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1新井隆一先生を囲んでー

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Academic year: 2022

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(1)). 於・大隈会館. 七. 聞 き 手 ). 九九八年六月十三日︵土︶. 七. 法 学 会 庶務. 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲. 1新井隆一先生を囲んでー. 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈱. 藤野戸首須佐佐酒大浦今新 岡村波藤々藤藤巻須田関井 木 賀 康江重・英昭俊賢源隆 王 宏稔二幸一善夫雄明治成一.

(2) 早法七四巻四号︵一九九九︶. 二. 三 四. 五 ノ、. 早稲田法学の峰々 大学入学まで. 1.通学. 2.一高時代. 3.終戦前後. 2.有倉先生との出合い 3.本との出合い. ー.高崎中学校時代 早稲田大学時代. 七七四. 3.租税要件理論. 3.有倉・宮沢論争. 3.私人の行為の理論. 2.租税法学会の成立. 2.学会的交流. 1.新井租税法学のルーツ. 4.懸賞論文 租税法学. 4.商法と税法 行政法学. 1.必修科目 憲法学. 1.ドイツ刑法の翻訳作業 2.憲法調査会 4.憲法理論研究会 5.財政・教育法 学者と軍人.

(3) 校の後輩でもある永井先生が︑開校以来成績の平均点が一. 一教授・永井憲一教授. ですが︑昨年十二月の公法研究会︵早大︶主催の﹁新井隆. 井先生は御勤続三十九年ということで︑学生時代をいれま. 番良かった福田赴夫さんを新井先生が抜いたのだというよ. 公開座談会﹂のなかで︑高崎中学. すと︑もう半世紀近く︑早稲田の杜で暮らしておられまし. 佐藤︵英︶ 本日はどうもありがとうございます︒新. たから︑早稲田の事情もよく御存じです︒このたび︑御定. 新井 当時の中学校は勿論今の新制中学校とは違いま. うなエピソードを紹介されていましたね︒. わせていただきたいと思っております︒先生はとにかく座 談の名手ですから︑色々興味あるお話を伺えると思ってお. す︒私事で申し訳ありませんが︑昭和十七年四月に入学し. 生徒達がランク付けの論議をしていたという状況でありま. 崎中学校と前橋中学校が有名で︑どちらが上か下かなどと. 験等を︑ぜひ残しておきたいということで︑色々お話を伺. 年を迎えられましたので︑これまでの先生の御活躍︑御経. ります︒そして︑本日の座談会の内容は︑学生諸君にも読. して︑県立の中学校は群馬県にも数少なく︑その中でも高. んでもらえるものにしたいと思っておりますので︑そのあ. ころでありまして︒昭和十六年といいますと︑十二月八日. ておりますが︑本来ならば昭和十六年四月に入学すべきと. した︒当時︑口頭試問といっていましたが︑今風に言えば. 昭和十六年に受ける頃には︑もう筆記試験はありませんで. に大東亜戦争が始まった年でありまして︑私が入学試験を. たりを意識しながら︑いろいろお話を伺いたいと思いま. 大学入 学 ま で. す︒. 一. て︑それに答えるというものでした︒もう一つの重要な試. 語とか︑というような主要学科についての質問がありまし. 口述試験なのでしょうか︑ここで主要学科︑算術とか︑国. 佐藤︵英とでは︑早速内容に入らせていただきます. 1.高崎中学校時代. が︑最初は︑早稲田大学に御入学になるまでのあたりを伺. いうのは今と比べて︑そんなに体力があったわけではない. 験科目に︑体力検定がありました︒当時の小学校六年生と. のですが︑それは︑五〇メートル走︑五〇メートルを何秒. の群馬県立高崎中学校は︑政治学者の蟻山政道先生︑歌人. かで走る︑それから懸垂というのですね︑鉄棒にぶら下が. わせていただきたいと思います︒新井先生が学ばれた旧制 の土屋文明さん︑それに政治家ですと福田越夫さんや︑中. 七七五. 曽根康弘さん︑とにかく︑幾多の秀才を輩出した学校なん 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄. (4).

(4) 早法七四巻四号︵一九九九︶. って三回以上自分の首を肘をちぢめて鉄棒の上に出す︑そ. 七七六. 佐藤︵英と年を経るに従って︑父母への想いは益々. 低限なのですね︒これを超えれば超えるほど良いのでしょ. 学校の思い出といいますか︑中学校にどういう思い入れが. 中学校の合格がなければ︑今日の私はありませんので︑中. 新井Hそしてようやく翌年︑合格いたしました︒この. 募る感じがいたしますね︒. うけれども︑そういう試験でした︒私は子供の頃︑二〜三. れから幅跳びが︑立ち幅跳ですが一メートル以上︑これ最. とてもですね︑急にそんなことを言われても基準に達する. 歳の頃︑小児麻痺を患いまして︑足が悪いものですから︑. けにはいきませんから受験しましたが︑当然のことなが. 農家に行って麦刈りとか稲刈りを手伝う︑というようなこ. 始まっておりましたから︑勤労奉仕といっていましたが︑. りましたが︑中学校二年生の時から︑戦争が昭和十六年に. に入りまして︑まあいわば︑群馬県では名門の中学校に入. あるかといえば︑そういうことであります︒そして中学校. ら︑不合格であります︒ですから︑私は不合格の日の翌日. ようなことはできない︒しかし︑試験を受けないというわ. から︑近くの小学校の校庭を許可を受けて借りまして︑そ. とをしいてました︒. 佐藤︵英と勤労奉仕ですか︒. こで︑せめてその基準に達するように︑その三つを夜︑校 庭の電気がついて︑先生が帰れと言うまで練習をしていた. 新井 私の父は︑商売といいますか︑仕事を一年間し. 佐藤︵英︶Hそうでしたか︒. よくわかりませんでしたけれども︑どうも作っているの. を作っているかということは秘密でありますから︑私にも. と︸緒に仕事をすることになったわけであります︒当時何. ということで︑市内の飛行機製造工場に行って︑工員さん. 新井uそして︑中学校三年生になりますと︑勤労動員. ませんでした︒私と一緒にその校庭に付いてきてくれまし. は︑ゼロ戦の魚雷を抱くところの蓋ではないかという話が. 記憶があります︒. たから︒それから︑母は私の体力をつけるために︑もちろ ん栄養ある食事をさせなければいけませんので大変な努力. 新井二生懸命︑増産増産で作りまして︑終戦の時に. もづきませんが︒. 佐藤︵英と魚雷を抱くところの蓋というのは︑想像. ありました︒. よりも深し﹂といいますが︑私にとっては︑この言葉がい. をしてくれました︒﹁父の恩は山よりも高く︑母の恩は海 っているそれよりも高く︑それよりも深い︑と思っており ます︒.

