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「堀辰雄の生と死の意識について」

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目 次 序 第一章芥川龍之介の自殺と﹁聖家族﹂ 第二章リルケと﹁嵐立ちぬ﹂ 第三章﹁菜穂子﹂と古典への接近 結 び 序 堀辰雄の文学は﹁生と死と愛の文学﹂と言われるように、﹁生と 死と愛﹂をテ!?にしている e 堀辰雄は二人の師を持った。室生犀 星と芥川龍之介である。堀は‘まだ東京帝国大学在学中一に師の一 人、芥川龍之介の死に遭遇したのである。︵昭和二年七月︶大学の 卒業論文として﹁芥川麹之介論﹂︵昭和四年一月︶を書いた。そし て、堀の小説としての第十:作である﹁聖家族﹂の冒頭に八死があた かも一つの季節を開いたかのやうだつた。

V

と書いたその︿死

V

と は芥川の人死

V

なのである。人死

V

は堀の生涯身近であったテ 17 であるが、乙の一文に堀辰雄の文学の出発というべきものが象徴さ れ て い る 。

人 生

V

の裏がえしの部分としての人死﹀||八一銭銅貨の表と裏 の や う

V

︵ ﹁ 死 の 素 描 ﹂ ︶ な 人 生 と 死

V

。病弱な堀を常に脅かし続 けた人死

V

をいかにして八生

V

へ変えていったのかを掘の作品を通 し て 、 い く ら か の 考 察 を 加 え た い 。 掘は、その師芥川龍之介と同様、告白を嫌った。よってその作品 は、いわゆる私小説ではない。作品の中に表われたものが、すなわ ち堀自身の考えや観念とは言えない。が、彼自身、私小説に似た形 式 で 書 い た と し て い る し 、 自分の感じもしなかったことは一ベンも書いたことはない。︵ ﹁ 小 説 の 乙 と な ど ﹂ ︶ と 書 い て い る 。 又 、 そ ζ に描いてあるのは即ち、それらの人物の中に投げられてゐ る私自身の影でしかなかったのだ。︵同右︶ とも書いている。これらの文から、作品の中の人生

V

八死﹀に関す る叙述の中に、作者の意識に近寄るものが得られると思う。以下、 堀が人生の中にあって最も大きな衝撃であったであろう芥川龍之介 の死と、文学のみならず、彼自身にも大きな影響を与えた、﹁マル テの手記﹂や﹁レタヰエム﹂の作者であるリルケとの関連を中心に

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考 察 を す す め る 。 第 一 章 芥 川 龍 之 介 の 自 殺 と ﹁ 聖 家 族 ﹂ 堀が師と仰いだ芥川の自殺は、昭和二年七月である。掘が本格的 作家活動をはじめる以前のことである。芥川と同業の作家をめざす 堀にとって、その師の敗北とも評された八死﹀がいかに大きな問題 であるかは一言うまでもない。芥川との出会いは、大正十二年、室生 犀星に介されてである。その時、芥川は手紙で、 あなたの捉へ得たものをはなさずに、そのままずんずんお進み なさい。︵中略︶わたしは安心してあなたと芸術の話の出来る 気 が し ま し た 。 と非常に好意を示している。共に下町気質という線の細やかさが二 人をより近づけたのであろう。芥川が堀の中に自分と近いものを感 じたと同様、堀もまた、芥川の中に自分に近いものを感じていたと いえる。それは掘の卒論である﹁芥川龍之介論﹂の書き出しに、 芥川龍之介を論じるのに僕にとって悶難であります。それは彼 が、僕の中に根を下してゐるからであります。 とあることで解かる。だからこそ、掘にとって芥川の人死

V

は な ん としても解決せねばならない問題であったはずである。その解決の 試みが、掘の卒論﹁芥川龍之介論﹂である。 僕が此処で論じたいのはいかに彼の芸術が僕の中に根を下して 行ったか、そしてまたいかに彼の芸術が彼自身をしてあのやう な悲劇的な死に到らしめたか、と云ふ事であります。︵卒業論 文昭和四年︶ この論文は、以後掘の生涯のテエ 7 人死と生

V

への深い洞察の出発 点 と も い え る も の で は な か ろ う か 。 論文の中で掘は、芥川を自殺に追いやったものは芥川の中に同居 し て い た 次 の も の で あ る と し て い る 。

