趙 国 公 臣 崔 円 宣 ( 28 ) 中 書 侍 朗 閾 ( ク ) ( 29) 中 大 夫 中 書 舎 人 兼 尚 書 右 丞 集 賢 院 学 士 副 知 院 事 上 柱 国 賜 紫 金 魚 袋 徐 浩 奉 行 奉 ( ケ ) 勅 旨 如 右。 牒 到 奉 行。 乾 元 元 年 三 月 十 五 日 特 進 行 侍 中 弘 文 館 大 学 士 知 太 清 官 事 監 修 国 史 上 柱 国 韓 国 公 晋 卿 ( 30 ) 黄 門 侍 朗 閾 ( 別 ) 銀 青 光 禄 大 夫 行 給 事 中 上 柱 国 緒 雲 縣 開 男 峰 尚 書 祠 部 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 牒。 奉 勅 如 右。 牒 至 准 勅 故 牒。 ( コ ) (32) 乾 元 元 年 三 月 十 七 日 令 史 門 貴 牒 ( 33) 員 外 朗 章 少 遊 主 事 唐 国 興 ( ア ) D F(2) 文 書 全 文 な し。 ( イ ) E ﹁ 恩 ﹂ 字 の 下 に ﹁ 薦 福 ﹂ あ り。 ( ウ ) B C D な し。 ( エ ) C ﹁ 偬柚 素 ﹂。 ( オ ) E ﹁ 聖 ﹂。 ( カ ) C D ﹁ 楊 ﹂。 ( キ ) B ﹁ 臣 ﹂ 字 が ﹁ 崔 ﹂ 字 の 下 に あ り、 右 傍 に ﹁ ﹀ ﹂ と 書 す。 ( ク ) E ﹁ 代 径 ﹂。 ( ケ ) 低 E I ﹁ 員 ﹂、 B ﹁ 旨 ﹂。 諸 写 本 に よ り ﹁ 旨 ﹂ に 改 め る。 ( コ ) 低、 左 傍 に ﹁ 史 一 本 作 吏 ﹂ と あ り。

(9)

こ こ で、(1) ﹁ 請 捜 検 天 下 梵 爽 修 輯 翻 訳 制 書 一 首 ﹂、(2)﹁制 許 捜 訪 梵 爽 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ の 内 容 を み た い。(1)文 書 ※ 1 よ り、 不 空 が つ ぎ の 上 奏 を 行 っ た こ と が わ か る。 す な わ ち、 玄 駐、 義 浄、 善 無 畏、 菩 提 流 志、 宝 勝 等 の 先 代 三 蔵 将 来 で 長 年 未 訳 で あ っ た 多 く の 梵 爽 が 浬 沈 零 落 し て お り 修 補 さ れ ず ば 聖 教 に 違 う と し て、 長 安、 洛 陽、 諸 州 縣 舎 寺 村 坊 に わ た っ て 捻 閲 収 訪 し、 補 葺 し て 続 訳 せ ん と し た の で あ る。 右 の 上 奏 内 容 ※ 1 が 皇 帝 に 許 可 さ れ、 宰 相 府 で あ る 中 書 門 下 の 責 任 (宰 相 の 署 名 が 付 さ れ る ) に お い て 皇 帝 の 意 志 が 三 月 十 二 日 付 で 不 空 に 伝 達 さ れ た。 と こ ろが、(2)文 書 を み る と 上 奏 内 容 を 示 す ※ 2 が(1)の 上 奏 部 分 ※ 1 と 同 じ で あ る こ と に 気 づ く。 し か し な が ら 上 奏 部 分 ※ 2 直 後 の ﹁ 勅 旨。 依 奏 ﹂ 以 下 の 官 府 の 署 名 形 態 が、(1)文書 と は 全 く 異 な る。 す な わ ち、 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 に 皇 帝 よ り ﹁ 勅 旨。 奏 に 依 れ ﹂ の 裁 可 が 下 っ た 後、 中 書 省 の 官 人 に よ っ て ﹁ 宣 ・ 奉 行 ﹂ と い う 文 書 手 続 き が 行 な わ れ、 門 下 省 へ 送 ら れ て 審 議 の 結 果、 ﹁ 勅 旨、 右 の 如 し。 牒 至 ら ば 奉 行 せ よ ﹂ と し て 三 月 十 五 日 付 で 裁 可 の 署 名 が 付 さ れ る。 そ し て 僧 尼 を 統 括 す る 尚 書 省 祠 部 へ 送 ら れ、 三 月 十 七 日 付 の 祠 部 の 牒 と し て 不 空 に 許 可 が 下 さ れ た の で あ る。 こ の よ う に(1)(2)に含 ま れ る 上 奏 が 全 く 同 内 容 を 有 す る に 関 わ ら ず、 官 人 の 署 名 形 態 の 異 な る 文 書 が 同 時 期 に 出 さ れ た の は 甚 だ 疑 問 で あ る。 こ れ に つ い て は 後 で 検 討 し た い。 と こ ろ で(1)(2)上奏 部 分 の い ず れ も の 傍 線 部 に ﹁ 近 ご ろ 恩 命 を 奉 は り て 許 し て 翻 訳 せ し め ら れ ﹂ な る 記 述 が あ り、 こ (34) れ ら の 前 に 翻 訳 に 関 す る 何 ら か の 恩 命 が 下 さ れ た こ と を う か が わ せ る が 詳 細 は 明 ら か で な い。 さ て、 次 に(3)文 書 を み た い。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

(10)

密 教 文 化 (3)﹁制 許 翻 訳 経 論 祠 部 告 牒 三 首 ﹂ ( ア ) 陀 羅 尼 教 金 剛 頂 喩 伽 経 等 八 十 部。 大 小 乗 経 論 二 十 部 計 一 千 二 百 巻。 ( イ ) 右、 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 奏。 不 空 聞 績 帝 尭 者 紹 帝 位。 受 仏 嘱 者 伝 仏 教。 省 菰 格 言 曾 不 改 易。 流 興 ( ソ ) ( エ ) ( オ ) 万 代 散 葉 千 枝。 不 空 杖 錫 摯 瓶 行 遭 天 竺、 尋 歴 川 谷 践 渉 邦 方。 凡 遇 聖 躍 投 誠 礼 敬、 輯 聞 経 教 馨 端 哀 祈。 ( カ ) ( キ ) ( ク ) ( ケ) 捜 求 精 微、 窮 博 深 密。 丹 誠 仮 嘱 願 言 弘 宣。 遂 得 前 件 経 論、 自 到 中 京 寛 未 翻 訳。 既 閾 書 写、 又 乖 授 持。 ( コ ) 特 望 聖 慈 許 令 翻 訳。 庶 得 法 錘 重 敷 更 雪 住 持 之 道、 仏 日 再 挙 弥 増 演 暢 之 功、 天 恩 允 許 請 宣 付 所 司。 ( サ ) 勅 旨。 依 奏 乾 元 元 年 六 月 十 一 日 ( 35 ) 中 書 令 闘 ( 36 ) ( シ ) 中 書 侍 郎 同 門 下 平 章 事 賜 紫 金 魚 袋 王 瑛 宣 ( ス ) ( セ ) ( 37 ) 朝 散 大 夫 中 書 舎 人 兼 礼 部 侍 朗 上 柱 国 姑 戚 縣 開 国 公 李 揆 奉 行 奉 勅 旨 如 右。 牒 到 奉 行。 乾 元 元 年 六 月 十 六 日 ( ソ ) ( タ ) 特 進 行 侍 中 弘 文 館 大 学 士 知 太 清 官 事 監 修 国 史 上 柱 国 韓 国 公 苗 卿 黄 門 侍 朗 閾 ( 38 ) 通 議 大 夫 行 給 事 中 賜 紫 金 魚 袋 開 国 男 休 ( チ ) 尚 書 祠 部 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 牒。 奉 勅 如 右 牒 至 准 勅 故 牒。 乾 元 元 年 六 月 十 八 日 令 史 門 貴 牒 員 外 朗 童 少 遊 主 事 唐 国 興 ( ア ) C ﹁ 許 ﹂。 ( イ ) A D E F ﹁ 尭 ﹂。 底、 右 傍 に ﹁ 業 歎 ﹂ と あ る。 ( ウ ) B ﹁ 輻 経 馨 ﹂ と し、 ﹁ 輯 経 ﹂ の 中 間 右 傍 に ﹁ 聞 ﹂、 ﹁ 経 馨 ﹂ の 中 間 右 傍 に ﹁ 教 ﹂ と 書 す。 ( エ ) C な し ( オ ) 底、 右 側 に ﹁ 疑 衷 歎 ﹂ と あ る。 ( カ ) 低 B D E F H I ﹁ 博 ﹂、 C ﹁ 傅 ﹂。 ( キ ) D ﹁ 中 ﹂ 字 の 下 に ﹁ 宗 ﹂ 字 あ り。 ( ク ) B C ﹁ 受 ﹂。 ( ケ ) B ﹁ 受 持 ﹂ の 中 間 右 傍 に ﹁ 持 ﹂ と 書 す。 ( コ ) B D ﹁ 龍 ﹂ と し、 右 傍 に ﹁ 聖 ﹂ と 書 す。 C ﹁ 龍 ﹂ ( サ ) B C D E F ﹁ 勅 旨 依 奏 ﹂ の 次 に ﹁ 乾 元 元 年 六 月 十 一 日 ﹂ が あ る。 底 H I、 逆。 諸 写 本 に よ り 改 め る。 ( シ ) B C D E F ﹁ 填 ﹂、 底 ﹁ 与 ﹂、 H I ﹁ 與 ﹂。 諸 写 本 に よ り ﹁ 喚 ﹂ と 改 め る。 ( ス ) B ﹁ 田 始 域 ﹂ と し、 右 傍 に ﹁ 国 姑 減 ﹂ と 書 す。 ( セ ) C ﹁ 戚 ﹂、 D E F ﹁ 減 ﹂、 低 ﹁ 姑 縣 ﹂ と し て 右 傍 に ﹁ 一 本 作 姑 戚 縣 ﹂ と あ る。 諸 本 勘 案 し て ﹁ 姑 減 縣 ﹂ と す。 ( ソ ) E ﹁ 大 ﹂。 ( タ ) C ﹁ 韓 国 ﹂ な し。 ( チ ) C ﹁ 告 ﹂ あ り。