(5) て英語も字を読んで受験勉強をしましたので︑いまだに︑. あろうと思いますが︑ほとんど独学であります︒したがっ. 発音といいますか︑会話が充分にできません︒高等学校の. 倉庫を見たら︑その蓋というものがいっぱいありました︒. 配を私はしましたが︵笑︶︑そんなことを言うとえらく怒. 途中でも︑こんなに蓋を作って︑機体はあるのかという心. の方々から︑一年から五年までの︑旧制中学校は五年制度. 受験もそいうわけですので︑受験勉強はほぼ独学で︑先輩. でありますので︑五年までの教科書を譲っていただいてそ. られますから︒しかし︑終戦の時にはその蓋がいっぱいあ そいうことで︑中学校四年生の時に終戦を迎えました︒. た︒とても都会の優れた学生と競争はできなかったのだと. れで独学でいたしました︒そして一年浪人をいたしまし. りました︒. で︑あと六カ月ぐらいで入学試験を受けなければなりませ. に入りました︒それで先ほどお話のあった私の中学校での. 思います︒そして昭和二十三年に︑第工局等学校文科乙類. そして︑高等学校は中学校四年修了でも受けられましたの. ですが︑教えてもらうことが大変少なかったし︑何しろ英. 井先生は不確かなことはおっしゃらない方でありますか. んでしたので︑それが事実かどうかは私は知りません︒永. 私はあまり人の成績などに関心をもっていませ. ですから︑それは無理な話でありまして︑また︑入学試験. 新井. ︵笑︶︒. 成績の話でありますが⁝︒ 佐藤︵英︶Hぜひ︑それを伺いたいのですけれども. んが︑戦争中何も教えてもらってないというのは言い過ぎ 語の先生が臨時教員養成所というようなところに行って︑ 数学の先生になって帰ってきたという時代ですから︵笑︶︑. あまり勉強はしておりません︒本当に初歩の英語とか数学. で無理をすることになりました︒教科書もありませんでし. ら︑そうなのかな︑ということで︑このあいだの座談会で. とか勉強しただけで︑それで高等学校を受けようというの. た︒ましてや参考書などというものはありませんでした. トすることはございません︒. 初めて知ったような次第なので︑これについて何もコメン. 中学校の時に︑ある時︑教頭の先生から︑﹁君は学者に. ましたので︑自分の身が心配で︑俺は死刑になるんじゃな いかなんて言う先生もいらっしゃったりして︑おちおちと. っしゃられたのかは私もよく分かりませんが︑君は学者に. なるとよい﹂と言われました︒どうしてそういうことをお. し︑予備校もありません︒先生達は軍国主義教育をしてい. 勉強を教えてくだされなかったのかもしれません︒ですか. 七七七. ら私は︑中学校の教育課程は︑当時の方々は皆さんそうで 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(6) 早法七四巻四号︵一九九九︶. のだったのですか︒. 七七八. 新井二学期といいますかね︑夏休み前にドイツ語の. むいている︑というようなことをおっしゃいました︒私の. 父はつねに私を︑法律家にしたい︑というように念願して. は全部終わったわけであります︒そして二学期からは確. 文法の講義を全部終わりました︒一応︑先生の方では文法. か︑二ーチェの﹃ツァラトゥストラかく語りき﹄を読むよ. いたらしいのです︒私の父は︑どうしても私を法律家にし をきいて︑まがりなりにも︑法律学者になりましたので︑. の第工口同等学校は︑倫理学が非常に重要な科目でありまし. うにと指導を受けたように記憶しております︒そして当時. たかったらしい︒ですから︑今︑教頭先生と親のいうこと. るということであります︒その教頭先生は︑神蔵為治とい. て︑今の東京大学教養学部の︑あの時計台に向かって左の. 教頭先生と親の遺言といいますか︵笑︶︑教えに従ってい. う先生で︑私にとっては︑いろいろな意味で大変有り難い. ほうに︑今もあるかどうか知りませんが講堂がございまし. であろうと思います︒それと︑哲学とか比較文学とか︑私. て︑この講堂は通称﹁倫理講堂﹂といわれていたと記憶し. 先生であります︒. ておりますが︑倫理学を教える講堂ということであったの. の記憶に残る教科としては︑そういうようなものが中心で. 新井 そして高等学校に入りました︒文科乙類はドイ. 2.=局時代. ツ語が第一外国語であります︒第二外国語で英語を勉強し. あったと思います︒. した︒自治会は︑生徒の全寮の総代会と︑なんといってい. 全寮制でありますので︑自治会が強い力をもっておりま. たという記憶が︑高等学校で英語を教えてもらったという んどないのであります︒ドイツ語の勉強に専念していたか. のようなものがあったように記憶しておりまして︑風紀点. たか忘れましたが︑執行部と裁判所のようなものと検察庁. 記憶︑あるいは自分が英語の勉強をしたという記憶がほと. の竪琴﹄という小説をお書きになった竹山道雄先生が私ど. らかもしれません︒ここで印象深いことは︑あの﹃ビルマ. ものクラスの主任のドイツ語の先生であったということで. ことを生徒がいたしますとそれが告発をして︑そして弁護. 人をつけられて裁判をされて︑ということ︑詳しいことは. 検委員というものがありまして︑なにか風紀を乱すような. 佐藤︵英︶u竹山さんですか︒作品が映画にもなりま. よく憶えておりませんが︑あったように記憶しておりま. あります︒. したが︑感動的でしたね︒その授業風景は︑どのようなも.

(7) す︒全寮制なので寮から自治会の処分で放逐されると︑学. て合格をしておりました︒. るとともに︑第二志望で東京高等師範学校の国文科を受け. 大学に入学されるまでに︑二局︑戦争︑敗戦︑そして占領. 佐藤︵英とそうでしたか︒ところで先生は︑早稲田. 3.終戦前後. 校も退学にさせられるのだ︑というような話を聞きました ので︑自治会の力というのは強いのだなー︑ということは 覚えておりますが︑実際どうであったかは知りません︒. ようなものを勉強した記憶が非常に強いのです︒私は国文. しぶりはどういうことだったんでしょうかね︒そのあたり. 時代を経験されているわけですが︑その頃は先生のお暮ら. というようなことで︑主として哲学とか倫理学とかいう 学とか漢文学に強い興味をもっておりましたので︑それは. 佐藤︵英︶口旧制高崎中学校︑それから一高時代の話. 新井Hはい︒戦争中は今も申し上げましたように︑そ. の話は︑これまで︑あまり伺ったことはないのですけど︒. 個人的には勉強をしておりました︒. をお聞きしましたが︑ここに御参加されてる先生方で︑特. 通いでありました︒それで︑戦争については︑時折︑この. ういう中学校時代ですから︑ほとんど学校に行かずに工場. せん︒﹁撃ちてしやまん﹂とか﹁鬼畜米英﹂と言っていた. て勝つのかなとか︑負けるのかな︑などと考えておられま. 戦争は勝つのかなー︵笑︶︑その頃はそんなはっきりとし. に何かお聞きになりたい点があれば︑お声をかけていただ. 須々木 漢文学に興味をもたれたというのは︑何をお読. きたいと思ってます︒ みになったんですか︒. 時代ですから︑そんなことは︒ただ︑今から考えると︑時. 四書五経などというと少々大げさになります. が︑とりわけ﹁論語﹂︑いまでも当時のその本はもってお. たします︒特に終戦の日の前の日に︑群馬県高崎市は大空. 折そういうことが脳裏をかすめていたのかなという気はい. 新井. りますが︑﹁論語﹂は︑ずっと抱えていました︒国文法に. 七七九. 周囲はほとんど︑駅前とか︑繁華街はほとんどなくなりま. 新井u幸い私の家は空襲から免れました︒大空襲で︑. 襲を受けましたので⁝︒ 佐藤︵英と先生のお宅は︑・:︒. も強い関心をもっていまして︒おこがましくも︑中学生の. 時︑国文法の本を書こうということで︑原稿を一応完成さ せました︒. 国文 法 で す か ︒. 新井 今でもその原稿はとってあります︒一高を受け. 佐藤︵英︶. 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(8) 早法七四巻四号︵一九九九︶. した︒そして︑戦後はもちろんごたぶんにもれず︑非常に し︒やがて︑新円切替になってくるような時代で︒戦後の. 生活は苦しいわけですね︑食料はなし︑インフレにはなる. 中学校を︑四年生︑五年生と過ごしまして︑高等学校に行. 東京に来ましても︑幸い全寮制ですから寝泊まりすると. きました︒. た︒それでも︑高等学校の寮は︑朝︑昼︑晩と︑食事が出. ころには困りませんでしたが︑食料は︑えらく困りまし ましたが︑芋とかでして︑少しばかりのお米のご飯が食べ. られるのは夕食ぐらいでということです︒自分の家からお のがない︒ですから︑洗面器で御飯を炊きました︵笑︶︒. 米を持ってきて炊こうと思いましても︑炊く釜のようなも その洗面器を持ってお風呂へ行きました︵笑︶︒全寮制で. すから風呂もあります︒米粒のついた洗面器を洗いまして ね︒ですから︑風呂の中に入ると下がヌルヌルしているの. 早稲田大学時代. なことで︑ずっと暮らしておりました︒. 二. 七八O. 佐藤︵英︶u次は︑早稲田大学時代の話をうかがいた. いんですが︑先生の学生生活面を最初に伺って︑後で学問. 的なことを伺いたいと思います︒. 佐藤︵英︶H先生は︑毎日︑高崎から通学されたとい. 1.通学. 新井uはい︒大学時代は一日も休まず高崎から列車で. うことですが︒. 佐藤︵英︶Hそうなんですか︒伝説ということでは聞. 通学をいたしました︵笑︶︒. ういうような貧困な生活をしていましたから今でも食べる. ら︑朝はだいたい始発に乗りました︒五時頃︒そして大学. ますね︒通勤や買い出しの人たちがおりますから︒ですか. 新井H伝説ではありません︵笑︶︒当時は列車も混み. いておりましたが︒. ものに何も贅沢は言いません︒食べ物であれば何でも食べ. で︑八時からの授業に間には合うわけです︒一つには︑東. に着くまでが二時間余りかかります︒八時前に着きますの. は︑米粒などがあったのではないかと思います︵笑︶︒そ. ますし︑飲み物であれば何でも飲みます︒たとえば︑友人. が︑あまり体が丈夫でないので︑下宿生活のようなものに. 京に住むところがなかなか見つからないということと︑私. などと食事に行って何を注文するかというときには︑私は ゃるものをその通り食べる︑という生活であります︒そん. ほとんど自分で注文したことはありません︒相手のおっし.