O

鋭 い 理 性 と 柔 か い 心 臓 の 不 調 和 。

O

彼の本に対する情熱が生んだ﹁雑騒さ﹂の不調和。

O

告白嫌いなメリメ型の人間でありながら、告白好きなストリンド ベリイ型の人聞に近づこうと彼自身への反逆を行なった。 つまり、人鋭い理性 V と八柔かい心臓 V 、八メリメ型気質 V と 八 ス トリンドベリイ型気質

V

のように芥川の中に全く相反する、電気の 阿極のどとき触れればたちまち触発するようなものが共存していた ことに芥川の悲劇の原因があるのだと指摘している。まさしく、芥 川の死をみつめながら書かれた論文である。と同時に、その八死

V

を堀自身の問題として解決したことも述?りれている。 芥川龍之介は僕の娘を﹁死人の限を関ぢる﹂やうに静かに関り て く れ ま し た 。 乙 の 象 徴 的 な 文 ’ 誌 は 、 す ぐ に 掘 の 本 格 的 小 説 の 第 一 作 と 言 え る ﹁ 聖 家 族 ﹂ ︿ 昭 和 五 年 ︶ の 冒 頭 に 結 び つ く 。 死があたかも一つの季節を開いたかのやうだつた。 ﹁聖家族﹂の中で堀は完全に芥川の人死

V

をのりこえているのであ る 。 人 死

V

という問題をみつめることによって堀自身の人生

V

を 認 識 し た と 云 え る 。 ﹁聖家族﹂の登場人物は、芥川を思わせる八九鬼

V

、堀を恩わせ る人河野扇理 V 、そして八細木夫人 V とその娘八絹子 V である。扇 理と細木夫人と絹子は、八九鬼の死﹀に媒介されて近づいている。 さらに、扇理は九鬼を裏がえしにしたような青年として描かれてい - 26

(3)

-る。一銭銅貨の表と裏のような生と死の関係が、扇理と九鬼におき かえられている。それはつまり、堀と芥川の生きかたに置きかえら れ る と 思 う 。 掘は、﹁芸術のための芸術﹂︵昭和五年︶というエッセイの中で 自分の先生の仕事を模倣しないで、その仕事の終ったと ζ ろ か ら 出 発 す る も の の み が 、 真 の 弟 子 で あ る だ ろ う 。 と書いている。﹁聖家族﹂はまさしくこの言葉の実践と云える。人 死

V

か ら 八 生

V

− 人 死

V

をみつける乙とによって、その裏側にある と こ ろ の 人 生 V をより生き生きと感じるということ。芥川と同じ気 質を持った堀がみつけた||いかに死の誘惑からのがれるかーーと いう聞の答が乙こにあると思う。芥川の終ったところの人死

V

か ら ス タ ー ト し 、 芥 川 と 全 く 逆 の 一 方 向 に 、 つ ま り 人 生

V

ヘ 向 っ て 歩 み は じ め た と 云 え る 。 そ ζ でエッセイで述べたように、芥川の真の弟子 たら必とした掘の姿がある?掘自身、生きんとして人死

V

に 裏 づ け された人生

V

の 理 念 を つ か ん だ と 云 え る 。 第 二 章 リ ル ケ と ﹁ 風 立 ち ぬ ﹂ 芥川と同様、掘の人生と死の意識に対するリルケの影響は大きく 評 価 さ れ て い る が 、 そ れ は 単 に 影 響 と 言 え な い の で は な か ろ う か 。 掘は、ブルーストを知る以前にブルースト的であったと同じよう に、リルケを知る以前に多分にリルケと共通した面を持っていたと 云える。リルケとの出会いによって、掘の八生と死

V

の 理 念 が よ り は っ き り と し た 型 を と っ た と 言 う べ き だ と 思 う 。 リルケのととが堀の文章に出てくるのは、岩波書店版の﹁芥川龍 之介全集月報﹂第一号︵昭和九年十月︶に書かれた﹁高原にて﹂︵ 原題﹁追分にて﹂︶である。芥川の思い出を述べた ζ の 文 章 の 中 で リルケの﹁マルテ: 7 ウ リ ッ ツ ・ プ リ ッ ゲ の 手 記 ﹂ に 触 れ て い る 。 主人公デンマアタの若い詩人が、巴里で死を前にしながら書き つづった、その凄惨な感じのうちに一脈の言ひしれぬ m