(11)

こ こ で は、 上 奏 文 直 後 の ﹁ 勅 旨。 奏 に 依 れ ﹂ 以 降 の 役 所 の 署 名 形 式 が さ き に 挙 げ た(2) ﹁ 制 許 捜 訪 梵 爽 修 輯 翻 訳 制 一 首 ﹂ と 同 等 の 形 式 で あ る こ と が 判 り、 文 書 の 性 格 が 同 質 で あ る こ と を う か が わ せ る。 さ て、 こ の 文 書 は 陀 羅 尼 教、 金 剛 頂 喩 伽 経 等 八 十 部、 大 小 乗 経 論 二 十 部 計 一 千 二 百 巻 の 翻 訳 を 請 う 不 空 の 上 奏 を 許 可 し た も の で あ る。 右 の 上 奏 内 容 に よ れ ば、 不 空 は 天 竺 を 尋 歴 し て 聖 躍 に 遇 い、 そ の 経 ・ 教 を 尽 く 聞 き 窮 あ、 金 剛 頂 系 を 中 心 と す る 多 く の 経 典 を 得 た の で あ る。 こ れ ら の 経 典 に つ い て、 傍 線 部 に ﹁ 遂 に 前 件 の 経 論 を 得 て、 中 京 に 到 る よ り 立見 に 未 だ 翻 訳 せ ず。 既 に 書 写 を 閾 き、 受 持 に 乖 け り ﹂ と 記 載 さ れ、 長 安 に 至 っ て か ら 新 将 来 経 典 の 翻 訳 ・ 書 写 ・ 受 持 読 諦 が な さ れ て い な い と あ る。 こ こ で ﹁ 中 京 に 至 る よ り ﹂ と い う 場 合、 天 宝 五 載 の 天 竺 か ら の 還 唐 と 天 宝 十 五 載 の 河 西 か ら の 帰 京 が 考 え ら れ る が、 文 章 全 体 の 流 れ か ら 前 者 が 濃 厚 で あ ろ う。 ま た、 後 者 を 想 定 す る な ら ﹃ 貞 元 録 ﹄ の 紹 州 や 河 西 で の 訳 経 記 事 も 首 肯 さ れ る。 い ず れ に も 確 定 は で き な い が、 不 空 の 将 来 し た 金 剛 頂 系 経 典 を 中 心 と す る 一 千 二 百 巻 の 翻 訳 は、 上 奏 の 結 果、 乾 元 元 年 六 月 十 八 日 付(3) ﹁ 制 許 翻 訳 経 論 祠 部 告 牒 ﹂ で 唐 王 朝 に 許 可 さ れ た こ と が (39) 知 ら れ る。 と こ ろ で 他 史 料 に は こ れ 以 前 の 訳 経 活 動 ( 奉 詔 訳 の 場 合 も あ る ) も み う け ら れ る。 後 述 す る 如 く、 皇 帝 の 下 す 文 書 ( 王 言 ) に も 種 別 が 存 す る し、 私 的 に 或 い は 個 別 に 翻 訳 さ れ た 可 能 性 も 否 定 で き な い。 よ っ て 河 西 な ど で の 訳 経 も 全 く 考 え ら れ な い こ と で は な い で あ ろ う。 こ こ で、 以 上 の(1)(2)(3)の 三 文 書 よ り 判 明 し た こ と を 整 理 し て お き た い。 ア、(1)(2)より、 玄 矢、 義 浄、 善 無 畏、 菩 提 流 志、 宝 勝 等 の 三 蔵 将 来 の 梵 爽 で、 長 安 や 洛 陽 の 寺 及 び 諸 州 縣 の 舎 寺 村 坊 に 多 く 未 だ 翻 訳 さ れ ず 零 落 し て い る も の を 撮 閲 収 訪 し て 補 葺 し、 続 訳 し て 奏 聞 し た い 旨 の 上 奏 が 許 可 さ れ た。 イ、(1)と(2)の 文 書 は 不 空 に よ る 同 じ 上 奏 の 内 容 を 含 ん で い る が、 皇 帝 及 び 役 人 に よ る 裁 可 の 署 名 形 式 が 異 な る。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

(12)

密 教 文 化 ウ、(3) よ り、 陀 羅 尼 教 金 剛 頂 喩 伽 経 等 八 十 部 大 小 乗 経 論 二 十 部 計 三 千 二 百 巻 は 天 竺 で 得 た も の だ が、 長 安 に 至 っ て か ら は 翻 訳 ・ 書 写 ・ 受 持 読 諦 は 行 な わ れ ず、 乾 元 元 年 六 月 十 八 日 の 尚 書 省 祠 部 の 牒 に よ っ て 翻 訳 が 許 可 さ れ た (40) と な ろ う。 そ こ で、 次 に 新 た な 課 題 を 提 起 し て 以 下 に 検 討 し、 さ ら に 理 解 を 深 め た い。 ( 一 )(1)と(2)の如 き、 同 じ 上 奏 内 容 を 含 む 異 形 式 の 文 書 が 同 時 期 に 存 在 す る の は 何 故 か。 ( 二 ) 不 空 が 新 将 来 し た 経 論 一 千 二 百 巻 の 翻 訳 を 上 奏 す る 前 に、 敢 え て 先 代 三 蔵 の 未 訳 梵 爽 を 両 京 及 び 諸 州 に 捜 検 し、 続 訳 し よ う と し た の ば 何 故 か。 四、 文 書 様 式 文 書 様 式 の 検 討 か ら、 唐 朝 の 文 書 行 政 と 各 文 書 の 性 格 を 論 ず る こ と と し よ う。 前 述 の 如 く、 ほ ぼ 同 時 期 に 定 立 さ れ た(1)と(2)の文 書 は、 不 空 に よ る 上 奏 内 容 を 同 じ く す る も の の 異 な っ た 文 書 様 式 を 呈 す。 一 方、(2)と(3)は 同 等 の 形 式 で あ る こ と が わ か っ た。 中 村 裕 一 博 士 ﹃ 唐 代 制 勅 研 究 ﹄ に よ れ ば、 ﹃ 大 唐 六 典 ﹄ 巻 九、 中 書 省 ・ 中 書 令 職 掌 の 条 所 載 の ﹁ 凡 王 言 之 制 有 七 ﹂ (42) と し て 規 定 さ れ る、 七 つ の 文 書 様 式 の な か、(1)文 書 は 勅 牒 で、(2)・(3)文 書 は 勅 旨 な る 文 書 様 式 と み な さ れ る。 こ こ で は(1)、(2)文 書 に つ い て 略 文 を 挙 げ て 説 明 し て み よ う。