(9) 律の文書を読むのに大変に興味がありまして︑毎日毎日六. 朝から晩まで︑朝から晩までは大げさですね︑暇がある. 法全書を︵笑︶︑中身が分かったかどうかは別問題として︑. 新井Hそれで︑食料がその頃ございませんから︑そい. 佐藤︵英︶ ご丈夫ですよね︵笑︶︒. と︑他に本がないということもありますが︑そのせっかく 買った六法全書を︸所懸命読みました︒今も︑この六法全. 堪えられるかという心配もありまして︒もっとも︑それだ. うことを親が心配したということもあって家から通うよう. んなに法律というものに興味があったかはわかりません. 書はどこかに保存してあります︒そういうことで︑なぜそ. け通学できれば丈夫なほうということでしょうが︒. にということになりました︒まさか毎日行くとは親も思わ. おいでになって︑講義を受けられて︑そ. 佐藤︵英と先生の在学中には︑﹁ポポロ事件﹂だとか. 2.有倉先生との出合い. 由は全くありません︒. に毎日行くのは当たり前だと思っていましたから︒他に理. るのですが︵笑︶︒別に︑なにも理由はありません︒大学. それから︑どうして毎日大学に通ったかと︑よく聞かれ. が︑大変興味があったのですね︑今から考えますと︒. なかったでしょうから︑家から通わせれば楽だろうと思っ. たのかもしれません︒しかし︑私は毎日︑土日曜休日を除. 佐藤︵英︶. いては授業のない日も大学にまいりました︒. れで⁝︒ 佐藤︵英︶Hそれほどまでに︑法律に魅力を感じられ. 新井 選択した科目以外の講義も聞いておりました︒. 法律にどうしてそんなに興味を持ったかという. ﹁メーデー事件﹂だとか︑あるいは﹁破防法﹂だとか︑. 新井. た理由は︑どのようなことなのでしょうか︒. ことなのですが︑私にもよくわかりません︒中学校の終わ. に︑いろいろな事件がございました︒それに一つ︑一つ関. 新井H入学した頃︑そして在学中には︑ご存じのよう. ね︒. 色々政情を騒がせた事件が続発した時期でもございました. と︑あの大きな箱に二冊入っているのですが︑当時の六法. 心を持ったかというとそれほど関心は持たなかったのでは. のですね︑戦後初めて六法全書を︒今︑六法全書という. りの頃だったと思いますが︑有斐閣が六法全書を創刊した. もなかったと思います︒それを予約販売したのですね︒私. 全書は今の小六法を小型にしたものを︑さらに薄さは半分. ないかなと思います︒そういうと少し︑聞きようによって. 七八一. は高崎の書店に予約で申し込みました︒どういうわけか法 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(10) 早法七四巻四号︵一九九九︶. 七八二. か︑つくられた会に私が入りましたというか︑そういうこ とであります︒そこではもっぱら︑今で言えば護憲的勉強. は自慢話に聞こえるかもしれませんが︑ほとんど法律の勉 強をしていましたので︑あまり世間のことには関心がなか. といいますかね︑それと実践ということをやっておりまし. 館の地下の部屋をお借りしていたのではないかなと思いま. た︒確かこの会は︑﹁労働法研究会﹂の部屋を︑今の一号. ったというか︑⁝︒ さきほど紹介されましたような事件が︑多くの. 佐藤︵英とあの︑﹁憲法を護る会﹂というのは︒. 新井 場合︑当時は憲法問題なのですね︒憲法に非常に興味を持. と︑私はちょっと異質な人間であったのかもしれないので. す︒そういう関係で︑﹁労働法研究会﹂の人たちからいう. ﹁労働法研究会﹂は公認団体ですが︑﹁憲法を護る会﹂など. すけれど︑お付き合いいただいたような気がいたします︒. っていまして︒二年生くらいのころでしょうか︑どういう. ことでそういうグループに入ったかもほとんど今記憶があ. なってもらおうと︑そうすれば公認団体になれるだろう︑. 法の御担当ですから︑有倉先生のところに出向いて会長に. うてい公認団体になれそうもなくて︒それで有倉先生が憲. してね︑公認団体になろうか︑といってもこの名称ではと. というのは︑名称そのものが当時ちょっと威勢がよすぎま. りませんが︑﹁憲法を護る会﹂というのをつくろうという. 佐藤︵英と﹁まもる﹂という字は︑﹁護憲﹂の﹁護﹂. グループに入りました︒ ですね︒. 新井 はい︑そうであったと思います︒﹁憲法を護る 会﹂というものをつくろうという話がありまして︑これは. した︒. ということで有倉先生のところに数人連れだってまいりま. 佐藤︵英とそうでしたか︒ 新井 これが私が有倉先生と直接お会いする初めての. あまり得意ではありませんので︑もっぱら勉強のほうで入. ことかと思います︒そうしましたら有倉先生が﹁憲法を護. 学問と実践の会ということなのですが︑私は実践のほうは ろうという気になりまして︒﹁メ;デー﹂だとか︑みんな 仲間が参加するのですが︑私は足が悪いということもあり. に︑﹁公法研究会﹂という会があって︑それが中絶してい. る会﹂では公認をとれないかもしれないけれども︑戦前. るから︑憲法は公法のうちだから﹁公法研究会﹂というこ. るということはほとんど不可能ですから︑なんとか理屈を つけて行きませんでしたが︑﹁憲法を護る会﹂というのを. まして︑そういう大衆運動のようなところへは一緒に加わ. つくろうということでつくりました︒つくりましたという.

(11) とで復活ということなら公認がとれるのではないかとおっ. に教室でさせていただきましたら︑研究室に来るようにと. 大浜信泉先生なのです︒不思議なことに︒どういうきっか. 言われまして︑それで研究室へうかがいまして︑それか. けか分かりませんが︑私が商法についての質問を大浜先生. になりますと有倉先生がああいう誠実なかたでいらっしゃ. い︑とおっしゃられまして︑それで今度は質問ではなくて. ら︑曜日は忘れましたけれど︑何曜日の何時から来てもよ. えても実質はあまり変わっておりません︒﹁公法研究会﹂. いますから︑毎週研究会には出席してくださいました︒そ. しゃられて︑﹁公法研究会﹂という名称に変えました︒変. の時︑先ほどお話のあった永井さんが︑副手で︑当時の副. 倉先生の部屋にいらっしゃって︑﹁公法研究会﹂にも︑だ. 手というのがいたように思います︒それで︑永井さんが有. を受けるようになって︑有倉先生は大浜先生の娘婿であり. 生はそういうわけで大浜先生です︒後に有倉先生のご指導. 教えていただくことになりました︒数ヶ月通ったかな︑と いう気はいたします︒大学の先生と直接に触れた最初の先. 手がどういう制度であったか知りませんが︑教授専属の副. いたい先生と御一緒に見えられ︑それでお会いしたという. と言われました︵笑︶︒. 知っておられたので︑後でなんで大浜を知っているのだ︑. ますので︑紹介していただいた時にすでに大浜先生が私を. 佐藤︵英と佐藤︵昭︶先生は﹁労働法研究会﹂には. ような経緯であります︒ いっておられましたね︒. 3.本との出合い. そうですね︒. なる場合︑記憶に残った教科書とか︑あるいはどなたかの. 藤︵昭︶. 藤︵英︶Hその時には御面識はございましたか︒な. 著書なんていうのはございますか︒. 七八三. 途中で︑有倉先生が私には行政法のほうがむいていると思. は修士課程︑博士課程とも憲法専修であります︒しかし︑. 学院では憲法を担当なさっておられました︒したがって私. 新井 当時は有倉先生が学部では憲法と行政法を︑大. 佐藤︵英︶H当時︑いろいろな教科書などをお読みに. サークルが同居してたと伺って⁝︒ 井口同居というか︑無理矢理⁝︒. はい︒初めて個人的にご指導を受けた先生は︑ 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲. 井. いうのは︑ いらっしゃいますか︒. 藤︵英︶H学生時代の︑印象に残っている先生方と. 井一部屋がなかったですね︒. 藤︵英︶H当時部屋がなかったでしょうからね︒. ん 佐新佐新か佐佐 新.