ロ四訟を湛へた手記を読んでゐるうち、私はしばしば芥川さん の ﹁ 歯 車 ﹂ を 思 い 浮 べ て ゐ た 。 それまでは芥川の悲劇を通して見つめられていた人死

V

が こ と で り ルケを通して見始められたと言えるのではないだろうか。リルケの 中に芥川との共通な面を見い出したのではなく、期自身が求めてい た 八 生 と 死 V のより深い理念をリルケの中に感じはじめた時からリ ル ケ へ の 傾 倒 が は じ ま っ て い る と 言 え る 。 リルケとともに、そしてリルケを通して思索するととは︵特に ﹁ 死 ﹂ に つ い て ︶ 私 は 言 葉 に 云 ヘ ぬ ほ ど 気 持 ち が い い 。 乙れは、昭和十五・六年頃の日記の中にある文章であるが、リルケ へ の 共 鳴 ぷ り 、 特 に 人 死 V の 観 念 へ の 共 鳴 ぷ り の 大 き い こ と を 語 っ ている。堀自身、結核にかかり常に死を身近に感じ続け、また母の 死、許婚者の死と常に人死 V と 向 い 会 っ て 生 き て い た 作 家 で あ る 。 人 死

V

を見つめつづけていた堀の前に、はっきりと人死﹀の意識を 展開させたのがりルケの作品﹁ 7 ル テ の 手 記 ﹂ ﹁ レ ク ヰ エ ム ﹂ ﹁ ド ウ イ ノ 悲 歌 ﹂ で あ る 。 リルケは﹁マルテの手記﹂の中で、人死 V 八 存 在 V と い っ た 問 題 を求めようとして、マルテを八生﹀のぎりぎりの場所、すなわち八 死

V

の す ぐ 隣 り に 立 た せ て い る 。 ζ れ以上、生きていくことができ ないかのようにみえる絶望のと乙ろから八生 V へ の 意 志 を 生 ま れ さ せている。乙の理念は、掘の八生と死

V

の意識にぴったりと重って n L

(4)

い る 。 が、相異点がある。掘は自ら生きんとして人死﹀をみつめてい る 。 人 生

V

へ の 意 識 が 強 か っ た と 4 = 一 守 え る 。 リ ル ケ の 作 中 か ら 感 じ ら れ る も の は 人 死

V

の 苦 甘 さ の よ う で あ る 。 掘 の ノ l ト の 中 に 彼 ハ 河 口

w m

︶は死の詩人でした/ と断言するかのように書かれている。堀は、八死

V

の 意 識 の 部 分 で は、リルケと重ったが、人生

V

へ の 意 志 は リ ル ケ よ り も よ り 強 か っ たと言える。八死のすぐ近くにありながらそ ζ で生きんとした作家 堀 は 不 思 議 な 生 命 力 を 感 じ さ せ る 。 風立ちぬ、いざ生きめやも 乙のヴァレリイの詩句をエピグラフにして書かれた小説が﹃嵐史ち ぬ﹄である。その中には、﹁聖家族﹂﹁快復期﹂﹁美しい村﹂と掘 が求め続けた八生

V

の意識の深まりがある。そして人生

V

に 関 す る こつの試みがなされている。一つは、﹁聖家族﹂以来求め続けてい る 八 生

V

、 す な わ ち 普通の人々がもう行き止まりだと信じてゐると乙ろから始まっ て ゐ る や う な ︵ 略 ︶ 生 の 愉 し さ 。 ハ ﹁ 風 立 ち ぬ ﹂ よ り ︶ である。もう一つは、昭和十四年の新潮社版の﹁﹃聖家族﹄序﹂に 書かれてる八新しい生