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(1)勅 牒 ﹁ 請 捜 捻 天 下 梵 爽 修 葺 翻 訳 制 書 一 首 ﹂ ( ※ 1 上 奏 内 容 ) 中 書 門 下 牒 大 興 善 寺 三 蔵 不 空 牒 奉 勅 宜 依 請。 牒 至 准 勅。 故 牒 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 特 進 行 中 書 令 崔 円 特 進 行 侍 中 苗 晋 卿 司 空 兵 部 尚 書 同 平 章 事 李 使 司 空 尚 書 左 僕 射 同 平 章 郭 使 (2) 勅 旨 ﹁制 許 捜 訪 梵 爽 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ ( ※ 2 上 奏 内 容 ) 勅 旨 依 奏 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 中 書 令 具 官 封 臣 崔 円 宣 中 書 侍 朗 閾 中 書 舎 人 具 官 封 徐 浩 奉 行 奉 勅 旨 如 右。 牒 到 奉 行。 乾 元 元 年 三 月 十 五 日 行 侍 中 具 官 封 晋 卿 黄 門 侍 朗 閾 給 事 中 具 官 封 峰 尚 書 祠 部 大 興 善 寺 三 蔵 沙 門 不 空 牒。 奉 勅 如 右。 牒 至 准 勅。 故 牒。 乾 元 元 年 三 月 十 七 日 令 史 門 貴 牒 員 外 郎 章 少 遊 主 事 唐 国 興 中 村 博 士 に よ れ ば、(1) を 例 と す る 勅 牒 で は、 臣 僚 か ら 上 奏 が あ っ て 皇 帝 が 何 ら か の 判 断 を 示 し た 時、 そ の 意 志 伝 達 は 宰 相 府 で あ る 中 書 門 下 が 行 い、 発 信 日 の 後 に は 発 信 の 責 任 所 在 を 示 す た め 当 時 の 宰 相 が 全 員 名 を 連 ね た。 こ の 勅 牒 は 皇 帝 の 判 断 を 仰 ぐ と い う 限 定 を 出 な い 小 事 に 関 す る 命 令 形 態 で あ る。 一 方、(2) を 例 と す る 勅 旨 で は、 臣 僚 か ら 上 奏 が あ る 時、 ま ず 皇 帝 が 意 志 表 示 を 行 な う。 そ の 段 階 で は 皇 帝 の 私 的 意 志 で あ り、 そ れ が 中 書 省 を 経 由 し て 門 下 省 の 同 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 三 考 察

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密 教 文 化 意 を 得 れ ば 国 家 意 志 と な る の で あ る。 さ て、 勅 牒 で あ る(1) は 皇 帝 に よ る 翻 訳 許 可 の 判 断 を、 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 に 中 書 門 下 が 代 弁 し 牒 式 で 不 空 に 伝 え た 文 書 で あ る。 一 方、 勅 旨 で あ る(2) は、 同 じ 三 月 十 二 日 に ﹁ 勅 旨。 奏 に 依 れ ﹂ と い う 皇 帝 の 私 的 意 志 で 許 可 さ れ た。 こ の 後、 中 書 省 を 経 て、 門 下 省 の 同 意 を 三 月 十 五 日 付 で 得 る こ と で 国 家 意 志 と な り、 三 月 十 七 日 に 尚 書 省 祠 部 の 牒 と し て 不 空 へ と 伝 え ら れ た の で あ る。 こ の(1)勅 牒 と(2) 勅 旨 が 同 時 期 に 定 立 さ れ た 理 由 は 明 瞭 で な い が、 文 書 様 式 よ り 少 な く と も 以 下 の こ と が 考 え ら れ よ う。(1)、(2) の 両 文 書 と も 皇 帝 の 許 可 を 得 な が ら、 一 方 が 宰 相 の 署 名 を 付 し て 即 座 に 不 空 に 伝 え ら れ、 一 方 が 三 省 を 経 る 手 続 き を 踏 ん だ。 す な わ ち、 先 代 三 蔵 の 将 来 経 典 の 捜 検 ・ 翻 訳 な る 事 業 が 皇 帝 の 意 志 と し て 勅 牒 で 一 た び 不 空 に 許 可 さ れ た の み な ら ず、 数 日 後 に は 勅 旨 と し て 唐 王 朝 の 国 家 意 志 ま で 高 め ら れ た の で あ る。 こ の 結 果、 不 空 の 訳 経 事 業 は 唐 朝 の 国 家 意 志 と し て の 位 置 を 獲 得 し た の で あ ろ う、 不 空 の 新 将 来 経 典 の 翻 訳 を 許 可 す る(3) 文 書 も 勅 旨 の 形 式 で 定 立 さ れ て い る。 ﹃ 表 制 集 ﹄ に は、 皇 帝 個 人 の 意 志 を 伝 え る 勅 牒 式 で 定 立 さ れ た 文 書 が(1) 文 書 を 含 め 二 十 七 首 収 載 さ れ る。 一 方、 国 (43) 家 意 志 的 性 格 を 有 す 勅 旨 式 の 文 書 は、 右 に あ げ た(2) ・(3) 文 書 の 他 ﹁ 請 置 大 興 善 寺 大 徳 四 十 九 員 勅 一 首 ﹂ の み で あ る。 皇 帝 が 下 す 勅 書 の な か で、 勅 旨 は 勅 牒 に 比 し て よ り 重 要 な 王 言 で あ る か ら、 不 空 の 奏 請 し た 訳 経 事 業 が 如 何 に 重 要 な 事 柄 で あ っ た か が わ か る で あ ろ う。 ま た、(1) ・(2) 文 書 の よ う な 同 じ 上 奏 の 内 容 を 含 む 勅 牒 と 勅 旨 が 同 時 期 に 下 さ れ た 例 は ﹃ 表 制 集 ﹄ に 他 に 存 在 し な い こ と か ら、 不 空 の 事 跡 に お い て も 特 殊 な 例 と し て 提 示 で き る。 こ の よ う に、 乾 元 元 年 の(1) 勅 牒 と ほ ぼ 同 時 に 定 立 さ れ た(2) 勅 旨、 及 び(3) 勅 旨 に よ っ て、 先 代 三 蔵 将 来 の 未 訳 経 典、 不 空 の 新 将 来 経 典 と も に 唐 王 朝 の 国 家 意 志 と し て 翻 訳 を 許 可 さ れ た の で あ る。

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五、 旧 来 経 典 と 新 将 来 経 典 の 翻 訳 不 空 が 自 ら 将 来 し た 計 一 千 二 百 巻 の 翻 訳 許 可 を 上 奏 す る 前 に、 先 代 三 蔵 の 未 訳 経 典 を 捜 索 ・ 続 訳 し よ う と 試 み た 理 由 を 考 察 し よ う。 ま ず、 不 空 以 前 の 三 蔵 に 同 様 の 例 が 存 す る か に つ い て 触 れ た い。 自 将 来 の 梵 爽 以 外 を 翻 訳 し た 例 と し て ﹃ 開 元 録 ﹄ 巻 九、 一 〇 に み え る 菩 提 流 志 と 善 無 畏 が あ る。 菩 提 流 志 は 中 途 で 畢 っ て い た 玄 鈷 に よ る 大 菩 薩 蔵 経 の 続 訳 を 命 じ ら れ て、 碩 徳 ・ 名 儒 を あ つ め、 旧 訳 経 典 を 尋 ね 究 め て 新 来 梵 爽 を 考 校 す る と と も に、 昔 齎 の 未 出 経 典 を 翻 (44) 訳 し た と い う。 ま た 善 無 畏 は 開 元 四 年 に 齎 ら し た 梵 本 を 勅 に よ り 上 進 し 訳 経 で き ず に い た お り、 無 行 の 得 た 梵 本 か ら (45) 未 訳 の 数 本 ( 大 日 経 等 ) を 三 行 と と も に 択 び 訳 し た と い う 伝 承 は 有 名 で あ る。 以 上 の 記 事 は 存 す る も 不 空 の 如 き 行 動 は 他 に 見 ら れ な い。 し た が っ て、 こ こ で 問 題 と な る 事 象 は 不 空 に 特 有 な 例 と い っ て 疑 い な い で あ ろ う。 そ こ で 次 に 先 代 三 蔵 の 将 来 経 典 に つ い て み て お こ う。 ﹃ 開 元 録 ﹄ 巻 八、 九 に よ れ ば、 玄 奨、 義 浄、 善 無 畏、 菩 提 流 志 は い ず れ も 陀 (46) 羅 尼、 神 呪 等 の 密 教 系 の 経 典 を 将 来 し て い る。 こ れ よ り 不 空 は 自 ら 将 来 し た 経 典 に 加 え、 よ り 多 く の 密 教 経 典 を 蒐 集 し よ う と し た と 想 定 で き る。 し か し、 こ の 理 由 の み に よ り 新 将 来 の 経 論 三 千 二 百 巻 の 翻 訳 許 可 を 得 る 前 に、 敢 え て 旧 来 経 典 の 捜 索 と 翻 訳 を 請 う 上 奏 を し た と は 考 え に く い。 と は い え、 不 空 に 直 接 関 わ る 史 料 か ら は 課 題 の 解 決 は 導 き だ し が た い。 そ こ で 次 に 当 時 の 社 会 状 況 か ら 検 討 し、 敢 え て 推 論 を 行 っ て み た い。 特 に 乾 元 元 年 の 訳 経 許 可 文 書 の 下 り た 時 期 が、 安 禄 山 の 乱 沈 静 後 ( 安 慶 緒、 史 思 明 な ど 余 弊 は あ る が ) で 長 安 ・ 洛 陽 の 収 復 直 後 で あ る 点 に 着 目 す る こ と と す る。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