(12) 早法七四巻四号︵一九九九︶. われたのですかね︑そこのところは︑よく分かりません が︑次第に行政法の勉強をするようになりました︒特に行. 政行為論に興味を持っておりまして︑それは今までにも続. くわけですが︑それで法律行為の勉強をしようというの で︑民法の法律行為の本をたくさん︑かなりあさって読み. 新井. 七八四. はい︒今日は︑法学会主催の座談会ということ. ついて︑お話をいただけませんでしょうか︒ でありますので︒. 佐藤︵英︶Hそうなんですよ︒そういう意味もあって. 新井. 大学の一年生の時に︑懸賞論文の当選発表の掲. ぜひ︵笑︶︒. に小さな紙ではなくて︵笑︶︒. 示がありました︒相当大きな紙に︑墨で書いて︑今のよう. ました︒その中で最も私が勉強になったのは鳩山秀夫さん の﹃法律行為乃至時効﹄という︑ちょっと分厚い本であり. 佐藤︵英と先生は︑いつも法学会の会議で︑もっと 大きな紙に書いて発表するべきである発言されています. ます︒なかなか買えませんので︑ずっと図書館から借りて ︵笑︶︒それから行政行為のほうはいろいろと行政法の先生. おりまして︑退職の時に︑この間︑返却いたしました. そうです︑もっと大々的にですね︒それで︑そ. の時の発表ですが︑一柳俊夫さんという方のお名前と論文. 新井. ね︒. 毅疵﹄︑およびそれに関連する柳瀬先生の行政行為論関係. 読みまして︑つよい感銘をうけまして︑あれには及ばない. 名がでておりました︒それが早稲田法学会誌に載ったのを. 感銘深く思っていますのは︑柳瀬良幹先生の﹃行政行為の. 方のご本を読まさせていただきましたが︑私が最も今でも. のご本や論文であります︒これらも古本や古雑誌で買いま. 主義とその法的構造﹂という題名で入選させていただきま. 文が︑二年生の時に提出した論文であります︒﹁租税法律. けれども自分も論文を書いてみようと思いまして書いた論. した︒. 佐藤︵英と学生時代について︑是非お伺いしたいと. 4.懸賞論文. 佐藤︵英︶Hその当時︑大したお金ですね︒. した︒そしてその時賞金に五千円いただきまして︒. 新井Hええ︑大したお金です︒それでその頃︑租税法. 論会であるとか︑模擬裁判への参加ですとか︑それから︑. 法学会の懸賞論文で何回も入選されてるというお話を伺っ. にもちろん興味があって書いた論文ですから︑租税法の加. 思っていることがございます︒新井先生は︑学内の法律討. ているんですけど︑そのあたりの法学会に関わるご活躍に.

(13) 除式法令集の台本全何巻かを買いました︒. 佐藤︵英︶Hそれで買えるぐらいの金額だったんです. 新井 助手の初任給が一万四千円ぐらいでしたね︒. ええ︒. か︒. 酒巻. 酒巻一いや︑一万四千円ですよ︒我々一緒だから. 新井Hいやいや︑八千円︒. ︵笑︶︒. 新井Hああ︑そうですか︒そうです︑そうです︒ 酒 巻一中村英郎先生の時代が七千円︒. に日本税法学会の雑誌の一七六号に載せていただきまし. て︑後に私が論文集で﹃財政における憲法問題﹄という本. 佐藤︵英︶H学生の時にお書きになったものが︑そう. を出しました時の︑第一部の第二章になっております︒ いう論文集のね︒. 新井H恥ずかしいことですね︒ 佐藤︵英といえいえ︒. 野村H水準高い論文ですね︑学生の時に出しているん. 新井uそれが昭和二十八年ですから︑書いたのは一年. だから︒. 論文を提出しまして︑これは入選第一席︑第二席でありま. ら次の年︑昭和二十九年には﹁租税債務不履行論﹂という. 生の時ですが︑発表になったのは二年生の時です︒それか. 新井Hああ︑そうですか︒思い出しました︒その頃︑ 一万三千六百円という値段のカメラが売り出されたので. 巻. カメラ一台買える程度ですか︒. 一席︑第二席となっていまして︒. れまして︑彼と私の論文が同じレベルだと︑それで入選第. した︒面白い付け方ですが︑宮坂宏さんという先輩がおら. す︒キャノネットとかいう︒そのキャノネットの値段とほ 酒. ぼ同額ですねえ︑私たちの給料が︵笑︶︒. 新井Hそういう時代の五千円ですから︑加除式法令集. 新井Hええ︑そうです︒それで︑その後記として︑右. の論文は同順位である︑とわざわざ書いてあるのです︒そ. 佐藤︵英とお二人とも一席と二席だったんですか︒. れが﹁租税債務不履行論﹂という論文でして︑租税債務不. の台本を買えて︑ついこの間まで追加して使っておりまし. を入選させていただいて︑その時は入選が一人だったので. 履行ですから︑その内容は租税債務の履行遅滞と履行不能. た︒それで︑﹁租税法律主義とその法的構造﹂という論文. せていただいておりません︒それに後に少し加筆しまして. あります︒それは︑どういうわけか早稲田法学会誌には載. と不完全履行の三つに分かれて構成されておりますので︑. 七八五. ﹁租税法律主義の憲法的意義﹂という題名で︑昭和四〇年 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(14) たおこがましくも出場いたしまして︑これは確か二位で. で今でも行われております法律討論会︑これは戦前にあっ. 七八六. その租税債務不履行論のうちの履行不能の部分は﹁租税債. す︒それから翌年は一位になりましたが︑第一回は全然憲. 早法七四巻四号︵一九九九︶. 務の履行不能について﹂という題名にいたしまして︑日本 税法学会で発表いたしました︒それは﹁租税債務履行不能. 法や行政法とは関係ない題名でした︒たしか商法でした︒. たそうですが︑戦後に復活いたしまして︑復活第一回にま. だいております︒租税債務不履行論のその余の部分は︑. 論﹂という題名で︑早稲田法学会誌の第六巻に載せていた. なんでもするという感じですね︵笑︶︒. 表しております︒それから三回目の応募は﹁税務行政事訴. 履行の部分は後に﹁租税物納の法理﹂という論文の中で発. しょうか︒このあたりどうでしょうか︒いま学生時代のお 話をうかがってるんですが︑このあたり先生方なにかおあ. ね︑ものすごくするんですよね︒そういう状況だったんで. れだけやっぱり勉強とか研究とかに飢えておられた感じが. 佐藤︵英︶H今の学生にぜひ聞かせたいですよね︒そ. ﹁租税債務の履行遅滞と利子税の法的性格﹂という題名で. 訟論序説﹂でありますが︑これも入選第一席にさせていた. 日本税法学会の機関誌の﹁税法学﹂に載せました︒不完全. だきましたが︑これは早稲田法学会誌の第七巻に載せてい. りであれば︑お聞きいただけるとありがたいんですが︒. 佐藤︵英︶Hそうでしたか︒皆さん︑それぞれお出し. ど︑バックルをもらたんですね︵笑︶︒. 佐藤︵昭︶H懸賞論文で僕は何だったか忘れましたけ. ただきました︒. 佐藤︵英︶Hすると︑受賞は︑二︑三︑四年生の時で. すが︑執筆時は︑それぞれ一年前ということに⁝︒ 新井uそうです︒書いたのは一年生︑二年生︑三年. ん早稲田法学会に対する学生の思い入れが強かったのでし. 思って早稲田法学会誌を見たのですけれど︑現役の先生方. 問︑この座談会のために勉強しておかなければいけないと. 新井一自分のことだけ言って申し訳ないですが︑この. 佐藤︵昭とそうですね︒. ょうか︑あるいは私一人で思い入れをしていたのかどうか. のお名前がいくつも出ておりまして︑佐藤︵昭︶先生から. になられてるということですね︒. は分かりませんが︑応募数もたいへん多くて︑後に法学会. 言われて思い出しましたが︒そういうことで法学会の法律. 生︑賞をもらったのは二年生︑三年生︑四年生のときです. 誌に載った私以外の論文をみさせていただいても︑学生と. が︑毎年論文を書かせてもらいました︒その頃は︑たいへ. してはかなりの水準かな︑と思います︒それから︑法学会.