V

ということである。人新しい生

V

と は 、 ﹁ 七 つ の 手 紙 ﹂ ︵ 昭 和 十 三 年 ︶ に 記 さ れ て い る 、 わ れ わ れ の 生 は わ れ わ れ の 運 命 以 上 の も の で あ る 。 と い う こ と で あ る 。 ﹃ 風 立 ち ぬ ﹄ は 昭 和 十 一 年 九 月 頃 か ら 書 き は じ め ら れ 、 十 三 年 三 月 に 脱 稿 し た 作 品 で あ る 。 そ の 中 の 五 章 を 創 作 煩 に あ げ る と 、 ﹁ 序 曲 ﹂ 昭 和 十 一 年 ﹁ 改 造 ﹂ 十 二 月 号 ﹁風立ちぬ﹂同右 ﹁朱乙昭和十二年﹁文芸春秋﹂一月号 ﹁春﹂昭和十二年﹁新女苑﹂三月号 ﹁死のかげの谷﹂昭和十三年﹁新潮﹂一月号 となる。﹁春﹂から﹁死のかげの谷﹂の発表まで十ヶ月のひらさが あ る 。 ﹁ 春 ﹂ の 章 を 書 き 上 げ た 後 、 終 章 を 書 き な や ん で い た 掘 は 、 リルケの﹁レクヰエム﹂を読んでるうちに、終章を書きたくなり一 気に書き上げたのである。﹁死のかげの谷﹂は﹃風立ちぬ﹄の中心 をなすものであり、それだけにリルケの||特に﹁レクヰエム﹂の

l

l

影 響 は 大 き い 。 乙の作品は、堀の許婚者、矢野綾子との死を前にしての愛の日々 がモデルとなっている。乙の作品に流れているものは人生

V

の 悲 願 のようでさえある。八死

V

を自の前にしている許婚者を見守りなが ら、共に八風立ちぬ=いざ生きめやも

V

と願った堀の心情を感じ る。八ヶ岳のサナトリウムで、一見絶望的と思われる人死

V

の 間 近 かで過しながら人生

V

を確信してゆく二人の愛が描き出されてい る 。 いつもと少しも変らない日課の魅力を、もっと細心に、もっと 緩慢に、あたかも禁断の果実の味をこっそり愉みでもするやう に味はおうと試みたので、私達のいくぶん死の味のする生の幸 福 は そ の 時 は 一 そ う 完 全 に 保 た れ た 程 だ っ た 。 八死の味のする生のたのしさ

V

乙 う い っ た 表 現 が 幾 度 も く り か え さ れ て い る 。 ﹁ 冬 ﹂ の 戒 で 許 婚 者 は 死 ん で い く 。 ﹁ 死 の か げ の 谷 ﹂ の 章 で は 、 そ の 許 婚 者 節 子 ヘ 諮 り か け る よ う に 書 か れ て い る 。

。 。

(5)

:乙んな嵐におれがいかにも何気なささうに生きてゐられ るのも、︵中略﹀本当にみんなお前のお蔭だ。 これは、リルケの﹁レクヰエム﹂の終りの部分にそっくり重なって い る 。 帰っていらっしゃるな。も一しお前に我慢ができたら、死者と供 乙 死んでいらっしゃい。死者にはたんと仕事がある。 が、私に助力して下さい、それがお前の気を散らさない範囲 で 、 遠方のものが屡ら私に助力してくれるやうに、私の裡で。 この重なりは、単に模倣と言えない。りルケに出会う以前から掘の 中に内在していたものが、リルケの意識に触発されて出てきたにす ぎない。最愛の人を失い、その人死

V

と闘っている時に﹁レクヰエ ム﹂を読み、レクヰエム的なものを書きたいと願い創作したのであ る。﹁レクヰエム﹂との重なりは、何ら﹃風女ちぬ﹄の作品的価値 を 低 め る も の で は な い 。 ﹃嵐立ちぬ﹄は、人死﹀を越えたところの永遠の︿生

V

を、愛を 媒体として結晶させ、堀の言 F つ︿運命以上の生﹀への昇華をテ!? とした作品である。りルケは八生﹀と︿死﹀ぞ対立化させ︿永遠の 生

V

を 見 つ め る こ と を 堀 に 確 信 さ せ た と 云 唱 え る 。 堀 の ワ ル ケ ノ l ト の中で﹁ドウイノ悲歌﹂について触れた部分に それ︵悲歌のこと|筆者註以はその︵同

2

一 巳

B

︶のやうに死を して全篇を支配せしめない。それは死から涌きおこり、それを 遂に征服するところの賛歌︵に

1 H

H g

m

︶ で あ る 。 河 口 ] お は 死 の 単なる歌い手でなく、それを生に従属せしめゃうとしてゐるの だ 。 河 口 山 内 刊 は 死 を そ の 作 品 の 真 中 に 置 い た 。 そ れ は 死 が 存 在 の 真只中にあるからであり、︵下略﹀ とある。堀がリルケについて述べたこれらの言葉はそのまま掘自身 について述べていると云える。八死