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密 教 文 化 天 宝 十 四 載 十 一 月 に 安 禄 山 が 反 し、 洛 陽、 長 安 が 陥 ち た 際、 多 く の 典 籍 や 文 物 が 散 逸 或 い は 焼 失 し た。 乱 終 息 後 の 至 徳 二 年 か ら 乾 元 元 年 の 頃、 散 逸 し た 典 籍 や 文 物 を 捜 索 す る 政 策 が な さ れ た の で あ る。 例 え ば、 典 籍 に つ い て、 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 経 籍 志 上 に は、 次 の よ う に 記 さ れ て い る。 禄 山 之 乱、 両 都 覆 没、 乾 元 旧 籍、 亡 散 殆 尽。 粛 宗、 代 宗 崇 重 儒 術、 屡 詔 購 募。 さ ら に 具 体 的 に は、 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 干 休 烈 伝 に 時 中 原 蕩 覆、 典 章 殆 尽、 無 史 籍 検 尋。 休 烈 奏 日、 国 史 一 百 六 巻、 開 元 実 録 四 十 七 巻、 起 居 注 井 余 書 三 千 六 百 八 十 二 巻 井 在 興 慶 宮 史 館。 京 城 階 賊 後、 皆 被 梵 焼。 且 国 史、 実 録、 聖 朝 大 典、 修 撰 多 時、 今 並 無 本。 伏 望 下 御 史 台 推 勘 史 館 所 由、 令 府 縣 招 訪。 有 人 別 収 得 国 史、 実 録、 如 送 宮 司、 重 加 購 賞。 若 是 史 官 収 得、 傍 赦 其 罪。 得 一 部 超 授 官 資、 得 一 巻 賞 絹 十 四 匹。 と あ る。 こ の 干 休 烈 は、 粛 宗 朝 に お け る 国 史 修 纂 官 で あ る こ と か ら、 安 禄 山 の 乱 で 散 逸 し た 史 籍 の 捜 検 が 府 縣 に 亘 っ て 試 み ら れ た こ と が 知 ら れ る。 次 に 文 物 に つ い て み る と、 ﹃旧 唐 書 ﹄ 粛 宗 紀 の 至 徳 三 年 正 月 乙 酉 (十 二 日 ) の 条 に は 勅、 因 乱 所 失 庫 物、 先 差 使 捜 検、 如 聞 下 吏 因 便 擾 人、 其 捜 検 一 切 並 停、 務 令 安 輯。 と あ り、 ﹃資 治 通 鑑 ﹄ の 至 徳 三 年 春 正 月 戊 寅 (五 日 ) の 条 に は、 次 の よ う に 記 さ れ る。 先 是、 官 軍 既 克 京 城、 宗 廟 之 器 及 府 庫 資 財 多 散 在 民 間、 遣 使 検 括、 頗 有 煩 擾。 乙 酉、 勅 尽 停 之、 乃 命 京 兆 サ 李 蜆 安 撫 坊 市。 つ ま り、 安 禄 山 の 乱 で 民 間 に 散 在 し た 宗 廟 の 器 物 及 び、 府 庫 の 資 財 を 官 吏 に 捜 検 さ せ た が、 そ の 激 し さ が 度 を 越 し (47) て 京 城 の 人 々 を 乱 し 恐 れ さ せ た こ と か ら 至 徳 三 年 の 正 月 十 二 日 の 勅 に よ っ て 停 止 さ せ た と い う。 こ れ ほ ど 唐 王 朝 で は、

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民 間 に 散 逸 し た 文 物 を 躍 起 に な っ て 捜 索 し て い た こ と が う か が え る。 さ て、 不 空 三 蔵 が 両 京 の 寺 院 及 び 諸 州 縣、 舎 寺 村 坊 に 散 在 す る 先 代 三 蔵 将 来 梵 爽 の 捜 索 を 上 奏 し た こ と も、 こ れ ら (48) と 時 期 を 同 じ く す る こ と が わ か る。 仏 典 は 階 代 よ り 儒 書 の 量 を 凌 駕 し て い た の で、 旧 来 梵 爽 も 安 禄 山 の 乱 に よ っ て 散 逸 し た 可 能 性 は 否 定 で き ず、 京 城 及 び 諸 縣 に て 捜 索 す る 点 に お い て 同 質 性 を 感 じ さ せ る。 安 禄 山 の 乱 に お け る 不 空 三 蔵 は、 長 安 の 賊 中 に 存 り な が ら 北 巡 し た 粛 宗 の 密 詔 に 対 し て 報 国 を 上 申 す る な ど、 国 家 護 持 を 以 て 働 き か け を 行 い 厚 (49) 遇 を 得 た。 し か し、 代 宗 朝 期 に 比 較 す る な ら 粛 宗 と 不 空 は 特 別 密 接 で あ っ た と は 考 え に く い。 ま た、 前 述 し た よ う に 安 禄 山 の 乱 鎮 定 直 後 の 不 空 は 賀 表 や 謝 恩 表 と い っ た 文 書 手 続 き の 簡 便 な "上 表 文 " を 奉 っ た に す ぎ ず、 自 ら の 要 望 を 上 状 し て 皇 帝 ・ 官 府 の 裁 可 を 受 け る "上 奏 文 " を 未 だ 提 出 し て い な い 時 期 で も あ る。 一 方 で、 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 付 の(1) ﹁ 請 捜 強 天 下 梵 爽 修 輯 翻 訳 制 書 一 首 ﹂ を 境 に、 不 空 の 上 奏 に 対 す る 勅 牒 や 勅 旨 が み ら れ る よ う に な る。 不 空 は、 ( 50) 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 よ り 幾 分 前 の あ る 時 期 に 散 逸 梵 爽 の 捜 捻 ・ 続 訳 を 請 う 上 奏 文 を 初 め て 出 し た で あ ろ う か ら、 唐 朝 の 散 逸 文 物 の 捜 索 期 と 重 な る こ と に な ろ う。 以 上 の 乾 元 元 年 ま で の 不 空 の 行 動 と 社 会 状 況 を ふ ま え る と、 次 の よ う な 推 論 も 可 能 で あ ろ う。 す な わ ち、 安 禄 山 の 乱 後 の 不 空 が、 唐 朝 へ の 最 初 の 働 き か け と し て 訳 経 の 公 的 許 可 を 得 よ う と 試 み た。 こ こ で、 一 高 僧 に す ぎ な い 不 空 は、 王 朝 の 強 く 標 榜 す る 散 逸 文 物 の 捜 検 政 策 に 準 拠 し て、 そ の 政 策 に か な う 奏 請 か ら 始 め た の か も し れ な い。 こ れ に よ り、 不 空 が 新 将 来 し た 金 剛 頂 経 系 を 中 心 と す る 一 千 二 百 巻 の 経 論 の 翻 訳 を 上 奏 す る 前 に、 敢 え て 散 逸 し た 旧 来 梵 爽 の 捜 索 ・ 続 訳 を 試 み た と 考 え れ ば 理 解 も し や す い。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 三 考 察