(15) 法だったと思います︒内閣の問題だった︒それから︑模擬. 討論会というのは二回出させてもらいました︒二度目は憲 裁判︒. 佐藤︵英と今︑これも盛んですけどね︒ 新井Hこれは親族法の問題であったと思いますが︑主 任弁護人になりまして︑そういうように何でも顔を出すと いうか︑法学会にはたいへんご恩になりました︒だいぶ利. 村. 昔の五千円と比べると安いかもしれないです. 三 租税法学. 私立大学の中で︑租税法の研究や講義をお始めなった由来. いてうかがいたいと思います︒なぜかと申しますと︑とに かく新井隆︼租税法学というか︑新井租税法学を打ち立て. 新井 今でも︑なぜ学生さんが︑懸賞論文とか︑討論. とか契機とか︑それからその後の御研究の状況などをあわ. られたということがあるわけです︒しかも︑官学ではなく. 会とかにもっと関心をもたないものかなという思いはあり. 新井コニ省堂新書で︑﹃新・税法入門﹄という題名で︑. せて伺わせていただきたいと思うんです︒. て戦費をたくさん使って︑国が疲弊していたということも. のなかにも書いてございますが︑戦後︑日本が戦争に負け. ﹁納税者の権利と自由﹂という副題の本を出しました︒そ. 新井 ですから時折︑野村先生にもっとポスターを大. どころではないという状況があり︑かつ闇取り引きなどと. あり︑それから国民も経済的に困窮しておりまして︑納税. 七八七. という状況ではありません︒当時は︑滞納処分︑差し押さ. いうものがあって︑なかなかまともに納税申告をするなど. きく︑沢山出すようにとか︵笑︶︒出したからといって応. たね︒. 野村H懸賞論文の応募が全くないという年もありまし. 佐藤︵英と模擬裁判は︑今もかなり盛況です︒. まして︒. 座談会で︑法学会と縁の深いお話を伺えてよかったと思い. 問的なお話を伺いたいと思うんですが︒最初に租税法につ. 佐藤︵英︶Hそれでは時間もございますので︑少し学. 1.新井租税法学のルーッ. o野. ます ︒. 佐藤︵英とそういう意味では︑今日の法学会主催の. 用させていただきました︒. ね. 募が増えるかどうか分かりませんが︒. 佐藤︵英︶口あるいはカメラが買えるぐらいの賞金を︑ と︑さっきから盛んにおっしゃておられる︵笑︶︒ 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄. (4).

(16) ですと︑無限責任ですから税の徴収が社員の財産にまで及. 七八八. えをすると納税者などが騒ぎまして︑差し押さえに税務職. で︑家業の形態も有限責任会社にしたらよいなと思いまし. ぶわけですが︑有限責任ならば会社で止まるということ. 早法七四巻四号︵一九九九︶. 員がやってくると︑妨害するというようなことがありまし. ので︑一〇万円の有限会社を設立しようと考えました︒し. た︒それで有限会社の当時の最低資本金は一〇万円でした. たので︑といって公務執行妨害などで捕まえられるような 状態ではありません で し た ︒. ってきまして︑自分で読みまして︑そして定款を作って︑. かし︑今のようには司法書士といってもなかなかみつかり. 公証人の所に認証をしてもらいに行って︑そして自分で登. 佐藤︵英︶Hそのような状況があったようですね︒ 新井 もちろん税を納める義務があるのに滞納するの. 我々︑私はまだその頃少年でありますけれども︑見ている. 記書類を書いて︑それで登記所にもっていきました︒そう. せんから︑有限会社の設立と何とかという手続きの本を買. だけでも非常にひどいことだと︑いかに国家権力とはい. ませんし︑みつけられても︑報酬を支払わなければなりま. え︑戦争のためにこんなに困っている国民の財産を徴収す. したら︑﹁あなた司法書士ですか﹂というようなことを言. は悪いことではありますが︑しかし国民のその当時の経済. るのにこのような事態を惹き起こすのはいかんのではない. 士でない方が出しにきたのですか﹂などと質問をされまし. 状況とか生活状態とかと比べたら︑そういう強権発動は︑. かというような思いがありました︒ということで︑国家権 力の濫用に対する防衛は︑法律の力で阻止する以外に方法. たが︑とにかく登記をしてもらいました︒. を出されたことなどにつながっていかれるのでしょうが︒. 佐藤︵英とこのことは︑後に酒巻先生と共著で著書. われたので︵笑︶︑﹁違います﹂と言いましたら︑﹁司法書. はない︑もっと法律を︑制度を充実させればこういうこと. はなくなろうというような︑少年らしい感覚ではあります. 佐藤︵英と新井 税 法 学 の ル ー ツ で す ね ︒. が︑強い刺激を受けました︒. 新井Hそういうようなことで︑租税法に素人的な興味. これについては︑後に伺いたいと思います︒. たように三つの懸賞論文は全て租税法に関するものを書き. があったのでしょうね︑大学に入ってから先ほど申しまし. じような事情がありますが︑個人企業よりも会社にしたほ うが税負担が軽い蓋然性が大きいわけです︒会社の中で最. ました︒. 新井Hそれから私の家は個人企業でしたが︒今でも同. も中小企業が手近につくれて︑しかも合名会社や合資会社.