V

を人生に従属せしめやう

V

と し、作品に実現したのは実に堀なのである。 第三章 ﹁ 菜 穂 子 ﹂ と 古 典 へ の 接 近 掘が求めた人生と死

V

の意識はその高まりとして二方に分かれる と思う。一つは﹁菜穂子﹂であり、他方は晩年の日本古典への接近 で あ v る 。 ﹁菜穂子﹂は、その主人公が︿生きん

V

とする意志に目覚めよう とする過程が描かれている ο 登場人物は、菜穂子、夫黒川圭介と幼 な友達都築明の三人である。圭介が、コ一人の中で最も弱い存在であ り、ごく世俗な人間として他の二人と対照的である。菜穂子と明は また別の意味で対照的に描かれている。創作ノ l ト に よ る と 、 彼︵明の乙と|筆者註︶の生き方は、彼の死によって一層完成 す。夫折者の運命。彼女︵菜穂子のこと|筆者註﹀の生は、彼 女 の 耐 え た 生 に よ っ て 一 一 層 完 成 す 。 生 者 の 運 命 。 この二者の対交は、そのまま芥川と堀を思いおこす。芥川の人死﹀ を如何に見るか、卒論の龍之介論に終らない堀の課題の流れがはっ きりと現われている。この二つの対立の意識乙そ、その答えなので はないだろうか。︿菜穂子﹀は、八いはば、生の根源に向はうとす る無邪気な心の傾き

V

を描いた作品であると﹁覚書﹂の中に書いて いるように、この作品には、人生の根源

V

へ近づこうとする掘自身 が投影されている。八明

V

の独自の部分に ハ ノ ﹄

(6)

﹁ ζ のまんま死んで行ったらさぞ好い気持だらうな。﹂﹁しか し、お前はもっと生きなければならんぞ。﹂﹁どうみて生きなけ ればならないんだ、こんなに孤独で?こんなに空しくってい﹂ ﹁ そ れ が お れ の 運 命 だ と し た ら し ゃ う が な い 。 ﹂ とある。これらは許婚者を失った時の堀の気持ちではなかったかと 思われる。独自の中の運命以下の生と対照に、運命以上の生に目覚 めようとするのが八菜穂子

V

である。﹁風立ちぬ﹂以来のテ 17 の 高まりが、人圭介﹀や八明

V

の 存 在 に よ っ て 深 ま り を 加 え て い る 。 無論、堀自身の八生と死

V

の意識の高まりと深まりが裏にあると言 え る だ ろ う 。 隔の晩年の特徴としてあげられるのが、古典への接近である。こ れは前に述べたように八生と死﹀の意識が拘わせたものである。古 典ヘの接近の動機として高田瑞穂氏は 堀を一番強く、古典に向かわしめたものは、その心の師リルケで あ っ た ζ とは何人もこれを否定しえまい。︵﹁堀辰雄﹂︶ と、リルケを強張されている。一方、谷田昌平氏は、 掘が大和に﹁切ないほど心を誘はれるやうに﹂なったのは、大 和が古代の﹁死﹂を秘めた自然だったからであり、堀における 大和はそうした古代の﹁死﹂の観念が今も痛切に感じられる場 所だったからである。︵国文学昭和死年代の堀辰雄 ν ょ.古代が、堀が求めつづけた八死

V

を秘めたものであることを強 張 さ れ て い る 。 古典的なものへのあとがれは、リルケとの出会い以前にも認めら れる。昭和八年五月の﹁覚書﹂︵プルウスト覚書︶の中でキリコの トロフエ ﹁ 戦 勝 標 ﹂ の 絵 を 見 た 時 、 一枚の大きなパステルの前までくると、そこに三十分ばかり釘 づけされた。︵略︶そして私にはその苦しさうな古代的静けさ のみがひとり真実なもののやうに感じられ、それだけが現代に しっかり根を張ってゐるやうに思へた。︵略︶私は、今日のす ぐれた詩や絵の中で死に瀕してゐるやうに見える静かな古代的 美しさをその昨日の生き生きした完全な姿でもって見直したい のだ。︵傍点堀