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密 教 文 化 結 語 以 上、 乾 元 元 年 の 三 つ の 訳 経 許 可 文 書 を め ぐ る 諸 問 題 を 論 述 し た。 最 後 に 本 稿 で の 考 察 を ま と め て 記 し た い。 (1) ﹁ 請 捜 瞼 天 下 梵 爽 修 輯 翻 訳 制 書 一首﹂、(2)﹁制 許 捜 訪 梵 爽 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ は と も に、 散 逸 し た 先 代 三 蔵 将 来 の 未 訳 梵 爽 を 捜 索 ・ 続 訳 す る こ と を 許 可 し た 公 文 書 で あ り、 安 禄 山 の 乱 後 の 不 空 が 最 初 に 行 な っ た 上 奏 に 対 す る 皇 帝 及 び 官 府 に よ る 裁 可 と み な さ れ る。 こ れ ら は 同 じ 上 奏 内 容 を 有 し な が ら、 同 時 期 に 続 け て、 官 人 の 署 名 形 態 の 異 な る、 " 勅 牒 と 勅 旨 と い う 別 個 の 文 書 様 式 と し て 定 立 さ れ て い る。 こ の こ と か ら、 旧 来 経 典 の 翻 訳 許 可 が 皇 帝 の 意 志 ((1) 勅 牒 ) か ら 王 朝 の 国 家 意 志 ((2) 勅 旨 ) に 高 め ら れ た こ と が 読 み 取 れ る の で あ る。 一 方、 こ の 上 奏 は、 安 禄 山 の 乱 後 の 唐 朝 に よ る 散 逸 文 物 の 捜 捻 政 策 と 同 時 期 に 許 可 さ れ た。 こ こ で は 京 城 及 び 諸 縣 に て 散 在 文 物 を 捜 索 す る 点 で 同 質 性 が う か が え る。 す な わ ち、 訳 経 の 公 的 許 可 を 得 よ う と し た 不 空 は、 ま ず、 散 逸 文 物 の 捜 捻 と い う 国 家 政 策 に 相 応 す る 上 奏 を 行 な っ た と い う 見 方 も で き る。 こ う し た 状 況 の な か、(2) 勅 旨 に よ っ て 旧 来 経 典 の 翻 訳 許 可 が 国 家 意 志 と し て 高 め ら れ た 後、 新 将 来 経 典 の 翻 訳 許 可 を 示 す、(3) ﹁ 制 許 翻 訳 論 祠 部 告 牒 一 首 ﹂ も 同 様 に " 勅 旨 " と し て 定 立 さ れ た。 こ れ に よ り、 乾 元 元 年 に お い て 金 剛 頂 経 系 を 中 心 と す る 新 将 来 経 典 一 千 二 百 巻 の 翻 訳 が 国 家 意 志 と し て 許 可 さ れ、 そ の 後 の 精 力 的 な 訳 経 活 動 の 端 緒 と な っ た と み な さ れ る。 乾 元 元 年 の 訳 経 許 可 文 書 は、 不 空 の 訳 経 事 業 を 規 定 の 文 書 様 式 で 唐 朝 の 公 的 意 志 に 具 現 化 す る と と も に、 翻 経 年 代 の 比 定 に か か わ る 注 目 す べ き 公 文 書 で あ る こ と を 提 示 し て お き た い。

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注 ( 1 ) ﹁ 進 摩 利 支 像 井 梵 書 大 仏 頂 真 言 状 一 首 ﹂餅 代 宗 皇 帝 批 ( ﹃ 表 制 集 ﹂ 巻 一、 ﹃ 大 正 新 脩 大 蔵 経 ﹂ 以 下、 ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 二、 八 三 〇 頁 上 ) に ﹁ 檀 摩 瑞 像、 貝 葉 真 文、 南 天 既 遥、 中 国 難 遇。 上 人 慈 敏、 絨 護 而 来 不 秘 桑 門、 伝 諸 象 閾 得 未 曾 有、 良 以 慰 懐 ﹂ と あ り、 将 来 し た 諸 像 ・ 貝 葉 は 南 天 で 得 た と さ れ る。 ま た、 円 照 は ﹃ 貞 元 録 ﹄ 巻 一 五 (﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 八 八 三 頁 上 ) で 不 空 の 将 来 梵 爽 に つ い て、 ﹁ 所 在 捜 求 先 於 南 天 所 得 梵 爽 約 計 秩 千 巻 有 余 ﹂ と 記 す。 ( 2 ) 長 部 和 雄 ﹃ 唐 代 密 教 史 雑 考 ﹄ (神 戸 商 科 大 学 学 術 研 究 会、 一 九 七 一 年 ) を は じ め こ れ ま で 不 空 の 思 想 と 翻 訳 経 典 の 詳 細 な 研 究 が な さ れ て い る。 三 々 の 論 考 に つ い て は 省 略 す る。 ( 3 ) 仁 王 経 の 翻 訳 背 景 の 詳 論 に 友 永 植 ﹁ 不 空 訳 ﹃仁 王 護 国 般 若 波 羅 蜜 多 経 ﹂ 小 考 ﹂ (別 府 大 学 紀 要 三 号、 一 九 九 四 年 ) が あ る。 ( 4 ) ﹃大 正 蔵 ﹂ 巻 五 五、 五 七 一 頁 下。 ﹃大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 八 七 五 頁 上。-七 九 四 年、 呂 向 撰。 ( 5 ) ﹃大 正 蔵 ﹂ 巻 五 五、 三 七 二 頁 下。 ( 6 ) ﹃大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 七 四 八 頁 下。 七 九 四 年、 円 照 撰 集。 ( 7 ) ﹃大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 八 八 一 頁 上。 八〇〇 年、 円 照 撰 集。 ( 8 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 〇、 二 九 二 頁 下。 十 世 紀 中 ご ろ ま で に 成 立 し た と 推 定 さ れ る ( 拙 論 ﹁ ﹃ 不 空 三 蔵 行 状 ﹄ の 成 立 を あ ぐ っ て ﹂ 印 度 学 仏 教 学 研 究 四 五-一、 一 九 九 六 年 )。 ( 9 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 二、 八 四 〇 頁 上。 ( 10 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 八 八 一 頁 中。 ( 11 ) 仁 王 経 二 巻、 密 厳 経 三 巻、 仁 王 経 念 諦 儀 軌 一 巻 ( 永 泰 元 年 訳 )、 大 聖 文 殊 師 利 菩 薩 讃 仏 法 身 礼 一 巻 ( 永 泰 元 年 訳 ) 大 聖 文 殊 仏 刹 経 三 巻 (大 暦 八 年 訳 ) 等。 他 に ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 二 一、 文 殊 師 利 菩 薩 及 所 説 吉 凶 時 日 善 悪 宿 曜 経 二 巻 が あ る。 序 文 で 永 泰 二 年 訳、 広 徳 二 年 修 注、 筆 削 と あ る が 不 空 の 自 撰 目 録 に な く ﹃ 続 開 元 録 ﹂ よ り み え る の で 問 題 が あ る。 ( 12 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹂ 巻 五 二、 八 三 九-八 四 〇 頁 上。 武 内 孝 善 ﹁ 石 山 寺 蔵 ﹃ 不 空 三 蔵 表 制 集 の 研 究 ﹄ ﹂ (高 野 山 大 学 密 教 文 化 研 究 所 紀 要 五 号、 一 九 九 二 年 ) ﹃表 制 集 ﹄ 巻 三、 平 安 初 期 写 本 校 訂 本 参 考。 ( 13 ) ﹃大 正 蔵 ﹂ 巻 五 五、 七 五 三 頁 中、 七 五 四 頁 上。 ﹃続 開 元 録 ﹂ 巻 下、 入 蔵 録 部 は、 三 百 九 部 一 百 三 十 九 巻 を 挙 げ る。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 七 六 六 頁 中-七 六 八 頁 下 )。 ﹃ 続 開 元 録 ﹄ の 不 空 自 撰 目 録 部 は、 以 降 の 翻 訳 経 軌 と あ わ せ て 十 四 秩 に 区 分 さ れ、 ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 三 に 収 載 さ れ る 自 撰 目 録 と 様 式 を 異 に す る。 な お、 巻 下 は 各 経 に 内 題 を 付 す。 ( 14 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 八 七 九 頁 上-八 八 一 頁 上。 ﹃続 開 元 録 ﹄ 巻 上 記 載 の 経 軌 か ら、 仁 王 経 疏 三 巻 を 除 き、 金 剛 頂 喩 伽 他 化 自 在 天 理 趣 会 普 賢 修 行 念 調 儀 軌 一 巻 を 加 え る (﹃ 貞 元 録 ﹂ 巻 一 も 同 様 )。 こ れ ら の 有 無 と 般 若 理 趣 釈、 聖 迦 泥 葱 怒 金 剛 童 子 菩 薩 成 就 儀 軌 経 の 巻 数 表 記 が、 経 録 に よ っ て 異 な る。 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