(17) 2.租税法学会の成立. とそういうことで︑自分も興味があって次第に深入りしま. 的な側面から光を与えなければいけないと︑大げさに言う. パーの学者は殆んどいませんでした︒教科書もあったので. ん学者もいないというと言い過ぎなのですが︑租税法プロ. た︒実務家が書いた本もあまりありませんでした︒もちろ. おられたということもあって︑まったく私どもには想像が. すけれど︑杉村章三郎先生が確か戦前にお書きになった租. した︒現在のように実務的な本さえあまりありませんでし. つかないですが︒シャウプ勧告に従って︑大学に租税法の. 佐藤︵英︶u当時は︑まだ明確な体系もない︒それに. 講座が設けられることになるわけですが︑まだ租税法学会. 税法と言う本がありました︒ま︑めぼしいものはそのくら いですね︒ですから税法学と言うことでは中川一郎先生が. 学問的に光を与えるというのは︑官学ではない私立大学に. というのは︑もちろん存在していない状況だとは思います. 日本では開拓者であります︒この中川先生はスイスのブル. か︑その学問的な影響を受けておられたように思います︒. ーメンシュタインという税法学者に傾倒されていたと言う. んでしょうか︒. 租税法学という呼び名は︑関東風な呼び名とい. けれども︑当時の学問状況というのはどういうことだった. 新井. さんのお弟子さんだと存じます︒そういうわけで︑日本税. 東北大学法学部の卒業で民法の専攻なのです︒石田文次郎. ってよいのですかね︒関西では一般的に税法学といってい るようです︒税法学発祥の地は京都でありまして︑中川一. 文で租税法関係のものを提出していたものですから︑先生. 日本税法学会の理事であられまして︑私がたびたび懸賞論. 法学会という学会ができました︒そして︑中村宗雄先生が. 郎という先生が私費で﹁税法学﹂という雑誌を出していら しやったようです︒. 新井 その頃は赤です︒後に白になり︑いまも白で. 佐藤︵英︶Hそうでしたね︑あの白い表紙のね︒. いう学会があって自分が理事だから会員に推薦してやるか. に呼ばれまして︑﹁税法に興味があるなら日本税法学会と. ら会員になるように﹂と言われて︑大学二年生か三年生の. す︒﹁税法学﹂と言う雑誌を発行されましたが︑学会など のちに中川先生が日本税法学会というものをつくられて︑. ていただいたのですが︑それ以来日本税法学会の会員であ. 時に会員にしてもらって︑日本税法学会で研究発表をさせ. ありませんでした︒一号から数号までそれで続きまして︑. そしてそのときからそれを︑その機関誌にしたわけです︒. 七八九. 今だに続いております︒私も︑租税法というものに法律学 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(18) 早法七四巻四号︵一九九九︶. 七九〇. 一先生が理事ということで︑いらっしゃいました︒それで. 会員にもさせていただいて︑理事にもさせていただいて一. わったので︑学者中心の学会をつくったらどうかというよ. りまして︑今は名誉会員ということになっております︒中 村先生には大変お世話になりました︒そして私が助教授に. うに思いました︒大変おこがましい話で多くの非難を浴び. くさん入ってくるようになりまして︑ちょっと雰囲気が変. その時からさせていただきした︒そういう意味では私は︑. 事をやめるから新井を理事にしてやワてくれというので︑. ました︒つくっている最中に︑つくり終わるまでに︒今で は市民権を租税法学会も得まして立派な学会に育てさせて. 所懸命学会活動をしていたのですが︑しだいに実務家がた. そういう形で後輩というか弟子というかに理事を譲るとい. なったときにでしょうか︑中村先生が︑中川一郎さんが専. うか理事にさせるというか︑これは大変なことだなと思っ. 大学の教授ですが︑東京大学の現在名誉教授の金子宏さん. もらいました︒それで東京大学の金子宏教授︑今は学習院. 務理事︑杉村章三郎先生が理事長でありまして︑自分は理. て︑この一事だけでも中村宗雄先生を尊敬しております︒. に相談いたしまして︑雄川一郎先生にもいろいろ参考意見. そういうことが日本税法学会との関わりであります︒. 佐藤︵英とそうですか︒新井租税法学に入るまえに︑. とになりまして︑私と金子先生が発起人代表︑そして︑後. をおっしゃっていただいて︑それで租税法学会をつくるこ. に南博方さんが発起人代表で三人で設立をいたしました︒. に租税法学会をおつくりになりますね︒これは︑どのよう な経緯︵いきさつ︶があったのですか︒これうかがってい. になっていただこうと思ったのですが雄川先生は公法学会. もう二十五年くらいになります︒はじめ雄川先生に理事長. 学会状況を先に伺わせていただきたいと思うんですが︑後. いかどうかわかりませんが︵笑︶︑ぜひお聞きしたいと思. 新井H日本税法学会が発足しても︑当時は税法プロパ. います︵笑︶︒. いま私が理事長でありますが︑そういう経緯で学者中心. がよい︑というので金子さんに理事長になってもらって︑. する商法とか中村先生のような民訴の先生とか︑かなり民. の︑あたりまえのことなのですが︑租税法は実務がかなり. の仕事があるし︑こういう若い学会は若い人がやったほう. 訴の先生が多かったですね︑どういうわけか︒明治大学の. かし︑実務家ももちろん著書︑論文など業績がある方には. 重要なウエイトを占めますが学者中心の学会にしよう︑し. ーの学者が︑ほとんどいないのですけれども︑それに関連. ったようで︑杉村章三郎先生が理事長︑京都大学の須貝脩. 野間繁先生とか︒行政法の先生はあまり興味を示されなか.

(19) 入っていただいてもよいということで︑実務家もお入りに. す︒この理論は︑後にお聞きする行政法の分野での私人の. 受けたんですけども︑先生は租税要件理論というものを中. 行為の理論も関わると思うんですね︒私の感じとしては︑. 心に置かれて租税法体系をお作りになられていると思いま. 課税権の行使は公権力の行使であり︑これを納税する側か. なっておられますが︑つくりました︒そういう経緯で租税. ると非常に奇異に感じると思うのですが︑それ以上のこと. 野に二つ法学会があるというのは︑他の法学会の方から見. このあたり︑だいぶ御苦心があったと思うんですよね︑先. ら再構成しようする理論は︑従来なかったと思うんです︒. 法学会をつくりました︒税法あるいは租税法という同じ分. は申し上げませんが︑うまく運営されておるようでありま. 私が租税法の勉強を始める頃には︑おっしゃる. そういう意味ではあまり苦労はしなかったと︑よく言って. ですが︑文献がないので読まないですみましたので︵笑﹀︑. た︒ですからどんなに苦労をしたかとよく質問を受けるの. とおり日本には文献というものはほとんどありませんでし. 新井. のをお聞きしたいと思っております︒. 上で︑先生の︑この理論に対する思い入れともいうべきも. というのはどういう発想かというのを説明していただいた. も︑この座談会の記録を読むものですから︑租税要件理論. 駆的業績がなく︑先生のが先駆的だと思いますから︒学生. す︑どちらも︒私も名誉会員に日本税法学会のほうもさせ てもらっているし︑金子宏さんも会員であると思いますの. 佐藤︵英と租税法学会のほうは今でも現職の理事長. で︒. でいらっしゃる︒. 大学の教員︑それから博士課程の学生︑法曹資. 新井一はいそうです︒ 佐藤︵昭︶ 会員の入会資格はどういうものなんです か︒. 新井. ある実務家︑公認会計士や税理士︑などということでお受. おります︒主としてスイスのドイツ語領域ですね︑当時そ. 格のある人︑弁護士さんとか裁判官︑いわゆる学問業績の けしています︒. 七九一. して︑したがって文献はといえば︑当時は︑私は︑大体ド. こではブルーメンシュタインなどという方は非常に有名な 3.租税要件理論. それで今度は先生の租税法学の中身を伺. 学者でありました︒それからドイツですね︑そういうとこ ろではもちろん大陸法的租税法学が非常に発達しておりま. 佐藤︵英︶. わせていただきたいんですが︒先生の最終講義でも感銘を 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(20) 七九二. であります︒それで︑戦前のように納税の義務が税務行政. 早法七四巻四号︵一九九九︶. イツ語系統のものを読んでいたわけであります︒それで︑ 行政法専門の佐藤先生や首藤先生のいらっしゃる前で行政. 庁が行う租税賦課処分だけで確定した時代には︑これで誰. が納税の義務である︑こういうふうに説明されてきたわけ. 法の講義のようなことをするのは申し訳ありませんが︑戦. ということですから︒ところが︑戦後に申告納税制度がで. も疑問に思わなかったのです︒義務は命令で確定するのだ. きました︒納税の義務は︑納税申告だけで納税義務が確定. です︒行政法各論の中の財政法のなかの収入の部で︑租税. するということなら︑これはこれで適当に説明の方法があ. 前は租税法という領域はもちろん大学の講座にもないわけ のことが︑昔の本には一〇行か二〇行書いてあったという. と異なるときには︑税務行政庁が更正という処分をするわ. 申告をしてもその申告内容が税務行政庁の調査したところ. 状況なのです︒. 佐藤︵英とそうですね︒ 新井 それから行政行為論の所で︑納税の義務は租税 中の法律行為的行政行為のなかの命令的行為のなかの下命. 賦課処分︒というようなことでありまして︑納税の義務は. ない場合には︑決定という処分をする︑これは完全に租税. けです︑これは賦課処分です︒それから納税者が申告をし. ったのでしょうが︑租税賦課処分ものこるわけです︒納税. 賦課処分によって確定する︒租税賦課処分は︑行政行為の. 為︑財政上の下命なのでこれを財政下命という︑というよ. 財政下命処分によって確定するということでは完全に統一. 行為であると︑こう説明されているのですね︑この下命行. 的体系的に説明ができない︒そこで過渡期には納税申告に. そうですか︒そのような説があったのは︑初耳. であるから︑これは今でもこういうようにいっている人が. 新井uそのつぎは︑これは自ら自分自身に賦課するの. です︒. 首藤. という説明がおこるわけです︒. 行政庁の代理人として自らに税を課するのである︵笑︶︑. よって納税義務が確定するのは︑国民が国家の課税を税務. うに戦前︑戦後もかなりの行政法の本に書いてあったので. 佐藤︵英︶u現在でも︑そのように書いている本は少. す︒. なくありませんね︒. 新井Hそれで釈迦に説法で申し訳ありませんが︑下命 行為は法律行為的行政行為であります︒法律行為というの. は︑効果意思の表示行為で︑法の一般理論で説明をすれ ります︒財政下命処分である租税賦課処分の法効果︑それ. ば︑効果意思どおりの法効果が発生をするというものであ.