O

印 筆 者 ︶ と八古代的静けさ﹀八古代的美しさ﹀に思いを寄せている。古典接 近の芽ばえがあると思う。リルケや後述する文学の根源としてのレ クヰエムによって古典へ近づいたのではあるが、それ以前の古代的 なものへのあこがれを見のがしてはならないだろう。 古典接近の斑接的動機そ考えると二つに大別される。一つは﹃風 立 ち ぬ h 以来の主題であった八われわれの生はわれわれの運命以上 のものであること

V

を展開させるのに、王朝時代の作品に共鳴を得 たことである。八節子﹀の中に見い出された、宿命の中で素直に生 きた女性の魅力を﹁婿蛤日記﹂や更級日記﹂の作者や﹁震異記﹂や ﹁今昔物語﹂に受場する女性の中に見い出していることによって明 らかである。昭和十二年十二月に発表した作品﹁かげろふ日記﹂に ついて﹁七つの手紙﹂の中で この︵﹁鯖蛤日記﹂とこと︶中に、われわれの生はわれわれの 運命以上のものである事 1 1 3 ﹁ 風 立 ち ぬ ﹂ 以 来 私 に 課 せ ら れ て ゐる一つの主題の発泌が思ひがけず此処において可能であるか も知れないのを見、私は何か胸がわくわくするのを覚えてゐる 位 で す 。

(7)

と記しているように古典

ω

か あ 時 か い が 解 か る 。 もう一つの直接動機としてあげ得るのは、人生と死

V

の 意 識 の 大 きなポイントとなった﹁レタヰエム﹂である。それはりルケの影響 とも云えるものである。﹁レクヰエム﹂は単に作品としての鎮魂歌 というものに止まらなかった。単に鎮魂歌として掘がとらえたのな らば、古典接近とは結びつかないであろう。八一切のよき文学の底 辺に厳としてある

V

もの、文学の八何か本質的なもの

V

を ﹁ レ タ ヰ エム﹂の中に感じ、そのレクヰエムを古典の中に見い出したからこ そ古典に向ったといえる。支学の本質的なものを古典の中に認めた からこそ古典に接近したのである。これらのことは堀自身の言葉に よ っ て う か が わ れ る 。

ω

死 を 突 し 、 魂 を 鎮 め る た め に は あ く ま で も そ の 死 者 の 心 と 一 つになり切らずにはをられぬと乙ろに万葉びとの万葉びとらし い と ζ ろ が あ っ た の で は な い か : : : 人々に魂の平安をもたらす何かレクヰエム的な心にしみ

λ

る やうなものが、一切のよき文学の底辺には厳としてあるべきだ と 信 じ て お り ま す 。 付 記 折 口 先 生 の 説 に よ る と 、 盤 且 京 歌 と い ふ も の は 先 づ 最 初 旅 中 鎮 魂 の作であった。︵略﹀すべて日本の絞景歌の中にはさふいふ初 期のレクヰエム的要素がほのかに痕を止めてゐるのである。︵ ﹁ 伊 勢 物 語 ﹂ な ど ﹂ ︶

ω

僕は数年前、信濃の山のなかでさまざまな人の死を悲しみな がら、リルケの﹁レクヰエム﹂をはじめて手にしてああ詩とい ふものはかふいふものだったのかとしみじみ覚った乙とがあり ました。ーーそのときからまた二、三年たち、或日万葉集に読 みふけってゐるうちに一聯の挽歌に出逢ひ、ああ此処にもかう いふものがあったのかとおもひながら、なんだかぢっとしてゐ られないやうな気もちがし出しました。それから僕は徐かに古 代の文化に心をひそめるやうになりました。それまでは信濃の 国だけありさへすればいいやうな気のしてゐた僕はいつしかま だす乙しも知らない大和の国に切ないほど心を誘はれるやうに な っ て 来 ま し た 。 ︵ ﹁ 古 墳 ﹂ ︶

ω

の引用文のように、古典接近に折口信夫博士の影響も見のがせな い が 、 直 接 の 動 機 と し て は あ げ な い 。 八 文 学 の 本 質 と し て の レ ク ヰ エ ム

V

を求めたが故の古典接近であ るが、掘が持ち続けてきた人生と死

V

の意識が、堀の心を古典にむ かわせたのだと思う。掘の八生と死﹀の意識には一章、二章でのべ たように、芥川、リルケが大きな影響を与えてきているが、これは あくまで、堀の中にあるものを確信させたものである。掘の中に深 く根ざした八生と死