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密 教 文 化 な お、 不 空 訳 経 軌 を 整 理 し た も の に 向 井 隆 健 ﹁ 不 空 三 蔵 訳 経 軌 類 一 覧 ﹂ (豊 山 学 報 二 一 号、 一 九 七 六 年 )、 呂 建 福 ﹃ 中 国 密 教 史 ﹄ 四 章 二 節。 二 ﹁ 不 空 的 訳 著 ﹂ ( 中 国 社 会 科 学 出 版 社、 一 九 九 五 年 ) が あ る。 (15 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 二、 八 三 一 頁 中、 下。 (16 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹂ 巻 五 二、 八 二 六 頁 下-八 三 三 頁 上。 (17 ) こ の 三 文 書 を 扱 っ た 研 究 は、 中 村 裕 一 博 士 の 唐 代 公 文 書 研 究 で あ り、 勅 牒 ・ 勅 旨 と い っ た 唐 代 公 文 書 の 様 式 論 の 用 例 に 使 わ れ る (﹃ 唐 代 制 勅 研 究 ﹂ 第 三 章 ﹁勅 書 ﹂ 第 三 節、 勅 旨 ・ 勅 牒 の 項、 一 九 九 一 年、 汲 古 書 院。 ﹃ 唐 代 公 文 書 研 究 ﹄II﹁唐 代 公 文 書 の 書 相 ﹂ の 項、 一 九 九 六 年、 汲 古 書 院。 ﹃ 魏 晋 南 北 朝 階 唐 時 代 史 の 基 本 問 題 ﹂ 収、 ﹁文 書 行 政 ﹂ の 項 三 一 八 ・ 三 一 九 頁、 一 九 九 七 年、 汲 古 書 院 )。 し か し、 不 空 へ の 訳 経 許 可 と い う 観 点 で 詳 し く 論 じ ら れ た こ と は な い。 な お、 本 稿 で は、 中 村 博 士 の 唐 代 公 文 書 研 究 の 成 果 を 大 い に 参 考 に さ せ て 頂 い た。 ( 18 ) ﹃ 貞 元 録 ﹄ 巻 二 九 の ﹁ 大 乗 入 蔵 録 上 ﹂ の 不 空 訳 経 典 に ﹁奉 詔 訳 ﹂ と あ る。 こ れ に つ い て 中 村 裕 一 博 士 は、 本 稿 着 目 の 三 公 文 書 と ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 一 ﹁請 再 訳 仁 王 経 制 書 一 首 ﹂ に よ る も の と 推 定 す る。 ま た 勅 書 に よ る 翻 訳 許 可 で あ る た め ﹁奉 勅 訳 ﹂ が 本 来 正 し い と し、 唐 代 人 が 詔 と 勅 を 混 同 し て い た こ と を 指 摘 す る。 (前 掲 ﹃唐 代 公 文 書 研 究 ﹄ H 第 四 節 ﹁奉 詔 の 実 態 が 勅 牒 で あ る 場 合 ﹂ 第 五 節 ﹁奉 詔 の 実 態 が 勅 旨 で あ る 場 合 ﹂ 五 五 六-五 六 五 頁 )。 (19 ) 上 表 文 書 は 皇 帝 の 批 答 を 伴 う の み で、 官 人 の 可 否 の 必 要 な い 簡 略 な 手 続 き を 呈 す。 一 方、 乾 元 元 年 の 訳 経 許 可 文 書 な ど の 勅 書 は 臣 僚 の 上 奏 に 対 し て 皇 帝 及 び 官 人 の 可 否 判 断 を 伴 う 重 要 な 案 件 を あ ら わ す。 と は い え、 ﹃ 大 唐 六 典 ﹂ 巻 九、 中 書 省 ・ 中 書 令 職 掌 の ﹁ 王 言 の 制 ﹂ の 規 定 に よ れ ば 制 書 に よ る 改 元 大 赦 ・ 軍 国 大 事 な ど 国 家 の 大 事 に 比 し て、 勅 書 で 定 立 さ れ る 訳 経 事 業 は 小 事 と み な せ る (前 掲 ﹃ 唐 代 制 勅 研 究 ﹄ 第 三 章 二 節 ﹁ 上 奏 と 裁 可 の 語 ﹂ 四 百 六 頁-四 五 八 頁 参 照 )。 ﹃ 表 制 集 ﹂ 巻 六 の 粛 宗 期 の 二 口 勅 は 皇 帝 の 私 意。 ( 20 ) 底 本 を 慶 安 三 年 刊 本 と し、 写 本 六 本、 活 字 本 二 本 で 校 合 表 三 ﹃表 制 集 ﹄ 巻 一、 諸 本 対 照 表 〇=書 写 有 り、 無 11 書 写 無 し

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し 明 ら か に 異 な る 箇 所 を 校 注 に 記 す。 諸 本 の 略 号 ・ 書 写 年 は 表 三 参 照。 写 本 は 高 野 山 大 学 武 内 孝 善 先 生 所 持 の 写 真 を 利 用 さ せ て 頂 い た。 文 書 の 復 元 は 中 村 裕 一 博 士 の 復 元 式 に 倣 っ た ( 前 掲 注 (17 ) 参 照。 復 元 は ﹃ 吐 魯 番 出 土 文 書 ﹂ 第 七 冊 三 頁 以 下 所 収 の 勅 旨 文 書 の 著 録 に よ る )。 諸 本 の 書 誌 学 的 概 容 は 武 内 孝 善 ﹁ 天 台 宗 伝 来 の ﹃ 不 空 三 蔵 表 制 集 ﹄ に つ い て ﹂ (高 野 山 大 学 密 教 文 化 研 究 所 紀 要 九 号、 三 九 九 六 年 ) 参 照。 表 三 に よ れ ば D 本 と F 本 に は(2) 文 書 が 無 い。 し か し、 平 安 初 期 写 の A 本 を は じ め B、 C の 古 い 部 類 に 属 す る 写 本 に (2)文 書 は 存 在 す る。 ま た、 諸 本 全 て の ﹃表 制 集 ﹄ 巻 首 の 目 録 中 に(2) 文 書 の 名 が 存 す る の で 本 文 書 写 段 階 で 抜 か れ た に す ぎ な い。 よ っ て(1) と(2) の 文 書 は 本 来 別 々 に 存 在 し た こ と は 疑 い な い。 ( 21 ) 長 安 慈 恩 寺 は 玄 、 薦 福 寺 は 義 浄、 洛 陽 長 寿 寺 は 菩 提 流 志、 聖 善 寺 は 善 無 畏、 福 先 寺 は 義 浄、 善 無 畏 の 住 し た 寺 院。 ( 22 ) ﹁ 宝 勝 ﹂ な る 三 蔵 は(1)、(2) の 二 史 料 以 外 に み ら れ な い た め、 如 何 な る 僧 で あ る か は 明 確 に し が た い。 ( 23 ) ﹃ 旧 唐 書 ﹂ 崔 円 伝 で、 粛 宗 即 位 後、 行 在 所 (粛 宗 紀 は 彰 原 と す る ) に 赴 い た 後、 ﹁従 粛 宗 還 京、 以 功 拝 中 書 令 封 趙 国 公、 賜 実 封 五 百 戸 ﹂ と さ れ る。 ( 24 ) ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 苗 晋 卿 伝 で は、 鳳 翔 の 粛 宗 の も と に 赴 い て 軍 国 の 大 務 を 悉 く ほ し い ま ま に し た こ と で、 ﹁ 既 収 両 京、 以 功 封 韓 国 公、 食 実 封 五 百 戸、 改 為 侍 中 ﹂ と さ れ る。 ﹃ 新 唐 書 ﹄ 宰 相 表 中 で は、 至 徳 二 年 十 二 月 戊 午 ( 十 五 日 ) の 条 に ﹁ 晋 卿 行 侍 中 ﹂。 乾 元 二 年 三 月 乙 未 ( 二 十 九 日 ) の 条 に ﹁ 晋 卿 罷 為 太 子 太 傅 ﹂ と あ る。 ( 25 ) 李 光 弼。 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 李 光 弼 伝 に は、 至 徳 二 年 に 賊 将 思 子 明 等 と の 太 原 で の 戦 に 勝 利 し た 李 光 弼 へ の 詔 に て ﹁⋮全徳 挺 生、 英 才 間 出、 干 城 禦 侮、 坐 甲 安 辺。 可 守 司 空、 兼 兵 部 尚 書、 中 書 門 下 平 章 事、 進 封 魏 国 公、 食 実 封 八 百 戸 ﹂ と あ り、 ﹃新 唐 書 ﹂ 宰 相 表 中 で は ﹁ (至 徳 二 載 ) 十 二 月 戊 午 (十 五 日 )、 河 東 節 度 使、 同 平 章 事 李 光 弼 守 司 空 ﹂ と さ れ る。 ﹁李 ﹂ の 下 字 ﹁使 ﹂ は、 当 時 李 光 弼 が 京 師 に 在 さ な か っ た こ と を 示 す (次 行 の ﹁ 郭 ﹂ も 同 )。 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 李 光 弼 伝 に は、 乾 元 元 年 に 入 朝 し て 侍 中 に 遷 し た と あ る。 ま た、 ﹃ 資 治 通 鑑 ﹄ 巻 二 二 〇 の 乾 元 元 年 の 条 は、 李 光 弼 の 入 朝 を 八 月 庚 戌 ( 十 一 日 )、 侍 中 へ の 就 任 を 八 月 丙 辰 ( 十 七 日 ) と す る。 ( 26 ) 郭 子 儀。 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 郭 子 儀 伝、 至 徳 二 年 十 月 の 条 に は、 安 慶 緒 の 賊 衆 を 破 り、 河 東、 河 西、 河 南 の 郡 邑 を 皆、 平 ら げ た 郭 子 儀 に ﹁ 以 功 加 司 徒、 封 代 国 公、 食 邑 千 戸 ﹂ と 記 さ 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