(21) 私には疑問でありました︒そこで︑これまでの理論の手直. これが法律の理論としてとおるものかというのが非常に︑. いますね︑納税申告は自己賦課である︑こういうのです︒. でに成立している納税義務の内容︑法律が定める要件を充. 合は翌年の二月十六日から三月十五日までの間に︑そのす. 務とかと呼ぶわけであります︒そして︑それを所得税の場. 足する事実を認識をし︑そして法律が定める要件にそれを. と確認されることになりますから︑それを申告書に書いて. 当てはめて判断をし︑それで抽象的なものが具体的に何円. 税務行政庁に提出すると︑ここで納税義務が確定する︒で. て︑何か新しいことを考えればよいのではないか︑という ように考えたわけです︒罪刑法定主義を刑法学が理論とし. 具体的納税義務︑実際上の納税義務ともいいますが︑両者. すから理論的にいえば成立した抽象的納税義務と確定した. しでは︑今言ったようなことにしかならない︒ですから私 は︑納税義務は賦課処分により確定するという論理を壊し. て構築したものが犯罪構成要件論になるのですね︒それと. は︑なるべく抽象的納税義務に近づけた具体的納税義務を. のすることですからそう簡単には一致しません︒現実に. が一致していれば問題がないわけであります︒しかし人間. 同じように租税法律主義を法律理論に組み立てれば租税要 件理論︑ということでどうであろう︑という発想ですが︑ しかし刑法の犯罪構成要件理論とは中身が大分違うのであ ります︒. るわけですから事実をまず認識し︑判断し確認するわけで. 確定する︑ということになります︒事実を要件に当てはめ. す︒そうするとこれは意思表示ではなくて認識︑判断ある. すこし具体的に申しますと︑所得税に例をとりますと︑. 収入金額から必要経費を控除した残りが所得金額でこれに. いは確認の通知なのですね︑納税申告というものは︒そう. 所得税は毎年一月一日から十二月三一日までの︑一年間の. 課税するわけです︒そうしますと十二旦三日の最後の瞬. ですから︑これは私人の行う準法律行為的行為なのです. ね︒これで納税申告のほうは一応説明できる︒そうすると. するとこれは法律行為ではなくて事実の認識と判断と確認. 租税賦課処分のほうはどうなるか︒租税賦課処分はこれま. 間が来ると日本中の国民に所得税を納める義務があるかな っているはずだ︑と考えるわけです︒そうしますと所得税. いか︑あるとしたらいくらか︑ということが理論上は決ま の納税義務は十二月三一日に成立する︑これを成立と言っ. で下命処分であるとしてきたけれども︑実はそういうよう にしてすでに成立している納税義務を税務行政庁が確認す. 七九三. ているのですね︒そこで成立する納税義務のことをまだ具. 体化していませんので抽象的納税義務とか理論上の納税義 座談会﹃早 稲 田 法 学 の 峰 々 ﹄ ㈲.

(22) 確認する︑これを相手に知らせる︒するとこれは準法律行. 法律行為的行政行為にあたるのです︒事実を認識し判断し. る行為だから︑これは行政行為のうちの確認行為という準. 発祥で︑これは両方同じ思想でできているのである︑とい. ら私の考えでは罪刑法定主義と租税法律主義が議会制度の. れらを護るのが基本的な課題だったのでしょうね︒ですか. なのですね︒両方が自由と財産ということでしょうか︑そ. 七九四. 為的行政行為そのものなのです︒そうすると私人の行為も. てよいのか問題であるかもしれませんが︑そのように私は. うように︑刑法の専門家を前においてそういうことをいっ. 早法七四巻四号︵一九九九︶. る課税処分も準法律行為的行政処分としての確認行為だと. 日に抽象的に納税義務が発生すると︑その後確定してい. 野村u先生が今おっしゃたんですけど︑十二月三十一. 考えているるわけであります︒. 私人の準法律行為的行為として説明できる︑行政処分であ して説明できる︒これでひとつの理論構成で両方がうまく. 佐藤︵英︶一租税確定手続過程で向い合う二つの行為. く︑具体化していくというのは刑法でも犯罪が発生すると. 説明できるというように考えられるわけです︒. である︑私人の行為と行政処分の両者の整合性が考えられ. 判を通して有罪判決が確定した段階で具体的な刑罰になっ. 抽象的な刑罰というものが発生するわけですよ︒それが裁. ていくとということで︑そういうところは非常に発想が似. 新井一こういうものであるというと︑なんだそんなも. ているわけですね︒. のなのかといわれるかも知れませんが︵笑︶︑簡単にいう. てますね︒. なのでしょうね︒しかし刑法の方はそういうようなことを. 新井一それは︑おそらく発生が同じだから考えも同じ. とそういうことであります︒私は︑これを理論的にさらに. ずいぶん昔からおっしゃっていたのでしょうが︑租税法の. 深めて︑それを租税要件理論と名付けているわけでありま す︒犯罪構成要件理論とはもちろん違います︒その違いの. のまた最近なのですね︑こういうことを言い出したのは︒. 方は︑租税法学そのものの展開が最近ですから︑そしてそ. そしてこの租税要件理論と同じ思想でできあがっているの. は︑犯罪者︵容疑者︶の意思︵犯意︶が重要な問題であり ましょうが︑租税要件理論では︑具体的納税義務の確定に. が現在の国税通則法︒そしてそれに基づいて各種の所得税. 大きな論点は︑意思の点であります︒犯罪構成要件理論で. は︑捨象されていなければならないからであります︒しか. 法とか法人税法とかみなその発想でできているわけです︒. おいて︑それにかかわる納税義務者と税務行政庁の意思 し租税法律主義と罪刑法定主義というのは議会制度の発祥.

(23) いわば通説というのでしょうか︒ということになっている わけです︒. 佐藤︵英︶Hそういうことで︑実務でなされている行 為に︑ある意味での理論的裏づけを与えられたと思うんで. 新井口直接に︑公式にということはありませんけれど. ようか︒. も︑間接的には︑私には確認の仕様はございませんが︑影. 響したかなという気はいたします︒. うね︒. 税務行政の関係法令の規定の仕方に影響を与えたのでしょ. 理論が実務に与えた影響といいますか︑このような理論が. しました︵笑︶︒政府の意図は︑グリーンカードの制度を. 首藤Hグリーンカードの話がありまして︑そこらへん のところもかなり先生の発言の影響が⁝︒. ども大きいと思うんですがね︒外から拝見してましてね︒. 佐藤︵英︶H学会などをお作りになったことの影響な. 新井 これはやはり徐々にでしょうけれども︑目だっ ているのは国税通則法の時に納税義務の確定方式として賦. つくろうと︑やがて納税者番号につなげようというもので. すよね︒学会の状況を先ほど伺いましたけど︑このような. 課課税方式と申告納税方式が定められておりますが︑その. グリーンカード制度ということになったといってもよいの. すが︒あるいは納税者番号をつくるのが難しくなったので. ですが︒あの過程では︑私はまさかグリーンカードに反対. 新井昌グリーンカードはグリーンか﹄という本も出. いるのですが︑その定義が今申し上げたような理論を基礎. 賦課課税方式と申告納税方式の内容が︑定義が定められて にしている︒意識したかどうかはわかりませんが︑立法者. ができたなという感じを受けます︒このような理論が︑租. 義というものを︑税務行政というレベルで完成させる理論. から︑あとからも自民党も反対にまわりましたので︑自民. 対運動ということになるのでしょうかね︑おそらく︒それ. ックルック何とかというものに出たりしました︒それで反. てもいませんでした︒しかし︑テレビ放送の竹村健一のル. するキャンペーンに具体的に関係することになるとは思っ. 税法学で一般的な承認を受け︑立法に反映する過程は簡単. とになりましたので︑税務当局の知り合いの人には申し訳. 党で講演をするとかですね︒いろいろなことにかかわるこ. 佐藤︵英と私など︑それで憲法八四条の租税法律主. はそういう発想で書いていると思われます︒. ではなかったと思いますが︑興味深いものであろうと思い. 七九五. ないことになりました︒非常に努力してあれをつくり上げ. ます︒それとの関連で伺っておきたいのですが︑法律や税 制などの策定に参画されたことなどもあるのではないでし 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄. (4).

(24) 早法七四巻四号︵一九九九︶. 共同研究をすることになりました︒もっとも︑私も新井さ んも︑ほとんど助手の部屋にいなかったですね︒一号室と. 七九六. 言ってますが︑この一号室に入るとみんな出世するといわ. たわけで︑一応法律にしたわけですからそれが廃止になっ. てしまう︑その過程は色々あったのでしょう︒政治的な話. れたんですが︑その方は疑わしいと思います︒. は周知のことですが︒. 究をお始めになって︑たぶん研究室もご一緒だったんでし. うかたちで毎日かよっていたものですから︑ほとんど助手. 新井先生は有倉先生の研究室︑私は星川先生の研究室とい. みたいなところ︒その部屋に新井先生が入ったんですが︑. 佐藤︵英︶二号室というのは何ですか︒ 酒巻u現在の一号館五階の一番奥ですね︒屋根裏部屋. ょうか︒そういうことですから︑新井先生の研究関心など. 佐藤︵英と酒巻先生は︑新井先生とほぼ同じ頃に研. 4.商法と税法. も︑よくご存じだったんでしょうね︒後に︑共著で﹃商法. って︑新井先生とかなり近接部分がありました︒それから. の部屋にはいませんでしたね︒ただ私も企業会計法をかじ. 酒巻一私が学年では一年上なんですね︒それで助手に. と税法﹄という本をお書きになりましたが︒. なりましたのは同期です︒その時に私からすると︑新井先. うか︒. 新井 はい︑そうです︒ 酒巻H二人一室ということで︑講師︑助教授時代を通. 講師になりましたときに︑これも同じ部屋だったんでしょ. す︒私はまさに駆け出しの頃だったんですが︑私がドタタ. してみようかという話になりまして︒ちょうど︑﹁法律の. して同室させていただきました︒講師時代に一緒に研究を. 生は︑すでにできあがった学者という見方︵笑︶︒学者と. ーにおりますときに︑星川先生が商学部の企業会計の先生. して非常に確立した立場をもっておられたという気がしま. 方と剰余金研究という研究を分担されることになりまし. は︑刑法の牧野先生のお弟子さんで︑なかなか見識のある. いうわけか二人をそれぞれ知っておられましてね︒この方. 編集者だったんですが︒それぞれに訪ねてきて税法の話を. ひろば﹂という雑誌の小林さんという編集長の方が︑どう. うことがあります︒やってみるとなかなかおもしろいんで. た︒実は先生は企業会計法をやられないもんですから︑お. すね︒それが機縁で︑企業会計法を研究していたもんです. したり︑商法の話をしたりしているうちに︑﹁ひろば﹂で. まえがやれということで︑私が剰余金の研究を始めたとい. から︑助手になりまして新井先生と同じ部屋になったので.

(25) 佐藤︵英︶ これは輪番でお書きになってたとか︑毎. 連載で書きはじめてることになりました︒. を使って講じたということがありました︒野村先生は聞い. 本の構成もユニークでして︑各項を上下に割っ. ておられたということで︵笑︶︑今思うと冷や汗もんです. 新井. ね︒. て線を引いて︑上は商法︑下は税法で同じ問題を同じ枚数. 酒巻 いえいえ︑﹁ひろば﹂に商法と税法の接点的な. 回︒. テーマを一つずつひろいあげて︑商法の立場と税法の立場. で書くという︒. いや︑二人が同室でね︑専任講師のときに同室. 佐藤︵英︶ その前後ということになると︑佐藤昭夫 先生はちょっとご先輩で︒須々木先生は世代的にいう. 酒巻一そうですね︒. から書きあげてみようじゃないかということです︒これは. 昭和四一年に一冊の本になったんですが︑新井先生は商法 を知っておられて︑そこに踏込んだ議論を展開しておられ. 須々木. と●︒.︒. ましたが︑私はあまり税法を知りませんので若干すれ違い へん想い出に残る著書で︑私はこれをきっかけに税法に少. いを目の前にして毒舌をはいたこと︒まあ︑それくらい仲. で︑仲がいいんだか悪いんだかね︵笑い︶︒お互いにお互. の感があったという気が今でもしております︒ただ︑たい. し関心をもったわけです︒この本を出したおかげで︑私は. が良いということで︑仲悪いはずないよね︒仲良く研究を. 企業会計のほうで少し注目されまして︑助教授時代に大蔵 省の企業会計審議会の幹事をさせていただき︑企業会計原. 巻H新井さん︑若い頃は毒舌家でしてね︒. 進めた︑ということですね︒. 酒. 則の改定に加わることができました︒もっとも︑その後︑. 税法から離れて︑今でも︑想い出しますと大変残念だった. 新井. 須々木∵・いやいや︑新井さんだけじゃないよ︒. いや︑それは︑酒巻先生には大変ご迷惑を. いう意味では︑大変記念になるような著書だったですね︒. 巻∵・私の結婚式の司会までやっていただきまし. 七九七. 新井 奥様よりも私の方が付き合いが長いという挨拶. た︒. 酒. ︵笑︶︒. という気がいたしますね︒ただそういう二人の共同作業と. 野村H酒巻先生は︑﹁商法特論﹂というので続きをや. 学問活動の面でも一つの想い出ということになりました︒. 酒巻Hそうなんですね︒企業会計法を︑さきほどの本. っておられましたけど︒. 座談会﹃早稲田法学の峰々﹄㈲.

(26) 早法七四巻四号︵一九九九︶. 佐藤︵英とそのお話は︑この座談会が終わって︑ア. をいたしました︒. それで︑酒巻先生が謙遜されて︑﹃商法と税法﹄. ルコールが出てきてから伺いますから︵笑︶︒. 新井 のおかげで企業会計法で脚光を浴びたというか︑デビュー. 七九八. 商法と租税法の関係で︑ちょっと付言いたしま. 佐藤︵英︶一それ以前ですか︒なるほどね︑わかりま した︒. 新井. いえいえ︒. には大変いろいろお世話になりまして︑ありがとうござい. すが︒ドイツのボン大学に行くときには︑佐藤︵昭︶先生. 佐藤︵昭︶. ました︒. 新井. したというようなことをおっしゃいましたが︑今でも︑ ﹁新井先生︑酒巻先生とご一緒にご本を出したでしょう︑. それで︑向こうへ行きまして︑ボン大学に租税. 共著の﹂と︑時々言われます︒ですから私もおかげで有名. 先生で︑しかし︑租税法でも主任的な教授で︑私法と租税. という女性の先生がおられました︒この先生は本来私法の. 法研究所というのがありますが︒そこにコイク︵囚①爵︶. 佐藤︵英と当時まだ︑研究室ごとや分野ごとの縦割. になりました︒. り型の研究でしょうからね︒それで︑おそらく珍しいお仕. 法を研究し講義しておられました︒. 行政法. ます︒先生は︑行政法学の分野でも︑大変なご研究をなさ. んので︑次は行政法の分野に移らせていただきたいと思い. 佐藤︵英︶Hなるほどね︒それでは時間もございませ. 四. 法から入ってくる方がかなり多い︒. 新井一行政法から租税法に入るというより︑民法や商. いう形で税法を扱う人が多いですね︒. 酒巻u欧米では︑会社法をやってますと︑会社課税と. 事ではなかったでしょうかね︒. 酒 巻一内容的に言いますと商法︑特に会社法には︑企 業会計法︑税法と︑全部同じ領域の延長という要素があり 共有しているということがあります︒ただ︑取り扱いが違. ますね︒確定決算主義ということですから︑商法の思想を. うという点から︑むしろ︑税法によって会社法の原理が歪 められているということもありますね︒. 佐藤︵英と読者から見ると︑この共著の本は︑その ような問題点が浮きぼりになるということでしょうね︒. 酒巻∵らや︑この本はそれ以前ですね︑私にとって は︒.

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