V

の 意 識 が 、 掘 を 古 典 に 接 近 さ せ た の だ と 一 吉 え ヲ 命 。

31

-結 ぴ 堀の師である芥川とリルケは死に先だっところの苦甘い死苦に悩 まされ続けた。同時に、死苦の只中にあって生を感じていた人々で あった。堀はそれらを客観視するととによって生に目覚め、生を確 信レ、深めたと言える。人生のスタートにおいてすでに文学の師芥 川の死を客観視しなければならなかった堀なのである。堀が作家と して生きんがために課せられた宿命のようなものがそ乙にあり、堀

(8)

の人生と死

V

の意識の根源がそこにある。 堀の﹁プルウスト雑記﹂に記されたリヴィエルの言葉に パ ツ シ フ ア タ チ フ 彼の宿命のどとく恩われる愛動的なるものを能動的なるものへ 換へんとする努力 とある。この言葉は掘の生渡にあてはまるのではなかろうか。文学 的出発における師の自殺という宿命|

I

受身的なものを堀自身八生 きん﹀という能動的なものへと換えたのが堀なのである。﹁聖家 族﹂より﹁美しい村﹂、﹁風立ちぬ﹂より﹁菜穂子﹂へとより能動 的な生へと努力が続けられている。 さまざまな人の死にかこまれ、また常に死のすぐ隣にありながら 不思議なほどに底力のある生命力を感じる作家としての掘の生の泉 が堀自身の中に作りつづけられたと言える。 そして﹁古典﹂を見つめる掘の中には運命以上の永遠の生の意識 がもえつづけていたと思うのである。 参 考 文 献 堀 辰 雄 全 集 全 十 巻 角 川 書 店 堀 辰 雄 詩 集 福 永 武 彦 編 弥 生 書 房 堀 辰 雄 近 代 文 学 鑑 賞 講 座 第 十 四 巻 中 村 真 一 郎 編 F 人 と 作 品 福 田 清 人 清 水 書 院 P 現代のエスプク至文堂 汐 遠 藤 周 作 一 古 堂 書 店 M H 写真作家伝叢書

5

高田瑞穂 掘 辰 雄 追 悼 号 ﹁ 文 芸 ﹂ 河 出 書 房一 堀 辰 雄 読 本 ﹁ F ﹂ F 文 学 と 詩 精 神 村 松 剛 南 北 社 角川書店 明治書院 作 家 の 詩 ど こ ろ 人 と 文 学 河 上 徹 太 郎 堀 辰 雄 論 小 久 保 実 麦 書 房 M H 現代作家論全集佐々木基一・谷田昌平 昭 和 十 年 代 の 文 学 ﹁ 国 文 学 ﹂ 学 燈 社 作 品 論 へ の 紹 待 ﹁ p ﹂ M M 芥川龍之介研究図書館﹁解釈と鑑賞﹂至文堂 国語と国文学昭和四三年七月号東京大学園試国文学会 ﹁死者の書﹂折口信夫全集第剖巻中央公論社 芥川龍之介集日本文学全集第泣巻新潮社 芥 川 龍 之 介 入 と 作 品 福 田 清 人 清 水 書 院 F 人生論読本第

2

巻 角 川 書 店 P 文芸読本河出書一房 一 ﹁文芸的な余りに文芸的な﹂芥川龍之介新潮文庫 ﹁ 西 方 の 人 ﹂ p p 芥川龍之介の世界中村真一郎角川文庫 芥 川 龍 之 介 の 魅 力 ﹁ 国 文 学 ﹂ 学 燈 社 リ ル ケ 詩 集 富 士 川 英 郎 訳 新 潮 文 庫 P 星野慎一訳岩波文庫 リルケ全集

3

高安国世訳弥生書房 7 ル テ の 手 記 ・ ロ ダ ン リ ル ケ 新 潮 社 我が愛する詩人の伝記室生犀屋角川文庫 龍之介入生の l と 現 代 文 学 研 究 会 編 新 興 出 版 社 作家論

E

伊 藤 接 角 川 文 庫 堀辰雄・妻への手紙掘多恵子編 立原道造全集第四巻角川書店 桜楓社 五月書房 ~ 32 -新潮文庫

参照

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