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密 教 文 化 れ、 ﹃新 唐 書 ﹄ 宰 相 表 中、 至 徳 二 載 十 二 月 戊 午 ( 十 五 日 ) の 条 に は ﹁ 子 儀 為 司 徒 ﹂ と あ る。 な お ﹃ 旧 唐 書 ﹂ 郭 子 儀 伝 で は ﹁ ( 至 徳 二 年 ) 十 二 月、 還 東 都、 命 子 儀 経 営 北 討。 乾 元 元 年 七 月、 破 賊 河 上、 檎 偽 将 安 守 忠 以 献、 遂 朝 京 師 ﹂ と さ れ、 郭 子 儀 は 乾 元 元 年 三 月 十 二 日 に 長 安 に 在 さ な か っ た。 ( 27 ) 内 閣 文 庫 蔵 ﹃令 義 解 ﹄ 公 式 令 勅 旨 式 の ﹁ 唐 令 此 式、 侍 中 下 署 一 録 事、 給 事 中 下 署 主 事 ﹂ か ら、 侍 中 具 官 封 名 の 下 に ﹁ 門 下 録 事 名 ﹂、 給 事 中 具 官 封 名 の 下 に ﹁ 主 事 ﹂ を 復 元 で き る。 ま た、 ﹃ 続 開 元 録 ﹄ 巻 中 の 新 定 四 部 律 疏 拾 巻 並 行 の 勅 旨 や 吐 魯 番 出 土 の 勅 旨 文 書 か ら、 給 事 中 具 官 封 名 の 次 行 に ﹁ 三 月 十 □ 日 時 都 事 姓 名 受 ﹂、 さ ら に 次 行 に ﹁ 左 司 郎 中 付 祠 部 ﹂ の 存 在 が 類 推 で き る ( 中 村 裕 一 前 掲 ﹃ 唐 代 制 勅 研 究 ﹄ 第 三 章 ﹁ 勅 旨 の 一 般 式 ﹂ 四 七 六 頁、 ﹁ 吐 魯 番 出 土 の 勅 旨 文 書 ﹂ 四 九 三 頁。 前 掲 ﹃ 魏 晋 南 北 朝 階 唐 時 代 史 の 基 本 問 題 ﹄ ﹁ 文 書 行 政 ﹂ 三 一 八 ・ 三 一 九 頁 参 照 )(3)文 書 も 同 様。 (28 ) 中 書 侍 郎 の 苗 晋 卿 が 至 徳 二 載 十 二 月 戌 午 (十 五 日 ) に 行 侍 中 に 就 い て か ら 乾 元 元 年 五 月 乙 未 ( 二 十 四 日 ) の 王 喚 ま で、 中 書 侍 郎 は 閾 し て い る ( ﹃ 新 唐 書 ﹄ 宰 相 表 中 )。 (29 ) ﹃ 旧 唐 書 ﹂ 徐 浩 伝 に ﹁ 粛 宗 即 位、 召 拝 中 書 舎 人、 時 天 下 事 股、 詔 令 多 出 於 浩、 浩 属 詞 謄 給、 又 工 楷 隷 書、 粛 宗 悦 其 能、 加 兼 尚 書 右 丞 ﹂ と あ る。 徐 浩 は 楷 隷 に 巧 な こ と か ら 詔 令 作 成 に 役 割 を 果 た し た。 徐 浩 は 建 中 二 年 に 建 て ら れ た 厳 程 撰 ﹃ 唐 大 興 善 寺 故 大 徳 大 弁 正 広 智 三 蔵 和 尚 碑 銘 餅 ﹂ を 書 し た 人 物 で も あ る。 ( 30 ) ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 粛 宗 紀、 至 徳 二 載 八 月 甲 申 ( 八 日 ) の 条 に ﹁ 以 黄 門 侍 郎 崔 漢 為 余 杭 太 守、 江 東 採 訪 防 禦 使 ﹂ と あ る。 同 崔 換 伝 同 条 に ﹁ 乃 罷 知 政 事 ﹂ と あ り 崔 換 は 黄 門 侍 郎 を こ の 時 罷 め た と い え る。 後 は、 乾 元 二 年 十 二 月 丙 午 ( 十 四 日 ) に 呂 謹 が 黄 門 侍 朗 に な る ( ﹃新 唐 書 ﹄ 宰 相 表 中 ) ま で、 そ の 官 職 を 拝 し た 例 を み な い。 よ っ て(3) 文 書 で も 閾 と な る。 ( 31 ) 李 嘔 の 弟、 李 峰。 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 李 垣 伝 に は ﹁ 従 上 皇 還 京、 為 戸 部 尚 書、 蜆 為 御 史 大 夫、 兼 京 兆 サ、 封 梁 国 公、 兄 弟 同 制 封 公。 ( 中 略 ) 初、 垣 為 戸 部 尚 書、 蜆 為 吏 部 尚 書、 知 政 事、 峰 為 戸 部 侍 朗、 銀 青 光 録 大 夫、 兄 弟 同 居 長 興 里 第、 門 列 三 戟、 一 三 品 門 十 二 戟、 栄 耀 冠 時。 峰 位 終 蜀 州 刺 史 ﹂ と あ る。 ( 32 ) 門 貴、 唐 国 興 の 事 跡 に つ い て は 確 認 で き な い。 ( 33 ) ﹃ 文 苑 英 華 ﹄ 巻 三 九 一 質 至 ﹁ 章 少 遊 祠 部 員 外 郎 等 制 ﹂ に、 章 少 遊 を 祠 部 員 外 郎 と す る 勅 授 告 身 の 詞 文 を 載 せ る。 ( 34 ) こ の こ と は、(1) 文 書 が 下 り る 少 し 前 の 至 徳 三 年 正 月 二 十 三 日 付 の 不 空 の 上 表 文 ﹁ 謝 恩 賜 香 陳 情 表 一 首 ﹂ (﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 二、 八 二 八 頁 上 ) か ら も わ か る。 そ こ で は、 安 禄 山 の 乱 終 息 後 の 事 跡 を 列 挙 す る 中、 ﹁ 既 に 翻 訳 を 許 さ れ、 傍 り て 度 僧 を 与 え て 渥 澤 已 に 深 し ﹂ あ り、 既 に 何 ら か の か た ち の 訳 経 許 可 が 行 わ れ た よ う で あ る。 し か し、 許 可 に 関 す る 王 言 に も 大 事、 小 事 の レ ベ ル が あ り、 以 後 の さ ら な る 翻 訳

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許 可 も 十 分 あ り う る、 と 考 え る。 ( 35 ) ﹃新 唐 書 ﹄ 宰 相 表 中 に よ れ ば、 中 書 令 の 崔 円 が 乾 元 元 年 五 月 乙 未 ( 二 十 四 日 ) に 罷 め て 太 子 少 師 と 為 っ て か ら 同 年 八 月 丙 辰 ( 十 七 日 ) に 郭 子 儀 が 就 く ま で 閾 と み な さ れ る。 ( 36 ) ﹃ 旧 唐 書 ﹂ 王 懊 伝 に は、 ﹁ 乾 元 三 年 七 月、 兼 蒲 州 刺 使。 充 蒲、 同、 緯 等 州 節 度 使、 中 書 令 崔 円 罷 相、 乃 以 與 為 中 書 侍 郎、 同 中 書 門 下 平 章 事 ﹂ と あ る ((3) 文 書、 両 ﹃ 唐 書 ﹂ 粛 宗 紀、 ﹃ 資 治 通 鑑 ﹂ 巻 二 二 〇 よ り 乾 元 元 年 五 月 と 改 め る べ き )。 三 方 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 王 喚 伝 に は ﹁ 粛 宗 親 謁 九 宮 神、 患 勲 於 祠 疇、 皆 唄 所 啓 也。 (中 略 ) 喚 以 祭 祀 妖 妄 致 位 将 相、 時 以 左 道 進 者、 往 往 有 之 ﹂ と あ る。 こ こ で、 ﹁祭 祀 妖 妄 ﹂ と い う 巫 祝 で 以 て 粛 宗 に 取 り 入 り 宰 相 と な っ た 王 喚 に 密 教 経 典 が 許 可 さ れ た こ と が 注 目 さ れ る。 粛 宗 と 王 喚 と の 関 係 は、 岩 崎 日 出 男 ﹁ 不 空 三 蔵 と 粛 宗 皇 帝 ﹂ (密 教 学 研 究 十 八、 一 九 八 六 年 ) 参 照。 ( 37 ) ﹃ 旧 唐 書 ﹂ 李 揆 伝 ﹁開 元 末、 挙 進 士、 補 陳 留 尉、 献 書 閾 下、 詔 中 書 試 文 章、 擢 拝 右 拾 遺。 改 右 補 閾、 起 居 郎、 知 宗 子 表 疏。 遷 司 勲 員 外 郎、 考 功 郎 中、 並 知 制 詰。 雇 従 剣 南、 拝 中 書 舎 人。 乾 元 初、 兼 礼 部 侍 郎 ﹂ ( 38 ) 原 休 の こ と か。 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 原 休 伝 ﹁ 休 以 幹 局、 累 授 監 察 御 史、 殿 中 侍 御 史、 青 苗 使 判 官、 遷 虞 部 員 外 郎。 出 潭 州 刺 使、 入 為 主 客 郎 中、 遷 給 侍 中、 御 史 中 丞、 左 庶 子 ﹂。 ま た、 同 伝 よ り 原 休 は ﹁ 三 蔵 和 上 影 讃 井 序 ﹂ ( ﹃ 表 制 集 ﹄ 巻 四 ) の 撰 者 厳 郭 と 交 流 の あ っ た こ と が わ か る。 ( 39 ) ﹁ 三 朝 所 翻 経 請 入 目 録 流 行 表 一 首 ﹂ に は、 ﹁ 天 宝 五 載 却 至 上 都。 奉 玄 宗 皇 帝 恩 命、 於 内 建 立 道 場。 所 齎 梵 爽 尽 許 翻 訳 ﹂ と あ る。 イ ン ド か ら 長 安 に 還 て 玄 宗 皇 帝 に 将 来 梵 本 の 翻 訳 を 尽 く 許 さ れ た と 不 空 自 ら 回 顧 し て お り、(3) の 訳 経 許 可 文 書 と 矛 盾 す る よ う に も み え、 翻 経 年 代 比 定 な ど に 問 題 が 残 る。 こ こ で は(3) 文 書 は 訳 経 許 可 の 公 文 書 の 原 史 料 で あ り、 乾 元 元 年 に は 皇 帝 が 粛 宗 に 替 わ っ て い る こ と に 留 意 し た い。 ( 40 )(3) 文 書 の 記 述 よ り、 不 空 将 来 の 金 剛 頂 系 経 典 の 翻 訳 は 乾 元 元 年 以 降 と な り、 大 暦 六 年 六 月 十 二 日 ま で に 不 空 自 撰 目 録 掲 載 の 経 典 が 翻 訳 さ れ て い る。 そ し て 不 空 没 年 の 大 暦 九 年 六 月 十 五 日 ま で に ﹃続 開 元 録 ﹄ 巻 上 及 び ﹃貞 元 録 ﹄ 巻 一 五 の 自 撰 目 録 部 以 降 に 記 さ れ る 他 の 経 典 が 訳 さ れ た こ と に な る。(3) 文 書 は 不 空 の 上 奏 内 容 を 含 む 公 文 書 で あ る か ら、 こ の こ と は お お む ね 想 定 さ れ る が、 不 空 訳 経 典 の 全 て を 乾 元 元 年 以 降 に 比 定 す る に は 慎 重 に な ら ざ る を え な い。 ( 41 ) 前 掲 注 ( 17 ) 論 考 参 照。 ﹃大 唐 六 典 ﹄ 巻 九、 中 書 省 ・ 中 書 令 職 掌 の 条 に 規 定 さ れ る 七 つ の 王 言 は 冊 書 ・ 制 書 ・ 慰 労 制 書 ・ 発 日 勅 ・ 勅 旨 ・ 論 事 勅 書 ・ 勅 牒 で あ る ( こ の 規 定 と は 異 な っ た 奏 請 へ の 回 答 で な い 勅 旨 ・ 勅 牒 の 例 も 存 す る )。 ( 42 ) 中 村 裕 一 博 士 は、(1) と(2) の 二 文 書 に つ い て、 ﹁ な に ゆ え、 同 内 容 の 奏 請 が 勅 旨 と 勅 牒 で 裁 可 さ れ た か 明 ら か で な い ﹂ と す る ( 前 掲 注 ( 17 ) ﹃ 唐 代 制 勅 研 究 ﹄ 第 三 節 ﹁ 勅 旨 ﹂ 註 不 空 三 蔵 の 訳 経 活 動 を め ぐ る 一 考 察

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密 教 文 化 8、 五 〇 九、 五 一 〇 頁 ) ( 43 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹂ 巻 五 二、 八 三 〇 頁 上-八 三 一 頁 上。 ( 44 ) ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 五 七 〇 頁 中。 ( 45 ) ﹃大 正 蔵 ﹂ 巻 五 五、 五 七 二 頁 上。 ﹃開 元 録 ﹂ の 無 行 将 来 説 に 対 し て、 海 運 ﹃両 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 ﹄ 巻 下 は 開 元 七 年 の 善 無 畏 将 来 説 を 執 る ( ﹃大 正 蔵 ﹄ 巻 五 一、 六 八 六 頁 中。 異 本 ﹃ 大 日 本 続 蔵 経 ﹄ 巻 五 十、 九 頁 下 ) ( 46 ) ﹃大 正 蔵 ﹄ 巻 五 五、 五 五 五 頁 中-五 七 二 頁 上 ( 47 ) ﹃ 唐 代 詔 令 集 ﹄ 巻 一 五 五、 至 徳 三 年 ( 乾 元 元 年 ) 正 月 付 ﹁安 輯 京 城 百 姓 勅 ﹂ は よ り 詳 し い 内 容 を し め す。 ( 48 ) ﹃階 書 ﹄ 経 籍 志 巻 四 に ﹁ 開 皇 元 年、 高 祖 普 詔 天 下、 任 聴 出 家、 循 令 計 口 出 銭、 営 造 経 像。 而 京 師 及 井 州、 相 州、 洛 州 等 諸 大 都 邑 之 処、 並 官 写 一 切 経、 置 干 寺 内、 而 別 写、 蔵 秘 閣。 従 風 而 靡、 競 相 景 慕、 民 間 仏 経、 多 於 六 経 数 百 倍 ﹂ と あ る よ う に、 階 の 文 帝 の 時 代、 京 師 及 び 諸 州 の 官 は、 一 切 経 を 書 写 し、 寺 院 或 い は 秘 閣 に 蔵 し た。 ま た 民 間 の 仏 典 は 儒 経 の 数 百 倍 に 達 し た と い う。 ( 49 ) 岩 崎 日 出 男 先 生 は、 安 禄 山 の 乱 を 背 景 に 積 極 的 に 粛 宗 に 働 き か け た 不 空 を 厚 遇 さ れ た 一 僧 侶 と す る も、 粛 宗 の 仏 教 へ の 不 信 感 や 道 教 と 王 撰 へ の 傾 倒 の た め、 乾 元 元 年 を 境 に 粛 宗 と 疎 遠 に な り 全 面 的 な 信 頼 を 得 る こ と の で き な か. っ た と み る。 ま た、 乾 元 元 年 以 前 の 不 空 の 賀 表 へ の 答 辞 も 道 士 李 含 光 に 対 す ほ ど 親 密 で は な い と す る (前 掲 注 ( 36 ) 論 文 ) ( 50 ) 上 奏 文 を 出 せ る 資 格 に つ い て、 ﹃ 唐 会 要 ﹄ 巻 二 五、 百 官 奏 事 で 六 品 以 下 の 奏 事 は 官 号 臣 姓 名 を 自 ら 称 し て 陳 事 す る 規 定 で あ っ た。 す な わ ち 九 品 以 上 の 官 は 皇 帝 に 上 奏 し て 陳 事 で き た の で あ る。 官 人 で な い 不 空 が 自 由 に 上 奏 で き た 理 由 は 明 確 で な い が、 安 禄 山 の 乱 を 通 じ た 粛 宗 と の 交 流 を み れ ば 僧 と し て あ る 程 度 高 位 で あ っ た と 思 わ れ る。 一 方 で、 粛 宗 期 に 定 立 さ れ た 文 書 群 の 変 遷 を み る と 安 禄 山 の 乱 直 後 の 不 空 は 粛 宗 ・ 唐 朝 と の 関 係 の あ り か た を 模 索 し て い た よ う に も み え る。 唐 朝 か ら(1) 勅 牒 ・(2) 勅 旨 な る 同 内 容 の 異 形 式 文 書 が ほ ぼ 同 時 に 出 る と い う 不 自 然 な 文 書 手 続 き も、 不 空 の 上 奏 へ の 行 政 的 対 応 を 迷 っ た あ ら わ れ か も し れ な い。 ︹付 記 ︺ 本 稿 執 筆 に あ た り、 武 庫 川 女 子 大 学 中 村 裕 一 先 生、 高 野 山 大 学 武 内 孝 善 先 生、 岩 崎 日 出 男 先 生 に は 多 く の 御 教 授 を 頂 い た。 末 尾 な が ら こ こ に 深 く 謝 意 を 表 し た い。 < キ ー ワ ー ド > 不 空 三 蔵、 ﹃ 表 制 集 ﹄、 訳 経 活 動、 乾 元 元 年

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